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夜泣き蕎麦屋の喜助は夜のお勤めができない隙に、間男に嬶(かかあ)を取られ、父娘暮らし。「毛饅頭が喰いてえよぅ」と嘆く夜。豆腐のおからみてぃだと、長屋の連中に笑われている。娘のお加代はよろず引き受け、長屋の洗濯、子守、裁縫、雑用で健気に凌いでいる。 大工の甚八は博打が飯より好きで、女房のおときと、しょっちゅう夫婦喧嘩。長屋中がてんやわんやの大騒ぎになることもあるが、博打だけに、負けているばかりでもない。「ツキが廻ってきてよ、お天道様も見捨てちゃいねぇってことよ、ほら、喰いねえ、飲みねえ」 宵越しの銭は持たねえよっ。七輪で鍋を煮て、団扇をバタバタさせて、いい匂いをさせ、長屋の連中に気前よく振舞う。遠慮はいらねえ、ご相伴に預かる。年に一二回のことだったが。 外から見れば、貧乏で、汚らしくて、気持ちの悪くなるような長屋に見えたが、口喧しく思うこと叶わねばこそ浮世とは、なやまない、くやまない、くさらない、ねたまない、さばさばした明るい絶望を抱えていながら、遠慮もせずに、他人の家にもずかずかと入り込み、なんだかんだと云いながらも、その日暮らしを、結構楽しく暮らしていた。えっ、明日のことかい?『明日ありと、思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは』て、よっ! そして、この蛇抜長屋には「草」と呼ばれる、下層の忍者が紛れ込んで住み着いていた。忍者の正体を悟られぬよう隠して、市井の中に埋もれて、普段は庶民と同様の暮らしをしていた。みな偽名である。素性も、生い立ちも全部作りものの嘘で固めている。 隠しごとのできない長屋暮らしで、仮の姿に化けて溶けこんで暮らしているのが「草」である。本当の自分は殺している。生きているのは自分ではなかった。 誰かに怪しまれたら、下忍としての役目は終わる。そして、それは死を意味していた。草は、目には見えない上忍から常に見張られていたのである。 黒田九鬼流斎を始末した水猿こと、鰻捕りの名人鯉兵衛もこの長屋の住民だった。忍者だとはおよそ思えない。いくらか腰の曲がった老人で、動作はゆっくりとしていた。酒の臭いの消えない、鼻の頭を赤くした顔でいつもにこにこ笑っている。 三十も歳下の十人目の女房、若いお鮒と暮らしている。女癖が悪い訳ではない、草の役目を悟られないよう、怪しまれる前に女房を変えている。悲しい宿命でもあった。 子の刻になると、長屋が揺れる。お鮒の歓喜の悲鳴が聴こえる。毎晩のことだ。酒好きの助平爺。そうでもしなけりゃ息が続かない、水猿と呼ばれた下忍の仮の姿でもあった。(つづく)作:朽木一空※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2014.10.29
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柳、やなぎで世を面白ううけて暮らすが命の薬梅にしたがひ、桜になびく其日、そのひの風次第虚言も実も義理もなし 江戸の端唄 花のお江戸の八百八町、庶民のほとんどは九尺二間(約六畳)の長屋住まいで暮らしていた。神田弥平町にある伝蔵長屋も、似たり寄ったりの裏店だが、表店が二階になってて、長屋のどんづまりが堀に突き当たっているので、陽も当らぬ、雨漏りはするで、いつも、じめじめしていて、蛞蝓が這い回っている。おまけに、六尺をこえる、白蛇までが、住んでいる。 籠に乗せられ、布に包まれた赤ん坊が堀を流れてきて、「うぎゃあ、うぎゃあ」と、泣き叫び、駕籠が揺れていまにも落ちそうになった時、白蛇がその駕籠を抱くようにして赤ん坊を助けた。子宝に恵まれなかった伝蔵は、流れてきた捨て子にお蝶と云う名をつけ、自分の子として育てた。 以来、縁起のいい運のある白蛇だと、家主の伝蔵は家族のように大切にしている。娘のお蝶もたいそう可愛がり、自分の蒲団で白蛇と添い寝することもあるほどだった。 厠と堀の間に棲家があり、長屋の通路をしゅるるしゅるると這い回り、機嫌が悪いと蜷局を巻く。天気のいい日には石置き屋根で日向ぼっこをする。しゅろしゅろと割れた良く伸びる舌を出し、細い小さな赤い眼を光らせているる。おかげさまで鼠公はいないが、ご近所様は、気味悪がって、伝蔵長屋とは呼ばずに、蛇ぬけ長屋(じゃぬけながや)と蔑んでいて、誰も近寄らなかった。 そんな気持ちの悪い長屋なので、なかなか借り手が見つからない。だから、世間の長屋の店賃は三百文が相場だが、たったの百文だった。蕎麦一杯十六文に比べりゃあ、安いもんで、おまけに、家賃はある時払いの催促なしときてるから店子にとっては伝蔵は仏様だった。 吹き溜まりの様な、ぼろ長屋の店子も当然貧乏人の訳ありだったが、威勢だけはよかった。「せいぜい稼いだところで、また、稼がねえところで、貧乏は貧乏よ、抜けられやしねえ、あがいてみたって、世の中、そういう仕組みになってらあ。あくせくするだけ損だってことよ、ほらっ、貧乏神がくしゃみしてらぁ。どうせ、貧乏、笑って暮らせぇ。明日は明日の風が吹かぁ。朝から晩まで寝る間もなく稼いで、大店持った尾張町の大金呉服店の旦那様、しまいにゃあ、銭持ちすぎて、心配事が溜まって、遊ぶ間もなく、脳卒中であの世行きとは、世話ねえぜぃ。家督を守るのに、しきたり、つきあい、出世のために、ぺこぺこ、あくせく、びくびく、金欠病で、ぴいぴい云いながら、『武士は食わねど高楊枝』とは、痩せ我慢のお武家様だい」 負け惜しみにも聞こえるが、あっけらかんとした諦めの生き方は清々しくもみえた。 木戸番の蜘蛛左は四尺に満たぬ小柄な男で、頭が尻の倍以上もあり、手が地面に着くほど長い。異形な容姿で、嗤われ、忌み嫌われる生涯だが、殺されぬだけましだったのかもしれない。親は産まれるとすぐに、気味悪がって、村八分にならぬうちに、隠すようにして、寺に捨てた。 遠縁でもあった家主の伝蔵が密かに拾って、育て、今は、木戸番をやらせている。木戸番をやらせる理由のひとつには、白蛇に悪戯をしないか見張らせているためだでもあった。 明け六つ(朝6時)に長屋の木戸を開けて、夜四ツ(午後十時)木戸を閉めるのが仕事だが、店賃も回収する、井戸の修繕、雨漏り修理、厠やどぶの掃除もするので大家兼木戸番でもあった。大家と言えば親も同然で、長屋の揉め事、諍い、よろず相談にものっていた。 棒手振りの魚屋、太助は、顔が腐って溶けていく難病で長患いの母親の面倒を見ていた。弱い者いじめを見捨てておけない性分だが、喧嘩っ早くて、喧嘩に弱いのがのが玉の疵だった。粂次は傘貼りが生業だが、南町奉行の同心、間河長十郎の配下の下っぴきもやっていた。 下層社会の情報集めに粂次のような、人間も必要だったのだ。粂次は利用されてるだけなのだが、「おいら、奉行の下で働いてるんだい」と威張ってみるが、お人好しで、あわてん坊で、ちょいと、頭が足りない、どこか抜けているところもあったので憎めない。傘張りの方は、もっぱら女房のおかなと六歳になる息子の淳之介の仕事になっていた。 熊さん八つぁんは、二人三脚の駕籠舁。体力があれば誰にでもできる下層の仕事だった。店に属さない辻籠で、一本の棒の下に竹製の籠を載せただけの簡単な四手駕だった。 今日はあっち、明日はあっちと気楽な稼業だ、前と後ろの二人が息をぴったりと合わさなければ駕籠が揺れる。だから、熊さん八っさんはすこぶる仲のいい相棒だった。 お福とお萬は多摩の貧乏小作人の娘で、吉原の女郎屋に売られるところ、女衒の目を盗んで、逃げだし、偶然通りかかった熊さん八っさんの駕籠に出合い、そのまま懇ろになり女房になった。 二人の兄弟女房というわけだ。裏切っちまった、おかっさん、おっとさんのもとへは帰れない。「おいおい、熊さん、昨日は日本橋から品川、浅草今戸まで担いだから、肩が痛くて泣いてらあ、ぐいっと一杯飲ってから、一仕事といこうか」朝っぱらから酒を喰らう相談をしている。「いいねえ、八っさん、おらあ、『瓢ひさご』のおきみちゃんの酌で飲みたいねえ」 八っさん、熊さん、ご機嫌だ。おっとどっこい、そうはいかねえ、かかあ天下のお江戸でござる。むんずと、襟首を掴まれたふたり、お福とお萬の太い腕が離さない。「てやんでえ、こちっとら江戸っ子よ、銭がありゃあ酒を飲む、銭がなけりゃ水を飲むだけでぃ」「まったく呆れるよ、熊さん、お福さんの腹にゃあんたの子が孕んでるんだよ!」「どこの間男の子でえ、おらあ、自慢じゃねえが、かかあに乗っかちぁいねえよ」「あら、熊さん、昨夜も、うっふんあっはん どたばたすっとん 励んでたんじゃないかい?『馬鹿夫婦、春画を真似て、手をくじき』そのものだったよ、手が痛くないかい?」 九尺二間の長屋の境は杉板一枚、障子に耳ありどころか、隙間だらけで声は筒抜け節穴から隣は丸見え、だから、長屋暮らしでは隠し事が通用しない。みんな、あけっぴろげで暮らしている。 長屋の端には、菊模様の着流しを粋に着こなす、歌舞伎役者顔負けの色男、遊び人の菊之介。年中ぶらぶらふらふら、いい紐でもつかんでいるのか、お気楽者だと呆れられている。 隣には柳橋芸者のぽん吉姉さん。ついこの間までは辰巳芸者だったが、風俗取り締まりの手は、深川一帯の岡場所、歓楽街にまで手が伸び、ぽん吉のいた。置屋『椿楼』も閉鎖の憂き目に合い、遊女たちは逃げるように、柳橋界隈へ住み替えとなった。ぽん吉姉さんも柳橋に流れてきた。ぽん吉というふざけた名前も男勝りの辰巳芸者の時の名残である。「芸は売っても色は売らない」気風の良さと、粋が自慢でもあった辰巳芸者。ぽん吉姉さんも、べらんめえ調で、男羽織を引っ掛けて座敷に上がり、軟な男は相手にしない。そんなところが、気に入られ、贔屓の旦那も多かった。「土産だよっ!」といっては、日本橋の杵屋の饅頭を買ってきて、長屋の連中に配る。ぽん吉がいると、ぱっと花が咲いたように明るくなる。じめじめした蛇抜け長屋の華でもあった。(つづく)作:朽木一空※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2014.10.23
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翌日の10時頃、高山さんと浅川さんは宿を出て行きました。浅川さんはあきちゃんに連絡先を聞いていたようですが、高山さんのほうは私に何も聞いてきません。もちろん私のほうから高山さんの連絡先を聞く訳にはいかないので、このまま永遠にお別れかと思うと、どうしても涙が止まりません。そして宿の玄関先から高山さんの後姿を見ながらずっと手を振っていましたが、浅川さんは振り返るものの、高山さんは決して振り返りませんでした。 宿から帰ってきた後も、あきちゃんと浅川さんは連絡を取り合っていました。そして翌月になって私が四国に帰る日、あきちゃんと一緒に浅川さんが羽田まで見送りに来てくれたのです。でも高山さんは来てくれません。その代り、高山さんからだと言って、浅川さんから白い封筒を手渡されたのでした。 その封筒の中には、ランプの宿で映した数枚の写真と「元気で、お幸せにね。」と言うだけの簡単な手紙が添えられていました。飛行機の中でその写真を見ていると、急にランプの宿での想い出が脳裏によぎり、涙が溢れてきて止まりませんでした。 その後あきちゃんと浅川さんは2回逢ったようですが、それ以上二人の仲は進展しなかったようです。あきちゃんの話では、どうも浅川さんは私のことが好きだったと言うのです。でも高山さんが私に好意を持っていたことと、私もほうも高山さんに好意を持っていることを察知し、成り行き上あきちゃんとカップルを組んだのではないかと言うことでした。だからあきちゃんとは、2回逢っただけで砂に染みこむ水のように自然消滅してしまったのでしょうか。 そして20年後、あきちゃんは勤務先の社長の息子と結婚して幸せに暮らしています。私のほうは四国で見合い結婚をし、娘一人を産んだものの、娘が高校を卒業したのを機に、以前から折り合いの悪かった夫と離婚してしまいました。それで今は母と娘の三人で平和に暮らしています。 そんなある日、偶然あのランプの宿に泊まったという娘の友達から、ランプの宿が来年の1月に閉鎖する予定だという話を聞いて驚きました。それで急に20年前の思い出が走馬灯のように渦巻いてきて、もう居ても立っても居られない気分になってしまったのです。 それで、ここ数年間連絡の途絶えていたあきちゃんに電話を入れて、今年の年末年始にふたりでもう一度ランプの宿に行かないかと誘ってみました。最初あきちゃんは躊躇していましたが、やはり青春の甘酸っぱい懐かしさを思い出し、もうすぐ閉鎖してしまうという希少価値の宿にもう一度行きたいという熱意が沸いてきたようでした。 こうして私とあきちゃんは、20年ぶりに再会することになり、数時間前にこの懐かしいランプの宿に到着したわけです。もともと古ぼけた宿でしたから、もうかなり荒れ果てているのか、リニューアルしているのかどちらかだと思ったら、全く20年前と変わらず、現在もあえて電気を通さずランプだけのひっそりとした宿でした。まるでここでは時間が止まっているかのようです。 宿主の話では、見た目は変わらないようでも、相当建物が傷んできているし、今どきTVもない宿に来る客も年々少なくなってしまったとのこと。さらに後継者もなく、自分たちも年を取ったので、もう引退して宿をたたむことに決めたと言うのです。 だから、年末年始だというのに、今日の泊りは貴女方二人と、男性二人の二組だけだとのこと・・・。『男性二人』と聞いて、私は一瞬ドキッとしましたが、そんな偶然・というより奇跡が起こるはずがない。それにその男性二人組は、いまだ到着していないようです。もう午後6時過ぎだし、もしかするとキャンセルするかもしれません。 それにしても今夜はことに寒い。窓の外には粉雪がチラチラと舞い始めています。きっと明日は積もるのでしょう。TVもない炬燵だけの部屋であきちゃんと二人きり。ここまでは、まるで20年前と全く同じではありませんか。 ちょうど午後7時半頃でした。私はなんとなく淋しいような退屈感を抱いてしまいました。何のためにわざわざこんなところまで来てしまったのだろうか。ふとそんな気持ちになりかけた時、トントンと部屋の扉を叩く音がしたのです。中居さんかと思って、私が「はいどうぞ」と大声で答えると、すーと部屋の扉が開いたのでした。そこには・・・。(完)作:湯川和泉※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2014.10.20
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翌日4人は、三キロ先にある神社まで初詣に行くことになりました。なんと雪道の中を歩いて行ったのですから、やはり若かったのですね。でも4人でふざけ合ったり、身の上話などをしながら歩いていたので、あっという間に神社に着いてしまったものです。その道すがら、私は来月会社を辞めて故郷の四国でお見合いをすることを、気楽に打ち明けてしまいました。それがあとで後悔することになるとも知らず、無邪気なものでした。 それでも、昨夜この二人の青年たちと知り合ってからの僅か10時間足らずが、私にとっては生まれて初めてと言っていいくらい楽しい経験だったのは否めません。それは普段接している職場の荒くれ男たちとは全く異質でセンスの良い、しかも同年代の青年との出会いだったからでしょう。きっとあきちゃんも、同じことを感じたに違いありません。でも残念ながら、彼ら二人は明日帰る予定になっていると教えてくれました。 宿に戻ると浅川さんが、「カップルになって、別々の部屋でくつろがないか」と言い出したのです。私とあきちゃんは驚いて「えーっ」と否定的な声を上げてしまいました。でもすぐに浅川さんが「夕飯までの2時間、それぞれカップルでお話しするだから心配無用」と笑いながら強引にあきちゃんの手を取って、自分の部屋に連れて行ってしまったのです。それで必然的に私と高山さんも二人きりになってしまったのでした。 4人の時はよく喋っていた高山さんでしたが、二人きりになった途端に口数が少なくなってしまいました。たぶん彼は、いつも陽気で積極的な浅川さんにひっぱられているのでしょうか。私とあきちゃんの関係も、私が陽ならあきちゃんが陰かもしれません。でもどちらかと言えば、陽の私は陰の高山さんのほうに惹かれていました。もしかすると、私の心の中を見破った浅川さんが、私と高山さんを二人にするために仕組んだある種の計らいだったのでしょうか。 でもそのとき、私と高山さんの間には何も起こりませんでした。と言うよりも、高山さんはほとんど喋らなかったのです。たった一言「きみは来月故郷に帰ってしまうんだね。幸せになれるといいね。」と言ったあと、「二人の知っている歌でも一緒に歌おうか」と言うなり、下手くそな童謡を歌いはじめたのでした。 本当はあのとき、もし高山さんが私を抱きしめたとしても、私は彼の思うままに身を任せていたでしょう。そして、故郷へは帰るなと言えば、素直にそれに従っていたはずです。でも知り合って僅か10時間余りの人に、それを求めるほうが不自然ですよね。もちろん女の私のほうから、彼を口説くことなんかできるはずもありません。なんだか急に切なくなって泣き出しそうになりましたが、彼に気取られるといけないと思い、ぐっと涙を堪えておりました。 (次回、最終編につづく)作:湯川和泉※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2014.10.17
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20年前、私とあきちゃんがこのランプの宿に着いたのは、午後4時過ぎで夕靄がたちはじめている頃でした。宿の玄関には薄ぼんやりとしたランプの明かりが灯りはじめていました。宿は古い木造の二階建てで、その幻想的な佇まいに、私もあきちゃんもうっとりしていたはずです。 お風呂は4、5人が定員のこじんまりした家族風呂、今でいう貸切風呂が二つあるだけでしたが、天然ヒバの香りのする浴槽が旅情を掻き立ててくれました。風呂から上がって、浴衣に着替えて離れにある食事処で生まれて初めて鹿のすき焼きを食べたのですが、意外にクセがなく柔らかくて美味しかった記憶が残っています。 午後7時半頃に部屋に戻りましたが、もちろんテレビもないし、なんとなく淋しいような退屈感を抱いてしまいました。こんな調子で4日間もここで過ごせるのだろうか。ふとそんな気持ちになりかけた時、トントンと部屋の扉を叩く音がしたのです。中居さんかと思って、私が「はいどうぞ」と大声で答えると、扉が開いて男の人が入ってきたのでびっくりしました。 思わず大声を出しそうになったのですが、顔を見ると真面目そうな若い男性で、申し訳なさそうにモジモジとしています。 それで立ち上がって「何でしょうか」と話しかけると、彼は恥ずかしそうにボソボソと答えました。「実は友達と二人で隣の部屋に泊まっているのですが、何にもすることがなく退屈で仕方がありません。そんな時にたまたま食事処の近くで、貴女方を見かけました。それで勇気を出して声を掛けてみようと言うことになり、ジャンケンに負けた僕が伺った次第です。すみません・・・。御迷惑でなければ4人でトランプでもやりませんか。」 私も退屈していたし、この誠実そうな青年にも興味を持ってしまいました。それであきちゃんの顔を見て同意を促したのですが、彼女は余り気のりしない雰囲気を漂わせています。それでも正面切って嫌だとは言いません。それで私が「トランプ1回だけだから、良いよね、あきちゃん。ねっ、ねっ!」と無理やりOKさせてしまったのです。 はじめに部屋に来たおとなしそうな青年の名前は高山正樹といい、後から来た明るく鞭撻な青年が浅川正輝という名前でした。漢字は異なるものの、二人とも「ま・さ・き」という名なのだと笑っていました。そして二人とも大学2年生、高校からの親友同士で毎年正月には必ず二人で旅に出るらしい。年下かと思っていたのですが、同い年と分かって何となく嬉しくなってしまいました。 一時間くらいで辞めるつもりだったトランプですが、4人できゃあきゃあ言いながらやっていると楽しくて楽しくてしようがありません。当初気乗りしなかったあきちゃんも、楽しそうに大笑いしています。 しかし気付くともう12時近くになっていました。それで明日からは4人一緒に行動しよう、ということにして、その夜はお開きにすることになったのでした。(次回につづく)作:湯川和泉※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2014.10.13
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私がこのランプの宿にはじめて泊まったのは、ちょうど20年前の20歳のときでした。そんな若い女性がこんな山奥にある鄙びた宿を知ったのは、現在のJTBで当時の交通公社が発行していた『旅』と言う雑誌に紹介されていたからなのです。 「電気も通わない山奥に、ひっそりと佇むランプの宿に行きませんか。」と言うロマンチックな囁きに誘われて、年末年始の4日間を親友のあきちゃんと二人で過ごすためにここを訪れたのでした。 あきちゃんこと、山村明子さんと知り合ったのは、上野にある中堅の運送会社に就職したからです。あきちゃんは私より一つ年下でしたが、中学を卒業したあとすぐこの運送会社で働き、夜は定時制高校に通っていました。だから私より年下なのに、ずっとしっかりしていてまるでお姉さんのようでした。もちろん社歴も私より先輩で、事務処理の大部分を掌握し、ミスもなくてきぱきこなしていたのです。 いっぽう私のほうは、四国の高校を卒業したあと、反対する両親を振り払らい、家出同然の状態で、叔父を頼って憧れの東京に出てきたのでした。そして叔父の伝手でこの運送会社に就職したという訳です。 あきちゃんはよく働いていましたが、定時制高校に通っているため残業が出来ません。それを補うという理由もあり、私が採用されたのでしょう。従って私は毎日が残業の連続です。でも不思議ですが、それほど辛いとは感じませんでした。 優秀なあきちゃんと違って、おっちょこちょいで不器用な私はいつも失敗ばかりしていました。でも容姿に恵まれていたせいか、荒くれ男たちは、それが愛嬌なのだと甘やかしてくれたので、余計仕事が出来なくなってしまったのかもしれません。 そんな私に対しても、あきちゃんは嫌な顔一つせず、一生懸命仕事を教えてくれました。私もそんな優しいあきちゃんが大好きになり、二人はすぐ親友になったのです。また二人とも彼氏がいないので、休みの日はいつも一緒でした。 そんなある日、父が急死したと母から連絡があり、慌てて四国に帰り葬儀に参列することになりました。久し振りに逢った母の顔は、かなり憔悴しており、だいぶ老けてしまったような気がしたものです。そしてそれを契機に、東京に戻ってからもたびたび母と連絡を取り合うようになりました。 東京に出てきて約3年。期待していたものは東京にはないようです。それに一人で暮らしている母のことが心配でした。母からは四国でお見合いの話があると聞いています。あきちゃんも定時制高校を卒業し、私が辞めても仕事は全て彼女が一人でこなせるはずです。 そのあきちゃんと別れるのだけは心残りなのですが、母のためにも四国に戻ってお見合いをしてみようと思いました。それであきちゃんと一緒に最後の旅行をするため、この山奥のランプの宿を選んだのです。(次回につづく)作:湯川和泉※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2014.10.10
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忍ぶ、下忍(しのばず)恋の病は、鯉の餌 下忍の池には蓮の葉が繁って初夏の風に揺れていた。黒田九鬼流斎は六尺もある黒竹の棹を、弁天島の方に向かって、投げた。弁天島の下で水に体を沈めたまま、一刻半も観察していた鯉兵衛こと、忍者水猿はにたっと哂う。 その横には、四尺を越える、大鯉が水猿に寄り添うようにして、鰭を揺らしている。ぱくっぱくっと大鯉の口が開く。水猿が頷く。読唇術だった。人と魚が会話をしているようだ。 水猿は石を抱いて池の底に潜る、池の底の泥を掻きながら、九鬼流斎の投げた棹の先へ進む。大鯉は、その上を泳ぐ、大きな蓮の葉が揺れる。 下忍の池の水面には、黒田九鬼流斎の表情が映っていた。釣り糸を垂れ、じっと、浮きの動きだけに集中していると、鳥居耀蔵から解放されている自分が、嬉しがっているのを隠すことができなかった。市中を取り締っている時の鬼の形相とは思えない、見せたことのない、穏やかな柔らかい表情をしていた。 庶民の下の者の楽しみまで奪い、江戸市中から、少しづつ、元気が消えていくのも感じていた。「だが、改革はやらねばなるまい。嫌われようが、誰かがやらねば、幕府は立ち行かぬ」 自分の残虐な取り締まりを正当化して、苦虫を潰した。その、苦虫を潰した九鬼流斎の表情が一変した。蓮の葉がそこだけ、激しく揺れ、六尺の黒竹の棹が撓った。 浮きは水の中にぐぐっと、引き込まて、もう見えない。力いっぱい棹をあげる。「かかった!」黒田九鬼流斎の顔に、「やった!」という煌めきの表情が浮かんだ。立ち上がった。土手に踏ん張る。物凄い引きだ、懸命に棹を引き上げる。「大物だ、主鯉に違いない。やったぞ!」 棹に力が入る。ずずっと、足元の土手が崩れる。その時、四尺もあろうか、大鯉が波を立てて、水面から半身を躍らせて、舞い上がった。「おおっ、ついに来たか、この化け物鯉よ!」 黒田九鬼流斎の興奮は絶頂に上り詰めた。股間が濡れている。大鯉は大きな目玉で、ぎろっと九鬼流斎を睨み付けると、次の瞬間、頭を下にして、尾びれをはためかせ、身を捩らせて、池の中へ勢いよく、飛び込むように沈んだ。「あっあっあっ」 ぐっぐっぐっ、棹の先まで池の中に吸い込まれていく、凄い力だ。だが、黒田九鬼流斎は釣った魚は逃がすものかと、棹を離さない。三年間の執念が詰まっている。「一世一代の大勝負だ!」腕の筋肉がぴくぴく震える。歓喜の表情が顔面にいっぱいに拡がる。 次の瞬間、九鬼流斎は棹ごと、頭から、つんのめるように、ざぶっんと、池の中に引きこまれた。波紋が池いっぱいに広がる。九鬼流斎の体は池の底深く沈んで行った。ぶくっぶくっぶくっと、あぶくが水面に浮かぶ。そのまま、黒田九鬼流斎の身体は二度と水面に現れてくることはなかった。 つっつっつっーと、人差し指ぐらいの竹筒が下忍の池の真ん中にある、弁天島に向かって動き、大きな鯉が尾鰭を揺らせて、蓮の葉をぴしゃっと撥ねて、ゆうゆうと、池の中を泳いで行った。 暫くして、弁天島から、一艘の小舟が池之端の方に向かって、静かに走って行った。水猿と呼ばれた忍者はもう、年老いた町人に身支度を変えていていた。顔の皺が嗤っていた。 水猿の水中忍法をここで明そう。 水猿は魚言葉が理解できる。読唇術だ。不忍の大鯉は200年も生きている。人間の心が読めた。池の底から、水猿は大鯉を抱きかかえ、池の上に大きく跳び上げた。 その瞬間、九鬼流斎の釣り針を池の底に力いっぱい、ひっぱりこんだ、底に沈めた。九鬼流斎が池に落ちると、頭の後ろを、鰻銛で突く、血は出ない。その身体を沈めて、杭に繋ぐ。 池に沈んだ黒田九鬼流斎の遺体は二度と浮かんでこない。 あとは、鯉の餌になる。水猿と大鯉の協同作戦だった。両者に利益があった。以来、不忍の池の鯉が人肉の味が忘れられず、池の端で遊ぶ恋人を引き摺りこんで、食べ尽くすという、怖い逸話がうまれたのもこの頃からである。 町人姿になった水猿、鯉兵衛は、今度はゆっくりとした足取りで、賑あう浅草寺の境内を抜けて、船宿『蓮水亭』に上がり、おかみのお桃と酌を交わしていた。「鯉さん、鰻屋でせかすのは野暮でござんすよ」 鯉兵衛の手は早くもお桃の股倉で動き始めていた。 悪鬼、下忍の池に沈むの巻 おわり作:朽木一空※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2014.10.05
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水清ければ魚棲まず 忍者、水猿こと、鯉兵衛は、黒田九鬼流斎を十日間尾行してもなかなか隙が見つからなかった。神道無念流の使い手で、常に手下を十人以上は連れている。密偵、忍者も忍ばせている。 用意周到な警備に守られ、とても、手が出せるような相手ではなかった。もし、悟られたり、しくじったり、捕えられたりしたら、奥歯に詰めた毒薬を噛み砕いて死ななければならぬのが忍者の掟である。『秘命』は死とともに消えるのだ。失敗は許されない。ことは慎重に運ばなければ死につながる、それが忍者の宿命である。 だが、黒田九鬼流斎が魚釣り好きで、非番の日には、下忍の池(しにばすのいけ)に、子分を連れず、一人で、棹を差すことを突き止めた。下忍池には、4尺(120センチ)を越える下忍池の主と呼ばれている大鯉がいる。もう、200年も生きていると言われている。その大鯉を九鬼流斎は狙っていた。 今日は黒田九鬼流斎の非番の日だった。九鬼流斎は必ずやってくる。奴は、取り締まりのるつぼにはまり、苦しんでいる。どこかに逃げ道が必要なのだ。鯉兵衛は確信していた。人間、どこかに空気の抜け穴がなければ、窒息してしまう。 神田の料理茶屋『極楽里』で子分共と、酒食肉淋の宴会をしている時にも、黒田九鬼流斎はほとんど酒を口にしない、女も近づけない。宴会は配下の者の志気を高めるためだけの戦術だったのかもしれない。ある意味、九鬼流斎は純粋な剣客なのかもしれない、と、すれば、剣客、黒田九鬼流斎が鬱憤を晴らすのは、この下忍の池の大鯉しかいないのではないだろうか。 まだ、陽が頭のてっぺんに昇るまでには時間があった。水猿は水の中にじぃっと潜んでいた。巳の刻を過ぎた頃、案の定、黒田九鬼流斎は釣竿を肩に担いで、下谷広小路から、たった一人で、三橋を渡ってやってきた。池の端の蕎麦屋の屋台に腰を降ろし、かけ蕎麦を注文する。「おやじ、今日こそは、下忍の主の大鯉を釣り上げるぞ!」「旦那、昨日の雨で、水が濁ってまさぁ、綺麗な水じゃぁ掛かりません。こういう日には大物が掛かるでさぁ」 蕎麦屋の親爺も話を合わす。黒田九鬼流斎はご機嫌で、「そうか」と、大きく頷く。一昨年の夏、「下忍池の主」とも云われる、大鯉が掛かったが、済んでのところで、逃げられ、以来その大鯉をどうしても仕留めたくて、非番になると、釣り糸を垂れる。「釣り落とす魚は噺にひれがあり」と、蕎麦屋の親爺がちゃちゃをいれる。「そうではない、本当にかかったのだ」だが、その言葉は飲み込んだ。 市中取締りで鬱屈が溜まっていた。やらねばならず、やればうらまれ、それでもやるさ、やらねばなるまい、だが、下級武士、商人庶民には窮屈を押し付けながら、幕府内には相変わらず、腐敗臭は蔓延っていたし、大御所の徳川家斎は大奥に入りびたり、日がな、女を物色しては淫蕩にふけり、すでに、判明しているだけで、妾を25人、子も、55人儲けていた。それでも飽きずに大奥をふらついている。 将軍家慶は老中首座の水野忠邦に天保の改革を押し付け、評定の場では、何かにつけ「そうせい、そうせい」と、任せっきり。家臣たちは裏では「そうせいさま」と、呼んでいたが、柳に風のていたらく、家慶もまた、親爺の家斉に負けずと、大奥で淫蕩三昧の生活を送っている。すでに、25人の子供を儲けていた。 九鬼流斎は矛盾を感じていた。上司である老中首座水野忠邦や南町奉行鳥居耀蔵は自分の出世しか頭にない。「徹底して、厳しく取り締まれ!」と言う命令を出すだけである。やるのは、自分や与力、同心だった。北町奉行の、遠山影元はその矛盾に気が付いていて、取り締まりを緩めているから、賢い。『水清ければ魚棲まず』というが、人間社会も同じなのか? 色々考えると嫌になる。嫌になるがやらねばならない。損な役回りを押し付けられているのじゃないだろうか?そんな、鬱屈を晴らすのには釣りが一番だった。その時だけは嫌なことから解放される。 いや、忘れていられるというのが正直な気持ちだった。忘れたくて釣り糸を垂れるのかもしれなかった。皮肉にも、九鬼流斎の子分が立てた「魚釣りならず、立ち入り禁止」という取り締まりの触れ看板を足蹴にして、池の繁みに九鬼流斎は足を踏み入れた。もう、心は魚釣りでうきうきしていた。至福の時間が訪れていた。(次回につづく)作:朽木一空※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2014.10.02
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