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●1945年6月22日、昭和天皇は「最高戦争指導会議構成員」に講和の意志を表明した。※以下は「時代の一面/東郷茂徳」「海軍大将 米内光政覚書」「木戸幸一日記(下)」よりの纏め。○昭和天皇:先般の御前会議の決定により、あくまで戦争を継続すべきはもっとものことであるが、また一面、時局の収拾について考慮することも必要なるべし。(戦争の終結に就きても此の際従来の概念に囚わるることなく、速やかに具体的研究を遂げ、之が実現に努力せしむることを望む)○鈴木貫太郎首相:あくまで戦争遂行に努力すべきはもちろんのことでありますが、これと並行して外交上の手を打つ事も必要であると思います。○米内光政海相:5月11日以来、数回にわたって最高戦争指導会議構成員のみで会議をいたしました。時局がら、主として対ソ問題について検討し、だいたいつぎの結論をえました。 1.ソ連との中立関係を維持する事 2.ソ連の好意的中立を取り付けること 3.ソ連をして大東亜戦争の終結を斡旋させること 当時、海軍大臣は前期第3項を延期し、しばらく時期の到来を待つほうがよろしいとの意見をのべ、構成員所官の同意をえました。 しかし、過般の御前会議(6月8日)にさきだち、総合計画局長官より国力の現状について説明を、聞きすこぶる憂慮にたえないものがありました。 <中略> 最後の構成員懇談会(6月18日)において、発動時期について慎重に論議をかさねた結果、第3項を発動する事、ただし発動するにしても、発動までの順序と方法には至大の注意をはらう必要あり、いずれにせよ、これに関するソ連側の意向をまずもって打診する必要があることに意見の一致がみられ、外務大臣は以上の線にそって外交を指向することになりました。 以上は時局収拾に関する構成員にの一致した意見の概要であります。 <米内海相は重慶にソ連と同様の工作をする事に反対を表明>○東郷茂徳外相:<米内海相の補足として和平交渉の発覚による国民への影響等について述べている>○梅津美治郎参謀総長:和平の提唱は内外に及ぼす影響が甚大であるから、充分事態を見定めた上に慎重措置する必要があると思います。○昭和天皇:慎重に措置すると云うのは敵に対し更に一撃を加えた後にと云うのではあるまいね。(その為時期を失することはなきや)○梅津美治郎参謀総長:(速やかなるを要す)○阿南惟幾陸相:とくに申し上げる事はございません。※日付以外の()内にかかれた文章は「木戸幸一日記(下)」に於いて天皇が木戸に説明したもの。〓勝手に独断と偏見〓 昭和天皇は「最高戦争指導会議構成員」に米英との和平交渉の意志を表明し、米英との講和の選択が加わった。 「昭和天皇独白録」での「6月22日の天皇の御召」は、 「私は最高指導会議の者を呼んで、速やかに講和の手筈を進める様に云った。ソビエトを経てやれと云ったか、どうかは記憶して居らぬ。この時鈴木その他から先ずソビエトの肚を探らうと、言い出した、私はそれはよい事と思ふが、現状に於いては速やかに事を処理する必要があると云った。これですっかり講和の決意が出来て安心した、但し講和の条件に付いては、皆各々意見があった。」 天皇は2月14日の「近衛上奏文」の時点では「沖縄を戦ってから講和を考える」だった。 ドイツの降伏・沖縄戦の敗北、戦争遂行能力に対する認識を新たにし、講和に積極的姿勢を示す事になった。●「海軍大将 米内光政覚書」での「6月22日の天皇の御召」後の余談。(概要)○私は近衛をあまり信用していない(口が軽い)、木戸は割合にしっかりしている。○鈴木首相は予想より耳が遠く全貌が聞き取れているかが心配。○下村宏情報局総裁が鈴木首相を動かしているということはない。○鈴木・木戸・阿南の話し合いは、22日の会議前に行われていたものとみている。○中立維持にはついては、既に佐藤尚武(駐ソ大使)がモロトフ・ソ連外相から言質を得ている。○外相には2回ほど、みずから出馬するようすすめた。(ソ連との交渉の意)○阿南の下のほうの動きは知らないが、場合によっては2.26事件のようなことがないとは限らない。 米内海相はソ連仲介の和平交渉を考えている。 2月26日の東條英機の上奏に於いて、天皇はソ連の対日参戦について問う、東條は 「現在の時点では五分五分、硫黄島・台湾・沖縄を喪い中国大陸の拠点を敵手に委ねるならば対ソ参戦はあり得る。」 米内のソ連認識は東條より甘い、それとも方便か。
2007.02.28
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1945年6月8日の「御前会議」では「本土決戦」を決定、その後2週間で和平交渉が加わる、その経緯について昭和天皇・木戸内大臣・「最高戦争指導会議構成員」の動向を見てみる。●「海軍大将 米内光政覚書」の「米内口述 6月14日朝」よりの一部の概要○6月13日の木戸幸一内大臣との会談 木戸の発言:陸軍・海軍から切り出させる事は無理、政治家(木戸)が悪者になるべきだ。○最近、梅津参謀総長が拝謁したとき、かなり悲観的な事を奏上したらしい。 統帥部はあの国力判断で戦がでくると思っているのかと仰せられた。○「高松宮は神経過敏だから、中央に転職させてよろしいかネ」の御下問に、 「こんどは高木惣吉が付いておりますので、ご心配ありません。」と申し上げた。※「細川日記(下)」の6月11日には高松宮の話として、「戦争終結を研究するため25日より再び軍令部出仕に転ぜられた。」○(米内が辞意表明をした事について)阿南陸相が左近司国務省のところに手紙を書いてよこしたらしい。僕が辞めて内閣が行き詰まりはしないかと心配したらしい。○スイス電は謀略の疑いがある。アレン・ダレス(CIA長官を務めたジョン・フォスター・ダレスの弟)が本国(米国)に打電したらしいということだから、その返事が来るのを待っても遅くはない。○木戸内大臣が自分で鈴木総理と阿南陸相に話すといっていたので、その様子を見る。●「時代の一面/東郷茂徳」よりの概要○6月18日の「最高戦争指導会議構成員」による会合 東郷外相による第3項「ソ連をして大東亜戦争の終結を斡旋させること」の実施の申し出と広田のソ連との連交渉情況の報告。 米英が日本の無条件降伏を固守する場合の戦争継続は仕方ないが、日本に相等の戦力がある間に第三国(特にソ連)を通して和平交渉に入り、米英との間に少なくとも国体護持を包含する和平を為す。 9月末頃までに戦争の終末を見得れば尤も好都合であるから、ソ連の態度を7月上旬迄に偵察した上可成速やかに戦争終結の方途を講ずる。 に大体意見が一致した。 鈴木首相が構成員会合の申し合わせを上奏したかを確認、鈴木首相は上奏していない事を述べ、東郷外相に上奏するよう求める。○6月20日の内奏◇東郷外相は天皇に構成員の申し合わせを報告する、 ソ連と交渉に入る目的及び仲介者としてソ連を適当と認めた理由。 ソ連に対しては思い切った代償を提供することを話し合った事。 広田(元首相・元外相)に交渉を依頼した経緯とその後の経過。 を詳細に報告。◇天皇は、「戦争については最近、参謀総長・軍令部総長・長谷川大将の報告によると支那及び日本内治の作戦準備が不充分であることが明らかになったから、成るべく速やかに之を終結せしむる事が得策である、成るべく速やかに戦争を終結することに取り運ぶよう希望する。」◇東郷外相は、「戦時の外交は戦局の推移に影響せらるることが至大でありますから、此の際有利な条件によって戦争を終結せしむる事は不可能でありますが、思召しに適う様粉骨砕身御奉公仕る」を奉答した。〓勝手に独断と偏見〓 鈴木内閣となり、政府・統帥部から戦争遂行に否定的な現状が報告されだした。 構成員会議では現状認識は共有され、ソ連仲介の和平交渉へ進みだしているが、それ以外の場所では天皇にさえ米内も東郷も講和を言わない。(一対一では講和を話している形跡がある) 「構成員」への木戸の調整が行われる。 「木戸幸一日記」には6月8日の御前会議を受けての木戸の講和方針として、 「講和は天皇主導、米英との直接交渉かソ連の仲介、名誉ある講和(最低限たることは不得止べし)、占領地の指導放棄、自主的な撤兵(武器を現地に放棄は交渉)、軍備縮小は覚悟」 等の内容が現状分析と共に書かれている。 木戸は自分の意見を天皇に説明し「最高戦争指導会議」の統帥部(参謀総長・軍令部総長)以外の構成員に直接根回しを行っている。 6人の構成員と木戸・平沼・天皇の中には「本土決戦前に講和」、「本土決戦を行って講和」、「とにかく徹底抗戦」の意見が存在する。 「構成員会合」の申し合わせを上奏していないと言う鈴木首相、鈴木首相に勧められ、東郷外相が構成員で話し合っている講和について上奏。 其々が影響しあい顔色を伺いつつ、「本土決戦前の講和」を主な方針にする努力が重ねられた。 統帥部は「本土決戦」不可のシグナルを出している、宮中・政府・統帥部の主要メンバーは本土決戦否定に傾いてきた。
2007.02.25
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1945年6月8日の「御前会議」で決定された「今後採るべき戦争指導の基本大綱」と9日の「鈴木貫太郎内閣総理大臣の施政方針演説」では「本土決戦」で戦い抜く事が述べられている。 しかし、施政方針演説の一節、 「敵の空襲に依りまして畏多くも宮城及び大宮御所が炎上致しましたことは、洵に恐懼に堪へない次第であります。」 では、戦争継続に警鐘を鳴らしている。 「最高戦争指導会議構成員」は日本が対米戦を継続できる情況でない事を認識しており、「御前会議」での報告「国力の現状」でも主張されている、だが「構成員の会合」以外では「和平交渉」を語らない(語れない)状態が玉音放送まで続く。 日本の指導部は、米国の無条件降伏の主張に対して、より条件の良い講和を狙い講和条件を明確にできない。 早期講和の必要性を説いた「近衛上奏文」の関係者である吉田茂が捕まるような世の中。 「本土決戦」を主張する政府と統帥部、それを了承する天皇、「和平交渉」を誰かが言い出すのを待っている。●「細川日記(下)」での「講和」に向けての記述(抜粋の概要)○1945年5月24日◇木戸内大臣が近衛文麿に伝えた昭和天皇の講和 「(戦争終結について)その方が良いと決まれば、一日も早い方がよいではないか」 「鈴木(首相)は講和の条件等については尚弱い」 軍の武装解除について天皇は心残りがあったが、木戸が「3千・5千の兵が残りたりとて、殆んど有名無実なり」と述べると天皇は断念した。◇その他の情報として 米内海相は発言の時期を狙っている。 阿南陸相は話の工合によっては賛同。 梅津陸相は可も不可も云わず、この人は人事に詳しいが作戦は皆目駄目、次期政権に野心がある為、最後まで発言しないだろう。 現在の軍令部総長の及川は豊田に代わる予定、豊田は米内と全然同意見。○1945年6月21日◇6月13日の高松宮(海軍)と細川との話 高松宮:「合理的なる理由を以って戦争を終結せしめんとの努力は、常に陸軍の精神論の為に阻まれる、従って我々も非合理的なる方法によらねばならない」 細川は昭和天皇よりの講和を述べるの意と推察。◇6月8日の御前会議後の重臣会議にて、鈴木総理が徹底抗戦の方針を御前会議で決定した事に対して。(近衛よりの情報) 若槻は「国力判断」は統帥部も了承かと質問、鈴木首相は政府・統帥部の了承と答える。 若槻は、その上にて尚交戦するとの結論は如何なる意味かと質問。 鈴木首相は、机を叩いて理外の理を主張、徹底抗戦して利あらざる時は死あるのみと答える(この時東條一人大いに頷く) 重臣会議後、近衛は木戸を訪問、木戸は鈴木首相に真意を問いただした所、鈴木首相はニヤリと一笑して「実は自分も終結を考えている」◇昭和天皇は御前会議後に木戸に対して、「皆誰か言い出すのを待っているようだ」 木戸は近衛に対して、「海軍大臣が言い出すかと思っていたが一向にやらぬ。この上は自分がやらねばならぬ。そうすれば殺されるだろうが、後は頼む」と述べた。 細川は木戸の従来の言動からこの言に信を措かないと述べるが、近衛は「八分通り信じる」と述べた。●「昭和天皇独白録」での現状認識○米内が長谷川大将に国内の軍需工場の視察を命じる、その報告によると 一日50本の魚雷を作っていた工場がたった一本しか出来ぬ有様。 海軍の所要魚雷を是非とも作ろうとすれば、陸軍の工場までも全部海軍に廻さねばならぬ。○東久邇王の報告 海岸のみならず、決戦師団さへ、武器が満足に行き渡っていない。 敵の落とした爆弾の鉄を利用して「シャベル」を作るのだと云う。 天皇は 「これでは戦争は不可能と云う事を確認した、木戸は米内にも東郷にも鈴木にも意見を聞いたが、皆講和をしたいと云う、然し誰も進んで言い出さない。」〓勝手に独断と偏見〓 「幾山河/瀬島龍三」p168では大本営陸軍参謀・連合艦隊参謀の瀬島は迫水久常書記官長に、 「本土決戦は離島作戦と異なり陸軍の大兵力をある程度集中使用しえるので有利であるが、陸海軍の航空戦力が無力に近い、婦女子を巻き込み、全国土は完全に焦土と化し、復興も国体護持も不可能となる、ソ連参戦前に戦争終結すべき。」 の内容を述べている。 「独白録」で天皇は鈴木首相の「国民を激励して頂きたい」に対して「どうも政府も軍人も二股かける傾向があるのはよろしくない。」 本音と建前と利害と組織の思惑が交じり合う、和平の主張は命がけだが、日本国民は命を捨てて戦っている。
2007.02.23
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戦争末期の国民の様子や考えの一部を「ドキュメント昭和史5」より見てみる。●警視庁より見たる社会情勢一斑(1945年7月)○具体的事例 沖縄周辺において我が海軍は主力艦を失って制海権を奪われたのに拘らず、内治の将校たちは我が者顔に海軍の制服を着て大見得を切って居るのは実に不愉快だ。○某医学士談、本富士署報告 軍は横暴だと言う事を時々聞くが自分もそう思う。 例を挙げれば空襲時消防ポンプがガソリンが無いため焼かなくともよい家財を焼く。 このくらい困っているガソリンを一将校が公用ではなく(個人として)私用の告別式に行くのにガソリン自動車を使用して平気で居る。 又軍人ならば物質に不足して居らん。 子供に甘い菓子を与えて安易な生活をしていることは事実だ。 国内に居る軍人にして(前線の軍人は別として)職域を通して御奉公するに、我々となんら変わるところはない。 軍も民も同じでなくてはならないはずだ。○某部隊幹部候補生、医学博士談 兵が公然と農家から食物や野菜を持って来る。 慰安所も無い関係もあるが若い女を騙す。 農村の娘は性的の知識がないから皆妊娠して問題になり、部隊長が困って私に何とか出来ないかと言われたが、そんなに多数をどうすることも出来ないと申し上げて置いた。 農村では兵に対する怨嗟の声が高い。 又一方汽車の中を見ると尉官級の軍人の横暴は目に余る。 あの混雑の中を果たして公用かどうかと思われる大きな荷物を兵に担がせて乗り込み、一般乗客の迷惑を何とも思っていない態度は考えものだ。○官に対する不信空気の濃化 特に3月10日の大空襲後における各官庁の機能低下による不信はますます濃化し来り。 官公吏が疎開、羅災対策のため自己の対策を先にし、その職務を後にする態度に非難の声あるのみならず、積極的に対策を考究せんとする気力を喪失せると、物資、労働等の不如意よる来る解決の困難とが相互に原因して、官公署の対策はかばかしからざるにより非難少なからず。●羅災者、とくに壕舎(防空壕)生活者の生活断面/安藤政吉○生活観・戦争観について(一部の抜粋) 家が狭いので子供達を先に寝かせ、自分は膝を折ってそのまま眠る事にしている、娘が泊めてもらっていた先の友人の家で虱が居たと云うので、家の娘に違いないと云ったと云うので泣いて帰って来ました、虱もわきましょうよ、なにしろ風呂もめったに入れず第一洗濯するにも石鹸はないしね、洗濯すると着替えがないのが一番困ります。 これも廻り合わせだと思っている、充分食えると思っていることが認識不足です。 戦争なんてどうなっても仕方が無い。 今上着を洗ったところだ、これを乾かして着て出かけるのです。 物の大切な事がほんとうによく判りました。 今年中頑張ればなんとかなると思うので頑張ります。 大黒柱の主人は出征しているし、頼って行く先はなく、早く戦争が終わらぬかと、それのみを待っている。 一体戦争はどうなるのでしょう。 心配だ、早く終わるのを待っている。 兵隊さんが焼け跡にトラックで来て持ち主のあるものをドシドシ持って行くので私がそのことを云ったら、将校が来て「必要だから持って行くんだ」と云ってどなられました。〓勝手に独断と偏見〓 官吏(文官・武官)・兵隊が問題となっている、特に職業軍人に対しては厳しい、公務員の問題行動は現在比べるとどうなのか。 不敬罪(3月以上5年以下の懲役)があるにも拘らず天皇批判(「昭和特攻弾圧史5」より抜粋) 「宿直宿直と言うが宿直などしなくても同じ事だ、御真影など何でもない、御真影は只の紙でしかない、宿直などする必要はない。/検挙・不敬罪で送局」 「大体政府のやり方が悪い、無能ばかりじゃ、又天皇陛下は道を歩くにも一人歩きはせぬ、雨が降っても自分で傘もさしきらず人にさして貰う、こんなものこそ飯を食わんで良い、国賊だ/不敬罪並びに言語出版集会結社等臨時取締法違反に依り送局」 誰かが通報したのだろう、正義感からか?、国民の相互監視システムが機能している。 「高松宮日記 1945年4月5日」での伊勢参拝の会話では、官吏の実態が記されている 高松宮:「官吏が高級飲食店閉鎖後も酒やさかなを手に入れて飲んだりするのは責任を感じぬ事」 天皇:「そんな小さなことはどうでもよい、・・、今後戦局がよくなるようにと云うだけで良い」 細川隆元(朝日新聞記者)は地方講演で旅館に芸者を連れ込みへべれけになっている。(当時は芸者禁止)
2007.02.21
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「6月8日の御前会議」では政府報告の「国力の現状」で戦争継続に堪えれない事が報告されたが、「本土決戦」「対ソ・対支那に対する施策」「義勇隊を組織」「食糧の確保と特定兵器の生産」が決定された。 「対ソ・対支那に対する施策」は外交の事で、戦争遂行を有利にする為となっている。 「国力の現状」では国民の現状についても分析されている。●「6月8日の御前会議」での「国力の現状」での国民関連について(一部抜粋)2.民心の動向 国民は胸底に忠誠心を存し敵の進寇等に対しては抵抗するの気構えを有しあるも他面局面の転回を希求するの気分あり軍部及び政府に対する批判逐次盛下なり動もすれば指導層に対する信頼感に動揺を来しつつある傾向あり且国民道義は頽廢の兆しあり又自己防衛の観念強く敢鬪奉公精神の昂揚充分ならず庶民層には農家に於いても諦観自棄的風潮あり指導的知識層には焦燥和平希求気分底流しつつを看取す かかる情勢に乗じ一部野心分子は変革的企画を以って策動しある形跡あり 沖縄作戦最悪の場合に於ける民心の動向に対しては特に深甚の注意と適切なる指導とを必要とす 尚今後敵の思想攪乱駆動は盛んとなるを予想せざるべからず3.人的国力(イ)人的国力は戦争に因る消耗も未だ大ならず物的国力に比すれば尚余裕あり唯其の使用概して効率的ならず動員及び配置は生産の推移に即応せず人員の偏在遊休化を見つつある現状にして徹底的配置転換及び効率増進を強行すれば人的能力の部面に於いては戦争遂行に大いなる支障なく之が活用の如何に依りては戦力造出の余地ありと認めらる但し今後に於いて大規模の兵力動員あるに於いては必ずしも楽観を許さざるものあり(ロ)戦争に基づく増殖率低下の徴漸く顕れ且体位の低下は特に戒心を要す6.国民生活(概要) 食糧は大陸よりの輸入で生理的必要最少限度を確保できるが、海外輸入の妨害、国内輸送の分断、天候及び敵襲などによる生産減少の条件を考慮に入れると、局地的に餓鬼状態を現出し、治安も楽観をゆるされない。 来年度の食糧事情は本年度に比べて深刻化する。 物価騰貴は著しく、闇の横行、経済秩序混乱が顕著となり、今後インフレーションが進み戦時経済の組織的運営は不可能となる。└───「敗戦の記録/参謀本部所蔵」より〓勝手に独断と偏見〓 物がない食糧がない、国民の「増殖率低下」「体位の低下」が顕著になってきた、子供の成長が阻害される食糧事情になっている。 食糧事情は今後更に悪くなり、政府による戦時経済の運営は破綻と報告は主張している。 政府の認識では、戦争による物の消耗に比べれば人の消耗は大した事はなく余裕がある。 国民は軍部・政府に批判的になり、今後に希望を持てなくなっている。 この報告の当時、既に200万の国民が亡くなっている、「戦争遂行に国民が200万人死んでも大した問題ではない」、政府の言動に国民軽視があり、この感覚は国民に伝わっていたと思われる。 国民は文句を言わず天皇の命令に従い、死ねと言われれば死に、殺せと言われれば殺し、物を出せと言われると物を出す、国民が不満を持出すと押さえつけ、又情報操作で国民の不満を逸らしてきたが、何事にも限界というものが存在するの認識が出始めている。 政府・海軍・陸軍・天皇は責任を取る事を恐れ、実質的な責任は国民が取っている。 当時の政府・統帥部は国民の為ではなく天皇の為に存在しているのだから仕方がないのだろう。 「海軍大将 米内光政覚書」p176によれば、 1945年6月8日の御前会議の前、6月6日に「最高戦争指導会議」が昭和天皇の要請で行われ、これ以上、戦争を継続することが可能かどうかの問題が検討された。 「時代の一面/東郷茂徳」での6月6日の会議の記述では、(抜粋・概要) 豊田貞次郎軍需大臣(予備役海軍大将)は「軍需生産については陸軍基地で自分の希望するような条件を許容するなら其の増加は不可能ではない」 東郷外相は「条件の実行は殆んど不可能」とし戦争継続に反対するが、海相は沈黙を守る。 会議後、東郷外相は米内海相に「今日は海軍大臣の援助を期待していたのだが以外であったと不満を述べたが、同大将は今日の所ではあれ位のものは仕方がないではないかと釈明」 鈴木首相も似たような主張。 御前会議で決定された「今後採るべき戦争指導の基本大綱」は、国民・国家の現状を無視しての戦争継続であり和平交渉はない。 この決定に木戸幸一内大臣が動き、天皇は決断する。
2007.02.18
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1945年6月8日に御前会議が行われ「今後採るべき戦争指導の基本大綱」が決定された。●「敗戦の記録/参謀本部所蔵」「6月8日の御前会議」の抜粋・概要 会議の冒頭、鈴木首相が総合計画局長官に「国力の現状」を朗読させた。○「国力の現状」 要旨:戦局の急迫に伴い陸海交通並びに重要生産は益々阻害せられ食糧の逼迫は深刻を加え近代的物的戦力の総合発揮は極めて至難となるべく民心の動向亦深く注意を要するものあり従って之達に対する諸施策は真に一瞬を争うべき情勢に在り。 説明項目:「2.民心の動向」「3.人的国力」「4.輸送力及通信」「5.物的国力」「6.国民生活」「判決」 「判決」では「8月・9月」が最小限の戦力維持の限界であるを訴えている。 主な内容:「鐵鋼生産は前年同期の1/4」「液体燃料の逼迫は中期以降戦争遂行に重大なる影響を及ぼす」「航空機を中心とする近代兵器の量産遂行は遠からず至難となる」「食糧の逼迫は局地的に餓鬼状態を現出する」○御前会議で決定された「今後採るべき戦争指導の基本大綱」 方針:「七生盡忠の信念を源力とし地の利人の和を以て飽く迄戦争を完遂し以て国体を護持し皇土を保衛し征戦目的の達成を期す」 要綱:「本土決戦」「対ソ・対支那に対する施策」「義勇隊を組織」「食糧の確保と特定兵器の生産」 を述べている。○農商大臣の1945年米穀年度の推算 需要見込8447万石、内治供給見込み7166万石、不足見込1281万石●「昭和天皇独白録」の「6月8日の御前会議とX項」の抜粋・概要 昭和天皇はこの御前会議は変なものだったと指摘している。 政府側の報告では、もう戦争が出来ないと判断しているにも拘らず、豊田軍令部総長と川辺参謀次長(梅津参謀総長は満州に出張中)が勝利疑いなしと戦争継続を主張。 その論拠は政府側の報告と非常に矛盾している。 会議は戦争継続と決定したが、首脳部(「最高戦争指導会議」の構成員)はソ連経由での講和を決定していた。 翌日、梅津参謀総長が満州から帰国し報告、 「支那にある我が全勢力を以ってしても、米の8個師団にしか対抗出来ぬ状態であるから、若し米が10個師団を支那に上陸させたら、到底勝算はない」と語った。梅津がこんな弱音を吐くことは初めてであった。〓勝手に独断と偏見〓 昭和天皇は御前会議の進行に違和感を覚える、だが豊田軍令部総長と川辺参謀次長が「国力の現状」と全く違う事を述べているのではない。○豊田軍令部総長:沖縄の作戦は敵に大出血を興え敵のその後の作戦を遅延させた、機動部隊に対しては空母の1/2を撃沈した。 敵は直路関東平地に上陸することを企画し、関東上陸は初秋ごろになるだろう、北部日本海以外の航海は困難となる。 千島・北海道方面はソ連の出方如何により真面目の攻撃となる。 本土決戦に重点を置き、特攻攻撃を行う、6・7月頃までは陸軍の協力があれば1/2は水際で撃滅できる。 生産の維持、特に飛行機・燃料が戦争完遂の絶対条件。○川辺参謀次長:沖縄では戦果を収めたが陸上の戦闘は相当の苦境に立っている、本土決戦では地の利が活かせる、空中・水上の特攻攻撃を行っていく、激化する空襲に対応するよう努力する、敵側の封鎖的戦略に対しては航空撃滅戦に努力して企画を断念させる事は至難の業とは考えていない、ソ連が侵攻してきた場合は対応できない。※上記の二人の主張は意訳・抜粋・概要で、表現は異なる。 二人は本土決戦を主張するが、絶望的であるも述べている、陸海両軍とも特攻の表明により自分達の頑張りを協調しているのが辛い。 沖縄の戦果報告、海軍は「空母の1/2を撃沈」、陸軍は「陸上の戦況は相当の苦境」 海軍は戦果を捏造し、責任を陸軍に転嫁し、自分達がすべき事を他人事のように述べる。 「独白録」で天皇はこの時の豊田軍令部総長に対し、 「戦争継続論を主張した豊田は賛成できぬ人物である、強がり許り云っている、かかる人物がいるから、陸海軍不一致になるのである」 「軍令部総長と次長との人事は米内の失敗である」 天皇は海軍の態度にうんざりしている。 日本の情況が戦争に堪えれなくなっているは政府・統帥部の共通した認識である事は表明されている、陸軍・海軍から負けです降伏しましょうは言いにくい。 天皇の主導による講和は、残念ながら御前会議に出席した全員が共有する所。 「最高戦争指導会議構成員」は講和に傾き、昭和天皇による和平交渉の命令が行いやすくなってきた。
2007.02.17
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○「核臨時停止で重油100万t」北朝鮮が勝手な解釈 【ソウル=平野真一】北京で開かれていた6か国協議で13日に採択された共同文書について、北朝鮮が同日、自らに都合のいい一方的な解釈を打ち出し、早くも履行に暗雲が差している。 共同文書は、北朝鮮が核放棄に向けた措置を取らない限り、大量なエネルギー支援を得られない仕組みになっているが、北朝鮮は核施設を「臨時」に停止しただけで100万トン供与の合意を取り付けたと主張しているためだ。北朝鮮が支援規模に文句をつけ、合意を履行しないための布石でないかとの見方が出ている。 共同文書は、北朝鮮が核放棄に向けて取るべき措置を2段階にわけ、 〈1〉60日以内に核施設の活動停止・封印と、国際原子力機関(IAEA)による監視・検証を受け入れれば、他の国は重油5万トンを支援 〈2〉さらに核計画を完全に申告し全施設を使用不能にすれば、最大95万トンを支援する としている。└───(2007年2月14日21時55分配信 読売新聞HP) 北朝鮮の全核施設がIAEAの監視下に置かれ、北朝鮮の核兵器とその原料が全て廃棄される事が重要。 日朝の国交正常化は「核問題及びミサイル問題を含む安全保障上の諸問題」と拉致問題の完全解決が必要。●「第5回六者会合第3セッションの概要(速報)平成19年2月13日」○「共同声明の実施のための初期段階の措置」を採択、その概要1.60日以内に実施する「初期段階の措置」(1)北朝鮮 1)寧辺の核施設(再処理施設を含む。)を、最終的に放棄することを目的として活動停止(shut down)及び封印(seal)する。 2)すべての必要な監視及び検証を行うために、IAEA要員の復帰を求める。 3)すべての核計画(抽出プルトニウムを含む。)の一覧表について、五者と協議する。(2)経済・エネルギー支援 重油5万トンに相当する緊急エネルギー支援を開始する。(注:米中韓露が実施。拉致問題を含む日朝関係の現状を踏まえ、我が国は参加せず。)(3)日朝 日朝平壌宣言に従って、不幸な過去を清算し懸案事項を解決することを基礎として、国交を正常化するための協議を開始する。(「懸案事項」には、拉致も含まれる。)(4)米朝 完全な外交関係を目指すための協議を開始する。(テロ支援国家指定を解除する作業開始)。2.作業部会の設置 初期段階の措置の実施及び六者会合共同声明の完全な実施のため、共同声明の要素に対応する次の作業部会を設置し、30日以内に会合を開催する。1)朝鮮半島の非核化 (議長:中国)2)米朝国交正常化 (議長:米国・北朝鮮)3)日朝国交正常化 (議長:日本・北朝鮮)4)経済及びエネルギー協力 (議長:韓国)5)北東アジアの平和及び安全のメカニズム (議長:ロシア)3.初期段階の次の段階における措置(1)北朝鮮 すべての核計画の完全な申告の提出及びすべての既存の核施設の無能力化等を行う。(2)エネルギー支援 重油95万トンに相当する規模(上記1.(2)の5万トンと合わせ、合計100万トン。)を限度とする経済、エネルギー及び人道支援を供与する。(注:米中韓露が実施。拉致問題を含む日朝関係に進展が見られるまで、我が国は参加しないことにつき、関係国は了解。)4.六者閣僚会議 「初期段階の措置」が実施された後、六者閣僚会議(外相を想定。)を開催する。5.次回六者会合 第6回六者会合は、3月19日に開催。└───外務省HPより〓勝手に独断と偏見〓 「60日以内に実施する『初期段階の措置』」を北朝鮮がどの程度誠実に履行するのか、「すべての核計画(抽出プルトニウムを含む。)の一覧表」はIAEAや米国の持つ情報以上の事が記載されるのか。 「寧辺の核施設(再処理施設を含む)」が現在の北朝鮮でどの程度重要かは知らない、閉鎖寸前の施設を閉鎖しても意味はないが、当然その辺りの事は協議者全員が承知の上で行っている事。 始めの第一歩として何かをしないと始まらない。 北朝鮮は核弾道ミサイルを作り、軍事的圧力を増大させていくのだろう。 話し合いでも、経済制裁でも抑える事ができないとすると、選択は狭められ日本の対応は米国に委ねられる部分が多くなる。 軍事力が外交の大きな部分を占めると思う反面、北朝鮮以外の国は北朝鮮ほどの切迫感がないのではと感じる。 北朝鮮は自国民の幸せを最優先に考えて交渉を行っているのか、また関係諸国はどうか。
2007.02.15
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米内光政と台湾沖航空戦(1944年10月12日~16日)について「米内光政覚書」より調べる。 当時は小磯内閣で米内は副総理と海軍大臣を兼ねていた。 (軍令部総長は及川古志郎、連合艦隊司令長官は豊田副武)●「海軍大将 米内光政覚書」の「最高戦争指導会議と終戦」よりの抜粋・概要 (1945年11月17日、米軍将校の米内に対する質疑とその補足資料をベースに)○台湾沖航空戦に関する大本營発表(1944年10月19日)/補足資料記述 我部隊は10月12日以降連日連夜台湾及びルソン東方海面の敵機動部隊を猛攻し、其の過半の兵力を壊滅して之を潰走せしめたり。本戦等に於いて、1.我方の収めたる総合戦果次の如し 轟撃沈:空母11隻、戦艦2隻、巡洋艦3隻、巡洋艦若くは駆逐艦1隻。 撃破:空母8隻、戦艦2隻、巡洋艦4隻、巡洋艦若く駆逐艦1隻、不祥13隻、其他火焔火柱を認めたるもの12を下らず。 撃墜:112機(基地における撃墜を含まず)2.我方の損害:飛行機未帰還312機○実際の日本側の戦果/補足資料記述 巡洋艦「キャンベラ」と「ヒューストン」が大損害をこうむった。○米内海相の米海軍少将R・A・オフスティの質問に対する返答◇台湾沖航空戦について 発表された数字に若干の誇張があった事はありうる。 故意に誇張するつもりはなくても、やむをえない過大が混入して来る事はまぬがれない。◇台湾沖航空戦の誇張された戦果が、その後の作戦に何か実質的影響を及ぼしたか 実際に誇張があったかどうか、私は知りません。◇この戦争(日米の戦争)は主として、海上兵力の戦争の認識か 海軍の戦争。◇大規模な海軍作戦計画の採択の際、海軍大臣はどの程度発言力を持っていたか 海軍大臣と軍令部総長の緊密な協調がなければならない。 海軍大臣は作戦資材を宰領し軍令部総長が何か大きな作戦の決定を下す前に、海軍大臣に相談しなければ成らない立場にあった。 いったん、作戦が発動されると、海軍大臣はその後に支配権は行使しなかった。◇大本営について 大本営は統帥や作戦問題に限定されていた。 陸海軍両大臣は、軍事行政機関の長官として所要の随員を従え、大本営の義に列した。〓勝手に独断と偏見〓 米内海相は大本営の会議に参加していたが「台湾沖航空戦」の戦果に誇張があったかは知らないを主張。 「太平洋戦争・主要戦闘辞典/太平洋戦争研究会」によると、 「台湾沖航空戦の残敵掃討に向った日本艦隊はアメリカ空母機動部隊がまったく無傷であり、大戦果は誤りであることを確認した。」 また、米内は日米戦のターニング・ポイントについて「ミッドウェーの敗戦」を挙げている。○「海軍軍令部/豊田襄」に記載の「大本営機密戦争日誌 1942年6月11日」 ミッドウェーとアリューシャンの戦果について、今日の新聞は一斉に記事を飾っている。 ところがあに図らんや、ミッドウェーでは我が海軍は大敗北を喫したのである、知らせぬは当事者、知らぬは国民のみだ。└─── 米内は「台湾沖航空戦の戦果誇張」も知っていたと思われる。 質問「台湾沖航空戦の誇張された戦果が、その後の作戦に何か実質的影響を及ぼしたか」は、日米戦は米国海軍が日本海軍に勝ったのであり、日本海軍の戦果誇張が日本の敗戦に寄与したの指摘と思われる。●「台湾沖航空戦」以外の「オフスティの質問に対しての米内の返答」概要○重臣は内大臣の相談相手になるだけ○「最高戦争指導会議」の機能と「大本営」について○1945年8月上旬に於いて陸軍は最後まで徹底抗戦を主張、米内は既に終戦の時期に来ていると主張○海軍は陸軍の残存兵力の情況を承知していた、陸軍当局も海軍兵力の現状について認識していたと信じる○政治的影響力は陸軍は海軍に比べ決定的に強力○陸軍の政治力によって海軍作戦がある程度の影響を受けたと感じている○海軍の方が、航空活動のあらゆる分野に於いて陸軍より優れていると感じていた、航空関係のあらゆる方面の支配権を海軍がにぎることが、陸海軍お互いの利益になると感じた○当時、私が首相だったら、この戦争を始めなかった○アメリカがフィリピンを占領したとき、南方からの補給路は断ち切られ、日本の資源は最後の宣告を受けた○陸軍士官は戦争以外の事は教えられず、広い国際的な視野についての教育が欠けていた○ドイツに勝算なしと確信していた○内閣総合計画局の戦争資材の調査結果により戦争継続が困難な情況になりつつある事がハッキリした
2007.02.12
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「最高戦争指導会議」の構成員は参謀総長・軍令部総長・内閣総理大臣・外務大臣・陸軍大臣・海軍大臣、必要に応じて参謀次長・軍令部次長・国務大臣などが参加、幹事も加わる。 鈴木内閣では幹事すら加えない「最高戦争指導会議の構成員」6名での会合が行われた。 「時代の一面/東郷茂徳」によると、 構成員の会合は1945年5月11日から始まる。 参加者は、鈴木首相・東郷外相・阿南陸相・米内海相・梅津参謀総長、軍令部総長は5月29日からは豊田、それまでは及川。 主題は「和平」であり、会合内容が漏洩すると軍の士気に影響を及ぼす為、絶対秘密とし次官・次長等一切の部下にも内密とした。 7月中旬の近衛特使派遣問題発生までは漏洩しなかった。04.07:鈴木貫太郎内閣成立04.07:ソ連は日ソ中立条約破棄(1946年4月以降の継続拒否)を日本に通告05.09:日本政府はドイツ降伏後も戦争遂行すると声明 1946年4月までは日ソ中立条約があるが、ソ連は日本を侵略国と明言しており、1945年2月には米・英・ソの首脳によりヤルタ会談が行われ、ソ連の対日参戦や千島列島引渡し等が密約されている。 ソ連が敵側に付くは決定的との認識、「溺れる者は藁をも掴む」だったのか。●1945年5月11日~14日の構成員の話合い(「時代の一面/東郷茂徳」よりの概要)○陸軍:ソ連参戦防止の方策を講ずる必要あり。○海軍:ソ連の好意的態度を誘致して石油等を購入し得れば好都合。○東郷外相:ソ連を軍事的・経済的に利用できない、米英ソの三巨頭が会談する前でなければ駄目で手遅れ。○米内海相:手遅れではない、元外相であった人もそう云っている。○鈴木首相:ソ連の好意的態度を探ってみるのは良い。 施策として「ソ連を参戦させない」「ソ連を好意的態度に誘致する」「和平に導く」 「和平に導く」について、仲介として支那・スイス・スウェーデン・ヴァチカンを検討、何れも無条件降伏の回答となるに一致した。○梅津参謀総長:米英に対して有利な条件で仲介できるのはソ連以外ない。○阿南陸相:ソ連は戦後に於いて米国と対峙する、日本を弱化するのは好まず余裕ある態度に出る事が想像される。○東郷外相:ソ連の行動は現実的で辛辣、安心は出来ない。○鈴木首相:スターリン首相の人柄は西郷南州と似る、悪いようにはしないの感じがする、和平の仲介もソ連に持ち込むのが良い。 東郷外相は危険だが、無条件降伏以上の講和に導きえるのはソ連と考えていた。 陸軍の和平に対する気持ちはソ連を通じてという点から誘致されていた。 「ソ連を参戦させない」「ソ連を好意的態度に誘致する」「ソ連の仲介による和平交渉」 に対して、相当な代償が予想され、代償に関する審議に入った。○ソ連を参戦させず好意的態度に誘致する為の代償は ポーツマス条約と日ソ基本条約を破棄し、日露戦役前の情況に復帰、朝鮮の自治は保留、南満州は中立地帯。 交渉を広田元総理に依頼する事とした。 ソ連の仲介による連合国への講和条件については紛糾した。○阿南陸相:現時点で日本が敵の広大な領域を占領している、敵の占領は日本領域の僅少部分、この点を基準として講和条約考慮すべき。○梅津参謀総長:占領地域を併合する意図がない事を明白にするは可、阿南陸相の意見は参酌すべき。○東郷外相:講和条件は現在占領する地域の大小ではなく戦争全体の趨勢・今後の戦局がどうなるかの点に基礎を置くべき。○米内海相:東郷外相の意見に同意。○軍部:日本は決して負けていない。○米内海相:「ソ連の仲介による和平交渉」の実行は当分伏せておく。○東郷外相:条件を定めておかないと和平への仲介は実行不可能、大体でも打ち合わせておく事が緊要。○鈴木首相:先ずソ連の気持ちを探りつつ話し合いを進めていく事が出来る。 「ソ連の仲介による和平交渉」の実行は見合す事になった。〓勝手に独断と偏見〓 「ソ連以外の国に仲介を頼むと無条件降伏の回答となる」の認識は共有されているが、「日本は決して負けていない」。 「海軍が負けているのであり陸軍は負けていない、陸軍の負けは海軍が制海権を維持できない為」を言いたいのか。 米軍は沖縄に艦砲射撃を行い上陸、豊田副武連合艦隊司令長官の命による大和・第二艦隊の沖縄特攻は失敗、豊田は5月29日から軍令部総長、構成員の一人となる。 「ソ連の仲介による和平交渉」は先送り、ソ連との関係改善「広田・マリク会談」は6月3日から箱根で行われた。
2007.02.10
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●終戦に向けての主要人物 政府:鈴木貫太郎首相・東郷茂徳外相・阿南惟幾陸相・米内光政海相 統帥部:梅津美治郎参謀総長・豊田副武軍令部総長(5月29日に及川古志郎から豊田へ) 側近:平沼騏一郎枢密院議長・木戸幸一内大臣 「昭和天皇独白録」では、昭和天皇は平沼騏一郎・豊田副武を嫌っている、特に平沼に関しては酷い。 鈴木・阿南・米内に対しては好意的で、木戸とは一心同体と思われる。 其々の立場が各人の主張に大きく影響している、和と戦をそれぞれ進める日本に於いて、組織を纏め・話が判り・実行力があり・破綻しない事は大変な事と思う。 建前と本音の使い分けが行われ、戦い続行の主張が講和を実現させる事に繋がっている場合もある、また其々が最善手を探っているという事もあり、行動の是非を簡単には判断できない。 上記の人達が最も大切に思っているのは天皇と天皇制だが、敗戦への対応が異なる。○鈴木首相(海軍大将):内閣総理大臣(1945年4月7日~8月17日)、枢密院議長(1944年8月10日-1945年4月7日、1945年12月15日~1946年6月13日)、侍従長(1929年1月22日~1936年11月20日)、連合艦隊司令長官(1924年1月27日~12月1日)、侍従長時代に2.26事件で重傷を負う、たか夫人は昭和天皇の幼時期に侍女を勤めた(お茶の水女子高等師範卒)○東郷外相(外務官僚):外務大臣(1941年10月18日~1942年9月1日、1945年4月9日~8月17日)極東国際軍事裁判では禁固20年、巣鴨拘置所に服役中に病没○阿南陸相:侍従武官(1929年8月1日~1933年8月1日)、1945年8月14日夜自刃、15日死亡○米内海相:内閣総理大臣(1940年1月16日~7月22日)、海軍大臣(1937年2月2日~1939年8月30日、1944年7月22日~1945年12月1日)、連合艦隊司令長官(1936年12月1日~1937年2月2日)○梅津参謀総長:参謀総長(1944年7月18日~1945年11月30日、極東国際軍事裁判では終身刑、1949年1月8日服役中に病没。○豊田軍令部総長:軍令部総長(1945年5月29日~10月15日)、連合艦隊司令長官(1944年5月3日~1945年5月29日)、極東国際軍事裁判では無罪○平沼枢密院議長(司法官僚):内閣総理大臣(1939年1月5日~8月30日)、枢密院議長(1936年3月13日~1939年1月5日、1945年4月9日~12月3日)、大審院長(1921年10月5日~1923年9月6日)、極東国際軍事裁判では終身刑、1952年病気仮釈放、直後に死去。○木戸内大臣(侯爵):内大臣(1940年6月1日-1945年11月24日)、極東国際軍事裁判では終身禁固、1955年釈放 年齢など様々な理由はあると思うが、海軍と海軍以外ではGHQの対応が異なっている。●簡単年表(1945年)04.07:鈴木貫太郎内閣成立04.07:ソ連は日ソ中立条約破棄(1946年4月以降の継続拒否)を日本に通告04.12:ルーズベルト大統領は脳溢血で急死。副大統領トルーマンが昇格04.28:ムソリーニは愛人と共に処刑される05.01:ヒトラー総統・ゲッペルス宣伝相・軍幹部自決05.07:ドイツ軍は無条件降伏文書に署名。05.09:日本政府はドイツ降伏後も戦争遂行すると声明06.03:広田弘毅、マリク駐日ソ連大使と会談06.08:御前会議、「国体を護持し、皇土を保衛し、征戦目的の達成を期す」06.22:天皇は最高戦争会議の構成員に講和の意志を伝える。06.22:義勇兵役法公布、即日施行06.23:沖縄守備軍司令官の牛島満中将が自決07.13:佐藤(駐ソ)大使、モトロフ外相に近衛訪ソを申し入れる07.16:米国はプルトニウム型原爆実験に成功07.26:米・英・中の3首脳は、ポツダム宣言を発表07.28:日本政府はポツダム宣言を黙殺すると発表08.06:広島に原爆(ウラン型)投下08.08:ソ連は中立条約を破棄し、対日宣戦布告08.09:長崎に原爆(プルトニュウム型)投下08.09:御前会議、国体護持を条件にポツダム宣言受諾を決定08.14:御前会議、昭和天皇は終戦を決定、連合国回答を受諾する通告を行う08.15:阿南陸軍大臣自刃08.15:終戦のラジオ放送08.16:大西軍令部次長自殺08.17:東久邇宮内閣発足
2007.02.08
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鈴木貫太郎内閣は1945年4月7日に誕生、和平交渉は鈴木内閣の下で行われた。 イタリアでは1943年7月25日にムッソリーニが投獄され、国王エマヌエーレ3世はバドリオ元帥を首相に任命する。(エマヌエーレ3世は1922年にはムッソリーニに組閣を命じている) 9月8日に連合軍はイタリアの降伏を発表、ローマはドイツ軍に占領され、バドリオ政権はドイツに宣戦布告しイタリア軍は連合国軍となった。 終戦後の1946年6月2日に国民投票でイタリアは王制が廃止され共和制となった。 ルーズベルト大統領は4月12日に死亡、副大統領のトルーマンが大統領に昇格した。 ドイツは5月7日に降伏した。 以上は「Wikipedia」より纏めた ドイツの敗戦を述べ日本軍部の無条件降伏を求めるトルーマン大統領の対日声明のビラが投下された。○トルーマンの日本国民に対する声明(5月8日)の概要 ナチス・ドイツは壊滅した。 連合軍の攻撃は日本軍部が無条件降伏に屈し武器を棄てる迄は断じて中止しない。 軍部の無条件降伏は戦争の終焉であり、日本を現在の如き破滅の淵に誘引せる軍部の権力を消滅させ、前線にて悪戦苦闘している陸海将兵を愛する家族・農村・或は職場へ迅速な復帰をさせ、儚なき戦勝を夢見て現在の艱難苦痛を永続するのを止める事を意味する。 無条件降伏は日本国民の抹殺・奴隷化を意味するものではない事を断言する。└───(HP:日本国憲法の誕生より) 連合軍が日本本土に上陸して、硫黄島や沖縄のような戦いをしたかったとは思えず、「陸海将兵を愛する家族・農村・或は職場へ迅速な復帰」は米軍の思いでもある。 1945年4月5日に小磯首相は辞表を奉呈、首相候補を選ぶ為に重臣が集まった。●重臣会議(4月5日)、「木戸幸一日記(下)」よりの概要。参加者: 首相経験者:近衛、平沼、広田、若槻、岡田(海軍)、東條(陸軍) その他:鈴木貫太郎枢密院議長(海軍)、木戸内大臣、藤田侍従長(海軍)○東條:今国内には最後まで戦い抜いて国の将来を開くべしとする説と無条件降伏をも甘受して早急に和平を作り出すべしとの論あり○岡田:和戦両様の問題は、もう少し先にいかなければ判らない○平沼:飽く迄、戦う以外に途なし○若槻:最後まで戦うか中途で和平するかを議論するは問題外、行過ぎ○鈴木:今日はどこ迄も戦争を戦いぬかねばならぬ、それが先決だと思う。後継内閣の首班はその意思を有するものでなければ不適当なり○木戸:国民は必ずしも政府の施策に熱心なる協力をなさず、所謂ソッポを向いている云う傾向相当あり、反軍的動向が相当に現れている事も注意が必要○広田:陸海軍大臣の何れかが首班となるが可○近衛:飽く迄、戦いをやり抜く軍人、予後備にてもよしと云うことになる○若槻:今平和を提議すれば無条件降伏迄行く事は明らかなり○近衛:今迄の行きがかりのない人が宜しい○鈴木:一番若き近衛公に願う○平沼:鈴木大将に御引受け願いたく希望○近衛:同感○若槻:そうなれば申し分なし○鈴木:軍人が政治に出るのは国を亡ぼす基なり、耳も遠し御断りしたい○平沼:鈴木氏は海軍の軍人なるも、長く文官として最も御信任のある人、国民も行きがかりのなき精忠無比の人であることは信ずるところ○東條:陸軍主体・現役者の見地から畑元帥を適当と信じる○広田:陸海軍を統率し得る人ならよし○岡田:人を知らない故、意見を申し上げ難し○木戸:鈴木閣下の御奮起を願う○東條:国内が戦場とならんとする現在、陸軍がそっぽを向く虞れあり、陸軍がそっぽを向けば内閣は崩壊すべし○岡田:大命を拝したる者に対し、そっぽを向くとは何事か、国土防衛は誰の責任か、陸海軍にあらずや〓勝手に独断と偏見〓 東條は 「今国内には最後まで戦い抜いて国の将来を開くべしとする説と無条件降伏をも甘受して早急に和平を作り出すべしとの論あり。」 により和平論者に圧力を加える、また首相に陸軍の畑元帥を推薦し却下されると、「陸軍がそっぽを向く」と脅かす。 東條対策の為に木戸・近衛・平沼・昭和天皇の間で鈴木首相が予定され、重臣会議のシナリオが作られていたと思える。 連合軍のノルマンディー上陸は1944年6月6日、ドイツは東西からの撤退が続く。 1944年9月21日の「最高戦争指導会議」決定の「ドイツ屈服の場合に於ける国内的措置要綱」では、 方針に「一億総戦闘の態勢を徹底して一路独力を以って戦争完遂に邁進する」 が、述べられた。
2007.02.05
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昭和天皇は、どの辺りで敗戦を自覚し本格的に講和を始めたのか。○「昭和天皇独白録」での「小磯内閣 3.講和論の胎動」(一部の抜粋) 私は参謀本部や軍令部の意見と違ひ、一度「レイテ」で叩いて、米がひるんだならば、妥協の余地を発見出来るのではないかと思ひ、「レイテ」決戦に賛成した。 <中略> 私は「ニューギニア」の「スタンレー」山脉を突破されてから(1943年9月)勝利の見込みを失った。 一度何処かで敵を叩いて速やかに講和の機会を得たいと思ったが、ドイツとの単独不講和の確約があるので国際信義上、ドイツより先にには和を議し度くない。 それで早くドイツが敗れてくれればいいと思った程である。└───○沖縄戦についての天皇のコメント 「私は之が最後の決戦で、これに敗れたら、無条件降伏も亦已むを得ぬと思った。」○「ポツダム宣言」受諾決定の際の天皇のコメント 「敵が伊勢湾附近に上陸すれば、伊勢熱海両神宮は直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕はなく、その確保の見込みが立たない、これでは国体護持は難しい」○「近衛上奏文」(1945年2月14日)後の近衛文麿との下問と奉答天皇:米国は我皇室を抹殺せんと云ひ居る由なるもその点如何。近衛:其処迄は行かぬ様思ひます。天皇:梅津は米国が皇室抹殺論をゆるめざるを以って、徹底抗戦すべしと云ひ居るも、自分も其の点には疑問を持っている。 :梅津及び海軍は、今度は台湾に敵を誘導し得ればたたき得ると言って居るし、その上で外交手段に訴えてもいいと思う。 :外交による転換の場合、陸軍は動揺するだろうが、杉山はそれだから元帥が必要だと云って居た。近衛:元帥と云う様な肩書きでは抑へられますまい(侍立の木戸内府も是には笑ひ居たる由)天皇:(軍の統率については)三笠宮は阿南を云ふが、自分にはよくわからぬ。近衛:今の軍に反対のものとしては、小畑・石原・宇垣・阿南等もございます。退下後木戸内府は、どうも陸軍があんなことを申し上げるから困ると述べた。近衛の感想:御上は極めて素直に軍の上奏をお取り遊ばされて居る故、事態を夫れ程悲観遊ばされ居らぬ様にて心配なり。└───「細川日記(下)/細川護貞」1945年2月16日よりの抜粋〓勝手に独断と偏見〓 「近衛上奏文」後の近衛との会話は、「木戸幸一関係文書」にも「講和関連」と思われる以下のやり取りがある。天皇:もう一度戦果を挙げてからでないと中々話は難しいと思う。近衛:そう言う戦果が挙がれば誠に結構と思われますが、そう云う時期が御座いましょうか。これも近き将来ならざるべからず。半年、一年先では役に立つまいと思います。 「昭和天皇独白録」では「近衛は極端な悲観論で、戦いを直ぐ止めたが良いと云ふ意見を述べた、私は陸海軍が沖縄決戦に乗り気だから、今戦いを止めるのは適当ではないと答えた」 沖縄で敗れた後のコメントは、 「海上戦の見込みは立たぬ、唯一縷の望みは「ビルマ」作戦と呼応して、雲南を叩けば、英米に対して、相当打撃を与へ得るのではないかと思って、梅津に相談したが、彼は補給が続かぬと云って反対した。」 昭和天皇は、この案を賀陽宮(陸大校長)にも話すが、うやむやに終わり、「私は講和を申込むより外に途はないと肚をきめた」となる。 ドイツ降伏は1945年5月7日、6月23日には沖縄守備軍司令官の牛島満中将が自決。 講和に障害となっていたドイツ敗北により「日独伊共同行動協定」などは意味が無くなり、「沖縄で敗戦後は無条件降伏も亦已むを得ぬ」だが、講和条件を良くする為、ソ連経由での講和交渉を始める。 (ソ連は1944年11月7日に「日本を侵略国と明言」し、1945年4月5日に「日ソ中立条約」不延期を通告している) 昭和天皇は「本土決戦」を行うつもりは無い、日本首脳部は内外に表向きは戦争の継続を主張、講和は秘密裏に行う。○近衛上奏文の概要 敗戦は必至、現在の米英の主たる考えでは「国体の変革」はない。 国体護持は重要だが、敗戦後の日本に於ける共産革命が大きな問題。 ソ連は近隣諸国を赤化し、世界赤化を進めている、日本の職業軍人は中流以下の家庭出身者で共産的主張を受け入れやすい環境。 彼等が、「満州事変」「支那事変」を起し「大東亜戦争」まで導いた、「一億玉砕」を叫ぶ者は右翼だが、扇動しているのは共産分子。 速やかなる「戦争終結」が必要、「戦争終結」の抵抗者は戦争を進めてきた軍部、一掃する必要がある。
2007.02.02
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○<衆院予算委>4野党が欠席、厚労相辞任めぐり緊迫 柳沢伯夫厚生労働相の「女性は産む機械」発言を受け、厚労相の罷免を求めている民主、共産、社民、国民新党の野党4党は31日、今国会最初の衆院予算委員会を欠席した。 自民、公明両党は与党単独で委員会を開き、尾身幸次財務相が06年度補正予算案と07年度予算案の趣旨説明を行い、予算委は冒頭から野党不在という不正常な形で審議が始まった。 与党内にも参院自民党を中心に辞任論が広がる中、柳沢厚労相は同日夜、改めて辞任しない考えを表明しており、国会は緊迫した状況となっている。 野党は当初、審議拒否しない考えを示していた共産党も民主党などに同調、4党とも厚労相が辞任しない限り審議に応じない構え。衆院予算委は2月1日午前から与党の質問を予定しており、与党は野党が欠席しても単独で審議を進める方針だ。└───2007年1月31日21時15分配信 毎日新聞 よりの抜粋 小沢さん「事務所費の領収書の詳細公表と説明」お願いします、その後で柳沢大臣の追求を行ってください。 共産党は審議拒否しないと言っていたのに残念。 「柳沢伯夫厚生労働相の罷免」と「衆院予算委員会の予算審議」は別の問題。 野党の行動パターンは「野党は存在感を示せれば良いんだ」「野党は政府・与党にダメージを与えればいいんだ」と思える。 年度が変わる、予算審議は重要だろう、「野党は予算審議をまともにやる気がない」。 「国民の事を考えるなら」、「少子化対策」に於ける実効性のある計画と予算配分を勝ち取るチャンス、公務員に使う予算を削って「少子化対策」に回す事を提案できないのか。 或いは防衛省の予算を精査するのも重要だと思う。 野党は「柳沢伯夫厚生労働相の罷免」を主張するのは良いが、予算審議にはきっちり対応して欲しい。
2007.02.01
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