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○松岡外相の訪欧に於いてのガイドラインが「杉山メモ(上)」に記されている。◇「対独・伊・蘇交渉案要綱」(1941年02月03日 連絡会議決定)(概要)1.ソ連に「リッペントロップ」腹案を受諾させ、英国打倒など独伊の政策に同調させる、日ソ国交の調整を行う2.日ソ国交調整条件(1)ドイツの仲介に依り北樺太を売却する ソ連が不同意の場合は北樺太利権を有償放棄する代わりに、5年間250万トンの石油供給を約束させる 必要ならば、北樺太に於ける原油増産の援助を行う(2)日本はソ連の新彊(東トルキスタン)・外蒙(外蒙古)に於ける地位を了承、ソ連は日本の北支・蒙彊(もうきょう)に於ける地位を了承、新彊・外蒙古とソ連との関係はソ連と支那間で取り決める(3)ソ連は援蒋行為を放棄する(4)満州・ソ連・外蒙古間に国境設定及び紛争処理委員会を設置する(5)漁業交渉は建川提案(委員会案)により妥結に導く、漁業権は日ソの国交調整上必要なら放棄可(6)日独通商による多量の貨物輸送が必要となる、運賃の割引を約束させる3.日本は大東亜共栄圏地帯に対して政治的指導者の地位を占め、秩序維持の責任を負う 大東亜共栄圏地帯に於いて住民は独立を維持、或は独立を原則とする、英・仏・蘭・葡などの属領地方に於いて独立の能力のない民族は自治を許与、日本は統治指導責任を持つ 経済的には国防資源は優先的地位を、その他は門戸解放機会均等主義を適用4.世界を大東亜圏・欧州圏(アフリカを含む)・米州圏・ソ連圏(インド・イランを含む)の4大圏とする、英国には豪州・ニュージーランドを残す、日本は戦後の講和会議に於いて実現させる事を主張5.日本は米国の参戦を不可能にする趣旨での行動施策をドイツ当局との間に諒解する6.独伊はソ連を牽制し、ソ連が日満両国を攻撃する場合は独伊は直ちにソ連を攻撃する7.日本が欧州戦争に参加する場合、独伊等味方諸国間に単独不講和協定を締結する8.支那全面和平の促進に就いてはドイツと懇談する9.松岡外相は渡欧の上、ドイツ・イタリア・ソ連各国政府と交渉し要綱の貫徹、必要であれば条約を締結する。◇「リッペントロップ」腹案内容(概要)1.ソ連は戦争防止・平和の迅速回復の意味に於いて三国条約の趣旨に同調を表明2.ソ連は日独伊の欧州・アジアでの指導的立場を尊重、日独伊はソ連の領土を尊重3.日独伊ソは其々の敵とする国家を援助しない、また、それらの国家群に加わらない 日独伊ソは将来の勢力範囲として、日本は南洋、ソ連はイラン・インド方面、ドイツは中央アフリカ、イタリアは北アフリカ を容認する旨の密約を了解する。└─○木戸日記(1940年9月19日~)(抜粋の概要)<1940年> 09.19:天皇は重大なる決断を為すときであるので、両総長の宮(この時期、参謀総長と軍令部総長は皇族だった)の交送を願う、陸軍は同意、海軍は反対。 09.26:仏印への平和進駐すべきを西村琢磨部隊は敵前上陸を敢行し、且つ海防を空爆した。 12.03:木戸の言上:ソ連は世界で最も恵まれた環境にある、日ソの交渉には容易に希望する返事をしないだろう、この大戦の後にはソ連と米国のみが無傷で他の列国は疲弊するだろう。<1941年> 01.18:天皇よりのお話、杉山参謀総長は漢口よりの撤退は戦争を有利に解決する事は困難、将来の平和会議では東洋方面では枢軸国が負けた印象を与える、天皇は総長の意見は尤もと思うが財政上の見地より我国が堪えれるか政府として充分研究準備がの要あり、首相に案を見せるつもり。└─〓勝手に独断と偏見〓 「世界を大東亜圏・欧州圏(アフリカを含む)・米州圏・ソ連圏(インド・イランを含む)の4大圏とする、英国には豪州・ニュージーランドを残す、日本は戦後の講和会議に於いて実現させる事を主張」 「漢口よりの撤退は戦争を有利に解決する事は困難、将来の平和会議では東洋方面では枢軸国が負けた印象を与える」 日本は講和後の事を考えて、ソ連と中立条約を締結し南進を望む、ドイツの勝利で終わる予定の欧州戦争後の講和会議で多くの利権を得ようとしている。 心配は「(対中国戦に対して)財政上の見地より我国が堪えれるか政府として充分研究準備がの要あり」、食料と資源確保が重要課題。 この時点では日本から米英と戦う事に積極的ではない。 米国が欧州戦に本格参戦しドイツが敗北すれば元も子もない、日本に求められているのはドイツの負担を軽減する事。
2007.11.28
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「点と線」は11月24日・25日の21時から二回に分けて放送された、完全には見れなかったが、北野武氏が素晴らしかった。 演技がと言うより、登場人物の鳥飼重太郎刑事/北野武が素晴らしい、演技以上の何かがあるように思えた。 周りの演技者も北野武氏に引っ張られて演技を超える表現を目指していたと思う、北野氏の鳥飼重太郎刑事を見ていると、演技が巧いの考えが、つまらなく思える、北野氏の鳥飼重太郎刑事は感動ではなく私の拙い説明できない何かを表現して私に伝えてくれた。 松本氏は鳥飼重太郎刑事にどの程度自分を投影していたのか。○Wikipediaによる松本清張(1909年12月21日-1992年8月4日)(抜粋) 福岡県企救郡板櫃村(現在の北九州市小倉北区)生れ。 生家が貧しかったために高等小学校卒業後、給士、版工などの職につく。1950年、朝日新聞社勤務中に書いた処女作「西郷札」が『週刊朝日』の「百万人の小説」に入選し、1953年に「或る『小倉日記』伝」が第28回芥川賞を受賞。以後作家活動に専念する。└─── 松本氏は恵まれた生活を送っていたのではないが、この時代の日本人としては一般的なのかは判らない。○松本氏は「半生の記」で自身の過去について述べている。(以下は一部分の概要) 松本氏は1929年に八幡署の警察(特高:特別高等警察)に引っ張られ、家は家宅捜査、警察での拷問は竹刀で行われ、「仲間の名前を言え」と言われる。 十数日後釈放、釈放後も刑事は松本氏の家を訪れ、松本氏の父はただ酒を振舞った。 また、松本氏は容疑が薄いと見られていた為、「逆さづり」や「煙草責め」はなかったと記している。└─── 「昭和天皇独白録」では、東條内閣が低調となった原因の一つとして、「余餘りに憲兵を用ひ過ぎて、国民の感情を害した事」と記されている。 (此処で言う「国民」は一般庶民ではなく、主に一部の知識人を指している様に思う。)
2007.11.26
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「杉山メモ」では「連絡懇談会」「御前会議」「天皇との下問・奉答・説明」が記されている。○「杉山メモ(上)」(抜粋・概要)<1940年>◇11.13:御前会議、「支那事変処理要綱」が決定された。◇11.28:「第一回連絡懇談会」が開催された。◇11.30:天皇が杉山参謀総長に対して、「重慶迄行けぬか、行けぬとせはどうするか、占領地域は先日の御前会議の通りて動かぬか、南方問題は慎重に考えよ、南方作戦計画は出来たか」 12.27:「連絡懇談会」にての松岡外相発言「シンガポール攻略時期は英国敗れたる時、米国参戦の時、ドイツ敗れんとする時」<1941年>◇01.23:「連絡懇談会」、仏印との「コメ」交渉、仏印との交渉で取得量要求通り(価格1号が一屯112円、2号は117円)◇01.23:日泰軍事協定に関し陸海両総長より上奏の際 御下問 天皇:秘密は保てるか 海総長:秘密は保ちがたいが、秘密扱いとする。 天皇:外務大臣は「日泰軍事協定」は反対だと云うが話はついているか 陸総長:話はついている、松岡は「シンガポール共同攻略」について問題とし、今回の「日泰軍事協定」はそこまでの話ではない。 天皇:一応考えるから、置いておけ。 陸総長:外務大臣と更に話します。◇01.30:対仏印・泰施策要綱(1月30日、大本営政府連絡会議決定)(概要) 第一:目的 大日本帝国の自存自衛の為に仏印・泰に対して軍事・政治・経済に亘り、緊密不離の結合を設定する。 第二:方針 1.目的の為、威圧を加え、止むを得ない場合は仏印に対し武力を行使する。 2.英米の策謀を廃して、敏速に強行する(目的達成を外交上2月か3月を目標とする) 第三:要綱 1.調停を契機として、仏印・泰に於ける指導的地位を確立する 2.速やかに、「日・泰協定」を締結する、フランスには経済交渉の即決と仏印との軍事的協定の締結、政治的・軍事的要求 イ)フランスに仏印に第三国との政治的・軍事的協力の排除 ロ)仏印特定地区に於ける航空基地・湾岸施設等の設置と使用 ハ)帝国軍隊の居住と行動に対する特別な便宜 3.政・戦両用の作戦準備と武力行使の時期を見逃さないようにする。 4.交渉中に威圧を増大させていく、仏印が武力で抵抗すれば武力で対応 5.フランスが紛争解決に応じない場合仏印に対し武力行使を予定する、協定締結を拒否した場合の武力行使は情勢により決定、武力行使後も治安維持・政治経済は仏印当局にさせる 6.泰が要求を拒否する場合は、協定の変更・威圧により容認させ、英米に付かない様にさせる 7.英米を対象として無用な摩擦を起さないようにする◇02.01:対仏印・泰施策要綱上奏の際御下問(概要) 天皇:与論指導に於いて英米を刺激せずと云うが如何なる方法があるか 総理:現在迄充分注意しており、今の所一般に荒々しい気分はありません、今後一層注意指導します。 天皇:海軍は威圧行動の為、幾何の兵力を使用するか 海総:(現在の艦隊の配置を説明)、高雄に在る兵力を要すれば連合艦隊の一部、若しくは主力を派遣する、成るべく武力行使せずに目的を達成します 天皇:陸軍は如何 陸総:海軍と同様 天皇:航空基地湾岸施設の具体的案は如何 海総:湾岸施設は「カムラン」湾をさす、航空基地に関しては未確定 天皇:陸軍の航空基地は如何 陸総:「サイゴン」「プノムペン」附近を予定、将来の作戦を考慮、「ツ-ラン」「ナツラン」にも必要、馬来に対する上陸作戦の為必要 天皇:「シャム」(泰)に対して飛行場を要求するか 海総:南部泰にはサイゴン附近と同様必要 陸総:「サイゴン」附近は特に必要、南部泰にはあまり考えていない (原文註)参謀総長の南部泰に飛行場不要の件は事実相違、研究・処理を要す└─〓勝手に独断と偏見〓 「大日本帝国の自存自衛の為に仏印・泰に対して軍事・政治・経済に亘り、緊密不離の結合を設定する。」 南部仏印と泰への進駐準備が始まる、フランス政権はドイツ下にあり英国はドイツと戦争中、日本の首脳部は仏印・泰への影響力拡大にを軍事力を使う。 昭和天皇は進駐に際しては不必要な武力行使を避けたい考え、しかし南進は既定路線、問題は英米を刺激しない南進の実現。 この時期は泰と仏印間の国交調整を松岡外相が主となって行なっている、松岡外相は欧州ではドイツ・イタリア・ソ連を歴訪、モスクワで「日ソ中立条約」を締結させて帰国、「日米諒解案」で歯車が狂い始める。
2007.11.23
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日米関係改善の政府間交渉に向う日本の指導部の様子を「木戸幸一日記(下)」「杉山メモ(上)」から探ってみたいが、其の前に簡単に帝国政府と統帥部について調べる。○当時の大日本帝国の指導部 天皇の下には帝国政府(首相・外務大臣・陸軍大臣・海軍大臣・大蔵大臣など)、統帥部(陸軍(参謀総長)・海軍(軍令部総長))、枢密院(枢密院議長)、宮内省(宮内大臣)、内大臣府(内大臣)、侍従(侍従長)、侍従武官(侍従武官長)がある。◇輔弼(Wikipediaよりの抜粋) 輔弼は、大日本帝国憲法の観念で、天皇の行為としてなされ、あるいは、なされざるべきことについて進言し、その全責任を負うこと。 国務上の輔弼は国務大臣が、宮務上の輔弼は宮内大臣と内大臣が、統帥上の輔弼は参謀総長と軍令部総長が就いていた。───◇枢密院(Wikipediaよりの抜粋) 日本の枢密院は、大日本帝国憲法下における天皇の最高諮問機関であった。略称は枢府。種々の問題が大日本帝国憲法を遵守しているか否かを審議したことから、「憲法の番人」と呼ばれた。───◇統帥権(Wikipediaよりの抜粋) 大日本帝国憲法第11条が定めていた天皇大権のひとつである陸軍や海軍への統帥の権能を指す。 明治憲法下で天皇の権能は、特に規定がなければ国務大臣が補弼することとなっていた。 併しそれは憲法に明記されておらず、また、慣習的に軍令(作戦・用兵に関する統帥事務)については、国務大臣ではなく、統帥部(陸軍:参謀総長。海軍:軍令部総長)が補弼することとなっていた。───◇「連絡懇談会設置の趣意」による「連絡懇談会」(概要) 毎週木曜日に首相官邸に於いて行う政府と統帥部との連絡・懇談会、この会議で決定した事項は閣議決定以上の効力を有し、戦争指導上の国策として強力に施策する。 本連絡懇談会の決定事項を直ちに政府・総帥部が上奏するかは其の都度決定する。 重要国策は御前会議(御前に於ける本連絡懇談会)にて決定する。 本連絡懇談会の設置は侍従武官府を通じ宮中に申し上げた。───(杉山メモ(上)より) 「連絡懇談会」の出席者は首相・外務大臣・陸軍大臣・海軍大臣・参謀総長・参謀次長・軍令部総長・軍令部次長がベースになる。 「御前会議」の出席者は「連絡懇談会」の出席者に天皇と枢密院議長を加え、政府・統帥部が説明し枢密院議長が質問する形を取る、出席者は他の国務大臣などが加わる場合もある。 「連絡懇談会」は小磯内閣には「最高戦争指導会議」という名前に変わり、鈴木内閣では「最高戦争指導会議の構成員会議」が首相・外務大臣・陸軍大臣・海軍大臣・参謀総長・軍令部総長のみ(幹事も加わらない)で行われた。〓勝手に独断と偏見〓 木戸幸一(侯爵)は内大臣(1940年6月1日~1945年11月24日)として昭和天皇の輔弼を行う、昭和天皇と木戸は一体となり日本の針路・人事を決定していく。 昭和天皇は政府や統帥部による奏上や「御前会議」の前に、各担当よりの説明・下問・奉答により事態を把握し何らかの決断をしていたと思われる。 政府・統帥部の「連絡懇談会」は天皇の下に於ける最高決定機関だが、政府・陸軍・海軍が情報を共有しているのではなく、其々が直接天皇と繋がっている、特に軍部は機密上の問題の為か政府に情報を出したがらない、決定後は「閣議決定」や「大陸命」「大海令」により具体化された。○「連絡懇談会」の主要メンバー(首相・外相・陸相・海相・参謀総長・軍令部総長)の変遷(Wikipediaより) 首相:近衞文麿(1940年7月22日~1941年7月18日)、近衞文麿(1941年7月18日~1941年10月18日)、東條英機(1941年10月18日~1944年7月22日) 外相:松岡洋右(1940年7月22日~)、豐田貞次郎(1941年7月18日~)、東郷茂徳(1941年10月18日~)、東條英機(1942年9月1日~) 陸相:東条英機(1940年7月22日~1944年7月22日) 海相:及川古志郎(1940年9月5日~1941年10月18日)、嶋田繁太郎(1941年10月18日~1944年7月17日) 参謀総長:閑院宮載仁親王(1931年12月23日~1940年10月3日)、杉山元(1940年10月3日~1944年2月21日) 軍令部総長:伏見宮博恭王(1932年2月2日~)、永野修身(1941年4月9日~)、嶋田繁太郎(1944年2月21日~)
2007.11.21
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日米の政府間交渉は1941年4月から始まり、通商・中国問題・仏印問題・三国同盟について話し合われる。○主な交渉案◇近衛内閣:外相は松岡、豊田(7月17日~) 日米両国諒解案(4月17日案) 日側:松岡修正案(5月12日案) 米側:6月21日案◇東條内閣:外相は東郷 日側:乙案(11月20日案) 米側:ハル・ノート(11月26日案)○この期間の主な出来事(1941年)04.28:日ソ中立条約の公布(調印は4月13日)06.22:独ソ開戦07.17:第三次近衛内閣成立、外相が松岡から豊田貞次郎海軍大将へ07.29:仏印共同防衛に関する日仏間議定書調印08.01:米国は対日石油輸出を全面禁止08.14:英米共同宣言(大西洋憲章)09.06:御前会議、帝国国策遂行要領決定(期限付き対米交渉、対米英戦決意)==>10月23日に白紙還元10.08:ポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所が設立される10.15:尾崎秀美検挙(ゾルゲ・スパイ事件)、18日ゾルゲ検挙10.18:東条英機内閣発足10.30:米国駆逐艦ルーベン・ジェイムズ号(英国船の護衛任務)をUボートが沈没させた11.05:御前会議、帝国国策遂行要領を決定、交渉期限を11月末と決め、武力発動の時期を十二月初頭と定めた11.26:ハルノートが渡される(米国時間)、日本へは27日午後12.01:御前会議、日米開戦が決定される12.08:日本軍は英・米と交戦状態に突入(マレー、シンガポール、真珠湾、フィリピン)、陸軍が英領マレー半島のコタバルに上陸、連合艦隊がハワイの真珠湾を奇襲攻撃太平洋戦争突入○「ハル回顧録」による日米交渉の概要(1941年)01.27:在日ペルー公使が在日米国大使グルーに日米間に事が起こった場合「日本は真珠湾を奇襲する為の準備をしている」の情報を伝える02.12:野村大使は始めてハルを訪ねる03.08:カートン・ホテルのハルの部屋で野村との第一回目の「日米交渉」の会談が行われる04.09:ウォルシュ神父、ドロート教父、ウォーカー郵政長官、野村大使等による非公式の話し合いが纏まり草案が作成される。 ハル国務長官はその草案を受け取り、極東問題の専門家と3日間検討する。 ハル長官はこの草案を日米間で作った『日米間の問題解決のための非公式提案(4月9日)』と認識する。 ハル長官は2日後『ハル提案の4つの基本原則』を野村大使に渡し、『日米間の問題解決のための非公式提案(4月9日)』と『ハル提案の4つの基本原則』を日本政府が承認し提案すれば交渉開始の基礎になると述べた。 野村大使は東京に報告し日本からの回答を待つ。05.07:野村大使はハル長官に『日米不可侵条約』を提案、ハル長官は拒否 松岡からの電報の手交を拒否(野村より、良くない事が書いてあると言われた為)05.12:日本よりの公式提案がハル長官に渡される、『口頭による説明』なる文書とセットとして提案された06.22:ドイツのソ連進入の知らせを受ける、半年前から有力な情報を握っていた、また情報を3月20日に在米ソ連大使ウマンスキーに伝えた。07.21:日本は南仏印占領、ハル「我々の交渉は終わった、これから後日本に対するわれわれの主な目的は国防の準備のために時間をかせぐ事。」11.03:前駐独大使の来栖をワシントンに派遣を決定11.05:交渉の期限を11月25日とする。(東郷->野村の電報傍受)11.07:米国定例閣議、日本軍からの攻撃大の認識を閣僚は共有する。11.16:交渉の期限を11月25日とする、再確認。(東郷->野村の電報傍受)11.20:野村・来栖は日本案(乙案:最終案)をハルに渡す11.21:米側は21,22日で暫定協定案の作成(使われなかった)11.22:期限を11月25日から11月29日へ、ただし文章交換・英蘭との諒解がつく場合(東京->野村の電報傍受)11.24:11月29日の期限は東京時間(東郷->野村の電報傍受)11.26:ハルより野村・来栖に提案(ハル・ノート)が渡される12.05:ハルは極東各地の外交代表に訓令を出し、国務省との連絡が途切れた際の対処を指示12.07:午前中にハルは、東郷外相から野村・来栖への傍受電報(14部)を受け取る。12.07:ワシントン時間14時20分、野村・来栖大使はハル国務長官に対米通牒を渡す、野村は13時に渡す訓令があったが解読に手間取り遅れた事を述べる。
2007.11.18
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毎日新聞(HP:2007年11月15日)の記事「守屋前次官:【詳報】参院証人喚問(1~7)」では、参議院の外交防衛委員会に於ける11月15日の守屋武昌氏(防衛省前次官)の詳報を伝えている。○「守屋前次官:【詳報】参院証人喚問(1~7)」/毎日新聞(2007年11月15日)よりの抜粋◇犬塚直史氏(民主): 今回の山田洋行、日本ミライズ、守屋証人が深く関わってこられたこの会社、11年間で200回以上ゴルフをともにされたというこの会社の今回の水増し請求に関わる取り引き総額、1回の総額で1000億円と言われている。 あるいは守屋証人が深く関わったといわれている沖縄の日米行動委員会(SACO)予算、これが3兆円、あるいはミサイル防衛に至っては市場規模が10兆円といわれている。◇浅尾慶一郎氏(民主): 参院予算委員会で、守屋さんが次官だったときに、沖縄の海兵隊がグアムに移転するということで、日本国がグアムに海兵隊の家族住宅3500戸を建てるということが決まりました。 問題は、建てる価格が、わが国が建てる場合は同じグアムで米軍が造る場合の価格の4倍だと。 午前中の委員会の質疑の中で山田洋行の米津現社長は、調査の最中にグアムに行って業者説明会に参加していたということだ。守屋さんはグアムの価格が高いという議論があったことは承知していたでしょうか。 守屋:私の記憶にはございません。 浅尾:3000億円ぐらいの税金を使うことですから、それが4分の1になるということですから750億円だということですから、残念だと指摘したい。覚えておいてもらいたい。 守屋:アメリカとの移転交渉のことについて、アメリカはタフネゴシエーターで言い値は高いものを言って参りますから、その言い値ではやらないということが私たちの主張。◇浜田昌良氏(公明): 先日、国会の要求により防衛省から提出された資料によると、守屋証人が官房長時代を含む平成12年から18年という7年間だけで防衛関連企業に退職後2年以内に天下りした人数は、一定クラス以上だけでも609人、企業数は241社となっている。 企業別に見ても、某重工業企業には38名、某電機会社には27名と相当な人数が行っている。◇山内徳信氏(社民): 一方の手に1000億円市場のCXエンジン、他方の手に1兆円のグアム移転の利権を持ち宮崎社長と大手ゼネコンや重機メーカーを回っていたのではないか。次に沖縄基地問題。辺野古のV字型新基地建設について、アセス報告は事務次官の決裁後に那覇防衛施設局長に回って現場で実施されたということでよろしいか。 守屋:大臣決裁を経て、アセス報告書を沖縄県と名護市、関連市町村に届けた。8月上旬に行った。 山内:大臣決済についてはペンタゴン(米国防総省)顧問弁護士からも問題点の指摘がある。あなたは名護市をはじめ何度も沖縄に出入りした。沖縄の業者は守屋派、反守屋派があるといわれている。└─○山田洋行と日本ミライズの対立 山田洋行:米津佳彦(山田洋行社長)、久間章生(元防衛相) 日本ミライズ:宮崎元伸(日本ミライズ社長、山田洋行元専務)、守屋武昌(防衛省前次官)◇GEと山田洋行と日本ミライズ(Wikipediaよりの抜粋) 山田洋行から日本ミライズに転籍した社員の中に、防衛省が開発中の次期輸送機用エンジンの担当者がいたことから、エンジンメーカーのGE・アビエーションは、山田洋行との販売代理店契約の中からC-Xエンジンの取り扱いを外す旨の通知を2007年3月に行った。 しかしながら日本ミライズが代理店となる以前の同年2月、山田洋行はエンジンの取引権を奪取されたとして、5億円の損害賠償請求をエンジン担当者ら個人に対し行っている。 2007年7月以降は日本ミライズがC-Xエンジンの代理店を務めている。└─〓勝手に独断と偏見〓 官僚の天下り先を確保する為に、日本政府下にある利権を政治家・企業・官僚・米国・米国企業が談合して日本国民を食い物にしている構図が浮き上がっているように思える。 アメリカとのグアム移転の交渉で米国の言い値が3000億円(米軍が造る場合は750億円)、750億以下が当然の姿勢で交渉して欲しい。 守屋氏から久間元防衛相・額賀現財務大臣・秋山直紀氏の名前が出たが、民主・自民の茶番に思える、脚本があり落とし所が決っているのではないか。 日本政府と国会が日本国民の為に機能していないのではないかの疑念が出てしまう。
2007.11.17
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●訴状の請求の原因(抜粋とその概要)・・・前回よりの続き○第3 本件各書籍における原告梅澤・赤松大尉による集団自決命令の記述◇1 原告梅澤の集団自決命令の記述(2)「沖縄ノート」における集団自決命令に関する事実摘示 慶良間列島において行われた、7百人を数える老幼者の集団自決は、上地一史著『沖縄戦史』の端的にかたるところによれば、・・・《部隊は、これから米軍を迎えうち長期戦に入る。したがって住民は、部隊の行動をさまたげないために、また食糧を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ》という命令に発するとされている。 <中略> この事件の責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていない <後略>◇2 赤松大尉の「集団自決命令」の記述(3)「沖縄ノート」の「集団自決命令」に関する事実摘示(その2) 新聞は、慶良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男、どのようにひかえめにいってもすくなくとも米軍の攻撃下で住民を陣地内に収容することを拒否し、投降勧告にきた住民初め数人をスパイとして処刑したことが確実であり、そのような状況下に、『命令された』集団自殺を引き起こす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長が戦友(!)ともども、渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたことを報じた。 <後略>●2007年11月9日の裁判での大江健三郎氏の発言・主張(産経ニュース【沖縄集団自決訴訟の詳報】よりの纏め)※主なQ(被告側・原告側代理人)&A(大江氏)Q:『沖縄ノート』では、隊長が集団自決を命じたと書いているかA:書いていない。『日本人の軍隊が』と記して、命令の内容を書いているので『~という命令』としたQ:『責任者は(罪を)あがなっていない』と書いているが、責任者とは守備隊長のことかA:そうQ:守備隊長に責任があると書いているのかA:はいQ:渡嘉敷や座間味の集団自決は軍の命令と考えて書いたのかA:そう考えていた。『鉄の暴風』など参考資料を読んだり、執筆者に会って話を聞いた中で、軍隊の命令という結論に至ったQ:現在のことだが、慶良間の集団自決についても、やはり軍の命令と考えているかA:そう考える。『沖縄ノート』の出版後も沖縄戦に関する書物を読んだし、この裁判が始まるころから新証言も発表されている。それらを読んで、私の確信は強くなっているQ:軍の命令だったとか、隊長の命令としたのを訂正する考えはA:軍の命令で強制されたという事実については、訂正する必要はないQ:赤松さんは集団自決について『まったく知らなかった』と述べているがA:事実ではないと思うQ:その根拠はA:現場にいた人の証言として、『軍のすぐ近くで手榴弾により自殺したり、棒で殴り殺したりしたが、死にきれなかったため軍隊のところに来た』というのがある。こんなことがあって、どうして集団自決が起こっていたと気づかなかったのかQ:(ある神話の風景/曽野綾子)の中には『命令はなかった』という2人の証言があるがA:私は、その証言は守備隊長を熱烈に弁護しようと行われたものだと思った。ニュートラルな証言とは考えなかった。なので、自分の『沖縄ノート』を検討する材料とはしなかったQ:ニュートラルではないと判断した根拠はA:他の人の傍証があるということがない。突出しているという点からだQ:しかし、この本の後に発行された沖縄県史では、集団自決の命令について訂正している。家永三郎さんの『太平洋戦争』でも、赤松命令説を削除している。歴史家が検証に堪えないと判断した、とは思わないかA:私には(訂正や削除した)理由が分からない。今も疑問に思っている。私としては、取り除かれたものが『沖縄ノート』に書いたことに抵触するものではないと確認したので、執筆者らに疑問を呈することはしなかった〓勝手に独断と偏見〓Q:軍の命令だったとか、隊長の命令としたのを訂正する考えはA:軍の命令で強制されたという事実については、訂正する必要はない 「隊長の命令」は訂正するのか、大江氏への「梅澤・赤松氏による集団自決命令の有無」の確認が不充分。 訴状の記述(2)の「自決命令の責任者」は梅澤・赤松氏を含み、(2)(3)では梅澤・赤松氏を非難、この非難は「集団自決に於ける軍の責任」に対してのみではない。 「集団自殺に於ける梅澤・赤松氏の対応」への非難は正当か、「隊長の命令」は存在したのか、裁判で全てが明確になるとは思えない。
2007.11.14
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大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判では、原告により「沖縄ノート/大江健三郎」に事実誤認の記述がある事が指摘され謝罪・出版禁止が求められている。 「百人斬り訴訟」では訴えられた本多勝一氏は出廷しなかったと記憶するが、大江健三郎氏は出廷し尋問に答えた。○「「沖縄ノート」差し止め訴訟、原告・被告双方に本人尋問」(抜粋) 沖縄戦で住民に集団自決を命じたなどと著書に虚偽を記載されて名誉を傷つけられたとして、旧日本軍の元少佐・梅沢裕さん(90)ら2人が、作家の大江健三郎さん(72)と岩波書店(東京)に、大江さんの著書「沖縄ノート」などの出版差し止めや損害賠償を求めた訴訟の第11回口頭弁論が9日、大阪地裁(深見敏正裁判長)で開かれ、原告、被告双方の本人尋問があった。└─読売新聞(2007年11月10日1時33分) 大江健三郎氏が何を認め何を否定したか、まずは訴状を調べてみたい。●訴状より「請求の原因に於いて」(抜粋とその概要)○第2 沖縄戦と座間味島・渡嘉敷島における集団自決◇5 原告梅澤少佐の守備する座間味島と、赤松大尉の守備する渡嘉敷島で米軍の攻撃を受けた昭和20年3月25日から28日にかけてそれぞれ座間味島の村民及び渡嘉敷島の村民の多くが集団自決による凄惨な最後を遂げた。○第4 集団自決命令は架空だった今日では、座間味島と渡嘉敷島のいずれにおいても、以下のとおり、日本軍による集団自決命令がなかったことが明らかになっている。◇1 原告梅澤少佐による座間味島の集団自決命令について(1)事実 昭和20年3月25日に米軍の攻撃があった際、座間味村の幹部5人が原告梅澤少佐を訪ね、「集団自決させて欲しい、駄目なら手榴弾が欲しい。 小銃があるから実弾を下さい。」と懇願したが、原告梅澤少佐に「生き延びてくれ、弾薬は渡せない」と拒絶された。 しかし、村民らは、原告梅澤少佐の説諭にもかかわらず、次々と集団自決を決行し、凄惨な最期を遂げた。 これが事実である。(2)証言者ら 原告梅澤少佐に弾薬供与を懇願に行った5人のうちで生き残った女子青年団長は、一時期部隊長の集団自決命令があったと証言し、その後、原告梅澤に対し、部隊長の自決命令はなかったと謝罪している。 また、自決した助役の弟は、座間味島の戦没者、自決者の補償交渉に当たる座間味村の担当者となり、原告梅澤少佐による自決命令があったと証言していたが、昭和62年3月28日、座間味島を訪ねた原告梅澤に「勝手に隊長命令による自決とした事はすみませんでした」と謝罪している。(3)新聞報道 原告梅澤少佐の集団自決命令については、神戸新聞が昭和60年7月30日、同61年6月6日付紙面で、それが架空のものであったことを報道し、同62年4月18日では「遺族補償を得るために『隊長命令に』」とその真相を報道し、さらに東京新聞は昭和62年4月23日「大戦通史 勇気ある訂正」「弟が証言補償得やすくするため」と報じた。 2 赤松大尉の集団自決命令と曽野綾子著「ある神話の背景」について 渡嘉敷島における赤松大尉による集団自決命令があったという世間に流布された風聞に疑問をもった作家・曽野綾子は、現地に足を運び、関係当事者に直接取材するなどの徹底した調査を行い、昭和48年に文芸春秋社から出版された「ある神話の背景」を著述し、赤松大尉による集団自決命令があったことを支持する証拠がないことを明らかにした。 その後、今日に至るまで、赤松大尉による集団自決命令に関わる前記風聞を裏付ける何らの証拠も現れていない。〓勝手に独断と偏見〓 「訴状」では、 「原告梅澤少佐の守備する座間味島と、赤松大尉の守備する渡嘉敷島で、・・・、座間味島の村民及び渡嘉敷島の村民の多くが集団自決による凄惨な最後を遂げた。」 の事実認識の下、 「梅澤裕少佐は座間味島の村民に自決命令を出していない。」「赤松嘉次大尉は渡嘉敷島の村民に自決命令を出していない。」 を主張し、根拠として、 「梅澤少佐の軍命令があったと証言していた者たちが、梅澤少佐による自決命令はなかったと謝罪した。」 「赤松大尉による集団自決命令があったという世間に流布された風聞を曽野綾子氏が支持する証拠がないことを明らかにした。」 大江氏への尋問では、上記の主張に対して大江氏がどの様に答えるかが興味のある所。※「訴状」や次回使用の「2007年11月9日の大阪地裁に於ける尋問」は抜粋・要約です、全文で確認願います。
2007.11.13
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不可解な自民・民主の連立騒動、11月4日朝に小沢一郎民主党代表は代表辞職願いを鳩山由紀夫幹事長に提出、夕刻には辞任会見を開いた。 しかし、11月7日には民主党の両院議員懇談会に於いて、自民・民主の連立騒動による代表辞任のドタバタを小沢一郎代表が謝罪し続投を表明した。 渡部恒三前最高顧問が「苦労が実って総選挙で圧勝できたと喜べるよう頑張ろう、私も何とかその日まで生きていたい。」と、拍手で盛り上げ流れをシャンシャンに持って行こうとしたが、仙谷由人氏が挙手した。○仙谷由人(元政調会長)の発言 内輪の熱気と世間や国民の感性は、現時点では相当ギャップがある。 政策を作る際の議論の仕方で「小沢代表がこう言っている」と間接話法で語られると、そこで議論が止まってしまう。議論停止、思考停止という感じで危ない。 自立の気概がなえている。小沢代表と議員団との意思疎通が表層的で、だんだん少なくなっていくのではないか。 大連立をめぐるギャップはその一つの象徴だ。 忙しいと思うが、代議士会や参院議員総会、(国会の)本会議には出席してほしい。└─「小沢・民主代表:両院議員懇談会、記者会見での発言」/毎日新聞 2007年11月8日 東京朝刊 よりの抜粋〓勝手に独断と偏見〓 日本国の運営を国民が信任した人間が行う事は重要、国民に知らせる事が出来ない事、一部の人間の間で止めて於かないといけない事はある。 しかし、秘密にすべき事は国民の利益の為が前提で、政治家・政党・官僚・企業などの一部の利益あるいは損を免れるためであってはならない。 利益を異にする政党が均衡するのが必要なのであって、利益を共有する政党が建前で対立構造をとり、国民の利益より自分たちの利益を優先するの情況が今回の自民党と民主党の連立騒ぎで現れたと思う。 これは、国民がよほどしっかりしないと、支配層と被支配層が分離し、国民が公務員(大臣・国会議員を含む)を不完全にしか支配できない現実がさらに拡大するかもしれない。 今回の自民党と民主党の連立を仕掛けたのが渡辺恒雄・読売新聞グループ本社会長兼主筆との話がある。 渡辺氏への取材申し込みは成功しないのか、読売は社内の問題、また他のマスメディアは読売との間でトップ間の交流があると思うが難しいのか。 今回の連立を渡辺氏が仕掛けたとしても、渡辺氏の行動には他の力が介在していて其れは福田首相も小沢代表も承知の上で、3人とも其の力のマリオネットにすぎないのかもしれない、その力が米国か財界か官僚かその複合体か、この辺りを調べて欲しい。 不信感が残る今回の騒動、国民の管理下にある与党・野党の健全な対立関係に於いて日本の運営が行われているのか、まったく違う行動原理が存在しているのか、戦前・戦中や戦後独立するまでと現在ではどのように違っているのか、大して変わっていないのではないか、何も判っていない事に気づく今日この頃。
2007.11.10
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『公開書簡今こそ国際安全保障の原則確立を 川端清隆氏への手紙』は月刊誌「世界」2007年11月号に掲載された小沢一郎氏(民主党代表)の主張、小沢氏のHPにも掲載されている(11月5日現在)。○『公開書簡今こそ国際安全保障の原則確立を』に於ける小沢氏の主張の纏め◇日本の国連中心主義と日米同盟の「ねじれ」について 国連中心主義と日米同盟は全く矛盾しない、むしろそれを両立させることによって日本の安全が保障される。 米国のブッシュ大統領は、「これは米国の戦争、自衛戦争だ。したがって国連の決議はいらない」と啖呵を切ってアフガン戦争を始めた。 米国単独では治められず、国際社会に助けを求めているのが現実。 本当に日本が米国の同盟国であるなら(その他の同盟諸国も同じ)、米国にきちんと国際社会の重要な一員として振る舞うよう忠告すべき。 そのためには、日本自身が世界の平和を守るために率先してあらゆる努力をし、平和維持の責任をシェアする覚悟が不可欠。◇我が国の安全保障の原則についての見解 日本国憲法第9条は国権の発動たる武力の行使を禁じている。国際紛争を解決する手段として、自衛権の発動、つまり武力の行使は許されない。 一方において日本国憲法は、世界の平和を希求し、国際社会で名誉ある地位を占めたいと、平和原則を高らかに謳っている。 そのためには、国連を中心とした平和活動に積極的に参加しなければならない。 米国であれどの国であれ、その国の自衛権の行使に日本が軍を派遣して協力することは許されないと解釈。 国連の活動に積極的に参加することは、たとえそれが結果的に武力の行使を含むものであっても、何ら憲法に抵触しない、むしろ憲法の理念に合致するという考えに立っている。◇テロリズムとの戦いは、米軍の軍事行動に協力することではない あらゆる場面でテロに毅然とした態度をとり続けることが戦いの要諦。 今日のアフガンについては、私が政権を取って外交・安保政策を決定する立場になれば、ISAFへの参加を実現したい。また、スーダン(ダルフール)については、PKOは完全な形での国連活動、当然それにも参加すべき。 海上自衛隊の活動はあくまでも、米国の自衛権発動を支援するものであり、国連の枠組みでの行動ではない。今回の決議もとうてい、自衛隊派遣の根拠とはなり得ない。 我々は米軍活動という枠組みから離れ、ISAFのような明白な国連活動に参加しようと言っている。 イラク特措法の根拠とされている国連決議一四三号(二〇〇三年五月採択)は、米英主導の治安維持を認めただけであり、多国籍軍の設置をオーソライズしたものではない。◇紛争やテロの根底にあるのは貧困という人類の根本問題 貧困を克服し生活を安定させることが、テロとの戦いの最も有効な方法、銃剣をもって人を治めることはできない。○民主党「政権政策の基本方針」の「第三章 平和を自ら創造する 8.国連平和活動への積極参加」の抜粋 国連の平和活動は、国際社会における積極的な役割を求める憲法の理念に合致し、また主権国家の自衛権行使とは性格を異にしていることから、国連憲章第41条及び42条に拠るものも含めて、国連の要請に基づいて、わが国の主体的判断と民主的統制の下に、積極的に参加する。※国連憲章第41条及び42条(概要)第41条:安全保障理事会は、兵力の使用を伴わないいかなる措置(経済関係・運輸通信・外交関係の断絶)を使用すべきかを決定することができ、且つ、この措置を適用するように国際連合加盟国に要請することができる。第42条:安全保障理事会は、第41条に定める措置では不充分な場合は、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な国際連合加盟国の軍による示威、封鎖その他の行動を行う事ができる。〓勝手に独断と偏見〓 国連の決議でオーソライズされた国連の平和活動に日本が参加することは、ISAFであれ何であれ憲法に抵触しない。 具体的にどんな分野にどんな形でどれだけ参加するかは、その時の政府が政治判断をして決めること。 日本政府は日本国憲法を盾に国連活動への参加を拒否してきた、まずその姿勢を改めるべき。 が小沢氏の主張の骨子で、安全保障に於いて平和維持の責任をシェア、他国等への軍事的干渉の歯止めとして国連決議を主張。 小沢民主党の主張する国連要請の武力行使に対して積極的参加は憲法改正が必要、且つ政治判断だけでなく緊急対応後の継続を含めて国会承認が必要と思う。
2007.11.06
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○民主党が連立の打診拒否 政局流動化の可能性 首相は衆院の中選挙区制示唆 福田康夫首相(自民党総裁)は2日午後、国会内で民主党の小沢一郎代表と2回目の党首会談を行い、自民党と民主党の連立協議を打診。衆院小選挙区制を中選挙区制に見直す考えを示した。連立協議について小沢氏は回答を留保したが、民主党は会談後の役員会で拒否することを決定。小沢氏は電話で首相に、「連立はのめない、受諾できない」と伝えた。 「大連立」構想が表面化したことで、与野党ともに反発と動揺が広がっており、政局は流動化する可能性が出てきた。 会談で小沢氏は、自衛隊海外派遣を随時可能とする恒久法制定に前向きな姿勢を表明した。これに対し、首相は、インド洋での海上自衛隊の補給活動を再開するための新テロ対策特別措置法案の今国会成立に向けた協力を改めて要請。小沢氏は恒久法検討を条件に協力する考えを示した。首相は、民主党が連立協議に応じれば恒久法などに関する「政策協議機関」を設置する方針だった。 会談後の2日夜、首相は首相官邸で記者団に、連立協議について「連立というか、新体制。要するに政策実現のための体制だ」と説明。公明党との関係は「全く変わらない。従来と同じようにやっていく」と強調した。 小沢氏は同日夜、「役員会は政策協議に入ること自体が反対だという人が多数だった」と拒否する理由を説明した。これに対し、町村信孝官房長官は深夜、「ノーという答えがこんなに早くあるとは率直に意外で、残念だ」と民主党の対応を牽制(けんせい)した。 公明党は会談後の臨時役員会で、事態を見守ることを確認した。浜四津敏子代表代行は「静観する以外ない。首相は事前に太田昭宏代表に『自公関係は必ず維持する』と言っていた」と語った。└── 産経ニュース 2007.11.2 23:54○<大連立協議>「決めてきます」小沢氏、首相に言い残す(抜粋) 2日の再会談後、小沢氏は役員会で「首相から連立の申し入れがあった。協議に入れば農業政策など参院選の公約が実現できる。みんなの意見が聞きたい」と連立協議に応じるよう求めた。役員から「えっ」という驚きの声が上がった。 手を挙げた6人全員が、「政策ごとの協議ならまだしも、連立は受け入れられるはずがない」などと反対論を浴びせた。 小沢氏は「みんなが言うなら分かった。断る」と席を立ち、代表室から「せっかくの誠意だったが対応できない」と首相に断りの電話を入れた。└── 最終更新:11月3日1時41分 毎日新聞○【福田日誌】2日(抜粋) 【午後】 2時23分、官邸発。24分、国会着、院内総裁室。27分から54分、太田昭宏公明党代表との党首会談開始。伊吹文明自民、北側一雄公明両党幹事長同席。56分、常任委員長室。 3時、小沢一郎民主党代表との党首会談開始。自民党の伊吹幹事長、大島理森国対委員長、民主党の鳩山由紀夫幹事長、山岡賢次国対委員長同席。2分、伊吹、大島、鳩山、山岡各氏が出た。4時12分、党首会談休憩。 6時29分、民主党の小沢代表との党首会談再開。自民党の伊吹幹事長、大島国対委員長、民主党の鳩山幹事長、山岡国対委員長同席。7時26分、党首会談終了。└── 産経ニュース 2007.11.3 03:36〓勝手に独断と偏見〓 自民・民主の連立でネックになるのは「一人区」、福田康夫首相(自民党総裁)は小沢一郎民主党代表に連立打診に於いて「衆院小選挙区制を中選挙区制に見直す」を提示する事になった。 結局、11月2日の自民・民主の党首会談は福田自民党総裁が小沢民主党代表に「自民・民主の連立」を提案し、小沢代表には満足のいく条件が認められた為、小沢代表は「自民・民主の連立」と其の条件を党に持ち帰ったが役員会は連立自体に反対、小沢代表は「せっかくの誠意だったが対応できない」と断りの電話を入れた。 福田首相が「自民・民主の連立」を望むのは解るが、小沢代表が何故にそれを承諾しようとするのかが解らない、もし純粋に「自民・民主の連立」を小沢代表が望むのであれば、政府・自民党の法案に前向きであっても良いはずだ。 小沢代表に問題(例えば政治生命を失うような失態を政府・自民党に握られている)があるのではないか、イケイケの筈の民主党に「自民・民主の連立」を持ちかける福田首相、民主党か小沢代表個人に何らかの付け入る隙が存在していると推察。 小沢代表が政府・自民党に首根っこを押さえられているとすると、民主党の代表が小沢氏がであることは大問題だ。
2007.11.03
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