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こぼれるような笑顔は人の心を和ませる健康的な笑顔子供の楽しむ笑顔国が豊かになるほど本当の笑顔が無くなってゆくお金やものにとらわれて眼に見えるものだけを信じ欲しがる心は人の心を唯物的、刹那的、利己的にする貧しさの歴史には本当の笑顔が有った自分でつくる歓びの笑顔それが少なくなっている世界には貧しい国はたくさん有るがその条件制約の中にも心豊かな笑顔が有る。地雷で手や足を失っても遊んでいる子供たちには本当の笑顔が有る。人はゆたかさを求めて働いているが、敗戦後の日本もそうだったように、みんなが頑張れば飛躍的な発展を遂げる。産業革命以来文明の発達は目覚ましい。反面、心も豊かになっただろうか。こぼれるような笑顔は人の心をゆたかにさせる。健康的な笑顔、子供の歓ぶ笑顔。国が豊かになるほどその笑顔が少なくなってゆく。お金やものにとらわれてそれを手に入れようとする心は眼に見えるものだけを欲し、唯物的、刹那的、利己的になって自分だけの都合を優先するようになってゆく。皮肉なことに貧しいときほど本当の笑顔が有ったような気がする。自分でつくって喜ぶ笑顔、自然の中で遊ぶ笑顔、大きな夢をもって小さな歓びを大切にする笑顔、そういう笑顔が少なくなってきているように思う。 2020年1月31日 琢
2020年01月31日
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とらわれたことは忘れずとらわれなければ忘れる挫折にとらわれず教訓は忘れないこと忘却が有るから前に進めとらわれが有れば前に進めないその分別を間違えず体幹に入れることでその習慣が身に付けば前が開けてくる信じることが基本で自分を信じ、他を信じれば可能性が大きく広がってゆく托身することだろう無知を埋めるのは疑問をもつことで、疑問を解消してゆけば経験と共に知識が豊富になってゆく。好奇心が強いほど取り組みが多くなって、挑戦するほど失敗と共に自分を整えてゆくのが人間だろう。疑問はとらわれで、とらわれたことは忘れず、とらわれなければ忘れてゆく。挫折にとらわれず、その教訓は忘れないことだろう。忘却が有るから前に進め,とらわれれば其処に止まってしまう。とらわれと教訓の分別が大切だろう。体験して身に付けば智慧になって体幹に入ってゆく。応用が利くように成るものですべてのことには意味が有り、必然の仕組みが有って、智慧が問題を解消させてくれる。信じること、自分を信じ他を信じれば可能性は大きく広がって先がひらけてくるだろう。結果・果報は努力について回るものですべて托身することだろう。 2020年1月30日 琢
2020年01月30日
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求めるものはお金やものでなく名声でもない深層に至ることで相応の過程を経れば忍土の自覚、愚かさの自覚、恩恵の自覚ができる途上の通過点での気付きから自己の修正、浄化をして善我を育み本心からの歓びを得ることが他の救済と自助に成り為すべきことが観えてきてそこに生き甲斐を見つけられ幾多の試練を超えた先に自分の生き方が観えて来る国が豊かになって便利になるほど心の満足感がエスカレートして贅沢になってゆく。どんなものでもお金さえあれば買えると錯覚して、人生の目的をお金やものをたくさん手に入れることが幸せだと感じてしまう。果報や名声は努力について回るもので眼に見えるものを求めてしまうが、魂願が観えて来るほどそれが間違いだったことを知るようになる。魂の修復と成長、関わりの再結、できなかった願いの成就、内と外の照らし、人はそこに本当の歓びを知ることになる。途上では忍土の自覚、愚かさの自覚、恩恵の自覚ができるほど傲慢、高慢が消えて謙虚で素直な自分に成ってゆく。感謝の念が強く成るほど恩恵が深く、無力を感じるほど他との信頼、和が必要になることを知る。耐え忍んだ先に強靭な精神力を培えば、報恩と共に他の役に立つことへの歓びが増してゆくことになる。使命を自覚することができるようになってゆく。 2020年1月29日 琢
2020年01月29日
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友の有り難さ互いの幸せを願う関わり良き因縁側で善意で接して対応し合うその愛・菩提心は恩着せや押し付けをせず互いを理解し合い認め合うその苦を我が苦としその歓びを我が歓びと思う人それぞれには個性と願いが有ってその成就の為に人智を尽くし人智を超えさせるその恩恵は計り知れない人には人生を変えるようなユニバース的な出会いが有って、その縁が無ければ今の自分は無かっただろうと思う友や師との交友がある。友の有り難さ、その恩恵は感謝の心をもたせ、その報恩に向かわせる。互いの幸せを願う関わりはいつも因縁側で関わって善意で接して対応し合うようになる。愛・菩提心は代償を求めず、恩着せ、押し付けをしない。互いを理解し合い、認め合う心は、その苦を我が苦とし、その歓びを我が歓びと思う。人それぞれには生い立ち育ちの基盤、常識と個性の違いが有って、それを受け入れながら願いの成就の為に人智を尽くし、人智を超えさせる。人が領域を広くし、視野を広げ、思考に深さが出て来る要因になってゆく。その恩恵は計り知れないものだろう。 2020年1月28日 琢
2020年01月28日
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人にはそれぞれの道が有るそのままの自分では通用せず途上で自分を変えてゆく良き縁は恩恵になるもので運命を変えてゆくどの道にも試練は有るもので超えてゆくことで先が拓かれてゆくが責任転嫁で逃げてしまえば改善できずに道を歪めてしまう求めるものの恩恵になっても逃げるものには苦でしかなく他の恩恵にになるには前向きに超えてゆくしかない快感を原則としていれば苦を避けたいと思うが途上の責はすべて自分に返って来る。生きていれば試練を超えるしかなく、超えた先に道が広がってゆく。人それぞれ夢や希望が有って、その具現化への道が有る。そのままの自分では通用せず改善することで自分を変えてゆくことになる。良き縁は途上の恩恵で関わることで運命は変わってゆく。途上の試練は誰にも有るもので通過点を超えるたびに向上してゆくのが人間だろう。快感だけを求めて責任逃れをすればそのままの自分が通用せずに脱落してゆくことになる。願いには試練はつきものだが超えるたびに智慧が身に付いてゆき、それが他の救済に成り、自助にも成ってゆく。人は他がために生かされているもので、その歓びを得るには前向きに試練を超えてゆくしかないだろう。求道は自分の使命の自覚に有るのだろう。 2020年1月27日 琢
2020年01月27日
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自分を変えようと思えば心を変えること行為は心でするもので心を変えれば行為が変わってゆく与えられる反応から行為を変えれば心も変わってゆく良い反応は嬉しいもので相手の歓びが心に気付きを与え止観は感じ、受け止め、考え、行為で反省するが善行から心が清められてゆくもので素行を正せば清しい心になってゆく善我を育めば心は整ってゆくやること為すことうまくゆかずに荒んだ心になってしまうことが多いが、与えられた現実は行為に反応するもので、普通は心が行為をさせるものだが、行為を変えてみればその反応から心が変わってゆくことになる。やり方が悪ければやり方を変えてみる工夫が必要だろう。自分を変えようと思えば良くない原因を正してやり方を変えることで相手の歓ぶ姿が観えればうれしいもので、相手の態度が変わってゆくことで自分の心も変わってゆくことになる。行為から変えてみることから心が変わってゆくことも多く、反応が良く成れば自分の歓びになって心も変わってゆくことになる。観自在は止観してみることでこころの動きを見るが、感じ、受け止め、考え、行為の順を逆にしてみることも効果が有るのだろう。善行から清しい心になるもので善我を育むことでこころは整ってゆくことになる。 2020年1月26日 琢
2020年01月26日
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先に備えることは大切で今の現実は過去からの必然のもの余計な不安、恐怖感は払拭しておくこと人事を尽くして天命を待つ人智を尽くせば人智を超えられる信じて疑わないこと過去の行為は消せず托身して覚悟すること結果を厳粛に受け止めて更に自分を整えれば必ず為すべきことが観えて来る円環的思考が絞られて来れば自ずと道が観えて来る自分が何ものか、天職は何か、魂の中に潜在する意識に何が入っているかは誰にも観えずに歩み始めるのが人間だろう。迷いや葛藤は何も見えていないからで、どの道をゆくかの選択も自分の責任で選ぶしかない。途上の結果・現実は過去の業からの必然のもので、望んだものでなければ先に備えて今の自分を変えてゆくしかない。すべて自業自得で避けられないが必ず救いの恩恵を与えられているのが自分だろう。余計な心配は妄想、錯覚の元で不安感、恐怖感を払拭しておくことだろう。天はその人に越えられない試練を与えない。人事を尽くして天命を待ち、人智を尽くせば人智を超えられる。信じて疑わないこと。過去は消せず、托身して現実を厳粛に受け止めることだろう。更に自分を整えてゆけば必ず為すべきことが観えて来る。これまで重ねてきた円環的思考が絞られてくることで自ずと歩むべき道が観えて来るだろう。 2020年1月25日 琢
2020年01月25日
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流れには必ず変化が有る変化を見て対応することいつもと同じでななく成果を求めたければ変化への対応がそれに付随するものでいい加減な対応は許されないひと、もと、ことを粗末に扱わないこと必ず適切な対応が有るものでよく観察することがいつか自助になってゆく愚痴をこぼす前にやるべきことをやっておくことだろういつの世も生き残れる人は強い人ではなく変化への対応ができる人だろう。諸行無常は自然の摂理で、形あるものは常に変化と共に消え去ってゆく。四季の流れと共に常に変化してゆく大自然だが人もその中の一員で、その変化を止めることはできない。よく観て対応することが重要でいつもと同じものは一つも無い。成果を求めたければ変化に付随したもので、いい加減な対応は許されない。共生するひと、もの、ことを粗末に扱わないことだろう。必ずその場、その時に適切な対応が有るもので、よく観察することがいつか自助になってゆくことになる。何ごとも準備無しに整うものは無く、やるべきことは必ずやって備えておくことだろう。 2020年1月24日 琢
2020年01月24日
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休養は大切なこと体調を整えること気分転換・転依時の流れを観ること日々の変化は心の流れにも努力の結果にも現実に示されるその反応を観て次の備えができる心を乱すことで見るべきものが観えず同じ対応を繰り返すことになり期待する結果が得られなくなるいつも心掛けるができていないことは冷静に判断することで、頭にくることほど感情が先に出てしまい、やってはいけない言動をしてしまう。疲れたとき、ストレスを溜め込んだときには休養をとることが大切なことだろう。体調を整えて時の流れを良く観ること、日々の変化は心の流れにも出るもので努力の結果にも現れてくる。自分の言動に与えられる反応は現実に現れてくる。その反応を観ることで次の備えができるようになる。心を乱すことで見るべきものが観えなくなって同じことを繰り返してしまい、成就の願いを遠ざけてしまうことが多い。感情に流されず冷静になって行為から改めればその反応で感じ、受け止めが変わり、前向きな考え方に変わってゆくだろう。 2020年1月23日 琢
2020年01月23日
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変化への対応は放置するほど難しくなるタイミングが大切で手遅れにならないようにすれば置き去りにはならない与えられた条件制約の中でも必ずできることが有る当を得たものではなくても真心は伝わっている邪気を祓えば善意の心は通じるもので何もしなければ孤立して疎外されてしまう無視をしないこと人も物も粗末に扱わないことだろう甘く見たために痛い目に遭うことは誰もが経験することで、未熟なほど失敗が多く気が付いたときには大きな後れを取っていることが多い。時の変化への対応如何で歩む道が変わってくることになる。変化への対応は放置するほど修復が難しくなってゆく。タイミングが有って、手遅れにならないようにすれば置き去りになることはない。与えられた条件制約の中では必ずできることが有るはずで、当を得たものでなくても真心は伝わっている。時の流れの変化は自分に都合の良いものではなく、何もしなければ孤立して疎外されてしまうだろう。あとの祭りに成らないように、無視をせず、変化への対応を粗末にしないことだろう。取り残されれば孤立して厭世的になるしかなくなってしまう。人に求められるのは社会性、協調性、多様性だろう。 2020年1月22日 琢
2020年01月22日
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人には自信家、被害者、卑下者、幸福者が有りそれぞれに良いところと悪いところが有る誰にも煩悩、カルマが有って明るくも暗くもなる要因を抱えている原因と結果には相応の傾向が出る表層だけでなく深層を観なければ判断を間違えてしまう主観で動いてしまうが客観的に観ることが大切で成功と失敗にその仕組みを学び必然のものと受け止めることから自分の傾向に修正を加えてゆく原因を正すことで失敗を少なくして個性を生かした歩みをすることになる個々の歩みに絶対はなくどれだけ生きたかよりどう生きたかが問題だろう人それぞれ生い立ち育ちが違うもので、その条件制約の中で自分なりの常識を信じて歩んでゆくことになる。人を信じ、自分を信じることから歩むことに成るがそれぞれには四つに分類される傾向がある。快苦の歩みには快暴流の自信家、苦暴流の被害者、苦衰退の卑下者、快衰退の幸福者に分類される。それぞれには良いところと良くないところが有り、煩悩、カルマで原因と必然の結果を与えられることになる。明るくも暗くもなる要因を抱えているもので、外見・表層だけでなく心の内・深層を観ることで判断と行為が変わって来る。すべて必然と受け止めることで弱点を修正し、長所を生かしてゆくことになる。自分の傾向をよく知っておくことが大切だろう。その原因を正して失敗を少なくしてゆけば悔いは少なくなってゆく。それぞれの歩みには絶対はなく、ただ長生きをする・どれだけ生きたかよりもどう生きたかが悔い、執着を残さないことになるだろう。 2020年1月21日 琢
2020年01月21日
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心の中心軸を見えるものの所有欲から分かち合う心に換え二見のとらわれを解放して自然の摂理に調和させ和を深める心掛けで認め合い、理解し合えば摩擦が少なくなる発菩提心と共に無私、利他の誠心で歩めば信頼され、期待さされ感謝、反省、敬意と共に報恩に向かえば充実した人生になってゆく恩恵は誰にも与えられるものだが個々の人々は自分に与えられている恩恵に気が付かない場合が多い。途上で振り返ってみれば多くの恩恵に救われてきたことが解かって来る。自分だけの都合を優先する心が争いの元になっているもので、心の中心軸を観えるものの所有欲から分かち合う心に換え、勝ち負けや損得のとらわれを解放すれば自由自在の生き方ができるようになる。和を深めることで認め合い、理解し合うことができて常識の違いを受け入れることで領域に広がりが出てくるだろう。発菩提心と共に快苦の共有ができるようになるほど恩恵は多くなってゆく。無私、利他の誠心で歩めば信頼され、期待されるようになって、そこに生き甲斐のようなものが生まれてくる。感謝、反省、敬意と共に報恩に向かえば、人生は充実したものに変わってゆくだろう。 2020年1月20日 琢
2020年01月20日
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人生は途上の連鎖で止まったときにその歩みが確定する一つ一つの事象は戦いの通過点で終戦処理を怠らないこと食い散らかしの歩みには残ったものに難しい問題を押し付けるそのすべてが足跡でいい加減な処置をせず煩悩、カルマの戒めが必要だろう心を綺麗に保てば綺麗な足跡が残っている営業をすれば点と点を線にしてそれを面にしながら物件の入手をすることになる。多くの引き出しを開けて頼みごとをするがその後始末をしておかなければ次の頼みができなくなってゆく。人生の終焉は死だが、途上の通過点の連鎖のようなものでその終戦処理を怠らないことだろう。煩悩、カルマで食い散らかした人生には残ったものに難しい問題を押し付けることになる。終活が流行っているがものを片付けるだけでなく身辺整理をきっちりすることが大切なことだろう。そのすべてがその人の足跡になるもので、いい加減な処置をせずに、人としての良心に従った足跡に成るように煩悩、カルマの戒めが必要だろう。たとえ身は汚れていても泥水の中で綺麗な花を咲かす蓮の花のように、心だけは綺麗に保っていれば綺麗な足跡が残ってゆくだろう。先日多くの立場の違う女性たちに囲まれて一見ハーレムのような臨終のときを迎えた男を観ながら感じたことがそのことだった。 2020年1月19日 琢
2020年01月19日
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視界はひろくてもとらわれた一点しか見ていない眼には入っていても興味有るものしか見ていない同じ景色を見ても人それぞれ見るものが違い感じ、受け止め方が違うそれが思考の分岐点で行為は違うものに成る偏見は対立の元になり和を乱すことになる正しい見方を心掛けることで考えが変わり、行為が変わる行為を変えれば居場所ができる人それぞれ生い立ち育ちが違う、それが基盤になって常識が違うものに成る。人には自己正当化が有って自分の常識が正しいと思っている。その視点では見るものが違ってくるもので、視界が広くてもとらわれた一点しか見ていない場合が多い。同じ景色を見ても、ただ美しいだけとか懐かしさを感じるときも有る。それぞれ感じ方、受けとめ方が違うもので、そこに思考の分岐点が生まれてゆく。心で行為するが個性も加わって全く違うものに成り、偏見が有れば対立の元になってしまう。争いは和を乱すことになる。正しい観方を心掛けることで考え方が変わり、行為が変わってくる。表層だけでなく相手の立ち位置を観れば、自分だけの都合を押し通すことをせず、無私、利他の誠心で行為すれば、そこには自分の居場所ができているだろう。 2020年1月18日 琢
2020年01月18日
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カオスへの対応はどうかかわってどう処置するかで人生の滅に繋がってゆくどのような滅を望んでいるかは途上の通過点を見ながら絶えず修正を加える必要が有るどんな青写真を描いているか対応に与えられる現実その積み重ねで運命を変えることができる過去の歩みと与えられる現実その延長線上に未来が有る修正すればその方向が変わり着地点が変わって来る逃げず、諦めなければ願いが叶うときが来る歩みの途上には多くの問題が出て来るが、それをどう解決するかは人それぞれ方法が違う。四諦は苦、集、滅、道のことで、どのような夢や希望の青写真を描くか、無知や未熟に与えられる障碍や試練をどう超えてゆくか、滅してゆくかでその心が観えて来る。途上の問題はすべてカオスでどう滅してゆくかはその人の生き方になっている。描く青写真の具現化は、途上の通過点・中果を修正しながら絶えず方向を変えてゆくことになる。どう終わらせれば満足できるかの滅、その積み重ね、延長線上に未来がある。方向転換をすれば着地点も変わってくるもので、自分流の歩み方ができrのが人生だろう。描く滅・目的、目標は、過去の歩みと与えられた現実を観ながら修正できるもので運命は変えることができるものだろう。逃げたり、諦めて放置すればその延長線上の未来は決定的だが、可能性を追うほどその着地点・未来・滅は願いを果たす方向に変えてゆくことができるのが人間の歩みだろう。 2020年1月17日 琢
2020年01月17日
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人には所有欲が有ってとらわれたものを手に入れたくなる日々の努力で叶うものだが見えるものだけを信じ見えないものを信じなければ心に念じるものは唯物的になる願えばかなうものでも念じるものを間違えれば手に入れたものが色あせてしまうものは金で買えても心は金で買えず人生の本当の目的は永遠に果たせなくなってしまう見栄体裁にとらわれれば人のもっているものを欲しがって自分のものにしたくなってしまう。欲に支配されれば分かち合うことが無くなって、人のものまでかき集めて、それを自慢するようになってしまう。煩悩や欲は人によってとらわれ方が違うものだが、所有欲はとらわれたものを手に入れたくなってしまう。日々の努力で叶うものだが、見えるものだけにとらわれれば見えないものをおろそかにして、心に念じるものが唯物的、刹那的、利己的になってしまう。願えばかなうものでも念じたものが違えば無限の欲に覆われてしまう。すべて色あせてしまうもので、ものはお金で買えても人の心まではお金で買えず、裕福、富豪、大金持ちになっても心の満足は得られず、人生の本当の使命を永遠に果たせなくなってしまうだろう。、使命を自覚して、物欲のとらわれを空じることが大切なことだろう。 2020年1月16日 琢
2020年01月16日
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迫害に逢えばそうさせている自分がいる二見のとらわれが有って争いの原因を改めない自分がいる相手の側でその心を観れば修正事項が観えて来る加害者、被害者だけでなくその周りの心を察すれば心の濁りが澄んでくる思いやり、気くばりの心無私、利他の誠心が結局は自助になってゆく唯物的、刹那的、利己的にならずに大局的に観ることだろう自分を変えようと思えば部分的なものだけでなく心の中心軸を変える必要が有るだろう。先ず行為から変えてみればその反応が変わり、考え方や感じ受け止める心も変わってゆく。荒んだ心になるのは自業自得で,行為した反応、与えられる現実から歪んだ心になってゆく。迫害に逢えばそうさせている自分がいると回顧反省することだろう。二見【勝ち負け、損得、など】のとらわれが有って、争いの原因を改めない自分がいる。相手の側でその心を読めば修正事項も観えて来るだろう。単なる加害者と被害者だけでなく、その周りの心を 察することで自分の心の濁りが澄んでくる。思いやり、気くばり、無私、利他の誠心が結局は自助になってゆくのだろう。些細なとらわれを滅しながら大局的な見方ができるようになることだろう。 2020年1月15日 琢
2020年01月15日
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対面をつくろい見栄体裁にとられれば心を変えることが無く間違いを正すことが無い表層を整えても深層、中心軸を入れ替えなければ多国間主義は停滞し国や町も滅びてゆくことになる唯物主義、刹那主義、利己主義から分かち合い、共有し合う心に無私、利他の誠心に戻すことそこに真の和が芽生えて来る布施、徳積みが必要だろう今自然現象だけでなく世界各国でいろんな問題が増えてきて人々の心には不安感、恐怖感が覆いつくし始めている。国益国益と言いながら自国だけの繁栄のための争い事が増えている。人としてどう在るべきかの原点は良心に従うことから始まるが、対面をつくろい、見栄体裁にとらわれれば中心軸の間違いを正すことが無い。表層だけを整えても深層、中心軸を改めなければ多国間主義は停滞し、国や町も滅びてゆくことになる。豊かになるほど見えるものしか信じずに見たものにとらわれて唯物主義、刹那主義、利己主義に支配された心になってゆく。分かち合い、共有し合う心が必要で、それが自然を守ることになってゆく。無私、利他の誠心を取り戻すことから真の和が芽生えてくるのだろう。豊かな国ほど布施、徳積みが必要な時代が来ているのだろう。心を原点に戻すときが今来ているのだろう。 2020年1月14日 琢
2020年01月14日
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人間には自己顕示欲、自我我欲、自己保存が有るがそれが同族を殺すことになる他のせいにして自分を改めず自己正当化の歪曲を重ねるとき他のすべての信用を失うことになる指導者がそれをすれば国全体の信用を失い国民を困惑させることになる共生する良心は与えられているもので許容、分かち合いが無ければこの世は荒んだものに成ってしまう感謝、反省、敬意を忘れないことただ素直に身を正すことだろう最近の人はすぐに嘘を言って逃れようとすることが多く、自分さえ騙すことができるような人が多くなっている。自己暗示をかける場合が多く、つらいとき、悲しいとき,惨めなときに自己正当化や慰めの自己暗示をかける場合が多い。高橋先生はそのことを暗示の帽子をかぶっているという。人間には自己顕示欲、自我我欲、自己保存が有って、他のせいにして自分を改めようとしない人が多い。現実を歪曲するとき、他のすべての信用を失ってゆく。もし指導者がそれをすれば国全体が信用を失うことになる。国民を困惑させ、人心を乱すことになる。共生する心・良心は与えられているもので許容、分かち合いが無ければこの世は荒んだものに成ってゆくことになる。感謝、反省、敬意を忘れないことだろう。間違いが有れば、ただ素直に身を正すことが大事なことだろう。 2020年1月13日 琢
2020年01月13日
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意識に刻んだものは見たもの、感じたものだが見えないものも洞察すれば記憶に刻まれる瞬時のものと時と共に現れるもので唯物主義、刹那主義、利己主義では見えて来ないものが有る表層だけでなく深層を観ることで眼に見えないものが観えて来る心・意識に刻まれるものは魂の中に残って消えることが無いゼロから始めた歩みも魂に刻まれてゆく覚えようとしたものほど忘れて出て来ないものだが意識には確実に刻み込まれているもので、縁有るものほどまた出会えることになっている。縁は偶然のようで必然のもので仕組まれているものだろう。意識に刻んだものは見たもの、感じたものだが、見えないものも洞察することで記憶に刻まれてゆく。刻んだものには瞬時のものと時と共に現れてくるものが有る。現れたものはすでに過去のもので消しようがないが、そこに学ぶことは多い。唯物的、刹那的、利己的なものにとらわれていれば見えて来ないものが有るだろう。表層だけでなく深層を観ることで眼に見えないものも観えて来る。こころ・意識に刻まれたものは魂の中に残って消えることが無い。ゼロから始めた歩みで得たものは魂に刻まれて潜在意識に残ってゆくのだろう。頭が悪いと嘆く必要はなく意識に刻まれたものは縁と共に再び出会えるようになっている。自然の摂理はそういうものだろう。 2020年1月12日 琢
2020年01月12日
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気付きは途上の通過点で得るものでまだ先の有るもの経験と共に確信に至るもので挑戦して得るものが多く人には基盤が有ってその条件制約の中での気付きに一般的に通用するものが有るそれには段階が有り精進を積むほど明瞭になって来る心理的なものと摂理による真理が有り神の次元、領域のものが有る大悟に至らなくても自覚することはできる悟りをひらくとか大悟するするとか解脱するとかは神がかりのもので有り得ないことだろう。十界は、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、如来・仏で発菩提心、修菩薩行と共に至れる境地のことだろう。悟りの段階にはには至れないが、ある程度の自覚をすることはできる。気付きは途上の通過点で得られるものだが、まだその先に深いものがある。挑戦しなければ至れないものばかりで、基盤による条件制約の中での気付きが多く、常識の違いを受け入れて領域を広げれば一般的に通用するものに成る。精進を積むほど明瞭になってくるもので、次元と領域が有り、心理的なものと摂理による真理が有る。神の次元、領域による神理があるが、大悟に至らなくても為すべきことの自覚に至れば、自分の使命が観えて来るだろう。必ず一本の道が浮き立って観えて来るのだろう。 2020年1月11日 琢
2020年01月11日
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魂は心の奥に有るものでその根拠になっている智慧もつ意志のエネルギー心は三つのちの影響を受け常識の深層に有るものその心の原点を観なければ分別できないのが人の心だろう魂は霊的なもので前世の意識の蔵が有るそのすべてをゼロから始めるために人は迷い、葛藤しながらその解答を模索する身に迫るカオスとその反応から円環的思考を重ねてその必然の理由が絞られてゆく魂について的確に説明できる人はいないが、大和魂とかど根性とか心の奥に有る精神力を言うことでしか説明できない。魂は心の最も奥に有るもので智慧もつ意志のエネルギと言われている。心は三つのち【血筋、その地の風土、時代の知】の影響を受けて人の基盤になっている。基盤はその人の常識になっているものだがその深層・自業を観なければその心の原点が見えて来ない。色即是空 空即是色で発することで現れてくるのが心だろう。魂は霊的なもので、玄奘三蔵【西遊記では孫悟空の師匠の三蔵法師】さんの唯識では前世の意識の蔵が有るという。その意識のすべてが忘却、喪失、無知から人は人生を始めるようになっている。潜在意識に有るもの、魂の中に有るもの、その解答を模索する途上に在るのが人間だろう。身に迫るカオスとその反応に疑問をもち、その何故かを円環的思考をしながらその解答を絞ってゆくしかないのだろう。すべてのことに意味が有り、すべてが必然ととらえるときさらに絞られてゆき、本当の為すべきことが観えて来るのだろう。 2020年1月10日 琢
2020年01月10日
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約束は守るもの口頭、文書、心、暗黙のものが有るが契約をしない日常のものは時と共に忘れ心、暗黙のものは互いの信用の問題で裏切りや嘘、騙しは許されず唯物的、刹那的、利己的になればその場の都合に流されて大切な友を失うことになる眼に見えるものだけで生きれば表層だけで判断し深い関わりができず自他不信に陥ってしまう信頼関係の構築は日ごろの行いとその心を信じ合うことから生まれる。確たる信念に基付き、自分本位でなく、相手の立場を認め、理解し合うことでその絆が深くなってゆく。約束は守るもので口頭、文書、心・暗黙のものが有るが時と共に薄れてゆくものでも互いの信用の問題だろう。裏切りや嘘、騙しは許されない。気を付けるべきは唯物的、刹那的、利己的になってその場の都合に流されてしまうことだろう。人の期待に背かないこと、そのためには無私、利他の誠心が有ること、それがその人のセンスの良さになってゆく。友を大切に思う心に背かないこと、目に見えるものだけで生きれば表層だけにとらわれて深層の心を読み取れずに深い関わりには成れない。自他不信からは無力な自分がいるだけで孤立して助け合いができなくなってしまう。恩恵は交友からのものば多く、信じ合うことで願いの成就の可能性が高くなってゆく。感謝、報恩を忘れないことだろう。 2020年1月9日 琢
2020年01月09日
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人には自己顕示欲、自我我欲、自己保存が有って唯物的、刹那的、利己的になるゆたかになるほど欲深く分かち合う心が無くなって中心軸をその心が占めれば世界は荒れすさんでゆく眼に見えるものだけにとらわれて良心に従わなくなってゆく文明の発達の副産物で原点に戻れなくなってゆく人として有るべき姿を失わないようにするにはその中心軸の入れ替えが必要だろう人の心、欲はエスカレートしてゆくもので、気が付いたときにはとんでもない自分に成っている場合が多い。動物と違って同族同士の殺し合いをする要因は、自己顕示欲、自我我欲、自己保存でそのために邪魔なものを殺してしまうようになる。唯物的、刹那的、利己的になってしまい、ゆたかになるほど欲深く、分かち合う心が無くなってゆく。心の中心軸にその心が占めれば世界は荒れ果ててゆくことになる。お金やものにとらわれて手に入れることが人生の目的にしてしまう人が多い。眼に見えるものにとらわれて良心に従わなくなってゆく。文明の発達の副産物と言え、人としての原点に戻れなくなってしまう。世界平和を願い、その心を改善させてゆくには、その中心軸の入れ替えが必要だろう。深層を洞察する心・魂を観ること、その必然の仕組みを知ること、潜在する前世からの意識を引き出すこと、その心で行為することが重要だろう。 2020年1月8日 琢
2020年01月08日
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愛は与えるもの代償を求めず独占しようとせずただ傾けているもので作意は無く本心からのもので包んでいるもの時にやさしく、強いものその恩恵に救われて報恩に向かわせる人は成熟と共に深く与える愛して止まず、綺麗な心で泥水の中に美しく咲く蓮の花のようにかたよらず こだわらず とらわれず ひろく ひろく もっとひろく多くの失敗と屈辱の途上に在っても、多くの試練を超えながら自分を整えてゆくのが人間だろう。其処にはたくさんの恩恵が有って、絶望が有っても必ず救いが入っている。すべてが必然のもので仕組まれているものだろう。人の心のぬくもりには深い愛が有って、そのぬくもりを求めて生きてゆく。愛は与えっぱなしのもので代償を求めず、独占しようとしないもの。作意は無くただ与えるもの、包んでいるもので、時にやさしく、強いものだろう。その恩恵に感謝して報恩に向かうことになる。神仏のように愛して止まず、人も成熟と共にその愛はひろく、深いものに成ってゆく。たとえ身を汚されることが有っても心に汚れは無く、ただ素直に綺麗な心をもち続けていたいと思う。この忍土では泥水の中で綺麗に花を開かせている蓮の花のように。馬鹿を見ても信じることを止められない純な人間に成りたいと思っている。 2020年1月7日 琢
2020年01月07日
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有るものは無にはならず転じることはできる業・カルマは誰にも有るもので自分を変えたいと思えば別のものに転じること禅定して空じることで主張しなくなり自然に在る置物のように置き位置を変えれば美観を変えることで味が出てくるものだろう転依して別のものに転ずれば苦が苦でなくなる生きずとは煩悩・カルマで生きないことだろう多くの失敗と共に人は成長してゆくもので、過去の失敗の原因を正すことから自分を整えて行けるからだろう。煩悩、カルマで悪化させてしまうことが多い。仏教では動物は有漏で植物は無漏、煩悩の有無で区分けしている。カルマは生まれつきもっている悪癖のようなもので、誰にも歪み、偏りが有るもので、それが苦の元になってゆく。あるものは無にはできず、転じることで自分を変えてゆくしかないだろう。禅定して煩悩、カルマを空じることでその部分が前に出ないようにすることができる。自然に在る置物のように美感と共に置き位置を変えてみれば味わい深いものに成ってゆく。すべて心の表れで、とらわれが苦をさらに大きくするもので転依して別のものに転ずれば苦が苦でなくなってゆくだろう。覚者は生きずというが、生きようとするほど煩悩、カルマが出てしまうからだろう。油断は禁物で転じただけのものは元に戻ってしまうことが多い。自分を変えたからなどと過信していれば、もうそこには元の煩悩、カルマが出てしまっている場合が多い。有頂天ほど厄介なものは無いだろう。 2020年1月6日 琢
2020年01月06日
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この世に共生していれば快苦はつきもので誰もが四苦八苦に出遭う忍土は厳しいもので楽しいこと、辛いことが同居して思わぬ恩恵も仕組まれて感謝、報恩に向かうことになる自力と思えば過信で他力と思えば甘えが出る自然の摂理は粛々として原因には相応の現実が与えられ修正課題は山ほど抱えることになる分相応の割りきりと見切りが必要で愚かさに完全は無いだろう自分は何と馬鹿な人間だろうと思うことが有る。何をするにも無知で無力な自分を感じ、人と比べれば足らないところばかりで、勉強してもいつもピントが外れている。人それぞれには願いが有って、専念する人、雑念ばかりで絞り切れない人がいて、それぞれの常識の違いがある。この世に共生していれば快苦にとらわれ、誰もが四苦八苦に出遭うことになる。忍土は厳しいもので、だからこそ自分を磨くために生まれてきたのだろう。ときには救いの恩恵が仕組まれていて、感謝するほど報恩に向かうことになり、他の役に立てる自分に成ってゆく。自力と思えば過信で、他力と思えば甘えが出てしまう。心で行為するが、行為には必然の現実が与えられる。良い結果を出したければ修正課題は山ほど抱えることになる。愚かさには完全は無いもので分相応の見切り、割り切りで滅に向かうしかないだろう。 2020年1月5日 琢
2020年01月05日
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運動会の紅組と白組は源平の合戦以来で平家は赤、源氏は白紅白はめでたいもので赤は魔除けに成り汚れなき白を守る古来からの習わしは今も通用している歴史に学ぶことが多く生き様のヒントになっている先人の行いや言葉には人間の本質的な哲学が示され通過点の選択の役に立っている人としての在り方が示されている観自在は自分がどう在るべきかを見ることで、そのヒントは過去に有る。年ごとの歩みをグラフにすれば過去の線上に未来が予測される。時には中果を観れば目標、青写真からそれていることが観えて修正浄化すれば大果に向かうことができる。歴史には世界の過去が示されていてすべての歩みのヒントになっている。今も使われている習わしはその地その地の風土、文化になっていて今の時代にも通用することが多い。古来からの習わしは厳粛なもので血筋の遺伝子だけでなく、その土地、時代の常識にも成って住む人の基盤にも成っている。一族の歩みは家系図に表わされて先祖意識の大切さやその人の信念を形成している。先人の行いや言葉には人間の本質的な哲学が示されていて、多くの人の通過点での選択の役に立っている。迷った時には歴史にヒントが有るもので、それを学ぶことで人としての在り方立を自覚することができる。 2020年1月4日 琢
2020年01月04日
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親しい友の有り難さ孤独感は無く良き縁として自己の向上につながってゆく種は縁と共に開花するように本心の語り合いができる因の転換には必須の縁で相互の成長を歓び信頼と共に和の広がりが生まれる唯物的、刹那的、利己的にならず助け合い、果報の分かち合いができる無私、利他の誠心は愛・菩提心と共に調和されてゆく人生の転換期には必ず友の良き因縁側での関わりに救われるもので、その恩恵で必然の成長を遂げてゆくことになる。親しい友の有り難さは孤独感が無く、いつも相手の立場を認め、理解し合うことから自信になってゆく。自己の向上に関わっているもので、種が縁と共に開花するように、自分を変えてゆく途上にいつも関わっている。お金やものが目的でなく、今だけ良ければの関わりでなく、自分だけの都合の優先をしない。相互の成長を歓び、信頼と共に和の広がりが生まれてゆく。人脈はそこから広がってゆくものでお互いの必要なものの補い合いができてゆく。専門分野のすべてを掘らなくても、誰が何を掘り下げているかを知っていれば、その分野の光になってくれる。助け合いや果報の分かち合いは無私、利他の誠心で愛・菩提心での関わりが調和を生み出してゆくのだろう。 2020年1月3日 琢
2020年01月03日
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煩悩やカルマの抑制は本能的なものも有り至極難しいもので虚しさ、淋しさを伴うもの禅定して空じることで交友に無私、利他の誠心を得るが有るものは無にならず本音と建て前のギャップは少なくしたつもりでも油断すれば元に戻ってしまう歳と共に減退するが悦ばしいことであっても一抹の寂しさを伴うもので出来たことができなくなる寂しさが有る一生学ぶことは無くならない煩悩、カルマが苦を引き出してしまうものだが、煩悩もカルマも誰にも有るもので個性もそこに入っている。四弘誓願・しぐせいがんは救済、煩悩、カルマの抑制、学びと調和、成仏となっていて成仏の邪魔をするものだが有漏は無漏にはできず虚しさ、淋しさを伴うもので至極難しいものだろう。禅定して空じることで菩提心と共に善我を育むことに成るが有るものは無にはならない。どう転じてゆくかが問題で本音と建前のギャップは少なくしたつもりでも油断すれば元に戻ってしまう。それも悦ばしいものだが諸行無常で本能的に有るものが歳と共に減退してゆく様は一抹の寂しさを伴るものだろう。できたことができなくなってゆく淋しさ、体力の衰えは元に戻ることが無い。摩擦を起こすことは少なくなってゆくが交友の継続を計らなければ孤独になってゆく場合が多い。一線から退いて主流から吹き溜まりの循環になってゆくことへの悔いの無い自覚が必要だろう。 2020年1月2日 琢
2020年01月02日
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明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。毎年年初に思うことは、今年はどんな年になるんだろうか、というよりどういう年にしようかで、目立ちたがり屋の自分、そのためにたくさんの失敗を重ねてきたこと、人には牽引する人、それを支える人、ついてゆく人の三つのタイプが有るが、自分の場合は支える側のタイプで、幹事役が向いているような気がする。損な役回りだが太陽より月のように闇夜を照らし、陰の支えになる方が困っている人に喜んでもらう方をうれしく思うところが有る。案の定新年の集いで高橋先生からもらう神理カードは去年まで3年連続で【月の心の菩提心】だった。人には相応の使命が有って、自分は奉仕型で、場の照らしをすること、誰かの役に立って歓んでもらうこと、その支えになって人智を尽くすこと。過去の流れから感じていることは、前に出ちゃいけない人、財も名声も与えられないが餓死はしない、そのための小銭はもっている。人の役に立つ嬉しさ、人と人を繋いでゆくことで人の歓びの顔が見たいこと、そこに本心からの歓びを感じている人が自分だろう。何度も救いの恩恵に恵まれたのは、そのために生かされているということだろう。かたよらず こだわらず とらわれず ひろく ひろく もっとひろく無私、利他の誠心で、誰かの役に立てることを願いつつ、令和二年の課行、戒めとしてブログの勤行を続けさせていただきます。和の国として世界が和するときを願って、阿呆の呟きでも役に立つときがあると信じて参ります。 2019年1月元旦 琢追伸新年の集いは1月19日 大阪国際会議場1月26日 パシフィコ横浜国立大ホール13:00~17:30 神理カード無料配布入場整理券 3000円
2020年01月01日
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