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寝不足が続き、危険を予感して注意をしていたが、やはり体調を崩した。今朝は熱が平常に戻りほっとする。明日は泊まりのアルバイトがあり、今日中に体を整えなければならない。まずはゆっくりと近所のスーパーまで歩くとしよう。
2017年03月30日
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午後はケアホームでアルバイトだいたい週に一度金曜日の夕方から土曜日の朝まで若者たちと一緒に過ごす食事を出し、片付け、洗濯、見守りなど障がいがあり、一人で暮らすのは困難な若者たち一緒に一晩を過ごし一人一人を見ると、個性が際立ち人間って本来こんなにも個性的なのだ、と感じるボクだってこの若者たちのように個性的なんだそんなふうにうれしくなる
2017年03月17日
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あなたたちが一時帰国した日ボクは駅まで迎えたね大小4つの影が駅中から浮き出してめいめいに大きな小さなバゲージを転がしながらこちらに近づいてくる何と自立した家族だろうと感じた遣わされた国へ帰国した日あなたがたがゲートをくぐるときまっすぐ前を向いて振り返らなかった子どもたちも振り返らなかったそうそれでいい、とボクは思った今また来週の初めには、新しい国を目ざして旅立つのだという住む家は見つかったの?仕事は?学校は?幼稚園は?教会は?いやいや心配は止そうあなたがたは鷲の翼に載せられて神待つ地に行くのだから
2017年03月15日
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イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」マタイによる福音書8章20節(新共同訳聖書)心を揺るがせるキリストの言葉。キリストの公の生涯はたった3年だけれどその日々は、上の聖句のようだったとすれば激しく厳しい御生涯だったに相違ない。教祖である方が、こんなに愛による苦闘に満ちた献身的な御生涯を送られたのに、その弟子である信徒たちが、のうのうと、時間や財をむさぼって生きていいのだろうか。
2017年03月13日
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ホームレスと思って保護したらベートーヴェンだったと。時々、思い出しては考え込む。警官の目が節穴だったのかとも考えた。ホームレスのような風体と、芸術と、どう繋がるかと。ホームレスと間違われる姿から、後期の弦楽四重奏曲やミサソレムニスなどが生み出されていた。こんな曲を聴いていると、人が考え出したり作り出すことは無理であってそれは神が託したものであると感想を持つ。芸術家から、作品が生み出されると作品そのものが命を持っているように、芸術家の手から離れていく。芸術家は、自分の手から離れていく作品を、まぶしそうに見つめて満足する。芸術家は衰え、滅んでいく。作品は、輝きながら幾時代をも越えていく。真の芸術家は、謙虚である。演奏家も同じように謙虚だ。自分の力を、技量を、精神の豊かさを誇ったりはしない。ただただその作品を畏れ、崇め、その前に身をかがめるだけだ。
2017年03月12日
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ボクは今、週報の編集と、HPへのアップロードを終えてあとは印刷(7枚だけ!)をして、もう寝室に行こうと思う。牧師さんたちは、今頃、日曜礼拝の説教の準備たけなわだろうと思うと神様のお助けを祈るばかりだ。あるいは学んでいるのか。あるいは祈っているのか。ボクのように週報作っているのか。金曜日のうちにだいたいの準備を終えて、もうお休みなのか。先日は、夜中の2時頃までかかって準備をしている牧師さんのことを、聞いたばかり。お体を壊すことのないようにしてください。
2017年03月11日
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最近、ウェスレーの標準説教の中の「山上の説教」を読みました。13あります。ウェスレーが本当に語りたいことは、山上の説教の中に込められている気がします。また昨日は「メソジストと呼ばれる人々」“A Plain Account of the People Called Methodists”を読みました。説教は、本質が飾りなくまっすぐ語られるので、心が射貫かれることもあるのです。しかし「メソジストと呼ばれる人々」は訳にもよるのでしょうか、物腰が柔らかく、うまく行かなかったことも平明に語られているので、近親感を持ちます。そうそう、昨日は「再臨待望」紙が送られてきていたので、さっそく読みました。象さんの説教が載せられています。語られた説教のダイジェストとかでなく、そのままなので、ボクもその集いの席に身を置いたように説教を読みました。率直、平明な語り口は、お若い頃と同じですね。
2017年03月10日
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「人は自分であり切らねばならない」神谷美恵子静岡にいた頃、神谷さんの著作を読み始めたが中絶した。あらためて、これから神谷さんの文章を読もうと思う。神谷さんはキリスト教の環境で生まれ育った人でミッションスクールの先生などを経てこられたようだが著作の中でご自身の信仰について語ることは少ないようだ。その葬儀の際にも、無宗教で執り行ったというから狭い意味での「キリスト教」というものからは離れてしまっていたのかとも感じる。向き合う人の心に寄り添い心響かせたという生涯なら自分の信仰を語ったり、人に勧めたりすることはそぐわないのか?彼女は実兄に日本が世界に誇るパスカル研究者、前田陽一を持つ。その「パンセ」はまぎれもなく狭義のキリスト教信仰を頂点とする書物だ。パスカルや「パンセ」を兄の勧めで読まないはずはなかっただろう。ひたむきな信仰の世界も、精神科医でもあった彼女にとってはもろもろの生き方の一つに過ぎなかったのか?どなたかのご教示を仰ぎたいものだ。
2017年03月07日
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木かげ一つない市場への道を両うでにくいこむ買物籠さげて家に養いを運ぶ主婦たちの後についてもういくたびゆきかえりしたことだろう。ガタガタとゆらぐ大きなうば車に病弱な児を二人のせて大根やキャベツや魚と同居させて坂道をあえぎあえぎ押上げた日もあった。子供が車から一人おり、二人おりする頃にはいつしか私の顔のしわもふえてきょう相変わらず二つの籠さげてひでりの道をてくてく歩いている。ああ市場の道よ雨やどりさせてもらった踏切番の小舎よひそやかにこおろぎの声していた草むらよ遠く平和につらなる六甲の山々よ私のひそかなる思いをみんな聞いてきた道よ。 神谷美恵子著作集月報1所載(みすず書房刊)
2017年03月05日
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教団総会の月になって、総会資料作成のために毎日のように教団事務所に通った。昨日、無事に発送してほっとしている。資料作成のために、たくさんの奉仕者、交通費、時間作業にあたっていてこれでいいのかな、と自問自答。自分は事務方の責任者なのでいいとしても牧師さん達を事務のために動員することには気が引ける。牧師さん達には,本来の伝道や牧会の働きに精一杯はげんでほしい。「明日は、ほかの用事があるので行けません」そんなメールや電話が来るとほっとしている自分。
2017年03月04日
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