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今年もあと5ヶ月か~。10年近く、同じ人と生活してみると、この「10年1セット」をあと何セットやるのかなぁと思ったりする。台所をぴかぴかに磨いた。あとは机周りと、クローゼット関係だけだ。というか、「だけ」と思えない。考えるだけで寝込んでしまいたくなる。昔、つかっていたコロンが出てきて、そのにおいをかぎながら掃除。
2006年07月31日
計画はたてても崩されるので、めったにたてない。しかし、あれやこれややりたかったことが、休みになるとまるでどうでもいいことになるから不思議だ。予習をするつもりになったりしたのはなんでだろうと思ったりする。専業主婦業が「三食昼寝つき」といわれるのは、よく考えれば、三食作ってやって、昼寝もしなければならないほど疲れる労働だという意味だ。掃除をしようと思うたびに、物の体積と収める先の容積があわないことに気付く。広かった部屋はいつも狭くなるのはどうしてだろう。使わないものは捨てればいいのだが、冬服なんか、いまだったらどれもいらないのだけど、どれかはいることは確実で、いま使っていなくてもあとで使うことがわかっているから捨てられず、さらにまたいつ使うのかわからなくなっているけどいつか使うだろうと思うものもあったりするので捨てられず。使いたいときには発掘できないくらいに死蔵される。いつか整理しようと思っていたいつかが、いまだということもわかっているのだが、常に今というのは一瞬先の永遠に到達しない時刻を設定してしまうのがネックだ。時間があるので、ヨゴレや雑然としていることに気付く余裕ができて、かなしい。かわらけや木の葉を食器にし、麻布をまとっていた時代には、高価なものでなければ頑丈ではなく、大切に思うものは守らなければ壊れていった。どんなにきれいに織った絹だって、ぼろぼろになるものだし。有機物で固めた生活だったら、こんな物にあふれて悩むことはない。だれだ、プラスティックなんてものを開発したやつは。イギリスが産業革命なんかするからこんなことになったんだ。と、ものすごく因果関係の遠いところに対して責める。やる気がわかないので、記録してゆく。とりあえず壁に貼ってあった郵便料金早見表を捨てる。ネットで調べたら、いつのまにか郵便料金が安くなっていた。レジュメの山がある。自分が使ったものではないので、ほんとうに邪魔だ。100円ショップにいって、書類整理の袋でも買おうかな、とかまたゴミを増やすことしか考えられない。大量に漫画雑誌を捨てた。ソトから見えないようにきれいに梱包して、上からダミーに新聞紙でくるんで捨てたら、30分後にそれだけきれいになくなっていた。盗まれたのはいまいましい。よりによってかなりえろっぽい漫画で、しかも古本屋で買ったシールがついている袋だ。そこにうっかりダイレクトメールや給与明細書が混じっていたら、ものすごく恥ずかしいことになる。廃品ゴミ捨て場というのは、出してみるときは、見るつもりもなく結構見ていることに気付く。ティッシュの箱を丁寧に重ねてしばって捨ててあった。ティッシュなんて、年に5箱しか買わないから、こんなに大量に消費し、わざわざ種類別にためこんでいた人がいることが驚きである。洗濯物を数ヶ月ぶりに外に干した。洗濯機が小さいので毎日洗濯しているが、いつも乾燥機か室内。ハンガーやピンチがめんどうくさい。こんなことを毎日やっている人はえらいなぁ。3日ぶりにふとんを畳んで掃除機をかけた。シーツは週1程度洗っているが、どうしてふとんの上にこんなにゴミがたまるのだろう。足の裏にごみをくっつけたまま寝るからだろう。足の裏にゴミがつくほど、部屋がきたないということなのだ。もう1つはふとんで食べる人がいるから。柿ピーの小さい袋が敷布の下から出てくるんで捨てる。小学校の家庭科で、掃除の課のとき、「よごれやすいところはどこか」という質問があった。納屋とか納戸とか天井裏と答えた人はバツ。玄関と答えた人が正解だった。つまり「よく使うところほど、よく汚れる」という答えを引き出すつもりだったんだろうけど、小学生だからというのと、質問の出し方が悪いのとで、「よごれないように掃除をする」とは思っていなくて、「よごれているから掃除をしなきゃ」という答えばかりだった。「近頃の子は全部おかあさんまかせだから気付かないんだろう」と言った担任は、たぶん奥さん任せで、同年輩の2人の息子もお母さん任せに違いない。「便所」と答えた子がいて正解だったが、遊びに行くと便所だけでなくよごれっぱなしの家の子だったから、こういうのは正解と言っていいんだろうかとちょっと思ったりした。当時のクラス、水洗便所普及率70~80%くらいだったな。玄関から金木犀のにおいがするんだ。エステー化学とかの。で、思い出したので便所掃除をする。毎日眺める便器は、使ったときにテキトーに掃除したりしているし、たまには便座もあげてみるので、それはたいしたことではないのだが、便器の裏側は気付くと必ずほこりがたまっている。トイレマットも、足の裏が汚いからか、うっすら埃いろになっている。洗おう。洗面台と台所の蛇口がカルキ色に白くなっているんで、かわいた布でこすりとる。ぴかぴか。メラミンスポンジで洗面台をこする。こういう便利なものは必要だから、いつでも使えるようにもっと買いに行こうと思ったら、ストックが大量に出てきた。決意だけは以前あったらしい。作業服は、上はおととしのユニクロのランニング、短くて黒いスカートは14年前のものである。安っぽい肉感的な熟女といったいでたちで、たいへん見苦しいのだが、これだと外に逃げ出せない。ああ逃げ出したい。着替えるか。
2006年07月30日
表参道ヒルズのような見物観光客ばかりという感じではなかったが、なんともチンミョウな空間であった。歩くと長い。びみょうにエルサレムっぽいのは、日本一のお金持ちたちが世界一のお金持ちになることを目指していて、世界一のお金持ちというのは、だいたいがアメリカのお金持ちのユダヤ人か、アラブの石油王とかで、そんな地域の人がかっこいいと感じる空間というと、そっちの地域の雰囲気になるから・・・ということまで考えて建てたかはわからない。六本木ヒルズの高い家賃の部屋で、夜景をみせながら、どんぺりとかぬいちゃって、あるでんてが難しいんだよねとかいいながら、へたくそなスパゲッティ作っても、下からとった出前で「おいしー」とか言わせられるから簡単だな。一度、美女をはべらせて、粗末に扱えたら、いろいろと考え方とか変わるだろう。ガスパッチョを食べた。ガスパッチョの作り方が気になって、検索したら東京ガスばかりヒットする。あのCMはいらいらする。
2006年07月29日
キンカ堂ではぎれ紐を買う。多すぎて、なにがなんだかわからなくなる。片付けであたまにくる。ビーズ刺繍バッグも買う。1260円。安い。
2006年07月28日
夏休みだ。予定は例年通り。それ以外、特になし。職場の同僚は海外旅行にいくのがほとんど。年に2~3度。リッチだなあ。21世紀になってから、国内並の近場にしか行ってない。
2006年07月27日
森繁 久彌(1913-)が社長。東野英治郎(1907-1994)が会長。小林桂樹(1923-)が次期社長。藤岡琢也(1930-)がお調子者の取引相手。関口宏(1943-)が丁稚というか若手独身秘書。1969.05.17 続社長えんま帖 のとき、森繁 久彌(56歳)社長。東野英治郎(62歳)会長。小林桂樹(46歳)次期社長。藤岡琢也(39歳)お調子者の取引相手。関口宏(26歳)丁稚というか若手独身秘書。若っ!でも、当時みんなえっらーい老けている。同じ年齢だと、いまなら志村けんが社長で、久米宏が会長で、真田広之が次期社長、松岡修造が取引相手で朝青龍が秘書。これじゃあ全然違う話になるじゃないか。
2006年07月26日
森永さんは、ニュースステーションに出ていた人。おだやか~な話し方と、はっきりとした意見と、おたく的な視点があるところが、なんとなく和む。毎朝やってるラジオ番組、経済ニュースをメインに扱っているのに、すんごいおかしい。「うははははははは」という笑い声を聞くだけで、笑ってしまう。ゲストまでが、森永さんの笑いのツボをおさえた話し方を意識しているんで、おもしろい。車で爆笑することがある。森永さんは太め。食べることが大好き。「立食パーティーとかで、量が少ないときあるでしょう。そんなときは僕、ちょっと立ち食いそばに寄ってから行くんです。そうしないとみっともないほど、がっついちゃうんで、ちょっと胃を落ち着かせてから行くんですよ」といって、呆れられる。どういう流れからか、田村正和はお酒も飲まない。という話題になった。いつでもあのまんまの人らしい。足がすごく長くて、組んだ足をもう一度組んでいると上沼恵美子が言っていたとかいう話だが、田村正和は、パーティーでは、いつも窓辺にたたずんで、ものうげに水を飲んでいるらしい。そこで、すかさず「いや、わかりませんよ。田村さんも立ち食いそばに寄っているかもしれません」と森永さん。「そんな、ものすごくがっかりするコメントを!」とかきはなさんにたしなめられる。スズキがスポンサーの鈴木杏樹の話は、どうでもいいつまらない話を読み上げているだけなので、そこだけNHKにする。ちょうど天気予報が始まる。「以上お伝えしました」というと、またニッポン放送に戻すと森永さんになる。八時半に終わるのだけど、もう少し聞きたいなぁと思う。しかし番組の最初から、毎日聞こうというほどの根性はない。ラジオ番組の人の名前は漢字がわからないなー。http://www.1242.com/morinaga/
2006年07月25日
ラジオは、車で聞いている人が多いからか、車のCMはけっこう多い。「つぎのことばを使って、文を作ってください。パッソ・安全性・高い」「パッソは安全性が高い?」「正解」こんな語学教育的なの、三菱ふそうだったか、別の車の会社もそうだったな。拡張練習みたいなやつだった。しかし「運んでいます」しか覚えていない。いすずのCMは詳しく覚えていないが、毎度まるで昭和なお色気オチだ。トラックを買う人は、ほとんど男だからだろう。夕方になるとFMをきいてしまうのは、野球ばっかりになるから。しかも各局同じ球団ばかりって、バカジャネーノと思う。
2006年07月24日
きしめんの国の方は、「認知文法は生成文法のまけいぬーっ」「チョムスキーはペテン師」とかいろいろおっしゃっていったが、これはいままでの常識を覆された人には有効で、はじめて聞いた人にはなんのことだかわからんわなぁ。認知文法の人の説明を例にしていたのがおもしろかった。「まえ」と「あと」「まえ」は先にあるもの。「あと」は後ろにあるもの。しかし「このまえ」は過去を「このあと」は未来をさす。時間はは未来に向かって進んでいくものなのに、なぜか。という疑問をなげかけて、「まえ」というのは目にみえるもの、「あと」というのは目に見えない跡をいう。だから目でみてきた過去は「まえ」であり、まだ見ぬ未来は「あと」なんだ。とかいう、もっともらしー説明。こんな説明はあまり意味はないし、こんなのこじつけだと思うね、というご感想だった。雑談に流れ、詳しくは説明してくださらなかったので、聴衆はどう判断したかわからん。一見整合性はあるし、そんなに間違っていることではなさそうなのだが、よく考えてみれば、「時間は未来に向かって進んでいく」ということを前提にして、それと結び付けて驚かせようとするのがトリック。認知文法は生成文法なみによくわからんが、語源の説明と似たような胡散臭いものが平気であったりするんだろうな。ヒトは物理学的な説明と同じように、時を認識してきたわけではない。対になったことばとなっているように思うのは、偶然である。「こそあど」だって、習得時期にはずれがあるんだとかいうのは別の人の本で読んだ。「これ」を覚え、「あれ」を覚え、「どれ」と「それ」を覚える。「ここ」は「どこ」「そこ」「あそこ」より先に覚える。「こっち」と「あっち」はどっちが先かはヒトによるけど、「どっち」や「そっち」は遅い。母語の場合、単語とパターンを同時に覚えるわけではないし、いちいちセットで考える必要のない単語だってある。なんかそのへんから考え直したほうがいいかも。
2006年07月23日
欽一さんの宣言→撤回は、たぶん計算どおり。計算していないふうを装うのだが。んなわきゃねえ。かなり計算高い人である。「ばんざーい、なしよ」とか思い出してしまった。
2006年07月22日
仕事というのは、終わったと思うと次から次からやってくる。職場に行かなくても、メールだの郵送だのあの手この手。テスト問題過去問ストックが使えなくなった。各クラス、みーんなレベルダウン。これは、たぶん来学期も同じだろうということで「つくりなおしてくださーい」と。やさしい問題にしましょーということで、応用ほとんどなし。それでいて、重複なしというのは、パズルのように難しい。しかしなぁ、「普通にできない人」というレベルというのがわからん。たかが問題づくりに、まる1日かかる。それでもまだノルマの半分だ。こう仕事がとろいと、専任職は務まらないだろうということがよくわかる。突貫工事が手抜きにみえないようになってこそプロだよな。
2006年07月21日
本とかいっぱいかいていらっしゃる方がいらっしゃった。しゅーちゅーこーぎをちょーこーする。おもったとおりのへんじんで、そういういみではわかりやすいかただった。たんいのひつよーなじゅこーせーが、あまりにきほんてきなものもしらなくて、じょじょにじょじょにレベルをさげていくのがかなしくもうしわけないきもちになった。たてまえじょー5コマぶっつづけ(じっさいは4コマだが)であるので、なるべくだっせんをふやしてめりはりをつけていくことにしているのだろうが、だっせんっぷりも、じゅこーせーにあわせてはんけー3メートルのせかいになっていっていく。おなじだっせんなら、もっとぐろーばるに、いえるむすれうとかちょむすきーとか、でそうになってひっこんでいったこねたをききたかった。ただ、やはりおいそがしすぎるのか、あっぷとぅーでーとというより、ややなつかしいところをおっしゃっていたりする。としをとると「さいきん」のはばがひろくなるんだな。
2006年07月20日
4択なので、最低が25%みたいなもんです。でも合格は60%以上。正答率[漢字圏]文字・語彙 67.2%文法・読解 54.4%聴解 33.3%[非漢字圏]文字・語彙 34.5%文法・読解 38.2%聴解 50.0%つまり、不合格でした。
2006年07月19日
判子がたまるのが嬉しいのはラジオ体操ぶりである。勤務表もあと1個。相変わらずなんで、いちいち思い出せない。カタカナ書き取り。くどいようだが、出題10問は、前日と直前(3分前)に確認済みである。消しゴムの音と鉛筆の音。「マーク」カリカリカリ「それはミーク。マーク」ゴリゴリカリカリ「ムークだ、それは!」ゴリゴリゴリカリカリ「マ!」カリ「それはナ!」ゴリ「もー、これ見て写して」カリカリカリ・べきっ・・・ジョーリジョーリジョーリ「つぎ!ネクタイ」カリカリカリ「クタイ?ネ・クタイ」からんころん「ウップス、ソーリー」「ネは?」カリカリ「それはフ!」ゴリゴリカリカリ「それはス!」ゴリゴリゴリカリカリおまえ自身の名前にフの字もスの字もナの字もあって毎日書いとるやろが。女子がみたらし団子をくれた。1本食べてみたが、砂糖の甘さが嫌いなのでいらないのだそうだ。2本も食えないので、男子に1本やったら、なんか母語でえらい怒っていた。もらいっぱなしじゃなんだし、お返しにコンビニの棒棒鶏サラダを買ってやった。その女子に「先生の手、好きます」と手を撫でられた。好きというのは、注射しやすそうな血管の浮き具合ということなのかもしれないが、キモイとかは思わなかったのだが、触られたところにあとで湿疹が出た。ストライクゾーン広めだと思っていたが、こういうのは頭で考えてもどうにもならん。やはり好みというか、何かを選別するセンサーがあるのかなぁと思ってしまった。
2006年07月18日
御不満ではなく、ゴフマン。ゴッフマンともいう。けっこーおもしろい。図書館(5箇所)から借りているのを返さねば。中には「なんでこんなの借りたんだろう?」というのもある。よく返却し忘れることがあるのだが、そんなときはあとで書籍郵送すると言っておく。普通郵便じゃないから往復運賃より安く、時間もかからないから。流しを洗う。ごみうけが汚い。スポンジだと汚れるので、コンビニの買い物袋でこする。ティッシュみたいに溶けないし、惜しみなく捨てられるので便利だ。珈琲ポットが曇っている。重曹をつけて、水をつけたティッシュでこする。ガラスが透き通ってうつくしい。冷蔵庫が何かにおう。たぶん漬物だ。どくだみを摘んでいれておく。冷蔵庫がややどくだみ臭く偏り、そのうち何がなんだかわからなくなる。これらは、毎日きちんと気を配っている人は、そこまでやる必要のないリカバリー。誰もいないので、ぐうたらテレビをみる。ディスカバリーチャンネル。アンソニーのシリーズをみた。日本人じゃない人の目を通した異文化紹介はおもしろい。ウズベキスタンのアジア的な部分は、風景は中国っぽいけど、人々の価値観はなんか韓国みたいな感じがあるなぁと思った。ソウルから直行便があるのは、もともと馴染みやすいから交流が盛んになったのだろう。たしけんととか、さまるかんどとか、強そうな地名ばかりだ。今回は東京。アンソニーは寿司の美しさにみとれ、ちゃんこ鍋で楽しむ日本人を楽しそうに見ていた。ウナギについてのアンソニーのコメントは、日本語字幕はかなり抑えた書き方だったが、一部ピー音に消されながら、「つまりバイアグラ」と言っていたのが聞こえた。タイムボカンをみる。ボカンは爆発音なのか母艦なのか。このシリーズは、悪役しか印象にない。のび太の声の女親分と、ジャイアンの声と鬼太郎の一反木綿の声が子分。マージョ、ドロンジョ、アターシャ、ボヤッキー、セコビッチ、グロッキー、セコビッチ、コスイネン、ワルサー、トンズラー、ドワルスキー、悪者がロシア風な日本語名前なところが、時代を反映している。当時は気付かなかったけど。毎度、女親分の服が溶けたり爆風にふきとばされたりして「いや~ん」とやるのだが、いったいこいつらは何歳という設定なのだろう?逮捕当時のオウムメンバーみたいなもんか。あらほれさっさー。この時の音楽もそうなのだが、トランペットやサックスが響くと、これはえろい音楽だ、と少なくともこの世代に子どもだった人たちは判断する。ドリフの「ちょっとだけよ~」の影響もあるだろう。加藤茶の「タブー」は、ちょっといけないいやらしいことという意味のタブーではなくて、奴隷が故郷を思うのはタブーという意味らしい。へー。とりとめもなく。ああ片付けなきゃ。本も読まなきゃ。
2006年07月17日
野菜多めの食事を準備する。作る意欲を高めるために農協とか遠方のスーパーの地物の「珍しい野菜」(1点100円程度)ばかり集める。・はす芋とニンジンの胡麻和え・輪切り生オクラ(でかい)もずく和え・ベビーリーフ+ブロッコリースプラウト+レモン塩・空心菜(にんにく醤油とオイスターソースで蒸し煮)・じゃがいもとニンジンと葱の味噌汁・葉とうがらし(茎をとりさる)と葱と厚揚げと豚肉(を醤油系で煮たもの)・シメサバ(大根のツマ入りを買ってきた)・茄子の浅漬け・トマト(まるのまま)・きゅうり(ながいまま)・パッションフルーツやや失敗作の空心菜ばかり食べる羽目に合う。食感は楽しい。葉とうがらしをうまくよけられ、葉ばかり食べる。にがめ。1つ1つはローカロリーだが、全部食べたら普通のカロリー。
2006年07月16日
4ヶ月分のかたづけを始めたが、30分で飽きた。本棚が足りないことに気付く。本棚みたいなのを作る。それでも足りない。本を処分することを考えないので、床においた箱にいれる。雑然として汚いなぁ。
2006年07月16日
赤塚不二夫の奥さんが亡くなった。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060715-00000513-yom-soci赤塚不二夫は、もう2年も病院で寝たきりである。妻が亡くなったことを理解できるのかどうかもわからない。奥さんのブログが、↓の下のほうにある。http://www.koredeiinoda.net/ここに黒柳徹子やタモリが見舞う話もあり、赤塚不二夫はかすかに表情をかえるくらいの反応だということだった。病院に泊り込みながら介護、事務所の仕事も奥さんがしていて、そんなたいへんな毎日なのに、文体はものすごく明るい。元気なときの赤塚不二夫は、バカボンのパパを地でいくような人で、むちゃくちゃなことをいろいろやってきた破天荒な人だった。本人が好きでやったことでもあるのだろうが、暴走をとめることなく、不健康な生活をさせてしまったのは、そのパワーが生み出す芸術の恩恵にあずかりたいと思った周囲が、そのでたらめぶりをもてはやし支援したからだ。普通の精神だった前妻はもたなかったのだろう。20年くらい前に後妻と前妻と3人で仲良く(といっても前妻の表情はかたかったが)雑誌に載っていたのをみたことがある。奥さんは本当に赤塚不二夫のことが好きだったんだなぁと思うが、幸せな一生でよかったねというのは遺族に対する慰めになるんだろうか。健康に長生きできなかったことを、よかったねというのは無理があるように思う。生きていれば70代の、戦争体験者じゃなくて戦時下体験者は、子どもの頃に刷り込まれた価値観をどこかでひきずりながら、自分の子ども世代にそれを伝えていっていたように思う。意味のある生き方をしなければ生きている意味がない、意味ある生き方とは何かを作り上げること、それができないなら他人のために自分をあとまわしにして犠牲にすることで意味が作れるというメッセージが、漫画とかアニメとかでじわじわと叩き込まれているように思う。「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!」という本の書評が文春にあって、 「手塚治虫。生涯執筆枚数十二万枚。40年間、毎日平均して10枚書いたとしてだ。 「赤塚不二夫。生涯執筆枚数八万枚。 もう執筆しないとしてだ。」 とあった。その前後の今年の文春だったかで、水木しげるが、「編集者におだてられ何日も徹夜して何枚しあげたという記録を自慢していた手塚は命を縮めたが、自分はおだてにはのらず、健康を第一にして規則正しい生活をして生きながらえている」というようなことを言っていた。手塚治虫や赤塚不二夫や同世代の編集者のような昭和ヒトケタ生まれの将来の夢が軍人だったりした少年たちと違って、少し年上の水木しげるは戦地で片腕をなくした人で、「名誉のためなら死ねる」「死して名を残せ」ということが、本人にとってまるで意味がないことを体験的によくわかっているということなのだろう。
2006年07月15日
ダイエットは無粋な話題である。食事の前後には出すのが難しい。深夜に「明日から」と決意しても、翌日には忘れてしまうのが、健全なイメージで、予定調和的なオチでもある。mixiで、毎日日記に「大食いの記録写真」をアップしている先輩(独身男)がいた。最初は「うまそー」とかいうレスが続いていたが、何日も続くとさすがに「もう高校生じゃないんだから」「25過ぎで、それはないだろう」とか控えめに「やめとけ」というレスがでてきたのだが、先輩の脂肪脳は「まだ若いんだね」と言われていると変換し、ますます調子にのっていたので、ついつい「先輩、これ以上太るとますます縁遠くなりますよっ」とひとこと書き込んでしまったら、「きゃー、ストレートすぎ~」と控えめレスの人にも続けられ、とうとう本人に「大食いやめます」宣言をさせてしまった。翌々日の日記に「体重も体脂肪もやばいことになっていました。ダイエットはじめます。目標16kg減。これからグラフつけます。非公開ということで。」とあった。しばらく会っていないうちに、体重76kg体脂肪30になってしまったんだな、きっと。別の同窓生(既婚女)の日記では、「○○式ダイエット法に挑戦してみようかな」とあったのだけど、「ほとんど食事作っていないから、まず食事つくるのも大変かも。続くかな。それ以前に始められるかな。数ヶ月に一度、思い立つけどなかなかはじめられない」と続いていた。やさしい人々のレスが続くのだが、精神科医(既婚男)のすすめる「豆乳クッキーダイエット」は「早速とりいれたい」、「岩盤浴」は「予約しようとしたらいっぱいだった」、「万歩計」はスルーされた。卒業アルバムからぼんやりと思い出せる姿はもう10kg少ないようにみえるけど、今のままでも別に問題はあまりないんだろう。神経をすり減らす仕事で忙しい人なので、「この上クッキーまで余計に食べたら、精神科医(10年前より20kg以上増)と同じように太ってしまう」とは思わないんだろう。結果が出ることより、クッキー食べることで「ダイエットしなきゃ不安」を解消すれば、心は安定するだろう。さっきディスカバリーチャンネルで、「アトキンス式ダイエット」というのをやっていた。別名、ローカーボ(低炭水化物)ダイエットと言われ、医師でかつて自分も太っていたアトキンス博士が成功した方法というもので、2004年に博士が亡くなる前後、ニューヨークでは9割の人が意識していた大流行のダイエットだったらしい。「炭水化物と野菜と果物を抜いて、ひたすら肉やチーズを食え」というもので、パン屋やドーナツ屋はつぶれ、パーティにはいっさいの炭水化物が出てこない、ローカーボを知らないというのは非常識者扱いにされていた、ということだったらしい。今もそうなのかどうかは知らない。とーぜんやばいものである。意見はアメリカ番組らしく、両面からとりあげるのだが、医師が野菜や果物をとらないと、ビタミンやカルシウム不足になることを警告し(炭水化物をとらないことは特に問題にしていなかった)、商売人が科学的に裏付けられたものであるから一過性の流行ではないと主張する、そんな構成になっていて、ドキュメントとしては、不成功の例をとりあげていた。婦人警官試験を目指す女性が、前回体重が多すぎて、走るスピードが足りず不合格になったことから、今度の二週間後の試験に間に合わせるためにアトキンス式ダイエットをするのだが、もともと炭水化物とフルーツ好きの嗜好のため、アトキンス式ダイエットを実践すると頭痛や倦怠感や胸焼けに悩ませられるのだが、無理やりベーコンやステーキやハムエッグやチーズを食べ続け、途中で鬱になり、どうしてもシリアルが食べたくて2杯食べてしまって翌日1kgもどり、103kgが101kgになっただけ、体力も衰え走ってもタイムオーバーで試験は不合格という内容。これを、アトキンス式信奉者は、「炭水化物摂取違反のせいだ」とつっこみをいれるのだろうけど、それより2週間前になって急にあわただしく始めるところとか、胸焼けしてまでして食べるところとか、我慢できないにしても1杯でやめとけばいいのにとか、つっこみどころ満載である。「何もいいところはなかった。今後は栄養を考えることにする。糖分は肉類ではなくシリアルやチョコレートからとりたい。人生は短いのだし。私は私のやり方で心がけていきたい。それにしてもアトキンス式ダイエットは本当にいいことは何ひとつできず実行するのに難しいものだった」と結んでいた。食べたいものが食べてはいけないというダイエットは嫌われるが、食べなくても平気なものを禁じるダイエットは、歓迎されるので流行する。ただそれだけだ。日本では米を食えというダイエットが流行った。日本人には米をやめることより、肉をやめることのほうが辛さが少ないからだ。そんな無茶なやり方が、なぜ成功例を生むかというと、まず栄養のバランスが悪いからで、「2週間後に瞬間的に2kg少ない数値を出せた」という程度のことがゴールであり、それが大成功だとして扱っているからだ。2kg以上減った人は、炭水化物と野菜と果物をやめた空腹感があっても、食べてもいいという肉類を増やすことはなく、いままでと同じ程度食べていた、という工夫があるのだろう。ということは単に摂取カロリーを減らしたことが主な原因である。51kgの人が49kgになったり、71kgの人が69kgになったりすることは、ちょっとうれしいことだ。しかしこれを続けていれば、また51kg、71kgにもどるどころか、もっと体重が増えてリバウンドすることさえある。サラ金で借りてきた100万円を財布にいれて「大金持ちぃ」といっているようなものだ。太りたくても太れない人は、もともと胃があまり強くない人が多い。満タンであるかどうかに関わらず、満タンであると脳からサインが出てしまえば、それで食べられなくなるのだと思う。たぶん。意識して頑張って食べようとしないと食べることを忘れてしまったり、食べようとしても胃のほうが受け付けなければ食べられないこともあるのだろう。胃の丈夫な人は、満タンのサインが出ているのに、食べようという意志だけで食べてしまえる。だから太る。体重は2ヶ月横ばい。特に目標も理由もないのだが、おもしろそうだからもう2kg落としてみようかな。最近、運動量も少なくなってしまったし、また万歩計をぶらさげてみよう。
2006年07月14日
日本語でいうと、まったく変すぎるのだが、でも外国人の日本語だしそんなもんかなぁと思われてしまうだろうから英語で例えよう。100日間、一日5時間の教えてもらって、自宅で2~5時間勉強し、それで習得したレベル。書けば、「I steady Japaneze yesterday.」話せば「I am study Japanese yesterday.」となってしまうようなもの。お互い、何をやってきたんだかなぁと思う。いまだに「I read TV.」「I was watch News Paper.」という。「「よみます」と「みます」は、音も動作も似ているから仕方がないよ」といつまでも言っていられない。ちょっと高度な問題で、「This chair is made( )wood.」という問題で、「by」か「of」か「from」かで悩まず、「in」と書くのはこれまでもたまにあった。そんなときは、made inはMade in JAPANとか、Made in CHINAとか場所のときだよ。手で枠を作ってから「中」を指差すような要領で説明するのだが、それを聞いて、「on」とすばやく書く。その根拠と自信はなんなんだ。「Which? this or this? 」と指差していうと「This chair is made(this)wood.」「This chair is made(which)wood.」と書く。説明の仕方が悪いということか。「I get( )the subway.」という問題では、「on」と書けるようになったが、subwayが地下鉄だということはわからない。地下鉄がないところで育ち、いまも地下鉄を利用しない生活をしているせいで覚えられないのだとも考えられるが、それが乗り物なのかどうかもわかっていない。「I get on the (stamp).」乗り物のジャンルだろうなぁという記憶がうっすらとあるようなのだが、切符と切手を間違えて覚えていたりするので複雑に遠い答えになるのかもしれない。「get on」が乗るという意味だ、というのはたぶん100回きいているはずなのだが、101回目の説明をする。「train」ならば乗るということがわかるのだが、「I don't get ( )the train.]「I got ( )the train.」となると、「with」とか「from」とかをいれたがる。「意味が覚えられない」と自分の欠点を自覚しているが、それほど深刻なこととしてとらえてはいない。「文法はわかる」というのだ。「「I have to~」と書いている例文をみながらだと、「You have to~」とか、「I had to~」と 書き換えることができる」ということなのだが、これは文法がわかったわけではない。例文のないところで文を作ると、「I had to Shinjuku next week」 となる。伝えたい内容はわかるけど、おせじにも「英語が上手ですね」とはいえないだろう。パンを食べている。「Do you like the bread?」ときくと、「No」とこたえる。「Why you eat it?」ときくと、「Bread Easy. I like meat」「What kind of meat?」「Dog」ということで、なかなか予定調和的な会話も難しい。アンケートをとらなければならない。「最高に満足」をマークした割合は100%だった。「自己発見に役立った」も100%。アンケートに意味があるんだろうか。来学期も先生のクラスがいい。好きです。といわれた。教師冥利につきるはずのことばなのに脱力を招く。たのむから勉強してくれ。そして1つでも上のクラスへ行ってくれ。そうでなければ帰ってくれ。
2006年07月13日
留学では、自国で行ける学校のレベルより、相対的に上の学校にも入りやすい。ソルボンヌ大学に行けなかったフランス人も、ハーバード大学に行けなかったアメリカ人も、ソウル大学に行けなかった韓国人も、北京大学に行けなかった中国人も、東京大学になら留学できたりする。逆に東大に行けなかった日本人も、これらの大学に留学生として行くことは可能だったりする。そんな超トップのレベルではなく、最下層の大学生にようやく受かるというようなレベルの人も、できる限りの努力さえすれば、他国なら中堅以上の大学へ留学生の身分でなら行けることもあり、留学によって、自国では受けられない先進技術を受けられたり、学歴ロンダリングができたりするのだ。入管がしめつけを厳しくしたのが2年前だったか。たしか、預金残高が一定額以上、送金が月額10万円以上だせるという証明がないと、日本に留学できなくなったらしい。学生ビザでバイト三昧な学生を排除するためだ。「就労ビザより簡単だから誤魔化して入国さえすればいいや」という最初から隠れ蓑を決め込んでいる人とか、「勉強なんかしなくてもいいや」と脱落してしまう人とか、そんな精神構造の人は、決められたことを守らなくてもどうでもよく、ルールに違反する行動をすることにも別になんにも抵抗を感じない人が多い、という懸念があるからか、まあ学生ビザで来るなら、生活の心配もなく学生らしく勉強だけしていられる人だけ欲しい、そのためには金が必要ということで、そうなった。これによって、インチキ学生はある程度排除できたわけだが、真面目な苦学生も排除された。ここで頑張れば一発逆転、自力で故郷に錦を飾れるぞというハングリー精神をもった学生は、来られなくなってしまったのである。本当に優秀なら、国費から援助を受けて来られるのだろうが、その手前になるとチャンスがない。(また金のある人しか対象にならなくなったということで、国費すら金のある人にしか受けられないような具合にもなっていたりするらしい。)だからといって、留学生総数が減っているわけではない。その代わりに入ってきたのはどういう人かというと、自国で教育費をふんだんにかけてきたがイマイチ成果があがらない人、というのが混じってきているのだろう。お勉強なんてものは、普通のおつむの人なら、教育によって鍛えられれば、ある程度の結果が出るものだ。最近の「格差問題」では、お金をかけられず鍛えられる機会がもてない人が沈んでいくかもしれないことを心配しているのだが、逆にいえば、教育なんて、お金さえかけられるなら、少しはなんとかなるものなのだ。普通は。ところが、お金をかけてもどうにもならなかった人もいる。つまり普通のおつむではないということだ。勉強する場は、それまでもなじみのあるところだから、毎日真面目に登校して、きちんと話をきく姿勢はとれる。うっかり寝過ごして遅刻をすることがあっても、授業中に居眠りしたりさぼったりしたりしない。宿題が出されれば、他人の力を借りてなんとか仕上げる。真面目に勉強している自分、というのが大好きだったりする。上品な感じではある。なんのためにそうしているかもわからずに、言われたことに従おうという努力だけはする。作文が書けず、母語でも書けず、友達に書いてもらって、書いてもらった内容が母語なのにわからず、それでそのまま持ってきて、にこにこと「先生おねがいします」と、恥ずかしそうにするわけでもなく、当然のように言う。説明したことがわかってくれてうれしいが、日本語にしてもらったものがあっても、その日本語を覚えることが難しく、できるかどうかわからないから、書いてもらったものを見ながら書いてもいいか、と言う。どうせこれでは大学には入れないのだが、こんなのに留学のチャンスを与えていること自体がおかしいのだが、お金が用意できる人には受験の権利が発生する。権利が発生している限り、本人が進学を希望しないといおうと、進学に向けた試験を受けさせて一定の点数がとれないと、途中で帰っていただかなくてはならなくなるという。ありのままの状態で試験を受けて、「ダメでした」ということを理由にとっとと帰って別の幸せをみつけていただいたほうがいいではないかと思うのだけど、「それは絶対にできない」と頑なにいうオトナの事情は、お帰りいただくことが客の自主的な希望ではなく、こちらからお願いすることになるわけだから、その場合「残金の返金が生じる」ということなのではないか。それだったら絶対に阻止しなければならず、なんとしてでも下駄を履かせたい…ということになる。辻褄をあわせるなら、試験のレベルを下げればいいのだが、これ以上下げようがない。「わっちゃーねーむ」「まいねーみずたろうやまーだ」「これはなんですか?」「あなーぽー」といえば合格になる口頭試験にしても、口答試験と同レベルの筆記試験だとできないんだから、やりようがない。乾燥タケノコを渡された。「みず とりにく おいしい」水につけて鶏肉といっしょに炊くとおいしいということなのだろう。水につけておけばいいの?「?」水、いれます。できますか?「あい」何時間くらい?「なんじかんくらい…」時間、ここに24時間ってかいてあるけど「NO!」24時間じゃなくていいの?「うー、あい」夜つけたら朝だいじょうぶ?「1」1日?「んー、いち。…ちかん。いちちかん、にちかん」あ、1~2時間でいいの?「あい」バナナをあげたお返しとして受け取った。普通の人で、100日間ただ外国語だけを学んでいたら、同じことでも「先生、私のプレゼント、ほんのきもちです。先週、国の母にもらいました。これは、たけ…たけの…んー、あー、ねいが、たけのこ。料理、材料です。水いれて、鶏肉いれて、しょうゆと砂糖、少しお酒、熱くします。おいしいです。水いれる、は、24時間じゃなくて、1時間か2時間くらい大丈夫」といえるのだけどな。
2006年07月12日
いまさら古文のを読んでいるが、いま読むとおもしろい。というか前はこんな高校生向けのレベルのものすらよくわかっていなかったのかな。
2006年07月11日
きつけきょーしつ。なにをやってるのかわからないまま、完成しないままの日だった。いつもの先生が休みだったんで、複複式学級で、(師範の上のプロ科コースの人と、初心者の人と一緒だった)、存在をわすれられてしまった。女性ものの民族服は、マタニティドレスも兼用なものが多く、だいたいゆったりしたデザインで、日本の着物もそうである。代講の先生は、着物をきているときはそんなに気にならないが、妊婦でもないのによーく太った人だった。「帯は体ひとまき分とって印をつけます」とやってみせたあと、「ひとまき、長いですよね。これやるやびにいつも痩せなきゃって思うんですが。すみません、ひとりごとです」と言われ、「いいえ」というべきところなんだろうが、黙ってしまった。初めて会った人に、自分の太いウェストの長さを目で確認させるなんて、痩せなきゃと決意させるのにじゅうぶんなセレモニーを繰り返しているのに、それをチャンスとしてまったく利用しなのは、瞬間だけ思って、すぐに忘れてしまえるからだろう。別の級の人に、別の帯の巻き方を教えていて、「この巻き方は立食パーティとかにいいんです」と言っていて、「ちょっとゆったりして余裕がある、だからたくさん食べられるでしょ」と言うので、やはり太っている人の着眼点は違うなあと思った。今の時代、着物姿といえばフォーマル。それだけでお上品な感じ。そこに大食は似合わんなぁと思うのだけど、そういうイメージはないのね。
2006年07月10日
ミサイルで別に誰か傷ついたわけじゃないし、いちいち騒ぐんじゃねえ、というのが俺様の声明だと強い人に言われ、その声明に力があるわけじゃないのだけど、まあ1回話して伝わる相手でもないしなーということで、結局みんなで様子見をしようよ、ということになりそうだ。ただ同然の人件費、好き放題使えるかもしれない地下資源。合法的に植民地にしているものを、奪われたくはないわな。かつあげして得た金を、上納金をとしてくれるようなお財布役の子分。守ってやらねば。生かさず殺さず。というところだ。
2006年07月09日
まっかなすももを食べた。すももも桜も苺もプルーンも枇杷もアーモンドも、みーんなバラ科というのがすごい。でも枇杷の種を集めて缶にいれといたら、杏仁豆腐のかおりがした。やはりアーモンドともなかまなのだ。それとアメリカンチェリーをじっとみると、さくらんぼというより小型のプラムだなぁと思うので、やはりなかまなのだ。どっかのQ&Aで、韓国語は漢字がなくて不便じゃなかろうかという疑問に対し、わかちがきにするという説明で終わらせず、「すもももももももものうち」より「すももも ももも もものうち」ならわかりやすいでしょという具体例があって、みごとな説明だなあと思った。具体例で思い出したが、作文のテスト。・段落があること・具体例があること・質問に正しくかけていること・文法と語彙がただしいことというのが、採点基準らしい。文法と語彙がぐずぐずな人たちに、作文もへったくれもない。母語で書いて来い、という宿題をだした。二人だけが相手。成果も出ないのに赤字でむなしいばかり。「穴の空いたひしゃく」とはまさにこのこと。もう残業はしないことにした。
2006年07月08日
交通事故死者3千人超 70年以降、最も遅いペース 警察庁は6日、今年の交通事故死者が5日現在で3000人を超え、3006人になったと発表した。前年同期と比べ209人の減少。3000人を超えたのは、年間の交通事故死者が49年ぶりに7000人を下回った昨年より11日遅く、日付別統計が残っている1970年以降、最も遅い。都道府県別では、愛知が157人で最多。以下、千葉141人、埼玉134人、福岡132人、東京124人の順。福岡は前年同期と比べ13人増えた。 逆に死者が最も少ないのは島根の16人。山形21人、青森25人、鳥取26人、石川27人と続く。島根は前年同期比で24人減った。(共同通信) - 7月6日11時32分更新わかりにくい日本語だが、要するに「今年の交通事故死者は、過去50年で最も少なくなる見込み」ということだ。自動車の数と交通事故死者数をネットで調べた。(ソース省略)昨年は、約5600万台の車で、約7000人死亡36年前(1970年)1758万台 16765人死亡 ←過去最悪50年前(1956年)約20万台 約7000人死亡単純にいうと、36年前の車は現在の6倍、50年前の車は現在の280倍、死者を生む危険性があったということで、車は本当に、こわい・こわい・こわいものだったわけだ。笑点で、松崎まことが「手をあげて横断歩道を渡りましょう」と言い続けていたのも納得。とはいえ、昨年の交通事故負傷者数は118万人以上、事故発生件数は95万件以上、「過去最悪」は年々更新しているので、道路に出るときは気をつけなければならない。
2006年07月07日
くどいようだが、いっこうに楽しくならん、きつけきょーしつ。ただしトップの先生がご栄転になったので、ばんばんざいである。教え方が厳しいというより、物を買わないことに対して厳しい態度な方だった。「一反29万円はお得よぉ~、帯も同じお値段だけど、リバーシブルだから2本分と考えると、やっぱりお得よねぇ~」と言われても、ただでさえ貧乏性な上に、超ビンボー生活を余儀なくされてきた今年上半期。気に入ったようなことをいえば買わされちゃいそうだし、ケチをつけるわけにもいかないし、と興味がないということを態度で示すしかなく、しんどかった。まあ何も持っていない人が、興味を持ってはじめたお稽古なら、お道具も「この際だし」とそろえたくなるのはわかる。生徒が授業料以外にもいろいろと払うことになるので、経営もできているんだろう。ところで講師たちは季節季節に異なった着物を着てくる。というか、紐やら帯やら組み合わせでいくと、同じ姿は一度もみたことはない。彼女たちは数年分の授業料を払った上に、講師になってからも即売会で給料以上つっこんでいるようだった。おそらく、これらの営業成績により、ご栄転となったのだと思う。講師が数名いるのだが、合う・合わないはどうしてもある。物を売ろうとするこの人も苦手だったが、まったく腰がひけている人もダメだった。こちらは素人なんだから、あかんところはあかんと教えてくれねば習っていることにはならない。素人判断でも、ちょっと変だよな、と思っても「いいわ、それでも」と言うのだが、このあとキビシー先生にあたったときに「いったい誰に習ったの?」と叱られるのだ。今の講師は、たぶん年齢は同じくらい。講師には全く不満はない。クラスというか、いっしょにやっている人もいい人だと思う。それでもなお、楽しくならない理由は、いくつかある。まず、くどいようだがファッション方向全体に興味が乏しいせいだ。洋が和になろうと、激しい興味は全く沸かない。衣服のような文明を否定したい裸族ではないし、着られるものだったら何を着ても構わないというほどの達観をしているわけではないのだが、ユニクロのシャツと、ベネトンのシャツでは、「価格」でユニクロに決めているのだから、おキモノの世界など、楽しめるわけがない。それでも、今より太っていた春先までは、頑張ってどうにか入る服を買ったりしていたけど、「もうお金さえあればいつでも買えるのだ」と思うと、ますますどうでもよくなった。ダイエットものの記事を読むと、大多数の人は痩せてよかったことのベスト3内に、「サイズの心配がなくなったら、お買い物が楽しくなりました」ということをあげているようだが、「町で偶然みつけちゃったステキなもの」に、服と靴はない。ついでにこの2つの単語、注意していないと「あれ?アクセントが違うよ」と指摘されてしまうものなので、そこもますます嫌いになる原因になっている。それに、習う必要があるような、不得手・苦手なもので、もともと楽しくないからである。自力でなく、他人の力を頼って習得しようというほどのものなのだから、自ら取り組もうという意欲が乏しい。子どものころに1週間に5つの習い事をしていたことがあるが、楽しかったものは油絵だけで、ピアノもソルフェージュも習字も水泳も、行くのが苦痛で苦痛で仕方がなかった。お稽古事とは楽しいものではなく、将来その技術を使えるようになったら楽しくなるから、と言い聞かされて頑張っていたが、結局楽しくなることはなかった。中学生から英語と数学を習った。どちらも大嫌いな科目で、やればやるほどその思いを強くしていったものだ。きつけは来月までだ。もうやめたいのだが、もうすこしの辛抱。やめたらその時間、何を習おうかな。苦手なピアノ、ダメな英語、やらなくてはならない邦楽の楽器。なんかもっと楽しいものはないもんかね。
2006年07月06日
インターネットでさえ細かい画像地図がみられるのだから、少なくとも各国の国防関係の一部の公務員たちは発射された瞬間を目で確認できているはずだ。発射台なんて数が限られているのだから、「意外な場所だったので発見できませんでした」なんてことはないはずだ。「ああ、6分後にはこの辺に落ちるな」ということもわかったとしても、落下予測位置にいる人にそれを知らせてやることはしない。一般の国民という立場は、国家に生殺与奪権を委ねている、ともいえる。だいたい日常の物資が乏しい秘密主義の国にスパイがいないわけがない。だから、計画に基づいてのことなら、数日前からわかっているはずで、本当に知らなかったのだとしたら事故だ。事故にしては連発し過ぎてているから、やはり一部の人は事前に掌握していたことだろう。しかし、スパイという職業、自由が一切なくなるというのに、よくやるよなぁ。常にどちら側からも「裏切り者」として制裁される危険性にさらされるのに。「未来の保障」なんてあやしいものにすがって生きているのだろうか。なんか来世をたのみに生きる民のようで考えるだけでもしんどそうだ。飢餓の経験があって、物資の不自由さに懲りている人だと、身体思想の表現の自由がないことが、どれほど不便なのかわからんのかもしれん。あるいは自由の無い苦痛から脱しようと思って、より過酷な世界に飛び込んでしまっただけだったという想像力の欠如からスパイ人生を余儀なくされているのもいるだろう。「一般では知りえない真実を自分で確認したい」とか「正当な組織から正当な評価を得るため」とか、何か強い信仰心に近い絶対的なものがないと、普通に暮らしている善良な人民と交際しているうちに、揺らぎそうになることもあるだろう。スパイに忠誠を誓わせる力がある人の、その方法を見てみたいものだ。アメリカは、戦争も辞さないような勢いの警告をしたけれど、構わず追加で打ち上げた。どうせ地下資源などのうまみがないので、実践はしないだろうと考えているのだろう。ミサイル一発、ほぼ原価だけで作れるようなものなんだから、そりゃいくらでも量産できるってもんだ。最大の資源はかの大国中国産より安い、無料同然の人件費。アメリカの国家観では、その資源は自分のものとして保存しておくことが両立しない。買い手の立場として、安くミサイルを買えたほうがいいわけだ。直接買うのは危険があるが、間接的に買えば自前で作るより安い。これと似たような組織をみていたことがあるが、外部の人間は内情を知ったところで、その特性を利用することを考えるものだ。そんな非道なシステムの特性を敢えてなぜ利用するのかともし問われれば痛いわけだから、システムが非道であることを否定し、指揮官の統率力を称え、人民の従順さを褒めることになり、嘘が混じりだす。経験上、対外的に認知されている状態を肯定することが「誠実」なことであり、真実の値は力の関係で決定することで「平和」が保たれる、という信念を持っているからだろう。組織への働きに対する組織からの自分の分け前が満足するものだった人だと、そうなってしまっても不思議はない。「真実は相対的に決定されるものだ」という価値基準を持っているから、嘘を嘘だと認定する判断も自力ではできない。現状を嘘だという人を嘘つきの裏切り者と位置づけ、自分の世界の整合性を保っているのだろう。こうなると、つまり知的な人ではないということなので、話し合いによって解決することはできない。また、どんなに問題がある指導者であっても、いずれ停年なり寿命なりがつきるのだから、放置すればやがて問題はなくなる、長い目で将来を考えろ、と言うのもいた。実際の困難に直面しない立場なら、そんな悠久な時の流れで考えても、いたくもかゆくもない。今そこにいる人はどうしたらいいかというと、祈ることで応援するから頑張れ、それでもダメなら別の世界に行けという意味のことを言った。「めいめいが真実だと思っている世界は尊重してあげたい」という価値基準をもっているのだろう。言葉を尽くして説明したところで、「真実は個人の中で判定するものだから、他人がどう判断しているかということは、自分が直接見聞きしていないことまで判断することはできない」という。伝聞では判断できず、それが真実だという経験を実際にしなければ判断は保留する、という経験至上主義者だった。価値観の相違ですね、もっと利己的に現世利益を追求したいですよとしかいいようがない。現世利益の追求が良いことかどうかということには触れず、それを希求することは個人の問題であるとする。個人の利益のためだけなら、個人的に余所の世界へ行けばよいとなるわけだ。結局、そこの場合、指揮官が頭が悪すぎたため、迷走し、自滅することになったのがだが、前者は「一連の事実は存在しなかったこと」という立場をとり、後者は、今度は指揮官を慕う一部の人民の将来を憂い、そのために指揮官の復興に助力しようとまでしていた。その後どうなっているのか知らない。隣国の大国や南側など、身内意識を持った人々の対応が、刺激せずに見守ろうという立場であることと似ている。やはりちょうど1年前のことだが、某大学附属高校の入試問題に、非常に不快な表現があることでニュースになっていたことがある。当時の問題としては、実際の問題を見ることない人々によってニュース記事から推定された趣旨がひとりあるきして、その高校が一方的に断罪されていた。あらためてその問題と反響について、ネットに残ったキャッシュなどで、身内意識を排除して読み直してみた。主旨は、「体験者からの伝聞よりも、間接的な実体験のほうが重みがあった。真実と未来のためには言葉では伝えきれないものがある。」真面目に平和の問題を考える、経験至上主義者の主張だ。卑近な例に例えると、痴漢被害にあった女性が、これ以上の被害拡大を阻止しようということから、自分の経験の詳細な状況を、嫌な気持ちを我慢しながら話しているというのに、「話が全然心にはいってこない。話がうますぎるんじゃないの?」と言い捨てた、という話としてニュースが報道されたようなものだ。だから、それだけをみた人から、「痴漢が良くないということを訴えないというのは、痴漢は良いことだとでも言いたいのか。男性的な立場でしか物をみていなくて、女性を軽んじている。こんな話をしてどういう教育をしようということなんだ」という誤解や、「私の身近な男性は、俺だったら電車で見知らぬ女性に触られたら嬉しいけどね、と言います。そういう男性がいる限り痴漢は絶滅しないだろうなと失望したことを、この話で思い出しました。許せません。」という自分語りや、「やっぱり痴漢される女性の方に非がないとは限らないから、こういう男性的な意見も出てきて当然だと思う。」という都合のよい解釈など、様々な反響があったわけだ。ところが、ニュースの元になる文については、当時はネットで簡単に入手できたというのに、読んでとりあげていた人は少なかった。この話は、例えていうと、「そんな話を聞くことよりも、狭い部屋にいれられてホモの大男に囲まれたときの方が、痴漢の恐怖がよくわかったよ。実際に触られたわけじゃないけどさ」と続いていた。言葉ではなくカラダでわかった「痴漢はよくない」という主張なのだから、まあ間違っていないとはいえるのだが、それでも女性に対してかなり失礼な態度である。「何故痴漢行為はよくないのか」という説明が、うまくできてわからせてくれた人と、うまくできなかった人がいた、という話でもあるが、うまくできた人の話だけとりあげておけばいいものの、実際の被害当事者ではないという立場もわきまえず、できなかった人の例を敢えてダメと評価したところに、おおいに問題がある。この例では男性と女性、元の例では中央と辺境、持てるものと持たざるもの、温度差の原因を、いわば階層に起因していると位置づけることで、将来も安定を約束されている恵まれた人のおごりだ、と、その高校はたたかれた。しかし、こういったことは身分の問題に原因があるのではない。悲惨な経験をした人のことを、その経験を共有しない人が、悲惨さを実感して理解するのは難しい。世間でこの問題をとりあげるのなら、そこの議論が必要だった。話を聞いて、理解できないのは、想像力の欠如だとしても、想像力が欠如した人には、別の仕掛けを使ってでも、理解させる必要があるだろう。この学校では、その後1年間問題を扱って、どう伝えるかということに関して話し合われた冊子を、学内あちこちに「ご自由におとりください」置いてある。真実は相対的に決まるものだと信じるような、自分で判断できない頭の人の場合、「やってはいけない」と言われなくなった時には、やってしまう。「つかまらないようにうまくやります」というような人にきちんと理解させる方法を、考える必要があるだろう。最近、「同情の余地があるかどうか疑わしい事件なのに、求刑より軽い判決が出た」こととか、長い介護の末に母親を殺した息子のような「同情の余地がありすぎるのに求刑が重い」という例とか、まるでディベイトのテーマになりそうな裁判のニュースがよくあがる。導入されるという陪審員制度のせいだろうけど、この制度は、たった一人の裁判官の誤った判断に左右されなくなる点は改善され、どこの誰に裁かれるかわからないという危険性は変わらず、法律に詳しくない素人が判断することの危うさが発生する。現在の刑法の不備の改正が、この制度で進むだろうという期待はあるが、この制度を導入する前に刑法の整備が必要だ。不法入国した外国人に、娘が性暴行をされた上に殺されたという父親が、無期懲役の一審判決を受けての会見で、「加害者に復讐するために控訴したい」というようなことを言っていた。正確ではないが、復讐ということばが入っていた。通り魔による暴行殺人など、被害者遺族の気持ちは、経験を共有にしない者の想像を越えたものであると思う。もしかしたら、小梨だから想像力が欠如しているのだ、といわれるかもしれないけど、復讐という言葉を使うことに、とまどいを感じる。そのような感情を持つことはもっともだと思うのだが、他人に理解してもらいたいことを言うのと、他人を理解させようとして話すのとでは、会話の戦略上少し違ってくる。人に伝えるというのは、なかなか難しいことだ。広島の検察は、非常に強い意志を持って戦っている人が多いのだろうか。先の、光市の母子殺人事件のことを思い出した。濫読している人のHP。http://www.ywad.com/books/index.htmlネタはちょっと古いけど、ノンフィクション系のコメントが興味深い。
2006年07月05日

タイの人で悪い人にはまだ会ったことがない。仏教の力は偉大だ。毎度地図をみて、タイの国土を確認するたび、「象の横顔のようだなぁ」と思っていたのだけど、「いいえ斧です」と言われ、国民はそう認識していることを知る。タイ人は、長い本名ではなく、ニックネームで呼び合うのが普通だ。ニックネームは生まれたときに名前といっしょに親がつける。「ノイ」は小さいという意味、「プー」はカニ、「ノック」は鳥だとか、タイ語の単語をわずかに知ることができる。ところが最近の若者には「ビー」とか、「ポップ」という人もいて、意味を聞いたら「蜂」と「ポップス」で、なんと英語でつけられていることもあるそうだ。世界は英語の波に飲み込まれていくのかなぁ。
2006年07月04日
早かったというか、長かったというか。あとは、最後のシメが必要。早く作らなければ。観客のほうは週に10コくらいのライブを、同時並行的に12回ずつきいているのだから、約120公演のうち、1割くらい何らかの理由で観にいかなかったりするんだろうけど、まあよく来たほうだなあと思う。3ヶ月公演って短いなぁ。観覧費、年に100万近く予め払っているということは、1回90分あたり4千円ではないか。ソロのコンサートのA席くらいだろうか?コンサートなら2時間以上、たっぷりあるというのに、高いなぁ。私企業じゃなくて、公務員のやる方だと、年50万で300公演くらいだから、1公演あたり、映画くらいの値段。でも高いよなぁ。まずまずの前半だったが、「プリントスクリーン」が一番ウケたということががっかり。必要だと思うこと、ちょっとすげーと思うことが、ズレているせいだろうか。「難しそうにみえる」というのがコツなんだろうか。
2006年07月03日
オス猿と人間男性の再放送をみた。また眠くなったがんばって見た。原題直訳なら「魔力をもった霊長類」とか「天才的な類人猿」。ヒトの男性が、攻撃的であることの例として、イギリスは殺人・暴行は女性の24倍、性犯罪は女性の263倍、終身刑の97%は男性ということだった。数字の記憶もやはりおおざっぱにしかあっていない。チンパンジーは、道具を使い、文化、言語、心の理論を持つという。最初の2つはともかく、あとの2つは実験と結果のむすびつけかたは少々疑問。 特に言語。「ぶどう」と「オレンジ」で、餌をもらうときの声が違うチンパンジーがいて、録音したその声をきいて、他のチンパンジーが写真でどの餌のことをいっているか区別して指差すことから、この実験でチンパンジーは言語を持つことを示すとしていたが、それではヒトの言語能力を越えていることになってしまう。音を区別しているというだけのことまで、言語を持つとするのは変だ。本当にチンパンジーどうしの言語だというなら、「ぶどう」をみせたときに、(そこの文化の)どのチンパンジーもほぼ同じような、共通した発音をする、ということは必要だ。例えば「鈴の音→ぶどう」「ブザーの音→オレンジ」のような、合図の音としての結びつけだって「言語がわかる」ことになってしまう。 また、チンパンジーがヒトが教えなくても道具を使うことは、この40年で初めて確認されたことのようにいっていたが、欧米の学会で知られていなかっただけで、地元のヒトは知っていたりするんじゃないかなぁ。 ヒトを理解するために、チンパンジーを観察する、ということでプロジェクトは成立している。(予算はそういうことで出ているのだろう)ゴンベというところで、小猿を肉食するチンパンジーに、ヒトの赤ん坊が食べられたという話からはじまっていた。ゴンベ以外のところでは、そういった凶暴性はみられない。 同属殺しをするのは、male(ヒトのオス)と、チンパンジーの2種類ということで、オスの本能として残忍性があるのではないか、という仮説の提示のところで前回は寝てしまったが、「そうではない。そんなのは本能ではない。環境によるものだ。」というのが、この番組の趣旨だった。 なぜゴンベだけ特別なことがおこったかというと、(観察してきた)ヒトとの関わりがあるせいかもしれないといっていた。 15年間定期的に餌をやり、その後22年間散発的に餌をやり、餌の奪い合いから、だんだん凶暴化してきたという。 一方、人口密度も高くない環境の森の奥で、はじめてヒトにあったチンパンジーの群れは、おだやかで攻撃性がなかったという。「ヒトが介在して凶暴化したのかも」ということで、ゴンベでも、この2年餌をやるのをやめたということだ。 安全が確保されながら豊かになり過ぎると、我慢の経験が少なくなり、それで凶暴になるというような仮説をたてたら、現代のモンダイではリアリティがあるとしてウケそうだ。 知性に関係なく餌が得られることになると、腕力さえ強ければいいということになる、というようなことかもしれん。
2006年07月02日
久しぶりに外食したら、・混んで待たされる・店内が不潔・やかましい・客層のがらが悪い・店員が機嫌が悪い・水も含めすべてがおいしくない・割高感で、陰鬱な気持ちになって帰ってきた。ああ無駄遣い。半分以上、のこしてきたよ。「ごはんつくりたくない」と言ったのが悪かった。スーパーでできあいのおかずを買ってくりゃあよかったのだ。しかし経営が変わったスーパー、惣菜がそそられない。揚げたものが、へにゃっとなっているのはだめね。結局ごはんを作る。3度手間だわ。
2006年07月01日
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