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先週の日曜日の1/24に広島で第15回全国都道府県対抗男子駅伝競争大会が開催された。広島 平和記念公園前をスタート&ゴールとし平和大通り・宮島街道・宮島口・・と海沿いのコースを走るのである。 【NHK テレビ画像より】 そしてこの大会の特徴は中学生から高校生、大学生、社会人と出場区間が決められていること、そして何よりも社会人・学生競技者は「ふるさと選手制度」において、出身高等学校または出身中学校の所在都道府県から、当該年の登録にかかわらず特別に出場することができることなのである。 【NHKテレビ画像より】我が同僚のご子息(Y君)が昨年に続いて東京都の高校生代表に選ばれ出場したのである。年末の京都で開かれた高校駅伝でも東京都・國學院久我山高校の選手として花の1区に出場し爆走したエリートランナー。勿論我が同僚はその度に、家族を引き連れ現地応援に。想像するにこの1ヶ月、超多忙の心休まらない日々であったであろう。 【NHKテレビ画像より】高校駅伝では一区と言うこともありやや緊張気味のY君であったが、今回の広島では5区 8.5kmを担当。襷リレーでも笑顔で後輩の走りを讃え、襷を受け継いだのであった。ご本人はもちろん24分台を狙っての激走、7人抜きを実現し東京都の順位を大きく押しあげたのであった。ご本人のBEST記録から言えば、これでも不満な走りであったのであろうが、テレビの画面からは我が同僚家族の、声を嗄らしての声援が聞こえてきそうであった。 【NHKテレビ画像より】来年からは、正月の箱根駅伝の常連校に入学されるとのこと。我が自宅近くの3区で活躍する勇姿を生で見られるのではないかと今から来年の正月が楽しみなのである。 そして我が同僚は広島のお土産に『もみじ饅頭』を送って下さったのだ。『もみじ饅頭』の名の由来は色々あるようだが、案内が箱に入っていた。それによると、もみじ饅頭の起源には伊藤博文がかかわっていたという説であり、今日でも広く流布しているとのこと。内容は、「伊藤が紅葉谷の茶屋で休憩していた折、給仕した茶屋の娘の手を見て『なんと可愛らしい、もみじのような手であろう。焼いて食うたらさぞ美味しかろ』と冗談を言い、茶屋の女将が広めたこの話を饅頭屋が聞いて考案した」というものである。伊藤博文は当時から厳島びいきで知られ、たびたび島に滞在していた上、当時すでに総理大臣を辞して大勲位にあって「女好きの好々爺」というイメージが民衆の間に確立していたことから、この説は広く受け入れられたとのことである。現在でも、大手もみじ饅頭メーカーや地元の宮島観光協会が由来として掲げるほど親しまれている説であるとのことだ。もみじ饅頭の知名度が全国的に高まり広島を代表する銘菓と認識されるようになったのは、1980年代初期の漫才ブームの中で、お笑いコンビ『B&B』の島田洋七が「モミジマンジュウ!」と叫ぶギャグが流行してからであるとは、我が社には何故か多い広島出身の同僚の話であった。「茶屋の娘へのお色気冗談」説は、あくまで俗説・噂にすぎないとのことであるが、名前の由来としては妙に納得してしまう『アラカンオジサン』なのである。そして久しぶりの「もみじ饅頭」のこしあん味を多いに楽しませてもらっているのである。
2010.01.31
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我が家の横の農園の紅梅が満開状態を迎えています。先週の気温上昇で昨年より満開の時期が早いような気がします。雲のほとんどない青空にピンクの花が映えています。梅の香りも僅かですが感じられるのです。我が家の紅梅もだいぶ大きくなって来ました。植樹後20年以上は経過しているのではないでしょうか。紅梅には うっとりする艶やかさがあって、梅の中でも特別な濃い情趣があるのではと感じているのです。ところで「桜伐(き)る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿」という諺?があります。 『春先に咲く代表的な花である桜と梅のふたつを対比しつつ、栽培上の注意を示したものです。桜はむやみに伐ると切り口から腐敗しがちであり、剪定には注意が必要。一方、梅の樹は剪定に強く、むしろかなり切り詰めないと徒枝が伸びて樹形が雑然となって台無しになるばかりでなく、実の付き方も悪くなる。花芽は年々枝先へと移動する結果、実が付く枝は通常数年で枯れ込んでしまう。実の収穫を目的とするのであれば、定期的に枝の更新を図る必要があるからである。』とのこと。我が家の紅梅も殆ど剪定をしていないため、やはり徒枝が伸びて樹形が悪くなっています。花が終わったら剪定をしたいと思っています。そして数年前まで、庭隅には桜の木もありましたが、大きくなり過ぎ、枝の先まで消毒が届かず大量の毛虫が発生し、下を通る小学生達に騒がれたのをきっかけに、根元から『桜伐(き)る馬鹿』になることを決断したのでした。梅を歌った和歌に「東風(こち)吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」 菅原道真が大宰府に左遷されるとき、道真の愛した庭の梅の花に別れを惜しんで詠んだ有名な歌です。この梅は白梅なのでしょうか?やはり別れには白い花なのでしょうか。そしてもう一句。百人一首にもある紀貫之の歌。「人はいさ心も知らず ふるさとは 花ぞむかしの香に匂ひける」人の心はどうかわからないけれども、古くからなじみのこの里では梅の花が昔のままによい香りを漂わせ咲いている と意味深長な?歌なのです。人の心はうつろいやすい・・・と歌っているわけでこれも白い梅の花が似合いそうです。いつのことでしたか、この時期に雪が降り、紅梅の赤と雪の白とのコントラストが、私を楽しませてくれたことがありましたが、今年の冬は未だ雪が降らずにいますがこれからどうなのでしょうか。ミツバチと共に春の到来を待っている一方、紅梅の赤と雪の白とのコントラストも見てみたいと我が儘にも身勝手に期待している『アラカンオジサン』なのです。
2010.01.31
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2月も近づき、気温も上がってきたので、今日は我が農園のイチゴの手入れを行いました。イチゴは寒さが厳しくなると休眠する性質を持っていて、寒さが厳しくなればなるほど活動を停止し、寒さから身を守っています。そのため、低温、乾燥に耐えられるのでが、極度の乾燥はいちごの株を枯らしてしまいますので注意が必要です。この1月はあまり雨が降らなかった為心配していましたが枯れることもなく頑張ってくれました。まずイチゴの畝の草取りとイチゴの枯れ葉取りを行いました。そしてその後、畝の上面と両端に『米糠』と過リン酸石灰を播きました。米糠には発酵微生物群が必要とするマグネシウム、カルシウム、リン酸、ビタミン類などが多く含まれており、十分に発酵させた米ぬかを肥料として使うことで、土壌にはミミズや微生物が大量に発生するようになるのです。微生物は雑草や作物残渣、土に含まれるミネラルを分解し各種有機物を作ります。その有機物がイチゴの根に吸収されイチゴの株を健全に育ててくれるのです。また、微生物はねばねば物質を出して土を団粒化し、ミミズが土地を耕し、水はけがよく通気性に富む土を作ってくれるのです。過リン酸石灰は、花付きと実付きをよくするリン酸成分の多い肥料ですので毎年米糠と一緒に散布しています。立春を過ぎると陽射しは日増しに強くなり、休眠しているいちごの株は、気温、地温の上昇を待ち望んでいます。我が地域では2月末を迎える頃にはいちごの葉もいくらか緑色を増して、少しずつ活動を開始します。この時期に黒いポリフィルム(透明のフィルムでも良いのですが、雑草が生えやすいので黒マルチを使用しています)でマルチングをしてやります。マルチで株全体をすっぽりと覆い、株の真上を小さく切って株全体を引き出します。マルチングをすることにより、地温の上昇、雑草の発生防止、泥のはね上がり防止、いちごの実の腐敗防止等々の効果が期待できるのです。今年も、この施肥が効果を発揮し、この農園の養蜂場のミツバチ達がイチゴの花に訪れ受粉を助け、大きな形の良い甘いイチゴが収獲出来ることを期待しながら今日の作業を終了したのでした。下の写真は昨年収獲したイチゴなのです。
2010.01.30
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我が農園の西にある畑の『蝋梅』が満開になっている。昨秋に剪定しかなりの枝をおとしたが、これに負けずに黄色い可憐な花を着けている。この時期の1月~2月、厳寒期は、咲く花は少なく、彩りに乏しい季節であるが、白梅に先んじて、黄色い蝋梅が、ほころび始めているのだ。原種に近い蝋梅が、花弁内部に、やや紫がかった二色の色合いが認められるのに対して、黄色一色の園芸種が、大方を占めていて、それが変種『素心蝋梅』と呼ばれている。"素心"とは、ニュアンス的には、スッピンというに近い。園芸上の専門用語として、むかしから、白系統の花物を指す言葉とのこと。雑色や暗色がなく、清廉さのある、"素"に近い単色系の花が、素心という名称となっているのだ。ご存じの方も多いと思うが、蝋梅という花の名前の由来の一つに、「花びらが蝋細工物のような質感があるから」という説が有力なのである。朝日が差し込む陽だまりの中で咲いている素心蝋梅は黄金色に輝き、私の目を楽しませてくれたのである。そして自宅の横の農園には紅梅が負けじと赤い花を開かせている。春が一歩一歩近づいていることを、毎日いろいろと確認しながらの日々が始まっているのである。
2010.01.29
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今日は久々の雨との天気予報。ところで、入院した病院に先日雨傘を持って向かった。病院入り口には1基に50本以上収容できる傘立てが10基以上設置してあるが使用できないの場所がかなり多いのである。要は、鍵がなくなっていて上部のリングが開かず傘立てが使えないのである。どうしてこの傘立ての鍵はなくなってしまうのであろうか。傘立ての鍵は、傘を入れてリングをロックして初めて鍵を取り外すことが出来る。傘を取り出した後は、もう一度リングをロックしない限り、鍵は取り出せない仕組みである。置きっぱなしの傘の場所の鍵がないのは理解できる。要は傘を置き忘れ、鍵を持ち帰ってしまったのである。しかしこれよりも、なぜ傘がない場所の鍵がないのか不思議であった。想像するに、傘立ての私物化、自分の傘立ての位置を決めてその傘立ての鍵を外してポケットに?『マイ傘立て』の成立なのである。まさしくモラルの低下、公徳心の欠如がここにはあるのである。鍵をもって行ったままの人間はきっとなにも考えもせず、迷惑を掛けていることも気が付かないのであろうか。この延長に我が地域にもある自転車の乗り逃げがあると思うが、その先には気軽な万引きと言う構図も容易に想定されるのである。見せ掛けだけの豊かさを本当の豊かさと勘違いした高度成長期やバブル時代を生きてきた、我々バカな大人の負の遺産なのであろうか。考えさせられる光景がここにもあったのである。
2010.01.28
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昨日は病院へ退院1ヶ月後の定期検査。終了後天気が良く暖かかったので会社までの約20分を目黒川沿いに歩いて見た。五反田駅ガード下の壁。枯れているのであろうか、それとも春の訪れを待っているのであろうか、蔓のたなびきが風を感じるようで妙に美しい。街路樹の桜の木が壁に影をおとしていた。目黒川のコンクリート堤防には蔦が緑を残しながら春を待っていた。ところどころの黄色い葉がまたアクセントとなり美しい 。池上線の地下道には地元の小学生の描いた作品が。途中、空を見上げると蕾が膨らみを始めている桜の木が、青空の壁に映えていたのである。高層マンション建築現場の安全壁も花の絵が描かれていた。昔の無機質の壁から、最近は付近住民やここを通る通行人を意識そして環境の観点から様々な絵がこの安全壁には表現されている。川沿いのビルのステンレスの壁は鏡のように磨かれており、そこに目黒川沿いの景色が映っていた。これもなかなか風情があった。桜の開花期にはさらに美しい姿を写し込むのであろう。そして、我が社の近くのビルの壁。すでに確認後2年ほどになるが。この植物が緑に変わっているのは見たことがないのである。完全に枯れている。しかし撤去は出来ないのであろう。撤去すれば壁の修理、塗装の仕事が待っているのであろう。しかしこの壁は、葉が無造作に残っていることもあり、あまり美しいとは思えない通行人がここにいる。
2010.01.27
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佐賀県伊万里市の知人(30年来の仕事の民間のお客様)が大量の『岩牡蠣』を再び送ってくれました。年末にも送っていただきましたが、入院中の為、殆ど食べられなかったので、再度(自ら素潜りで収獲されたのでしょうか)送ってくれたのです。昨日の夕飯はこの岩牡蠣を、もちろん生で十分味わせていただきました。妻が『牡蠣は食べる人がセルフサービスで蓋を開けて欲しい・・・』と独り言を言いながらも、自らの食べたいとの誘惑に手が自ずと動き?頑張ってくれました。牡蠣の食用の歴史が非常に長く、世界中で食され、最も人類が親しんできた貝の一つであるとのことです。一般的に肉や魚介の生食を嫌う欧米食文化圏において、この牡蠣は例外的に生食文化が発達した食材であるとのことだ。そして我々日本人が牡蠣を生で食べるようになったのは、欧米の食文化が流入した明治時代以降であり、生食文化が逆に欧米から輸入された珍しい食材でもあるのだ。 新鮮な乳白色の艶立つ大きな身、ズッシリと重い殻からからはがして口にほおばると、遠く伊万里湾の潮の香りが一気に口に広がり、牡蠣の味とBEST MIX なのであった。Nさん 大変ご馳走様でした。つるっとした舌触り、クリーミーな味わいがたまらないのでした!!!!
2010.01.26
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仕事で埼玉県久喜市まで行ってきました。大崎から湘南新宿ライン/宇都宮線でJR久喜駅で下車。駅出口に合併の垂れ幕が。久喜市、菖蒲町、栗橋町、鷺宮町の1市3町が2010年3月23日新たな「久喜市」としてスタートするらしい。 西口には再開発を記念する像が。東口には利根川水位表示塔『ときの塔』の説明板が設置されていた。利根川の水面の高さ(水位)が表示されているのだ。大雨のときなどこれを見れば川の水位を知ることができるとのこと。過去の大洪水時の到達水位を基に設定されとのこと。 東口広場にそびえ立つ、この塔は高さが13mあり、最上部の赤い線が利根川橋付近の堤防天端高(T.P.22.28m)を示している。その下の赤い線が計画高水位、黄色い線が警戒水位である。一番下の赤い線は、カスリーン台風時の浸水位。さらに、側面の黒い部分には利根川の現在の水位がリアルタイムで電光表示されているのである。この水位表示塔から、この地は利根川の高い堤防に守られていることを実感できるのであった。
2010.01.25
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昨日は農作業もないので、一昨日の続きで巣礎張りで遊んでみました。 ハチミツを巣ごと食べる『巣蜜(コム・ハニー)』の大きいものを作らせよう との蜂友Eさんの提案で、昨年巣枠を手作りし巣箱の中に入れてみましたが、蜜蜂たちは何の見向きもせず巣蜜を作ってくれませんでした。原因はやはり巣礎無しではこの枠内に巣を作らないようでした。よって今年は巣枠の各内部に巣礎をSETしてみることにしました。ミツバチは巣房におさめたハチミツを、自身が羽ばたきなどによって余分な水分を飛ばすことで糖度を高めていきます。 水分が飛んで糖度78%以上になると、腹部から分泌するミツロウでハチミツが詰まった巣房にしっかりとふたをします。淡雪のような白いミツロウでふたをしたハチミツは、自然の花の香りと蜜がぎゅっと閉じ込められているので、初めて食べたときその風味の良さがすばらしいのです。 小さな細い釘をホームセンターへ行ったついでに購入してきました。これを巣枠の縦棒に上下2本ずつ打ち込みました。欧米では古くからこの巣のままのはちみつ『巣蜜』が好まれてきているようです。蜂の巣は、はちみつと花粉だけが原料となって、若い働き蜂によって分泌されるものですから、このまま食べられることはもちろん遠心分離器にかけたものとは異なり、ロイヤルゼリー・プロポリス・花粉の成分のカルシウム、鉄分等のミネラルやビタミン群が巣の壁にたっぷりと付着しているのです。極力巣枠内に作ったままの大きさで取り出したいため、針金を張るのはやめました。取り出すときに針金の部分で割れてしまうのがいやなのですが・・・。そして購入した1枚の巣礎を6枚に切り分け、大きさをハサミでカットし調整しました。巣礎の拡大写真です。見事に西洋ミツバチ用の大きさの巣の形にプレスされています。そして巣の真ん中には裏側の巣用の6角形が透けて見えています。後は一昨日の巣礎張りと同様に、半田ゴテ式埋線器を使い、釘を巣礎の蝋の中に埋め込んでいったのです。春になり群勢が高まってきたのを確認したら、チャンスを見てこの『巣蜜』用巣枠を巣箱の中に入れてみたいと思います。旨く蜜を貯めて各巣が蜜蓋を造り、下記の写真の如き『巣蜜』が完成すればと思っているのです。 http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20060716_sumitu/ より
2010.01.24
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昨日はミツバチの内検のために、蜂友のEさんとKさんが朝9時に来園されました。 巣箱を開けるには気温が上がっていないため、予定していた『巣礎張り』を先に行うことに決定し養蜂場から自宅に場所を移動したのでした。『巣礎』とは蜂の巣になる基礎の板。この板に蜜蜂が巣を作るのです。蝋で出来た板です。6角形が薄くプリントしてあり、蜂が巣を盛りやすいようになっています。薄黄色から黄色で良い匂いがするのです。昨年のスムシ攻撃により巣碑が食い荒らせれてしまったため、巣枠から食い荒らされた巣碑を取り壊し、巣枠を綺麗に洗浄し保管しておいたのです。あらかじめ巣礎はM養蜂場から購入しておきました。巣枠に張ってある鉄線を、蝋で出来た巣礎に埋め込むわけですが、最初は鉄線をバーナーで全体的に加熱し、巣礎を押しつけ鉄線を埋め込もうとしましたが、加熱が不均一でかつ温度が下がってしまうため旨く行きませんでした。すると妻が悪戦苦闘している現場に颯爽と?登場、既に妻は事前に養蜂のブログを研究し自家製埋線器を準備していてくれたのでした。半田ゴテの先端にダブルクリップのハンドルを外しクリップ部分のみを取り付けた、アイデアたっぷりの強力な武器にいつの間にか仕上がっていたのでした。これで連続的に半田ゴテにより電気加熱しながら、鉄線の上を、僅かに凹になったクリップの背中部分を滑らせることにより、スムーズに鉄線を埋線することができたのでした。専用の埋線器を購入すると5千円近くかかるとのことで、自宅にあった半田ゴテとダブルクリップの流用作品に3名とも脱帽でした。私の購入したバーナーはなんだったのでしょうか。巣箱表面の腐り防止のために表面を軽く焦がす(余分な油分を燃やしたり、水分を抜く)事にでも使用できるのでしょうか。私の技も枚数を重ねるごとに上達し売り物になりそうな出来映えになったのでした。約20枚の巣礎張りを行い、保管しておいた鉄線巣枠の巣礎張りは完了したのでした。昼前に気温も上がったので養蜂場に向かい巣箱を開放してみると、何と全ての巣枠表面一杯にミツバチが隙間もなくギッシリと張り付いていました。産卵、幼虫、蛹蓋もかなりの数が確認できました。巣碑枠1枚と出来上がったばかりの巣礎枠を1枚を,自宅に取りに行き、急遽、巣箱に追加挿入したのでした。昨秋4枚群を購入したのですがこれで7枚巣枠群と給餌箱の8枚から構成されるNJ1群となりました。働き蜂の群れの下から女王蜂も顔を見せてくれました。働き蜂よりも茶色の色が濃く元気に動き廻っていました。ビニール温室による保温効果、発泡スチロール外壁断熱により、厳しい温度低下も和らぎ群勢を小さくすることなく、逆に産卵を続けて群勢が大きくなっているのでした。過保護では との意見もいただきましたが大きく間違っていなかったようです。最後に砂糖水を補充し今回の内検は終了としたのでした。その後も、多くの蜜蜂たちは出入りを繰り返していました。我が家の紅梅も開花を始めましたので、どこかの梅の花や早咲きの菜の花等を訪れているのでしょうか。まだまだ油断は出来ませんが、今回の内検で、晩秋の群勢を確保し、その後冬場の巣箱の温度低下を抑え、砂糖水や疑似花粉を切らさぬ様注意すれば、この養蜂場の地で十分越冬できることに目処と自信をもちつつある、2年目を迎えようとしている『素人養蜂家集団』なのです。
2010.01.23
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今年になって、そして術後初めての長距離出張。関西支社での午後1時からの会議の為大阪に出張したのだ。小田急線、横浜市営地下鉄を利用して新横浜駅へ。前日、のぞみの指定席を予約、窓側E席を確保。しばらく進むと車窓に大山が見えてきた。今週の気温上昇で山頂付近の雪は全て溶けてしまったようで白いところは見えなかった。 そして、相模川を渡ってしばらくすると右側に斜面上に同一デザインの戸建住宅がカラフルに建ち並ぶ集落が見えて来た。新幹線を利用することが多い人であれば、おそらく記憶にあるのではないか。それほど印象深い住宅地の景観である。ここは平塚、日向岡の住宅地である。何故知っているかと言えば我が同僚の住まいがここにあるからである。斜面集落の角度は、密集した漁村や山岳集落といい勝負で、下の家の屋根の位置より上の家の1階が高い状態。眺望と日当たりは抜群の住宅地である。個々の家の形は殆ど同じで、車庫や玄関、三角の屋根形状、すべて同じである。唯一アイデンティティを表現できるのは「色」しかないとはこの地の住人の話。酔っぱらって家を間違えた経験もあるとのこと。さもありなん!!!。いつもはこの辺で睡魔が襲ってくるはずであるが、何故か目が冴えていたのである。術後初めての新幹線出張で興奮気味?? 日本一煙突の多い街、新富士の街並み。残念ながら白い富士山の勇姿は雲に隠れて全く見えない。残念。そして青い水面の浜名湖。名古屋駅前のユニークな形状のビル。モード学園の新校舎ビル。3つの塔がらせん状にからみあった斬新なデザインはインパクト十分。そして関ヶ原付近。やはりこの付近は雪景色。伊吹山も真っ白であった。そして新大阪に到着。地下鉄御堂筋線で淀屋橋へ。関西支社が見える淀屋橋の袂。中之島をはさんで北側の堂島川(どうじまがわ)と南側の土佐堀川(とさぼりがわ)に分かれている。そして午後1時から始まった会議に参加、そしてさらにもう一つの会議。16時に終了し、飲めないのでおとなしく大阪での『花金』はあきらめて帰路へ。土佐堀川沿いの美しい芸術でリフレッシュ。そして新大阪駅には既に夕日が差し込んでいた。帰りはさすがにノンアルコールでも爆睡状態。途中目を覚ますと車両の電光掲示板にタイガーウッズが『○○○○依存症治療』と。ウッズも人の子。ストレスは計り知れないのであろう。現実やストレスから、強い刺激への逃避なのであろう・・・・と,そして大阪の同僚達の私の体調を気遣ってくれる言葉をそれぞれ思いだし、感謝しながら再び爆睡してしまった、アラカンオジサンであった。
2010.01.22
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通販で黒と白の2種類のネックウォーマーを購入しました。寒い季節になってくると外に出る時の風の冷たさが体にこたえます。外で冷たい風が吹いているときに、暖かくすると寒さが和らぐ箇所といったらやっぱり首周りではないでしょうか。首周りを寒くならないようにすると不思議なことに体の寒さはかなり和らぐのです。これには理由があって、首には太い血管がいくつもあるので、その首の部分を暖めると血行が良くなり体全体が暖まるのだそうです。購入した理由はもう一つ、いやこちらが本当の目的なのです。養蜂の内検時には、保護面布を頭から被るのですが、どうしても下部の仕舞いが不十分になり、ここからミツバチ君が入り込み、首筋や顎を何度か刺されているのです。これを防ぐ為には、首の部分まで包むハイネックのセーターやマフラー代わりにタオルなどを巻き付け着用するのが良いのでしょうが、暖かい時期には不適なのです。何か良いものは無いかと思っていましたが、この商品を見つけたのです。いわば『首の腹巻き』と呼んでも良いでしょう。ネックウォーマーの良いところは、装着が簡単なので内検時に頭から被り、着ければ良いし、終了後も面布と一緒に簡単に取る事が出来るのです。よってミツバチが嫌いな色と言われている『白』のものも購入したのです。タオル等を首に巻くと、体を動かしている間にどうしても巻きがゆるくなってきたりする事がありますが、結んでいるわけではないので巻きがゆるくなって落ちてしまう心配もないため隙間が出来ずミツバチ君の侵入を防げるのではないでしょうか。昨日のラジオによると、今このネックウォーマーが若者に人気商品となっているとのこと。流行に敏感な?『素人養蜂家』の自信の買い物なのです。
2010.01.21
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我が家の1月の電気使用量(12/16~1/19、34日間)のお知らせが届きました。使用量は1,215KWH(昼97KWH、朝晩474KWH、夜644KWH)、18,007円となりました。昨年1月(31日間)は1,131KWH 21,344円でしたので、金額的には3,000円ほど安い結果となりました。これは昨年は12月下旬の期間私が入院し不在であったことが大きく影響したことが解ります。売電量は333KWH、15,984円という結果です。(京セラ 5.76KW)昨年は310KWH、9,138円でしたので大きく7,000円程上回りました。これは売電料金が48円/KWHとなったことが大きく貢献したのです。太陽光発電開始以来の売電料金を纏めてみました。今回の売電金額が特筆すべき金額であることが解ります。1昨年8月の夏場に相当する金額です。大寒の今日も天気に恵まれ、発電量も増加し、導入以来11,000KWHに到達したこともモニターが知らせてくれました。大寒のこの日の発電量は22KWH、売電量は15KWHとなりました。発電量の70%を売電していることになります。今月は晴天に恵まれ、発電量も400KWHを超えました。月末までには550KWH程度にまで増加することが期待されるのです。
2010.01.20
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仕事を終え自宅に帰ってみると、玄関前に新鮮なキュウリが3本置いてありました。ご近所の専業農家の方から、ビニールハウス栽培のキュウリを頂いたのです。採れたばかりのキュウリには薔薇のとげのようなイボがあり、素手で触ると痛いのです。このイボは鮮度が失われるにつれて硬さを失っていくため、このことからキュウリの鮮度を見分けるための目安にもなるのです。先端には雌しべの花が未だ付いているほど新鮮な『採れたてキュウリ』なのです。早速、モロキュー(もろみ(諸味・醪)味噌をつけて食べるキュウリのこと)でいただきました。かみ心地が新鮮で、採れたてならではの食感でした。併せて酢の物でもいただきました。ところでキュウリの葉が実の大きさに比べてどうして大きいのでしょうか。実は葉の大きさで土からの水分発散を防ぎ、葉で水分を貯えて光合成して生長していくからであることをこの専業農家の方から以前教わったのです。その為キュウリは葉が命なのです。久しぶりの新鮮、採れたてキュウリを楽しんだのでした。
2010.01.19
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会社からの帰り道の目黒川に架かる橋のライトアップである。川面に映る青いネオンが美しい。オレンジ色に輝く店舗。青の色とは対照的に暖かさを感じる光の色だ。思わず寒さから逃れる為に入ってみたくなる店であるが・・・・。そしてこの店の前庭に植えてある桜の若木が開花を始めている。ソメイヨシノの早咲きであろうか、それとも寒桜,冬桜の一種であろうか。沖縄では既に日本一早咲きのサクラ「カンヒザクラ(寒緋桜)」が満開を迎えているとニュースは伝えていた。小さな花が懸命に冬の寒さに耐え咲いているのである。いじらしいかぎりである。白色~淡紅色で一重咲き・小輪。春の桜のように一度にパッと咲かず、下の方の枝からチラホラ咲き始め、徐々に上の方に咲いて行っているように感じる。今日から気温も上昇するとのこと。満開も近いのである。会社からの帰りが楽しみなのである。
2010.01.18
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昨日は好天、昼前に気温が上がってきたので、養蜂場に向かいミツバチ達がどうしているのか見に行ってみた。一昨日AMに砂糖水の補給を行ったがその後も気温が上がっていなかったせいか、飛び出すものは余りいなかった。行ってみると巣箱周辺には多くの蜂が『ブンブン』と音を立てながら飛び回っていた。やはり気温が10℃を超えると、ビニール温室の効果もあり飛行を開始している様である。巣箱の巣門にも多くの働き蜂たちが出てきていた。早咲きの菜の花に留まっているミツバチもいた。何処からか戻ってくるミツバチ達もいる。既に花を見つけ訪ねているのであろうか。まだまだ寒さがこれからもつ続くが、今週中頃は気温が上がり3月中旬の温度になるとの天気予報。10℃を大きく超える日もありそうだ。夕方に野菜の収穫を兼ね再び養蜂場へ。ミツバチ達は皆巣に戻ったようで巣門近くに取り残されているミツバチは確認できずに一安心。 元気に冬を越し、夏前には群勢を強め去年と同様に3段積にまで持って行きたいと夢見ている素人養蜂家である。
2010.01.17
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我が村では今日、近くの公園で『どんど焼き』が行われましたので朝から参加してきました。どんど焼きとは日本各地で行なわれる小正月の火祭りです。昔はどんど焼き、さいと焼きとも呼ばれていたと記憶しています。正月に使った門松やしめ縄、お守り、破魔矢、祈願成就した「だるま」などを持ち寄って焼き、その火にあたったり、餅を焼いて食べて無病息災を願うものです。正月にお迎えした神様をお送りする日本の伝統的な行事なのです。「どんど」とは「尊いもの」という意味があるようです。松飾りやお札は神様が宿っているので「尊いもの」というわけです。それを焼くのでどんど焼き。また「どんど・どんど」とはやすことからどんど焼きと言うようになったとい説もあるようです。自宅の門松やしめ縄を持って早めに公園に行ってみると既に火が高く上がっていました。私が子供の頃は、我が家の先の農道のT字路に道祖神が祭ってあったため、その場所で行われていましたが、市街化が進むに連れて公園に場所を変えたのでした。そして豪快に上がった火の中に書初めを投じで、高く舞い上がると上達するなどといわれ楽しみに書き初めを投げ入れたものでした。しかしながら私の書き初めはいつも高く舞い上がることなく・・・現在に。私の字が汚いのは????。最近の学校では冬休みの宿題に書き初めがないのでしょうか?書き初めを投げ入れる人や子供は今年も殆ど見かけませんでした。と言うより子供の参加があまりにも少なかったことが残念でした。火力がすこし弱まった頃を見はからって、木の枝の先が三本に別れた細木の先に餅団子を刺して焼くのです。この地域では上新粉に赤、緑等に色を付け3色の餅団子にして焼くのです。今年はクチナシの実で黄色い餅団子を作ってきた方がおられ、焼き上がった餅団子が大人気でした。どんど焼きに使った細枝は魔除けになるといわれ、家路につく人は持ちかえり、門口に立てておくのがこの辺の風習となっています。ダイオキシンによる環境汚染が問題になってから、ダイオキシンが発生する可能性のある塩化ビニール類・プラスチック類は取り除かないとダメと言う方も何処かにはいらっしゃるようですが、今年もそのような言葉を出される方は我が村にはいませんでした。また昔は村の長老が『今年のさいと笑ってやれ・・・』と大声で叫び参加している人たちも声を合わせ『ワッハッハッ』と大声を出した記憶がありますが、今はこの風習も無くなってしまったようです。そして例年,このどんど焼きに訪れた方は勿論,見物客へもお神酒が振る舞われるのです。例年ですと私も紙コップにタップリお神酒を頂戴し,朝からほろ酔い機嫌で帰宅するのがこのどんど焼きの楽しみの一つでしたが今年はドクターストップ。注ぎに来てくれた長老には、『これから車で出かけますので』と丁重にお断りしたのでした。来年は、今年の分も飲むぞ・・・と決意を固くし?、今年は火の熱でのみ顔を真っ赤にして家路についたのでした。
2010.01.16
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仕事帰りのJR大崎駅の中央通路が人だかり。野次馬人間の私も何事かと思い近づいてみました。品川消防署の『住宅用火災警報器』の設置キャンペーンの一環でビラと一緒に災害用の非常食の乾パンを配っているのでした。嫌いではない?私も列に並び「タダ」でもらえるものはもらって帰ろうと。乾パン3個、ティッシュ、ビラをしっかりと仕留めて電車に飛び乗ったのでした。ティッシュにはしっかりと【消防隊員募集中】の紙が入っていました。ところで我が家では未だこの『住宅用火災警報器』を設置していませんが期限は何時までなのかと調べて見ました。我が市は黄色の場所ですので、平成23年5月31日までに設置しなければならないことが判明しました。 火災による死亡の要因では、火災の発生に気が付かなかったり、気づいても何らかの理由で逃げることができないなどの逃げ遅れて死亡する場合が、住宅火災での死者数の7割を占めるとのことです。 これらの住宅に住宅用火災警報器が設置されていれば火災の早期発見により死者数を低減できた可能性が高いといえ、これにより設置義務化に結びついたのです。よって煙式警報器、煙を感知して、火災の発生を警報音又は音声で 知らせるもので、一般的にはこれを設置する必要があるとのことでした。我が市のHPによると設置場所は、下記の様な指示が記載されていました。我が家の設置場所は『寝室』、『廊下』そして台所に関しては、『台所への設置義務はありませんが設置することをお勧めします。』と。そして取り付け要領に関しては下記の如き 未だ設置期限まで1年以上ありますが、既にホームセンター等で販売されていますので早めに3台購入し設置したいと考えている、物忘れが激しくなったアラカンオジサンです。
2010.01.15
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術後の検査に2週間ぶりに病院に行ってきました。術後は順調のことでしたが、薬局で美味しそうな抹茶キャンディーを発見し購入しました。ミルクキャンディーの回りを抹茶の粉でくるんだキャンディーです。口に入れると、最初は抹茶パウダーの苦味が感じられますが、その後のあまいミルク味が妙にマッチして旨いのです。抹茶は、日本一の品質と生産を誇る西尾産(愛知県)のかおり豊かな高級抹茶を使用しているとのこと。製造元は名古屋のアメハマ製菓(株)というところで駄菓子屋さんむけの大玉とかコーラキャンディーのメーカーです。あまりコンビニでは見かけない飴ですが、かなりいけます。お試しあれ。
2010.01.14
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10年以上前から我が家を訪ねてくる野良猫の世話?をしています。現在の野良猫で何代目でしょうか。朝、私が部屋に起きてくると、外で自分の存在を知らせる為に鳴くのです。毎朝ペッドフードを与えています。別の家からも餌をもらっているのではないでしょうか。良く似ていますが別の猫です。2匹が我が家を訪ねてきています。たまには他の猫が餌を盗みに来ることもあります。何台も野良猫の世話をしていますが、交通事故で死んだ猫の他は,死んだ姿を見ないままなのです。野良猫の場合、ほとんど人目のつかないところで一生を終えると言います。よってその猫の遺体を見つけることは出来ないことが多いようです。猫が死ぬ間際に姿を消すのは、死期を悟ったからではないらしいのです。体の異変や痛みが激しくなると、猫は外部から攻撃されていると考えて、その痛みが消え去るまで人目のつかないところに隠れて大人しくしているとのこと。痛みが消えれば戻ってきますが、痛みが消えないとずーとその場にいてそのまま死んでしまうというのが本当のところのようです。でもこれは事実なのでしょうか。猫は自分が死ぬときがわかっているような気もするのです。人間以外の動物は皆同じ。野生の勘を失いつつある人間だけがそれが分からなくなっているような気もするのですがどうなのでしょうか。
2010.01.13
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趣味の養蜂のスムシ対策用に冷凍庫をオークションで安い値段で落札しました。 昨年夏以降はミツバチの巣箱がスムシの来襲にあい、結局絶滅してしまいました。今年は何とかこれを避けるために、この時期から対策用にいろいろ準備を始め出しました。昨年は購入した空巣脾を送付された箱に入れたまま保存していましたが、気がついてみると、スムシの巣と化し使い物にならなくなってしまいました。これは巣房の中に隠れていたスムシの卵や幼虫が温度と共に成長し、巣脾を食い荒らしたのでした。この対策として、下記の如き報告をインターネットのHPで妻が見つけてくれました。 『☆養蜂業における「スムシ」対策 後藤佐知子(足柄家保) スムシは正式名称をハチノスツヅリガと言い、名前のとおり蜂の巣箱にすくって内部を荒らし回る害虫である。従来は、二硫化炭素による燻蒸を実施することで予防していたが、近年その使用ができず、問題に。管内養蜂家にアンケート調査を実施、スムシの被害を確認するとともに、手軽に実施できる「スムシ」対策を検討し、一定の効果を確認した。アンケート調査:平成十九年十月~十一月、当所管内に居住し、蜂場を持つ飼養者に対し実施。回収率七割で、うち九割がスムシの対策に苦慮、簡便な対策を望んでいた。実施したスムシ対策:廉価、簡便で特殊な装置を必要としない、誰にでもできる対策を検討、冷凍処理法とした。試験方法:予めスムシを発生させた空巣脾を一定時間(〇・五、一、二、四及び六時間)冷凍庫で冷凍(マイナス二〇℃)処理後、常温保管。巣脾の被害を肉眼的に確認。また、冷凍処理によるスムシの幼虫及び卵への直接影響についても確認。さらに巣脾(巣枠)の冷凍処理による劣化の有無についても併せて調査。結果:空巣脾は4時間以上の冷凍処理でスムシの被害は進行せず。〇・五時間の冷凍感作で幼虫は死滅するが、卵は抵抗性が考えられた。また、冷凍処理した巣脾(巣枠)には劣化は認められず、使用が可能。』と。マイナス20℃で4時間以上冷凍処理すると、スムシの卵や幼虫が死滅したとの報告です。更に大規模な養蜂場は、冷凍貯蔵している所があるとの書き込みもあったのです。さらに別の報告書では、ビニール袋に空巣脾をいれ、ここにドライアイスを入れて密封しておくと効果があるとの報告です。この効果は低温と炭酸ガスによる酸欠効果の複合効果と考えます。よって今年の夏は、冷凍庫とドライアイスの併用で完璧を期したいと考えたからです。試運転を行いました。温度はマイナス20℃保証ですがマイナス25℃近くまで下がることを確認できました。さらにスムシの親はハチノスツヅリガと呼ばれている蛾です。この蛾は夜中に巣内に入り込んで極めて小さい卵を生み、幼虫は巣箱の底のくずや蜂の幼虫、蛹などを餌にして成長するのです。小さな卵は巣箱の隅や木の板の隙間に生み付ける習性があるとのことです。昨年もこの状況が確認でき、巣の底板の隅や板の繋ぎ目の隙間に幼虫がいることを確認しているのです。よってこれから使用を予定している巣箱の底の4隅を銅製のテープで覆いました。更に板の繋ぎ目の隙間はシリコンコーキング剤で埋めたのです。マスキングテープを張りコーキング剤を注入しました。これで殆ど隅間が無くなりましたので、後は内検時に底板の状況確認と底板部の清掃を確実に行い、昨年の轍を踏まないようにしたいと目論んでいる素人養蜂家なのです。
2010.01.12
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今日は『成人の日』。以前は1月15日であったが2000年から改正祝日法に基づき『1月第2月曜日』になったのである。私も今年で3回目の成人式を迎えた事になる。そして今日は『鏡開き』。正月、年神様にそなえた鏡餅を、一家円満を願いながら、雑煮やお汁粉にして食べる日。鏡餅を刃物で切るのは切腹を連想させるために昔から敬遠され、手や木槌で割ったり、砕いたりするのです。また、「割る」という表現も縁起が悪いので、末広がりを意味する「開く」を使うようになり、「鏡開き」になったのです。日本人の繊細さなのです。餅の形の丸さが昔の鏡に似ているところから「鏡餅」と名づけられたと云われています。鏡というのは「三種の神器」の一つで、天皇家が代々、受け継いできている神器のひとつにもあるように、日本人にとっては宝物の象徴の形。また鏡には神様が宿るという言い伝えがありますから、鏡の形を象ったお飾りで一年の始めを神様と共にお祝いするという行事なのです。さらに何故”今日”かですが、正月は年神様を迎える行事であり、その年神様への供え物が鏡餅ですから、年神様がいらっしゃる間は食べてはいけないのです。年神様がいらっしゃる間を松の内といいますが(1月7日まで。関西などでは~15日?)、松の内が明けた11日に鏡開きをするのです。もともと鏡開きは、1月20日に行われていましたが、徳川三代将軍家光の忌日が20日であったため、幕府が蔵開きの日であった11日に変更し、それが現在に至っているといわれているとのことです。昨年末に、我が家もスーパーから2個の鏡餅を購入しました。1個は床の間に供えました。そしてもう一つは神棚に牛蒡締め飾りと一緒に供えました。併せてダイダイとウラジロ、ユズリハのSETも飾ったのです。『橙(ダイダイ)』は代々家が続くという語呂合わせの縁起物。元々、実のヘタに台が2つあるので、だいだいと命名されたとのこと。 青い実が冬になって赤味を帯び黄色に熟した後、落ちずに枝についたまま、翌夏には緑色の生まれたてのような実に戻る。一度実がなると、4~5年以上落果しないそうです。 こうして何代ものダイダイが枝についたまま、新しい実を加えながら一つの木になっている事で、健康長寿の家庭・家族に見立て、家系代々の長寿・繁栄を願ってきたのです。 『裏白(ウラジロ)』は表面は緑色だが、裏面は白いのです。裏を返しても色が白いことから、心に裏が無い、清廉潔白を願い、かつまた白髪になるまでの長寿を願うのです。裏白は、古い葉が落ちずに新しい葉が重なって出来るのです。橙と同じように家系代々久しく栄える事を示し葉の模様が対になって生えているので、夫婦仲むつまじく相性の良い事を願うのです。 『譲葉(ユズリハ)』は春に枝先に若葉が出たあと、前年の葉がそれに譲るように落葉することから。その様子を、親が子を育てて家が代々続いていくように見立てて縁起物とされるのです。 我が家も今朝は年神様の力が宿った鏡餅をいただくことで、その力を授けてもらい、1年の一家一族の無病息災を願うのです。供えて、開いて、食べてこそ鏡餅の意味があるのです。現在スーパーに売っているものは、あらかじめ小分けされた餅をパック詰めした鏡餅が主流になり、鏡開きはパックを開くだけになりました。今回供えたものは、中に3×5センチ程度の角餅が4個入っていました。これが今年の我が家の『鏡開き』→『パック開き』となりました。チョット寂しいですね。やはり餅を包丁で切ってはいけませんが、包丁の出番すら必要がなくなってしまいました!!。今年もお汁粉でいただきました。そして、子供達に鏡開きの由来やその意味を伝える事を忘れずに、末永くこの行事を残していって欲しいと考えている3回目の成人式を迎えたアラカンオジサンです。
2010.01.11
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金曜日は帰宅時、雨に遭い、自転車での帰宅を諦めましたので、昨日の朝、散歩代わりに最寄りの駅まで自転車を取りに行ってきました。その途中、道路脇の家の庭から垣根越しに顔を出して咲いている花や実をデジカメで撮影させていただきました。先ずは『蝋梅』。"蝋細工"のような、梅に似た花から蝋梅の名になったらしのです。 まるで寒さや霜から身を守るために蝋細工状なのではと想像してしまいます。花の少ない季節に咲く、うれしい花です。青空を背景に黄色が見事です。花全体が黄色で中央部の色の変化のないものはソシンロウバイ(素心蝋梅)と呼ぶとのこと。「素心」とは「素直な心」であり、「素直さ」とは「そのままを、あるがままに受け入れていく心のあり方」。この花にふさわしい名前である。普通のロウバイ(蝋梅)は中央部が暗紫色なのです。そして『チロリアンランプ』。チロリアンランプという名前がついた由来が想像できます、赤と黄色の花が釣り下がっているランプをぶら下げたような花姿。洒落た名前と共にこの寒さの中、ランプを灯し続けるかわいい花なのです。これに似た花で源平カズラがありますが全く別の種類の花、南ブラジル熱帯原産の半つる性花木なのです。次ぎに『ランタナ』1センチくらいの小花が1カ所にまとまってたくさん咲いています。咲き始めは花の色が白色ですが、時間がたつにつれてピンクに変化していくのです。 『万両』正月の縁起物に使われる植物です。これに似た植物に千両があります。千両は葉の上の方に実をつけるので 鳥に食べられやすく、万両は葉の下に実をつけるので食べられにくく、その分、実がしっかり残るとのこと。 また、万両は垂れ下がり、千両は上向きにつくので、重く垂れ下がるのが万両、軽い方が千両と名づけられたともいわれているのです。 そして『ピラカンサス』万両を大型にしたような植物です。しかしピラカンサスは、薔薇科で、ギリシャ語の 「pyro(炎)+ acantha(刺)」が語源。火のような真っ赤な実をつけ、枝にはいっぱいとげがあるのです。デジカメで撮影中もモズがピラカンサスの真っ赤な実を啄ばんでいました。『ミツマタ』春の訪れを、待ちかねたように咲く花の一つがこのミツマタです。樹皮には強い繊維があり、和紙の原料になる木です。しわになりにくく高級で、また虫害にもなりにくいので、1万円札などの紙幣や証紙など重要な書類に昔から使われているのです。開花直前です。 『夏ミカン』晩秋に色着きますが、春先までは酸味が強くなかなか食用には向かないようです。ママレードや皮の砂糖煮等にして利用していると聞いたことがありますが・・・。そして『レモン』我が家の周辺でもこのレモンの木は珍しいのです。見ただけで酸っぱさが口の中に拡がるようです。強い酸味の中のほのかな甘さは"初恋"、"ファーストキス"はレモンの味などと語った??日々は何処に消えていってしまったのでしょうか。『ニホンズイセン』我が家の庭にも白くて、香りのよい花を咲かせています。他の植物に先駆けて、寒さのなかで咲くのを見ていると、冷たく澄んだ空気に負けまいとするいじらしさを感じるのです。最後に『木瓜(ボケ)』実が瓜に似ており、木になる瓜で「木瓜(もけ)」とよばれたものが「ぼけ」に転訛(てんか)したとも。未だ蕾であるが花が開くのが待ち遠しい。花びらがふんわりとして色あいもとても上品で美しい花なのに、気の毒な名前が付いている。朝の15分ほどの散歩でしたが、冬の寒さの中で咲き、実を付けている植物に出会い清々しい気分になったアラカンオジサンなのでした。
2010.01.10
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我が社の年頭恒例の『安全祈願祭』に夕方に品川神社まで行ってきました。 社員、協力会社合同で本年の社業の安全祈願の行事です。品川神社は会社から徒歩約20分ほどの第一京浜沿いの小高い丘にある社。京急・新馬場駅から徒歩1分の場所に鎮座しているのだ。後鳥羽天皇の御世、1187年に、源頼朝が海上交通安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である、天比理乃命(あめのひりのめのみこと)を勧請して、品川大明神と称し、この地に。今は社名を品川神社と改めたとのこと。1600年には徳川家康が関ヶ原へ出陣する前に、ここで戦勝祈願し,神前で太々神楽を奏で、戦勝後神輿と仮面を泰納したともいわれているのだ。鳥居には見事な龍の彫刻が施されている。神社の石段を登ると正面に見事な拝殿が。そしてその手前横には能舞台も。敷地の中にある阿那稲荷神社。赤い鳥居が並んでいる。階段上から第一京浜を見下ろす。ここを正月の箱根駅伝のランナーが走ったのである。かつてはここから海が広がっていたのかも知れない。安全祈願祭を終え急な階段を下っていくとその右側に『富士塚』がある。この神社で注目すべき点は、この富士塚が昔のままの形で残っているということである。富士塚とは、富士信仰において富士山を遥拝するためのミニチュアの富士山のことで、ここ品川神社の富士塚は、明治2年に北品川の丸嘉講(まるかこう)約三百人によって造られた後、大正11年に第一京浜国道の建設のため一部が削られて石垣となってしまっているが、江戸時代からの富士信仰の形をそのまま伝えているとのこと。ここを登ることで本物の富士山の登山と同じご利益が得られるという意外な場所なのだ。富士山の山開きと同じ日に富士塚開きをするなど、かなり富士山信仰も本格的。なかなか富士山に登る機会がない忙しい都会の人は、ぜひ登ってみては。品川富士は、登山の途中にも「五合目」「六合目」...と石柱が打ち込まれてあって、今どのあたりを登っているのかもよく実感できる。ちなみに、品川富士の山頂までの登山時間は、約20秒。この後、品川パシフィックホテルで新年懇親会が予定されていたが、アルコール禁止、食事制限の身には、甚だ辛い時間となりそうなので今回は失礼して、リハビリを目的に品川駅まで歩き、帰路についたのであった。
2010.01.09
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越冬中の蜜蜂の様子を見に行ってきました。この時期に巣箱の蓋を開けることは巣内の温度低下になりますので、慎重に考えなければなりません。外気温が13℃程度まで上がって来たので蓋をそっと開け、麻布を捲り給餌箱に入れた砂糖水の消費状況を確認しました。既に完食でした。よって準備しておいた砂糖水を補給。そのうちに表面に多くの働き蜂が何事かと?上がって来ました。冬の寒さに耐え群勢を保っていることが確認できました。疑似花粉も完食していましたので、新たなものを補充しました。その翌日も、確認に行ってみると、この日も気温が上がった為か被せてあるビニール温室のビニールの壁に多くの働き蜂が集っていました。ビニール温室の外に出て、周囲を飛び回っている働き蜂も確認できました。そして体に花粉団子を抱え何処からかもどってくるものもいるのです。この時期にも花粉を求めて飛んでいく本能を有しているのです。ビニール温室を被せることで、巣箱の温度が上がり、蜜蜂達が行動を開始してしまうことが良いのかどうかかなり心配ですが、気温により毎日ビニール温室の取り外しやSETに行くことは出来ませんので巣箱の温度低下を優先せざるを得ないのです。巣門にも多くの働き蜂を確認できました。ただしその翌日には巣箱の周囲に働き蜂の死骸も確認でき、巣箱に帰り損ない凍死してしまったものもいるのでした。週末も手短かに砂糖水の補給を行い、越冬の手助けを行いたいと思っている素人養蜂家です。
2010.01.08
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今日は、1月7日。七草粥(ななくさがゆ)の日である。 昔から唱えごとをしながら七草を包丁でたたき、粥を炊き込むのだそうだ。そして、7日の朝、歳神に供えてから家族で食べると万病を払うと言われているのだ。また、正月のご馳走で弱り気味の胃を休めるという知恵から始まったという説もあるのだ。早朝 我が農園、そして畦道から収獲出来たのは5種類。セリ、ゴギョウ、ハコベラ、スズナ、スズシロ。春の七草は子供の頃から『芹 なづな 御行 はこべら 仏座 すずな すずしろ 春の七草』と覚えてきました。芹(せり) ⇒川辺・湿地に自生。1ヶ所に「せり」(競)合って 生えることから「せり」。薺(なずな)⇒ペンペン草。ぺんぺん草とは、その果実のかたちが 三味線のばちに似ているからという。御形(ごぎょう)⇒母子草 柔らかい薄緑色の葉の先に、黄色の花がつぶつぶに なってかたまって咲く。繁縷(はこべら)⇒はこべ。 寒い時期には、茎を地面すれすれに這いつくばった 状態で花を咲かせる。仏の座(ほとけのざ)⇒正しくは田平子(たびらこ)上の方の2枚の葉のつきかたが 仏様の円座に 似ていることから「仏の座」になった。菘(すずな)⇒かぶ 蘿蔔(すずしろ)⇒大根 小倉百人一首に選ばれている有名な歌がある。『君がため 春の野に出でて 若菜つむ 我が衣手に 雪は降りつつ 』 ---------光孝天皇 御作--------意味は、"あなたにさしあげるため、春の野原に出かけて若菜(七草)を摘んでいる私の着物の袖に、雪がしきりに降りかかってきます。" 情感豊かな愛の歌なのです。我が家の今朝の七草粥です。胃の術後には優しい栄養食なのでした。因みに『秋の七草』は「萩、尾花、桔梗、撫子、女郎花、葛、藤袴 秋の七草」と覚えています。春の七草は、今日の七草粥として有名ですが、秋の七草には直接何かをする行事がなく?、主に観賞用のみ。そのためか意外に覚えられず、すぐに忘れてしまうアラカンおじさんです。
2010.01.07
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我が家の前の道に繋がる道の脇に椿の花が咲いている。寒椿であろうか、雪椿であろうか定かではないが、明らかに山茶花ではないことは解る。椿と山茶花はよく似ているが、椿は花弁が個々に散るのではなく萼と雌しべだけを木に残して丸ごと落ちるが(花弁がばらばらに散る園芸品種もあるようだが)、山茶花は花びらが個々に散るのだ。また椿は雄しべの花糸が下半分くらいくっついているが、山茶花は花糸がくっつかないのだ。冬の寒さの中で真っ白な椿の花は存在感がある。斑入りの椿も綺麗に咲いている。紅や白の椿もいいが、こういう斑入りも趣があるのだ。椿は大変品種が多くて、日本産の品種だけでも2000種以上はあるそうだ。そしてこの2種類の色の花が1本の木に咲いているのである。五色椿という種類なのであろうか、白地に紅縦絞り、桃色に白覆輪と縦絞り、白色、紅色など何色にも咲き分けられているのである。隣には真っ黄色に実った柚子の木が。本柚子とも呼ばれ、果実は比較的大きく、果皮の表面はでこぼこしている種類である。柚子の絞り汁や皮を薄く向いて料理の仕上げの段階で香り付けに使うと最高なのである。日本料理の魔法の香辛料だ。また柚子湯は疲労回復と神経痛に効果があり、この時期、柚子の香りが心をいやしてくれるのだ。そして木の最後は、近くの材木屋さんの年賀の絵。高さ約4メートル、幅約7メートルとかなり巨大な年賀状である。この材木年賀状は毎年恒例で正月にこの前を通る人たちを楽しませてくれているのである。昔はあちこちで見られたが、材木屋さんという職業自体が少なくなってしまって来ているのであろう。 『初春の 陽光浴びた 柚の実は、五色の椿に 想い寄せるか』 -----------詠み人知らず-----------
2010.01.06
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我が家の太陽光発電(京セラ、5.76KW、南東面、25°)の昨年12月及び2009年総括です。最初に昨年12月の『電気使用量のお知らせ』。12月分使用量は879KWH、13,588円となりました。売電量は211KWH、10,128円となりました。12月のモニター実績表示です。東京電力『電気使用量のお知らせ』の数字とは期間が異なりますので数字は一致していません。2009年度総括です。総発電量は6,660KWH。電気使用量: 136,273円売電金額 : 120,799円発電収支 :▼15,747円太陽光発電導入前とのガス代を含めた差額収支は+280,346円となりました。本年は売電金額は倍増し48円/KWH(10年間固定)となりましたので2010年の売電金額は月平均2万円/月→24万円/年が予想されますので年間差額収支は40万円/年となり回収年度が一気に短縮できそうです。
2010.01.05
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箱根駅伝応援後、今年も『遊行寺』に初詣。この『遊行寺』は時宗の総本山で 正式には『藤澤山(とうたくさん)無量光院 清浄光寺(しょうじょうこうじ)』と呼ばれる寺院である。時宗の法主が遊行上人と言われたことから、遊行上人のおいでになる寺ということで『遊行寺』と呼ばれるようになったのだ。また我が藤沢はこの遊行寺の門前町として生まれ、『藤澤山』の山号が町の名となり、東海道の宿場町として発展したのである。遊行寺惣門(そうもん)、勇壮な冠木(かぶき)門。本堂につづくなだらかな石段は四十八段あり、「いろは坂」と呼ばれている。この惣門には「初詣」の大きな看板がかかっていた。境内は、既に箱根駅伝観戦を終えた人々が初詣の為に押し寄せ長蛇の列が出来ていた。そして境内には一遍上人(遊行上人)の銅像が建っていた。 広い境内には毎年この時期、多くの骨董品業者が出店してる。このため正月の初詣も大変な賑わいになるのである。ある店で懐かしき我が大学の先輩のポスターを発見。デビュー後初めての海外ロケを行った映画のポスターとのことであった。境内には多くの出店も。良い香りが漂ってきたが、食べるものを制限されている我が身。じっと我慢しデジカメに食べさせたのであった。帰り道の境内で『お札くばり(御賦算)』が行われていた。その昔遊行上人が巡り歩かれるところ、必ず御賦算を全国各地で行っていたと。賦は「くばる」、算は「念仏札」の意。今日も念仏のお札は法主?が、集まった人々に一枚づつ手ずから配られていた。我々も最後列に並び、なんとかこのお札を頂けたのであった。一遍上人は、生涯に25万1千余人に配られたと。お念仏を称えれば、阿弥陀仏の本願の舟に乗じて極楽浄土に往生できるとの安心のお札とのこと。「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」と刷り込まれているが、「決定往生六十万人」とは、六十万人の人々にお札を配ることを願われ、また次の六十万人の人たちに、ついには総ての人々(一切衆生)に配ることを、念願されたのである。ありがたいお札なのである。この札にすがり、そして自らも健康管理に心がけ還暦の年の『本厄』を乗り越えたいと思っているのである。
2010.01.04
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今日もリハビリを兼ね、箱根駅伝/復路の応援に妻と出かけた。途中長男も合流。今日の応援場所は8区の遊行寺の坂の途中である。この場所は8区(平塚中継所~戸塚中継所)21.5キロの16キロ地点。ラスト5キロに待ち受けるこの遊行寺の坂がこの区の最大の難所。また後頭部への陽射しがスタミナを奪い、後半の失速へと繋がる。意外にもタフで侮れないコース地点なのである。今年の観戦者に配布される「読売新聞」「報知新聞」の応援旗は毎年紙製だが、今年はなぜか布製に。布だと多少高級感があって、破けず、そこいらに捨てないのでかえってエコだということなのか?真偽は不明。待つこと20分、漸くNTVテレビ中継車が通過。そしてTOPを独走する東洋大学の選手が通過。2位には追い上げ激しい山梨学院大学。そして我がW大学は、青学と8位集団を併走。そして昨日我が娘が気がついたのであるが、監督やコーチが乗っている運営管理車がすべてHONDAのステップワゴン。そしてなんとナンバープレートが全てのチームとも「2010」なのである。大会運営のスタッフのアイデアなのであろうか。『遊び心でクリエイト』の精神で盛り上げていこうという気持ちが伝わって来たのであった。そして最終結果は東洋大学の総合優勝。我がW大学は総合7位となんとかシード権を確保。W大学は箱根の山登り&下りの結果が全てを物語っているのである。来年は佐久長聖高校等から優秀な新人が入学するとのこと。来年こそ優勝目指して頑張って欲しいのである。養蜂の師匠の母校青学も見事シード権を確保。これもめでたいのである。そして復路で何にも増して感動したのは、城西大・石田選手の激走である。昨年は8区で、あと2Kmほどでトラブル発生し途中棄権し襷をつなぐことができなかった選手である。そして今年は7区を走った。7位でタスキを受け取った石田は、区間2位の走りでチームを6位に押し上げてタスキリレー。自ら昨年のリベンジを果たし、ゴール後は涙で周囲に「ありがとうございます」と繰り返していたのである。途中何度も昨年の悪夢が胸を過ぎったであろうが、そのプレッシャーに打ち勝ちW大の選手をも抜き去り爆走したのであった。今年も多くのドラマが生まれ、今や日本の正月の年中行事となった『箱根駅伝』を家族で楽しんだのであった。
2010.01.03
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毎年我が家の恒例行事、『箱根駅伝』応援に家族全員で出かけた。正式な大会名称は『第86回東京箱根間往復大学駅伝競走』。今日2日は東京・大手町→神奈川・箱根町の往路5区間108.0キロに20チームが参加して行われているのだ。応援場所は毎年 藤沢・遊行寺近辺。今年は我が母校のW大の藤沢校友会が主催する応援場所へ。甘酒の無料サービスを楽しみながら待つこと20分。漸く広報車が通過、首位は『依然として明治大学』と。続いてNTVテレビ中継車が。そして明治大学の3区(戸塚→平塚 21.5キロ)は鎧坂哲哉(2年)くん。昨年末、京都で行われた全国高校駅伝の優勝校 広島・世羅高校の出身。2位には山梨学院大のコスマスくん、ケニヤから留学中の2年生。そしてその後を日大の堂本くん(佐久長聖高校、2年生)が猛追中。 上空には熱戦風景を中継するヘリコプターが。そして我がW大は4位集団の先頭を引っ張っていた。併走するのは東海大、東農大、青学大の3校。W大は平賀翔太くん(佐久長聖出身、基幹理工学部1年生)、調子が良さそうであった。あっと言う間に、20校に選手が我が前を通過し、最後に追っかけの名物自転車、バイク集団が通過。帰りに校友会応援場所にて、久しぶりのW大校歌を3番まで斉唱。そして往路の最終結果は 最終5区で連覇を狙う東洋大"新・山の神"柏原が6人抜きの激走で大逆転。5時間32分02秒でゴールし、2年連続で往路優勝を果たしたのだ。柏原は驚異の追い上げで中継所でのトップ明大との4分26秒差を逆転し、前大会で自身がマークした区間新記録も1時間17分08秒で10秒も更新したのであった。2年連続で5区を任されるこの20歳はレース前「去年は去年、今年は今年。重圧はあるけど、それを楽しみたい」と余裕の表情で語り、レース後も「タイム差に関係なく、ガツガツ行こうと、自分のスタイルだけ貫こうとした。支えてくれる皆さんがいるからこそで、自分だけの力ではありません」と話していた。まさにアッパレ。この東京箱根間の駅伝コースは、最後の箱根を駆け上がるコースが最大の難関だ。コースを車で走ってみれば分かるのだ。カーブも連続するし物凄い坂道も待っている。まさに「箱根の山登り」で伝説を作った男と呼ばれるのであろうか。昨年も、私を驚かせたが、今年も昨年以上に更に驚かせ、私に感動と勇気を贈ってくれたのである。高校時代は無名の選手?が箱根の山登りの場で『水を得た魚』と化したのであった。このような山登りの逸材は今後現れるのであろうか。まだ2年生、どこまで記録を伸ばし箱根駅伝に更なる伝説を残すかまだまだ楽しみなのである。来年も再来年もこの山登りに挑戦して欲しいと思っているのである。そして我がW大は山登りで苦戦し最終7位、明日に期待したい。『レース後の言葉の中に意志見たり 駅伝の想い ただ一筋に』 -------詠み人知らず--------
2010.01.02
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今年も妻と二人で片瀬海岸東浜まで初日の出を見に行ってきた。2週間以上の入院生活で脚力も落ちているので、リハビリを兼ね、完全防寒態勢で向かったのだ。6時過ぎの小田急線であったが、車内は江ノ島神社への初詣客や初日の出見物客でギューギュー詰め状態。なんとか片瀬江ノ島駅に到着。病み上がりの身にはややハード。竜宮城を模した建築デザインで有名な小田急線片瀬江ノ島駅。疲れの為かややピンボケ。空は既に明るくなり始め、江ノ島の姿も黒く確認できた。海岸には既に大量の人々が初日の出を今や遅しとデジカメ片手に待っていた。初日の出の背後の西の空には、日の出と役割を交代するが如く満月が傾きかけていた。ここ片瀬海岸東浜からは三浦半島に阻まれて、太平洋の水平線からの日の出を見ることは出来ないがが、太陽が上がるのが岬の突端の低地部分であるので時間の遅れはさほどないのである。漸く山の端と周囲の雲が赤く染まってきた。みるみる山の端の光の量が増してきた。そして2010年の初日の出である。6:52であった。穏やかな浜辺の波打ち際から三浦半島方向に初日の出を眺めることができたのである。初春の光が水面に反射し黄金色に輝き、素晴らしい光景。今年も心引き締まる一時であった。初日の出を背景に妻とツーショット。今年も二人の人生には陰日向があるのだろうが、なるべく日向を共に真っ直ぐに歩きたいものである。病み上がりのお陰か?極めてスリムなカップルである。遠く富士山も初日を浴び白く輝いていた。寒空の 山の端染めて のぼり来し 眩しき光 幸多くあれ -------詠み人知らず-------
2010.01.01
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謹賀新年 新しい年の始まりである。2010年、寅年。私も遂に還暦の年を迎えた。 しかし昨年末は胃がんの告知宣告。職場の定期検診で、胃中央部に腫瘍の疑いがあるため胃カメラによる精密検査が必要と。そして検査結果は初期ガンと。最初はまるで自分の事ではないような心境。何せ自覚症状は全くなし。12月15日 五反田にある総合病院に入院。翌16日、全身麻酔の下、6時間に及ぶ腹腔鏡手術で胃の中央部を3分の2切除。幽門保存胃切除法。転移の可能性も極めて少ないとのこと。病院側のトラブル回避とも言えるが、担当医師団のインフォームド・コンセントは素晴らしいものであった。これにより初体験の大手術もかなり安心感を得られたのだ。医師団、看護士、家族、同僚、友人の支援、愛情、激励により術後も順調に回復。29日予定通り退院。現在自宅にて体調、食事のリハビリ中。今年はこの現実を素直に受け止め、全快に向けて再び1歩1歩着実に進んでいきたいと考えている。若い時は、「死」という物は遠くてなかなか具体的に考えられなかったが、自分はまだまだ...と思いながらも、自分の周りの人達が少しずついなくなる現実に、そして今回の現実に直面し私にも近く感じる物になって来たのだ。60才、人生の折り返し点である。まさしく第二の人生のはじまりでもあるのだ。そしてこの折り返しを迎えるに当たり、自らの身体のオーバーホールを実施したと前向きに捉えたい心境である。論語は「60にして耳順う」と説く。辞書によると「六十耳順」とは「孔子が六十歳になって、天地万物の理に通じ、思慮や判断が熟して、他人の言うことを聞けば聞くにしたがって理解できたことからいう」と解説している。私は以前から聞く耳を持つ、つまり若い人の言うことに耳を貸すようにというような意味かと思っていたが、本当の意味はちょっと違うらしい。簡単に言えば、「60歳になって人の言うことを逆らわず素直に聴けるようになった」と言うような意味か。人の言葉は助言にせよ諌言にせよ、なかなか素直に聞けないものだが、その理由は相手との人間関係であったり、自我が強すぎたり、といろいろあろうが、人の言葉を言葉の意味のままに理解するのは意外に難しいものなのである。孔子にして60歳になってようやく、その境地に到達したと語っているのだ。しかし私は未だ『小人』。60歳で耳順の境地になれなくとも、60歳にして耳順の境地を目指そうと決意しているのである。
2010.01.01
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