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ディスカバリーチャンネルの、「シリーズ:ゼロアワー」で「サダム・フセイン捕捉」を見た。http://japan.discovery.com/episode/index.php?eid1=849063&eid2=000000フセインのせいで冷や飯食わされて米軍に寝返った通訳が主人公。捕らえられ方は、麻原彰晃とそっくりであった。大金とともに部屋とはいえない狭いところに閉じこもり、問いかけられれば抵抗もなくあっけなく捕らえられてしまう。命令してやってきたことは大胆なくせに、自分の命だけは理念よりも大切、というケチくささが露呈。「しょうもない隠れ方をしてみっともない」という感じだ。生き恥をさらすくらいなら、と自害して果てるべき立場ではないか?通訳はフセインに「国賊」といわれ、かっとなり、「アラーの名をおまえがいうな」と「フセインの顔を何度も殴ってやった」と言っていた。(このあたりは、おそらくオウム事件とは違う雰囲気だ。)奇しくも今日のニュースでフセインについて、以下のような記事が出た。AFP通信によると、26日に死刑判決が確定したイラク元大統領サダム・フセイン(69)は27日、獄中からイラク国民あてに、「神が望むなら、私は真の殉教者に列せられることになろう」との声明を発表した。 死刑を受け入れる用意ができていることを示したものだ。判決は年明けにも執行される見通しが強いことから、フセインの事実上の遺書となる可能性がある。 フセインは声明で、激化する宗派抗争などに言及、「イラクの敵、侵略者、そしてペルシャ人が、あなたたちに憎悪のくさびを打ち込んだもの」と断じ、米国やイランを激しく非難。その上で、「信仰深き国民よ、私は別れを告げる。私の魂は神のもとへ向かう」と述べ、最後は「イラク万歳。イラク万歳。パレスチナ万歳。聖戦に万歳。神は偉大なり」と結んだ。自分が自国民にも恨まれている・・・ということは、たぶん信じていないでいるのだろう。と思う一方で、実際にイラク国民の何割が、いまもフセインを恨んでいるのかということもちょっと気になる。日本にはアメリカのバイアスがかかった情報ばかり来るので、案外わからん。フセインは宗教家ではなく、信仰の篤い信者である。(教えにそむいたことをしていたにしても)一方、麻原は宗教家である・・・はずだ。フセインは、神のそばにいけると信じられる(たぶん本当に信じているはずだ)けど、麻原は自分が編み出した世界観に、自分の死を想定していなかったのだろうか。とすれば、「麻原は、やっぱり真の宗教家ではない」ということなんだろうけど。麻原があんな風になってしまったのが、本人の意思によってコントロールされていったものかどうかわからないが、宗教家として全うするならば、フセインのような声明をするべきだったんじゃないだろうか。法廷で、脈絡もないところででも、「わが魂は永遠にオウム真理教にある」とでもいえば、遺された信者だけでなく、まだオウム信者じゃなかった人も、本物の宗教だと思って入信しただろうし、開祖の死後も何代も残る宗教になったに違いない。(いまは残る可能性が少ない)麻原も若かったよなー。34歳でオウムを宗教法人化。衆議院選挙に出ていた当時って、まだ35歳だったなんて。いま考えれば、そんな年齢で解脱なんかできるわけないじゃ~ん、って思うんだけど。ところで、このフセインの番組と、同じ時間に、NHKでプラネットアースをやっていたんだが、景色が美しいことはわかっているんだけど、ちらちらとしか見なかった。この番組は本当にいいんだけど、構成がちょっと気に入らない。なぜ、番組の制作裏話を同時に出すのだろう。たしかに「どうやって撮ったのかな?」と思うんだけど、その疑問にいちいちネタばらしして答えるのは親切だとは思えない。このショットを撮るのに何日かかったとか、失敗した映像はこれだとか、視聴者はそういう楽屋話を美しい映像をみた直後にききたいわけではない。緒方拳が似合ってないことはないんだけど、取材がたいへんだった話は、別の番組にまとめておけばいいのに、イギリスBBCはこうはまとめてないんだろうなぁ。お金や機材ばかりNHKが出して、しきるのがBBCだったんだろうか、とか思ってしまう。でも、苦労した話をしたい人に向かって、その苦労による恩恵を受けた側が「いまその話をするのはやめとけ」と制止するのは、情がないと思われそうだから、苦情として言いづらい。
2006年12月28日
「いきいき」という雑誌があって、CMをやっている。http://www.e-ikiiki.net/対象年齢は、高齢者。なのだが、「いきいき-50代からの生きかた・暮らしかた応援」という文句に、森光子を出してくるのはいかがなものか。現在50歳といえば、1956年(昭和31年)生まれである。森光子は1920年(大正9年)生まれの86歳である。50代にとって、親と同世代または親より上の年齢ではないか。たとえてみるならば、所ジョージや明石家さんま(51歳)に「高校生からのライフスタイルマガジン」の宣伝をされているようなものだ。仮に20代や30代に対象年齢を引き上げたところで、「はあ?」という感じだろう。森光子や日野原重明先生のような、高齢でも若々しくいきいきと働く人を目指せということなのかもしれんが、自分らの世代とは思わんだろう。下からみれば年をとればみな同じにみえるかもしれんが、当事者たちは決してそうは思っていない。90歳の人は、88歳の人に向かって「あなたは若いからいいわよ」とかいうのだから。編集とか製作がたぶん、20代とか30代前半なんだろうなぁ。若いころから知っている同世代タレントをすえるべきじゃないかなぁ。それこそ所さんとか、さんまさんとか。老後って感じはしないけど。読者層を拡大しようとして、50代もいれるのはちょっと欲張りすぎ。リタイアしてから読む雑誌と、リタイア前の準備雑誌では内容も視点も全く違うはずだ。「60代からの」というタイトルにして、石坂浩二とか出すべきじゃーん。たぶん売れないと思うよ、この雑誌。(逆手にとって話題にしようとしているのか?)
2006年12月27日
安藤優子さんをみると、昔の戦隊モノの紅一点を思い出す。どこなんだろうね。髪型とか、表情とか。絶世の美女ではないが、不細工というのでもない、気の強そうな女というか、多くの男性から支持されにくいというか、女性からの支持層も厚くなさそうだなぁというか。性的魅力という観点から見られにくい分、余計に「彼女は仕事ができる」と思われるようなところがある。安藤優子さんが結婚した。再婚でまた職場結婚で、また相手は離婚してくれて結婚できた人。安藤さんにしてみれば、たまたま好きになった人が、たまたま結婚していただけで、たまたまその結婚が傍から見ている自分にとって間違った組み合わせであると確信できるものだったんだろうけど。もう20年近く前だけど、ファッション雑誌でも化粧品とか洋服について、何でも欲しいものは確実に手に入れるべき、とか、向上心が大切とかいうようなことを言っていたよな。生活信条なのかな。前回は結婚4年で破綻したけど、今度は続けるのかもしれない。自分に課題をたくさん課せば、より自分が高められる…と思っている人は、無理にでも課題を設定しなければ自分が維持できない、という強迫観念があるのかな。なんか、苦行を続けて悟りを開きたい、といっているようだ。苦労している最中は、現実でないことに希望をみつけがちだから、その先は明るい世界があるような気になってしまうからね。悟りを開くためには苦行を続けたって意味がないということは、お釈迦様はお気づきになって、酢ジャータさんからミルク粥をもらったんだけど。最近のニュースで、よくわからないのが、12月21日に「一身上の都合」を理由に政府税調会長を辞任した本間さん(62歳)。どこが一番いけないポイントなんだろう。・同居人名義を本妻にしているのに実際は愛人と同棲していること・本妻の黙認の下で、元ホステスの愛人と同棲していること・「妻とは現在離婚協議中」という弁明に対し、妻は「違う」といっていること・民間なら月額50万円するような原宿の一等地にある80平米以上の国家公務員官舎を7万7000円で3年間借りていること。・かつて「官舎は全部売却すべき」という報告を書いていたのに官舎に住んでいたこと。・キャリア官僚しか住めないレベルの高い官舎なのに、大学教授のくせに月3回しかない仕事のために借りていたこと。なんでこれが退去して片付く問題じゃあなくなってしまったんだろう???世論が許さないとかって、世間はそこまでひがみっぽいのか?一点の曇りもない清廉潔白な人が好きなのだろうか?辞めさせたい別の事情があるんじゃないか?と思ってしまう。
2006年12月26日
日本の過労死をゼロにする方法に、こんなことがあったとは気づかなかった。この間、わからなかったことばの「ホワイトカラーエグゼンプション制度」これが導入されたら、会社が出した過労死というものはなくなる。経団連では「年収400万円以上」だったら、自分の裁量で仕事を考えることができるはずなのだから、健康管理も会社がしなくてもよくなるし、残業代も払わなくていい。経営側にとって、とても都合のよい制度である。年収400万円未満の人に、残業代と有給休暇をあげましょう、という話にはもともとできないので、人に使われているものはみんな平等に仕事にとりくめるという理想的な共産主義社会が実現できるのである。みんなで奉仕の精神を持とうという道徳的にもすばらしい制度である。この制度が導入されれば、いじめもセクハラもパワハラも幼児虐待も一切なかったような美しい昔に戻す動きにつながるだろう。日本の離婚件数もゼロにしよう。そのために婚姻制度をやめるのだ。少子化問題も解決する。養子が人間の子供でないといけないという制限を撤廃し、昔のような実際は誰と誰が親子だか夫婦だかわからないような大家族にもどすのだ。介護保険制度もかわったし、相変わらず世界一の長寿国だし、日本には問題が山積みだけど、数たくさんある日常の不安におびえ続けていれば、ほんとうに怖い大きな問題にまで気が回らなくなるので、相対的に小さな不安になやむだけですごせるようになる。勝ち組か負け組かって、日本に生まれただけで勝ち組である。はずである。でも、ほんとの理想的な国はブータンだとおもう。国のあるべき姿を強く追求できるトップがいる国はすばらしい。
2006年12月25日
最近ウルトラQをみています。怪獣による奇怪なことがおきて、打つ手なしで困って終わり。文明の発達に対する警告がこめられているのですが、救いがない怖さというより、必然性も何もなく、物語の構成としても気持ち悪すぎです。そのあとにやるウルトラマンは怖いんだけど必ず解決があるという期待を持ってみられるので、それが爆発的ヒットになった原因だろうなぁと思います。ウルトラマンには、まむちゃんが出ています。これほど見た目がかわらない人も珍しいです。三枚目役は複数いるのですが、まむちゃんは過激ないやみをいう若い隊員ではなく、ちょこっと年長でまっとうなことをいう役。本当はそういう人なんだよ、と思われているから、くそばばあとか言っても受け入れられるんだろうなぁ。今日はまむちゃんと立川談志と松尾貴史とがNHKラジオのクイズ番組に出ていた。まむしさんが最近買った一番高価なものは冬用タイヤだそうだ。苦労して全部とっかえてくれた人は「べりーたいやー」といっていたというギャグ。tiredとタイヤをかけるのは、使用はこなれているくせに発音はカタカナなので、バランスがおかしいのだけど、世代限定。近いのは、米軍人相手にハワイアンバンドとかやって小銭を稼いでいたいかりやさんみたいな英語。全員集合の学校コントの英語は、なまりが抜けない耳こぴの、ピジンっぽいっていうんでしょうか。クイズでは、いろはかるたをパロディにするというのをやっていたが、「猫にごはん」(猫にこばん)というのがばかばかしくて、いちばんおもしろかった。新宿の戸山で飲んできたというキムさんが、「これじゃあ遠山の金さんになっちゃいますねー」というギャグを言っていたのだが、案外日本人には思いつきにくいだろう。ところで、ウルトラマンもウルトラQもレギュラーの女が1人だけでいて、偉そうなことをいう割りにこいつがいらんことをして足をひっぱるので、他の男性隊員が迷惑こうむるという図。ちゃちゃをいれられれば、「んまぁ!」と怒ってみせるのだが、対等でもないくせに対等な気でいるような子供っぽいところを、「かわいいから許してやっている」という感じにまとめられている。そんなストーリーを繰り返し見て育てば、女は無能で邪魔だなぁと刷り込まれていくはずだ。ゴレンジャーシリーズも藤子F不二夫も、ほとんど紅一点ストーリー。最近の戦闘ものは、女子が主人公だったりするらしい。変身して、ご近所の難問を解決するというのではなく、悪と戦うジャンヌダルク的存在。悪の設定は現実社会にはリンクしていないものだったりするようだ。要するに美少女が一生懸命戦っている姿が見られればいいので、そのあたりはテキトー。アニメをみる中心層が、年齢一桁の子供よりも、永遠におとこの子でいたい10代~40代(?)のおたくな人たちだからである。
2006年12月24日

東京駅に国旗がかかっていて思い出しました。23日は天皇誕生日でした。陛下からのお言葉「今年も、残すところ、あと…」毎年誕生日はそうだわね。陛下は熱心に修礼(しゅらい)を行う方だそうです。賢所にあがったことがある人が言っていました。でも、皇太子時代は普通の昭和一桁なお父さんだったみたいです。『秋篠宮さま』という本に書いてありましたが、秋篠宮が子供のころうっかり飼っていた魚?を死なせてしまっら、そのまま寒い池に叩き込まれたというエピソードがありました。(兄ちゃんはそういうめにあったことはないそうです。そこまでやんちゃじゃなかったし。)http://www.amazon.co.jp/gp/product/4620312037いまの時代、そんなしつけをしたと言ったら、虐待と言われかねません。昭和40年代でも、過激なほうかもしれませんが、乱暴な男の子に対しては、そういうこともあるかもなぁと思います。この話、前にもここで書いたことがあるような気がする。それにしても、秋篠宮さまは40を過ぎたというのに、いまだにじっと座っていられないのが気になります。顔にさわったり、首を動かしたり。もう親も注意できる年齢ではないし、妻のいうことをきいて治せるタイプでもなさそうだし、ほかの人はまったく口出しできないだろうし。ひょっとしてごく軽度なトゥレット症候群なのか。一度神事を司ってみては?と思ったりも。歌会始めとか、ひとりだけ妙にごそごそしていて目立つ。
2006年12月23日
CMで連呼していて、何かと思ったよ。「ほふり」って屠殺場?じゃなくて、証券保管振替機構だった。http://www.jasdec.com/
2006年12月22日
図書館の本を返却しそこねてしまった。2度目である。貸出禁止のペナルティーが加算されていくので、早いところ送ってしまおう。交通費や時間を考えたら、持っていくのはたいへん。ヤマト運輸の普通で80円。書籍小包より安い。ごっふまん。もうちょっとまじめに読んでから返そうかなぁ。とかいっていると、また返し損ねるから、コンビニで出してこよう。
2006年12月21日
月々の12枚。1年分壁に貼られてしまった。カレンダー。おかげで来年の12月と見間違えて困る。来年は後期の月曜日は休みだらけ。ハッピーマンデーって埋め合わせしなきゃいけないからめんどうくさいだろう。
2006年12月20日
早起きしたら、おもしろい映画をやっていた。「生命の神秘」http://www.movieplus.jp/movie-detail/index.php?film_id=CS-0000000000009232-000ディズニーの自然番組。なにがすごいって、ナレーションの言葉遣いが古い!生態系のとらえかたの、男女の見方がいまだったら苦情がはいりそうな偏り方。「テッポウウオ」30年前は、教科書にも出ていたけど、いま「珍しいもの」として扱われないよなー。
2006年12月19日
SFチックなことが、六甲山でおきた。焼肉のたれをなめて3週間生きていたんじゃなかった。骨盤骨折して動けなくなった人が、砂防ダム近くで、「草の上で気持ちがいいなぁ」と思っていたら気がついたら3週間後の病院にいた、ということで。しかもその間に骨折が治っていたという、深刻な事故になりそうなことが、ほのぼのとした話に。よみがえり?2ちゃんで見たら、この35歳の方は西宮市役所職員。コーラスの団体でバーベキュー。なぜか彼の分だけロープウェイのチケットが手配されておらず、怒って「歩いて下山する」といったきり行方不明に。(指定席でもないのに、なぜ1枚だけないのだろう?)西宮市職員は連日ビラを配っていたということで、公務員が嫌いな2ちゃんねらーは「給料を返せ」とか「おれも冬眠したい」とか書いていたりする。ほりえもんは、いま一番何が怖いかと聞かれ、有罪になることでもなんでもなく、「死ぬこと」と答えたそうだ。オウム世代の弟分だ、とどっかの週刊誌に書いてあった。ほりえもんくらい金持ちだったら、冬眠技術が確立されている時に、不治の病だと宣告されたら、病が治療可能な時代まで冬眠していれば、病死は避けられる…と本気で考えてしまうだろう。子供のころは、長生きはあまりしたくないという人が信じられなかったけど、22歳からこの間まではたいしていいこともないし、あまり長く生きてもいいことはないだろうから、適当に切り上げられたらなぁと思っていた。いまは、やっぱりたいしていいことはないのだけど、それでも年をとれば考え方が変わるというのが面白いと思えるようになったので、一度も経験していない世代になってみたいと思うようになった。生きている人の大多数にとって、100歳過ぎた人が「90代はまだ若い」というのが、ジョークのように聞こえるんだけど、おそらく事実なんじゃないかと考えるようになった。できなくなることも増えるだろうが、やはりその年齢じゃないとわからないことはいっぱいあるはずだ。あと、今年の喪中はがきで、40代の息子さんの名前が書かれていたのがあった。突然の事故でした、と手書きで書き添えられていた。公式のように暗記していた使い古されたフレーズの「子供は親より先に死んではいけない」という言葉の意味が、はじめてわかったような気がした。子供がない上に、想像力とか思いやりとかが足りないと、普通はもっと若いうちに気がついているべきことが、遅くなるのかもしれない。そうやって考えると、世の中でよく「子供ができて初めてわかった」とか「子供がいないとわからないことが多い」とか言われていることのいくらかは、たまたま子供のいる年齢に、タイミングとして子供を見ていたときにそれに気づくというだけで、子供がいなくてもある程度の年齢になれば、気づくというものも結構あるんではないかと思うこともある。
2006年12月18日
今年はやけに知っている人が亡くなるなぁ、と思うのは年齢のせいである。訃報青島幸男岸田今日子油ののった30代だった頃から、年寄りだと感じさせないまま、つい最近まで活躍していた人が亡くなると、なんとも不思議な感じがする。石原さんと青島さんは同じ昭和7年生まれ、76歳でしたか。それは意外。だけどまあそんなもんかという気もする。(というか、石原さん、そんな高齢で未来のことなんか考えられるんだろうか。)戦前昭和も明治末期も大差なく感じるんだけど、昭和30年代と40年代は別のものと感じる。昔は昔なんだけど、生まれる前のことは分断された過去で、体験的な記憶にあるものは現在と連続した過去なので、古いことだというのはわかるんだけど、距離感がまったく違う。
2006年12月17日
テレビで脳の話を聞かない日はない。一番大勢いる世代が、これから老後生活になるわけだが、それが楽しい老後にできるかどうかは、体が丈夫であることと、脳がちゃんと働くことが前提だからだ。脳の劣化を自力で食い止められるならと、脳に効きますよということで、漢字ドリルとか計算ドリルとかが流行っている。ということなのだが、「脳に効く」と信じられるのは、それだけじゃあないだろう。この世代から現在の30代くらいまでは、子供の時代に、とにかく学校でその類のものをさんざんやらされてきている。当時はいやいややっていたことでも、やれば褒められたという経験もたぶんある。つまりドリルをやることで、達成すると褒められる気分になれ、脳が快感を感じるのではないか。また、子供時代にできなかったのは、ほかにしたいことがあって面倒くさかったとか、頭がまだ発達していなくてじゅうぶんに理解できていなくてできなかったとか、いろんな原因があったのだが、年をとったら「忘れた」ということにできるので、それも気楽になれる要素なのだろう。本当はほかにしたいことができないあるいは思いつかないという事情があったり、やっぱり頭はそんなによくなっていなかったりしていても、年齢のせいにできるというのは、個人の能力ではない要素が働いていると思えるので、公平なことだと感じられるんだと思う。
2006年12月16日
年間ライブが終わりました。おつかれさまでした。あたりまえのことですが、何度かやっているとうまくなりますね。はじめてやったものはボロボロで、やっとつかみかけたら終わりました。たぶん平均評定3.2を割ります。あああ。もいっこのほうも、あと1つ。仕事納めです。らっきーうっきー。
2006年12月15日
常に3つ用意しているというのに、いつも2つ忘れてしまう。なんだっけなぁ。今日のネタ。家康ゆかりの地といえば、東照宮の栃木久能山の静岡生誕地の愛知いずれもお祭りといえば、花火が目玉です。なぜ家康と花火が結びつくかというと、鉄砲伝来から50余年、大砲の技術でもって関が原の戦いを制した家康ですから、火薬を扱える技術者集団がいたからじゃあないか、という説を唱える人がいます。直轄地の者は信頼されていたから、許可されて火薬が自由に使えたのかなと思ったのだけど、技術を持つものが住んでいて平和利用として伝えていった、という説のほうが、大人の男の仲間入りというイニシエーション的な位置づけとなっていることからしても、整合性がありそうです。もっと調べてみなけりゃわかんないけど。
2006年12月14日
おもしろいかどうかよくわからない専門書を買ったら、うちにあった。迷って買ったけど、読む気がわかず、積読状態だったのが、本棚の肥やしになってしまった。大学時代、30代の先生が、「本を間違って2冊とか3冊買っちゃうことがよくあるの」と言っていて、なんでそんなバカなことがおきるんだろうと思ったけど、ダブる買いは30過ぎてから、数回やっている。彼女は「本の重みで家の床が抜けてしまったの。だから、申し訳ないけど今日は休講ね」という電話をくれた人。そりゃもっと高頻度であるわな。要は、交通事故にあう人の多くが、長距離乗っている人であるということと同じである。確率は一定。銀座に行って驚いた。宝くじ売り場、チャンスセンターは、1時間待ち。確率は一定かもしれん。しかしあたる絶対数は増える。100万分の1なら、100万枚以上売れていれば「常にあたりが出る」わけだ。あたるような気になってしまう。こんな寒空に突っ立っていないで他になんかすればいいのにと思うのだけど、でも時給3億円と思えば安いわね。
2006年12月13日
仕事の関係で仕方なく読んだものが4点。読む勢いをつけるために楽しみで読んだものが2点。やはり現代文学は好かんものも多いなぁ。自作評を語っちゃう作家は(しかも若い)、すべて痛いと思うんだが、かっこいーと思う人もいるんですかねぇ。勢いをつけるための本で、向田邦子恋のすべてというのを読んだのだが、文体こそ丁寧なものの、どうかするとワイドショー的な暴露本で、死んじゃったら個人情報保護とか関係ないのかなぁと思って、ちょっとつまらない気分になった。
2006年12月12日
貪瞋痴(とんじんち)ということばがあるということをはじめて知った。仏教のことばで、むさぼることと、腹を立てることと、おろかしいこと。とんじんちを捨てなさいというのが、棄貪瞋痴で(き・とんじんち)。ことばの意味は、別にぴんとこないんんだけど、音の配列が日本語らしくなくて、わらってしまった。この年齢になるとめったにそう腹のたつこともないけどな、と思っていたんだけど、考えてみたらそんなに他人と濃厚にかかわる環境にいないということなんだろう。ああ平和だ。ひまだ。
2006年12月11日
「せんせぃ~。ニンジャはむかしホントにいましたか」「いたらしいよ」「ほんとですか。じゃあ、むかしの人はみんなよくニンジャをみましたか」「へ?」・・・人にみられて忍者だと気づかれるようじゃあ、仕事にならんわなぁ
2006年12月10日
週刊こどもニュースのような、サイエンスゼロみたいな、番組のタイトルなんだっけな。NHKだ。調べてわかった「科学大好き 土よう塾」だ。前回のはとはどうして首をふるの?http://www.nhk.or.jp/daisuki/galileo/onair20061202.htmlこれはよかったらしい。しかし今回、「ヘンな生き物スペシャル(2)~深海のヘンな生きもの~」呼ぶ人間違っているんじゃないのか?チューブワームについてやるなら、それでいっぽんしぼっとけ。深海のふしぎをどうして「あは体験」とやらに結びつけねばならんのだ。
2006年12月09日
法案がどういうのが通るとかあまり関心がなかったのだが、「年収が多い人は、労働時間の制限をなくしましょう法案」と「パーキンソン病患者が増えすぎたから軽症の人には援助するのをやめましょう法案」が、通ろうとしているのを反対している人がいるというニュースをきいた。労働時間の制限なんて設けてあってもぜんぜん守っていないんだけど、法律でおすみつきとなったら、なんでもありだ。というか「働くべきでしょ」ということ。ホワイトカラーの人は個人の裁量で決められるはずなんだからって、んなわけねー。しかも法案の名前がきもちわるい(意味がわからない)カタカナ名前だった。覚えられない。パーキンソン病は5万人の「予定」だったのに、それを上回っているらしい。保険適用外にして、安い薬で副作用に耐えてもらうか、高い薬が買えない人にはもっと重症になって適用されるまで待つかしてもらおう、という話らしい。他の難病の人たちにとっても公平になるように予算を使おうってことなんだって。(パーキンソン病関係に強い学閥が医学界で弱いということなのかな?)税金がらみの法案って、いつもこんなものばかり作っているものなんだろうか?どういう未来を作ろうというのだろう。
2006年12月08日
NHKラジオの気象情報気象予報士の名前が、ヨコヤマヨーコという。何度きいても♪港のヨーコ、ヨーコハマ・ヨコスカーを連想してしまう。
2006年12月07日

散歩中にみた紅葉が見事だったので写真を載せます。
2006年12月06日
かなり自分がわかっていない、ということがわかってきました。井原西鶴って絵がじょうずなんですね。はじめて知りました。でもたぶん習っていることなんでしょうね。同じ先生なのだし。覚えていないことは思い出せません。また覚えようとすることは覚えられません。
2006年12月05日
ピジンとクレオールについて説明しました。おおむね納得してくれたのですが、一部わからないという声がありました。説明している側も実はよくわかっていないこともあるので、来週までに調べなければ。クレオールの意味はわかる。しかしクレオールとなっている(と思われる)ものを、なぜ「ピジン英語」とかいうのか。クレオール化したという状態を指す名詞?おおいに勘違いしているコメント「ピジンになりたいです」なにをどうとらえているのでしょう。ピ人というつもりなのかな?
2006年12月04日
大学生の男女の会話「超ひどいっていうか、もう悪いほうのベストテン入り確実だよ」「えー、それってワーストテンっていうんじゃないの?」「あ、そうか。そうともいうね」これを聞いて「マイナスが大きくなる」という表現を思い出しました。有名進学高校生男子の会話「おまえ生物やった?」「いまやってる。おとといノーベン。昨日超あせった」勉強をしていないことを、のーべんというようです。有名私立小学生女子の会話「ほんとにもー、あなたにはほとほとあきれるわ」「えー」「あなたがね、あなた自身がやったことでしょう」お母さんの口調がコピーされているのでしょう。
2006年12月03日
「おい、車がたいへんだ」といわれ、何がおきたのかと思ったら、スライド式の「ドアが落ちた」というのです。日本の車で、日本の出来事とは思えません。みにいったら、テープが貼ってありました。部品が届くまで修理できない、といわれたので、仕方ないので車を貸してやりました。おかげで日中、歩ける範囲でしか行動できません。バス使うか。駐車場内は「遊ぶな」という看板がいくつもあるんですが、それでも遊ぶのによい広さ。うっかり子供が近づいてドアが落ちてきたら、持ち主の安全管理がいかんとなるのかな。かといって「ドアが落ちるかもしれないので、ここで遊ばないでください」と書くのもなぁ。というか、そんな臨時の表示を書いたところで、字が読めない子供には意味がないしな。
2006年12月02日
めんどくせーのを作り直しました。助詞問題は選択にしました。採点担当が、狭い判断基準しか持っていないのがいらつくので。それでもなお複数回答が出てしまいそうになるのが難しいです。ex.あの星はイギリスの科学者(によって・に・が)発見されました。学習段階の上では「によって」のみ正答なんですが、・に…迷惑受身・が…尊敬どれだって正解です。だから、ex.あの星はイギリスの科学者(によって・について・で・を)発見されました。という具合の選択肢になります。「について」も同時期に習うので、勘違いしやすいポイント。動詞の前はとりあえず機械的に「を」にしておけと思うのもいるので、ダミーになります。「で」は、科学者の意味がわからず「イギリス」に反応した人が選択することがあります。そんな調子で、受験者の心理を考えて4択を100問くらい考え続ける作業は、けっこうたいへんでした。
2006年12月01日
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