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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E6%B2%BB%E4%B8%80%E9%83%8E1907年に大連へ渡り、大道易者や偽医者として生計を立てる。1910年、日本総領事に強制送還されて帰国。1911年、土建業松本組を創業。配下には高松弥太郎などの九州きっての暴れん坊たちが揃っており藤田五郎の「九州やくざ者」では敵対した組の通夜の夜、殴りこんだ松本組が敵の家屋を瞬時にして「文字通りの」廃材の山としたとする記述がある。この高松弥太郎という方は 梅津会の顧問的な方のようです。いまでも そうですが 一昔前は 建築現場といえば 紋々しょた方がいっぱいいらしたわけです。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E6%B4%A5%E4%BC%9A四代目梅津会(うめつかい)は、福岡市博多区千代に本拠を置く日本の暴力団(任侠団体)で、指定暴力団・二代目福博会の2次団体。九州のヤクザは気性の激しさから激烈な抗争が多く短命な組織が多い中、九州では珍しく戦前から系譜が続いている。また山口組 伊豆組初代組長・伊豆健児が若い頃、初代会長・梅津高則の舎弟だったこともあり、福岡では伝統のある団体として知られている。初代・梅津高則は児玉師団の大物・高橋義人と兄弟分であり、父・梅津高次郎は松本治一郎の盟友。上海派遣軍にいた許斐氏利(東京温泉)も梅津の流れを汲んでおり日本の暗部と繋がってきた面を持つ。梅津高次郎とは 当時 運動のほうでは知られた方だったようです。この梅津会と 解放同盟というか 松本組とのお付き合いは あるようです。さて、このほかにも 松本治一郎と 右翼暴力団とのご関係を示すものは まだまだあるんですが 宮崎学の小説 万年東一のなかで 児玉軍団が 例のカニの横ばい事件の中で 松本を狙うという設定が出てきますが、吉田彦太郎を始め 児玉軍団の中核は 福岡の方が多く 個人的にも 友人関係の方もいるようです。まさに 馬鹿馬鹿しいにつきます。
2007年02月26日
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宮崎学 みたいな理屈っぽくなく、解同神話でない形でない形での、右翼暴力団との関係を描いていてみたいと思います。最後に 開店当初の代表取締役社長だった 父 山本平八郎である。父は戦後間もなくから、博多を中心に 九州各地で 水商売に手を染め、キャバレー上海 クラブ金馬車などの11軒の店を展開していた。そもそも父がキャバレー経営を手がけるようになったのは、地元福岡出身の政治家で 初代参議院副議長を務め 全国水平社を結成し部落解放運動に生涯を捧げた松本治一郎先生の力添えがあったからであった。終戦直後 日本各地でアメリカ進駐軍兵士の慰安の為の施設をつくることは 急務だった。しかし 博多でそれだけの広さのキャバレーをやれる場所は限られている。そこで白羽の矢が立ったのは 松本先生が関係していた東公園近くの劇場の跡だった。これで場所は見つかったが、さて いったい誰が店をやるのかという段になったとき、山本の平ちゃんがよかろう。あれはよか男たいという松本先生の鶴の一声で父に任されることが決まったと聞いている。東京アンダーナイト 山本信太郎 広済堂よりちなみに この著者の父上は児玉機関 副機関長 吉田裕彦 こと 吉田彦太郎の従兄弟にあたる方ですが、この本の中でも 国際社会人剣道連盟副会長として 会長の笹川良一センセイと 同席の写真が紹介されています。平成二年の葬儀には 友人を代表して 参議院議員 松本英一(治一郎の養子)先生に弔辞を読んでいただくことにした。と本にはあります。孫の龍が、中州の龍なんて 呼ばれているのも こんな背景があるようです。
2007年02月24日
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東京アンダーナイト昭和史に名を残す ニューラテンクオーターの社長にして 児玉機関の機関副機関長の吉田彦太郎の親戚の山本信太郎氏の 回顧録ニューラテンクオーターを軸にして 右翼 政界 興業界、任侠界、格闘技、芸能界、同和の世界、実業界などの 現在までにつながる人脈が実に面白い。帯には 力道山刺殺事件の真相とありますが、眼をこらしてみれば あの人物の 昼間の顔とは ちがう 夜の顔が見えてくる それ以上のおもしろさを秘めている本であります。
2007年02月20日
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http://piza2.2ch.net/4649/kako/1003/10034/1003461146.html実話!再春館製薬とヤクザの血の抗争!1 名前: 実録 投稿日: 01/10/19 12:12 ドモホルンリンクルの再春館製薬と、九州の山口組系との戦いが続い ている。 会社や社長宅に銃弾が打ち込まれたり、関係者が襲撃されたり、会社 の不正ネタをマスコミに暴露されたりなどなど。 表上は、山口組系のヤクザとずっと付き合いをしていた再春館製薬が、 大会社になったとたんヤクザと縁を切ろうとしたから、ヤクザが怒って ありとあらゆる嫌がらせをしていると云うことになっている。 しかし、地元意識の強い九州では、山口組系の組織より、地元九州系の ヤクザの方が、まだまだ力が強く、九州の山口組直参組長が病死するに つれ、日増しにその傾向が強くなっている。 そのため、再春館製薬が、山口組北○会の企業舎弟から、地元九州勢 のヤクザに寝返ったという説が有力である。 詳細知ってる者の情報求む!!!!2 名前: 名無番長 投稿日: 01/10/19 13:13 違うだろ、元会長の起こした企業が再春館でしょ、 元会長と縁が切れたとたん、付き合わなくなったんで北岡が切れた んだよ。 幹部もってかれてるでしょ。3 名前: 今更古いよ1 投稿日: 01/10/19 13:26 相当前に週刊誌で大きく載ってた。4 名前: 名無番長 投稿日: 01/10/19 18:42 旧地道組舎弟西川組の組長が起こした会社ですよね? 亡くなった北岡会会長は旧西川組の若頭?じゃなかったですか?5 名前: 名無番長 投稿日: 01/10/19 22:53 九州では山口組系の力は断然強い。独立団体もかなり切りくずされており本当に強いのは工藤会、道仁会、だけといはれています。6 名前: 名無番長 投稿日: 01/10/19 23:13 再春館製薬は企業舎弟でもなんでもねーよ! ヤクザそのものだよ7 名前: 名無番長 投稿日: 01/10/20 02:45 めっさめさめさその通り8 名前: 名無番長 投稿日: 01/10/20 02:46 >7 おまえ、ばっちばちに しばきたい!10 名前: 名無番長 投稿日: 01/10/21 06:44 めっさめさめさその通り11 名前: 名無番長 投稿日: 01/10/21 14:04 女社長が極妻だったって自分で言ってるらしい。12 名前: 名無番長 投稿日: 01/10/25 02:57 >>7は童貞です13 名前: 名無番長 投稿日: 01/10/25 03:06 >>7はヒキコモリです14 名前: 名無番長 投稿日: 01/10/25 03:06 >>7 は変態くん15 名前: 腹脈 投稿日: 01/10/25 21:32 違うよ。旦那が元ヤクザ。女にヤクザは居ないよ。16 名前: 名無番長 投稿日: 01/10/27 00:11 あげ17 名前: 名無番長 投稿日: 01/10/27 14:36 ちゃんとした企業なのにヤクザと付き合わなければいけないのは何故ですか?18 名前: 名無番長 投稿日: 01/10/27 17:01 ちゃんとした企業だからこそ、汚い仕事はヤクザに頼みたいのです。19 名前: 8 投稿日: 01/10/27 17:07 >>7-10 ほんまにしばいたるから、来いや!!20 名前: 腹脈 投稿日: 01/10/27 18:26 だから社長は元やくざしてた人の奥さん。今やくざは貧乏だから昔のよしみで、手形とかお金を借りに行ってるだけ。会費払うのも苦しいだろうな。21 名前: 名無番長 投稿日: 01/10/29 23:19 同系列に急襲軽微ってあるけど、それは無くなった社長が作った会社。 やくざだけに警備保障はお得意だしね。 北岡も2代目死んで大変だよ。山野もここぞと踏ん張るし。でも北岡は アクション大きすぎない?22 名前: 名無番長 投稿日: 01/11/06 05:48 2代目亡くなられましたけど、裁判起こしてますよね。 死因をめぐって、病院と23 名前: 名無番長 投稿日: 01/11/06 11:01 西春館は西心会とお付き合いが深い24 名前: 名無番長 投稿日: 01/11/06 11:02 aaa25 名前: 名無番長 投稿日: 01/11/06 11:55 ドモホルンリクルって怖いね。人のコラーゲンを死体から絞っていたりして。26 名前: 名無番長 投稿日: 01/11/06 12:00 幹部捕まりまくりで跡目決まらない?27 名前: 投稿日: 01/11/08 23:06 再春館の幹部は、前科が豊富ですからね28 名前: 名無番長 投稿日: 01/11/12 12:05 再春館ってそうなんだ?知らなかったよ。 今もそうなのだろうか?29 名前: 名無番長 投稿日: 01/11/12 19:39 たしかに よくテレビや雑誌で、問題になってたな。 銃弾がよく打ち込まれていた
2007年02月17日
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http://www.behtimes.com/article/559/6/58 レビューインド文化協会の汚点Feb 09, 2007 | Google アラート福岡県警の捜索を受けた資産運用会社の関連団体WBEFのNPO法人申請に絡み、松岡農林水産相=熊本3区=の秘書が、内閣府に審査状況を照会していた問題で、松岡農水相側に照会を依頼したのが、東京都渋谷区に拠点を置く「インド文化協会」であることが分かった。同協会は、WBEFが自民党の魚住汎英(ひろひで)参院議員に2000万円を提供する仲介をしていたことが判明しており、このほかWBEFが松岡農水相のパーティー券を購入する橋渡しをしていたことも新たに分かった。インド文化協会は、インドとの交流・親交を目的とする任意団体。熊本県出身の会長(74)が、魚住議員の依頼を受け、囲碁セットをWBEFに2500万円で売り、うち2000万円を魚住議員に渡したことが、県警の調べなどで判明している。関係者によると、会長は、同郷の松岡氏と十数年来の友人。05年12月の松岡氏の政治資金パーティーの際、会長がWBEFにパーティー券購入を依頼したという。その結果、WBEFが100万円分を買っていた。WBEFのNPO法人申請をめぐっても、会長が06年3月に松岡氏の事務所を訪ね、内閣府へ審査状況を照会するよう依頼したという。これを受け、3月13日に松岡氏の秘書が照会していたことが、内閣府の内部文書に記録されている。松岡農水相は、WBEFのパーティー券代を政治資金収支報告書に記載しなかった問題が昨年9月に発覚。「(WBEFとは)私も事務所も関係がない」と釈明していたが、今年に入り、朝日新聞の報道を受けて、秘書が内閣府に照会していた事実を認めた。 一方、同協会が昨年4月に主催したインド旅行には、魚住議員のほか、協会関係者80人、WBEF関係者約100人が参加。旅行に先立ち、会長が議員会館の松岡事務所を訪れ、松岡氏に旅行に参加するよう依頼したが、事務所からは「日程の都合がつかない」と断られたという。会長は取材に対し、「私どもの考えでWBEFにパーティー券の購入をお願いしたもので、松岡議員から頼まれた事実はない。(NPO申請の照会については)秘書に日程を聞いてもらっただけ」と話している。松岡氏の事務所は、WBEFとの仲介をした後援者について「プライバシー保護の観点から回答しない」としている。http://home10.highway.ne.jp/indobunk/main/mainindex.html会長の内田大円の紹介です。 私は、インド文化協会の日本側会長を務めている内田君とは、中学、高校の同級生です。彼は、高校時代から弁論部員として活躍し、大学では全日本大学弁論大会で「優勝」するなど大学の学生会の会長としても頑張っておりました。政治家、宗教家の血脈である内田君は、やはり「仏の世界」に魅せられたようで、お釈迦様の国インドとの親善交流に懸命に精進しています。私も彼とともに、数回インドを訪れ、宗、政、学、財各界のトップの人々と極めて親しく懇談させて頂きました。私は、事業の傍ら「悉曇文字文化協会」という研究会を組織して、古代インドの言語の研究を行っておりますが、ボンベイ(現ムンバイ)の「シルダッタ大学」の客員教授も務めさせて頂いております。「シルダッタ」とは、お釈迦様の出家以前の王子時代の御尊名に由来します。内田君の経歴を御紹介しましょう。熊本県鹿本町の大光寺に1933年1月1!日に生まれる。西本願寺(浄土真宗本願寺派)宗務総長は曾祖父にあたり、清浦杢吾伯爵(日本国内閣総理大臣として活躍された)は、その実弟にあたります。 学歴は、鹿本高校を終え、龍谷大学文学部卒業、学生時代、全日本仏教学生連盟の委員長、龍谷大学学生会の委員長、そして第三回世界仏教徒会議の日本代表(学生代表)として1954年ビルマ(現ミャンマー)とインドを初訪問しています。 1955年5月、ビルマ政府の招待をうけ、留学僧として全日本仏教会によってビルマに派遣され、ラングーン(現ヤンゴン)にあるダンマトータ大学を卒業し、またヒースタサヤという比丘の名を頂き比丘として戒律厳守の修行を行いました。後にはダンマトータ大学講師となり、東洋史、日本語を講義しています。また、ビルマ(現ミャンマー)政府の資金援助により、北九州に世界平和パゴダを建立し、同時に大光寺にもパゴダを建立しました。1970年6月、熊本県鹿本町の町長に就任し、地域の発展に貢献しましたが、日本の平和、繁栄を願い西暦724年に聖武天皇によって建立された日本で最も古い房州鋸山日本寺の執事長としてもその復興に活躍しました。 また、「アジアの心とアヒンサー、テラヴァーダ仏教」等の仏教書、「アーユルヴェーダ医学」等の書籍を出版しています。現在は、大光寺第17世住職であり、インド文化協会の日本側会長、ニンマパ仏教大学客員教授シルダッタ大学客員教授であります。合 掌悉曇文字文化協会会長 再春館製薬株式会社副社長 (インド文化協会日本側顧問会長) 永 井 俊 次http://khon.at.infoseek.co.jp/chosha/u015.html湯浅俊彦+一ノ宮美成+グループ・K21 著「講談社+α文庫 京都に蠢く懲りない面々―淫靡な実力者たち」(講談社、2004年2月5日 第2刷)より第14章 占い師・細木数子と組んだ世にも不思議なお墓商法(湯浅俊彦)《311ページ》日本民主同志会(本部・京都市山科区)とは、最近死去した松本明重が主宰した右翼団体で、会員には暴力団員も含まれている。松本会長の後釜には、内田大円副会長が就任するのではないかとうわさされているが、内田も久保田茂多呂と深い関係がり、久保田自身も日本民主同志会の役員に名を連ねたことがある。その久保田さんつながりは下記の通りhttp://www.nazotoki.com/faq.html#shyukyohozin・「大国教会」とは何ですか?墓石業界大手の久保田家石材商店(現・亘徳)が所有している宗教法人です。細木数子が京都で個人鑑定を行う際は、ここを会場として利用することが多かったそうですが、現在では久保田家石材商店とは関係がないと語り、繋がりがないことを強調しています。【追記】 この宗教法人、「大国」の名を掲げていながら、出雲大社に属していないことが判明しました。・墓石業者とつながりがあるという噂を聞きますが、これは本当ですか?本当です。過去にも業者と組んでいましたし、現在でも墓石業者「玉実己」(たまみき)と、仏壇業者「光仙堂」(こうせんどう)と組んでいます。(どちらも久保田家石材商店(現・亘徳(こうとく))のグループ会社)また「大杉寺」(だいしょうじ)という寺とも組んでいます。この寺は、細木数子が『六星新聞 水色の会』で広告を載せている寺で、広告を見ると一見普通の寺に見えるのですが、実はこの寺、前出の久保田家石材商店(現・亘徳)が所有しています。当サイトの『先祖供養』のページや、このページで紹介した事実を知れば、細木数子が語る「特定の業者とは組んでいない」という話は大嘘で、実際には久保田家石材商店(現・亘徳)という墓石屋と、「京都事務所」(玉実己)、「墓石の指導指定店」(玉実己)&「仏壇の指導指定店」(光仙堂)、「永代供養寺」(大杉寺)と、現在でも繋がりがあることがわかるでしょう。
2007年02月17日
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http://72.14.235.104/search?q=cache:dRsNq0-0Ew8J:kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/019/0488/01903270488029c.html+%E5%9B%9B%E5%85%83%E7%BE%A9%E9%9A%86%E3%80%80%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%8B%87%E4%BA%BA&hl=ja&ct=clnk&cd=13&gl=jp&ie=UTF-8&inlang=ja自由党の池田勇人氏に対しましては、実はいろいろのうわさがあるのであります。保全経済会にも関係がある、あるいは造船汚職にも関係がある、あるいはやみドルの事件にも関係がある、あるいは名古屋精糖の事件にも関係があるというふうに伝えられておりまして、なお新聞面に出ましたところによれば、少くともこれだけ顕著な事実として現われましたのは、第一には、日立造船から五百万円の金が出て、これが西郷吉之助の手にわたり、しかもその指向するところは池田さんにやつてくれということだつた。しかもこの事実は、日立迫船の金子という東京支社長が、赤坂の田町で大野という料理屋で、四元義隆なる者の立会いのもとで、西郷吉之助にさような趣旨で金を渡したということまで明らかになつておる。しかるにこの金が池田氏のところへ渡つたかどうかということについては、はなはだあいまいであり、新聞の伝うる池田氏の答弁と、西郷吉之助その他の人の言うこととに食い違いもある。ここに相当の疑点があるのでありますが、どうもこの点に対しまして検察庁の活動が鈍つておるやにうわさする者があるのみならず、どうも池田のところに累が行かぬように相当の配慮が当局においてなされておるやに伝える者もある。それは西郷吉之助に対します取締り方がどうも私は普通じやないと思う。この人は、金を渡されたことさえはつきりしているならばある程度の刑事上の嫌疑がかけられてしかるべきものであるのに、何ゆえかまつたく極秘裡に調べられ、また伝うるところによれば、池田氏も極秘に調べられたということである。そうして西郷氏のいとことかなんとかに当る西郷隆秀という人がみな自分で使つてしまつたやになつている。新聞の伝うるところによれば、池田氏のところに持つて来たけれども断つたというようになつている。その点に対する事情はまことに不明瞭である。私は西郷吉之助氏に対する調べ方と他の人たちに対する調べ方とが違っているような気がいたしまして、多少の疑問が残るのであります。そこで法務大臣から、この点に対して私どもの疑問を解きほごすような点がありましたならば御説明をいただきたい。何かどうも割切れない点がある。これは捜査の秘密と言われればそれまでであるけれども、もうすでに西郷吉之助の五百万円の金、それから赤坂田町の大野というようなことまでが明らかになつておる。四元義隆なる者が立ち会つたと称しますが、この人間をどういうふうに調べたのか。すべてがこの点については極秘裡に相なつておる。捜査の都合からか、あるいは累を池田氏に及ぼさぬように隠密裡にさような捜査がされたのであるか、私どもは多少の疑問があるのであります。この点について御釈明を願いたい。 いま一点は、同じ池田氏に関するものでありますが、池田氏の親友である関東電気という会社の専務の所という人が、二百万円の金を池田氏に渡すべく預かつた点までははつきりしているようでありますが、これもその関係者の答弁が非常にちぐはぐであつて、疑問が多々ある。池田氏の秘書が百万円使つたと称したり、あるいは全部所のところにそれがしまわれてしまつたやに伝えられている。これも池田氏に渡つたのか、渡らぬのか、この間の取調べがどうもはつきりいたしておりません。かような点がありますので、巷間においては、あれは自由党の吉田総理の側近に対してはなるべく手をつけないような方針でやつているので、それが手がつきそうになれば何とかそうならぬようにいろいろ検察庁自身が考えておるのだというふうな――これは検察庁に対しますまつたくいわれのない疑いかも存じませんが、うわさがある。池田氏の身辺に関する問題につきましては、保全経済会の問題につきましても池田氏自身が行政監察委員会へ今日まで出ない。どうも相当の疑惑があると思いますけれども、この点についてはさつぱり要領を得ないような状態出、多大の疑惑がとりまざつております。これは事実そのものが明確を欠くならば、しいて犯人をつくる必要はないことでありますけれども、池田氏に関する問題につきましては、検察庁それ自体の活動について相当の疑惑があるやに私には思えるのであります。こういういきさつにつきまして、法務大臣はいかなる指示を検察当局になされておるのであるか、またいかなる報告を受けられておるか、それをお尋ねいたしますこの西郷サンという方が 隆盛の孫にあたる方で、後に法務大臣にまでなる方で、四元とは 親戚筋にあたる方です。宮崎学の不逞者の万年東一の中に出てくる 佐藤栄作の、黒幕的存在であった、安藤明を最後まで 看取るなど、アンダーグランドの世界にも強かった方です。この後の答弁に出てくる犬養サンという方は 佐藤栄作を、指揮権発動で見逃した方で、佐藤栄作と池田勇人は、吉田学校の兄弟分ですから、追求しても 答弁しているほうがグルですから そのままになるわけです。広瀬隆は、四元については 幣原首相の秘書あがりとみているようですが、その線は私には みえてきませんでした。この西郷サンの引きで政治ゴロから、この後 三幸建設を 田中清玄から 譲りうけて 怪しい実業家に転身することになったとみるべきかと。
2007年02月16日
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http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20060515/p1#c佐藤栄作と 三角寛に接点があったという噺ですが、ここでは雑木林を売りつけるということは、二足三文の土地を色をつけて、買ってほしいということで、ようするに 裏の仕事をしたから、金くださいという意味になるはずです。(あくまでも仮説ですが)ここに千々波敬太郎という方の名前が出てきますが、どんな方かは この中の紹介を読んでいただければわかりますが、宮崎学の不逞者という万年東一という評伝の中で、安倍源基という警視総監から、指示を受け、万年東一らの愚連隊を使い、社会大衆党への襲撃を行わせた人物ということで、登場しています。おそらく、時節がら、新左翼がらみで いろんな工作をしたので 金くれということなんだろうかと思います。佐藤栄作日記というのは こういう読み方もできるんですね。知りませんでした。http://www.ishiikazumasa.com/roaring/2002/1107200201.html昔、護国青年隊長だった頃、故・三浦義一先生(児玉誉士夫の先輩)に頼まれて、中山明彦隊員を、佐藤栄作首相(当時)の秘書に送り出した時も、団員全員に「今後、佐藤栄作の所には一切出入りするな」と厳命しました。 他の右翼なら、自分の所の団員を、時の総理に抜擢された機会に乗じて、援助を貰うところです。もちろん、私は援助どころか、佐藤栄作と一度も会っていません。中曽根サンも 一時期 児玉センセイの秘書をあずかっていた時期があったのですが、ある時期まで 用心棒代わりに、右翼人脈から 秘書を入れるということが 総理大臣クラスにもあったようです。有名なところでは、かの四元義隆があげられますが。たかりの防止策ということだったのでしょうね。サンカ小説で 有名な三角寛ですが、朝日新聞の記者だった時代から、警察の官舎に住んでいたり、例の映画館をつくるに至っては 資金面などでいろいろあったらしいようですから。いい意味で国士 はっきりいうと詐欺師サンたちとのおつきあいというのはあって当然だなという気がいたします。
2007年02月13日
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http://72.14.235.104/search?q=cache:6oBO73FxhXsJ:groups.msn.com/Inconsistency/009.msnw+%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%A7%92%E6%A0%84%E3%80%80%E4%B8%89%E6%B5%A6%E7%BE%A9%E4%B8%80&hl=ja&ct=clnk&cd=3&gl=jp&ie=UTF-8&inlang=ja藤原 大体、この種の本というのは、ゲラ段階であちらにつかまれている。スパイが印刷所に入っています、創価学会の会員が。これが創価学会の本部ないし公明党の本部に対するひとつの信者としての忠誠心のあらわれになるんです。創価学会・公明党を批判するような本があったら、早めに、そのゲラの段階でお届けする。こういうことを奨励しているように私には思われる。だから、そういう形で抗議が来るケースがあります。 それから、私のように、予告広告をいたしまして、『創価学会を斬る』というのをほんの小さく出した、この最初の段階で来る抗議の形態は、全部いやがらせの電話であります。それから、その次に、それなりの幹部が出てくる。幹部でうまくいかなかった場合には、私の場合は田中幹事長、内藤国夫君の場合は笹川良一氏か三浦義一氏(国家社会主義者・政財界の黒幕的存在)、それから植村左内氏のときには日大の古田会頭、賀屋興宣氏、こういうふうな人が出てくる。大体、この段階で、いままではつぶされているわけですね。 私の場合は最後までいったわけで、田中幹事長の提案を蹴った。ここで、今度は出版妨害の具体的ないわゆる大衆動員妨害工作、経済的な圧力、このようになってきたんです。私の形態の特色は、田中幹事長段階で蹴って全面決裂までもっていって、そのあとに、創価学会・公明党の組織的出版妨害というものが全国的に展開されたところにあります。ところが、逆にいえぼ、実際に買いに行っても買えないのでありますから、この問題を非常に多くの国民に知らせ、こういう反撃が大衆の中から起こってきたひとつの背景がここにあるわけです。藤原弘達氏の証言ですが 創価学会を叩くといろんな方が出てくるという噺ですが、ここでは児玉センセイのお名前が出てこないのは 不可思議な気がします。創価学会と 怖い筋との関係は、もう少し幅を広くみていきたいと思います。
2007年02月11日
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いまは、WS700SHに、アーベルのAUM20MA02をかませて キーボードには、エレコムのTK-UP87MPBKを使い 入力しています。ファンクションキーで使用できないキーがあり、通常のPCの入力よりも、若干 不便な点はありますが、セットでの持ち運びの気安さ どこでも入力できる点などはある忌みノートPCよりはいい場合もあります。ただし、メーカ保証外なんで 気軽に勧められるものではありませんが、使い方によっては とても便利ではないかと思います。携帯の普及も1億台を超えました。今後は この携帯とパソコンの中間点ぐらいの ところでの製品の提案が いろんなところからでてくるんだろうなという気がします。
2007年02月10日
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一九六五年のいわゆる三和・千葉銀行事件、この問題に一つの原型を見ることができるし、この事件を通して小佐野氏と児玉氏との深いつながりは一層緊密化されたと世上言われている。そういう意味でこの事件に注目をしたいのですが、まず私は公取委員会に聞きます。 この三和・千葉事件について公取委員会として調査をしたことがありますか。そして私はこの問題についての公取委員会の調査は当然三和系の千葉銀行株の買い占めという問題で、独禁法が禁止している一金融機関が他の一〇%以上の株式を取得してはならないという独禁法、これに違反するという容疑で調査をされたのではないかと思いますが、まずこの点を明確にしていただきたい。○説明員(野上正人君) お答えいたします。 公正取引委員会といたしましては、昭和四十年の六月、三和銀行が千葉銀行の株を一〇%超えて持っておると、これは第十一条の制限を超える第十七条の規定に違反するということで審査をいたしました。○橋本敦君 その違反容疑の調査の結果はどうなりましたか。○説明員(野上正人君) 審査いたしました結果、審査中にそれぞれこれら会社の株式を処分いたしまして、三和銀行も一〇%から八・六%ですかに減らしまして、違反被疑事実が消滅いたしましたので、翌七一年ですか、七月に不問処分といたしました。○橋本敦君 そうすると、調査した時点では独禁法違反の疑いは十分存在をしたということは言えますね。○説明員(野上正人君) 疑いがありますので調査をいたしたぐらい……。○橋本敦君 ところで、この株の買い占め事件というのは、これはちょうどわが国の高度成長期に見合って三和銀行がいわゆる京葉コンビナートの発展に目をつけ、そして千葉銀行を傘下に置いて大きく発展しようとすることをねらったものだと言われている。もともとこれがどういう事件から起こったかと言うならば、この三和銀行の大株主であった日活の社長をしていた堀久作氏、彼が持っていた株を実は塚本素山に売らせる、このときに児玉の圧力が働いたと言われている。そしてこの塚本素山が持っていた約一千万株近い株、この株を今度は小佐野と組んで三和銀行が買い取るということで、三和が千葉銀行を系列下に置いていくということが事件の筋書きになっていると言われている。大体いま私が話したような筋書きに事実相違ないかどうか、公取委の方の調査の結果をもう一度お答え願いたい。○説明員(野上正人君) お答えいたします。 その点につきましては、われわれとしましては、十年前のことでございますので、はっきりしたものがございません。ただ、国際興業が一応買い取ったという事実はございます。○橋本敦君 じゃ、重ねて聞きますが、小佐野氏の国際興業が塚本素山の株を買い取って、またたく間に三和及び他の関連企業にこれを分散をしたという事実は間違いないでしょう。○説明員(野上正人君) 国際興業が一応買い受けまして、それを各三和系の企業に分割したと思います。三和銀行それ自体にも一〇%譲渡したという事実はございます。○橋本敦君 そこで、もう一つの問題は、この小佐野氏、国際興業が買い取った株を三和及び三和系企業に分割するに対して、一株二百四十円あるいは二百四十五円と言われていたものを二百七十五円ということで操作をして約一千万株、この株を国際興業から三和系に切りかえるだけで一挙に三億五千万円、これを小佐野氏が取得したということも当時問題になったのですが、そういうことは当時公取は耳にしておられましたか。○説明員(野上正人君) その点私は承知しておりません。○橋本敦君 私の調査ではそういう事実がはっきりしている。 ところで、単に問題はこれだけではありません。このときにこの三和系への株の譲渡、これに関連をして塚本素山が田中角榮氏に謝礼を贈ったという話を私どもは調査でつかんでいる。これには大変大きな落とし話までついていて、川端竜子が描いたコイを持っていったら、田中前総理はそんな物は要らぬ、私の池には一匹百万以上のコイがうようよしている、見たらどうか、こう言ったという話さえもついているぐらいの話が当時伝わっている。金額にして二千万円の謝礼を払ったというのです。当時の大蔵大臣は田中角榮であったことは明らかである。それじゃ、田中角榮がどういうことでこれにかかわりを持ったかということになりますと、当時言われていたのは、一つは非上場株であった千葉銀行の株、これの価格が消息通では百七十円ぐらいと言われていたのを田中角榮が二百四十円というように値を定めて売買の仲介をしたということと、いまあなたがお答えになった公取の独禁法違反の調査、この調査に絡んで独禁法違反の疑いを解消するためにいろいろと工作をし、知恵をつけた、こういうことの謝礼だと当時報じられていた。こういうような関係で当時の大蔵大臣――田中角榮であったわけですが、この公取委員会が調査を中止したという事情の裏に大蔵関係から何らかの働きかけその他があったかどうか、この点はいかがですか。○説明員(野上正人君) そういう事実はないと思います。
2007年02月09日
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田中清玄と 全学連へのかかわりについて いろんなページから 集めてみました。人によっていろんな見方があるんですが、清玄が論争ジャーナルという右翼系の同人誌に援助していたことは 自伝ではふれていないし、この全学連への援助との整合性を見る方が意外にいないというのは いったいおかしなものだという気がします。田中清玄(インタビュアー大須賀瑞夫)『田中清玄自伝』文藝春秋、1993年、pp.171-175 --田中さんといえば、六○年安保で全学連幹部に資金提供をしていた印象が強烈です。その理由を話してください。 当時の左翼勢力をぶち割ってやれと思った。あの学生のエネルギーが、共産党の下へまとまったら、えらいことになりますからね。一番手っとり早いのは、内部対立ですよ。マルクス主義の矛盾はみんな感じていましたから。ロシアの威光をかさにきてやる者、それから共産主義の欠陥をくみ取れない連中、進歩的文化心ではやりの馬に乗った人間、彼等にはそういういろんな雑多な要素があるんです。しかも反代々木(反日共)で反モスクワである点が重要だ。彼等を一人前にしてやれと考えた。反モスクワ、反代々木の勢力として結集できる者は結集し、何名か指導者を教育してやろうというので、全学連主流派への接触を始めた。もう一つは、岸内閣をぶっ潰さなければならないと思った。 『間違えるな日本人 ! 』(徳間書店、平成11年) (小浜逸郎氏との対談)第1章 六〇年安保から得た思想的課題 私は運動そのものの根源を問い直さなければだめだという立場でしたが、そのままの形で運動をもっと先鋭化してやろうという人たちが出てきた。その人たちが何をやったかというと、いままで守ってきたものを崩そうとしたんです。それで一つは右翼と結んだわけです。唐牛健太郎が田中清玄と手を組もうとした。小浜 有名な話ですね。林 そういう連中が出てきたのと同時に、金のつくり方がものすごく汚くなったんです。金はそんなに要らないはずですが、彼らは生活の基盤を全部投げ捨てて運動に参加していたので、自分たちが食っていくのに金が要るわけです。私は、真面目でしたから、依然として家庭教師などのアルバイトをしながら、自分のものは全部自分で稼いでいた。下っ端の運動家はみんなそうでした。私は幹部でしたけれども、そういうふうにやっていた。当時、私は家から仕送りを受けていないんです。大学に入ってからは自分で生活費を稼いでいた。ところが、連中は、うまいこと金をせしめようとしたんです。いろいろなところから騙し取った。 一番ひどくて、後々まで影響を持ったのは、鶴見俊輔をだましたことです。当時、鶴見俊輔は大学を退職して、具体的な金額は知りませんが、退職金が入ったので、彼らはそれに目をつけたんです。鶴見俊輔は当時、心情的に全学連に加担していました。そこにうまいこと取り入って、借りるということで五〇万円くらいらしいんですが、だまし取ったんです。 当時の五〇万円というと、いまの感覚だと五〇〇万円ぐらいの感じですよ。名目は借金ですが、返すつもりは毛頭ないわけです。私はそうした動きからは完全にはずされていた。林に言ったら反対するし、ぶち壊すだろうからということで、彼らが勝手にやったわけなんです。それでずっと後までこのことを知りませんでした。 それで鶴見俊輔が怒って、「全学連の連中はけしからん」というようなことをどこかで言って、別に私のほうから「私は加担していません」と一々弁解することもないので黙っていましたから、私のことも同じ穴のむじなだと、いまでも思っているだろうと思いますが、実は全然違うんです。 じつは私も小さな被害者で、私が逮捕されたときに、高校のある後輩が、わざわざ書記局を訪ねてきて、私にとかなりの金額をカンパとして預けたんですが、それは誰かが着服して私の手には戻らなかったんです。その事実はずっと後になって知りました。 これはちょっと余談でしたが、運動の最終段階に至って、我々は完全に分裂していたということです。分裂と言っても、私のようなものは数から言ったら圧倒的に少数派なんです。しかし、指導部の中では少なかったのですが、一般の活動家は私のような真面目派のほうが多かったんです。そういうことを手段を選ばずやっていいなんていう人は、むしろ運動の中に入ってきません。小浜 ブントが中核派と革マル派に分裂したのはそのころですか。林 そうです。手段を選ばずというか、暴力化した連中が中核と革マルとして残ったんです。小浜 政治には汚いことはつきものだというような、一種の合理化の論理によって……。林 暴力的なことをやっても構わないということになって、そこで一つのたががはずれたというか、チェックポイントがなくなったんですね。 我々が大衆運動をやっていたときには、暴力は振るわないということが絶対的な基準だったんです。そういう歯止めをかけていたのですが、それが崩れてしまった。我々はそこでもうこの運動はだめだということで見切りをつけました。そして、見切りをつけなかった人たちが中核と革マルになったということだと思います。
2007年02月08日
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、その別会社をつくる一つの意味にこういうことがいわれておる。トヨタ自販の社長で日本インドネシア石油の社長神谷さん、この神谷さんが最終的な交渉の前面に立たれたわけですけれども、この方がインドネシア銀行総裁のラリウス氏とお会いになったときに、正式の書面ではないけれども、口頭でいままでのバーレル当たり二ドル九十六セントにさらに十セント上のせして引き取りたいという申し出があっておるはずです。そういう情報をお聞きになったことありませんか。○外山政府委員 全く聞いておりません。○楢崎分科員 いずれこれは形になってあらわれるはずです。いま私は指摘しておきます。そうするとどういうことになるかというと、十セント上のせするということになれば十年間に五千八百万リットルですから、その十セント上のせが変わらないとすれば、百十二億四千万円の利権がこの新会社設立のために伴うことになる。これは必ず価格となってあらわれるはずです。きょうは時間がありませんが、この新会社の設立について私は非常な疑問がある。実務的なファーイーストの協力を求めるいわばペーパーカンパニーじゃないですか。いまの会社の構成だってそうでしょう。この問題はいずれ今月の後半に正式の交換公文で政府借款のほうもきまるというし、やがてこの新会社とプルタミナとの五千八百万リットルの契約のほうも正式になると思われるから、その段階でさらに私は追及したいと思います。この問題はきょうはこれまでで保留しておきます。
2007年02月06日
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