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熱帯夜が続き日照りが続き雨がかすって最低気温が27℃とか。しかし、しかし天気予報が本格的な梅雨の訪れを言うようなアナウンスでびっくり。確かに昨日のお湿りと今日の雨模様はどこか梅雨空を思わせるが、なんともはや7月になる。それで、少し降りそうだと、雨乞いの験ありやと、少雨のなか冷たい降り方に期待を寄せる。イラクが主権を移譲して1年が経つ。テロと自爆は絶えない。自衛隊はサマワでの爆破騒ぎから休止していた活動を再開した。ガソリン代は消費者の手元で126円の値段をつける。
2005.06.30
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戦後60年という、戦没者追悼のサイパン島の慰霊訪問を戦後初めて行った国家元首。そこに自らの忠誠をかけた人々が、かつて、いた、そのバンザイクリフ、スーサイドクリフを訪ねた。昭和19年6月15日米軍上陸、そして20日ほどに玉砕となる、日本人5万5000人、うち一般人1万2000人、島民は900人超が犠牲者となった。今日のわが国が、このような多くの人々の犠牲の上に築かれていることをこれからも常に心して歩んで行きたいと思います、と、語る旅だ。遅すぎたとも、なぜ今頃にとも、そして現実に名誉と忠誠は誰のために報われるのか。60年の歳月の間に果たしてこられなかった、あるいは果たしてきたとするその思いに。政治と歴史と、あるいは宗教のじくをどこにとるか、いまや経済と社会と、そして国際の軸が、情報の網にとらえられて球体を巡る。地域に生活する民衆、民族は時間を超えた空間にあらたにうごめく。
2005.06.29
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沖縄に停滞した前線の解消とともに梅雨明けを迎えた。すると前線が北に上がって北陸、東北で梅雨入りを迎えた。北陸は雨雲が流れ込み新潟地方では大雨情報だ。ここは曇り、熱帯夜が明けて、蒸し暑い。カウンター平均アクセスが1日あたり、56になった。58から日々20前後、最近の様子で一気に下がった。
2005.06.28
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梅雨前線は消滅、気温は日中で30℃を超え、これから夜半で25℃を下回らない、という予想だ、熱帯夜。天気予報では梅雨前線は再び日本列島にかかって北陸から東北にかけては雨が降る。6月の降雨量がこの地域では観測始まって以来の少雨となる見込みだ。ダムはすでに貯水率5%台で干上がった状態だ。
2005.06.27
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渇水状態は1994年の状態を上回る予想となってきた。愛知用水の水源、牧尾ダム貯水率6.3%に落ち込み例年の1割程度と言う。節水対策に加え、冷房の需要の増えるこれからの水不足が心配される。雨頼み、雨乞いか、自然のめぐりを期待して台風が来ると状況は変わる。ニュースを見て、あっ、と驚いた。裕次郎と言えば覚えてくださるのでといっていた方が、つい7日前に学会であったが、……中国人に刺されて死亡したニュースを見た。静岡の日本語教室の経営者が、日本語教育センター理事長が、どうして?論文が夕べ少しまとまったので家族サービス、ならぬ、置いていかれるのを避けて万博へ行った。暑い日、32℃を越えた真夏日、会場内はもっと暑かった。昨日が17万人とか最高を記録して今日はその反動でと思ったが、夕方で11万人強の人出だった。瀬戸会場へ重点を置いてもしかしたら壊されていた、会場の、海上の森を訪れた。よくここに建設を思いとどまった自然の叡智に、さもありなんと、催しを眺めてきた。
2005.06.26
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やっと休みかとたくさんのたまった仕事を持ち帰って整理に手がつかない。原稿の締め切りが迫って中国から連絡が入ったので書かねばなるまい。そうすると待っていましたとばかりに休日を過ごすにはと明日は万博に行こうと言うので……エキスポは全期間入場者がお化けと呼ばれる入場者数になっているらしく1人平均10回通っている、その売り上げる枚数は予想の40万枚を超える、えっ、400万人の入場者はリピーターになる、それはたぶん地元だろうが、万博の前評判とは大違いになる。ペットボトルの持ち込み禁止を検証しようと中日新聞がキャンペーンをはって、そもそも協会側のこの決定を知らない出展者がいることから、その不十分な対応に疑問が出されてきた。なぜペットボトルなのか、というところ、入場者の金属探知によるボディチェックや持ち物検査の中身にも、応じる一般者は不徹底なりにも受けている。ペットボトルは持ち込みも会場内での販売も禁止をしたかったと警備当局は考えていたらしく、それはそれで徹底振りを見せるかどうか、であったのだろう。それにしても、この措置のなかで会場内の販売本数を増やすだけとは。
2005.06.25
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曇り。豊川用水が10%の節水。宇連ダムの水が渇水状況に。サマワで爆破騒ぎが伝えられた。自衛隊の車列に狙いを定めたと見られている。23日午前9時、日本時間午後2時に幹線道路を走行中に道路沿いに仕掛けられた爆弾が爆発した。1台の車のフロントガラスにひびが入ったほか車に傷がついた、けが人はなかった。日本の自衛隊に反対する勢力か、多国籍軍に反発する勢力による、警告と受け止められている。
2005.06.24
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今日も雨が降った。昨日は午後から上がっていた。今朝からしとしと降り続く。水がめを心配して節水対策が取られていたが、お湿り程度か。週刊誌の見出しに、迫り来る日本の危機とか、年問題を見ると。2006年 人口減少、少子化2007年 団塊世代の定年退職2008年 国債大量償還2009年 大学全入時代2010年 ???このところからは予測がつかないような話題だ。ロシアの世論調査が日本を友好国と回答したのは22位で4%とか。レバダセンター、ロシア全土1600人対象、2005年6月上旬に実施。友好国は隣国、1位ベルラーシ46%、2位ドイツ23%だった。対独戦勝60周年を記念して行われたので、ドイツを敵国という見方は3%であった。日本を敵国としたのは、6%だったとかで、これは質問そのものが何だろうか。
2005.06.23
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しめった朝、ぬれた屋根、しっとり静かだ。平年並みの27℃を予想している。梅雨らしい天気模様になる。前線がかかって雨雲通りになった。スピーチコンテストで外務大臣賞を、ゼミの学生が受賞した。先週末に米子で大会が開催されてわたしは会場に参加できなかった。この週明けに顔を見なかったのでどうしたかと思っていたら、スピーチをした本人からメールがあり友人の話とほかからの報告でわかった。すばらしい、これはすごい、やったぁ、と報告を受けて喜んだ。全国から12人の留学生が最終選考に集まり、韓国からの学生は一人だったそうだ。4月から練習してきた成果やいかにと、どうも、予測をしたわけではないが、見事に日本一になった。日本語発音がきれいなので、それに内容を加えて、あとは舞台度胸とばかりに、周りの応援団は躍起だった。それをほんとうにナンバーワンになってしまった、ともどもに、夢みたい!いわく、皆さんの力です、と。そこで、違うよ、自分がスピーチをしてきたんだ、自分の力だ、みんなの期待なんか脱ぎ捨ててもっと気楽になって。おかげさまで、あのアドバイスが役に立ちました。まさか、ねぇ、それも実力のうち、おめでとう。テレビ放送は7月9日のETV、いつも外国人日本語弁論大会をビデオチェックしていたが、どんな風に、日韓の交流を縁側から、と訴えたのだろうか、楽しみだ。
2005.06.22
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梅雨前線は南海上に離れてあって、少し日本列島に接近したようだ。日中と夜明け前の気温の差は大体、10℃ぐらい、雨がなくても蒸し暑い。少ししか降らない雨で夏場に飲料と機器用の水不足が心配だ。クールビッズの省エネ騒ぎではない、名古屋では万博もあることだし・・・日韓首脳会談が終わって温度差のある両国首脳の会見が行われた。記者団に質問の機会が許されずそこでのギャップもさることながらネクタイにスーツ姿のフォーマルがよそよそしい。低次元の事務レベルでの2つの交渉以外には成果がなかったと韓国首脳は言った。急速に冷え込んだ事情はどこにその外交問題を潜ませたのだろう。寒流といわれたブームを、WC杯の高揚とともに迎えてきた日韓新時代の舵取りを、どこでどう取り違ったか、民衆感情に目を向けない、向けなくなった日本政治の方針は、外交の場に象徴する出来事を作りつつある。
2005.06.21
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雨は降らない、からりとした空気に、梅雨はどこへ行ったか。日中に30℃を超えて真夏日となる、この時期にきつい天候となった。紫陽花がみずみずしく映るのは水分をふくんでのことだから、沖縄は大雨で荒れた天候に見舞われている。米国カード会社の個人情報の流出が続いている。コンピュータへの侵入を許し続けた、4000万枚のカード情報だ。2004年末から今年5月にかけて長期侵入があった。カードシステムズ・ソリューションズ、決済会社だ。米国カード社会の歴史は1950年に始まる。ダイナースクラブ、そしてアメリカン・エキスプレス、1958年。ビザ、マスターと続いて発行枚数は12億枚、1億9000万人が利用している。世界シェアーで、ビザ61.7%、12億830万枚、マスター52.3%、6億3240万枚、3%前後にアメリカンエキスプレス6050万枚、JCB4960万枚、ダイナース860万枚となる、国際カード製造業者調べ、2003年。55日ぶりにJR福知山線が走った。社長の謝罪文が昨日の新聞に掲載されていた。謹告、とあって、弊社は106名のお客様の命を奪い、500名を超える方々を負傷させるという、きわめて重大な事故を引きおこしました、と書き出された一文に、おや、と思ってしまった。中日新聞のまとめでは、107名の死者、549人の重軽傷者ほかの新聞にも同数の死者となると、この文にある1名は運転士ということになるだろう、それにしても負傷者の数はいい加減な数字だと思うのはなぜか。そのあとの文章に、お亡くなりになられた方々、とある奇妙な敬語だろうか、なんだろうか、そのあとでまた、亡くなられた方々のご無念、とあり、お亡くなりになられた方々の御霊に報いてまいりたい、と続いている。敬語表現の難しいところ、どう表現すれば、死者を捉えることができようか。
2005.06.20
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やっと休日を得て汗をかきながらの目覚めだ。くたびれたのを逆療法とばかりにプールに泳ぎに行った。日曜日の10時から水中での運動よろしく大勢がいるのでびっくり。2時間ばかり、父の日の水泳は愉快だった。思えば梅雨の合間の晴れ間だ。日が出て暑いには違いなく陽射しがじりじりした。いまは、その西の空にうすく夕焼けが染まり始めている。エキスポにも17万人に続く最高の人出は更新したろうか。朝鮮半島の情勢が韓国と北朝鮮の首脳会談を実現して変わり始めた。南北が歩み寄って核の不拡散に合意してまとまると思わぬ展開が生まれてこようかというようすだ。歴史認識と教科書記述問題と国境争いに、埒が明かぬと見る韓国は小泉首相の靖国参拝にかこつけて、すべてを政治問題の象徴に政府高官の靖国参拝阻止をとりざたして、それこそ思わぬ飛び火を起こしそうだ。日本の日本らしからぬ大国風情は中国に向けての思惑がらみであったろうに、現首相の言動が歴史に再現するアジアでの孤立となりそうだ。
2005.06.19
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旅行の疲れもピークに、毎日帰ると、食べてすぐに寝てばかりいると言われ、なるほどそうだ。いちど、したことを確かめようとする、習慣で動いていて間違いのないところを昨日も今日も。それでもまあ、まだ気がついて、ひやりとするところが、たしかか。週末の予定も終えた。中部地区日本語研究集会学会の司会をしてきた。朝の10時30分からの開始を、10時の受付に間に合うよう、あわてた。PC準備に手間取ることはあったが、なにほどなく進行した。午後にはシンポジウムに参加して、疲れてしまった。日本語学校が求める日本語教師とかのタイトルで5校の代表者が来た。どこもかしこもご縁のあるところばかり、この地区での長き仕事の経過をひとり思う。1978年に名古屋から東60キロの地に日本語教育を運んできた自負がある。この地区にはすでにパイオニアはいた。日本語教育と教授法のひとつ、直接法の話になると、なんだか理解が異なる。オーラルアプローチであること、文法翻訳法のあとに登場したこと、何を直接指示するか、目標言語でコミュニケーションを図る手段に過ぎないものを、まるで説明がない。どこへ行ってもその地で習う言語学習には直接法がある、だからそこに外国語教授の技術があるのに。
2005.06.18
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さすがに疲れた。ぐっすり、帰国してから眠ってばかりと。爆睡と言う語がなつかしい。あと1日、明日は学会の司会だ。
2005.06.17
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この雨に洗われる建物、地表、そして木々。梅雨だと思うのでそう思って眺めている、不思議でもなんでもない。それだけのことを何故かほっとしている、のは、どうしてか。入梅5日が過ぎた。上海入りした10日、浦東空港は曇っていたが、市内を抜けてまもなくハイウエーで激しい雨になった。高速道路を走っていたので、にわかに雲った雨の降りようを突然のようにも感じた。蒸し暑く閉じ込められたワンボックスカーで、出迎えにきた方と熱っぽく、語りつづけた。まるで、それから始まった議論の毎日の前哨戦だった。
2005.06.16
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先週末に梅雨入りだったようだ、今日は朝から雨がふる。朝のニュースショーでは降らないとか言っていたが、ここ東海は降っている。南緯が同じか、さらに下がる地域から、ものを運んできたと思いをはせて、上海入りしたときのスコールのような降り方は雨に共通する何かを思った。蒸し暑いだけではない、川沿いに伝わってきた風土だろう。帰ってきて、いつもの短期出張であったが、ほどほどの成果を挙げてきてと自己満足しながら、ちょっと違ったようでもあるので、ちょっと振り返ってみて、これから書いてみよう。インターネットにつながるかつながらないかは、あいかわらずの状況であったので、パソコンを持ち込んではいたが、結局帰ってからの整理となる。
2005.06.15
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上海の駅前は朝が早い、中国ではふつうのことだろう、5時半にホテルを出て6時のリムジンバスに乗った。小1時間はかかるという浦東空港まで、高速道路を通って7時前に着いた。バスに乗るときに人々の朝の掃除を見て、何度か同じ気持ちを持ってみながら、空港の活動が静かに始まっているのを自然に受けとめる。8時55分発の中国東方航空、MU便539に搭乗して12時30分に名古屋セントレアに着いた、10日か5日間の中国江陰行は無事だった。旅行会社に往復チケットをオーダーしていて、帰路の便が違うことに気づいて、あわてて取り直すなど、おもわぬことがあいついで、今回はちょっと心配だったが無事に帰国できた。行き先は上海と南京の中間地、無錫から長江に向かって北上した江陰市まで出かけた。高速道が便利になって、上海から2時間ほどのところ、暑い地方だ。目的はこの9月からの、江陰市にある大学に日本語学科を作るための準備に行ってきた。
2005.06.14
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今日から4泊5日の中国江陰行、同行者と13時の飛行機で出発する。30分前に搭乗口へということで時を過ごしていたら搭乗予定の最後となって案内された。MU530便にはすでに客で満員だった。予定時刻そここそこに出発した。いつものような3週間ぐらいの滞在は中途な大きさ荷物に閉口するがこれは軽めでトランクも古いのを出して壊れなければと持ち運んだ。セントレアに朝のリムジン、9時55分を逃して10時5分に乗り込み11時についた。中国東方航空のサービスは、かつての、と言うと民航のころとなるが、中国国内航空西方のサービスも体験をしたことがあるだけに、ほぼ日本の航空会社のサービスと変わらなくなったことをしみじみと思う。出掛けにいろいろとおかしなことがあったものだから、快適な旅を望んだ。上海は近い、あっという間に、見慣れた空港にと思ったが、虹橋だったころから浦東国際空港に変わって、大きな半蒲鉾型屋根の、広い飛行場に着いた。通関をすませて出てきて、人の多さにびっくり、なんだかだんだんと利用者が増えているのだろう。迎えの方に出会って再会の挨拶を言い、双方よく覚えていたと感激をした、3年ぶりだろうか。それから目的地の江陰まで話題が途切れることがなかった。誰かにも言われたことのある、中国の旅行と滞在の見聞をはっきりと伝えるべきだというところで、すでに18回目になる、初回から22年になるその間に、見たこと聞いたことはあまりに変化がありすぎるので、20回になったら書いておきましょうと言いかけて口をつぐんだ、書こうとしても書けない想いが中国にはあるからと、言いたかった。
2005.06.10
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夕方7時になっても結構明るい、日の入りが遅くなって、夏至がすぐだ。台風4号弱まったか、曇りがちのなか、晴れ間が覗いた。W杯を決めたとトップの大見出しに、ドイツ大会へ、2006年6月9日。日本サッカーは進化した、と評されて、選手層の厚さを物語る。中国で大学統一入試が行われている、7日から。867万人の出願者に、475万人の募集人員だそうだ。
2005.06.09
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練習場に雨が降ってずぶぬれの選手が写されて無観客試合のシーンがよぎる。バーレーン戦をものしてあと1勝または引き分けで予選を突破する日本サッカーチーム。練習取材に集まった報道陣は結構な人だかりになってスタンドを埋める。サポーターに往復17万円のツアーチケットを販売し、スポーツバーでは2000円の観覧券、今夜7時の中継にスコールが気がかりだ。湿度は69%とか、観客の声援のないスタンドを背景に、奇妙に落ち着いたゲームを展開していた、ように見えた。日本がゴールを決めた、その瞬間にどこから聞こえたかどよめきが、それはテレビ中継を見る人々の歓声だった。二つ目のシュートは見事に入った。ワールドカップ出場の一番乗りを決めた選手の表情には期待の重圧に負けなかった安堵が感じられた。しんどいゲームをやったのは日本だけではない。北朝鮮選手のいら立ちも伝わった。赤切符を切られて退場するキャプテンの表情はゆがんだ、苦しさを超えて悲しみをいっぱいにしたようだ。国情があるだけに、なんともやりきれない。こんな感想を持ってゲームを見終わるとは思わなかった。
2005.06.08
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気温が26℃、ほどほどの暑さだった。台風発生のニュースも勢力が弱まり、雨模様がなかなか、ない。さわやかで心地よいとはいうものの、ダム貯水と電力事情が夏に向けて心配される。休みのない連日に明後日に中国への出発、来週の火曜日まで、その後もスケジュールが詰まる。ここのところ、いくつか、ずれたことが起こる、飛行機のチケットが帰りの便で12日の日曜日となっていて唖然とした、14日の火曜日と言いこそはすれども、日曜日と言うオーダーはあり得ない、直し料金でキャンセルよりも高かったり、おかしなことが相次いである、なぁ・・・専門職大学院、2003年に制度化されて、法化大学院は2004年4月に開校されて74校があり、高度の職業人を養成するため、会計、知的財産、公共政策などを扱う大学院がつぎつぎに開校されている。いわば資格のためのと考えて従来の研究型とでも言う大学院と異なると捉えられたが、今度は中央教育審議会が教員養成の専門職大学院構想をまとめ、修了者には、まだ仮称だが、「教職修士(専門職)」の称号があたえられる。専門職大学院、教員養成用は2007年4月の開校を目指し関係規定の改正に、修業年限は2年、社会人のために3年コースを持ち、学部科目も聞けるようにする。教員の専門職大学院は中山文科相が2004年10月に中教審に諮問し、この秋に答申を出すことを目指して審議が続いている。靖国神社は明治維新の官軍戦没者を慰霊する東京招魂者として明治政府が創った。1869年から、そしてその後、1945年以降に宗教法人となる、太平洋戦争などの戦死者を祭神とし、ABC級戦犯1000人以上を含めて、246万余の御柱を祭っているとの神社の説明。1985年の終戦記念日に中曾根元首相が公式参拝をしてから政治問題化しているが、その影響の下、歴代の首相が公式参拝をすることが少なくなったなかで、公約とした現首相の靖国参拝は様相を変えている。2001年8月15日に公式参拝をしようとした首相は前倒しで8月13日に行った事が、その事情にある、これは8月15日以外のサインを中国側が出したというもの、その通りの参拝をしたことに反発があったと、それを取り上げてきたことが、ボタンのかけ違いのようにずっと続いてきている。
2005.06.07
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沖縄地方の梅雨入りから本土側ではいっこうに雨が降らない。週末まで晴れか曇り、最高気温が30℃となる真夏日もあるようだ。運動会のあと、初夏の爽やかさ、となるところ、忙しい毎日の始まりだ。金曜日に中国出張、来週火曜日まで上海経由で広域無錫市へ、と言われて、どこでしょう。かたくなに靖国参拝を言い続けるコイズミさんに周囲が気を使い始めた外交展開。草の根交流の友好者たちがはらはらしながら、企業はリスクを覚悟しての緊張状態になってきた。外相がODAがらみで発言をして、首相の靖国神社参拝を肯定するかの印象を与えた。説明によれば中国から、借款については返済を受けているようだから、優等生なのはいずれの国も、だ。首相は素直な感謝の国や地域もあると記者会見で強調した。歴史認識に加えて歴史的な反省があるとして、その結果をどう受け止めて次に行動しているかが問われよう。これだけ償ったからもう良いだろうという状況は東南アジアにはない、と考えてみて、それだけ戦争をしかけて、したことへの認識と反省がある。
2005.06.06
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すばらしい、良い天気になった。抜けるような青空に初夏の陽射しがまぶしく、暑い。小学校で運動会があった。と言えば、かつては昼の弁当を、家族連れで学校の庭に楽しんだものであったが、そのような体育祭の催しでは、時機もそうだが、なくなった。歴史認識が神社にとっては、戦犯はいないと言う全会一致の国会決議がある、1953年の国会、昭和28年の内容を指摘している、その上で分祀はありえないと、共同通信の質問に回答した。靖国神社国家護持法案に基づく国営はのぞまない、としながらも、国のために命をささげた御祭神を国の手で護持すべきは当然とする。1978年に合祀している、東条英機元首相ほか絞首刑の6人、裁判中に病死した元外相ともう1人、さらに、そのほか元イタリア大使ら5人、計14人。1985年に元首相の公式参拝があり、中国、韓国、英国などから反発が出た、自民党は遺族に合祀取り下げを働きかけたが、一部遺族の反対でそのままでとなってきた。その後の経緯に1953年遺族援護法改正、1954-55年に恩給法の改正により、戦争犯罪の志望者と、一般の戦没者とが同じ扱いを受けるようになったことがある。戦犯容疑の元首相が任を果たしたり、終身刑でもあった元法相など、戦犯意識は国民にはないとする認識を示している。極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判についての異論を唱えた。日本人は戦犯に意識がないとの立場だ。
2005.06.05
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なんとも、おどろおどろしい見出しだ。衆院予算委員会の審議を中日新聞が解説する。1面では、わたしの心情からから発している参拝に対し、他の国が干渉すべきでない、心の問題だと答弁したことを伝える、首相の職務としてではないとした。また、A級戦犯のためではない、多くの戦没者に敬意と感謝の意を表したい気持ちからだ、と述べ、いついくかを適切に時期を判断すると、繰り返したようだ。首相は自らの5月の答弁に中国側が反発したことに内政干渉と受け止めていないことを強調しているようだ。それを受けて個人の心情を言うとして、公式参拝の先例となった元首相からの忠告もあり、公人私人を使い分けるかのような便法がすでにまかり通らない。
2005.06.04
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少雨に関する東海地方気象情報が名古屋気象台から出された。4月の降水量が名古屋で57ミリと平年の3-4割程度だったそうだ。三重県など平年並みのところもあるが、5月も5-7割程度しか降らなかった。6月に入って晴天が続くところから10日まで雨の予報はない、梅雨が来るが、どうなるだろう。人口問題といえば増加を指す現象のように思っていたが少子高齢化はいよいよ深刻だ。総人口は2006年をピークに減少していく、2040年には3人に1人が65歳以上となるとか、35年後世界のこと。2004年10月現在で1億2796万人、高齢者人口は2488万人、総人口比19.5%だそうだ、これは高齢化率ともいい、2015年に26%、2040年には33.2%を予想している。昨年より1年で高齢者は57万人増えた、人口は6万7000人増えた、となると、いま5人に1人がお年寄りで、あと10年すると4人に1人で、そして30年過ぎて若者が50を過ぎたころには・・・
2005.06.04
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2004年の人口動態統計で合計特殊出生率が発表された。前年と同じ1.29となり、小数点第3位までの1.289は最低となった。平均初婚年齢が男性29.6歳、女性27.8歳、晩婚を示している。なお、2004年の出生数は111万1000人、死亡数は102万9000人だった。少子化と人口減少時代へと進んでいる。年金制度の将来人口推計をもとに給付、負担をきめているので、将来設計に影響する。ほかにも介護、医療など、さらには経済活動そのものに問題となる。すでに2006年から人口減少が始まると予測されている。合計特殊出生率は15歳から49歳までの女性の年齢別出生率を合計し、1人の女性が生涯に産むこどもの数の平均を示す。1947年は4.54、1960年代から70年代にかけて2前後だった、75年以降は2以下で減少が続いている。東京都では0.9987となっている。
2005.06.03
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中央省庁の軽装をcool biz、こう名づけているそうだ。軽装と言うが、ノーネクタイ、ノー上着で過ごそうと、かつて省エネルックを、1979年に行ったことがある。国会内の温度調節28℃にする運動を直接にはしようとする。その折は、石油価格の高騰をにらんで、いわゆる石油ショックがもとだった、今回は地球温暖化防止の京都議定書発効による。国会の論戦をテレビが映し出して白シャツ姿の大臣席に空白を生じたかの印象はどうしてか。よく見ると、どうも居眠りをしているし、白スーツ姿の決め方にもネクタイがないので間が抜けたようになっているためのような。その一方で質問の立つ野党議員が黒っぽいスーツ姿で決めているのが対照されるからなんとも奇妙な絵になる。カリユシ姿の首相もドンキホーテになぞらえられて、私は実は好きなんですよと、答弁して、しまらない。
2005.06.03
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どんよりと曇った。温かい、湿った空気が寄せてくる。厚い雲はやがて雨になる予想だ。紫陽花の便りが聞こえてくる。3日前になくなった二子山親方、昭和の名大関、貴ノ花の通夜が、昨夜行われた。角界のプリンス、土俵の鬼、いくつもの名勝負を残したが横綱にならなかった。そして息子をそろって横綱にした、親方だった。才能が遺伝して能力となったとき、向かう意思のあらわれが人生を変える、そんな親子一族だった。ニュースソースを変えて、NIKKEIネットから新聞を読むようにしている。すでにネットでの新聞はニュース配信でよむところ、朝日コムはニュースダイジェストで読む。サンケイウェッブをそっくり丸ごと読んでいたことあったが、そのときはビュウアーと回線具合で読みにくかった。毎日は記事の提供がバックナンバー無料のときには大いに利用したものだった。こうしてみると活字媒体は地方紙をと、中日新聞、経済紙で情報をと、日経新聞だったのだが、いまは読売新聞を購読し始めた。何を読もうがここに書くほどではないのだけれど、気が付いたことに、ニュースだけを読むということでは、どこも、ネットでは同じなのである、とすると。いったい何を新聞購読で読むのか、と、新たな不思議な問題が起こってきた。広告とスポーツ記事と、そして解説記事に何かがある。それで、ブリキのパンツとは何かというと、ニュースソースの秘匿、情報の秘匿を指すらしい。
2005.06.02
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6月になった、旧暦で水無月。水無月は、梅雨が明けて水が涸れてなくなる月と解釈される。また、田植が終わって田に水を張る必要のある月、水張月、水月であるとする説もあるし、田植という仕事を終え、皆仕尽、みなしつき、であるとする説などがある。ジューン・ブライド、June bride、6月の花嫁は、この月に結婚をすると幸せになれるといわれるが、それは英語名であるJuneがローマ神話のユピテル、ジュピターの妻ユノから由来する月名、ユノが結婚生活の守護神であることから、6月に結婚式を挙げる花嫁をさして言う。官房長官が6月からの衣装ですとワイシャツ、ノーネクタイ姿を記者団に披露した。環境への配慮と言うが、省エネルックと騒いだころを繰り返すかのようだ。熱エネルギーと気候風土の兼ね合いが、いまひとつ、この国ではマッチしない感がある。衣替えは年中行事にすぎなかった。次の、今日は何の日、雑学より。 *** ***平安期、朝廷では中国にならって旧暦4月1日と10月1日に、冬装束と夏装束を着替えると定めていた。江戸幕府もこれに習い、江戸時代には幕府が、4月1日から袷(あわせ)小袖、5月5日からは帷子(かたびら)、9月1日から袷小袖、9月9日から綿入小袖などと定めて衣替えを制度化した。4月1日には綿入れを脱ぐことから、「四月一日」と書いて「わたぬき」と読ませる姓があるが、この習慣に由来したものである。 *** ***衣替えの制度化は、定着したのは、6月からの制服にあるとしたら、学校行事からだろうか。日中は暑くなった。気温は28℃の予想だった。1日の温度差が15℃になる。
2005.06.01
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