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悲しい結末を迎えたとき人はどうすれば良かったかを考える自分の関与の仕方に落ち度が無かったか最悪のシナリオの必然を思えばその原因を探し自分の愚かな都合が入っていたことそのための犠牲を思えば改善策をより確かなものにする業・カルマの修正浄化で次の失敗を少なくする敗北が無ければ快感原則を抜け出せず域に達することも無くなる失敗が自分を進化させてくれる自己回帰、検証の大切さを思う自分は悪くない、向こうの方が悪い、自分には関係ない、責任なんか感じる必要も無い、気分が悪い、損したなどと、強気でいられる内はいいが、何度も同じことが続いたり、同じ過ちを繰り返したりしている自分に嘘はつけず、孤立し始めてはじめてこれはいかんと思い出す。賢い人なら敏感に末路を思うことができるが、未熟なほど末路を思いたくないもので、自分を改めるところまでいっていない場合が多い。悲しい結末を迎えたとき、人はどうすれば良かったかを考える。自分の関与の仕方に落ち度が無かったかを考え、二度と取り返しの付かない最悪のシナリオの必然を思えば、その原因の中に自分の愚かな都合を押し付けていたこと、そのための犠牲を思えば、自分だけは無関係だとは言えず、その改善策をより確かなものにすることができる。業・カルマは同じ過ちを繰り返させ、わかっていても止められず、逃げようのないものだと気がつくことが出来れば、その修正浄化をすることで、次の失敗が少なくなってゆく。敗北が無ければ、そんなことも考えず、快感原則から抜け出すことも出来ず、域に達することもなくなってしまう。失敗や失望、しいては絶望が有るから人は自分を進化させることができて、相手の身に成って考えてみることから摩擦も少なくなって、無闇に敵をつくることも少なくなって、迷い、葛藤も少なくなる。すべてことのあとには自己回帰、自己検証が大切なことが解って来るだろう。 2015年1月31日 琢
2015年01月31日
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史上の戦いには緻密な戦術から戦略への推移が有る義経の戦術、信長・秀吉の戦略へ勝つべくして勝つための奇襲猛勇の戦いから犠牲を少なくする発想の転換秀吉の戦いは土木工事だった鉄砲伝来から戦略に変わり大志を持つものが天下を統一する戦乱が盛んなほど優れたものが現れ死の恐怖には心の安定を説いて回った信念にはその宗と思想を要し強い意志とともに願いを成就する歴史の栄枯盛衰の原因を探れば自分の生き方の参考に成る日本では士農工商が自分の生き方の種類になっていて、身分制度にも成っていた。士はもともとは農民が泥棒から田畑を護るために武装したものが専門職に成ったものだった。荘園、守護地頭の関係から武士になって各地の守護に当たるようになったもので、その地を統治するように成って、その大義名分は天皇と衆生の間で国を護る代理人から権力者に成って行ったものだった。史上の戦いには、緻密な戦術から戦略への推移が有る。義経の鎌倉時代までの戦術、信長・秀吉の室町後期以降の時代になって戦略に変わって行った。勝つべくして勝つための奇襲、猛勇の戦いから、大将の首だけを取れば勝つこと、犠牲を少なくする発想の転換から、秀吉の闘いは建築工事や土木工事によって相手側の度肝を抜き、兵糧攻めで川の流れを変えて水や食料の道を断つことで疲弊させ、忍者に悪い噂を流させて気力を失わせて降伏させることだった。鉄砲伝来以来戦略に変わり、大志を持つものが天下統一を目指して戦乱を無くし、農業、商業の発達による豊かな国をつくろうとした。世が乱れるほど優れたものが現われ、死の恐怖には心の安定の道を説いて回った。信念にはその宗と思想・理論的根拠を要し、強い意志と共に願いを成就しようとしている。歴史の栄枯盛衰を見れば、原因と結果の法則がはたらいていることも理解できて、信長、秀吉、家康の生き方の”ホトトギス”談義のように、選択肢の選び方は自分の生き方の参考にも成るだろう。 2015年1月30日 琢
2015年01月30日
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競い合いで人は進化する日本では紅白に分れ欧米では南北に分かれるどれが正しいかではなく力量を競い合う紅白の起源は源平の戦いからで下剋上や弱肉強食も自然の摂理だろう強いものが生き残るが二見に終始すれば道を間違える場合が多く人生の歩みでは生き甲斐を求め快苦を超えた域に達したいと願う気力に刺激を与える競い合いは試練を克服するためには必要なのだろう無目的、無気力の人が多いと思うが、誰にも今生で果たす使命が有るはずで、それを見付け出す道が人生上の冒険とも言えるだろう。潜在意識の中にもってきているものを思い出すことで、その道を歩めば迷いが無くなって、手応えを感じながら悔いの無い歩みができる。道には快苦がつきものだが、それを超えたところのものをを求めて歩むことに成っている。快は気力、意欲を培わせるものだが、それは長くは続かず、殆んどが苦のようなものだが、苦を超えることで人は進化し、次の試練のための智慧に成っている。競い合うことで人は進化するもので、日本では紅白、欧米では南北に分かれて、どれが正しいかではなく、力量や団結力を比べながら、気力や意欲を自分の自信につなげているのかも知れない。歴史を見れば、紅白は源平の戦いからで、天下統一のための下剋上や弱肉強食も自然の摂理なのだろう。強いものが生き残るように成っているが、単なる二見に終始すれば、道を間違えたり、悔いを残したりしてしまうだろう。人生の歩みは、それにとらわれない生き甲斐を求めるもので、それは快苦を超えたところに有る領域を求めようとする、どう生きるか、どうあらんとするかの状態を求めるものだろう。気力や意欲に火をつける競い合いは、試練を超えさせるためには必要なことだろう。負けたくないと言う心が強靭な精神力を培わせ、上には上が有ると思えば足るを知ることに成るのだろう。 2015年1月29日 琢
2015年01月29日
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行動するとき習慣が出る場合が多いが誰にも有る習慣は必ずしも他に心地良いものでなく摩擦が多い習慣は改めておく必要が有る試練の原因を断たなければ目標を更に遠くしてしまう視野を広げて対応しなければ無意識の習慣が障碍になって先が見えない事態を迎えてしまう人の都合はそれぞれ違うもので思い通りに成らない道をみんなが歩んでいる逆に思い通りになったときこそ要注意で習慣は身勝手が通用しないものだろう人には慣れが有って、嫌なことや苦手なことも、はじめよりは段々慣れるほどそれほどではなくなってしまう。慣れが有るから生きていられることも多く、二度目に見るものの識別ができるからこそ、歩みやすくなるだろう。方法的懐疑、警戒心が無くなったものを取り入れるのが人間で、失敗が多いほど石橋を叩いて渡るようになることも有るだろう。反面、慣れることほど怖いものは無く、他の親切や好意に慣れて粗末に扱ったり、いつもやっていることが他人の迷惑に成っている場合も多く、それで通ってきたと錯覚している場合も多いだろう。行動するときに、習慣が出る場合が多いが、誰にも有る習慣が必ずしも他に心地良いものでなく、摩擦が多い習慣が有れば改めておく必要が有るだろう。試練の原因を正しておかなければ、何度も同じ試練に慣れ切って、目標を遠いものにしてしまう。視野を広げて対応しなければ、無意識の習慣が障碍に成って、先が見えない事態を迎えてしまうことも有る。人の都合はそれぞれ違うもので、思い通りに成らない『不随の定め』や形有るものは時と共に崩れ去ってゆく『崩壊の定め』など、この世の諸行無常を誰もが免れることが出来ない忍土の自覚が必要に成っている。思い通りにならない道を歩むのが人生だが、逆に思い通りに成ったときこそ要注意なのがこの世の学びに成っている。自分ではいいと思ってきた習慣でも、身勝手なものと思われていれば通用せず、避けられたり、距離を置かれて孤立してしまうことも多く、油断は禁物だろう。 2015年1月28日 琢
2015年01月28日
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布石は先で生きてくるもの何処でどう生かされるかわからなくてもいつどんな綺麗な花を咲かせるか計算できないものでも未熟な自分でも良き縁に成ることが出来れば嬉しいもので悔いが残らない時代が求める心の状態がいつか実を結ぶことを信じて同じ志が増えることから時代の風潮を変えるときその一部分が自分の使命と自覚できればただ素直に良心に従って真っ直ぐな道が観えて来るだろう人の円環的思考の中に共通のものが善意の輪を広げるどういう結果が生まれだすか予測が付かなくても、今自分が良いと思うことをやっておくことの大切さ。あとに成ってあれをやっておけば良かったと思ったこと、その勇気を持てなかったこと、そういう悔いが数多くなることから人は自信をなくしてしまう。とにかく先が見えなくても今やるべきと思ったことをやっておくことが、先で有効になる、生きてくることが多い。布石はそういうもので展開の中でいつか生きてくるもので、何処でどう生きてくるかが解らない時点で、いつどんな綺麗な花を咲かせるかを計算できないものでも、やっておきさえすれば生きてくる、橋渡しに成るときが来るだろう。未熟な自分でも他のための良き縁になることが出来れば、嬉しくなって、やっておいて良かったと思うことも有るだろう。時代が求める心の状態が、いつか実を結ぶことを信じながら、同じ志が増えることから、時代の風潮が変わってくれば、その一部分が自分の使命と自覚することが出来れば、この上ない歓びに成るだろう。ただ素直に良心に従うことから、何かの手応えを感じることが多くなれば、その先に真っ直ぐな道が観えて来るだろう。人の円環的思考の中に、共通するものが善意の輪を広げることに成れば、自分一人では出来なかったことも、同志や仲間と共に歓喜の渦を巻き起こすことも、実践さえしていれば、いつは達成するときが来るだろう。 2015年1月27日 琢
2015年01月27日
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感動と発見は人それぞれ受け方が違うそこに生まれる夢や希望の描き方新たなものと改革するものどれかを自分の意志で選択する傍観するときと何かをしようとするとき共に参考に成るもので自分の存在価値や居場所を確かにするもの自分の歩む道では他山の石と思うものも大いに共通するものが有る親の反面教師も有れば知らずに似たような道も有る自分の心の中には改良されるべき遺伝子が入っている名前には親の願いが入っているもので、自分が目指したいもの、いつも心がけているもの、幸せをイメージするもの、が有って、時代に影響されるものも有る。子供は親の背中を見て育つと言うが、良いところも有れば良くないと思うことも有って、いつも淋しさや怖さを感じてきたことには自分はそうならないようにしようと心掛ける。ほとんどはその受け継いでいる遺伝子の影響が強く、気が付けば同じ道を歩んでいる場合が多い。外から受けるものには感動と発見が有って、人それぞれ受け方が違うが、生い立ちや基盤の違いが影響している場合が多い。どういう夢や希望を描くかは自分の意志で選択するもので、新たなものや改めるべきことを選ぶことが分岐点に成っている。傍観するときや何かをしようと決意するときには大いに参考に成るもので、自分の存在価値や居場所を確かなものにするための道を歩んでいる。どう歩むかには他山の石と思うものにも大いに共通するものが有るだろう。親のようには成りたくないと戒めておくことが有っても、知らずに似たようなことをしながら、似たような道を歩んでいる場合が多い。蛙の子は蛙で、自分の中に有る親から頂いた遺伝子は消せないもので、人はそういう条件と制約をもって生まれてきながら、自分の使命を求め、魂のなかの潜在的なものを思い出そうとする歩みの中から、少しずつ見切ったり、割り切ったりしながら自分の道を見つけてゆくのだろう。遺伝子には、体の中に流れるものと魂の中に持っているものが有る。人の因に大いに関係して影響されているもので、修正浄化しながら、自分の使命を発見して果たす自覚をすることで迷わなくなって来るのだろう。 2015年1月26日 琢
2015年01月26日
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出る杭は打たれ芽を出せば踏まれる生命はそれでも芽を出す風雨にゆがんだ松の美しさ命は生きる力と意志で保たれ願いの方に向けて伸びてゆく光に向う姿は草木が太陽に向うように大地に根を張って養分を吸い上げ風雨にも負けない力強さで縁と共に花を咲かせ、実を結ぶ草や木も人も生物も自然の摂理と共に成り立っている無駄なものは一つもない自分など生まれて来なければ良かったのにとか、なんでこんな目に会わなければ成らないのかと思うような試練がやって来る。偶然にしてはあまりにも運が悪い生まれだと思うこともしばしば有っただろう。人それぞれ真っ直ぐに伸びようとするが、出る杭が打たれるように、芽を出そうとすれば踏まれ、横に伸びるしかないが、邪魔が多くてまたゆがむしかない。そのすべてが必然ととらえるのが心の道で、生命はそれでも芽を出し、風雨にゆがんだ松の美しさのように風土の美しさも自然の摂理で、そういう条件と制約の中でどう生きるか、どんな役を果たすかが人の世の人生の道だと、それに従うべきだと思うことから進化が始まるのだろう。命は生きる力と意志で保たれるもので、願いの方に向けて伸びてゆき、光に向う姿は、草木が太陽に向うように、大地に根を張って養分を吸い上げ、風雨にも負けない力強さで、縁と成るものと共に花を咲かせ、実を結ぶのだろう。試練は厳しいほど人を成長させるもので、乗り越えてみれば、明日の自分がかすかに見えてくるように、苦を積み重ねるほど智慧が蓄えられるのだろう。草や木も人も生物も、自然の摂理と共に成り立っているもので、そこに学ぶことは多く、無駄なものは一つもないのだろう。魂を意識すれば、何転生もの間に蓄えられたものが『空』の中に詰まっている、何度も転生を繰り返すのは、未だ修正事項や使命を果たすことが成されていないということなのかも知れないと思うことが、スタート時点の心構えなのだろう。 2015年1月25日 琢
2015年01月25日
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どんな生き方をしようと人は死ねば四日で骨壷に入る寿命まで全うすること”どれだけ生きたか”より”どう生きたか”使命を果たせたか生まれて来た意味を知ることが出来たか前世の約束を果たせたか四苦八苦の末に自覚できたものはどんな悔いが残っているか精一杯生きた顔は美しいその生き様は人の心に残っている成功談は人の夢や希望になり失敗談は智慧に成る立てた目標には失敗談が有効だろう成功談は励ましや気力の元に成る歳をとれば昔を思い出すもの、苦しかったこと、うれしかったこと、悲しかったこと、楽しかったこと、人それぞれ感慨深いものが有る。良かったことを言えば夢や希望の励みに成り、ダメだったことは戒めや進化のための智慧に成るだろう。どんな生き方をしようと、人は死ねば四日で骨壷に入ってしまう。寿命まで全うすることは尊いことで、”どれだけ生きたか”より”どう生きたか”、使命や生まれてきた意味が解ったか、それに沿った生き方ができたか、前世に意識の蔵に入れておいたものを思い出せたか、人の生き様を見れば”どうしたか”が解るが、”どう在らんとしたか”、筋が一本通った生き方をしたかも観えて来る。観自在では、四苦八苦の末に自覚できたもの、どんな悔いが残っているか、執着を滅したか、が見えて、精一杯生きた人の顔は美しい。その生き様は周りの人の心の中に残っている。戒名はそれを示すもので、どう生きたかが解るように成っている。成功談は他人の夢や希望の励みに成り、失敗談は進化に必要な智慧に成って、立てた目標には失敗談の方が有効だろう。快苦で生きる中では苦の方が長く、進化の元に成るもので、たまに与えられる快が有るから、そのために頑張る勇気や意欲が涌いてくる。あれを超えれば歓喜の涙が待っていると思えば必死に頑張ることも出来るだろう。楽しみが有るから頑張れるが、楽ばかりで、恩恵にも気が付かず、感謝の心も持つことができなければ、してもらうこと甘えることしか知らず、出来るように成る幸せを知らず、して差し上げることの幸せも知ることが出来なくなってしまうだろう。感謝こそ 道の極みと 仏道に菩提の心 にじみ出てこそ 2015年1月24日 琢
2015年01月24日
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霊にインタビューしてみればその嘆きが解るだろう過去を解き明かすことが出来れば多くの後悔が解るだろう今を生きるものの疑問が既にあの世にいる霊の悔やみが共通のものが有るだろう時空を超えてみれば転生の意味が分るだろう修行の末に得る自覚間脳・霊堂が開いたときに観るもの死んでみれば納得できるものそれを今知るには過去に学ぶしかない特殊な霊能力が無くても心の安定は自覚することだろう探し求めているものが見つからず、日々無意味な積み重ねをしてきたのかもしれないと焦る気持ちを持つことも有った。この世に無意味なもの、無駄なものは一つもないと言うが、自分の重ねてきたことは無駄なことばかりしかない、余計なことばかりを仕入れてきたんだろうと思うこともしばしば有った。受験のときは教師の頭の中に入ってみたいとか、先が見えないときは覚者の心を覗いてみたいとか思ったことも有った。霊にインタビュうーできれば、一度死んで生還した人が見てきたことが分るかも知れないと思ったことも有った。高橋先生の新創世記天上編にそれが有った。あの世は不変で、違うものに生まれ変わることはないと有った。霊にインタビュうーすれば、その嘆きが分るだろうと思ったこと。過去を解き明かすことが出来れば、多くの後悔が分るだろうと思ったこと。既にあの世にいる例の悔やみが分れば、多くの共通したものが有って、今を生きるものの疑問が解けるかも知れないと思ったこと。時空を超えてみれば、転生の意味が分るかも知れないと思ったこと。修行の末に得る自覚。間脳・霊道が開いたときに得る特殊能力【予知能力、先見能力、洞察力、読心など】。死んでみれば納得できるもの、死んだものにしか分らないこと。そういうことが分ったような気がした。それを今知るには、過去に学ぶしかないと思った。特殊な霊能力が無くても、心の安定は、自分の生まれて来た意味や使命に気付いて、それをする自覚ができれば、今をどう生きるか、自分がどうあらんとするかの観自在ができるだろう。人生とは 問題を追及することではなく 既に有る解答に気が付くことである ミカエル 2015年1月23日 琢
2015年01月23日
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簡単な道、簡単な人生には簡単な努力しかない精進は快苦を超える歩みで他を頼りにすれば楽な道だが自分に主導権が無い歴史がそれを示している生きるだけの道に目標は無く着地を目標にすれば跳躍の仕方が変わる限界を知る努力の積み重ねは整える力を培わせ臨機応変の体幹を身に付ける背伸びする必要も無く縁と共に根源の力を出せる無限のエネルギーも出せる何かに燃えるとき、目標を見出したとき、目の色が変わってきて、輝きすら見えてくる。人が夢や希望に向けて信念と共に突き進む姿は、微笑ましくも有り、清々しさが有って、応援したくなって、自分に重ねる心理的なものもはたらくだろう。そういうときの本人は他を当てにする発想が無く、どんな試練・障碍にぶち当たろうと自分で超えようとする。大きな障碍に無力を感じるときも有るが、意志と気力がそれを超えさせようとする。簡単な道、簡単な人生には簡単な努力しかなく、精進は快苦を超える歩みで、他を頼りにすれば楽な道だが、自分に主導権が無く、他力を当てにするようでは自分が勝ち取ったことには成らない。歴史を見れば如実にそれを現している。ただ生きるだけの道に行き先は無く、人頼みの道に満足感が無い。着地を目標にすれば、跳躍の仕方が変わる。限界を知る努力の積み重ねは、整える力を培わせ、自己管理の元に気力を失わせず、臨機応変の体幹を身に付けさせる。背伸びする必要も無く、自分を信じてさえいれば、縁と共に根源の力も出せるようになる。人が燃えている状態はそういう状態で、邪気が無ければ、無限のエネルギーも湧き出させることに成る。人がとんでもない奇跡を起こすときは、そういうもののすべてがタイミング良く整ったときだろう。運は自分で引き出せるもので、殻を破ることができれば別人のようになれて、苦を超えて進化した自分には、やって出来ないことは無いと思えるような自信さえ湧き出させ、自分の運命は自分でつくり出せるものだと思うようになるだろう。 2015年1月22日 琢
2015年01月22日
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願いを立てて念ずればどんなことも可能性はゼロではない多くのチャレンジ、失敗を超えて進化し願ったことが実現すると信じればやってみる価値が有る試練はつきもので至らないところを教えてくれるのが失敗失敗を恐れては何も出来ず失敗が有るから教訓が有ってその教訓が智慧に成る無知のままで出来ることは無く怠惰にも栄光は無いあらゆる困難の先に光明が有る踏み出して歩き出さない限り到達は無いどんな論理的、学術的知識が有っても、やってみなければ始まらない。経過の途中で批判が有っても、評論家の結果論に振り回されず、信念を曲げないこと、忍辱のしどころで、迷っても放棄せず、諦めずに自分の信じることをやって観ることが大切なことだろう。夢や希望に向けた願いを立てて念ずれば、どんなことも可能性はゼロではない。生命力は意志の力で、命有る限り勇気を出してやってみること、多くのチャレンジや失敗を超えることで進化するもので、願ったことは必ず実現すると信じれば、やってみる価値が有るだろう。至らないところを教えてくれるのが失敗で、失敗を恐れては何も出来ず、失敗から教訓を得て、教訓が智慧に成る。無知のままでできることなく、怠惰に栄光も無い。あらゆる困難の先に光明が有る。踏み出し、歩き出さない限り到達は無く、どんな失敗や試練が有っても意志を強く持っていること、留まること、改めること、超えること、担うことがいつか歓喜の美酒を飲ませてくれるだろう。 2015年1月21日 琢
2015年01月21日
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善意の解釈が基本だが暗黙のことが多くその部分、どの範囲、どの程度までにそこに明確な定義が無く常識と言っても常識の差が大きい約定を交わすことも無くその人のセンスにゆだねられることが多いすべてが信頼関係で結ばれているが有る程度法律に精通して地域差も考慮の上で信じることでしか歩めない人は信念と共に強く違う基盤の受容が無ければ迷いや葛藤ばかりで不随の幅が大きくなる西洋人は言うことを美徳とし、東洋人・日本人は言わないことを美徳としている。事細かなものについては常識の範囲で、その人物としての評価に委ねられている。その歴史に滲み込まれてきたものがその人のセンスの良さとして、あれは人物だと評価されることが多いのが、言わないことを美徳とし、察することが懐の深さだと認められるように精進を積んだ人に与えられる誉れに成っている。それが常識に成っているのが日本人魂の良いところであり、悪いところでも有るだろう。善意の解釈が基本だが、暗黙のことが多く、その部分、どの範囲、どの程度までかが明確に示されず、常識に委ねると言っても、常識の差が、基盤の差が大きく、約定を交わすことをせず、その人のセンスにゆだねられるところが多すぎる。すべてが信頼関係で結ばれているが、有る程度の法律知識には精通して、地域差も考慮した上で、信じあうことに成っているが、最近のようにどのような家庭で、どのような教育を受けてきたかまでが疑わしい事件が多発してくれば、基礎からやり直すことが必要になってくるだろう。人は信念と共に強く、違う基盤やこれからのこと、先のこと、未生のこと、未然のことをカオスとして、その人の心によって現象化してゆく、通過して過去のものに成ってゆくことを思えば、違う基盤や常識の差を受容できる奥行きの深い人間に成っておく必要が有るだろう。常識を逸脱した偏見を正しておかなければ、迷い、葛藤ばかりが多くなって自滅してしまう人も多く成ってしまうだろう。果てしなく 険しく続く 天の道受容してなほ 見えぬ道のり 2015年1月20日 琢
2015年01月20日
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人の心には表層と深層が有って親しくなるほど深層が窺えるが見せる部分と見せない部分が有る親友に成れば開くが信頼されなければすべてを開くことが無い信頼は長い間に構築されるが疑問と共に崩れてしまう表層が傷ついても本質は変わることなく土台から覆されそうになれば信頼関係は壊れてしまう深層を読まなければその人の何たるかが解らない生涯の友はそれが通じ合っている自分でも自分の心のすべてや意識や魂のなかの潜在的なもののすべてが解っていない。そのすべてを掘って行くのが人生なのだろうが、生まれて来た意味や使命を自覚できた人がどれだけいるかは解らない。手ごたえの無いまま返って行く人も多いだろう。人の心には表層と深層が有って、親しくなるほどその深層が窺えて来る。見せる部分と見せない部分があって、親友に成れば明かすが、信頼しなければ明かされることが無い。信頼は長い間に築かれてゆくものだが、疑問と共に崩れ去ってしまう。表層が傷ついても本質は変わることが無く、本音で付き合うように成れば絆が強く結ばれてゆく。邪気と共に土台から覆されそうになれば、信頼関係は崩れてしまう。人の心は自分でも気が付かない部分も多く、深層を読まなければ、その何たるかが解らないだろう。生涯の友に成ればそれが通じ合っているのかも知れない。自分の心の動きを知るには止観をすることだが、感情の動きは瞬間的なもので、どう動いて来たかに一定の傾向が有って、自分ではうすうすは気が付いている。特に動いたと感じるときは、そのときの感じ、受け止め、考え、行為を見ることで、心の傾向が客観的に解って来るもので、何処で修正をかけるかも解って来るだろう。自分でも手におえないのが自分の心で、止観せずに自分の都合だけで進もうとすれば、最後に傷ついてしまうのは自分ということに成るだろう。相手の立場に立って見ることから信頼関係が構築されるが、自分の本当の心の深層を知らなければ、自分の本性さえ解らないままだろう。悟らんと 重ねた無駄も 気が付けばあれも我が道 これも我が道 2015年1月19日 琢
2015年01月19日
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改革のとき中国だけでなく比較競争の原理自然の摂理に従うこと唯物的、刹那的、利己的でなく共生するすべてのもののために摩擦、矛盾の少ない変革期のために自分を改め、変えるときが来ている天体と地上現象の周期的調整期だからこそ、今整えて置くこと過去の歴史に例のないことを新時代を創世するためにゼロ地点の格差をちじめて置くこと”天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず”大自然の周期的調整期に入ったとしか言いようの無い地上現象が世界各地で起こっている。自然災害大国と言われるこの日本にも、大陸プレート【北米プレート、太平洋プレート、フィリピンプレート】の移動調整期、地下のマグマの活発化、地球の温暖化、水位、水温の上昇による諸調整現象、見えない天体の変動調整期、太陽の黒点の大小の周期と地上現象、人間の意識の価値観の調整期、いつ何が起こるか見当が付かないときだからこそ、今変えておく必要が有るのかも知れない。中国だけでなく世界中が改革のときが来ているのだろう。政治、経済、信仰のどれをとっても人の命に関わる問題で、国や宗教の意地等を超えた人間としての原点に戻って、良心に従った生き方をする社会の形態を価値観の評価基準の再構築するときが来ているのかもしれない。比較競争の原理の有り方、自然の摂理に従うこと、人や国の有り方が、唯物的でなく、刹那的でなく、利己的でないものに、地上に共生するすべてのもののために、摩擦、矛盾の少ない変革期のために、自分を改め、変えるときが来ている。天体と地上現象の周期的調整期だからこそ、今、そのすべてが整うようにしておく必要が有る。過去の歴史にとらわれることなく、新時代を創世するために、カオスをひろくとって、常識、ゼロ地点の格差をちじめておくことが必要だろう。この地上に生きるものの命の尊厳を改めて考えてみる必要が有る。福沢諭吉が残した言葉は人類の有り方の原点だろう。天は人の上に人をつくらず 人の下に人をつくらず 2015年1月18日 琢
2015年01月18日
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産みの苦しみ男には耐えられないと言う妻のとき、嫁のとき、娘のときそれぞれ受け方が違うもう二度とと思う心も生まれてしまえば次が欲しくなる当事者と傍観者では全く違うもの生老病死、栄枯盛衰も主観的に見るか客観的に見るか成し遂げたいものが有れば快苦を超えた先を求める男にしかできないことも有る楽の積み重ねには成就が無く人智を尽くして人智を超えたところに先が見える満足が有る何でも常識の範囲でこの世は治まっているが、その範囲のことをしている内は常識的な並みの評価しかえられず、常識を超えたところにみんなをアッと言わせるものが有って、評価や人気が上がるのが世の常だろう。アッと言うことばかりを安易に狙えば、大切な基礎の下積みが無く、根無し草のように、線香花火のように一瞬だけの満足に終わって空しさ、空虚に包まれた人生に成ってしまう。どんなものにも産みの苦しみが有るが、恐怖におののく時は案ずるより生むがやすしでリラックスしてみたり、日々の積み重ねが大きなものを生み出すのだろう。産みの苦しみは男には絶えられないと言われている。分娩室の前での、妻の声、嫁の声、娘の声、それぞれ男の受け方が違う。女としてはもう二度と思う心でも、産んでしまった母親に成れば、次が欲しくなると言う。当事者と傍観者では全く受け方が違うもので、生老病死や栄枯盛衰も主観的に見るか客観的に見るかでは大きく違うだろう。成し遂げたいものが有れば、快だけに甘んじることなく、苦にも挑戦して快苦を超えたところに有る先の道を求める。楽の積み重ねに成就は無く、人智を尽くして人智を超えたところに、常識を超えたもの、新しい世界に必要なものが有って、それを見るために、その満足感を得たいために、忍辱して歩む過程が使命を果たす真っ直ぐな道なのだろう。 2015年1月17日 琢
2015年01月17日
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身の周りには好きな奴、嫌な奴合う奴、合わない奴似たい奴、似たくない奴選択することはいくらでも有る楽なところには欠陥を埋めるもの無く苦の有るところに学ぶことが多い快苦を判断基準にすれば超える力が生まれない快は自信と意欲を、苦は智慧を引き出させるやる意志が無ければ成就は無く試練を超える力は苦で得た智慧と超えようとする意欲から超えなければ得られないものが有る好き嫌いだけでは人生を渡って行けない食べ物に好き嫌いが有れば人にも好き嫌いが多く、心の趣は好きな方に向かうもので、嫌な方は避けて通りたいと思うのが人情だろう。歩む道には好きなものばかりは無く、嫌いなものや苦手なものの方が多いことに気が付くことに成る。人には二見でものを見る傾向が多く、快感を原則としている自分がたくさんいて、嫌いなものを避けて通ろうとするものだが、勝ってばかり、得してばかり、プラスばかりは有り得ず、負け組みに成れば意気消沈し、心が定まることが無い。身の周りには好きな奴、嫌いな奴、合う奴、合わない奴、似たい奴、似たくない奴がいるものだが、半分捨てるわけにも行かず、選択することはいくらでも有るだろう。楽なところには快感が有って、それを得ようとする意欲が涌くが、自分の欠陥を埋めるものが無く、苦の有るところには気の進まないことばかりしかないが、学んで無知を埋めるものが多く、自分の欠陥を埋める智慧を身につけることができる。快苦を判断基準にしていれば、超える力が生まれず、避けたり逃げたりでは、智慧や意欲も無く、試練が来ても超える気力が湧き出すことも無い。苦で得た智慧と超えようとする挑戦意欲が無ければ先が見えて来ないだろう。人生には超えなければ得られないものがいっぱい有るもので、苦痛が有るから反発力が生まれ、待つこと屈むことから跳躍ができるようになるもので、好き嫌いだけでは人生を渡ってゆくことは出来ないだろう。 2015年1月16日 琢
2015年01月16日
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いじめ、セクハラ、パワハラはちょっとしたとらわれから意地が加われば壮烈なものに成る煩悩、業・カルマは不注意からエスカレートするもの相手の出方如何で理性を超えてしまう厳しい持戒が無ければ抑制不能に成って自分や他の人生を歪めてしまう同じ過ちを何度も繰り返し分っていても止められず大きな落とし穴にはまる前に人間として自己管理する義務が有る自分の意地と言えども”触らぬ神に祟りなし”だろう人の心の中に有る偏り、こだわり、とらわれは、摩擦を起こす元に成っていて、夢や希望の障碍にも成っている。試練は必ずやってくるもので、業・カルマが強いほど障碍が多く、観力を強くして見抜いた上で修正浄化しておく必要が有る。人のせいで、我関せずのスタンスで責任逃れをしていては目標は更に遠いものに成ってしまう。いじめ、セクハラ、パワハラもはじめはちょっとしたとらわれからや遊び心からが多く、問題が大きくなって意地が顔を出せば壮烈な戦いに変わってしまい、引くに引けない状態に成ってしまう。煩悩や業・カルマは不注意からエスカレートするもので、相手の反応如何では、意地が強く出始めて理性を超えてしまう場面が多くなる。よく自分に言い聞かせて厳しい持戒をもって置かなければ、、自分や他の人生を歪めてしまうだろう。業・カルマは、煩悩と共に、同じ過ちを繰り返させ、分っていても止められないもの、逃げても追いかけてくるもので、常に注意をしながら、大きな落とし穴にはまる前に、人間として自己管理をきっちりしておく義務が有るだろう。自分でも分っていながら留められないのが自分の中に有る意地で、”触らぬ神に祟りなし”くらい要注意のものだろう。相当理性をはたらかせたつもりでも引っ込みの付かないものだろう。意地はエスカレートさせれば人を殺めてしまうほどのもので、それだけ伝家の宝刀のように、偉大なことを成し遂げさせることも有るものだから、大切にしまっておく必要が有るだろう。 2015年1月15日 琢
2015年01月15日
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自分の命は自分だけのもののようで自分だけのものでなく人の世の社会ではその関わりに意味が有って果たすべき義務のようなものその使命を背負っている成仏したいと思えばその自覚をすること持戒は理性を通してその成就のために生かされている怠惰や思い上がりの錯覚が無いように歩むべき道をたどる任が有るそう仕組まれ人生に必然の道が有る神仏が実在するかどうかより、心の中に信じて持っておくことが大切なことだろう。自分の姿を自分で観ることができず、いつも客観的に自分を見つめるときに絶対に必要に成る心の中の存在、判断基準の元に成るもの、いつも自分を見てくれている安心感、自分が守られていると信じる心、守護指導霊と共に必然的に仕組んでくれているもの、それがあるかないかでは全く歩み方が違ってくるだろう。生命力は意志の力で、願ったことは意志が実現させている。自分の命は自分だけのもののようで、自分だけのもので無く、関わっているもののためのものでも有る。人の世の社会では、縁有る関わりに意味が有って、約束を果たすべき義務のようなもの、そういうものも自分の使命として背負っている。自分の願いを果たすこと、人の期待に応えること、どんな試練にも逃げ出さずに立ち向かって答えを出すこと、そういう前世からの必然の使命をもっている命で有ることを自覚すること、その自覚を模索するのが自分に与えられた人生なのだろう。持戒は理性を通して、その成就のために生かされている。怠惰や思い上がりの錯覚が無いように、その歩むべき道を辿る任を抱えて生まれて来ている。そう仕組まれた人生に必然の道が有る。人の世は 必然の道 天の道歩むべき道 辿るべくして 2015年1月14日 琢
2015年01月14日
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組む相手の大切さ刹那的でなく目的意識に邪気の無いもの開花のための縁が必要で別目的の縁は続かない思い通りにするためだけの縁は果報側で因縁側の縁を温めることで互いが響働することができる金の切れ目が縁の切れ目は商売では合理的だが魂レベルでの心の道のもので無く魂の約束を果たす自覚も出来ない自分の信念を曲げないこと二見【勝った負けたや損得、プラスマイナスのとらわれ】でものを見るときに間違いを起こしやすい。人にはとらわれ・執着が有って、負けたくない、損をしたくない、マイナスに成らないようにと思う心は、お金やものや名声を得ることなど唯物的なものに執着して、醜い自己保存的な行動を取ってしまうことが多い。続けることが不可能に近い勝ってばかり、得してばかり、プラスばかりに一喜一憂して、本当の自分を見失っている人が多い。人の成長には縁が必要だが、因が整っていなければ、類は友を呼ぶで、理想には程遠い縁組になる場合が多い。友や仲間、同志の縁は自分でつくれるものでなく、仕組みを頂くような出会いの元で因に縁の有るものが組むようなものだろう。組む相手の大切さは、刹那的なものでなく、目的意識に邪気の無いもの、開花のための縁に成るものが必要で、別目的の縁は長くは続かない。ただ思い通りにするだけの縁は果報側の縁で、因縁側の縁をはぐくむことで、ともに良き縁に成りあって進化しながら響働することができる。金の切れ目が縁の切れ目は、商売上では合理的かも知れないが、魂レベルでの心の道のもので無く、動機の浅いもので、そういう縁を温めていれば、魂の約束を果たす、使命を果たす自覚にも至らないだろう。自分の基盤を整えて夢と理想に向う信念を曲げないこと、自分を信じきることしかないだろう。 2015年1月13日 琢
2015年01月13日
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願いを持つこと夢と理想を思えば成就のための青写真を描くそのための目標を掲げて理想とする方向が決まれば成り行き主義ではなく、流されることも無い集団も目的意識が無ければ個々の意思がバラバラで集まった意味をなさず大志を持ち、大義が有れば同じ道を目指す縁にも恵まれて良き因縁と共に一人では得られない果報に恵まれる信念はその支えに成っている自分を信じきることの大切さ、経験はその裏付けに成るものだが、実践して実績が無ければ、根拠の無い思いつきだけの歩みに成って、失敗するたびに自信が無くなってゆく。失っては這い上がり、そのたびに強く成れるのが人間で、自信の根拠ができるほど不動に成れる。欠陥が有るから失敗するもので、修復するたびに成功の確率が高まってゆくことから自信も湧き出してくる。耐え忍ぶことができるようになれば、試練にも強く成れて、失敗を足がかりに進化が始まり、信念は更に強いものになる。願いを持つことは絶対に必要なことで、夢や理想を思えば、その願いの成就のための青写真を描き、そのための目標を掲げ、理想とする方向に向けた歩みが出来るように成る。自信が益々強くなるほど、成り行き主義には成らず、流されてしまうことも無くなる。その一個の人間が集まっているのが集団だが、その集団に目的が無ければ、響働ができず、その意志はバラバラに成って、集まった意味を成さなくなってしまう。人は大志をもち、大義に向かうことから、同じ道を目指す縁にも恵まれて、良き因縁が同じ方向に向かうことで、一人では得られない果報、思っても見なかった果報に恵まれることに成る。その一つ一つの経験が信念を更に強固なものにしてゆくのだろう。 2015年1月12日 琢
2015年01月12日
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自信過剰は打ち砕かれるもの錯覚の状態が多く視点を変えれば無防備の部分が有る並以上の努力をしたつもり他に押し上げられて天狗の状態分相応を知らず、足るを知らない状態勝ち組みに入れば人はそうなってしまう進化の元は負けが有るからで周到な準備の積み重ねと負けから得る体験からの智慧不安を跳ね返す不動の心それらが整って初めて土俵の上に上がれる素直で謙虚であることそれが自信に成り信念に成る何の目標ももたず惰性で生きて、魂の中に有る潜在的な意識から、自分が生まれて来た意味や何をするために、どんな使命を果たすべきかを思い出して、それを阻害する業・カルマ【同じ過ちを繰り返すこと、分っていても止められないこと、逃げても付いて回り自分が可哀想にさえ思うこと】を修正浄化すること、善我を育んで真我に至る光転への道の精進を怠れば六道輪廻【地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天】を繰り返すことに成る。この天は有頂天に成っている状態のことだが、人気が有ってちやほやされると調子に乗って”してもらって当たり前”になり、人の善意を粗末に扱い、自分の力、人の世話には成っていないと感謝できない状態を言っている。自信過剰は打ち砕かれるもので、錯覚の状態が多く、視点を変えれば無防備の部分が有る。並以上の努力をしたつもり、他に押し上げられて天狗の状態、分相応を知らず、足るを知らない状態で、勝ち組だと錯覚すれば、人はみんなそうなってしまう。進化の元は負けが有るからで、周到な準備の積み重ねと負けから得る体験からの智慧、業・カルマの修正浄化、不安を跳ね返す不動の心、それらが整って初めて土俵に上がれるものと自覚しておくこと。ただ、素直で謙虚な自分に成ったときに、それが自信に成り、信念に成るのだろう。感謝こそ 道の極みと 仏道に菩提の心 にじみ出てこそ 2015年1月11日 琢
2015年01月11日
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個々の人間の心の平安思想は自由だが、政教分離宗教の政治介入を禁じ心の安定を願う私利私欲を戒め邪気の無い生活と共に中道の社会に向けて偏りの無い経済活動地域社会に根付く文化どの宗教にも理解を示し安定を阻害する対立を回避して互いに無私、利他の心に努める大和魂は人が良く、親切で優しくそれでいて品格が有って”おもてなし”で癒す”和を以って尊しなす”が基本精神の国人がぶつかり合うときは、生い立ちや基盤の違いから対立するときで、それぞれ違うゼロ地点から意見の食い違いが生じて、常識の違いの正当化が、対立の根っこに成っている場合が多い。常識の違いから来る迷いや葛藤が、自分しか信じられない不安定な心にさせて孤立することの恐れをもたせている。個々の人間の心の平安を願うためには、思想や宗教の導きを学ぶことは自由だが、『政教分離』が基本で、宗教の政治介入を禁じ、人々の心の安定を求める道を歩むことが基本だろう。邪気の無い生活と共に、中道の社会に向けて、偏りの無い経済活動を目指し、地域社会に根付く文化を風土として、どの宗教にも理解を示し、安定を阻害する対立を回避する。人には心の趣が有って、好き嫌いや慣れから自分に合う導きを選択している。いつも心が落ち着いていて少々のことで揺らぐことの無い不動の自分に成りたいと願うのは当たり前のことだろう。そのために互いに無私、利他の心を育んでいる。大和魂には、人が良く、優しく、親切で、規律正しく、それでいて品格があって、独特の”おもてなし”の心が具わっている。聖徳太子以来”和を持って尊しとなす”精神が、”まほろばの”ゆたかな国の基本精神に成っている。和が絆を深める結びと成って、同志として仲間として響働するときには底知れぬ大きな力を発揮することができる。世界が注目するのは、自然の美しさ、品格の有る厳かな文化、おもてなしの精神に高い価値観を感じてくれているからだろう。 2015年1月10日 琢
2015年01月10日
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集団には大きなもの、小さなものが有って大きなものほどまとまらない目的が一つでも考え方に相違が有って時期的に意気が合っても本音と建前にはギャップが有る建前で規約を定めるがそれぞれの都合で破られることが多く個々のセンスと協調性に委ねられている生い立ちや基盤の相違は消し難く基準を広くする必要が有る自分の都合を優先すれば孤立し無私、利他の精神が無ければ摩擦が多く、その意味を失ってしまう理性が強くなければ治まらない多くの人たちの意見をまとめることは難しいことで、いつも肯定派と否定派に分かれて一つにまとまることが無く、利害が一致しなければ分裂することも多い。人の常識は生い立ち【三つの”ち”、血筋、土地柄・風土、時代の知】や条件、制約の基盤によってゼロ地点に食い違いが有る。自己正当化は誰にも合って、自分の信じていることを曲げることが出来ず、集団が出来れば対立が必ず起きてしまう。まとめようとすれば、よっぽどカオスの幅を広く取っておかなければ失敗することが多い。人には自分だけの都合が有って、それを充たそうとするほど全体がバラバラに成ってしまう。主として自己顕示欲、自我我欲、自己保存がその原因に成っている。場合によっては殺し合いにまで発展してしまうのはこれが原因に成っている場合が多い。有る目的で人を集めても考え方の相違が有って、時期的に意気が合っても、本音と建前にはギャップが有るもので、建前で規約を定めても、それぞれの都合で破られてしまうことが多い。個々のセンスと協調性に委ねるしかなく、生い立ちや基盤による常識の違いは消し難く、基準を広く取る必要が有る。集団に入って自分の都合を優先すれば孤立してしまうが、無私、利他の精神が必要で、これが無ければ摩擦が多く、その集団の集まった意味さえ失ってしまう。いつの世もどの地にいても、どの一族の一員でも、対立には理性を強くしておく必要が有るだろう。いつでも心を原点に戻すことができること、良心に従って人間としてどう有るべきかを、ぎりぎりのときほど、その選択肢を選ぶ理性を持っていること、ただ素直になることが、今を生きるために必要な心構えだろう。 2015年1月9日 琢
2015年01月09日
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古希を過ぎれば終焉の足音が聞こえるように準備段階に入る終わるまでにどうしたいかどんな終わり方をしたいか執着を遺さないようにやるべきことをやって心の荷物を下ろしておく誰にもやってくる終わりのとき開けっ放しの引き出しを戻し感謝の念を忘れないように歩みを確かなものにする喜寿を迎えるまでに大自然の紅葉の彩のように葉が黄色から赤に変わって赤い絨緞から木の実が育つ大自然の営みに摂理が有って、人間もその範疇の中に有る。四季の移り変わりが有るように、十二縁起【無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死】に従って、形有るものは時と共に変化する・諸行無常に例外は無く、生まれれば誰もが等しく死ぬときが来る。それまでにどう生きるかが問題で、前世に願った次の宿題の実行、潜在意識に入っているものを思い出して、それを使命として今を生きること、どんな死に方をしたいかに向けて精進すること、遣り残しを意識に良く言い聞かせておくこと、これらを忘れないようにすることが大切なことだろう。古希を過ぎれば、人生の終焉の足音が聞こえてくるように、準備段階に入るのだろう。どんな終わり方が良いか、執着を遺さないようにやるべきことをやっておくこと。つもり積もった荷物は下ろして、四諦【苦、集、滅、道】で、見切るもの、割り切るものを分類して消去しておくこと。そうすれば、誰にも必ず来る終わりのときに心が軽くなっていて、笑顔のゆとりも出て来るかも知れない。開けっ放しの引き出しを戻し、感謝の念を忘れないようにしながら、自分の歩みを確かなものにして置くこと。喜寿を迎えるまでに、大自然の紅葉の彩りのように、緑から黄色に、真っ赤に変わって落ちてゆくように、落ちた枯葉の絨緞がどんぐりの養分に成って芽を出させるように、春には一斉に芽を出してあおあおとした葉を茂らせて綺麗な花を咲かせる大自然の摂理に学ぶところが多い。 2015年1月8日 琢
2015年01月08日
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”天網恢恢疎にして洩らさず”法律は人間がつくったもの天がかぶせた網・羅網は一本の糸で編まれている転換期、変動期も有るが一つの網の目が自分で相互に関連している縁で繋がっているもので個別のものではなく思い思いの人々の社会では自分の都合で引っ張ることで他に迷惑をかけることに成る引き合いは程々が良く存在感は示さなくても伝わっている何かを想像させるとき、長い説明をするより例え話や比喩が有効で、ものの考え方も神仏も、それを頭の中に、心の中に描いておくことで、励みに成ったり、戒めになったり、甘さに見切りを付けることができたり、捨てられなかったこだわりを割り切ることでとらわれなくなったり、思い方一つで人生を変えることもできる。法律は秩序を保つために有るもので、一定のルールに従うことで国や社会が成り立つようにつくられている。法の枠外のことには神仏の目が光っているとされ、”天網恢恢疎にして洩らさず”、天は広いもので少々のことには目を瞑っているが、身勝手な都合で他に迷惑をかけることを見逃しはしない、と言い伝えられている。この世は天がかぶせた網で覆われていて、一本の糸で編まれているから、引っ張れば何処かにひずみが出て、誰がやったか分るように成っている。宇宙と同じで周期的調整期が有って、慣性の法則がはたらいていても、微調整が必要なときが有って、転換期や変動期も有る。一つの網の目が自分で、相互に関連し合っていて、縁でつながっているもので、個別のものではないと自覚を促す考え方が言い伝えと成って残っている。思い思いの、人それぞれ違う生い立ちや基盤のつながりが社会で、自分の都合だけで引っ張れば、他に迷惑をかけたり、遠慮させることで苦を与えたりするものだから、引き合いは程々が良く、自分の存在感は示さなくても、自己顕示欲を出さなくても、自我我欲を出さなくても、自己保存をしなくても、善意のどこかで伝わっている、そう思っておく、心をそう定めておくことが、生きて行くための智慧になるのだろう。 2015年1月7日 琢
2015年01月07日
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勝利の確信が有るときほど油断禁物理不尽に惑うときどうにも治めようの無い心自分に正当性が有るほど正論は相手に強すぎて周りの同情が集まって孤立するときが有る感情を高ぶらせず沈着冷静に傷口を広げないように小さく成っている相手の立場を思えば思いやり気配りは余裕の有る方ができる決定的ダメージを与えないように覚醒を求める方が賢い多くの失敗を通じて感じてきたことは、こんなものは簡単だと思っているときや緊張感が乏しかったときが油断禁物で、甘く考えてやったことはことごとく失敗に終わっていたように思う。人生をまるっきり違う方に変えてしまう失敗も、元を辿れば自分の甘い生き方に有ったように思う。物事の本質を読み取れず、表層を見て、他人が何であんなに考え込むのかとその意味も考えず、楽に終わらせようとしたことが、思いのほか深いもので、どれだけこの世を甘く見ていたかが、今やっと解ってきたように思う。何で自分がこれほどまでにと負け組みにいれば、理不尽を感じて、どうにも治めようの無い心をもてあましていたことが多かった。自分に正当性が有るときほど、正論は相手に強すぎてこう着状態に成ってしまう。自分のほうが負けぐみなのに相手の方に同情が集まって孤立していたことも有った。感情の起伏が激しく、抑えることの難しさと何でまだこんなところにいなければ成らないのかと、空しさと情けなさを感じながら這い上がらなければと、そんな葛藤を抱えていたことを思い出す。感情を抑えることを前提に思えば、相手が興奮するほど沈着冷静に成れる人が羨ましく思え、自分には到底無理だと思うことさえあったが、これ以上傷口を広げることの怖さもあって、似合わない控えめを装っていたことも有った。小さく成っている相手の立場を思えば、感情が高揚するほど末路が見え出して、対立を避けて、思いやり気配りができる余裕も出てくる。自分が負け組みにいた経験から、もし勝つときが有っても、相手に決定的なダメージを与えないように努めて、末路を思えば、相手の仏性に敬意を表して、覚醒を求め、互いに今何をしようとしていたかの本筋に戻ることが重要なことだと思う。勝った負けたや損得にとらわれなくなってきた今は、理性をはたらかして本音と建前のギャップを少しでもちじめたいと、それが賢いことだと思えるように成って来ている。山で言えば、やっと上り始めたところだろう。 2015年1月6日 琢
2015年01月06日
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利口な人ほど荷が重く馬鹿な人ほど荷が軽い軽いほど楽なようだが先で力の弱いものになる重い荷を背負えば智慧を要し智慧は経験と共に豊富に成る賢くなるために勉強し努力を積むほど力強くなる力強いほど人の信頼が集まり人望が多いほど能力は高くなる交友も多く人脈も多くなる馬鹿でいるのは楽なことだが先でもっと重いものを背負わされることに成るそれに気が付いていない人が多いもっと勉強しておけばよかったと思ったことが有るだろう。無知なために損をしたことがたくさん有っただろう。社会に出ればこの世の仕組みを知ることに成るが、馬鹿なものほど、無知な人ほど、自分がはたらいて得た利益の大半を搾取されていることに気が付くときが来る。いい役に付く人、利口な人ほど収入は高くなるのがこの世の仕組みなのだろう。勉強をしないもの、考えないもの、無知なものを馬鹿と言っている。快苦を判断基準にして、楽な方を選んでいれば先で酷い目に遭うことに気が付くが、そのときはもう遅い。利口な人ほど苦の先に有るものを求め、馬鹿な人ほど荷が軽いものを選ぶ。そのときは楽なようだが、先では力の弱いものに成る。重い荷物をもてば智慧を出し、智慧は経験と共に豊富に成る分、先では格段の差が付いてしまう。賢くなるために勉強し、努力を積むほど力強くなる。力の有るものに信頼が集まり、それに応えようと努力するほど人望が厚くなって、能力も高いものに成っている。交友も多く人脈も多くなる。馬鹿でいる、楽な方を選んでいるのは一見賢いようで、先になってみれば、もっと重い荷物を背負うことに成っているこの世の仕組みに気が付いていない人が多い。かと言って搾取する側に回って、人の得るはずのものを取り上げていては人間として、地獄、餓鬼、畜生道に落とされることに成るだろう。達人が分岐点に立つときには、必ず難しい方、苦の多い方を選んでいると言う。楽をして得られるものは無いだろう。 2015年1月5日 琢
2015年01月05日
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成し遂げても次が有る長い苦の末に得るものが有っても一瞬の満足だが苦の積み重ねが道なのだろう人はその一瞬の歓びで頑張れる自分のためには強く成れず他のためなら強く成れるそれが他の光に成るのなら命がけにも成れるそのために生まれ、生かされている人智を尽くし人智を超えられる使命を果たすことが成仏への道だろう『四弘誓願』何の意味が有って生まれてきたのか、何をするために生まれてきたのか、自分の天職は何だろうか、真っ直ぐに突き進める人は少ないだろう。それを探し求めて人生を歩んでいると言っても良いくらいで、その答えが自分の魂の中に有るなどとは誰も信じられないだろう。歳とともに自分が歩んだ道を思い起こすときに、おぼろげながら、これしかなかった、過去は戻らない、その歩みの中に使命の何かが有ったと自分に言い聞かせるしかないだろう。『四弘誓願』・しぐせいがんは、仏教用語だが、救済、煩悩を断ち切ること、学びを網羅する・人智を尽くして人智を超える智慧を得る、成仏すること、それが人生での四つの願い、悟りの道だと言う。夢や希望への目標を描いて一つ達成しても次が有る。長い苦の末に一瞬の満足を得たとしても、先がまだまだ有るもので、頂上への道は苦の積み重ねのほうが歓びよりも多いだろう。それでも人はその一瞬の歓びのために頑張れるもので、自分だけのためなら強くなれなくても、人のためならより強く成れるのが人間なのだろう。それが他の役に立って何かの光に成るのなら、命がけにも成れる。”人事を尽くして天命を待つ”、無私、利他の心、思いやり気くばりの心、慈悲慈愛の心・菩提心、そのために悔いを残さないように精進する道を歩めば、自覚した道を歩んでいることになる。通夜や葬式で見る死に顔が綺麗な人は、それを果たした・成仏できた、ホッとした笑顔になった顔なのかも知れない。明日生きている保証の無い自分、何が起こるかわからない今、究極の目的は死に顔が綺麗でありたいと言うことなのだろう。 2015年1月4日 琢
2015年01月04日
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逸る心を鎮めること良い条件が整っていても事を急げば失敗する待つことも条件の内で耐え忍ぶこと上から目線や恩着せが有ってもとらわれないこと懐を深くして視野を広げておくことあと一歩のときが重要で長い屈辱や精進が報われるときが来るそれも瞬間的なもので、次のテーマが待っている歓びは一瞬、忍ぶことが殆んどだろう人生は苦ばかりのようだが一瞬の歓びのために人は今を生きている金メダルは長い血と汗の努力の末に手にできるものだが、その瞬間は自分だけでなく同志や同郷の人々に感動を与え、子供たちの心の中に夢や希望を抱かせる。目指すことには長い忍耐と努力を必要とし、人知れず多くの試練を乗り越える血と汗の積み重ねと強く諦めない意志が必要に成る。あと一歩のところで届かないことは頻繁に起こることで、急いだり、はやる心を鎮める努力が必要で、急いては事を仕損じる場合が多い。良い条件が整っていても、事を急げば失敗することも多く、待つことも条件の内、耐え忍ぶことの大切さを勝ち取った人のすべてが感じているだろう。上から目線や恩着せ、迷いや辱しめが有っても、前を向いてとらわれず、耐え忍び、懐を深くして視野を広げておくことは大切な心構えだろう。あと一歩のときが重要なときで、長い屈辱や精進が報われるときが必ずやって来る。それも瞬間的なことでしかなく、通過点の次には新たなテーマが、更に強い意欲を燃やす目標が見えてくる。歓びは一瞬のことで、耐え忍ぶことが殆んどだろう。それでも人間は頂上を目指して勇気有る挑戦を続け、一瞬の歓びのために今を生きているのだろう。 2015年1月3日 琢
2015年01月03日
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切磋琢磨には比べることも目的のための当面の目標には他を知ること、比較して励むこと達成すればその上があるすべて段階を経て到達する領域がある自己満足を何処に置くかで努力、下積み、忍辱の度合いが違う甘い道を行けば先が見えず意志は高いところに理想には妥協は無く上には上が有り、下には下がある必然の仕組みを受け止めて自分に甘い逃げ道をつくらない人には必ず何かの為が有る他人に指図されず、自分が決めたことは自分の意志でやりたいと誰もが思っている。夢や希望が有る人にはどこかそれをロマンとして楽しそうに見え、何も無い人から観れば羨ましくさえ見えている。どんなことも外から見ればそう見えていても、楽な道のり等どこにも無いだろう。険しい山を登っているようで、何度も休憩をしながら自分と戦って頂上を目指している。そのときの迷いや葛藤、失敗の原因、業・カルマ等の修正浄化をしながら上る道に甘えは許されず、求める領域に妥協も許さず、安易に逃げたり諦めることも出来ない。達成のときのために苦を選んで自分との戦いを続けている。切磋琢磨、精進には他と比べることも必要で、他を責めずに自分を責めて厳しい道を行くとき、他を知ること、比べて励むことが必要だが、到達してもまだその上が有る。すべて段階を経なければ成らず、自己満足を何処に置いているかで努力、下積み、忍辱の度合いが違う。自画自讃も意味が無く、甘い道を行けば先はいつになっても見えて来ない。志は高く、意志は強く、理想には妥協が無く、上には上が有り、下には下が有る。何度も来る試練を何かの呼びかけと捉えて、自分に甘い逃げ道をつくらないように戒めて上る。真理を求め、逃げることなく、人のための光になりたくて、その為には苦を選んででも頂点を目指すのが使命を果たす一番の近道なのだろう。自分の為と思えば強い生き方はできないだろう。果てしなく 険しく続く 天の道受容してなほ 見えぬ道のり 2015年1月2日 琢
2015年01月02日
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明けましておめでとうございます。新たな目標に向かって、今年をどう生きるかは自分にかかっている。確かな歩みをしたいと思う。宇宙は止まることなく時を刻んでいる人生はそのなかに有って変化する時の渦の中に有る理想とその目標を期して人は自分の道を歩いている同じ1秒も、期したときの前後では違う振り返って変化を観ればその節目が見え先をつくろうとすればある一点を境に心境が変わる日頃の1秒と変わらないようでも自覚したときから異なる1秒を重ねる一年の変わり目には新たな一年の目標を立て気を新たに自分の意志を強くすることができる迷いや不安を吹き飛ばし、どんな天工の、人工の災害が身に降りかかろうと、無難に生きようとするほど先が見えず、予測も出来ない今、どんな状況下に有ろうと、自分が納得した悔いの無い一瞬を重ねてゆけば、きっと先の明るさが観えて来るだろう。宇宙は止まることなく、恒星を中心に惑星や多くの星が、慣性の法則にしたがって周って、時を刻んでいる。一人一人の人生はそのなかに有って、諸行無常の変化の渦の中に在る。理想とそれに向かう目標を期して、人は自分だけしか歩けない、決められたような道を歩んでいる。期してみれば、同じ1秒でも、その直前の1秒とは違うだろう。振り返って自分の歩みを観れば、その節目が見えてくるように、これから先をつくろうとすれば、ある一点を境に心境が変わる。日頃の1秒と変わらないようでも、自覚したときから異なる1秒を重ねることに成る。一年の変わり目には、新たな一年の目標を立て、気を新たに自分の意志を強くすることができる。悟らんと 重ねた無駄も 気が付けばあれも我が道 これも我が道 2015年1月元旦 琢
2015年01月01日
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