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フランスがEU憲法を国民投票で否決した。欧州連合の批准をめぐる投票の結果、反対54.87、賛成が45.13%だった。投票率は約70%、国民の直接投票による直接民主制の表れだ。シラク政権にとっても打撃だと伝える。仏国民にはEUによる自由化が国内の内政干渉が高まることを恐れたと観測されている。中、東欧への雇用の流出や移民増大による失業率の不安などが上げられる。急速な自由化、と記事は解説するが、それまでに強い欧州を訴えて50年にも及ぶ欧州統合を進めたフランスの、国民による反対は事態が深刻だと言う。これまでの批准国はスペイン、ドイツ、オーストリア、イタリア、スロバキア、ギリシャ、スロベニア、ハンガリー、リトアニアである。
2005.05.31
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忙しく過ぎ行く、日曜日に休日を取らないときが続く。2週間先に中国への出張ができた。10日から14日まで、出発まで10日ない。勉強会に行って話をしてくる予定だ。新聞屋が来て取ってくれといった。この地域での売れ行きが悪いと言う。セールス努力をしているのだろう、中部支社はそもそも地元密着だったのに。ほかをひとつ止めるだけだから、いいよ、と請合った。ニュースの摂取に変化がおきるかもしれない。必要があってまえに購読をしたので読む記事が知れている。しばらく付き合ってみよう。庶民的かもしれない・・・
2005.05.30
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よく晴れた日になった。日曜日の朝のいつもの番組をホテルで見ている。と、おもいきや、ベースボール中継にチャンネルをあわせてファイル整理だ。ビジネスマンなみかな。この週末は神戸市内のホテルが混んでいたようだ。イラクで拘束された日本人警備会社の傭兵は死亡したとインターネットに流れたようだ。フィリッピンで発見されたと伝える元日本兵は大使館員がおもむくも、会えなかったようだ。戦犯問題での議員の発言で中国側が激怒している。戦後と言う時期は半世紀を経ていまだ、戦争後の中になる。17時12分着の新幹線で名古屋へ戻った。新大阪始発のひかりの自由席は座れた。懐かしい思いをいっぱいに、神戸を楽しんだ。と言いつつも、仕事になる。27℃まで日中の気温を記録した。だんだんと熱くなる。名古屋祭りに33万人だとか。エクスポが15万人だとか言っているのに、沿道のどこにそんなに集まったのだろう。何をしに行ったかと子供は日曜日に遊んでもらえなかった思いを尋ねる。勉強に行ってきたよ、と、それしか言いようのない答えだ。済んでしまった休日にそれ以上の追及はないないものの、お土産を買ってきてとせがんだ。パンダちびギャラリーを出す、メモ、ノートと下敷きと、ロフトの袋のなかからだしたものだから、どこへ行ってきたの、と声が飛んできた。
2005.05.29
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三宮に来た。変わらぬ賑わいに見えた。10年前の震災で壊滅状況だった、ここ。5年ぶりになる。JR摂津本山から15分、甲南大学で日本語学会が行われた。シンポジウムを聞いて、学会の趨勢を思う。パネリストに友人がパネラーとしていたので、それを聞きにきた。国語を日本語に変えて、替えたといったフウでもある、それから3年で、世代の交代が進んだようでもあり、シンポジウムの3つのタイトルが示すように、変わりきれていない。会場で声を聞いて振り返ると、なんと20年ぶりになる、かつての留学生だった。いま、また、と言っても何度目かの来日を確かめたものではないが、京都近くの大学に教えに来ていると聞いた。あのときに、日本で博士号を取得していたと聞いていたので、その後も活躍を耳にして、どうしているだろうかと、上海を通るたび、思っていた。あのころは面白かった、と言える年代になった、大変だったことを懐かしんだ。会場を埋め尽くした会員たちは学問の議論を求めている。研究の新分野をわが知識にしようと必死なのだ。国語学会がおちいったこの10年から再生を果たすことができるだろうか。すくなくとも2002年の名称の改変はそのきっかけとするものであったろうに。
2005.05.28
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日露の開戦による日本海海戦はちょうど100年前の今日始まった。朝鮮満州の支配を巡って始まった日本の戦争を美化し始めるときだ。日露の戦いが今を生きるわたしたちに何をもたらしてきたのか、知るべきは多い。中日春秋が伝える司馬遼太郎の日露戦後の指摘、それは軍の神秘的強さをを増し国民的理性を大きく後退させた昭和期への突入だった。国際法のルールにのっとって戦争をしてA級戦犯は日本国内では罪人ではない、と発言をした議員がいた。さらにA級戦犯を悪い存在だとする処理に残念だと言い、極東軍事裁判を認めない、占領軍が勝手に作った裁判だと、そのあり方を批判した。議会の本会議前での与党代議士会でのこと、これは首相の靖国参拝に賛成意見を述べたものだ。首相はこれを記者に質問されて、軍事裁判は済んでいる、わたしの靖国の参拝とは関係がない、と述べ、また、官房長官も個人の意見を述べたまでだ、事実認識にも誤りが含まれていて論評に値しない、とした。中日新聞が国際面コラムで中国紙の報道をまとめた。国営新華社発行の新華毎日伝聞が、公明党党首がA級戦犯の参拝停止を要求した、と載せたと言う。A級戦犯を鬼と呼ぶようだが、首相周辺、日本国内の新聞の論調を紹介している。会談を一方的にキャンセルした国際的な影響を懸念しているというもの。
2005.05.27
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内政干渉はあたらない、と官房長官、主権を侵すものではないとの判断だ。また議論の展開をここにとどめるべきだという内容があった。ニュースではこの談話を歓迎する向きの中国側の報道があった。ここで落着するような経緯でもないが、ニュースの速さと解決の迅速さを望むところ。ひとむかし前の緊張が発生する情報過疎のときならどうなっていたろう。外交上の展開は激しいものと予測できるし、これも現にきびしいやりとりがあってしかるところ、ニュース報道の速さから疑ってかかるべきを、なぜかほっとする。しかし、なぜこういうことが起こってしまったか、見るべきは見てしまった、国会での答弁もくりかえし、万博会場でのナショナルデーの姿も、大臣との接触や経済人と昼食会でのやり取りの風景も、わたしたちの側では、ニュース映像が多く見えた。そこで大臣たち、与党の議員たち、その揃い踏みで、喧喧囂囂としかけたのはなんだろう、そこへ聞こえてきた役人の発言に元首相のパフォーマンス、があった。
2005.05.26
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すばらしい天気だ。少し暑いくらいだが。青空に恵まれて五月晴れを思う。内外を取り巻く情勢がこのようなときに動く。中国政府は公式発表で緊急の公務を打ち消した。ただそれを外交局長が言った覚えはない、と会見したものだ。そして副首相の会談取りやめの理由を首相の靖国参拝にあるとした。帰国をしたことについては認めているので、何らかの指示があってのことだろう。
2005.05.25
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疲れて眠ってしまった。気候がきついのだろう。健康的にねむると良い。夜半に起き過ぎたかな。中国の副首相がドタキャンで帰った。万博の催事のあと首相と会見が予定されていた。それを6時間前になって急遽キャンセルした。それまでのスケジュールもその後のことも変わってはいない。本国での公務に急用ができたということらしい。政治局員として中国版鉄の女といわれた、経済の実力者とも。首相は先方が会いたいというから、会いたくないなら、それはそれでと言葉を、例によって、野党の国会の審議拒否が伝染したんですかね、と、あらぬことを言った。外交問題を内政に捉える感覚がすでにここにもはっきりしている。新聞の観測では会談を実現して、ここでくりかえし、靖国神社参拝をすることを首相側から印象付けられると、一気に日中関係の決裂が起こるのでそれに中国側が配慮したというもの。国内世論は礼を失したと中国側の対応を非難する声も上がった。官房長官がひとり、外交日程の変更はよくあることですから、これは内政に対する干渉の結果ではないと思う、と、やわらかにことばを尽くしていた。それにしてもニュースで一斉に声を同じくする大臣たち与党議員の会見は、表現のしようがないほど、あれほどにこやかに総務大臣などは万博会場で同道する映像があったのにもかかわらず、一転しての形相は気持ちが悪かった。適切に判断していく、追悼方法で他国が干渉すべきでない、罪を憎んで人を罰せずとは孔子の言葉でないか、と国会の委員会で答弁した、そのおりしも、副首相は万博で日本に滞在していた。そしてまた、与党幹事長が中国訪問をして、首脳と会見をしていた、そのときに返ってきた言葉は、参拝する姿を見たくない、という短い一言だった。ニュースのあとおいで、幹事長はこの問題が中国の内政干渉ではないかといったところ、中国側から抗議が激しく出て発言撤回にまで及んだと、報道が伝えている。状況が重なって、日本政府が発したメッセージをどう見るか、時機を見なくてはいけない、見えてこない、ドタンバキャンセルの一幕だ。そして、中国の言葉を引いた首相発言はおもねりに近い。少なくも侵略者の側が言うことばではない。おもねりでなければ、不遜倣岸のきわみだろう。口がすべるというのは、こいういうことか。
2005.05.24
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5月も半ばを過ぎ下旬になった。天気予報は地域ごと時間ごとの展開が小さく短くなって的中するようになった。季節の移ろいの、天候によせる肌合いは、土地土地での実感がある。予報士は見える天気から感じる気候へとシフトするだろうか。気圧配置の図と風向きとをにらめっこしていたのは机上でのことだった。時の流れに見え隠れするできごとの動きがある。人の世に因果をとく教えは結果を分析するものだった。結果を見せて同様のそれが起こることを防ぐために予測するのは、占いであったり、吉兆の兆候であったりした。
2005.05.23
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学会が立て続けに、東海と横浜と。次は神戸で、毎週忙しくなる。疲れるのはわかっているので、いかに気楽にするか。勉強に行くのだから、それもそうはいかない。世代が交替したと思うと、すでにこちらが舞台から去る順番だ。豊かさと平和なうちにその歴史の因果をしるものとしらないものと。安寧と繁栄に生を享け、よってそこに立つ視点は現実の表層にある。議論がかみ合うか、あわないか、老兵は去り行くか。
2005.05.22
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週末に好天に恵まれるめぐりになった。日中24℃と明け方13℃、気温差は10℃だが、これくらいの時期が体感温度としては差を大きく感じるだろうか。北朝鮮に拉致された家族の子たちが帰国して1年になるそうだ。はやく時間がたった気もするし、短くもう1年かという気もする。国家権力と言っていいと思うが、そのあいだで揺れ動いた運命に長じて様子がわかればわかるほど数奇な思いがますだろうか。帰国できたことは喜ぶべきであり、正しくは主張することも生まれてくる。ふと、さらわれたまま、帰ってこぬ人、時、そしてそれを行ってきたかもしれない時代を思う。人間の環境は人類の自然とするものでもない。環境が人と物との関わりであるとするなら自然環境であろう。人と人との間の環境は、それこそ人間なのだ。人人の境界、世にある、世界はそこにある。
2005.05.21
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忙しいのと時間のやりくりをしている間あいだに一日が過ぎてゆく。この時期は毎週末にスケジュールができ、休む間もない。ちょうど5月の気候の変化を乗り越えて、乗り越そうとして、つかればたまる。それを意識して覚悟のうえで6月の半ばまでバイオリズムを維持していく。レッサーパンダの風太が後ろ足で立つ映像が紹介された。千葉の市動物公園、10秒以上も直立している。1日に1、2回見せる仕草、見られたらラッキーと動物園関係者。この1月くらいからのパフォーマンスだそうだ。高校生の授業料減免申請者が急増しているようだ、日高教の調べ。27都道府県180校にアンケート調査をして、20都道府県60校が回答した。2002年度2592人、2003年度3498人、2004年度3927人と増えている。修学旅行に参加できなくなった、経済的理由で退学したなど、家庭状況を反映している。
2005.05.20
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忙しさが週半ばに来るようになった。木曜日がヤマとなりつつある。今日もいい天気だった。天気予報は、はずしたなぁ。郵便ポストが減って天下りポストが増える、と民主党が揶揄するそうだ。郵政事業の民営化は政府案で6事業にわかれる、日本郵政、郵便事業、郵便局、郵便貯金、郵便保険、そして、これまでの公社継続法人。それぞれに社長が就任、天下り官僚が増えることが予想される。いわば完全分社化で経営が問われる形となる。なかでも郵便貯金の行く末が明らかでない、経営が持つかどうか。
2005.05.19
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下り坂の天気だ。気温は日中が21℃、明け方は15℃、曇りから雨の模様。雨降りは今夜だけになりそうだ。出かけるときに傘がいる。日本の女性の社会参加は主要58カ国で38位という世界経済フォーラムでの報告。性差別指数とかで、スウェーデンが1位、ノルウェー、アイスランド、北欧が上位に並ぶ。米国17位、中国33位、韓国54位となる。項目別に、健康福祉は3位、政治的な権限付与54位、労働機会の均等が52位だったようだ。日本社会の変化に働く女性が作り出す組織の人間関係がある。実務処理と将来を見通す能力がバランスよくあらわれるなら維持された状態が続く。時として突出するその能力は発揮する方向を正しく取ることが望まれる。規則と正しいこととその兼ね合いに視覚と嗅覚が働く。軍隊と公言した首相のもと、国連安保理常任理事国入りは、実は、憲法の改正と絡む出来事となる。戦没者への追悼方法に他国他者の関与を許さじとする発想は加害者としての意識を被害者にすりかえる。何度あやまったらいいのか、という叫びに、罪の観念は払拭されたいとの思いがあるかのようだ。あやまってすむことでなければ、あやまり続けるしかない、もう、あやまったからいいだろう、とする傲慢さは戒めなければならない。冥福を祈り、それを繰り返す思いは、加害者の家族にあるのか、被害者の家族にあるのか、その思いが届くのは行為の感情いかんだ。
2005.05.18
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不思議な世界をつくり言葉の匠にその日 その日の思いを自分の 発見と発言 発現よろこび の仲 睦まじく たわむれたことば と ことば と語る 真実に見据えた 正義震える 心はふたたび われにあるこの 生き行くおもいのそのさきにことばと こころと夜と昼と不可思議な世界に点す火耀きあれかし
2005.05.17
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よく晴れた。朝方は少し曇っていたが、寒いようでもあった、少しずつ晴れてよい天気になった。楽天広場のブログの平均アクセスが58になった。長く57平均でいたのが、最近、100以下の日が多くて、アクセスに伸びはないものの、少し安定したか、訪ねてくださる皆さんに、ありがとう。日曜日のコラムに、呪縛残る日本的経営、というタイトルの佐高信さんの一文があった。JR西日本の社員が上司の命でしか動けないのを目の当たりにして、会社の上司の指示を絶対とする、そのような組織にいる人たちを、社畜化と呼んでそれを会社の呪縛としている。月給と言うエサで物申さぬ社畜となったとする物言いには強烈な印象を持つが、紹介された作品には注意するところがあった。ひとつは、定年後の銀行支店長の話に、平成サラリーマン川柳の傑作選だった、その川柳には笑えないなにかが、やはり、ある。 運動会抜くなその子は課長の子 ああ言えばこう言うやつほど偉くなり 持ち歌を歌ったばかりに左遷され 社宅では犬も肩書きはずせない シッポ振るポチに自分の姿見る 客よりも上司を立てる大会社会社にいて、会社を退いて、社会の中で見出だす自分の姿だ。社章をつけなかった社員、そして、会社が事件を繰り返すのは、会社が封建社会だからだと佐高さんは、著作を引き、みずからは憲法番外地と規定し、言論の自由などを得なければ会社は変わらない、と結ぶ。日本的経営の賞賛は、確かになくなってしまったが、ほどなく日本社会に影響し始めた現象は、フリーターとなる若者の増加とニートとなる無目的な社会の構成員が出る今の状況だ。国のため、会社のため、集団のため、仲間のため、さらにはあなたのため、次は何のために、が来る。
2005.05.17
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よい天気になった。北西風が吹いて空気の乾燥する予報が出ている。穏やかな晴れに何を見据えるか。週半ばに天候はくずれ始める。気温の高低が激しい。気候は東日本で低音が続いているという。上空の寒気団は、まもなく去る。五月晴れの雲のない空だった。ふと気づくと情報の早さがより詳しく細かになっている。いま世界にある地域で誰が何人死んでいるかと刻々と伝えている。1人の命の追求が耳目に届く、しかし、そこには拘束の場面はなかった。イラクの警備会社を襲撃した武装勢力の事件で映像が公開された。常任理事国入りの願いを持つ日本と言っていいのだろう。世界に点在する日本国大使116人が東京の一堂に会した。外相の呼びかけで集まり、国連での票集めを国元から進めようというのだろう。最後には手ごわくはんたいをする米国が日本の引導を渡すとの予測もある。中央アジアのウズベキスタンで反政府暴動が起こった。死者500人と伝え、政府の軍隊が鎮圧した。イスラム原理主義者によると発表があった。イスラムの動きがやまない。衆院予算委員会で首相は答弁をした。靖国参拝は適切に判断をする、として、時期を見ているように見えた。他の国が戦没者の追悼の方法に干渉すべきでないと不快感を示した。さらに罪を憎んで人を憎まずと、中国の孔子が行ったと、靖国合祀の問題に反論した。
2005.05.16
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クマラジューは共命鳥を編み出した。善と悪を併せ呑む象徴だという。頭は二つ、胴は一つのとりだ。昼の顔と夜の顔と、激しくねたみあう、挙句に毒を盛る。ともに生きて、ともに死ぬ、人間の謂いだろうか。色即是空、空即是色を仏教の教えに翻訳をした。経典のリズムに苦労したとか、300巻の翻訳を遂げた。煩悩是道場、の考えを加えた。末法思想をうみだす世相に極楽の言葉を編み出した。亀滋国、クチャの命運に5胡16国時代に秦の攻撃を受けた。浄土思想の理想郷はかくして生まれたか。新シルクロードの涅槃像は暗く深く閉ざされていた。
2005.05.15
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まさに晴れた。エキスポの森へ出かけた。散歩ツアーに参加した。とてもよい気持ちだった。インタープリターの案内で楽しくグループで楽しんだ。池のほとりでは風が冷たいぐらいの天気に森の中は木漏れ日のやわらかさがあった。色あわせ色探しと、みずはなだ色、すずめ茶色、ぶどうねずみ色を色見本を手にして、ひと時を過ごした。ぶどうねずみは、見本色がないカードで、ああだこうだと探した。エキスポ広場で中国天津の催しを観た。華夏芸術団の歌と演技と、平均年齢は8歳、ドラえもんの歌を歌ったのは5歳で、司会者は3ヶ国語つまり中国語、英語、日本語を駆使?していた。あどけなさを感じてみるものの、ビミョーだった。すべての進行に才能開発を感じた、むかしながらの幼児教育だ。
2005.05.14
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と、ゴロをあわせてみて、イラクで起こった拘束事件が気になるところだ。いろいろな角度で報道が出始めて、警備会社が傭兵である実態や、フランス外国人部隊、これは軍隊に参加している日本人が40人いるとか、その同僚たちが元の先輩を語り、そして致命傷を負っていると警備会社が発表するなど、重傷事件としても日本政府が対応し始めた。そのなかで、中日新聞の記者が、19年前のパリであった日本人を回想して、確かに写真がその人であることから、その当時の会話をコラムにしている。目を引いたのは、15歳のときに閉じこもりがちになって、親に迷惑をかけると思い、家を出たという話だった。20年間外国人部隊に勤務した、その入隊3年目ころのことらしい、ごく普通の青年の素顔が見出しのまま、素朴な青年、なぜイラクへ、と、そこに見える。この拘束事件が銃撃による死亡事件であった場合に、これだけの意味を持ってくるかどうか、また、武装勢力が公開した意図もはっきりしないまま、邦人の人命として戦争が起こっている状態をわたしたちに繰り返し認識させる。家族の言葉がつたわってくると、苦悩する弟が、異郷にいる兄を思う気持ちもいたいたしく、それでいて1人の人間が果たすやくわりを、何に求めて理解すれば良いかという、イラクの平和のためという正義があるにもかかわらず、それを受け入れるには余りにも偏る日本のメディアに、政府のもくろみがあり、さらに深い問いかけとなる。異教徒、汚された仏教徒と呼んではばからない教義に、答えるすべはないのか、先ほどの新聞記事にあらわれた記者の意見は、イラク社会が基本的に部族社会であり、それをフセイン1人と攻め込んだブッシュの誤認を指摘し、幾多の、といってもいいだろう、戦争を延長してきた米国は民間の警備会社の兵に頼って、なお戦争を続けている。陰の軍隊と表された現実は、テロ戦争の、テロであるゆえんをも浮かび上がらせて、陰とテロの戦いという、将来的には複雑な人命争いを続けていく禍根を残していく。
2005.05.13
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激しい雨が降った。雷をともなったところもあった。傘を持っていなかったの困ったと思ったが、夕方には上がった。天候を気にするのは傘の用意のことか、自然の恵みを受けてきた私たちに降る雨はさまざまな思いを運ぶ。自然と称したときに、そこには、農耕をする民族の知恵があった。荒々しい風土を実感するような、たとえば砂漠を大半に抱えていたわけでもなく、ほとんどが山あいにある盆地と海に突き出した平地に生息して来て、その地形がはぐくんできたものは風と雨と日の交替だった。穏やかな日のうちには次に来る移り変わりを予測し、大きなうねりとなる天の動きを読み取ろうとしてきた。どこまでも民族はその地域の風土に支えられた気質を変えることがない。北朝鮮が核燃料棒を8000本を取り出し、これは発電炉で数年燃やしたあとに燃えカスだが、再処理されると、放射能が高く、崩壊熱でプルトニウム型核爆弾を製造できる。取り出された量は今後数ヶ月以内に4、5個の核爆弾を作って実験をするための、今年の2月に核兵器保有宣言を出しているので、準備に入る可能性がある。核兵器増産を一挙に図ることができる北朝鮮は6カ国協議の交渉材料にするのだろうか。メディアが発表した、いわば本気だろうけれど、これまですすめてきた関係諸国の朝鮮半島の非核化に逆行することになる。欧州のビジネススクールの経営開発国際研究所、IMDが2005年世界競争力年鑑を発表した。日本は2004年の23位から21位になった首位は米国、そしてホンコンは6位から2位になった、3位は入れ替わってシンガポール、次いでアイスランド、カナダ、フィンランド、デンマーク、スイス、オーストラリア、ルクセンブルグとなっているが、51カ国・地域9地方の経済など、マクロ経済、政府の効率性、ビジネスの効率性、インフラ整備など4分野、314項目を調べる。中国が注目されて、24位から31位に後退、高度成長の持続性を不安材料としている。
2005.05.12
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列車事故のニュースのかたわらで、新聞記事の中で報道が続くイラクテロだった。人によっては安全になったと言い、また人によっては危険が増し治安が悪くなったとも言う。その中で、日本人拘束の知らせはまだイラクの危険状況を知らせるものだった。警備会社という呼び方の傭兵はその実態が表立った報道では知らされないだけに、そこに勤務していた日本人の存在があらためて、戦争がそこにあることを教える。民間兵士に警備会社、それが軍隊の下請けとなるかのように、複雑な様相を告げる。銃撃戦を誰と誰が戦っているか、車列に攻撃を仕掛ける武装勢力は、互いが互いを殺しあう状況にくわえて、襲ってみると契約によって銃を向ける相手がいたとなる。イラク各地の爆弾テロ、郊外や市内の銃撃には、イラクの政府による統治を望まないものがいることがあらわれている。イスラムの教え、アッラーの統治を叫ぶというのは、信仰のゆえであろうけれど、かつての日本で起こっていた状況に比することがある。
2005.05.11
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イラク武装勢力が日本人を拘束したニュースが流れた。アンサール・スンナ軍を名乗る組織がインターネット上で公表した。パスポートを公開し日本人と特定できる人物情報がわかる。写真とあわせて米軍発行の身分証明書と武器所持許可証を掲載し、警備会社に雇われていたことが判明した。米軍が直接に外国人を雇用することはないという。軍に確認した情報では下請け会社が雇うなら可能性があるようだ。襲われた警備会社は日本人をのぞいて全員射殺された。日本人警備員は大怪我をしている模様。イラク戦争で日本人はすでに5人が死んでいる。イラク国内では依然としてテロ事件が相次ぎ和平が成立しているわけではない。連日のように不穏な情勢が伝えられるが、日本人の拘束をアップしたサイトは国内向けのニュースではない、米国、日本向けか、民間の警備会社に日本人が傭兵にも似ていることが驚きだ。
2005.05.10
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季節をひとり味わう。気持ちがよいときに何事もないことを願う。政治、経済の動きに国際情勢が絡む。情報の有無にどれほどの内容を見ようとするか。靖国参拝をコイズミさんは行くだろう、時期を慎重に判断して、今年中に選んで、と自民党の国対委員長が発言をした。参拝しなかったからといって劇的に日中関係が改善されるものではない、とも、言っている。侵略事実の美化という捉え方も、なにやら言語矛盾があって釈然としないが、一方で、変わらず、中国副首相は靖国参拝が歴史問題の焦点だ、と述べたと伝えている。歴史認識が洋の東西で問題となりつつあり風化しかかった年月に決していかねばならない時が来ている。ヤルタ協定を批判したブッシュ大統領の演説が報じられている。ヤルタはクリミア半島ヤルタ、現ウクライナ領、そこで1945年2月に米英ソ連合国首脳が第2次大戦の戦後処理を会談した。ソ連の対日参戦を決めた会談でもある。戦後のソ連による中東欧の支配を歴史的な誤りとし、それはヤルタ協定の誤りだったと米大統領は言う。
2005.05.09
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すこし冷える感じがする。雲に覆われた五月晴れ、本来、雲のない晴れ間、ゆるやかに青空がのぞく。アメリカの祝日の習慣をとりいれた記念日と言えばいいか――。母の日、また、今日は何の日から説明を見ようとと思ったら、記載がないので、インターネット百科事典ウイキペディアを引用してみる。母の日は、日頃の母の苦労を労り、母への感謝を表す日。母の日は20世紀初頭にアメリカで始められた。1907年、ウェストバージニア州で教師をしていたアンナ・ジャービスが、母親の3回忌にあたる5月8日に、友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案した。1908年の5月10日、彼女が勤めていた学校に470人の生徒と母親達が集まり、最初の母の日を祝った。彼女は参加者全員に、彼女の母親が好きだった赤いカーネーションを手渡した。このことから、赤いカーネーションが母の日のシンボルとなった。1914年に、母の日はアメリカの祝日になり、5月の第2日曜日と定められた。日本では、戦前は皇后の誕生日である3月6日、地久節に行われていたが、1949年ごろからアメリカの例に倣って5月の第2日曜日に行われるようになった。アメリカとちがう日を母の日とする国は多くあり、例えばイギリスではレントの第四日曜日(通常三月末か四月初め)である。以上で、ウイキペディアの引用、終わり。母の日に、母に何をプレゼントしたか、あまり覚えがない。そのときどきに感謝を示すカーネーションを送ったぐらいか。気がついたときには不孝を重ねた思いだけが大きい。そして親孝行をしたいときには、ほんとうに親はこの世にいなかった。そして父の日に、老人の日に、中国では教師の日があるということに、思うのは、日ごろの恩に報いるには、何があるだろう、ということ、だ。もらう立場になって、プレゼントをもらえなくなって、ひさしく、そこにあるのは親子のつながりを確かめるときがあるかないか、充足する日常性である。親も子も、自分しか考えないことがあるとするなら、それなりに懸命に生きる・・・。生きている証を生の享受に持とうするときがある。
2005.05.08
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晴れた、あらわれた空に木々の青、青葉というごとく。時期に思い起こすのはつつじの花だ。気温はまだ低め、温度が上がれば一気に開花するだろう。ピンクの平戸躑躅に生命力を感じた。プロ野球が交流試合で沸いている、こうなると2リーグ制を取るのはどうしてであったかときになる。1リーグで総当りであれば番狂わせをもいくつか起こしそうなものを、これまでそうしなかったのはなぜか。四国アイランドリーグの運営会社が夢を抱いて動き始め、それに社会人野球の下支えでがんばる監督、高校野球の盛んな若者がこの風土にいるというのに。考えてみれば職業野球としてのプロ化が図られていなかっただけ、所詮、まり遊びをかかえた一握りの趣味人の道楽に過ぎなかった、のだ。鉄道脱線事故は列車転覆後の救助をめぐって、組織的な鉄道会社の体質の追及が行われている、かのようだ。事故当日、他の車掌区たちが非番を利用してボーリング遊興、そして宴会にゴルフに旅行に、あるいは乗りあわせた社員の現場を離れる指示、など、遺族にとっては憤懣やるかたない。列車運行の状況にも安全対策が取られていなかったことへの批判があり、あのATSが設置されていなかったという、また、ダイヤの過密化が現実に無理な数字で立てられて、それはつまりスピードを上げるしかない組み方に証明されたりもして、メディアは次々とあばきたてる。説明責任がおこなわれたかというと、検討中、調査中、答える人ない、などで、その対応のなかで、虚偽とされる、隠ぺい工作に近いとされる、不透明なやり取りに、語気も荒く、記者会見がおこなわれている。2度と起こらないように願うなか、まずはなくなった家族を思う方々へのケアがいる。戦後4番目の大きな死者は突出した状況を見せた、これは技術的な安全体制をすすめる現代では、未曾有の事故だろう。ブレーキがかかったか、非常ブレーキに近い、さらに脱線ではなくて横転をしてしまったのはなぜか、107キロでカーブを進入をしたことに気づいてあわててかけたのか、乗客の証言に傾きが起こる前に急ブレーキの音とがたがたとゆれがあったと言う。あそこに電柱がなければ惨事はもっと大きくなっていたかもしれないとおもうと、車両速度は、すでに、レールの上で街中を走行するには制御できない限界に達しているのではないだろうか。次は毎日インタラクティブのニュースを引用。 **** 引用始まり ****◇トップに集中する権力 「目上の人に言いづらかった」。事故当日、ボウリング大会を開催していた天王寺車掌区の社員43人のうち、事故を知りながら上司に中止を進言しなかった13人の弁解だ。ほとんどは、年代の若い人たちで上司や先輩への遠慮があったという。 同社では、分割・民営化に伴う合理化などで社員の年齢構成がかなりいびつになっている。昨年4月1日現在で、45~49歳の社員が最も多く約8600人。55歳以上も約3440人おり、20~29歳の5220人と比べ、高齢者にシフト。若年層とベテランをつなぐ30~39歳の中堅層が1450人と極端に少ないのが特徴。こうした社員構成が、若手たちが上司らに言い出しにくい環境を作り出しているのではとの指摘だ。 また、分割・民営化時に、厳しい合理化を図り、経営を安定させた過程で権力をトップに集中させたため、社内の風通しが悪くなったとの声も内部からされる。社員からの意見は、スピードアップや人員・コストの削減などに関するものは採用されても、経営方針に抵触する意見はまず取り上げられないという。 ◇社員に判断力なく 会社の体質は、事故の電車に乗り合わせたのに、救助せずに勤務に向かった運転士の場合にも出ている。事故車両の6両目に乗りながら救助活動をしなかった運転士(27)は「気が動転していた」と釈明したが、この日の勤務は午後2時9分から。遅刻の心配はなかったが、実際には、午前10時開会の橋本光人・同社大阪支社長の講演会に出る予定だったことも分かった。 ある中堅運転士は「大阪支社は職員5000人を抱える。支社長は王様みたいなもの。講演に遅れるわけにはいかないと考えても不思議ではない」と推測する。また、西日本旅客鉄道労働組合(JR西労組)の幹部は「ぜがひでも出勤しなければいけないのか、判断できない組織の体質に問題がある。そうした風土に気づかなかった組合の責任もある」と話す。 ◇「事故調にも問題」と、信楽高原鉄道事故の遺族ら 一方、こうしたJR西日本の体質だけでなく、事故原因の究明に当たる国土交通省航空・鉄道事故調査委員会にもあると指摘するのは、信楽高原鉄道事故(91年)の遺族らでつくるNPO「鉄道安全推進会議」だ。同会議は、米国の「国家運輸安全委員会」などの視察を通じて、米国での安全システムを研究してきた。 同会議によると、国家運輸安全委員会は、事故発生時に行動心理学などの観点から鉄道事故などの人的要因を多角的に解明する調査グループを設置。乗員らの勤務状況や体調などの調査にとどまらず、労働環境や技術訓練の水準など、事業者の「安全文化」に踏み込んで検証する。 同会議関係者は「日本の事故調は技術論に偏っている。米国に比べて安全工学や人間工学の視点が劣り、こうした面での安全対策も考慮しなければならない」と指摘する。鉄道事業に詳しい安部誠治・関西大教授(公企業論)は「ミスをした職員に、見せしめのような“日勤教育”をすれば事故が減るという考え方は非科学的。技術と安全と人間のかかわりについて、幹部も含めて再教育すべきだ」と西日本の体質そのものを批判する。 ◇JR全体の問題 国鉄の分割・民営化を追ったルポ「国鉄処分」の著者、鎌田慧(さとし)さんの話 国鉄時代は、公共交通の模範というのが事業者と労働者の誇りだった。JR西日本は、私鉄の激しい競争の中でそれが崩壊した。JRは、分割・民営化に同意しない者を「人材活用センター」へ送るなど労働者を管理・支配してきた。「抵抗しない」姿勢は今も組合員に残っている。運転士は自己判断を求められるのに会社が「使いやすい人間」を作った。どういう状況でも出勤しなければと、ロボット化、マニュアル化した責任はどこにあるのか。人命救助優先でなく遅刻や罰を恐れる体質があったのではないか。JR全体の問題だ。毎日新聞 2005年5月6日 23時53分 **** 引用終わり ****
2005.05.07
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鮮やかな季節がやってきた。瑞々しく照り映える太陽が西から訪れる。集中的な豪雨も心配されてはいるが、しとしとと降り続く中に生命感が躍動する。また暑くなるだろう、初夏だ。立夏が5月5日だった。ウイキペディア百科事典から、引用。かえるが鳴くころというのは、風情がある、と感じるのは、時代遅れか。草木が茂る頃となる。 **** 立夏の説明 ****立夏(りっか)は二十四節気の1つ。5月6日ごろ。および、この日から小満までの期間。太陽黄経が45度のときで、夏の気配が感じられるころ。四月節。暦便覧には「夏の立つがゆへなり」と記されている。この日から立秋の前日までが夏となる。春分と夏至の中間にあたる。蛙が鳴き始めるころ。 **** 引用 終わり ****風邪引きがはやっているようだ、季節の変わり目で、休日の前に引いた人もいる。連休の初日に寝込んで、ずっと休んでいましたよ、とか。この季節に扁桃腺を腫らして、よく寝込んだことを思い出す、それがなくなって、4年か、5年になる。新年度を迎えての疲労を出していたりしたのだろう、商売柄、春先の緊張が切れるころだったから、連休明けとともに回復して、何食わぬ顔でいたりしたものだ。あれもこれもと、しなければならないことを考えるのは、大型の休日続きとはいえ、まだまだ、働こうということか。日ごろに精一杯やって、休みに計画を立ててささっと旅行に出たりするほうではないので、人生設計も同じく、あまり、うまいとはいえない。持てる能力の限界か、それとも普段からして、自由な人よろしく、時間を気ままに使っているのだから、休みも何もないと思ってきたのだった。少し風を引きかけた、ボーっとした頭で、いる。ブロッグをコピーにひとつと、ジャンルを決めてひとつと、さらにもうひとつぐらい、と、思ったりしている。サービスプロバイダーの選択もそうだが、結局のところは、安定したページを提供できる、スポンサー付きを使いやすいと見る。パソコンの便利さを電気料でとばかり考えてきたのではないが、それでも、サイバースペースの架空にかけた電子の往復には、どこか人間の健康状態と同じく、栄養と休養と滋養かもしくは教養で何とかなると思っているから不思議だ。トラックバックなぞ、何のためかと意に介さずにいて、あちこちコピー、ペーストでブログを書き続けるのも何かなぁ・・・
2005.05.06
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良い天気が続く。連休の好天とともに万博は14万9240人を記録した。3日続けて52万人以上の人が集まった。日本全国からの観光客でにぎわっている。総務省のこどもの日、人口推計によると1765万人。総人口に占める割り合いは13.8%ととなった。連続24年にわたって減少し続けている。15歳未満、男子が904万、女子が866万、年齢層別で12歳―14歳が362万人、0歳―2歳は338万人である、子供の割り合いはイタリア14.2%、スペイン14.5%などと最低水準だそうだ。ちなみに、日本の総人口のピークは2006年に迎え、2007年から減少に転じる。2003年の合計特殊出生率が1.29と、過去最低を更新しているので、このままではピーク予想は2005年中になるかもしれない、と。1994年には出生数は124万人近く、それが2003年112万人強、将来人口推計の1.32を下回っている。2010年ごろに第2次ベビーブームの女性が出生適齢期を迎える数年間を少子化をの流れを変えるチャンスと見ている。こどもの日、国民の祝日に、次のように説明がある、今日は何の日から、まとめて、引用。こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する、祝日。1948年7月20日、国民の祝日に関する法律で、端午の節句のこの日が、こどもの日、と定められた。1951年5月5日には、児童憲章が制定されており、5月5日から11日までが児童福祉週間。端午の節句は、中国から伝わった五節句の一つ、ほかに上巳、3月3日や、七夕、7月7日がある。中国での、昔この日に野に出て薬草を摘んだり、菖蒲酒を飲んだり、ヨモギで作った人形を戸口にかけて邪気を祓う風習。これが平安時代に日本に伝わった。端午の節句に上げる鯉のぼりも、中国の故事からきた。昔、楚の国で、ざん言のために淵に身を投げた屈原を慰めるために、紙の鯉を作って奉ったのが始まりとか。日本では室町時代から、武士の家に戦ののぼりに似た吹き流しを立てるようになり、江戸時代になるとそれが町家にも広がって、紙で作った鯉を竿頭に上げるようになった。鯉は「竜門を上がれば化して竜になる」いう伝説から縁起のいい魚とされ、晴れた空を悠々と泳ぐ鯉のぼりに、男の子の健やかな成長と立身出世を願う気持ちを託したものである。 もともと日本には、この日、田植えを始める前に早乙女、さおとめ、田植えをする若い女性が、身を清める行事が行われていた。古来、端午は女性の節句であったのだ。武家社会の台頭とともに、菖蒲と尚武が同音であることなどから、上巳と対照的に男子の節句となった。戦国時代には、男子の無事と立身出世を願って、家紋や、武者、疫病を防ぐ中国の鬼神・鍾馗や出世魚の鯉を描いた幟が立てられるようになり、江戸期になると庶民にもそれが広がった。鯉のぼり、武者飾り
2005.05.05
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晴天が続く。愛・地球博には、連日の14万人超の人出となった。ゆっくりと片づけをしている。ツバメが軒下に巣をつくりはじめた。糞と虫と泥と、そして野良猫と、あとは何を運んでくるか。子育てにいそしむツバメ夫婦は雛をかえして飛行訓練をして飛び立つまでに。新緑に映える姿は生き生きとしている。巣の下に置く車をなんとしよう、巣ができる前に壊そうと言う話もあったりした。中国でのデモによるニュースはなかった。反日に対して、友好を示す交流記事などが掲載されているという。天安門広場では立ち入り禁止が行われ、ほどなく若者が北京オリンピックの宣伝のためのマスゲームをおこなった。ホンコンで届出による抗議集会が政党よりの団体によって、教科書問題などについて異議を唱えていた。
2005.05.04
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また、連休3日間、大型連休の道路混雑が伝えられるなか、沖縄から入梅の知らせがあった。昼は雲が多いとの予報、陽気が訪れそうだ。憲法記念日、中日新聞の見出しに、9条改正48%、維持33%、改憲容認69%、反対20%、本誌世論調査とある。中日春秋は、書いた。アンシャン・レジームの死亡証書と言われるのは、フランス革命の人権宣言には旧制度に対する近代市民社会の原則、立憲主義の原理が、あったからだと言う。昨今の憲法論議に、国防の責務、家庭を保護する責務、環境を守る責務とか、国民の責務を政治家が盛り込もうとすることに、考えを持つ議員がいて、これは、国民の規制を憲法に求めている、との改憲派の論客の意見を紹介している、中日春秋には聞くべき議論だろう。
2005.05.03
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気持ちの良い日和となった。お湿り情報は前倒しの感じで、昨夜の間に天気は移った。暑くなる、その一方で、空気が冷える。連休の谷間に、北朝鮮が日本海に向けてミサイル発射のニュースが飛び込む。成功より成長だそうだ、日経新聞の囲み特集記事、働くということ2005、の見出しにある。人が働く目的に、やりがい、地位、富とそれぞれだが、競争社会を上り詰めると、ゴールが見えると満たされない気持ちがわく、というのだ。生きがいの発見には、終身雇用、年功序列が崩れた、めざすゴールが見えにくくなった企業の社員たちを、追う。会社人生だけではなくなった、とすれば、何があるか。その解説には、ボランティアの人数の増加現象に、2003年4月で768万人が社会福祉協議会に登録、20年前の3倍に増えたそうだ。そして、欲求階層説を唱えたマズローの説を紹介している、米心理学者である。欠乏欲求の次に、成長欲求がくる、その自己実現を求める理想の組織を、ユーサイキアンな組織と呼んだ。より高次な欲求に、人から愛されたい、尊敬されたいと、思うようになる、というが、はたして・・・連休の反日デモは封じ込められている。北京の日本大使館前に20台ものパトカー、上海総領事館に数十個のコンテナを並べて道路封鎖、物々しく警戒をする警官と公安の映像が映る。政府の威信をかけてデモへの参加をしないように、4日を前に、緊張があるようだ。ごく一部にせよ、対応がとられて、人々の受け止めが変わった、サーズよりも深く刻まれた思いがある。
2005.05.02
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この季節を新緑の時と、迎える、桜が緑におおわれた。朝に、ニュースショーから、現政権への切ない期待感との語が、耳に入った、12年後に目指す、3年ごとの見直しは、その期待の延長上にあるか、乳白色になってしまった霞の空だ。昼下がりにパラリ、パラリと雨になった。夕刻には本降りになって、暑くなった日を冷やす。囲み解説、時代を読む、甲斐一政さんの、中国が失ったもの、という一文がある、中国政府が沈静化しようとしなかった反日デモに寄せたが、失ったものとは、国際的イメージと、日本人が中国に寄せた大恩だ、ということになるのだろうか。中国国民党は日本への賠償請求を計算したことがあるそうで、連合国軍側が賠償請求権を放棄すると決定して日の目を見ることがなくなった文書は、今も台湾の国民党本部にあるそうだ。氏の論はそれを払っていたら日本と中国の歴史的認識やわだかまりはもっと小さくなっていた、と、あたかも変わっていただろう、と書いているが、これは歴史に、もしもを、議論する。いつもの論調で、ここまで展開してくると、大恩を信じた日本人も蒋介石の演説も否定されてしまって、失ったものの内容を自らの信義におくことになって、その信義を問う議論は危険きわまりない。メーデー、労働者の日、何の日に、1886(明治16)年、シカゴの労働者が、8時間労働制、を求めてストやデモを行ったことを記念し、1889(明治22)年の第二インターナショナル創立大会でこの日を国際的な労働者の祭典・万国労働者団結の日と定めた、1890(明治23)年に第1回メーデーが開催された、と説明する。日本でのメーデーは1920(大正9)年5月2日に上野公園で行われたものが最初で、その後全国に広がったが、1936(昭和11)年に政府によって禁止され1946(昭和21)年まで中断された、ともある。ヨーロッパで行われていた春祭り、花の冠を被らせて、5月の女王(May Queen)、を仕立て、遊戯等して楽しむ日だった、そうだ。 **** 今日は何の日 ****労働者の団結と連帯を示す国際的行動日。1886年5月1日、アメリカ全土の労働組合、各種団体が8時間労働制などの要求を掲げ、ストとデモを決行した。その3年後の89年、エンゲルスらの第2インターナショナル創立大会でこれを記念し、毎年5月1日を「万国労働者団結の日」と定めた。以後、各国でこの日に大規模なデモや集会が行われるようになったが、現在では闘争というより、労働者のお祝いの日として定着している。 **** 引用終わり ****
2005.05.01
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