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今年は、仕事が忙しくなる模様・・・・・ということで、「一級土木施工管理士」を募集したところ、今日面接に来ました。27歳で、なんと先週合格したとのこと・・・・身元もしっかりしているので採用決定。まじめな人なようです。 この次は下半断面の工法を説明しますけど、ちょっと間をおきましょう。そうしないと、なんとなく「トンネル工学」の教授にでもなっちゃったようで、お尻の辺りがむずむずします。前回お話した、「火薬庫」、「取扱所」、「火口所」の設置もさることながら、「事務所」と「宿舎」も作らないといけません。トンネルはどうせ暗い土の中をモグラのように掘り進めるから、当然24時間体制なんですよ。だから途中交代して、半分仕事してるときは、後の半分は寝るんです。この現場は、二交代制で朝の8時から17時までの班と、20時から、翌朝5時までの班がありまして・・・・10人ぐらいずつなんですよ。途中、昼食(夜番も0時に食事します。)をはさみますけど、そんなに忙しければ、8時間ずつの3交代にすればいいじゃないかと思うでしょ?ところがね・・・・トンネルの坑夫は、支保鋼一基建てこみ10万の請負制でね、・・・だいたい2基は建てるんですけど、時間がずれ込んでも3基建てようとするんです。一基10万で、3基30万・・・・10人編成の班ですから、一人3万になるんですよね。2基にするか3基にするかは、その班の班長が決定するんですけど、トンネルではこの班長を「斧指」と書いて「よきさし」と呼ぶんです。前に、支保鋼と支保鋼の間に「矢板」を天井のように張るっていいましたけど、木でできてますから、、斧を上手に使う指示者という意味なんでしょうか。その「斧指」の指示が間違うと時間オーバーになっちゃうんで、きっちり8時間ずつの3交代っていうわけには行かないんです。それに、その休憩の間を縫って、「トンネルの方向や高さが間違っていないかどうか」・・・・私達、職員が測量もしなければなりませんから、どうしても2交代が限度なんです。その宿舎なんですけど、だいたいが二人部屋でね・・・・昼夜一人ずつがペアになって、だからマア個室のように使えるわけです。風呂はいつでも入れるようにしてあります。また浴室の隣は洗濯乾燥室が併設されて夜中でも洗濯物が乾くようにしてあります。食堂は「まかないのばあちゃん」がひとりで作るんですけど、慣れているのかおいしいものを作ってくれました。宿舎に泊まるのは坑夫20人に、大手ゼネコンから出向の8人、わが社の5人のうち、松本君と私だけ泊まることになってて、あとの3人は家族もちだったから、毎日通いでした。それと「まかないのばあちゃん」を含めて31人がそこで生活したのです。もちろん、「仕事が終われば一杯」っていう人が多かったから、食堂には彼ら個人の「一升瓶のボトルキープ」があり、それぞれの名前の札を瓶に張っていました。あるときの事・・・・・一人の坑夫が「俺の酒の量が減ってる」と大騒ぎになったことがありました。彼は昼晩でしたから「きっと夜番の誰かが飲んだに違いない」ってことになりまして・・・・で中でも一番酒飲みの男が疑われちゃったんです。トンネルの坑夫さん達って、「命かけて仕事して」ますから、金とか物に対する執着は尋常じゃないんですよね。「あいつに違いない」って、台所から包丁持ち出して、「そいつを殺してくる」って出て行こうとするんです。みんなで押さえようとするんですけど・・・包丁持ってますしね・・・・それに日ごろ仕事で鍛えた肉体ですから、力も強いんですよ。我々一般人には押さえようもないんですが、こんなときはさすが「斧指」です。やおら近づいてって、ボディに一発、・・・屈みこんだところを膝蹴りで気絶させちゃった。相手がちょっと酔っ払ってたからできた・・・なんてあとでいいましたけどね・・私なら逆に酔っ払いだから近づけないと思うんです。「斧指」ってすごいなあ・・・って思いました。トンネルの坑夫のけんか・・・・けっこう多かったですね・・・全て金に絡んだけんかでしたけど、ダイナマイトの発破師が、私ともうひとりがまだ避難し終わらないうちに、点火しちゃったことがあるんですよ。「危ない」って誰かが叫んだんだけど、隠れるところもなくてね・・・・もう伏せるしかなかったんですけど、私のすぐそばを直径20センチくらいの岩がかすめ飛んで行きましたっけ。その発破師、私には恨みはないんだけど、もうひとりを殺すいいチャンスだった・・・なんてことを、そのあと警察に引き渡したときに「取調べ」で言ってたそうです。その電気発破機の鍵・・・・私まだ渡してなくて・・・・それでも彼は殺す機会をうかがって、合鍵を作っちゃったらしいんですよね。マア、簡単な鍵ですからいくらでも作れるんですけど・・・・・いろんな事件がありました。そうそう事件っていえばね・・・・・6月梅雨のころのお話・・・・・・長雨が続き、山が土砂崩れの危険あり・・・ってことになったんです。図面を開いてみると、もし土砂崩れがあると、その土砂は真っ直ぐ私達の事務所や宿舎になだれ込んでくるって言うんで、坑夫たちを避難させ、職員で見張りに立ったんですよ。見張りに立つと言っても、山のあちこちにセンサーを取り付け、少しでも山が動くと警報ブザーがなるようにして、一晩中山を事務所の窓から見張ってただけなんですけどね。山に残されたのは、前田さんと川口って言う大手の職員、それと松本君と私の4人だけ・・・・マア、独身4人組だから土砂崩れに巻き込まれても誰も泣かないだろう・・・ってことらしいんだけど、私だって彼女の一人や二人(二人はいないな)いましたから・・・・きっと泣く人もいたと思うんですけどね。デモね・・・・ずっと山だけ見てて、警報ブザーがなったら、すぐに逃げ出せるよう、ジープのエンジンかけっぱなしでいたんだけど・・・・・朝4時過ぎたら、もうどうしても眠くなって・・・・「土砂崩れに巻き込まれてもいい・・・寝る」4人とも布団に入っちゃいましたよ。ほんといろんな経験しましたね。あ、もうひとり、坑夫で面白い人がいたんだ・・・・・あまりない苗字だからね・・・イニシャルで言うとHさんて言う人だったけど、ほんとにまじめな人でお酒をまったく飲まないんですよ。ただ、変わってたのは、男性のあそこに・・・真珠を入れてたんですよね。一緒に風呂に入って驚いちゃった。何個入れてたのかなあ?でも、お酒はまったく飲まない人で、・・・それにひとなつっこい人でね・・・私のそばに来ては「監督さん、監督さん」っていってくれるんですよ。私も気分いいですからね・・・・一度、や澄のときに一緒に町へ降りて飲みにいったことhがあるんです。それでも彼は、コーラかなんか飲んでましてね。でも、飲み屋のお姉ちゃんの扱いには慣れてるようで、ひとりもてるんですよ。こっちはつまらないから「おい、H!、俺の酒を飲め・・・・俺の酒が飲めないのか?」なんて絡んじゃったんですけどね・・・・・・そしたらこっそり耳元で・・・「監督さん、俺、酒の上で人を殺して、今保釈中で・・・・・だから飲まないんですわ」なんてことをいうんです。ほんとかどうかわかりませんが、そのとき、一気に酔いが冷めましたね。おっと、眠くなってきたんで寝ますけど・・・・・明日は、下半断面の工法の説明をちょっとして、いよいよ「トンネル越冬隊」の話に移りたいと思います。じゃあ。つづく
2007.01.31
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皆さん、図解はあきらめました。ここで図面を描くと、仕事の延長みたいになっちゃうんで、・・・・昔の教科書引っ張り出して、スキャニングしてみたんですけどね、真っ黒になっちゃうし・・・・だから、あきらめました。ごめんなさい文章を何度も読み返して、それで想像してください。そのうち、いいトンネルの絵が見つかったら、紹介します。ア、検索もしてみたんですけどね「シールド工法」とか、ダイナマイトを使わないトンネルの工法しか紹介がなくて・・・・・だから、そのうち・・・そうだ!5月、「劇団無=魂」さんの公演のときにでも、もしオフ会があったならそこで解説しましょう。でも、お芝居のおはなしをしないで、トンネルの話ししてたら、テルさん怒るだろうなあ・・・・ トンネルの工法については、支保鋼建て込みまでの説明をし、天井に矢板を差し込むとこまで説明をしました。ア、鉄の棒と鉄のパイプで、で山が押されても動かないようにするっていうのも言いましたよね。この鉄の棒とパイプを「タイロッド」といいます。で、「発破作業終了」から「支保鋼建て込み」から矢板、タイロッドの作業まで、およそ2時間以内で完了させなくてはいけません。それ以上の時間がかかると、ダイナマイトで緩んだ岩石が「土砂崩れ」となって空が見えることになることになるのです。「トンネル屋」にとって、空が見えるということはほんとに情けなくなります。私も一度経験しました。まもなく「トンネル貫通」っていうころだったんですけど、「貫通式」の準備なんかしてたのに、「山を落として」、貫通式どころか作業も長期中止になったんです。こうなるのは、通常、トンネルの出入り口付近で起こる事が多いんです。山の押す力が、支えるいちばん弱いところに向かってくるのでそうなるんですけど、その力を「偏圧」といいます。(なんとなく、トンネル工学の授業を思い出すなあ)その時、土砂崩れを食い止めるために「水ガラス」って言うので補強し、「後光梁」で支えて作業を再開したんですけど、この説明も面倒なので、皆さんにお目にかかってから説明しましょう。さて、ここで、私の専門である「ダイナマイト」についても説明しましょうか。皆さんが「ダイナマイト」に触れることはないと思いますけど、もしそういう機会があっても、「銀行強盗」に使わないような程度・・・悪用できない程度にお話します。ダイナマイトにもいろいろな種類がありまして、その種類は「号数」と「樹木の名前」で表します。トンネルの場合、換気の問題がありますから「後ガス」の少ないものを使用します。このトンネルの場合、「2号榎」と「3号桐」を使用しました。1本100グラムのダイナマイトで岩石の種類にもよりますが、およそ1トンの岩石をふっ飛ばします。上半断面(トンネルの上半分)を1メートル掘るのに120本ほど使いますね。削岩機で穴を開け、そこにダイナマイトを詰めるんですけど、120個の穴を開けるんではありません。一個の穴の雷管を仕込んだ「親ダイ」というものを一本いれ、そのあとに雷管のないダイナマイトを2本入れて誘爆させるんです。だから穴の数はおよそ60箇所。ダイナマイトを入れたその穴は、最後粘土でふたをします。ダイナマイトの爆発力っていうのは、「自由面」・・・つまり、押さえている力が弱いほうに爆発しようとしますから、岩石に直接力が加わるよう粘土でふたをするのです。雷管ですけど、「電気雷管」は爆発するスピードが10段階になっています。0.1秒ずつずれているんですよね。これは、皆さんも「ビル爆破」なんかで、少しずつ遅れて爆破するシーンを見ていると思いますので説明はいらないでしょう。で、このダイナマイトを取る扱うには、ひとつの現場に3人の「火薬類取り扱い保安責任者」という資格を持った人が、3人いなければなりません。「正責任者」「副責任者」・・・そして「正責任者代理人」です。ダイナマイトの管理ってほんとに厳しいんですよ。それと、ダイナマイト作業の時には3つの建物が必要になります。銃砲店なんかの火薬屋さんが、現場にダイナマイトの輸送を行います。これを先ず、「火薬庫」のいれて数量チェックします。一箱に225本・・・22.5キログラムのダイナマイトが入っていて、それが一度に20箱ほど搬入されます。電気雷管も一緒に運んできて入れるんですけどね。その後、その日使う量だけ、「取扱所」というところに運びます。このときは、ダイナマイトだけ「取扱所」に運び、電気雷管は「火口所」というところに運びます。そして今度は、その時間に使うだけのダイナマイトを「火口所」に運んで、電気雷管をダイナマイトに差し込みます。ダイナマイトは、昔よく使ったヘアーチックのような硬さで、形状も似てましたねえ。この、「火薬庫」、「取扱所」、「火口所」・・・3箇所とも明かり用の電気は着ていません。だから、トンネルの工事も昼はいいんですけど、「夜番」になると雷管の作業がしにくいんです。「火口所」で、雷管を取り付け、ダイナマイトは、今度は「切り羽」と呼ばれる、現場最前線に送られます。ここで、削岩機で開けられた穴に詰められるんですが、詰めてから「結線」をします。電気発破ですから、通電試験を行い・・・・線が結ばれていること、それと切り羽の状況を確認・・・・そして、トンネル坑夫の避難状況を確認してから「電気発破機」の鍵を、坑夫の中にいる「発破師」の資格を持ったものに渡し、爆破させるのです。それから、「ズリだし」に1時間、「支保鋼建て込み」に1時間・・・・こうしてようやく、トンネルは1メートルほど前進するのです。この作業を先進させておいて70メートルほど後ろから、今度は「上半コンクリート打設作業」が始まります。トンネルの上半分を、コンクリートでアーチ状に覆工してしまうんです。これは、「セントル」という、上半を全部隠せるアーチ状になった型枠で、10mの長さの物を使います。この「セントル」は、重量もありますから、線路と枕木を使い移動させるんですが、そのコンクリート打設位置につくと、油圧で所定の位置にセットされます。そしてコンクリートを「ポンプ圧送」して充填させ、「サラマンダー」とか「ジェットヒーター」で暖房し養生するのです。そしてコンクリートが固まったら、このセントルを移動・・・・そこには見事に、トンネルの上半分だけが出来上がっているのです。この状態で上半の作業は終了となります。とりあえず、なんとなくわかってもらえたでしょうか?イヤア、トンネル工事の人間ドラマを書こうと思ったんだけど、まさか、工事の説明からとは思わなかった。この次は、少し説明を省いて、ドラマ仕立てにしなくちゃね。疲れたんで・・・・つづく
2007.01.31
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すんません・・・・図解したいんですけどやりかたがわかりません。コメントで教えてください。(まさかここでトンネルの解説すると思わなかった)
2007.01.30
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マツタカさん・・お誕生日おめでとうございます。コメントください・・って書いてあるんだけど、コメント書くとこないんですよ。至急作ってください・・・業務連絡でした。で、この「トンネル越冬隊」なんですけどね・・・・書き始めたら工事の最初のころから書いちゃったんで、不思議体験に行くまでかなり時間がかかりそうなんです。だから、「越冬隊」なのに、真夏の景色も出てきそうでね・・・まあ・・・いいか! 測量も無事終わり、基準点の移設も行い・・・・でも、工事にかかるにはまだまだ時間がかかるんです。測量した結果を役所に報告すると「設計変更」が行われるんです。コンサルタントの測量ミスがあったんで、用地買収なんかやり直すこともあるんですけど、今回は全部、県の土地だったからそれは無し・・・・・図面の書き直しだけだったんですよ。それができて、今度は「施工計画書」の作成に移りました。「この工事はこの計画でこのような工法でやりますよ」って言う計画書なんですけど、だいたい東京23区の電話帳2冊分くらい書かなくちゃいけないんですよね。「工程表」とか「実行予算書」・・・そのほか、「万が一の事故があったときの対処法」から、ダイナマイトなんかだとその「種類」・・・「ダイナマイトを仕掛ける位置の確認方法」全てが網羅される計画書でしてね・・・これを書いても役所の承認がもらえないとやり直し・・・なかなかOKが出なくて困りましたよ。私の場合、「ダイナマイト係り」でしたから、「切り羽の窄孔計画」と、「ダイナマイトの種類の選定計画、同じく雷管の使用計画」、それから「一回のダイナマイトの使用量制限」なんかと、「火薬庫、取扱所、加工所設置計画書」・・・まだまだありますけど、私一人だけでもかなりの量の計画書を提出しなきゃならないんです。全部説明すると何年かかるかわかりませんから、ダイナマイトのほんの一部を紹介しますとね・・・・このトンネルは「上半断面先進逆巻き工法」で掘るんですけど・・・ア、上半断面から説明しなきゃならないか・・・・・・・・・上半断面って言うのは、普通皆さんがトンネルを通るときの横の壁を見てもらえばわかるんですけど、上半分と下半分の型枠の跡の形が違っているのがわかると思うんです。その上半分を先行して掘っていって、支保鋼という、H型の鉄骨を少し反らせたものを二本組み合わせて建て込むんです。言葉だとちょっと難しいかな? その支保鋼と支保鋼の間に、矢板と呼ばれる木の板を天井代わりにはって一工程が終わるんですけど、これが「上半断面先進」ということ・・・・ここまでを復習しますよ!最初にこれから掘ろうという断面(切り羽という)に削岩機で穴を開けます。(ダイナマイトを入れる穴ですから計画的に・・・・)この穴に1番から10番までの雷管を詰めたダイナマイトを120本ほど挿入します。(通常の上半断面工法の本数)ダイナマイトを爆破します。崩れた岩石のを「ズリ」といいますが 、これをトンネルの外に運び出します。少しカーブのついた支保鋼を2つ拝むように建て込みます(これがトンネルのアーチ型になるんです)矢板(木の板)を天井代わりに支保鋼と支保鋼の間に差し込みます。また支保鋼と支保鋼の間は、鉄の棒と鉄のパイプ10本ほどで、山に押されて狭くならないようにしています。これがひとつの工程です。アア、けっこう疲れるなあ・・・説明も・・・・・・どうせ長くなりそうなんで、今回はこれまで!続く
2007.01.30
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「今度はなに書こうかな?」まだ次のテーマを考えていない私は、また悩んでいます。「夢の続き」はまだまだ残ってますけど、ちょっと違うものを書きたいなって考えていました。そのときテレビで、「南極昭和基地は今日できたんです」って言う言葉・・・・南極・・・・南極といえば越冬隊!でなぜか・・・前にトンネルってつけちゃいました。「トンネル越冬隊」?・・・・・なんのこっちゃ?タイトルさえ決まれば何とかできるでしょう。・・・・・・・・ あれは今から28年前だったかな・・・・・私がまだ20代のころの話です。信じる信じないは読んでる方の自由・・・・私そのころちょっとだけ不思議な体験しちゃったんですよ・・・・当時私は、建設会社の社員としてはまだペーペーで、始めて道路トンネルの工事に参加させられることになりました。それまでは道路工事を中心に、いろんな工事を担当してそれなりに実績を上げてきたんですけど、前の年に「火薬類取扱い保安責任者」っていう資格を取りまして・・・・簡単に言うと「ダイナマイト」のプロの資格なんですけど・・・・・そしたら、会社の上司から「今度、大手ゼネコンさんと企業体でトンネル工事を取ったから、お前、そこでダイナマイト係な」トンネル工事へ出向させられる事になったんです。うちの会社から、そのトンネル工事に出向になったのは5人。副所長の佐々木さんと、事務の佐藤さん・・・それに電気係の野村さんに私と同年代の工事係、松本史人君・・・そしてダイナマイト係りの私、杉田史の5人でした。あとは大手から出向の職員が8人ほど・・・・・総勢13名のスタートでしたが大手ゼネコンからの職員は、いわば「トンネル屋」と呼ばれる人たちで、入社以来「トンネル掘り」しかしたことのないっていうようなプロ集団でした。当社からの出向である佐々木さんと野村さんは昨年一昨年と、大手ゼネコンさんの企業体に出向になってて、そこでトンネル工事を経験してましたから、まったくの素人は、私と松本君の二人だけ・・・・・・見るもの聞くもの・・・まるでわけのわからないことばかりで・・・・・・いやあ・・・最初はどうなる事かと心配になりましたよ。松本君と私・・・最初は名前さえ覚えてもらえなくてね・・・・・「おい、素人その1、素人その2」なんて呼ばれてましたが、そのうち、松本君も私も、名前が「ふみと」っていうことで同じだと覚えられたんですけど・・・・松本君が「史人」で、私が「史」っていうことで、私の名前に「人」という字が入ってないんですよ。だから途中からみんな、私のことを「人でなしのふみと」なんて呼ぶようになりました。普通に、「松本」とか「杉田」って呼んでもらえると嬉しいんですけど・・・よりによって「人でなしのふみと」はないじゃないですか!マア、そんなことはいいんですけど、どっちにしろ、私と松本君は研修生あつかいでしたね。で、そんな私達に与えられた最初の仕事は「化粧木を探して来い!」っていう命令・・・・・・「化粧木?」・・・・いわれたって何の事だかさっぱりわからない・・・・そこで、トンネル工事はもう何本か経験しているという大手から出向の「前田さん」に聞いたんですよ。この人、私達と同年代なんですけど、トンネルの事はなんだって知ってる人で・・・・だから「さん付け」で呼んでたんですけど、・・・・「ああ、化粧木ね・・・トンネルの坑口のてっぺんに飾る”神社の鳥居”みたいな・・・・そうだな・・・ちょっと反り返った直径30センチくらいの太い木の幹の皮をはいだ奴だよ」そう言われてもわからなかったんで、写真を見せてもらいました。ここで説明するのもたいへんなんで、読者の皆さんも、今度トンネルの工事を見る機会があったら、で入り口のてっぺんに太い反り返った皮をはいだ木が飾ってありますから、見てみてください。この前田さんはちょっと変わった人でしてねえ・・・・大学時代柔道をやってた人で、私が好きな野球の話をすると「お前らそんな野蛮なスポーツの話しをするな・・・柔道の話しをしろ」って怒るんですよ。野球は「併殺」だとか「死球」・・・・死とか殺すなんて言葉が入ったスポーツだから野蛮なスポーツだって言うんですよ・・・まじめな顔でね。私らは影で・・「へそ曲がり前田」なんて呼んでましたけどね。マア、人のことはいいんです。「化粧木」は何とか見つけて、綺麗に皮をはいで、坑口のてっぺんに飾りました。その次に与えられた仕事は、「測量」でした。路線測量っていうやつでね・・・・・トランシットっていう角度を測れる測量機器でそのトンネルを掘る山を踏破して、角度が間違ってないかチェックする測量なんですが・・・トンネルの延長でいうと640メートルの長さだから簡単だと思うでしょ?でもこの測量って、「掘る前の事前調査」ですから、山の上を角度を確かめながら何日もかけて確認していく作業なんです。山といっても、、山の部分だけじゃない・・・・谷の部分もありますからね・・・・それにその山の上を工事するわけじゃないんで、密林地帯をトランシットを抱えて歩く作業ですから、生易しいものじゃないんですよ。それで、役所の設計どおりぴたっとあえばいいんですけど、もしあってないと、もう一度やり直し・・・・・でも、設計したコンサルタント会社の測量なんて、でたらめが多くって・・・・・・何度か繰り返して、どうしてもあわないときは、そのとき初めて「設計変更」ってことになるんです。おっと、不思議な体験の話をしようと思ったんだけど、工事の初めから話し始めちゃった。不思議なお話だけしようと思ったんですけど・・・どうです?このさいですから、ご一緒にトンネル堀を体験してみましょうか? ってことで、長くなりそうなんで、今日はこれまで!続く
2007.01.29
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今日、小学校の先生から電話をいただき、「ジュニア君の絵が入選しましたから、一緒に見に行ってあげてください」とのこと・・・・・それは「夏休みの思い出」というタイトルで、夏休みの宿題として提出した絵の事でした。皆さんお忘れになってるかもしれませんが、夏休み、私はジュニアと二人でキャンプに行って・・・・そそ、たまたま隣のテントがOL3人組で・・・そうですよ、一緒にバーベキューして食べて・・・「今日は奥様は?」って聞かれて・・・・「ヤッパリいないと変ですか?」と答えて・・・・その時ジュニアが「お父さん、このお姉さんにお母さんになってもらおうよ!」と言ったという・・・そそ、伝説の「親子ナンパ」のキャンプのときの絵なんですよ。翌日、キャンプ場にあった「パターゴルフ」を親子でしましてね・・・・・・その光景を絵にしたんですけど、すっかり忘れてました。確か、メルアド貰ったんだよなあ・・・・どこにいったんだろう? レースの翌日、私はいつもの時間より10分ほど前に真由美の家に向かった。最近、「追いかける練習をしよう」といわれ、真由美が5分ほど早めに家を出て先を走っているおかげで、話しをする機会もなくなっていたし、もしかしたら今日もさきにでてしまうかもしれない・・・・そう思って10分前に出たのだった。それに、昨日途中で消えてしまったこともあって気になっていたし・・・・お父さんが「大坂へ帰ろう」と迎えに来たんだろうか・・・そんな心配もしていた。真由美の家の前でけっきょく10分待つことになったのだが、真由美がマラソンを続けるつもりの格好で家を出てきてくれたことがうれしかった。「おはよう・・・昨日は優勝したんやてな・・・うち、お父さんがおったから飛行機の時間があって・・・そいで先に帰ったんや」「ヤッパリ昨日の人お父さんだったんだ?」「うん、おばあちゃんちにおるやろ・・・でちょっと心配なんやて」「お父さん、迎えに来たんじゃないの?」それには真由美が答えない・・・・だからその先も聞けなかった。マラソンが終わり、真弓が家に戻る寸前・・・「今日練習休みやろ?・・・・・デートしようか?」急にそんなことを言い出した。確かに、昨日大会があったので、今日は練習が休みになっていたが、デートといわれても、どうしていいのかわからない。「ハハハ・・・・」ちょっとお話しするだけやんか・・・公園で待ってるわ・・・放課後な」そういうと、私の返事も聞かずに家にはいってしまった。そしてその日の授業は散々なものであった。なにしろ私の頭の中には「デート」の3文字しかない。それも、楽しみの「デート」ではない・・・・・バレンタインの返事を待ってる身には、怖さ100パーセントなのだ。授業が終わり、私は昨日のレース結果を報告に校長室に呼ばれた。クロスカントリーリレーの優勝は10年ぶりらしいのだ。真由美は「ほな、先に行って待てるわ」・・・そういい残して先に帰った。校長室には2年生4人が呼ばれ、私はキャプテンとして、校長先生に優勝報告をした。15分ほどで終わり、私は教室に戻るあいだに、斉藤に今日これから真由美と会うことを話した。「今日、結果が出るんだな?」斉藤もそう思ったらしい。「じゃあ先に行くぞ」私はかばんを抱えると廊下を走って玄関に出た。真由美が待っている・・・それだけで心臓の鼓動が速くなっている。靴を履き替え、公園までダッシュした。公園は一面の雪景色で、ブランコにも雪が積もっている。もちろんベンチも・・・・・座るところもないのでずっと、ブランコのそばに立っていた。「来ないなあ・・・・」私はブランコの踏面の雪を払い,ブランコに立ちのりをしてユックリこぎ始めた。手で触れている部分は鉄製のチェーンだから、直接冷たさが伝わってくる。ただその冷たさが、私に冷静になるよう命令しているようだった。10分ほどして、私服に着替えた真由美が公園にやってきた。「思ったより早かったんやな・・・」私の姿を見つけてからは少し急いで来てくれたのだが、それまでは冬の風の冷たさ楽しむかのようにユックリと歩いていた。「これ、あんたに返すわ」チョコを渡してから一ヶ月・・・・いまさらチョコを返されても・・・・・そう思ったが私の包んだものとは形が違った。「これは?」「クッキーやがな・・・・チョコもろうたら、クッキー返さんと・・・・・」ということはOKなんだろうか?「でもな・・・・これは義理クッキーや」義理・・・・・・「あたし、実はな・・・バレンタインの朝、あんたにチョコ渡そうって思うててん・・でも先にあんたがあたしにチョコ渡した・・・・ううん、それがイヤヤいうとるんやないんや・・・でも、あんたが全部斉藤君に相談しとるのが見えてきて・・・・」断られてるのか?「女の子が友達に相談してる姿は可愛らしいやろ・・・でもな、あんたは男や・・・一人で何でも決めてほしかったんや・・うち」斉藤に相談したのが悪いっていうことか・・・・・・・「でも、あんたにはクッキー返すって決めてたんやけど・・・・あたしなあ・・・・大阪帰んねん・・・・お母さんが退院してな・・・家におるようになって・・・・来年高校受験やし、おばあちゃんが一緒に大阪いってくれるって・・・だからお母さんの面倒もあたし達の面倒も・・・・そいで大阪帰んねん」母親が退院し、それでも家事ができないからおばあちゃんが一緒に大阪で住んでくれることになったらしい。そういえば今年は私たちも受験生になるのだ・・・・高校の転校は編入試験などで面倒になるから、今のうちの大阪に戻って受験勉強をするという。「明日みんなに挨拶して・・・・午後、大阪に立つんや・・・・・今までありがとな・・・・」そういうと、踵をかえして走り去っていった。一人取り残された私の右手にはクッキーが残されていた。翌日、マラソンの時間も通学の時間も一緒にはなれなかった。朝、おばあちゃんと一緒に真由美が教室に来てお別れの挨拶をいう。そしてそのまま、タクシーで家へ戻っていった。クッキーは返してもらったが、いまだに、真由美の返事がいいものだったのか悪いものだったのか、私にはわからないままだ。うさぎのチョコの代わりのクッキーは「熊の形」のクッキーだったが・・・・その後、手紙が一通着たきり・・・・「あんたに渡すつもりだったチョコは、あたしが自分で食べました。・・・でも楽しかったよ」もてまへんがな!!!! 誰がなんといっても終わりです。・・・・完
2007.01.29
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今日は、青森市の「モヤヒルズスキー場」に行ってきました。先週よりは空いていて、リフトもすぐに乗れましたから、20回ぐらい滑りましたかね。ジュニアの写真を載せてみましたけど、この服装は練習用。大会本番では、黄色の「ワンピー」を着て出場です。まだ3年生なんで、ポイントはつかないんですけど、けっこう大会も多くてね。でも、大会延期が続いてて・・・・延期になった分は3月に集中するんだろうな? 10メートルの差を追いかけて、私は一位の選手をピッタリマークしていた。私の呼吸をわざと聞かせて、「すぐ後ろにいるぞ」という圧力をかけたつもりだったが、レースに慣れていないのか相手の選手は前傾姿勢を強めて、なんとなくバランスを崩しているように思えた。後ろから見ると左右の揺れが大きくなってきたように見える。体の動きが硬い。まるでギクシャクと歩く、おもちゃのロボットのような動きだ。「圧力をかけ続けていくと、きっと自滅してくれる。」それは、私のサディスティックな部分を目覚めさせてくれたような楽しさがあった。少しスピードを緩めて、また近づく・・・・・そうするとますます、相手の選手の動揺が手に取るように感じられた。まもなく上り坂である。得意な上り坂なのだが、このとき私は相手の後ろにいることを選んでしまった。「なあに・・・のぼりの最後のところで追い抜けばいいさ」なんとなく余裕を感じてしまったのである。相手はますます必死に逃げる。バランスはますます悪くなり、こちらの思惑通りになってきているようだ。しかし、練習のとき寝ていたので上り坂の上のほうが狭くなっていることを知らなかったのは私が悪い。一周でもして確認して置けばよかったのだが、それをしていなかったのでのぼりの頂上付近で追い抜くことはできなくなった。それで相手に余裕が出てきたのだろうか?「きっと大山はのぼりに自信があるから、上り坂で追い越す」というような情報でも入っていたのだろう。のぼりで追いつかなかったことで相手にも少し余裕が生まれたようだった。下り坂・・・・相手の滑りが良くなっていた。揺れが少なくなったのだ。「もう一度急なのぼりがある・・・・そこで・・・・」ダウンスロープを滑りながら、私は落ち着こうと思って逆に焦ってしまった。下るとすぐに上り坂・・・・今度ののぼりは勾配が急だ。相手はくだりの勢いのままのぼりにはいった。少し離されていた。腹が痛くなってきた。「この登りの出だしで追いつかなきゃ!」スピードを上げようと力みがはいったので、今度は私のバランスが悪くなってきたように感じられたが、焦れば焦るほど悪くなるような気がした。そのとき相手がチラッとわたしを振り返った。「笑ったのか?」しかし、笑った顔に見えたのだが、それは相手もあえいでいて、苦しくて歯を見せたように思えた。「あいつも苦しいんだ・・・・」そう思ったとたん、私の肩から力が抜けたのだった。頂上からは右カーブのダウンスロープ・・・・「彼は最短コースをとるため、右側にコース取りをする・・・よし左から攻めよう」登りのコースを左側の寄せて行った。まだ降り始めのやわらかい雪が積もっていて、今まで誰も左側にコース取りをした奴はいなかったのだろう。ここで、ワックスの効果が出てきた。遠回りになるのだが、頂上手前で追いつくことができた。ここから滑り降りて平坦なコースになる。相手の選手も私が左側にコース取りをしたのに気がついて、妨害のため左に寄って来た。走路妨害であるが、審判に気がつくかどうかわからない。とりあえず「追い越すぞ」という合図のため「ホォーッ」と声をかけたが、それでもよってくる。私は逆に内側に切り込んでいった。その途中に追い抜くことができたのだが、平坦なコースに戻ったとき、相手の選手もさらに内側に入ろうとして、私のスキーのテイル部分にぶつかってきた。よろけたとたん、彼がまた前に出る。「この野郎!・・・・」カッとなった私の肩に力が入り、また私はバランスを崩した。ゴールまであと20メートル・・・・直線勝負になった。わき腹が痛い。ゴールしたときどちらが早かったのかわからなかった。私は倒れこんでしまい、そのまま気が遠くなってしまった。数分ほど経っただろうか・・・・・・私は吉田先生に抱えられていた。そばには斉藤が立っていた。「バカやろう・・・・お前最初遊んだだろ!・・・余裕なんかなかったのに」負けたのか?応援席が目に入ったが、真由美の姿もその父親のように思ったおじさんもいなかった。レースについては、相手の中学が走路妨害を取られ、私達が優勝ということになったが、後味の悪いものとなってしまった。 続く
2007.01.28
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青森市モヤヒルズスキー場
2007.01.28
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ジュニアは野辺地町にある「馬門スキー場」(まかどすきーじょう)に行きましたが、みぞれが降ってるんでコンディションは最悪でしょう。大丈夫かなあ・・・私は今日、「市連P」の総会があるんで行けないんです。 前走者が2位の選手に追いつかれたかどうか・・・・・吉田先生がハンディトーキーで林の中に待機している二年生に連絡をとった。雪が降り始めたので電波の状況は悪い。「今抜かれたそうだ・・・・・」報告を聞き、先生の顔が曇ったのでそうではないかと思ったが、「大丈夫ですよ・・・先生・・・毎日、相手が前にいることを想定して練習しましたから。」そうは言ったものの、正直なところ相手が想定した選手ではなかったので自信はない。当初は、ライバル視していた地元中学が二番手に一番早い選手を持って来たので、斉藤を二番手に持って来たのだが、現在一位を走っている中学が、二番手に一番速い選手を持って来たとは限らない。確かに、斉藤のとき差を縮められたのだが、もしかしたらアンカーの選手がより速いのかもしれない。「大山君・・・・練習どおりやでーー」応援席で真由美の声がした。真由美は追いかける予定の選手が違う事を知らない。毎日追いかけられる選手の代わりにやってくれたんだもの・・負けるわけにはいかない・・・・もう度胸を決めて、相手を追いかけるしかしょうがない。そう思ったとき、川畑が新しいスキーを持って来た。「雪質バッチリ!、これで負けないぞ」さっき、林の中で追いつかれたことを知らない川畑はそう言って私にスキーを手渡した。今まだワックスを丁寧に塗ってくれたのだ・・・・「ありがとう・・・がんばるよ」スキーをはき、2~3度前後させて雪になじませる。林の中から一位の選手が出てくる。それからおくれること10メートル・・・・あえぎながらうちの選手が滑り降りてくる。10メートルの差が大きいのか小さいのか、相手のレベルがわからない以上、悩む余裕はなかった。バトンタッチされたら、あとは死ぬ気で走るだけなのだ。タッチのゾーンに相手の選手と一緒に立つ。背が高く、がっしりとした体格で私のほうを見てにやりと笑う。よほど自信があるのだろうか?斉藤がそばに来て「あいつ今笑っただろ?・・・逆に自信がない証拠だ・・・きっとコーチからお前に圧力をかけるために笑えって言ってるんだ」それは私を落ち着かせるために言ったという事はわかっている。しかし、私は大きくうなづき返して、ニコリと笑って見せた。相手の選手がタッチし、まもなく私もバトンを受け継いだ。平坦なコースで追いつくのは難しいだろうが、相手に圧力をかけるためにすぐ後ろにピッタリマークすることはできる。その後の上り坂には自信がある・・・・・斉藤や川畑と走っていても、上り坂で追いつくことができる。あいつらだって、すごい選手だ・・・・相手がもっと速い選手だったとしても、それなりの練習をつんだのだから、負けるはずがない。ピッタリ近づき、彼のすぐ後ろでわたしはわざと息を荒げて聞かせてやった。 おっと、息子がスキー終わったって。。。。迎えに行ってこなきゃ・・・ゴメン・・・続く
2007.01.27
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明日、ジュニアはスキークラブの仲間と、よその雪のあるスキー場まで遠征して練習してくる事になりました。私はというと、午後から「むつ市連合PTA」の総会があって、一緒に行く事はできません。あさってはまた別のスキー場に親子で行ってきますけど・・・・毎週は疲れますよねえ。 第一走者の川畑は2位と大差で戻ってきた。第一走者でこれだけの差が出るのは珍しいが、この差を次の斉藤がもっと開いて欲しいと思った。淡々とした性格の斉藤だから、目標がなくても自分の体内時計でそれなりのスピードを出せるだろうが、もし私なら相手が見えないプレッシャーでスピード感覚がおかしくなってしまうかもしれない。ライバル校との差がどんどん開いていく。右足が強く踏み出される独特のスタイルの斉藤にとっては、左カーブの多い今日のコースは少し苦手であるが、それでも調子はいいようである。ライバル校の選手がタッチして交代した。その中学で一番早い選手であるが、第一走者が3位で入ってきたので、少しあわてていた。おそらく川畑をピッタリマークして、それほど離されずに交代する予定だっただろう。それが、2位によその中学がはいってきたので、予定とは違っていたのだろう。第二走者はとんでもないスピードで、2位の選手を追いかけ始めた。あれでは途中でバテる。それを見たうちの第三走者は、「よーし!」と掛け声を出し、自分に気合を入れるためにグローブのまま、自分の頬を張った。彼にとっては吉田先生の言葉は屈辱的に感じていたであろう。「第一走者と第二走者で差をつけ、第三走者で抜かれても、アンカーで追いつける」彼が絶対誰にも抜かせずに走ろうとしていることは、当然であった。さらに差を拡げて走ってやるという気負いが若干不安であったので、私は彼に深呼吸を指示した。ようやくBチームが戻ってくる。一年生としては6位の順位はまずまずだと思わなければならない。昨年、川畑や斉藤が今年の3年生二人と組み出場したがそれでも6位がやっとだったのである。後半には前回4位と5位の選手を残している。順位を上げるのは確実であった。そのとき、白い乗用車が競技場の駐車場に停まった。車から降りてきたのは・・・・真由美・・・・・・ええ?こんな遠いところまで応援に来てくれたのか!運転席からは白いダウンジャケットにエンジのマフラーをしたおじさんが降りてきた。私はあれが真由美のお父さんだと直感した。きっと様子を見に来たお父さんと一緒に、ドライブがてらここまで来てくれたのだと思った。この前のレースのときと同じ様に、途中から応援に来てくれた。さっきまでの腹痛が嘘のように治まった。これだけの大差・・・第三走者も張り切っていて調子がよさそう・・・・そして真由美が応援に来てくれた。これで不安が嘘のように消し飛んだのである。それどころか、現金なもので「最下位の選手を追い抜いてやろうか」ぐらいに気力がみなぎってきた。そうなると、斉藤の姿がまだ見えないのが不満になってきた。タイムが遅いわけではないが、自分の順番が待ちきれなくなってきたのだ。さっきまで車で横になっていたのが嘘のように、準備運動をし軽い腿上げをして真由美にアピールしている自分がいた。「大山、なにをあせってるんだ!おちつけ!!」何も知らない吉田先生が落ち着くように指示してよこしたが、私は無視して軽いランニングなどをして見せた。林から抜け出た斉藤が平坦な直線コースに出てくる。まもなく第三走者とバトンタッチだ。斉藤はいつもと同じペースでスケーティングをしていた。しかし、さっきと様子が違う事がおきていた。第一走でも2位だった伏兵の学校の選手が、斉藤により近くなっていたのだ。うちの第三走者の顔が一瞬青くなったような気がする。「あそこが出てきたか・・・・・」吉田先生がうめいた。「大山、あの学校のコーチは昨年まで、ここの地元中学の監督をしていた先生でな、3連覇の実績を残した先生だ・・・」つまり、昨年までここの地元中学が3年連続優勝をしたときの監督だったらしい。優秀な指導者だから、今まで無名の学校の選手を一年目にして、この優勝候補二校の間に割って入ってくる実力をつけさせたということ・・・・・斉藤が第三走者と交代したが、彼も焦っているようだった。気ばかり焦るから、体が前傾姿勢を取れない・・・・バランスの悪い走り方になっている。走り終えた斉藤が私のところへスキーをはいたまま近づいてきた。「あいつら近づいては離れ近づいては離れ・・・・圧力のかけ方上手いわ・・・」それだけの余裕が彼らにはあるのだろうか?そういえば、彼らの学校は前回のクロスカントリーにはだれひとりエントリーしていなかったが・・・・・第三走者が林の中に消えていく・・・そして彼らの選手もまもなく林に入ろうかという勢いだ。川畑があんなに大差で入ってきて、斉藤がスピードを落としたわけではない。それが証拠には、最初ライバル視した地元の中学はまだバトンタッチをしていないどころか、まだ姿も見せていないのだ。彼らのスピードが斉藤より速いのかもしれない。そのとき第一走者の川畑が、ボアコートを着て近づいてきた。手には斉藤のボアコートを持っている。そして斉藤に着せ掛けながら私には、「ワックスを換えよう」と言った。「いまさら・・・・」と返事すると川畑は空を指差した。「これから雪が降ってくる。・・・ワックスの勝負だ」斉藤と川畑が、予備のスキーにワックスをかけてくれることになった。幸いな事に、今日は全員が出場しているわけではないので、その分予備のスキーが余っていた。
2007.01.26
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昨日、クラブのママさんが、「炭火焼」のお店を開店したんで、開店祝いを持って行ってきました。なかなかいい雰囲気ではありましたが、朝早く、朝食から食べさせるって言うんですけど、実際、朝から炭火焼って・・・・食べる人がいるのかなあ? 今回のクロスカントリーリレーは、A、B2チームが出場することになった。Aチームは斉藤、川畑、私・・・そして前回6位入賞した同じ2年生・・・・2年生だけで編成した。Bチームは、一年生の上位4名で編成・・・・・まあ・・・Bチームは来年の様子を見るという程度だから、優勝を狙うのはあくまでもAチームだった。ライバルは開催地地元の中学で、毎年この大会は優勝をしているのだが、前回の個人のクロスカントリーでは私たちが上位独占したおかげで、かなりその後の練習に力が入っているという噂だった。出走の順番を決める。第一走者は川畑・・・・第二走者はもう一人の2年生、私が第3走者で、アンカーが斉藤という順番にしたのだが、そのライバル校が、その順番を想定して第2走者に、一番早い選手を貼り付けたという情報がはいってきた。吉田先生が、順番の入れ替えを検討し始める。「川畑の次に斉藤を入れるか・・・・この2人で引き離し第3走者で詰められても、アンカーに大山がいれば大丈夫だろう」私は反対した。うちの第3走者だって六位入賞・・・・ライバル校のいちばん速い選手にだって勝っているのだ。それも、彼は足場の悪くなった荒れたコースを走っての6位・・・・実力は私たちとなんら変わらないはずだったから、元のように戻すことを吉田先生にお願いした。しかし、「お前はキャプテンとして、ここまでの成績を残してくれた。・・・いざとなれば川畑や斉藤にも負けないはず・・・・この前だって川畑に追いつこうとしてがんばっての2位だったんだから、あの時お前の前に斉藤が走ってれば、お前は1位だったかもしれないんだぞ」もし第3走者で抜かれたとしても、目の前をライバルの選手が走っていれば追いつけるという話をされた。川畑たちもその意見に賛成をし、私はアンカーになった。翌朝、いつものように真由美の家までマラソンに向かった。いつもと違うのは、いつも迎えに行ってから出てくるのを待った真由美が、今日は赤いウインドブレーカースーツを着て、準備体操をしていたことだ。「聞いたよ・・・・アンカーになったんやてな・・・今日からうち、100メートルぐらい先を走るわ・・・あと追いかけてきて、追い詰める練習せな・・・」そう言うと先を走り始める。すぐに追いかけようとしたのだが、真由美は振り返り私を制した。「あたし、あのガソリンスタンドのとこまで先に行くわ・・・・合図したら追いかけてきて・・・」真由美が走る姿を後ろからじっと見ていた。新学期が始まったころ、「正月休みで肥えたから、マラソンせな・・・」と言って一緒に走り始めたのだが、そのころも太っていたわけではなく、あれから一ヶ月、更に無駄な肉が取れて均整の取れた体つきになってきたように思える。「俺って、いやらしいなあ」独り言をつぶやきながら真由美の合図を待った。ガソリンスタンドに到着し、ここからもよく見えるのに、真由美は両手を大きく振って合図をした。真由美を追いかける。獲物を追い詰めていくハンターのような行動・・・・これは私にとってワクワクさせられるものだった。したがって、スピードも思う以上に上がり、あっという間に真由美を追い詰めてしまったのである。一緒に並んで走ると「こんな短い距離だとあかんなあ・・・今度は時間をおいて走るわ・・・・あんたが来る5分前にスタートするわ・・・それを追いかけてみ」楽しそうに話をする真由美に、私は今まで聞けなかったことを聞いた。「あのね・・・真由美ちゃん・・・・この前のチョコの話なんだけど・・・・・」「アア、あれな・・・ありがと・・・でも可愛くて食べられへんわ・・・・上手にできてるから・・・・」あの手紙の返事を・・・・と聞きたかったのだが、それ以上の話はできなかった。次の日の朝からは、真由美が5分前にスタートしているからなかなか追いつくことはできなかったので、話しもなかなか出来なかった。「ガソリンスタンドスタートのときは、姿が見えてよかったのにな」そう思ったのだが、口に出してはいえなかった。そうしているうちのクロスカントリーリレーの大会当日になった。その日は、なぜかおなかが痛くなっていた。緊張していたのかもしれない・・・・何か悪いものを食べたわけでもないのだがキリキリするように痛む。レース会場に到着して、吉田先生に訴えたのだが、時間になるまで様子を見ようという返事だった。今日は隣町だから、応援の数は少ない・・・・真由美ちゃん来てくれないかなあ・・・・前回彼女の声で発奮し、川畑に勝てたように感じていたから、今日もできれば応援に来て欲しかったが・・・・私の母と斉藤の母が、一台の車に分乗して応援にきただけだった。私はみなが準備運動をしているとき、吉田先生の車の中でシートを倒し、横になっていた。「大山・・・・大丈夫か?・・・補欠の準備しておこうか?」吉田先生が様子を見に来たが、私は大丈夫だと答えた。きっと、気持ちの問題だろうと思っていた。号砲一発!第一走者の一斉スタート・・・・川畑が集団に飲み込まれまいと必死に前に出る。うまくいった。先頭に立って2位との差は、3メートル・・・・・・そのままの状態で林の中にはいっていく。第2走者斉藤にタッチするまで、もっと差は開いているだろう。今日も勝てると思った。
2007.01.26
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今日は、朝から忙しかった。雪が降り続き、暖冬小雪から一気に冬景色になったのである。こうなると除雪が忙しくなってきて、「生活道路確保」という大命題のもと、眠ってない重機オペレーターたちが一生懸命、道路除雪をしている。 バレンタインデーも過ぎ、母親が「チョコレートは何枚?」と聞くのだが、毎年のことながら一枚もない。「あら、あの子はくれなかったの?」あの子とはもちろん真由美のことなのだが、私ももしかしたら・・・という淡い期待もあった。「彼女ができたっていうから母さん期待してたのに・・・」「だから彼女じゃないんだってば」ちょっとしつこく聞かれそうになったので、私は自室に引き上げることにしたが、その背中に追い討ちをかけるように、「野球部のキャプテンなんていったら、普通10枚20枚もらえるんじゃないの?」という声が聞こえてきた。私は「野球部のキャプテンじゃない・・・ノルディックスキー部のキャプテンだ」と言い返し、バタンとドアを閉めた。「ノルディックスキー部のキャプテンが野球部のキャプテンになるって言うじゃないの!」母親がまだぶつぶつ文句を言っている声が聞こえたけれど、私はもう返事もしなかった。先輩達のいじめ半分イタズラ半分でなったキャプテンなのに、母親は私の実力でキャプテンになったと思っている。確かに、それなりの努力はしてきてそれなりの成績は出しているが、部活以外の生徒達も、私が冗談の結果キャプテンになったことを知っている。そんなキャプテンにチョコをくれる女生徒はいないだろうな・・・とは思ったが、毎朝一緒にマラソンをし、通学も一緒にしている真由美には「義理チョコ」でももらえるかもしれないと思っていたところはある。「しょうがねえよなあ・・・・嫌いではないって言われてるのは好きでもない・・・って言われてるようなところもあるしなあ」私は数学の宿題を適当に済まし、そこにあった週刊誌を手にとってごろりとベッドに横になった。パラパラッとめくると、「バレンタインデーの星占い」というコーナーがある。表紙を見ると女性週刊誌・・・・・母親がこの部屋に来てベッドに横になり、昼寝をした証拠だ。子供の部屋にはベッドを置いてあるが,自分達の寝室は和室で、昔ながらに布団の上げ下ろしをしなければならないので、時々私のベッドで昼寝をしているらしい。「バレンタインデーの獅子座」というところを読む。「獅子座生まれの貴女は、華やかに見えますが実は恋に臆病な人です。そんな貴女ですが仲間が多く、相談する人も多いでしょう・・・・でも、ここはちょっと待って・・・・誰にも相談しないで、秘密の恋・・・・そうすれば、最高のパートナーと巡り合う事になるでしょう」そんなことが書いてあった。みんなにばれないように、秘密にチョコを贈ったのだが、斉藤には相談してしまった。それはまずかったのだろうか?イヤイヤ、これは女性の週刊誌・・・・男には当てはまらないだろう・・・どちらにしても占いだ・・・・信じる信じないは自由だ。いろいろなことを考えながら寝入ってしまったのだった。翌日になっても、また更にその翌日になっても・・・・・マラソンや通学のときに真由美と一緒になるだが、バレンタインの話はひとことも出ない。こちらから聞こうと思うのだが、いつもの性格が出て、なかなか言い出せないでいた。そうこうしているうちに、今度は隣町のスキー大会があり、ここはリレー競技に出ることになった。ここ数年、クロスカントリーリレーの成績が悪かったのだが、先日の大会で、1位から6位まで独占したので、優勝候補筆頭に上げられた。だが、地元の中学も、地元の大会に負けられないという意地がある。おっと時間だ・・・あとは続く
2007.01.25
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今日はちょっと忙しい・・・だから小咄をひとつ・・・・・・・・・浅草、「浅草寺」に泥棒が入ろうとしたとき「雷門」で見つかっちゃった。見つけたのは門番の「仁王さま」あの大きな足で泥棒を踏みつけ、見得を切って「くせ~~もの~~!!」(歌舞伎調で・・・)そしたらおなかが張ってるところを踏みつけられた泥棒・・・・「ぶ~~~~」オナラしちゃったんですよね思わず仁王さま」が鼻をつまむと、足のしたから泥棒が・・・「におうか~~?」
2007.01.25
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昨日、CM大賞の祝賀会のあと、最近ご無沙汰してたスナックに行ってきたんですけど、ママさんが調子が悪くってお休みだったんです。従業員のサッちゃんが一人でお店をやってたんですけど、客は私と友達二人だけ・・・「次の客が来るまでいるから・・」っていったのが運のつき!次の客がなかなか来ない!けっきょく2時間いましたよ。・・・カラオケ20曲ぐらい歌ったかな?レパートリーは、スタンダードナンバーから演歌、軍歌、民謡・・・・・歌えるものは何でも歌ったっていう感じかな?あ、いっときますけど、昔歌手だったときリクエストで覚えた軍歌ですからね!軍歌のリアル体験はありませんから! 地元のクロスカントリーの大会が終わり、翌日の練習も休みになった。中学校を出たのも4時ごろだったので、本屋で立ち読みすることにしたのだが、目的の本は「バレンタイン用の手作りチョコ」の作り方の本。「湯煎」してチョコを溶かすということは知っていたのだが、どんなデザインにするのか、そのほかの飾りはどうするのか・・・・そんなことが知りたかったのだ。型もどうすればいいのかわからなかったし、全部本で仕入れようと思ったのだが、本屋に行ってみると、そこで立ち読みしているのは全て女性・・・・そりゃそうだ・・・料理コーナーだもの・・・・・・立ち読みのつもりだったが、適当な本を手にとって、パラパラとめくり、すぐにその本を購入してしまった。料理コーナーにいたOL風の女性には変な目で見られるし、書店の店員さんにも「この男の子、なにするつもりなの?」っていう風な、不審な目で見られた。書店を飛び出すように出て、すぐに鞄の中に本を隠す。そこへ斉藤とその彼女がやってきた。「大山・・・・何の本を隠したんだよ?」鞄の中にすぐ本をしまったので、斉藤は私が「エロ本」でも買ったんじゃないかという風に見たようだ。「バレンタインチョコの作り方の本だよ」そう答えると、事情を知らない斉藤の彼女まで変な目で私を見た。「真由美に贈るんだ」と答えてもいいが、とかく女性は口が軽いもの・・・・できるだけ誰にも知られないようにしたい。「ああ、うちの母さんが、親父に手作りチョコを作るんだよ」ごまかしきれたかどうか、わからないがいいわけをし、すぐにその場を立ち去ろうとしたのだが、2~3歩、歩き出すとすぐに斉藤が追いかけてきて、「デザインが決まったら、俺にどんなのを作るのか教えろよな・・・審査してやるから」といった。帰るついでにスーパーに寄って板チョコを5枚購入する。家に戻りまず先にしたことは、チョコを冷蔵庫に入れること・・・・わたしはビニール袋に5個の板チョコをいれ「健二のもの」と書いた紙も一緒に入れておくことにした。それからベッドに寝転がり、買ってきた本を読んだ。型はいろいろな種類が売られてるらしい・・・・ウサギの型も本で見る限りはホームセンターで売られているという。また、いろいろな色の飾りも、スーパーなどのお菓子作りコーナーにおいてある事がわかりウサギの目や鼻はそれを使うことにした。「赤いリボンもつけたほうがいいなあ」それもリボンの形をしたゼリーのようなものがあるということも本で知った。「よし、デザインは決まった」私は、簡単なウサギの絵を書きながら、斉藤の家に電話をした。「ちょっと出て来れないか?・・・うん、俺んちに来てくれよ」斉藤を呼び出して自分のデザインを見てもらうことにしたのだが、電話を終え部屋に戻ろうとして居間を見ると、母親がチョコレートを食べていた。「母さん、それ冷蔵庫に入れておいた俺のだろ?」「いいじゃないの1個ぐらい・・・あとで買ってあげるわよ」夕飯までのあいだ小腹がすいて、ちょうど冷蔵庫にあった私のチョコを見つけたらしいのだが、私の剣幕にいいわけを始めた。「あんたチョコをこんなにどうするのよ・・・女の子でもあるまいし、手作りのバレンタインチョコ作るんじゃないでしょ?」私はカッとなって家を飛び出した。とちゅう斉藤とすれ違ったのだが、声をかけられるまで気がつかないくらい怒りでいっぱいになっていたのだ。「大山!・・・人を呼び出しておいてどこに行くんだ!」このまま家に帰る気にはなれなかった。そのまま斉藤と二人で、ホームセンターやスーパーで不足の材料を買ってから家に戻る。居間の母親には声をかけず真っ直ぐ部屋に向かったのだが、斉藤は「おじゃまします。」といって上がってきた。部屋で自分の描いた絵を斉藤に見せる。「ああ、これでいいと思うよ・・・さっき買ってきたのが目の部分なんだよな?」斉藤も満足したようだ。デザインも見てもらって、それから二人でいろいろな話をした。「昨日のレース、真由美ちゃんも来てくれて張り切れたろ?」やっぱり、斉藤が彼女に真由美を誘うように持ち掛けたらしい。「ああ、やっぱり真由美ちゃんの声が聞こえたから、俄然張り切っちゃったよ」あの応援がなかったら、やっぱり川畑には勝てなかったと思う。「でも、お前の彼女が真由美ちゃんか?って親に言われてさあ・・・そうじゃないっていうのもめんどくさいから・・ああって答えちゃったんだ」「それなら大丈夫だと思うぞ・・・・誘うとき大山君もキャプテンとしてがんばってるから応援に行こうって言ったら、すぐに出てきたそうだから・・・・真由美ちゃんにもその気はあるんだよ・・・後はうまくチョコを作って・・・・」そうかなあ・・・・・・・でも、もう準備はしてしまった。明日にでもチョコを作って、2月14日に彼女に手渡す。真由美が喜んでくれればあとはうまく行くような気がした。そしてその予定通り、翌日チョコを作り14日を待ったのである。2月14日の早朝は雪がふっていた。朝のマラソンの時間に、真由美の家の前に行き、彼女の出てくるのを待ったが玄関灯がついているのに、真由美はなかなか出てこなかった・・・・ようやく出てきたとき・・・・「ゴメン、今日は朝急用ができて行けへんわ」今まで毎朝一緒に走ったのに、バレンタインデー当日、一緒に走れないなんて・・・・少し不安になったが、今日は一人で走ることにする。通学の時間になっても、まだ真由美は来ない。「今日はなんか急用ができたんだろうな・・・まさか学校休まないよな?」せっかく作ったチョコレートを、まさか渡せないなんてことは・・・と本当に不安になったが今日は一人で学校に向かった。学校に着く・・・・やっぱり真由美は学校に来ていない。真由美が学校に飛び込んできたのは、「遅刻ギリギリ」席に着くと同時に、先生が教室に入ってきたので話しをすることもできなかったが、もともと、教室で話しかけることはない。授業を受けている最中も、どのタイミングでチョコを手渡せばいいのかいろいろ考えていた。「放課後・・・・部活に行くときにさりげなく渡そう」そう考えてはきたのだが、クラスメイトにばれないように渡したいと思っていた。授業が終わり、教室の掃除の時間・・・・・・みんなの机を拭き掃除のため移動させるとき、みんなにばれないようにチョコを真由美の机に忍ばせた。そして掃除が終わり、部活に行くときに真由美に一言「机の中を見てくれ」と小声で言う事ができた。ウサギのチョコレートには、私の手紙も添えてある。サイは投げられた。それから二時間後・・・・私は練習を終え、教室に戻って真由美の机の中を確認した。「チョコがなくなってる!」私の手作りチョコは、真由美の手に移ったのである。このあとどんな結果になるのか・・・・・・「こんなに不安になるなら渡さなきゃ良かったなあ」・・・そう思うくらい追い詰められたような気になった。 続く
2007.01.24
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昨日はCM大賞の受賞祝賀会にいったんですけど、けっこういい作品でした。「ふるさとはうちひしがれて帰るところではない・・・」って言うコメントが良かったかなあ・・ふるさと・・っていうと、都会に疲れた人が挫折して帰るところ・・っていうイメージをもたれるんだけど、田舎もどっこい生きているんですよね。うまい作り方だなあと思いました。監督は地元印刷会社の専務で、もともと文学青年・・・・・太宰が好きで、自費出版の本も2冊出してるんだけど、作家を目指すより、こっちのほうが向いているのかも・・・・今日も逢うんですけど・・・それを言ってやろうかな? クロスカントリーのレースも終盤に差し掛かり、あと一周という所まで来た。(真由美が応援してくれている)・・・そのことが自分を後押ししてくれているかのように川畑の背中がどんどん大きくなって見える。まだ追い抜けるところまではいってないが、15秒遅れのスタート・・・・もうタイム的には追い抜いているかもしれない。林へ入っての上り坂・・・・川畑も必死だ・・・・前半手を抜いていたわけではないだろうが、ラスト一周はなかなか差が縮まらなかった。下りを降りると平坦なコースに戻り、ゴールまでスケーティングで駆け抜けるのだが、この下りまでに追いつきたかった。川畑が身体を小さくしてストックを両脇に抱え下りに入った。けっこう急な下り坂だから、スピードが上がる。私も下り坂は更に身を縮め、川畑を追いかける。平坦なコースに入り、川畑が私のほうを振り返ったが、追い越される心配がなくなったのを確認すると、そのままストックを使いゴールしていったのだが・・・・・ゴールしたとたん、川畑は倒れこんだのである。まもなく私もゴール・・・・・・・強い吐き気に襲われ、私も倒れこみたかったが我慢して川畑のところまで行ってみた。仰向けに寝たまま起きない川畑に、「ナイスラン」と声をかけたが返事はなく、ただただ荒い息を繰り返すだけだった。彼のことを一年生に任せ立ち去ろうとしたとき、川畑が私に手を差し出してきた。口をパクパクさせてるようにしか見えなかったが、彼も「ナイスラン」と私に声をかけ、握手しようとしているようだった。私は川畑の手を力強く握り・・・・もう一度「ナイスラン」と声をかけた。その時、斉藤がゴールしてきたのである。彼は一人を追い抜いてきている。みな15秒感覚でスタートしているから、今の時点では誰が何位なのかまったく見当はつかない。スタンドでは私の両親と斉藤の両親が手を握り合っている姿が見え、その周りには斉藤の彼女と真由美の姿・・・そして数人のクラスメイトの姿が見えた。みんな喜んでくれているようだったので、もしかしたらかなりいい位置につけているのかもしれないがまだ半分もゴールしていない。斉藤はいち早く、スタンドの両親や彼女の元に駆けつけていたが、私はキャプテンとしてみんなのゴールを確認しなければならない。まだゴールをしていない選手は2人・・・・先日の最初のレースの成績があまりよくなかったので、スタート順位もそれなりに後ろのほうに回され、荒れてきたコースをまだ一生懸命走っていた。顧問の吉田先生が近づいてきた。「あと何人だ?」「あと2人です・・・・でもいい滑りしてますよ・・・彼らの順位もよくなってると思います。」「ああ、いま計時員のところをちょっと覗いてみたんだがな・・・・お前らみんな良い成績だぞ・・・・1,2,3位独占だ・・・・・4位も5位もうちの生徒で・・・・6位入賞圏内に残りの2人のうちどっちかがはいれば・・・・入賞独占だぞ・・・今年は今までにない最高の成績だ」キャプテンとしては最高のほめ言葉だったが、私は自分の順位も気になっていた。もしかしたら私が1位なのかもしれない。川畑に追いついたような気がしていた。スタンドを見上げると、斉藤が私のほうにガッツポーズをして見せていた。全部の選手がゴールした。少し集計に手間取ったようだが、15分ほど待つと「閉会式」のコールがあった。さっきまで、川畑には勝ったかも知れないと言う気持ちが、徐々に確信に変わってきていた。「成績発表」私の名前が最初に出るかもしれない・・・・ワクワクしていた。「一位・・・斉藤君・・・タイム・・・・・・」1位は斉藤だった・・・・・私は2位・・・・そして川畑が3位だった。閉会式が終わり、部員は全員吉田先生のもとへ集められた。「今日の成績は6位入賞まで、全てわが校独占という快挙だった・・これも大山キャプテンをはじめみんなの頑張りが功を奏したものと思う・・・・この調子でがんばれ」今日はこのまま解散となり練習はない。私はスタンドの両親のもとへ行ったのだが、斉藤の彼女以外のクラスメイトは既に帰り、斉藤の両親と私の両親が残っていた。「あんたがんばったねえ・・・」母親が驚いたように言った。今までなにをやってもうまくいかず、賞状のような物は貰ったことがない。親が驚くのも無理はなかったが、それよりも次の一言がもっと驚いた。「でも、あの真由美ちゃんって可愛い子だねえ・・・・いつの間にか彼女作っちゃって・・・・・」親に説明するのも面倒なので・・・「アア」と返事をしたが、まだそこまで行っていないのだ・・・・ つづく
2007.01.24
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ごめん・・・・夕べは突然の睡魔に襲われて眠ってしまっいました。疲れてるんですかねえ・・・・ほんと書いてる途中で一瞬眠っちゃったんですよ。今日も飲み会があるんで寝ちゃったのは正解なんですけどね。あ、今日の飲み会は「商工会議所青年部」が、青森県の「CM大賞」を受賞したからなんですけど、これは各市町村のCMをそれぞれ作り、コンペを行い優勝すると「一年間365回・・・無料でそのCMがテレビで流されるんです。私は青年部の年じゃないんだけど、商工会議所の常議員って言う役職でご招待なんで・・・、でも、これ去年に続いて2回目の受賞なんで、正直めんどくさいんですよね。それに、去年のほうがドラマ性があって面白かったんだけど、今年はどうも・・・・感性の違いっていえばそれまでなんだけど・・・・ スキーの大会は、出ようと思えば毎週あるのだが、私達は遠征費の関係で4つの大会に出ることになった。最初の大会は、以前述べたような結果で最高の滑り出しだったが、私の目標は地元の大会でなんとか3位以内に入ること・・・・・川畑や斉藤は実力もあるが、私は前回の4位も運だったと思っているので、なんとか実力で3位以内を目指したいと思っていた。だから練習の時には、川畑が先行して走り始めると、私はグラウンド半周過ぎるのを待ってスタートする。それで、どれくらい詰められるか・・・・・そんな自分なりの練習を繰り返していた。斉藤のあとを追いかけるのはだめだ・・・・斉藤は練習のときまじめに走っていない。だから、彼を目標にして走るとタイムが伸びないのだ。今日の練習も川畑を目標にして半周遅れでスタートしたが、ゴールもヤッパリ半周遅れ・・・・つまりほとんど同タイムで走っていることになるのだが、大会と練習とではアドレナリンの量が違うから、大会でもこんな結果になるとは思えない。私にとっては目いっぱいなのだ。「まだまだだな・・・・・」斉藤にそういわれるまでもなく自覚はしていた。「でも、去年は一周遅れなんかざらだったから・・・・それに比べたら・・・」そういうと斉藤が笑い出した。「スキーの話じゃねぇよ・・・・真由美ちゃんのことさ」斉藤には彼女がいる。その彼女に何気なく、私のことをどう思っているのか、真由美から聞き出させたらしい。「大山君?・・・ただのクラスメイトや・・・・友達以上には思えへんし・・・」そのような返事だったらしい。「それにな、うちの彼女の感なんだけど、なんとなく大阪に彼氏を残してきちゃったらしいんだ。」女の感はよく当たるらしい・・・・・・少なからずショックを受けたが、斉藤が言うには・・・「なあに、真由美ちゃんはずっとこっちに住むんだから、そのうちアッチのおとこのことは忘れるよ・・・・お前のがんばり次第だ」その夜、私はまた真由美の夢を見た。真由美は見知らぬ男の子と二人並んで立っている。私が、ハート型のチョコレートを渡すと、「ありがとう」といった真由美は、そのチョコレートを縦に半分に割って、その男の子にその半分のかけらを渡す。そして2人で食べながら、向こうへ行ってしまうのだ。ハート型のチョコレートを縦に半分・・・・・・それは「失恋」を意味しているようにも思えた。それから数日後の日曜日・・・今日は地元のスキー場でクロスカントリーレースが開催される。5キロの距離的には問題ない。スタートはゼッケン順・・・・・順番はコースが荒らされる前のスタートだったので、走りやすいといえばそうなのだが、すぐ前には川畑がいる。15秒間隔・・・・・川畑のあとをずっとついてって、最後でかわす作戦だったのだが、いざ目の前に川畑がいると圧倒される。余力を残す・・・余力を残す・・・余力を残す・・・・川畑がスタートを切り、今度は私がスタートラインにたつ。余力を残して最後の一周で抜く・・・そう念じながらスタートを切った。川畑の背中を見て走りながら、離されないようにスピードをあげるのだが最初の平坦な直線では、どんどん引き離されているような気がした・・・・川畑がどんどん小さくなっているように見える。まもなく上り坂・・・ここでは少し追いついてくる。川畑は子供のころからかっこよく見えるスポーツばかりやってきている。アルペンスキー・・・つまり急斜面を滑り降り、旗門をくぐりぬけタイムを競うものなら、今日のアルペンスキーの選手もかなわないかもしれない。しかし、ノルディックとなるとそうはいかない。野球部にはいったから、ノルディックスキーをしなければならなくなったのだが見た目、あまり格好のよいスポーツではない。冬のオリンピックなどを見ても、鼻水を出しながら走っている選手もいて、そんな見た目の悪いスポーツを、基本的に川畑はしなかった。したがって、川畑は上り坂が苦手であって・・・・つけて加えて、目立つことの好きな男だから、コースが林の中に入り、声援が聞こえなくなるとスピードが落ちてくるような気がする。少し背中が大きく見えてきた。しかしまだ1周目・・・・まだ7周走らなければならない。今度は下り坂、ここで離されないようにしていけば、最後に追い抜ける。4周目のスタート地点に近づいたころだったろうか・・・・・スタンドから私の名前を呼ぶ声が聞こえた。両親も応援には来ていたが、両親の声ではなかった。「真由美ちゃん?」スタンドを向いている余裕はなかったが、きっとそうに違いない!「大山君、がんばって~」数人の同級生の女の子達の声も聞こえたが、私には真由美の声だけはっきり聞こえた。私の中のアドレナリンが爆発しようとしているようだった。 つづく
2007.01.23
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今日、スキークラブのコーチから連絡があり、来週のジュニアの大会は「雪不足のため延期」だそうです。残念・・・せっかく昨日練習してきたのに・・・・ 毎日、真由美と朝5時からのマラソンを続け、10日ほど過ぎたころ・・・・・斉藤から「まだマラソンは続いてるのか?」という質問があった。「続いている」と答えると、「お前2月14日って何の日か知ってるか?」この時期になるとテレビのコマーシャルで入るから、もちろん知っている。「バレンタインデー」だ・・・・・・・「そうそう、そのバレンタインデーだ・・・・好きな人にチョコレートを上げて告白する日なんだよ」「でもバレンタインデーって、女の子から告白する日で・・・・俺に真由美ちゃんがくれるとは思えないんだけど・・・・」「そこだ・・・・普通に女の子からチョコレートを貰うのは当たり前だけどな・・・・この日にお前のほうからチョコレートを送るようにする・・・・どうだ、変わってて面白いだろ?」確かに変わってはいるが・・・・・「それもなあ・・・お前の手作りのチョコを贈ったら最高だぞ!」そんなことをして真由美は喜ぶんだろうか?「お前と毎日、マラソン付き合ってくれてるんだぞ・・・その気になってきてると思わないか?・・・だから今この時期にとどめをさす意味でチョコをプレゼントするんだよ・・・・時期的にちょうど今だと思う!」男のくせにチョコを贈るというのは、なんとなく女々しいような気もしたが、それでもうまく行きそうな気がして、チョコを造る約束を斉藤にした。今のところ真由美との関係はうまくいってるような気がする。ここでもう一歩踏み込めれば、もっと親密になれる・・・・そのためにも真由美がきっと気に入ってくれるチョコを作りたいという気持ちになってきた。私はその真由美の気に入るチョコを作るために、翌日から調査する事に決めた。マラソンで一緒になったとき、「真由美ちゃんはチョコレート好きかな?・・・・えっと、甘いほうがいい?・・それともビターのほうがいいのかな?」「ビターのほうがええなあ・・・あんまり甘いのんは苦手やねん」真由美はまさか自分にバレンタインチョコをプレゼントするために聞かれてるとは思っていないから、素直に答えてくれた。「好きなものは何かある?・・・例えば動物とか・・・・へえウサギか・・・・」いろいろ好きなものもわかってきた。 すまん、寝る
2007.01.22
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昨日は、1日スキーに乗ってました。久しぶりなんで、足腰ガタガタになってます。来週はジュニアが出場する大会があるし、再来週は地元のスキー場の大会で、「旗門審判員」です。冬は毎年のことながらしょうがないですね。 始業式に真由美だけ来なかったことが気になって仕方なく・・・・私は部活の練習が終わったあと、真由美の家の前まで行ってみた。もちろん、家の明かりを見るだけで、「呼び鈴」を押す度胸なんてないから、行ってもしょうがないのだけれど、このまま、もう会えなくなるような気がして・・・・家の明かりはついていたのだが、もともと真由美の母親の実家で、祖父母が住んでいるから明かりがついていて当たり前・・・・ただ、真由美が生活しているであろう二階には、蛍光燈ではなく小さな黄色の電球がともっていたことで、なんとなく生活観を感じるだけだった。「きっとここにいるんだよな」私は自分に言い聞かせて自宅へと向かった。真由美にしてみれば、冬休みはしばらく会っていない両親と再開が出来るチャンス。昨日は空港も吹雪のため、飛行機も欠航になったりしていたので、大阪からの便もきっと欠航になったんだろう・・・・・だから始業式に間に合わず、今日ようやく帰ってきて明日からの授業には出るだろう・・・なんていう身勝手な思い込みなのだが、そう思わなければ、今夜眠れないような気がした。その夜夢を見た。それは教室の中だったのだが、真由美と私が二人っきりでいるのだ。真由美が私に何かを訴えているのだが、私には聞き取れない小さな言葉・・・・いや、もしかしたら夢の中の出来事だから覚えていないだけかもしれないが、涙をほろっと一滴こぼし・・・・・そのまま、真由美が遠ざかっていく夢・・・・・遠ざかって行くところでハッと目を覚ましたが、まだ夜中の3時半だった。部屋は冷え冷えとしていて、吐く息は白く見えるのだが、なぜか私のパジャマは汗でぐっしょりしていた。「どうせもう眠れやしない・・・5時までこうしたままでいて、5時になったらマラソンに出よう」布団の中だけは自分の体温で暖かだった。5時少し前、濡れたパジャマや下着を取替え、その上から防寒着を着てスノトレをはいてマラソンに出た。いつもなら川縁のコースを走るのだが、雪が積もっていて走りにくく、今日は違うコースを走ろうかと考えていた。何気なしに走り出したのは、真由美の家に続く道路・・・・・自分ではそうじゃないと思いながらも、川縁のコースをやめたのは、真由美の家に行くための口実だったのではないか・・・・そんなことも考えながら走った。真由美の家に近づくと家の玄関の明かりがついていた。二階の蛍光燈も燈っていた。「ア、真由美ちゃんが帰ってきてる」なんとなくだが、そんな予感がした。玄関灯がこんな時間についてるのは普段ならおかしいと思うのが、なんとなく気分が高揚してきて、そこまで考えなかった。その時である・・・・真っ赤なトレーニングウエアに身を包み、真由美が玄関から出てきた。私が目の前にいたので一瞬驚いたようだが、すぐに近寄ってきて「おはよう」と挨拶をする。「真由美ちゃん、昨日は始業式間に合わなかったの?」「飛行機が飛ばんでな・・・大阪はやっぱり遠いわあ・・・」翌日も飛行機が飛べないというような情報だったらしく、真由美は電車を乗り継いで昨日ようやく着いた様だ。「それでお父さんとお母さん元気だったの?」以前、グラウンドで父兄と作業していたとき、噂話で真由美のお母さんが入院していたと聞いていたので聞いてみたのだが・・・・真由美はそのことには答えず・・・・「大山君って、ようけしゃべるんやなあ・・・・いつもおとなしいから、無口な人なんやと思うとったわ」まだ朝の5時半前であった。周りに人はいず、真由美と話ができる。「真由美ちゃん、いつもマラソンしてるんだっけ?」「お正月になあ・・・・向こうの友達とあちこち行って食べ歩き・・・・肥えてしもうたから、ダイエット」それでも6時だと、もう何人か走ってる人もいるので、時間を更に一時間早めて走り始めることにしたらしい。「女の子やもん・・・恥ずかしいがな・・・・」けらけら笑いながら、私に教えてくれた。そのマラソンの間中、私はいつもより饒舌だった。冬休み中の出来事や合宿の様子・・・・いろいろ話すことがあった。真由美も、大阪の友達の話や食べ物の話など・・・いろいろ教えてくれた。「この時間なら、いろいろおしゃべるできるんやね・・・・明日もこの時間に走ろ」真由美と毎日この時間に走る約束ができた。こうしてこの日1日・・・・私は楽しく過ごすことができたのである。その日の放課後・・・・私はこのウキウキした気持ちを黙っていられなくて、斉藤にだけ話した。「じゃあ、明日から朝5時に一緒に走るのか?・・・・やったじゃん!」斉藤も喜んでくれてるようだった。「でもな・・・お前はまだ友達以上恋人未満ってとこだ・・・・特に好きというわけではないが嫌いではないっていわれてるんだから、もしかしたら友達にようやくなれたかなってとこかもしれん・・・・でも心配するな・・・チャンスは来月に来る」謎めいた言葉を残し、斉藤はスキーの練習に入ってしまった。私もあわてて・・・・スキーの板を履き、練習をスタートしたのだが・・・・「来月・・・・・なんだろう?」考えながら練習していて、一年生にも追い抜かれてしまった。吉田先生が「キャプテン、手を抜くな」と怒鳴っていた。
2007.01.22
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明日はジュニアと一緒にスキーに行ってきます。地元のスキー場は雪が少ないし、ちょっと遠征して雪のあるスキー場まで行ってきます。実は来週、もう大会があるのに、まだ一度も板をはいてないんです。だからもう明日練習するしかない・・・・・でも、今回の大会はキャンセルしたほうがいいかな? 学校のグラウンドに雪が積もったのは、12月も半ば過ぎだった。それまで、みんなと一緒に走る毎日だったが、ただ走るだけなら何とかなった。しかし雪が積もったとなると、その日からスキーを履いて走らなければならない。ノルディックのスキー板は幅が5センチほど・・・・かかとが上がるようになっていて、普通のスキーとは全く違うものなのだ。私はアルペン用のスキーならそれなりに滑れるのだが、この「走るスキー」はまったくの苦手。しかし、キャプテンとして今日から先頭を走らなければならないのだ。「雪が解けないかなあ」授業中、私はそんなことばかり考えていた。しかし、願いは叶わず練習の時間になり、部員たちはスキー板をはいてグラウンドに出てきた。特にキャプテン候補だった、野球部のときは4番を打つ川畑は、レース用のスタイルに防寒用のハーフパンツという格好で出てきた。ちなみに私や斉藤は普通のスキー場で見かけるようなカッコウで練習をしていた。準備運動を終え、さっそく走ることになるが最初は全員一緒にグラウンド10周。先頭は私なのだが、スキーを履いているのでけっこう長い行列になる。私がグラウンド半周するころに、ようやく最後の部員がスタートになった。その最後に走っている部員は川畑・・・・鋭いスケーティングで前の選手を追い越してくる。「あいつお前まで追い越せるかな?」斉藤が余裕の表情で私に話しかける。斉藤だってキャプテン候補だったのだから、やろうと思えば川畑ほどのスケーティングはできるのだが、私に気を使い自分のペースでは滑っていない。私のスピードに併せてくれているのだ。しかし、私だって恥をかきたくないからスピードが上がっていく。10周滑り終わって、川畑に追い抜かれることはなかったが、明らかに15周まで行けば追い抜かれていたに違いない。ゴールした川畑から「チッ」という舌打ちの音が聞こえた。息も途切れ途切れの部員たち・・・・・初日の練習にしてはペースが早かったようだったので少し休憩をしたのだが、その間、私は皆に合宿のスケジュールを発表した。「1月4日から10日まで、学校の練成館で合宿を行う・・・・4日は9時までにグラウンド集合・・・・それまでに宿泊の準備を練成館で行うように・・・・」練成館とは学校の宿泊施設で、部活の合宿とか学年行事などで使う施設である。卒業生の建設会社社長が建ててくれたもので、そんなに豪華な施設ではないが寒さをしのぐには充分であった。布団などは部員の父兄からお金を出してもらい、貸布団を準備してもらっていた。食事は部員が交代で作る事にしていたのだが、例年父兄が交代でつくりに来てくれる。朝御飯だけは自分たちで毎朝作るのだが、納豆とシャケを焼いたもの、それに生卵が一週間続く。・・・それにご飯と味噌汁だ。合宿の連絡が終わり・・・「じゃあ各自勝手に15周、いくぞ」今度は私が先頭でなくてもいい・・・・川畑が最初にスタートした。私は最後にスタートしよう・・・・そう考えていたとき斉藤が近寄ってきた。「大山・・・・お前すげぇなあ・・・・」え?なにを言っているのだろう?「だってさっきあのスピードで10周して、みんな息切れしてるのに・・・・お前なんともないように合宿の説明してたじゃないか・・・・すげぇよ!」あの川畑でさえ・・・いや、余裕で走っていた斉藤でさえ「ゼーゼー」としていたのに、そういえば私は普通に話しをすることができていたようだ。毎朝のマラソン練習の効果があったのだろうか?私が最後のスタートをしようとしていたとき、学校の玄関を出てきた真由美の姿を見かけた。グラウンドでは、私達のほかにサッカー部の練習が行われていたのだが、私のことは見えていたはずである。しかし真由美はまったく無視しているのか、気付いてない様子で帰宅していった。練習はそれからも続き・・・・終わったのは夜6時半・・・・夜間照明はあったものの、冬の日没は早かった。何日間かそんな練習が続いたのだが、朝真由美とは一緒になるものの、真由美からそんな練習の話しは出なかったし、私もそのことには触れずにいた。それからまもなく冬休み・・・・・・部活も正月休みになったのだが真由美とは顔をあわせる事もなくなり、私はただただマラソンなどの練習に明け暮れる。そしていよいよ合宿が始まる。初日は、父兄がタイヤショベルなどを持ち込んで雪を積み上げ、上り坂下り坂を作ってくれたのだが、父兄だけに任せてはおけない。初日はそんな作業の手伝いをすることにした。そんなとき、父兄の間で交わされた噂話を耳にすることになるのである。「今年転校して来た会田真由美ちゃんなあ・・・ほら掛井さんとこの孫娘」「ああ、二年生のな」「そうそう・・・・かわいそうに・・・お母さんが亡くなって・・・お父さんの仕事も忙しくって・・・どうしようもなくなってこっちのお母さんの実家に預けられたらしいよ」あんな明るい・・・そして強い真由美にそんな悲しいことがあったなんて信じられなかった。斉藤もその話を聞いていて「あいつそんなことがあったんだ・・・・大山がしっかりして面倒見てやらんとな・・・」言われるまでもなく・・・私は真由美を守ってやらねばという気持ちになっていた。合宿の内容についてはこの話になんら関係ないので省略するが、順調に成果を出す事ができたようだ。なぜなら顧問の吉田先生が合宿最後の挨拶で「当初みんなの不安もあったようだが、最後のタイムトライアル・・・・今まで先輩たちも出した事のない記録で終えることができた。・・・グラウンドの状況も雪質も違うが、きっといい結果がついてくると思う・・・よくやった」そう言ってくれたのである。実際、最初の大会では2年生の部で川畑が優勝、斉藤が2位・・・そして私までがいに入賞したのだった。1年生の部でも優勝と3位、5位までの入賞を果たし・・・そのほかの選手も上位に入っていたのである。1月15日に3学期が始まり、また元気にクラスの全員が顔を揃えたが、ただ一人、真由美だけが学校に来なかった。担任は「明日は出てくる」と行っていたが・・・・本当に帰ってくるのだろうか? つづく
2007.01.20
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昨日は仙台出張、しかも八戸まで2時間半、車で行ったものですから道路がツルツルで、すべって危ない・・・・八戸からは新幹線だったからいいんですけどね・・・疲れちゃいました。早く帰ってきたんだけど、テレビで「金スマ」っていうのを見たんで雑文書けなくなっちゃった。その番組は、私の地域で「木村の神様」って呼ばれてる女性が出てきたんですけどね。この地域、恐山があるせいか、「神様」って呼ばれてる人、多いんですよ。もし、皆さんがお出でになるのならご紹介しますけど・・・・ 「ストーカー疑惑」はなんとか打ち消したが、「クラス全員の前で真由美に好きだと告白した」と言うことが今度は学校中に評判になった。知らなくてもいい野球部の先輩達にも知られることとなり、練習中のエラーなんぞしようものなら「真由美ちゃんばっかり見ないで、ボールもよく見ろよ」とか「真由美ちゃんが見てるぞ・・・恥ずかしくないのか」とか・・・・まるで弄ばれるようにからかう対象になってしまっている。斉藤は「きっかけ作りになって思惑通りだ」というのだが、正直、みんなの目にさらされているのがつらかった。しかし、真由美の行動は、私の考えていた悪い方向とは違って、毎朝、私が登校する時間にあわせ、私の家の前に来るようになっていた。一度、そのことを学校についてから聞いたことがある。「一緒に通学してるとからかわれるからやめたら?」私としてはやめて欲しくないと思いながら、聞いてみたのだが、「いいたい奴には言わせとき・・・・あたし気にせぇへんから」あくまでも強気の真由美であった。12月になり、野球部の練習がなくなったのだが、うちの野球部は変な約束事があり、12月になると「ノルディックスキー部」と名称変更する。名称変更でなく、実際「走るスキー」をするのだが、これは野球をするための基礎練習ということで、毎日グランドをスキーを履いて走る。ノルディックスキーといってもジャンプ競技は行わず、もっぱらスキーを履いて走り、マラソンや駅伝と同じような競技に参加するのだ。一月になると毎週のように大会があり、土曜も日曜もなくなるし、合宿も冬休み中に行われる。私としては、野球をしたいから野球部に入ったつもりだったのに、この一年間を考えると、野球の大会よりスキーの大会のほうが多くてきつい。野球部の先輩は受験準備のために、この「ノルディックスキー部」と名称変更するときに引退し、そこからは我々2年生が主導権を持つことになるのだが、正直なところ個人的には「歩くスキー、走るスキー」は苦手だった。そのノルディックスキー部を作るときに、3年生の「引退式」として、「球納め会」というのをするのだが、そのとき、ノルディックスキー部のキャプテンを決める。ノルディックスキー部のキャプテンは、翌年3月には、今度はそのまま「野球部」のキャプテンになるのだが・・・・・・そのキャプテンの指名は、引退する3年生全員で協議し、その結果をそれまでのキャプテンが発表するのだが、普通は次のチームの4番でピッチャーを務める奴がキャプテンになるのに、今回は違った。確かに次のチームの4番はサードの川畑であり、ピッチャーは友人の斉藤だったので、「4番でピッチャー」という決まりごとは崩れているのだが、私としてはどちらかがキャプテンだというように考えていたので、まさか、自分が指名されるとは思ってもいなかった。そう・・・・私がキャプテンに指名されたのである。「裏・ホームルーム」の事件からそう日数もたっていなかったから、そのことが原因で、私の名前が先輩達の頭にインプットされていたこともあったのだろう。しかし、これは完全な「いじめ」である。確かに、私の学年の野球部は強くない・・・・3年生が試合に出なくなって最初の新人戦では10対0でコールドゲームで負けたから、3年生達は私たちに期待を持っていなかったのかもしれないが、それにしても、「川畑」か「斉藤」がキャプテンになるのが順当な考え方だ。川畑は少しムッとしたような顔をし、斉藤は「キャッキャ」とはしゃいでいた。いちばん困ったのは、顧問の吉田先生だろう。次のキャプテンは川畑か斉藤という思いのあった吉田先生にも、それなりの予定があったのだろう。しかし、このキャプテン指名に関しては一切顧問は口を出さないという不文律があった。「来年は大山君をキャプテンとしてやることになるのだが、今年の先輩達に負けないように、名誉あるわが校野球部の伝統をに傷つけないようにがんばってもらいたい。」苦しい挨拶のようだった。その挨拶が終わり吉田先生が私を呼ぶ。「大山・・・・スキーのほうの合宿はどう考えてる?」どう考えてるもなにも・・・・キャプテンになるなんて考えもしなかったから、もちろん合宿の計画も考えていなかった。「あとで、みんなと相談して先生に報告します。」ようやくのこと、そんな返事をしたが、さっきから私が川畑に近づこうとするとすっとよけられるし、私としては斉藤だけに相談するしかなかった。「斉藤・・・お前、面白がってばかりいないで、合宿どうすればいいんだ?」斉藤に相談すると、私にメモを渡した。斉藤は斉藤なりにキャプテンになったときのスケジュールは考えていたようだった。メモの中身については、去年とまったく同じスケジュールであり、問題はないのだが、私は気が重かった。「大山・・・野球部のキャプテンなんて学校一の花形だぞ!・・・真由美ちゃんにアピールできるチャンスじゃないか」斉藤はそういうものの、自分にはみんなをまとめる自信もなければ、ましてや当面のスキーの問題もある。キャプテンは練習のとき常に先頭で走らなければならない。私はマラソン大会でもそうなのだが、どちらかというと成績は悪く、長距離を走る自信はない。川畑あたりが、今回の「キャプテン決め」に反感を持ち、練習のとき、私より先を走るようなことがあれば、面目丸つぶれである。「大丈夫だよ・・・・ほんとは川畑もキャプテンなんかやりたくねぇんだよ・・・こんな弱いチームのキャプテンなんかした日にゃ、OB達から何言われるかわかったもんじゃないからな!」ますます、気が重くなった。「球納め会」の締めくくりは、いつも、次のキャプテンが挨拶をする。そうなるともちろん私なのだが、もちろん挨拶なんて考えていないもだが、とうとうその時間がやってきた。「先輩方のご推薦をいただき、ノルディックスキー部のキャプテンになった大山です。・・・・・・何もできませんががんばります。」なにもできない・・・・・・まったくその通りであった。明日の朝から、マラソン練習でもするかな・・・・・そう考えていた。翌朝のことである。マラソン練習を朝の5時に起きてしてから、朝飯を食って学校に行く時間になった。それはいつもの時間なのだが、外に出ると真由美が待っていた。「おはよう大山君・・・・野球部のキャプテンになったんやてな・・・聞いたわ・・おめでとう!」そういうと真由美はさっさと歩き出した。
2007.01.20
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皆さん勘違いしてる人が多くって・・・・・今回の主人公は「大山健二君」です。斉藤君というのは大山君の親友ですが、もう既に彼女がいて、余裕をかましてる人なんです。 「大山と真由美ちゃんが、朝一緒に通学してるんだってよ」こういう噂は広まるのが早いもんです。それも、その日一日の事なのに、「毎日一緒に・・・」と言う尾ひれがついて・・・・個人的にはすごく嬉しい事なのだが、私は友人たちに言われるたびに否定してあるいた。「真由美が毎日迎えにいってるそうじゃないか?」「いやたまたま今日だけ、ぐうぜん一緒になっただけだよ」それは正直そうなのだけれど、噂と言うのは恐ろしいものでそれが・・・「真由美は毎日大山の家に迎えにいってるんだけれど、いつもは学校近くまで来ると少し離れて歩くようにしてて・・・・今日たまたま話しに夢中になって学校まで一緒に来てしまった。」そういう話に変わってしまっていた。私にとっては、とてもいい方向に向かっているのだけれど、これは男子生徒の中だけの話しで、女子生徒の間では違う話に変わっていたのである。それは、きっとこういう話なのではないだろうか・・・・・ある女子生徒が真由美に聞く。「ねえ、真由美・・・あんたあの大山と一緒に通学してきたんだって」「うん、今日たまたま大山君の家の玄関で逢うたんや・・・どうせ学校行くんやから一緒に来ただけやけど・・・え彼と付きおうとるって?・・・・しょうもな!」それが数時間には女子生徒の間で・・・・・「大山君が真弓の事待ち伏せしてて、嫌がってるのに一緒に通学したがるんだって」このように変わってしまっている。男子生徒の間では「大山と真弓は相思相愛」と言う話だったのが、女子生徒の間では「大山はストーカー」というような扱いになっていて、クラスの中は騒然となってしまった。こういった場合日数を重ねると、えてして「恋愛問題」に関心の多い女子生徒の方の話しが勝ってくるようで、1週間後には「大山は真由美にストーカー」という話が定着しつつあった。「そういえば大山君って、いつも授業中、真由美の方ばっかし見てる」そんな話しも出始めていた。確かに授業中、真由美のほうを見ていると言われればそうなのだが、その延長線上には教卓があり、先生の授業を熱心に聴いている・・・といえばそうも見えるはずだ。 放課後、私は斉藤や中島に相談した。「俺、普通に授業を聞いて、先生のほうを向いてるだけなのに、真由美を見てるって言われるし・・・だってあのときだって、ほんとにぐうぜんに、うちの玄関の前でばったり出くわしただけで・・・・同じクラスだから一緒に学校に来ただけなのに・・・・・」斉藤は親友という理由で・・・・中島は半分面白がって・・・・明日の給食が終わって先生が教室からいなくなったときに「裏・ホームルーム」を開催しようという提案ををクラス全員に伝えた。「裏・ホームルーム」・・・つまり正式なものじゃなく、先生に内緒でこっそり開く「ホームルームのようなもの」である。給食が終わり、先生が職員室に戻ると、中島がさっそく議長となって「裏・ホームルーム」が始まった。正式な「ホームルーム」なら、クラス委員の吉田竜平と小柳朋子が議長を勤めるのだが、「今回の議題には関知したくない」という理由で吉田は教室を出て行ってしまうし、小柳も興味津々だが、議長はできないと言い出したのだ。しかし、この「裏・ホームルーム」には吉田を除く、クラス全員が出席し、もちろん私も真由美もその中にいた。「大山がストーカーかどうかを、今回の議題にします・・・意見のある人は挙手して発言してください」いきなり、議長の中島が言い出したのであわてた。「その前に大山健二君と、会田真由美さんの意見を聞くほうが先じゃないかな?」斉藤がフォローしてくれた。「じゃあ先に大山君・・・・君から先に意見を言いなさい」議長の中島が私を指名したが、実はこれは、昨日の放課後、「裏・ホームルーム」を開こうと決めたときの段取りどおりなのだ。私の意見陳述も、斉藤と中島の意見どおりにすることになっている。「お前、真由美が好きなら好きって言っちゃえ」「だってそれじゃストーカーって認めるようじゃないか!」「お前が嫌いだなんていうことをいったら、誰も信じないだけじゃなく・・・売り言葉に買い言葉・・・真由美だって嫌いだって言うはずだ・・・そうなったら収拾が付かなくなる」「じゃあどうすれば?」「お前が正直に好きだっていってしまえば、相手だって悪い気はしない・・・好きとは言わないまでも、嫌いだっていうことはいわないはずだ・・・・両方からそのことを聞いて、そのあと事実確認をする。・・・・・お前の話が真実だとすると、たまたまあの日だけぐうぜん家の前で一緒になっただけなんだろ?」「そうなんだけど・・・・・」「お前をストーカーにしないためのテクニックだ・・・」真由美にも斉藤の彼女を通して「好きではなくてもいいから嫌いではない」といってくれるように頼む手はずを整えた。私の意見陳述が始まった。「ボクは会田さんとあの日、ぐうぜん家の前でばったり出会っただけなんです・・・同じクラスの仲間として、初めて話しをしたんだけど、うちのクラスがこんなクラスになればいいなっていうような事を話しながら学校に来ました。好きか嫌いかといえば・・・クラスの仲間として好きです。でもストーカーのような事はしていません。」ストーカーのような事はしていない・・・・この言葉以外のことは、昨日斉藤が教えてくれた通りに言った。「じゃあ続いて会田さん・・・お願いします」「ほんま、今大山君が言うた通りや・・・あの日いつも迎えに来てくれてる沙織ちゃんが風邪で休んだやんか?・・・でいつもの時間よりちょっと早い時間に家を出たんやけど・・・大山君の家の前で、たまたま一緒になったんよ・・・好きか嫌いかゆうたら・・・好きやとはよう言わんけど、嫌いやないで」すぐに議長の中島が、他の人の意見を求める。「今の二人の意見をまとめると、事実関係はストーカーではない事を認めてるし、大山君は好きだという言葉で、会田さんは嫌いではないという言葉で、それぞれの意見が出ました。・・・・・この、”好き”と”嫌いではない”という温度差が、今回の事件のひきがねになったようですが、皆さんの意見はどうですか?」もう意見はまとまって、ストーカー疑惑はこれで収まったのだが・・・・そのあと・・・「大山が真由美のことを好きだといった」という事実だけが一人歩きするようになるのである。 続く
2007.01.17
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もてない話をさせたら、私ほど経験豊富な男はいないだろう・・・・・恵さんとこの息子さんが、女性に縁がないという話だったけど、私はもっと大変だった。だから、恵さんとこの息子さんについては、私はまったく心配する必要がないと思っている。彼はきっと、お母さんに会わせてもいい人を物色してるんじゃないかな? 「健二、お前、好きな女はいないのかよ」親友の斉藤から聞かれたことがあった。彼には「彼女」と呼べる人がいるのだから余裕なのだ。「好きな人って・・・俺だって一丁前の男だから一人や二人いるさ・・・でも誰かってことは言えないな」みんなに人気のある「会田真由美」だなんて口が裂けても言えない・・・たとえ、親友の斉藤だとしてもだ。斉藤も名前を聞き出そうとしない・・・・もしかしたら気がついているのではないかと思うのだがわざわざ言う必要もない。「誰でもいいけど、ちゃんとコクラないとだめだぞ・・・黙ってちゃ、相手も気がつかない」そんなことはわかっているけど、それなりの男子生徒がラブレターを出して、ことごとくふられている現状を見ると、私がアタックするだけでも無謀だ。「マア、とにかくきっかけ作りが大事だな・・・・なんかないのか?」斉藤には教えられないが、ひとつだけある。実は真由美の家はうちの近所で、通学路が一緒なのである。真由美が私の家の前を通るのは、朝の7時25分・・・・だから私はいつも7時24分に家を出ることにしていたのだ。彼女の姿を見るだけでもいいと思っているのだから、7時26分に家をでれば、彼女の後姿だけでもずっと見てられるのだが、「あの大山君・・・・あたしのあとをつけて来るんよ・・・気色悪いわあ」といわれるような気がして、真由美の通過時間より一分早く出るのだ。当然、男のほうが足が速いし、彼女との距離はだんだん遠ざかっていくのだが、真由美のことを意識しだしてから続けている習慣だし、いまさら変えられない。唯一、教室には真由美より早く到着するので、彼女に朝の挨拶ができる・・・・それだけの楽しみはあった。「なんかきっかけさえあればなあ・・・・・俺がなんとでもしてやるのになあ」余裕をかませた斉藤がそういうのだが、今のところ姿を見ているだけでも幸せだった。幸い教室での彼女の席は、私の席の隣の列で、3つ前の席・・・・勉強してる最中でも、彼女の後姿を見ることができるのである。しかし、10月のある日のこと、私にとって幸せな出来事があった。いつものように7時24分、私は家を出たのだが、ちょうどばったり真由美と鉢合わせになったのだ。「ア、大山君・・・あんたのお家ここやったんよねえ、・・・・前から気づいとったんやけど、今度学校に一緒に行こうなあ」もう、天にも昇る気持ちだった。その日の通学路は、ずっと真由美と話をしていくことができた。といっても、真由美が話すだけで、私は相槌を打つだけだったのだが、本当に至福のひと時だった。その日は、いつも家まで迎えに来る友達が、風邪で休むという連絡が入り、少しだけ早く出発してきたらしい。一分間の違いなのだが本当にうれしかった。しかも、「大山が真由美と一緒に並んで通学してきた」と言う噂は、たちまちのうちに学年中に広まった。 あ、また時間がなくなった・・・・明日へと続く
2007.01.17
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以前、「魔法の木」のマスターから、「もてない男の話しも書いたら」って言う言葉をいただきましたが、もてない男の話っていうのは「身につまされて」なかなか書けません。それに、もてる男の話だと・・・なんだかんだあって、最終的に「ハッピーエンド」で終わることができるんですけど、もてない男の話だと・・・「一生もてないままで終わりました。」ってとこまで書かないといけませんので、だらだらと長くなりそうな気がします。でもそれを覚悟で、書き始めましょうか・・・・・・・ 当時中学2年生の私、「大山健二」は、自分の平凡さに自分自身があきれるほどであった。なにをやっても中途半端・・・・成績がいいわけでもなければ、スポーツもだめ・・・・運動音痴というほどではないのだが所属している野球部の中では「ライトで8番バッター」というのが彼のポジションで、ようするに、レギュラーと補欠を行ったり来たりしているようなところだった。もちろん、クラスに必ず一人はいる「お笑い系の人気者」にはほどとおく、冗談を言っても、ウケることは先ずない。一度、クラスの「お笑い系人気者」と呼ばれる中島の駄洒落が気に入って、そのまま塾で使ったことがあるのだが、すべってしまった。すべったというより、はっきり「泣かれて」しまった。いつも地味な洋服のセンスの女の子に、「お前のセンスは犬の卒倒・・・ワン・パターン」といってしまったのだ。その女の子は机に泣き伏してしまい、私は塾の講師から「廊下に立たされる」という、塾としてはありえない「お仕置き」を受けてしまった。翌日、学校に行って中島に話したら、「お前冗談を言うにしても、TPOを考えなくちゃ」といわれたのだが、おそらくそういったセンスも元々ないのだろうとあきらめた。勉強もだめ、スポーツもだめ、駄洒落のひとつもいえないのなら、姿形だけでもよければいいのだが、身長はちょうどクラスの真ん中でちょっと太め・・・・・「顔のつくり」に至っては親友の斉藤から「お前の顔の部品一つ一つはいいんだけどなあ・・・・配置がわるいのかなあ」なんていわれる始末で、私としては照れ隠しに笑ってごまかさなければならなかった。「斉藤だって、人の顔のことをいえた義理か」と文句を付けてみても、彼にはちゃんとした「彼女」がいる。そういう意味では、斉藤に余裕が感じられた。「ほんとに俺って、なにやっても中途半端だなあ」そう感ぜずにはいられなかったのだが、そんな私でも好きな女の子がいなかったわけではなかった。「会田真由美」・・・・今年の4月、大阪から転校してきた子で、可愛いというより活発な女の子の印象があった。それはこの田舎では珍しい関西弁の影響があったのかもしれない。いじめっ子の軍団が、真由美の言葉をからかったのだが、その速射砲のような関西弁で、いじめっ子達をねじ伏せてしまったのだ。当然、それからというもの、いじめっ子達は真由美の刃向かおうとしなくなり、クラスの女の子達からも絶大な信頼を勝ち取ってしまった。数人の男子生徒が真由美にラブレターを手渡したという話しもあったが、ことごとく失敗したようで、そんな勇気もない私てきには、心の中で彼女に喝采を送っていた。中島もラブレターを送った一人だったと自ら告白したが、「あんた駄洒落の名人ておもてるかも知らんけど、そんなん、大阪では日常会話やよ」と口頭で返事を返されたともらしていた。しからば真由美に好きな男の子はいないのだろうかと、あちこち情報を収集して見ると、どうやら仲のよい女の子達に「この辺の男の子は、ほっぺたが赤うて坊主頭やし、あたしの好みはおらんなあ・・・・」といってるらしく、いつもその他大勢の私には手も足も出ない状況だった。当時、私の中学校では「男子生徒はみな坊主頭」と校則で決まっており、少しでも髪の毛を伸ばしたりすると、生徒指導の先生がバリカンを持って追いかけてきて、たちまちのうちに「5厘刈り」にしてしまうのだ。「5厘刈り」というと、今でいうところの「スキンヘッド」一歩手前で、「番長グループ」の悪たれどもも、これだけは逆らえなかった。 今日は忙しいので、少しずつ続きを書くね
2007.01.17
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今日はちょっと忙しいので、夜には書けると思うんですけど、隙間の時間でちょっとだけでも書いておこうと思います。でも、この時間で終われるかな? 佐伯の事情聴取は続いていた。「「家の中で一晩過ごし、それから車で東京方面に逃げるつもりでした。・・・・人質は途中の弦他の中においていくつもりですから、殺すつもりはありません。」さっき包丁を突きつけられたときは、生きた心地もしなかったのですが、佐伯の話ではそういうことでした。「家の中で聡君がなぜかいたんですが、それには驚きました。・・・・彼は私が以前勤めていた会社の社長の息子なんですが、10年間住み込みで働きましたから、ずいぶん可愛がりましたけど、私の家が脇野沢にあって、使ってないから、そのうち遊びにつれてくるって話してましたし、きっと夏休みのキャンプででも来て私の家を見つけたんだと思いました。」佐伯は強盗事件を起こしてから、恐山に潜伏していたので、児島の交通事故の話は知らなかったのかもしれない。「ところが・・・・彼が現れると・・・・家中が真っ暗になったんです・・・・まるで皆既日食でもあったように突然真っ暗になって・・・・私は怖くなりました。」佐伯には霊の仕業とは思えなかったのでしょう。「逃げようと思い玄関に走ったのですが、部屋から出ようとすると、まるで透明なアクリルの板でもあるように、はじき返される・・・そしてそれが私に向かってくるように思えました。」佐伯はこのとき、ごくりとつばを飲み込んだ。「まるで、狐にでも化かされているような気持ちでしたが、その男の子が、そのアクリルの板を通り抜けたのを見て、もう一度体当たりしてはじき返されました」彼は、私を指差しそういった。「これはだめだ・・・押しつぶされると思ったとき、窓を突き破ろうと思ったんです。」そして、これからが、私の知らない世界だった。「窓を突き破り、山へ逃げました。・・・・・このまま山に逃げても、その子を残してきたのできっと山狩りされると思いましたが、あとはどこにも逃げられません・・・・とにかく山へ逃げたんです。」逃げた佐伯は、窓枠を破ったのであちこちにガラスで切って血がにじんでいた。その匂いをかぎつけたのか、じぶんのまわりにいろいろな動物が近づいてきたのだそうだ。日本猿、カモシカ、猪、狐、いたち、そして熊・・・・・・・空にもトンビやからすが集まってきた。その動物達に追いやられる形で、山の頂上のほうに向かうと、そこに小島が腰掛けていて、ニコニコ笑っていた。家の中にいたはずの小島が、山の頂上に先回りしている・・・・・さっきの不思議な出来事を思い出し不用意には近づきたくないと思ったらしい。「動物の中を突っ切って逃げよう」・・・・そう思って振り返ると、その動物達が笑ってるように見えたのだそうだ。その中にいっぴきの犬がいて、前に出て来て、佐伯の足元になついてきて・・・・そうしているうちにたちまち小島の姿の変わった。目の前にいつの間にか小島が立っている。「佐伯さん、あんた優しい人なんだから強盗したなんて、なんかの気の迷いだよ」そういうと左手を指差し、2本の木を指差す。そしてその木が言葉を話し出したのだ。「お前は優しい子だ・・・・・このまま悪いことを続けるのはやめておくれ」その木は、彼の両親の姿に変わったのだという。慈愛に満ちた両親の姿を見て、佐伯は自首しようと思ったのであった。その時突然雨が降ったという。しかし、私のいる、このふもとには雨は降らなかった。その雨は、佐伯のこころからなにかを流し去ったような思いがしたそうだ。 そのなにかが流れ去った後、佐伯は気を失った。その気を失いかけたときに、小島の声が聞こえた。「これで佐伯さんも後藤君も・・・・死ぬことはなくなった・・・・・これで安心して行けるから、・・・・もし、来年の今日にでもお墓に来れたら来て下さいね・・・佐伯さん」そしてしばらくして気がついた佐伯は駐在所まで自首しに来たというのだ。おりしも今日は8月13日・・・・・お盆である。「迎え火」をたく、あちこちの明かりが私の目に映った。 終わりにさしてくれ!
2007.01.16
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今日はとても寒かったが、スキー場のリフトはまだ動いていなかった。スキー場の職員がいたので聞くと、まだ滑走可能の表示が出ていないらしい。小学校低学年用のリフトのいらないコースは、逆に平らなので雪がくっついていて滑れるのだが、普通のコースは、雪が流れ落ちてしまっていて滑れない。ジュニアの大会は27日・・・・・いつから練習できるんだろう? 佐伯が窓を突き破って逃げたあと、私は駐在所に駆け込んだ。あの駐在所の警察官に、私がここまで連れてこられたわけを説明したのだが、その犯人の佐伯が、私を放り出して山へ向かって逃げ出したので、うまく説明できなかった。「あんたには捜索願が出されてるよ・・・・親に心配かけるんじゃない」そう言ったのだが、逆に叱られてしまった。「おまわりさん、ほんとなんだよ・・・・佐伯が強盗犯で恐山に潜伏してたんだよ・・・ボクが宇曾利湖の周りを歩いてるとき、あいつを見つけたんだけど逆に捕まっちまって・・・・それで、人質だっていってここまで連れてこられたんだ」私がもし警察官でも、こんな話は信用しないだろう・・・・・「じゃあ、聞くが、なんであんたは恐山に行ったんだ?」亡くなった小島の言いたいことを知りたくて、イタコに聞きに行った・・・と話したのだが、湖の対岸にいった理由が説明できない。「とにかく佐伯の家に一緒に行ってくれ」お願いしてようやく来てもらうことになったのだが、「その前に、あんたの親のところに無事だという事を知らせなくちゃな」そう言って、むつ警察署のほうに電話をいれた。「はい・・・はいそうです・・・ええ、本人を今保護してます・・」私は気が急いていたのだが、駐在さんは私を保護した事の方が重要だったらしい。電話が終わり、「30分もすれば後藤社長が迎えに来てくれるらしい・・・それまでここにいなさい」と私に命令したのだが、私は、無理やり手を引っ張って佐伯の家に向かった。家の様子を見た駐在は、窓枠がぶち破られ・・・あたりに血痕が落ちていたのでようやく、あわてだした。駐在所に駆け戻り、またむつ警察署の、今度は強盗事件捜査本部直通の電話に連絡する。「はい、後藤さんの息子さんの話によれば、その佐伯という男が恐山に潜伏しているところに偶然出くわして、そのまま人質として誘拐されてここまで来たんだそうです。・・・え?犯人ですか?なぜか後藤社長の息子さんを置いたまま、山のほうへ逃亡したようなのですが・・・・ええ・・なぜと言われましても・・・・」捜査本部では半信半疑だったらしいが、とりあえず3人の捜査員を派遣するといってきたらしい。しかし「山狩」をするにしてもその人数ではどうにもならない・・・・それにもう夜になっていた。捜査員が来る前に、父親の車が到着した。車には両親が乗っており、私の姿を見ると、母親はその場に崩れ落ちてしまった。私の姿を見て安心したのだろう。駐在は、これから強盗事件の捜査員がこちらに来ることを父親に話し、私に尋問する事があるから、この場に残ってくれるようにと話す。その時である・・・・・・・山の方向から誰かが降りてくる・・・・佐伯だった。「あの男です」私が指をさすと、駐在はあわてて、佐伯に駆け寄った。同時に捜査本部から派遣された捜査員が到着する。ここから先は、佐伯の供述である。「ええ、そうです・・・・・わたしは強盗事件を犯し、恐山の湖の対岸に身を潜めました。・・・まもなくお盆で、帰省客も増えるし、そうなれば県外からの車も多くなるんで八戸方面に逃げようと思ってました。・・・お盆のさなか、警察も検問はしなくなるだろうと思ってたんです。」ところが、身を潜めていて誰も来ないだろうと思っていたところにわたしが行ってしまったのです。「ええ、この男の子が来たので驚着ました。・・・・で思わず捕まえてしまったのですが、この子が帰らないと捜索願が出るような気がして・・・それで自分の故郷にもどってきたのです。」それからの説明は、小島の霊との遭遇など、到底信じられない事の羅列でした。 あ、ごめんなさい・・・・・今日中に終わらせるつもりだったけど今日はすごく眠い・・・・明日に続きます。本当にゴメン・・・・・
2007.01.15
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さっき、私のところに靴が3足届きました。思い出してみると、先日酔っ払ったときに、ネットショッピングでお買い物しちゃったようです。でも、靴のサイズはピッタシ!安い靴ですけど、これなら履きつぶしてももったいなくない・・・・・・それにしても悪いくせです。酔っ払うとどうでもいい物がいい品物に見えちゃうんで、買っちゃうんですよ。マア一足3000円だから、良しとしましょう。 土間のかまどの陰から現れた小島・・・・・・・・と同時に、窓という窓が漆黒の闇の世界へと変わっていった。まだ夕方で日が暮れたわけではない・・・・それが証拠には、一気に闇の世界になったわけではないのだ。徐々に徐々に・・・・・・・白い布に・・・黒い墨をこぼしたようにそれは広がっていって、暗闇になっていく。「佐伯」と呼ばれたその男は、玄関の引き戸に向かった走ったが、その囲炉裏のある部屋を出ようとしたところで、なにかにはじき返された。「お前は誰だ!」はじき返され無様に転がった佐伯は、そのままの姿勢で影に向かって叫んだ。私には小島とわかっていたが、佐伯はよくわからない様子だった。「ボクだよ・・・・さとるだよ・・・・覚えてるだろ?」小島の名前は「聡」と書いてさとると読む。「親父がリストラしたって?・・・・・・そうじゃないよ、・・・本当に急に仕事が入らなくなっちまったんだ。・・・・・・佐伯さんが独立したとき、本当に喜んでたんだよ・・・」「嘘だ!・・・・・じゃあなんで仕事をよこさない」「自分のところでも、仕事がない・・・・10人の職人さんたちの給料だってようやくだったんだよ・・・・・だから、あんたが金を借りに来た時だって、泣く泣く断ったんだよ・・・あんたが親父を殴って、財布を抜き取った時だって、その後警察には訴えなかっただろ・・・・・」立ち上がった佐伯は、その小島の言葉をちゃんと聞いていなかったようで、また外へでようとその部屋の出口に体当たりしてまたはじき返された。まるでガラスの膜がそこにあるように・・・・・・「ちきしょう!」また立ち上がり、ぶつかっていって弾き返される。しかも、そのガラスの透明な膜は・・・・徐々にこちらへ押されているように、その空間が狭くなっていく。その囲炉裏のある部屋の半分近くまで狭くなってきたのだが、私にもどうにもできない・・・・私は後ろへ後ろへ・・・と下がっていった。「その後藤君は、ボクの友達・・・・・だから佐伯さんと一緒に助けてあげたいんだよ」その言葉を聞いた佐伯は、思い出したようにスーパーの袋から、まだ箱に入ったままの、真新しい包丁を取り出し、箱をむちゃくちゃに破いて私ののど元に包丁の刃を当てる。「殺すぞ!・・・・・・部屋を狭くするのをやめないと殺すぞ!」しかし、小島はやめなかったようだ・・・・・私は、そのガラスの膜の様な物はまったく見えないのだが、児島がこちらへ近づいてくる様子から、徐々に狭くなっているように感じて、だんだん息苦しくなってきた。「いいよ・・・・・殺しても・・・・ボクもこっちの世界に一人で突然きちゃったから、友達と一緒だとうれしい・・・・」その言葉に嘘がないように思ったのだろう・・・佐伯は私を放り出して突然隣の部屋に走り出した。そこは仏壇が置いてあった部屋なのだろうたたみ半畳ぐらいのスペースが開いていて、その中に佐伯は逃げ込んだが、もちろんそれ以上逃げ場はない。私は足がすくんで動けなくなった。「殺してもいい」と言った小島の言葉が、私に突き刺さって動けなくなってしまったようだ。その場にしゃがみ込み、まもなくそのガラスの膜に押されて私も奥の部屋へと押されていくのだろう・・・・小島が私の真横を歩いている・・・「ガラスに押される」そう思ったとき、小島が私の方を向いて、少しくぐもったような声で「大丈夫だ」とひとこと告げた。私はその「ガラスの膜」を突き抜けた・・・・・・・それを見たのだろう・・・・佐伯はまたそのガラスの膜に体当たりしたのだが、またもや弾き返されると、今度は真横に向かって走り出し、漆黒となった窓枠に向かって体当たりした。「ガシャーン!!」窓枠が大きな音とともに壊され、そこから鯛島の夕日が赤々と見えた。佐伯は血だらけの姿になって、裸足のまま、山の方向に逃げ出していく。しかしその夕日とともに、小島の姿も見えなくなってしまった。「小島・・・・・小島!!!!」私は大声で、小島を呼んだのだがもう姿どころか返事もなかった。 つづく
2007.01.15
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「ナイトにホラーは無理だった」という意見と、「今までよりいいよ」って言う意見をいただきました。自分じゃ面白いか面白くないかわからないんで、ただ一生懸命書いてるだけなんですけどね。マア、こうやって皆さんに育ててもらってるようなもんですから、そのうち、「あっ」と驚くような雑文も書けるようになるんじゃないかと思ってるんで、何とかここは、がまんして長~~~い目で見てください。 強盗犯の車のトランクに載せられ、着いた所は鯛島の見える脇野沢の海岸だった。車は先日キャンプしたところから50メーターほど離れた民家の前に停められ、誰も見ていないのを確認してからなのか、少したってからトランクから出された。「さあ、家の中に入れ」縛られたまま、口にはガムテープを張られたまま・・・私は背中を押されてその民家の中に押し込まれる。しばらく誰も住んでいなかったような家・・・・埃っぽい、すえた匂いがした。「ここは俺の家なんだ・・・・・・もうだいぶ前に親に死なれてな・・・・独りになったから、ここをほっぽりだして・・・俺は青森の会社に10年間勤めた。・・・・一生懸命働いたんだよ・・・・そしたらそこの社長・・・・お前は腕がいいから独立してもやっていけるななんて言いやがってよ・・・・俺も馬鹿だから本気にした。・・・・」そこまで言うと、男は靴を脱ぎ囲炉裏のある部屋の真ん中に座って話しを続けた。「下請けの会社を作らないか・・・なんていわれてその気になって・・・・貯金を全部はたいて会社を作って社長になった・・・・・社員の誰もいない社長にな・・・・・その勤めてた会社の社長が・・・仕事を回してくれるって言う言葉を信じてよ・・・・それが独立したとたん・・・・仕事は回してくれねえ・・・たまに仕事があると、代金を値切られる。たちまち俺は食うに困った・・・・ていのいいリストラにあったってわけよ」男は立ち上がり、こんどはわたしの靴も脱がせ、その部屋にあげて、奥の大黒柱に改めて縛り付けた。「俺はどうしようもなくなって、金を貸してくれとその社長に頼みにいったんだが、今会社も景気が悪くなってと断りやがった・・・・だからその社長を殴り倒し、財布を抜き取って逃げたんだが・・・・行くところもねえ・・・・この下北半島に逃げてきたんだ。・・その財布には1万円しか入ってなかったこともしらねえでよ・・・」男はスーパーのビニール袋からおにぎりを二個と牛乳のパックをだした。「お前も腹が減ったろう・・・・・今ロープを解いてやるがな・・・逃げるんじゃねえぞ・・それと、ガムテープもはがしてやるが、ここは隣の家までけっこう離れてる・・・大きな声を出しても誰にも聞こえないからな・・・・・」念を押しながら、ロープを解いてくれた。梅干のおにぎりと、牛乳のパックを与えられ私は後ろ手に縛られたロープもはずしてもらい、食べ物を口にすることができたのだが、そのとき、自分の血だらけになった手をはじめてみた。おにぎりを持ってみたが、手に握力がなかった。「もしかしたら、指の一本ぐらい折れてるかもしれないなあ・・・マア勘弁しろや・・・」そのとき、土間にある台所の古いかまどの陰から声がしたのである。「佐伯さん・・・・・」声のした方向を見ると急に影が立ち上がったように見え・・・・その影が話し掛けてきた。「それは違うよ・・・佐伯さん」それははっきりと小島の声であり影であった。これからなにが始まろうとしているのか? 明日へと続く
2007.01.14
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今日は、PTAの3役事務局の新年会をしてきました。私だけ、小学校の父兄と呼ぶには老けてるわけですけど、マアそんなことはいいじゃないですか。11人出席でそのうち女性が3人でしたが、校長先生の退職祝いの余興の話しが出て、今回はもしかしたら「たらこ」の踊りになりそうです。でも席上・・・「ほんとにお祝いなんですか?」って言う話になって・・・・だって退職されることはさびしい事であってお祝いって言う言葉が似合わないと思うんですよ。でも「退職残念会」って言うのも変だし・・・・・・まだ日にちがありますから、考えて見ます。 宇曾利湖の対岸まで林を抜け水溜りを飛び越え・・・・けっこう時間がかかった。「確か光が見えたのはこの辺だったなあ」ようやく対岸に着いたときには、私は汗だくになっており、拭いても拭いても吹き出てくる汗を何度もぬぐっていた。「この辺だと思ったんだけどなあ?」わたしはあたり一面をくまなく見回し、何一つ見逃さないようにと目をこらした。そのときである。繁みの中に何かが動いたような気がした。「だれ?・・・・だれかいるの?」「なんだ・・・・人間だったのか」繁みの中から出てきたのは一人の男だった。「もう少しで撃つ所だったぞ」その男はハンターのような言い方をして近づいてきたが、その手に銃のようなものは持っていない。彼が近づくにしたがって、私は危険を感じ始めていた。彼の目を見ながら、一歩ずつ後ずさりをする。突然その男が飛び掛ってきたのだが、後ろ向きに歩いていた私はひとたまりもなく転がった。男は私に馬乗りになり、平手で一発入れた。私も暴れるだけ暴れ、何とか彼を振り落とし、彼の顔面にけりを入れた。そして彼がひるんだ隙に、立ち上がって逃げようとしたのだが、慣れない林の中である・・・・何かに足をとられ転んだとき、見上げるとその男が落ちていた杭のような物でわたしの後頭部を殴る寸前だった。どれくらいの時間が過ぎたのだろうか・・・・・気がつくと私は洞窟のようなところに、縛られ転がされていた。「おお、気がついたか・・・・殺しちまったかと思ったぜ」その男は、洞窟の外の焚き火の向うから声をかけてきた。「あんた、強盗犯なんだね・・・・」わたしは恐る恐る聞いた。「どんな事件でも、検問なんて一週間もやりゃしねえ・・・・明日にでも車で八戸に逃げようと思ってたんだが。。。まさかここまで人がくると思わなかったな」私は、工事に使う黄色と黒の縞模様のナイロンロープで縛られていたのだが、後ろ手で縛られた両手が痛い。「ああ、痛いかもしれないな・・・お前の両手は血だらけだ」杭のような物で殴られたとき、とっさに両手で頭をかばったと言うのだ。「お前なんでここに来たんだ?」お盆間近なのに、恐山の対岸に用事のある奴はいない。だからこそ、ここに隠れていようと思ったようだ。「ここに潜んで6日・・そろそろ検問もしていないだろう・・明日はお前を連れて山を降りる・・・お前は人質だ」山を降りるということを聞いて、そこに4輪駆動車が置いてあることに気がついた。車を湖側において、恐山の寺側から焚き火の明かりが見えないように工夫されている。「俺は車の中で寝る・・・・火は消すからな・・・もし野良犬とか現れて食われたら、それはお前の運命だとあきらめろ・・・・ああ、ついでに言っとくがな・・・お前を縛ってあるロープは、この防空壕の腐った柱に結び付けてある。・・・・そのロープを引っ張れば、柱が折れて落盤が起きる・・・お前は生き埋めになるから、下手に逃げようと思うなよ」この洞窟のようなところは防空壕だったらしい。このむつ市というところは旧日本海軍の基地があったところでまだ至るところに防空壕が残されていて、私が小学生のときにもよく子供が悪戯して入って事故が起きていた。男は焚き火を消し、車に乗り込んだ。私は、その防空壕の中に転がされたまま・・・・夏とはいえ山の中である・・・Tシャツ姿のままでは寒い。時々、野犬の鳴き声がして不気味な夜であった。まんじりともできないまま、私は夜明けを迎えることになったが、いつか小島の霊が助けに来るのではないかという淡い期待があった。「家ではきっと心配してるだろうなあ・・・・・」恐山の受付の人たちが気付いてはいないだろうか・・・・これからどうなるのかという不安でいっぱいになる。車から男が降りてくる。「おお、生きてたか・・・・よかったなあ」大きなあくびをひとつして、私のいる防空壕に近づいてきた。目が赤い・・・・この男も寝ていないようだ・・・・・・「お前もパン食うか?」縛られてるわたしの口に食パンを押し込む。手を縛られているのだから一口しか食べられなかった。「さあ行くぞ」男は私を縛ったまま、車のトランクに乗せ、閉めてしまった。口にはガムテープを張られてしまっているので声を発する事もできない。車が発進して10分ほどは砂利道の林道だったのでかなりの揺れがあったが、その後は舗装された道路に出たのか、スムーズに走った。本当に検問はやめているのだろうか。検問でトランクを開けてくれれば助かるが、もう一週間立っているので期待はできない。途中、少しの時間車が止まって、男が降りて行ったような気がする。体をトランクの蓋にぶつけ、何とか開けようとするのだが、思うようにはいかなかった。再び車が発進して、しばらくするとどこかについたようだった。トランクがあけられ、潮の香りが入ってくる。どこかの海のそばのようだ。車から引きずり出され、その景色を見ることができた。そこは、脇野沢・・・・・向うに鯛島が見えたのだ。 続く
2007.01.14
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今夜はPTA役員の新年会です。いつもはもっとゆっくりなんですけどね・・・・今年は校長先生が退職される年なんで、その送別会の準備会議もあるんですよ。 実家に着いたのは夕方の5時だった。「ただいま」「おかえり」何気ない挨拶なのだが、友人の葬式で母親のつらそうな顔を見てからの挨拶だから、この挨拶の重さを感じる。「風呂が沸いてるから、先に風呂に入ってきなさい」母親から言われ、私は荷物をもったまま浴室に急いだ。鞄には洗濯物がたくさん入っていてそれを全部洗濯機の中に入れる。洗剤を入れて洗濯機を回し、それから今着ている、ワイシャツとズボン以外の下着や靴下も洗濯機に放り込んだ。昨日の銭湯のこともあったので、私は風呂の温度を指先で確認した。今日は普通に40度くらいの温度だ。お湯を体にかけ、浴槽に飛び込む。「兄貴・・・・着替えここに置くぞ」母親に言われたのか、弟がわたしの着替えを持ってきてくれたようだ。今日は髪の毛を洗っても何事も起きない・・・・体も洗って、体を温めるためにもう一度浴槽にゆっくりと浸かる。浴槽を出て、シャワーを浴び脱衣場に出ると、そこにはバスタオルが置いてあり、その上にわたしの着替えがおいてあった。Tシャツと下着のパンツとハーフパンツがおいてあったので着替える。ドライヤーで髪を乾かし、そのままキッチンを通り、冷蔵庫から牛乳を取って居間に戻った。「ああ、さっき成田君のお母さんから電話があったわよ」母は料理の手を休めず私に告げたのだが、私はさっきまでの成田の様子を思い出し、何かあったのだろうかと緊張した。「昨日は送ってもらってありがとうございましたって言う電話」それだけならいい・・・・・・・「ずいぶんたいへんだったわねえ・・・・・・」出来上がった料理を食卓に運びながら母はそういった。成田の母親から、成田のひどい落ち込みようを聞いたようだった。「鈴木君のお母さんは、昨日のうちに電話くれたんだけど・・・成田君が落ち込んでて電話できるような状況じゃなかったんだって」そういえば、さっき寺を出るとき、仲間には実家に帰る事を話して出てきたのだが成田の母親には話さないできてしまった。「さあ、ご飯ができた・・・・みんなを呼んでおいで」母が、一番下の妹に言いつけた。父親はいったん会社に戻ってまだ帰ってきていない。すぐ下の弟と一番下の妹は居間にいたのだけれど、3番目の妹は自分の部屋で勉強していたらしい。兄弟4人が食卓につく。一昨日も家にはいたのだが、そのときは成田と鈴木がいたので、兄弟たちとはあまり話していなかった。「お兄ちゃん、この前の友達もう来ないの?」3番目の妹が、そういった。「妙子、やめなさい・・・・」あまりいい話しではないので母がたしなめた。「だって、あたしに勉強教えてくれたのよ・・・・お兄ちゃんなんか、めんどくさがってあたしに教えてくれたことなんかないもの」あの日は成田も鈴木も落ち込んでしまって、妹に勉強なんか教えてないはず。わたしはいやな予感がした。「ああ、あの髪の長い人だろ?・・・僕にも教えてくれたよ」弟がそういった。「あの人一人っ子だから、兄弟が多くってうらやましいっていってた」仲間の中で一人っ子は、小島と鈴木だったが、鈴木の髪の形は綺麗に調髪された短髪だった。あの時、小島は私たちのそばにいたのだろうか?それにしても、昨日のわたしなら大げさに驚いていたかもしれないが、今日は麻痺してしまったのだろうか?弟たちの話を聞いても、それほど驚く事はなかった。夕飯を終え・・・「母さん、俺ちょっと疲れたから、今日はもう寝るよ」母親は何か言いたげだったが、少し考えて「ああいいよ」といった。自分が中学生まで使っていた部屋に戻ると、そこには一昨日泊まっていった成田と鈴木の布団がそのままになっていた。「一昨日は3人とも眠れなくてずっと布団の上で話し合ってたからなあ」彼らの布団はそのままにして、私は自分のベッドにごろりと横になった。目をつぶると小島の顔が思い出された。高校入学のとき、むつからただ一人越境入学したので、心細くしていたときに最初に声をかけてくれたのが小島だった。5月になって連休のとき、一人で暮らしている私に「家庭の味に飢えてるだろう」といって家に招待してくれたのも小島だった。最初の中間テストのときも、家に招待してくれて、一緒に勉強をした。「そうなんだよなあ・・・・いつでも一緒に行動してたのになあ」え?誰だ!わたしには空耳には思えなかった。「小島!・・・いるのか?」私は何も見えない空間を、声のしたような方向を向いて押さえるような声で聞き返した。しかし、それ以上声はしなくなり、私もいつの間にか眠ってしまったのである。翌朝早く目が覚めた私は、母親にy中学のときの友人の家に行ってくると言って家を出た。そしてその足で、「下北交通」の始発停留所に来てしまった。ここから、恐山行きの観光バスが出るのである。私は生まれたときからこの地で育ち、「人が亡くなればその人の霊は必ず恐山に集まる」といわれて育った。それなら、きっと小島の声をはっきりと聞くことができるんじゃないだろうかと思っていた。私はそれまで、霊魂の存在なんて考えた事もなかったのだが、小島が亡くなってから起るさまざまな出来事で、少しだけ信じるようになっていた。明日は旧暦のお盆、8月13日で、観光客は少なかった。「あまり人が多くないほうが小島も出てきやすいかな」そんなことを考えながらバスに乗り込んだ。バスは途中「冷水峠」という停留所にだけ停まるのだが、ここでは昔徒歩で登ったとき飲めるように、綺麗な水が湧いていた。今は歩く人もいないので、それほどのありがたみはないのだが、私は家族で恐山に登っても、必ずここの水を飲んだ。「う?今日はなんだかしょっぱいような気がする」湧き水なので真水のはずである。「小島が、私の来るのを知って脇野沢の海水を出したんだろうか?」私はその水を他の人にわからないように吐き出して、ハンカチで口を押さえた。ほかの観光客は、おいしそうにその水を飲んでいる。「やっぱり、俺に何か教えてるんだ」休憩をおえ、バスは恐山に真っ直ぐ進んだ。バスは恐山の山門の前に着く。普通の人は「拝観料」を払い寺の中に入るのだが、私の場合、父が檀家総代で小さいころからここには出入りしているから、受付の人たちとは顔なじみであった。「後藤社長のところの隆志君じゃないか・・・・いいよはいって」私は会釈だけして山門の中に入った。山門を入ると、山門内側の塀に沿って10人ほどのいたこの小屋がある。観光客は少ないので、すぐに知り合いのイタコのおばさんのところに行った。「あれ、後藤社長のトコの坊ちゃん・・・・今日はひとりかい」そのイタコは私の目を見ながらそういった。「今日は呼び出せないぞ・・・・・亡くなってから1年以内の人は呼べないことになっている」イタコは私がなにをしに来たか知っているようだ。恐山に来ても、私にはどうすれば小島の話しが聞けるかわからなかった。ただ行けばどうにかなると思ってきただけで、イタコがいたのを見たから、このイタコのおばさんのところに来ただけなのだ。「亡くなったばかりの人はまだ成仏していない・・・そんなときに呼び出せば、幽霊になって彷徨うことになる・・・・だから、まだ呼ぶことはできないよ」断られた私は、その場を離れ、自分で話しを聞ける場所を探し始めた。私がここに来ようと思ったなら、それはきっと小島がわたしを呼んで何か話しをしたいはずなのだから・・・・だからきっとどこかで小島が私に話しかけるはずだと、確信していたのである。しばらくあちこち歩いてみたが、どこにいっても声はかからなかった。とうとう、「宇曾利湖」の湖岸「極楽浜」に来てしまった。「小島・・・・私を呼んだんじゃないのか?」少し疑問を感じながら湖の対岸を見ると・・・・・「あ、何かきらりと光った!」わたしはその光が私を呼んでるように思えた。私は急いで戻り、山門を出て湖の対岸まで向かった。小さい湖なのだがそれでも、まわっていくと40分はかかりそうだ。「あの光は小島なんだ」私はそれだけを頼りに、歩いたのだった。
2007.01.13
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今日はね、長男の誕生日ヨッチャンお兄ちゃん・・・・誕生日おめでとう♪結婚して5年・・・君が生まれてくるのをどれほど待ったことか・・・・・そして生まれてから19年・・・・・来年になったら一緒に飲みに行こうな。 翌日の葬式は、父の車に乗って出かけた。今日むつ市へ帰れば、8月20日の「田名部祭り」が終わるまで実家にいることにしていたので、着替えと勉強の道具を鞄につめて父の車に積んでおく。寺で降ろしてもらったのだが、まだ仲間は誰も来ていなかった。みんなと一緒に焼香しようと思ったのだが、夕べの事もあり、少しでも早く小島のそばに行ってやらなければという思いが募り、先に焼香する事にした。寺の中に入り焼香して、遺族席に向かった。夕べは私達の顔を見たとたんに泣き崩れた小島の母親が、今日は気丈に振舞っていて、私の顔を見ると、「後藤君、今までずっと仲良くしてくれてありがとうね・・・・これからも省吾のこと忘れないでね・・・」落ち着いた様子でそう言ってくれた。挨拶が終わり、寺の後ろのほうに座って仲間の来るのを待つが、仲間より先に担任の島津先生が先にやってきた。「後藤、ご苦労様・・・・今日はお前たち仲良しだったグループが来てくれるらしいな・・・ありがとう」小島の家族から聞いたのだと思ったら、今朝ほど成田の母親から電話があったらしい。成田は憔悴し切っていて、今日はとても出れるような状態ではないらしいのだがどうしても行くといって聞かない・・・・だから母親が同伴すると連絡してきたらしい。島津先生はその話を聞いて、私たち4人が今日集まるのだと言う事を知ったのだ。まもなく、鎌田も鈴木もやってきて・・・最後に母親に付き添われた成田がやってきた。はじめは母親と前のほうに座っていたのだが、私達が後ろに座っているのに気付いて、席を後ろのほうへと移してきた。葬儀が始まり、読経が始まった。小島の遺影はきっと入学式のときに撮影されたものなのだろう・・・・・高校の制服をきちんと着て、まだ髪の毛はそんなに長くなっていなかった。クラスの代表で、クラス委員の鈴木が弔辞を読むことになっていたらしいのだが、特に仲のよかった私達のショックがあまりにも大きく見えたので中止されたらしい。焼香の時間になり、小島の霊を慰めればいいのだろうが・・・私の前に成田が焼香に立ったので・・・・「小島、・・・成田を連れて行くんじゃないぞ」とお願いした。ふらふらになって焼香に向かう成田が、このまま小島のところに行ってしまうのではないかという様子に見えたのだ。葬儀が終わり、これで終わったのかと思ったら、このあと、家族だけでお墓に納骨に出向き、それが終わったあと同じ会場で取り越し法要が行われるらしい。お墓の中に、小島の遺骨を入れる儀式は、島津先生が小島の両親に話し、私達は行かないようにしてくれたらしい。クラスを代表して、島津先生だけがお墓に出向いた。私達はお寺の中に残り、4人だけで話をした。本当は話しちゃいけなかったのかもしれないが、私は夕べの出来事をほかの3人に話した。銭湯での出来事、銭湯からの帰り道の出来事、そして小島からの手紙の話しである。しかし、そんな話しは私だけではなかった。夕べ鎌田が家に戻ると、玄関を入ったとたんに電話が鳴ったのだそうだ。「あ、俺が出るよ」と家族に話し、鎌田が電話に出ると水泳部の先輩からだった。実は昨日のお通夜、今日の葬儀がなければ、水泳部の合宿は今日の午後までの予定だったのだ。鎌田の事情を察してくれた先輩が、鎌田の日程を昨日までにしてくれて、昨日の午後、鎌田は合宿所を引き払って帰っていた。「そしたらその電話で、お前忘れ物をしてるって言うんだよ・・・・何にも忘れたものなんかないのになと思ってたら・・・・カメラ忘れてるって言うんだよ」合宿所にカメラを持っていった覚えもないので、今朝合宿所によってそのカメラを貰ってきたのだそうだが、よく見たらそのカメラも小島のものによく似ているのだそうだ。確か、ネブタのとき小島がカメラで私達を何枚も撮影していたのを思い出した。鎌田は後で、児島の両親に渡そうと、そのカメラを持参していた。次に、鈴木が話した。鈴木の場合は・・・・昨日私達が帰ったあとの話しである。鈴木の母親が私達のためにどんぶり物の出前を夕食にとってくれていたのだが、誰も箸をつけなかった。みんなが帰ったあと鈴木がそのどんぶりを片付けたのだが、1個だけどんぶりが軽い・・・・蓋を開けてみるとその一個だけ、中身が入っていず、今洗ったばかりのように綺麗なままのどんぶりだったと言うのだ。誰かが食べたにしても、汚れたままのはずなのに、まだ使っていない様にきれいなどんぶり・・・・・・これも変な話しだ。成田だけはなにも起っていない。成田の憔悴が激しいので、小島も遠慮してるのだろうと慰めたが、成田はポツンと「それでも、俺のところに現れて欲しい・・・・」と話した。取り越し法要が終わり、会食の時間になる。4人は並んで座ったが、私は父親との約束の時間になったので、皆と別れ寺を出た。寺の駐車場には父親が既に待っていたが、私を追いかけるように小島の父親が出てきて、私の父親に礼をいった。「昨日は子供たちを送っていただいてありがとうございました。おかげさまで、息子のお通夜から葬儀までみんなに出ていただいて、息子も喜んでる事だろうと思います。」父親も車から降り、少し話してからお辞儀をして車に乗り込んだ。「飯食ってないだろ?・・・途中でそばでも食べていくか」あまり食べたくなかったが、父親も食べていないのだろう・・・・・ザルそばならいいかと思い、途中の蕎麦屋に入った。注文を父親に任せ、私はトイレに立ち上がった。「あ、お客さん、何か落ちましたよ?」テーブルの後片付けをしていた店員から声をかけられる。振り返って下を見ると、あの「鯛島の夕日の絵葉書」だったが、私はあの絵葉書を持ってきてはいなかった。葬儀の服装のまま車に乗ったのだから、ワイシャツに学生ズボン。絵葉書を入れるポケットもないのだ・・・・・「ありがとうございます」それでも私は、その絵葉書を拾い上げ、ズボンのポケットに入れた。父親のところに戻ると、そのやり取りを見ていたのか、「お前、そんな絵葉書もって歩いていたのか?」と質問してきたが、私は・・・「いやいいんだよ」と答えた。昨日からの不思議な出来事の連続に麻痺してきたのだろうか?私の感覚の中では、小島が何かを私に教えようとしているという事だけ感じて、恐い事だという思いはなかった。そばを食べ終え、また車に乗り込んで実家に向かう事になったが、途中の野辺地町で検問があった。下北半島から来る車を調べていたのだが、狭い道路なので片側通行になり渋滞を起こしているようだった。父親の知り合いの警察官もいたようで、父は車の窓を開け「ご苦労様」と声をかける。「なんかあったの?」「ああ、お前たちがキャンプしたときむつで強盗事件があってな・・・その犯人がまだ見つかってないんだ」もうあれから4日たっている。これほど捕まらないという事は地元の人間が犯人なのだろうか?脇野沢の駐在さんを思い出した。「あの駐在さんもまだパトロールしてるんだろうなあ」わたしはぼんやり考えていた。
2007.01.12
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本当に何も考えないで続きを書いてるから、「落としどころ」がつかめない。このお話しはもしかしたら100話ぐらいまで続くかも・・・・・ 室内灯の明かりがつき、つけた覚えのないテレビの音が聞こえる。私はおそるおそる、アパートの部屋の鍵を開けた。いや・・・・・・鍵も開いているのだ。「なんだ・・・・誰かいるのか?」私は怖いのも手伝って、勢い込んでドアを開けた。「ああ、おかえり・・・・・・」それは朝方、お通夜に出席するために青森に戻る私たちを送ってきてくれた私の父親だった。「なんだ・・・父さんだったのか」父親なら、私のアパートの合鍵を常に車のダッシュボックスの中に入れていた。父が用事で青森市に来るとき、母親が一緒に乗ってきてアパートの掃除をしてくれるときがある。その時のためにいつも車に合鍵をおいてあるのだ。「晩飯は食ったのか?」そういえば、鈴木の母親が用意してくれた出前のどんぶりものには誰も手をつけなかった。「寿司を買ってきたから食べな」父親は、私たちをそれぞれの家に送ってから、今まで会社の大事な取引先への接待をしていたのだ。いつもなら、「酔っ払った姿を子供に見せたくない」といって、さっさとホテルに泊まるのだが、今日は友人を亡くした息子の気持ちをやわらげるため、私の部屋に泊まることにしたのだそうだ。先ほどの風呂屋と、その帰り道の出来事があっただけに、私としては心強かった。「明日は、葬式にも出るんだろ?・・・・父さんは午前中県庁とかで用事を足して、午後二時にむつへ帰るから、一緒に乗って帰りなさい。」私は明日の葬儀に出て、あさって電車で家に戻るつもりだった。まもなく旧暦のお盆である。どっちにしろ家に戻るなら、父親の車で戻ったほうが楽だった。明日の葬儀が終わっても、またみんなで集まり・・・・・ボーっとして自分達を責めることしかできない・・・・そんな光景が目に浮かんだ。それなら、みんなと早く別れて家に戻りたい。私は父親の買ってきた寿司の折り詰めを食べながら、明日車に載せて行ってくれるよう頼んだ。「そういえばな、さっき隣の人がきてな・・・・・お前のキャンプ中に書類かなんかが来て預かってたんだそうだ・・・」隣の部屋の人は、スナックに勤めている若い女性で、この時間に部屋にいると聞いて訝しく思ったが、確かにテーブルの上には手紙のようなものが載っていた。「さっきまで銭湯で一緒にいたんだが、話しをするのを忘れたとか言ってた。」銭湯で知り合いとは誰も会わなかったし、ましてや隣の住人は女性である。私は思わず、その手紙状のものを手にとって開けた。中に入っていたのは「楽譜」だった。そしてその筆跡は間違いなく、小島のものであった。「父さん、この手紙を持ってきた人はどんな人?」「どんな人ってなあ・・・・お前と同じくらいの年恰好で、そういえば髪の毛が長かったな」間違いなく、小島だった。6月ごろ教室で2人話したことがあった。小島が作詞作曲した歌を、私がコーラスをつけてアレンジし、秋の文化祭に「フォークデュオ」で出演しよう・・・というものであった。一度だけ、小島のその歌を聞いたが、正直なところあまりいい歌とも思えず、歌詞にいたっては、若い男女が一緒にキャンプに行って向こうの島まで泳ぐというような歌で・・・・キャンプ・・・・・・島まで泳ぐ・・・・・・私は、脇野沢で私の調子が悪かったとき、成田と鈴木2人が鯛島まで泳いでいったときの情景がよみがえってきた。歌詞を読み返す・・・・・・最後の部分の歌詞が目に留まった。「夕日に向かって~~泳げ~~♪」という歌詞がリフレインされて、フェードアウトする形式になっていた。「どうかしたのか?」父親に聞かれたが説明のしようがなくて黙っていた。「いや、その手紙のことじゃなく・・・・お前足がかゆいのか?・・・ぼりぼりかいてて・・・今血がにじんできてるぞ!」いつの間にか、かゆい足を無意識のうちに引っ掻いていた。あわててその引っ掻いた後を見ると、またジンマシンのようなミミズ腫れができていて、それが浮き上がった文字のように見える。「イ・ク・ナ」という文字のようにも見える。私に、むつへ帰るなということなのだろうか?それとも、、もうキャンプに行くなという意味なのだろうか?どちらにしても、小島は私の身体を通して何かしらのメッセージを送ってくれているように思える。さっきの銭湯からの帰り道・・・・あの犬が小島の分身だとすると、振り返ってニヤッと笑った犬の顔から、私に対する悪意は感じられない。「なにを伝えたいんだ・・・・小島・・・・・・」なにかが始まろうとする予感がする。
2007.01.12
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実は前回で終わりのつもりだったが、皆さんはまだ続くことを期待しているようだ。確かにホラーと言いながら、皆さんを恐がらせてはいない。しょうじきなところ私は、遊園地なんかにいっても絶対に「お化け屋敷」には入らないタイプだ。そんな私が皆さんを恐がらせる事ができるのか、疑問は残るが、何とかがんばってみよう。 小島のお通夜には私たち4人のほかにも同級生がたくさん来ていた。小島の母親は気丈に振舞っていたが、私達4人の顔を見たとたん・・・泣き崩れてしまった。一緒にキャンプにやればこんな事にならなかったのにと言う悔しさだったのではないだろうか。酔っ払い運転をして小島を轢いた犯人は、警察で取調べを受けており、その犯人の父親と言うのが焼香に来ていたのだが、小島の両親は目を合わせなかった。お通夜が終わり、私達4人は鈴木の家の社員寮に集まった。数日前、小島を入れて5人で泊まった部屋・・・・・・・あの時は楽しい話だけだったのに今は・・・・・・本当にお通夜のような・・・誰もが無言で・・・・・・特に、最初に「キャンプをしよう」と言い出した成田の落ち込みはひどいものだった。陸上短距離の選手だから、どちらかと言うとたくましい筋肉・・・しなやかな筋肉を持っているはずだったが、今の彼の姿は、一回り小さくなったような気がする。鈴木が成田の慰め役にまわったが、鈴木にしたってこの部屋をみんなに提供した責任を感じていた。「港に近いから、みんなをここに泊めたんだけど、行く予定の3人だけで泊まればよかったんだよな」私にしたって、私が下北半島出身でなければ脇野沢をキャンプの場所にえらばなかっただろうという負い目があった。それぞれが責任を感じ、自分を責めていた。鎌田はキャンプには行かなかったものの、5人の中では最後に小島と会話をした仲間として、「あの時、もう少し引き止めていれば」というような引け目を感じていただろう。4人が4人とも無言のまま、一時間を過ごした。鈴木の母親が、夕飯用にどんぶり物の出前を取ってくれていたが誰も手をつけない。「俺、明日まで水泳部の練習があるから、今日はこれで帰るわ」鎌田が言い出したのをきっかけに、この場を解散することにした。鎌田と私は同じ方向に帰るので一緒に出た。落ち込みのひどい成田は、鈴木の父親が心配して車で送ってくれることになり、私と鎌田が先に鈴木の家を出たのだが、ゆっくり歩いている私達を、鈴木の父親の車が追い越していく。後部の座席に、鈴木に肩を抱かれた成田の姿が見えた。「あいつ大丈夫かな」車のテールランプが赤く光り、続いてウインカーが右折の合図をしたのを見送りながら、鎌田がそういった。大丈夫か・・・・なんて私にはわからない・・・・・私自身がどうにかなりそうな感じがしていたのだ。「小島はなあ・・・・ほかの誰でもない・・・俺にジンマシンを出させて自分が死んだことを教えてきたんだ・・・」鈴木から私のジンマシンの事を聞いていた鎌田は、「それは・・・・」と言ったきり、何もいえない・・・・確かに5人の中で一番仲がよかったのは私かもしれない。それでも、なぜ私なのか・・・なぜ私にジンマシンを出させたのか・・・・理解ができなかった。途中で鎌田と別れ、私は一人アパートに戻った。「風呂に入りたいなあ・・・」時計を見ると、まだ銭湯に行く事のできる時間だった。すぐに銭湯に行く準備をし、アパートをでて10分ほどで銭湯につく。銭湯にはまだ3人ほど入っていて充分な時間が残っていた。湯を浴び体を洗ってから浴槽に入る。まだ焼香の匂いが残っているような感じだったのが全て流い洗されたような気分。小島のことを忘れたわけではないが汗を落としてさっぱりしたような気分だった。体を温め、洗い場の腰掛に座って髪を洗う。シャワーで髪をぬらし、手でシャンプーをあわ立て髪に撫で付けるのだが、いつもより余計出たのか泡立ちがいい。私は髪の毛を洗うとき、どうしても目をつぶってしまうのだが、奇妙な感覚に襲われた。髪の毛をこすっているときに誰かが私の髪の毛をちょっとだけ引っ張っているのだ。もちろん、誰かが悪戯しているのではない。しかし、誰かに髪の毛を引っ張られている感触はあるのだ。「気のせいだ」とも思うのだが、その感触がいつまでも消えない。私は髪の毛を洗うのをやめてシャワーでシャンプーを洗い落とす。すぐにタオルで顔を拭き、あたりを確認するのだが、ほかの客3人は全て浴槽に入っていて、洗い場にいるのは私一人だった。「今日は汗を落とすだけでいいや」私は独り言をいって湯をかぶり、そのまま浴槽に入った。私が浴槽に入るとなぜかそれまで入っていた3人の客が次々と出てゆき、浴室から出ていって脱衣場で着替えを始めたから、とうとう私独りになった。そして不思議なことに、風呂の温度がどんどん下がっていくような気がした。浴槽の近くに温度計があり、その目盛りは41度を指して動かないのだから、私の気のせいだと思うのだがなんだか水風呂に入っているような気分になって、私は気持ちが悪くなり、浴槽を出た。シャワーを浴びたのだが、そのシャワーも冷たく感じた。「コリャだめだ」・・・・・わたしは着替えるために浴室を出た。わたしは銭湯に行くといつもコーヒー牛乳を飲むのだが、その日はもう遅い時間なのかコーヒー牛乳が売り切れていて、ラムネしか残っていなかった。「今日はラムネを飲むか」番台に料金を支払いラムネをあけて飲んでみると、ラムネの味がしない。炭酸なのだが甘くない・・・・・それはほろ苦いビールの味だったのだ。半分ほど飲み、あとは残してしまった。今日はやっぱりおかしい・・・・・早く帰って寝よう・・・・・私は番台に挨拶をして帰ろうとした。「おじさん、おやすみ・・・・」そのとき番台が妙な顔をした。「あれ、あんちゃん来るとき一人だったかい?・・・・もう一人いたような気がしたんだけどなあ?」しかし浴室にも脱衣場にもだれひとり残っていない。「変だなあ・・・マア俺の勘違いかもしれない」わたしは直感で、小島がついてきていると感じた。「さよなら」銭湯を出て、私は急ぎ足でアパートに戻った。誰かがわたしの跡をつけてくるような感覚・・・・・・それも同じスピードで・・・「ぴた、ぴた、ぴた、ぴた、・・・・・・・」その足音が近づいてくるのだが、私には振り返る勇気がない。足音?・・・・いや音は聞こえないのだ・・・・・・しかし・・・・「ぴた、ぴた、ぴた、ぴた・・・・・・」幻聴なのだろうか?その足音が横に並び、そしてとうとうわたしを追い越していった。一瞬目をつぶりすぐに薄目で見る。そこには・・・・・わたしを追い越していった・・・・雑種の犬が一匹歩いていた。「なんだ・・・・犬だったのか」わたしは少しほっとしたのだが・・・そのとき、その犬が頭だけ振り返って「ニヤッ」と笑った。驚いて立ち止まった私!しかしその犬は、そのまま街灯の向うの暗がりに消えて行ったのだ。「ぴた、ぴた、ぴた、ぴた・・・・・・」その足音もだんだん遠ざかっていく。立ち尽くしたままの私だったが、しばらくしてようやく気を取り戻し・・・震える足を押さえながら、私はアパートに戻った。アパートに戻ると、私が出るとき消し忘れたのか、ドアの外からでもわかるほど大きなテレビの音がした。「いや・・・・・俺、鈴木の家から帰って真っ直ぐ風呂屋に向かったからテレビをつけてない」消し忘れていない・・・・テレビのスイッチを入れてなかったのだ。そういえば明かりのスイッチは確実に消したはずだ・・・・しかし今は室内灯が煌々とついている。わたしは恐る恐るドアを開けた。 つづく
2007.01.11
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「さあ、片付けて寝よう」・・・誰言うともなしに片づけが始まった。その片付けの最中・・・・「オーーイッ!」遠くのほうから誰かが呼ぶ声がする。「おい、さっきの駐在さんだ!」成田があわててビールの空き缶を隠し始めた。自転車の急ブレーキの音がして警察官が降りてきた。「アア、そんなもの隠さなくたってわかってるよ」高校生がビールを飲んでいるのに、その程度だった。「それよりな・・・・この場所・・・・満潮になると水浸しになるぞ」ええ!・・・・・そこまで気がつかなかった。「教えてくれてありがとうございます」そういったことにはよく気がつく成田が、クーラーボックスに入っていた缶ビールを一本、その警察官に持たせながら御礼をいった。「アア、コリャすまんねえ・・・」そういい残すと、警察官は自転車に乗って帰って言った。「おい、後藤・・・・早くテント移さないと大変だぞ」焚き火の明かりだけで、周りは真っ暗闇だが、なんとかテントを高みに移さなければならない。もしかしたらきちんと建てられなかったかもしれないが、それでも少し高いところにテントを移すことができ、私達はテントに入りシュラフにもぐりこむ。昨日青森ネブタで一睡もしていないし、今日は今日でけっこうな運動で疲れ・・・その上ビールの酔いも手伝ってか・・・・成田と鈴木はいびきをかき眠ってしまった。しかし、私は眠れない・・・・・・それでも目をつぶっていると、そのうち、いつの間にか眠っていた。何時間たったのだろうか?寝苦しさを覚え、顔だけがすごく熱くガマンできない。「おい、成田・・・・顔が異様に熱いんだ・・・・・どうにかなってないか?・・・みてくれよ」起こされた成田は眠い目をこすり懐中電灯で私の顔を照らす。鈴木も目を覚ましたようで一緒に私の顔を覗き込む。「アアーーーーッ!どうしたんだ・・その顔!」成田が私に聞く。私はなにがなんだかわからず・・・・自分の顔に触れてみた。「顔中、でこぼこだらけじゃないか!」熱を持った顔が、あちこち腫れているのか異様な感触があった。「これ、ジンマシンだな・・・・疲れたのと、昼飯に食ったサバの缶詰であたったのかもしれない・・・・だいじょうぶか?」「いや、息も苦しくなってきて・・・・とにかく顔中熱くてガマンできない」しばらく考えた成田が「キャンプを中止しよう・・・・幸い、ここは後藤の地元に近いから・・・明日の朝片付けて、まっすぐ後藤の家に行き・・・・病院に連れてってもらおう」何時だったのか知らないが、空が白み始める。「救急車でも呼ぼうか」「いや、なんとかガマンできるよ・・・・ただ顔を冷やしてくれないかな」すぐに鈴木が私の真っ白なタオルを水に浸して固く絞り、私の顔の上に載せてくれた。ひんやりして気持ちいい・・・・・・「こうしてても仕方がない・・・・片付けてバス停にいってみよう・・・・後藤は寝てていいからな」私だけ白いタオルを顔に乗せ、そこに横になっていた。先にごみを片付け、それからテントをはずし始める。「ワアーーーッ!」今度は、あの冷静な成田が叫び声をあげた。その声に驚きタオルをはずすと、既にテントは取り外され、私はシートの上に寝かされているだけの状態だったが・・・・真っ青になった成田が見つめる私の頭上には一本の柱が立っていた。「海難事故遭難者慰霊碑」と刻まれていたのである。その慰霊碑の真下に、私は白いタオルを折って顔に掛け、横たわっている。あとから鈴木に聞いたのだが、それはまるで「墓の前に亡くなった人を横たえている」ような状態に見えたそうだ。夜中にテントを移動したときにはまったく気づかなかった。「とにかく早く片付けよう・・・・」片づけが終わり、荷物は二人が持ってくれた。バス停に到着し、私は家に電話をした。「もしもし、後藤ですが」「ア、母さん・・・隆志だけど・・・・キャンプに来てたんだけどちょっと具合が悪くなったから・・・・友達二人と一緒にこれからバスでそっちに帰るよ・・せっかくのキャンプをボクの病気で中止にさせてしまったから、なんか美味しいものでも用意してくれないかなあ」母親は心配して「迎えに車でいこうか?」といってくれたが、「バスがあと10分ほどで出るから」と断った。「ああ、それから隆志・・・・・」母はなにか言いかけたが「ア、それは帰ってから話すね」と中断した。脇野沢はバスの始発駅である。出発5分前になってバスが停留所に入ってきた。バスに乗り込むと2人がけの前の席に、成田と鈴木が座り、私のそのすぐ後ろの席にリュックサックにもたれるようにして座った。バスが出発すると不思議なことが起き始めた。家に帰れるという安心感があったからなのだろうか?・・・・私の体が軽くなってきた。バスが出発して5分・・・・・鈴木が私の顔を見て「腫れがひけてきている」といった。成田も振り返り・・・・「顔色も良くなってきているなあ」と話した。それから10分・・・・・・・「おい、腫れがほとんどなくなったぞ・・・・」成田は驚くようにそう言った。「お母さんのおっぱいが飲めると思ってだんだん元気になってきたんだな・・・・お前はヤッパリお子ちゃまだ・・・・ハハハハハ」2人にからかわれたが、実際調子がどんどんよくなってきているのがわかる。実家の前のバス停に到着したのは、脇野沢の停留所で電話してから50分ほどたった時だった。「ただいま・・・・」玄関を開けると心配した母親がすぐに出てきたのだが、私の様子を見てキョトンとしていた。「お前、ジンマシンってどこに出たの?」その時には、なぜか赤みもすっかりとれ、さっきまでウンウンうなっていたのが嘘のような状態になっていた。「なんでだかわからないけど、治っちゃったよ・・・病院に行かなくてもいい」そう伝えたのだが、既に病院の救急外来に電話をしていたらしく、私は父親と一緒に病院に行くことになった。「お母さん、友達に朝ごはん食べさせてやってよ・・・・今朝、俺のことを心配して何にも食べてないんだから」私は母親に友達のことを頼み、病院に出かけた。医者に診てもらうと「ジンマシンといわれてもねえ・・・・・体中そんな跡なんかないんだから・・・・変ですねえ」マア、様子を見てからまた来てください・・・といわれ、薬も注射も何もないまま家に帰された。家に帰ったら、成田も鈴木も私の母親の前で神妙な面持ちで座っていた。「お母さん、俺が病気になったのはこいつらのせいじゃないよ」私は、母親が私が病気になった原因はお前たちの責任だ・・・と怒っていたように見えたのだが・・・・それはまたとんでもない話だったのだ。成田が正座をし、下を向いたまま私に話した。「小島が、おととい・・・・・・俺達を見送ってから自転車で家に帰る途中・・・・・ネブタで酔っ払ってた車に轢かれて・・・・」冗談だろ・・・・・・・おととい別れるまであんなに元気だったのに・・・・・・・・鈴木の目からは大粒の涙が落ちていた。私たちが青森港を出発した時間が4時20分・・・・・それから、小島と鎌田がそれぞれの自転車で自宅に戻った。小島と鎌田が分かれたのは5時ごろだったらしい・・・・・自宅に戻るには見通しの悪い交差点を通らなければならないのだが、きちんと信号を守って横断歩道を自転車で通行中、こんな時間に歩いてる奴はいないだろうと、減速もしないで交差点を左折してきた酔払い運転の車に轢かれてしまったという・・・・・・「俺達と一緒にキャンプに来ていれば・・・・・・・・・」成田ががっくりと肩を落とした。その日1日、私の部屋で3人・・・・・ひとことも話さないで過ごした。翌日の朝、お盆前にお葬式を済ませなければということで、今日が火葬・・・そして夕方にはお通夜という連絡が入った。父親から「送っていこう」という言葉を貰い、3人で父親の車に乗り込んだ。火葬は間に合わないらしいが、お通夜にはぜひ出てくれという小島の父親からの電話を貰い、私たち3人と青森にいる鎌田・・・この4人が呼ばれた。車の中で鈴木が言う・・・・・・「あいつも一緒に来たかったんだよな・・・後藤がジンマシンになったのも、自分が死んだことを早く伝えたくって・・・・・」私は、出すはずだった「脇野沢鯛島の夕日の絵葉書」をじっと見つめた。
2007.01.11
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今晩は新年会があり、きっと午前様になるであろうことを先ずお断り申し上げます。ということは、今日はこれを書くとあとは書けないということ・・・・・マア、それほど「待ち焦がれても読みたい」っていう文章力じゃないけどね・・・ 昼食が済み、それでも3人とも少しは疲れていたと見えて、休憩を挟んだ。「今日は、これから山に登りたきぎ拾いでもするか」海岸でのキャンプだから、見渡すと乾燥した流木が見えるので、それに火をつければキャンプファイアーはできるのだけれど、2泊3日のキャンプだし、山登りするのもいいかなと思った。山といっても下北半島に高い山はない。下北半島で一番高い山「釜臥山」でさえ、海抜879メートル・・・口の悪い地元の人間には「はなくそ山」と呼ばれるくらいの山である。ましてやこの辺の山になると、一般的には「丘」と呼ばれるくらいが関の山である。しかし、この脇野沢地区は、「世界の野生猿の住んでる最北限」といわれていて、これ以上高い緯度に住む野生の猿はいないのだそうだ。この時期、猿の親子連れの姿をあちこちで見かけることが出来る。私達はたきぎを拾いながら、あちこち散策してテントに戻った。途中、「なんでも屋」というような小さな商店に買出しに立ち寄ったが、話し好きの奥さんがいて、「ここは猿だけじゃなくて、熊もカモシカも出るから、食べ残したら、穴を掘って埋めるんだよ」と注意を受けた。クーラーボックスを持っていったので、その店で、氷と肉や野菜・・・・それから、缶ビールを12本買った。明らかに、私達は年相応に見えるので、ビールを売ってくれるかどうかどきどきしていたのだが、ここは漁師町・・・・中学を出てすぐに船の乗る若者もいて、これくらいの年恰好の人間がビールを買うのも珍しくないのだろう。テントに戻ったのが二時半・・・・・・・「まだ、晩飯の支度をするのは早いよなあ・・・・鯛島まで泳いで見るか?」成田が言い、鈴木は賛成したが・・・・私は昨日寝ていないのと、この暑さにやられ調子が悪かった。「俺、留守番してるよ・・・・」沖の鯛島まで、ここから200~300メートルはあるだろう・・・・とてもじゃないが、この調子では泳ぎきる自信もなかった。「だいじょうぶなのか?」「アア、今日ユックリ寝れば、明日は大丈夫だと思う・・・・遠慮しないでいってきていいよ」ちょっと心配そうな顔をしたのだけれど、2人は鯛島に向かって泳ぎだした。私はしばらくの間彼らの姿を見送っていたのだが、照りつける太陽が容赦なく、私を痛めつけにかかってくるので、私はテントの日陰に避難した。少しだけ横になろう・・・・・しかし、テントの黄色い生地を通した太陽の明かりが、それでもまぶしい。真っ白なタオルを水に浸し、私は顔をそれで覆った。どれくらい時間がたったのだろうか・・・自転車の急ブレーキの音がし、誰かがテントの中を覗き込む気配がした。私は片肘をついて上半身を起こし、テントの入り口を見た。「ああ、なんだ子供かあ・・・・」その声の主は警察官の服装をしていた。「坊や一人かい?」坊や呼ばわりされて、少しむっとしたが「高校一年生が子供といえばそうですけど、3人でキャンプしてます。」「アハハ、怒ったかい?・・・・イヤイヤ、キャンプはいいんだけどね・・・・大人は誰もいないんだね?」人なつっこそうな顔はしているが、あきらかに私をなにかの犯人のように疑っているような目つきだ。「ちょっと荷物の中をみていいかな?」一瞬ドキッとした。朝、青森港を出航するとき、小島が「どうせ飲むんだろ?」といって、缶ビールを12本、差し入れに持たせてくれたのだ。「その前に名前を聞こうか?」「ボクは、後藤隆志です。・・・・・むつ市出身で、今、青森の高校に下宿して暮らしてますけど、親はこっちにいます。・・・・もしなんかあればすぐに親に連絡して来て貰う事になってるんです。」「後藤隆志?・・・・もしかしてむつ市の後藤康志社長と関係があるのか?」「それは父親です」後藤康志が父親と聞くと、警察官の態度が豹変した。「ほう・・・後藤社長にこんな大きな息子さんがいたんだ。・・・イヤア失礼しました。」言葉使いもちょっと変わってきている。「実はねえ・・・・むつ市で強盗事件が起きましてねえ・・・今、検問したり捜索したりしてるんだけど・・・・こっちに来てないとも限らないのでパトロールしてるんですよ。」それで、私を疑ったのか・・・・・強盗犯がキャンプしているとでも思ったのだろうか?「マア、もしなんかあったら、駐在所まですぐ来てくださいよ」それだけ言うと、警察官は自転車に乗って帰っていった・・・・けっきょく荷物の中は見ていない。しばらくすると、成田と鈴木が戻ってきた。「おい、さっきお前と話してたの、警察官だろ?」鈴木に聞かれたので、「むつ市で強盗事件があってパトロールにきたんだよ」と答えた。「へえ・・・むつ市もそんな事件が起こるんだ」妙なところに感心をしていたが、実際犯罪者にとっては、逃げ道のない半島という地形で、検問をかけられたらすぐに捕まるところだった。もし私が犯人なら、この脇野沢方面には絶対に逃げてこない。道路が袋小路になっていて、追い詰められると逃げ道はない。私なら、むつ市から南下して青森市か八戸市方面に逃げるだろ・・・・それでなければ逆に北上して大間からフェリーに乗り函館方面に逃げる。どちらかの方法しかないのである。しかもどちらも道の数が少ない・・・数箇所検問をかければ、すぐに捕まるところなのだ。ましてや脇野沢になんか・・・・よっぽど土地勘のないやつしか逃げてこない。「こっちのほうは大丈夫だよ・・・・・こっちに強盗は逃げてこないって」私は2人を安心させるために、その理由を説明した。「じゃあ大丈夫なんだろうけど・・・・でもさっき泳いでて途中振り返ったら、お前警察と話してただろ?・・・心配になって戻ってきたんだけど、いまさら鯛島に向かうのもなあ」「明日にしようよ・・・鯛島!・・・・明日になれば俺も元気になるから・・・明日3人で泳ごうよ」そういう話しで、「じゃあちょっと早いけど、晩飯の準備しよう」ということになった。その辺から少し大きめな石を集め、かまどを作る。流木の乾燥しきったものを3人で引っ張り、かまどのところに置いた。「少しでかいよな・・・・・のこぎりで切ろうか?」かまどの大きさに合わせて流木を切り、山で集めてきたたきぎに火をつけた。「俺、飯ごうで飯を炊くから・・・・足りない水を汲んできてくれないか?」成田にそういわれ、私と鈴木でバケツ二つに水を汲みにいく。近くの漁港に、流しっぱなしの井戸があったのでそこから水を貰う。戻ると、成田が焼き網の用意をしていた。今日はバーベキューをする予定で、さっきの商店で材料はそろえてある。「さっきのお巡りさんが、荷物の中身を見せろって言ったときはドキッとしたよ」私は正直にその時の感想を言った。「高校生がビールを飲んじゃいかんってか?」クーラーボックスに缶ビールを移しながら成田が私をからかう。5時過ぎに準備が整い、私達はビールで乾杯をする。まだ、その時間は明るかったが、徐々に太陽が西の津軽半島の影に沈んでいく。「おい、綺麗だなあ・・・・・」「あいつらにも見せたいなあ」あいつらとはもちろん、鎌田と小島のことである。「小島ならフォークソング同好会だから、今頃ギターを弾きながらみんなで歌って、もっと盛り上がるんだろうけどな」完全に日は落ち、焚き火の明かりだけが赤々と燃え盛り、逆に回りの暗さが際立ってきた。一人4本ずつのビールがなくなった。「今日買ったビールは明日飲むことにして、今日はもう寝ようか」今、飲んだビールは、朝小島が差し入れてくれたビールだった。「小島も来たかったろうなあ・・・」みんなでなぜか、青森に残してきた小島の話になった。鎌田は水泳部の合宿でしごかれているはずである。あいつだって、夕べは一睡もしないで私たちに付き合ってくれたんだから、今日の合宿のしごきはこたえているはずだ。「今日泳いでてさあ・・・・足に海藻が絡まって・・・・小島に足を引っ張られてるような感じがしたよ」みんなで小島の長髪を思い出していた。 つづく
2007.01.10
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「ノラ猫の条件」が終わり、次は何にしようかなと考えたとき、・・・・困ったときの「夢のつづき」ですよ!私の「夢ノート」にはまだまだいっぱい書いてありましてねえ・・・・・ア、そういえば知らない人もいるんだから、ちょっと説明しておきましょうか。あれは・・・私が高校生のときなんですけどね・・・・・・・よく夢を見たんですよ・・・「希望」とか「将来」とかの夢じゃなくて、純粋に眠っていたときに見る夢・・・・普通は、夢って覚えてないじゃないですか?でもその当時は受験生の悩みや苦しみがあったんでしょうね・・・・・・毎晩夢を見て、毎晩その夢を覚えてるんです。で、その見た「夢」を、私、毎日日記のように書いてたんです。でも、その日記のような物は、箇条書きであったり・・・・・断片的なものしか残ってなくて・・・で、その断片をつなぎ合わせたり、新しく創造したりして、ひとつの物語を作り上げようという企画なんですけどね・・・・例えば、そのメモに2行だけ書いてあったとします。一行目には「私はひたすら山道を歩いている」とあったとしましょう。・・・・・そして二行目には「わき道にそれたら、青く澄んだ池があった。」 と書いてあったとします。その二行から・・・・「私は山道をひたすら歩いたが、のどが乾いてきて水が飲みたいと思った。その時どこからともなくさわやかな風が吹いてきて、近くになにやら涼しげな水をたたえた池があるように感じた。”どこだろう”・・・・私はそれまでの道をはずれ、樹林のなかに入って池を探した。・・・・”あった!”・・・・その池は青く澄んだ水をたたえ、私はなりふりかまわず、その池に顔を突っ込みゴクゴクと水を飲んだ。・・・・その時である・・・・”もし・・・・”と鈴をころがすような女性の声がしたのである。・・・・・・」こんな感じで、文章を作っていくのである。それは当初見た夢と、まったく違うものになっているのかもしれないが、そんなことはおかまいなしに、夢のつづきを創造していく。これはこれで、私にとっては楽しい作業になっているのだ。そこで今日の「夢ノート」であるが、・・・・友人3人で脇野沢にキャンプじんましん石碑に何かがある?この3行から、話を作り上げていこう・・・・・・・・・・ まもなく高校に入ってから初めての夏休みであった。地元から通う生徒と違い、私だけ他管内からこの県内一の進学校に「越境入学」してきたものだから、友人と呼べる人もまだかなり少なかった。部活はしていたものの、「コーラス部」という部活は、どうしても女性が中心になり、一緒に遊ぶ・・という仲間はいなかった。そんな私でも、クラスに気のあう仲間というのが数人いた。「下北半島脇野沢地区にキャンプに行かないか?」という計画も、そんな仲間の一人である「陸上部の成田」が提案したものであった。私の実家は、その脇野沢地区からならバスで30分のところにあるから、友人とキャンプをしてまっすぐ実家に戻ればいい・・・・そんなことも考え、その案に賛成した。「物理部の鈴木」と「フォークソング同好会の小島」は親と相談してくるといったが、「水泳部の鎌田」だけは、合宿の時期と重なるから無理だと告げてきた。翌日には、成田が具体的なスケジュールやコースを決めてきたものをたたき台にして5人で話し合ったのだが、最初から欠席をするつもりの鎌田は話に乗ってこないし、小島も親からだめだと言われたらしく、けっきょくそのキャンプには「成田と鈴木・・・そして後藤(私)の3名」が参加することになった。夏休みは7月25日から始まり8月22日までであったが、最初の10日間は「夏期講習」があり、夏休み当初は無理だ。北国の夏休みは、都会のそれと比べてひじょうに短い。3人のスケジュール調整をして8月8日出発で2泊3日の予定になった。青森では、8月7日まで「青森ネブタ」があり、その翌日に設定したのだ。「後藤は、むつ市から来たんだから青森のネブタは見たことないんだろう?」確かに、小学生のころ父親の車で見にきたことはあったが、夜中のネブタなど見たこともなかった。「次の日の船が早いから、7日の夜はうちに泊まって、ネブタも一緒に見ようよ」鈴木の家は、翌日乗る予定の「下北汽船」の乗り場から歩いて5分のところにあり、けっこう大きな機械工場で、社員寮もあったもでそこの空き室に泊めて貰う事になった。けっこうつらい夏期講習でもあったが、私たち3人にはキャンプという楽しみがあった。夏期講習が終わってまもなく青森ネブタが始まったが、私達は毎晩のように鈴木の社員寮に泊めて貰い、キャンプの準備やらテントの建て方実習を繰り返した。最初は出発直前の一日だけのはずだったのに、けっきょく3泊もしてしまった。8月7日・・・・明日の朝4時には船に乗り、下北半島脇野沢に出発という前日・・・・私と成田だけが泊まればいいものを、小島と鎌田もやってきてその社員寮に泊まった。・・・・・見送りするというのだ。ネブタ最終日で盛り上がっていたのもあるだろう・・・・明日出発で興奮していたこともあるだろう・・・・私たち5人は、なかなか寝付けなかった。「お前達だけいいなあ・・・・」合宿で行けない鎌田はしょうがないとして、親に留められた小島は悔しがっていた。「しょうがないよ・・・お前は親がついてないと何もできない”おこちゃま”だから・・」私達はそう言って小島をからかったが、小島は本当に悔しそうだった。「こうやって鈴木の家に泊めてもらうのは許可してくれたんだから、2泊3日のキャンプぐらいいいのになあ」「鈴木んちの親がついてると心配ないけど、お前たち3人と一緒だと”バカがうつる”と思って心配してるんだよ」小島は軽口を叩いた。「なんだとこのやろう!」私は小島の頭をヘッドロックして頭をぐりぐり小突いた。鈴木も、その小島の自慢の長髪を引っ張り「このやろう、ミツアミにしちまうぞ!」大騒ぎしながら笑いあった。ひとしきり騒いでから、一瞬静かになったときがあった。その時、小島がまじめな顔をして話し始めた。「お前ら・・・今回キャンプするところはなあ・・・・海の難所っていって、よく船が難破するところだそうだ・・・幽霊に足をひっぱられるなよ!」小島は、さっき鈴木に引っ張られ乱れた長髪をなでつけながらそういった。「縁起でもない事言うなよ」「何しろ下北半島って恐山があるところだからなあ」冗談を言い合って、そのうち夜が明けてきた。出航は明け方の4時20分である・・・3時半に準備を始め、4時には「下北汽船の待合室」に着いていた。小さな船である・・・・漁船を改造したくらいの小さな船・・・・・15人も乗れば満席であった。それぞれのリュックを背負い、テントや食事の材料を手分けして持って乗船した。「おーい!、紙テープでも投げようか?」陸の上の小島と鎌田が両手でメガホンを作り、大きな声で叫んでいる。「来年は一緒に行こうなあーっ!」船の上からも叫び返した。お互いの両手を思いっきり振って別れの挨拶をした。それから二時間・・・・・・・陸奥湾内だからそれほど船も揺れなかったのだが、前の日寝ていないのと、ネブタの疲れからか、3人とも船酔いをしたようであった。脇野沢の港に着いたのは朝6時半・・・・そこから歩いて30分ほどいったところに今日のキャンプをする場所があった。下北半島の西の外れにある場所なので夕日がとても綺麗なところであり、その夕日の沈む方向に、「鯛島」という、鯛が尾びれをピンと立てたような格好の島があってその町の名所のひとつになっている。「テントはここに建てよう」子供のころ、ボーイスカウトに所属していて、テントを建てる方法を唯一知っている成田がリーダーになって場所を決めた。思ったよりすんなりテントが建てられ・・・・寝ていないのだから昼寝でもすればよかったのだろうが、高校一年生の私達は、若さにまかせて、海でおもいっきり泳いで遊んだ。「おい、なんだか海藻が足に絡んで気持ち悪いよな」「ああ、夕べ、小島が足を引っ張られるなよ。。。なんていうから」「そういえば、この海藻・・・小島の髪の毛に似てねえか?」そんな冗談めかした話をしたり・・・・・思いっきり遊んだ。「さっきのフェリー乗り場の売店で、ここの風景・・・絵葉書で写した奴あっただろ?・・・あれを小島と鎌田に送ろうよ・・・切手貼って・・」「悔しがるぞ・・・・ざまあみろだ」昼食は、売店で売っていたおにぎりと、カップの味噌汁・・・・それに「サバの水煮の缶詰」を湯がいた白菜で巻いて食べた。北国といっても真夏である。30度を越える炎天下に、ほかの人間はともかく、私は少し気分が悪くなっていた。「おい、飯食ったら、少し寝ないか?」「ええ?お前調子悪いの?」成田も鈴木も寝ていないのは一緒だから、彼らが眠くないといえば、私だけ寝るというのもしゃくだった。下北半島で30度を越える猛暑になるのは年に数日だけ・・・・今日はそんな日にあたっていたのだ。 つづく
2007.01.09
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今日は会社に行ったんだけど、社員は有給で休んでいる人が多くって・・・・明日から出てくる人が多いんだよね。息子の大学も明日からだし、今日はアイドリング状態という事で、活動は全て明日からだ。 朝6時に、私は駅まで寿子を送っていった。昼ごろまで寝ていて、それから詩織に電話をしてきてもらうつもりだった。いや、アパートではまずいだろう・・・・・詩織の家の近所まで行ったほうがいいだろう。いったんアパートに戻って、私は朝ごはん代わりのシリアルを食べた。なぜか私は落ち着いていて、それから部屋の掃除と洗濯を始めた。梅雨の季節だったから、天気のいい日に少しでも洗濯をしておかなければ・・・・窓をがらっと開ける。隣のアパートの女子大生も掃除と洗濯を始めたようだった。洗濯物を干すとき、たまたま目があったが、かるく会釈をする。向うもお辞儀をしてくれたのだが、すぐに窓を閉めた。「あんたみたいな男には引っかからないわよ」といわれているような感じがした。洗濯物を干し終え、私はスーツに着替えて駅に向かった。駅前のラーメン屋で昼食のラーメンを食べてから、私は詩織の家に電話した。「はい、佐藤です」父親が電話に出た。「斉藤です・・・・先日はありがとうございました」「ああ。壮太君か・・・ちょっと待っててくれ」電話はすぐに詩織に代わった。「詩織ちゃん?・・・・ちょっと話しがあるんだけど・・・・・これからそっちに行くから・・・駅前の喫茶店・・・そう”ルピナス”っていったっけ?・・・そこにきてくれないかな・・・一時ちょうどくらいにつくよ」電話を切ったが、勘のいい詩織の事だから、ある程度の予測はついたかもしれない。電車に乗ってから、話しの切り出し方をいろいろ考えた。「寿子と話がうまくいったから、最初の約束どおり別れてくれ。」これはいくらなんでもひどすぎると思った。「寿子から詩織を泣かせないなら付き合っても言いといわれた」それに対してはきっと、「じゃあわたし泣くわよ」と言われれば、そこで話しが終わってしまう。どう考えても話がすんなり通るとは思えなかったが・・・そのうち詩織の待つ駅についてしまった。改札口をデルと、そこに詩織が待っていた。「喫茶店で待っててくれればよかったのに・・・」「ううん、いいの・・・・」詩織の表情が硬かった。「じつは・・・」私が何か言い出そうとしているのをさえぎって詩織が私に切符を手渡した。「これから、寿子先輩のトコに行こう?」明日大学に行って、放送研究会で修羅場になることを考えれば、今日のうちに3人で会ったほうがいいか・・・・私も寿子のところにいって話をしたほうがいいかなと判断する。電車の乗って二人話した言葉は一言・・・・「昨日はうまくいった?」詩織は結婚式の司会の話のつもりで言ったのかもしれなかったが、私には、寿子と私の話しに聞こえた。「ああ・・・」私の答えもこれだけだった。寿子のアパートのある駅に着いたが、私は寿子のアパートを知らない。しかし、詩織は寿子のアパートを知っている様子だった。10分ほど歩き、ベージュ色の外壁材を使った南仏風のアパートが目に入ってきた。二階の一番奥の部屋が寿子の部屋のようである。詩織がノックをする。「は~い」今朝別れたばかりの寿子の声が聞こえた。ドアが開くと、詩織と私が並んでたっていたので驚いた様子の寿子と目が合った。「どうぞ」寿子に招き入れられ、私と詩織が部屋に入った。昨日着ていたスーツが壁にかけられ、今日の寿子は珍しくジーパンをはいていた。「紅茶でいい?」「すぐに帰りますから、何にもしないでください」それでも、寿子は3人分の紅茶を入れた。寿子が落ち着いて席に着いたとき、詩織が話を切り出した。「たいへんお待たせを致しました」詩織ちゃん・・・・なにを言い出すんだ?「ただいまより、斉藤壮太君贈呈式を行います」贈呈式って・・・・・・・「私、佐藤詩織より、斉藤寿子先輩に斉藤壮太君を贈呈いたします」詩織の健気さが私にはつらかった。「壮太君は私にとっての初恋の人でした。・・・・物事をうまくやろうとしてどんどん深みにはまっていく優柔不断の人ですから、私がついてなければと思ってましたけど、彼の頭の中には、私ではなくて寿子先輩が住み着いています。だからいったん壮太君を寿子先輩にお贈りします。残念ですけど、私はまだまだ子供で魅力が足りなかった・・・・寿子先輩より先に壮太君に会ってればと思うときもありました。でも、ここは一歩下がって先輩に譲ります。私はこれからもっともっと磨きをかけて、壮太君に”逃がした魚はおおきかった”って思われるようがんばります。もし、先輩が壮太君に厭きたらすぐに引き取りに伺います。そうならないようにがんばって・・・・・・じゃあ帰ります」そこまで言うと、詩織は立ち上がった。私があわてて立ち上がろうとすると、寿子に停められた。玄関先で靴をはいている詩織に、寿子だけが見送りにいって話しかける。「詩織ちゃん・・・・・あなたにとっては私の存在が疎ましく思えるでしょうけど、私もあなたから引き取らせてもらった壮太君を取り返されないようにがんばるわ。・・・絶対にあなたに負けないから」二人は握手をして笑顔で別れたようだった。ドアが閉まる。「壮太君、これでいいのよね?」キッパリと言う寿子に、私はもちろんはっきりとうなずいた。 いったん話はここで終わりたいと思う。このあと、私と寿子がどうなったのか皆さんの想像にお任せしたいし、詩織もどうなったのかの報告は別にしたいと思う。しかし、勢い込んで「ノラ猫の条件」と言うタイトルをつけたのに、何のことはない、ノラ猫になりきれず、「飼い猫」の譲り渡しのようになった自分が恥ずかしいと思う。ノラ猫の美学は、「やせ我慢をやせ我慢に見せないもの。」寿子も詩織も、両方棄てて、となりのアパートの女子大生とでも付き合ったほうがノラ猫らしいかなと思う。若いときの斉藤壮太は・・・・まだノラ猫になりきれなかったのだ・・・・・中途半端な終わり方も・・・・・壮太らしいのかも・・・・・・
2007.01.08
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今日は少しだけ固めの雪が降っている。サラッとした雪だから、ちょっとした風で吹き飛ばされてしまう雪さっき車に乗り込むとき口をあけて空を見上げた。顔に当たる雪はちょっと痛いけど、口に入った雪はさっと解けた。 年上なのにみっともない・・・・そんな感情が寿子にあったらしい。傍目には、私と詩織は恋人同士に見えるから、そこに自分が入っていくわけには行かないというのだ。詩織に翻弄されている寿子と私・・・・・「あたしだってどうしていいのかわからないよ」寿子はカロアミルクを飲み干し、「あたしにウィスキー、ロックでちょうだい」と注文する。なんでこんなボタンのかけ違いのようなことが起きてしまったのだろう。「あなたが、私のこと思ってるんだったら、なんでストレートにあたしのところに来なかったの?」私は返事のしようがなかった。「あたし、あなたのことを考えないようにするから、あなたもあたしのこと考えないで!」寿子の飲むスピードが速くなってきた。寿子のことをすっかり忘れて、明日から詩織を恋人として暮らしていけるだろうか?・・・いやそれはできない相談だろう・・・・だったらどうすればいいのだろうか?「寿子先輩・・・・ボクのアパートに行きませんか?」小さな声で言ったので、寿子には聞き取れなかったらしいが、私は耳元でもう一度繰り返し言った。「僕のアパートで話しませんか?」これ以上飲んでいても、話しの進展はないと判断して、私は寿子をアパートに連れて行こうとした。「詩織ちゃんもアパートに行ったことがあるのよね?」「はい・・・・・でも、僕は何もしていません・・・信じてください・・・・先輩を連れて行ってももちろん何もしません・・・・信じてもらえればですけど・・・・・」数秒だったろうか・・・・敏子は考えてコクンとうなずく。電車に乗り、降りて数分の距離を歩くだけだったが、6月の下旬は汗ばむ季節だった。「へえ・・・こんなアパートだったんだ」見上げた寿子の顔に少し汗がにじんでいた。鍵を開け、私は寿子を招きいれたが、昨日間山が泊まって言ったのでタオルケットが床に広がっていた。「お水いっぱいちょうだい」寿子が少し酔っていたのでのどが渇いたのだろう・・・・そう注文した。「リンゴジュースが冷えてるんですけど・・・飲みませんか?」冷蔵庫からリンゴジュースを出してグラス二つに注ぎ分けた。「先にお水のみたいの・・・・・」もうひとつのグラスを出して、氷をいれ水道の蛇口を捻る・・・・私も酔っていたので勢いよく水を出してしまった。テーブルの前に横座りになっていた寿子に水を渡し、もう一度冷蔵庫のところに戻ってジュースのグラスを持って来て座った。寿子は水をうまそうに飲み、それから上着を脱いでブラウス姿になった。私も上着を取ってネクタイを緩めた。「先輩・・・・・さっきも約束したとおり、私は何もしません・・・・今日はじっくり寿子先輩とお話したいんです。・・・いいですね」これは寿子に言ったのではなく、自分に言い聞かせる言葉だった。「寿子先輩が私の気持ちに気づいたのがいつのことだったか知りません。でも、私は入部したときから寿子先輩を自分のものにしたかった。・・・・私のほうが年下のは充分承知した上のことです。」寿子はさっきの姿勢のままテーブルのある一点を見つめていた。「新しいネクタイを準備しなさいといわれましたが、その時、詩織ちゃんが見立ててくれるというのでついてきてもらいました。」何か言いたげな顔をしたが、押し殺して黙った寿子がうなづいた。「詩織ちゃんの家でご飯をごちそうになったこともありましたが、それは、青森で自炊の男がいてかわいそうだからご馳走してあげると言う言葉を素直に信じてごちそうになりました。」寿子の様子は変わらなかった。「誕生日に一緒にご飯が食べたいっていわれ、一緒にご飯も食べました。・・・動物園にも行きました。」「なんで誕生日のお祝いにあなたが行くのよ!」急に寿子が大きな声を出した。「黙って聞け!」私も、大きな声でたしなめたような気がする。再び寿子が押し黙った。「俺が詩織ちゃんにキスすることも簡単にできたと思う・・・でもしなかったよ・・・それは常にお前のことが頭から離れなかったからだ。・・・・それはわかってくれるよな」寿子は何も言わない・・・・「いいかい・・・俺は詩織ちゃんに話したよ・・・・好きな人がいるんだって・・・・そういったら、その人とうまくいったら自分はあきらめるといってくれた。・・・・でもだめになったらあたしのところに戻ってきてといわれた。・・・・」寿子が私の顔を見上げた。「でも、もしだめになっても、俺は彼女にだめになったとは言わない・・・・こっちがだめだったからお前のほうに戻ってきたなんて・・・・俺の美学からいっても、口が裂けてもいえないせりふだ。」俺の美学っていったがやせ我慢なのかもしれない。「だから、昨日悩んで・・・・お前に断られても追いかけ続けて、・・・だから詩織ちゃんには・・・・まだ、あきらめてないって言うつもりだった。」そこにマタタビを放り投げられても、与えられた餌には食いつかない・・・・「でも、明日・・・・おれ詩織ちゃんに電話するよ・・・・・ちゃんと話しをしようって」「そんなのかわいそう・・・・」「そんな事で今までやってきてしまったんだ・・・・・繰り返さない・・・・だって自分の気持ちにやっと正直になれたんだもの」確かに詩織にはかわいそうかもしれないが、彼女に指一本触れてないのが私の救いだった。ずるい考えかもしれない・・・・年この気持ちがわかったとたん強気になっている自分。勝負は明日だ・・・・・その日は、寿子とまんじりともしないまま朝を迎えた。もちろん寿子にも手を出さないで・・・・・・ 続く
2007.01.08
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今日は低気圧が来て、大雪になりそうだというので、長男が大学に戻るのに、「八戸駅」まで見送っていった。2月に入ると春休みになるので、すぐに帰ってくるんだけど、帰ってきたら「わが社」でアルバイトをするのだそうだが・・・・バイトの日給だけ気にしてて、仕事の内容は考えてない。困ったもんだ・・・・・・・ 朝冷蔵庫に残っていた食パンをトーストにしてコーヒーで流し込んだのだが、なんとなく物足りなくて、間山と二人マックでハンバーガーを食べた。「お前一人で大丈夫か?」間山は心配をしたのだが、私は一人で行くことに決めていた。チャペルでの式は、ホテル側で頼んだビデオ撮影のプロが当たっていたのだが、できればその式の様子も知っておきたかったのでわたしは早めに行くことにしたのだが、私がホテルに到着したのは開式の15分ほど前だった。その式には既に、寿子も到着をしていて、私のほうをちらりと見ただけでチャペルの中に入っていったが、私もすぐに追いかけ隣に並んだ。「この時間に間に合ってくるなんて、いい心がけね」「初めてのことですから、全部見ておきたいんです。」二人とも正面を見ながら小声で言った。エレクトーンの音楽と同時に父親と一緒の新婦が入場してくるところから式は始まった。初めて見るキリスト教会式の結婚式だが・・・・映画などでよく見る光景で、とくに感動はなかった。式が終わり、チャペルの入り口で「ブーケトス」が行われ、なんと寿子のほうに飛んできたのだが、寿子はわざとよけ・・・・新婦の友人がそのブーケをとった。まもなく会場を移し披露宴が始まるので、私達はホテルの都筑マネージャーに挨拶に行くことになった。「おお、今日は斉藤君のデビュー戦だな・・・がんばれよ」大学の放送研究会の先輩でもある都筑は、そう言って励ましてくれたが、披露宴自体に何も緊張はしていなかったと思う。入場を促すアナウンスを入れる。「吉田・高橋後両家の結婚ご披露宴のご出席の皆様にご案内申し上げます。・・・まもなく新郎新婦ご入場のお時間でございます。・・・皆様にはご着席の上、お二人のご入場をお待ちくださいますようお願い申し上げます。」マイクのスイッチを切って、ほっと一息ついた。ここから寿子の出番である。照明が暗くなり、スタッフから入場の準備ができた連絡が入る。「ジューンブライド、・・・6月の花嫁は幸せになると申します。・・・今日のこの佳き日に華燭の典を上げられました新郎新婦お二人が、まもなく会場にお姿を現します。・・お二人のお姿が見えましたら、大きな拍手で祝福のお出迎えをしていただきますよう、お願い申し上げます。。。。。それでは新郎新婦、ご入場でございます。」ピンスポットが入場口に移動すると、まもなくドアが開き、新郎新婦が入場してくる。「ただいま、ご媒酌人様ご夫妻に伴われました新郎新婦、・・・高砂のお席へとご到着でございます。・・・盛大な拍手でお迎えください」高砂席に仲人さんと新郎新婦がお辞儀をして着席する。「高砂のお席に新郎新婦お二人をお迎えいたしましたところで、ただいまより吉田・高橋ご両家のご結婚披露宴を開宴させていただきます。・・・申し送れましたが私、本日の司会進行役をおおせつかりました斉藤寿子と申します。不慣れではございますが、このご披露宴がお二人にとりまして思い出深いものとなりますよう一生懸命勤めさせていただきます。よろしくお願い申し上げます。」不慣れどころかよどみなくせりふが流れていく。「はじめに、本日、ご媒酌の労をお取りくださいました株式会社○○産業常務取締役、金沢良明様ご夫妻より、新郎新婦のご紹介ならびにご挨拶をちょうだいいたします。」仲人挨拶が終わると次は来賓祝辞である。「続きまして、ご来賓の方々を代表していただきお二人の方にご祝辞をちょうだいいたしたいと存じます・・・はじめに、新郎がお勤めになっておられます、株式会社○○産業、営業第一部部長、渡辺幸司様のお願いいたします。」ここで、新郎新婦それぞれ代表が一人ずつ、祝辞を述べる。「なお、新郎新婦ならびにご両家ご親族の皆様には着席のまま、ご祝辞をちょうだいする失礼をあらかじめお詫び申し上げます。」次は乾杯である。「まだまだたくさんの皆様からご祝辞をちょうだいいたしたいところではございますが、のちほどお時間を準備いたします。ここで皆様には祝福の乾杯をお願いいたします。」乾杯が終われば、半分すんだも同然である。「乾杯のご発声は、新郎の高校時代の恩師でいらっしゃいます・・・・・・」順調に乾杯まで終わった。すぐに祝宴に入り、5分ほどしてお色直しの時間・・・「ご歓談中まことに畏れ入りますが、新婦お色直しのため中座なさいます。・・・・拍手でお見送りください・・・・・」新婦が中座すると、寿子から祝電披露の案内が入る。「このお時間をちょうだいいたしまして、たくさんの祝電をちょうだいいたしております・・・ご紹介させていただきます。・・・・」ここから私の時間だ。「順不同でご紹介させていただく失礼をあらかじめお詫び申し上げます。吉田・高橋ご両家のますますのご発展と、新郎新婦のお幸せを祈念いたします。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ まだまだたくさんの祝電をちょうだいいたしておりますが、全てご紹介できません・・・このあとはご芳名のみのご紹介とさせていただきます。・・・・・・・・・・・以上でございます・・・ありがとうございました。」これで、私の出番は終わりである。このあとはアシスタントとして、友人スピーチの準備と、余興の準備だけであった。お色直しから帰ってきた新郎新婦がケーキカットをして・・・・それから友人スピーチの準備、余興の準備をして。。。あとはタバコを吸っていてもいいはずである。それでも、ホテルのスタッフと思われているのか、記念写真のシャッターを押してくれだとか・・・・さまざまな雑用はあった。2回目のお色直しがあり、再入場のときに「キャンドルサービス」、両親への花束贈呈があって両家の謝辞・・・・・・あとは退場だけであった。今回の花束贈呈の「母への手紙」は本人の希望もあり、本人の声で録音したものを使った。もし私が一人で結婚式の司会をする場合、これでもいいんだろうなあ・・・そう思った。「皆様と楽しく過ごしてまいりました吉田・高橋ご両家の結婚ご披露宴も、まもなく予定のお時間となってまいりました。まことに不慣れな司会で不行き届きの点多々多かったことと存じますが本日のご慶事に免じましてお許しをいただき、ここでお開きとさせていただきます。本日はまことにおめでとうございました。」ここまで言い切ると、寿子は「フーッ」とため息をついた。披露宴の客が次々と帰っていく。私達は両家の両親に挨拶をし、都筑マネージャーに終了の報告をして会場を出た。「寿子先輩・・・・・飲みに行きませんか」「ようし、今日は反省会・・・・飲みに行こうか」二人ともじゃっかん興奮していた。私達は電車で大学まで戻り、大学のすぐそばにある小さなスナックに入った。ここは、間山と二人で何度か入ったことがあった。3人ほどの先客があったが、私達はカウンターにすわり、私はウィスキーの水割り、寿子はカロアミルクを注文した。「今日はうまくできたわね・・・両家とも満足してたよね」いつも自信たっぷりのような寿子でも、出来不出来の心配はしていたのだろう。「自分でも落ち着いてできたように思います。」私自身はなんとなく流れに乗れたように思えたので素直にそう答えた。「そうね・・・・君は上手にできたと思うよ」誉められた事が嬉しかった。「ところで先日の話しなんですけど・・・・・」「ああ、詩織ちゃんの話?」寿子は他人事のように話しながら、ポッキーを一本つまんだ。「詩織ちゃんには、話しをしました。・・・・・」「そう・・・・・それで?」寿子はどんな答えを期待してるのだろう?「詩織ちゃんは、ボクが寿子先輩のことを好きだって知ってました。」それをさえぎるように寿子の言葉がかぶさった。「あの子はね・・・あたしが壮太君のこと好きだってことも知ってるのよ」ええ?・・・今まだそんなそぶりなんて見てないぞ!「あたしが、壮太君のそばに近づこうとするとけっこういいタイミングででくるし・・・」そう言われれば、寿子先輩が一緒になったときには、私のそばから離れないようにしている。「最初ネクタイのときもね・・・・あたしがあなたのネクタイ買ってたのを、先に知ってたのよ」でも、詩織の選んだネクタイをして来いって言ったのは?「あたしだって先輩って呼ばれてるのに、あなたたちのじゃまをしてるように思われるのがいやだったし・・・・自分の気持ちを隠してたんだ」酔っているんだろうか?夜は更けていった。 つづく
2007.01.07
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明日、長男が大学に戻るから、彼の大好きな焼肉を家族で食べに行こうと思ってたんだけど、ジュニアが突然の発熱!38度も熱を出しちゃったんで、ジュニアとかみさんは自宅で「鍋焼き」けっきょく、私と長男で焼肉を食べに行ってきました。かわいそうだけど、しょうがないよね・・・・でも、明日は天気が大荒れの予想・・・・・無事帰れるのかな? 授業に出ていても、内容が頭に入ってこない・・・・・「あの泣き虫の詩織が、なんで涙も出さずに待っているって言えるんだ?」詩織には、私が詩織の元に戻るという自信でもあるのだろうか?もしかしたら、寿子から詩織に電話があって・・・・「今日、壮太からくどかれたんだけど、、あたしにはその気がないからね」って言うような話になっているんじゃないだろうか?疑えばきりがないが、いろいろな場面が想定できる。しかし、もしそうならば「今は私はフリーよ」と言う言葉がおかしい・・・「彼氏がいる」といえば、もしかしたら私があきらめるかもしれない・・・・寿子の真意も、詩織の考えていることも私にはわからなくなっていたのだ。「この公式を積分し・・・・断面二次モーメントが・・・・」応用力学の助教授の声が、右の耳から左の耳へとただ流れている感じのまま、その時間は過ぎていった。授業が終わり、奇妙な脱力感を残したまま席から立ち上がる気力が出てこなかった。間山が近づいてきて、私に話しかける。「おい、斉藤・・・どうしたんだ?・・・顔色が悪いぞ?」「いや、なんでもない・・・ちょっと疲れてるんだ」心配をかけないように話しをするのだが、どうしても立ち上がれない。「次の授業は代返しててやるよ・・・・談話室かどっかで休んでろよ」間山にそう言われ、私はようやく立ち上がって談話室で休憩をした。コーヒーの自動販売機からブラックコーヒーを買い、そこから一番近いテーブルに腰掛ける・・・・そこになぜか、寿子が姿をあらわした。「壮太君、顔色悪いわね・・・・明日本番なんだから、体調管理しっかりしてくれなくちゃ!」発破をかけられるのだが、「その原因を作ったのはあんたじゃないか・・・」ともいえなくて、黙ってうなずくだけだった。寿子の姿が見えなくなると、今度は詩織が友人たちと談話室に入ってきた。私がいるのを気付かなかったのか、それともわざと無視をしていたのか・・・初めは私のそばにやって雇用とはしなかった。しかし、友人から私が座っているのを教えられ、一人、私のそばにやってきた。「壮太君、どうしたの?」「ああ、ちょっと気持ちが悪くなって・・・・休憩してたんだよ」「ちょうど今は一般教養の心理学の時間よね・・・それじゃ休んでてもいいんだ・・・ついててあげようか?」いまさら、詩織についててくれとは言えなかった。「じゃあ、友達が待ってるから行くね?」昨日までの詩織なら、きっと一緒にいてくれたに違いない・・・しかし、今朝詩織に宣言したばかりだ・・・・こちらからお願いもできないし、きっと詩織も結論が出るまでは私をほっておくつもりだろう。その時間が終わり、間山に午後の授業も休む事を言い残して、私はアパートに戻った。夕方、だいぶ落ち着いてきたのだが夕食を作る気にもなれない・・・・アパートのドアのチャイムがなった。詩織・・・・そう思ってドアを開けると・・・ドアの前に立っていたのは間山だった。「だいじょうぶか?」彼は、私のために夕食用の弁当を買ってきてくれたのだ。間山は私の分とそのほかに自分の分も買ってきていた。「こんなとき、一人で飯食うより、誰かと一緒の方が気が楽だろ・・でもきっと詩織ちゃんがいるもんだと思ってたんだけどな」「お前は勝手な想像をしてるだろうけど、詩織ちゃんと俺はなんでもないんだ」少し強い口調に聞こえたらしい。「おい、急にどうしたんだよ・・・マアいいや・・・俺、明日は授業休講になったことを教えに来たんだ・・・一時間目・・・・英語が休講だよ」明日は土曜日でこの英語だけの授業だったから大学に行く必要がない。「そういえば、明日結婚式本番だったよな」間山に言われるまでもなく、具合が悪いながらも、その衣装や台本などの準備はすっかりできていた。「ああ、明日は真っ直ぐ”ホテル・パシィフィコ”に行くよ」「俺、家に電話してくるわ・・・・そして、今日はここに泊まるからな?」間山も明日は休講になったから、大学に来る必要もないのだが、もし私の具合が悪かったら背負ってでもホテル・パシィフィコまで送ってくれるつもりらしい。私は素直に「すまんなあ」という事ができた。その夜、タオルケットと枕代わりの座布団を間山に渡し、二人は並んで寝た。「なあ・・・間山・・・咲ちゃんと付き合っててどうだ?」「どうって言われてもなあ・・・・最初は詩織ちゃんとお前を見ていてうらやましいなあって思ってたんだけど・・・・大学はいるまで受験勉強ばっかりだったからなあ・・・」もちろん、間山の高校時代も好きな子がいたり、失恋したりと、しっかり「青春」はしていたのだが、大学に入りカルチャーショックというか、今までに経験した事のない自由な時間と空間を与えられ、最初は戸惑っていたのだそうだ。「でもなあ・・・お前と会ったのも咲ちゃんと会ったのも、同じ大学に入学して同じ空間や時間を共有してるからだからなあ・・・・その一つ一つを大事にしていきたいと思ってるんだ。」私と最初に話をしたから、最初にできた友人としてずっと付き合っていきたいし、最初にできた恋人だから、咲ちゃんとも、できれば死ぬまで付き合うつもりでやっていきたいという・・・・・「俺、何事にも悔いを残したくないんだよ・・・なんでも一生懸命・・・そんな自分になりたいと思ってる」そこへ行くと、自分は・・・・・・・自分は悔いを残しながら寿子と詩織を両天秤にかけようとしている。「二兎追うものは一兎をも得ず」・・・・諺が頭に浮かんだ。「咲ちゃんとうまくやってくれよ・・・・」わたしはそう言うと背を向け布団をかぶった。すぐに眠れたわけではないが、今日、ひとつの結論を出さなければいけないような気がして、無理やり目をつぶり、そのうちにスーッと眠ってしまう。昨日と同じ様な夢を見たようだった。犬に追いかけられている猫の私が、ネズミを追いかけてどたばたを繰り返す。花瓶を倒し、飲みかけのジュースのビンを倒し、カーテンを鋭い爪で引き裂いたり・・・・そうしているうちに飼い主に見つかり、責任を一人取らされて外に放り出される。細い木の枝に風呂敷包みを結わえ、肩に背負ってとぼとぼ歩いていく猫のトム・・「トムとジェリー」のアニメそのものの光景が夢の中に現れている。窓からは犬とネズミのジェリーが手を振って私にバイバイをしている。でも、そんな風にノラ猫になった自分が・・・・なぜか本来の自分だったような気がする。私がノラ猫になったのは「犬に追いかけられたから」・・・そして「ネズミを追いかけたから」・・・・・私がネズミを追いかけなければ、そして犬に追いかけられないようにしていれば・・なんとなく自分自身の結論が出てきたように思う。それから先のことは、風の流れに身を任そう・・・・そんな夢を見ていた。 続く
2007.01.06
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今、テレビを見ながら書いてます。地元が舞台の「マグロ」っていうのをやってましてね・・・・渡哲也主演なんですけど、あんなカッコいい漁師はいないよね。大間漁業協同組合の組合長には西田敏之・・NHKの朝ドラ「わたしの青空」のときは伊東四郎だったけど・・・似てるかどうかというと・・・・どちらも・・・・コメントしづらい・・・まあ、いいけどね・・・・ 父と会った翌朝、いつものように詩織が駅で待っていた。「ねえ、アルバムに写真あったよ」私にそのアルバムのまま見せてくれたが、一人っ子のせいか写真の枚数が異常に多い。わたしのアルバムはあまり写真の数がない・・・・兄の半分くらいだろう(次男坊なんてこんなもんだ)アルバムのタイトルに「詩織VOL.3」と書いてあるところを見ると赤ちゃんから小学校低学年のときの写真はほかのアルバムにあるのだろう。ちょうど中ほどに、「私達兄弟と写っている詩織」の写真があった。順序はわたしが左端、妹、詩織、兄の順で写っていて・・・詩織と兄がなぜか二人仲良く写ってるように思えた。「あたし、壮太君のこと、どっかで会った様な気がしてたのよね・・・だから気になったのかな?」今でこそ髪の毛も伸びているが、その当時は坊主頭だったから、イメージはちょっと違って見えてるはず。「でも、兄貴と仲良く写ってるじゃないか・・・・」「あたし、おにいちゃんが欲しかったからかな・・・・」電車は大学の最寄り駅に着き、同級生を見つけた詩織がそっちのほうへ走っていった。「今日は夕方打ち合わせがあるから一緒に帰れないぞ」わたしは、そんなことまで詩織に伝えている自分がおかしかった。詩織は振り返って手を振りながら「了解」の返事を返してよこした。その日の夕方の事である。放送設備室に行くと、寿子が一人わたしを待っていた。「すみません、遅くなりました。」時間はそんなに遅れてはいなかったが、先輩の寿子が先に来ていたことに、悪い事をしたような気がした。「ひと様の結婚式に遅刻は許されないからね」もちろんそれはわかっているが、最近寿子の風当たりが強いような気がしていた。本番の流れに沿って一通り練習をしてみた・・・・ジャスト2時間で終了できる計算ができた。「うまくできそうね」寿子は満足そうにわたしに同意を求めた。時間は今午後7時・・・・「夕飯でも食べに行こうか」「昨日、父が田舎から出てきて臨時収入が入ったんです。・・・居酒屋でいっぱい飲みませんか・・・・」「居酒屋か・・・・」あまり乗り気がしないようだった・・・・「ピザでビールなんかどう?」もちろんわたしに異存があるわけがなく、駅近くのイタリアンレストランに入った。ピザの種類なんか私にわかるわけもなく、それは全て寿子に任せた。生ビールが来てジョッキで乾杯「土曜日の成功のために・・・かんぱ~い」ピザだけでは物足りないので、スパゲッティも注文したが、これもなんだかよくわからないものを注文した。食べながら飲みながら・・・私は寿子に質問をした。「先輩、結婚式の司会って面白いですか?・・・・ボクは放送研究会っていうからラジオ番組の製作とか・・・そんなのだと思ってたんですけど」「あたしも最初はねえ・・・高校のときも放送部だったから・・・その一連の流れで放送研究会に入ったんだけど、まさか結婚式の司会をやるとは思ってなかったわよ」スパゲッティが運ばれてきて、寿子がとりざらに分けてくれながら「でもねえ・・・幸せそうなカップルを見てると・・・・この幸せの中に自分もどっぷり浸かってる感じがしてね・・・・いつまでもこうしていたい・・・って思うのよ」花嫁の気分に自分もなれるって言う事だろうか?「でも、ボクは結婚式の司会って向かないような気がしてるんですけどねえ」「けっこう歯切れもよくって、あたしはいいと思うけどなあ」そこでボクは切り出した。「ボクがなんで放送研究会に入ったか・・寿子先輩、知ってますか?」「杉浦君がいたからでしょ?」あっさり言われたが、私はキッパリと否定して正直に打ち明けた。「ボクね・・・部員募集のとき、寿子先輩が学食に連れてってくれたでしょ?・・・あの時、寿子先輩をカッコいいなあって憧れちゃったんですよ。」「この子は冗談が上手いんだから・・・・・」「それからね・・・・寿子先輩の事がいつも気になってて・・・・・」「ストップ・・・その先は言わないで・・・だってあなたには詩織ちゃんがいるじゃない」詩織の事は気付いていたようだった。「毎朝、お迎えにいってるんでしょ?・・・それにこの前は浅草にいってきたって」すっかりチェックされている。「でも、ボクはなにもしていません・・・キスもしたこともないし・・・」後半は小さな声になった。「でもね・・・私は詩織ちゃんの飼い猫になっているあなたを手なずけて、私のペットにするつもりはないわよ・・・あなたもかわいい後輩だけど、詩織ちゃんもかわいい後輩だもんね」「じゃあ、詩織とキッパリ手をきってくれば考えてくれますか?」「詩織ちゃんを泣かせないで切れればの話しね・・・」自分でますます難しい状況を作っていってるような気がする。「でも、あなたはわたしに恋人がいないと勝手に思い込んでるわね・・・」エエ!・・・・そういう問題もあったんだ・・・そういえば、細川・芙美子・寿子の三角関係はないということはわかったが、芙美子だって内藤という恋人がいたんだから・・・寿子にいないわけがない・・・・・「フッ・・あたしは今はフリーよ・・・・」そう言うと寿子は勘定書きを持って立ち上がった。その夜、私はアニメの夢を見た。犬に追いかけられている私は猫であった。ところが私は犬に追いかけられてる状況の中でネズミを追いかけているのである。子供のころよくテレビで見ていた「トムとジェリー」・・・・・私は犬に追いかけられながら、ジェリーというネズミを追っていて、花瓶を倒したり、テレビの上に飾ってあった写真立を倒したり、おいてあった飲みかけのジュースのビンを倒したり・・・・・ひと騒動起こしたあとようやくジェリーを捕まえるのだが、捕まえたとたんに犬に尻尾を齧られ、ネズミを逃がしてしまう・・・・そんなことを延々と繰り返しているうちに、飼い主が帰ってきて・・・・全ての責任は私一人のものとされて、私は蹴飛ばされ外に放り出されるのである。窓を見ると、犬とネズミが仲良く並んで私に「バイバイ」と手を振っている。そんな夢であった。朝5時に目が覚めたが、東京はもう夏であった。思いっきり窓を開け、モーッとしたよどんだ空気を追い出し、朝の新しい風を入れた。トーストで朝食を済ませ、私は早めにアパートを出たが駅には詩織はまだついていない。私はホームで詩織の来るのを待った。15分ほど待って、ようやく詩織が降りてきたが私が先に来て待っていたので驚いたようだった。電車に乗ったが、私の顔の表情が固かったのだろう「どうしたの?・・・・今日は変よ?」詩織が少し心配そうな表情になった。「昨日、寿子先輩と晩飯を一緒に食った。」寿子と一緒だったのは詩織も知っていたし、時間的にも夕飯を一緒に食べててもおかしくない事だから・・・・わざわざそう言ったことに、詩織も何かを感じ取ったようだった。「そう・・・・・それで?」「しばらく、時間をくれないか・・・・ボクに」私は、詩織の大きな瞳に涙があふれて・・・・・いや!涙が出ていない・・・・・・「わかったよ・・・・それが約束だもん・・・・先輩とうまくいったら私はあきらめる・・・でもそっちがだめだったら、・・あたし待っててもいいんだよね?」私はうなずくしかなかった。
2007.01.04
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今日から仕事だけど、社員のほとんどは有給休暇でお休み。土木作業員の人たちが8日まで出てこないから、社員だけ出てきてもどうにもならないんだけどね。入札、営業の部署だけ出てきています。今日の楽しみは、大間が舞台になったドラマ「マグロ」っていうのがテレビ朝日ではいるんですよ。何度かロケを見たんだけど、渡哲也・・・けっこうすれ違ったね 溜池のドイツレストラン・・・・正直なところ、ドイツの料理というのが思い出せない。親父と一緒の「タルタル・ステーキ」というのを注文したが、詩織親子はけっこう慣れてるようで違うものを注文していた。ビールで乾杯・・・・「あのときの小さな子が、こんな立派になってるとはねえ」詩織の父親が、私の顔をまじまじと見ながら言った。あのときの子供とは、私の家に来てネブタの衣装に着替えたときの話だろう。そのころは役所の官舎に入っていて、あとにも先にも、青森市内に家族一緒に住んでいたのはそのときだけだったから、そのとき東京の女の子が家に来たのは覚えている。(アレが詩織だったのか・・・・・)そんなに記憶はないが、私達の津軽弁を「おかしい」といって笑ったのを覚えている。衣装を着終わった時、子供4人で記念写真を撮ったが、私が左端、隣に妹を挟んで詩織、・・・・・右端に兄が並んだ。(そんな写真もどこかで見たっけなあ)私のアルバムには載っていない・・・・きっと妹のアルバムだったのだろう。タルタル・ステーキが運ばれてきた。なんていうか・・・・生のまんまのハンバーグ・・・つまり焼いていない。親父は何の抵抗もなく食べ始めているが、私は生の肉が苦手だった。それでも食べないとかっこ悪い・・・・少しずつビールで流し込むように食べていく。「壮太君のお父さん、しゃれたお店知ってるのね」「前にねえ・・・農林省の人と一緒にここに連れてきてもらったんだよ・・・そのとき食べたのがこのタルタルステーキでね・・・いいとこのお嬢さんを連れてくからって、こいつが言うもんだから・・・それでいい店に行かなきゃと思ってたんだが、それがまさか詩織ちゃんだったとはねえ」親父は楽しそうに飲んでいた。食事が終わり、詩織の父親が私のところにやってきて「今度はうちにゆっくり遊びに来なさい・・・」といった。ありきたりの挨拶とはといえばそうなのだが、なんとなく緊張させられる言葉だった。今日は詩織の父親が一緒なので、詩織を送っていく必要がない。二人を見送ってから、私は父親のホテルに戻り・・・ホテル内のラウンジバーに入った。「親父、今日はすまん・・・・・・」「いや、どんな女の子を連れて来るのかと思ったら・・・まさか佐藤さんとこの娘とはなあ・・・・」「親しかったのか?」「ああ、仕事と関係のある人なら一緒に遊ぶ事なんかなかったけど、まるで関係がなかったからなあ・・・・そういう意味では話しやすい人だったからなあ」二人とも標準語ではなしている。「今日は4人分も払ってもらっちゃったね」「いや、いいんだ・・・・あの佐藤さんもな・・・・俺に会いたいっていうより、お前がどんな男か気になってるだろうからな・・・来て貰ったほうがいいんだ。」父も娘を持つ父親のひとりだからわかるという・・・娘の好きな男が気にならない父親はいないのだそうだ。誕生日はいつも一緒に過ごしていた娘が、大学に入ったとたん、男と食事に出かけるという・・・・父親にとっては歯軋りするくらいの事なんだそうだ。私がそうしたいと言ったわけではないが、詩織の父親にとっては同じことだと思う。そのまま、いっぱい飲んで、私は父親に帰る事を告げた。「しっかり勉強してくれよ・・・・そのために大学に入ったんだからな」わたしはうなずきホテルを出た。明日は寿子と打ち合わせがある。・・・なぜかこのまま流されるのはいやだったし・・・そのチャンスが明日しか残っていないように感じていた。
2007.01.04
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穏やかなお正月を過ごしましたが、明日からまた仕事です。明日は役所に挨拶回りにいって、夜は商工会議所主催の「新年祝賀会」に参加します。なんだか、明日から疲れそう・・・・・・ 月曜日の昼、部室に寄ってみると寿子が待っていた。「土曜日の芙美子と詩織ちゃんの出来、どうだった?」「ちょっとの間違いはあったようですけど、うまく乗り切れたそうです」「あら?壮太君見てたんじゃないの?」「始まる前に、お茶して励ましましたけど、・・・・それだけです。」寿子は最初から最後まで私が会場にいたものと思っていたらしい。「そう、それでいいのよ・・・責任があるなら最後まで自分で責任をとらなくちゃね」寿子にしてみれば、詩織のような甘え方は許せなかったらしい。「うちのほうの最終打ち合わせは水曜か木曜にしましょうか?」あわてて私は水曜は実家の父が出てくることを打ち明けた。「じゃあ、木曜日ね・・・・わかった、じゃあ、放送設備室で・・」その夜私は、父に電話した。「父さん、わ(私)、6時にホテルさ着くはんで(6時にホテルにつくからね)、・・・部屋さいでけねばまいねよ(部屋にいてくれないと困るからね)」「な(お前)、めらしこついでくってか(女の子連れてくるんだって)?・・・・一緒にメシかへればいいっでか(一緒にご飯食べさせればいいんだね)?」津軽弁の会話はちょっと難しい・・・・・・「して、その女子、どったら女子よ(それで、その女の子はどんな子なんだよ)?」詳しく説明は出来ないが、ただの部活の友達でたまたま部活の打ち合わせで品川に行くので一緒に連れて行く・・・とはなした。どこまで信じたかどうかはわからないが、私の高校のときの生活を知っているだけに、半分も信じていないだろう。「なも、わのわらしだはんでな(お前も俺の子供だからな)」親父も、昔はかなり母親を泣かせた口なのだろう・・・・・・水曜日になり授業を終えて、私は駅で詩織を待っていた。間山が久しぶりに一緒になり、「今日はプロレス見に来ないか?」と誘ってくれたが、そういえば親父は昔からプロレスが好きだったことを思い出す。でも、今日は詩織も一緒だから、それは無理だろう詩織もやってきた。「あら、間山君も一緒だったの?」そう言ってから下から見上げるような顔をして、間山に話す。「そういえば、最近咲ちゃんとずいぶん仲良くしてるみたいねえ・・」「あ、知ってたんだ・・・・うん・・・最近付き合うようになってきたんだけど今度の日曜日も、誰かと同じ様に動物園に行く事にしてるんだ」私は自分のことで精一杯で、間山の事をしばらく忘れていたようだ。「咲ちゃん」と言うのは、コーラス部の一年生で、コーラス部と放送研究会の部室が隣同士なので、けっこう仲良くしていたのだった。「そっか・・・咲ちゃんと・・・・」私はその先がいえなかったが、しかし、動物園にいった話し・・・かなりあちこちに広がっているんだろうか?詩織が話しをしているんだろうけど、詩織の作戦にまんまとはまっている自分が情けなかった。電車に乗り、間山と途中で別れてから、私は詩織に話した。「詩織ちゃん・・・・あまりみんなに、動物園に行ったとかアパートに行ったとかいわないでくれるかな?」「いやだあ。。。あたしアパートに行った話しまでしてないよ」お互い、下を向いて話しているから他の人には聞こえないだろうが、近くには同級生も乗っていた「だったらいいけど・・・・」そのうち話しは、私の父親の話になった。「お父さんってどんな人?」「顔はボクに似てないけど、いったんこうと決めたら、その考えで突っ走る人かな」そのために偉くなれないんだ・・と母がこぼしていたが、母はそんな父の性格を愛し、私達兄弟もそうなるように育てられたような気もする。品川駅に着き、ホテルに入ると私は父の部屋を聞こうとフロントに向かったが、・・・父は既にロビーで、私の来るのを待っていた。「こんにちは、壮太の父です。」私に久しぶりだなあ・・・ということもなく、詩織に自己紹介をする父。「まだご飯食べるのは早いからちょっとお茶でも飲もうか」ホテルの入り口近くにある、イタリアンレストランに入り、コーヒーを3つ注文する。「そう・・・佐藤詩織さんていうんですか・・・・」父はそこまで確認すると、並んで座っていた私の耳元に「ずいぶんかわいい子じゃないか」とささやいた。「青森に来たことはないの?」父が標準語で話してるのをはじめてみた。「父が、青森の営業所長で単身赴任してるとき、ネブタに行った事があります。」「ヘエ・・・・どんな会社なんだろう?」詩織から、会社の名前を聞くと父は大げさに驚く。「もしかしたら、あごの先のほうに大きなほくろがある・・・メガネをかけた・・・・えっと、佐藤・・・・佐藤茂さんかい??」「父をご存知なんですか?」父の仕事は農業関係の仕事であり、詩織の父親との係りはないと思っていた。「私がよく行っていた市役所裏のピエロって言うスナックに、しょっちゅういたんだよ。」仕事の付き合いではなく個人的な付き合いがあったようだ。「会いたいなあ・・・佐藤さんにもしばらく会ってないからなあ」「父は近くの会社にいますから、呼びましょうか?・・・もうそろそろ帰れる時間ですから」「ああ、いいねえ。。。呼んでくれるかな?」詩織が電話をすると、詩織の父もまもなく仕事が終わると言う返事・・・・・イタリアンレストランでもう少し待つことにした。最初、家から手紙を貰ったときは父と二人で食事をすることにしていたのが、途中詩織と3人に変わり、それが今度は詩織の父親まで一緒になってしまった。まもなく、詩織の父親も来た。「斉藤さん、しばらくだねえ」「いやあ、こちらこそ・・・・・佐藤さんとは何年ぶりかな」二人はしばらく昔話をしていて、私と詩織の事は忘れていたようだった。正直なところ、私も詩織の父親とははじめて会うのできちんと挨拶したかったのだが入り込む隙間もない・・・・「今日実は、詩織の誕生日でねえ・・・・壮太君と食事をするって聞いてたから、まさか、娘から電話があると思わなかったよ。」タイミングはいいかな・・・・そう思って自己紹介をした。「はじめまして、・・・詩織さんの友達の斉藤壮太です。・・・・今日は父との会食につき合わせてすみませんでした。」「ああ、君が壮太君か・・・・話はよく聞かされてるけど・・・お父さんからもよく話しを聞かされた息子さんかな?」親父が私の話しをしたことがある?・・・・イヤイヤ、きっと親父が話したのは成績優秀な「兄」の事だろうと思った。「子供さんが3人いて、うちの詩織と同じ年のお子さんがいるっていってたけど、それが壮太君だったんだね」「そそ、よく佐藤さんと話したっけ・・・・二番目で跡取りじゃないから、一人娘のお嬢さんの婿殿に差し上げましょう・・・なんていってね」「そそ、こんな感じで子供たちが付き合い始めてるんじゃ、こりゃあ婿に貰う話も進めなくちゃね・・・ははははは」二人の親は、酒も飲まないでいるのに、よくこういう冗談が言えるもんだな・・・と思った。父親は、東京に来るとよく行く、溜池の「ドイツレストラン」に予約の変更の電話をいれ、4人での食事にした。「詩織・・・・そういえばお前が青森に来たとき、ネブタの衣装を着せてもらっただろ・・・あの衣装、この斉藤さんが準備してくれたんだよ・・・・そのときの写真が家にあるじゃないか・・・お前と、男の子2人、女の子1人と一緒に・・・・あの男の子の内の一人が壮太君のはずだ」溜池に向かうタクシーの中で、詩織の父が詩織に言っていた。 つづく
2007.01.03
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穏やかなお正月ですね。快晴無風・・・・こんなお正月は数年ぶりです。いつもなら、除雪隊出動の連絡が真夜中に入り、今頃は雪の中を「生活道路確保」のために2往復3往復・・・・今年は雪も積もってないから、とっても楽なお正月です。というわけで、つづき、行きますね。 詩織の「司会者」デビューをおえた翌日、私は詩織の誕生日のための料理を作る約束をしたために、私のアパートに詩織を招いた。招いたというより・・・・約束を果たすためにはわたしのアパートでなければ料理が作れない・・・・・。私の気持ち次第だ・・・・・私が詩織に手を出しさえしなければ、何事もなく終わるはずだ。待ち合わせの時間は11時、駅前のスーパーまで詩織が来るはずだった。私は約束の時間より少し前にスーパーに着いたのだが、詩織はすでに到着していて、私に手を振って迎えた。「ずいぶん早く着たんだね?」「今日はお母さんに多摩動物園に行くからって・・・・だから早く出てきちゃったの」確かに多摩動物園なら早く出なければならなかった。詩織の右手には浅草に行ったときのようにお弁当のバスケットがあった。今日のメニューは特に考えていなかったのでスーパーに行ってから考えるつもりだったのだが・・・・「今日はねえ・・・カレーが食べたいな」詩織にしてみれば、料理で私に恥をかかせたくなかったのだろう。カレーなら、誰が作っても先ずはずれはない。「でも、カレーだけじゃ誕生日みたいじゃないなあ」「じゃあ、ケーキだけでも買おうよ」詩織の提案で「カレーの材料」と、近くの洋菓子店で「生クリームのホールケーキ」の小さい奴を買った。アパートに戻り、ドアの鍵を開けると、先に詩織が部屋に入った。「今日はなにもしないぞ・・・・何jもできないぞ」というつもりで、私は部屋の窓を皆開けた。昨日帰ってから掃除をして窓を開けて網戸のままで寝たから、それほど男くささは残っていなかったと思うが、その辺も気になっていた。「豚コマ」をバターで炒め、「玉ねぎのみじん切り」を加え、色が変わってきたところで水を入れて中火で「にんじん」と「ジャガイモを」煮こんでいく・・・ごく普通のカレーライスだった。突然、詩織が東側の窓を閉じた。「どうしたんだ?」「隣のアパートの人、こっちをのぞいてたのよ」確か隣のアパートは近くの女子大にいっている学生で、私の部屋に女の子がいることが気になったのだろう。「逆に窓を閉めたら変に思われちゃうよ」私が窓を開けると、隣の住人と目が会った。目だけで挨拶をし・・・・私は料理に戻った。カレーが完成し、食べる前にケーキを出して蝋燭に火をつけた。蝋燭の数は10本・・・・・1本は10歳分として残りの蝋燭は9本・・・・これで19歳を表現したつもりだった。ギターを取り出して、コード進行だけで「ハッピーバースディ・トゥユー」を歌った。「まだ明るいから雰囲気でないね・・・・それの蝋燭の数・・・・10本か」「あ。ゴメンね・・・・19本の蝋燭をこの小さなケーキに飾るのもなんだから。。。」説明をして置いたんだけれど、不満だったんだろうか・・・・「ううん、そうじゃないの・・・・壮太君より先に19歳になっちゃったから・・・・」そうだった・・・・・子供っぽい詩織だと思っていたが、わたしより一ヶ月前に19歳になったのだ。「壮太君、年上にもてるもんね」蝋燭の火を吹き消していたずらっぽく笑った詩織の顔がまぶしかった。ケーキをいったん片付け、カレーを食べる。冷蔵庫には青森県産のリンゴジュースがけっこう入っていたので、それで乾杯をし、カレーを食べた。一人暮らしにはカレーを作るのは簡単だが、大量に作りおきできなかったので、家で作らない。今日は詩織の分と二人分なので、けっこう多めに作っていた。詩織の持って来たバスケットの中には「鳥のから揚げ」とか「卵焼き」が入っていて、おかずの種類も豊富だった。「さっきギター弾いてくれたけど、壮太君、歌も上手いのね・・・・あとで、なんか歌ってくれない?」コードだけはしっかり覚えていたので、「歌本」さえあればほとんど歌えた。そして大学に入学したとき、部活をする予定はなかったので、さびしいとき歌でも歌おうと思い「歌本」だけは用意してあった。食事が終わり、コーヒーを入れ、ケーキを切ろうとしたとき「お願い、昨日見たとおりにさせて?」つまり結婚式のケーキ入刀の儀式を行いたいというのである。雰囲気におされて、詩織と右手を重ね、一緒にケーキをカットした。隣のアパートの窓が気になったが、そのときは隣も出かけたのか窓は閉まっていた。コーヒーの準備を詩織がしているとき、私は「歌本」を出してギターのチューニングをしていた。テーブルの上に「歌本」を広げ、なにを歌おうか探していると、詩織はコーヒーをテーブルに置き私の右側にくっついて座った。「詩織ちゃん・・・近すぎないか?」「でも、こうしないと一緒に歌えないから・・・あ、この歌うたえる?」私が注意した事も聞かないで、最初の曲をリクエストした。森山良子の「この広い世界いっぱい」・・・・・一番を私が歌うと、二番を詩織も一緒に歌う・・・わたしは3度音程をずらし、コーラスにしてうたった。「いいよねえ・・昨日、内藤さんからコーラス部の司会の話が出たけど、二人で司会しながら歌っちゃおうか?」わたしは2曲目に長谷川きよしの「歩き続けて」をうたった。「はなしつづけて、このまま~どんな事でも~~・・・その声を聞いていたい~今はそれ~だけ~~~♪」甘ったるい歌である・・・・・しかし、壮太の声にはちょうど音域もあい一番うたいやすい歌だった。「この歌知らないなあ?・・・でも壮太君の声にあってるわ!」詩織の声が耳元でささやかれる・・・・くすぐったいような・・・・しかも横を向けばすぐにでもキスできるような距離・・・・・もし、急にキスしても、詩織は抵抗しないだろうと思っていたが、もちろんそんなことはしないつもりだった。しかし、このままでは理性をとどめておく自信もない。「ちょっと待ってて」わたしは立ち上がり、冷蔵庫から缶ビールを出しに行った。「飲むかい?」詩織に聞くと飲まないというので、私は一本だけもってテーブルの反対側に座った。「缶ビールの蓋を開け一杯のみ。。。。「ねえ、20日の詩織ちゃんのほんとの誕生日の日なんだけどさあ」「うん」「うちの親父が出てくるんだよ・・・青森からね」「ええ・・・楽しみにしてたんだけどなあ・・・・無理?」「いや、・・・・もし詩織ちゃんがよければ、親父と一緒にメシ食おうかと思ってさ」「紹介してくれるの?」「いや、オヤジには友達と約束があるから一緒に行くっていってあるだけなんだけどさあ」「もしよかったら、連れてってください」「方言丸出しだぞ!」「この前、上野の駅でお友達との会話聞いてたけど、大丈夫だよ」こうして、私は20日の日の約束をした。自分でも、詩織のほうに気持ちが向いてきてるような気がする。この流れのほうが、自分にとって自然の流れのような気もする。寿子への思いはどうしたんだ・・・・・そんな私の心の中の声が聞こえたような気がした。 つづく
2007.01.02
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新年 あけまして おめでとうございます今年の抱負としては豊富にありまして・・・(またダジャレだ・・・・)でも、目標としては、一人でも多くのブログやチャットの仲間に会いたいと思ってます。5月の「劇団無=魂」の公演を見に行きたいと思ってるんですけど・・・・・時期的に忙しいかな? 詩織と浅草に行ってから、もう数週間立ってしまったが、詩織とは相変わらず、毎日のように一緒に通学しているし、寿子との進展もまるでなかった。「吉田家・高橋家結婚披露宴」の準備は順調に進んでいて、寿子との会合もけっこうあるのだが、個人的な話しは一切する機会がなかった。来週の土曜日芙美子先輩と詩織が先に結婚式の本番を迎えるというある日、詩織が少しナーバスになっているという話が芙美子先輩から私の耳に届いた。詩織も私と同じ程度の役割で、「祝電の披露」くらいしかないのだが緊張がピークに達しているらしい。「壮太君、君が話してくれればきっと詩織ちゃんも落ち着くからね・・・そんなに緊張しないようにいってあげて?」正直なところ、自分自身もそれだけの役割なのにアップアップの状態だったが少しでも、詩織の緊張を解いてやりたかった。その日の帰り、私は詩織を送って行き、詩織の駅の近くの喫茶店で話しをした。「詩織ちゃん、緊張してるらしいじゃないか・・・」「壮太君は緊張してない?」自分の一週間後は私も同じ様なことをさせられるんだということを知っていたからそんな風に聞いてきたんだろう。「緊張をしてないっていうと嘘になるなあ・・でも、従兄弟の結婚式に出たとき、来賓が従兄弟の名前を間違って覚えててね・・・”幸せの夫と書いて”さちお”っていうんだけど、最後の最後まで挨拶で”ゆきお”クンっていっててね・・・それでも誰も何にも言わないでそのまま終わったんだけど・・・そんなもんだから、そんなに緊張しなくってもいいかなって思うようになってきた。」これは、事実であった。「この前芙美子先輩の台本読んだんだけど、”不慣れのため不行き届きな点もあろうかとは存じますが、このたびのご慶事に免じましてお許しくださいますようお願い申し上げます”って書いてあったし、ある程度の失敗も笑って済ましてもらえるんじゃないかな。」許してもらえようがどうであろうが、その時間が過ぎてしまえば、どっちにしろ取り返しはつかないのである。「壮太君・・・芙美子先輩に頼まれたんでしょ?・・・詩織が緊張してるからほぐしてやってくれって」「いや、頼まれたわけじゃないけど・・・・」「でもいいわ・・・今日こうやって壮太君の話しを聞いてたら、ちょっと気が安らいできたから・・・・ねえ・・・土曜日・・・時間ある?」「土曜日は授業、朝の一時間目しかないから」「ジャ、土曜日あたしのそばにいてくれないかな?」そういわれても、その披露宴のスタッフでもないのに、私がそこにいられるわけじゃない。「ホテルの喫茶室でお茶でも飲んで待っててもらえるだけでいいの・・・お願い」16時からの披露宴だから忙しいわけではないが父兄のようについていくのは気が引けた。しかし、芙美子先輩と相談して、そのようにしたほうがいいというならそうしてあげようという話を詩織にした。翌日、芙美子先輩を昼休みに探し、部室でその相談をしてるとき・・・寿子先輩も部室にやってきてその話を聞いていた。「壮太君も翌週、緊張するっていうなら、詩織ちゃんに来てもらってもいいのよ?」寿子はからかうようにそう言ったが、かなり機嫌が悪いように思えた。寿子の性格では、「人に頼って仕事をする」っていうのは許せないのだろう。「寿子、あたしが壮太君に頼んだのよ・・・今回だけ見逃して」芙美子がそう言うと、寿子は「あまり甘やかさないほうがいいわよ」と言い捨て、部室から出て行った。そして、詩織の本番当日・・・・詩織は美容室の予約を入れていて学校には来なかったが、わたしは一時間目の授業に出ていったんアパートに戻り、洗濯等を終えてから詩織と約束したとおり、3時には会場のホテルの喫茶室で待ち合わせをした。「どうかなあ・・・・?」司会者用にドレスアップをしてきた詩織は、少しだけ大人びて見えたがまだまだ緊張している様子であった。そこへ芙美子もやってきた。「今日終わったら、4人で慰労会しようと思うんだけど、どうかな?」芙美子と詩織と私・・・・あと一人は?・・・と聞くと「アハハハハ・・壮太君の知ってる人よ」というだけで、あとはなにも言わない。6時半には終わるという話しなのでその時間、この喫茶室で待ち合わせることにして、芙美子と詩織は会場に向かった。少しあと、ちょっとだけ気になったので会場のそばまで行くと、詩織の声でお客様の入場を促す場内アナウンスが響いていた。「吉田・高橋後両家のご結婚披露宴ご出席の皆様にご案内申し上げます。まもなく新郎新婦、ご準備相整いまして、ご入場となられます。・・・・皆様にはお席にお着きになられましてお待ちくださいますようご案内申し上げます。」幾分落ち着いた声のように思えた。わたしはこのあと二時間ほど時間をつぶしてまたこのホテルに来なければならない。本屋によって立ち読みをしたりしたが、まだ時間はたっぷりあった。わたしは思い出したように実家に電話をすることにした。「もしもし、母さん・・・・わだ(わたしです)、うん壮太だ・・・・・。20日の日に父さん来るべ(来るでしょ)。どうすばいんだ?(どうすればいい?)・・・うん、父さんの泊まり先、品川プリンスだが・・・うん・・・ソイで・・・へバ(そうすれば)わが品川プリンスまでいって父さんに連絡すればいいんだが(わたしが芝側プリンスまでいってとうさんとれんらくとればいいんだね)・・・・」通訳つきだと長くなるので、ここに要約すると「父は品川プリンスホテルに泊まるので、私のアパートに来る時間もないし、私が父を訊ねてホテルにいってくれればいい」という話だった。「わ、もしかすば、メラシコ連れてくはんで、父さんさ、びっくりすなよってしゃべっておいでけ」(私、もしかすると女の子を連れてくから、父さんに驚かないように伝えてください)という話も母親にしておいた。どんな女の子かとしつこく聞かれたが、ただの友達だとだけ話した。電話を切り、しばらくボーっとしていたが、約束の時間が近づいていた。喫茶室に戻ると、男性客が一人、コーヒーを飲んでいるのに気がついた。その客もわたしに気付くと、立ち上がりそばへやってきて・・・・「君が斉藤壮太君だね?・・・・内藤です・・・よろしく」そう言って、私にも席に着くよう促した。この人が・・・・・・例のストーカー内藤か!席に着くなり、内藤は矢継ぎ早の質問を私にした。「青森出身なんだって?どこなの?・・・・ヘエ実家は黒石なんだ・・・・高校は青森ね・・・じゃあ青森市内は詳しいんだね・・・・俺、三内の近くなんだ・・・・」っ話をしているうち、芙美子と詩織がやってきた。「フーッ、やっと終わった・・・・詩織ちゃんも上出来だったわよ!」詩織はまだちょっと興奮気味で、感動覚めやらぬ・・・という風情だったが、「あたし、泣きそうになっちゃった。先輩上手いんだもの・・・・」そう私に報告した。喫茶室で15分くらい話しをし、4人は近くのイタリアンレストランで食事をすることにした。詩織には内藤さんの話をしていなかったのだが、芙美子の彼氏だという話しをすると、すぐに打ち解けることができた。食事をしながら、今日の披露宴のちょっとしたミスをどうカバーしたか、とかいろんな話が出てきたが、そのミスも、詩織にとっては楽しい経験だったらしい。「案ずるより生むが安しよね・・・・・」本当に楽しい食事会になった。「将来、あたしたちの結婚式は、壮太君の司会でお願いするって言ってあるの」芙美子が内藤にそう言うと「そのときのアシスタントにはあたしが着きますから」横合いから詩織がしゃしゃり出てそういった。帰りがけ、内藤がわたしにこう言った。「今年のコーラス部の司会なんだけど・・・・現役はまた芙美子に司会をお願いするって言ってるんだけどね・・・ボクは壮太君にお願いするよう話したいと思ってるんだ。引き受けてくれるだろ?・・・・そうだ・・・詩織ちゃんと二人でもいいなあ」まだ決定ではないが、内藤がコーラス部に言えば、きっとそうなるだろう。今回は卒業したので、コンサートも芙美子と並んで見たいらしい二人と別れて、私は詩織をまた家まで送っていった。「壮太君、あのね・・・・・明日、詩織のお誕生日の会の事なんだけど、壮太君のアパートにいっていいかなあ?」そういえば、自分が食事を作ってあげる・・・といったのであるが、作る場所は言ってなかったし、アパート以外にはないのである。「あ、ああ・・・・うちのアパートに来て一緒に作ろうか・・・・」明日の12時前に・・・と約束して、詩織を送り届けた。 つづく
2007.01.01
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