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第一勧業銀行の呪縛だった 鬼嶋力也ですが 実際はちがった面もあったようです。http://secular.exblog.jp/484027/鬼嶋力也――車谷長吉「角栄総理に/この目で見た3億円」(『文藝春秋』)異例の長期政権であった佐藤栄作内閣が終わりを迎えるとき(1972年)、次の総理として名を宣言していたのが、三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫の4人、通称「三角大福」組であった。結局次期総理となるのは田中角栄だが、総裁選では前代未聞の実弾(現金)が飛び交ったという。では、その現金はどこからやってきたのか。 小説家の車谷長吉が、今月の『文藝春秋』の特集「証言1970-1972」でそのときのことを少し書いている。「角栄総理に/この目で見た三億円」と題するエッセイで、当時現代評論社に務めていた車谷氏は、同社社長の鬼嶋力也が「S銀行」から受け取った現金3億円を、ウィスキーの壜に詰め込む作業をしたそうな。このお金は最終的に 福田さんに流れたそうで、現代評論社のもう一つの役割が いわゆる濾過装置の役目ということのようです。
2007年09月26日
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表に出られないから 黒幕であり、光があるから陰 闇の世界があるので ございます。表が動けば 裏も動く世の中 そんなものでございます。立花隆の田中角栄研究の中で 児玉と縁の深い 政治家がリストアップされておりまして その中には 入っていませんが、間違いなく 関連のあった政治家に 倉石忠雄さんという方がいます。http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/002/1332/00204141332015c.html〔証人倉石忠雄君各証人を代表して宣誓〕 〔各証人誓書に署名捺印す〕○武藤委員長 それでは倉石さんから伺いますから、ほかの二人の方は別の部屋でお待ちを願います。 倉石さんに伺いますが、辻嘉六氏は中曽根氏の事件について檢事局でこのようにあなたに関して述べております。 「倉石はかねて鳩山一郎方に出入しておる人で、私とは古くからの知合です。当人は去る衆議院議員の選粒に長野縣から立候補し、当選し、現在自由党の幹事だと思います。一覽表には倉石に私から二十万円渡したように書いてあり、その備考に昨年來立替金百万円のうち八十万円を返済を受けた残金と記しておきましたが、その経緯につきここに説明を加えておきます。倉石は鳩山の輩下で、終戰後は台湾から引揚げてまいり、昨年四月の総選挙にも長野縣から立候補しましたが、落選し、その後私方にも出入りするようになりました。それらの際本年四月の選挙には援助しようと申しておいたことがあるのです。倉石は京橋木挽町の緑産業株式会社(資本金二百万円)の会長をしており、私と話をしているうちに賠償物資撤去関係の仕事をやつてみたいというので、当時の緑産業の社長吉田彦太郎を呼び、右の仕事を倉石とやつたらどうかと勧め、その結果倉石が右会社に関係するようになつたわけです。この会社は現在賠償物資関係の仕事は未だ全然やつていないようです。ところで、倉石が私方に出入するうち、昨年五月ころから本年四月までの間私に対し倉石の交際費、選挙費用等、いわゆる政治資金を私に出してくれとの依頼がありましたので、二、三十回にわたり合計金百万円くらいを私方で同人に渡しており、そのうち本年三月末ころと四月初めころの二回に十万円ずつ合計二十万円を政治資金として倉石に渡しているのです。もつとも右百万円くらいの出金に際し、あとで倉石から五十万円と三十万円、合計八十万円を本年二月か三月初めころ私に戻してきたので、これを受取つております。 右のような事情で、中曽根から受取つた金の行方の関係は二十万円が相当だと思い、その旨を記載しておいたわけです。」 こういうふうに申しておりますけれども、大体においてこの通りですか。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%89%E7%9F%B3%E5%BF%A0%E9%9B%84倉石忠雄出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』倉石 忠雄(くらいし ただお、1900年7月2日 - 1986年11月8日)は、日本の政治家。元労働大臣・農林大臣・法務大臣。[編集] 来歴・人物長野県更級郡稲荷山町(現・千曲市)に、製糸用繭問屋を経営していた倉石万平の子として生まれる。少年時代の友人に漫画家の近藤日出造がいる。長野中学(現・長野県長野高等学校)を経て、1925年に法政大学法科を卒業。法大在学中は弁論部で活躍、森恪の知遇を得て、立憲政友会の院外団にも参加する。この活動で同じく院外団メンバーだった大野伴睦と知り合う。大学卒業後は婦人雑誌を発行していた「婦女界社」に入社する。同社社長の都河竜に目をかけられ二女と結婚、また都河の援助でロンドン大学に留学、社会政策を学ぶ。帰国後は婦女界社常務を務める。戦時中は台湾に渡り、日曹コンツェルン系の南日本化学工業専務、台湾製塩監査役等を歴任。ここにでてくる 吉田彦太郎さんという方が 児玉機関の副機関長だった方ですが この方が 戦後 始めたのが 緑産業で そこの会長だったのが 倉石忠雄さんですが 国会では トボケていますが、児玉機関との関係は ほんとのところ どうだったのでしょうか?吉田彦太郎も大化会に所属しており ここにでてくる辻さんも大化会に関係しており 両者とも 倉石さんが関係していた院外団とは 親戚のような関係ですから。児玉と田中角栄の関係についても 大野派が分散した段階で 倉石さんも 田中角栄に接近してくる それに乗じて それについているダニさんたちも 接近してくる。そのダニが増えてきたんで 小佐野が裏のしきりをやることになったということなんではないかと思いますが
2007年09月23日
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田中清玄は唐牛と同郷の函館生まれであることも資金を出した理由にあげているが、もうひとつあった。同じく庶子だったからだと、田中は言っている。唐牛は函館の芸者が生んだ一人っ子だった。日本アウトロー列伝 宝島社より父は 北海道で牧場を経営 女手一つで育てた助産婦の母が最新 右翼辞典 堀幸雄著 柏書房よりここの項目が 清玄の自伝とは 微妙にずれがあり、意味不明なところがありましたが、ようやく得心しました。私の父方の祖父も、清玄と同じ立場で 生まれは 群馬の世良田ですが、埼玉の師範を出て 最後は新制中学の校長までになりました。葬式は地元の名士が山のように参列しましたが。祖父の立場については その死後に聞いた話です。清玄の祖先のことについて触れた自伝の部分について 間違いを指摘されるむきがあるのも、このことを考慮して それを語った母の考慮をおもうべきであり、また 母の自殺についても 天皇陛下うんぬんという薄っぺらいことではないというのが当然 思われます。瀬島龍三のことについて 田中清玄のことばを ネットにまくかた おられますが どうなんでしょうね?私には 昭和帝のことばを利用したものとしかおもえないし、またそんなに 伊藤忠に恨みがあったのかな?としか思えないのですが。瀬島の評価は別にしても、天皇の権威を利用したことばには ?という疑問符をなげるのが 物を考える常識かと?それ以外に 何もないでしょうに このことばには?田中清玄というのは こういうことを平気でやる人なんです。
2007年09月18日
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http://d.hatena.ne.jp/takeship/20050721田中清玄の 建設会社の専務?だった方のお話 興味深く拝見させていただきました。清玄のことを調べ始めたのは 彼の自伝から見える人物象と 下山事件の関連本 山崎豊子の不毛地帯、映画の日本の首領に出てくる 彼がモデルになっている人物があまりにも異なるので 私なりに 調べてみたのですがいくつか質問したいことがあるので さしさわりのない範囲内での ご返答 できればお願いします。1 スポンサーは 誰?どこだったのでしょうか? 神中組 及び 三幸建設のスポンサーはどこだったのでしょうか 山口組三代目の田岡一雄の自伝では、藤木組の藤木幸太郎のように取れるのですが、下山事件最後の証言 完全版という本の中では 国策パルプの水野成夫が 個人での筆頭株主だったとあります。 どちらもありかな?とおもうのですが。 山本玄峰のところで 修行していても コネは作れない?と思うのですが2 ひもろぎ塾との関係は? 右翼辞典 堀幸雄著 柏書房で 田中清玄の項を見ると 1941年に出獄したあと ひもろぎ塾に入り 1944年に 土木請負や造船業を始めるとあり、戦後は横浜で神中組を起し のちにこれが三幸建設工業となるとあります。同じ本の中に、右翼と敗戦の対応という項の中では 右翼運動が敗戦時にどのような対応をしたかの項で 経済活動への転換ということで 東亜連盟の山形県における西山農場 大東塾の大和公社 ひもろぎ塾系田中清玄の土建業神中組 国粋大衆党の銀星デパートなどがある。としてあります。 あまりいわゆる右翼とは付き合いがなかった?と自伝ではあるようですが、いまでもそうだと思うのですが インテリ集めただけでは建設会社が成り立つ?とは思えませんが そのへんはいかがだったのでしょうか? 3 会社の実態は? 同じ被解雇者でも 新聞社関係の記者は筆が立つから、それを生かして活路を求めるので、まだいいほうである。一番悲惨なのは、手に職を持たない人たちだ。また、逆に、パージになった人間を意識して雇う会社もある。これは その経歴から組合活動対策に向けさせるためだ。戦前の共産党の転向組の大物の今日の在り方を見れば、それは納得できよう。松本清張 日本の黒い霧 追放とレッドパージ 文春文庫よりまた この中で 清張は 被解雇者が スパイ活動をさせられる例をあげて、そして こういう情報収集のために育成した連中が特審局の後進である現在の公安調査庁の情報網に、今日、含まれていなかったら幸いであると評しております。 パージになった人間を意識して雇う会社 これが実態では?4 専務だった方の 田中清玄自伝の感想について 読まれていただろうと思うのですが いかがでしょうか?5 政治に金を出したということは? 政治家に金を回したということなんでしょうか?それとも いわゆるスト破りは 手弁当でやったということなんでしょうか?
2007年09月11日
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歴史の教科書を見ると 孫文が北伐をやり 軍閥を退治したようなことになっているけれど 実際は表面的なもので 日中戦争時代は 軍閥の上に 国民党政府が 南京政府があったということで その軍閥が アヘンを扱っていたり タングステンを掘っていたりしたというのが 本当のところで 日本は その彼らと表だった取引できない場合には 間に いわゆる なんとか機関を噛ませていたのではないか?このへんについては もう少し調べて 掘り下げてみたい気もしますが 日中戦争の戦記を読むと 当時の中国軍は弱い?という感想を抱いたものなんですが 軍閥の寄せ集めで 国家の軍隊として統一されていなければ さもありなんという気がします。佐野真一の阿片王の中では 日本が 中国軍に買収工作を仕掛けた記述がありますが 軍閥ということで 軍が動けば それに応じる背景は当然あるはずです。中共に 国民党が追い出されて 台湾に逃げた段階で当然 軍閥連中も逃げて 台湾に行きますが いわゆる日本の親台湾派といえば 昔では 青嵐会 その親分の中川一郎が 秘書だったのが 大野伴陸で その大野とツーカだったのは 児玉誉士夫らの 大化会 国粋大衆党のメンバーだった連中ですが それも こんな由縁からなんでしょうね?日中戦争も 掘り下げてみると 自虐だ 自慰とは ちがうものが 見えてくるような気もします。なぜか金の臭いがしない田中清玄自伝だけ 読んで 亜細亜主義だ 本物の右翼だといっている方には 見えてこない風景なんでしょうが
2007年09月03日
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