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今日の会見、いつかいつかと朝からずっと待っていた。30代の議員と並ぶと、鳩山さんも老けたなぁと気付く。昭和22年建国記念日生まれってことは、志村けんの3つ上だから59歳。戌年の菅直人より1つ年下。そうやって考えると、まあそれなりですね。話し方も表情も、その演技が最もわざとらしくないのが鳩山さん。永田・前原と3人の中で比較してしまったせいか、由紀夫さんに対する好感度「↑」無駄にあがってしまった。単に老獪なだけなはずなのに。原口さんという方もなかなかいい感じ。穏やかな話し方。ちょっと調べてみたら東大の心理学科卒ですって。あーそれでか。ちなみに永田くん、昭和44年9月2日生まれ、愛知県名古屋市出身。義務教育時代をどうすごしたかわからないのだけど慶應義塾志木高等学校卒業。いつのまに埼玉方面にうつったんだろう。慶応高校より一つランクの下がるシキコーにいった意地からか、そのまま慶応にあがらず、頑張って大学受験勉強。で、東京大学を卒業するんですが、工学部なのです。確かに理工系に、時々あるタイプだよね。あからさまにインチキくさいオカルトめいたことですら素直に信じたりするっていう人。論証の必要な内容を読んだり書いたりするんじゃなくて、実験と現象の記述だけ繰り返すというのでも卒業できるからかな。理系なのに大蔵省入省。で、研修とかで2年終わったら、国のお金を使ってUCLA 経営学修士課程へ留学し、修了後運輸省へ出向なのか左遷なのか実際はよくわからないけど異動して、その後2年で官僚を退職し、公設秘書となった人です。個人的な夢を安く適える為に留学させてやったわけじゃないのよ。税金返しなさい。どうでもいいけど、元官僚だけどたいした実務経験なさそうですね。2000:第42回 衆議院選挙で初当選2003:第43回 衆議院選挙で小選挙区で当選2005:第44回 衆議院選挙で千葉2区で落ちて南関東比例でゾンビ当選というのだけど、この人と千葉とどういう関係なんだろう。<永田くんの会見の話・要約>お騒がせしてごめんなさい。ぼく、疲れちゃって入院しちゃいました。ていうか、幹事長がしろっていうから。メールについてはホンモノという証拠は出せませんでした。でも偽物でした、なんて言葉は、絶対に言わない。だって、メール自体はともかく、そのメールの「内容」はホンモノですから。証拠もあります。でもそのことをここで言うといけないって言われているから、黙っています。は?嘘かどうかって?情報提供者はホンモノです。なぜなら、ぼくは全幅の信頼を寄せていますから。だいたい嘘だとしたら、何の意図があってそんな情報を渡すのです?そう考えたら、嘘じゃないってわかるでしょう。え、たけべ?公人の家族ってのは、一応私人だったんですね。一応、謝っておきます。ぼくの責任問題については、幹事長にまるなげします。あとで幹事長にきいてください。ということを、全面的に押し出すもんだから、前原代表は全面降伏を認める声明を出さざるを得ませんでした。永田、世が世なら、おまえ切腹だ!神妙そうな表情をしてみせているんですが、たぶん日本中、いや世界中で注目されているね、ぼく。今日はみんな、ぼくのために集まってくれてありがとう。ぼく、反省しているような表情にちゃんとうつってるでしょ。おじぎだって90度、5秒数えようって決めていたもんね。フラッシュたかれるポイントも考えて、練習した甲斐があったかな。あのさ、みんな言わなくてもわかるだろうから言わないけど、たけべがどうのっていうけど、誰が一番被害を受けたかっていうと、僕なんだよ。みんながもっと協力して事実を早く明らかにしてくれれば、こんな目にはあわなかったんだ。ぼくはね、何一つ悪くないんだよー。といいたげな雰囲気がにじんでしょうがないのは何故。扇千景の名前をあげた野次で、松浪議員を追い込んだときと同じように「情報提供者と何発やったんだ」と返してあげるべきでしたかね。せっかくコップの水も用意してあったし。
2006年02月28日
スプレー式というそうだが、細かい粉のインスタントコーヒーは、牛乳をいれて飲む。ブラックではいまいちな感じがするのだが、稀に「スプレー式のほうが、溶けやすいしおいしいし安い」という感想もあるので、人それぞれかもしれない。友達の家の庭でバーベキューで、出てきたコーヒーはこのタイプだった。一瞬ちょっと煮詰まってはいるけど、レギュラーかと思ったくらい、香りがあった。「実は鍋で沸かしたインスタントコーヒー。だいたい騙される」と言われ、インスタントも淹れ方次第だなぁと思った。各メーカー、どれも、ミニチュアの世界の線路の下の敷石みたいな形の方がおいしい気がする。この粒子の粗いインスタントコーヒー、「インスタントコーヒーも熱湯ではなく、80度でいれたほうがおいしい」という人もいるが、もっとおいしい淹れ方は、1.少量の水で溶く。2.練る。3.お湯を淹れる。という方法だ。熱湯をいきなりいれたときと違って、まるい感じになる。「高校生のときに、勉強中に絶対眠ってはいけないと思って、コーヒーを飲むことにしたとき、よく効くようにと、濃度をあげるために粉をなみなみ一杯いれて、そこにお湯を注いだドロドロのものを飲んだら、目がさえるどころか心臓までおかしくなって、手はぷるぷる震えるし、試験はさんざんだった」という人を、2人知っている。「今思えばバカだったなー」という笑い話なのだが、その後、2人とも国で最高のレベルの大学に入って学んでいるので、やはり結果が出せる人というのは、そのくらい自分を追い詰めて勉強しているのだなぁと感心した。健康に悪いので、絶対おすすめできない方法だけどね。
2006年02月27日
ねじる時に力がいる、というのが瓶詰の嫌われるところだが、それは開け方に問題がある。ひねる前に、スプーンを瓶のふちにあて、テコとして使って、「ぷすっ」という空気の音と、蓋が膨らむのを確認してからひねれば、全く力は要らない。大きく変形させるほどには曲がられないので、使用途中に誇りよけとして蓋を使う場合には、ちゃんとしまる。欠点は、蓋の再利用ができないことか。でも、空き瓶を使って、煮沸して空気抜きをして、もう一度保存食としての何かの瓶詰めを作ろうとするときだって、蓋だけは新しいのにとりかえないと、だいたい失敗する。なのでこの方法をおすすめする。
2006年02月26日
今更だが、「エスパー魔美」の高畑さん、超かっこいー。漫画のキャラクターは往々にして「賢くないけれどココロがあたたかい」か「賢いけれど冷徹、あるいは鼻持ちならない」のどちらかに偏るが、高畑さんは「賢くてココロがあたたかい」ところが珍しい。あの性格と知性が、あの体格と運動神経の鈍さを兼ね備えているところがいいのだろう。もし見た目が出木杉くんみたいだったら、いやみっぽい。伊藤理佐「おいピータン」で人気の大森さんも不細工キャラだが、特技(食に関する能力)や、「落ち着き」が高く評価されている。クールじゃなくてちゃんと熱くなったりもするのだが、運任せのような向こう見ずな無茶はせず、落ち着いて最善を尽くす。すごいよ高畑さん。欠点があるキャラクターの場合、それでくよくよ悩んだり、努力を諦めて開き直ったり、あるいは「欠点を克服するどころか、めきめきとよくなって最大の長所にする」というフィクション独特のどんでんがえしマジックがあったりするもんだが、なんとかなりそうなところは、こつこつと地味に努力する高畑さん、すばらしい。魔美との関係も、恋愛じゃなくて信頼で繋がっているところがよい。嫌がるしずかちゃんのパンツや入浴シーンを見て、でれでれと喜んでいるのび太なんかよりも、天真爛漫な魔美の肢体にぎょっとして赤面するような高畑さんの方が健康的だ。それにしても何故しずかちゃんは、のび太なんかと結婚してしまうのだろう。モテモテのしずかちゃんなのだから、「一途な気持ちにほだされて」という理由だけでは、ちょっと弱い。「のび太の結婚前夜」では、しずかちゃんのパパが、娘がのび太くんという青年を選んだことを評価する“感動の場面”があるのだが、パパが言葉にしなかった裏には別の思惑だってあるかもしれない。嫁にやるとはいっても、実家同士徒歩圏で近いから、一人っ子のしずかちゃんにも、しずかちゃんの両親にとっても何かと都合が良いはずだ。同じ幼馴染でも、優秀な出木杉くんと結婚したら、それこそ全国あるいは全世界に転勤とかいうことになりそうだし、夫は仕事漬けで家庭をかえりみる暇などないだろう。ざあますなスネ夫のママや、乱暴なジャイアンの母ちゃんに比べれば、のび太のママはいい姑になりそうだし、それに、べた惚れののび太には「のび太さんなんて大嫌い」という切り札を言えば、どんなことでも言うことをきいてくれそうだし…ということを考慮にいれて「まあいいか」と思えたのか。それとも、ドラえもんと家族としてつきあえるオプション、いわゆる財産目当てか?ところで、魔美は料理が下手だ。おそらくジャイアンといい勝負。そのジャイアンシチューを本当に作って食べてみた人がいるのは驚き。http://a-c.comic.to/dora/gianstw0.html配合次第で、おどろおどろしいものにも、なんとか食べられるものにもなるようだ。全く関係ないが、いまテレビを見ていたら、新お受験戦争が始まるといっていた。カンカンドウリツ大学が全て小学校を作るらしい。1つの世代の人口が少ない時代。客を増やす方法は、上に伸ばすか下に伸ばすか、そのどちらか。
2006年02月25日
アネットはどれのことだろうと思って調べたら、別名ディルだった。ディルといえば、見た目、金魚鉢の水草。魚介類にあう、最もおいしいハーブの1つ。ハーブをいろいろ育てると、いつもローズマリーばかり元気に育つ。除虫菊のような強い香りを放つので、ちょっと贅沢にというつもりで欲張って使うと、肉が死ぬ。バジルは虫もおいしいと思うのか、ばりばり食われる。虫を追いはらって、もうちょっと大きく育てようかしらと欲張ると、茎も葉も頑丈に固くなり、いまいちな味になる。紫蘇は緑のものの方が食われ、紫ばかり残る。紫はちょっと固くて、ぴろーんとそのまま食べるのはいまいち。実をとって甘辛く煮付けて瓶詰めにしておいて、納豆や卵ゴハンにまぜるとプチプチとおいしい。今育てているのは、豆苗というんだったか、もやしのようなかいわれのようなもので、スーパーで「何回か収穫できます」とあり、4回目の収穫に向かっているところ。だんだん弱弱しくなっている。●●●●●● 葉|||||| 茎||●●●●●● 葉|||||||| 茎||||||||○○○○○○○○__| 豆 __________| ウレタンに水を足す 容器これじゃあ絵としてわかりにくいね。
2006年02月24日
コンサート&ディナーコンサートを聴いたあと、船の中でごはん。ディナーメニュー・春のお庭(スコットランド産サーモンのマリネアネットの香りヴァリエ野菜のマリネ)…山盛りの鮭とハーブ・潮騒(蛤のコンソメロワイヤル風)…青海苔かけた茶碗蒸しスープ・天使の誘惑(天使海老入り真鯛のポピエットのフイユテポロ葱のファネグレソースアメリケーヌ)…パイの間に白身魚にくるまれた海老とマヨネーズっぽいソース・牛フィレ肉の香草風味焼きサラダ添え・デザート(チョコレートムース&ラズベリーソース)・コーヒーたのしかった。おいしかった。
2006年02月23日
民主党で、おもてに出てくる人が、若すぎるからだろうか。どうして自滅の道を選ぶのか。例えるなら、こんな感じ。学級会で、永「こんな手紙があったんです。「今日の給食のカレ―■■、残ってたのを■ちゃんの机にいれといたげる。じゃね。■■屈シ工」この■の字は武ちゃんを意味する文字、あまり聞かない名前ですね。つまりタケベーです。<会場:オー(どよめき)>給食の残り物を時間外に食べることは、食中毒の危険性から、厳に禁止されています。学級委員長、この事実をどう受け止めていますか。ご説明いただきたいっ」小「何それ。誰にきいたのよ」永「情報提供者の身の安全が保証されていないのでいえませんっ」小「そんなガセネタ…」永「どういう意味ですかっ」小「ガセネタとは、偽物の品、嘘の情報という意味だ」永「いつもいつも何を言ったって捏造だと責める。また僕のいうこと信用しないって言うんですね。ひどいっ」小「落ち着いてください。この問題はあなたが言い出したことです」永「タケベーが給食の利益供与を受けたという事実を調べましょうっ」小「事実も何も。この塗りつぶしは何?こんなの証拠にならないよ」永「この伏字の部分は、情報提供者が誰かわかってしまうような暗号が含まれているんです。だから明かすことはできません。早速学級会調査権を使ってタケベーの机を調べましょう。カレー粉成分が検出されることは、間違いない」小「じゃあちゃんとした証拠を持ってきなさいよ」永「僕ばっかり悪者にして。うわぁぁぁん」永くんは、ひきこもってしまいました。世間は、伏字の「カレー」をなぜ不自然に「カレ―」と表記しているのかとか、差出人の名前まで消すのはおかしいとか、これはやっぱり「カレーパン」でいいのか、ひょっとすると「カレーまん」か「カレー饂飩」なんじゃないかとか論争しています。「カレー辛ぇ」「カレーじる」などの落書きがあちこちに書かれます。しかし、カレー汁を直接机にいれるという話だとしたら、いじめですね。老獪な武ちゃんが、いじめられるがままなんてことは、あまり考えられません。で、もしかすると、これは実は武ちゃん側の謀略では?なんて説まで出てきます。いや、謀略にしちゃあリスクが高いので、それはないでしょう。前「是非とも、調べましょう。さあ学級会調査権を発動させましょう」平「その紙ならわしも持っとるが、「今日の給食のカレ―パン、残ってたのを■ちゃんの机にいれといたげる。じゃね。@土屈シ工」調べたらいい加減なヤツが発信源じゃないか。いちいちこんなことを学級会で取り上げるな」野「ソレが同じホンモノだという証拠はあるのか」小「ねえ、ちゃんとした証拠を出しなさいよ」前「学級会調査権を発動したら、新たな証拠を出しましょう」小「だいたいこのメモはホンモノだといえるもんじゃないでしょ」前「信憑性は信じています。そんな問題なんかより、学級会調査権を使って調べることです」小「権力は注意深く使うものですよ。やたら無意味に使ってはいけません」前「いま権力が使えるのはあなた方だけだ。主流派じゃない我々にはどうせないんだよ~、うわぁぁぁん。権力を使わせろよぉ」で、武ちゃんは給食の残りのカレーパンを食べたのでしょうか。このやりとりを聞いて、ちょっと考えてしまいます。「武ちゃんの机、汚いしなぁ。出てくるのはカレー粉だけかどうかわからんぞー」つーか、それが狙いで、ハツドウせよと言うのです。確たる証拠がなくても、怪しいと思う人の何らかの嘘を暴きにいくきっかけにして、国家権力を使って合法的に罪人であることを証明してやれるというのは、魔女狩りみたいなもんではないかと思うのですが、「後ろめたくなけりゃあ、武ちゃんも机の中を全部見せればいいのよぉ」なんてことを言う人もいます。そんなに自分自身を曇りない者として捉え自信満々であること、無条件に他人を信用して生きていけることは、ちょっと羨ましいです。というか、まったく他人事として捉えているから、全開せよとか平気で言っちゃうのかもしれませんね。
2006年02月22日
今月も残すところあと1週間となりました。来月もよろしくお願いいたします。10分で晩御飯・ごはん・味噌汁(昼の残り)・スモークサーモンのマリネ(切って和えただけ)221円・ほっけ(焼いただけ)100円・ほうれんそう胡麻和え(昨日の残り) 198円・ひややっこ(切っただけ)88円・なすの漬物(袋から出しただけ) 198円・いちご(あらっただけ)398円これが朝ごはんなら、かなり頑張った感じがするのだけど。
2006年02月21日
きつけきょーしつ、難解です。苦行に近いです。紐を抜いて仕上がる予定の帯が、どさっと落ちてきます。眉間に皺が寄ってそうです。「楽しく、楽しく」と言われます。モチベーションの問題だと思います。「好きこそ物の上手なれ」と言いますが、好きでないものが上手になるのは難しいです。しかし、「好きでもないのに上手になる方法」というのもあります。ここのリンクに貼ってあるサイトに、「3ヶ月で2級」という驚異的な成果をあげている語学訓練所(?)の話が出ています。語学の2級というのは、だいたいどの言語も似たようなもんだと考えていいです。「abcから始めて90日で英検2級」と置き換えれば、その凄さがわかるでしょう。しかも「受講した人の全員が」です。これまで、あいうえおから始めて「4ヶ月で3級」というのでも、「学生さんはえらいなぁ」と驚いていたのですが、この「3ヶ月特訓(2級)」コースとは比較になりません。教師の熱意やプログラムの効率の良さという違いは大きいです。しかも、絶対時間が少ないのです。「3ヶ月特訓(2級)」コースは、1日5時間授業、週25時間=月100時間。プラス自宅学習時間、平日3時間、土日5時間ずつで、週25時間=月100時間。120日で、300+300=合計600時間でゴールです。「4ヶ月練習(3級)」コースも、月~土平均5時間授業、週30時間=月120時間プラス自宅学習は月~土3時間程度、日曜2時間程度=週20時間=月80時間。160日で、480+320=合計800時間でゴールです。一応、日本語能力試験の受験めやすには、学習時間は、1級:900時間2級:600時間(中級修了レベル)3級:400時間(初級修了レベル)(4級は100時間程度)とあります。これは自宅学習時間については、特に問題にしていません。そのため、「自宅学習もしっかりやって800時間で3級合格した人」は、その上のクラスに行っても、難なくついていけ、次のゴールもクリアできるのですが、「自宅学習はあまりやってないけど3級だけはなんとか合格した人」は、次のクラスでは落第生的な立場になってしまうことが多いのです。そこが問題。2級という成果が出せるところまでできなくても、3級の壁を越えられる下地となる学習ができている人も、バランスの悪い学習をしてしまった人もいるのが「4ヶ月練習(3級)」です。ちなみに英検でいうと、3級程度と同じ中学英語。これが完璧ならば、微妙なニュアンスは伝えられないかもしれないけれど、とりあえず旅行に行くような場合に、困らない程度です。中学英語は、文科省規定授業日数換算で3年間で315時間です。ただ授業を受けているだけの生徒は、滅多に受かりません。やはり自宅学習時間数が合格のカギ。自宅学習を、日曜を除いて長期休暇も1日30分1年300日間3年間(週3時間)する程度だと450時間なので、ものすごく大雑把な計算ですが、やはりだいたい合計800時間で3級という感じでしょうか。うーん、4ヶ月練習(3級)コースの密度は中学英語なみの緩さであったか。勉強する絶対時間が変わらないのに、ゴールが違うというのは密度の高い学習ができているということです。密度は、「教師の熱意」と「プログラム内容」と「学習者のモチベーション」の違いが出るところです。モチベーションの違いは「お金の流れ」の違いが大きいです。3ヶ月特訓(2級)コースは、社員として勉強しています。使い物にならなければ、一生出世コースから外れるか、クビだという危機感を持っているはずです。4ヶ月練習(3級)コースは、ほとんど学生しか経験したことのない学生です。うまくいけば正規留学生として残れますが、失敗すれば大好きなパパとママのいる国にすぐに帰って、適当に暮らせばいいだけです。あるいは、「一定期間、学生の身分は合法的に滞在するために借りているだけ」と考えて、勉強よりお金を稼ぐことに頑張っていたり、厳しいパパとママの監視の目がない世界の自由を謳歌し、恋愛だけに励んでいたりします。仮に指導員からキツイ言葉を浴びせられたとしましょう。「ダメ、もう一度」という程度でもいいし「てめーなんか帰っちまえ」でもいいです。お金をもらっていれば、それも給料のうちと我慢できます。もしかしたらお金がもらえなくなってしまうかもしれない、という危機感も煽られます。しかし、お金を払ってまで叱られたい人は、今時あまりいません。叱られないようにするには、わざわざお金を払うようなことをしなければいいのです。しかも、本人はフトコロの痛みはあまり感じていません。だって本国のパパとママが払ってくれているのですから。お金を払った分の元をとろうだなんて発想もありません。「5000円渡したから明日までに90分のプレゼンテーションにまとめろ」といわれれば、必死で勉強して間に合わせることができます。他人に伝えるためにやろうとすると、入念に勉強するようになるというのもありますが、「お金をもらってしまった以上、ちゃんとやらねば」「成果が出なければクビが飛ぶ」この意識が違うのです。これが「2500円払ったんだから教えてよ」とまるで受身になると、紐の結び方一つでも、ろくに身につかない。ということが、きつけきょーしつに身が入らない理由でもあるのです。「明日、自分一人でこの着物を着て来てください」というような課題が課せられていれば、多少違うかもしれませんが、そんな実地訓練はありません。それに形だけの付け焼刃をだらだらやっただけでは、本質的なことは理解できていないので、どうやったって3級より上にはいけません。着物の世界は、「着付3級」の「眼前にある一枚の着物が、時間内に着られればいい」ということだけではないようです。この基本文型を体得し、「お世話になった先生のところへ訪問することを想定して、どの着物がいいか考えて着て来てください」と、応用練習をして、「お正月にお世話になった先生のところへ訪問することを想定して、どの着物がいいか考えて着て来てください」と、拡張練習をして、「3月初旬にお世話になった先生のところへ訪問することを想定して、どの着物がいいか考えて着て来てください」と、代入練習をして、日々練習に練習を重ねて、「「まあ奥様、素敵なお召し物」のあとに続く文を考えろ」という、ロールプレイ練習で、「大島でございましょー」と言えるようになったら、2級並みなんでないかと思いますが(よく知らないけれど)、道のりは遠いです。これが、ロールプレイじゃなくて、実際の場面で、「それを言えなきゃ、勤め先での立場が悪くなる」というような状況に追い込まれれば、あっと言う間に、覚えられるんじゃないかと思いますが、そんな世界には行きたくありません。
2006年02月20日
朝ごはんを控えめにし、昼ごはんも我慢すると、夕飯が早くなります。夕飯が早いと、夜、また二度目の夕飯を食べます。摂取総カロリーが同じでも、その摂取のタイミングによって、脂肪になりやすくなるということが実証されているようです。我慢している気分がダイエットをしている気分にすりかえられているので、なぜ痩せないのか不思議がります。・・・食っているからだよ。ひとのことは言えません。気がつくと、検索している語が全部食べ物だったりします。食べ物のことが頭から離れない、これはいけません。で、SPAMメールの語源が缶詰だったということを知りました。その缶詰は、戦前にスパイス+ハムという名前を公募で決めたそうです。つくづくインターネットは便利ですね。
2006年02月19日
胃が痛いときの民間療法。トルコは「牛乳に蜂蜜をいれて飲む」 (まあそれもあるかな)「朝一番にごま油を飲む」 (!)なんかもう半分治っている人しか使えないワザかなぁ。韓国で、ごく一般的な胃痛というか胃もたれの治療法には、裁縫用の糸を親指に巻きつけ、真っ赤になった指先に裁縫用の針でぶつっと刺し、小豆大の血を出すというものがあります。血が黒ければ悪い物が出せたということになるそうです。「指1本で効かなかったから、全部の指をやった」とかいう人もいます。よく考えてみれば、黒っぽい血というのは、おそらく酸素不足だということですよね。しっかり血行不良にしておかないと、血は赤いままになるので、この治療パフォーマンスを成功させるためには、しっかり指を縛り付けて、ちょっとしびれるくらいまで放置しておくことが鍵だということですね。プラシーボ以外で、どこが効果を生むポイントなんでしょう。何かをひどく気にし続けることが、胃痛を促進します。胃痛であることを気にしないようにするために、気をそらす。針で血を出すのは、そんな意味もあるのかなぁ。伝統的な方法だと聞きましたが、実際歴史はどの程度古いものなのでしょうか。文書には残されているのか、どうなのか。いま生きている人が、「おかあさんが教えてくれた方法」だということをききますので、その程度あるいはそれ以上昔からあるのでしょう。日本人など外国人で「効果があった」という人をあまり聞きません。つまり、おかあさんに習うということも、もうひとつのポイントなんだと思います。
2006年02月18日
『もぐらとずぼん』では「えびがに」と訳されているロブスター。レッドロブスターに1ヶ月ぶりで行きました。というか、年に2回も行くなんて、珍しいことですが、理由があります。先月行ったときに、福引をひいたら、「A賞:生ロブスターレギュラーサイズ」の無料券を当てたのです。有効期限は2月28日。コーヒーの無料券とはわけが違います。ロブスター1匹、3990円ですもん。これは無視できません。2月もあと少し。暇のあるうちに行かねば、ゴー。ロブスターはオーブンで焼いてもらいました。焼いたら身が縮んじゃうから、蒸したほうがいいかなとも思ったけど、ぷりっぷりのロブスター、適度な塩加減でとってもおいしかったです。隣の席に上品な女性が一人いました。結構な美人さんです。年齢は30歳前後という感じでしょうか。最近は「おひとりさま」が流行っているから、こういうファミレスみたいなきれいなお店は、比較的入りやすいかもしれません。だけど、カニ類って、食べるのに時間がかかるから、複数の人と食べるケースがほとんどなので、ちょっと珍しいです。まあ誰かといったところで、どうせ食べるのに集中するあまり、無言になってしまうのですが。でも、食べ終わったときに「おいしかったねー」といえる相手がいないのは、ちょっと寂しいかなぁと思ってしまいました。彼女も、ロブスターをまるごと一匹注文していました。「お待たせしました。では食べやすいように切り分けます」と目の前でお盆の上で切ってくれるパフォーマンスつき。真っ赤なあつあつのロブスター。ゆっくり丁寧に隅々食べているんだけど、手づかみで、本当にロブスター好きの人なのだなぁと思いました。恋人にはロブスターを食べる姿を見せたくないのかもしれません。せっかくのロブスター、じっくりゆっくり食べたいです。2人で行ったら、半身しか食べられなくなります。それぞれ1匹ずつ食べるというような趣味の相手は、値段がちょっと高いものなので、なかなかいないと思います。だって、同じ予算だったら「ロブスターとシーフードサラダとカニピラフ、あとコーヒー2つ」なんてことになってしまいます。で、「あーお腹いっぱい。いろいろ食べられてよかったね」って言われちゃうんです。いろいろ食べなくもいい。足りなければ、家でおにぎりを食べる。心ゆくまでじっくりロブスターをめいっぱい食べたい。ああわかります、その気持ち。なんて、かってにアテレコ。今度は1人で来てみようとひそかに思いました。
2006年02月17日
今日は買い物にも行かなかった。テレビも見ていない。何もないので、今日のメニュー。<朝>パン(超熟ロール)、カフェオレ<昼>ピザ(モッツァレラ。熱したフライパンで蓋をして焼く)、お茶<夜>ごはん味噌汁(じゃがいも、たまねぎ、高野豆腐)浅漬け(白菜)鶏香草パン粉焼き・トマトソース(鶏むね肉、バジルソース、香草入りパン粉、オリーブオイル)(トマト、ナポリタンケチャップ、ガーリックスライス)厚揚げ煮(厚揚げ、たまねぎ、にんじん、春雨、砂糖、醤油、塩)サラダ(キャベツ、ひよこ豆、レンズ豆、マヨネーズ、ドレッシング)水カルピスみかんおかず3品なんて、NHK今日の料理に出そうなくらいフツーの家庭料理っぽい。久しぶりに、ちょっと洋風寄りな一日だった。
2006年02月16日
「咳・声・喉に龍角散」だっけ。エイロクスケ。あらためてこのコピーを見ると、質の違う語彙の羅列だな。テレビは何らかの理由があって(聞いたけど忘れた)、出演を拒否しているらしいが、ラジオでは元気な人だ。この人、「あたしはね、携帯電話は持たないようにしているんです」という。最近は、映画をみても、インターネットや携帯電話の小道具が使われていて、それがどういう意味なのかわからないので、ストーリーがわからなくなる、とぼやく。メールを送信しなくてもいいから、受信だけできるようにしていれば、便利なんだから持ってくれ、と娘に言われても拒否しているんだという理由が、「いつの間にか届いているというのが不気味だから」だって。手紙を書いて、ポストまで歩いていって、ちょっと足りないことを書き足したりして「ぽとん」と落ちる瞬間のわくわくする感じがいいから、というんだけど「わかってもらえない」と愚痴る。「郵便は郵便の良さはわかりますよ。でも急ぎの場合はメールも便利ですよ」とラジオで相手の人がいうんだけど、「急ぐ場合は速達でいいんです。」と頑な。このエピソードをまとめるなら、携帯電話の「生き急ぐような感じになりそうで嫌」ということならわかる。この人は郵便の好きな理由は、送る側の視点しかあげていない。郵便でも、受け取る場合は、郵便屋さんが、ほぼ定時なんだろうけど、いつのまにかポストにいれていっているし、速達になると不定期にやってくる。いつのまにかという点では、郵便とメールにそれほど違いはない。つまり、永六輔さんにとって、メールだと技術的に「発信できない」のが不満なんだろう。そして、新しい技術を取り入れることが、なんだか時代の流れに組み伏せられるような感じがして嫌なんだろうと思う。テレビ草創期に活躍し現在の基礎を作った人なのに、テレビの功罪を云々するなら、今度はこの新しいメディアを提供する側じゃない立場に立って、あらためて総合的に考えてみるのもよいのに。「ケータイは便利ですよ」ということを、持っていない人に言う場合、便利になるのは「あなたにとって」ではなく、「勧めているその人にとって」ということである。「どこでも連絡できるし」と言われても、用事を「急ぎでお願い」と言いつけられることが増えるだけだ。持ってみれば、便利なことはわかる。通話でよく使うのは、待ち合わせ場所で会えなかったときの最終確認。それも寸前までは公共の乗り物に乗っていて通話はできないからメールだ。主に使っている機能は転送メールのチェック。それと長く乗り物にのっているときの暇に使える。とりあえず電車に乗ってから、行き先までの行き方と所要時間を携帯電話で確認する。電車に乗るときは、目的地まで切符を買わず、プリペイドカードを使っているから、どうとでもなる。突発的にどこか寄り道をしたくなったりしても融通が効くのでよい。これで時間を効率よく使っていることになっているのかどうかわからない。ただ、事前準備や決定を後まわしにでき、ぎりぎりまで選択の余地が残っていると感じられることが、心理的負担を減らす、と体が認識しているんだろう。どうせ予定を立てたところで、人為的に変更させられることが多いんだから、ならば変更ができる立場でもいたい。地球の回転にあわせた日々が送れたら、こんなことは思わなくなるかもなぁ。
2006年02月15日
今日はチョコレート記念日です。立春を過ぎて、寒暖の差のはげしく、ちょうど風邪が流行ったり、花粉症が始まったりする季節。毎年2月14日に、滋養のあるチョコレートを食べると、1年間元気に過ごせるという言い伝えから、家族や恋人の健康を考える女性が男性にチョコレートを送るようになったといわれています。チョコレートドリンクのポリフェノール成分が、花粉症の症状を和らげることは、古来人類の知恵として継承されてきましたが、チョコレートが飲み物ではなく、現在のように固形で貯蔵が容易になってからは、ますます交換が盛んになりました。ある地域では、最初の一口が「甘い」と感じた人は楽しい1年が、「苦い」と感じた人は苦しい1年が待ち受けているという占われるそうです。一説によると、もともとチョコレートの味には、甘味に「世の中を甘く考えてはいけない」という戒めが、苦味には「人生は苦いものばかりではなくあってほしい」という願いがこめられているといわれています。あなたのチョコレートはどんな味がしましたか。今年も1年元気に過ごしましょう。・・・薀蓄っぽいこと言ってみても誰も信用してくれない話もある。今年は5個もらって1個あげて全部食べている。どれも美味。まだある。しばらく楽しもう。
2006年02月14日
『ど根性ガエル』を再放送していた。名前からして古い、どこんじょう。一生シャツの外に出られないカエルだから、根性があるということなのか。子供のころに気になっていたのは、「夏冬一着しか服がないなんて」ということである。時々洗濯されているけれど、においそうだ。昭和40年代だって、思い出せる記憶はたいてい、においがともにある。いいにおいの記憶もたまにあるが、だいたいどこかにクサイにおいが潜む。人間もくさかったし、生き物のにおいもたくさんあったし。・・・においとくさいが同じ「臭い」になるのは不便だなあ。「匂い」は良いほうに使いたいし、活用上「臭おい」と「臭さい」と送り仮名にするというのも、しにくいし。漫画の中では、生徒のうち、何割かは下駄履きだった。電柱は木製、板塀に木戸。のらいぬも出てきた。「教師生活25年」が口癖の先生は磯野波平さんの若い声。ってことはまだ47歳なんだな。うだつのあがらない人という印象があったが、まだまだ教頭や校長にもなれる可能性があるではないか。停年55歳時代じゃ頭打ちだったのか。「ゴリライモ」は、ジャイアンの声。子分に人払いをしてもらってふんぞりかえって登校しているが、学校から帰ると、家の魚屋の店先で接客をしていた。店番をするジャイアンも、野菜を配達するキテレツ大百科のブタゴリラもそうだが、学校では勉強もできず、乱暴なでたらめの子かもしれないが、家では親のいうことをきき、よく働く良い子ではないか。今日の話は、途中から見たのでよくわからない。ゴリライモの魚屋で、買い物に来たキョーコちゃんに、「キョーコちゃんになら無料であげる」とゴリライモが言ってしまったので、「あたしにもサービスしなさいよっ」と怒っていた女性客が、興奮して力んだあまり屁をこいて、偶然その尻の前にいたヒロシが、それを思いっきり吸い込んでしまい、ガス中毒になって、頭がおかしくなり、きょーこちゃんのスカートを脱がしてパンツ姿をさらさせ、怒ったゴリライモに殴られて正気になり、あらためて怒ったキョーコちゃんが力んだあまりうっかり屁をこいてしまって、ヒロシ大喜び、ブタゴリラはキョーコちゃんがするはずないと言い、泣きそうなキョーコちゃんに、ピョン吉が「いまのおならは僕のだ」と言って、キョーコちゃんに泣きながら抱きしめられる、という話だった。ピョン吉はおならもするんだな。というか、ごはんも食べるのだからフンもしているということではないか。という話は出てこなかった。この流れから考えると、見ていない前半では、「かわいこちゃんであるキョーコちゃんはオナラなんかしない」と言い張るゴリライモとキョーコちゃん自身に対し、ヒロシは「キョーコちゃんだってぜったいにオナラをする」と言い張っていたんじゃないかと思う。「ガス中毒で変態に豹変する」というのがよくわからなかった。女の子によだれをたらしたり、ささいな苛立ちからぼかすか人を殴ったり、セクハラと暴力のオンパレードだった。こんなアニメは最近はない。こんなの見て育っている世代も、こんなの作っていた世代も、今の時代になって急にセクハラだのパワハラだの暴力だの言われても、わかんなかったりすることもあるよなぁと思った。『ど根性がえる』の漫画本の最終回は、ピョン吉は、同じようにシャツに入った蛙と恋愛結婚して、赤子蛙のシャツが何十枚も干されているというものだった。そもそもピョン吉が平面蛙になってしまったのは、普通の蛙だったのに転んだヒロシのシャツにくっついてしまったということだったのだが、おなじような境遇のメスの蛙に会えることはあったとしても、「シャツの状態の子」が増えていくというのは何故なんだ。おたまじゃくしシャツでもなく、いきなりカエルの絵だった。「カエルの上で転ぶ」って、実際におきかえると、かなり気持ち悪い設定だな。ぷちゅって感じで。
2006年02月13日
「おばあちゃまのお着物だと、ゆきが短いから、ゆきだししないとね」なんか着物らしい世界の言葉なのだが、具体的にイメージがわかん。漢字もわからん。ロースとかフィレとかハラミとかササミとかも、実はどこのことなのかよく知らないのだが、「前みごろ」と「後ろみごろ」以上の分類があること自体知らなかった。豚のササミとか、鶏のハラミとかって食べたことがないから、たぶんそんな部位はないんだろう。ウールの着物にハッカケはないらしい。下半分の裏地って、ハッカケというのでいいんだっけ。「下前をひっぱって」と言われても、どこなのか。「したまえは下にしたまえ」などと駄洒落は言ってくれない。ウールの着物は家庭着であって、街着ではないとか。いわゆるジャージみたいな位置づけなんだろうか。じゃあ近所のスーパーとコンビニまではOKなのか。それで外出すると恥ずかしいかどうかは、人によって違いそうだ。「昔はみんな貧しかったからウールだったんですよぉ」と言われても、どのくらいの「昔」なのかわからん。ヒツジさんがいないころは、木綿でしょう。その前は麻ですし。もっと前は、獣の皮。はじめ人間ごごーんゴーン、と。「みたけ」「きたけ」「そでたけ」は長さを指すのかと思っていたが、部位をさすようだ。いや、違うか。どっちなんだ。他人に教わると、「内容」以上に「教え方」が気になって気になって。板書の仕方とか、説明の仕方とか、そういう部分じゃなくて、なんというかその「精神」みたいなもんでしょうか。やっぱり、こういう伝統芸みたいなものこそ、「大切なお道具を跨ぐとは何事ですかっ!」というようなお小言が基本でないと。見ても何も言わないというのは変だ。半襟をつけるときだって「はぁ~。今の人はマチ針の打ち方も知らないんですねぇ」とため息ついてイヤミを言われるのが基本イメージなのだけど、優しくていい先生です、みなさん。これまでの数十年間、習い事とか学校とかって、殆ど全部「行くのが嫌だけど頑張ろう」というつもりでやってきたので、すごく拍子抜け。経験から「良薬口に苦し」と、嫌だと思っている気持ちがあればこそ身につくのだと、刷り込まれているんだな。「苦くない薬は良薬にあらず」というわけではないだろうに。覚えているうちに、ちょっと復習しておこう。
2006年02月12日
お世継ぎ問題もあいまって、各紙建国記念日についてあれこれ語っていそうだ。わざわざコンビニにいって新聞を買ってきたというのに、まるで話題になっていない。今日の夕刊がない理由に載っているだけだな。国威発揚の場である鶏のオリンピックがあるので、日の丸はダメとか言ってられないのだろうか。一貫性がないなあ。建国の意味を問い、イザナギ・イザナミが作った島ではない北海道や沖縄だって、併合された歴史があるという見方から話題にしてみろよ~と思うのだけど、朝日新聞の社説は、「かつて日本は朝鮮半島や台湾を植民地支配をした。だがそれは必ずしも悪いことではなかった。麻生大臣はそう言いたくて仕方がないかのようだ。」という切り出しだが、建国問題とは絡めていない。「かのようだ」と言われても、あまり説得力はないと思うのだが、読み手が文体をあまり意識していないと「そう言った」と記憶に残してしまいそうだ。でも、そんな麻生さんなら「植民地支配」なんて言葉使わないでしょ。しかし、あの時代をいつのまにか植民地支配というわかりやすい言葉を使っていることが多いが、当時公的に使っていた「併合」という言葉の方がもっとえげつない。例えるなら、「ストーカー」という言葉がなかった時代でのその被害を、「熱烈な片思い」といった方が、当時の出口の無い不気味さ悲惨さが増すだろうに。歴史を正確に語ろうとするなら、当時の用語を使わないといかんと思うのだが、新しい言葉が定着しだすと「ストーカーじゃなくて熱烈な片思いだったんだから、良いことじゃない」と言うのも出てくるので、ここが面倒くさいところだ。ところで、ごかいにんの問題は、あちこちで話題になっているが、ちょっとイマドキ珍しい視点で語られているブログがあった。(右クリックできないようにしてあったので、ページのソースを開いてカット&ペースト)正直言って、雅子さま(42歳)はご姉妹だけだし、結構男の子女の子って女性側の体質にもよるんでこの先、年齢が上がると男の子が出来にくいことを考慮すると、やっぱり期待はできないって誰でも密かに思っちゃってるって事ですよね。子供が出来にくい体質=男の子ができにくい体質 であったりもするんで。<中略>意地悪な発想かも知れませんが、これで紀子さまに男の子ができたりしたら、何だか結構、‘長男の嫁’(しかも将来の天皇陛下の妻)としての雅子さまの面目丸つぶれって感じですよね・・・。愛子さまが民間に嫁がれたら、雅子さまは皇居内に自分達の子供は一人もいないって人生が待っている訳で・・・。ん~・・・、複雑ですよね。最近、男の子二人っていうママを見ていると、(余りにもお嫁さんが強い社会事情を背景に考えて)『男の子ばっかって、子育て大変な割には将来報われないわよねぇ~・・・。』って、ちょっと同情してしまいます。が・・・・、皇室では全くこれと逆の発想なんですからね・・・。一応、この方のいうとおりに従うと、高齢になると妊娠自体が難しくなるということはよく聞きますが、高齢になると男児ができにくくなるという常識が一部の世間にあることを知りませんでした。そういえば、昭和50年代に、「男のきょうだいのいない女子は“女腹”が遺伝していることがあるので、男子は自分の配偶者として相応しいかどうか、その点も結婚するときに考えたほうがいい」と、小学校5・6年の担任(当時44歳のハゲ・2男の父)が教室で言っていたのを思い出しました。跡継ぎの必要な家で、次男の嫁が男児を生めば、長男の嫁は不当な任務から解放されて良いんではないかと思っていたのですが、これを「面目丸つぶれ」という評価を持っている人があるということに驚きました。となります。まるで『嫁と姑サスペンス』とか『家庭ミステリー』なんかに出てくる姑のような感じなのですが、これが37歳くらいの女性のブログです。彼女は1男1女の母。2ちゃんねるの鬼女板なんかで晒されたら、たちまち袋叩きにあいそうなくらいツッコミどころは満載なのですが、こういう人っていうのが充実感を感じながら幸せな一生を過ごせる人なのだなぁと改めて思いました。この人のような世の中の見え方ができたら、すごく気持ちがいいでしょう。何も考えないで、「好きなものは好き」と言っている善良な天使とは少々違って、「いろいろ考えている自分」が好きな人です。自分の現状に沿った価値観で語られた情報だけを積極的に取り入れていき、また公平な視点で書かれた情報すら自分にあった形で補正して取り入れていくので、自分の価値判断は「ちゃんとした世の中」でも裏づけされた正しいものだという自信に満ち溢れています。論理自体の整合性は必要ありません。自分の状況という結果にさえ結びついていれば、それは論理的だという判断になります。単語レベルでも、定型の誤字や、単語の意味を誤解しているところが、ふんだんにあるところからも、彼女の世界観が伺えます。学者には向かないタイプですが、テレビタレントとしてはいけそうです。全体にこんな調子なので、他人と関わる日常生活でも、時々真っ向から否定されることが多いようで、そんなエピソードも散りばめられているのですが、「なぜ客の要求どおりにできないのですか」とか「それはあなたの勝手ですから」とか「迷惑です」とか「私がうらやましくてひがんでいるんでしょう」とばっさり切り捨てます。相手は、どうやっても話がかみあわない相手と戦っても仕方がないので、関わることをやめます。そんなことを繰り返しては、戦っても負けない、はっきりと物が言える、そんな「強い」自分をまた誇りに思っています。ただ、他人の価値観にあまり左右されないのはいいのですが、男の子2人のママにひそかに「同情」しているところもなんかもそうですが、時々幼稚園ママなど他人に会ったときには「最近は引け目を感じなくなった」とか「平気だ」とか書いたり、ご近所の人に奇想天外なファッションに驚きをこめたコメントを言われたりすると、もってまわったイヤミだとピリピリ反応したりしているので、自分にとって無意味であるはずの世間に無反応でいることはできず、自分とあわない世間には過剰に反応して、積極的に否定することで何とか生きている、ということがわかります。他人と張り合おうとするということは、同時に幸せな自分を他人からもうらやましがられたい、という気持ちを持っているということなので、そこがややこしい人という印象を高めます。選択できる人間関係だというのに、夫婦や恋人という単位だと不可解な関係が時々あるのですが、彼女の例をみて、なぜそういう組み合わせができてしまうのかがわかりました。ちょっと姑や友達として関係を築きたくないタイプなのですが、こういうわかりやすい女性を妻にしたら、幸せな人生が過ごせるだろうと考える男性は多くいると思います。お互いに賛美しあって、二人だけの雑音のない世界を築き、しんどい現実から逃避できるのですから。はっきりと物を言うことでは、彼女と似たようなところがあると思うのですが、彼女の様な自己肯定感がもてないところが根本的に違うところです。
2006年02月11日
家の中にひどい風邪をもらってきた人がいて、ちょっとたいへんだった。この人が食欲がない状態というのを初めてみた。おかゆもうどんも食べられないというのだが、いちごはビタミンCだからといって食べさせた。好きなものなら食べられるだろうと思って、いつものように、漬物を何種類も出したが、どれも1切れしか食べない。そばは半玉だけ食べた。ところが、高校時代のお弁当に毎日入っていたという「石井のハンバーグ」を出してみたら、それだけ「おいしい」と言って全部食べた。脂っこいものなのに、よく食べられるなー。味覚って習慣によって作られるものなのだな。1960年代生まれの韓国人女性が、子供のころ病気になると桃の缶詰が食べられるのが嬉しかった、と言っていた。当時は高価なもので、病気にならないと食べられなかったそうだ。同じく1960年代生まれの中国人男性も、子どものころ病気になると特別においしい大好物が食べさせてもらえたという。ところが彼は健康そのものの子供で、兄や姉ばかり病気になるので、それをうらやましく思っていて、自分もなんとか風邪をひかないものかと頑張っていた時期があったそうだ。5歳のとき、念願かなって風邪をひいた。「なんだい、このコは。熱があるというのに朝からニコニコして」と母親に言われ、「りんご、りんご♪」というと、「今は季節じゃない」と言われてしまったというオチ。彼らにとっては、今でも、桃缶とりんごは特別なイメージのある食べ物なのだろう。1980年代生まれの留学生たちを見ていると想像できないが、1960年代当時の中国や韓国は、国全体が貧しかった。さらにいうと、それが加工品と果物そのままというあたりに、両国の経済格差が感じられる。病気だからといって、特別に何かが食べられたという記憶はない。食欲が落ちなかったのか、食欲が落ちても心配されなかったのかわからないが、高度成長期以降に生まれたので、病気に限らなくても何でも好きなものを食べられたからだろう。病気になって嬉しかったものといえば、甘い咳止めのシロップくらいである。幼児の本やテレビ番組は、病院が嫌いという話が多いのだが、注射はわかるが、薬はうまいもんなのに不思議だなあと思っていた。住んでいた家の構造からすると、3歳ごろだと思うのだが、大好物の子持ちシシャモを握り締め一人で立ち食いしていたとき、齧ったあとの卵のつぶつぶを凝視していたら、突然地面がゆれ頭がガンガンしたことがある。熱が出た瞬間に偶然シシャモを食べていたということなのだが、以来30年くらいシシャモを見ただけで頭が痛くなり、食べられなくなっていた。いまも積極的に食べたいものではない。西洋の少年少女文学全集などを読んでいると、時々「かんゆをのまされる」という話が出てきた。かんゆというのは、栄養補給のためとか註があった。これが毎度ものすごくまずいものの代表として描かれるので、一体どれだけまずいのか興味があったが、ろくに単語を知らない小学生が読んでいたので、やはり詳しくは意味がわかっていない「湯灌」という単語とごっちゃになってしまって、なんか気味の悪いものだなあという印象を持っていた。肝油はサメのエキスということで、今も売られているようなのだが、まだ試していない。摂取しやすいドロップが普及しているようだ。当時はクジラのエキスもあったのではないだろうか。一人暮らしのときは、友達が病気になると見舞いにいったりした。胃腸に来る悪い風邪が流行ったとき、同時期に倒れていた人たちに、何が食べたいか電話できくと、「プリン」という小柄な社会人と「カツ丼」という貧乏学生がいた。ハムスターの小屋のような社会人の部屋に、いくつかプリンを買って持っていったのだが、1個の半分を食べ終わらないうちに「う…もう食べられないや」と言って、毛布にくるまってハムスターのように小さくまるまって寝てしまった。セントラルヒーティングは時間がくると切れるので、寒そうだった。カツ丼はさすがに冗談だろうと思って、同じプリンを用意していたのに、「カツ丼じゃなきゃ効かないよ。プリンじゃダメ」と文句を言ってきた。食えるわけないだろうに気休めでも必要なのかなと思い、コンビニのじゃなくて、ちゃんと専門店で揚げたてのカツ丼を買って、今の言葉でいうとゴミ屋敷のような部屋に持って行った。これをガツガツと食うので驚いた。もしかして、最期の晩餐のつもりで、この世に心残りがないように高価なものをねだったのかなあと思ったのだが、「ラードは胃壁を守るからね」というみのもんたもびっくりな独自の健康法を説いていた。「汗が出てきた。いいぞいいぞ」と言いながら、脂汗をかいていて、どう見てもさらに具合が悪くなっていくのだが、「あ、好転反応、来た来た」と言っていた。ものすごく臭くて汚い部屋で、七転八倒する姿をみて、当時話題になっていた教祖の言葉を妄信してしまう人たちってこんな感じなのかなと思ってしまった。
2006年02月10日
ある時期、歯を磨いた直後に、必ず筑紫哲也を思い出していた。「異論・反論・オブジェクション」リズムがそっくりだった。「歯周・口臭・プロテクション」
2006年02月09日
キリバン10,000おめでとうございます。9999 2006-02-08 20:11:00 (自分で踏みそうになりました)10000 2006-02-08 20:12:22 *.ucom.ne.jp 10001 2006-02-08 20:13:01 (惜しかったですね) ・・・1日平均20人以下って、ブログとしてどーよ。
2006年02月08日
また雪が積もった。立派な雪かき用のスコップを持っているのだが、車のトランクの中。しかし車は修理に出ている。駐車場は1日中日陰になるところに位置しているため、前回の雪はかちんこちんに凍ったまま1週間残っていて、雪かき用ではどうにもならない状態になってしまい、車を出すのを諦めていた。この暖かさならたぶんとけるだろうなあとは思ったが、ほかの車によって踏み固められるとどうなるかわからないし、ご近所の目もあるので雪かきは必要だ。仕方がないのでちりとりですくった。ああ朝から重労働。
2006年02月07日
ノートパソコンの画面にはいってしまった。もう見難くって醜くって邪魔でいやだー。自分の情報が必要になったのだが、管理の悪い本棚を探すより早いので検索した。もう脳みそがハード外付け状態。で、驚いた。名前が2ちゃんねるに晒されていた。ぐわー。さしさわりのあるような内容ではないのでよかった。たぶん書き込みしたのは直接の関係者の方でしょう。(特定されないようにわざとぼかしているつもりのようだけど、文体に社会的方言がいりまじっとる。)一応、ありがとうといっておこう。
2006年02月06日
久しぶりに自転車に乗った。空気が抜けていた。空気をいれた。走った。空気がまだ足りない。がこがこいっている。ものすごく重い。自転車屋で空気入れを借りた。足が痛い。自転車とは何も関係ない話。いま紫キャベツの酢漬けの瓶詰を食べている。うまい。ドイツ人は夜は煮炊きしないらしい。作りおきした酢漬けと買ってきたパンと買ってきた腸詰。ドイツ人の主婦は働き者だといわれるが、台所がぺかぺかにできるのは、汚れる原因を作らないからだ。部屋を湯気でじゅうまんさせることがないので、換気扇もない。換気扇がなければ、換気扇の掃除の必要もないな。日本人に部屋を貸すと、食事を作って汚されるからいやだと断られることもあるそうだ。イギリス番組をみた。現地に行ったイギリス人が「我々はフランスやイタリアのような欲望のおもむくままの食道楽の国をついバカにしてしまうが、うまいもんはうまい」というような趣旨でコメントしていた。これと同じ理由で慶尚道人も全羅道人をバカにすることがある。あえてうまいものを食おうとしない種族は、本能より理性を大切にしたいという傾向があるということだ。伝統的な韓国では残さず食うのは、いやしい人というイメージがある。かつて王侯貴族がいたころは、残したものは下々のものが食べていた。見た目は悪くとも、うまいものは平等に食べられるということになる。なんでもご飯に混ぜてしまえばうまくなるというのも、その辺から来ているのか。いまは飲食店に残飯をもらいにバケツを持って来る人がいて、それを家畜に食べさせていたりする。都会ではわからないが、田舎では習慣を無駄にはしないシステムがちゃんとある。南米のいろいろな国では「もしもし」「ハロー」のかわりに「私は誰と話していますか」というそうだ。自分でかけておいてそれはないだろう、と思うが、インフラ整備直後、よく混線していたころの習慣が引き継がれているらしい。かけた人がいい加減な性格だからということではない。ひとつの側面だけをみて、その民族の精神を崇めたり批判したりするのはよろしくない。一見非合理的だったり理不尽だったりする慣習には、歴史的な原因とか、合理性をもった事情とかがある。日本人が共同風呂に入るときはタオルや洗面器などで前を隠す、というと「やっぱり日本なら、最低限のマナーとしてそれはそうでしょう」と韓国人に勝手に納得されることがある。どういうわけか、韓国では、いまだに日本の風呂はすべて混浴だと誤解されているからだ。それで、「日本に行ったら温泉か銭湯に行きたいです。そして(野蛮な)日本人の文化を理解したいです」という人が多い。ついつい「日本人はおふろが好きですからね」などと言ってしまい、「それは珍しいものが見られるからでしょう」と誤解し続けられているのに気づかず、「そうですね、温泉では大きな窓があっていい景色が見られることがあります。銭湯では富士山の絵があったりしますね」などといえば、富士山の絵というのはナニに関する隠語なのだろうか?と勘ぐられ、「日本人は、その…大きい富士山のほうが好きですか?」とよくわからない質問をされたことがある。ちぐはぐな会話の理由に気づき、いまの日本では混浴は殆ど無い、一般的な習慣ではないというと、「ええ!じゃあどうして隠すんですか」と言われる。で、「日本は混浴のころの習慣を引き継いで前を隠す」と結論付けられるのだ。現在の感覚では違うような気もするし、実はそうであるような気もするし、これはどうもよくわからない。
2006年02月05日
ほりえもん報道がまだ続きます。ほりえもんに限らず、これまで、「どうせ悪事を働くなら、さとられないようにやるべきだ。他人に気づかれてしまうような杜撰な計画を立てるようなバカはダメ。やっぱりやつはバカだったのだ」と思っていましたが、ちょっと考えを改めました。本当のおばかさんを除いてですが、あとでばれるような悪事というのは、氷山の一角であるからばれるのだと思います。悪事を働く人にとって「よくあること」だったり「相対的にたいしたことはない」ような問題だから、杜撰になるのです。つまり「みつかるような程度の悪事の裏には、もっとでかい悪事がたくさんある」ということなのだろう、と考え直しました
2006年02月04日
節分である。ここ数年、「恵方巻き」というのが全国展開しているが、まだ食べたことがない。あれを買ってくればごはん作らなくていいから楽で流行るのかな。毎年きちんと豆をまく。明治神宮の枡が、年に1度だけ活躍する日だ。たいして高いものでもないので、トシの数だけ食べやすいように、あらかじめいり豆になっている専用のものを買う。窓もドアも全部あけ、玄関→水周り→部屋→ベランダあるいは庭、という順番は、これまで4回のどこの住宅に住んでも同じ。「鬼はー外、福はーウチ」といいながらまく。ご丁寧に、押入れの中まで盛大にまいてくれるので、翌日はまめひろいをしなければならない。全部拾ったつもりでも、毎年冬物衣料を片付けるとき、クローゼットの中から1つ2つ出てくる。踏んで潰れれば片付けが大変になるし、潰れなければ足の裏が痛い。
2006年02月03日
車に乗っていて、看板をみつけて、セブンイレブンかと思って近づいたら、イトーヨーカ堂だったという場合、それでも目的は果たせるのでいいのだが、時々デニーズだったりするんで、あの看板は不便だなあ。新装開店のセブンイレブンに行った。これといって特徴がないというのが特徴だった。お弁当は、お年寄りや一人暮らしの女性向けの色鮮やかな小さいものと、肉体労働者向けの茶色っぽいドカ弁と、両方並んでいた。雑誌もフツー。何らかの分野に偏っていることもない。古い団地とワンルームマンションが密集しているところで、バス通りに面していて駐車場はそこそこでかいというと、客層のしぼりこみが難しいのだろう。ファミリーが住む公営住宅の近くにあるコンビニは、食玩が充実していたりする。おは奥・すて奥・主婦の友などが全種類あり、「嫁と姑サスペンス」「純愛の快楽」などの漫画雑誌も何冊も積んであったりする。都市やや郊外のしなびた団地の近くにあるコンビニは「PHP」とか「爽快」とか「わかさ」とか「ナンクロ」「漢クロ」なんぞがたくさん並んでいたりする。田舎の太い国道沿いにぽつんとあるコンビニには、パチンコ漫画雑誌や「バリバリマシーン」とかいうバイクや車の雑誌が何種類もあったりして、実際雰囲気だけでなく店内には誰もいなくても男くさい匂いがする。ローソンは、ナチュラルローソンという店舗があって、ちょっとこじゃれた雰囲気のところにある。ビネガーだのオイルだのチーズだの輸入品が充実。「俺、ペペロンチーノなら得意なんだけど」とかいってここに来て、彼女になりそうな人とワインといっしょに買い物するような雰囲気。そういう人たちは、スパゲティとはいわず、パスタなんだろうなあ。1杯ずつ出すコーヒーはわりとうまい。客層にあわせて、かなり違うというのが日本のコンビニで、韓国や台湾では同じマークをつけてはいるが、どこも似たり寄ったりである。以前、某女子体育大学の近くのコンビニに立ち寄ったとき、ちょっと雰囲気が違っておもしろかった。でっかいカルボナーラとか、でっかいオムライスと焼きソバのセットとか、でっかいケーキとか、見た目はかわいらしいのに、高カロリーという食べ物がずらりと並んでいた。スポーツドリンクは数も種類も多かった。雑誌は、アスリート系が充実。ファッション誌はティーン向けのものからあるが、字の多い週刊誌はなかった。で、驚いたのが漫画雑誌。普段行くコンビニや書店では見かけないタイトルのものがいくつもあるなあと思ってめくったら、どれも超ハードなえろ漫画だった。ストーリーの展開上えろも含むという漫画ではなく、ただただえろ目的の漫画。やっぱり、体育の人っていうのは、本能が強いのだろうか。
2006年02月02日
アメブロで上位ランキングされているお見合い日記。ttp://ameblo.jp/blog-omiai777/2004年に、26歳の相手を「8歳年下」と書いているので、現在男性として売れどきではある。おそらくそこそこの収入とまあまあの身長があるからじゃないかと思うんだが、これがすごい数こなしている。「高学歴で家柄のしっかりしているグラマラスな人」というのが彼の希望らしい。こうした女性はどちらかというと敬遠され、お見合い市場では供給は多いだろうから、斡旋所から紹介された人とそれこそ毎週毎週引く手あまたでかけもち交際をし続けてきている。しかし天秤にかけて片方に傾きかけたらそちらに断られ、結局虻蜂取らずになるということの繰り返し。どうもお見合いを通じて、自分探しをしている感じだ。東京に住んでいて、実家はやや遠隔地にあるようなのだが、こいつは実は身近な人なんじゃないかと思った。なぜなら「気がつきにくい方言」が使われていたからだ。そのうち、噂が聞こえてくるんじゃねーかと思ったり。先日、同窓会があった。参加人数男2女2と超ミニサイズ。まるで合コンではないか。既婚者3、バツイチ1、子供の数は平均0.5で、日本の人口データを裏付けるような感じである。4人とも一度も同じクラスになったこともなく、クラブ・部活動もてんでバラバラなのだが、同窓なので共通の知り合いは多く、話のネタはことかかず、あいつはどーした、こーしたということで盛り上がる。首都圏在住の独身が多いことも判明した。ぎりぎり景気のよかった時代だったので、わりとどんな大学出でも金融系や航空会社など優良企業に就職できていて、これがほとんど辞めていない。課長になっていたり、浪人して不況のあおりをくらった同窓生男子を「部下」として使って、BMWに乗っている女子もいる。「お嫁にいきそびれるといけないから」といって短大を選択した女子もいわゆるバリバリの独身キャリアウーマンになっているので、10代の頃の雰囲気というのはまったくあてにならないものだ。ただ、ちょっと傾向はあるかもなあと思った。在学中からおつきあいをしている人がいた女子は少数であったが、この人たちは相手がその人であるかどうかはともかく、結婚している率が高い。就職先(の給料)がイマイチ、あるいは進学などで就職しなかった女子も結婚している率が高い。受験戦略がうまくいって、なんとなく大学に入れてしまった計算高い女子も、結婚している率が高い。慎重さに欠け、ずぼらな性格の女子は結婚している率が高い。で、これらいずれにも該当していない女子は「なんとなく独身」だったりする。真面目で(実際の性格はともかく)控えめな雰囲気で、顔の造作がかわいい系(というか幼い感じ)、実はひそかに憧れていた男子も多かったような人だったりするので、理想と現実の需給バランスはわからんもんだなあとますます思う。選べる立場じゃないほうこそ、必死で選ぶようになるんだろうか。男子では、高収入の人は結婚していることが多く、高校や大学を中退した人でも家業を継いだりして成功していると、結婚して子供もいたりする。で、やっぱり在学中からおつきあいしている人がいた男子は、とりたてて高収入でなくても結婚している率が高いようだ。(相手の女性が高収入だったりする。)「結婚していない」ことが話題になるのは、無趣味で仕事が忙しい男子と、趣味で忙しい男子である。恋愛が好きな人は結婚なんて選ばないんじゃないかと思ったが、恋愛に慣れている人は、わりと若いうちに決まってしまうのかもしれない。国際結婚をした人もいる。2回結婚した人もいる。未婚同士の「できちゃった婚」は少ないが、恋人との子供ができて、相手も自分も離婚して、再婚した人もいる。結婚してまもなく離婚した人の話では、女性側では、男性の非道ぶりをきくのだが、男性側では「何が何やらわからないまま」離婚していたりする。自分の非を隠したいというより、本当にわからないようだ。男性のマザコンが嫌われることは有名だが、一卵性母子、つまりマザコンの女子にも気をつけたほうがいいようだ。亡くなった人もいるときいて、ショックだった。確率的にはあって当然のことなのだが、まだまだ早すぎる。
2006年02月01日
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