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定価で洋服買うのが苦手なんで、アウトレットにいった。遠かった。しかしそんなに安くなかった。7万円が3万円になってもお値打ち感はない。アウトレットもリサイクルショップも、良い品は客の多い土日にあわせて出すものだ。もともと平日はいまいち。それにどこに何があるかわからないから、無駄にたくさん歩いた。だからあまり買えなかった。3千円のシャツと千円のシャツ。よく頑張って探した。あとで調べたら、三井系列のはそんなに安くないというネットの書き込みが多かった。まあでも海岸でも遊べたし、いいとするか。
2006年10月31日
最近の造語ってへん。1.食育「基本的な食習慣の育成」でいいのに。浸透させる前から短縮語みたいでおかしい。概念が「良いこと」と分類されていることなので、おかしいというと言葉尻をとらえて、その運動に反発しているような雰囲気になるのがもどかしい。大辞泉「育」で終わることばを検索(××教育など合成語を除く)1 あい‐いく【愛育】 7 か‐いく【化育】15 きく‐いく【鞠育】18 きょう‐いく【教育】21 くん‐いく【訓育】 22 くん‐いく【薫育】38 し- いく【飼育】39 じ- いく【慈育】49 じょうそう‐いく【条桑育】57 せい- いく【生育】58 せい- いく【成育】70 たい- いく【体育】71 ち‐いく【知育】81 とく‐いく【徳育】82 はつ‐いく【発育】83 ひ‐いく【肥育】84 び‐いく【美育】85 ふ‐いく【扶育】 86 ふ‐いく【傅育】 87 ふ‐いく【覆育】88 ぶ‐いく【撫育】91 ほ‐いく【保育】 92 ほ‐いく【哺育・保育】96 よう‐いく【養育】 もしかして一番近いのは「蚕に、枝についた桑の葉を与えて飼育する方法。」という49の条桑育かな。「食で育てる」違うか。給食を出すとかじゃないみたいだからな。「知育・徳育・体育」は、「~をもってする、~のための」という意味である。食育はどうも「~に関する」という意味で使っているようだ。具体的な方法がわかるものならいいんだけど、「食育」ってことばは、なんとなくニュアンスが伝わるだけという外来語のような感じ。2.振り込め詐欺命令形+名詞というのは他にないんじゃないか。まだ「振り込ませ詐欺」ならマシか。オレオレ詐欺のような、自然発生的な語と違う。警察発でマスコミで浸透させようとしている語。「オレオレって言わない架空請求も含む」ということからなんだろうけど。多額の送金に、銀行員にあやしまれて質問されて答えるときに、「息子に振り込めっていわれたんです」と言われてハっとなるような効果がある…とか期待しているんだろうな。「振り込め詐欺などの架空請求」とニュースではくどい言い方をしているけど、実際に振り込むまではいかなくても、信じる人は多いらしい。職場では、「電話があった」という人がおおい。みんな「最初はそうかと思った」という。電話で泣いている息子に「だから言ったでしょう。お父さんにしかってもらいますから、早く帰ってらっしゃい」と説教たれたお母さんもいる。あとできいた息子は憮然としていたというが。100万・10万・2万、各家庭の経済事情にあわせた請求が来るようだ。それで思い出したが、うちは数年前に、KDDIからブルネイに長時間通話をしたという請求書が来たことがある。ブルネイなんて、かける用事はまったくない。それに国際電話をかけるときは、別会社でかけていた。しかも通信記録時間には誰もいない時間帯が記されていた。その数年前、同じようなことがあった独身男性もいた。かけてもいないキプロスにかけたことになっている、ということで請求され、「ピンク情報にかけたのだって外国に繋がっている可能性もあるんですよ」とかいやらしいことを言われ、「そうはいってもその時間帯は会社にいっていて、かけようにもかけられないんだから」というと、「じゃあその証明をしてください」といわれ、「どうぞどうぞ、会社にきいてみろ」と会社の電話番号を教えてしまったら、「やっぱり記録があるんで払ってください」という請求の電話が会社にかかってきて、あいつはピンク情報に電話するやつだと会社に誤解されるのもいやだったので、諦めて払ってしまうということだった。どういうことなんだ。KDDI。実は利益を増やすための工作員がいたということだったのだろうか。諦めて払う必要はない。かけてないものには払いませんと答えたが、そういうわけにはいかんとかイロイロ言われ、やっぱり「自宅にいない証明を」と言われたが、本人がいないって言っているのをなんで信用しないんですかと言い返してやって、相手もかなりしつこかったのだが、それでも使ってもないものに払うのは納得がいかないので、ぜったいに払いませんと言っていたら、半年近く請求書が来たが、無視し続けていたら諦めたようだ。簡易裁判以外は無視するのがよい。騙されそうな世代である親には、「振り込めという電話をかけることは決してしないから」というのだけでは、効果はあまりないだろう。親なんてものは、子供の万一のことはありうると思う人が多い。むしろ「本当にお金が必要なときには、直接借りに行くから」というほうが理解してくれるだろう。もう1つ「仮に請求があったとして、言われた番号じゃなくてこっちにいれてよ」と、自分名義の通帳かカードを渡しておくのも手だろう。判子は渡す必要はないし、残高は開設当時のままの1000円でよい。知覚できる物があると、失敗は減らせるだろう。なんか話が本題からズレちゃった。まあいいか。
2006年10月30日
怒れるの読み方は普通「いかれる」だわな。わが母語には「おこれる」という自発動詞があって、これにぴたっとはまる1語が標準語にないことを残念に思う。「頭にくる」とか「いかりがこみあげてくる」というほど激しくないし、たぶん近いのは「むかつくー」なんだけど、このような従来の使用法とのズレがあるようなものでもなく、おこれちゃうのである。「超むかつくー」は「どおこれるー」にほぼ近いが、怒りの対象への攻撃性は低く、気軽に使うことができる。自発動詞が豊富なんだろうか。「おぼわる」というのがあるのだが、無理やり暗記するんではなくて、自然に覚えてしまうことをさす。「歴史はなかなか覚えられんけど、地理は好きだから自然とおぼわっちゃう」というような使用法になる。だから、先生たちは「おぼえようとするから大変なんだ。この程度のものはおぼわってしまいなさい」と無茶な要求もしたりする。「おぼわる」は標準語では使用していなくても、おそらくその意味は直感的にわかるだろう。おぼえる→おぼわる (-える→-わる)のパターン[他動詞][自動詞]変える:変わる横たえる:横たわる伝える:伝わる 加える:加わるまじえる:まじわる据える:据わる・・・と、二段動詞(2グループ)の他動詞の自動詞形に同じパターンがあるからだ。では、おこる→おこれるこの派生関係はどういうことだろう。いずれも[自動詞]である。・・・と思うだろう。ところがどっこい。・花子は太郎に怒ったという標準語としての使用も可能なのだが、・花子は太郎を怒ったという他動詞の使い方が可能なのだ。「叱る」と「怒る」の区別は、文法的には・花子は太郎を叱った(他動詞)→太郎は花子に叱られた(受身)・花子は太郎に怒った(自動詞)→太郎は花子に怒られた(受身)となる。「♪あ、いかりやに、あ、おこられた」(加藤茶)のようにフツーに標準語でも使う受身だ。意味は叱る:目上から目下に対象に対ししつけをする(という意味をこめて怒ってみせる)こと怒る:(立場の違いは関係なく)対象に怒りをぶつけることという感じ。ちゃんと叱る先生より、単に気まぐれで怒っている先生が多い。行為の受け手に非は少ないので、傍観者である生徒・児童は「太郎はたまたま運が悪かったのだ」と他人事のようにとらえる。だから恩恵というか被害の方向を、行為の受け手に共感して視点をあわせるということがない。そのため受身形ではない形で「先生が太郎を怒った」という。同じ場面について、傍観者が「先生が太郎を叱った」と表現することは少ない。「太郎が先生に叱られた」となる。叱るのは、被害ではなく恩恵寄りになり、太郎の罪は非常に重たいものになる。「~をおこる」に対し、「~におこれる」の意味は、怒れる:(立場の違いは関係なく)対象に怒りを抱くことになる。ついでにいうと、・花子は太郎が怒れた。(自動詞)ではなく、・花子は太郎のことが怒れた。になるのが自然なような気がする。標準語の場合、「怒りをぶつける」という意味ではなく、「怒りを抱く」という意味のとき、「彼女、私に怒っているんじゃないかしら」とか「彼女、私のことで怒っているんじゃないかしら」とか「に」とか「で」でなく、「彼女、私のことを怒っているんじゃないかしら」という用法は普通にあるんじゃないか?よくわからなくなってきた。
2006年10月29日
ある資格がとれるところで、「誰でもチャンスがあります。会員になりませんか?」といわれ、会員になったものの、自分が資格がとれないことがわかったら「そんなの詐欺だ」といえるかどうか。「こっちは高い金払ってんだぞ」と怒鳴れば、なんとかなるもんだろうか。(それは違うだろ、という立場で以下話を進める。)例えば600Wのドライヤーは2000円くらいで買える。1200Wのドライヤーは5000円以上する。1200Wのを買って、パワーがイマイチなら、品質を疑い交換を要求することもおかしなことではない。しかし、「お客様、ドライヤーは電源につながねば使用できません」ということであれば、交換の要求は間違っている。プラグはコンセントにさす。そんなの基本だ。なのに「おまえが説明しないのが悪い」と苦情を重ねられる…というようなことが実際にあるのだ。「取り扱い説明書をお読み下さい」ということで、売る側の責任は回避できるのだが、これを「電力会社と契約を結んでいないコンセントは電流が流れていません」ということまで書いていなければ、「落ち度だ」というようなアメリカ的なことが、日本で実際にあるのである。もっと事実に近い、わかりやすいたとえをすれば、「メタボリック症候群の人なら誰でも5kg痩せられる道場」最新のトレーニングマシンと有能なインストラクターがいて、プログラムがある。高い入会金を払って、会員証をもらった。なのに痩せない。半年間プログラムどおりの日数、毎日通っているのに。という相手に、「インストラクターの話もきかず、毎日トレーニングマシンを使わずにベンチでごろ寝しているような人は痩せられません」と答えて、「誰でも痩せられるという言い方が詐欺だ」と苦情を言われるようなケース。肉屋で5kgの肉の代金を払えば5kgの肉を買えるように、道場に5kgの肉の代金を払えば5kgの肉を減らしてくれるはずだ。というように短絡的に曲解するのはバカじゃねーのと思うのだが、高い金を払ったのにと騙された感でいっぱいになっている相手はもうなりふり構っていられない。「仮に会員全員がプログラムを忠実に守ったとして、本当に5kg痩せさせることができるのか、そんな根拠はどこにもない」と言う苦情をいう。道場をはじめたばかりなんだから、データ上の根拠は出せない。しかしその自信はある。根拠は自信だ。それは最初から言っている。「自信なんて不確かなものだから、こうやって実際に結果が出せていないじゃないか。システムの欠陥だ」と怒り出す。ならばはじめからサービスの提供を受けなければいいのだ。無理やり契約を迫ったわけでもなく、自分から選んで道場に入門しているのだから。だいたい「全体に結果が出せていない」ということが問題であるといえる立場はオーナーだ。あなたが現在困っていることは自分に結果がでていないという個人的事情だけのはずだ。システムそのものに欠陥があるからあなたに結果が出ていないという因果関係ではない。「システムに全く欠陥がないと断言できるのか」「・・・」「ほらみろ。答えられないじゃないか」こうなれば文句がいえればなんでもいいという状態に突入。個人的に困っているだけなのに、被害者意識が高ぶり、連携して解決しようとする。「この中で結果が出ていない人、他にもいるでしょう」と呼びかければ、「あのぅ、私は毎日ちゃんとトレーニングマシーンを規定の時間どおりやっています。なのに1kgしか痩せていません」とかいうのも出てくる。毎日ハードな運動をこなしつつ毎日4000kcal食べているぶーこちゃん。「インストラクターの食事指導もプログラムの一貫です。それは最初に言いました」と説明しても、「ならばそこを強調すべきだ」「道場にいない時間まで拘束するとは看板に偽りありだ」と騒ぎだしているので、インストラクターの仕事はトレーニングマシーンの使用法を説明するだけではありません、インストラクターの話はすべてプログラムの一部なんですよ、という説明も言葉尻をとらえるのに熱心になる。「インストラクターは栄養士ではない。栄養士でない者の話など信用できない」「そうだ。だいたい資格をもっていないものが公然と指導していいのか」「有資格者を雇うべきだ。こっちは高い金を払っているんだからそのくらい準備しろ」もう何がなにやら。そこまでの予算はありません。周囲がなんか自分のために心配して騒いでくれているらしい、いつもぼんやりしているぶーこちゃんはじーんと熱い気持ちがこみあげてきた。「わ、わたし、インストラクターに言われたとおり、大好きなチョコレートをガマンしているんです。本当につらいんです。なのになのに」ぶーこちゃんは泣き出す。ああかわいそうなぶーこちゃん。周囲のでぶ仲間は同情しはじめる。高カロリーなチョコレートはダメ、それなら腹にたまる野菜にしなさいと言った指導法が悪かったね。ぼんやりぶーこにもわかりやすく説明したつもりだったのに、それが仇になったんだね。「結果を出したくて3倍努力したんです。3倍の運動量、そして食事にも3倍気を使っているんです…。毎日大嫌いな野菜ばかり食べて、食べだしたらとまらなくなるチョコレートを、本当に頑張って1口も食べないで毎日過ごしていると、わたし何のために生きているのかさえわからなくなってしまうくらいつらいのに・・・、なのになのにどうして痩せさせてくれないんですか。ひどいじゃないですか。お金を返してくれるだけじゃ納得できません。私の時間を返してくださいっっ」いままでほとんど食べていなかった野菜を食べるための工夫をしている。さくさくした精進揚げとラードをたっぷりつかった八宝菜とマヨネーズをいっぱいいれたポテトサラダにして食べている。大好きなチョコレートをたって、かわりにイマイチおいしくない湿気たポテトチップスをもそもそと食べてがまんしている・・・(ああ。油脂も高カロリーだということは何度もいったのに、何が油脂でできているかという説明が1つ1つ教えてもらえなかったから、関連性は全然わからなかったと言うんだね。ぶーこにはカロリーブックをみせて指導したこともあったけど、実はほとんど理解できていなかっったんだ。それに気がつかなかったインストラクターが悪いと言うんだね。あれは100gあたりのカロリーだって説明、ちゃんときいていなかったのかな。100gで300kcalだったら、300g食べれば900kcalなんだよ。それと1人前のカロリーが表示されたレシピを3人前食べれば、3倍のカロリーをとることになるんだよ。ぶーこは九九ができるから大丈夫だと思っていたインストラクターの見通しが甘かったと言うんだね。)「ああ辛かったでしょうね。よくここまで一人で頑張りましたね」。。。などと精神科医の殺し文句みたいなことを言ってあげるのはタダだが、どうしてこうもインストラクターの話を部分的にしか理解できていないのが出てくるのか。頭悪すぎ。というのはちょっと創作がはいっているのだが、まあ似たようなことであった。苦情でも、トレーニングマシーンが壊れているとか、インストラクターが仕事を怠けているとかいうことであれば、ごもっともであるし、改善の余地もある。しかし「一切の努力は必要ありません」とか「たとえ間違った方向でも努力している気分になっていれば大丈夫です」とは言っていないだろう。ちゃんとやっている人も多いのに、どうしてできない少数派は声ばかりが大きいのだろう。相手方の主張。「メタボリック症候群の人を5kg痩せさせるという自信だけで実際は誰もが痩せるとは限らないシステムに欠陥のあるインチキな道場」そう言わなければ正確ではないと責める。…そんな宣伝文句で誰も来るわけないだろう。理不尽だ。理不尽すぎる。別の話にたとえてみたが、実際は高等教育の現場の話だ。「ちゃんと勉強しなくて資格がとれませんでした」というだけのこと。最低限言われたとおりに勉強すれば、資格をとる機会がある。怠けているとか、指示と矛盾する無駄な努力をしたりしているとかいう事情があれば、資格はとれない。詳しくいうと、「ちゃんと勉強しなくて資格をとる資格が与えられませんでした」ということなので、「無条件に資格がとれると思っていたから、あとで勉強するつもりでいたのに」と、今後の機会を失ったせいでモチベーションが下がってしまったという苦情も含まれる。(つーか、それじゃあモチベーションすでに下がっていたんじゃん)それにだいたい「あとで」じゃダメでしょうと思うのだが、こういうことは言われなくてもわかることではないらしく、言ってくれないから「今しなくても大丈夫だと思わせた」と言うのだ。日本も契約社会化しているっつーことなんだろう。権利の主張をするなら義務を遂行すべきだ。それが契約だ。義務はお金の支払いだけとは限らない。「こっちは客だ」という主張が有効な部分もある。しかしどこまでも有功だと思っているのは、はっきりいってアホだ。欧米の契約社会は、宗教観から発生している。信仰の告白は神との契約。神は「神の下の平等」を保証する。いわば平等である権利の保障だ。物質的な平等を保証しようとする共産主義では、むしろ神との契約を否定する。わざわざ神様や政治の体制を持ち出したりしなくても、平等というのは理想でしかなく「万人が平等だと感じられる状態」には絶対にならんという現実があるから、少しでも理想に近づこうとしているだけのものだ。契約内容を正しく理解したものに、平等に機会がある。しかし契約内容を説明の説明をしても、なおなかなかわからない人たちもいる。だから不平等だ。説明されなければわからない人たちに説明することで、機会が平等であることを認知させる。できるのはここまでだ。しかしそれさえ難しい。猫は電子レンジにいれてはいけません。・・・これはよくアメリカの取説の例といわれるけど都市伝説かな?犬も電子レンジにいれてはいけません。冷蔵庫にいれてもいけません。こんな説明を増やしていって、理解が進むといえるんだろうか。「生き物は電子レンジや冷蔵庫にいれたら死ぬおそれがあります」じゃあ洗濯機はどうだ。テレビの上にいても死ぬのか。それにトマトは生き物だ。納豆も納豆菌がいる。つまり電子レンジや冷蔵庫は生き物を死なせるために使う道具だということなのか。「すみません、人間はその生き物ってのに含まれるんでしょうかぁ?」で・・・要点はなんだ?言ってもわからない人には「わかった気にさせる」しかないのだ。(逆にいえば、言われてわかった人も「わかった気になった」だけかもしれないのだけど。)言ってもわからない人は、自分の都合の良いことしか理解しようとしない。しかも、自分にとって都合の悪いことが現状になってしまうと、どうしてもそれが受け入れられず「精神的に病んだ」と訴える人が出る。本当に病んでいるといえるかどうかは別として。外に対して攻撃的になるか、内に向かって攻撃的になるか、そのどちらかが目立ってくる。攻撃による破壊は、経済的に非常に大きな損失になる。ためいきが出るほど、うっとおしい。これは今後50年くらいの間に解決法が生まれるとは思えない。ということは一生みていくしかない問題なのだ。
2006年10月28日
http://www.ed.shogakukan.co.jp/useful/kanji_guide2/kanji_guide2.html入・右・母・考・方・北・長・書・番・馬・歌・何医・皮・旅・服・究・感・式・帳・族・葉・鼻・放遊・荷・悲・死・輪・帯・機・械・成・建・飛・試健・臣・博・以・識・比・罪・武・属・過・興・非備・版・奮・専・卵・域・補・革・成・盛・若・論誠・劇・臓・痛・田・花・男筆順を間違えて覚えていた字がこんなにたくさんある。「方」「田」「右」「長」「成」・・・パターンは同じ。どうせ筆を使うわけじゃないんだし、そんなのどうでもいいじゃーんと思うのだが、それをいったらぜったいにいかん。
2006年10月27日
「世界史的に地理を学んだ」これが言い訳じゃなくて、ほんとうにそうだといいね。そういう教科書を作れば売れるんじゃないか?というか今の世の中に必要なんじゃないか?文科省>教育委員会>高校この統制が機能していないことが問題になっとるが、そもそも文科省が小学校から高等教育(大学・大学院)までの、一貫した考え方がないのが問題だろう。どうせ行政区分が分かれすぎて連携できていないことが原因じゃないのか。小中学校で勉強していないツケを高校だけで払うのは無理。かつて「国語・数学・英語」の3科目で高校入試していた県が、共通一次の理科・社会科目で惨敗していたことからも明らか。(それで5科目高校入試になったのだが)中学までにしっかり勉強していなければ、高校で間に合わないよ。で実際に間に合っていなくて、大学がツケを払わされているのだが。お上からの統制はきくわけがない。影響関係は、大学入試>高校共通一次5教科7科目時代は「現代社会」しか必修でなかったのに、各高校地歴分野を2つやっていたじゃん。だから共通一次を7科目に戻せっていうのは無理。国立不人気に拍車をかけるだけ。もし7科目にするなら、「合計点の高い人」だけを優遇するのではなく、「数科目が突出してできる人」(スペシャリスト系)「まんべんなく平均してそこそこの成績になっている人」(ゼネラリスト?系)をどちらも入学定員枠を設け、各大学義務とさせるならうまくいくかも。「うちの学部はスペシャリスト枠は40%、ゼネラリスト枠は20%」とか。「スペシャリスト枠の学生は基本的な常識を知らない」とか「ゼネラリスト枠で入学した学生は大学院進学率が低い」とかいうことがあっても、なんとかなるでしょう。そもそも高校の科目の区切り方にもう限界があるのだと思う。大学はたこつぼ化がひどすぎる。高卒で就職する予定の生徒には必要ないと感じる科目も多いだろう。高校の時点で専門領域に近接する分野、あるいは利用できる分野はどんどん科目を統合させた新たな科目(?)を作ればいいのだ。小学校の「生活」みたいなものだが、世間が要求する「常識」というものを作るためにはそれしかない。地理歴史(地理・世界史・日本史)とか言語(英語・国語)って、単体で受講するより、別の分野と混合させ、目的があるほうが理解が進むだろう。逆に言えば、理系的センスのない人にも、地理歴史や言語をメインにすえたら、理解できる部分、興味のわく問題も増えるはずだ。従来どおりの普通の授業以外に、次のような科目を設定する。・英語で読む数学史(これは実際に受けたことがある。単位は応用数学だったかな)・英語で読む生物学(単位は生物か英語)・化学・生物学・物理学史(単位は世界史か総合理科)・日本外交史(単位は日本史か世界史)・美術史(単位は日本史or世界史か美術)・対照言語学(単位は国語か英語)・仕様書の書き方(単位は国語か技術系のもの)・サバイバル外国語(挨拶とかごく基本的な話せる外国語を複数語学ぶ。単位は外国語)要はたぶん定員割れの短大とかでやっているような授業。(某短大の英文科の卒業単位は「英語で3曲歌が歌えること」だ。興味がもてて、単位になってというものが必要だ。通称は「文系理科総合」とか「理系英語」とか「就職英語」とかになるだろう。専門家を育てたいということと、おちこぼれを救いたいということと、両方うまくいくんじゃないかと思うのだが。単位の選択は、コースの雛形を作った上で、学生に選ばせる。同じ授業をどちらの単位として読み替えるかなど、年度毎に計画変更できるようにして、パソコンで入力すると「世界史が不足しています」などと警告が出て、OKボタンが押せないようにする。工学部希望者減少の対策は本当に早くやらねばならない。「資格重視」というなら、工学部卒が具体的に名前をもった資格であるようにしてやるべきだ。工学士と同時に「エンジニア技師1級」(というださい名前あたりが妥当)を授与でき、これがあると就職に有利だよというような、進路指導する高校教師にもわかりやすいものをつけておく。技術の国ニッポン。資源も人口も少なくなっているのだから、これを怠ると本当に国力減退に直結するよ。
2006年10月26日
20代の間に爆発的人気のミクシー。徐々に30代の後半へと広がりつつある。2ちゃんねるは低年齢化してつまんなくなったのだが、ミクシーのほうは逆かもな。若い方がどう思っているのか知らないけど。ミクシーコミュニティというのがあって、マニアとかが集まっているんだけど、言ってはなんだが、若造中心だったんで、ついつい年よりは「しろーとがえらそーに中途半端な知識をひけらかして」という気分になってしまうものが多い。まあ人に教えたくなる時期ってのは、脱初心者あたりの新米が多いということもあるんだろうな。その仕事とか趣味とか楽しいと思い始めて、具体的にたいへんだと思うことが発生してきて、がんばってみたら解決できちゃったりして、おー俺はプロになった、と実感しているころ。問題の発生と解決法にパターンがみえてきて、様々なことが日常になってしまった本当のプロは、いちいち他人に説明するのがめんどうくさくなるもんだと思う。しかし2ちゃんねるがつまらなくなった原因として、参加者数の爆発的増加というのがあった。たとえば食べ物の話題なら、最初はカレーがいいかラーメンがいいかというどーでもいい議論ができたのが、カレーとラーメンに板がわかれ、さらにカレーの中でも手作り派と外食派にわかれ、外食派の中ではどの店がいいかという議論があったのに対立が激化してスレが別れ、この店がいいという話に別れるというようなことになっている。こんなことがどこの板・スレでもあって、対立のすくない「同じ考え方」の人ばかりの馴れ合いになっているものだらけになってしまったんで、話題に広がりがなく、ひじょーにつまらなくなってしまった。たこつぼ化現象というやつだ。これと同じことがミクシーにもある。急に人数が増えたせいで、同じテーマのコミュニティがいくつもいくつもあって、探しきれん。似たり寄ったりではあるが、微妙にカラーは違うので、合うところがあるんではないかと無駄に労力割いて探してしまう。それと、完全匿名の2ちゃんねると大きく違うのは、「教えて」「自分で探せよ」と突き放すような会話がほとんどなく、自分でできることなのに簡単に甘え、しかも簡単に信じてしまう人がなんと多いのかと驚く。インターネットの基本は検索でしょう、と思うのでこれは非常にとまどうのだが、ミクシーがリアル社会に近いからということでもあるのだろう。2ちゃんなんか、今はわからないけど、1000近いレスがあっても、前スレがいくつもあっても、「最初から読め」とか平気でいえていたけど、ミクシーは3つ前のコメントで出てきているネタであっても「教えて」という。調べた上でわからないことをきくってのが、大人の基本でしょうーーー!!!と思うのだが、実社会ではそういうことをしなくてもオトナになってしまえるのであるということを、思い知らされた。しかも「さっき言うたがな」という言い方もキツイことになってしまうので、気をつけなければならない。世の中の平均的な人って、文を読んだり書いたりするのにあまり慣れていないのか。日記によって「おともだち」に日常を報告することができる。読者がわざわざ「お気に入り」からクリックするブログと違って、自分では何も書いていない人でも「おともだち」なら、自動的に新着日記が表示されてしまうのでつい読まなければならない義務感が発生する。見た記録もぼんやりとしたIPアドレスどころではなく、露骨に特定される形ではっきりハンドル名が記されるので「おともだち」として何か書き込まなければならない義務感も出てくる。自慢日記に対しては羨望のことばが必要で、ダメ状態報告日記に対しては慰めのことばが必要で、そうでないコメントは要求されていなかったりする。他人のキャラクターが簡単に読める分、元々が善人のかたまりではない自分のキャラクターも入念に設定しておかねば、うっかり出そうな毒舌の毒がまわりすぎてしまう。結果、ばりばりにガードが固い人になりつつある。
2006年10月25日
イギリスの教育系の大学教授による調査(だったかな)。あちらも「基礎学力の危機」「学校教育改革の要望」が叫ばれているらしい。というか日本のマスコミがそう解釈としたということか。その理由となる調査ってのが、イギリスの小学校高学年生に世界地図をみせて「イギリスの位置はどこですか」と質問したところ、正答者がどえらく低率だったというようなことだった。(数字忘れた)日本じゃありえへんことだわなぁというコメントだったが、日本だってわざわざ学校で習って、はじめて日本の位置を知る子供というのは少ないんじゃないか。原因は学校教育ではなく、社会の環境だろう。ということは、イギリスの社会が子供たちに、かわりに何を教えているのかということが問題なのだ。イギリスってのは、話し方で階層がくっきりしているというのは、クイーンズイングリッシュとかコックニーとか英語の教科書で日本中の高校生も習っとるが、社会的な階層に限らず地理的な方言というものの存在が強く意識されている国らしい。総標準語化してきている日本と違って、イギリスはたとえばローカルニュースは方言でやっている、というかそうするようになったということだ。日本にあてはめれば、天気予報でも「明日は、雨やのうて、曇じゃろう」という具合だという話を、90年代に滞在していた人にきいたことがある。文化として言語文化を守ろうということを、ただ人為的・作為的にやっても支持されないと思う。それが支持されて継続しているということは、アイデンティティを国家でなく地域に持つことのほうがよいと感じている精神基盤が国民の間にあるからだ。グレートブリテンとアイルランドの関係に限らず、狭い国土ながら地域対立が激しいということなんだろうが、百年以上かけてもどちらかがどちらかを制することは無理だったので、お互いを尊重する形で解決をはかっているのだろう。「イギリスは(日本と違って)個人主義」というのも、英語やら明治文学の授業やらで習っているが、自己決定することがいいことだから他者は干渉すべきではないから気をつけろとか、多様化が認められていてうらやましいなぁとかいうことじゃなくて、つまり価値観の一極集中を回避するよう彼らは志向しているのだということとして理解すべきだ。自分自身、自分の身の回りを重視し、面積的により狭い範囲での位置づけを強調していれば、だだっぴろい世界の中での位置づけなんてそんなに重要な問題にはならん。
2006年10月24日
あちこちで、種類の違った仕事をしていて、しかもめちゃくちゃ頑張っているので、遊ぶ時間があまりないのだが、どこででも「足りない」と暗に言われてしまうので、たいへん不満なのだが、敢えて鈍感な傍若無人キャラでとおして、諦めてもらうことにして、テキトーにかわしているつもりなのだが、これを続けていると先細りになりそうなので、もうすこしなんとかせねばならない。愚痴は逆効果なのだけど、まったく控えて善人でとおそうとすると、結局相手がつけあがるだけなので、できればちょいわる系か変人くらいがよいか。ちょい悪系でおもいだしたが、「もりながたくろう・かきはなただしの朝は日本一番乗り」で、ちょい悪系と、対極をパーフェクト系と分類し、そのオヤジの違いについて、おもしろいことを言っていた。「レストランで何も言わないのに「ワインはいかがですか?」と持ってこられるのがチョイ悪オヤジ。「ライス大盛でよかったですよね」と持ってこられるのがパーフェクトおやじ」「小さな鞄と札束でふくらんだ財布を持っているのがチョイ悪オヤジ。でかすぎる鞄でものをさがしてばかりいて、ふくらんだ小銭いれをぶちまけるのがパーフェクトオヤジ」森永さんがわっはっはと笑って「そのパーフェクトおやじってどれもボクのことですねぇ」と答える。森永さんは2人連れで食べにいって、お店の人にも何もいってないのに、相手は茶碗で自分だけ丼でゴハンがきちゃったりするのだと。それでかばんはいろいろ詰め込みすぎていて、「鞄の中からものを探すのに、毎日合計1時間くらいかかっているんですよね」「あれはもう鞄というより、部屋みたいなもんですよねぇ」とつっこまれていた。朝5時から8時半までやっている番組。この時間にラジオが聞ける環境にいるときはいつもきいちゃう。
2006年10月23日
核兵器を作れるほどの技術がありながら、敢えて作らない日本。なのか?戦後の工業技術の発展は、戦争に向けていた技術をそのまんま転換したのだから、そりゃーパワーあるわな。戦闘機のエンジン冷却装置を考えていた人が、エアコンを作ったりしとるのだし。いまんところの日本の科学技術は高く評価されていると誇りに思っているらしいけどね。こどもたちの理系離れは、さらに進んでいるとかいうことらしい。というか、世代的に未来の担い手の子供が不足しているので、あの手この手の洗脳戦略がある。ラジオでたまたまきいた2題。東北大学では「サイエンスエンジェル」http://www.morihime.tohoku.ac.jp/sub3.htmlというのをやっとるらしい。理科系女子院生が「あなたはサイエンスエンジェルに選ばれました」といわれ、各高校に科学の魅力を伝える…というもの。女子高を中心にしとるというが、好評らしい。いや男子校でやっても効果があるだろう。(オウムとか統一教会の広告塔を思い出してしまった)リスーピアhttp://risupia.panasonic.co.jp/recommend/というものがあるらしい。例えば「素数が落ちてきたら受け入れろ、そうでなければ跳ね返せ、そして集まった点数はどう?」というようなゲームがあったり、「楽しく」「身近に」理数にふれられる施設らしい。(いかにも理数の人の発想での「楽しさ」であるな。)マスコミの表舞台に立つ人は、勉強嫌いだったり、勉強した経験があっても文系というより理数嫌いを自慢にする人が多い。それらに発言を控えさせたら少しかわるかも。
2006年10月22日
ヤマト運輸。メール便の存在、わりと最近知ったんです。定型25g以下のみ80円な郵便局に対し、A4で50gまで80円というのは、ややお得だなぁと思っていたのです。しかしこれが、10月1日から更にえっらいサービスがよくなりました。重さに関係なく、A4サイズ厚さ1cmまでなら80円で送れます。2cmまでなら160円。郵便局の500円のエクスパックどころじゃあありません。今後のエクスパックのメリットは、食品やCDなども送れるところ。その程度です。メール便は所定の用紙も必要ありません。これに100円足すと600km圏内翌日配達。(後れたら返金)東京からだと、大阪・能登半島・青森までカバーできます。強烈。業務用の書類を「出しといてね」と任され、業務で予算がついているわけじゃないので自腹で出すしかなく、かつ出しといてねという人自身お金も出しといてねという意味で言っているので、ぜんぜん自分に関係ないはずのもののせいでフトコロに直接響いている身にとっては、6000円の差額はでかかったです。パンフレットとか入試要綱とか、もう全部ヤマトでしょうね。郵便局あやうし。あ、でも働くならヤマトはいやです。安くて便利なカゲには、サービスで労働している人がいるのですから。
2006年10月21日
藤岡琢也さんがなくなった。1930年9月4日 - 2006年10月20日 76歳。*********************かんけいないけど(関係したらこまるけど)杉浦直樹って、2ちゃんのスレタイにもmixiのコミュにもない。PC利用者とファン層があわないのか。wikiに2006年9月、軽い脳梗塞で検査入院。とあった。しんぱいだ。1931年12月8日生まれ。もうじき75歳か。
2006年10月20日
あら偶然。「そんなつもりで言ったんじゃあ…」というネタをいただいた人のことが出ていた。あなたの半径3メートル以内の世界から考えると、「最近の社会の変化」だと考えてしまうのでしょうねぇと思った。しかし、「それにはまず、ボクがやったこと、ボクの娘がやったことをしてなければ駄目だね」といわんばかり。これじゃー解決にならんがな。コミュニケーション作法って、こんなんでいいんすか?これで学問のつもりですかね。先に名前が売れてしまえば何をいってもいいの?********************場の空気が読める男 (ゲンダイネット - 10月19日 10:00) 全世代を通して“場の空気が読めない”日本人が増えている。職場の雑談やパーティーなどでその場の雰囲気が分からないのに首を突っ込み、雰囲気を乱したり、煙たがられる人々だ。一対一で話していても相手の真意をくみ取れず、得意先などを困らせる。昔風に言えば、ボンクラか。「ぼんやりしてる」「まぬけ」などの意味もあるが、その場の空気を読めない点では同じである。もちろん、話し相手の微妙なニュアンスも理解できない。 コミュニケーション作法に詳しい神戸女学院大学の内田樹教授は言う。「空気が読めない人は“コミュニケーション感度”が悪いんです。会話において言葉が伝える情報は全体の10%程度で、あとの90%の情報は非言語的なものを介して伝わります。表情や姿勢や音調が、言葉をどう解釈すべきかを教えてくれる。でも、その非言語的なシグナルを読めない人が増えています」 そのためか、上司と部下、夫婦、親子間でさまざまなトラブルが起きている。「そんなつもりで言ったんじゃ……」というフレーズはコミュニケーション不調の典型的な兆候だ。逆に相手の心中を察する力があれば、上司のやりたいことがパッと分かり、仕事の効率は数段アップする。以心伝心なら、夫婦関係も円満だ。 どうすれば、その場の空気を読む力をアップさせることができるのか? 内田教授が勧める効果的な方法は次の3つだ。●自然をジッと見つめる 海、雲、動物などの動きをジッと見つめて観察する。「たとえば、流れる雲を見つめる。雲のかたちが変化して見えるのは、“もうそこにはないもの”の残像が見え、“まだそこにはないもの”が予見されるからです。そうでなければ、『雲のかたちが変化した』ということに気づくはずがない。雲の動きにある種の階調を感知することができるのは、実は私たちが過去と未来を行き来しているからです。会話でも同じこと。“もう聞こえない言葉”がまだ残響し、“まだ聞こえない言葉”が先取りされているからこそ私たちは言葉の意味がわかる。適切なコミュニケーションのためにまず学ぶべきものがあるとすれば、それは自由に時間の中を行き来する能力です」●集団で動く 幼児期に集団で遊ぶ訓練をした子供は大人になってもコミュニケーションがうまい。「大人だって集団で動きが合い、呼吸が合えば身体レベルである種の一体感を得ることができます。武道の型稽古やダンスなども同じです。他者の身体と細胞レベルでの流れの一致感が経験されたら、もう言葉なんか要りません」●育児を体験する「赤ちゃんは言葉をまだ知りません。だから大人は赤ちゃんの発する意味不明のノイズを意味のあるシグナルに変換して、“赤ちゃんが言いたいこと”を聴き取らなければならない。わずかな表情の変化や息づかいや、こちらからかける言葉への反応をたよりにして、コミュニケーションを立ち上げなければならない。これほどすぐれたコミュニケーション能力の開発訓練はありません」 40、50代のオジサンにはこれから子育ては無理。孫の面倒を積極的に見たり、親戚の幼児と一緒に遊んだりするのがいいかもしれない。コミュニケーション感度をアップできれば、場の空気も読めるようになる。今日から訓練してみては。【2006年10月16日掲載】
2006年10月19日
昨日の件、問題になった当事者の教師は聞いて仰天したらしい。「という事件があって、これに対し人気ブログでこんな意見が出ている」というような紹介だったのに「と先生が言った」となっていることが、ひじょーに衝撃があったらしく動揺しているらしい。誰もが真面目にきいてくれるとは限らないわけで、注意に注意を重ねないといけないとか言われそうなネタだが、特に大量情報化社会というのは、そういうことも多くありそうだ。ミクシーでもそう思うもの。ぜんぜん人の話、きいてねぇなぁという人の多いこと。一般社会ってそんなもんか。つーか、そんなに親しくない人って、そういうもんか。よく欧米人のようなはっきりとした話し方にするべきだとか言う論が高く評価されているけど、言わなくてもわかる文化に甘えている日本人とか、論理に優れた欧米文化とか、そういう価値で言ったり、文化でのコンテキストの高い低いとかいったりするけれど、そういう視点じゃなくて、「ろくに聞く耳持たない人ばかりで「伝わらない」ということを前提にして話せ」と言ったほうがわかりやすいよな。欧米人の言うことは、論理ばかりであるはずはないだろう。真偽判断だって、前提が間違っているんじゃ証明したって意味はなかろう。わかってもらいにくい人に対し、説得力がある話し方をどうするか、だ。例えば「花子、はきものを脱いだ」という文が「花子は着物を脱いだ」に変わってしまうようなことがしばしばあるのは、脱いだら情報の価値が高くなるものの方を脱いで欲しい、という期待があるからだ。そんなことで困るなら、花子が何かを脱ぐ話題は出さないのがよいし、こいつならきっと下品なニュースを話すだろう、と思われるようなキャラにならないようにすべきだ。十年近く前、欧州某国のパーティーで、日本人の大使の妻とお話する機会があったのだが、その人(たぶん当時35歳くらい)が話していたことが、面白くて惹きつけられるような話が一切なかったのだけど、みごとに毒のない話ばかりで感心したことがある。その国の悪口は一切なく、自慢もなく、聞き手との情報の格差を中心とするものでもなく、天気の話以外で、30分以上もたせられるってすごいなぁ。顔も体型も旧来の日本人って感じだったけど、ピンクのロングドレスで、カラットのでかそうなダイヤのペンダントをしていたのに、ピッタリ似合っているとか浮いているとかいうのはなく、カッコイーとかダッセーとかいうののどちらでもなく、それでいて卑屈な感じも尊大な感じも全くないというのも珍しかった。そこまで人間できていると、容姿も完璧だったりするのに。美人ではなかったが、醜いというほどのもんでもない、フツーの顔できれいにしている、といった感じだった。フツーはさ、「あなたにはわからないでしょうけど」「え?っていうかこれって常識でしょ」「前にも言ったことがあるわよね。あ、ごめん。あなたは知らないことだったかしら」「とかいう噂なんですよ」「よくわかんないんだけどそうらしい」みたいなレベルの話題って、必ず出てきそうなものだよ。なのに、それがなかった。(あべさんの奥さんもそんな感じなんだろーか。)あからさまにそういう言い方はしないだろうが、こちらはいつも、ネタになるような話・内輪の話・確証のない話っつーのに接する機会がひじょーに多い(というかより多くとりいれるように環境を設定しているのかもしれんが)ので、こんなにつまらないぬるーい話題がにこやかに続くのが、とても不思議でかつ体力のいることであった。話はとんで、さきほど撤回を撤回するようにというメールがきた。もうお葬式が済ませたはずの文章を、今さら蒸し返して読むのはほんとーにしんどい。あああかんべんしてぇ。いたすぎる。考えるとくるしいからとりあえず寝よう。朝起きて考えよう。
2006年10月18日
タレントがファンに塩酸をかけられた…みたいな事件があったらしい。塩酸ではないけど。某学校の某クラスで、その話をしたあと、「お気の毒に」ではなく「しねばいいのに」と言ったきょーしがいたらしい。で、それをきいたがくせいたちが「ひどすぎる」と“泣きながら”わざわざ上の方へ訴えに行ったんだと。お客様からのクレームじゃあ上のほうも放置するわけにはいかんでしょーね。そもそもなんでそんな過激な発言を敢えて言うのかなぁとは思うけど、(ダウンタウンの濱ちゃんの定番ギャグでもあるんで、そっちの用法だったのかもしれん)http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BB%E0%A4%CD%A4%D0%A4%A4%A4%A4%A4%CE%A4%CB聴衆がそこまで騒ぐほどのことか?と思う。と思うのが間違っているといわれそうなんだけど。死ぬとか殺すとか、ゲームの世界でフツーにやっていて、とっても乱暴な人間が増えていて、だから“昔はなかった”いじめとかあって、我が子に対する虐待があったり、親殺しがあったり、世の中は昔にくらべてぎすぎすしていて、ココロのないひとが増えて…いねぇだろうよ。昔っからいじめもあったし、幼児虐待は育児のノイローゼか躾のひとつとしてとらえられていたし、尊属殺人と特化した重罪もあったし、ぜったいに今のほうが数の上では繊細な人のほうがはるかに多く増えてるんじゃねーの?しかしこれが優しいココロなのか、正しさを信仰するココロなのか、そこがわからねぇ。(信仰ということばにあてはめるのが相応しいのかもわからんが)そのタレントは、あなたの生活にまるで関係のない人のことでしょう。仮に熱烈なファンだとしたら、文句を言う相手が違わないか?直接本人には言いにくいのか?まだ「きもい」ならわかる。どうしてそういう物騒なことをいちいちそういう場で言ってみるのか。相手の嫌がる反応をみて嬉しがっているのだとしたら変態だよなぁとは思う。いくら嫌いな相手に対してでも、しねばいいのにというのは「下品」だと思う。でも泣くほどのもんだろうか。下品な人がいる(しかも上の位置に立っている)のはしんどいことであるけど。つーことは、これ、戦略なのか?で、おもいだした。コームインの飲酒運転が厳しくとりしまられている。酒気帯びでも即クビというのはやりすぎだろう、とかいわれている。が、そういうのは、こんだけ世の中厳しくなっているときに、うかうかと犯してしまうようなわけだから、愚かなくせに過信しているバカなので、日頃の様子もそれに似たようなことと予想できるんで「別件コミのクビ」であるんじゃねーかと思うようになった。(まあハメられたと言うのもいるのかもしれんが。)ということは、「正しさ」か「優しさ」かわからんが、いちいち問題視されるっつーことは、他にもいろいろ余罪があってただの氷山の一角がみつかっただけなんかもしれんなぁ。余罪で思い出した。ちかかくじっけんをやった国が、すっげーいきおいで皆にハブにされている。単に核だけなら印パもやったろうに。やつらはお咎めなしだったけど。すっごいよ。まぶだちのチューゴクにも一卵の兄弟の韓国にもあんな発言させちゃって。あの国で「太陽政策は失敗だった」なんて叫ぶ人、いままでどこにいたんだろうか。もろもろのダメな政策では、もっとも擁護されそうなネタだったはず。慈母のよーに接すれば、ココロ開いてくれる日がいつかくる…というのが、正しいウリナラ人、あるべき姿だったでしょうに。いまやあっさり半数の人が反対しとる。大衆は「流行に乗らねばならん」とでも思っているんだろうか。これは、もしかすると年内…ひょっとすると今月中に政権が倒れるような、そんな流れの始まりなのかな。ロシアのときみたいに。核実験そのものは、数値的にどうも失敗だったらしいときく。でも被害のあるなしではなく、「やる」と宣言したことが問題なわけだ。こそどろ・さぎ・ゆすり・たかりで生きているちんぴらが、黙って小遣いくれてた親戚に向かって、「額が少ねぇんだよ。ビンボーだからってバカにしやがってよぉ!」といって殴りかかってきた、というような図。「ごめんよぉ、あたしが悪かったから堪忍ねぇ、お小遣いやるよぉ~」とダメ母のような対応を期待したんだろうか?そこまで愛されていないし、うまみもない国なのに。あの人の考えでは、どういう筋書きになる予定だったんだろう。ひょっとして、死を覚悟してのことなのだろうか。最愛の奥さんがなくなっちゃったし、息子たちはどれもアレだし、自暴自棄にもなるかもねぇ。お金もあって、権力もあって、こんな時代に生まれていながら、先端の医療技術は受けられない可能性が大という人も珍しいよな。(自国じゃ無理。外国もいけそうなところはどこも技術ではまだまだだろうし)ひとりで死ぬのはこわいもんね。みんなにちやほやされて、絶対的な権力を持って無茶しほうだいで、ファッションセンスゼロでブオトコな糖尿病っぽいおっさんが、和牛やメロンが食べられなくなったらどうなるか。って、麻原しょーこーみたいだわ。この嗜好、日本中が「悪いものは悪い」と言うための記号だわね。オウムのひとびと、救おうとしていたひとびと、いま思うととっても若かったんだなぁ。坂本弁護士は33歳だ。
2006年10月17日
なしをもらった。たいりょうにもらった。うれしい。ちとすっぱいけど。米をもらった。ありがたい。味噌をもらった。春に仕込んだやつだ。しそのはっぱもいっぱいもらった。実をどうにかしろって・・・どうしよう。煮るか。そのうち。大根の葉っぱ、1日でしなびてきたので煮ておいた。週末にもらってくると、時間の無い週頭に調理しなければならん。いそがしー。
2006年10月16日
してなくて、勝手に再起動になっていて、ずーーーーーーーっと時間かけて作っていたものが消えた。死にたくなった。言い訳としてよく聞くけど、ほんとに自分がやるとは思わなかった。
2006年10月15日
週末は高原の別宅へというとたのしそーなんだが、ふとんはくさいし、かめむしはくさいし。快適とはちょっと遠い。しかも寒い。寝ていると頭がつめたい。すきまかぜ?温泉に行った。肩こりマッサージ機でぐりぐりやった。仕事をしなかった。ほとんどしなかった。ひどい。
2006年10月14日
えんぎをかつぐ人がいるのでめんどくせー。おまいはクリスチャンじゃなかろー。特に何も悪いことはなかった。一日パソコンに向かっていたのできもちがわるくなっただけだ。
2006年10月13日
でかくてあまいなしはうまい。梨食べたい。買ってこよう。
2006年10月12日
提出した書類が足りんと言われ、もう一度出しなおそうとして、げんこーはかたちだけできたのだが、投稿したものをとりさげた。よくよく考えて、「カラーが違いすぎる」と結論づけられたからだ。「そんな挑戦する前から諦めたらだめだ」とかいう人がいて、たいへんいや。当事者以外はそんなもんだろうが。いってみれば、ものすごーく結婚願望が強い独身の人の職場に、飛びぬけて条件がよく問題がまったくない独身の異性が残っていて、周囲の人が「どうしておつきあいをしてみないのか」と言って困っているようなもの。「向こうがいいと言ってくれる可能性が低い」ということ以前に、自分でこれは合わないとわかるから。「どこがあかんの、あんたいろいろ選べる立場でもないでしょ。せっぱつまってるんでしょ」といわれても、相手が悪いとかいうことでなく、おそらく合わんのだ。「合うか合わないか、向こうに決めてもらえばいいじゃない」といわれても、仮に交際が開始するとしたら、相手にはいろいろとガマンしていただいておつきあい続けることになることがわかるし、ガマンしてやってるんだぞという態度に出られるのもいやだし、ダメになった場合には同じ職場にい続けるのにつらいし、「この状態で進むのはまずい」と判断した。「とりさげまーす はいきしてね」ということを(もっと丁重な文体で)メールで連絡したら、1日続いた頭痛が治った。これをもしみくしーにかいたら「ふられることをおそれていないで、がーんば」とか言うのもいて、いらいらするだろう。ということまで想像。いつものところへリサイクルすることにした。横書きに直してこう。
2006年10月11日
非常勤たちはあーだこーだいいながら作文チェックしとる。「ねーねー、「ひとにしんせつにしようという風潮がある」って書いてあるんだけど、変よね」「そうねぇ。風潮って単語、悪いときにしか使わないわよね」「日本語が下手ですから勉強しませんって、文法は正しいんだけど、こういうのってどうやってなおしたらいいんだろう」「学生の心意気としては間違っていますね」とかなんとか。(追求していきたい方向が、近いようで微妙に違うのが歯がゆい。)たぶん単調でない作業にするために、ひとを巻き込むんであろう。で、思い出した。むかし幼稚園の職員室みたいなところの片隅で待たされていたとき、デスクワーク中の先生の1人が「わー、びっくりした」と大きな独り言をいって、「一瞬どういう意味かと思ったよ。 『ぼくのおとうさんはぱ ちんこがすきです。』って読んじゃった!」と周りの先生も巻き込んで大笑いしていた。先生のくせに、結構くだらねーことをいって喜んでいるんだな。子供たちがそういう話をするとおこるくせになぁ。納得がいかないなぁ。ここで子供が聞いているってこと完全に忘れているんだろうなぁ。と思ったものだった。よく考えたら二十歳過ぎて少しくらいのお嬢さんばかりの集団だもんな。くだらねーこともいうわさ。それにしても、前期は頭痛と闘いながら仕事をし、口から出てくることばは毒だらけだったもんだが、後期のなんと心穏やかなことよ。フツーって、すばらしい。ただ体調が不良。電車内で貧血。つり革につかまりながら、前のめりに崩れてしまった。座席を譲ってくれた人がいたけど満足にお礼もいえず。頭起こそうとすると吐き気がした。途中下車したかったが、そうすると遅刻してしまうので、だらだら冷や汗かきながら1時間電車に乗って、駅からタクシー。料金、高いけど車で通勤したほうがよさそうだな。と判断し、翌日は車。運転しながらなんかあったときのほうが大変だともいうが、それは生死の間の場合であって、やはり体力も時間も節約できると、だいぶ楽。のはずが、道路が工事渋滞で長いドライブを強いられ、別の疲れ方をした。
2006年10月10日
新婚のお笑いタレントがゲスト。そんなに難しくない料理だったが、プロが丁寧に作り方を説明。たいへんおいしかったらしい。進行役のタレントが「奥さんにも食べさせたいでしょう」と言ったら、「ええ。ていうか、ぜひ作ってもらいたいですね」と、答えたのだが、この一言でこのタレントに対する好感度が下がってしまった。能力的にできないのなら、役割固定も仕方ない。また男子厨房に入らずという信念を持っているのなら話は別だ。しかしせっかく習ってきたのなら、おまいが作るべきだろう。「わたし作るヒト、僕食べるヒト」の役割を守っていくことが「カッコイイ」家庭のあるべき姿だと思っているのか。どうせ毎日作ってもらっているのなら、1品くらい自分の得意料理にしておくのも悪くないだろうに。「ていうか」じゃないだろう。しかし本当にうまそうだったので、今夜はそれを作ることにした。さっき材料のイカと生姜、買ってきた。話、かわって。テレビはケーブルの番組がおもしろい。Lalaというチャンネルは、主婦がターゲット。他国の番組のふきかえがほとんどだが、たまにオリジナル番組がある。山本麗子の幸せなキッチンというのもあるが、この麗子さんは料理評論家の山本益博の元妻で、理不尽な理由で離婚させられたのち考えた結果、料理を作ることになったという人。何もしないくせに批評ばかりをエラソーにするというのは、なんとおこがましいことか、ということが信念にあるので、その信州にある畑に隣接した幸せなキッチンは、どっちかというとけなげなキッチンというイメージ。(この人の味付けは、再現するといまいちあわないんだよな。メニューにスポンサーによる制約があるせいか。)Lalaは、韓国ドラマとカリスマ主婦の番組、それとアメリカドラマがある。このうちアメリカのドラマ、SATCがおもしろい。タイトルをきちんとスペルすると、かなり下品なので、これを見ていると上品な人が非常に不機嫌になり妨害行動をするんだが、構わず見る。着ている物がおしゃれ。でも白人じゃなきゃ、あの極彩色は着こなせないわな。アクセサリーとか小物使いとか、日本ではみないものも多く、とってもおもしろい。大都会ニューヨークに住む30代~40代の独身女性4人が、4人4様の恋愛を繰り返すコメディー。1話限りの恋人も多数。どうしようもない欠点がある男だらけ。教訓は生かすが、次から次へと別の問題がある男ばかりと出会う。中には長く登場する男性もいる。そういうのはやはり欠点もあるのだが、それでも決定的にダメというような人ではない。特に主人公キャリー(コラムニスト)のカレがイイ。ただBIGとよばれていて(要するになにかがでかいということを示唆するらしい)、本名はストーリー上あらわれないのだが、主人公にとっては自分を大事にしてくれないとかで相手に気に入らない部分がたくさんあり、キレてわかれてしまったのだが、容姿は別に好みじゃないんだけど、すっげーかっこいい男だ。いつでも自分を最優先してくれるはずの「自分にとって都合がいい人」を選んだつもりで恋愛をはじめたり、結婚をしたりすると、そうではない部分ばかり気になるのだが、そういうことで争うのは無駄だなと思った。しかしコメディーなので、4人とも「痛い女」ばかりである。(全員一応美形だが、テレビ的には「そこそこ」といったレベル。)だが「今度こそ幸せになってね」と願わずにはいられない。欠点もひっくるめて魅力のある人物として描ける作り手と役者たちに感心する。
2006年10月09日

かたくて切るのに困難がある。ぽんずしょうゆで。
2006年10月08日

ある受験生が、**大学歯学部のオープンキャンパスへ行った。担当の教授はひととおり説明したあと、その歯学部のシンボルである美しい陶板レリーフを受験生に見せようと思った。解説によると「ツルの港と称される**港を、ツルが躍進する様相で図案化し、これに月と太陽を配し、夜から朝に移る彩りと共に、歯学部地区を女性の横顔で表した物である。」というものである。図案作製はそこの名誉教授による。教授は「陶板をみせるように」と大学職員に命じた。大学職員は受験生を大学病院のほうへ引き連れていった。「なんでこんなものを見せるんだろう」と大学職員はつぶやきながら、「月曜日は○○先生、火曜日は△△先生…ということなんですが」と担当医師の当番表を説明した。受験生たちが思わぬ方向から戻ってきたのを見て、どこへ行ったのかと教授が尋ね、大学職員のその勘違いに気づき怒った。「そんな、野球じゃあるまいに」レリーフの登板?というオチ。教授が見せたかった陶板レリーフはこんなものらしい。(たぶんかなりでかい)解説のように…ツルは見えるが女性の横顔は発見できず。しかし、できすぎたようなおもしろい話なのに、直接体験していない話なのでうまくかけない。大変文才もある御本人にリライトしてもらいたいところである。(差し支えがある部分があれば削除しますのでお申し出下さい)※なお当番と登板の画像は、当該の大学とは関係ないものである。
2006年10月07日
むかしサークルの同期の男子で、「じゃ、レコーディングにいってきます」といちいち言うやつがいて、さらに「レコーディングというのはね、音を入れることだから音入れ。おトイレ行ってきます」とこれまた毎度解説までしてくれて、「黙っていけよ」というつっこみまでがセットになっていたなぁということを、おトイレで、〔音姫〕を見るたびにいちいち思いだす。(くだらない記憶はこうして強化されていく)「音は何度も流してね。水は1度だけ流してね」とか書いてあったりもする。TOTOの音姫は流水音というより周波数のあわないラジオみたいだ。(小川のせせらぎ&鳥の声というのは他社製品か)センサーに手をかざすと25秒間、音で音を消すためのあれは、いつから普及しはじめたのか。OL進化論の初期のころ、トイレの水道使用量が多いので「節水」という張り紙を貼ろうと提案した課長にそれでは効果がないと部下が書いてきたのが「ちょっとまて。その音は恥ずかしくない」というオチの漫画があったので、そのころはまだ。2度流しをする習慣はいつごろ・どこからでてきたんだろう。学校とか百貨店とかホテルとか、公共の施設にはたいていついている。センサーの感度をむちゃくちゃあげているのか、個室に入るとずーっと鳴るようになっているところもある。あとオレンジ色の防犯ベルみたいなの、あれは設置が義務付けられているんだろうか。3年くらい前からかな。どこでも見るようになったのは。いつも使う公共のトイレには、「絶対に押さないでください」と日本語で注意が書いてあるのだが、押すなというものをわざわざ設置する理由がわからん。「緊急の時以外は絶対に押さないでください」と書いてあるところもある。どういう意味で緊急なのか書いていないので、これもよくわからん。ふんばって脳の血管がおかしくなりそうな瞬間とか、上からちかんにのぞかれたときとか、どういう場面だったら押すことになるのか。そしてどこに繋がっていて、どこで音が鳴って、誰が来ることになるのか。火災報知機とは違うわな。誰にきくのがいいのか。警備員さんか?検索しようにもキーワードがわからん。
2006年10月06日
と、カーラジオを聞きながら帰ってきた人が言った。リスナーからのおはがきというようなやつで、「妻と子供が田舎に帰って、とても楽しい今夜です」みたいなことを書いていた人があった、という話をしたうえで、「世の中の人って、それでうれしいと思うのが一般的なんだろうか」と言い出すので、うっかり「あったりまえじゃない」と言ってしまい、しまったと思いながら、猛烈なスピードで頭の中の計算機をまわして、「だって、1日だけでも大変な××たちのようなのが、毎日家中駆け回っているようだったら、そりゃあ一日でもいない静かな日があればほっとするでしょうよ。」(××には甥の名が入る)と答えたら、「そうか。そういうことか。それなら合点がいく。そのとおりだ」と言うので、やれやれと思ったが、こいつはちっともヒトの気持ちがわかってないんだなぁということがよくわかった。
2006年10月05日
この季節、毎日眠い。寝不足の日は眠いし、たっぷり寝た日も眠い。毎年そう。冬眠前なのかなぁ。春眠のほうは有名なのに、秋の眠気は一般的でないな。
2006年10月04日
キッザニア東京というのがオープンするらしい。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061003-00000007-maip-sociテレビで見たけど、ヤマト運輸、全日空、PIZZALA、三井住友銀行などが、そのまんま企業名を掲げてやっていたよ。これを考え付いた人、あたまいいね。http://www.kidzania.jp/top.html子供にとって・実物大でおままごとができる企業にとって・小さいころから企業の良いイメージを「刷り込み」でき、10数年後の求人に期待できる。経営者にとって・箱だけ作れば、スポンサーにお金を出してもらえる。・社会に対する還元性の高い事業だ、と世間が支持してくれる。親にとって・子供のコスプレ写真撮り放題。なのに「働くことの大切さが教えられるから」という大義名分がある。・何かをやらせる時間がおまかせで決まっていて、遊園地や動物園と比べれば狭いので、あれこれ考えたり、肉体的疲労が少ない。学校関係者にとって・管理されているところなので安全。・PTAからの趣旨の反対を受けにくい。(寺社仏閣見の時のような説明の煩わしさがない)・雨天決行なので行事予定変更の心配がない。・東京駅から近いので日帰りで行ける学校が多い。・地方の小学校でも修学旅行の中に組み込むことができる。・体験学習の受け入れ先の店等を探す手間が省ける。職業体験っていったって、ほとんどが制服があるようなもの(=肉体労働)ばかり。サラリーマンのまねっことか、子供にもわかるようにはできないわな。「できるだけ多くのこども達に体験の機会を与えるため、大人の方の入場人数に制限を設けさせていただいております。」とあるが、これは幼児の好きなおにいさんが単独で来て、ビデオ撮りしたりしないようにするためでもあるだろう。「原則として大人1名に対してこども又は幼児1名以上の入場とします。但し、ご両親及びご家族に限り大人2名に対してこども又は幼児1名の入場をすることができます。入場には保護者の同伴が必要です。」となっている。確実に複数の客数が見込める。子供が2人いれば「両親そろって来い」ということだ。つまり安全管理は親の責任にできる。「(団体予約は)大人がこどもの人数を上回ることはできません。」とあるが、子供のほうが入園料が高いので問題はない。入れ替え制にして、混雑は避けるらしい。つまり予約定員制。収益が計算しやすい。立地はニューカマー=子育て世代の多い海浜地区。よくできているなぁ。
2006年10月03日
スペイン語のyahoo検索なんてのを初めて使ってしまった。「勇気100%」という歌があるんだけど、http://music.yahoo.co.jp/shop/p/53/205865/Y005390NHKのアニメの主題歌なもんで、この間までYouTubeにその放送からまるごときり取ったのがぶらさがっていたのに、わずか数週間みないうちに、This video has been removed at the request of copyright owner NHK (Japan Broadcasting Corporation) because its content was used without permission という表示になってしまっていた。残念に思って[戻る]と、なんとスペイン語版を発見。http://www.youtube.com/watch?v=ZwROSLd56yUアニメが放映されていたこともびっくりですが、小さいカルメンちゃんやカルロスくんが楽しんでいるだけでなく、バルセロナ在住19歳がこうやってアップしているという事実のほうが驚きです。日本のオタク文化が広がっているとはきくけれど、本当にそうなんですねぇ。で、見つけたページ。http://www.etc.cl/series/rantaro/main_rantaro.htm[バー]というんでしょうか。上のところに並んでいるスペイン語の中に「OTAKU」とあります。そんでそこをクリックすると、「MANGAKA」とか「SEIYUU」とかが、まんま外来語というか専門用語というか、使われているんですねぇ。はー。なんだか日本人の知らない知られ方しとるんだわね。今度の新入生も、こーんな具合。「映画をみますか」「はい、みます」「くにで、日本の映画をみましたか」「はい、みました。電車オトコをみました」」だもんなー。「電車」という単語を習って、「あ、でんしゃおとこ。」といったのは、タイ人だったよ。積極的に輸出している意識はない日本の文化の流出、学習モチベーションの近年の急速な変化(準オタク率高し。コスプレイヤーもあり)に、ただ見ているだけなのはもったいないかもしれん。しかしどーやって記録しよう。
2006年10月02日
しつこくこだわっています。というか、やっぱり出ていたよ。こんなの。思いついたネタだったのにぃ。やられた。http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31739482この方、英語の丁寧表現のやつとか概論書とか読んで、うまいなーと思っていたヒトだったのだが、文末表現に着目ですか。日記的には明日のNHK第一放送で出てきていました。東条さんは「であります」と軍体調。カクエイさんは「ております」と謙譲的。(というか新潟三区の方言かもよ)とかなんとか。で、安倍さんの話し方は、良い点もあるけれど、「情報はあっても情緒がない」ということでした。原稿を読んでいるみたいで、自分の言葉になっていない、と。読まなきゃ。
2006年10月01日
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