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500年目の宗教改革記念日とホーリネス教会創立100年記念日と、奇しくも一つとなり、今日は旧・ホーリネス教会のメンバーだった諸教団諸教会有志が集合した。一緒に礼拝を守り、聖餐式に連なり、昼の交わり、そして午後には、交わりを深める時を持った。会場、日本キリスト教団赤羽教会に集まったのは、85名。30年ぶりに会った東京聖書学校の同級生もあり。なつかしさにあふれる。はるかに思いは深まる。こうして、分かたれた友、カトリック教会の皆さんとも一緒に集まり、聖餐を共にする日が待ち望まれる。
2017年10月31日
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CGN-TV(キリスト教放送)で、宗教改革100年記念番組「宗教改革者マルチン・ルターの足跡をたどる」を観た。見応えのある番組だった。ルターの研究者やルター派教会の教職が次々とインタビューに登場。ルターの生きた時代、業績、人となり、時代、批判、カトリック教会のことなどを、それぞれに語る。原稿も持たず、問われるままに、たんたんと語っているのだがルターを愛し、知り尽くしたような人達から、ルター理解のエッセンスを教えていただいて、満足感に浸った。あさって10月31日は100年目の宗教改革記念日となる。
2017年10月29日
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「信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。」マタイによる福音書21章22節キリストの言葉に疑いを持たない人には、心をかきたてる言葉だ。喜びにあふれて、祈りの座に座る。祈りながらも、キリストの言葉が心に響き続けるだろう。祈り終わったら、さぁ、その実現を目指して一目散!「信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。」いつまでも、どこまでも、キリストの言葉が心にあふれ続ける。
2017年10月27日
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「ひとりよりもふたりが良い。 共に労苦すれば、その報いは良い。 倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。」 ~コヘレトの言葉4:9~10(旧約聖書)今朝は上の言葉を味わった。ボクたち夫婦の今日までの歩みを、この聖句で振り返る。色々あったけれど、今でも色々ありこれからも色々あるだろうけれどもこの聖句の通りだったと思う。妻が病で倒れたとき、ボクや息子がそばにいた。ボクも幾度も気落ちしたが、妻はボクを励ました。今日は息子の誕生日息子もやがて所帯を持つだろう。その日を楽しみにして息子にもこの聖句を送った。
2017年10月25日
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保守2番目の勢力を目指して立ち上げた「希望の党」間違っていないと思いますよ。このまままっすぐに進めば良いのです。風が吹いたり雨が降ったり躓いて転んだり当たり前のことです。
2017年10月24日
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昨晩は11時頃には入眠したが、今朝2時頃、雨戸が風に揺さぶられる音で目覚め、その後眠れなかった。録音創世記を聴き終わって音楽に代え、4時半を回ったところで起き出してお茶を入れる。NHKテレビを点けると、台風情報と総選挙開票速報を交互にあるいは同時に放映している。ボクの支持政党・社民党は沖縄の人一人だけの当選のようだ。こちら千葉では社民党からは出ていないので、仕方なく立憲に入れた。比例では「社民党」と書いた。残念ながら死票とはなった。あれ、いつも死票か。
2017年10月23日
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礼拝出席のため、養護老人ホームへ母を迎えに出たときは、もうかなりな雨降りで、冠水しかかっている道路も通った。お昼のために食材をというので、礼拝の前に母とスーパーマーケットに寄る。雨は強かったが、スーパーには人が多かった。台風に備えての早めの買い出しなのだろう。礼拝とお昼の食事を終えて、母の送りは弟に頼んだ。89歳半の母は、礼拝に出席して満足そうに帰って行った。ボクたち夫婦は総選挙の投票所へ。夕方近く、雨は一時小康状態になったが、夜を迎えまた雨脚が強くなる。超大型台風は、明日の午前3時頃、静岡県東部辺りに上陸しそうだ。かって約35年住んだ町の方から、台風は陸地に入るのだ。家族や、たくさんの大切な知り合いが住む町。無事を祈ります。
2017年10月22日
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一日ひとつを読もうと志した。「植村正久説教集」は、明治編と大正編に分かれている。難読漢字や熟語が多いが、そこは想像しながら読むのだ。骨太の説教だ。これを読むと、現代の牧師方の説教は、細かすぎるのではないかなと感じる。植村はキリスト教の枝ぶりではなく、幹のすばらしさに目を注ぐ。「愛は衆ての道徳を総括し、整理し、調和し、完成するものなり。」「キリスト教は、道に殉ずるの宗教なり。利益につかんよりは真理につかんとする宗教なり。人に聞かんよりは神に聞かんとする宗教なり。」「服従と愛と自由と、この3つのもの常に相平行して、宗教その完全をいたす。キリスト教はすなわちこれを調和し、整理し、かつ最も美わしく成就する宗教なり」「キリスト教は愛の宗教なり。神の子肉を受け、人の間に伍し、十字架の死を甘んじたる宗教なり。すなわち牧者がその失いたる羊を探り、敵を愛し、罪を贖うところの宗教なり。・・・・和気藹々として春風の薫するところのものなり。皮下血あり涙ある温かきものなり。」 (植村正久説教集から『キリスト教の武士道』より)]
2017年10月16日
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夜になると妻の祈りの声が上から聞こえてくる。内容まではわからない。いままで台所を祈りの場としていた妻息子が旅立ち、2階の部屋があいたのでそこが妻の祈るための密室となった。
2017年10月10日
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「ジュネーブ教会信仰問答」をスキャンし、テキストファイルにした。この訳書(外山八郎訳~新教新書)コピーライト1963年なので、著作権は終わっている。カルバンが子供たちの信仰教育のために渾身を込めて著した。信仰の要旨を簡潔、明快に問答形式で説明していく。しばしタイプの手を休めて、内容を味わう。あなた、第1~第3問を味わってくださいな?この書の扉にふさわしい書き出しなのです!問1 人生の主な目的は何ですか。答 神を知ることであります。問2 どんな理由であなたはそういうのですか。答 神はわれわれの中にあがめられるためにわれわれをつくり、世に住まわせられたのでありますから。また、神はわれわれの生の源でありますから、われわれの生を神の栄光に帰着させるのはまことに当然であります。問3 では人間の最上の幸福は何ですか。答 それも同じであります。
2017年10月09日
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県道脇に立派な十字架が立ったので、夜の散歩をかねて、その教会を訪ねた。8時過ぎに行くと、車がぎっしりと駐まっている。礼拝が終わったばかりということだったが、フィリピン人を中心に若いメンバーも大勢集っていた。礼拝堂に入ってきたボクを見つけて、牧師さんが応対に来られた。1年ほど前にここに来て、最近十字架を取り付けたとのこと。日曜日の午前中は、日本語の礼拝をしていると。以前は、松戸の方で10年近く礼拝を持っていたと。名刺をいただくと「ロード・オブ・ザ・ハーベスト・グローバル・ミニストリーズ」という名前。長~い名前だなぁ。牧師さんは、添田保久というかたで、感じの良い人だった。「にぎやかな礼拝ですが、どうぞおいでください」との奨め。「わたしも西佐津間で家庭集会をしている牧師です」と紹介した。
2017年10月08日
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政治とは、権力闘争なんだな。そこでは一人の国民を大切にする余裕はなく多数のために、一人を潰すことも辞さぬ。政治家一人一人が、戦国武士に見えてくる。ボクたちは、翻弄される農民だ。関ヶ原の大決戦が始まる。保守2大政党時代を目論んでいるの?何の。そうはいかない。リベラル爺たちがいるぞぉ。
2017年10月04日
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民進党のリベラルな人たちが別れて、「民主党」を作る方向だという。そういう人たちの「民主党」なら、従来の社民党と手を組むことができるだろう。共産党とも。反安保法制、反原発、そして護憲リベラリスト一枚岩になってほしいものだ。迷うこともなくなる。
2017年10月02日
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