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「ハル国務長官オーラルステートメント」は挑発、「コンボイ」はドイツに対する挑発、日独は米国を欧州戦に参戦させないで意見が一致している。○「木戸幸一日記(下)<1941年>」(抜粋)◇06.06:近衛公より電話にて「大島大使、ヒ総統に呼ばれベルヒテスガルテンにて面会す、独は愈々ソ連を討つとのことなり。日本に対しては之に参加を希望すとは云はざるも、暗に之を望み居る様子なり。右につき今朝連絡会議を開催す。右言上を乞う。」 9時50分より同55分迄、拝謁、右の趣を言上す。 2時、松岡外相参内、クロアチア国の承認、並びに大島大使の電報につき言上す。外相の見透は、大使の観測にも不拘、独ソの関係は協定成立六分、開戦四分と見るとのことなりき。 3時、武官長来室、独ソ関係に関する陸相の見解も亦左迄急迫せりとは見ざる旨ありたり。◇06.21:松岡外相より電話あり、日ソ通商協定等成立の旨其の他を奏上す。 3時30分再び拝謁、ノモンハン方面国境劃定の協定も成立の旨奏上す。◇06.17:武官長来室、昨日の連絡会議にては、外相より仏印への兵力進駐は信義上より見て陛下に申し上げ兼ねる故、更に考へ直されたしと主張し、陸海軍にて更に研究立案することとなれりとの情報ありたる旨話ありたり。◇06.18:首相・外相来室、外相より仏印問題につき独よりヴィシー政府へ交渉せしむべく訓令せる旨話ありたり。 拝謁、松岡外相よりの前掲の話を言上す。◇06.19:松岡外相より電話にて、ロンドン発ルーター電によれば独はソ連に対し進撃を開始せりと、真偽不明。 拝謁、右の趣を言上す。└─○「杉山メモ(上)<1941年>」(抜粋・概要)◇05.22:「連絡懇談会 蘭印交渉、国民政府承認、対米国交調整其後の状況等の件」・蘭印交渉 松岡外相:有田外相の時に14品目の輸出禁止はするも錫2万トン、ゴム3千トンは対日輸出すべき協定を締結したるにも拘らず、現在では右全額を輸出せず。 馬来・仏印等より所得するに於いては其の分だけ差し引くと云ひ、目下の状況より見れば錫・ゴムも禁輸の決心をするに非ずやと思考。 外相:泰・仏印に対してやるには英米に対する決心を必要とす、此の決心なしに交渉は出来ぬ、決心が出来たらやる。 海軍側殆ど黙して語らず。 海相:松岡は頭が変ではないか。・国民政府の承認 外相:独伊をして国民政府(汪兆銘政権)を承認せしめ、同政府に対する態度を明確にして之を育生し、更に他の枢軸諸国をして承認せしむる様工作するのを可とす。而して重慶(蒋介石政権)工作は目下の状態では97%迄は見込みがないと思う。・日米会談其後の状況 大島大使電(5月3日):大島大使は日米交渉の日本案の内容をリツペンより開示された、大島大使は全く内容を承知していなかった、大島大使は一切の意見の発表を避けた。 大島大使電(5月9日):リツペンは日本案について『本提案は日本側より提案せられたものなりとの情報多し、松岡外相は不本意乍ら他の人の奨めに依り本案をやる様になれりとの事であり。又シンガポール攻略をせざる様になれりとの話なるが、夫は日本が米国と結び、米参戦の場合に日本が参戦を回避するものとも考へらる、独として日本よりの本相談に対しては次の2案の回答あり、第一案は拒否、第二案は条件附きにて交渉を進む、本官は第一案を取り度し』 ヒトラーは第二案を採決せり。 リツペンは伯林の会談に於いて日米交渉の話がなかった事を裏切られたの感があるとのべ、松岡外相はオットー(駐日ドイツ大使)に独ソ開戦の場合はソ連を攻撃すると云ったが、伯林での松岡外相の話と違う、松岡外相は伯林に於ける独ソ関係なるものを把握し居らざると思う、と大島大使に述べた。 大島大使は帝国の態度は天皇が決定するもので、松岡外相が述べた事は松岡の私見に過ぎない、と答えた。 以下、大島大使は数ヶ月でドイツが大勝するの前提で意見を述べる。・松岡外相の米に於ける交渉其後の状況に就き説明 5月14日の会談でハル国務長官は、独が欧州を制覇せば必ずや南米に進出し来るべく、米としては民主主義擁護の為戦はざるべからずと述べたり。└─〓勝手に独断と偏見〓 6月6日にヒトラー総統は大島浩駐独大使(東條英機と陸軍大学校卒業が同期)に独ソ戦を告げた、松岡外相は開戦に否定的な見解を示す。 ドイツ依存の国家運営の見直しが必要だが、ドイツはソ連にも勝利するの大島判断に従うと、イケイケドンドンになる。
2007.12.30
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英国と蒋介石政権を援助する米国、ハル国務長官はドイツ寄りの松岡外相を非難。 米国は欧州戦関与の為に1937年と1939年に中立法を改正、1941年には武器貸与法を成立させた。○ハル国務長官オーラルステートメント(6月21日) 不幸にして政府の有力なる地位に在る日本の指導者中には国家社会主義の独逸及其の征服政策の支持を要望する進路に対し抜差しならさる誓約を與へ居るものあること及之等の人か是認すへき合衆国との了解の唯一の種類は合衆国か自衛に関する現在の政策を実行することに依り欧州の戦闘行為に巻込まるる如き場合には日本か「ヒトラー」の側に於て戦ふことを予見するか如きものなるへしとの確証か長年に亘り日本に対し真摯なる好意を表し来れる筋よりの報告を含む世界中有らゆる筋より益々政府に達しつつあり 日本政府の「スポークスマン」に依り何等理由なきにも拘らす為されたる三国同盟の下に於ける日本の誓約及意図を強調せる最近の公式声明(複数)の論調は、看過し得さる或る態度を例証し居れり、斯かる指導者達か公の地位に於て斯かる態度を維持し且公然と日本の與論を上述の方向に動かさんと努むる限り現在考究中の如き提案の採択か希望せらるる方向に沿ひ実質的結果を収むるための基礎を提供すへしと期待するは幻滅を感せしむることなるに非すや└─「アジア歴史資料センター:日米外交関係雑纂 第1巻 12昭和16年5月12日から昭和16年7月10日」よりの抜粋○米国の「中立法」と「武器貸与法(Lend-Lease Act)」◇「中立法」の変遷 1935年:交戦国に対する武器の輸出を禁じた中立法を制定。 1936年:交戦国に対する貸付けの禁止を追加,スペイン内乱の翌年に内乱にも適用とする。 1937年:「現金自国船輸送」方式を導入,交戦諸国は米国港で現金決済・自国の船舶で輸送。 1939年:第2次世界大戦の勃発で,武器禁輸条項を除去,連合国側に軍需物資を供給可能に。◇「ニューヨーク・タイムズ(1939.11.5)」による中立声明書と中立法改正記事の概要 交戦国への武器、弾薬、資・機材の売却禁止 (交戦国はドイツの事と思われる、英国には売却可能になった) 米国の国籍を持つ者と船舶の戦闘地域立ち入り禁止(大統領が特別に許可した場合を除く) 修正中立法では英・仏・独などの交戦状態の国に対しアメリカ船舶が荷物を運ぶのを禁止 戦闘区域に関する声明書ではベルギー・オランダなどの中立国との通商を禁止 ソ連・フィンランドには大西洋経由は許可、ソ連には黒海への船舶出入りも許可 貨物輸送許可地域: イタリア・スペイン・ポルトガル・ユーゴスラビア・トルコ・ルーマニア・ブルガリア、 ノルウェーのベルゲン北部 戦闘地域の設定の概要: ノルウェーからベルギー南部、バルト海からイギリス、アイルランド、イギリス海峡 地中海は除外 潜水艦に関する声明: 交戦国の潜水艦によるによる米国内の港湾・領海内の航行の禁止 民間人を爆撃している国家への航空機売却の輸出禁止措置は有効(日本に適用)◇1940年6月~7月:米国はイギリスに武器を供与 50万梃(一梃に250発の弾丸が付く)、75mm野砲と砲弾百万発、機関銃八万梃など (「第二次世界大戦1/チャーチル」p103より)◇大統領が再選(1940年11月、三期目)された3日後、英国は発注してあった1万1千機に1万2千機を追加発注 11月までに英国は米国に現金で45億ドル支払い、20億ドルが残っていた。 英国のドルを増やす方法は、南アフリカの金の産出と対米輸出品(ウイスキー・毛織物など) (「第二次世界大戦2/チャーチル」p235より)◇1941年3月:「武器貸与法」制定、英国の他に中国(6月)・ソ連(11月)等に適用される。〓勝手に独断と偏見〓 松岡外相はハル国務長官からヒトラーを支持する元凶として非難されている、米国はドイツ・日本と戦争状態、国内事情で軍事的には本格参加していない。 英国は対独戦でドルが枯渇、米国は武器貸与法で英国を助け、中国・ソ連に拡大する事になる。 日本と蒋介石政権は戦争状態だが互いに戦争とは言わず、米英ソは蒋介石政権に援助し米国は日本に経済的な圧力をかけている。 戦時国際法(戦争法)の陸戦・海戦中立条約に於いて、中立国は交戦国に対して武器弾薬の輸出・通過を認められていない、戦時国際法上では米国は中立国として違反行為を行っている。
2007.12.26
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「6月21日案」は日米交渉に於ける最初の米国政府案、ドイツのソ連侵攻は22日、ハル国務長官の「オーラル・ステートメント」と「6月21日案」は、「ソ連はドイツの敵になりましたが日本はどうしますか」の問いかけでもあると推察。○米国側案:6月21日案(概要)1.国際関係及国家の本質に関する合衆国及日本国の概念 両国政府は各国家及各民族が正義及衡平に依る萬邦協和の理想の下に生存する一宇を為すとは其の伝統的及現在に於ける観念及確信なることを声明す即ち平和的手続に依り規律せられ且精神的物質的福祉の追求を目的とする相関的利害関係に基き何れも等しく権利を享有し責任を容認す而して右福祉たるや各国家及民族が他の為に之を毀損すべからざるか如く自らの為に擁護すべきものとす更に両国政府は他の民族の抑圧又は搾取を排撃すべき各自の責任を容認す。2.欧州戦争に対する両国政府の態度 日本政府は三国条約の目的を防御的とし、挑発によらない欧州戦争の拡大防止に寄与することを開明す。 米国は欧州戦争に対しての態度は防衛・自衛的の考慮に依ってのみ決する開明す。3.日支間の和平解決に対する措置 米国は支那政府(蒋政権)に日本との和平を勧告(原則は善隣友好・主権・領土の相互尊重)。 付属追加書の討議により変更される。4.両国間の通商 本了解が両国政府に公式承認された時、相互の供給を保障、両国の通商関係回復、両国が望むなら新通商条約の締結を行う。5.太平洋地域に於ける両国の経済活動 太平洋方面に於ける両国の活動は、平和的手段と国際的通商関係に於ける無差別待遇の原則と相互的誓約に基き天然資源の商業的供給の無差別的均霑を受け得る様相互に努力する。6.太平洋地域に於ける政治的安定に関する両国の方針 両国は太平洋地域において平和の維持・保全に貢献する、両国は前地域に於いて領土的企画を持たない事を声明。7.フィリピン群島の中立化 フィリピンの独立(米国が希望する時期に於いて)に於けるフィリピン群島の中立化の交渉に日本政府が入る用意があるを声明。◇日本国政府の付属追加書(「日支間の和平解決に対する措置」について)3.日支間の和平解決に対する措置1)善隣友好2)防共と支那領土内に於ける日本軍隊の駐屯の検討3)経済協力(無差別特遇の原則は交換公文に関する合意により決定)4)各国固有の特質に対する相互尊重5)日支の協定の締結と日本の武力撤退6)非併合7)無賠償8)満州国に対する友誼的交渉◇米国政府の付属追加書(「両国間の通商」について)4.両国間の通商 輸出は通常又は戦前の数量まで戻す、安全・自衛目的の物資は例外とする、相手国政府に対する制限を目的とするものではない。└─「日米開戦外交の研究/須藤眞志」より〓勝手に独断と偏見〓 「日米諒解案」をベースにした日本案に対する米国案が提案された。・欧州 米国案では米国の欧州戦参戦を否定せず、三国条約に於ける米国参戦に対する日本の対応は軍事介入なしとなる、日本案の米国が参戦しなければ日本は参戦しないとは大きく異なる。 米国はドイツの影響下にある欧州を認めない、また現状でのドイツと英国の講和を米国は望まないし英国も望まないだろう。・東アジア 日本案は「南京政府と締結された条約及び日満支共同宣言に明示されている原則を了承し」と述べており、南京政府(蒋介石政権ではなく汪兆銘政権)を中国政府とし、満州国を米国が承認するものとして書かれている。 米国案では中国政府は蒋介石政権であり、満州国問題は蒋介石政権と日本による友誼的交渉とされている。・移民 米国への移民問題に関して日本案は「米国に対する日本移民は友好的に考慮せられ他国民と同等無差別の待遇を興へらるべし」と記しているが、米国案では全く無視。 フィリピン(米領)に関しては弱冠の配慮を見せている。・通商 両国とも新通商条約など関係改善を望むが、米国案では物資がドイツに流れるのを恐れてか、ドイツに対する日本の態度を見極めてからの感がある。・日本の仏印進駐 米国案の「両国は前地域(太平洋地域)に於いて領土的企画を持たない」が牽制になっていると思う。 軍事力を東アジアの資源獲得に使いたい日本、欧州戦争介入に使いたい米国、この時期の日本はドイツが英・ソに勝つと思い、米国は英・ソをドイツに勝たせると思っていたと推測。 対ドイツ政策に対して双方の歩み寄りで妥協点を見出す事は困難、大幅な妥協が一方に必要となっている。
2007.12.23
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松岡外相の日米交渉の骨子は「支那事変に貢献すること、三国条約に抵触せざること、国際信義を破らざること、を絶対条件とする」、また中立条約を米国に提案する事を望む。 5月3日の「連絡懇談会」では「野村大使提案の諒解案に陸海軍の修正を加えた外務省の修正案を決定」となっている、松岡外相は直には米国に送らず、独伊にお伺いを立てる。 5月8日の「連絡懇談会」では5月4日に独伊の駐日大使に松岡外相が伝えさせた事が記され、松岡外相は「リツペンから意見が来れば又修正しなければならぬ」と述べている。 また、松岡外相は米国の欧州戦争への参戦の可能性を60%と述べ、参戦によって戦争が長期化しドイツが軍需品・食料取得の為にソ連と戦いアジアに出てくると発言、単に誤魔化しの発言に思えるが、他の「連絡懇談会」メンバーの追及は無い。○「杉山メモ(上)」(抜粋・概要)◇05.12:「連絡懇談会 対米国交調整其の後の状況の件」・松岡外相の説明 米国への修正案の打電は、独伊側の返電を12日昼まで待った為、正午過ぎに野村大使にハルと交渉開始するよう打電した、修正案に関しては予め打電しておいた。 また、国際電話で帝国修正案に就いては再修正の余地なき旨通する様命じた。 外交の集中は米を参戦せしめず、コンボイを止めさせる事に指向するに在り。 独の返事の判断としては、全然同意はせぬだろうが、自分としては独側の一部不同意の意見があっても之に対しては、之を説得する自身がある。◇05.15:「連絡懇談会 対米国交調整其の後の状況の件」・松岡外相の説明 12日の夜に独伊大使がリツペンからの返電を携行して来訪。 「リツペンからの返事」の要点(外相は全文を発表せず) 「米の提案は大東亜共栄圏建設行動を拘束するものなることは日本に於いて充分承知しある所なるべし。 米国は本案に依り太平洋を安全にし国内の反戦気運を和らげ、自己の希望する方向に向くべし。 米参戦せば日本参戦すべく米は此の如き事にならざる様形勢を調整して大西洋方面に活躍せんとするものなるべし。 而して米は形勢を硬化せしむることに依り独をして米に反撃を加へしめ、其の機会を捉へて開戦の責任を枢軸側に嫁し以って参戦するものと思考せらる。 従って米が此達の行動を差控ふる場合に於いては日本に於いても米国提案を研究するの用意あることを明らかにせしむへく又日本案は三国同盟に及ほす影響極めて大なるが故に、日本に於いて米に最後的返事をなす前に独伊にも知らせられ度。」 野村大使にハルに対して日米交渉に於ける前提として伝えることを命じた内容 「米が欧州戦争に参加せさること」 「最も早き時期に日支間に和平を招来せしめる目的を以って日本と直接交渉する様、蒋に勧告すること」└─〓勝手に独断と偏見〓 「コンボイ」は米英間を運行する英国輸送船をドイツの攻撃から米国軍が守っている(Uボートを追い掛け回している)事を指していると思われる、「リツペンからの返事」に於ける「米は形勢を硬化せしむることに依り独をして米に反撃を加へしめ」もこの辺りの事を指していると推察。 ドイツは米国の挑発に乗らない事を心がけ、この時点に於いては米国との戦いに消極的だった。 「連絡懇談会」では、松岡外相が米国は参戦したがっていると主張、海相は米国は参戦して得があるかと疑問視する。 ドイツが欧州戦で勝つを前提にして日本の方針は成り立っている、この後には米国案・独ソ戦開戦・松岡外相解任と進み日本の南部仏印進駐が待っている。 この時期米国の参戦とは欧州戦を指すが、松岡外相はドイツから米国に仕掛けた場合でも日本は米国と戦うべきを主張している、松岡外交では日本は日米交渉に於いてドイツの要望を無視できない。 松岡外相はドイツに日米交渉も自分が中心で進めているように表現、ドイツからは松岡発言が不正確を指摘されている、ドイツ寄りで情報を公開しない松岡外相に他の「連絡懇談会」メンバーの不信感が強まっている。 松岡外相は問題が出なければ有能だが、問題は隠し誤魔化し表面化する事を恐れる、当時の文官・武官の典型なのか、天皇崇拝の念は人一倍強いようだが「独白録」では平沼騏一郎と並び最も嫌われている。 松岡外相は日米交渉の前提として「米国の欧州戦への不参加」「米国による蒋介石への日中交渉勧告」を米国に伝えることを命じて「三国同盟」ありきの姿勢、米国に日米関係改善の意志があっても、やる気をなくす交渉相手となっている。
2007.12.19
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ソ連・ドイツ・日本・イタリアは勢力拡大を望む、どの国も侵略されたり不当な圧力を加えられるのは嫌、逆の立場に立ちたい。○「木戸幸一日記(下)」(抜粋)<1941年>◇04.28:松平官長来訪、甘露寺次長を以って御下問の由にて、左の二点につき意見を徴せらる。 1.今回の如く首相も外相も内大臣も病気引篭もりの場合、外交問題等に対し御下問の方法。 2.米国対策其後の経過。◇04.29:本日は天長節なるも、風邪の為め終日臥床静養す。◇05.07:(午後)一時五分より一時二十分迄、拝謁、野村大使へ回訓の件につきお話あり。依って御前を退下の後、松岡外相と電話で連絡し、一時四十五分再び拝謁、ドイツとの連絡を為しつつある現状を言上、二時十五分、御前を退下す。◇05.12:十一時十五分より二十分迄、拝謁、更に十一時半より十二時迄、拝謁す。主として対米問題なり。 十二時十五分、近衛公と電話にて野村大使へ回訓の件につき打合せす。 一時五分より同三十分迄拝謁、近衛首相と連絡の結果を言上す。 三時半、松岡外相参内、本日正午、野村大使に訓令を発したる旨奏上す。面談。└─ 松岡外相は欧州より4月22日に帰朝、「木戸幸一日記(下)」の記述では5月12日までの間に天皇に奏上・陪食すること7回(4月22日、26日、5月3日(2回)、8日、9日、12日)、木戸内大臣が松岡外相に電話で意見を聞きそれを奏上する事も行われている。 この間の近衛首相の拝謁は5月10日の一回で昭和天皇が松岡外相の意見を求める事が圧倒的に多い、外交は昭和天皇・木戸内府・松岡外相で決定されている。○「杉山メモ(上)」(抜粋・概要)◇05.03:「連絡懇談会 対米国交調整の件」・松岡外相の所見 米国との中立条約の締結打診し其の反響を見たい。 同時に以下を米に伝えたい。 比島の独立維持と日本人の比島に於ける無差別待遇を認める事を提議。 独伊は必勝の確信を有する、英とは和平せず、無条件なら和平することある。 米の参戦は戦いを長引かせるだけ。 米の参戦は世界文明を没落に導く。 三国条約に日本は悪影響を及ぼすことはできない。・外相の意見に就き審議 殆ど全員不同意を唱す。・野村大使提案の諒解案に陸海軍の修正を加えた外務省の修正案を決定。 修正案の概要を米・独・伊に通じ、独伊より意見あらば之を聞く程度の腹組にて話を進める。・シンガポール攻略問題 松岡外相は、シンガポール攻略問題に関し日本が責任を取る様な言質は独に与えていない、独も之を要求していない、独は日本の為に大東亜問題を真剣に考えると今やった方が宜しいと云うのであって独自身の利害は考えて居らない、自分の考えでは今やった方が好いと思う、ソが起つならば独は之を打つとリツベンも云うている、と述べた。 陸相はマレー作戦の為には根拠地として泰・仏印に基地を必要とする旨を述べ参謀総長は其の詳細を説明。 松岡外相は、独はロスを二ヶ月でやっつけると云うて居るシンガポールなど大したことではあるまい。 (注:「ロス」は露助(ろすけ)でロシア人の事と思われる)・松岡外相の発言 之は極秘なるもヒトラーは仏を強国にして独と共に英を打たせる考えを持つている為、独は仏印に関してあまりはっきりした態度を取らぬだろう。・外相の蒋介石に対する観察 和平は欲するも米の承認を経ざれば手が出せんのだろう。・松岡外相の対米国交調整に就いて 支那事変に貢献すること、三国条約に抵触せざること、国際信義を破らざること、を絶対条件とする。└─〓勝手に独断と偏見〓 「連絡懇談会」のメンバーは日米交渉に於ける松岡外相の方針に反対、また松岡外相はシンガポール(英領)への侵攻を主張、対英戦を望んでいる、参謀総長は「独伊が英本土上陸の為北仏にあれ程に基地を造っても尚やらぬ」。 木戸内府は天長節に病欠、次の日は歯の治療に出掛けている、天皇の健康への配慮からか。 「昭和天皇誤導事件(1934年11月16日)」では先導者の一人である本多警部は自決を図ったが一命を取り止めた、国会で政友会の安藤正純(元東京朝日新聞取締役編集局長)が「下級官吏だけを懲戒処分にして、内相はお詫び言上で済ましているのはなにごとであるか」と追求。 先導ミスは自殺・国会で追及する事ではない、特権階級と一般臣民に於ける天皇の扱いの違いが出ている。 「首相も外相も内大臣も病気引篭もりの場合、外交問題等に対し御下問の方法」では天皇も呆れていると思う。
2007.12.16
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1941年4月17日来電の「日米諒解案」は修正され「日本側案」として5月12日にハル国務長官に手交された。○日本側案:松岡修正案(5月12日案)(概要)※日米諒解案の分類NO.->松岡修正案の分類NO.1.->1.日米両国の抱懐する国際観念並に国家観念 両国政府は各国並びに各人種は相拠りて八紘一宇を為し等しく権利を享有し相互の利益は之を平和的方法に依り調節し精神的並びに物質的の福祉を追求し之を自ら擁護すると共に之を破壊せざるべく且つ後進民族の抑圧又は搾取を排除すべき責任を容認すること。2.->2.欧州戦争に対する両国政府の態度 日本国政府は日独伊三国条約に基く軍事的援助義務は同条約第三条に規定せらるる場合に於いて発動せらるるものなること勿論なることを開明す。 米国政府の欧州戦争に対する態度は現在及び将来に亙り専ら自国の福祉と安全とを防衛するの考慮に依りて決せらるべきものなることを開明す。3.->3.支那事変に対する両国政府の関係 米国政府は近衛声明(「善隣友好」「共同防共」「経済提携」)に基いた南京政府と締結された条約及び日満支共同宣言に明示されている原則を了承し且つ日本政府の善隣有効の政策を信頼し直ちに蒋政権に対し和平の勧告を為すべし4.太平洋に於ける海軍兵力及航空兵力並に海運関係->無し5.両国間の通商及金融提携->4.両国間の通商 日米通商関係の正常化。6.->5.南西太平洋方面に於ける両国の経済活動 日本の欲する南西太平洋方面に於ける資源、例えば石油、護謨(ゴム)、錫、ニッケル等の物質の生産及び獲得に関し米国側は之を協力するものとする7.->6.太平洋の政治的安定に関する両国政府の方針 A.日米両国政府は比島をして永久中立を保持せしむること及び同島に於いて日本国民に対し差別待遇を為さざるを条件として其の独立を共同に保障す B.米国に対する日本移民は友好的に考慮せられ他国民と同等無差別の待遇を興へらるべし◇日米会談->無し└─松岡修正案は「日米開戦外交の研究/須藤眞志」より〓勝手に独断と偏見〓 米国は通商・移民で日本を圧迫している、圧迫の理由は日本の東アジアへの軍事力を使った進出に反対、黄色人種に対する人種差別の為だろう。 松岡外相は米国と対等な交渉を望むが、蒋介石政権との関係修復や資源確保は米国頼み、日本側のカードは米国の欧州戦参戦に於ける中立表明ぐらいで、お願い交渉になっている。 「日米諒解案」と全く異なるとは言えない「松岡修正案」の方が明快、「欧州戦争に対する両国政府の態度」を比較すると、◇日米諒解案よりの抜粋 (日本政府の)枢軸同盟に基く軍事上の義務は該同盟締約国ドイツが現に欧州戦争に参入し居らざる国により積極的に攻撃せられたる場合に於いてのみ発動するものなることを声明す。◇松岡修正案よりの抜粋 (日本政府の)日独伊三国条約に基く軍事的援助義務は同条約第三条に規定せらるる場合に於いて発動せらるるものなること勿論なることを開明す。◇日独伊三国条約 第3条 日本国、独逸国及伊太利国は前記の方針に基く努力に付相互に協力すへきことを約す更に締結中何れかの一国か現に欧州戦争又は日支紛争に参入し居らさる一国に依て攻撃せられたるときは三国は有らゆる政治的、経済的及軍事的方法に依り相互に援助すへきことを約す 両案は米国が欧州戦に参戦しなければ日米が戦うことはないを主張、「松岡修正案」の方が変更に応じないの印象が強い。 「日米諒解案」を其のまま日本案として直に米国に提案したとしても、日米交渉が順調に進み新通商条約が締結され、中国問題が解決は困難だったのではないか。 日本は欧州で勝利しているドイツを支持し恩恵を受けている、米国は欧州で拡大するドイツを認めず、欧州大戦前の状態に戻す事を望み、ソ連程には日中戦で疲弊している日本を脅威としていないと推察。 日米関係正常化は、より日本にメリットがあるが親分をドイツから米国に換える必要がある、米国政府は世論に考慮しながら欧州戦への参戦に向かっている。 米国の欧州戦参戦やドイツのソ連侵攻は日本には対岸の火、ドイツの敗北は問題だが欧州の独英米ソの戦いで東アジアに列強の手が回らない間に、日本は東アジアで指導的立場を強化し自立できる体制を構築、欧州戦後の講和に向けて日本が指導する東アジアの実績を積もうとしている。 「民主主義の兵器庫」と主張する米国政府、米国国民は欧州戦の参戦を望んでいない。
2007.12.12
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○「杉山メモ(上)」(抜粋・概要)◇1941年4月22日:「連絡懇談会」に於ける松岡外相帰朝報告、対米国交調整1.対米問題 2週間か1・2ヶ月位慎重に考えなければならない。2.対独伊首脳部会談 責任を負わされる事は一切話して来ない。 南方問題は日本自身で処理すべきものと述べた。 ドイツは南方問題をしきりと話したが、イタリアは南方の話に一切ふれず我等の敵はソ連なりと云うて居る。3.日ソ中立条約締結経緯 ソ連が何故条約を結んだか其の真意は分らぬ。4.独ソ関係に就いて リツベンはドイツが独ソ不可侵条約を結んだのは已むに已まれぬ事情に依るものであって、ドイツとしては何とかしてソ連をやっつけたいと思ふ、今なら3・4ヶ月間でやっつけられる、やっつけた結果はソ連は四分五裂すると思う。 又日本がシンガポール攻略をやるとしても北方は後顧の憂はない。 リツベンは英本土攻撃については、はっきり答えられぬと回答せず。 リツベンは日ソ条約については賛成の意を表するが条約は出来ないと思っていたらしい。5.伊太利の情況 イタリアはドイツに押さえられている。・松岡外相退出後 対米問題は早く話を進めるを可とするが大部を占める。 松岡外相は大橋次官に対して対米交渉はドイツの諒解を取り付ける必要があるを述べている。└─○「木戸幸一日記(下)」(抜粋・概要)<1941年>◇04.18:近衛首相より差し向けられた大橋外務次官の話、大島駐独大使より10日のドイツ外相との会談の際に若しソ連がドイツに対して態度に面白くないものがある場合は、近くソ連に攻勢にに出るかもしれない、との事。◇04.18:外務省よりの電報写到着、野村駐米大使よりルーズベルト大統領と極秘裏に会談の結果到達した両国了承案に関する請訓。◇04.21:昭和天皇は木戸内府に「米国大統領があれ迄突込みたる話を為したるは寧ろ以外とも云ふべきだが、こう云ふ風になって来たのも考え様によれば我国が独伊と同盟を結んだじからとも云へる、総ては忍耐だね、我慢だね」└─ 1941年4月に於いて、日本はソ連がドイツへ侵攻する事を知っており、また「ハル回顧録」では米国もソ連も確率の高い情報として認識していたと思われる。 松岡外相も「日ソ中立条約」調印の前のドイツ訪問で既に知っていたが、「日ソ中立条約」を締結する。◇「日ソ中立条約/Wikipedia)によれば(抜粋) 当初、ソ連は応じなかったものの、ドイツの対ソ侵攻計画を予見したことから提案を受諾し、1941年4月13日調印した。同年11月には、ソ連は極東に配備していた部隊を西部へ移送し、同年12月のモスクワ防衛戦に投入した。 ドイツ軍は、ソ連軍の反撃により、モスクワ前面で100マイル近く押し戻され、1941年中にソ連を崩壊させることを狙ったバルバロッサ作戦は、失敗に終わった。───〓勝手に独断と偏見〓 野村駐米大使が極秘裏の米国大統領との会談結果として「日米諒解案」を送ってきた(「ハル回顧録」での印象と異なる)、昭和天皇は米国から「日米諒解案」を引き出した事は「三国同盟」が影響を与えているの考え。 当時の昭和天皇は「三国同盟」に反対ではなく、ドイツが英国とソ連に勝利すると講和会議で日本は有利な地位と利権を手に入れる事が可能の目論見があり、欧州戦が終わるまでに日本の勢力範囲を広げておこうの考えと思う。 「昭和天皇独白録」では 「松岡は二月の末に独逸に向ひ四月に帰つて来たが、それからは別人の様に独逸びいきになつた。恐らくは「ヒトラー」に買収でもされたのではないかと思われる。」 「松岡のやる事は不可解の事が多いが彼の性格を飲み込めば了解がつく。彼は他人の立てた計画には常に反対する、又条約などは破棄しても別段苦にしない、特別な性格をもっている。」 「松岡は日米交渉を挫折させた上に更にソ連との中立条約で独逸をも憤慨させた。」 の記述がある。 松岡外相は日米交渉をドイツに諒承を求めることを主張、独ソ戦が始まる可能性大を知りながら日ソ中立条約を結んだが中立を守る気はない、「ヒトラーに買収された」以外は当たっていると思うが、松岡外相以外も五十歩百歩。 日本の首脳部は「三国同盟」を軸に国家運営を行うが、帰国後の松岡外相に対してはドイツに擦り寄りすぎの感を持っている。 米国はドイツの勝利を望まず、武器貸与法等により欧州戦に戦闘行為以外で参戦、米国はドイツの勝利を望んでいる日本に好意的ではない。
2007.12.09
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「日米諒解案」は日米の外務省・国務省ではなく岩畔豪雄(陸軍大佐)・井川忠雄・ドラウト神父などが作成、日本が受け入れやすい内容になった、しかし「日米諒解案」を日本案として米国に送っても米国が承認するとは限らない。○「開戦前夜/児島襄」よりの抜粋・概要 米国人のウォルシュ司教とドラウト神父は1940年12月5日に松岡洋右外相の私邸を訪問、松岡外相は二人に以下の内容を述べた。─── 米国と平和条約を結びたい。 その平和条約で、日本は「日独伊三国同盟からの脱退」「支那大陸からの日本軍撤退と領土保全」を約束、米国は「通商協定の締結と石油その他の物資供給を保障する」事にしたい。 満州を支那の一部とは考えていない。─── 大橋次官は松岡外相から聞いた限りでは「三国同盟からの脱落や支那撤兵は、そうでもすれば米国は満足するかもしれぬが米国側の一方的見方」と述べている。 また、駐米大使として米国に赴く野村吉三郎(海軍大将・外務大臣/阿部信行内閣)に対する訓令は、 「我国策を相当思ひ切つて変更するに非ざれば、米と了解を付け、以て太平洋上の和平を確保し進んで世界平和克服の為提携策動する事、所詮不可能也。」 で始まるが、「日独伊三国同盟は遵守」「日本には侵略の意思はないのだから米国も大東亜共栄権に協力すべき」が続く。 「右諸点、米大統領、国務長官始め米国朝野有力者に徹底を記せられ度」 野村大使が矛盾を質問しようとすると、松岡外相に補足は必要ないとして部屋を出て行った。 駐日米国大使ジョセフ・グルーの回想録(1940年11月8日)では、 「松岡は再三私に、彼自身こそ駐米大使として理想的だが、東京を離れるわけにはいかないのだといった。」 が記されている。└── 松岡外相は欧州各国を訪問し、ソ連では日ソ中立条約に調印し帰国するが、日本で待っていた「日米諒解案」は松岡外交とは関係ない所で作成されていた。 「日米諒解案」に否定的な松岡外相、独白録では其の辺りの不満が述べられている。○「昭和天皇独白録」に於いて(抜粋)◇南仏印進駐 一体松岡のやる事は不可解の事が多いいが彼の性格を飲み込めば了解がつく。彼は他人の立てた計画には常に反対する、又条約などは破棄しても別段苦にしない、特別な性格をもっている。◇日米交渉 日米交渉は三国同盟成立の頃から非公式に話が始まつたのでカトリック僧と岩畔大佐(豪雄・軍事課長)等の人物のことは聞いてはいるが、それ以上の事は知つていない、最初は非常に好調に進んだが大切な時に松岡が反対したので駄目になつた。 日米交渉が纏まりうる機会は前後三回あった。 第一回は十六年四月、野村大使の案に基いて米国から申し出たときである、先方の条件は日本に採り大変好都合のもので陸軍も海軍も近衛も賛成だったが、松岡只一人自分の立てた案でなものだから、反対して折角のものを挫折せしめた。└──〓勝手に独断と偏見〓 「日米諒解案」は日本側に送られる前に、米国側で検証され、日本案として出すことにハル国務長官は合意している。 そして、1941年4月17日に野村吉三郎(駐米大使)により近衛文麿(外務大臣臨時代理)に電報で送られた。 1941年3月11日に武器貸与法(連合国への軍事援助に関するアメリカ合衆国の法律で、第二次世界大戦中に米国は総額約500億ドルの物資やサービスを連合国に提供した、当初は英国に対して)が可決され、4月28日には日ソ中立条約が公布(調印は4月13日)されている。 米国は中立法の改正と武器貸与法により殆んど欧州戦争に参加している状態、「日米諒解案」の「日本政府は枢軸同盟に基く軍事上の義務は同盟締約国が欧州戦争に参加していない国により積極的に攻撃された場合に於いてのみ発動する。」は其の辺りを考慮したと思える。 米国側は米国の欧州参戦に日本が口出しする事ではないのスタンスだが、大西洋と太平洋の両面作戦は避けたい、だが「満州国の承認」「欧州戦争への不参加」などを承認する気はなかったと思える、日本にプレッシャーを与え米国の下に付くか米国と戦うかの選択を求めていたのだろう。 日米交渉が始まった時点ではドイツは欧州で成功しており、ソ連は連合国側ではない、しかし米・日では「ドイツのソ連侵攻」の可能性が高い事が認識されている。 独ソ戦の趨勢と米国の欧州戦参戦に対する判断と対応が欧州戦後の国の立場に大きく反映する、この時期の松岡外相はドイツに踊らされていたの感を持つ。
2007.12.05
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日米関係改善の為の政府間交渉は「日米諒解案(4月17日来電)」から始まる。 「日米諒解案」は「独白録」では米国諒解の認識、「ハル回顧録」では日本側の提案として始めると主張。◇「昭和天皇独白録」の「日米交渉」より 野村大使の案に基いて米国から申し出たときである、先方の条件は日本に採り大変好都合のもので陸軍も海軍も近衛も賛成だった。◇「ハル回顧録」1941年4月14日(16日)に、ハル国務長官は野村大使に対し (ハル四原則)を受け入れた上で、先に日米間で作った非公式の提案を日本政府に送り、日本政府がこれを承認してわれわれに提案すれば、われわれの交渉開始の基礎が出来ることになろう。○ハル四原則1.すべての国の領土と主権を尊重すること2.他国の内政に干渉しないという原則を守ること3.通商の平等をふくめて平等の原則を守ること4.平和的手段によって変更される場合をのぞき、太平洋の現状を維持すること└─「ハル回顧録」より 「ハル四原則」は往電277(野村大使->松岡外相:5月9日着信)に「日米諒解案」の前提である事が記されている、 「ハル四原則」に従えば、「不平等条約の撤廃」「他国に対する既得権益の放棄」が進む、連合国側はアジアに於ける米英仏蘭の勢力圏変更を望まない。◇Wikipediaによるフィリピン 1899年のパリ条約によりアメリカの統治および植民地化が始まる。アメリカによる植民地化にフィリピンは猛烈に抵抗したが、米比戦争で60万人のフィリピン人が無残に虐殺され、抵抗が鎮圧される。その後フィリピン議会議員M・ケソンの尽力で、米国議会は1916年ジョーンズ法でフィリピンに自治を認めた。1934年米国議会はタイディングス・マクダフィー法で十年後の完全独立を認め、フィリピン議会もこれを承諾しフィリピン自治領に移行した。 現人神が統治する帝国日本は新秩序を望む、日本を含む列国が「全ての植民地の解放」「人種・宗教による差別の撤廃」「人類の平等」を望んでいたか?○日米諒解案(概要)1.日米両国の抱懐する国際観念並に国家観念 両国政府は各国並びに各人種は相拠りて八紘一宇を為し等しく享有し相互に利益は之を平和的方法に依り調整し精神的並びに物質的の福祉を追求し之を自ら擁護すると共に之を破壊せざるべき責任を容認する。2.欧州戦争に対する両国政府の態度 日本政府は枢軸同盟に基く軍事上の義務は同盟締約国が欧州戦争に参加していない国により積極的に攻撃された場合に於いてのみ発動する。 米国政府は欧州戦争に於いて片方に加担することなく、欧州戦争に対する態度は自国の福祉と安全とを防衛するの考慮に依りてのみ決する。3.支那事変に対する両国政府の関係 米国大統領が下記の条件を容認し且つ日本政府が之を保証したときは米国大統領は蒋介石政権に和平の勧告をなす。 A.支那の独立 B.日支間に成立すへき協定に基く日本国軍隊の支那領土撤退 C.支那領土の非併合 D.非賠償 E.門戸開放方針の復活但し之が解釈及適用に関しては将来適当の時期に日米両国間に於て協議せらるべきものとす F.蒋政権と汪政府との合流 G.支那領土への日本の大量的又は集団的移民の自制 H.満州国の承認4.太平洋に於ける海軍兵力及航空兵力並に海運関係5.両国間の通商及金融提携 日米通商関係の正常化。 米国は日本にクレジットを供給する。6.南西太平洋方面に於ける両国の経済活動 日本の南西太平洋方面に於ける資源(石油・ニッケルなど)の生産・獲得に関して米国の協力・支援を得る。7.太平洋の政治的安定に関する両国政府の方針 A.欧州諸国が東アジア・南西太平洋に於いて領土の割譲・併合を行う事を、日米は容認しない。 B.日米両国はフィリピンの独立を保障し第三国より攻撃を受けた場合の救援を考慮する。 C.米国・南西太平洋に対する日本移民は他国民と同等無差別の待遇を与える。◇日米会談└─「杉山メモ(上)」より〓勝手に独断と偏見〓 「日米諒解案」では、日本は三国同盟を守り、欧州戦争に米国が積極的に参戦しない限り日本は参戦しない、「欧米と中国の満州国承認」「中国に於ける有利な地位の確立による戦争終了」「南の資源確保」「日米通商関係の正常化」を日本は求める。 当時の米国の意図はドイツ寄りのソ連と日本を米英側か中立にする事、米英の最大の敵はドイツ、ソ連と日本は米英とドイツから選択を迫られ、日本はドイツとの関係を利用し勢力拡大を望む。※「往電277」は「アジア歴史資料センター」の「日、米外交関係雑纂/太平洋ノ平和並東亜問題ニ関スル日米交渉関係(近衛首相「メッセージ」ヲ含ム) 第一巻 06 昭和16年4月23日から昭和16年5月10日」を参照
2007.12.02
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