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2023年08月12日
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カテゴリ: 戊辰戦争の群臣





駿府に進軍した新政府は3月6日(同3月29日)の軍議で江戸城総攻撃を3月15日とした。しかし条約諸国は戦乱が貿易に悪影響となることを恐れ、イギリス公使ハリー・パークスは新政府に江戸攻撃・中止を求めた。新政府の維持には諸外国との良好な関係が必要だった。また武力を用いた関東の平定には躊躇する意見があった。江戸総攻撃は中止とする命令が周知された。


Ø 恭順派として旧幕府の全権を委任された陸軍総裁の勝海舟は、幕臣・山岡鉄舟を東征大総督府下参謀の西郷隆盛に使者として差し向けて会談、西郷より降伏条件として、徳川慶喜の備前預け、武器・軍艦の引渡しを伝えられた。西郷は3月13日(同4月5日)、高輪の薩摩藩邸に入り、同日から勝と西郷の間で江戸開城の交渉が行われた。


Ø なお交渉した場所は諸説あり、池上本門寺の東屋でも記録が残っている。翌日3月14日(同4月6日)、高輪の薩摩藩邸で勝は「慶喜は隠居の上、水戸にて謹慎すること」「江戸城は明け渡しの後、即日田安家に預けること」等の旧幕府としての要求事項を伝え、西郷は総督府にて検討するとして15日の総攻撃は中止となった。結果、4月4日 ( 旧暦 ) (同4月26日)に勅使(先鋒総督・橋本実梁、同副総督・柳原前光)が江戸城に入り、「慶喜は水戸にて謹慎すること」「江戸城は尾張家に預けること」等とした条件を勅諚として伝え、4月11日(同5月3日)に江戸城は無血開城され、城は尾張藩、武器は肥後藩の監督下に置かれることになった。同日、慶喜が水戸へ向けて出発した。4月21日(同5月13日)には東征大総督である有栖川宮熾仁親王が江戸城に入城して江戸城は新政府の支配下に入った。


船橋の戦い


Ø 慶応4年(1868年)4月11日に行われた江戸城無血開城に従わぬ旧幕臣の一部・約2000人が千葉方面に逃亡、船橋大神宮に陣をはり、閏4月3日(5月24日)に市川・鎌ヶ谷・船橋周辺で新政府軍・約800人と衝突した。この戦いは最初は数に勝る旧幕府軍が有利だったが、戦況は新装備を有する新政府軍へと傾き、新政府側の勝利で幕を閉じた。


Ø この戦いは、江戸城無血開城後の南関東地方における最初の本格的な戦闘(上野戦争は同年5月15日)であり、新政府側にとっては旧幕府軍の江戸奪還の挫折と関東諸藩を新政府への恭順に動かした点での意義は大きい。


房総方面


Ø その後、新政府軍は旧幕府軍を追撃して、閏4月6日(5月27日)から翌日のかけての五井戦争でも勝利を収めた。


Ø 一方、鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍の総督であった大多喜藩主の松平正質は徳川慶喜から江戸城登城を禁止された後、本国に帰国して謹慎状態にあったが、閏4月11日に大多喜城を無血開城した。


Ø 大多喜城は佐倉藩(後に三河吉田藩)に接収され、藩主松平正質も佐倉に幽閉されたが、藩主や家臣がが新政府軍に抵抗せずに城を明け渡したことが考慮され、正質は8月19日に所領を回復、10月23日には官位も元に戻され、事実上処分を免ぜられて藩の存続が認められた [11]


ところが、同じ頃、木更津に逃れていた旧幕府軍の遊撃隊の誘いを受けた請西藩主・林忠崇が閏 4 3 日に自ら脱藩して遊撃隊に合流してしまうことになる。


宇都宮城の戦い


Ø 江戸城は開城したものの旧幕府方残党勢力は徳川家の聖地である日光廟に篭って兵を募り、そこで新政府軍・約700人と戦うつもりで大挙して江戸を脱走、下野国日光山を目指していた。


Ø 一方、時を同じくして当時下野国で起きていた世直し一揆を鎮圧するために東山道総督府が下野国宇都宮に派遣していた下野鎮撫・香川敬三(総督府大軍監)は、手勢を引き連れ日光道中を北上中、武蔵国粕壁で下総国流山に新撰組が潜んでいる噂を聞き有馬藤太を派遣して近藤勇を捕縛した。


Ø 近藤は板橋に送られたが、香川はそのまま行軍を続け宇都宮に駐屯した。世直しが沈静した直後の4月12日、大鳥圭介は伝習隊、幕府歩兵第七連隊、回天隊、新撰組など総勢2,000人の軍隊を引き連れて下総国市川を日光に向けて出発、途中松戸小金宿から2手に分かれ、香川の駐屯する宇都宮城の挟撃に出立した。これを聞いた宇都宮の香川敬三は、一部部隊を引き連れてこれを小山で迎え撃った。


Ø 兵数と装備で勝る旧幕府軍はこれに勝利、4月19日には宇都宮で旧幕府軍と新政府軍勢力が激突した。翌日には旧幕府軍が宇都宮城を占領するも、宇都宮から一時退却し東山道総督府軍の援軍と合流、大山巌や伊地知正治が統率する新政府軍に奪い返され、もともと目指していた聖地日光での決戦に備えるべく退却した。






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最終更新日  2023年08月12日 12時12分03秒
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