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影に忍びて、影で滅びぬ、生きた跡ない忍草 上忍の『秘命』を受けてから、鯉兵衛は十日間、昼夜となく、黒田九鬼流斎を尾行した。ある時は、商人に、浪人に、虚無層に、飴売りに、髪結いに、商家の妻女にも化けて、尾行した。老若男女何にでも変装し、歩く様から、言葉遣いも変えることができるのが忍者だった。 諜報活動は忍者のお手のものでもある。夜陰には、屋敷の天井裏にも、床下にも潜り込んで動性を探った。黒田九鬼流斎は南町奉行鳥居耀蔵の信頼の厚い懐刀の家来である。鳥居耀蔵がまだ、若輩の頃からの家来である。神道無念流の使い手で、斎藤弥九郎の九段坂下道場でも三番目に強かった。目配り、気配りが利き、一分の隙もみせない。只者ではなかった。 神田の柳原土手の上だった。九鬼流斎の子分の甚八が、夜鷹を取り締まりついでに、夜鷹に乗ったところ、浪人者が刃を抜いて、甚六の睾丸を切り落とした。「阿漕なまねはやめな、それがご改革か?」 悲鳴をあげた甚八は股間から血を滴らして、土手を転げ落ちた。 九鬼流斎の横手切りを見たのは、その時だった。浪人者もかなりの使い手とみたが、九鬼流斎の刃が一閃すると、浪人者の首から上が、大根でも切るように胴体から離れた。刀では、とてもかなわないと、鯉兵衛は悟った。難敵である。だが、鯉兵衛はじっと機会を待っていた。 天保十一年、幕府内の規律は緩みきっていて、賄賂、収賄、談合、横領、陰謀が絡まりあって、腐敗臭が幕府内に蔓延していた。その悪臭は江戸庶民にも伝染し、芝居、見世物、料理茶屋、岡場所、縄暖簾の店までにも、遊びの文化が花開いていた。その分、面白可笑しく、町には活気が溢れ、庶民は元気だった。だが、幕府の財政状況は窮迫していた。 徳川家慶は老中首座、水野忠邦に、この窮状を克服するため、天保の改革を推し進めたさせた。その皺寄せは当然、庶民にも降りかかっていた。『質素倹約令』である。風俗取締りの町触れを出し、身分不相応の贅沢と、奢侈を禁止した。 水野忠邦の改革を進める、南町奉行の鳥居耀蔵の強引な探索は辛辣を極め、おとり捜査は常套手段、讒言、デッチ上げ、裏切りなど、汚い手口を使い、無罪な者を、罪人にすることなど、お手の物で、狙った獲物に容赦はなかった。鳥居耀蔵は庶民から、妖怪、蝮などと、忌嫌われていた。 その、取り締まりの先鋒を勤めた実行部隊が、南町奉行鳥居耀蔵の懐刀、黒田九鬼流斎であった。岡っ引き、下っ引き、柄の悪い小物を何十人も引き連れて、江戸市中を厳しく取り締まっていた。 その三間四方には、密偵、忍者を張りこませて、偵察させ、二重に眼を光らせていた。歌舞音曲、歌舞伎小屋、芝居小屋、見世物小屋、遊女屋、矢場、料理茶屋、屋台店、湯屋まで、見廻り、目につく贅沢、着物、簪、凧揚げ、魚釣り、縁台将棋、碁の類、お椀、簪までに難癖をつけ、果ては、無宿人はもちろん、河原乞食や、願人坊主、夜鷹、瞽女、座頭 まで、すべてが取り締まりの対象で、春画本や、かわら版、浮世絵の類いも、当然取り上げ、文句を云うものや、刃向うものには、「不埒者め、ご政道に逆らうのか!」と、有無を言わせぬ取り締まりで、片っ端から、しょっぴき、弾圧した。 そして、暮れ六つがくれば、目こぼしを代償に、神田の料理茶屋『極楽里』で子分共と、今日の取り締まり話を餌にして、酒食肉淋の宴会を連日開いた。一方で、取り締まりが厳しさを増せば増すほど、江戸の町は急に元気がなくなりつつあった。 江戸庶民は、南町奉行の鳥居耀蔵は妖怪、黒田九鬼流斎は悪鬼だと、罵り、憎んでいた。かわら版屋も腹いせに悪口憎悪を並べて囃し立てて、庶民は拍手を送った。「妖怪鳥居、悪鬼黒田、蝮に喰われて地獄へ落ちろ!」 そこが、黒田九鬼流斎には面白くなかった。北町奉行の遠山左衛門尉影元は、ずる賢い野郎だ、遠山の金さんなどと煽てられて、甘い取り締まりで、目こぼしばかりしやがるから、人気者になっている。 ご政道に忠実に仕事をしているのは我々の方だ。人気取りや甘いことでは、世の改革はできない。遠山だって、解っているくせに。曖昧や妥協で、ご政道が成り立つはずがない。 だから、黒田九鬼流斎は機嫌が悪い。機嫌の悪さが、ますます取り調べを厳しくもしていた。そして、この頃、自分の近くになにやら、妖しい影が迫っていることも感じていた。剣客としての感性が危険を知らせていた。「疲れているのか?それとも、やりすぎなのか?」 いや、自分のしていることは、庶民に憎まれていようがいまいが、徳川幕府を支えるための必要悪なのだ。明日は、非番だ、下忍の池の大鯉を釣り上げてやろう。ようやく、眠りにつけた鳥居耀蔵であった。(次回につづく)作:朽木一空※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2014.09.27
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どんな草にも咲く花も、咲かせてならぬ草もある、陰に隠れて、忍草、 皐月、明け六つ(朝6時)。鯉兵衛はまだ眠っている裏長屋から、竹魚籠を腰にぶらさげ、木戸を通らずに、厠(かわや)の横をすり抜けて、掘割に繋いである小船に乗る。 ただの老人のように見える、いくらか腰が曲がっていて、動作もゆっくりとしている。だが、今朝の鯉兵衛の赤ら顔には、いつものにこにこした笑顔をどこかに忘れてきたようだ。皺の間から覗く視線が、鋭く辺りを睥睨しているのを隠せなかった。 鯉兵衛は草と呼ばれる忍者である。忍者でも下層の下忍である。忍者としての素性を隠し通し、女房のお鮒までを騙し、庶民の顔をしてもう、長い間裏長屋の暮らしの中に自然に溶け込んでいた。 いつ『秘命』が下るかわからない。明日、下ることもあれば、十年も二十年も『秘命』が下らない場合もある。『秘命』が下るまでは、忍者であることを悟られないよう、ごく普通の暮らしをしていた。 お鮒との裏長屋の暮らしは、鯉兵衛にとっては、ただの老人の穏やかな時間でもあった。だが、十日前の子ノ刻、寝入っていた鯉兵衛の耳に、梟が、ほおぉほおぉほおぉと、三回啼いた。 『秘命』が下る合図だった。十六年振りの命であった。忍びの運命(さだめ)なのか、ゆっくりとした動きの鯉兵衛の背筋にピンと、芯が通った。 鯉兵衛は水猿と呼ばれている下忍だった。『忍者八門』は極めていたが、水中での術が卓越していた。 水遁の術では、腹に当身をうち、仮死様態のまま、一日中水の中に潜っていることもできたし、魚のように、敏捷に泳ぎ、葉や藻のなかに、姿を隠す隠形の術は誰にも見破れなかった。水の上を走る水蜘蛛の術では、あめんぼのように、、音を立てずに自由に水面を移動できた。 そして、なにより、魚語が理解できる術は誰にも真似ができなかった。唇の動きだけで読み取る、読唇術という忍法は、忍者なら誰にもできるが、鯉兵衛は魚と会話ができた。 仕事は、鰻捕りだった。大川、日本橋川、神田川から、堀割りにまで、夕方、鰻筒を仕掛け、朝、縄上げして、日本橋から、花川戸辺りまでの、料理茶屋や船宿に届ける。 二尺程度の鰻が多い中、鯉兵衛の捕る鰻は、十分に育った二尺五寸以上の大きな鰻だったので、蒲焼自慢の料理屋からは人気があった。だが、鯉兵衛の鰻からは肝が抜かれていた。肝は鮒兵衛が生のまま吸いこんでしまうのだった。 船を器用に昨夜仕掛けた鰻筒に寄せると、縄上げした鰻を素早く、竹魚籠に入れる。手慣れた手つきだった。小舟は、掘割から、神田川に出て、大川を下っていく。新大橋、両国橋を潜る。鯉兵衛の小舟はまるでみずすましのように川面をすいっすいっと走った。「鯉さん、今朝のもご立派ね、元気がいいこと、うっふふっ」花川戸の船宿『蓮水亭』のおかみ、お桃は、鰻を見て、意味ありげな視線を鯉兵衛に向けたが、「ちょいと野暮用があってね、午ノ刻までには、帰ってくるよ、お楽しみはそれまでお預けだよ」 船宿『蓮水亭』に鰻を届けた日には、大抵一杯飲って、朝っぱらからお桃と戯れることもあった。だが、今日、花川戸まで船を運んだのは、鰻を届けるだけではなかった。『秘命』を実行しなければならない日だったのだ。 南町奉行鳥居耀蔵の配下、黒田九流斎を暗殺し、死体が見つからないように始末することだった。鯉兵衛は船宿に小舟を残して、田原町、両側が寺ばかりの、新寺町を、風のように疾走し、半刻もかからずに、下忍の池(しのばすのいけ)に着く。池の端仲町をやり過ごして、池の西岸に手配しておいた小舟で、弁天島まで、水の上を静かに滑る。 町人姿の着物を脱ぎ、褌をぎゅっと締めなおしてから、ゆっくりと、水の中に体を沈めた。水遁の術と隠形の術を使って、蓮の葉陰に潜む。蓮の葉の陰から、鯉兵衛の黒い眼だけが光る。誰が見ても蛙が潜んでいるようにしか見えない。黒田九鬼流斎が現れるのををじいっと待った。(次回へつづく)作:朽木一空※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2014.09.24
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幼稚園のほとんどはズル休み。二階から隣家の庭に放尿し、銭湯ではお湯の中でウンチを垂れ流す。また歯医者に行けば、診察道具を掴んで窓から投げ捨ててしまう。気に入らないことがあれば、すぐむくれる我儘放題の困った幼児、それがひろし君だった。 こんなことをずっと続けていれば、大人になってもまっとうな人間になれるはずがない。もう手遅れかもしれないが、そろそろひろし君を両親のもとへ返さなくてはならないだろう。 祖母のたねは、ひろし君の父親である紘一郎と相談して、小学校へ入学するのを転機に、ひろし君を世田谷の梅ヶ丘で和菓子屋を営んでいる紘一郎夫婦のもとに返す決心をしていた。そのことをひろし君に告げると、ひろし君は幼稚園の近くにある小学校に入り、このままたねと一緒に暮らしたいとゴネはじめ、しまいには顔中涙だらけにして、たねにしがみついてきた。 たねは、そんなひろし君を抱きしめてあげたい。だがそれをぐっと堪えて、「ひろちゃんは、もう小学生になるのだから、お父さんとお母さんや妹の知子と一緒に暮らさなくてはダメよ!」と叱りつけた。ひろし君は悲しかった。だがたねの心中は、もっともっと悲しくて辛かったのである。 たねだってひろし君と別れて一人暮らしするのは淋しいのだ。でも、いつまでも自分がひろし君を独占していてはいけない。ここでひろし君を親もとに返さなければ、ひろし君は両親と同居する機会を逸し、親子関係にもヒビが入るだろう。また自分にはひろし君を厳しく躾ける自信がない。 ここは心を鬼にしても、ひろし君のために、両親のもとに返すべきだ。・・・たねは苦渋の決断をせざるを得なかったのである。作:五林寺隆※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2014.09.21
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『待つ身が辛いか 待たされる身がつらいか』 教科書にも採用されている、『走れメロス』のテーマだと、あの人が言っていました。太宰治本人が書いたのか、評論家が言ったのか、それとも、あの人が思いついたのか、うろおぼえではっきりしません。 新宿の交番前で午後六時待ち合わせ、あの人は、いつも一時間、ひどい日には三時間も待たされたのです。私は、いらいら、怒りを通り越して、悲しいやら、情けないやら、空しいやら、大抵は、肩を落として、地面のタイルを見つめてそれでもあの人が来るまで待ちました。 あの人は、「ごめんごめん」と、謝りますが、「待っていた君も辛かったろうが、待たせる僕の方がもっと辛かったんだ、走れメロスの気持ちが解るような気がする」と。訳の分からないことを云うんです。 私、「走れメロス」のテーマが本当にそうだったら、太宰治と云う作家、随分我儘、自分よがりだと思います。作:深田 みつこ※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2014.09.18
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『死ぬほどの苦しみは永くは続かない 永く続いている苦しみは死ぬほどの苦しみではない』 ソルジェニツインの『ガン病棟』の中の一節です。うろおぼえなので、文章は少し違うかもしれませんが、意味はご理解できると御思います。 わたしは、この文章が好きで、辛い苦しい青春でしたが、いつも、この言葉を思い出して、耐えることができました。 くるしい、くるしい、しにたい、しにたい、毎日毎日苦しんでいる、だけど、今日も生きている。そうだ、この苦しみはまだ死ぬほどの、苦しみではなかったのだ。 ああっ、ずっと続く苦しみ、もう、何年も苦しんでいる。この、苦しみに出口はあるんだろうか? だけど、こんなに永く続く苦しみは死ぬほどの苦しみではないのだわ、だって、死ぬほどの苦しみなら、永く続かなくて、死んでしまうもの。作:深田 みつこ※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2014.09.15
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ひろし君は感受性が強く優しい子供なのだが、家族や近所のお姉ちゃんたちにちやほやされて育ったため、短気で我がままである。そのうえ、努力もしないくせに負けん気ばかり強くて困った子供でもあった。 その日の気分で幼稚園を休むので、出席率は半分以下である。祖母のたねが手を引いても、電信柱にしがみついて絶対に手を離さない。さらに歯医者で診察を受けるのが怖くて、歯医者の道具を診察室の窓から捨ててしまうこともあった。 だがたねは一通り注意するものの激怒することはなく、自分の躾けが悪くてすみませんと、幼稚園の先生や歯医者に謝っていたのである。そんなたねの姿を見て、ひろし君はますますつけあがり我がまま放題。「三つ子の魂百まで」できっとこの性格は、死ぬまで治らないかもしれない。 そんなある日、ひろし君はたねに連れられて、バスに乗っておじさんの家に遊びに行った。おじさんとは、父の紘一郎の弟で次男の文雄のことである。戦争に行かなかった文雄は、紘一郎より先に結婚していた。そのため長男でひろし君の従兄である正男は、ひろし君より一つ年上だった。 だから正男は、たねにとって初孫なのだが、一緒に住んだことがなかったため、内孫であるひろし君のほうが可愛くてたまらない。そのことは親戚中誰でも分かっていることなのだが、たねはそれを口に出すことはしなかった。子も孫も全て公平に接しなければいけないと言うのが、正義感が強く律儀なたねの性分だったからである。 このくらいの年令では、たった1歳の違いでもかなり力の差が出てしまう。それでメンコや相撲をしても、ひろし君は正男には全く歯がたたない。面白くないひろし君は、たねに「もう帰ろう」とせかすが、たねは近くの公園で皆で凧を上げようと言って凧を二つ買ってきた。 たねとひろし君と、正男とその妹の圭子の四人は、たこを持って公園に出かけた。正男の凧はたねが手伝い、ひろし君の凧は圭子が手伝ってくれた。はじめのうちは両方の凧ともぐんぐん大空に舞い上がっていったのだが、暫くするとひろし君の凧は、ぐるぐる回転しはじめて、とうとう墜落してしまった。「ひろしは何をやってもだめだな」と正男に笑われたとき、突然ひろし君が切れてしまった。 いきなり正男に跳びかかると、正男の右手に噛みついたのである。驚いた正男がひろし君を突き飛ばすと、その拍子に正男の手から凧糸が放たれて、凧は大空の彼方に流されてしまったのである。そしてクルクル回転しながら池のほうへ落ちて行った。「こいつ」と言って、正男は倒れているひろし君に襲いかかろうとしたが、たねがすぐにそれを静止した。「ひろちゃん、おばあちゃんも見ていたけど、今のは絶対にひろちゃんが悪いよ。まさちゃんに謝りなさい。!」 ひろし君ははじめて見るたねの毅然とした態度にたじろいだ。それに正男に味方するようなたねの言葉も悔しかった。いつだってたねは自分の味方だと思っていた。そのたねが自分を捨てて、正男を選んだように感じてしまったのだ。「おばあちゃんなんか、大嫌いだ!。ぼくは一人で帰る!」と啖呵を切ったひろし君は、そのまま公園を出て大通りに出た。だがバスに乗るお金もないし、どうやって歩いて帰るのか見当もつかない。しばらくの間は大通りを行ったり来たりしていれば、きっとたねが心配になって探しにくるだろうとタカをくくっていた。 一方たねは、ひろし君の行方が心配で堪らなかった。それに正男と圭子も一緒に探しに行こうと言っている。だがここでひろし君を探しに行ったら、正男や圭子に申し訳ない。孫は全員公平に扱いたいし、ひろし君の我がままを益々助長させたくない。ここは心を鬼にしてじっとここで待っていよう。きっとひろし君は反省して戻って来るはず、自分はひろし君を信じている。そう自分に言い聞かせ、正男と圭子には、ここでそのまま遊んでいようと引き止めた。 だがなかなかひろし君が戻って来ないので不安になってきた。すでに夕暮れが近づきつつある。そろそろ限界かもしれない。と覚悟をし始めた時、木陰に潜んでいたらしいひろし君がいきなり走ってきた。「ごめんなさい、おばあちゃん。ごめんなさいまさちゃん、けいちゃん。わぁ~ん。」ひろし君の顔は涙でぐちゃぐちゃだ。正男は下を向いていたが、ひろし君のことが好きな圭子は、ひろし君を抱きしめて一緒に泣きはじめた。 たねも一緒に泣きたかったが、ここは意地を通してぐっと堪え、ひろし君の頭にそっと掌を乗せた。何事もなかったように、四人は笑いながら手を取り合って公園をあとにした。振り返ると、まるであの凧が落ちた池の中に、真っ赤な夕日が沈んで行くようであった。作:五林寺隆※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2014.09.10
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ああ、チクショウ、痒い、痒い、半ズボンの膝から下、耳、首、腕、おでこまで、憎き夏の敵、吸血鬼『蚊』。 俺を集中攻撃しやがる。俺の何が憎いのだ。俺はそんなに罪を犯したのか?いつでもそうだ、三人いても俺ばかりを狙ってくる。体温が高いのか、酒浸りのアルコール臭に寄ってくるのか、それとも血液型なのか、かあちゃん、O型に産んでくれて僕は不幸だよっん。 素手で、ぴしゃっと蚊を叩く。赤い血が吹き飛ぶ。電気ショック付のラケットを振り回す。もう、何十匹殺戮しただろうか、それでも、吸血鬼の攻撃は止まない。今日、何十か所ケ所刺されて、何十匹の蚊を退治しただろうか。俺と蚊の戦争は夏の間中続くのだ。いや、哀れ蚊などど、嘯く蚊は秋深くまで俺を襲うのだ。 猛暑猛暑、暑くて熱くてもう堪らん。夜になっても30°越え。悪鬼、蚊たちが部屋の闇に隠れて、俺を狙っている。そうだ!不眠症対策の蚊退治、『高原の風戦略』を実行しよう。 まずは、部屋の戸を閉めて、蚊取り線香の頭から尻から5巻に火を付け、部屋中を煙で燻す。ざまあみろ、これで、蚊どもは全滅だ。それから、24℃に冷房をガンガンかけて、ああ、気持ちいい!! 冷えたところで、クーラーのリモコンをOFFにして、涼しい夜風が入るよう、窓を開け、網戸にする。タオルケットにくるまって惰眠する。それが、猛暑の対処法。夏の夜の寝苦しさなど、嘘のようだ。すーーいすーーい。 草木も眠る丑三つ時、ふっふっふっふっ、不気味な声が、カーテンの隙間から聞こえる。私には、この巨大悪の人間を許すことができない。罪もない、父、母、兄弟、親戚まで皆殺しにした巨人だ。 血を吸ったのは私だけ、私が交尾(セックス)をして、妊娠し、お腹の卵たちにどうしても、栄養が欲しかったの。血が一番栄養がいいの。悪いのは私だけ、それなのに、罪もない、父や母、子供たちまでを皆殺しにして、惰眠を貪る巨人を私は断じて許さない。 月の光に照らされて、月光蚊面の復讐が始まった。まずはだらしなく穿いたパンツ一枚の太腿をチクリ、ぼそぼそと掻くがまだ惰眠。今度は耳たぶをチクリ、ついでに、唇に、二の腕に、足の指にまで、波状攻撃を掛ける。最後にダメ押し、ぶーーんぶーーんと垂直飛行の蚊音も聞かせてあげよう。 ああ、痒い痒い、チクショウ、まだ蚊が残っていやがった。あんなに香取線香たいたのに。俺は、神経質なんだ。蚊一匹でも眠れない。巨悪が苛立ち、タオルケットを振り回す。じっと待機して、蚊の羽音を狙って、パチンっと、手を叩く。だが、月光の下では勝負にならない。 悔しがる、苛立つ巨悪人間。ああ、もう嫌だ、どうしよう、今夜も眠れない。滅茶苦茶に暴れ出した。手当たり次第にあちこち叩きまくる。イライライラ ふっふっふっ、雌蚊は、巨大人間が大切にしていた。貯金箱に身を隠す。もっと苦しめ、もっと苦しめ、巨大悪人間よ!! たった一匹、されど一匹、雌蚊の復讐劇に巨大人間はタジタジだ。 だが、巨大悪人間の悪知恵を侮ってはいけない。翌夜、草木も眠る丑三つ時、月光蚊面対巨人の第二ラウンドのゴングがなった。貯金箱に潜んでいた雌蚊がニコリと笑い、いつもの攻撃を開始しようと出陣した。もう五時間も血を吸っていなかったので、腹がペコペコだった。 むっ?なにかが違う?巨大悪人間、罪を認めて改心したのか、後丁寧に、皿に、自分の血を入れて、ご馳走してくれるというのだ。まだ、採れたての新鮮な血だった。雌蚊は飲んだ。美味い。 人間との共存共栄が産まれた。自然界に平和が訪れたのだ。巨大悪人間と思っていたが、蚊にも命の尊厳を認める優しい心があったのだ。感激だ!折角のご馳走を残しては失礼に当たる。ごっくん、ごっくん、皿の血を残らず飲んだ。 んっ、飲みすぎた。腹が赤く膨れすぎて、よたよたと歩くことしかできない。まして、飛ぶことなど、できなかった。「馬鹿な蚊よ!!これでお前も一巻の終わりだ!!」バチッ、人間の手の平には蚊の死骸と血が一面に拡がった。教訓、出血サービスにご注意!補助金、助成金、食べ過ぎ、飲みすぎに注意!甘いものには罠がある。作:下肥 流行※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2014.09.06
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ぼくと沙保里は、看護士に案内されて吉崎徹という名札がかかっているいる病室の中に入った。ベッドに寝ている男が、ゆっくりとぼくを見た。もう顔に包帯はしていない。あれから形成手術を施されたのだろう。だが顔は半分崩れていて、とても以前のぼくの顔とは思えない。しかしじっとぼくを見つめるその瞳は、間違いなくぼくの瞳であった。看護士が退室するのを見届けると、ぼくは河野に話しかけた。「河野・・・、無事でよかったな。でもぼくは君に謝らなければならないことが沢山あるんだ。」 沙保里はうつむいたまま「あなた・・・」と一言つぶやいたままだった。 河野はまだ動けないようだ。話すことも出来ないのだろうか・・・。とそのとき河野がかすれた声で話し始めたのである。「河野さんはあなたではありませんか。昨日看護師から河野さんが私の入院費を負担されていると聞きました。そして今日、お見舞に来るとも聞きました。こんなことになったのも、運転していた私の責任なのに、逆にこれほどお世話になるとは思いませんでした。本当に申し訳ありません・・・。」「エッ!」とぼくは思わず叫んでしまった。そして同じく呆然としている沙保里の手を取ってナースステーションへ向かった。 病院側の説明では、あの事故でぼくたち三人が運ばれてきたとき、それぞれの着衣の中にあった名刺や運転免許証などでそれぞれの名前を確認したと言う。ところが今日の今日まで吉崎徹だと思っていた入院患者は、ぼくたちを乗せていたタクシー運転手の山崎達彦という男だったのである。 なぜ病院側が名前を取り違えたのかは全く不明だと言う。吉崎だったぼくには身寄りもなく、寝たきりで意識のなかった重症患者に確認する術がなかったのだから仕方がないだろう。 そしてタクシーの運転手だと思われていた男は、病院に運ばれてまもなく亡くなったらしい。そうそのタクシーの運転手こそ河野だったのである。つまりぼくと河野だけが入れ替わったのではなく、河野の体にぼくが、ぼくの体に運転手が、そして運転手の体に河野が乗り移ったのだろう。 ぼくと沙保里は病院を出た。夕焼けが眩しい。早咲きの桜もそろそろおしまいなのだろう。生暖かい春風が通り過ぎたかと思うと、まるでぼくたちの再出発を祝うように、桜吹雪が夕暮れの街に舞い始めた。沙保里がそっとぼくに寄りかかってくる。ぼくは左手で優しく沙保里を抱き寄せ、右手で彼女の白く細い掌を握りしめていた。(完)作:河村 道玄※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2014.09.02
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