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全く違う基盤と常識のものが集団には混在している秩序とルール、マナーが必要で常識の違いを許容して場に溶け込むこと場の向かう方向に響働すること協調性を必要とし懐を深くして包容力を培うことその中に自分の役を見い出して人の歓びを自分の歓びと自覚すれば摩擦は起こらず悔いも残らず自分の役を果たすことが出来るすべての役に意味が有る家の中だけで育てられてきたものが集団の中に入ることによって、自分中心でないことを知ることになる。家の中だけで学べないものを学ぶことで人は成長してゆく。多くの失敗を重ねながら、自己顕示、自我我欲、自己保存をしてはいけないことが解かって来る。友達ができれば、互いに裏切り行為をしないこと、約束を守ること、常識の違いを超えて何かの目標のために自分を変えてゆく良き縁に成り合うこと、人として本心で関わり合うことの大切さを知るほど進化してゆく。集団には秩序とルール、マナーが必要で、その条件制約の中で場に溶け込むこと、場の向かう方向に響働すること、協調性を必要とすること、懐を深くして包容力を培うことが必要になる。その上で自分にしかできない役を果たすことが出来れば、誉められ、認められて歓びを共有することで嬉しさを感じながら、自分の生き甲斐と感じるようになる。人の歓びの中に自分の歓びを自覚できれば、摩擦は少なくなり、悔いも残らず、自分の居場所で満足な役を果たすことが出来たこと、その充実感と爽やかな心地を思えば、安心を得られ、それがミッションワークだと思えるようになる。この世のすべての役には意味が有ることを知ることになるのだろう。 2017年1月31日 琢
2017年01月31日
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我先の道に譲歩は無く、ゆとりもない無私、利他の誠心は無くぬくもりの無い荒んだ世界になる許容範囲が狭く赦す心が無ければかたより、こだわり、とらわれに執着して大きな病の遠因になる思いやり、気くばり、いたわりの心が場を調和させて雰囲気を良くする感謝は恩恵に湧き出す心で報恩の志が人に使命を気付かせる成功して大金持ちに成ったり、有名になったり、大きな力を得たというときも、途上の通過点だと謙虚な心に成れば、まだまだ先が有ると素直に受け止められて、高慢、傲慢を戒める心が自分を整えさせてくれる。人には妄想や錯覚が多く、迷いを多くする原因になっていることに気が付けば、自分と現実の関わりを知って、自分は変えられても過去のものに成った現実を変えられないことを自覚できる。我先の道に譲歩は無く、ゆとりもないこと。無私や利他の誠心も無いこと。ぬくもりの無い荒んだ世界になってしまうこと。許容範囲が狭く、赦す心が無ければ、かたより、こだわり、とらわれに執着して、大きな病の遠因になってしまうこと。それを自覚できれば自戒を以って、もっと明るい先を探し始めて、自然の摂理に無意味なものが無いことを思えば、自分にも本心から歓べる何か、生き甲斐を感じられる何かを分別できるようになる。思いやり、気くばり、いたわりの心が場を調和させて雰囲気を良くし、そこに自分の居場所を見つけることができる。怒らず、怨まず、憎まずの戒めが摩擦を起こさない自分にさせてくれる。感謝の心は恩恵をありがたく思うときに湧き出してくる心で、報恩の志が他のために役に立つ歓びを生き甲斐と感じさせ、それを自分の使命と自覚させることになる。 2017年1月30日 琢
2017年01月30日
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友との出会いは偶然のようで必然のもの何か仕組まれたもののようで後になってみればそれが解る一人で成り立つものは無く無意味のようでも意味が有る不動を求めればすべての体験が必要であらゆる常識に調和して共に因縁側で整えれば自分の願いへの意志を貫くことが出来る一本の道に迷いはなく悔いの無い道を明るく機嫌良く歩むことが出来る友達は学校や何かの集まりの中で自分が選ぶものと、たまたま同じクラスとか同窓とか偶然一緒になったからとか、何故その人と友達になったかを考える人は少ない。好きな人、気が合う人、何故か向こうから誘われたからとか、それで友ができたと思っているものだが、その友は増えてゆくものの、変わってゆく場合が多く、付き合った時間の長さで親しさが違っている。幼友達とか中高生以来の親友とか固い絆を結んだ縁を思えば因縁側の付き合いが多く、大きな影響を受け合ったものが多い。過去は消えず、友達だった事実、親友になった現実は残されてゆく。今思えばそういう付き合いの縁が有ったから今の自分が有ると考えるようになって、それはやっぱり偶然ではなくユニバース的な必然のものだったと思うようになる。人間は一人で成り立つものでなく、自然の摂理を思えば、すべてに意味が有ってその成長の助けになっている、自分一人で生きているのではないと気付かされてゆく。苦を超えるために必要なもの、自分を変えるために必要なもの、危機が迫ったときに救いの恩恵が仕組まれていたことを知るほど、その恩恵に感謝して敬意を示せるようになる。常識の違うもの同士の付き合いから、自分の常識を押し通すのでなく調和させることで自分が整ってゆくことになる。助け合いあればこそのこの忍土の世で、そこには愛・菩提心が無ければすべてが空しいものに成ってしまう。誰かに褒められ、認められ、役に立つことほどうれしいものは無く、それを生き甲斐にするのが人の歩める道だろう。 2017年1月29日 琢
2017年01月29日
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出会いの衝撃は心深く残り脳裏に焼き付いている仕組まれた縁は関わりを再結させる人の願いは縁を得て芽吹き努力の積み重ねで開花するどんな種も縁が無ければ開花せず因の改良にも縁が関わっている因縁果報は自然の摂理品種改良は原因と結果の法則から発想の転換から新たな因が生まれ開花の願いが成就するときが来る精進あるのみだろう言われてみれば知っていることがたくさんあるが、それが現実と結びついていることを忘れていることが多い。そんなの当たり前の道理じゃないかと分かっていても、実際の歩みに生かされていないことがたくさん有っただろう。知識が有っても身に付いていなければ使うことすらできていないものが多い。痛い目に遭ったり、大きな辱をかいて耐え忍んだ経験が多いほど自己変革の必要を感じて、二度と失敗しない自分に成ろうとする。自分と現実の関わりを知るほど、因・心の転換を求めようとし始める。学校での出会いも仕組まれたものと思うようになり、その縁の大切さが次第に分かってくるようになる。社会に出たときの出会いも、それまでの大切な人との出会いの恩恵が無ければ、どうなっていたか分からないと思うときも有る。夢や希望の成就に必要な縁は、ある意味では必然のもの、仕組まれたものとも思えてくるだろう。一皮剥けた自分、殻を破れた自分に成ろうとすれば、チェックしてみる必要が有る。自分の信念に間違いはないか。過去のとらわれが無いか。既成概念に縛られていないか。責任転嫁で人のせいにして自分を改めることが無かったか。そこには自然の摂理が有り、因縁果報が有る。因の転換、品種改良は原因と結果の法則からで、発想の転換から因の転換をすることで、良き縁と共に開花するときを得ることが出来る。精進あるのみだが、そんなの解かり切ったことだでは済まされないのがこの忍土の世だろう。 2017年1月28日 琢
2017年01月28日
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想像力は必要だが適切なもの、未然に防ぐためのものすべて現実のものでなく本質を観るとき末路を観るとき洞察力になるもの恐れを増長させれば何もできなくなる場の空気を読むとき察しようとするときに必要なもの読みは経験と共に適切で根拠なしの想像は妄想、錯覚になる幻覚は過去のとらわれですべて過去の体験からくるもの迷い、葛藤を誘発するもの空想と現実の見極めから道を歪めないために必要なものだろう未知のものに対する警戒心は本能的なもので、どんなものかの好奇心が有っても知っているものしか安心できない。体験と共に過去の現象に学んでいるのが人間だろう。好きなもの、引き付けるものにはどうしても触れたくなるのが人情だが、それでえらい目に遭った体験はみんな持っているものだが、想像してそっと取り組むしかない。想像力は必要なものだが、適切なもの、未然に防ぐためのもので、すべて未然のものでまだ現象化されていないもの、その本質を観るとき、末路を観るときに使うもので洞察力になるものだろう。恐れを増長させてしまえば何もできなくなってしまう。場の空気を読むときや察しようとするときに必要になる。思いやりや気配りは想像力が適切なときに有効になるものだろう。根拠なしの想像は妄想、錯覚になる。幻覚は過去のとらわれからくるものだろう。すべて過去の体験からくるもので、迷い、葛藤を誘発するものを洞察するためのものだろう。空想と現実の見極めから道を歪めないために絶対に必要なのが想像する力だろう。 2017年1月27日 琢
2017年01月27日
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悟りは一かけらだけのもの出そうとして出るものでなく水泡のようなもの体感に入ったものは智慧として収穫のように並べられるものでなく臨機応変に出てくるもの自覚したことは無限実行自分の歓びは他の歓びの中に有り無私、利他の誠心でなければ本心が出て来ない代償を求めるものでなく押し付け、恩着せのないもの分相応の報恩でいい感謝を表し敬意を示すそこに菩提心が流れている分かったと思っていても間を置けばわからなくなってしまうもの。悟ったつもりが別の局面では通用しなくなっている。そのために自分を変えてゆく、変化の流れをよく読むこと、それについてゆくこと、同じところに留まっていられないのが悟りの道だろう。この世に生き残れるものがあるとすれば、金持ち、物持ちとか有名、著名な人とかでなく、自分を変えられる人だという。これが悟りというものは無く、果たしたつもりがまだ先が有ったというものだろう。水泡のようなものかも知れない。収穫のように並べられるものでなく、体感に入っているものは臨機応変に、適切に出てくるもの、それが智慧だろう。自覚したことは無限実行で、自分の歓びになっているものは他の歓びの中に有り、無私、利他の誠心でなければ本心からの歓びは得られない。代償を求めるものでなく、押し付けるものでも、恩着せをするものでもなく与えっぱなしのもの。自分に仕組み与えられた恩恵には感謝を表し、敬意を示す。この世では順送りで、その報恩は分相応に後進に向けられることが望ましい。根底には菩提心・愛が流れている。 2017年1月25日 琢
2017年01月25日
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心と体のバランスを良くすれば体が利かないときは心で心がダメなときは体で精神が整っていればベッドの上でも救済ができる六根は通常生活に必要なものだが穴を埋め合うことが出来る眼が見えなければ耳が発達し耳がダメなら別の感覚が敏感になる願いが有ればその方向へ器用な人間にはそれができる投げ出したり、諦めたりしなければ這ってでも向かうことが出来る強い意志がそれをさせてくれる常に前に向かうこと逃げ腰や先に言い訳を言ったりではやる気がないと思われても仕方がない。苦手なことや気が向かないことは避けて通りたいのが人情だが、何でもやってみること、挑戦してみることからどんなものかが観えてくる。人が最も怖いのは自信を失うことで、そうなれば信念も無くなって裏道をゆくしかなくなってしまう。表通りを堂々と歩きたいとみんな思っている。夢や希望は表街道に置くもので、それに向かって試練や障碍を越えてゆくのが人の歩みだろう。そのためには心と体のバランスを良くしておくこと。相互に補完できるようにつくられているのが人間で、強い志さえ有ればベッドの上でも人を助けることが出来る。あらゆる情報を受け止めるセンサーのようなものが六根【眼、耳、鼻、舌、身、意】で生きるための必需品でもある。色受想行識で人は深化してゆく。いつも願いの方向に向かいながら歩を進めて、そこで体験すること、学んだことを智慧にしながら転識得智をして、自分が自覚したことを成就しようと歩むのが人生なのだろう。夢や希望の大切さ、願うことで人は前を向いて歩むことが出来る。絶対にしていけないことは、投げやりに成ったり、諦めたりすることだろう。強い気力さえ有れば這ってでも前に向かうことが出来る。強い意志さえ有れば、常に前に進むことが出来る。 2017年1月24日 琢
2017年01月24日
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今有るもの、状況、事態を自分に与えられた縁として大切に受け止める無駄なものは一つも無いと言い聞かせ粗末に扱うことなく学ぶべきものを学ぶ気付くもの、自覚するものが必ず有るものでそこに学ばないものとの差ができる人に助けてもらう前に自助できるものをもつこと無力を痛感するときに別の発想をもたらしてくれる縁の御蔭で将来の自分が有る感謝、報恩を忘れないこと疑問は早く解消して何でも信じることから一歩が始まるが、単なる知識だけで判断していると思わぬ落とし穴にはまってしまうことが多く、なめてかかったり、簡単に取り組もうとしていれば、必ず至らなさを気付かせる試練が訪れる。身の周りに起きる現象は必然だと言われ、天が仕組んだように、至らなさを埋める呼びかけだと思うべき現実を与えられる。今有るものや状況、事態を自分に与えられた縁として、他のせいにして逃げることなく大切に受け止めることから進化が始まる。この世に無駄なものは一つも無いと言い聞かせ、粗末に扱うことなく学ぶべきものを学び、改めるべきを改めておくことのすべてが夢や希望の成就のための準備だと思う方が良いだろう。気付くものや自覚するものが必ずあるはずで、そこに学ばないものとの差ができる。人に助けてもらう前に、自助できる智慧をもつこと。学んだことは忘れないうちに使ってみること、試してみる体験から応用が利くようになり、それが自分を救う智慧になってゆく。無力を痛感するときにこそ別の発想をもたらしてくれる。そこには必ずそれを促してくれる縁になるものがいて、その縁の御蔭で将来の自分が有ると感謝すること、その恩恵に報いようとすることが大切なことだろう。種はそのままでは芽を出さないように、水や土や日の光の縁有ればこそ開花が有るように、泥水の中に綺麗に咲く蓮の花のように、身は汚されようと綺麗な心を保つことが重要なことだろう。 2017年1月23日 琢
2017年01月23日
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魂が求めているものは苦を超えるための智慧何処に転生しても明るさを失わないための共通性その確認のために生まれてくる魂の中に有る含蓄種類の違うカオスへの対応どの転生にも共通する生き方は今を明るく機嫌良く生きること縦軸を整えて、横軸に繫ぐこと摩擦を少なくするということは自己顕示をせずに自然に在ること一匹のありんこのようにただ自分の役を果たすこと人が生き甲斐を感じるときは、誉められ、認められ、役に立っているときで、自分のためには弱く、人のためには強い自分に成れる。誰かの役に立ちたい、助けに成りたいと思う心は誰にも有るもので、それが使命だとも言えるだろう。何のために生まれてきたのか、本心から歓べることは、そのために魂が求めているものは、苦を超えるための智慧を得ること。どこに転生しても、明るさを失わないための共通性、その確認のために生まれてくるということも言えるだろう。魂の中に有る含蓄は意識の蔵に入っているもので、種類の違うカオスへの適切な対応、どの転生にも共通する生き方は、結局は、今を明るく機嫌良く生きることだろう。縦軸・転生中の魂を整えること、横軸へつなぐこと、この二つの使命は共通しているものだろう。摩擦を少なくすること、苦を少なくすること、そのためには自分だけのためでなく無私、利他の誠心であること、自己顕示をせずに自然に在ること。保身などせずに、一匹のありんこのように、ただ自分の役を果たすことしか無いだろう。人の世は 必然の道 天の道 歩むべき道 辿るべくして 2017年1月22日 琢
2017年01月22日
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懐かしいクラスメートとの交信学生の頃を思い出し忘れていた級友たちいろいろなことが出てくる遠い昔のことも記憶に残っている自分は何をしようとしていたのか学習よりも付き合ったときのこと今はみんな職を離れて何を考えているのか忌まわしいことよりも楽しかったこと鮮明さは苦よりも良き思い出の方それぞれ道は違っても縁とその選択の自由が有った人として友としての交友の懐かしさ次の世でも関わりの再結がある卒業までは東京で育ったせいか、大阪では遠くて同窓会にも行くことが出来なかった。成績が悪く存在が薄かったせいも有るかも知れない。一枚の年賀状で首の皮がつながっているような交友でも、再会の話を聞けば、思い出が次第に鮮明になってくる。懐かしいクラスメートとの交友、学生の頃を思い出し、忘れていた級友たち、いろいろなことが出てくる。遠い昔のことも記憶には残っている。自分が何をしようとしていたのかは、学習よりも付き合ったときのことが思い出される。今はみんな職を離れて何を考えているのかを思う。苦しかったこと、悲しかったこと、忌まわしいことよりも楽しかったことの方が、鮮明さは良き思い出として残っている。それぞれ道は違っても自分の歩むべき道を、何のために生まれてきたのか、どんな使命があるのかを模索しながら歩んできたのだろう。「人生とは、問題を追求することでなく、既に有る解答に気が付くことである…ミカエル」というが、玄奘三蔵さんの唯識と共通するものが多い。転生している魂には意識の蔵が有って、潜在意識の中にはすべての転生の意識が入っていて、それを思い出すのが与えられた人生ということになる。人として友としての交友も次の世での関わりの再結の意味も有って、前世からの縁が有ったのかも知れない。 2017年1月21日 琢
2017年01月21日
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法を犯す過ちその可能性をみんな持っている枠を超えることも知らずにまたは知った上でのときがある無意識の違反は学ぶことで修正浄化できるが確信犯の場合はその動機をよく読み正当性の反対側を理解させなければその違反は止まらない何が正しいかはその生い立ち基盤の常識の違いを思えば神仏にしか観えないだろう共生する集団の秩序は自主的に守るしかない理想に向かう判断力は人それぞれだが、人間としての良心に従っているか、止むにやまれぬこれしかなかった選択の正しさを思えば、基盤による常識の違いを考慮する必要が有る。「幸せは我が心に有り」というが、何を以って幸せと感じるかは常識の違いによって全く別物になってしまう。「美は観る人の心に有り」というように、生い立ちや育ち、遺伝子の違いによって心に有る常識が全く違う。懐を深くしてひろい心で受け入れることが望ましいが、法を犯す過ちは誰にもその可能性が有って、常識の枠を超えることもしばしばだろう。気が付かずに犯す過ちと知った上で犯す過ちが有る。全く知らずに犯した過ちは学ぶことで修正浄化ができるが、確信犯の場合は、その意図する動機をよく読んでその正当性の反対側・被害者側の悲惨を理解させなければ、その犯罪は止まらないだろう。何が正しいかは、その生い立ちや基盤の常識の違いを思えば、神仏にしか観えないだろう。心の満足感は人それぞれ違うもので、共生する集団の秩序は、法よりも先に自戒をもつことが大切で、すべて守るべきものは自主性をもって守られるべきだろう。教育、躾の大切さを思うが、倫理道徳などの情操教育は必須の時代に入って来たと感じてしまう。 2017年1月20日 琢
2017年01月20日
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過ちの無い人はいない自分を責めるのではなくその原因を知って正すことすべてが順送りで恩恵への報恩も感謝、謝意と共に救済に向かうことあの世にいるものへの供養も時空を超えて伝わっている神仏は罰せず暗転の因を好転の因に変えて自分を整えればそれをあの世はよろこんでいる今からでも、今を明るく機嫌良く生きることがこの世のものだけでなくあの世のものもよろこんでくれている霊的なことは解明できなくても受け入れている人が多い。物理的には信じられないことも、心のどこかで、そういうことは有るのかも知れないと手を合わせる人が多い。神社仏閣に行けば合掌して願ったり懺悔したり、おみくじや易本を買ったりして未来を占ってもらう人が多い。先のことが解からずに不安を抱えている人が多く、迷いや不安を少なくしたいがために祈る人も多い。誰にも過ちは有るもので、ただ自分を責めるのではなく、その原因を知って自分を正すことが基本になっている。救われた体験は誰にも有って、その感謝の念は報恩によって悔いを残さないように心掛けている人が多い。報恩はすべてが順送りで、恩恵への感謝や謝意は他のための救済に向けることが基本になっている。自分が正しい生き方をしてミッションワークに就けば、あの世の霊の供養にもなって時空を超えて伝わっていると言う。神仏は罰せずと言われ、閻魔大王も実は自分だと言う説も有る。惨憺たる現実も、そう導いた心の因を変えれば好転に向かうこともできる。自分を調和するものに整えてゆくことで、自覚したことへの挑戦をあの世の霊もよろこんでくれていると言う。今からでも遅くはない、思い立ったが吉日という言葉もよく使われている。気が付いた時からすべてが始まるのだろう。 2017年1月19日 琢
2017年01月19日
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秩序はマナーの向上から秩序は義務でもマナーは躾と品から子供の教育、躾の大切さ明るさ、心地良さは内面から出るもの余計は迷いを少なくして互いに信じ合うことから心が調和されて整ってくる履物を揃えると気分が良く義務や処罰の前にマナーが場の雰囲気を良くするセンスの良さも垣間見られ姿勢が良くなってくるその背中がお手本になる育ちの良さはにじみ出てくるもので、真似のできないものが多く、その人の気品になっている。人の生まれ育ちは三つの「ち」の影響を強く受けるもので、遺伝子の中に有るものが醸し出すのだろう。躾は地域によって違うが、人しての良心はどこも同じものが有るのだろう。人の原点はそのへんに有って、歩む内に個人差が出てくるのがマナーのもち方だろう。秩序とか法律は國や社会で人がつくり出したものだが、自主的に現れてくるものがマナーやセンスの良さだろう。秩序はマナーの向上からで、秩序は義務付けられたものだが、マナーは品から出てくるものだろう。子供の頃からの教育やしつけの大切さを思うが、明るさや心地の良さは内面から出てくるもので、余計な迷いを少なくして、何も考えなくても互いに信じ合うことから、心が調和されて整ったものに成ってくる。履物を揃えることを毎日心掛けていれば、気分が良く、心がしっかりしてくる。義務付けや処罰の前にマナーが場の雰囲気を良くするもので、センスの良さも垣間見られ、自然に場の品の良さが現れてきて、姿勢も良くなってくるだろう。その背中がお手本になるもので、良いことは観て倣うことが大切だろう。 2017年1月18日 琢
2017年01月18日
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怒りの感情を抑え自分のこだわりに意地を張らず相手のこだわりを赦す心へ過去の不遇を恨まず人を羨まず、憎まず感情の動きを眠らせる相手の身になって素直に受け止めその見解を聴くこと現実に起きたことに謙虚に適切に対応すれば想像上の誤解は少なくなる和を大切に、場の雰囲気を読み良い言葉、誉める言葉、感謝の言葉で適切な対応をすること怒らず、怨まず、憎まずに思い違いや誤解は誰にもよくあることで、自分がしていたり、されていたりだが、それがネックになって印象が悪いのが原因で本当の相手を見誤っている場合が多い。中道を心掛けていても、生い立ちや育ちの基盤からくる常識の違いを受け止めきれず、正見、正思惟ができていない場合が多い。瞬間に動いてしまう感情の抑制は難しいもので、自分のこだわりに意地を張らず、相手のこだわりを赦すことの自戒と共に、過去の不遇を恨まず、人を羨まず、憎まずに感情の動きを眠らせるくらいが丁度良いのだろう。相手の身になって素直になり、その見解を良く聴くこと。現実に起きたことには、謙虚に善意で対応すれば、想像上の誤解は少なくなる。和を大切に場の雰囲気を良く読んで、良い言葉、誉める言葉、感謝の言葉を使うように心掛けておくことが大切だろう。批判的、否定的にならず、前向きな姿勢を崩さずに素直な心で適切に対応することが重要なことだろう。怒らず 怨まず 憎まず 今を明るく機嫌良く生きること 2017年1月17日 琢
2017年01月17日
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できることとやることの違いその外側は全くできないことできるのにやらない言い訳やる気が有れば外側にもできることは有るできない事情と釈明を並べても空しく自分を見捨てるしかない活路を拓く意思が有ればその準備ができる準備を確実に実践すれば道は絞られて活路は観えてくるその恩恵と縁にも恵まれて白い道が浮かび上がってくる強いやる意志が先を好転させる人にはやってやれないことはない能力が備わっている。願いの成就は程遠く見えても、着実にその準備を重ねる努力をすれば、多くの挑戦に失敗してもその原因を修正するたびに目標が近くなってゆく。投げ出したり、諦めたりしなければ、いつか必ず道が開けてくるようになっている。どんな障碍も試練でも、そこに自分の弱点と強い意志が有るかを試されているものと、自分を整えるための呼びかけが仕組まれているのだと思えば、そこで諦めてしまうわけにはゆかないだろう。この世にはできることとやることの違いが有り、その外側は全くできないことが有る。できるのにやらない言い訳は自分を惨めにさせ、やる気が有れば外側にもできることが有ることを体験できることを知る。できない事情と釈明をいくら並べても、空しく自分を見捨てるしかないだろう。活路を拓く意志さえあれば、その準備ができて、準備を確実に実践すれば、道は絞られて活路が観えてくる。その恩恵と縁にも恵まれて求めた道が白く浮かび上がってくるだろう。人は気でもっているもので、気力、強いやる意志が先を好転させるのだろう。 2017年1月16日 琢
2017年01月16日
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天の声、魂からの声究極のときに聞こえてくる声生きようとするとき救いになる的確なものゆとりや余裕のある時には聞こえず人生を変えてしまう指針心と智慧を振り絞るように研ぎ澄ますとき仕組まれるものが有る成り行きの運命を逆転するようなもの本心で真剣に生きようとするとき人はその声を聴きその道をゆく迷いはなくそれしかない道その先にミッションワークが観えてくる今を明るく機嫌良く生きること自分の向かうべき道がどれか分からず、あっちもこっちも手を付けてみるがどれもしっくりこないもので、何をどうすれば良いかが観えず、今与えられている条件制約の中では何もできないと思っている人が多い。思い悩み、邪気を起こさず、身を正すことしか他に方法は無く、悩みに悩んだ時に生死を分けるようなことが起きたときに聞こえてくる声のことを天の声が聞こえてきたと言ったりするが、何か別の時限から聞こえてきたような感じでザ、サードマンからの声のように思うが、実は自分の魂からの、守護指導霊が促すような声なのだろう。生きようとするときに救いになる的確なもの、ゆとりや余裕が有ったり甘さが有るときには聞こえて来ず、人生を変えてしまうような指針になるもの、心と智慧を振り絞って研ぎ澄ますときにしか聞こえてこない声には、仕組まれたものが有る。それまでの延長で与えられる運命を逆転するようなものが聞こえるときが有る。本心で真剣に生きようとするとき、人はその声を聴き、その道をゆく。迷いはなく、それしかないと信じ切れる道。その先にはミッションワークの道が観えてくる。自分の歩むべき道はこれだと自覚できた時、今を明るく機嫌良く生きることが出来ている。 2017年1月15日 琢
2017年01月15日
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いつかその日はやって来る望まぬ日も待ちわびた日も死ぬ日でさえも時と共にやって来る時が止まったような長いときもあっという間に過ぎる歓びのときも通過点として過ぎ去ってゆく余韻と反省点を残して次の時限に変わってゆく意識の奥に何かを残して悪いものを出し切って光転に向かって時は流れてゆく望むことも望まぬことも仕組まれた必然の縁として魂を調和させて整えてゆく遠足が嬉しくて、楽しくて待ちわびた頃も有ったが、来て欲しくないことが来てしまったことも多かった。あっという間に過ぎる時間、長くてうんざりする苦痛の時間、同じ空間のものでも心の有り方次第て、時の感じ方が違う。生れた以上いつか死ぬときもやってくる。すべてが時と共にやってくる。止まったようなときも、あっと言う間に過ぎ去る歓びの日も、通過点として過ぎ去ってゆく。そこで何を学ぶか、どんな収穫を得るか、感謝、反省、敬意を以ってどう対応したかの足跡は残されてゆく。余韻と反省点を残して次の時限に変わってゆく。意識の奥に何かを残して、悪いものを出し切らせながら、光転に向かって時は流れてゆく。絶望のときも通過点には有っただろう。嗚咽して泣明かす人もたくさんいるだろう。無上の歓びに浸った人もいるだろう。望むことも望まぬことも、仕組まれた必然の縁として時と共に人を変えてゆく。そういうときを刻みながら人は調和した自分に成り、整えてゆくのだろう。人は自分の意志で自分を変えてゆく。今の幸せが明日有るかの保証が無くても、多くの苦を超えて未来を変えることも運命を逆転させることも、すべて自分の強い意志によるものだろう。 2017年1月14日 琢
2017年01月14日
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人の決断は同志、仲間、親友であっても柔軟に受け止めることある結論に誘導するには根回しが必要で事前での妥協、譲歩も必要になる見解を聴くこと常識の違いを埋めること人は納得して和が生まれなければ孤立しても意地を通そうとする信念にぶれが無いことその根拠をもっていること日頃の背中を見てもらっていること共通する目的が有ることその上で共有し合い、響働すれば深い絆で結ばれるどうでもよいときでなく、ここぞのときにその人の真価が問われる。人生を左右するようなきわどいときに何故か恩恵が仕組まれていて救われたことのある人が結構いるだろう。研ぎ澄まして真剣に取り組むときほど、何か必然としか言いようのない現実が訪れることが多い。人の決断したことは、たとえ同志、仲間、親友であっても、柔軟に受け止める必要が有る。ある結論に誘導するには相応の根回しが必要で、相手の見解を良く聴くこと、基盤による常識の違いを埋めておくことも大切なことだろう。事前での妥協や譲歩も必要と思えば,懐を広くしてやってみる価値がある。人は納得して和が生まれなければ、孤立しても意地を通そうとするだろう。そういうときほど信念にぶれが無いこと、その根拠をもっていることが必須のことだろう。それと日頃の行い、姿勢など、その背中を見てもらっていることが大切なことだろう。人の信頼は永い積み重ねの上に成り立っているもので、共感したり、共通点があることに対しては支援を戴くことが多く、その恩恵に報いようとする心が、さらに強い友情を結ぶことになる。その上で共有し合い、響働することが出来れば、そこには命を懸けても惜しくはないと思うほどの深い絆が結ばれることになる。そういう縁、幸運をつかむかどうかも自分の実力の内だろう。 2017年1月13日 琢
2017年01月13日
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ここぞと言うときの腹芸も準備と布石が必要で相手の決断に委ねることも他に安心を与える必要が有るときには無私、利他の誠心で有ること 必ずしも思い通りになるとは限らず末路も視野に冷静であること1%の確率でも信じることでその可能性は高くなる願ったことは実現すると信じること人の安定感は信頼に変わる人間の可能性は、信じなければ開かない扉を幾重にも通り抜けた先に有る先ず自分を信じること相手を信じることからすべてが始まる警戒心は誰にも有るものだが、恐怖感や痛い目に遭った経験が警戒心を湧き出させるが、人はデカルトの言うように方法的懐疑で、どんなものも一応は疑ってみることで警戒心を解いてゆくのが常になっている。それが進歩の妨げになる場合も多く、その器の大きさが可能性を左右する場合も多い。はったりの必要なときも有って、ここ一番のときの腹芸も時には必要になる時が有る。日ごろの努力はそういうときのための準備、布石になる場合が多く、相手の決断に委ねなければならないときも有る。他に安心を与える必要が有るときは、無私、利他の誠心が必要だが、必ずしも思い通りになるとは限らない。末路、最悪のシナリオも視野に運を天に任せるときも有るだろう。冷静になれる自分であること。1%の確率でも信じることでその確率は高くなる。願ったことは実現すると信じ切ることが必要だろう。「人間の可能性は、信じなければ開かない扉を、幾重にも通り抜けた先に有る」の通り、先ず自分を信じ、相手を信じること、心を開くこと、本心で関わることから可能性のすべてが始まるのだろう。 2017年1月12日 琢
2017年01月12日
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挑戦するところに何らかの収穫が有る失敗でもその原因が分かるどんなものかの概要も分かる克服の目安が観えてくるどんなことでもやってみなければ可能性が観えず賢く何もしなければ傷つくことはないが悔いだけが残って信念の確認ができない心の敗北感は気力を失わせ足跡の残らない妄想の世界に入る妄想、錯覚、幻覚に怯え結果未生の迷いの世界になってしまう忘却、喪失、無知から始める人生では、成長の過程で学んで知ることと潜在的に魂の中に入っているものを思い出すことで、自分が何のために生まれてきて何を果たすべきかの自覚ができること。そうして迷いや葛藤を少なくして本心から湧き出すものが何かを見つけ出してそれに専念することだろう。そのためにどんなことでもやってみること。やってみなければ何も見えて来ないこと。挑戦するところに何らかの収穫を得ることが出来る。失敗でもその原因が分かり、どんなものかの概要も分かってくる。克服の目安が観えてくる。どんなことでもやってみなければ可能性が観えて来ず、失敗や恥を恐れて賢く何もしなければ、傷つくことはないが悔いがいっぱい残ってしまう。自分の掲げた信念の確認もできないだろう。心の敗北感は気力を失わせて、足跡の残らない妄想の世界に入ってしまう。妄想、錯覚、幻覚に怯え、何もかもが結果未生の想像だけの世界に入れば、自分の無力、愚かさ、未熟さえ知ることなく、六道輪廻を繰り返すことになってしまうだろう。果てしなく 険しく続く 天の道 受容してなほ 見えぬ道のり 2017年1月11日 琢
2017年01月11日
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やさしさの前では心が和やかになりその優しさを受け入れるかわいいものを見れば顔が弛んでやさしい心になれる子供は敏感でやさしさを見分ける力をもっている歳と共に邪気が無くなれば小鳥や子供が寄って来る殺気は警戒心を煽り素直でいられなくなるすべて善意で受け止めれば率直な対応ができて和を結ぶきっかけができる良い言葉、誉める言葉、感謝の言葉は場の雰囲気を和らげる多くの人が集まった和やかな場も、大きな怒声や音で一瞬硬直してその雰囲気が壊れてしまう。場の雰囲気を平気で壊してしまうことをする人は、他人に恐怖感を与えて寄り付く人がいなくなってしまう。孤独や孤立の原因になって淋しいときを過ごすことが多くなり、人のせいにして改めることが無ければ、被害者意識がその人を破壊してしまう。赦す心とやさしい心に成れるように心掛けて事に当たることの大切さは、苦労した人ほど必須のことと思うようになる。人はやさしさの前には心を開くことが出来て和やかになって、その優しさを受け入れる。可愛いものを見れば顔が弛んでやさしい心になっている。子供は敏感で、やさしさを見分ける力をもっている。人は歳と共に邪気や野望が少なくなってくるが、そうなれた時には子供や小鳥さえ寄って来るようになる。殺気は警戒心を煽り、素直な心を硬直させてしまう。自分がすべてを善意で受け止めて、批判的、否定的にならなければ、どんなカオスにも率直で的確な対応ができるようになる。場の雰囲気を和らげ、和やかにするのは、良い言葉、誉める言葉、感謝の言葉を多くして、刺激的、否定的、批判的な言葉を使わないような心掛けが必要だろう。 2017年1月10日 琢
2017年01月10日
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人として共生するとき良心に従って真実か、公平かみんなのためになるか友情をはぐくむかこの心掛けを裏切らないこと苦を分かち合い、楽を共にする自分だけむさぼることなく無私、利他の誠心で唯物的、刹那的、利己的にならず他の役に立つ自分に成ること他の歓びの中に自分の歓びが有る悔いを残さないように自戒して共生することが誰にも共通する使命だろう最近の荒んだ事件を見ていると身勝手な犯罪が多く、人としてどんな境遇に育ったのかと思ってしまう。一個の人間としてだけでなく、国や団体までその常識を疑うような出来事が頻発している。昔は天罰が下りるぞとか言ってその戒めを促してきたが、教育のやり直しが必要だと思ってしまうほど厳しい現実がこの地上に発生し、その上に自然現象の変化がたくさん起こっている。少なくも、人として共生するときは良心に従って、真実か、公平化、みんなのためになるか、友情をはぐくむかを考えて、それを裏切るようなことをしないことが人間としての義務であると思うことが必要だろう。苦を分かち合い、楽を共にするのが基本で、自分だけむさぼらないように、無私、利他の誠心で対応すること。唯物的、刹那的、利己的にならないように、他の役に立つ自分に成ることを心掛けること。他の歓びの中に自分の嬉しさが有って、それが自分の歓びになっていることに留意すること。悔いを残すことが無いように自戒しながら共生することが常識だと思うこと。それが誰にも共通する人としての使命だろう。 2017年1月9日 琢
2017年01月09日
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分岐点の選択その意志決定は心でするがその根拠になるものが魂魂は心のもっと奥に有るもの覚悟の根拠になる潜在意識の蔵永い転生のわきまえが第八識の中に入っている人の歩みはその確認と共通するものの気付きで無知から始める歩みと共に思い出してゆく自分が何のために生まれてきたのか何をするべきかの自覚ができれば迷いが無くなってゆくその全貌を観ているのが菩薩、如来だろう人間て何とちっぽけなものだろう。それなのに何と大きなことが出来るんだろう。その歴史を知るたびに、自分は何のために生まれてきて、何をするようになっているかを思ってしまう。無能、無力、怠け者、その塊が自分で、何をやっても思うような果報を得られなかった愚かな自分だが、大病も初期の処置で切り抜けさせていただいて、この抜け殻のような自分に何の役が残っているんだろうと思う反面、生かされている恩恵に応えなければと思う心が有る。人の分岐点での選択とその意志決定は心でしているが、その根拠になるものが心のもっと奥に有る魂だと言う。魂の中には意識の蔵が有って、そこには永い転生のわきまえが潜在していると言う。その魂の願いは、魂の修復と成長、関わりの再結、できなかった願いの成就、内と外への照らしだと言う。その願いを自覚して果たすのが与えられた人生で、人の歩みはその確認と共通するものの気付きを得るためだろう。無知から始める歩みと共にそれを思い出してゆくことと自分の使命と自覚して果たしてゆくことで、何のために生まれてきたのか、何をするためのものかの疑問が消えてゆくことで迷わず不動の境地に至るのだろう。その全貌を観ているのが菩薩、如来なのだろう。多くの人々に仕組みを与え救済を行ってくれている。その恩恵に報いることが出来ればと願う。 2017年1月8日 琢
2017年01月08日
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人の表情にはその心境が表われている苦しみ、悲しみ、怒り、歓びも幸不幸も、満足か不満かも在心のすべてが顔は正直なもので心眼で観れば隠せないものが有る顔は心の鏡に様なもので会話を交わせばその原因も分かる明るい表情に問題は少なく暗い表情には明るくなる材料を提供して菩提心で関わることで人の歓びが自分の歓びになっているそれが自分の使命と感じるときが有る人の使命には基盤によるもの、一族や同郷の人々から期待されていることに応えること、魂の中に有る潜在的な願いを果たすことの二通りが有って、他の照らしになると言う意味では一つだろう。そのための夢や希望を掲げて日々の努力を積み重ねてゆくのが人生で、良き縁と共に魂の修復と成長、できなかった願いの成就に向かい、それが他の照らしになることに気が付くことだろう。人の表情にはその心境が表われているもので、苦しみ、悲しみ、怒り、歓びや、幸不幸も、満足か不満かも在心のすべてを読み取ることが出来る。顔は正直なもので、心眼で観れば隠せないものが有る。その上で会話を交わせばその原因も観えてくる。明るい表情に問題は少ないが、そうもいっていられない暗い表情には、明るくなる材料を提供し、菩提心と共に関わることで他が歓んでくれれば嬉しくなってもっとして差し上げたくなってしまう自分がいる。自分が人さまのお役に立っていてそれが救いになっていれば、それが自分の歓びだったと気が付けば、それが自分の使命だったのかも知れないと、自分の生まれてきた意味がおぼろげに見えてくるだろう。 2017年1月7日 琢
2017年01月07日
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夫婦は元はあかの他人だが子が生まれ家庭ができれば目的や都合が同じものに成る信じ合えるものそのために強く成れる死ぬこともできる損得勘定が無く二見のとらわれから抜け出せる仕事に没頭できる状態から手ごたえを感じさせる無私、利他の思いやり、気くばりで代償の必要が無く押し付けや恩着せの必要もないそれが恩恵への報恩にもなっている守るものが有る幸せを感じることが出来る守るものが全く無ければ孤独感、孤立感と共に忘れ去られた存在になって、何んとも空しいときを刻むことになってしまう。人間の可能性は、信じなければ開かない扉を幾重にも通り抜けた先に有ると言うくらい、信じ合って何かに挑戦するところに先が拓かれてくる。一人ものから結婚して子供ができて家庭という一つの核ができれば、そこに張りができて強く成れるようになる。時には命を懸けて守ろうとする。損得勘定が無くなり、二見【勝った負けた、プラスマイナスなどを優先する見方】のとらわれから次第に解放されてゆく。仕事にも没頭できるようになって、耐え忍ぶこともできる。手ごたえを感じられ、無私、利他の思いやりや気配りができて利己的にならず、代償の必要が無く、押し付けや恩着せの必要も感じなくなる。人のための役に立っていることの充実感、嬉しさと同時に歓びが深い愛に変わってゆく。その布施、奉仕の心が、恩恵への報恩にもなり、徳積みにもなっている。守るものが有ることへの幸せな感覚を感じるときはそういうときだろう。使命の一つを体験させていただいた感じ、ミッションワークに就いている感じ、その手ごたえが信念を確信に変えさせてくれるのだろう。 2017年1月6日 琢
2017年01月06日
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人の世に生を受けて何のために働くかを思えばどんな専門分野を掘り進めるにも人の歓びになるためのもの心の安定なしに前に進めず信じることでしか得られないものそれが自分の歓びになっている願いはそれに関するもので本心からの自覚が迷いを打ち消して一心不乱になり切れる信じることで障碍や試練を超えられる信じなければすべてが無意味に感じ人は信じることで絆を深く結び迷わずに歩むことが出来るこの世は確かに厳しい苦の元に成ることばかりに遭遇する忍土の世だが、人の深化はそれだからこその智慧を得る場でもある。苦を超えた経験が多いほど自覚できることも多く、誰にも共通する根源の魂の修業の場なのだろう。何転生かで得た潜在意識の智慧の確認のためとも言えるかも知れない。その人の世に生を受けて、何のために働くかを思えば、どんな専門分野を掘り進めるにも、人の歓びになるためのもの、信仰と共に文化、文明の発達によるもの、心の安定なしに前に進むことはできない。そのために人は夢や希望の願いを心に描く。本心からの願いは、点滴石を穿つように、その自覚が強いほどいつか必ず実現するときが来るもので、その信念が強くはたらくほど迷いを打ち消して一心不乱の状態になっている自分がいる。信じ切ることで障碍や試練を乗り越えられ、信じなければ一つの扉を開くこともできないだろう。人は信じることで絆を深く結び、その恩恵で一人では難しいもの、自分の枠を超えたものでさえ実現させることが出来て、その無邪気な歩みの中には全く迷いはないだろう。そこに偶然は無く、すべてが必然のものだったことに気が付くときが来るのだろう。人の世は 必然の道 天の道 歩むべき道 辿るべくして 2017年1月4日 琢
2017年01月04日
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有言実行は卒業するまでで誉められたことが無く社会に出れば野望のために突進身の程を知るときが挫折のとき世の流れを読むことなく一人の無力を痛感し失敗の山で絶望相手の心境を読むもその願いが読めず過去の悲惨を思えば何のために生まれてきたかを考え本心の歓びが何かを考えるようになる多くの人の通る道その過程に共通するものを自覚する前向きに歩みながら転んでは起きて、やっと歩けるようになるのが人間だろう。何かに向けてまっすぐに歩くには夢や希望、理想が必要で、その成就のためにたくさんの勉強をしながら、手探りで歩み、成人に成れば自分に責任をもちながら、与えられた条件、制約の中で自己実現を目指すのが人生だろう。その夢や希望の実現のために専門分野を掘り進めることになり、手に職をもつことから、家族を養うことが出来るようになる。掲げた目標を達成するのは人それぞれのやり方で、有言実行は自分の場合は卒業するまでだった。誉められたことが無く、社会に出れば、未熟以前の未熟で、野望のために突進し、身の程を知るときは挫折のときだった。世の流れを読むことなく、無謀な挑戦には誰の助けも無く、一人の無力を痛感したものだった。孤立、孤独の恐ろしさを身をもって体験することになる。多くの失敗の山で絶望を味わうことになる。明運力のはたらくときはいいが、暗運力がはたらき始めれば、重経緯、悪循環、悪縁起、低活力、急暗転の順に末路がやってくる。相手の心境を読むも、その願いが読めず、何がなんだが分からなくなってしまう。自分の無知を知ろうと思えば、歩んだ過去・現象・現実から学べと言うことだろう。過去の悲惨を思えば、何のために生まれてきたかを考え、虚構を捨てて、本心からの歓びが何かを考えるようになる。円環的思考はいつも続くもので、迷い、葛藤の歩みは多くの人の通る道だろう。その過程に共通するもの、縁有るものを見つけ出せば、そこに自分の本当の願いの自覚ができるようになる。人の世は 必然の道 天の道 歩むべき道 辿るべくして 2017年1月3日 琢
2017年01月03日
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気を新たに自覚できたもののために欲張らずに人知れず何かの役を果たす本心からの歓びのために無私、利他の誠心で爽やかな時を刻む気負うことなく我が道をゆく人前に立たないように闇を照らし場の支えになること他が元気になるようにそれが自分の使命と思いただ報恩に向かうこと今自分にできることをする元旦に今年の自分を思えば、過去の延長からこれからの自分のあるべき姿を求めてゆくことだろうと思った。自分に与えられた現実は、この世はそう甘くないことを自覚しなさい。お前には財も名声も与えないが餓死はさせない。その条件制約の中で自分の道を探しなさい。そう聞こえてきたような気がしてならなかったことを思い出す。自分が無能で分相応の果報を戴いたような現実を思えば、言い訳や釈明は無用で、何のために生まれてきたのかを思えば、太陽か月のどちらかは歴然としていて、月の役が自分に似合っているように思う。気を新たに、自覚できたもののために、欲張らず、人知れず何かの役に立つ自分であること。本心からの歓びを思えば、誰かが歓びの恩恵を受けたときに嬉しい自分がいて、それが自分の歓びだったと思う。無私、利他の誠心で、爽やかな時を刻むことがこれからの自分のあるべき姿だと思う。気負うことなく、我が道をゆくこと。人前に立たないように、闇を照らし、場の支えになっている自分を思えば、やっぱり月のような役を果たすことしか無いだろう。他が元気になるように、それが自分の使命と肝に銘じて、今まで生かされてきた恩恵の報恩に向かうことを心掛けること。今自分にできることをすること。「奇跡のリンゴ」の映画を見て確信したことは、自然の摂理に沿って生きれば良いことだった。掲げてきた来た「浩然の気」・宇宙大自然と一体化する心境・のびのびと安らかな心境、これに間違いはなく、一匹のありんこのように、タンポポのように、ただ自分の役を果たすことなのだろう。悟らんと 重ねた無駄も 気が付けば あれも我が道 これも我が道 2017年1月2日 琢
2017年01月02日
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