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久しぶりに我が家から徒歩で10分ほどの場所にある、JAさがみ わいわい市を訪ねました。 農家直売スタイルの市場はいまや人気のスポットで横浜市や鎌倉市に住む人々も新鮮で美味しい、旬の野菜を手に入れに来ているのです。入り口付近には花の直売コーナーも。見事な胡蝶蘭。 パフィオペディルム。袋状の花弁が食虫植物を思わせますが違うようです。黄色の花 オンシジューム。 そして珍しい紫大根。甘酢漬けが美味しそう。 青トマト。青トマトは赤くならない品種?それとも赤くなる前に収穫?こちらは見慣れたトマト。 新鮮キャベツの山。 ネギの種類と量も豊富。 美しい形状の野菜 ロマネスコ。我が農園でも栽培しているが、今年はなかなか大きくならないのです。味はブロッコリーに近く、食感はカリフラワーに近いのです。最近はスーパーでも見られるようになった野菜。 ロマネスコの花蕾は幾何学的な配置となっており、個々の蕾が規則正しい螺旋を描いて円錐を成しているのです。円錐はさらにそれ自体が螺旋を描いて配列し、これが数段階繰り返されて自己相似の様相を呈する不思議な神秘的な形の野菜なのです。その形状からサンゴに見立て「黄緑サンゴ」とも呼ばれているのです。これぞ『フラクタル』な野菜。 自然薯。 イチゴ。 卵もいろいろ。 屋外には各種パンジーのポット苗が並んでいました。 そしてストックやプリムラもカラフル。 結局何も買わずに、ブログ取材(笑)は完了したのでした。それにしても、いつ訪れても多くの客がレジで列を作っている人気のスポットなのです。
2014.01.31
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この日の宿は岩内・高島旅館。岩内町市街地から雪の山道を走る。ニセコいわない国際スキー場のゲレンデが間近に迫る岩内岳の麓。今回で宿泊は何回目?顔なじみの館主が外まで出迎えてくれました。早速檜風呂へ。 こちらは雪の中の露天風呂。 そして部屋に戻ると既に夕食が。 岩内町の特産品『たつかま』スケトウダラの白子をかまぼこにしたもの。食感は「ぷにぷに」で「ぶよ~ん」、店主直々の完全手造りの冬季限定品とのこと。焼物はアワビ、ホタテ、空豆。 七輪で炙って・・・・残酷焼き。 もう一つのアワビは刺身。なまこ酢。 カニも。 刺身はホッキ貝、甘エビ、 巨大ヒラメの生き造。時々ヒラメは、口を開けバタバタと動くのでした。しかしプリプリで美味。 モンケ (メバル)の塩焼き。身離れが良く、白身の淡泊な魚ながら、うまみも十分。実は浜鍋も出たのですが、食べるのに夢中で写真は取り忘れました。締めはデザート、地元産のメロンとザクロ。ザクロのデザートは珍しかったのです。岩内の冬の味覚を余すところなく堪能 しすぎ、苦しかったのです。
2014.01.30
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羽田空港からANA便にて新千歳空港へ。電車に乗り換え札幌駅に。いつもは新千歳空港からレンタカーにて岩内町へ向かうのであるが、冬季のこの時期は積雪による路面凍結等、運転に対して危険が多いのでこの日は札幌駅からバスにて岩内バスセンターに向かうこととする。札幌市内も積雪のため路面にもかなりの雪が。バスは札幌の時計台横を通過。積雪地域の信号機は縦方式。雪はやはり積もることは積もるのですが、隣り合っていないから比較的早めに滑り落ちて、雪が手前に垂れ下がることはないので、横型よりずっと見やすいのです。途中、小樽駅に到着。小樽駅を出ると利用客の数は少なくなる。石狩湾が車窓右手に見えてきた。国道5号笠岩トンネルと桃内トンネル間の海岸にある桃岩も岩壁は雪に覆われていた。右手前方には竜ヶ岬が。羊蹄国道の洞門が前方に。余市にある「柿崎商店 海鮮工房」。仁木町は名実ともに北海道一のさくらんぼの産地であるが、そのさくらんぼの木々も雪の中。車窓一面の雪景色。岩内郡共和町と、北海道余市郡仁木町の間にある国道5号の稲穂峠の積雪。共和町役場。そして岩内町バスセンターへ5分遅れで無事到着。
2014.01.29
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先日、神奈川県湘南地域県政総合センター・農政部地域農政推進課から封書が届きました。中には『蜜蜂飼育届け』の提出文書が入っていました。みつばちを飼育する者は、養蜂振興法の規定に基づき、みつばち飼育届の提出が義務付けられています。平成25年1月1日からは、趣味の範囲で飼育している者も届出の対象となったのです。また、届出の内容に変更がある場合は、1ヵ月以内にみつばち飼育届の提出が必要なのです。趣味でみつばちを飼育する場合を含む、全ての飼育者が対象。日本みつばちを飼育する者も対象なのです。ただし、花粉交配用にのみ飼育する者は届出が不要。(花粉交配に必要な群数・期間のみ、一時的に飼育する者で、みつばち・蜂蜜等を販売されていない者に限る。)飼育場所(蜜蜂養蜂箱の設置場所)と飼育蜂群数を記入して届け出をしました。併せて今年の蜜蜂飼育計画(群数をどこまで増やすか)も提出しました。 兵庫県のホームページには『養蜂マニュアル』のリンクも準備されているのです。 http://web.pref.hyogo.lg.jp/nk13/documents/h23manual.pdf http://web.pref.hyogo.lg.jp/nk13/documents/h24manualii.pdfhttp://web.pref.hyogo.lg.jp/nk13/documents/h24mitubatiii.pdf
2014.01.28
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徒歩で甲府駅に戻る。予約した特急列車の時間まで1時間弱あったので急いで甲府城趾へ向かう。北口広場に移設され公開されている藤村記念館。1875年(明治8年)に当時山梨県令(現在でいう県知事)であった藤村紫朗の指示により睦沢村亀沢(現在の甲斐市亀沢)に建てられ、睦沢学校(むつざわがっこう)として開校。「旧睦沢学校校舎」の名称で1967年(昭和42年)に国の重要文化財に指定された。線路の渡線橋手前にあり、甲府城の北の出入り口の山手渡櫓門(やまのてわたりやぐらもん)。高さ約12m、幅約14m。山手門(やまのてもん)。山手門は城門として、山手渡櫓門は武器庫としての役割を果たしていたといわれているとのこと。跨線橋(舞鶴橋)を渡る。跨線橋の金網越しの左横には蔵造りの町並み 「甲州夢小路」が。古民家を移築したり、蔵や倉庫、石畳など昔ながらの建築様式を取り入れ、明治・大正・昭和初期の甲府城下町を再現。遠くからでも見える茶色の塔は、明治初期まで200年以上にわたって住民に時刻を知らせていたといわれる「時の鐘」。見学は時間の関係上次回とした。 線路の向こうには甲府城内稲荷櫓。甲府城の建物は現存しておらず、この稲荷櫓が現在のいわば甲府城の顔。甲府城は別名、舞鶴城(まいづるじょう)。 舞鶴城公園案内図。甲斐国では戦国期から甲府が政治的中心地となり、躑躅ヶ崎館(武田氏居館)を中心とする武田城下町が造成されたが、武田氏滅亡後に甲斐を領した徳川氏や豊臣系大名が甲斐を支配し、この甲府城を築城したのだ。内松陰門。屋形曲輪と二の丸をつなぐ門。 石積みの階段を上がる。 正面には天守台跡が。 天守台だけが造られているにもかかわらず、実際に天守が建てられなかったとのこと。謝恩碑(塔) 富士山の頂上が。 天守台から稲荷櫓を望む。この日は月曜日で休館日であった。 甲斐駒ヶ岳も見えた。 稲荷曲輪門。 見事な石垣が残されていた。 武徳殿。1933(昭和8)年築。甲府城二の丸に設置された施設。 鉄門。2013(平成25)年復元。鉄門は「くろがねもん」と読み、本丸の南西、本丸と天守曲輪(てんしゅくるわ)のさかいめにあった櫓門。 鍛冶曲輪門から外に出る。 甲府駅南口。 甲府駅に佇む武田信玄公。1969年、信玄の命日でもある4月12日に建てられたもので、銅像の高さは3.1m重さは5tであるとのこと。武田神社は駅の反対側の北口方面にあるが、何故か信玄公は南口に鎮座。
2014.01.27
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帰路に甲斐武田神社に立ち寄る。武田神社はその名の通り、武田信玄を御祭神としてお祀りしている神社。武田神社は武田信虎・信玄・勝頼の三世代が約63年間に渡り居住した躑躅ヶ崎(つつじがさき)館跡に大正8年(1919年)に創建された神社で,国の史跡にも指定されているのだ。武田氏は清和源氏で、新羅三郎義光の後裔。先日ブログにアップしたが、その発祥地はここ甲斐国北巨勢郡武田村といわれているが、 常陸の武田郷とする説が有力となっているのだ。躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)配置図。色の付いている部分が、現存している遺構となっているとのこと。武田信玄は、「人は石垣人は城」の文句で象徴されるように、「城よりも人の心を掌握する事こそが大事である」と言っていたといわれる。そのため、自身は巨大な城郭に住むことはせずに、平地の居館に住み続けたと。主郭奥にある天守台跡には近づけなかったが、武田信玄は天守閣を造らなかったのだろうか?神社の入り口には、有名な信玄の旗指物(軍旗)が。武田信玄の軍旗に用いられた言葉「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」(疾きこと風の如く、徐かなること林の如し、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し)は、中国の兵法書『孫子』からの引用で、信玄公と共によく使用される言葉"風林火山"はこの軍旗に由来しているのだ。 武田神社全図、思ったほど広くない神社。太鼓橋を渡り階段を上ると武田神社と書かれた鳥居が。 鳥居をくぐると左手に「甲陽武能館」。「甲陽」とは甲斐の国が輝くさまを表わしているとのこと。そして武能とは、武田氏の「武」であり、能楽の「舞」につながり、「武芸」を嗜むものは同時に「舞」をも嗜み、その拍子を己の武芸に取り入れたと伝えられているとのこと。 第二の鳥居下からの本殿。本殿横には武田二十四将の大盃が。中央には家紋・四つ割菱(武田菱)とその下には『武田二十四将』という歌の歌詞が書かれていた。 本殿右手には武田神社宝物殿が。 写真撮影禁止の館内で唯一、撮影が出来る武田信玄公の像。 そして特別展示の風林火山孫子の旗。日本百名城のスタンプをGETし、徒歩で400m程離れた護国神社へ。 西南戦争以来の山梨県関係の戦没軍人・軍属の英霊25039柱を祀っているとのこと。 そして更に進み武田信玄公墓所へ。天正元年(1573年)4月12日、信州伊那駒場で53歳の生涯を閉じた武田信玄公は、混乱を避けるため、その死を3年間秘密にするよう遺言を残したと。3年後、塩山の恵林寺で葬礼を行い、埋葬されたが、死を隠していた3年の間葬らえていたといわれているのが、こちらの場所とのこと。 この地は武田二十四将の一人である土屋右衛門昌次の邸内だったと。信玄公の墓石には「法性院大僧正機山信玄之墓」と刻まれていると。 そして町並みの風景を楽しみながら、山梨大学の脇を抜け甲府駅に徒歩で向かう。
2014.01.26
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甲府駅前に戻り駐車場に車を止め、昼食へ。駅前の平和通りを駅に向かって歩く。駅前手前の右側には山梨県庁別館(旧・山梨県庁本館)が。竣工は1930年(昭和5年)とのこと。 そして同僚の薦めで昼食は「甲府のほうとう」の店『小作』。甲府の料理と言えば、今では鶏もつ、そして武田信玄の時代から今でも、ほうとうとの事。 店に入ると右手の壁にはこの店を訪れた芸能人と店主、店員とのスナップ写真がこれでもかと貼られていた。入り口付近のカウンター席に案内され座ると、目の前には頭上から吊り下げられた数々の形の瓢箪が。 ほうとうは漢字で『餺飥』と書くことを初めて知る 。ネットで調べてみると「餺飥」語源説が下記の如く。『現在広く知られる説として、「ほうとう」の名は「餺飥(はくたく)」の音便したものであるとされる。この説の詳細は以下の通り。「餺飥」は奈良時代の漢字辞書である『楊氏漢語抄』(逸書。平安時代中期の古辞書『和名類聚抄』に引用)に見え、院政期の漢和辞書である『色葉字類抄』に既に「餺飥ハクタク ハウタウ」として登場するから、この頃にはもう「はうたう」という語形になっていたことがわかる。このように、「ほうとう」は「うどん」以上に歴史のある食品であるが、伝来時期は異なるとはいえ、「ほうとう」が「うどん」と同じく中国から伝来した料理の流れを汲むものであることは間違いない。現代の陝西方言でワンタンのことを「餛飩」と書いて「ホウトウ」と発音することは、一つの参考となるようである。また同音の「宝刀」や「放蕩」などを語源とする説も存在する。「宝刀」については「信玄が自らの刀で具材を刻んだ」といった武田信玄に由来するとする俗説が広く流布している。』と。ほうとうとうどんの違いは?ほうとうは、うどんよりも薄く、幅が広い。だが1番の違いは、麺を打つ際、食塩を全く加えないところ。食塩がないと麺のこしが少なく、汁の中で煮込むと麺からでんぷんが溶けてとろみが付き、独特の風味が作り出されると。更にうどんは茹でてからめんつゆ等に入れる事が多いが、ほうとうは乾麺の状態から味噌味の鍋に入れて煮込むのだと。納得!!この店の人気メニューであると若い同僚から勧められ『カレーほうとう』を注文。カレーうどんと似ていたが、醤油と出汁でのばすのではなく、あくまでみそ風味に合わせた、カボチャの甘み味に仕上がっていたのであった。おまけに中央に半熟落とし卵が。野菜も豊富で、カボチャ(熟瓜)、ジャガイモ、里芋、人参、絹さや、白菜、ネギ等々・・・特にジャガイモがごろっと大きな素材そのまま入っているので、大いに食べ応えがあったのであった。十分身体を温め、午後の部にいざ出陣。
2014.01.25
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年始の挨拶に山梨県甲府市、富士吉田市をレンタカーで同僚と廻ってきました。甲府駅前のホテルを日曜日の前夜泊で予約していましたが、叔母が亡くなりその通夜に参列したため、月曜日の6時に自宅を出発することになりました。小田急線で町田駅に、ここで横浜線に乗り換え八王子駅へ。スーパーあずさ1号自由席にて甲府まで。乗り換えの連絡も良く2時間半弱で甲府駅に着いたのです。甲府駅でレンタカーの準備をして待っていてくれた同僚と合流し挨拶回りのスタート。途中リニア新幹線の山梨実験線の下を通過。 途中137号線の御坂峠を通過し下っていくと富士山の勇姿が目の前に。レンズ雲が頂上近くに。UFOを巨大にして横から見たような雲の為、UFO雲と呼ぶ人もいる雲。そして河口湖近く。 河口湖大橋。 河口湖の水位が昨年夏は下がり続けているとのニュースが。8月には約15年ぶりに、基準地点を3・5メートル下回ったとのことであったが、11月下旬には回復したとのニュースも 。富士山の河口湖側からの吉田ルートの頂上付近のジグザグが頂上下左側にはっきり見えた。 そして富士吉田市の顧客挨拶を終え次の目的地へ。富士急ハイランド横を通過。そして中央高速大月ICに向かう途中に再びリニア新幹線が前方に。 リニア見学センターの下を通過。山梨県立リニア見学センターは、山梨リニア実験線の走行試験の開始に合わせて開館した県立の施設。山梨リニア実験線での走行試験の様子を見学したり、超電導リニアやリニア中央新幹線の概要を模型や各種の展示物等によって紹介し、次世代の乗り物といわれる超電導リニアについて理解できる施設。そして私が若かった頃、設計担当した超純水装置が今でも稼働している工場が。 そして笹子トンネル下り線に入る。ここは2012年12月2日、反対側の上り線で天井板のコンクリート板が約130mの区間にわたって落下し、走行中の車複数台が巻き込まれて多くの死傷者が出た事故現場。既に上下線の天井板は完全に撤去され整備が完了済み。 そして再び甲府市内へ。前方に白き南アルプスの山々が。
2014.01.24
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東京電力さんから我が家の1月の太陽光発電(京セラ、5.76kw)の 『電気ご使用量のお知らせ』が先日届きました。期間:12月17日~1月17日(32日間) 電気使用量 昼 : 179KWH 朝晩 : 501KWH 夜 : 565KWH--------- 合計 : 1,245KWH 金額 :28,014円 先月12月は810KWH、17,259円でしたので、+435KWH⇒+10,755円と大きな増加になりました。正月の準備、暖房等で大きく使用量が増えました。 そして『余剰購入電力量のお知らせ』。すなわち東京電力(株)さんに買ってもらった電気料金です。 購入電力量 :204KWH購入予定金額 :9,792円の結果。今月は18,222円の赤字となりました。 太陽光発電開始以来の使用電力量の推移です。そして太陽光発電開始以来の売電電力料金の推移です。我が太陽光発電の設備情報です。24円/kwhで平成20年5月27日に売電を開始いましたが、『太陽光発電の新たな買取制度』により翌年平成21年11月17日から48円/kwhで10年間固定された金額で東京電力が購入してくれるのです。
2014.01.23
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先日、自宅で育てる『きのこ栽培キット』をホームセンターで購入し栽培を始めた事を1/9のブログにアップしました。その後椎茸が順調に成長し、先日初収穫しました。 5個程の椎茸の笠が5cm以上の大きさになりました。 大きさが解りにくいので私の指と一緒に。 笠の表面はプックリと張って来ました。そして初収穫。勿論、 生しいたけの醤油焼き。傘の部分に醤油をかけ、できあがり!そして傘の裏側にもかけると、醤油がしたたり落ちずにおいしく食べられたのです。そうです、左手には缶ビール。 先日まで椎茸はエリンギやマイタケと異なり原木栽培でしか出来ずに、コナラ、クヌギなどの落葉広葉樹が使用され、一定の長さに切断した「ほだ木」を山に寝かせたものにドリルで穴をあけ、椎茸の元になる種駒を植菌し栽培するしかないと思っていましたが、この様なオガクズと米糠などの栄養源を混ぜた人工の培地で栽培する事が出来ることを知ったのです。松茸の人工栽培の研究も行われてでいると聞いていますが・・・・・・・。
2014.01.22
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武田氏発祥の地から勝田へ向かう途中、住宅街の道端に大きなパネルが空に向かって羽を拡げているのを発見し車を止めてもらう。この物体は『スカイリングソーラー』。GPS内蔵コンピューター制御で、ひまわりのように太陽を追尾する太陽光発電設備。 農地等の遊休地への太陽光発電設備の設置を訴えているのであった。一本の鉄骨の柱に100枚?のパネルが凧の如きに。正面に廻ると午後の太陽光を真正面に受けて輝いていた。発電能力はどの程度なのであろうか?およそ我が家の太陽光発電能力5.76Kwhの10倍程度か? 地上部にも追随機構の異なる太陽光発電パネルシステムが。こちらが『ウイングソーラー』。 再び裏に廻りどの様な仕掛けで太陽を追尾するのかを観察。鉄骨の柱に4本の油圧シリンダーにてパネル全体を一気に動かす仕組み。太陽を追尾することにより、発電量は1.6倍になるとの事。しかし心配なのは台風などの強風や突風時の耐久性は問題無いのであろうか?風の方向を連続的に検知して、最小の受圧になるよう制御は可能であろうが台風時の渦巻きの如き時々刻々と向きを変える強風に耐えられるのであろうか?この課題がクリアーできるのであれば、個人的にも非常に魅力的な商品。費用対効果は如何に?
2014.01.21
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茨城県鉾田市に出張し、同僚の車で次の訪問地勝田へ。途中、昼食に和食店ばんどう太郎へ立ち寄る。入り口に『福来一升餅』の案内が。昔の日本は正月ごとに年をとる「数え年」で年齢を数えていたので、誕生日自体はお祝いする習慣がなかったそうですが、赤ちゃんが生まれて1年目の初誕生日だけは特別扱いで、大々的にお祝いをしていたとのこと。この初誕生日には日本独特のお祝いの行事が伝統的に残っていて、その大部分が「餅」を使ったもの。数多くのやり方が地域ごとにはあるが、基本的には2通り。赤ちゃんに餅を「背負わせる」タイプと、「踏ませる」タイプ。全国的に「背負う」タイプが多く、九州地方には「踏む」タイプが多いとのこと。これらの行事に使われる餅は、地域にもよるが「一升餅」と呼ばれていると。これは、人間の一生と餅の一升をかけて、「一生丸く(円満に)長生き出来るように」とか「一生食べ物に困らないように」などという願いをこめているのであると。我が孫にも1才の誕生日には・・・・・・と。昼食は『かきみそ煮込みうどん』を楽しむ。そして同僚の薦めで甲斐武田氏発祥の地を訪ねる。 茨城県ひたちなか市武田、陸上自衛隊勝田駐屯地の南西隅から 常磐線の線路を挟んで向こう側に湫尾(ぬまお)神社が。その神社の参道入口に 写真に示す石碑と 説明板が建っていた。 武田氏といえば 甲斐国の発祥 という印象があるのだが,はるか離れた ひたちなか市(旧・勝田市)が 甲斐武田氏の発祥地とされる経緯は,下記の碑文に詳しく書かれている。しかし 「武田信玄の祖先が常陸国の出で そこの地名「武田」をとって姓とした」というのは全く知らなかったのであった。武田氏の常陸国発祥説は 1960年代に発表され,現在はこちらの方が定説となっていると。説明版には名将信玄を出した甲斐武田氏発祥の地源頼義の長子八幡太郎義家の弟新羅三郎義光は,後三年の役(1083~ 1087)に際し兄義家軍への参加や,常陸介に任ぜられて東国常陸への赴任を 通して,早くから在地勢力と提携し,常陸大掾(たいじょう)平氏と縁戚関係を結んで,常陸進出の野望を着々と実現していった。義光には,義業(よしなり),実光,義清,盛義(もりよし),親義(ちかよし)らの数子があったが,まず,長子義業を,常陸国久慈郡佐竹郷(常陸太田市)に土着させ常陸進出の拠点とした。一方,三男の義清を,常陸国吉田郡武田郷(野田市武田)に配して勢力の扶 植をはかった。ここが甲斐武田発祥の地である。義清は刑部三郎と称し,武田郷の地名をとって初めて武田氏を名乗り武田冠 者と呼れた。この義清が甲斐武田氏の始祖となったのである。「武田系図」によると,義清は上野介源兼宗の女を妻とし清光をもうけてい る。『長秋記』によれば,大治五年(1130)十二月三十日の条に「常陸国 司,住人清光濫行の事などを申すなり,子細目録に見ゆ」と記されている。 十二世紀初めの武田郷周辺の地は在地豪族の間で互いに勢力を張り合っていた が勢力拡張をあせる義清,清光父子にゆき過ぎの行為があった。そのため吉田郡地方に隠然たる勢力をもつ常陸大掾の族吉田清幹(きよもと)らに疎外され「清光濫行」として告発された。その結果,義清,清光父子は告発された直後,甲斐国市河庄に配流となった。義清の曾祖父頼信,祖父頼義,父義光と三代にわたって甲斐守に任ぜられ, 清和源氏と甲斐とは密接な関係にあった父祖ゆかりの地に土着し,新天地を開 いて甲斐源氏発展の基盤を築いた。名将武田信玄は義清から十八代目にあたる。 武田氏略系図 義光─┬─義行──昌義──隆義──義重...... │ (佐竹) ├─実光 │ (武田) └─義清──────清光──信義......晴信(信玄)...... 湫尾(ぬまお)神社。 本殿に近づくと火災で燃えてしまっていることを理解。 昨年9月11日に放火で 本殿・拝殿ともに全焼したと。武田氏館入り口。 かつての武田氏館は那珂川を見下ろす武田台地の突端にあったと考えられていると。この復元された武田氏館は、竹下元総理による「ふるさと創生事業」により、往時の位置の近くへ建設したもの。 厩の白馬は今にも動き出しそう。 源義清、清光親子武者人形。義清は同国内に元来強い勢力を持つ大掾氏らと争って敗れ、勅勘を蒙って長男清光とともに甲斐国市河荘に配流となったと。 武田義清公像。武田氏家紋の「四つ割菱」 甲斐国市河荘までの配流ルートも解っていると。母屋から見た入り口。 そして武田氏館の近くにの民家?真っ黒なドーム状家屋。
2014.01.20
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妻が初孫に雛人形を購入しました。「人形は顔がいのち」とネットで顔の美しいのを必死で探し、即決で申し込み。早くも先日、我が家に届きました。そして受け取りに娘夫婦が初孫を連れて訪ねてきました。とりあえず我が家の床の間に親王飾りを飾って見ました。被布着も一緒に。妻が気に入ったお顔です。 正面から。 斜めから。 お殿様 正面から。 斜めからもう一度。 そして座椅子に孫を寝かせ記念撮影も。残念ながらこの写真は本人の了解が得られませんので・・・・・・・・・・。 生後3ヶ月ですが順調に成長しています。すこやかな成長を祈っているのです。
2014.01.19
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五所川原の朝は雪の朝。部屋からの早朝風景。電気屋さんの後ろは五所川原『つがる克雪ドーム』。津軽半島地域は、積雪寒冷地域に位置し、全国的にも有数の豪雪地域であり、冬期間の屋外での諸活動に大きな制約を受けるのです。よって「つがる克雪ドーム」は年間を通じて利用可能なスポーツ・レクリエーション施設。そしてこの日の為に、年末にホームセンターで雪道滑り止め対策として購入したのです。雪道より凍結した路面を歩くのにこの滑り止めは、慣れない私には必需品なのです。靴裏につけて、挨拶回りにいざ出陣。 屋外では良いのですが、客先の事務所の床ではかなりの音がしますのでそっと歩く必要があるのですが。
2014.01.18
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年始の挨拶に青森・五所川原へ向かう。天王州アイル駅からモノレールで羽田空港へ。久しぶりのモノレール利用で車窓の風景を楽しむ。前方左手前には品川清掃工場の煙突が見えてきた。 モダンなデザインのかもめ橋。八潮団地と東品川をむすぶ橋の一つ。長さ168.5m幅4.2mの斜張橋。天王洲公園の照明灯が左手に。 流通センターの倉庫群。 森が崎水再生センターNAS電池。わが国では最大規模の水再生センターで処理能力は 154万m3/日。遠く羽田空港管制塔が。 工事中の国際線ターミナル周辺。 海に潜る手前のモノレール。遠く海の中に東京湾アクアラインの風の塔も見えた。 そして羽田空港管制塔。高さは世界3位の115.7m。JAL便にて青森空港へ。
2014.01.17
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娘の嫁ぎ先から『タンカン』が送られてきました。『タンカン』とは短桶、桶柑と書き、ポンカンとネーブルオレンジの自然交配種とのこと。高温を好む亜熱帯性柑橘類のため、現在の主な産地は沖縄県と鹿児島県の屋久島、奄美大島とのこと。娘の義母 は沖縄ご出身なのです。フラッシュ付きで撮影してみました。原産地は中国の広東省とのことですが、沖縄で昔からミカンと言えばタンカンとのこと。 表面の色合いは決して美しいとは言えませんが・・・・・。初めて見た方は、痛んだミカンと勘違いされる方もいるのでは。大きさは小粒のミカン程度。 早速いただきました。やや皮があつく剝きにくいですが、ジューシーそのもの。タンカンは絞ってジュースにしても旨そうです。100%果汁のタンカンジュースも販売されているのでは。 素晴らしい南国の大地の恵みを、堪能させていただきます。ごちそうさまです。
2014.01.16
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鳶職連合会による梯子乗り演技の開始を知らせる半鐘が。 勇壮なまとい振りを披露する団員の後に多くの長老が入場。そして伝統の梯子乗りの開始。鳶口で梯子を支える団員達。 そして数々の梯子乗り技の披露。 型が決まるたびに多くの観客から大きな拍手が。 最後は3人による同時演技。 そして締めは連合会長老による一本締め。 我が地域の消防分団による模範演技も。市内大会で優勝し県大会に出場すると。 そして一斉放水。 消防団員らが放水訓練に取り組み、赤や青、黄に着色された水を青空に向けて一斉に放水した。この色水の放水については賛否両論があるが・・・・。 2部の公開演技を終了し、お汁粉をご馳走になる。 大きな飛行機が出初め式を上空から見学か??厚木飛行場に向かう飛行機? 50m梯子付消防車。 希望者を乗せて上空へ梯子を伸ばす。 上空で真剣な顔つきで下を見つめる子供達。 隊員のロープ渡りの実演。 こちらは壁の降下。『お父さん頑張って!!』の声が近くから。 起震車により地震体験、避難体験をする親子も真剣。 新春恒例行事の一つであり、「出初式」は新年の季語となっている日本文化。いつまでも大切にし、子供達に残して行きたい行事と感じながら帰宅したのであった。
2014.01.15
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日曜日の1月12日は朝から自転車で15分ほどの場所で行われる出初め式の見学に行ってきました。会場は消防防災訓練センター。 開会前でしたが消防音楽隊の演奏で見学者を歓迎。 既に消防団員は整列し開会を待っていました。 式典進行は地元コミュニティFM局レディオ湘南のヒロロンこと宮川浩子さんとのこと。国旗、市旗の掲揚。市長を先頭に参加部隊への観閲。 市長式辞。地元選出の衆議院議員2名の挨拶。 第2部は子供達による防火パレードでスタート。 小型の纏を持ち行列する子供達。 消防音楽隊によるドリル演奏。 隊員の構成年齢は幅が広そう。
2014.01.14
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今朝の我が家近くからの富士山です。手前の電線が邪魔ですが、やむなしです。真白き富士の嶺。 山頂に向かってズームアップ。元旦の富士山はぼんやりしていましたが、寒波の到来で今朝の富士山はくっきり。ところで昨日、日本の歴史上の画家である葛飾北斎と横山大観の描いた富士山の数々について比較評論する番組が放送されていました。葛飾北斎の描いた富士山はその瞬間を描いた『動』の絵画であるとカメラマンの浅井慎平氏が語っていました。以下はテレビ画面を我がカメラで撮影したものです。『神奈川沖波裏』巨大な波と翻弄される舟の背景に富士山が描かれています。北斎の作品の中では最も有名であり、世界で知られる最も有名な日本美術作品の一つ。海は荒れ狂い、波の波頭が砕けるその瞬間を切り取っている。シャッタースピードで言うと1/10000の作品であると浅井氏は。北斎は、円・直線という幾何学的図形を使って絵の構図を決める画家であったと。『富嶽三十六景・神奈川沖浪裏』では、全体の構図は2本の対角線と19の円弧によってほぼ決められていると。 波の先端と富士山の頂上が円線上にそして対角線との交点に意図的に配置されていると。更に手前の波と富士山が大小の三角形となり遠近法を確立しているとのこと。「神奈川沖浪裏」の魅力を、幾何学的な分析に基づいて解説された事は、興味深い内容であった。そして『凱風快晴』。「赤富士」と通称され、夏の早朝に日を受けた富士の山肌が赤みを帯びた『一瞬の様子』を捉えている作品。 『山下白雨』凱風快晴が「赤富士」と呼ばれるのに対して、本作品は「黒富士」と呼ばれていると。裾野に夏の積乱雲がたち、裾野は黒雲に被われ、稲妻が走る瞬間を切り取った、大地の躍動感を感じさる作品。そしてその他の『富岳三十六景』の数々の作品が紹介されていた。いつの時代も日本人の心の中にある富士山の姿。「富嶽三十六景」は、単なる風景画の域を超え、日本人の心の風景を描き出しているとの解説。 そして葛飾北斎の『動』の富士山と対照的に『静』の富士山を描いた画家『横山大観』。『霊峰四趣 秋』前景に白砂と青い流水、中景に薄(すすき)、女郎花(おみなえし)、桔梗(ききょう)、楓(かえで)などの秋草と、点々とした松ぼっくりや幹の苔までを細かく描写した青松を、そして後景に富士を配した構図で、日本の秋を象徴する風物を織り込み、理想郷を造り上げている作品とのこと。楓の朱色が華やぎと彩りを加え、琳派風に装飾化された流水の群青も鮮やかに目にうつる印象的な作品。正に遠い富士山を描いた『静』の作品。『雨霽る(あめはる)」』 。以前米子に出張の折、足立美術館を訪ね観賞した作品。雨後の霧雲が晴れ上がってゆく山並みの流動感。彼方に見える『静』の富士山。静かに流れる時間を表現。 『乾坤輝く』 これも足立美術館?にあった作品。有名な富士山の横に赤い太陽が描かれた絵。軍国主義的な絵という評価を受けた次期もあったと。富士山を題材に、動と静の対比と様々な観点から論評した興味深い番組であった。 そして今朝の富士山を見に行った時の我が家の周辺。朝の陽光が眩しかった。そして畑は霜で真っ白。日本大学校舎の後ろには、遠く丹沢の山々が。ブロッコリーの葉には霜の結晶が。 そして再び今朝の富士山。
2014.01.13
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昨日1月11日は鏡開きの日。我が家でも、神棚そして床の間にお供えしていた鏡餅をおろしました。 我が関東では一般的に昨日1月11日が鏡開きの日とされています。 しかし、関西では1月15日に行われることが多く、京都や近隣の一部の地域では1月4日に行われていることもあるようです。関東と関西の鏡開きの日が異なる理由をネットで調べてみました。鏡開きは"松の内"が終わった後、1月20日に行われていましたが、徳川家光が亡くなったのが4月『20日』で、1月『20日』を忌日として避け、1月11日に行う風習が、徳川幕府のある関東を中心に広まったとのこと。 この風習が正確に広まらなかった関西の地域は、引き続き1月15日に鏡開きを行っていると。今年の我が家の鏡餅はいつもと異なり、ビニールケースの中に角餅が入っているタイプでなかったことに妻からの指摘で初めて気がつきました。 鏡開きとは、正月に神様、仏様に供えていた鏡餅を下げ、それを食べるという風習。 神様に供えた食べ物には力が備わると考えられ、神様や仏様に感謝しながらそれを食べることによって、無病息災を祈願するのです。鏡餅を包丁で切るということは、切腹を連想させるので昔から忌み嫌われているのです。同じく『割る』も縁起が悪いとされ『開く』となったのです。今年も我が家はお汁粉でいただき、2014年の無病息災を祈願したのです。
2014.01.12
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白馬の仕事を終え、次の目的地千曲へ向かう途中、小川村の縄文おやきをが食べられる小川の庄、おやき村に立ち寄りました。おやき発祥の由来は、山深い村ではコメは採れないため、粉を練って焼いて食べたのが始まりだと。 すれ違いも難しい程の細いくねくね道をのぼっていくと漸く到着。店の入り口の右側に千手観音が巨大な木の中に祀られていました。 神秘的な姿。 入り口では地元で採れた蜂蜜が販売されていた。100gで500円。 店内は空いていて落ち着いた雰囲気。堀火燵が心を癒す空間。 奥には、いろりを使った焼きおやきが食べられる場所も。「おやき作り体験」もやれるようであった。土産物用の漬物や豆の試食も出来るのでした。各種の漬け物をご馳走になりましたが、ビールはぐっと我慢。 おやき御膳・山桜950円を注文、下の写真にぶっかけ蕎麦が付いてきました。 おやきが2種類。生地は一度寝かせたものを使うとのことで、固めで独特の旨味があり、噛めば噛むほど美味しさを感じる昔ながらの味。 そして天ぷらは春菊、ナス、マイタケ・・・・。 掘り炬燵での打ち立ての蕎麦も格別であった。そして山道を下り次の目的地千曲に向かったのであった。
2014.01.11
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年始の挨拶に長野・白馬村まで行ってきました。前夜泊にて長野新幹線で長野駅へ到着したのは23:15。駅前のホテルまで徒歩にて。津津と冷える中、この冬一番の寒さで気温は-15℃。翌朝の我が部屋から。快晴のこの日。このシーズンにしては積雪は少ない。同僚の運転するレンタカーで33号線を白馬村へ向かう。前方には北アルプス北部の後立山連峰にある山々が。峠の雪も少なく路面の除雪も完璧。 チェーン着脱用の駐車場で休憩。 雪景色の写真を撮る方も。 休憩テーブルのある東屋風の屋根には1m程度の積雪が。 更に白馬村への道を進む。 木々の小枝には霧氷が。 前方に白馬岳、乗鞍岳の真っ白な姿が。 乗鞍岳( 3025.64m)白馬岳(しろうまだけ、2,932 m)。大糸線 白馬(はくば)駅。 1998年に開催された長野オリンピック(第18回冬季オリンピック)・長野パラリンピック(第7回冬季パラリンピック)。白馬村もその会場となり、数々の熱い戦いがこの地で繰り広げられ、多くの感動が生まれたのです。 日本選手が大活躍し感動のドラマが生まれた白馬ジャンプ競技場。 車窓からの3000m級の山々の景色を堪能し漸く白馬村の我が事業所に到着したのでした。
2014.01.10
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ホームセンターでしいたけ栽培キット『したけ農園』を購入してきました。箱の横には栽培方法が記載されていました。 ビニール袋から出してサッと水で表面を洗い流し、30分程水に浸しておきました。その後付属のビニール袋に入れ栽培開始。白く見える部分が次々に大きく生長するとのこと。表面が乾燥しないように、定期的に霧吹きで水を与えると。椎茸の赤ちゃんが所々に顔を出してきました。1週間もすれば初収穫が可能なのでしょうか?日に日に成長し大きくなっていくのが楽しみなのです。
2014.01.09
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JALから秋鮭とイクラのSETが送られてきました。実は年末にJALマイレージを確認していたら、2013年末日で有効期限が切れてしまうポイントがかなりあることを発見。慌てて交換を申し込んだのです。 申し込んだのは『とっておきの逸品』 新巻鮭といくら醤油漬 大きな秋鮭がまるまる1本。 秋鮭とは秋に、生まれた川へと戻って来た鮭。新巻(あらまき)は、サケを魚体重の20%程度の食塩で塩蔵(甘塩と呼ばれる)したもの。 正月用に到着すると良かったのですが、到着日は1月4日だったのです。これからゆっくりと楽しむこととします。
2014.01.08
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妻が1月4日(土)の夕刊の記事を持って来てくれました。海外産蜂蜜(ハチミツ)で中毒症状が発生した記事。 記事は『報告によると、東京都内に住む60歳代の女性が、東南アジアで購入した蜂蜜をお湯に溶かして飲んだ。30分後、呼吸困難や視覚異常などの状態に陥り、数時間後には歩けなくなったため、救急車を呼んだ。嘔吐(おうと)や下痢はなかった。』と。 更に記事は『蜂蜜には、ツツジの仲間が持つ中毒物質グラヤノトキシンが入っていることがある。茶さじ数杯程度でめまい、血圧低下、心拍の異常などを起こす。もともと野生の蜂蜜を食べる習慣があるトルコの黒海沿岸部での発生が多く「マッドハニー病」と呼ばれている。患者数の統計はないが、世界中で症例報告があり、トルコなどで生産された蜂蜜が、流通の国際化によって世界各地に広がっていると考えられている。』と。 先ほどの記事のトルコで購入した蜂蜜を食べ,中毒事故が起きているとの報告がある植物はツツジ属の花からとった蜂蜜が多く含まれていると。 我が家の蜂蜜 天然のそのままの「ハチミツ」の中にはハチが運んでくると思われるボツリヌス菌が含まれている可能性があり、日本で生産されるはちみつの5~10%程度にボツリヌス菌が混在すると言われているのです。これを耐性の低い乳児期の赤ちゃんが摂取すると、ボツリヌス中毒を起こす危険性があるからです。昭和62年に当時の厚生省から「1歳未満の乳児にはちみつを与えないように」という勧告が出されたのです。よって我がハチミツのラベルにも『1才未満の幼児には与えないでください』と表記しているのです。 更に記事には『蜂蜜中毒は生命にかかわるほど重症化する恐れはほとんどない。よく効く拮抗(きっこう)薬があるので、蜂蜜を食べた数時間後に気分が悪くなった場合は、早めに病院に行き「蜂蜜を食べた」と医師に告げるよう助言する。』と。 我が家の近くにはツツジが大量に自生している山などは全くないため、ほとんど心配は無いと考えています。海外からのお土産として、またネット通販でハチミツ購入される方はご注意をお願いします。
2014.01.07
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我が家の太陽光発電(京セラ、5.76kw)の12月の実績です。発電積算は519KWと12月としては過去5年で2番目の好成績な結果となりました。12月の第1週、3週は好天に恵まれ発電量も順調でした。毎日の発電、売電、買電、消費電力のデータです。12月28日のこの日はこの月の最高の発電量24KWHを達成。緑が発電量、そして黄色が売電量。発電したものの殆どを売電していることが解るのです。当然日中の買電電力は0(ゼロ)なのです。 2013年までの月別発電料のグラフです。紫が2013年度発電量の月別実績値。5月は800KWHを大きく越え最高の842KWHそして10月は最低の454KWHでしたが12月は519KWHと500KWH越えとなりました。使用電力の推移です。11月に入り朝晩の電気ストーブ等の消費量のため1000KWHとなりこの12月は大きく1320KWHとなりました。 買電電力の推移です。夜間の買電は 全て格安の深夜電力なのです。売電電力の推移です。そして売電金額の推移。5月は35,000円超え、8月は25,000円越えと頑張ってくれたのですが10月は15,000円以下の14,448円、12月は13,000円越え。年間売電金額総計は244,368円、購入金額総計は162,979円と81,390円のプラス収支となりました。今年の纏めです。春の5月には過去最高の発電量842KWHを記録しました。 2009年5月からの年間発電量の推移です。 今年の発電量は過去最高の年間発電量7,405KWHを達成しました。1,286KWH/年・KWの実績数値を記録しました。環境モニターの表示結果です。これまでの発電量からソーラーカー走行距離は514,241km、8周目とのことです。CO2削減量は12.4T-CO2、石油消費削減量は8979Lとのこと。今年で太陽光発電導入から5年目に入りますが、更なる活躍を大いに期待しているのです。屋根の上の太陽銀行さん、よろしくおねがいいたします。
2014.01.06
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年末に仙台のご自宅に戻られた同僚がなんと鮑と昆布そしてわかめをクール宅急便で送ってくださいました。昨年末に長男が結婚し初孫も産まれ、今年は賑やかな正月になりそうだとは年末の酒宴の席で話した記憶はあるのですが・・・・・・・・。 早速発泡スチロールの箱を開けてみると、ビニール袋に入った大きな鮑が。紫色のアワビの殻の背面には数個の穴が。肉厚の鮑。 今まで正月料理に鮑があったことは記憶にないのです・・・・・。 そして『』放射能検査成績書』も添付されていました。 昆布も。妻は正月料理用の身欠きにしんの昆布巻きの材料を急遽変更。 三陸産わかめも。 鮑のバターステーキでいただきました。 鮑は刺身も美味しいですが、熱を通してムチムチとした独特の食感や深い旨味を味わう、というのが好きなのです。むっちりした身に潮の香りが凝縮した肝ソースが絡んで、最高 !!殻の裏側の色は、真珠貝のように銀色に輝いてこれまた美しかったのです。美しいブルーやグリーン、そして所々に薄いピンクや紫がチラチラと。自然が創り出した見事な色彩。これぞ新年にふさわしいと見事な輝き。今年の正月の我が家は、岡山からの殻付き牡蠣を生牡蠣、バター焼き、牡蠣フライ、クリームシチュー・・・そして仙台からの鮑、昆布、わかめと、採れたて新鮮な海の幸が潮の香り一杯に溢れていたのです。岡山のSさん、仙台のTさん ありがとうございました。一気に二人増えた女性の家族も交えて、賑やかな正月の新年会になったのです。
2014.01.05
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3日は妻と再び箱根駅伝の復路観戦に行ってきました。前日、妻は新年会の準備の為、やむなく毎年恒例の観戦をあきらめたのでした。前日より30分遅れで自宅を出ましたが、遊行寺の周辺は既に観戦客がぎっしりと並んでいて二人一緒に応援できる隙間は全くなし。藤沢橋近くでは太鼓・笛での祭り囃子の披露が。やむなく二人は落ち合い場所を決めて別々に。私は遊行寺の坂をひたすら上りましたが、沿道のガードレール沿いは更に混雑。やむなく道路沿いの斜面に上り陣取る。前方反対車線の歩道には、遊行寺の山登りを中継する固定カメラが。 出番を待つカメラマン。神奈川大学の石橋選手の応援をマイクで依頼するご夫婦?選手の祖父母でしょうか両親でしょうか? この肉親?の熱き思い!!!宣伝カーが通過。 黄色の広報車。 日テレテレビ中継車が通過し選手がいよいよ通過。 1位の東洋大学・高久 龍選手。 2位の駒澤大学・大塚 祥平選手は青学・井上尚樹選手の応援のカードの後ろ。 対向車線に自慢のクラシックカーの披露部隊が通過。 3位の早稲田大学・井戸 浩貴選手。またまた旗が顔の手前に突然。この位置からでは選手の撮影が難しい事を実感したが時既に遅し。 明治大学・ 有村 優樹選手。日本体育大学・奥野 翔弥選手。 青山学院大学・ 井上 尚樹選手。集団で選手が通過後は東海大学・ 今井 拓実選手。中央大学・市田 拓海選手。 大東文化大学・吉川 修平選手、中央学院大学・沼田 大貴選手と法政大学・佐藤 和仁選手。 日本大学・村越 直希選手。 山梨学院大学・前田 拓哉選手と城西大学・河名 真貴志選手の後ろ姿。そして城西大学の監督車。車の赤とボンネットから伸びる黄色のストライプは選手のユニフォームと襷の色と同じ。過去には大学名の幟を立てたジープ車が伴走車で、監督がマイク片手にこの遊行寺の急坂を喘ぐ選手に対して自ら校歌を歌い選手を鼓舞していたのであった。そして自らジープ車を降りバケツの水を選手にかける姿も。 順天堂大学・松枝 博輝選手 神奈川大学・ 石橋 健選手専修大学・木内 勇貴選手 上武大学・根岸 成光選手 国士舘大学・餅崎 巧実選手 そして全選手の後ろを走る医務車 観戦終了後は妻と落ち合う場所に向かう。遊行寺本堂の横面。 遊行寺の六地蔵 境内にある神輿蔵には二基のお神輿が今年は無くなってしまったと思っていた骨董市が境内の片隅でささやかに。 そして正月恒例の連日の箱根駅伝応援を今年も完遂し、前日と同じバスで帰宅したのであった。今年は 往路を59秒差で制した東洋大が、1度も首位を譲ることなく2位駒大に4分34秒差をつけて完勝したのであった。9区で我が母校を逆転した前回覇者の日体大が、3位に入ったのであった。我が母校は、例年箱根の山の登り下りで苦戦しているが、今年は下りで2年生が活躍し1区の大迫選手以外は3年生以下ですので来年の活躍が期待できるのです。正月の風物詩でもあり、何があるか分からない箱根駅伝、今年もたくさんのドラマと感動を与えてくれたのでした。そして帰宅後、録画ビデオに応援する私の姿が映っているのを見つけ更に大満足したのでした。(でも私にしか見つけられませんが・・・・・・・)来年は、もっと早めに行きテレビ映りのBEST POSITIONを目指そう!!(笑)
2014.01.04
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今年も昨日、箱根駅伝往路の観戦に行ってきました。応援場所は我が母校のOB達が集まるはいつもの場所。新婚の長男夫婦も都内での観戦を終え、慌ただしく電車を乗り継ぎこの場所で合流。地元稲門会への入会案内も掲示されていた。 選手の到着が近づくにつれ、道路の反対側の歩道にまで多くの観戦客が。 取材報道用日テレヘリコプターも上空に。 そして宣伝カー?が通過。箱根駅伝の正式名称は『東京箱根間往復大学駅伝競走』。今年は90回の記念大会で出場校は23校。広報車。 日テレテレビ中継車1号車。 そしてTOPを走る駒澤大学・ 油布 郁人選手ラジオ放送車。 2位は東洋大学・ 設楽 悠太選手。しかし茅ヶ崎手前で駒大を抜き去り首位に。3位は早稲田大学・武田 凜太郎選手 テレビ放送3号車。 明治大学・八木沢 元樹選手日本体育大学・ 勝亦 祐太選手拓殖大学・金森 寛人選手上武大学・ 佐藤 舜選手と大東文化大学・植木 章文選手のデッドヒート 日本大学・竹ノ内 佳樹選手 中央学院大学・塩谷 桂大選手と國學院大學・沖守 怜選手 法政大学・ 黒山 和嵩選手帝京大学・難波 幸貴選手 中央大学・町澤 大雅選手は笑顔? 城西大学・横田 良輔選手 東京農業大学・戸田 雅稀選手 神奈川大学・ 西山 凌平選手専修大学・澤野 健史選手と山梨学院大学・兼子 侑大選手のつばぜり合い。山梨学院大学は2区オムワンバ選手が、右足の疲労骨折のため途中棄権したのであった。国士舘大学・武藤 健太選手も必死の追い上げ。 そして全選手通過を示す医務車が通過。歩道脇で箱根駅伝グッヅを販売する店には多くの客が。 帰りに3人で時宗総本山・遊行寺に立ち寄る。 境内は箱根駅伝観戦後の初詣で大賑わい。本堂前には初詣客の長蛇の列。 境内では太郎・次郎の猿まわしが行われていた。 猿くんも正月から働かされてかわいそう。 この日の箱根駅伝往路は、東洋大が3区設楽悠太選手4年)の区間賞で駒大との26秒差を逆転して首位を奪うと、5区でも設楽啓太選手(4年)が区間1位で突き放し、双子エースの活躍で2年ぶり5回目の往路優勝を飾ったのであった。駒大は59秒差の2位と、復路での逆転優勝が狙える位置につけた。3位早大は5分9秒差で、日体大は6分32秒差の4位と連覇は厳しくなった。青山学院大が堅実なリレーで5位に入り大健闘したのであった。正月の風物詩・箱根駅伝を大いに楽しみバスで帰宅そして新年会へ。帰ってもテレビで箱根の山を登る選手を観戦。それにしてもあの急勾配の箱根の坂を走って登る選手に感服、正に「山の神」。
2014.01.03
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江の島への初詣の後、帰宅前に地元の神社へ妻と二人で立ち寄る。これも毎年の行事。既に9時過ぎで初詣の人は疎ら。この神社は私が通った小学校の隣に或る神社。源義経の源義経の四天王の一人と伝えられている家臣亀井六郎重清が崇敬した神社と伝えられているのです。我が街の地名は、この神社から来ていると父親から教えてもらったのです。古い破魔矢を返納して階段を上り本殿へ。本殿の鈴を今年はいつもの倍ならし、お賽銭も奮発して祈願。今年はいろいろと祈願することが多いのでした・・・・・・。これぞ嬉しい贅沢な悩みなのですが。鈴の音がいつもより清々しく聞こえたのは私だけだったでしょうか。本殿の隣の身代わり不動尊。地元では古くから『お不動様』と親しまれているのです。身代わり不動のノボリが並んでいました。 池の水は湧水の不動の滝から。これぞ正月の初詣の雰囲気。 今年の破魔矢を購入して帰宅の途へ。お札には今年の干支の白馬が描かれていました。 そしてご近所の材木屋さんの毎年恒例の絵飾り。前を通る自動車もスピードを落としこの絵を楽しんでいるのです。何本の木材を利用して作っているのであろうか?この後のこの木材はどの様に利用? こちらも今年の干支の『午』の文字と白き駿馬が描かれているのです。そして元旦早朝からの年中行事を済ませ帰宅したのでした。妻が慌ただしく新年の雑煮を準備をしてくれ、旧年の健康に感謝し、新年の家内健康、家族の多幸を願いながら元旦の『儀式』を。そして今年の年賀状の到着を待ったのでした。
2014.01.02
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皆様 明けましておめでとうございます。今年も我がブログをよろしくお願い申し上げます。毎年、元旦の朝は妻と湘南海岸に初日の出を見に行くのが慣例となっています。今朝も5時に起床し、5:50に自宅を出発しました。今年は、昨年末に結婚した長男夫婦も都内・大森から参加すると。今までは誘ってもパスしていた息子の変心ぶりに驚いたのです。これも愛するパートナーの希望が為せる技なのでしょう。小田急線・片瀬江ノ島駅出口付近で息子夫婦と合流。時間は6:30。初日の出見物の大きな人の流れが既に橋上に。片瀬海岸東浜には既に多くの人が。 そして砂浜の手前のスタンドはほぼ満席状態。何とか下に降りる階段を見つけ砂浜に降りたのです。分刻みに見物客が増えていくのが実感できたのでした。 そして江の島ヨットハーバーの突堤にも既に多くの人が黒く見えたのです。江の島の灯台の展望台にも初日の出は待ちかねる人々の姿が。そして日の出時間の6:50が近づくに連れて空も赤く染まり始めました。海面に浮かぶサーファーの姿も増えてきました。 空、そして上空に浮かぶ雲が赤く染まって・・・。初日の出前の瞬間。初日が姿を現す場所が解ってきたのでした。そして2014年初日の出の瞬間。三浦半島の山の上からの初日。一年に一度の最初の夜明けとしてめでたいとされ、初日の出参りを行うこの文化は日本人特有の文化であることを息子と再確認した瞬間なのでした。この後は初日の出ショーをお楽しみください。 そして朝の陽光が水面に映りだしたのです。周囲もかなり明るくなってきました。 水面に真っ赤な一筋の帯が。 この帯が波の動きと共に揺れ棚引くのでした。そして再び雲の後ろでお色直し?再登場。国道134号線沿いのビルの壁も赤く染まっていました。富士山を見に西浜に移動。 初日の出の陽光を浴びた江の島全景。下は境川。日もどんどん昇っていくのでした。片瀬漁港へ寄道。漁港入口にある「海の詩」像。後ろには江の島。 今日は快晴でしたが、何故か富士山ははっきりと見えませんでした。初日の出はここ近年では最高でしたが、富士山は残念。妻も、息子のパートナーのAさんに、自分が子供の頃、この富士山の見事な白き姿を毎日見ながら育ったことを説明したかったようですが、残念仕切り。これはPM2.5が原因でないことを祈るのみ。 西浜にも多くのサーファーの姿が。今年のサーフィン初めなのでしょう。 4人で砂浜で記念撮影。お互いに陰になり日向になり夢に向かって歩んでいく新たな年のスタートなのです。この後江ノ電に乗り湘南海岸に風景を見たいというAさんの希望を叶えるべく、息子夫婦は江ノ電江の島駅経由で帰宅の途へ。明日の我が家での新年会での再会を約束し見送る。我々は滝口寺への初詣を決意し、すばな通りを歩く。路面には江戸時代の作品か、江の島を描いた浮世絵のレリーフが埋め込まれていた。 この通りは、妻が幼い頃日々遊んだ場所。夫婦二人で仲良く寄り添い記念撮影。 龍口寺前の交差点は江ノ電の電車の通過待ちで渋滞中。 江ノ電が江の島駅から鎌倉へ。これからしばらくは路面電車。交通整理員も元旦から大忙し。 龍口寺山門。この地はかつて刑場跡で文永8年(1271年)9月12日に日蓮宗の開祖日蓮が処刑されそうになった場所。 山門の透かし彫りの彫刻はいつ見ても見事。 本堂の裏には五重塔が。本堂で初詣。 帰路もすばな通りで。息子夫婦が利用した江ノ電江の島駅。 そして小田急線江ノ島駅に戻り帰宅の途へ。竜宮城の如き駅舎に朝の陽光が。
2014.01.01
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