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桜の開花予想が今日あたりに実現して、5-6輪、咲きそうだ。桜の開花宣言を統一したと国土交通省の説明が桜の花、5つだった。気温の高まりが予想されて咲けば一気に花が咲き始めるのが桜だ。イベントなどの開催に知らせるためのもののようで、桜前線などというのも。新聞記事のトップに戦争放棄・象徴天皇を堅持とある。衆参両院の憲法調査会の最終報告書案が30日に出揃ったが、憲法調査会が憲法の中身を具体的に提案している格好だ。国民主権、平和主義、基本的人権尊重を原則とし、これを維持する。これに象徴天皇制、戦争放棄の9条1項、2院制を維持する。集団の安全保障について集団的自衛権は制限するかどうか、認める、認めない、3類に分かれた。衆院は制限を含めて容認派6割を超えた。自衛隊をどう扱うかで議論が分かれたままだ。参院では自衛隊の明記に意見が分かれたようだ。株価を相手に舌戦を繰り広げたかに見えたニッポン放送をめぐる戦いは株価変動に与える舞台を幕引きとして水面下の交渉に入った。貸し株をしたことについて、韓国メディアの質問に答えた堀江さんは、貸し株を予想しながらも最悪のところ、貸してはいけないところとコメントしたようだ。また、SBIは当事者の話し合いが肝心とあげた手を引っ込めかけている。フジテレビのバックにソフトバンクどころか、楽天がいると報じる朝の番組もあった。
2005.03.31
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好天が続く、愛知万博へ出かけた。風がけっこう、冷たく感じられた、入場者数は7万5000人ほどだったとか。物々しい警戒に21世紀型博覧会を思った。会場で弁当を広げる姿がないのはスマート?だけれど、異次元空間の演出には寸足らずだ。食べ物をいきなり、とやかく言うつもりはない・・・コイズミサンが通達を出したとか、会場に弁当の持込を許可するように、と。あのゲートで手作り弁当をゴミ袋に投げ捨てる係員の開業当初の映像とその無神経さに、愛情こもった食べ物をおろそかにする、愛、地球博とは何だろうと、首をひねっていたものだった。
2005.03.30
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本震かと言われる、M8.5とも観測される地震があった。2時間たって津波の恐れはないとニュースが伝える。スマトラ沖の震源地に近い人々は高台に避難をした。12月26日から3ヶ月、記憶に恐怖がよみがえる大きさだ。ライブドアの申し込みで会談をドタキャンしたとSBIが発表をして、ホリエモンの表向きの動きが止まった。会うことによって生じるメディアからの注目にデメリットを計算したからか、また、てだれの登場には相手のペースに乗せられる雰囲気がある、それほどに豪語してフジ側に寄った。ホリエモンの想定範囲にあるなら、、裁判をしても99勝てない、私を相手にするとタフだ、とする人の発言どおりなら、最初から、それには会わないことになるだろう。それにしても、金が動く世界のどろどろとした土壌に、ビジネスと言うことばで飾った命を張った戦闘は、実は、食うか食われるかの強者の生き残る世界で、どんなにソフトに笑顔を見せても透けて見えるのは人間の牙だ。フジからの貸し株をこちらに貸し株をしてくれよ、と言えば。ニッポン放送株を売れよ、元の値段でいいじゃないか、と応じて。そうでなければ株を全部買って呑み込んじゃうぞ、と脅すか。もうここらでやめてWinWinの関係で、儲けることをしろよ・・・20億円でファンドを作って年間2%の利益、手数料のほかに20%の利益をよこせ、全体で200億円と見ても、うちが儲かるようにしてやるから。2000年4月にネットバルブ崩壊、そこで資金投入をして買収を進めたポータルサイト。ソフトバンク、楽天、ライブドアが契約数を争う2004年へと展開する。ヤフー3000万、楽天2000万、ライブドアが1000万のアクセス数だと解説する。M&Aとは、Mergers(合併)and Acquisitions(買収)の頭文字。日本語では「企業の合併と買収」という意味。広い意味では、株式の持ち合いや合弁会社の設立などを含めた、資本の移動をともなう提携を指し、狭義には、合併と買収の2つを意味している。合併には「吸収合併」と「新設合併」の2つの方法があり、合併は2つ以上の会社が合体して1つになる制度。
2005.03.29
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冷たい雨となった。細かい雨が降った桜の開花予想の日。15-6℃は明日から1週間、満開は4月3日ごろ。日韓歴史共同研究員会が26日に会合を開いた。歴史問題に関する論文集を交換、夏ごろ、日韓共同歴史研究推進計画合同支援委員会に報告する。この支援委員会は、2001年に起こった歴史教科書の記述を巡る対立、小泉純一郎首相の靖国神社参拝批判を受けて、2001年10月に首脳会談で設置された。2002年5月の初会合、20人の専門家の研究委員会に対し、支援委員会は官民による。2005年6月は日韓国交正常化40年、8月は韓国で植民地解放60年となる。竹島の帰属、歴史教科書の記述、従軍慰安婦の問題について一定の見解を出す。ことを目差す。韓国側で、島根県が制定した、竹島の日の条例に反発している。そこで歴史問題を3点挙げて厳しく日本を批判し牽制したが、ノ・ムヒョンさんの国内向けの発言とコイズミさんは捉えたようだ。ライブドアとSBIのトップ同士の話し合いは行われなかった。貸し株を新たな対抗手段にフジテレビはホワイトナイトに託した。グレーナイトであるかもしれないとの評者の言葉にも慎重な姿勢が見えてくる。業務提携の話し合いを進めていると言う発表をしたばかりだっただけに、ライブドアとフジテレビとの2者にどう絡む事情が生じたのだろう。次は日経新聞コラム、先週の土曜日の記事から。**** 春秋(3/26) ****韓国は昔から「揺りかご」がない世界でも珍しい国である。おんぶや抱っこなど、徹底した母子密着主義の文化がそこにあることを、作家の李御寧(イ・オリョン)さんが指摘している(『「ふろしき」で読む日韓文化』)。これもそんな断面だろうか。島根県議会が条例に定めた「竹島の日」をきっかけに、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が突然繰り広げた対日批判談話である。「覇権主義を貫徹しようとする日本政府」「外交戦争もありうる」など、どこかの政治宣伝ビラのような言葉の羅列は、主張に隔たりのある領土の帰属問題をおいてもまともな外交の常識を逸脱している。内政で世論に揺さぶられる脆弱(ぜいじゃく)な政権基盤を維持するために、国民にわかりやすい反日感情に訴えたともいわれる。2年前に来日した大統領は両国の過去に触れず、未来志向の友好関係を強調した。手のひらを返すような激情は、民族的な一体感をよりどころに沸騰した母子感情の発露という見方もできようか。波紋が広がっている。日本の韓流ブームの立役者であるペ・ヨンジュンさんは竹島問題への言及を避けたことを批判されてホームページで「理性的に対処を」と訴えた。韓国でも日本の大衆文化の開放がすすんで両国の草の根の交流は本格化している。せっかく育った共有の財産を情念の政治の犠牲にしたくない。 **** 引用、終わり ****
2005.03.28
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3月も残るところ5日、春休みの日曜日だ。日が射して暖かくなりそうな予感、外に出てみて意外にも冷たい風だった。日当たりは、じっとしていると、暑くなるくらいだったが、陰では寒かった。大府の健康科学センターへ出かけた。時代と言う魔物 と、コラム大機小機は書いていた。これまでの枠組みでとらえられない、なにかが起こっている、奥深いところでの変化と表現した。その兆候に、千葉県知事選挙、山形県知事選挙での経験則が通じない結果が現れた。ホリエモンを既得権益の挑戦と見て、かたやダイエーや西部の戦後経営のあり方を問われる状況を指摘する。コラムの記者、もっこす子が言うのは、山形、千葉にホリエモンが送る時代のシグナルを読み誤ると、次の衆院選がどうなるか、自民党をあやぶんで、結んでいる。千葉県では再選出馬の現職が6千票差まで追い上げられた、山形では4選を目指した現職が事前調査の有利を実現することがなかった、という、ともに70代の知事にかけた、選挙ではあったけれども、そこには何が起こっていたか。起こることは劇場型の権力者と挑戦者に分かれた2項対立を評したのは正しい。日本社会を維持し支えてきた多くの大衆が自らの権利と夢を託した次世代を願って現役から退く手前での抵抗を見落としてはならない、彼らに報いることが既成の権力側にあったのだろうか。野球のときと同じか、ライブドアが声を上げて、結託して壁を作り上げて、そこへソフトバンクがどかどかと割って入ってくる、と誰もが思う展開となった。すすめられている事態は雲泥の差があっても、結局、ソフトバンクが出てきて球団を買収した。そこに資本力と市場の論理を見ない評者は、今回も、同様にうわべにかざられた社会の規制なり、ソフトムードなり、心地よい言葉の響きだけを聞いて、それに左右されて、悪い者を祭るだけの結果になる。漁夫の利を得るものは今度は誰か。楽天が初勝利のあとは、なんと歴史的大敗と、2日目の結果だった。1安打の記録も、ロッテからプロの25年間の洗礼を感じさせる。野球チームを持ってよかったとコメントした社長だったが・・・
2005.03.27
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寒の戻り、冷たい風の一日となった。愛知万博は開幕2日目、厳しい天候に、見学のための待ち時間が大変だろう。ソフトバンク・インベストメントにニッポン放送が持つフジテレビ株を貸し出した、すでに所有する株は大和証券に貸し出されて、これでニッポン放送がフジテレビに影響力を行使することができないと言う。あらたなグループによる争奪戦となる構図をメディアは説明する。ライブドアがソフトバンクを追い越せとばかり、フジテレビの経営権に行使する参画の狙いは、そこにあったのだったら、なり行く展開は、その通りになった。名乗り出たCOEは、敵対買収のてだれとして、したこともない評論家たちがよくテレビでしゃべるね、と、あきれた口ぶりで言い放った。圧倒する攻撃力と、前評判の、そのまままに1対1のイーブンになってからのイランの速攻は見事だった。イラン人10万人と言われるサポーターは前半の25分で最高潮に達していた。後半21分のニッポンのゴールは、9分後に悲鳴とため息に変わった。それにしても日本選手はよく転んで、寝転んだシーンが多く、イラン選手のアタリ勝ちはすさまじかった。
2005.03.26
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からりと晴れて好い日和になりそうだ。風は冷たいかもしれない。木々の芽吹きがある。この寒暖の厳しさにはぐくまれて 下萌や大地総じてものものし 虚子 下萌ゆと思ひそめたる一日かな たかし みどり子のまばたくたびに木の芽増え 龍太 大木の芽ぶかんとするしづかなり 素逝雪もちらついた変な天候のこの日に、若者の巣立ちの式があった。巡り来る年の通過するときに同じく感慨を新たにして幸せあれかしと願う。アウエイの中、イラン戦の中継が始まった。サッカーの動きが日本選手の体力向上を示すかのように速い。技術の格段のパワーアップもあるだろう。それだけ日本チームの選手はグローバルな修行を積んできていることになる。
2005.03.25
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気温が落ち着いてきたか、それでも予報では週末に寒の戻りがあるとか言っていて、アプウダウンはありそうだ。春の雨に、春の天気は、とつぶやいていた。彼岸も過ぎて 毎年よ彼岸の人に寒いのは 子規 身命といふ語しみじみ彼岸過 風生身命、しんみょう、体と命を感じた日々だった。高裁もライブドアを支持、新株予約差し止めで決着、の見出しが大きい。新株予約権を高裁が認めなかった決定を、ライブドアの3度目の勝利とはやすメディアは、その報道内容に何を意図するのか、中日新聞トップの支持の語にも驚いた。堀江さんはたしかにフジテレビに影響を持つニッポン放送株を取得し、経営を左右する域にに手が届いた。想定はそこまでだろう、業務提携を構想してのことだと思うが、頭の良い人だ、という感想を率直に持つ。野球にはせ参じたときも、ストから始まったころの動きを誰しも評価したとは思えない報道内容に、この日のあることは予測できたか。社会参画の立場が変わったのである。資本論理を市場論理に変える時がきた。亀頭コートは、そう読んだのか。まさに、あまりにいろいろと起こるので、環境といい、社会といい、グローバルといい、この時代が変わった。自分が経てきた時間と、今を生きる時間とがなにかしら違うのだから、老いの繰言を言うようになるのだろう。精神的な穏やかさを肉体的な静まりとともに迎える人生の晩れ方があるなら、それに越したことはない。ただ見届ける智恵と、それに加えうる何かがあるなら、それはなんだろうか、表現に詰まることになる。世代をふためぐりすると、見えなくていいものが見えて、分からなくてもいいことがわかって、そのように思えて、きっと錯覚のうちにものを見たような、わかったような気がして、それで何かを言おうとするのだろう。自然の災害を立て続けに見せつけられて、そこに言いうる、加えうる何ほどの力もなかったことを思うと、変わらず人間は抗いがたい動きの中で生きているのだろう。自分のところだけが安心でなにごともなくて、などということはあり得ない、明日はわが身などのことばも、うそ寒くなるような、時間も距離も狭まった出来事だらけである。地震が見せつける、暴風や豪雨、豪雪が及ぼす、この人力のはかなさは、どれほどに文明が進めてきた構築をも、まるで、井のままに、意のままに、ことごとく打ち砕いていく。
2005.03.24
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義兄の通夜と告別式が、東京であった。ホスピスに入院して4ヶ月、眼が痛いというので調べたら脳に転移をしていた。10年前に肺がんをやって、それでここまで来た。70歳の往生だった。禅宗の厳かな死への旅路に故人を偲んだ。ふと気づくと、つれそうも、いきるも、30年世代のことだ。兄弟たちも姉妹もすっかりと年齢を加えた。老いを感じる精神面の出来事だった。午前を回った。
2005.03.23
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移動性高気圧が東海上に去り、低気圧が来て、午後から雨が降る。白い雲が曇り空に、広がる。気温は高めだが、雨が降ると冷えそうだ。ポツリポツリと降ってきた、地震被災地には無情な雨だ。ファミコン語は、ファミリーレストラン、コンビニで使う語だそうだ。ファミリーコンピュータではなくなった。問題な日本語というタイトルが、問題だが、これは正しいとしているのか、問題の日本語と、テレビ放送では言っていた。若者語が浸透して、その視点が必要となったことにある、流行現象だ。
2005.03.22
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よく晴れた、13℃の予想。振り替えの連休だ。日の出は5:55、日の入りは18:05、ずいぶんと陽射しがやわらかく、あかるくなってきた。福岡、佐賀地方の地震のニュースは玄海島の住宅の被害を伝えた。地震に遭われた皆さんに、心よりお見舞いを申します。皇位継承の全国世論調査で女性天応容認を8割が超えたと、日本世論調査会の結果を中日新聞が伝えた、この数字の高さを強調するための面接調査か知らんともってしまう。調査法は層化2段無作為抽出法、1億人余の有権者の縮図となるよう全国250地点から20歳以上の男女の3000人対象、1763人から回答を得て、回収率58.8%、内訳は男性49.7%、女性50.3%、調査員が直接に面接して答えてもらっている。女性天皇の継承は81%が容認、その後は、第1子にすべき40%、男子を先には38%、これからについては意見が割れている。前回調査の2003年は女性天皇を認める声は76%、今回の容認派は女性で85%、男性で77%、年代別に40代以上で80%を超えた、50代女性の87%が最高を示した、そうだ。イラク開戦2年になる。開戦は2003年3月20日だった、バグダッドの陥落は2004年4月9日、フセイン元大統領の拘束は12月13日だった、そして、その前の5月1日には戦闘終結宣言が行われた。にもかかわらず、それは大規模戦闘であって、その後も爆弾テロは続き、国連事務総長特別代表が死亡、この3月3日には駐留米軍死者は1500人になった。駐留軍隊は現在もなお、米軍13万8000人、英国9000人、韓国3600人、イタリア3000人、ポーランド1700人、ウクライナ1600人、オランダ1350人、日本600人である。暫定政権は2004年6月1日に政府を発足し、同28日に連合国暫定当局が主権移譲、2005年1月30日に国民議会選挙、3月16日に国民議会が開会された。
2005.03.21
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福岡で地震があった。ニュース速報で震度6弱、津波の恐れが出ている。かなりおおきな地震のようだ。この衝撃は速報と同時性のメディアにある。敵対買収と問題となっているライブドアの行く方向を朝のニュース番組で見ている。この1週間で何が起こっていたか、ニュースチェックをして堀江さんの動きがやはり焦点だ。いま聞こえたコメントは、戦略の混乱だ、BSとCS、デジタル化するメディアの将来がテレビ関係者には見えていない、というものだった。フジテレビが視野に入ったライブドアは慎重な動きに変わった。速報は福岡県西方沖と伝える、10時53分43秒のゆれが映る。津波注意報が刻々と流されている。11時30分頃を予想して対馬に、40分頃を博多として、あと数分だ。あわてないようそれでいて迅速にと呼びかける。津波情報は解除された。福岡と佐賀でゆれが観測された。700人の住民がいる玄海島で被害が出ている模様だ。地面に亀裂が入って、家屋などが崩れている。地震活動の少ない地域でのゆれは人々に不安を起こした。ゆれは立っていることだけでいっぱいの、たて揺れがあったようだ。
2005.03.20
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よく晴れた。青空が気持ちよい。暖かいので助かった。昨日の朝、関西国際空港に着いて、荷物の整理を終わった。15日から18日まで南京に滞在して、気温変化が激しかった。するとその前の週には大雪があったそうで、雨の多い春先となったようだ。雨の多いときは夏がとても暑くなるそうだ。日本に帰って、早速に関空でくしゃみをして、気候と気温の変化を感じて反応した、花粉症かな。この日記に書き込むことが、今回はできなくて、1週間あいた。無事に戻ってきたので、これからすこし、思い出しながら、8日間を補おう。書き込みの古いのが順序不同でnewと出るのはいたし方がない。それにしても、あっという間の時間だった。
2005.03.19
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この記事は3月18日に帰国後に記入。3月18日 中国東方航空の時間は早い、朝の8時30分に南京を発つので、宿舎を6時に出た。見送りの車に付き添いの人を乗せて、高速道路を空港に向かった。車内から見える風景にさすがに朝の動きはまだ少ないかなと眺めた。2時間前は十分、間に合って、すいた機内に乗り込んだ。民航と言われた時代の飛行機のサービスから考えるとまったく変わってしまった。乗務員の訓練も、ちょうど、かつての日航のサービスさかんなころの、中国機のサービス向上がある。もちろん、昨今のことではないだろう、しかし機内食に紙容器に入った、といっても想像ができる方はわずかかもしれないが、その紙弁当は列車内のアイデアであったし、その容器は中国で仕出し食を頼むといまでも包まれてくるものだ、それを経験していたころの、そしてプラスティックの食器類もなかったころを思い出すと、それが変わったからといってサービス向上にはならないとの意見も出てこよう、しかし、あきらかにサービスをすることに自信を見せているのだから、飛行機内の穏やかさは変わった雰囲気である。それでも見かけてしまったのは乗客のマナーだろうか、ふたつ後ろの客は席を間違えて座っていたらしく、係りの切符を見せての注意に促されて席を移動するように言われ、見せられた切符を手にとって席番の確認をするなり、これは自分のではないと放り投げて席を主張しかけた、それはその通りだ、自分がっもている切符は自分ので、放り投げたのは自分が座っている席の人のもだから、自分のではない、あくまで座った席がもう自分のものといっているようなものだが、切符をぽいと放り投げてしまったところにおかしさを感じたので、笑ってしまった、その客は自分の切符を取り出して番号を見て席を移動していった。それでも機内のサービスによる応対は20年前の国営百貨店靴売り場の応対から考えると想像もつかないほどの変化だ。わずか2時間半のフライトだが、関西国際空港に到着して、日本へ帰国した。着くなり、携帯を取り出して無事の報告をして、さて中国国内にとダイヤルをしてつながらなくなって、帰ってきたことを実感した。はるか特急で新幹線を乗り継ぎ、午後2時過ぎに名古屋へ戻った。食事もそこそこに出勤をした。疲れは3日か、4日後に出るだろうか、それとも比較的ゆったりしたスケジュール消化だったので、このまま、日常性を取り戻せるか、中国国内と日本国内との文化差がなくなった。
2005.03.18
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3月17日 南京滞在3日雨が上がった。短い日程の中、夫子廟へ買い物の時間を作った。いつもみやげ物を買いに行くのに付き合っていても、ゆっくりと観光をしたことがない。江南院の科挙試験場をゆっくり回ってみた。大成殿では孔子の伝記を玉で刻んだ壁画を見た。孔子家語など、巧みに刻まれた技に感心する。瀟洒な個人の居宅を訪ねて、2時間があっという間にたった。帰りがけの店に、買い物のお目当てがあった。案内をしてもらって、とても楽しいひと時となった。帰りのタクシーに飛び乗って、昼時のラッシュで15分で着くかどうかわからないといわれた。5分遅れで帰った。午後は挨拶を受けた。何とか日程を消化した。すべてのなかで、最大の目的を果たして。今日の朝と夜と5時間の思い出を作った。
2005.03.17
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3月16日 南京2日目曇っていた空から雨がポツリ、そして午後には予報どおり、雨が降り込めた。郊外のキャンパスへ講義に出かけた、天気模様は気温の低い、冷たい1日となった。朝方、国際電話で書類送付の連絡をして確認を済ませた。携帯電話がそのまま使える便利さだ。コミュニケーションのやり取りを、さらにコミュニケーションをして修復する。どうも出かける前に打ち合わせをしていたことを、すっかり忘れているらしい。その原因は準備に追われているときの不確定要素をそのままにしておいたことにある。滞在宿舎の確認、国内線飛行機の予約まではしたものの、訪問予定の具体内容と、その一方で、出発前の雑事を最期まで詰めてこなかった。それでもここに来て面と向かっているわけだから、まだ救いようがある。そこで予定されていたことを、こととしておこなったが、はたしていかに。同じ内容を2回目というときには外したり、すべったりするときつい。うまくして当たり前のことをパワポの右クリックに指が動きすぎて、あわててしまった。熱心な60名の聴衆に何を伝えたか、タイトルどおりの日本語のコミュニケーションそのままになった。
2005.03.16
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3月15日 天津から南京へ天気はだんだんと春へと移っていく。天津に来たときの寒さ、その次の日の寒さはなくなった。8時10分の飛行機で南京へ向かう。朝早く、6時半に宿舎を出た。タクシーと迎えに来た学生が再び見送ってくれた。朝静かななか、高速道路で30分ほどで着いた。国内線のチェックはかなり厳しい。ケースのなかの映った像に明けろと言われた。カタチから電子辞書だとわかったが、見せろというので言われるままに見せた。そうしている間に、見送りの礼もそこそこなってしまって、とにかくパスした。飛行機は満員だった。便の少ないこともあるが、電車でいくよりは料金の安いとりえも、なくなったようだ。天津にさようならをして、旅行としゃれ込んだ南京行きだが。
2005.03.15
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3月14日 天津滞在4日目6時におきだして散策をする。30分出かけてターンをしてくる。ここは馬上道、市街地の中心だ。マフラーひとつでしのげる朝の気温だ。こちらにきて仕事のひとつが、やはり、今日までかかった。午前中に打ち合わせのために、おもむいて、そこで話が展開した。土曜日の連絡では見通しがなかったのに、調整がついたようだ。文化の違いにどこまでできるか、はじめて20年前にやってきてから、なんとか付き合って来た国である。うまく行ってスケジュールにゆとりができたので、8里台の南開大学へタクシーで出かけた。30元する距離かと思ったら15元だったので、さらに車を正門につけられて、ずいぶん町外れだと記憶していた6年前をまず、修正しなければならなかった。ちょっと来たときの天津空港での出来事に挨拶をして、日本研究センターを回って天津大から出てきた。羊肉を食べようと歩いて、店がなくて、タクシーに乗って帰って、店を見つけて食べた。だいぶおなかがいっぱいになって、宿舎に戻り、スーツケースとかばんを取り出して明朝の出発に備えた。夕飯を約束していたので、食べられるかと心配した。が、百餃園の料理と話がおいしくてたくさん食べた。歓迎の4日間に感謝をした。
2005.03.14
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この記事は18日に帰国、その後に記入。3月13日(日) 天津滞在3日目こちらへ来ると早起きになる。目覚めのことではない。起き出して散歩をするので、健康にはよい。少し寒さが緩みそう、気温のアップダウンがある。どうしてもインターネットにつながらない。コミュニケーションが取れないと、機械に依存する不便さを思う。このままいくと、どうしても、こちらでは実現しない予感がする。ネット中毒のままに、どうしたものかと・・・胡楼と南市食品街を観光することにした。朝の10時にタクシーに乗り合わせて程なく着いた。中心部に置く鐘突き建物は城址にあるなかで気に入るところだ。修復して新たに市街地の再開発のようすを展示して庶民の暮らしと胡洞のメモリアル写真展示されていたのであった。
2005.03.13
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この記事は帰国後に3月18日以降に記入3月12日 天津滞在2日目とても寒い日となった。耳がちぎれそうな、と言えば、それは大げさになるが、しばらくこういう冷たさを感じていない。マフラーと手袋がいる、マイナス3℃から日中も3℃くらいのようだ。新しくなった博物館を訪ねた、天津博物館だ。学院からタクシーで5元と聞いたが、8元かかった。半円形のドームをさらに傾けて地中に沈めた鉄骨ガラス張りの建物が威容を誇る。広場を前面に池をしつらえてある。風が強く、それでも休日を楽しむかのように凧揚げ、ローラースケート、散歩に興じる人たちでにぎわったていた。展示室は13室、3層に分けて参観できるようになっている。もと歴史博物館で、太古の歴史からの展示品がある。どこの博物館もそうであるように、廻りきるのに1日はかかりそうな、空間である。それでも下から眺めるむき出しの鉄骨作りの吹き抜けにいくつものエスカレーターが静かに動いて入り口から入ってみて威圧感はないのが不思議だった。午後には疲れもあって休息に昼寝と決め込んだ。まどろみながら、インターネットがつながらないので、あれこれを思う。誕生日の祝いを伝えたい。気になるところだ。
2005.03.12
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この記事は3月18日に帰国後に記入。3月11日20050311朝から雨模様になった。新幹線口から空港行きのバスに乗って高速道を走った。 10:00発JAL便で中部国際空港から無事に天津に着いた。12:20分到着予定が10分少々遅れた。飛行機では留学に向かう学生団体と乗り合わせてにぎやかだった。今から4ヶ月の天津滞在とあって気分が高潮していたようだ。飛行場の上空は風が強く、揺れはなかった、上手なパイロットだなあと感じる。天津の空港には出迎えが、知った方が正面で立っていて、なんと互いにびっくりして、その人は団体のためであったのであるけれど、思わぬ鉢合わせでこの路線では起こりうることを幾度か経験しているひとつになった、その横でわが名前を書いた紙を持っていた出迎えの学生がいた。寒いと予想をしてきたけれど、身を切るような風が吹く。天津の気温はまだ低い、しかし、話ではもう春だと言う。3年ぶりの街中へ入る、道路は相変わらず工事の部分もある。懐かしく洋風デザインをアレンジした建物を眺めた。今日のスケジュールでこの天津の滞在目的はほとんど終る。初日の日程を合わせたためだが、飛行場からここへ2時前に到着、そして3時から講座がセットされている。一息入れて100名近くの学生が待つ会場でゲストスピーカーをつとめた。日本語のコミュニケーションと題した。いつもの実感で、パソコンが使えたのでパワーポイントを見せて、こともなく終えた。スライドショーは42枚に及んで45分を経過した、60分に程よくおさまった。どの程度を理解してもらったか。
2005.03.11
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2日ほど高い気温で着るものも楽になった。そう思って油断するとすぐに扁桃腺に警告が出る。インフルエンザは逃れた、確定申告に出かけて冷えたようだ。思い起こせば1年前も中国へ出かけて体調の管理に四苦八苦をした。往復チケットを取らないで、国内旅行をして、ずいぶんと航空運賃が高くなってしまった。JALとMUの組み合わせを、JAL便の扱いでできるとも聞いて、これも割高になってしまった。滞在費を市内のホテル宿泊に予定していたが、それをやめて、160元に決めた。結局はいつもと変わらない、11日に天津、14日に南京へ旅行だ。
2005.03.10
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暖かいようだ。花粉の飛散量はしくを予測している。マスクがはなせないし、体力の管理も、といいたいところを、睡眠不足勝ち。連日業務に忙しく、出張の準備もある。NHKが定時ニュースでトップに流しつづけたメディア争奪戦も、昼のニュースで言わなくなった。長期戦と司法判断にゆだねるところと、堀江社長のと面会が迫っているのか、フジ・サンケイグループが会わないはずがない、と見た。企業価値を上場廃止だけでは決められないだろうし、株価が下がるのは市場の意見として、ニッポン放送がどう対処するだろう。詰んでいると言ったときに、この展開が予測され、それこそ想定内ならば、協力があるかどうかはこれから審判されるだろうし、司法の結果によっては大変なことになるだろう。
2005.03.09
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NPOに花粉情報協会というのがあるそうだ、そこが飛散量は8-9日に猛烈と発表した。1平方センチ当たり、100個を超える、晴天が続いて暖かくなるため、と。1日の量としてどう30個以上が花粉症患者のほとんどが発症するそうだ、50個は非常に多い、100こはその培だ。正午前後と日没直前が多くなるようだ。1560度で飛散は終わる、と予想するのは、森田さんのお天気ほいほいの話。それは積算気温のことで、最高気温を足していくと、今年の予想では5月6日ごろ、となる。ただし、飛散が始まると予想して多いかなと思ったら、それはなかったので、この予報は統計値のこととなる。くしゃみの回数がバロメータとなりそう・・・ニッポン放送株を36.47%保有と言うフジのTOBが成立して、ライブドアの45%近くの所有とで、2大株主の対抗はひとまず、区切りをつけた。このままでは新株予約券の発行を裁判所がどう判断するか、中立の株主たちの動きにも左右される様子となった。買い付けを知らずに応じた株主の8%は、市場の価格が高くなってTOBに決められた金額を上回り、20億円もの損失の状態だと説明した。株主への背任行為だと差し止めを迫るライブドア側の攻勢は、すべてを想定内だとするホリエモンの計算がどこまで働いているのだろう。話題を呼んだ賞をもらったとかで、相変わらずメディアでの発言にはそつがない。社会に受け入れられないことを自覚するかしないか、それも自然体のままに、会見で仲良くやっていこうと言っていると主張をした。フジサンケイグループにも、これで余裕が生まれて、展開は意外と速いかもしれない。
2005.03.08
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とてもよく晴れた。ふと気づくと3日以来の更新がない!データは24時間から48時間でウエブ上から蔵に入る。集中とか何とか言いながら、毎日ネットを開くのは大変だ。春の日になって、気温は沖縄で19℃とか、北海道で10℃とか、この中部東海は9℃の予想だ実際には13℃にもなったようだ。花粉が飛ぶと、また言い出している。たしかにそうだろうけれど、実は、もう花粉症に敏感な人は1ヶ月ほど近く前から症状を出している。わからないだろうね。株の公開買い付け、TOB、take over bid の略。株を大量に買う場合に市場を通さずに買い集める。期限付きでニッポン放送株をフジが買う期限が今日の午後4時だった。25%超を宣言して行方が見守られた。乗っ取りには違いないし、市場ルールに従ったまでだとして、時間外取引と言う手法だったことも事実だ。シャツか丸首のセーター、カラフルなとは言えないまでも、ラフなスタイルが奇異に見られて、ネクタイに背広で話においでと世間ははやした。社会の常識を球団買収か創設の動きにひっくり返しておくべきだったろうに、意外とさばさばと引くときは引いた。真っ向勝負の展開が、そのうちあらわれるだろう、行く手に。
2005.03.07
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寒さがまだあるようだ。雪の知らせが、それも南の国から、積雪の様子が伝えられる。ここ2、3日こもりきり、しらべものをしている。見通しのあるところでやめておくといいが、さらに突っ込むと、見えなくなってくる。啓蟄は昨日だった。土にぬくもりがあるころのこと、湿ってぬれても、照ってぬくもりが籠っても、温度と水は生物の憩いだろう。地面を破って這い出る様は想像するとエネルギーのすごさだ。生命力は自然の恵みだ。男は女を見る、女は子を見る。子は友を見る、友は友を見る。女が男を見るのは子を見るからだ。子が友を見るのは友を思うからだ。男を見るのは女でも子でもない。男は自然を見る、女のような・・・自然は男を抱く、女のように・・・女は男に抱かれる、自然のように。イタリア人女性記者が解放されたようだ、その車をアメリカ軍が誤射をした。救い出した特殊任務の諜報員か誰かが打たれて死んだ、数百発の銃撃を受けたと女性記者は証言している。1ヶ月ぶりの救出に、アメリカ軍の攻撃はあまりにも戦争のむごさを象徴する。戦争であることを、いまだ思わざるを得ない。
2005.03.06
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晴れ、薄い雲が覆う。春霞になる 仰ぐこと多くなり春の空となる 秋を どこやらが冬どこやらが春の雲 比奈夫気温は昼に9℃までの予想、明け方は2℃ぐらいのようだ。あけてみたら低反発枕にパンだの模様があって、それがなんと、ドラえもんビンゴで一番になった賞品ゲット、春の到来を予感するデシタ!愛地球博があと20日ほどで開かれる。アクセスにリニアモーターカーが使われる。磁気浮上式の乗り物を8.9キロ行くと会場になる。中部国際空港、高速道路の混雑は目に見えて、そして地下鉄と、庶民が向かう会場へ足の便は、このリニモが地下鉄輸送の4分の1ぐらいの搬送力だとか、どうも名古屋はアクセスが便利ではない。まだ始まらない万国博を心配しても仕方がないだろうけれど、中部国際空港に集まった人たちの騒ぎに、誰が行くんだ、という声があった。同じ近所だろうと、1週間で60万人の観光ツアーが詰め掛けて、何しに来たのかとの問いに、観光といってはばからなかったから、飛行機利用の旅行客はそっちのけだった、ようなことだった。民営だから、トヨタがやるから、と、客さばきにカイゼンだのカンバンだのといって、商品の管理でもあるまいに、3時間待って食事するニュースにはパビリオンでもあるまいにと思って・・・そう、その国際空港から中国へ11日のフライトがあった、無事に乗ることができるよう祈ろう。
2005.03.05
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朝起きたら、地表がぬれていた。曇りから雲が流れて、さらに厚く雲がかかって、薄日となった。気温はそれほど下がらなくなった。侵入したインフルエンザはA型だった。コクド・グループのニュースを見ていて、いかに金儲けをしてきたか、脱税に近い行為と株式の軽視でおこなったとする報道の、逐一のその手口にあきれ果てる。家憲なる門外不出の書き付けが、なぜかコピーをして出回って、そこに盛り込まれた文言の数々の時代錯誤に開いた口もふさがらない。奉仕と感謝の社是が、個人オーナーに向けられたものと知るとき、70歳の前会長の記者会見の無表情さは、知らなかったという認識を披露して、このような組織になった日本社会の構造をも思い合わせる。軽井沢に冬でもお客が来るようにとスケート場を開設し、それから土地を金のもとと見て繰り返してきた商法であった。このままではブランドイメージが変わってしまう。悪事千里を走る、西部傘下のグループは対応策があるのか。会社の体面は経営方針の改革で、これまでは間違っていた、と。自殺者と逮捕者と、黄泉に眠る先代と、
2005.03.04
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永六輔さんの大語録がおもしろいので、講談社+α文庫本から。 西洋は 吾思う 故にに吾在り、 東洋は 吾思う 故に吾無し、 この違いは重要ですこのみじかい言葉の含蓄を解説すると、元も子もないけれど、東洋はどういうことでしょう――我をなくすことなんだと思うけれど、言わなくなったようだね、小我とか、我執とか、というふうに言ったのを、良い気風として、仏教的な教えを言ってきたんだろうけれど、我も、吾も、われも、という人が普通になってしまったようで、どうなんでしょう。寒さと暖かさが、行きつ戻りつするころだ。高気圧に覆われるも、低気圧が南海上で大陸から出てきて接近中、来週は曇り勝ちの予報だ。日が射している、薄日が雲間に洩れて春らしい。ひな祭り、風邪引きで寝込む児が、やっと熱を下げた。何の日から、上巳のいわれを引用。**** 上巳の節句 ****上巳の節句は五節句の一つで、元々は3月上旬の巳の日だったが、後に3月3日に行われるようになった。旧暦では3月3日は桃の花が咲く季節であることから「桃の節句」とも言われる。古来中国では、上巳の日に川で身を清め不浄を祓う習慣があった。これが平安時代に日本に取り入れられた。後に、紙で小さな人の形(形代)を作ってそれにけがれを移し、川や海に流して不浄を祓うようになった。この風習は、現在でも「流し雛」として残っている。雛祭り:女の子の健やかな成長を願う伝統行事。女の子のいる家庭では、雛人形を飾り、白酒・菱餅・あられ・桃の花等を供えて祀る。上巳の日には、人形に穢れを移して川や海に流していたが、その人形が次第に精巧なものになって流さずに飾っておくようになり、雛祭りとして発展して行った。雛祭りは始めは宮中や貴族の間で行われていたが、やがて武家社会でも行われるようになり、江戸時代には庶民の行事となった。元々は、5月5日の端午の節句とともに男女の別なく行われていたが、江戸時代ごろから、豪華な雛人形は女の子に属するものとされ、端午の節句は菖蒲の節句とも言われることから、「尚武」にかけて男の子の節句とされるようになった。**** 引用、終わり ****コクド・グループ、西部の前会長オーオーナーが逮捕されるというニュースが流れる。おりしも株の虚偽記載とアンフェアの金儲けをメディアが暴き始めた。カリスマにはそれなりの方法があるのだろう。野球球団の行方だけが気になるブランドイメージの衰退か。
2005.03.03
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このウインドウが広くなったのはよかった。書き込みがしやすくなったのと、文字数が増えた。イメージ掲載の分、使い勝手が増したかどうか。ブログの使い勝手に、あまり関心を持たないでいるけれど、アクセスはかなりありそうだ。冷たい一日となった。雲の流れが多く、はやい。インフルエンザが隙をついて我が家にもやって来た。予防注射が型の違いで、効いたり、きかなかったりなんて―株式会社は資本家が持つ、つまり株主がオーナーだ、ということで。株主が経営者を兼ねると、経営の負担度が大きくなる。そこで株主と経営とわけられると株主が軽んじられるような経営の強さとなる。株主の権利を振り出しに戻って、どうすれば経営とバランスを取ることができるか。市場のルールは働くか。海外からの投資が日本に入ることは可能かが問われる。慌てて規制を強める動きがあって、あいも変わらずお上志向のまつりごと、政治かも株式と資本家の社会をもっと知った方がいい。民主主義において何をさておいても庶民が権力に対抗できるのは金のめぐりであることを、政治で金を動かしてきた人たちは、先刻承知のことだと思っていたのに。、
2005.03.02
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春になった。いやさかに、画像倉庫から、それにしても―。今日は何の日から、弥生のいわれを・・・弥は、いよいよ、とか、ますます、という意味で、植物がますます生い茂る月という、きくさいやおいづき、が詰まって、やよい、になったといわれる。桃や桜が咲くので花月(かげつ)、だんだん暖かくなって眠気を誘うので夢見月という異称もある。以上、引用。三寒四温、菜種梅雨(なたねづゆ)、春の大雪、名残り雪、雛祭り、啓蟄、春の彼岸、桜前線、花曇り、桜まじ、卒業式 もうすぐ啓蟄、この語は好きだ、解説を見ると、こう書いてあった。漢王朝6代皇帝の諱が「啓」であり同じ字を使うのは畏れ多いとして、一時、音が似ている「驚蟄」に改められた。唐代になって「啓蟄」に戻され、その頃に日本に二十四節気が伝わった。大衍暦になって再び「驚蟄」に戻されたが、日本では「啓蟄」のままとした。啓の字は畏れ多いとある。というのは、この字をわが名に持つからだ、が。蠢くのは春のしたに虫2匹、とらわれに虫は、かくれる、と読む。かくれた虫が開き出る、というので、3月6日に節気の1つである。暖かくなるころ、春になるしるしに、這出るようだが、今年はまだあと2週間ほど寒い予想だ。シンジンと入れても熟語が出ない、審尋と、地方裁判所で事情聴取が行われた。これをニュース解説で、フランクに事情を語ること、と弁護士が説明をしたと、解説していた。双方の言い分を聞き、1時間ほどで修了した。ライブドアとフジの戦いと報道されるようになった。
2005.03.01
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