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http://ennoukou.at.webry.info/200611/article_1.html司馬遼太郎の友人直木賞作家胡桃沢耕史氏が書いている。 「岸信介が一度、猫目石で税関につかまった話を覚えている人がいると思います。あれは実は税関と司法取引をやったのです。お蔭で淡島千景が岸の二号だということがはれてしまいました。しかし、あれもしょうがなかったのです。これには実は拓大生もかんでいまして、クニマツ君と同級のカナ何とか君というのがちょうど向こうにいたころですが、岸信介のお土産に、岸は満州国官僚だから、丸いハッシッシをあげたのです。満州国官僚は、大平もそうだけれども、満州国の総務院にいた人間はみんな阿片の癖がついていて、あれは少し休むときついのです。これをあげたらたとえ元総理大臣でもえらいことになります。そこで税関が司法取引をして猫目石の話にして、淡島千景の存在がばれてしまってもしょうがないとなったのでしょう。」(世界の中の日本 p15-16拓殖大学刊) 胡桃沢氏のこの話は私にはよく分らないが堂々と大学で講演をしているので自信があるのだろう。文意が取りにくいのですがこれは 下記の噺のようですhttp://72.14.235.104/search?q=cache:Roz4exLjMw8J:kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/028/0106/02804210106023c.html+%E7%8C%AB%E7%9B%AE%E7%9F%B3%E3%80%80%E7%A8%8E%E9%96%A2&hl=ja&ct=clnk&cd=4&gl=jp&ie=UTF-8&inlang=ja猫目石を買って 日本に持ち込もうとしたことが 当時のドル割り当て云々で 国会で問題になったようです。淡島千景というのが よくわかりませんが いまでも 風聞として 女優を2号さんにしている政界人はいらっしゃいますから そんな噺もあったのでしょうか?岸信介が 阿片というか 麻薬を常用していたか否かというのは 私には むろん わかりませんが 親戚の松岡外相が 阿片の常用者で 佐野真一の阿片王の中でも 阿片の常用者だったらしい人の噺は何例か出ています。満州人脈の方々には 戦後のある時期まで 阿片というのは みじかな存在であったはずです。周囲でたばこを吸っていたら 自分もやる方いますでしょ?田中清玄の反麻薬連合については いろんな見方もありますが岸信介が どうも麻薬常習だったらしいという噂が 当時の政界であったとすれば これは ある意味 とてもインパクトのある噺だったはずです。ところで お孫さんは どうなんでしょうか?
2007年03月27日
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児玉誉士夫の研究まだ大筋ですが 田中清玄を 人脈 金脈 暴力装置から考えてみると 児玉軍団に興味が出てきます。清玄もそうですが ネットレベルでも トンでもな見方しかされいませんが 丁寧に調べてみると 児玉誉士夫も ちょっと違った姿が出てきました。ほとんどは どうでもいい噺ですが 1 児玉機関は如何に誕生したかすべては 南京政府樹立のために児玉誉士夫の登場最初は 只の下っ端であったという噺児玉機関はなぜ 嫌われたのか2 児玉機関は如何に政治家と結びついたか阿片の薫りに集った面々緑産業の裏に誰が居たか大化会構成員の軍人買収の噺たとえば 辻政信と 児玉軍団の関係よくわからない近衛さんのことなど三浦義一は 吉田軍団 児玉誉士夫は 鳩山軍団に3 児玉機関は如何に 銀行にたかったか もしくは腐食の連鎖はバブルから始まったわけではないという噺手前どもは 銀行業務になれていませんという相互銀行の噺第一相互銀行に集った面々男気は 時には正しいが 情実融資を産み 銀行を崩壊させるかという噺たとえば 平和相互銀行にみる情実融資の実例人脈はあったけれど それだけで 稲川を取り込んで 関東会ができたわけではないという噺東亜同友会構想は 別に 田中清玄がつぶした訳ではないが なぜ誕生しなかったかという噺4 正力テレビは如何に 誕生したか羊を巡る冒険電通誕生秘話国粋会と児玉軍団の関係興業界との関係保全経済会事件発端のこと造船疑惑で出てきた面々私たち たかっていました日本テレビ設立の裏側偉大なるブンや舎弟の誕生5 M資金はどこに消えたか児玉機関が 上海から ダイヤモンドを持ってきたか辻センセイの おかしな噺三浦義一の力の源泉は征服者とダイヤモンド金は如何に 流れたか?闇船と闇ドルの噺黒い福音の噺自民党 民社党に流れた金について小佐野と児玉と裏金の関係ロッキード事件で表面化したスイス銀行の噺裏金は 本当に裏金であったのか6 地獄の沙汰も 金次第 創価 統一 浄土 浄土真宗 オウムまで地獄の沙汰も金次第塚本素山 もしくは 創価学会の裏側にいた人脈町井久之のことじゃ西山広喜と 同和と 浄土真宗7 立花隆の黒幕とロッキード事件の裏側で 誰が 最後に笑ったか最初は アメリカの一さしから始まったが それがすべてではないという噺敵は 内にありという噺。住友建設を例にとっての 分かりやすい 笹川良一と 児玉誉士夫の関係について清廉な士が必ずしも高潔とは限らない 稲葉修と 四元義隆との関係について昔 世話したのに 角栄のところにいきやがってという 岸信介と 児玉の関係俺は エリートという福田康夫の親父と 田中角栄との関係
2007年03月25日
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ほとんど はったりでたらめにみえてしまう田中清玄の海外人脈ですが、清玄自伝の自分中心に回したままを受けるから、そう思われるのであるので、たとえば 右翼辞典をみると、意外にそうでもないという感じを受けます。四元義隆の義兄弟の西郷吉之助の従兄弟に 西郷隆秀という方がいます。中曽根康弘の前の拓殖大学の総長だった方で 清玄とは キヤノン機関での仲間だった方ですが。http://park5.wakwak.com/~asia/islam/tanaka_shiron.htm いまでもそうですが、拓殖大学自体が イスラムの研究の盛んなところのようです。 田中清玄の海外活動とは イスラム世界での活動が大きな比重を占めたわけですが、こういう人脈の元に 行われたのではないかと思います。 大川周明が コーランの翻訳をおこなったことは 有名ですが、この流れのひとつとしてみることができるのではないかと思いますが、従来のはこういう流れが 戦後では 評価として まったく無視されたこと、あの自伝では戦後の右翼との関係では いうべきことをいっていない(清玄が一人でつくったみたいな三幸建設も ひもろぎ塾の一部の再編成であること。三浦義一 安藤明の人脈でキヤノン機関で活動できたことをいっていないこと。四元義隆と知り合いになれたから、右翼活動に入れたことをいっていないこと。嶋中事件で手打ちに参加したことをいっていないこと。論争ジャーナルへの援助に触れていないこと。) 清玄の他人のやったことは自分がしたこと 自分のしたことは自分のしたことみたいな語り口をそのまま信用するおバカさんたちがいるから、清玄の海外での人脈が胡散臭くみえるのではないかと思うのですが。清玄自伝の問題点の一つとして まとめた新聞記者が 右翼活動の流れをご存じないか、意図的に無視しているから 清玄が とても右翼活動家に見えないというオカシナな噺になってきますし、リベラル風な発言をすると その背景を考えないおバカさんたちを増加される現象を起こしているんでしょうね。もっとも、戦前からの右翼活動家から いわゆる児玉系の右翼活動家をみると 一緒にするなという気持ちになるのもわかるような気がします。
2007年03月20日
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昔 タケシが 対談番組で 作家の野坂センセイが政治家というのは ストレスが溜まる ストレスが溜まると 女に走るさらに 溜まると 男に走るなんていうことをいっていたのが 印象的で 誰かなと 思った記憶があります。これが 大勲位らしいという噺 ネット上では有名なんですが そのために陰のあだ名が 美少年好きの簾満月とか一昔前は スポーツ新聞の三行広告に必ず 出ていたのが 東郷健さんの撮影モデル募集の広告ですが これを援助していたのが かの大勲位とか ジュリーが タイガースからソロになるときに 援助したのが かの大勲位とか だから 外遊の時期が 大勲位の海外外遊とピタリ会うとかあくまでもネット上の噂ですがどうなんでしょうか?ナベプロの時代から 芸能界とヤクザとの関係が徐々に切れ始めたという見方をする 向きもあるんですが、創設者のナベシンさんとも、面識のあった 現キョウドウ東京のメンバーの事務所のあったのが ラテンクオーターの事務所の階の下が 緑産業こと 児玉機関で 興業のさいのけつもつが 永田貞雄といって 山口組三代目 田岡一雄の叔父貴分で 元々 関東の興業界の顔で プロレス興業を通じて 児玉軍団とも親しい方です。ヤクザと縁を切ったというよりも チンピラでは怖くて 縁など結んでいられなかったといったのが 本当のとこかと。そんな縁で ナベシンさんに担がれて 音楽事業者協会の会長になったのが 大勲位この背景があれば ジュリーがいうことを聞かねば ならないこともあったのかな?ジャニーさんが 営業できるのも?世の中 いろいろあるんでしょうね
2007年03月18日
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同和利権の深層シリーズは 悪くない本だと思うのですが、著者グループは 日本共産党系が主体なんで たまに?という記事もあります。http://72.14.235.104/search?q=cache:kS2swpMHVIkJ:blog.livedoor.jp/kingcurtis/archives/50112177.html+%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E6%B2%BB%E4%B8%80%E9%83%8E%E3%80%80%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E7%B5%84&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=1&ie=UTF-8&inlang=jaたとえば なんでも 同和利権にむすびつけてしまう部分については 上記のような異論もあるわけです。なんども力説したいのですが、松本治一郎は 確かに部落解放運動の指導者なんですが、その前に 松本組の経営者であり、政治家という面もあったわけで、そういう面を考慮しないで、部落解放運動家としてみるからおかしな噺になってくるんです。高山文彦の水平記は 松本治一郎の伝記ですが、これも丁寧に読んでいけば 松本治一郎の実業家 政治家としての裏側まで 推し量れる本ですが、たとえば 松永安左エ門とのつきあいで 被差別部落のも密接に関係する皮関係の面で 前から面識があったようで、その縁で 松永が関係した 現西日本鉄道の前身の会社の仕事に 松本治一郎が 仕事に入り込むことができ、現在の松本組の基盤ができるわけです。戦後には 松永は 現在の電力会社をつくるにも大きな力をふるったわけですから、松本組が 九州電力の工事に入り込めるわけなんですが。松永が 電力再編を行うさいに、ある面で 力を借りたのが 右翼の大物で 児玉の先輩にもあたるのが 三浦義一で 三浦は その影響か 西日本鉄道では 社長すら 頭があがらなかったくらいの影響をもっていたようです。松本英一の兄弟分の 西山広喜が、三浦義一の後継者にあるのも、こんな裏事情があったのではないかとは思いますが、そこまでは この水平記には書いてありません。ただ 立花隆も 田中角栄研究の中で 児玉とつきあいのある政治家として 松本英一の名前をほのめかしていますから 間違いはないと思うのですが。右翼関係では 玄洋社の系列で 杉山茂丸と ビジネスでつきあいがあり、頭山満も 面識があったようですが、それを一方では否定する向きもあります。さらに 松本に 従兄弟が世話になったのが 北一輝の書生だったこともある 児玉機関副機関長の吉田彦太郎。笹川センセイが 国会で 松本治一郎に会うと 挨拶するというのも、戦前なら 同じ選挙区だった 中野正剛の影響だし 戦後ならば 児玉軍団(一部は モーターボード関係に入り込んでいます)とのつきあいから。山崎拓のお爺さんは 玄洋社系の人間だし 麻生太郎にしても 差別発言はしても、麻生財閥と 松本の縁は戦前からなんです。同和利権でないとはいえませんが 遙か 戦前まで 遡る ある意味 右翼暴力団とのつきあいなんでしょうね。松本組の強さというのは ただ どうもそれが見えにくい面があるのですが。もっとも 同和利権の 何割かは それも含んでかと思います。いつまでも 維持できるようなシステムではございませんね。
2007年03月13日
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宮崎学の不逞者の中では、韓徳銖(元朝鮮総連議長)が 金天海の後継者に 指名されたと でており その理由は 彼が戦前から 活躍していた民族主義者だったからとしているんですが、問題は 彼と 後継を争った 朴恩哲が 後に北朝鮮に渡り、?また彼を初めとして 在日朝鮮人の指導者層が どうも強制収容所に送り込まれ またそれ以外の帰国者が 事実上 拉致状態になってしまった理由を十分に説明できていないのですが。萩原遼の 北朝鮮に消えた友と私の物語こちらでは、戦前は ほとんど評価されなかった韓徳銖が 金日成の評価をもらい 人事権と金を握ることにより、日本共産党から 現朝鮮総連の主体が 朝鮮労働党の従属化に入ることになったとしていて そして 金日成の利益になるように動かされ それが悲劇の在日の祖国帰還運動になったとしている。http://www.pyongyangology.com/index.php?option=com_content&task=view&id=289&Itemid=81ここのページでは南牛の朝鮮戦争観は、成立して間もない社会主義圏の米国へ対抗するための核開発に対する思惑が絡んでいた、と見ている。故に、戦争の発動者はスターリンであり、賛同者毛沢東で、金日成は忠実な実行者に過ぎなかったと思われる。その忠実な実行者金日成だが、朝鮮戦争の発動時は、裁判の進行過程で明らかにされているホリエモン的状況であり、朝鮮労働党の主導権を掌握していたとは考えられない。具体的な見方は、朝鮮戦争時に日共民対派への指示が、朴憲永(南労党系)から出されていたことからも伺える。在日朝鮮人運動で見る限り、朴憲永失脚後には民対派との繋がりは金?奉に移っており、金日成の影が大きくなるのは朝鮮総聯結成後に韓徳銖の主導権が確立されてからである。故に金達寿の『玄海灘』は在日朝鮮人運動へ金日成の存在を意識させる役割を果たした。 この時代を語る証人朴甲東に拠れば、南労党は対日工作員を幾たびも潜入させたそうである。ちなみに、朴甲東は南労党NO4であり、朴憲永などが北へ移った後は南労党の最高位の指導者であった。そして南労党と民対派の関係は極めて良好であった。60年代後半はともかく、それまでの朝鮮労働党は複合的集団であり、指導は「党」が発していた。ちなみに1958年に平壌で刊行され、日本へ持ち込まれた資料には、「党中央」の指導は強調されているが「金日成の指導」などとは何処にも書かれてないのである宮崎学さんのと 関係があったと噂される 親分さん関係の方も在日の方が多いんですが、こういう親分さんは 現在でも 民族団体の顔役さんの方が多いようです。(第一期頂上作戦以前なら わかるんですが)これも 宮崎さんに云わせると 相互扶助うんぬんと言い出しますが 嘘つけ誰も怖くて 手がつけられなかった 民族系の金融機関にたかっていたんだろう?だから 朝鮮労働党の悪口は言えても 朝鮮総連の悪口は義理があるから言えない。在日の祖国帰還運動が どうして悲劇になったか?当たり前ですね。金日成の立場というか 山賊上がりの連中からみれば 宿敵の南朝鮮労働党系の人間だから 本当は全員 強制収容所送りにしたいのは やまやまだけど 幹部だけにして あとは身代金目当ての奴隷にでもするかということで これは最初から判っていたことなんでしょう。在日で金天海の墓碑名?なにをトボケたこといっているんでしょうか?まだ存命かもしれない幹部連中が 殺人犯なんだよ。
2007年03月12日
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武富士 サラ金帝国の闇 一宮美成ある意味すごい本です。これで そのまま やくざ映画になるくらいで 実名 ビシバシというところが面白いです。よく こんな本が出せたものです。宮崎サンも、この本には フィクサーもどきで 登場しており、武富士の関係者から 告発本の件で相談を受けたり、一方で その告発をなんとか 表に出ないようにしようとして 動きまわっていて、武富士に接触するのはいいけれど あおの人は信用できないからといわれ 交渉を打ち切られている。この人の本質は フィクサーもどき 作家業は その一部というのが ストレートにわかる本です。この人の面白いところというのは、それが わりとはっきりと外に出ているところなんです。宮崎さんだけでなく いろんな方の姿が見えてくるすてきな本です。こういうのを 人間喜劇というのでしょうな。
2007年03月05日
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宮崎学サンといえば キツネ眼の男という言い方もされますし、実家がやくざということもあり、またご尊顔を拝見するると 怖い人というイメージがあります。 ただ 警察や公安の方々ともお友達で 借金で火の車で、著作も じっくり読んでみると 三分貶して 七分褒めるという太鼓もちの見本であります。そのテクニックをいろいろと学んでいきましょう。まずは、不逞者で 金天海という 在日朝鮮人運動の指導者の一人だった方の話ですがhttp://72.14.235.104/search?q=cache:X9qQxqnXGbQJ:www.pyongyangology.com/index.php%3Foption%3Dcom_content%26task%3Dview%26id%3D83%26Itemid%3D26+%E9%87%91%E5%A4%A9%E6%B5%B7%E3%80%80%E8%A8%B1%E6%9D%BE%E5%90%89&hl=ja&ct=clnk&cd=1&gl=jp&ie=UTF-8&inlang=ja1950年9月、前年朝鮮から日本の隠岐島に潜入した、朝鮮政治保衛局派遣の内務省少佐、許松吉を主犯として、朝鮮総聯最高幹部、金天海、李心、許準たちは在日米軍、警察予備軍の情報収集と韓国内の撹乱を目的として、在日朝鮮人選抜40名を北朝鮮に非合法で入国させ工作員教育を計画し発覚した。国外追放となり北朝鮮に帰国。この文章は、日本語として 意味がとおりにくいので わかりにくく、また、当時は まだ朝鮮総連ができていなかったはずなんですがなどの?が多いし ネタ元はどこの疑問がありますが、宮崎学の不逞者の中での、金天海の 北朝鮮亡命についての詮索は「旦那さま」へのおべんちゃらかというのがよくわかります。 かっこよくいえば亡命なんですが、本当ならば、韓国への強制送還で 銃殺にさせると国内がパニックになるので、お目こぼしで 北への亡命というのが本当のところかと。宮崎学サンのテクの一つとして、いろいろ理屈つけるところがありますが、このへんは 正直に読んではいけないのです。
2007年03月03日
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松本治一郎の、甥で 後に 養子になった英一には 兄弟分が一人 いらっしゃいます。西山廣喜こと 幸喜で 昭和維新連盟と 日本政治文化研究所のドンにして 住吉会の顧問、また一つの時代を築いた 現代評論社のオーナーにして 総会屋として有名な木島力也 こと鬼島力也の盟友だった方で、室町将軍 三浦義一の 後継者にもあたる方で 一般的な知名度は あまりありませんが、戦後 きっての黒幕の一人であります。大正2年3月31日平家の落人で 有名な宮崎県白杵郡椎葉町に生まれた、中学は西都市の妻中学に入った。妻中学での成績は遊んでいて中ていどで 学校きっての硬派で鳴らして 3年のころから剣道に打ち込んだ。九州大会にも 何度か出場したが、もうあとわずかで卒業というときに、校内で大暴れして学校を追われる羽目になった(結局 卒業となる) やむを得ず いったん別の中学に籍を置いた後 福岡の予備校 英数学館に入った。これが部落解放運動のトップリーダー 松本治一郎や 松本英一 上杉佐一郎 さらに当時の社会党の中枢をになう活動家たちと行動をともにするきっかけとなる。予備校は入学も自由なら出ていくのも自由である。学校は上級学校指向のガリ勉派と 籍だけ置いて 遊びと喧嘩に青春の血をたぎらせる硬派の二通りに分かれていた。西山は当然 硬派の筆頭格で 親元を離れて仕送りを受けていることをいいことに、たった一年くらいの間に、酒の味と女遊びを覚えてしまった。西山はこの予備校時代に、ほんの偶然な出会いから松本英一を知るのである。西山は英一を兄と慕うようになり、そのすすめで明治大学に進学する。それが縁で松本家に出入りするうちに、あるとき二人とも兄弟がいなかったことから 松本治一郎が おまえたちは 兄弟として仲良くやれ と すすめた。それを機に西山は英一と義兄弟の縁を結び やがて松本家の一員となった。話は前後するが、英一の死去に際して西山は 親戚代表として上杉佐一郎らと葬儀執行のすべてを取り仕切った。戦後西山は 社会党宮崎県本部青年部部長を務めたあと 社会党青年部の本部役員となり上京 新橋のツツミビルの党本部に詰めた 片山哲が委員長時代で 書記長は西尾末広 組織部長が浅沼稲次郎 会計は松本治一郎が担当していた。後に国会で活躍する只松祐治 楢崎弥之助 麻生良方とはこのころからの知り合いで 立場を超えて交流した。西山が社会党から一転して右翼運動に飛び込むのは、三浦義一を知ってからである。右翼には左翼からの転向社者が多く、一つの人脈を形成しているほどだが、戦後転向したのは、浅沼美知雄と西山くらいのものだろう。しかし 西山の場合 社会党に投じたというより、松本英一や松本治一郎の人間性に引かれて 運動に入っていったという方が当たっている。^松本治一郎の周辺には、むしろ右翼イデオロギーに近いと見られる人がたくさんいた。差別と戦いながら苦難の道程を通過してきた松本には それだけの、包容力があったのであろう。だが、政党となるとそうはいかない。特に左翼政党には官僚的な統制や教条主義がついて回り 規律の名の元に しばしば 個人の情熱を摘み取ってしまう。だから 理論よりも人間関係を大切にして感性で行動するタイプには政党には向かない。西山は、そのことを真剣に考え始めた時期に 藤井丙牛を介して 三浦義一を知る。興論社幹部として活動する中で 三浦邸を頻繁に訪れるようになった。三浦義一の手足となって動くのは 昭和36年3月 昭和維新連盟を結成して独立してからである。補足としては 西山は 大逆事件の関係者の親族にもあたる方だったようです。この松本英一が 龍の父になります。楢崎センセイは 西山とは同じ釜の飯を食った仲のはずですが、回想録にはこのへんのことは触れるのをさけているようです。いくつかの爆弾質問のネタ元を思えばねーえ。藤井丙牛という方は、当時の新日鉄副社長にして 財界政治部長だった方で、最初からかなりの大物との接点があったものだと思うんですが、三浦義一は 九州出ということもあり、松本治一郎との接点があったらしく、また松本が土建業で名を馳せることができたのは 松永安左え門の引きであり、また三浦義一と松永の接点の一つが 日発の再編成であることから、そのころからの縁かとまた興論社というのは 児玉系の関山義人のところになりますが、当時 国会で 池田勇人の後援会の事務長に、ここから人が出ているということで 大問題になったことがありますが、このへんから池田の古巣の大蔵省人脈に食い込み、今で云う 同和系企業の税金が比較的 優遇される仕組みが作られてきているようです。これも右翼 任侠の方の協力あってからこそのようですな。
2007年03月02日
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