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イオンはだだっ広く、人も多くて、あまり行きたくないが、裁断済み本の収納ケースが欲しくて、久々に出かけた。これはいいかな?と思い、頭の中で置く場所を描いてみる。でもバイクで来ているから運べない。いったん帰りかけて、母が亡くしたと言っていたのを思い出して、老人用の杖を見立てにいく。安価な物から色々ある。重量が軽い物は高い。でもアルバイト1回分で買えるのだから、けちるのは止そう、と高価な方を見繕った。来週は満89歳の誕生日を迎えるから、ちょうど良い。まてよ、妻も先週は散歩に杖を持ち出した、それも息子の山岳用の。もう一本追加。母と妻のとランクを変えるわけには行くまい。同程度の物を2本。バイクにうまく載せ、ゆっくり走って帰ってきた。
2017年05月30日
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以前の土地で暮らしていたことは・・・・3人の子供を育てたことと一人の夫がいたことあとは、忘れたわと、健忘症になった妻おぅ、ボクも見習おう
2017年05月29日
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この地に運んできた蔵書、またここで入手した蔵書ほぼすべてを裁断、スキャンしてPDF化した。残っているのは、辞典類、聖書、パスカル著作集読み終わった本は、スキャン後、廃棄することにしているがいざ棄てようと手にして、「いやもう一度目を通したい・・・」またしまい込む。書棚に収まっていた本の群が、ばらばらにされて段ボールに詰め込まれる。なぁんだ、形を変えただけか!
2017年05月27日
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教団、神学院のビルの大掃除の日です。去年よりたくさんの兄弟姉妹が駆けつけてくださいました。窓ふき、蛍光灯、エアコンなど、分担してお祈りをしてスタート。大部分、午前中で終わってしまいました。それでも皆で楽しくお弁当をいただいて午後、手薄だった箇所を手伝います。「みんな真面目だね~」「一生懸命だね~」そんなふうな感想を言う人に「クリスチャンだもんね」、と答える
2017年05月25日
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「こんどは出エジプト記を読むわ」と妻が言う。「エクソダス~神と王」という映画を見て、心に触れたらしい。旧約聖書の出エジプト記を題材にした映画だ。見るテレビがない、というので、以前買っておいたそのDVDを一緒に見たのだけれど聖書通りでないことが、ボクにはストレスだった。コンピューターグラフィックだろう、そのスペクタクル画面は派手で驚かされる。見る価値のある映画だと思う。モーセ夫婦の夫婦愛がすてきだった。でも娯楽映画だ。
2017年05月20日
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聖書はそこかしこに謎があり、その謎は「創世記」に集中しているように思える。その謎は怖くてのめり込めない。こわごわと覗くだけ。旧約聖書の全体を、頭の中で再構成してみようともくろむが、困難だ。とてつもなく広く、脈絡を感じられない。無理やりに「救済史」などという枠に押し込めようとしてもぎゅっ、ぴゅっ、とあちこちからあんこがはみ出す。イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書をひもといて見よう。気が遠くなるような饒舌に、疲れ切ってしまうのだ。限りなく心ひかれるヨブの書もその独白は、あふれ、ほとばしる。奔流だ。押し流される。時には醜悪だ、あまりにも醜悪だ。削除してくださいとさえ思うのだ。蓮は、泥の中に咲くという。旧約聖書は泥の海だと思う。その中に咲く花がある。キリスト予言の蓮の花
2017年05月18日
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心にエネルギーが欠けているときには電車内で読書をする気力がなくなっているせいぜい、イヤホンをあてるか目をつぶるかいくぶんでもエネルギーがあるときは車内は読書の部屋となりいつしか読みふける雑踏もものかは座っていっても立っていても
2017年05月17日
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アブラハムには二人の息子があり、一人は女奴隷から生まれ、もう一人は自由な身の女から生まれたと聖書に書いてあります。ところで、女奴隷の子は肉によって生まれたのに対し、自由な女から生まれた子は約束によって生まれたのでした。これには、別の意味が隠されています。すなわち、この二人の女とは二つの契約を表しています。子を奴隷の身分に産む方は、シナイ山に由来する契約を表していて、これがハガルです。このハガルは、アラビアではシナイ山のことで、今のエルサレムに当たります。なぜなら、今のエルサレムは、その子供たちと共に奴隷となっているからです。他方、天のエルサレムは、いわば自由な身の女であって、これはわたしたちの母です。ガラテヤの信徒への手紙4章から(新共同訳聖書)ガラテヤ書には光が差し込まれる箇所がいくつもあるが、上の部分は、あまり話題に上る箇所ではない。しかしボクにとっては、目から鱗が落ちたような良い箇所だ。この聖句に導かれて、ボクの頭はググっと上を向いた。地のエルサレムから目を離した。天のエルサレムへ。それがボクたちの母。天のエルサレム、天のエルサレムとボクは口ずさむ。天のエルサレムを待ち焦がれるボクの心。天のエルサレムの宮殿に入った想像をして、期待に胸が膨らんだ。
2017年05月16日
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死者が復活することについては、モーセの書の『柴』の個所で、神がモーセにどう言われたか、読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしている。」マルコによる福音書12章から(新共同訳聖書~日本聖書協会発行)醜悪でナンセンスな質問に対するイエスの答。イエスの答は、堂々としている。明るい。嫌らしい質問に、天から光が差し込んでくるような胸のすくような回答だ。イエスらしいなぁ。しかし、かなり難解だ。読む度に考え込まなくてはならない。「聖書読み」の醍醐味だろう。ブレーズ・パスカルは「パンセ」の中でイエスの回答の末尾に、「パスカルの神」を書き加えている。思わず、そうせざるを得なかったのだろう。じゃぁボクも、入れるとするか?「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、パスカルの神、そして秀樹の神である。」
2017年05月15日
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<キリストの言葉>だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。 マルコによる福音書11章23~24(新共同訳聖書)大学生の頃、学友と一人のおばあさまを訪問した。そのかたはボクたちを前に、この聖句について心熱く語ってくださった。ボクの生涯の困難だった時いつ、どこで、どんなふうにこの聖句の力を見たか信じたかあれから50年近く経った。あの時のおばあさまのようには、ボクはこの聖句の前に立たなかった。このみ言葉を語った方のようには語らなかった。
2017年05月11日
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息子の3周年を迎えた。「あなたに電話が来たのは何時頃?」「ちょうど、今の時間くらいね」息子は死ぬ日の午後、母親にいつになく長電話をしたのだ夜になって、心臓のこむら返りを起こしてそのまま死んだ妻がどんなに息子を愛していたかを思うその名を呼ぶ時、安らかな歌うような調子があったあの日以来、妻は一度も取り乱すことなく静かに天を見つめているただ慕わしい天とその主(あるじ)なる神を
2017年05月08日
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千葉に来て礼拝をささげ明日は6周年の礼拝です家族5人、小さな和室で休みなく礼拝を守り続けました神のみ許しの中でそれだけですが家族にも感謝を忘れないように明日はお客さんもおいでになる様子お客様にも心一杯の感謝を何よりも真実の礼拝をささげ、心満たされますように
2017年05月06日
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初夏の陽光の下に出て犬の散歩犬は16歳を越え、歩くのもままならぬ介護用のリードで吊り上げぎみに少しずつ進むあなたはこんなに弱くなったがボクは誇りに思う赤子の時に連れて来られ今日までボクたち家族の浮き沈みを見守ったあなたを殺処分から救い出しボクたちの元にエスコートした彼はもうこの世にいないけどそうだあなたはすべてを知っているようにその彼の分まで静かに生きているのだ路地を見はるかす陽光だけが穏やかに注ぎ人の姿はどこにもない5月の連休の午後穏やかなのに静かなのに隣町ではこの日の下で少女が殺され棄てられた初夏の日差しの下にも、暗闇を歩く人間どもが潜んでいる
2017年05月05日
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降ってきた 降ってきた遠雷と共に午前中の初夏らしい晴れ間から一転うわっと、空がかき曇り雨滴が落ちてきたと思うと数分のうちに叩きつけ始める不意の天候の異変に街を歩いている人々や自転車のみなさんは大変だスーパーから、出るに出られないのでは?こんな天候になることテレビで、朝方から案内されていた天気予報の精度に驚く
2017年05月01日
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