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雲海の遥か彼方に何を見る心に宿る少年の日々災害は忘れぬうちにやって来るそして今度も想定外だ作:五林寺隆※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2019.11.28
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歳をとると、、、ブツブツと毎朝、噴火のように顔に出てきたニキビも出なくなった、希望と絶望が混ざり合った、甘酸っぱい匂いを抱えたニキビだった。初恋の味を覚えているのはあのニキビだったのだ、 ああ、今思えば、青春のシンボルだったのに歳をとると、、、、~くせえな、だれの足だ~あれほど他人に迷惑をかけた、足のくせえ臭いも薄れてきた、もしかして、あの臭いこそが僕の命の素だったのかもしれない、ああ、あの靴下の臭いよ、君は何処へ行ってしまったのだ歳をとると、、、、学生服に雪のように舞っていた、”ふけ”がいつしか降らなくなった、細胞の生まれ変わりが止まってしまったのか、懐かしき”ふけ”よ、ああ、お前こそが青春の一部だったのに、今では”老け”の風が吹いている 歳をとると、、、、風呂上がり、躰が水を弾きタオルもいらなかったほどの脂性の躰だったのに、いつしか、皴皴で筋肉の減った躰は乾燥して、かさかさしている。ああ、老体にオリーブ油を塗って青春を取り戻せ歳を取ると、、、鼬(いたち)にも負けず、スカンクにも負けない周囲を圧倒する強烈な個性の青春の屁をしていたのだが、今では、悲しげな、情けないような音を出して、臭いすら薄くなってしまった。ああ、嗅いでみたいな、あの屁が懐かしい歳をとると、、、「愛と死を見つめて」の映画で涙した君と僕嘘のない感動、あの純粋さこそ、青春だったのだ、昨日、物語の筋も理解できないドラマを見て涙を流していた、ただ涙腺が緩んだだけなのでしょうか、涙が出ればいいってもんじゃないんだああ、青春映画で感動の涙をこぼしてみたい追伸、映画評論家の蔵研人先生、教えてください、純粋な涙の止まらない、絶対おすすめの青春映画はなんでしょうか?作:下肥 流行※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2019.11.22
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俺の会社は20階建てのビルの19階にある。このビルの地下1階から地上2階まではレストラン、銀行、商店がテナントで、3階以上は事務所になっていた。ただ地下と2階まではエスカレーターで結ばれていて比較的便利なのだが、3階以上はエレベーターが2基しかないので、朝のラッシュ時などはなかなか戻ってこないのがネックになっている。 会社には早く来ていたのだが、朝飯抜きで急に小腹が減ったので、コンビニでパンを買うため19階から1階まで降りて行った。 コンビニのビニール袋を持ってビルに戻り、エレベーターのボタンを押したのだが、朝のラッシュに遭遇してなかなかエレベーターが来ない。やっと来たかと思ったら、満員のため通過してしまった。 このビルは地下1階で地下鉄と繋がっているため、ラッシュ時はすぐに満杯になってしまうのである。それに今日は1基が故障しているため、動いている1基が悲鳴を上げている。 この様子では暫くは満員通過の繰り返しに違いない。そこで俺は地階方向へ逆乗りするため、下方向のボタンを押した。今度は降りてきたエレベーターは、ピタリと止まってくれた。ドアの中には誰も乗っていなかったし、一緒に乗ってくる者もいなかった。 誰もいないエレベーターに乗り込んで、19階のボタンを押したのだが、なぜかボタンが点灯しない。逆乗りしているからだろうか・・・。まさかそんなことがあるはずがない。と考えているうちに、スルスルとドアがしまってしまった。 当然地階方向へ向かうと思っていたのだが、何故か上階へ向かい始めているのである。行先表示板のデジタル表示が2F・3F・4Fと変化してゆく。 俺はもう一度19階のボタンを押したが、やはりボタンは点灯しない。そしてエレベーターは猛スピードでどんどん上昇してゆくではないか。あっという間に19F・20Fを通り越しても、まだ止まらないのだ。 このビルは20階建てのはずである。一体どうしたのだろうか。奇妙さよりも恐怖心が溢れてきた。もうすでに行先表示板には40Fと表示されている。「助けてくれ~!!!」俺はかすれた声を張り上げながら、赤い非常ボタンを押し続けたが、何の反応もない。 エレベーターは100階をとっくに過ぎて、200階から300階に向かってさらに加速しているようだ。行先表示板の故障なのだろうか。しかしエレベーターが上昇し続けていることは体感覚で分かっている。 腕時計を見ると、エレベーターに乗ってから既に30分近く経過しており、行先表示板は000000と表示されているではないか。もうどうすることできないので、俺は放心状態で床に座り込んだままである。 それから1時間ほどすると、「チン!」という音がしてやっとエレベーターが止まった。そしてドアがゆっくりと開く。なんとドアの外は真っ暗闇だ。と感じた瞬間、俺はその暗闇の中に猛烈な勢いで吸い込まれていった。作:河村 道玄※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2019.11.18
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~火事と喧嘩は江戸の華~ なんて、言われていますが、江戸の町の消防は、め組に代表される、いろは組47組の町火消しが受けもっていました。彼らは普段は鳶職や建設現場で働いていた町人でございまして、いざ、火事だとなれば、駆け付ける、粋で鯔背な火消しは、江戸の町の人気者でございますよ。 医療に関しては、医者は誰でもなれたし、免許も許可もいらなかったのです。自分が医者だと言えば医者なのであって、町人はその医者の医術や薬の料金で医者を判断したのでインチキな医者や高額を請求する医者は自然淘汰されたのでした。現代のように、医師免許さえあれば威張ってはいられないのです。免許より実力の世界だったのです。 町人の教育に学校などという、幕府が管轄す施設はありませんでした。民間の寺子屋があっただけです。先生の手習い師匠もまた、教員免許もいらないし、もちろん、教科書もないので、幕府の検定もない、町奉行所内にも、寺子屋担当という文部省のようなものはありませんでした。 まあ、江戸の町の庶民教育には幕府はまったく放任だったのですが、江戸の庶民の識字率はその当時世界一と言われていて、ほとんどの者が字が読めていたのです。江戸の町には600軒を超える貸し本屋があったといわれておりまして、その貸本屋が大流行りで、裏長屋でも、遊女屋でも貸本は人気があったことからも庶民が字が読めたことがわかります。 江戸時代の税金は、、百姓は年貢という高い税金を課せられていましたが、町ではどうだったのでしょうか、町人(店持ち、地主)たちは店の間口に応じて、町入用(ちょうにゅうよう)という税を払っていましたが、裏長屋暮らしの八っつぁん、熊さんたち、まあ、江戸の一般的な庶民の暮らしは貧しいものと相場は決まっていたので、お上(かみ)は、彼らには課税しなかったのです。長屋暮らしの住民は、税金と思われるものは一文も払っていませんでした。 税金は店持ち、家持(金持ち、富豪)だけで、貧乏丸出しの長屋暮らしの者には、住民税も、消費税も、所得税も、固定資産税も、贈与税も、相続税も、酒税も、たばこ税も、水道代も下水代も払わなかったのです。江戸の庶民には優しい社会だったことがわかります。 色々混ぜてわからなくしている現代では、薄給の会社員でも軽く50%は税金をとらっれているのではないでしょうか。このことは、経理実務経験約40年の蔵研人先生に調べてもらうことにしましょう。 封建主義などと、批判される江戸の町ですが、現代に比べれば、はるかに自由な世の中だったのじゃないでしょうか、楽しそうな長屋の人々の声が聞こえてきそうなのです。 徳川幕府は長く続いたのは、幕府がいろいろお町民におせっかいをしなかったではないだろうかと思うのです。 さて、お江戸に興味の湧いてきた方は、、、江戸はなし、笑左衛門残日録をご覧くださいhttps://plaza.rakuten.co.jp/edobanasi/作:朽木一空※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2019.11.13
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~ 織田がつき羽柴がこねし天下餅 すわりしままに食うは徳川 ~ と、誰が作ったのかは存ぜぬが、徳川家康を風刺している狂歌がありますが、でんでん。 しかし、その徳川家康がそれまで、日本国中で争いの絶えなかっ戦国の世を、治めて以降、270年の長い長い間、平和で安泰な世の中が続いたのでございます。明治維新から現代まで、まだ150年ちょっとしか経過していないのです。 徳川政権は封建制度で大名を雁字搦めに縛っていたから続いたんだという批判もあるますが、、果たしてそれだけでしょうか、、、、。 蔵研人先生開発のタイムトラベル車をお借りして、江戸の町をぶらぶら散歩してみて色々なことがわかり始めたのです。江戸の幕府は庶民生活にはほとんど、余計なことはせず、口出しせず、町のことは、町年寄りからなる、町の仕組みに任せきっていたことがわかります。現代社会のように政府が法律、規則、条例を作り、何でもお役所が仕切るという窮屈な社会ではなかったのです。 町の決まりも、もめ事も、この町年寄り、町名主たちの町人組織で解決していたのです。すぐ、何かあると、役所だ、警察だ、弁護士だ、裁判だとかいう現代の国とは大違いなのです。現代の政府のように税金を取るだけとっておいて、あれこれの規制や免許、許可、資格で庶民を縛るということはしなかったのです。 そもそも、江戸時代はほとんど役人がいないかった。やりたくともできなかった。だから、町人は自由だったのです。極論すれば、江戸時代が長く持ったのは、幕府が何もしなかったからだとも言えそうです。 江戸の町奉行所の役人は290人。南町奉行所、北町奉行所があり、月番で交代で担当したので、常に機能しているのは半分の145人。この少ない人数で、町方の行政・司法・警察、消防などを担当していたのです。 町民からの訴えは毎日山のようにあり、それを読み、裁判を行っていました。犯罪捜査などの警察業務にあたるのは三廻(定廻、隠密廻、臨時廻)の同心で、町内を見廻り、犯罪人を捕縛します。それから、裁判し、牢屋を管理し、刑の執行まで、いたします。現代でいえば、警察、裁判所、消防署、刑務所の仕事を、わずか290人でこなしていて、 160万人の江戸八百八町を管理していて、事件が少なかったというのですから驚き桃ノ木なのでございます。そのことは、江戸の奉行所の記録に残されているそうです。 奉行所の同心たちはとても手が回らないので、手足になる者を雇っていて、この人たちを岡っ引きとか目明しとか言うのですが、彼らに十手を預けて手助けしてもらっていたのです。よく、テレビドラマに出てくる、捕り物帳の伝七や銭形平次、たちがその人です。彼らは給料は貰えませんから、別に仕事を持っていました。ここでも町人の力を借りていたのです。 江戸の町は治安が良かったため、めったに事件や、まして、殺人事件などはおきていないのです。テレビや映画の時代劇では、切り捨て御免や、盗賊が皆殺ししたり、殺人事件が多いのですが、それは物語の世界のことで、本当はめったに起きることではなかったのです。それは、現代に比べると、刑が格段に厳しかったからともいえます。 大名や旗本は大きな事件があれば遠島もしくは、切腹の上、家名断絶、お家取潰しになりましたので、町中で、横暴なことは戒められていたのです。 火罪、放火犯は、馬で市中引き回しの後、刑場で刑木に磔にされ火あぶりで処刑されました。主殺しなどの殺人は市中引き回しの上、磔の上獄門首を千住小塚原か深川鈴ガ森の刑場に晒されました。 過失による殺人でさえ、死罪ですし、不当な言いがかりをつけられ刃傷沙汰に及び、相手を殺したもの、人殺しの手伝いをしたものは遠島になりました。 十両盗めば死罪、不義密通も死罪、江戸幕府法における主要な刑罰は、死刑と追放刑が主なもので、懲役何年などという、役所の手間や経費のかかる刑はありませんでした。牢ははあくまで処分が下るまでの仮住まいだったのです。犯罪には厳しい江戸の町でしたが、悪いことさえしなければ、呑気で安泰、平和な世の中だったのです。 それにしても、幕府の少ない人数で平和な江戸の町が270年もの間保てたのでしょうか?それには、もうひとつ江戸の長屋の管理にあったのです。町民のほとんどが暮らしていた割長屋でおきる様々な問題は長屋の大家が解決していたからです。 町の人別帳に見ることができるのですが、結婚離縁の手続きも大家の仕事、市役所に行くことはしません。行き倒れ、捨て子なども大家の管轄。捨て子があればその町の費用で育てます。いちいち奉行所に相談はしない、町のことは自分たちでやるのです。 自分の家の前に捨て子があれば自分が育ててあげよう、そういう人情深い江戸の時代だった。あっしの家に前に捨てられちゃあ、困りますよ、でいじょうぶ、捨てる方だって、そのくらいのことはちゃんと調べて、人情のある人の家の前に捨てますよ。 現代のように、市役所やら、保健所やら、保護司やらの役人が出てきて、あれやこれや面倒な手続きをして、挙句、施設に引き取らせるなんてことはしませんよ。いかに安上がりの社会か、相互扶助、助け合いの町、基本的に江戸はそういう社会だったのですよ。(つづく)作:朽木一空※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2019.11.08
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新米の光にあふる夕餉かな北の山かすんで白し夕時雨作:佐藤ふみ女※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。にほんブログ村
2019.11.04
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