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本当の絶望に直面するとき 道を変えろと言われているようで 全く違う生き方も出来る 自他が認めるときで それまでのとらわれから醒めるとき 新たな光りを求めるか 闇にあがき続けるか ある意味での解放感も有る 今までの苦しみから解放されるときで 大凶はそれ以下が無く 這い上がるのみと思い 心機一転の呼びかけでも有る 生きる責任、使命感を強くして 自分にしか見えないかすかな光に向かう 自主主導権奪回のときだろう 人は大きな試練を受けてそれまでのすべてを失うような絶望を感じたときは、もうだめだ神に見捨てられたと意気消沈して苦衰退の卑下者になって拗ねてしまい、神も仏もあるものかと闇に押しつぶされそうになるものだが、良く見ればかすかな光も見えるはずで、悲劇のヒーローに酔いつぶれてしまうか、光に向かうかの分かれ道に遭遇するときも有るだろう。孟子のピンチはチャンスという考え方では、”天はその人にやること為すことすべて失敗せしめ何ごとも思い通りにさせず、気力をもそぎ落とさせるような試練を与えるものだが、そこから奮起して強靭な精神力を養わせて偉大なことをさせようとするものだ”と言い、逆に言えばそのときが道を開くチャンスだと思うことを進めているのだろう。本当の絶望に直面するとき、道を変えてみろと言われているようで、全く違う生き方も出来るもので、それまでのとらわれから覚めるときでも有り、新たな光りを求めるか、闇にのまれ続けるか、有る意味では解放感もあるもので、今までの苦しみから解放されるときで、全く発想を転換して、大凶はそれ以下が無く、あとは這い上がるのみと思い、そのどん底にいる周りの今まで見下してきた人たちの様相をよく心に焼き付けて、その気持ちを良く知ることから心機一転の呼びかけだと思えば、一皮剥けた自分に成って、生きる責任や使命感を強くして自分にしか見えない光に向かえば、自主主導権の奪回が出来るだろう。人生に必ず訪れるピンチも発想の転換でチャンスに変えることが出来るということの教えなのだろう。 2013年1月31日 琢
2013年01月31日
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人の心のバランスには 恒常性が有って 上下のリズムを整えている 下降線の体調には慌てることなく 薬剤の投与で改善しなくても 自然治癒力が有る 薬がそのバランスを崩すことも有る 普段から保健に努め 心を安定させておけば 時と共に調子が良くなる 間違った心を持たなければ 体調も整って 機嫌良く成れる 笑顔はそのすべての現われだろう 心が体や表情に表れる 医師たちは多くの患者に接していてその治療に当たっているが、部分的な治療をしていても病の元に成るものが心から発したものだと気が付いていて、結局は"病は気から"を認めている。外から入って来る黴菌も有るがそれをやっつけるのも気が主体で、体力や気力の弱いときには科学的な治療を要するが、人の心と体のバランスには、恒常性が有って反れても戻す力を持っているもので、上下のリズムを整えている。下降線の体調には慌てることなく、薬剤の投与で改善しなくても自然治癒力を持っているもので、部分的に効果を表す薬剤が全体のバランスを崩してしまうことも有る。自分を信じ、普段から保健に努め、心を安定させておけば時と共に調子は上がって来る。創造主・サムシンググレイトは人間の体をうまくつくっていて、必要なときに必要な機能が自動的に働くようにつくっている。間違った心さえもたなければ体調も整って機嫌良くしていられるもので、樹木の年輪と同じく歪んだときには何か普段と違うことが起きたときだろう。心の奥には魂が有って、生まれてからつくり上げてきたものと前世や先祖から持ってきた遺伝子のようなものが胎蔵されていて、それが体や表情にまで表れるもので、笑顔がそのすべての現われで"笑う門には福来る"といわれるように病や暗運を遠ざける力が有るのだろう。自然治癒力を最も良く働かせるものが"笑顔"で機嫌良くしていれば黙っていても噴出して来るものだろう。筑波大の遺伝子工学の権威の村上先生も、声に出して笑っていれば、がんや糖尿病を抑えるスイッチをオンに出来てそのような病気にも成らない、と言っている。 やじろべえ 傾きつつも 整えつ 人の歩みも かくてあるらむ 2013年1月30日 琢
2013年01月30日
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我儘は 利己的なこと 自力のようで 他に遠慮させて その道を変えさせるもの 子供なら可愛いが 社会人になれば 他の機能を抑え運命さえ変えることも 責任の取りようも無く 他を犠牲にしてしまう その恐ろしさに気が付いていない状態で 他と分かち合い牽引する力 全責任を負う力が有れば良いが 単に自分だけが食べるためであれば 地獄行きに成ってしまう お地蔵さん、閻魔さんはそれを観ている 社会に入れば、始めは大人しくするしかなく遠慮気味の自分でいるが、慣れてきたり、仲間が出来て来れば、自分を発揮しやすくなって、遠慮して出した意見が通り始めると、次第に自分の陣地を広げようとしながら横暴になってゆくのが自己顕示の表し方だろう。人にはよくそういう部分が見られるもので、自分にもそれが有ると思うが戒めておかなければ、思いやり気配りを忘れて自我我欲を出してしまい、終いには嫌われ者になってしまう場合が多い。我儘は、利己的なことで、自力のように思いがちだが、その分他に遠慮をさせて、その道を変えさせてしまっていることも有って、子供なら可愛いものでも社会人に成れば、他の良い機能まで抑えてしまい、運命さえ変えさせてしまっていて責任の取りようも無く他を犠牲煮にしてしまっている場合が多い。責任逃れをしてその恐ろしさに気が付いていない状態を続けてしまい、自分だけの満足や気休めをやっていればそれこそ地獄行きに成ってしまうだろう。他と分かち合い、全責任を負う力が有れば良いが、大概は刹那的なもので場の状況が悪くなれば知らぬ存ぜぬで逃げてしまう場合が多く、昔からそのようなことの無いように"お地蔵さんが、閻魔さんが観ているよ"と人の業を嗜めている。 悟らんと 重ねた無駄も 気が付けば あれも我が道 これも我が道 2013年1月29日 琢
2013年01月29日
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葛藤は無くならない 家庭のこと 友人のこと 仕事のこと 健康のこと 何か不安材料が有れば 危機感は倍増する 覚悟が出来ていても 避けたいのが人情で 長時間の忍耐を必要とする 感情と考えを理性で抑え 心を外に出さないようにしても 表情に出てしまう未熟を抱え 自分を責める葛藤は続く 転依はそんなときに有効なのだろう 迷いが多く、選択肢を絞りきれないときに悟りを得たいと思うが、勉強不足や経験不足の自分をすっきりさせたくて自分を高めるための悟りを得ようとするものだが、その悟りそのものが迷いの塊を知ることで、悟ったという人ほど迷いの真っ最中だということだと言う。迷いは葛藤を多くさせ、家庭のこと、友人のこと、仕事のこと、健康のことにはいつも不安材料がいっぱいで危機感を倍増させている。最悪の覚悟を決めたつもりでも避けたいのが人情で、自分の願いを投げ出そうか、捨てようか、諦めようかとも考えてしまうが、そうなれば敗北を認めることで自分を許せなくなってしまう。ストレスはそういう葛藤からが多く、自分を責め出せば切りが無く神経症の原因をつくってしまう。じっと耐えて待つこと、冷静に感情を抑えて理性的に成ること、とらわれている自分を客観視しながら最善の努力を怠らないこと、未熟を表情に出さず、長時間耐え抜く覚悟で別の発想をしてみることも必要だろう。気分転換でまるっきりチャンネルを変えて神社仏閣に行ったり海や山に行くのも心だけでなく体にも良いことだろう。転依はそんなときに有効なのだろう。 2013年1月28日 琢
2013年01月28日
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紅葉が美しくなれば 四季の変わり目のとき 秋から冬に向かい 枯葉を見れば 自分の歳を思う 気温の変化に 順応するはずの体も 徐々に鈍くなって来る 子供の頃は"風の子"と 外を飛び回っていた 猫のようにコタツにもぐって 囲炉裏を懐かしく思い 吐く息が白くなれば 白い粉の大地を思う 自然の摂理は永遠に変わらない "春は花、夏はホトトギス、秋は月、冬は雪に冷える"人の心の中には外に見えるもの感じるもので映るものが有る。"人は死ぬまで己が何者であるか分からない”と言ったことが有るが、日々変わってゆくのが人間でとどまるところを知らず、何者かが確定するのが死んだときだろう。この世に残す足跡を消すことが出来ず、四季の移ろいと共に何かを感じている自分がいる、その感じた状態が自分だと言うのが禅の教えだそうで、初めての方に会ったときにする自己紹介は、自分の体のこと生まれのことだろうがそれは仮の姿で、本当の自分は"空"の中に感じ取ったものを受け止めている自分だと言う。紅葉が美しくなれば、四季の変わり目を感じ、秋から冬に向かって枯葉を見れば自分の歳を思う。気温の変化に対応できていない体が徐々に反応を鈍くしてゆく。子供の頃は"風の子"と言って外を飛び回っていたのに今は猫のようにコタツにもぐって囲炉裏を懐かしく思うように成って来ている。吐く息が白くなれば、白い雪やしもの大地を想う。自然の摂理は永遠に繰り返しながら変わるところが無いことを知るために生まれて来たのかも知れない。 2013年1月27日 琢
2013年01月27日
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人には肯定派と否定派が有る 積極的と消極的な心が有って ポジテイブに何でも挑戦する人 ネガテイブに尻込みする人 能動的に自分からやる人 受動的に先送りしたがる人 すべて"気"の問題で 気が向くのも気が向かないのも 一目で分かる 肯定派は明元素が多く 否定派は暗病反が多い 展望が有れば挑戦できるが 否定的ならその意欲も湧かない 挑戦するところに進化が有って 何もしなければ発展が無い どちらにするかは自分の意志で決まる "やんのかやんないのかどっちだ"とか"やる気あんのか"とか言われたときが有るが、迷ったときとか気が向かないときとか前向きじゃないときに言われる言葉で、みんなで何かをしようとするとき、みんなの協力が必要なときに、後ろ向きな言葉【そのうちに、今じゃなくても、無理だろう、やりたくない、嫌だ、出来ない、等々】を言ったり、表情に表したりしたときに特に言われたことが有った。人には肯定派と否定派が有って、積極的なときと消極的なときが有るもので、ポジテイブに何でも挑戦する人、ネガテイブに尻込みする人、能動的に自分からやる人、受動的に義務感が圧力を感じながら先送りする人、いろいろ有るが一目で分かるだろう。大概やる気のある人が先に歩いてやる気の無い人は取り残されてゆくもので、肯定的であれば明元素【出来る、やってみよう、元気だ、気力だ、面白い、楽しい等々の言葉】の言葉が多く、やる気の無い人は否定的でみんなの意志に反する人は展望が無く、挑戦しようともしない、意欲も湧いて来ない場合が多く、何もしなければ進化も発展も無く、仕事でも社会でもブレーキに成ってしまう場合が多い。協調性、社会性が無く、空気が読めないときに安逸が有って、チャンスを逃したりいい加減な扱いを受けたりしてますます取り残されていってしまうのだろう。どちらにするかはすべて自分の意志で決まってしまう。"やるときゃ徹底的にやる人"でいつも正確に場を読んでいて"展望の有る人"で有りたいといつも思う。 2013年1月26日 琢
2013年01月26日
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流れの無い池の水は腐る 池には入りと出が必要で 出を絞れば溜まりは大きくなり 入りを増やせば溢れてしまう 個々の財布も似たようなもので 国にも同じことが言える 出入りのバランスを保つこと いくら知識を増やしても忘却が有って だから生きていられる 嫌なことがいつも鮮明に出て来れば 耐え切れないだろう そのために転依が有って 気分転換やチャンネルを変える必要が有る 自分を腐らせない工夫が有る 新しいものと入れ替えるために 執着はとらわれたものに粘りつく、へばり付くことを言うが、お釈迦さんはこれを取り払いなさいと言っている。この世の何かにとらわれたままでは成仏できないからで、忍土にいれば苦を積むようになっていて、自分をどのように機嫌良くさせておくか、明るい気持ちでいるか、笑うことが多いか、が問題で過去に学ぶことは多いが出来るだけ悔いを残さないように出来るかで大果【どんな死に方をしたいか、他の光りになる、歓ばれている、感謝されている、穏やかな死に顔、等人生の総仕上げと次の世への宿題を意識の蔵に入れて置く時】が観えて来るのだろう。流れの無い池の水は腐り、池を大きくしようと思えば入り口を広げて出口を絞れば良い、停滞させれば水が腐ってしまう。出入りのバランスを保つことは大切なことで、個々の財布も国の経済も同じことが言えるだろう。"頭でっかち"と言って知識だけ増やしても実践・体験しなければ応用が利かず、人にはうまい具合に忘却が有るから生きていられるが単なる知識だけではすべて忘れてしまうようになっている。ストレスも溜まるようになっている世には転依も無くては成らないだろう。気分転換やチャンネルを変えて発想の転換を図ることも重要なことだろう。自分を腐らせないように、新しいものと入れ替えるために、いつも新鮮な気持ちを保っておくことも必要だろう。 2013年1月25日 琢
2013年01月25日
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"天はその人に越えられない試練を与えない" 望みが高いほど試練は多く 捨てたり諦めたりしなければ 必ず越える道は有るもので その人の中に在るものを使えば もともともっているものだから 単に忘れて気が付かなかっただけのもの その智恵を尽くして 極めたもの同志の響働が有れば 人智を超えることが出来る 一度超えればそれが力に成って 次の試練の糧に成る 人の智恵は無限に増幅して その確信が人を"ぶれなく"させる "不動心"はそういうものだろう 何か有れば不安が募って恐怖心を煽って何の策も講じられなくなってしまうものだが、強い希望が有って使命感に裏打ちされた信念が有れば、"火事場の馬鹿力"と言われるほど信じられない力が湧いてくるのだろう。大きな災害に出会うときに数ある選択肢を"生きること"だけに絞っていれば、信じられないことが出来るものだと言われている。第六番目【五感+1】の力【先見的な予感のような強い希望に向ける力】も人の中に潜在していると言う。試練に出会えばそういう力が出るもので、1度超えれば慣れも有って落ち着いた判断も出来るようになる。"天はその人に越えられない試練を与えない"ものだと言うが、望みが高いほど試練は多く、更に強い試練が来るが、捨てたり諦めたりしなければ必ず越える道が有るもので、自分の中にもともと持っている力を出せば希望【生まれる前から持っていて思い出せない魂の願いで自分の意識に約束したもの】を果たすことが出来ると言う。人智を尽くすもの同志が響働すればその力はもっと大きなものに成るだろう。1度超えてみればそれも力になって次の備えにも成るもので、人の智恵は無限に増幅しながら確信と成って、その人を"ぶれない"人にさせるのだろう。そういう積み重ねから不動心が芽生えて来るのだと思う。 2013年1月24日 琢
2013年01月24日
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望まぬ結果が多ければ 想像力が危機感を高めて 原因の修正浄化をする 人間は"考える葦である"と言うが 柔軟な思考は 想像する末路を回避させ より良い結果をつくることも出来る 感情の脚本や妄想ループも 想像上の結果を恐れることで 場に臨む自分を変えることから 望む結果をつくる種・因を変え 想像力が自己改革に成る 何も考えなければいつも同じことの繰り返しで 他のせいにしても悩みは解消できない 思考が想像力を高めることに成る 昔、頭の良い人、成績の良い人に憧れていたが、今思えば、よく頭を使えば、よく考えれば、脳細胞を人より使えばそうなれるだけのことで、ただ勉強より遊んでいる方が楽しかっただけのことだと思えるようになっている。人の歩みは歴史を見れば参考例が有って、音楽も芸術もその基本に成っているのは古典・クラシックで、そこに自分の発想を組み込めば自分なりの生き方が出来る、そこから"答えは歴史に有り"と言って来た。この世は思い通りに成らないことばかりで、望まぬ結果が多ければ、不安に成って危機感が出て来るが、柔軟な思考で想像することによって、その元と成る原因の修正浄化をしていれば、嫌な結果を回避することが出来て、より良い結果を得ることも出来る。感情の脚本も妄想ループも良くないことだが、想像上の結果を恐れる余りのことで、場に臨む自分を変えることから望む結果を生み出す因・自分を整えれば自己改良にも成るだろう。何も考えなければいつも同じことの繰り返しで、他のせいにしても悩みは一向に解消しないだろう。 2013年1月23日 琢
2013年01月23日
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安定に進化は無く 進化に絶対は無い 進化と共に変化する世に 多くの分野とその傾向が有る その傾向の推量に自分を合わせて その中に自分を置くことで 有る程度の安定が有る 足るを知ることで 悔いは少なく納得は多い 成り立たない執着を捨て 1つの細胞が役を果たすように すべての細胞がその職責を果たせば 全体は大自然の一部に成る 共存共栄が成り立つとき 争いは少なく円満に成る 競争の世に上を見れば切りが無く、時と共に変化するところでじっと止まっていることも出来ず、先が見えないまま進むときの不安が人に常軌を失わせ、明るさを失わせてしまう。心の安定を願えば変化を好まず、現状のままがいいと思えば進化が止まってしまうが、進化に絶対と言うものは無く、食べるためには働かざるを得ず、仕事には多くの分野とその傾向が有る。そこに自分を合わせて身を置くことで有る程度の安定が得られるが、足るを知ることで悔いは少なく納得は多くなるもので、成り立たないものに執着せず、余計なことを考えないで1つの細胞が役を果たすように自分の職責を果たすことに勤めていれば、全体は大自然の一部のようになって共存共栄が成り立つのだろう。そうなれば争いは少なくなって円満な状態に成るもので、そこに無くてはならない自分が有れば居心地も良くなって自分の居場所も見つかるのだろう。 2013年1月22日 琢
2013年01月22日
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科学は未解明のものを解き 人々の幸せを動機として より良いものを創造してゆく 改善、変化は付きもので "創造は破壊の始めなり" 心の安定のための宗教には成り得ない 人は常に新しいものを求め より良いものを求めている その価値をお金や名誉に換算するが 価値観はその優劣に無く その恩恵を受けるとき 感謝に至るもので 感謝は唯物的なもので表せず 心に刻まれるものだろう 科学は永久のものでなく それを目指すものだろう 20世紀の文明の発達は目覚しく、それに比例して石油の消費量は一気に上昇した。多くの研究から全く新しいものが生み出され、貧富の格差が広がったのは皮肉なもので、豊かになった分だけ自然破壊が多くなったのだろう。科学は未解明のもをを開き、人々の幸せを動機としてより良いものを創造してゆく。改善、変化は付きもので常に新しいものを追い求めるものだが、そのたびに古くなったものは破壊されて来たのだろう。人が求める心の安定は永遠のもので、そのために信仰が有る、宗教が有るが、科学を宗教のように扱って来たために人々の価値観を変えてしまったようにも思う。この世の価値判断をお金や名誉に換算する傾向を作り上げて来たが、生きてゆくために重要なのはその優劣に有るのではなく、その恩恵に感謝することだが、感謝は唯物的なもので表せず、心の奥に刻み込むものだろう。科学は永久のものでなく、それを目指すもので、生活が豊かになっても心が貧しい人を多く作って来てしまったからか、何かもの寂しい現象が多くなって来たように思う。素直、謙虚、正直に生きようとすれば損をするような、刹那的快楽を求め過ぎのような風潮が蔓延していて、それが子供たちにまで浸透してきたと思うほど"本当の笑顔"が少なくなったように感じてしまう。 感謝こそ 道の極みと 仏道に 菩提の心 にじみ出てこそ 2013年1月21日 琢
2013年01月21日
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視覚聴覚は正常でも 求めるものしか記憶に残らない 聖徳太子は数人の報告を同時に聞き分け 大村益次郎は時間で戦況を見て 義経は戦術に長け 信長、秀吉は戦略を使った 平和に成っても心の戦いはいつも有る 見たいもの聞きたいものしか留めず 見渡すことが出来ていない 見逃す部分が多い日常に 他の迷惑が見えず 他の人生をも変えてしまう自分に 成仏する資格が有るかと思えば いつも改めて浄化することが必要で そこに思いやり気配りの大切さを思う 人は自分の都合の良いようにしか捉えていないもので、すべて自分にとっていいように解釈してしまうところが有る。失望を感じていればすべてが暗く、そこに希望の光を探そうともしないまま絶望を感じてしまう。状況判断が甘く、見逃している部分に気が付かない場合が多い。自分に失敗が多かったのはそういう部分が多く、視覚聴覚は正常にもかかわらず自分の求めるものしか記憶に残さず、他の意見も聞かず、見落としが多かったように思う。聖徳太子は数人の報告を同時に聞き分け、大村益次郎は戦況を時間で把握し、義経は戦術に長け、信長、秀吉は戦略を使っている。平和に成っても心の戦いはいつも有るもので、見たいものや聞きたいものだけを意識に留めて見渡すことが出来ていない分、見逃す部分が多すぎて迷い、葛藤を増やしているのだろう。他の迷惑が観えず、他の人生をも変えてしまうことに成ることにさえ気が付かず、こんな状態で成仏する資格が有るかと思ってしまう。いつも明るい方を見て、自他を暗くしてしまう部分を改め、浄化することに精進し始めて思いやり、気配りの菩提心・愛の大切さが解かって来るのだろう。 2013年1月20日 琢
2013年01月20日
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相手を知る前に 自分を知ること 自分の心をつかむには 止められない感情や考えの動きを 無意識に動く出来事や事態から 感じ、受け止め、考え、行為したか 特に引っかかったことを思い出して 記して見れば自分の傾向がわかる その対応や応答を見れば 後悔の原因がどこに有ったかが判る いつも争いの元に成る心が見えて 他の葛藤さえ観えて来る その特徴を知れば以後の対応が変わるだろう どこでブレーキをかけるかも判って 我慢のときも解かって来る 忍耐は摩擦を起こさないために有る 六波羅蜜に忍辱が有るが、この忍土の世には忍耐と妥協しかないといって良いほどだが、何のために辱を忍び、何のために我慢を重ねるか、自分の行と相手の立場に立って摩擦を起こさないための忍耐も有って、どうにも自分の気が治まらない、自動的に動いてしまう自分の心が有るために何度も同じ失敗を繰り返して来た自分を浄化することを言っているのだろう。相手を知る前に自分を知っておくこと、それには自分の心をつかむことで、留められない感情や心の動きを何かの出来事や事態で無意識に動いてしまう心を止観して見ることが重要だと言う。感じ、受け止め、考え、行為を書き留めて、特に引っかかったことを思い出し、その対応や応答を見れば後悔の原因がどこに有るかが見えて来る。いつも争いの元に成る心が見えるし相手の葛藤さえ観えて来る。その特徴を知れば以後の対応も変わって来る。どこでブレーキをかけて止めるかも判って、我慢して耐えるときも解かって来るだろう。忍耐は摩擦を起こさないために有るもので、はじめは自分のためからだんだん人のために変わって来るのだろう。 2013年1月19日 琢
2013年01月19日
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決断するときの主導権は 自分に有って 他に責任を預けるものでなく その時々の役を果たすときだが すべての時と場の主導権を持てたものはいない 歴史上を見ても すべての時を支配したものは無く 必要なときに必要なものが 必然的に現われるもので "諸行無常"、"栄枯盛衰"も "時の流れ"なのだろう この変化にこれで良いというものは無く 柔軟な対応で臨むことだろう 幸せなほど変化を好まず 守ろうとすれば崩壊も有る "創造は破壊の始めなり" 人の心はいつも動いているもので一っ所に留まることは短く、そのたびに新しいものを考えて作り出して来ている。生きるために必要な便利なものを求めるために発達した文化文明もそれまでに有った常識を打ち破るものだが心の安定が出来ず、そのために宗教が必要だったのだろう。個々の人間には選択の自由が有って、どれを選ぶかは自分の責任で、決断するときの主導権は自分に有って、他に責任を預けるものでなく、その時々の役を果たすのは自分しかないが、すべての時と場の主導権を持てたものはいない。歴史上でもすべての時を支配したものはいなく、必要なときに必要なものが必然的に現れて来るもので"諸行無常"で、形あるものは時と共に崩れ去り、そのたびに新しいものに変わって来ている。"栄枯盛衰"もそうで"時の流れ"を止めることは出来ない。世の変化にこれで良いというものは無く柔軟な心で対応するしかないが、幸せで有るほど変化を好まず、守ろうとすれば崩壊してしまうのは"創造は破壊の始めなり"で、いつもより良いものを求めてしまうからなのかも知れない。常識の中に新しいものは無く、異常なものから全く新しいものが生まれて来るのだろう。ショーペンハウアーが言った"この世に幸せ・幸福なんて無い"と言うのもそういう意味なのかも知れない。 2013年1月18日 琢
2013年01月18日
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自己顕示欲を捨て 自我我欲を無くして 自己保存をしなければ 円満に共生できて その仏性に敬意を払えば 争奪戦も揚げ足取り作戦も不要で その存在を受け入れて 批判正論で非を追求せず 互いの存在価値認め合えば 個々の良い芽を引き出せる 私利私欲に走ることなく 全体の利を優先すれば 胸を張って生きてゆけるだろう "かすみ草"の精神で 他の良き縁に成れるだろう 綺麗な花を引き立たせるとき、かすみ草を添えるともっと綺麗になる、生け花はもてなしのために有るそうで、華道では『天・地・人』とか『真・副・体』を基本にして自分の真心を表そうとする。『現在心不可得』は掛け軸に書いてある言葉で、自分の今の気持ちをもてなしの中に現そうとしても思うようには表現できない、と言うような意味だろうと思うが、観る人が見ればその心の状態が判るのだろう。動物・旧皮質脳には無い智恵が人・新皮質脳に有るから『万物の霊長』と言われているが、反面同族同士の殺し合いをやってしまうところが有る。その原因となるもの【自己顕示欲、自我我欲、自己保存】を抑えられればすべてが円満に共生できて、誰の中にも有る仏性に敬意が持てれば、二見の争奪戦や揚げ足取り作戦も不要に成って、批判正論で相手の非を指摘追及せず、その存在価値を認め合い、個々の良い芽を引き出すことに専念すれば、無私、利他の心で他の良いところを引き立たせる"かすみ草"のように、他の良き縁に成れるだろう。 2013年1月17日 琢
2013年01月17日
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正常な指揮管理は 支配ではなく謙虚なもので 同じ精神が流れていれば 全員が素直に納得出来る 個々の満足は全体の満足で 生き生きとした表情を見れば 響働していることが解かる そこに絆が芽生え 結束は更に強くなる 1つの貢献が全体に行き渡れば 自分に自信が持てて そこが心地良い居場所に成る 支配、結束は個人のものでなく 心地良い縛りは 自分の必要性を示すもので 相互の参加意欲を高める どんなことも傍観しているだけでは核心に触れることが無く、中に入って参加意識を持たなければそのことに前向きに、積極的に成れない。どんなことも好きにならなければ、義務感や圧迫感が逃避させたくなって、自己発揮が出来ず責任感も持てないだろう。受身のときは苦が多く、前向きなときは苦労も苦と思わず、気が目標に向かっていてどんな障碍をも超えさせる。全体を見渡すことは大事なことだが、正常な指揮管理は支配ではなく謙虚なもので、同じ精神が流れていれば、個々の満足は全体の満足に成っていて、全員が素直に納得出来て、その生き生きとした表情を見れば響働していることが解かるだろう。そこに絆が芽生えて結束は更に強くなり、1つの貢献が全体に行き渡れば、自分に自信が持てて、そこが心地良い居場所に成るだろう。心地良い縛りは自分の必要性を感じさせ、相互の参加意欲を高めさせるもので、貢献度が高くなれば命を賭けても惜しいとは思わなくなっているだろう。何かに没頭しているときが幸せを感じるときで、意欲が無ければ気力も無く、自分にとって意義深いことさえつまらないものと思わせて掘り進むことさえ無駄に見えて来て、人生をますますつまらないものにしてしまうことが多く、幸せを求めるなら、もらう幸せから出来る幸せに成って、して差し上げる幸せを求めるようになるのだろう。 2013年1月16日 琢
2013年01月16日
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建て直しは企業だけでなく 先ず自分から すべてが変わるには アメーバ方式で 個々の集まりが全体で 全体が変わる 他を変えようとせず自分から そこに"無私"と"利他"が有れば 全体もその塊に成る 人の顔色を見ず 同じ精神で我が道をゆけば すべてが理に叶って 邪気が入ればバラバラに成ってしまう 優先順位を間違わなければ すべてが整って来る JALがどのように成ったのか、あの官僚的な会社の建て直しを稲森和夫氏【京セラ、KDDIを育てた人】が受けた後に東日本大震災のニュースで情報が無くなってしまったが興味が有って気になっていた。上場廃止に至ったのは知っていたが、ある日の朝刊にJAL黒字に転換の記事が出て、その後再上場した。凄いことだと驚いたがその経緯の番組を見て、やっぱり意識改革だったことを知った。"JALフィロソフィー"を社員手帳に掲げて、3分の2に人員を減らし、その日の収支を一目瞭然に示して1つの細胞が全体になるアメーバ式改革をやったと言う。脱皮に必要なもの【間違った信念を正し、過去のとらわれを改め、既成概念の見直し、責任転嫁をしないこと】を徹底的に意識改革で払拭したと言う。1個の細胞がその機能を果たせば全体が整ってくることを社員全員に体験させたことの凄さを思った。ストレスが溜まれば誰でも気力が萎えて全体の元気が無くなってマンネリ化して、自分一人では何にも出来ないと思ってしまい、本当の能力の10%しか使えなくなっている悪循環を起こしているのが、今の日本なのだろう。基本精神に"無私"と"利他"が有れば、自分だけの都合を押し通すのでなく、優先順位を間違えずにその精神が浸透すれば、歓びと共に悪循環が好転することを証明した事例だったと思う。一人ひとりが自分の使命を果たせば全体が整って来るのだろう。執着は先の果報を求める心で、お金や物にとらわれて、今さえよければと刹那的に、自分さえよければと利己的に成って人生の目的をそこに置いている人が多くなっているのかも知れない。 2013年1月15日 琢
2013年01月15日
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人はどんなに偉大であろうが 大きかろうが元気だろうが どれだけ生きようが 4日で骨壷に入ってしまう 何か命の儚さを思う 生前の姿だけが焼きついて 余韻だけが残っている 肉体は土や水に返り 魂は霊に成って不滅だと言う 時空を越えた次元に有って その呟きを聴ける人もいる 見える人もいると言うが 信じ難いだろう 現象しか見えないところにいるのだから 昨日『とんび』と言うドラマを見た。内田聖陽という俳優は『仁』で坂本竜馬の役をやったとき以来好きになった俳優だった。親に恵まれなかったもの同士の夫婦に子供が出来て絆が深まったが、子供を助けようとして”おかあちゃん”が死んでしまう。行け行けどんどんだった”おとうちゃん”は子供と共に日に日に"おかあちゃん"がいない寂しさを感じ始めて、階段を上るお父ちゃんの足音で出迎える子供の中に"おかあちゃん"を見付け出し、子供も自分の心の中に探していた"おかあちゃん”がいることに気が付くドラマだった。自分の場合長男が以前に言った"親父は生きているだけでいい"を思い出し、このブログの更新だけでも生きていることが分かるんだと思った。どんな阿呆な内容でも毎朝の勤行として死ぬまで続けようと言う決意を新たにした熱い感動のドラマになった。人はどんなに偉大だろうが、大きかろうが元気だろうが、どれだけ生きようが死と共に4日で骨壷に入ってしまう、なんと命は儚いんだろうと思う。生前の姿だけが焼きついて、遺した言葉と共に心の中に余韻が残っている。体は土や水に返る、魂は霊に成って不滅だと言う。時空を越えた次元に有って、天にいる霊の呟きを聴けたり、見えたりする人もいると言うが信じ難いことだが確かに心の中には焼き付いている。現象しか見えないところにいれば、そういうものが見えなくて当然だが、それだけに心の中に置いたものだけは大切にしたいものだと思う。 2013年1月14日 琢
2013年01月14日
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気が付いたときから始まる 過去を問わず 指摘せず 今まで来れたことに感謝すれば 認め合える 戒めておくことは 相手を責めず その仏性に敬意を払うこと 相手の立場に立てば 受納が出来る 相手を変えるより 自分を変える方が 得るところは大きい 良き縁に成れて強い絆が結ばれる 和はそこから生まれる 人と出会って友として付き合うようになれば、そこに何かの縁が有ることと、数多い人の中からその人を選んだのは自分で、その人の中に良いところがたくさん有るはずだが、反面良くないところも有って、それをどこまで受け入れて認め合えるかが結ばれた絆の深さに成る。人には自分が良く見られていたいと思う心が有って、何かに貢献しながら共生したいと思う心・良心がどこかではたらいている。"憎まれっ子世にはばかる"と言うが、悪く思われた人の前では悪いことしか出来ないもので、始めは自分を無くして付き合うが、だんだん気が付かない内に我が出始めて自分の都合を通そうとしてしまう。良き縁は、自我【三つの”ち”、血筋、土地柄、育った時代の知を基盤に持っている本性のようなもの】をなるべく抑えようと気が着いたところから始まって、過去を問わず、指摘せず、相手の良いところを見つけてそれを引き出すようにしながら、今まで来れたことに感謝すれば互いを認め合えるように成れる。戒めておくことは、相手を責めず、やっつけて優位を保とうとせず、その良いところをよく見て敬意を払い、共に良い芽を見つけ合うようにすれば、相手の立場も理解できて受納ができるように成れるだろう。暗い部分だけにとらわれず、明るくなる材料を探せば、良い関係が保たれて、相手を変えようとするより自分が変わる方が得るところは大きいだろう。良き縁に恵まれて絆が深く成るほど和と輪は広がってゆくのだろう。ある一時期のことだけで人を判断できず、進化しながら良い方に変わってゆくのが人間で、永いスパンで見ていなければ、本当の良き友の縁と絆の構築は出来ないだろう。 2013年1月13日 琢
2013年01月13日
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水と油は混じらないもの 相性の悪いものでも 何かを挟めば同じ歓びを得る その役割を認め合えば 満足の出来る状態に成れる 混ぜようとせず 何かを中心にもって来れば 共通の歓びが有るだろう "子はかすがい"と言うが 相容れないもの同士でも 素直に成れるときが有る 直接的な対立が有っても 満足度だけは共有出来る 見れば張り合う喧嘩が有っても 目的に共通点を見付け出せば良い 人と人の相性は有るもので、互いに相容れないものが有るのは生い立ち、環境等のどこかに張り合う意地のようなものが自然に出てしまう場合が多く、水と油の関係だと人はよく言う。成分として水と油は混ざらないもので、巧く使えば美味しい料理も出来る。相性の悪いものでも何かを挟んだときには同じ歓びを得ることも多く、その役割を認め合えば対立することも少なく、この忍土ではただでさえ思うように成らないことが多いもので、忍耐と妥協が無ければ巧く治まらないのだろう。思うように混ぜようとせず、何かをその間に挟んでみれば共通の歓びを得ることも多い。"子はかすがい"と言うが、ほとんどの夫婦はそれでもっていると言っても良いかも知れず、相容れないもの同士でも素直に成れるときが合って、直接的には対立が有っても、子供の成長過程ではその満足度を共有することが出来るだろう。何かを受けるときの感じ方には相違が有って平行線のツッパリが出て張り合ってしまう、喧嘩に成ってしまうことが多くても、別な観点で目的に共通点を見付け出せば結構良い関係が出来るだろう。これも転依の方法に成るだろう。 かたよらず こだわらず とらわれず ひろく ひろく もっとひろく これが般若心経 空のこころなり 2013年1月12日 琢
2013年01月12日
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科学技術でつくる人工のもの 自然界に共生できるかどうか 無意味なものは一つも無く 価値判断は出来ない 知能に長けても狭いもので 人間の美的感覚が 自然を破壊することも有る 絶滅種を保護しなければ いずれそのツケは回って来る そこに国境は無く 人類全体と大自然を見渡して 無意味な争いをせず すべての共生を目指すとき 愚かな邪気を捨てるとき "浩然の気"が得られるだろう 人間は"万物の霊長"と言うが、他の生物と違うところは新皮質脳で、自己顕示欲、自我我欲、自己保存が有るために同族の殺し合いをやってしまう愚かなところが有る。自分の邪気【都合、計算、打算、意地】のために蓄積をするが、明日生きている保証の無いこの世で、前もって蓄積しておけば少しは他より永く生きていられる、楽を出来るからと言ってお金に成るものを蓄積してしまうことが自然破壊につながっている。科学の進歩が有るほど、それを宗教のように頼ってしまい、目に見えないもの手につかめないものを信じなくなって、唯物的、刹那的、利己的な邪気を押し通そうとしてしまう。人工のものが自然界に共生するために必ずしも必要なものかどうかは分からなくても、無意味なものは一つも無く、その価値判断は難しく、知能に長けていても宇宙大自然を見れば狭いもので、ほんの一部の解明が出来ただけでまだ未知の部分がほとんどだろう。好みや美的感覚が自然破壊に成ることも有って、地上の生物のすべてにはそれなりの意味が有ることから絶滅種の保護をしなければいずれそのツケが回ってくると言われている。その段階で国境は無く人類全体と大自然を見渡してすべての共生のために無意味な争いをせず、愚かな邪気を捨てるとき、大自然の側、相手の側に立って敬意を以って共生できるようになれば、"浩然の気"【宇宙大自然と一体化する心境、のびのびと安らかな心境】が得られるのかも知れない。 果てしなく 険しく続く 天の道 受容してなほ 見えぬ道のり 2013年1月11日 琢
2013年01月11日
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数日後の事態を今キャッチしていることが有る 先見、予知、霊能力が無くても 偶然のように見えるだろうが 自分や身の回りの何かのことに 言っても信じてもらえないことが なんとなく今起きている 衝撃が有った訳でもなく 啓示も受けていないのに 説明が付かないが 心では一時的なものと口に出さず 何かの役に立っていればと 善行を積むのみと肝に銘じ "ただ素直に"成れればと思う 極めたことの無い自分には 謙虚でいるしかない "人間死んだら終い"と思っている人に、魂、前世、転生、後生、神仏、守護指導霊は目に見えず、科学や数学で説明出来ず、言葉を知っていても実際に見たことの無いものを説明することの難しさをいつも思う。超能力が流行って興味をもたれたが、見世物ではなく、自分の智恵として思考を広くすること、そこに難局を突破する展望と挑戦意欲、意志を引き出す気力を備え、身の周りに起きることのすべてに自分が関与し、影響を与えていること、人の心に映し鏡のように自分が映った結果起きたことと、起きたことの前に何かが有ったはずと『すべて自分』と思って、その原因を探して修正浄化しなければ悔いが残ってしまう、そういうのがこの現象界に生きるものの可変のための道なのだろう。最近感じることだが、このブログの原稿は40日前に書いたものだが不思議と、投稿する日のことを予測する能力も無いのに、書く日の出来事に似たようなことを書いていることが多くなって来ている。何か衝撃が有った訳でもなく、啓示も受けたことも無く、無意識に書いたことがその日のどこか、誰かの身の回りに起きていることも有って、何かをキャッチして書かされているような気分になることが有る。口に出さず何かの役に立っていればと自分ではただ善行を積むのみと肝に銘じて"今を決然と生きる"ことしかなく"ただ素直に"成れればと思っている。何も極めたことの無い自分には素直で謙虚でいるしかないだろう。 2013年1月10日 琢
2013年01月10日
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この世はすべて自分 悔いを残すように成っている 葬式、法事を避けるのも自分 努力を怠るのも自分 学ばないのも自分 悔いを少なくしようとするのも自分 すべてから逃げようとすれば 自分の可能性を捨てることに成る 言い訳や自己暗示は虚しく 他を説得しても自分の嘘を知っている 唯物的、刹那的、利己的な自分に みんな気が付くときが来る 直ぐに諦めて放棄する自分を見ている 自分を騙すことが出来ず 自分から落ちてゆく 過去の自分の中に、いつも有ったのが怠け心で、あれしたいこれしたいのに邪魔をするものが嫌いで、好きなことだけやっていた自分がいたが気が付けば成績が悪くて行く学校が無かった。なんだかんだ理屈を言って何もしなかった罰が来たと思ったことが有る。今思えば”この世はすべて”自分で人のせいに出来ず、悔いを残すように成っている。社会に出ても葬式、法事を避けたのも自分、努力を怠ったのも自分、学ばなかったのも自分、悔いを少なくしようとするのも自分で、すべてから逃げようとすれば、自分の可能性を捨てて来たことが解かって来る。言い訳や自己暗示は虚しく、他を説得しても自分の嘘を知っている。楽な方に唯物的なこと、刹那的なこと、利己的なことに流されて来た自分が獲たものは何も無く、人に迷惑をかけることは少なかった分、手元に残るものが何も無かったのは、自分がお金儲けや有名になることが使命ではなく、"無私"や"利他"に成らなければ居場所の無い前世からの宿題が有ったと思うしかなかった。大方の人々にもそんな気付きが有るのかも知れない。すぐに諦めて放棄する自分を知っていて、まことしやかな理由を付けて他の同情を得ても、自分を騙すことが出来ず果報が伴わなくなったり、裏切ったり、相手の眼を正面から見られなくなって自分から落ちてゆく人が何人もいたように思う。おかしいと思うとき、傷つけられたと思うとき、被害を被ったと思うとき、それらが何も無いところに急に来るものでなく、その前が有って、すべて自分の言動が映し鏡のように相手に映っていたからが原因で、そこを正さずに人のせいにしていることがかなり多く有るのだろう。 2013年1月9日 琢
2013年01月09日
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上ものと安ものの違いは 自分の力を隠すか示すか 理性で抑えるか本性を出すか センスを重んじるか刹那を重んじるか 喜ばせるか場の空気を壊すか 相手だけでなく全体に不快を与えるか 思いやり気配りが出来るかどうか 真実か公平か みんなのために成るか友情を育めるか その違いが人の品格を決める いつも明るく微笑んで懐が深い 上ものはいつもその心掛けをしている D・Vにはそれが欠如している 甘えには我儘と胡坐をかくこと いつも想像力をはたらかせて優しさが有ること 危機感を持たなければ甘さが出てしまう 品の有る人、センスが有る人は見ただけで違いを感じるものだが、それがどこから来るのか、”天は二物を与えず”と言うが、生まれつきの絵から抜け出したような美貌を持つ人は得な人だが、それだけでないもっと内側から出ている人もいる。集団に入れば際立つ人、時間と共に頭角を現す人、見た目だけでなく中身が大いに作用している、心から滲み出す美しさは心掛けに関係が有るように思う。器の大きさまで見えてくるようで、上ものと安ものの違いは、自分の力を隠すか示すか、理性で抑えるか本性を出してしまうか、センスを重んじるか刹那をとるか、場の空気を読むか乱すか、思いやり気配りが出来ているか、これは生まれつきのものでなく、心掛けと努力が大いに関係しているだろう。ロータリークラブには四つのテストと言うのが有るが、真実か公平か、みんなのために成るか友情を育むかを基準にして心掛けるようにしている。そういう心掛けが人の品格に成っていて、いつも明るく微笑みを湛え、許す心が有って懐が深い、上ものはいつもその心構えが有るのかも知れない。ドメステイックバイオレンスにはそれが欠如していて、何かに甘え、溺れ、鬱憤晴らしをして自分を見限ってしまう最低の人間のすることで、我儘や便乗して胡坐をかくことが人にどれだけの苦痛を与えているのか、自分がされたらどれだけ嫌なことか、人のそれを許さず、自分の荒んだ心を鎮める能力も無いもののすることだろう。いつも想像力を働かせて優しく、奥行きを深くして、危機感を持っていなければ、どこかに甘さが出てしまうのだろう。 2013年1月8日 琢
2013年01月08日
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制約の中で "どう生きるか"は 自分の選択の自由で 数多い選択肢のどれを選ぶかは 縁の深いものに成るだろう 通過する無縁のものも 学んだ歴史や学問の中にも 全く関係の無いものは無い 無駄なものは一つも無く それらをどう生かすかで 方向性が決まる 展望が無ければ 挑戦意欲が湧かず 成り行き主義では悔いが残る ドラマのような大きな梃入れが無くても 有り体が自分に似合っている 域に達した人のように、高僧のように、こちらから見ていれば自由自在に見えて、いつも背伸びをせず、大上段にかぶらず、息苦しくならない、出来るだけ矛盾を起こさないような自然体の自分でありたいと思う。この世にいればいろんな制約が有るものだが、その中で"どう生きるか"は自分の選択の自由で数多い選択肢のどれを選ぶかとなれば、縁の深いものに成るだろう。通過する無縁のものも、学んだ歴史や学問の中にも、全く関係の無いものは無く、無駄なものは一つも無い。それらをどう生かすかで方向性が決まって来る。あらゆる智恵を使いこなせるように成れば展望が見えて来るが、それを怠っていれば展望が無く、挑戦意欲も湧いて来なく、成り行き主義になって、そこには受動的命令と義務ばかりで、自分に主導権が無いことの情けなさばかりを積み上げて自分の存在価値も見出せず、大きな悔いを残すことしなってしまうだろう。ドラマのような大きな梃入れ、仕組み、救い、劇的な出会い、奇跡的な救いが無くても、自分の道・マイウエイを有り体に進むところに自分の主導権も奪回できる生き方が有るのだろう。 2013年1月7日 琢
2013年01月07日
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記憶喪失は強烈なショックに遭うときで その光景や音、匂いが焼き付いていて 同じ状態に出会えば思い出す 条件反射の作用は 焼き付けられたものが意識の中に有って それが今生のものでなくても 転生の中の記憶のものでも 意識に残っていれば 何かの仕組みを感じるときに 無意識に動く意志で 先の自分も周りをも救うことが有る それを起こさせるもの その光景を思い出さそうとするものは 神仏としか思えない 人には慣性や体幹、恒常性が有って、身の回りに起こることに咄嗟に自分を動かす能力が有る。意識の中に入ったものが身に付いているのだろうが、それが無ければ歩くことさえ出来ないだろう。そういうものを越えるショックが有るときは逆に拒絶反応を起こしてしまうのが記憶喪失なのだろう。その光景や音、匂いが意識に焼き付いていて、同じ状態に出会えば思い出す、条件反射は、犬に同じ時間に鐘を鳴らして食事を与えれば、鐘を鳴らすだけで唾液が出て来る、焼き付けられたものが意識の中に残っていてそれに反応する作用を言う。来たことも無いところに懐かしさを感じたり、嫌な感じがしたりすることが有るが、今生の体験ではなくても、前世や転生の中で意識に焼き付けられたものに反応していることが有る。記憶として意識の中に残っているもの、自分に言い聞かせたもの、自分の心の奥のもの・魂に約束したものは意識の蔵に入っていて思い出せないことが有るが、それを思い出さそうとする仕組みが必然のようにはたらいている出会い、出来事、事態に遭遇するときに、救われたり、人生に大きな影響を与えたりする共通した何かに気が付けば、自分がこの世に生まれて来た本当の意味を知ることが出来るのだろう。そういう仕組みは、あたかも神仏が双方の守護指導霊を使って出会わせて、その記憶・この世での使命のような約束事・魂の願いを思い出させようとして呼びかけている必然を起こさせていると思う方が良いのかも知れない。 2013年1月6日 琢
2013年01月06日
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記憶は意識の中に有るもので 歩んだ道に無いものも入っている 今生のものだけでは解明出来ず 前世、転生を信じなければ 自分の道が観えて来ない 過去に学び未来に生かすこと 少ない体験のみでは明日の対処が出来ず 転生の中のものを観ようとすれば 過去の原因に共通するものを見つけ 救われた仕組みの中に 自分の使命を発見出来る 完成された魂に転生の必要は無く 未完成の部分の成就のために 人は生まれ直して来る 意識の中にそのすべてが有ると信じれば 自分の道が明らかに成るのだろう "空即是色 色即是空"はよく使われる般若心経の言葉だが、氷山の一角のようなものが人の心だろう。見えている部分はわずか5~10%しかなく後は水面下を想像しなければ全体が見えて来ず、言葉や態度・色を観て、よくコミュニケーションをとっていなければ見誤ってしまうのが人の心だろう。空の中には人の基盤【血筋、土地柄、時代の知識等の生い立ち】が有ってそれを観なければ心の中に有るものが見えて来ない、そこに前世からの、転生からのものも入っているそうだから、社会に入れば摩擦が起きても不思議ではないだろう。記憶は意識の中にあるもので、生まれてから歩んだ道に無いものも入っている。今生のものだけでは人も自分をも理解出来ず、自分の道が観えて来ない。不慮の出来事でも偶然でないと思えばその起きた原因が有るはずで、必然と思わなければその原因【因縁果報、因果応報】が自分に有ったとは思えず、カルマ・業を修正浄化することが出来ずに同じ過ちを繰り返してしまう。そこにはいつも救い・恩恵のようなものが有って、その共通点を見つけ出せば自分の生まれて来た意味を知ることに成ると言う。魂が完成された菩薩や如来なら転生する必要が無く、未完成だから人はその成就のために生まれ直して来るのだと言う。意識の蔵に在るものを思い出せば自分の道が明らかに成るのだろう。惨めな結果に、あんなん偶然や、俺には関係ない、あいつが悪い、あいつのせいや、何で俺がこんなめにあわなあかんねん、等と言っていてはいつまで経っても良い花が咲かないのだろう。 2013年1月5日 琢
2013年01月05日
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想像力が乏しければ 危機感は少なく 優しさの無いところに 笑顔は少ない 四苦八苦を経験するほど 想像力は増して 本当の優しさを知る 命の尊厳に国境は無く 本当の神は一つしかない 宗教に国境は無く 人の心は平和を求めている 風土風習の違いは有っても 同じ心の安定を求めている 領土の支配も心の支配には成らず 大自然の恵みには感謝有るのみだろう 何千年の民族紛争は一日にして治まらず、神の違いの殺戮も無くならない。動物・旧皮質脳は同族を殺さないのに人・新皮質脳はそれをしているのは何故か、その違いは自己顕示意欲、自我我欲、自己保存だそうで、それだけを充たすためにやるのだと言う。宇宙大自然の中に共存する人にだけは文化文明の発達が有るが、信仰や宗教は有っても、心の安定は未だに得られていない。宇宙大自然の仕組みの解明は未だにそのほんの一部で進化は続いているが、創造と破壊の間に心の安定は得られず、宇宙の解明の段階に来て地球を見渡せるようになって狭く感じる今、もう、国境を取り払う段階に来ているように感じてしまう。想像力が乏しければ危機感は少なく、やさしさのないところに笑顔が少ない。命の尊厳には国境は無く、真理は一つしかないだろう。宗教にも国境は無く、人は世界平和を求めている。風土風習の違いは有っても、求めるものは同じで、領土の支配も心の支配には成らないだろう。全人類が心を原点に戻して、大自然の恵みに感謝し合い、邪気【都合、計算、打算、意地】を祓って、絶滅種を保護しながら、それぞれの地上に果たす意味を尊重して共存する心に至らなければ、人間同士の我がことの優先だけでは治まらない時代が来ているのだろう。人は"仲良く、機嫌良く"を求め続けている。 2013年1月4日 琢
2013年01月04日
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断末魔の覚悟は 避けようが無く その覚悟が有れば 何でも出来る 避けるとき、逃げるとき 追われる恐怖を思えば 立ち向かうしかなく 受け止めれば根源の力を知る 死地に活路が観えて来る 自分を捨てて無私に成れば 利他の心が前に出て 神仏に托身すれば 邪気は消えて 本当の自分が観えるだろう 死者はそれを超えたのだろう お釈迦さんは、人は生まれた以上、みな第一の矢に当たっている、と言ったそうだが、死を迎えるのは自分だけでなく、生老病死は自然の摂理で四季の流れと同じく時を止めることは出来ない。生命力が盛んであるほど死の恐怖が強く、その苦しみを想像するほど恐怖感が増して、心にも無いことをやって自分だけは生きていたいと思うのは人情だろう。自殺者が増えているが何かの恐怖【大きな試練や絶望】を超えられずに自分の命を絶ってしまう、人には一度や二度は死を考えたことが有るもので、試練を超えるほど強くなっていくのだろう。人一倍その恐怖をもっていたのが自分で、霊魂不滅とは思えず、人間は死んだらどこに行くのだろうと思えば思うほど死にたくない心が強かった。唯識の講義のときに断末魔の話が出て、何故かそれ以来吹っ切れて、自分の初期のがんでの手術以来、そのことを考えなくなっている。断末魔の覚悟は避けようが無く、その覚悟が有れば何でも出来ると思えるようになった。苦しいとき、痛いとき、断末魔はこんなものじゃないと自分に言い聞かせ、自分の心を整えることに重きを置くようになっている。避けようとしたり、逃げようとするほど追いかけてくる恐怖感を思えば、立ち向かうしかなく、受け止めることが出来れば底から湧き出す根源の力を知るだろう。死地に活路と言うが、自分を捨てて無私に成れば利他の心が前に出て、神仏に托身すれば邪気は消えて、本当の自分が見えて来るのだろう。死者はそれを超えたのだろう、通夜、葬式に行くたびに、それを越えた顔を見て拍手を送りたい気分に成ることも多かった。綺麗な顔で死にたい、そのためには可愛いお爺ちゃんでいたいと思う心が、大地震が来ようと天変地異が来ようと、いつ来るか分からないことことを恐れず、来たとき、最悪のときの覚悟さえ出来ていれば、最後に思うことは顔がゆがまず綺麗で有りたいと思うのも人情だろう。その上で決然と今を生きることしかないだろう。 2013年1月3日 琢
2013年01月03日
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約束は自分の心に刻むもの 破るときは自分を偽るときで 言い訳は自分の嘘の原因、考えに成る 身の回りのことへの対応は すべて自分の決断で その嘘の堆積で自分を評価することに成る 他に言われるべきことでなく 避けたことも逃げたことも すべて自分が知っている 自己管理は自分がするもので 他に押し付けるものでなく 自分への挑戦だろう 子供はそれを見ている 子供との約束を大事にすることは 自分を捨てなくても良い岐路に成る 神経症は自責の念から来る場合が多いが、黙っていても苦を積むようになっているこの世では、その材料はいくらでも増えてゆくようになっていて、自分から憂鬱材料をつくらない様にすることが先決だろう。ウエルカムなのに消えてゆく人も多く、自分の行いが人に同義的、人道的な迷惑をかけたと自覚すればその人の眼を見られなくなって消えるしかなくなってしまうのだろう。約束は自分の心に刻むもので、破るときは自分を偽るときで、言い訳は自分への嘘の原因や考えに成っている。身の回りのことへの対応はすべて自分の決断で、心に決めたことを果たさないときの嘘の堆積で自分を評価することに成る。他に言われるべきことでなく、避けたことも逃げたこともすべて自分が知っている。自己管理は自分がするもので他に押し付けるものでなく、自分への挑戦と思った方が良いだろう。子供はそれを見ているもので"親は子に背中で教える"と言うが、子供との約束を大事にすることは、自分を捨てなくても良い岐路に成るだろう。 2013年1月2日 琢
2013年01月02日
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明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。明るい材料がたくさん有りますように! 太陽や月は在るもの 光りや熱は有るもの 水や空気は有るもの 引力は有るもの 昼や夜は有るもの 季節も有るもの 有るものを無いとは思えない すべてが当たり前と思う心 どれも失われるとは思えない 神仏は自分を守ってくれている 人はそう信じて生きている 物質の限界を知っていても 一人一人が別の存在で いつも自分を見ながら 機嫌良く生きている 自分と宇宙大自然のこの世に 感謝が横を繋いでいる 時々思うことだが、人の心の中や頭の中に入ってみたい、どんなことを願っているのか、何をしようとしているのか、口で言っていることが本当なのか、自分をどう思ってくれているのか、色に表れたものだけでは信じ切れないときが有る。お互いに明日生きている保証はどこにも無く、空に有るものを見抜けなければ不安は増すばかりで、自分の道は決まらない、と思うときが有るだろう。触れなくても目に見えるもの、聞こえるもの、この世の現実は有るもので無いとは思えず、有って当たり前と思わなければ一歩も進めない。神仏は自分を守ってくれていて、生老病死や諸行無常、物質の限界を知っていても、歩くたびに体験してそのことが実証されてゆく中で、自分は特別の存在で、在るものを否定できず、機嫌良く生きるための安心を求めている。居心地の良い自分の居場所を探しながら、その手ごたえをつかみたくて、人の役に立っているときが、無私に成れたときが、自分の存在を感じられて、人も自分も関わりながら恩恵の中で生きていると思うようになるのだろう。自分と宇宙大自然のこの世に、感謝が横を繋いでいるのだろう。 感謝こそ 道の極みと 仏道に 菩提の心 にじみ出てこそ 2013年1月1日 琢
2013年01月01日
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