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~一衣一鉢(いちいいっぱつ)の無欲で自由な生活~生涯、無一物の野僧、良寛さま、、お寺で子供らと手毬で無心に遊ぶ、良寛さま、、この子らと 手鞠つきつつ遊ぶ春 日はくれずともよし お正月、お酒をいただきながら、良寛さんと同じ私の故郷、雪深い越後の国、出雲先を思いだしながら、本棚の隅で眠っていた良寛さんの本をめくりました。癒されました、痺れました、泣きました、酔いました、、、うなされました。襤褸(らんる) また襤褸襤褸 これ生涯食は わずかに路辺に取り家は じつに蒿莱(こうらい)に委(ゆだ)ぬ月を看(み)て 終夜(しゅうや)嘯(うそぶ)き ああ、究極の断捨離。荷物をいっぱい背負っていて、捨てられない私がここにいる、せめて酒瓶を捨てようかと、、、酒を飲み、、散る桜、残る桜も、散る桜 ひとは、いつかこの世を去る、その時期が、すこしだけ違うだけなのです、、、と、昨年、親友の峰子さんが死にました。今年か来年か、私も死ぬ、、たいした違いはないんだわ、、、今年の桜見物は空しい気持ちを抱きながら、酔わねば見れぬなぁ、、うらを見せ、おもてを見せて、ちるもみじ 良寛さん辞世の句です。私なら 「おもて見せ、うらをも見せる、もみじかな」と、詠んでしまいそうだが、まず、自分の醜い裏を先に見せてから、、んんん、、できそうもない、、お酒、もう一杯かな、、 良寛さんの、ゆーもあたっぷりの句もありました。ほろ酔ひのあしもと軽し春の風 私のお正月、飲みすぎですけど、ほろ酔いの気持ちよさ、、 春の風ですよね、、柿もぎの金玉寒し秋の風 あらあらあら、、、私でよかったら、暖めましょうか、、、手ぬぐひで年をかくすや盆踊 江戸時代でもそうだったんですねえ、、年増女も味があるんですけどねえ、、そして,良寛さんの、私向きの極め付きの言葉がこれ、お前はお前で丁度よい 顔も 身体も 名前も 性も お前にそれは丁度よい幸も 不幸も 喜びも 悲しみさえも 丁度よい歩いたお前の人生は 悪くなければ良くもない お前にとって丁度よいうぬぼれる要もなく卑下する要もない 上もなければ下もない死ぬ月日さえも丁度よい そうかしら、そうかもね、嬉しくもなし、悲しくもないけれど、、丁度いいのかもね、、、あら、酔いが冷めちゃったわよ、、お酒、もう一杯お願いします、、、新年早々、酒浸りでございました。今年もよろしく、あらあらかしこ、、、作:深田みつこ※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2019.01.26
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人いない深夜の湯舟で瞑想し湯気で曇った風呂用メガネ湯河原でパン屋の行列延々といつも元気な高齢者たち作:五林寺隆※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2019.01.23
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和菓子屋のひろし君は、友達から「君はお菓子が沢山食べられて良いね」と羨ましがられることが多かった。だがひろし君は即座にそれを否定した。それは商売人の実情を知らないド素人の勘違いだと言いたかったのだが、余り詳しいことを話すと父の紘一郎に叱られるので深い説明は省略していた。 紺屋の白袴とか灯台下暗しと言われる通り、ひろし君の家でも勝手に商品を食べることは禁じられている。ことに『上生』と言われる高価な和菓子は一度も食べさせてくれない。(これでは客に味を聞かれても答えようがないじゃないか)食べても良いのは、前日に売れ残って固くなった大福や団子などの安い駄餅だけである。 それを餅焼き網で焼いて、朝食代わりにするのである。また食べきれないほど残った場合は、餅とあんを分離してそれぞれを新しいものに混ぜて再生するのである。もちろんそんなことは他人に喋れない。だが当時はどこの和菓子屋でも、同じような再生作業を行っていたので、ひろし君の家だけが特別だったわけではないのだが・・・。 さて焼き大福の朝食が済むと、今度は店内の掃除である。妹の知子が床の清掃を担当し、ひろし君は和菓子の陳列ケースを雑巾で綺麗に磨く。そして掃除を済ませてから小学校へ行く。遅刻をしても店の掃除のほうが優先されていたのだ。これがひろし君たちの毎日の始まりであった。 そして一週間に一度くらいの頻度で『こしあん作り』を手伝わなくてはならないのだ。もちろん小学生のひろし君ひとりで、こしあんを作れるわけがない。あくまでも煮立った小豆を篩(ふるい)にかけて、手でこしてゆく作業だけがひろし君の役割だった。 まずボールの上に目の粗い大きな篩を置き、その上に湯の中で煮込んだ小豆を落とす。熱いのでそれをヘラでこしてゆく。こし終わったら、別のボールにもう少し目の細かい篩を置き、その上にさっき1回こし終わったあんを落として、今度は水をかけながら手でこしてゆく。さらにもう一度、もっと目の細かい篩を使って三回目の「こし作業」を行うのだ。 ひろし君の仕事はここまでで、あとは紘一郎がボールに溜まったあん汁を固い布の袋に入れて、力一杯絞るのである。これが生あんであり、それに砂糖を入れて煉り込めば、こしあんが完成するのだ。とにかく手間のかかる作業なのだが、粒あんと値段が変わらないのが不思議である。 いつの間にかこの作業が、ひろし君の担当になってしまった。時間がかかるし丁寧にやらないと叱られるし、手でこすときに力を入れるため疲れてしまう。掃除、店番、配達などの作業も手伝わされたが、このこしあん作りが一番嫌だった。 ただ2年後にはこしあん作りはかなり機械化されて、ひろし君はやっとお役御免になる。だがそれから数年後に紘一郎が胃癌で入院し、今度は職人技を要求される本格的なあんこ作りに挑まなくてはならなくなるのである。まあそれについては、また後日ゆっくり話をしようか・・・。作:五林寺隆※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2019.01.18
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我もまた季節外れた冬の蠅 おぼつかなげにうろうろしてるのほほんと のったりのたり綿のうえ、もふもふうれし また日が暮れる無駄骨を繰り返しゆく冬枯に野焼きの煙 燻ったままでやることはある筈だとよ問うてみる徒労の風が身体を抜ける作:朽木一空※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2019.01.12
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平成最後の正月は、毎日穏やかな日差しが注いでいます。さて今年も気分転換に名作詩を味わってください。今回は:高村光太郎先生の有名な『道程』です。僕の前に道はない僕の後ろに道は出来るああ、自然よ父よ僕を一人立ちさせた広大な父よ僕から目を離さないで守る事をせよ常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよこの遠い道程のためこの遠い道程のため※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2019.01.05
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初春や嬉しいことじゃいいことじゃ健康だけで満足満足新しき年の初めに誓うこと今年もブログ飽きず続ける 年あけて面白きことここにあり 五林寺朽木、脳味噌絞る七年もよくぞ続いた木漏れ日よ見えぬ読人、感謝こそすれこのブログ誰が書いてもいいそうな投稿待つ身、遠慮なさるな今年こそ断捨離断行、放下着 下載清風、自由を生きる 余計なものは捨てようと言いながら、道々また拾って歩く自らがいる。捨ててしまえば楽になるのに、捨ててしまえば清々しい風を感じるのに、今年こそ、今年こそ、でもね、それがなかなか難しくってね・・・。 本年も飽きずに浮気せずに、このブログに遊びに来てください。そして、ちょっと悪戯のつもりで投稿してみてください。 埒のないこと、与太話、もちろん文芸作品、燻っていた思いを書いてここへ投げれば、捨てたことになりますよ、清々しい風が吹きますよ・・・。投稿、、、お待ーーーーーちしてます。とりあえずコメント欄にてご連絡ください。『ネット文芸館 木洩れ日の里』管理人:朽木一空 & 五林寺隆※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2019.01.01
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