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ひじょーにショッキングなことがあり、3日で2kg太りました。さらにショック倍増。人命とか健康とか、人間関係の維持とか犯罪被害とか、そのどれにも該当しないことなのですが、一瞬、しにたくなりました。お金。ここ10年間、悩みどおし。明日から減量。
2006年03月31日
作りました。工程<1日目>大豆を計量し(30kg)、五右衛門風呂のような釜にいれ、水に浸す(バケツ10杯分)。<2日目>五右衛門風呂に薪をくべ、4時間ぐつぐつ。豆をすくい出し、ミンチの機械にかける。機械は元は手回しのものを、近所の人が古い洗濯機のモーターをとりつけてくれ、自動になる。にょろにょろ出てきたあつあつの豆をこね、煉瓦状にする。81個のかたまりができた。ミートローフとか、小型の食パンのようだ。あたりまえだが、おからより濃い。豆のにおいも強い。なんか、日本の食品を作ってるっつーより、中近東とか南米とかの主食にこういうものがあったんじゃないかなぁと思ってしまった。豆の煮汁は、アフリカあたりでおかゆとか呼ばれていそう。豆の煮汁は「あめ」とよばれ、味噌漬けにする予定の野菜を1週間つけておくそうです。無駄がないよ。モッタイナイの国は。塩とか麹をいれたりする味噌らしい工程は、再来週。
2006年03月30日
さむいところにいきました。ユキヤナギのように、雪がうっすらとふりつもっておりました。寒い地域は、梅→桃→桜なんて順番はなく、全部の花が一気に咲いて、そのまま躑躅に続く。樹木の花はどれも咲いていなくて、土手のふきのとうをとって味噌で和えてたべた。
2006年03月29日
某人事「A・B・C」の順に並んだ「B」だろうと推理したんだけど、「B・C・D」の中の「C」だったようだ。微妙にはずした。Dって誰のつもりだったんだろう。2ヶ月に1度の通院(皮膚科)の日。「どーですか?」「少しよくなりましたが、やはり薬ゼロというわけにはいきません」「花粉症は?」 先生はマスク姿「アレルギーテストしていただいた結果みて、無いとわかってから平気になりました」「はは。アレルギー反応だけじゃないって言われてるんですよね」「ところで私、過去にじんましんになったときのことを思い出して、傾向がわかりました」「傾向」「太ったときに出るんです。で、この半年間痩せてないんで、ずっとじんましんが出っぱなし」「太る原因は、ストレスとか?」「いや、食べ物がおいしいとか」「へー」「で、思ったんですけど、これって痩せれば治るんじゃないかしら」「まあ急激なダイエットは皮膚にも悪影響があったりするので、でもバロメーターになりますね」というやりとりをしたんだけど。急激なダイエットができるような若さもないし強い意志もない。慢性じんましんの原因は、たいてい特定されていない。やたらと量たくさん食えるということは、ホルモンバランスとかが崩れているからかもしれない。食べ物が何でもおいしく感じられるというのは、実は軽いストレスの症状なのかもしれない。食べているときは幸せだ。もっとストレスがあるときは、食べても幸せにならないし、何を食べてもおいしくない。満腹はすぐに来る。出かけるのはめんどくさい。家の中は狭いしあまり動かない。でかけるための服がない。服を買いに行くために着ていく服がない。どうにかありあわせを着て買いに出かけても買おうと思った服が入らない。買えない。の循環。サイズダウンまで、あと5kg。吊るしが何でも着られる姿になるまでは、あと10kg。太ってよかったことは、風邪をひかなくなったことだけだしなー。痩せたほうがいいのはわかっているけど。
2006年03月28日
ソメイヨシノが5割くらい開花していて、春だなあとは思うものの、とりたててわくわくとかいそいそとか嬉しい気持ちにはならないのは、新しいことが始まるというような気分になる4月じゃないからなんだろうということにした。だが、天気予報の中継で、日本人の心のたましいのとかはしゃいでいる声を聞くと、「ケっ」と思ってチャンネルをかえてしまう。このごろはどこへ行ってもソメイヨシノだらけで、くどく感じてしまう。陳腐にみえてしまうのだ。敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花ものすごい数の古典名作を読み倒していたというのに、こんな下手くそな歌を作って、本居宣長自身も相当にもどかしく思っていたかもしれん。「それは何?」と聞かれることがもしあれば「これ」って答えるというのじゃあ、うまい歌とはいえないだろう。「古典文学をいろいろ読んできたけど、漢詩の叙景詩では見かけないこの景色は、和歌ならでは表現できる絵だ」というような感じかなあ。もっと精神論に踏み込んでいたものなんだろうか。本人は、軍人さんたちとか右翼さんとかに好まれるようになるとは、思いもよらなかっただろうなぁ後世の人は、さくらというと貴様と俺のソメイヨシノを思い浮かべながら口ずさんでおったのではないか。本居宣長の生きていた間(1730-1801)には、ソメイヨシノはまだ存在していない。
2006年03月28日
スパゲッティが食べたいと思ってスーパーに行ったのに、つい「半額」シールの貼ってあったきしめんを手にとってしまいました。で、べろんべろんとひらべったいきしめんに、たらこクリームソースをかけてたべました。
2006年03月27日
1日見ていて、ペンギンについて、急に詳しくなった。http://www.ucatv.ne.jp/~pengin/suizokukan/penguin/emperor-penguin.htm腹這いで滑るのもかわいい。血縁関係が認められないくらい似ていないオウサマペンギンの親子。コウテイペンギンがとりわけかわいいのは、昔の新幹線の顔に似ているからだ。コウテイペンギンhttp://moviewalker.yomiuri.co.jp/schedule/0000/mo3624.htm昔の新幹線http://www.pahoo.org/athome/vehicle/jrcentral/0a.shtm種を越えても、赤ちゃんはみんなかわいい。http://www.babyanimalz.com/index.htmお好きなコを壁紙にもっていって。
2006年03月26日
勝手に有料チャンネル、押されてしまいました。もったいないので、見ました。2ちゃんで、この映画の過去スレをあさりました。映画の概要の説明でうまいのがあったので、載せておきます。10羽の父ペンギン 妻から卵を預かる 一羽がうっかり割ってしまい 父は9羽になった 9羽の父ペンギン みんなでハドリング 一羽が足から卵をこぼし 父は8羽になった 8羽の父ペンギン ブリザードに耐える 一羽が力つきて凍死し 父は7羽になった 7羽の父ペンギン 妻をヒナと待つ アザラシに二つの命を奪われ 父は6羽になった 6羽の父ペンギン 妻がもうすぐ帰るのに 一羽が餓えてヒナを見捨て 父は5羽になった 5羽の父ペンギン 餓えた者の行進 一羽が途中で餓死して 父は4羽になった 4羽の父ペンギン 帰りを待つ母子 ヒナが晩冬の嵐にやられ 父は3羽になった 3羽の父ペンギン 母達のヒナ争い 巻き込まれたヒナが圧死し 父は2羽になった 2羽の父ペンギン ヒナを保育園に預け 一羽の子がカモメに食われ 父は1羽になった 1羽の父ペンギン ヒナの羽毛が生え変わり 繁殖期も終わって 誰もいなくなった 「967 名前: 名無シネマ@上映中 2005/08/27(土) 23:45:36 ID:5V+LKNUX 」という人の作品です。マザーグースのパロディ。http://www.ffortune.net/symbol/poem/goose/tenboys.htm
2006年03月25日
買いました。最近のは、どれも新幹線と同じく、ひらべったく丸いんですね。かものはしのようです。IHにするかIH圧力にするか悩みましたが、圧力のほうは、「毎日おべんとうを作る人におすすめ」とあったので、そんなに高いものを買う必要はないかなあと思って、IHにしました。圧力だと、冷めてもおいしいということなんでしょうね。「毎日冷飯を食う人にもおすすめ」とあったら、心がゆらいだかもしれません。久しぶりにごはんがうまいです。炊飯器というか、やっぱり電気釜なんでしょうか。パンも焼けるし、煮込み料理もできるそうです。しかし、それを作っているときは、ごはんは炊けません。
2006年03月25日
壊れました。しょぼしょぼのごはんしか炊けません。悲しい。土鍋で炊くなんて、面倒くさくてできません。早く買いに行きたい。ネットで下調べ。ものすごく世の中が進んでいてわけがわからない。IHがいいか。マイコンがいいか。
2006年03月24日
さんまの恋のからさわぎという番組の外国人版みたいなものだ。雨上がり決死隊というのは、引き立たせ役らしく薄味で司会にちょうどよい。みんな日本語がうまい。べらぼーにうまい。話すだけなら、1級以上のレベルだ。日本か自国かどちらかの文化に偏り過ぎることもなくて、くったくなさそうにあれやこれや忌憚のない意見を言っている。既婚者も未婚者も両方混じっているというのもおもしろい。金髪碧眼で関西弁のメラニー。http://melanieg.exblog.jp/梨花と研ナオコを足して2で割ったような美貌だけど、はるかに頭のきれのいいフィフィは、この番組の象徴的人物だ。http://fifi2121.exblog.jp/
2006年03月23日
野球界は、子どもの頃の「将来の夢」を実現させた人ばかりいる珍しい業界だ。それにしても、日本の野球選手もずいぶんごつい顔が増えたな。スポーツの試合は、地元中心の視点から報道される。国際試合は、自国側の立場からしか報道していない。「宿敵韓国」なんてテレビで言ってて、無駄に煽るなよと思った。日本という国の民は、「応援することで、国民一体となった横の連帯感を感じられることが嬉しい」ということに感動のポイントを求めているわけではないと思うのだが、そうやって見ている国の人は、日本国民もそうやって見ているのだと思うんじゃないかな。ただ優勝を喜んでいるだけではなく、アメリカに有利なルールが敷かれ、その中で優勝したと言って、舞い上がっているところがある。「アメリカが日本に敬服している」ってのは言いすぎだ。どういう立場の人がどういうニュアンスで言ったのか。最後の三振を「何度みても嬉しい場面ですね」とか、MVPの選手について「世界が感動しました」とかいうアナウンサーやコメンテイターに、どこの国のメディアも似たり寄ったりかなと思った。参加していない国はもともとそんな試合をやっていることすら知らないだろうし、敗退した国はもう関心が薄れているし、相手の国は感動なんかしないのに、世界から脚光を浴びている気になってしまうのが国際試合の不思議なところ。まあでも、王さんの嬉しそうな顔というのは和む。報われてよかったねと思う。王さんは謙虚だ。(諸君という単語を口頭で聞いたのは久しぶり。)なべつねさんあたりは、どうせ優勝できたのなら長嶋さんだったらもっとよかったのにとか思っているかもしれん。
2006年03月22日
「マジカル・ミステリー・クラシック」href="http://www.jeo.jp/sugitetsu/">http://www.jeo.jp/sugitetsu/美しき青きドナウ河のさざなみ殺人事件 ハトヤのカルメン幻想曲だったん人の踊り ナイトラウンジ編とか。おもしろいです。
2006年03月21日
いかりや長介さんのご長男の書かれた『親父の遺言』読みました。息子さんは、こんな方です。36歳。3児の父。http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/02number/200407/07adf2.html思ったどおり昭和な男だったのだなぁと思いました。子どもを叱るときは「おいおまえ、ここ座れ」とか。昔、祖母の家で、「8時だヨ!全員集合」を見ようとしたら、祖母に「リーダーのいかりやって男は、糟糠の妻を捨てて愛人と結婚するような人だから見てはいけない」という理由で禁じられたことがありましたが、真相は少々違うようでした。(小学生の子どもに、下品だからではなく愛人云々と言うばーさんも、よく考えたら変なのですが、欽ちゃんはまだOKという線引きをしていました。欽ちゃんの糟糠の妻は元ストリップ劇場のダンサー)癌の闘病記は壮絶。
2006年03月20日
玄関、砂だらけ。ドアが内側なのに真っ黒。目が痛いよ。花粉症は化学反応。これは物理的反応。大掃除。ついで、大物洗濯もした。乾燥機があれば、どんな天気でも何でもござれ。洗ってしまったので、最も嫌いな家事が待っている。「布団カバーかけ」毎度、布団の中に入って格闘しながら、なんでこんなことをやらねばならないのかと、きーっとやつあたりしたくなる。ホテルマンの裏技というのをやっていた。・まずカバーを全部広げる。・布団をたたむ。・たたんだままいれる。・広げるとかいうのだった。ささっ、ぱっぱ、って感じだったけど。しかし、その方法でもそれほどうまくはいかない。腕が痛い。
2006年03月19日
しばらくログインしていなかった。11113 2006-03-19 12:52:08 220.77.*.* 11112 2006-03-19 10:51:58 ***.inktomisearch.com 11111 2006-03-19 02:13:14 *.tsukuba.ac.jp 11110 2006-03-19 00:27:30 ***.inktomisearch.com 11109 2006-03-18 23:57:18 ***.ad.jp 11111番さん、おめでとうございます。前後は機械的な検索です。
2006年03月18日
救命講習を申し込みに、近所の消防署へ歩いて行った。管轄によって開講日が様々なのだが、そこは一般の部は再来月ということだったが、急いでいるわけではないので、その日にすることにした。講習は、9:00~12:00、テキスト代1400円でどこの自治体でもやっている。以前から関心があったのだが、以下の記事が出た今日がよいきっかけだろうと思ったので、消防隊員さんから説明を受け、申し込みを書いてきた。まだ2ヶ月もあるから、忘れないようにしなきゃ。カレンダーに記入。「駅員、自動体外式除細動器で迅速手当て 「心肺停止」男性救う」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060317-00000021-san-soci大江戸線駅内「訓練の成果出た」 駅で尊い命が救われた。東京都新宿区の都営大江戸線の都庁前駅内で十六日、自動体外式除細動器(AED)を使った駅員の迅速な手当てで、心肺停止だった都内の男性(65)が一命を取り留めた。AEDは心臓に電気ショックを与え、心機能を回復させる機器だが、対応が遅れると救命率が下がる。一般人のAEDによる救命は都内では初めてといい、時間との勝負に、駅員たちは「訓練の成果が出た」と話している。 男性が駅のエレベーター付近で倒れたのは十六日午後一時二十五分ごろ。都交通局都庁前駅務管理所の堀口定和副所長(57)ら駅員四人は男性に心臓マッサージを繰り返しながら、一月に駅に設置したばかりのAEDを使うことを決断した。 心停止後の救命率は一分ごとに7-10%ずつ下がる。既に二、三分が経過していた。堀口副所長らは、使用法の講習を思い出しつつ、電気パットを男性の胸に当て電気ショックを与えた。再び心臓マッサージを続けると、男性は「ブォー」と大きく息を吹き返した。男性は病院に運ばれ、現在のところ命に別条はないという。心配そうに見守っていた男性の妻は、「(倒れたのが)駅でよかった」と話した。 AEDは一般使用が認められた後、教育機関や駅など全国の公共施設に設置されつつある。昨年六月には愛知万博で、医学生四人が心肺停止の男性を救命した例がある。 ◇【用語解説】自動体外式除細動器(AED) 心臓の心室が不規則にけいれんし、血液を送り出せなくなる「心室細動」が起きた場合、電気ショックを与え、心臓のリズムを正常に戻す機器。使用は医療従事者に限定されていたが、救急車の到着まで時間がかかるため、平成16年夏から一般使用が解禁された。(産経新聞) - 3月17日2時46分更新AEDのニュース検索結果http://nsearch.yahoo.co.jp/bin/search?p=AEDどこも「新しい機械」としてニュースになっている。これから受講者も急増すると思う。
2006年03月17日
ジェンキンスさんの『告白』という本を読みました。貧しい家庭に育ち、年齢詐称して軍隊に入り、おべっかをつかって昇進し、ベトナムに派遣されるかもしれなくなった将来に悲嘆して、ロシア経由で帰れるんじゃないかと安易に思って非武装地帯を徒歩で逃亡し、そのまま囚われの身になり、他のアメリカ人脱走兵とその家族とで小さなコミュニティで生きてきたという半生が綴られています。脱走米兵のうち2人が病死しています。なくなった人たちの性格については比較的良い人として描き、現在唯一生き残っている人のことは、ほとんど悪く書かれています。自分に対しても暴行等ひどいことをしたやつだから、どうせもうどうなってもいいから、ぼろかすに書いているのかなと思っていたのですが、よく考えたらそうではありませんね。「北朝鮮の犬」という言葉は、こちらからみれば罵倒語ですが、向こうにいる人にとっては良い人として認識されます。裏切り者のジェンキンスに与しなかった立派な人物ということになります。つまり、今後もうそこで暮らすしか道がない友人の平和な生活を守るために、そこを強調して書いたということも考えられます。周囲が狂っている環境の中では、一緒になって狂ってしまうか、冷静に演技するかどちらかでしか、生命が維持できません。そこで何十年も自分を保ってこられたのは、すごいことです。絶対的な力関係が崩せない世界にいて、「賢く生きる」ということは、いわゆる頭脳明晰であることではないということが、よくわかります。頭がいいと言われる人は、相手の矛盾をついて抹殺されるか、相手の理論を完全に覚えようとするか、どちらかになってしまいます。従順にしてみせることはできても、忠犬にはならない。つまり「馬鹿だから仕方ない」と諦めてもらう部分を、(実際に馬鹿であるかどうかはともかく)残すことが、そうした世界で生きていくのに、最も必要な力になるんだということがわかりました。全てを告白することはできないんだろうとは思いますが、国家に軟禁されていたときの人生観は、たぶん事実だと思います。「1990年代後半、私たちの生活はある種の単調なパターンにはまっていた。私もあきらめていた――娘たちはやがて工作員になり、数年後には二度と会えなくなるかもしれない。そしてひとみと私は20年近くそうしてきたように代わりばえしない日々を送っていくのだ。立石里に住み、畑を耕し、あるのは互いの存在だけで、それを最大限に生かしていくのだ。そして、北朝鮮で死ぬ。それは100%確実だった…2002年9月17日になるまでは。」その国に生まれ育ったわけでもなく、他の世界を知っている人だから、ここまでの絶望感があるのです。日本やアメリカのような国にいても、こうした感覚を持つ状況も生まれることもあると思いますが、どうにもならなければ、引越したり、転職したり、あるいは離婚したりと、自分の意志で改善できる余地はあります。周囲の環境を変える権利が一切ない。まだ大勢の人が、この諦観を抱えながら、かの地で生きているといるのです。ひとみさんに対する気持ちについては、真実以上のことを書いているんじゃないかと思います。ジェンキンスさんは、曽我ひとみさんと知り合って40日で結婚式をあげています。ジェンキンスさんのプロポーズのことばが良いです。(実際は朝鮮語だったはずですが、インタビューをまとめた本なので英語直訳調です。)「次に連中が君をいつ、どこの、どんなところへ連れて行くかわかったものではない。私と結婚すればここに居られるということだけは確かだ。そして少なくともここはいやではないと思うし、ここなら安全だということはわかっていると思う。私を愛していないのは知っている。こんな短い期間では誰だってそうだろう。そして正直に告白すれば、私もまだ本当に君を愛してはいない。でも愛せるようになると思う。君もいつの日か私を愛してくれるようになると、私は思っている。私たちには普通の男女のようにじっくり結婚を考えている時間も余裕もないんだ。この国では何が起こるかわからないから、明日にも連中は君をよそへ連れて行ってしまうかもしれない」結婚できた理由については次のように自己分析しています。「第一に、ひとみに優しくして、なんでも彼女を第一に考えて行動したこと。たばこの火をつけてやり、一番よい食べ物をまずひとみにあげ、家具を作り、贈り物をした。第二に、二人がお互いによく知り合うことができるよう、一切邪魔をするなと幹部たちに言ってやったこと。そして第三に私がひとみに正直な気持ちだけを伝えたことだ。ひとみには私が必要なこと、私たちはお互いを必要としていることを。そして、彼女を守ると約束したのだ。」確かに、ここまでされたら、どんな人でも結婚したくなるかもしれません。(一番よい食べ物をくれる人、というのはポイント高いです。)ご長男が生まれてすぐになくなったそうです。「私は悲しかった。そして息子が生きるチャンスも与えられず死ななければならなかったことが哀れだった。しかし正直なところ、むしろ妻のひとみのことを思うともっと悲しく心配になった。私は平壌商店に行き、ひとみの好きなスルメイカを買ってやった」好物にそんなものしかあげられないのが悲しいけれど、そうやって思いやりをもって「お互いの存在を最大限に生かして」ひっそりと暮らすしかなかったことを思うと、胸がつまります。日本の生活でも、完全な自由を手に入れたとはいえません。朝鮮語も英語も使えませんし、自分の家族や長年互いに辛い日々をともにしてきた仲間と話すこともできません。佐渡での生活は、北朝鮮よりもはるかに良いので、文句を言える立場にないということはわかっているだろうし、長年しみついている習慣も手伝って、日本に住んでいる限り悪く言うことは絶対にできないと思います。ただ、「彼女を守る」と約束して始まった夫婦関係が「かかあ天下」に移行してしまったことは、少々不満なようだということはわかりました。現代の日本の感覚だと、まだ60代なら、隠居するのは早い気がします。ジェンキンスさんも、何かやりがいのある仕事を見つけられるといいなと思います。
2006年03月16日
去年は4時50分に行きました。今年は2時30分に行きました。最終日、それも期限ぎりぎり。会場は、どこか似たような雰囲気の人が多いです。「他者にあまり配慮しない」というような…。身なりとかもテキトー。順番待ちをしているはずなのにいつのまにか順がくるう、それでいて抜かされた人の間でピリピリした空気にもならない。ペンとか糊とか備品を借りる程度のことで、いちいち断りをいれない。書類を机の上に全開に放置したまま、席を離れ、隣の机にある電卓をとりにいく。なぜか財布まで全開にして荷物を広げている人もいる。ちゃんと周りのことを考えられるなら、もっと早くに行くか、還付金の入金日が遅くなるるけれど、3月16日以降にやるとか、社会の流れを混乱させるようなことはしないもんだからでしょう。でも実はわりと、この日本人らしくない雰囲気、気に入っています。
2006年03月15日
「たまにはお土産を買ってきてくれてもいいんだよ」といって、送り出したら、エルメスの箱を3つ持って帰ってきました。ばかでかい財布みたいなものぐにゃぐにゃやわらかい皮の小さめの手帳。キーホルダーとはちょっと違うくさりのついた飾り。自分では買わないものばかり。
2006年03月14日
他国の話横領と強姦で逮捕されたはずの人、すっかり音沙汰ないのでてっきり刑に服しているんだろうと思ったら、結局刑事訴追されなかったそうだ。で、刑事訴追されていないということなので、職から追放されてしまったことに関して、身分保障のための裁判をおこしているところなんだと。昨年6月の新聞記事によると、「強姦は時効として扱われる見込み」ということで、事実があったことそのものは否定されていない。裁判をするということは、勝ちたいと考えているのだから、「辞職させられる理由はない」と信じているわけで、もし勝てば「事実がなかったことになる」と、お墨付きをすりかえて利用できることになる。法律上の刑事罰(時効)と大学の倫理規定(事実)は別なので、裁判には勝てないんじゃないかと思うんだが、どうなるかはわからない。大学の倫理規定に論理的な破綻がないことを祈りたい。それで、あんたはどうするつもりなんだときいてみたところ、「様子見」という答えがかえってきた。ここまできて、なんでまだ様子を見たいのだときくと、「彼の功績として、実際に優秀な学生をこちらに回してくれたということがある。彼の教え子には、罪がないから、守ってやりたいし、彼の教え子が師を思う気持ちは尊重したい。彼を支援する彼の先輩もまた後輩であるから助けたい。あなたたちは彼の下という立場だろうから、わからないだろうけれど、できの悪い弟のようなもので、情があるから自分は断罪はできない。上の方からも「この件から手をひけ」と言われているが、だからといって「まったく知りませんよ」と無視することは自分にはできない。それに、事実があったと言っている人がいるだけであって、自分は被害にあったわけでもないので、それが本当のことかどうか実際に確かめられない。」ということだった。経由してきた学生に対して責任を感じてくれるのは正しいことだけれど、それとこれとは別にできることだろう。学生のことを「親が犯罪者である子ども」のような立場で捉えているのだろうけれど、この件では「社長が犯罪者だった元社員」のようなものとして接することが必要なんではないか。向こうの国の社会が、徒弟制度を死守しているとはいっても、かつての師との結びつきを強調しない方向に誘導するべきでしょう。何よりもいらつくことを確認するために、「それで事実の確認のしようがないといったら、仮にあんたの娘が強姦されたと言っても、「できの悪い弟のしたことだから」ということで許してやることができるのですか」ときくと、「反省すべき点は反省して欲しいと思うが、それは彼の問題だから。」たぶん「家族」のような“気分”なんだろうけど、なんともぬるい回答。応援するというのは、責任もついてくるのですよ。責任をとれる自信がない人が、応援してはいかんでしょう。「じゃあ仮に、御大の恩師が脱税して捕まったとしたらどう対処する?」と例えられたが、抽象的な存在である国を騙すのと、生贄を設けてなぶりもてあそぶのとは、犯罪の質が違うでしょう。それに、架空の話ではあるけれど、どういう意図で犯罪を犯したかと考えると、御大なら「その金でみんなを幸せにしたい」という小さいなりにも社会に対する還元を考えるような人であると思うけれど、やつは「自分が幸せになるために利用できる人だけを大切にする」ということしか見ていないから、全体のバランスが悪くなってしまうような人なので、「ルール違反」ということだけで、同列に置くのはおかしい。「法律」と「倫理」は、また別の問題だ。「でも実際にどんな背景があるかということは、あずかり知れぬことだから、結果だけをみる」というのだが、どうも信念がない人とは、複雑な話をするのは難しい。罪を認め反省し、それなりに別の業界で社会復帰をすることは大いに結構なことだが、こういう恥知らずは、どんな手を使っても元の“名誉ある”業界に戻ろうと画策するだろう。それまでの経歴を生かし、他国で母語の講師をするということが考えられる。推薦状を書いて欲しいと頼まれれば、断れないだろう。書いたら採用される可能性もある。手癖の悪さはまだ治しようがあっても、女癖の悪さは性格だから一生治らない。露見して懲りたから、今度はばれないようにうまくやろうとするだけで、未然に防ぐということにはならない。情があるから、彼の希望に沿うようになんとかしてあげたいと思うのなら、かねてから最終目標としていた温泉経営の夢とか、もっと彼にあった仕事につけるように支援するべきだ。金銭的な援助が無理なら、その商売の発展に関する広報活動に協力するとか、実際に客を連れて行くとか、そういう形で応援していけばいい。自分のできることが業界で優位にいる自分の立場だけであるからといって、それを利用して協力したいというのはだめだ。教育業界には復帰させてはいけない。
2006年03月13日
電車がとおって、急激に発展している町に行った。知らないビルができて、知らない道がとおっていて、なんだか再婚されて後妻に勝手に建替え・模様替えされた気分。
2006年03月12日
たいへんしみったれた話です。買い物をしたら1987円になりました。駐車券発行カウンターにレシートを持っていったら、店員さんに、「駐車券サービスは2000円以上からとなっておりますので」とつきかえされてしまいました。2000円ラインは、その地域にしてはちょっと高いです。近隣の他の店は1500円からサービスチケットを発行してくれます。サービス券をもらえなかったら、駐車料金を400円払うことになります。勝手な言い分ですが「損して得を取れ」というのは商売の基本ではないでしょうか。「えーと、一応2000円以上からなんですけど、今回だけは特別にサービスしておきますね」てなことを小声で言われたら、少なくとも、また来ようという気持ちになりますし、次回は2000円以上になるように計算して買おうという気にもなれます。500円くらい足りないというのなら、そういうものなのかとあっさり引き下がれますが、わずか13円足りないだけです。あらかじめ、こちらから「ごめん、今日だけお願い。また来るから」と頼んで合意を得るのがベターだったかもしれませんが、そういうことをいえる雰囲気も作れそうにない店員さんでした。もしも自分たちの作った規則を厳密に守らせたければ、「13円払え」という態度でいた方がいいでしょう。つまり、10円くらいの駄菓子や切手など、差額を調整しやすい商品をカウンターに並べておけばいいのです。清算を終えたのに、もう一度、売り場に戻るのはめんどうくさいので。ところが、この店は、お目当ての高価な商品が品切れだったという客に対しては、「もうしわけございません」と言って、何も買っていないのに駐車券を発行したのです。品揃えが悪いことを店側の落ち度だと判断するのは、筋がとおっているのかもしれませんが、今後も太く利益をもたらしそうな雰囲気だけを持っている客と、割引商品ばかりだけれども一応買い物をした客を、このように目の前で差別されては面白くありません。杓子定規に断ったのは真面目そうな若い店員、お金持ちそうなお客様に臨機応変な接客をしたのはベテラン店員なので、同じような対応にはならない、という事情もわかりますが、腑に落ちません。「買い物額に応じて」というサービスがある場合、裏技があります。別の駐車場ですが、何も買うものがなかった場合、2000円分の図書カードを買います。そのレシートで駐車券をもらいます。で、次回はその図書カードを使って本を買い、そのレシートで駐車券をもらいます。よく考えたら、同じ日でも、商品券を1000円分買って領収書をもらい、その商品券で品物を買ってレシートをもらえば、実際は1000円しか使っていないのに、2000円分の買い物をしたことになります。金券が絡むと、どこにも不正がありません。で、金券を買ってもよかったのですが、小額のレシートを拾って、それでサービス券を発行してもらいました。不正は不正なのですが、差別されて気分を害していたので、まったく罪悪感はありませんでした。でももしかすると、これは窃盗罪になるのかもしれません。
2006年03月11日
むっちゃ混んでおりました。金帰月来の単身赴任サラリーマンがいかに多いかわかりました。
2006年03月10日
渡辺徹ナレーションの『地球ドラマチック』で、ナツメヤシについて放送していておもしろかった。イギリスは良い番組を作るね。「アラブ~ナツメヤシの恵み」http://www.nhk.or.jp/dramatic/backnumber/48.html色といい、ツヤといい、樹上に実った状態の重量感といい、ものすごく魅力的な食べものにみえる。アラブ人にとってナツメヤシとは、韓国人にとってのキムチ、信州人にとっての野沢菜のようなものである。で、いろいろと他のサイトも見ていて思いついたクイズ問題。問題:ナツメヤシの果実は、熟度に応じて名称を持ちます。次の(1)~(4)の名称は、それぞれどのような状態をさすか(a)~(d)から選びなさい。(1)キムリ(2)クァラール(3)ルターブ(4)タムル(a)成熟してやわらかい (b)カリカリした(c)天日で乾燥した(d)未熟なヒント:日本語の語感にだいたい近い。答え:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%84%E3%83%A1%E3%83%A4%E3%82%B7
2006年03月09日
にちゃんの化粧板にある美容法に、垢を貯めて角質を厚く培養しようというような内容のタイトルのスレがある。目的は美肌なのだが、それまで、いわば悪魔としてとらえられていた角質を、天使として扱うという逆転の発想だ。しかし「角質を除去して美しい肌になろう」という今までの常識が間違っているという意味は「角質を除去しても美しい肌にならない」ということでしかないんだが、これを「角質を培養して美しい肌になろう」と過剰にこじつける。スレ内容をよく読めば、要するに、「こすったり剥がしたりして、無理に顔の皮をいためつけるようなことはしないで、丁寧に洗顔し、じゅうぶんに保湿しよう」ということなのだ。玄関の掃除に例えると、床を紙やすりを使って汚れを剥ぎ取りってワックスをかけるということを毎日やったら床が減るから、丁寧に掃き掃除して水拭きしましょうといっているようなものだ。この掃除法を「埃をためて汚れを培養しよう」とは言えない。今までの常識を覆すためには、過激な言い方じゃないと人目をひかないのだろう。美容法や健康法って、名前と実態があっていないのが多い。というか、誤解を招きやすいタイトルのものが多い。例えば、「痩せたい人は食べなさい」というタイトルのものが流行ったことがあるけれど、「痩せたい人は(好きなだけ)食べなさい」のではなく、「痩せたい人は(絶食をやめて)食べなさい」という意味だったりする。「あれはダメ」「これもダメ」という禁止だらけの世界で、それをきちんと実行している人にとっては、唯一許可されたものだから効果があるのだ。美容法の場合、自分にとって効果があった美容法を過激なタイトルで紹介した人がいて、そのあとにそれを信奉した人が続き、「なんということでしょう」という具体的な効果を述べたり、写真をアップしたりすると、信者が増えていく。これまでも、何らかの従来の美容法を信仰してきちんと実施してきた人たちなので、別の美容法にものめりこんでいく。垢ためスレでは、今までが間違っていたということを強調するために、「パッティングなんてもってのほか。コットンふきとりは角質をはぎとることになるのでダメ」「美白系は化粧水でも尿素配合だと角質を排除してしまうのでよくない」「垢すりエステは、色素沈着をおこすので、絶対にやめましょう」「ヒアルロン酸も避けなきゃね」など、従来のやり方を禁止事項にすげかえ、不安に陥れるくらい強く訴えたりもする。そんな中で、スレをじっくり読んでいない人でも簡単に信者になるので、「我慢できず、ピーリングしてしまいました」「時々ならスクラブ洗顔してもいいと思うよ」というのが出てきたり、「顔を洗わないで過ごしています」「化粧水もやめました」などという、ただの不精者が出て、それが「効果があらわれないけれど、このまま続けます」とか言い出しちゃうので、「それは間違っている」という具合になっていたりする。スレを読んで、ひとつだけ、なるほどと思ったことがある。よく、細かい泡で洗顔しましょうというのはきくけど、石鹸をネットで泡立てるってのと、押すと泡が出る洗顔料の違いがよくわかっていなかった。洗顔料は洗いあがりはさっぱりしているんだけど、時間がたつといまいちな感じがしていたのは、界面活性剤が多いからなんだな。暇なので、化粧をしていないのにクレンジングでマッサージして、石鹸で顔を洗って、ぱしゃぱしゃと化粧水をしみこませていたら、化粧もできそうな肌になってきた。もともと角質除去などしていなかったので、垢をためるのをやめて、普通に手入れしているだけである。ついでに、たまには玄関もせめて掃いてこよう。
2006年03月08日
牡蠣かマンゴーか。救急車呼ぼうかと思ったくらいしんどかったです。
2006年03月07日
コンビニで時々遭遇する母子連れ。いつも、3~4歳の男の子に、「動き回るんじゃないっ」「おとなしくしていなさいっ」と大声でしかりつけ、大量コピーするお母さんなので覚えてしまった。先日、このお母さんのあと、コピーをしようとして、蓋を開けたら原稿が残っていた。同人誌用とおぼしき「やおいもの」だった。それもショタ。ファンタジーを理解する人なら、それもありかということなのかもしれないが、例えば、これが父娘でロリコン漫画だったら、寛大な目で見られんでしょう。なんか嫌だなぁ。こうした趣味を持っていることの良い点としては、「お母さん、あんたの恋人が男の子でも驚かないからね」という鷹揚な対応のできる親になれることがあるともいえるが、「ただし美少年だけね」と実はものすごい偏見を持ってそう。
2006年03月06日
テープで繰り返し繰り返し「本日は、ひゃくえんきんいち、ひゃくえんきんいちです」と連呼するスーパー。それを言うなら“ひゃくえんきんいつ”だろうに、と思っていたら、「百円均市」という札がぶらさがっていた。確かに、“いち”だ。
2006年03月05日
国会がそう言ったみたいに言うNHK教育「週刊こどもニュース」の解説員の説明がおかしい。委員会の名前もものすごいけれど、懲罰のひとつに、「謝罪をする」というのを検討するという説明は、ちょっと違うんではないかと思う。謝ることが罰だというのなら、他者によって謝罪するかどうかを判定されることという意味になる。謝罪は、自発的なものであってこそ、意味があるんでしょう。強要されるまでしなくてもいいということになると、論理的にも倫理的にもおかしくなる。
2006年03月04日
昨年はひな祭りに、いろいろやってみたけれど、今年は何もなし。入念に耳掃除でもしようかな。少し前の話題になった、ヒトの耳垢についてhttp://www.jst.go.jp/pr/info/info248/index.htmlつまり、本来湿性の耳垢をもつ人類が、突然変異で耳垢の出ない人が発生したということなので、乾性の耳垢ってのは、実は耳垢じゃなくて、皮膚のはがれたもの、フケみたいなものなんですって。ところで、この研究は、日韓共同研究だったようで、韓国の報道では、日本人は70~80%が乾性、(てことは20~30%が湿性)韓国人は90%が乾性なんだということもとりあげられています。http://www.donga.com/fbin/output?f=k_s&n=200601310008で、韓国人の方が北方モンゴロイド系の純血を保っていて、日本人は南方系の血が混じっているのではないかということを言ってるんだけど、報道という場に掲げられていると、読者は「ウリの方が純粋」といって喜んでいるんじゃないかとつい思ってしまう。韓国人で湿性≒腋臭の人は肩身が狭いだろうな。芸能人でも、日本はここ50年ほど、日韓(朝)とか日米等、両親のいいとこどりのハーフが多いけれど、韓国ではハーフのタレントというのは聞いたことがない。というか「あいのこ」は直訳でいうところの輸出の運命をたどることが多いらしいので、芸能界以外でも見かけない。韓国で美容整形が盛んなことは有名だが、整形手術に対する考え方、というか身体感覚として「本来の姿」の捉え方が日本人と大きく異なる。日本では整形外科と形成外科(美容整形)は別のものとして捉えるが、韓国ではあまり違いがないようだ。日本人の場合、美容に拘って手術を考えると「親からもらった身体に傷をつけて」という考え方が浮上するので、生まれたままの状態が「本来の姿」という捉え方になっていることがわかる。そのため最近は美容整形がメジャーになってきているが、「ノイローゼ直前になったため、やむなく」という精神的病因をあげるか、あるいは「プチ整形」などといかにもそれがささやかなものであるということを強調する。けれども、韓国人は「悪いところがあったら治す」という捉え方で、歯列矯正と同等な感覚で取り組むところがある。つまり「本来の姿」は不具合のない状態として捉えているのである。そして、遺伝子レベルでは、先祖から脈々と受け継いでいることが「本来の姿」となる前提なのだと思う。
2006年03月03日
玉葱、あめいろになるまでいためて、本格的なのを作ってみました。あめいろって、砂糖(カラメル)と玉葱くらいでしかきかない色ですが。たいへんおいしかったのですが、…なんか腹具合が悪いです。ぐぐぐ。。。
2006年03月02日
今年も残すところ、わずか10ヶ月となりました。今月もよろしくお願いいたします。しつこいようですが、永田議員。経歴をあーだこーだいうのがいやらしいことなのは承知なんですが、ほりえもんにしろ永田議員にしろ、共通するのは「せっかく良い学習環境にいたのに、極端な上昇志向のせいで、そこでのメリットを生かせていない」ということが問題だったと思うのです。中学時代は、高校受験勉強を一生懸命したのでしょう。それは問題がありません。結構なことです。入試偏差値に違いがあっても、塾高だろうとシキコーだろうと、そこでの勉強を一生懸命していれば、希望する学部に入れます。でも、エスカレーター式の附属に行くメリットって、面倒くさい受験勉強なんかしないでも大学に行ける保証があるので、その分、趣味なり思索なりに専念する時間を大きくとれるところです。中には、高校時代に特別にやりたいことがみつかって、それが上の大学にないということから、やむなく受験に向かう人もいますが、その場合、進学校と違って授業は受験対応ではないので、強い意志が必要です。つまり、高校の授業を無視して、大学入試用の勉強を自分でしていくということになります。試験対応の勉強というのは、あらかじめ定まっている正解に向かって、疑いを持たずに取り組むという形になります。参考書や問題集には、誤植レベルを除いて、基本的に嘘は書かれていないことになっています。そこに書かれている内容を信じ、受験世界に対する自分の信仰心みたいなものを信じ続けていけたものが、受験では希望通りの結果が得られるということになります。まだ普通の進学校なら、クラスメートとの交流の中で勉強していくことができたでしょう。永田議員のように、周囲はしていなかったり、高3の夏休み以降から受験勉強を始めたというほりえもんのようにスタートダッシュが遅かったりすると、他人は他人、「同士」という感覚は持ちにくかったと思います。で、希望通りの「大学」に入れたけれど、おそらく希望通りの「学部」ではなかったので、また屈折が始まります。世界一のヒマラヤ山脈には、チョモランマやK2があるように、文化一類法学部あるいは理科三類医学部があります。おそらく、彼らのような目立ちたがりは、一番高い山・難しい山を目指したい気持ちが強くあっただろうと思います。工学部でも、文学部宗教学科でも、そこでの勉強をきちんとやっていれば、あのような思考回路にはならなかったはずですが、せっかく入った8000メートル級を目指す登山隊が、「マナスル?ヒマラヤ山脈にあるの?」「マカルーって、どこ?」みたいな世間および自分の評価があるようなところだったので、登山以外の方法で達成できることを考えたんだと思います。で、授業そっちのけで、ほりえもんは事業を、永田議員はまたもや国家一種の試験勉強に邁進していったのでしょう。あとから「もっとやりたいことが見つかった」という説明もしてそうですが、実際の動機は、18歳の時点で力が及ばなかったために「トップの中のトップになれない道」を自ら選んでしまったことの後悔から、逃避的に別の方向へ行ったのでしょう。ヒマラヤ山脈の山でも、マッキンリーでも、キリマンジャロでも、富士山でも高尾山でも筑波山でも、登頂あるいは結果的に断念するにも一度は登頂を目指すという体験があれば、あのような幼児性万能感を抱えたままの視野狭窄には陥らなかったと思います。大学はどこでも、入学することより、そこで自律的に学ぶことに意味があるのです。ところで、鳥のオリンピックでは、メダルが1個しか取れなかったので、連日同じ映像が流れています。以前、ウリナラは世界中から注目されていて誇らしいという放送を繰り返しみていたころを思い出します。愛国心って客観的にみると、親バカまるだしってのと似ていますね。親バカであれば、どんな子どもでもかわいいのですが、それでも今回の荒川さんは非常に品があって良いです。テレビ的には、顔をくしゃくしゃにして喜び叫んでいる選手の方が盛り上がるんでしょうけど、まだ24歳のスポーツ選手に対し、コメンテーターが「尊敬しますね」と思わず言ってしまうような威厳があるせいか、特に見たいわけではありませんが、繰り返し放送されていても、チャンネルをかえたくなるような嫌な感じはありません。おそらく、10数年後のクイズ番組には、「このポーズはなんというでしょう」という問題が出題されるでしょう。「あー、なんだっけ」という中堅と、「え、わかんなーい。まだ2歳だったし」という若手タレントがいる図が容易に想像できます。因幡宇和。
2006年03月01日
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