全9件 (9件中 1-9件目)
1

警察分署の中は異様な興奮に包まれていた。署長、課長、係長、村長、村会議長が慌ただしく、緊急会議を開いていた。高論歩刑事の担当していた、肥沼結次郎窃盗事件などは、枝葉末節、署員の誰も、感心を示さなかった。 今、大騒ぎしていたのは、村一番の大金持ちで村会議員の大金有太郎が震災被災地へ、一千万円の寄付をしたと、いうニュースだった。大金有太郎は保守派の実力者で、地域貢献度も高かったが、金銭に甘いところがあって、汚職、賄賂で、警察が内偵を進めていた最中で、明日にも逮捕かと、いうところだったのだ。 今朝の八時、大金有太郎議員のどら声と泣き声が、突然、村内放送で村々の隅にまで流れたのだ。「わたくしは、村民のために、議員になり、うっうっうっ(コトバヲツマラセ) 誠心誠意尽くしてきたのです、ぐゎぐゎぐゎ(ゴウキュウシテイル) 欲深い、金銭に汚い、などと、云う人がいるが ぐゎあ ぐぁあ(ゴウキュウ)汚職、賄賂、そんな疑義を持たれ ぐゎああ ぐぁああ(マタゴウキュウ) 村民のみなさん、今回被災地に一千万円の寄付をしたのは私です。お金の正しい使い道を私は知っているんです くっくっくっ(コトバヲツマラセ)こういう時のために、欲深い、ケチだなどと、云われてきましたが、これが私の本性なのです。うっうっうっ、(ナイテル) 村民のみなさん、どうか大金有太郎をご理解、ご支援下さい。がぁああ、がぁああ(ゴウキュウデスピーカーコワレソウ)」 大金有太郎の号泣放送は、なにしろ、ボリュームいっぱいのどら声と、号泣だったから、村民の誰にも、否応なく聴こえてきた。 被災地へ匿名で一千万円を寄付したのは誰だろうと? 小さな村では興味深々だった、そこに、大金有太郎議員の号泣会見である。村内はもう、蜂の巣を突っつく大喧騒で、上や下えの大騒ぎ、過去に例のない最大級の村事件なのである。 チッチッチッ、高論歩刑事の舌が怒りの音を発した。すぐに、丸田万吉巡査を呼び出して、村役場へ向かった。「えっ?なんだいあの放送は、号泣会見?騙されちゃいけないよ、そもそも匿名でした一千万円の寄付を今さら私がなんて、可笑しな話だ。確かめる必要があるんじゃないかな」「それじゃあ、あれは嘘の放送だと?」 村役場も当然のごとく、てんやわんやの大騒ぎだった。大金有太郎議員は村役場の総務管理担当でもあったからだ。「寄付を実際に受け取った職員に話を聞きたいのですが」 丸田万吉巡査が受付の髪を三つ編みにして、化粧が濃い目の中年の女性に高飛車に出る。「個人情報保護法でその手の問いには答えてはいけないんです。大金有太郎議員の命令で、かん口令が敷かれています」 吊り上がった冷たい目で、刑事と巡査を無視した。 チッチッチッチッイ 高論歩刑事の舌が鳴る。事件の本質に迫った時の鳴り方だ。「行くぞ!真実は心が決める」 受付の制止も聞かず、すたすたと、村役場の中へ入って行った。廊下に沿って、税金課、戸籍課、福祉課、土木課、市民課、などのプラスチックの札がぶら下がっていて、そのカウンターの前に職員が座っているが、村歴史上最大の事件に、誰もが興奮している様子だった。高論歩刑事と、丸田万吉巡査にも、気が付かないほどである。 チッチッチッチッイー 高論歩刑事の鋭い眼光が一人の男を射した。 騒然としている役場の中で、ただ一人、青白い顔で、机に眼を落とし、心臓が今にも爆発しそうなのを必死で堪えている、青年の職員がいた。その男の前に高論歩刑事と丸田万吉巡査が立った。 首からぶら下げた名札には、市民課 真面目田 誠(まじめだ まこと)と、書かれていて、いかにも誠実そうな青年だった。「お伺いします、一千万円の寄付をしたのは、誰ですか?」 青年は観念したように、大きく息を吐くと、「寄付されたのは、顔中笑皺の老人でした。大きな古い壺をここにドンっと置いて、この金を被災者に渡してほしいと。数えたら、一千二十三萬六千三百五十円もあって、びっくりしたんです。匿名にしてくれと云われましたので、誰にも言いませんでした。総務からも、誰が寄付したのかということは、絶対口外するなと、云われていましたので。もしかしたら、さっきの放送を聴くと、大金有太郎議員の事務所の人だったのかもしれませんが、」 真面目田 誠青年は、解放されたような晴れ晴れした表情に変わった。「わかりました、ありがとう、でも、大金有太郎議員の関係者じゃ、ありませんね」 そう、云って、高論歩刑事と丸田万吉巡査は、急ぎ足で、村役場を出て、パトカーで、ケチケチ山へ急いだ。 山の上の肥沼結次郎老人は、糞溜めから、肥を畑に撒いているところだった。相変わらず、凄い悪臭が蔓延していた。にこにこして手を振っている。「こんにちは、ケチ次郎さん。今日の村内放送、聴きましたか?」「ああ、聴きましたよ、大金有太郎議員さん、立派なもんです、きっと、これからも、困った人に寄付をするでしょうね」「ケチ次郎さん、寄付したのはあなたではないんですか?」「えっ、嘘をついたら、罪にでもなりますか?刑事さん、寄付なんてものは、誰でもいいんじゃありませんか、誰からだと、詮索する必要がありますか?大金有太郎さんが、自分がしたと、いうんですから、それでいいじゃありませんか、お金が、人を救い、心を救う、それがお金の使い道じゃないでしょうかね」追伸、村の噂では一千万円寄付した人を詮索するのは禁句にり、大金有太郎議員は今では清廉潔白、村役場の質素倹約、無駄使い撲滅の先頭に立って、ケチ条例を発令し、村の財政事情は格段に好転した。 村人たちも質素倹約に励み、電気水道量も3割減、ゴミは半分以下に減量された。そして、恥ずかしがらずに「私はケチです」と、言っては笑っていた。(おしまい)作:朽木一空※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2014.07.29
コメント(0)

丸田万吉巡査と高論歩刑事が、結次郎老人がいないかと、畑の中を、探るように、覗いていると、「おっと、気いつけような、こぼれちゃもったいない、もったいない」肥桶を担いで、畑の中を歩いている結次郎老人が見えた。「おおい、ケチ次郎さん、こんにちは!」 結次郎は、振り向くと、人懐っこい笑顔をこちらに向けて、軽く頭を下げた。「ちょっくら、待ってくれ、すぐ済ますから」 人糞を糞溜めに入れているらしい。鼻が曲がりそうな臭気が掻き回されていた。悪臭のもとはこれだったのだ。 結次郎老人は年の割合に達者な動きで、いつもの顔中を笑顔にして、「いやぁ、臭くて堪らんだろうが、人糞を発酵させるとね、、最高の肥料になるんだなぁ、町じゃ、鶏糞だの牛糞だのトン糞だのを、売ってるがねえ、人間様の肥料が一番栄養素が含まれていていいんだよ、江戸の頃は、みな、百姓が町人から、買ったもんなんだよ捨てて、流してしまうなんてのは、ああ、もったいない、もったいない」 擦り切れそうなジーパンに荒いざらしのシャツを着ている。年に似合わぬ、なかなか、現代風な服装だ。多分バザーで手に入れた洋服だろう。「結次郎さん、実はね、今日お邪魔したのは、里の梅子さんから、畑のものを盗まれたと、訴えがあってねぇ」 あはははぁと、ますます顔中を笑皺にして、頭を掻く。「こうして、人糞をね、自分のものだけじゃ足りないから、里の家からも、貰ってね、運んで、発酵させて、畑に撒くのさ、ところがね、雨が降ると、その肥料がみんな下の方、つまり、儀一郎さんの畑に流れてしまうんだよ。だからね、視てきたでしょ、儀一郎さんの畑はいつも大大豊作なのよ。誰のお蔭なのかなあ?それに引き替え儂のところの作物は見てのご覧のとおり、苦労の割に、なりが悪いのさ、だから、その、肥料代として、少しばかり頂いているんですがね、私は善意のつもりなんですよ。儀一郎さんはそこのところをわかってくれたんだが、女の人はどうも、ケチでいけないですね、あはは、ケチは私でしたね。嫁の梅子さんね、確かに怖い顔で私を睨んでいましたよ」 うぅんと、丸田万吉巡査は唸った。一理あるとでも、いいたげなようだ。チッチッチッ、高論歩刑事の舌が鳴った。「結次郎さん、それはね、契約と云うものがなくっちゃいけないいね、肥料代、年間幾ら、肥料代として、作物の何割かいただくとかね、それがなくて、無断で、他人の作物を持ってくるのは、やはり、泥棒です。窃盗になります」「そんなもんですか、でもねえ、里の畑は、毎年毎年、村内一、いや、日本一の大豊作なんですよ。あの、梅子さんは、肥料などあげたことがないんです。私は、毎日毎日、肥を運んで、儀一郎さんの畑が肥えるように仕事をしてきたつもりなんですが、いけませんか?」 相変わらず、にこにこ笑っている。「結次郎さん、ここはひとつ、梅子さんに謝罪して、今後は、作物を盗まないようにして下さいよ、そうすれば、万事穏便に解決しますから」 丸田万吉巡査は話が面倒にならないよう、糸がこんがらないように、結次郎を説得した。「わかりました、私は他人と争い事をするのが一番損なことだと思っています。いままで、他人と争って、勝ったためしがありません。争わないのですから、負けてもいませんが、勝つとか負けるとか、そのことが、疲れることなので、ケチはやらないのです。ですから、梅子さんにお伝えください。今後、梅子さんの畑のものは盗りませんと、」 チッチッチッ、これで解決かな?だが、何かがひっかかる。高論歩刑事は舌を鳴らした。丸田万吉巡査はほっとした表情で、「では、梅子さんに伝えますので、失礼します」 二人は結次郎老人の家を後にして、坂を下り、再び梅子に声をかけた。「そういうわけで、今後は肥料代はいただきませんということで、了解していただきました」「えっ?それで、今までのことはどうなります?弁償していただけるの?それとも、窃盗で、罰があるのかしら?」 チッチッチッ、高論歩刑事はなかなかしつこい女だと感じた。「まあ、そのへんは、署に帰りまして、検討させていただきます」 揉め事が大きくならないうちに、ほぐれかかった糸がまた、絡まないように、丸田万吉巡査は早くこの場を立ち去りたかった。(つづく)作:朽木一空※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2014.07.25
コメント(0)

もう、この先には民家がないだろうと、山道を歩いていくと、また、少し開けて、二三軒の民家がある。どうして、こんなところに住んでいるのだろうかといつも、疑問に思う。平家の落人部落だろうか? だが、どこの山道にも、そういうところがある。 山里に、本家があって、次男三男が独立する時に、「お前には山の上の土地をあげるから、そこで暮らせ」とでも、云われたからだろうか。それが何代も続くと、どんどん山の中に住み着くようになるのだろうか?よく、表札をみると、同じ名字の家が多いことにも気づく。 その山道のもう、ほんとのどん詰まり、一軒の大きな茅葺きの家があった。トマトやキュウリ、カボチャ、茄子、ピーマンが、たわわに実っている。いろんな畑を見てきたが、これほど大きくて、形がよく、沢山実をつけた、大豊作の畑は見たことがなかったほどである。お見事!!「ああ、梅子さん、今年も大豊作だねえ、所で、結次郎(ケチじろう)さんの家はこの上だったねえ」 丸田万吉巡査が畑で草取りをしている、大柄の太った女に声をかけた。「駐在さん、ようやく来てくれたのかね、そう、その道を登ると、傾いだ家がみえるよ、そこがケチ次郎の家だよ」「いまから、この高論歩刑事さんと、行ってくるから」「なにしろねえ、あたしが精魂込めた作物を、盗んでいくんですから、泥棒ですよ、窃盗、重大犯罪ですよね、私は何回も目撃してますから、ゴミ箱から、物を持ってくのとは違いますからね、本人も自白してるんですよ、びしっと、刑罰与えて下いねえ」「まあ、よく、話を聞いて、それから捜査しますからね。こちらの高論歩刑事さんは、そりゃあ、もう優秀ですから、きちんと、解決しますからね。じゃあ、ちょっくらいってくるから」 階段のような山道を百メートルも登ると、山の頂が平らになっていて、確かに左に傾いでいて、つっかい棒で、支えられている、小さな家があった。そこが、今回の事件の家、肥沼結次郎(コエヌマ ケチジロウ)の家であった。 刑事、高論歩と、丸田万吉巡査は、車の入らない山道を草を掻き分け、登ってきたので、ぜえぜえと、息を切らしていた。丸田万吉巡査は太っているせいか、額の汗がだらだらと、耳の後ろを通って、首筋に滝のように流れていた。 異様な臭気が一面を覆っていて、高論歩刑事はハンケチで鼻を押さえていたので、いつもの癖のチッチッチッという、舌も鳴らなかった。チクッと、何かの虫に丸田万吉巡査は腕とおでこを刺された。「たまんないすねえ、ここは、臭くて、人間様より、虫の天国のような所ですね」ビシッと、藪っ蚊を叩く、血がおでこについた。 肥沼結次郎は、七十を過ぎた老人で、その山で、もう永い間暮らしていた。鶏が三羽、ケコケコ云いながら、庭の土を啄ばんでいる。質素倹約を哲学にしていて、ケチケチ山のケチ次郎と、山里の人は呼んでいた。みかん、ゆず、柿、栗、さるなし、イチジク、ぐみ、林檎、びわ、などなど、まるで、実のならない木は損だとでも云いたそうな、庭の木々が葉を揺らしていた。 狭い段々畑では、米、麦、の他、胡瓜、トマト、ピーマン、茄子、ホウレンソウ、小松菜、じゃが芋、さつま芋、とうもろこし、などを賑やかに栽培していた。水は沢から、竹筒で引いていた。 軒下には、花屋旅館と印刷されたタオルが、風になびいていた。自給自足に近い田舎生活のようにも見えた。電話もない、テレビもない、もちろん、エアコンやレンジなどはない、新聞もとらないので、世間との情報はラジオだけだった。確かに質素といえば質素そのものだった。山の恵や、川の恵み、小さな畑で出来た作物を、リヤカーで村の直売所に運び、帰りに、不用品を貰ったり、屎尿を汲み取ってきた。 買い物もするが、塩や砂糖、油、醤油といった、基礎調味料のようなものが多かった。煎餅や饅頭の類いはめったに買うことはなかった。 ところで、事件の顛末はこうだった。里の茅葺きの大きな家の肥沼儀一郎の畑の作物を、雨が降った日の翌日には必ずやってきて、背負い籠に、勝手に、結次郎が収穫して持っていってしまうのだった。だが、その量はたとえば、キュウリ五本、トマト三個という具合だった。それが、もう、幾年も続いていた。 儀一郎は結次郎とは遠縁にあたるので、まあ鳥や虫に食べられたと思って、大目にみていたが、儀一郎が、組の役員や、農協の理事を勤めてから、留守がちになり、畑の仕事は嫁の梅子の役目になっていた。 その、梅子は折角育てた、畑の作物を黙って盗むように持っていく、結次郎が、だんだん許せなくなっていた。「ちょっと、ケチ次郎さん、あんた泥棒だよ!」と、梅子が怒っても、結次郎は、にこにこして、頭を下げ、「こいつは儂のもんだで、肥料代ですよ、頂いていきますよ、へっへっへ」と、棒にも箸にもかからない受け答え。 これでは、埒があかないと、ついに、駐在の丸太万吉巡査に訴えたのだった。みみっちくて、事件なんだか、近所のつまらぬ諍いなんだか、よく解らなかったが、「まあ、訴えがあったんだ。ちょっくら様子を見てきくれや、ややこしいことにならないように、お願いするよ」 暇な警察分署の署長命令で、仕方なく、二人はやってきたという訳だった。(つづく)作:朽木一空※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2014.07.21
コメント(0)

「もったいない、もったいない、捨てるものなんてありませんよ、儂はケチですから、捨てません。お金もめったに使いません」 ケチケチやまのケチ次郎老人はそういって、いつもにこにこ笑っている。質素倹約なら言えるが、「自分はケチです」と、笑いながら、言える人はあまりいない。いつも笑っている。笑っていれば、たいていいいことがあると云う。 笑ってさえいれば、仲良くなれる。まず、他人に嫌われることもない。笑って暮らすことが、ケチの第一条なのだという。だから、顔中笑皺でくしゃくしゃである。本物のケチには必ずこの笑皺がある。 怖い顔や威張った顔のケチはまだまだ本物の領域には遠い。怒ったりすれば、体に悪い、血圧も上がる、血糖値も上がる、いらぬエネルギーを使う。 だから、怒らない。もちろん、喧嘩など、口喧嘩もしたことがない。いつだって、低姿勢、頭を下げる。その方が、得することが多いのである。それが、ケチの極意だと、このケチ次郎老人は云う。 ケチに徹するにはまず、偉いだとか、上だとか、勝つ、とかと云う、屁の役にも立たない自尊心を捨てることから始まるのである。そうすると、楽になる。楽しくケチケチ人生が送れる。 だから、村人はこの老人を「ケチ次郎」などと悪態をついても、心の中では、悪く言うどころか、どこか羨ましいとさえ感じているのだった。 ケチ次郎は質素倹約そのままの生活を送っている。山の恵、河の恵みはどれも、ただで、食べ放題だった。もちろん、田畑で作物も作る、果樹も植えている。糞尿も浄化槽を設置しないで、肥料として使っている。髪の毛も爪もみんな貴重なカルシュウム肥料として使っている。「もったいない、もったいない」が口癖で、捨てるものはまずなく、もったいないことはまずしない。洋服は全部、バザーのそれも残り物、「さあ、もう売れ残り、持って帰るのも面倒だから、この、ビニール袋に詰め放題100円だよ!」その言葉を待って、「はい!もったいない、もったいない、私が買いましょう!」といって、にこにこ笑って、ビニール袋に衣類やタオル、靴などをたっぷり詰め込む。 いつも、お祭りの資金集めの、バザーの最終処理はケチ次郎の役目だ。バザーの主催者も残された衣類の処分に困っていて、実は大助かりなのである。 農協の招待旅行があった時の話もケチ次郎の逸話のひとつになっている。普段、旅行などしたことがない。タダだから、参加したのである。宴会の終りに「もったいない もったいない」と云って、残り物の料理を集めて、ビニール袋に詰め込んでいた。 朝になったら、各部屋を回り、「いらないタオルがあったら、いただけますか」とにっこり笑い、参加者全員のタオルを集めた。それだけでも、恥ずかしい行為だが、花屋旅館で処分しようとしていた、ぼろぼろで、滲みがついたり、煙草の焼け跡のついた、浴衣とどてらを貰い、夫婦仲良く、それを着て暮らしていると云う。 リヤカーで町まで行って、用を足した帰りには、塵箱を覗く。まだまだ、使えそうなものが捨てられていることが多い、「もったいない、もったいない」と云って、リヤカーに積んでは山道をえっこらえっこら運んで帰る。だからといって、ケチ次郎の家はゴミ屋敷ではない。拾ったものはみな、上手に活用されて、命を吹き返している。 村人は、そんなケチ次郎老人のことをやっかんでいるのか、うらやましいのか、自分にも変な虚栄心がなければ、タオルも欲しかったし、ゴミ箱にあった、まだ動く扇風機も息子のために、机も欲しかったのかもしれない。「ケチではない!」という、自尊心が邪魔をしていたのだろう。 だから、ケチ次郎老人のことは本当は嫌いではなかったのだが、「あの、ケチ次郎、ほんとにドケチでよ、しみったれだよな、出すものは何でも損、だから、唾も吐かない、屁もしない、穿けなくなった擦り切れたパンツは雑巾に使う。とにかく、お金を使うところを見たことがない人が沢山いる。あれじゃあ、お金をいっぱい貯めこんでるんだろうな。お金を、使うことを知らないんじゃ、やっぱりケチと云われてもしょうがないね」と、噂しあうが、ケチ次郎老人は、全く気にしない「そうです、私は、けちけち山のケチ次郎です。ケチに勝る幸せはありませんよ、みなさん、衣を脱いで、ケチになりましょうよ、見栄張りやめて、気楽、金楽、心楽、無理せず生きられますよ」にこにこ、笑って山に帰っていくのでした。 (つづく)作:朽木一空※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2014.07.18
コメント(0)

黒雲たちが 逃げまどい大空が紺碧に染まってゆくうぐいすの美声に誘われて木洩れ日の林を彷徨い始める凛とした爽やかな風を伴い祭囃子の音が漂ってくる虫籠を抱えた少女が行き過ぎ小鳥たちが静かに飛び立つ私は心の翼を大きく広げて紺碧の大空に羽ばたくのだ作:湯川和泉※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2014.07.14
コメント(0)

ひろし君の守役だった曾祖母が亡くなった話はすでに述べた通りだが、そのあと守役を引き継いだのが祖母のたねであった。 たねは20歳でひろし君の父である長男の紘一郎を産んだ。そしてその紘一郎は終戦とともに復員し、27歳でひろし君の母である20歳のみつ子と結婚し、みつ子はすぐにひろし君を身ごもったのである。 だからひろし君が産まれた時、祖母のたねはまだ47歳だった。まだ若かったたねは、当然一家の労働力を支えていたため、ひろし君の守役は曾祖母が受け持っていたに違いない。しかしひろし君が2歳のとき曾祖母が亡くなり、労働力の要が紘一郎夫婦に移っていったため、今度はひろし君の守役が祖母のたねに回ってきたのである。 たねは明治34年に静岡県清水町で生まれ、祖父が山本長五郎つまり「清水次郎長」なのだといつも得意げに話していた。その後たねの家族は東京に出てきたが、父が若くして亡くなり、長女のたねが一家を支えるため神楽坂で芸鼓になった。そこで当時日本橋で大店の呉服問屋を営み、飛ぶ鳥を落とす勢いだった三村福太郎に見初められ、身請けされて正妻に迎えられたらしい。 もちろんこのあたりの事情は、小さなひろし君が知る由もなく、父の紘一郎ですら知らない秘密であった。だがそのたねの秘密も、紘一郎が42歳で早死にし、その数年後にたねが亡くなりその通夜の晩に明かされることになる。 と言っても、そのとき20歳になったひろし君が、たねの唯一の親友だった磯崎さんの奥さんに、しつこくたねの若い頃の話をせがんだため、ひろし君の胸の中だけにしまっておくという約束で、実家裏にある磯崎家の一室で聞いた話である。またそのことを裏付けるのは、たねの若い頃の写真がたった一枚しかないこと。そしてそのたった一枚の写真には、ひろし君の記憶の中にいる祖母とは全く別人のような、色白で日本髪を結った粋な美女が写っていたのである。 さて話が「たねの身の上話」に振られてしまったようなので、ここらでまた話をひろし君のほうに引き戻そう。ひろし君は2歳から曾祖母から祖母のたねに育てられることになったわけだが、ひろし君が4歳になる頃に、両親の紘一郎とみつ子は杉並の実家を出て、世田谷の梅ヶ丘に独立した店を持つことになる。 まだたねは若かったし、姑や小姑たちがひしめいている狭い実家では、みつ子の不満も募るし、紘一郎自身も駄菓子屋に毛が生えたような乾き菓子屋ではなく、もっと儲かる和菓子の製造販売に挑戦してみたかったのだ。そこで独立を決意したわけだが、幼いひろし君と2歳の知子の二人を連れて新しく和菓子屋を開業するのはかなり難しかった。 そこでたねになついていたひろし君をたねに預け、紘一郎とみつ子はよちよち歩きの知子を連れて、三人で杉並の実家をあとにした。こうしてひろし君はいわゆる「おばあちゃん子」になってしまったのである。作:五林寺隆※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2014.07.12
コメント(0)

「風速90メートルで大雨を伴った超大型台風10号が接近。気象庁は、いまだかつて経験したことのないような暴風、波浪、高潮、大雨となる恐れがあり、「重大な危険が差し迫る異常事態」であるとして、特別警報を宮古島地方と沖縄本島地方に発表し約50万人に避難勧告を発するなど、史上最大級の警戒を呼びかけています。」 さあ大変なことになったものである。それにしても、沖縄人口の1/3に達するという非難住民は、どこに避難すればよいのか、これだけの県民を直ちに収容出来る施設なんてあるわけないじゃないか。 ついに本格的な台風シーズンがはじまったのだが、今回襲いかかってくる台風10号については、いまだかつてないほどの警戒体制が敷かれているようだ。この台風がこのまま予定通り進めば、日本中を余すところなく舐めるように縦断し、気象庁始まって以来の大被害を日本全国にもたらすというのである。 そのためあらゆるイベントは中止となり、東京証券株式市場では日経平均が1000円以上下がるという大パニックに陥っているのだ。すわ!日本壊滅か、一体日本はどうなってしまうのだろうか。TVでは終末論者たちが口角泡を飛ばして、この時ばかりと悲観的な激論を展開している。 ところが翌朝になると不思議なことに、台風の進路が大幅に修正されてしまったのである。そう沖縄周辺を直撃した後、いつも通り直角方向に曲がると想定されていた台風10号は、沖縄本島を避けるようにして、そのまま真っ直ぐに大陸のほうへ抜けてしまったではないか。 たまにこういう台風が訪れることもあるが、今回は当然気象庁が気圧などを正確に計測したうえで、日本列島を縦断すると予想していたはずである。気象庁のチョンボだったのであろうか・・・。 こうして日本列島は台風10号の直撃から身をかわすことが出来たのであった。だが一方で大陸にあるA国とB国は、もろにこの台風10号の猛烈パンチを食らってしまったのである。台風に対する備えもなく、かつ今回も日本列島のほうへ直角に曲がるだろうとタカをくくっていたことも重なり、A国とB国ではこの台風により、歴史的な大被害を蒙ってしまった。都市の半数は破壊され、田舎の村々はまるごと吹き飛んだのである。 もうこうなると、その復興には10年以上かかると言うではないか。そのために、最近軍事力を拡大し日本をはじめとして全世界に脅威を与え始めていたA国とB国は、軍事とか戦争どころではなくなってしまった。とにかく当分の間、軍隊は自国の復興のみに力を注がざるを得ないからである。また多数の軍事施設も甚大な被害を受けて、武器の半数は消滅してしまったのだ。 この報告を首相官邸で詳しく聞いていた阿川首相は、おもわずニヤリとほくそ笑まずにはいられなかった。実は首相直轄の組織を創り、ある超近代兵器を極秘で開発し、とうとうその実験に大成功を収めたからだ。 そう・・・賢い読者ならもう分かったと思うが、それは台風の進路を自由に操ることの出来る装置だったのである。(完)作:河村 道玄※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2014.07.09
コメント(0)

ひろし君の住んでいる杉並の実家の近くには、駄菓子屋が二件あった。ひとつは商店街の真ん中にあり、かなり間口の広い『かわだや』で、もうひとつはちょっと町外れにあり、かわだやの半分の間口もない小さな店で、こちらは『ごうださん』と呼んでいた。なぜごうださんなのか、幼いひろし君は全く気にも留めなかったが、多分とくに店名もなくそこの家の名字が郷田だったので「ごうださん」と呼んでいたのかもしれない。 どちらの駄菓子屋もおばあさんが店番をしていたのだが、『かわだや』のほうはかなり年配だったので、便所に行っても手を洗わないというバカげた噂が広まり、赤痢になると嫌だからなるべく行かないことにした。もう一方の「ごうださん」のほうは、おばあさんというより、おばさんだしシャキシャキしていた。だから少年たちの間では、「ごうださん」のほうが人気店となってしまい、狭い店内はいつも子供たちで溢れていた。 ひろし君の実家も、祖母が一人でお菓子屋をやっていたのだが、駄菓子というより、「かりんとう」など大人用の乾き菓子屋だった。それでひろし君は、実家で売っている菓子には余り興味がなく、せっせと駄菓子屋通いをしていたのである。 ひろし君が駄菓子屋でよく買った菓子とは、ヨーヨーアイス、水あめとサッカリンせんべい、練り梅、すもも漬、あんずぼーなど、いずれも味が濃くて、着色料がたっぷり入っていて、体によくなさそうな半生菓子が多かった。だが子供たちには、それが大御馳走であり、麻薬のように癖になって止められないおやつだったのである。 また駄菓子屋では、菓子類だけではなく、銀玉拳銃、カンシャク玉、ロケット花火、ぬり絵、メンコ、ビー玉、ベーゴマ、風船、ゴム飛行機などのおもちゃ類も売っていた。さらには、野球選手や力士などのブロマイドも人気があった。このほかにも子供の射幸心を狙ったくじ引き系アイテムも多く、一回10円でガムや小袋に入った菓子を買って、くじに当たると景品を貰えるというシステムであった。 これだけの品揃えがあり、かつ10円あればそこそこ買い物ができた。つまり子供たちが貰ったお駄賃を握り締めて行けば、1~2時間は面白おかしく楽しめたのである。だからお年玉でもらった50円でもあれば、それこそお大尽遊びが出来た。まさに昭和30年代までの子供たちにとっては、駄菓子屋こそ娯楽の殿堂だったのである。作:五林寺隆※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2014.07.06
コメント(0)

まだあげ初めし前髪の林檎のもとに見えしとき前にさしたる花櫛の花ある君と思ひけりやさしく白き手をのべて林檎をわれにあたへしは薄紅の秋の実に人こひ初めしはじめなりわがこゝろなきためいきのその髪の毛にかゝるときたのしき恋の盃を君が情に酌みしかな林檎畑の樹の下におのづからなる細道は誰が踏みそめしかたみぞと問ひたまふこそこひしけれ※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2014.07.03
コメント(0)
全9件 (9件中 1-9件目)
1


![]()