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第 五十一 回 目 小説「春、死なん!」 葉月 二十八 著 昭和五十三年春 プロローグ ―― 確かに、後から考えてみると、彼は普通では無かった。常軌を遥かに逸していたと言わざるを得ない。取り分け、昨日までの一週間というものは、自分が本来の自分ではなかった様な、妙な気がして仕方がない。しかし、何故あのような奇妙な状態に陥ってしまったのかは、いくら考えてみても判然としないのだ…。あの、一種病的な心理状態が何に起因するのか、皆目見当がつかないのであった。持って生まれた内在的な原因によるものなのか、それとも、外部から侵入して我々の肉体を蝕む、ヴィールスの様なものが原因なのか…。先ず何よりも、それを突き止めることが、彼には是非とも必要なことに思えてならなかった。 だが、嘗てこんなにも深刻に、心を悩ませ、煩悶した経験を持たなかっただけに、彼の味わった苦痛は尋常一様のものでは無かった。それはある意味で、彼の人生観や生き方まで変えるかも知れない、大きな力とエネルギーを有していた。彼の存在の基盤を、根底から激しく揺さぶり、その結果、重大な影響を残さずには置かない。そう感じさせる何かが秘められていた、間違いなく。 彼は色々と思いを廻らしている裡に、ふと何かの暗合のように 偶然の出会い・邂逅 という言葉にぶち当たった。そして、心の中で何度もその言葉を反芻しながら、一種の感銘に似た静かな戦慄を覚えた。何かの拍子に、小石と小石が激しくぶつかり合って、小さな火花を発する事が有り得よう。人間同士の出会いにも、それによく似た現象が伴うことだって考えられる。そう考えても、それ程不自然ではあるまい。そして一方がごく平凡な人間であっても、ぶつかる瞬間の角度とタイミング次第では、思いもかけない猛烈な火花と強烈な熱とを、生じることが有り得るのではないか…。そんな風に考えれば、幾分納得が行くような気もする。更には、この 出会い ということは、人間同士だけでなく、人と動物、人と植物、いや、人と命のない物との間でさえ、同様に成り立つ事なのではあるまいか?要は、当事者である人間の、その際の感受性次第なのであろう。火花を火花と見、熱を熱と感じ取る心の準備が上手く整っていなければ、せっかくの幸運な出会いも、意味を失ってしまうことになるであろうから。 ならば、今度の場合、彼に少なくとも二つの出会い、一冊の本と一人の人間とのそれ、を可能にした要因は一体何であったのであろうか? これまで、そういった方面にかけては人一倍鈍感な筈の彼に、降って湧いた如く霊妙な力を与え、不可思議な体験へと導く契機となった物は、一体全体、何だったのであろうか…。ここまで来ると、再び最初の堂々巡りに戻ってしまうが、しかしながら、何となくキッカケが掴めたような気もしている。心を鎮めて、出来得る限り忠実に、ここ一週間余りの出来事を辿り直してみようと思う。その裡に、何か糸口が見えてくるかも知れない―。 ―― 菩提心院の境内は一面の雪であった。薄明の空をよぎって散り来る純白の小片たちは、夢の中に散り敷く桜花のごとく、秘めやかに、また艶麗である。「あの御方の御骨が、この聖地に迎えられ、久遠の眠りに就かれる…」、その記念すべき日に、誠に似つかわしい、佳き日と思われる。 静かに、音もなく降り積む白銀の乱舞は、夜が闌(た)けてからも止む気配がなかった。本格的な冬の季節の到来を告げる、初めての大雪であった。 この雪の白さを眺めるにつけても、桜花の美しさを想わずにはいられない。
2016年03月27日
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第 五十 回 目 昨夜(平成27年9月24日)、東京タワーの夜景が直ぐ間近で見られるイタリアン・レストランで食事をしてきました。と言うよりも、次男・正成の絵が展示されているのを家内と一緒に観に行った、と申し上げるのがより正確でしょうか。正成はもの心がつくかつかないかの頃から、粘土をいじるのが好きで、近所の陶芸教室に通ったりしていたのですが、成人した今は絵画の方に打ち込んで、仕事の傍らアーチストとしての活動を活発に展開しています。ニューヨークで個展を二回も実施したのを始め、韓国やイタリアの展覧会にも出品したり、国内でも地方のイベントなどにも招待されてユニークなアクリル画等を披露して、注目を集め始めている。また、その絵のモチーフが独特で、「酔っ払い」の陶酔境とでも称すべき表情や風情などを、柔らかなタッチで描出するもの。 来月、十月の連休にも八戸市の「酔っ払いに愛を2015~横丁オンリーユーシアター」なる催しに招待されて、活動してくる予定になっている。 八戸と言えば家内の弟・義弟の守さんが、「舟膳」という和食のお店を数十年にわたって営んでいる。守さんは東京で板前としての修行を積み、生まれ故郷に近い漁業のまち八戸に、自分のお店を構えるようになっのでした。彼の板前としての腕は確かで、常連客に青森県選出の国会議員がいたり、食通の能村氏(フジテレビの時代劇、特に池波正太郎作品などを数多く手がけている大プロデューサー)が近所にあったら毎日でも通いたいと、私に洩らした事があったほど。 さて、最近とみに私・草加の爺は 神の演出 乃至は 演出家としての神 ということを頻りに考えております、はい、しばしば。この現象は特別に今に始まった 恩寵 ではなく、これまでの人生の旅の道程の折々に、そこはかとなく、「神からの手」が差し伸べられて、あたかも自分自身の自由意思で選択したかのごとくに、ある特定のコースを辿る様に導かれ、結果として、自他ともに 最大の利益 を蒙っていた。そういう幸運が天下って来ていた、それとなく、やんわりと…。これは何も殊更に、私という特殊な人間にだけ向けられたパワーでは無く、生きとし生けるもの全てに、巧まずして加えられている 自然の妙 なのでありまして、その絶妙なる「糸(意図)」に素直に従ってさえいれば、つまりは「つまらない我」を綺麗さっぱりとぬぐい去って、背後からの演出者の意のままに操られていさえすれば、良いのでありますね、実際。 たとえば、道の辺に咲いている野草の花が、その風情や佇まいが、どんな高級な人工の高価な、草花よりも美しく、気品がある。この世のものとも思えないほどの魅力があり、この上もなくチャームされてしまう。また、野生動物の一瞬の動作が、何とも形容しがたい典雅さを示している。水中を行く小魚の躍動が、筆舌に尽くしがたい優美を表現している ― こういう例を挙げていたらキリがないほどに、数多く見られますよ。イエスも野に咲く百合の比喩で、この事実を指摘していますが。(*Consider the lilies of the field, how they grow ; they toil not , neither do they spin: and yet I say unto you , That even Solomon in all glory was not arrayed like one of these ― 野のユリを見よ!働きもせず、紡ぐこともせずに、生えているではないか。しかも、人間の中でも豪奢を極めたソロモン王でさえ、野の百合程に美々しく装った時を持たなかったではないか…) 唐突に思われるかも知れませんが、私が三十六歳の頃に走り書きした小説を題材にして、如何に無心に、心を澄まして 被表現者 に成り遂せることが出来ていたか否かを、これからご一緒に検証してみたいと考えます。少しく長い文章の引用になりますが、好意的にお付き合いをお願い致したいと思います。どうぞ、よろしくお願い申し上げます、くれぐれも、どうぞ宜しく―。
2016年03月23日
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第 四十九 回 目 『戦争反対!』 に異議あり 戦争反対! に異議有り 大いに異議あり 国会内で 議事堂のすぐ外で 人々は今 口々に叫んでいる ― 戦争 絶対に 反対と………、真剣に 一種悲壮感さえ 漂わせながら 戦争はもう懲り懲りだ 二度と御免だ! この国を 私が心から愛してやまない この素晴らしい国と国民とを 戦争に駆り立てては 絶対にいけない!! 平和憲法を守れ 我が国が世界に誇る 戦争をしない 不戦の 誓いを死守せよ 今 人々は 懸命に 必死に 叫んでいる ―― この騒動に 異議あり 異議有り大いに異議有り 私の魂が 大和魂が 違和感を 覚えている どこか 何かが 狂っていると ― 政争などというものは 所詮は茶番さ 平和デモなどというものは 何時も こんなものさ そんな 傍観者のような 口をきくな 他人事のような 減らず口をたたくな 自然が 既に警告を 発し続けているではないか 大地震であり 未曾有の津波であり そしてまた 異常気象であり 火山の噴火現象である 人間の力には 限界がある 人間にできることは… 現在の世相が顕に 露骨に 示しているのは 不信だ 政治リーダーへの不信 政治家への不信 そして国民への強い不信と 国民相互間の強烈な不信 不信 不信 また不信… 先人たちが愛して やまなかった あの麗しい国と そしてあの 何とも愛すべき国民たちは 一体全体 何処に行ってしまったのだろうか 戦争反対騒動に 異議有り 異議有り 愚 か 者 働きすぎ ワーカホリックのバカだと 私は言われた 仕事が好きで 好きでたまらなかったから 我武者羅に一心に 闇雲に 働いた そう 確かに 愚か者として 私は働き通した 幸せだった 今も 愚かな私は 働き詰めに 仕事をし続けている 愚か者だから 建込んだ汚(きたな)らしい家の屋根つづき。風雨(あらし)の来る前の重苦しい空に映る燈影(ほかげ)を望みながら、お雪とわたしとは真暗な二階の窓に倚(よ)つて、互いに汗ばむ手を取りながら、唯それともなく謎のような事を言つて語り合った時、突然閃(ひらめ)き落ちる稲妻に照らされたその横顔。それは今も猶ありありと目に残つて消去らずにゐる。わたくしは二十(はたち)の頃から恋愛の遊戯に耽つたが、然し此の老境に至つて、このような痴夢(ちむ)を語たらねばならないやうな心持にならうとは。草稿の裏には猶数行の余白がある。筆の行くまま、詩だか散文だか訳のわからぬものを書して此夜の愁(うれひ)を慰めやう。 殘る蚊に額さされしわが血汐(ちしほ)。 ふところ紙に 君は拭ひて捨てし庭の隅。 葉鶏頭の一茎(ひとくき)立ちぬ。 夜ごとの霜の寒ければ、 夕暮の風を待たで、 倒れ死すべき定めも知らず、 錦なす葉の萎(しを)れながらに 色増す姿ぞいたましき。 病める蝶ありて 傷(きずつ)きし翼によろめき、 返咲く花とうたがふ鶏頭の 倒れ死すべきその葉かげ。 宿かる夢も 結ぶにひまなき晩秋(おそあき)の たそがれ迫る庭の隅。 君とわかれしわが身ひとり、倒れ死すべき鶏頭の一茎と ならびて立てる心はいかに。 (丙子・ひのえね十月丗日脱稿 作者贅言 向島寺町に在る遊里の見聞記(けんもんき)をつくつて、わたくしは之を濹東綺譚と命名した。濹の字は林述斎が墨田川を言現すために濫(みだり)に作ったもので、その詩集には濹上漁唱と題せられたものがある。文化年代のことである。 幕府瓦解(ぐわかい)の際、成島柳北が下谷和泉橋通(いずみばしどほり)の賜邸を引払ひ、向島須崎村(すさきむら)の別荘を家となしてから其詩文には多く濹の字が用ひ出された。それから濹字が再び汎(あまね)く文人墨客の間に用ひられるようになつたが、柳北の死後に至つて、いつともなく見馴れぬ字となった。 物徂徠(ぶつそらい)は墨田川を澄江となしてゐたやうに思つてゐる。天明の頃には墨田堤を葛坡(かつは)となした詩人もあつた。明治の初年詩文の流行を極めた頃、小野湖山は向島の文学を雅馴(がじゆん)ならずとなし、其音によつて夢香洲(むかうしう)の三字を考出したが、これも久しからずして忘れられてしまつた。現時向島に夢香荘とよぶ連込宿がある。小野湖山の風流を襲(つ)ぐ心であるのかどうか、未だ詳(つまびらか)にするを得ない。 寺島町五丁目から六七丁目にわたつた狭斜(かふしや)の地は、白髯橋(しらひげばし)の東方四五町のところに在る。即ち墨田堤の東北に在るので、濹上となすには少し遠すぎるやうな気がした。依つてわたくしはこれを濹東と呼ぶことにしたのである。濹東綺譚はその初め稿を脱した時、直に地名を取つて「玉の井双紙」と題したのであるが、後に聊(いささ)か思ふところがあつて、今の世には縁遠い濹字を用ひて、殊更に風雅をよそほはせたのである。 ― 永井荷風(1879~1959)の白鳥の歌とも称すべき作品からの引用。
2016年03月17日
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第 四十八 回 目 その時です、私がまた善知鳥(うとう)の声を耳にしたのは。はっとして、瞳を凝らす私の眼に、上空高く、北から南を指して真一文字に飛翔する、白い鳥の姿さえ映じたのでした。それは本当に、瞬きする間の短い、瞬時の出来事でしたから、私はそれらが耳と眼の錯覚かも知れないと疑いました。しかし、それは気の迷いでも錯覚でもなかった。何故なら、夜明け前の夜空を横切って消え去った流れ星の様な鳥の後を追うかのように、確かに身に覚えのある、仄白い一陣の風が、陸奥湾の遥か彼方から、音もなく吹き渡ってくる気配を、感じ取ることが出来たのですから。そして、何とも心地よく爽やかな白い風が、私をすっぽりと包み、身体の中を吹き抜けて行った際、頭の頂上から足の爪先まで、私の体中の細胞の一つ一つがことごとく、南部鉄で出来た風鈴の様に澄み切った音色を発し、得も言われない風の唄を歌っているのが、私の心の耳にははっきりと聞こえていたのでした…。 ― もう一度、鉄平さんのいる東京へ行こう! 全く突然、私がそう心に誓ったのは、その時だったのです。 一週間程前に、鉄平さんから葉書のお便りを戴きました。私が例の神田のお店宛に出した、婚約の挨拶状に対する返事だったのですが、鉄平さんは先ずお祝いを述べるのが遅くなったことを詫び、今年になってから新しいお店に移ったこと、そして今度は見習いとは言え板前の端くれとして遇されていること、結婚したら夫婦して是非自分の料理を食べに来てくれるようにと書き、最後に、まだ野菜の皮を剥いたり魚を捌く時に、涙が滲むことがあるけれども、野菜や魚が立派に成仏出来るような、魂のこもった本物の料理が作れるよう精進すると、述べておられました。 考えてみれば、少女の頃から私が何か新しく事を始めるようになる前には、必ずあの眼に見えない白い風が吹いていたのでした。唯それをはっきりと自覚したのが、数年前はじめて上京する折だっただけなので。その白い風は私の行動を促し、誘導するように吹くのではありません。私の内部に、或る事を始めようとする自発的な意志が萌し、その機が十分に熟した瞬間、新しいスタートを祝福し、また勇気附けようとするかのように、何処からともなく吹き渡ってくる風なのでした。とは申せ、私は最後の最後の瞬間まで、自分自身の心に向かって、問い続けないわけにはゆきませんでした。本当によいのか?悔いは残らないのか?あなたを始め大勢の人々の善意を踏みにじる結果になるが、その責任はどうとるのか?―― それは結局、私自身が心の底から満足できる人生を歩み、本当の幸福を自分の手にしっかりと掴み取る以外にない。皆々様方のご好意とご親切とに報いる道は、そこにしか残されていない、そう最後の見極めを付けることが出来たのは、結婚式場の鶴屋旅館に着いてからだったのです。そこで、あなたや、あなたの御両親やその他式に参列するために態々足を運んで下さった大勢の人達のお顔に接した時、私はやはり自分自身で納得できる人生を生きなければと、最終的に悟ったのでした。 私は再び東京へと向かっています。結婚する筈だったあなたや、父や母や弟や、親しかった人達を皆んな後に残して、非情な大都会、私をあんなに苦しめ、寂しがらせた 極寒の街 に舞い戻ります。 鉄平さんが果たして、私を迎え入れて下さるかどうか、それはわかりません。何年か経って、私と鉄平さんが首尾よく結婚でき、やがて宿願の旅館を自分たちのものとすることが出来るのか否か、それはもっとわかりません。しかし私は、それで良いと思っています、ええ、それで。 私は夢のような憧れに現を抜かし、厳しい現実を失念しているのではありません。私は、東京という世にも恐ろしい巨大な怪物の正体を垣間見た、拙い体験を持ちました。同時に、鉄平さんという、心温まる人間味に溢れた人物の存在が皆無でないことも、知り得ました。その上に、自分自身の意気地なさ加減も忘れてはいません。それは恐らく、終生念頭を離れないことでしょう。その上で私は、もう一度自分の夢に挑戦してみようと、考えているのです。 私は生まれ故郷での、あなたとの平和で安全な生活を捨て、常に危険を孕んだ茨の道を選んだのです。約束された微温的で、確実な幸福(― どうか、こんな表現を使うことをお許しくださいませ)を犠牲にして、その見返りには、汗と、涙と、血を流す、代価を支払って、自分の生涯の希望に挑戦する生き方に、賭けたのですわ。 いま、車中のあちこちから乗客の立てる鼾や、気持ちよさそうな寝息が洩れています。先ほど仙台を過ぎましたので、東京はもう眼と鼻の先です―、私はまだ、少しも眠気を感じません。東京の夜明けの空に向けて、今、私という 白い風 が吹き渡っている様子を、想像してみてください。暁の抜けるような空の青さと重なった瞬間、私は見る見る紺青色に染まって、一陣の青い風に変わることでしょう。青は古く、「東、春、朝、陽気」などを表した色なのだそうですよ…。 この手紙があなたの手元に届く頃、私は東京の街での新しい生活を、慌ただしく開始していることでしょう。どうか、呉呉も御身体をお大切に………。私の意のあるところをお汲み取りいただけたなら幸いです。 かしこ。 《 善知鳥が啼いた 完 》
2016年03月12日
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第 四十七 回 目 私の両親は双手を上げて賛成し、あなたのご家族も親戚の方達も、皆快く祝福して下さいました。 私には過ぎた、もったいない縁談だと心底から思い、肩の荷が下りたような安堵感ともども、女としての幸福を予感した事も事実です、本当ですよ。しかし、心のどこかに、不満とはっきり見定めることのできない不満が、殘っていたこともまた事実なのです。でも、考えてみればそれは今だから、はっきり明言できるので、当時としては婚約した若い娘が共通して抱く、新しい生活に対する漠然とした不安感の様なものと、見做していた気味がありますわね、やはり。 私は自分の夢の挫折が何に由来したのか、明確にその核心に触れる事を無意識の裡に避け、とうとうこんなにダラダラと駄弁を弄す結果になってしまいました。単刀直入に申しましょう、私という娘は、自分が当初考えていた程、たくましくも気丈でもなかったのです。親元を離れ、東京という異郷で、たった一人で生活してみて、それが嫌というほどよくわかりました。言い古された言葉ですが、憂世の荒波を渡っていく事は、やはり、並大抵のことではなかったのですね。偉そうな口をきいてはいても、所詮、世間知らずの内弁慶にしか過ぎなかった。 それともう一つ、女はやはり男に比べて、か弱いものだと、身にしみて知ったのです。女が全ての面で男より弱いとまでは言いませんが、女が男と肩を並べて、自立した生活をしていくのは、言うは易いが現実には極めて困難な事だと、素直に認めないわけには行きません。殊に私の場合には、自分が女であることが重荷にしか感じられなかったのでした。新聞や週刊誌や人の話などで、地方から都会へ出て来た大勢の年若い女性たちの転落や、堕落の顛末を耳にし、また、身近に接している人たちの中にも、驚く程そうした例が多いことを知るにつけ、女の身に附き纏いがちな誘惑の多さに、大きさに思い当たるのでした。傷ついても、汚れても物ともせず、却ってそれを武器に替えて、ふてぶてしく居直って生きる生き方もあるあるでしょう。が、到底それは私の柄ではありません。 私の様に美しくもなく、これといった取り柄のない女でさえ、東京で生活した僅か数年の間に、何人もの男性から交際を求められ、中には何度も手紙をよこしたり、途中で待ち伏せしたりして、かなりしつっこく付き纏う相手もありました。勤務先の男性社員や、時には妻子ある上役からさえ、露骨な求愛を受け、びっくりした経験も一再ならずのことでした。あなたに対してさえ、あんな態度をとり続けた私が、そういう人たちにどう対したかは、わざわざここに書くまでもないでしょう。他人の事であれば笑って聞き流す事も可能なそうした言わば たわい無い 出来事も、私の身には一つ一つが生々しい都会生活の現実として、目に見えない脅威と重圧をもたらさずにはおかなかった。とりわけ、あなたとの交際で私がある限度までしか、あなたの愛の行動を受け入れられなかったことが、どんなに心の重荷として残り、そのためにどれほど苦しむ結果になったことか。 私から今日のような仕打ちまで受けたあなたに、わかってくださいと言うほうが無理かもしれませんね。とにかく、私たちの事であなたが真剣だったと同じかそれ以上に、私も真剣だった。自分で精一杯やったと自信が持てるからこそ、疚しい気持ちが少しも起こらないのだと思います。あなたには本当にお気の毒な事をしたと思いながらも、仕方なかったのだと言い切れる潔さがありますの。 どうやら、今日私が取った不可解な行動を説明する段取りまで、やっとのことで漕ぎ着けたようです。もう、真夜中の十二時をとっくに過ぎたので、正確には今日ではなく昨日ということになりますが…。 昨夜、興奮のためか寝付かれない儘に、やはり遅くまで勉強して起きていた弟を誘って、夜更けの浜辺を散歩したのです。この四月からはもう高校三年生、身体だけは大人並でも、精神的にはまだまだ幼い稔です。姉として、嫁ぐ前に何か言い残して置かなくてはと思いながら、つい忙しさにかまけてその時まで、機会を失してしまっていたのでした。月の無い晩で、星影も疎らにしか見当たりません。春三月とは言っても、夜の戸外の空気は身を切るように寒く、歩く度に足元に凍てついて残っている雪の塊が、乾いた音を立てます。 「菊江が本当に嫁さ行ぐって、おら、今でも信じられねじゃ…」 ずっと押し黙ったようにして私の前を歩いていた稔が、私に背を向けたまま、ぽつりとそう言ったのです。弟がどういう気持でその言葉を口にしたのか、よくわかりませんでしたが、私はその時はっと、胸を衝かれる思いがしたのでした―、「ほんだっきゃぁ、おら自分でも信じられねェもの」、そう言った後、何故かしら急に目頭が熱くなって、涙が目に溢れ出るのを抑えることが出来なかった。姉らしいことを言う心の余裕も、もう失われていました。結局、私たちは三十分ほど海岸をそぞろ歩いただけで、家に戻ったのですが、寝床に入ってからも私は妙に神経が昂って、なかなか安らかな夢の世界に入ることができません。幾度か浅い微睡みを繰り返した後、私はもう一度海辺に出たのです。 野辺地湾にはまだ夜の闇が下りていますが、下北半島の付け根辺りに当たる東の空が、うっすらと白み始めているのが分かります。遠くからカーフェリーの汽笛でしょう、ボーボーという低い音が響いて、暁前の静寂を一層際立たせる。私は凍えるような朝の空気を二度三度と、胸一杯に吸い込みました。
2016年03月08日
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第 四十六 回 目 「あらっ、私にお願いって何でしょう?私に出来る事なら、何なりと―」 私は彼の異常な緊張ぶりには気づかないふりで、努めて明るく答えました。内心では、どのような事を言い出されるのか、少々心配だったのですが。すると今度は、鉄平さんの顔に血の気がさして、見る間に真っ赤に変化しました。そして彼がおずおず言い出した、折り入っての願いと言うのはこうです。自分は一日も早く、日本料理の板前として身を立てたいと思って、今も昼間だけ和風レストランで働いている。日曜・祭日も休まないで、夜まで働いている。今度の日曜日に、何時でも構わないから都合をつけて、是非、店の方にお客として来ては貰えないだろうか。勿論、何を食べても勘定は全て自分が持つ。ただ、一品だけ自分が腕試しの為に、非公式に作った料理を出すので、それを食べて正直な感想を聞かせて欲しい。前々から、板長に事情を話して、特別に許可を得てはあったが、試食して貰う適当な相手が見つからなくて、苦労していたのだ、と。 「ええ、喜んでご馳走になるわ」 お断りする積極的な理由が無かった上に、さっきああ言った手前、そんな風に答えざるを得なかったのでした。 当日、私は教えられた神田のお店に、約束の時間より少し早めに着きました。昼とも夜ともつかない中途半端な時間だったせいでしょうか、かなり広い店内には殆どお客の姿が見られません。レジの女の人に名前を告げ、鉄平さんを呼んでもらうと、奥の調理場から真っ白な割烹着を羽織り、高い朴歯下駄をつっかけた彼が出て来ました。私の顔を見て、ちょっと照れたように笑い、直ぐ中央附近の席に案内してくれました。おしぼりとメニューを自分自身で運んで来た鉄平さんは、遠慮なく何でも好きな物を注文してくれるようにと言います。 「わたし、何よりも中川さんがお作りになったお料理を、最初に食べたいわ」 私の言葉を聞いた時の鉄平さんの感激ぶりといったらありません。普段でも細い両目を、なお一層細め、五分刈りの頭を左手で掻きながら、「有難う、有難う」を連発するのです。そして、自分の作った料理はブリの粗煮だから、日本酒かビールを是非飲んでくれろと、懇願するように勧めるのでした。で、私は日本酒を選びました。お酒の方は、お猪口に一杯分注がれたのを半分ほど口にしただけですが、粗煮の方は本当に美味しいと思って、器に盛られただけ全部いただきました。私の様子をずっと傍らの土間に立って見守っていた鉄平さんは、私が何も言わない先から、今にも泣き出しそうなクシャクシャの顔になって、 「有難う、本当に有難う…」 呟くような低い声で言ったのでした。 中川鉄平さんとの間に何かあったのは、後にも先にもこれだけで、その後も学校の教室で顔を合わせる以外は、個人的な交際はありませんでした。実質一年半で専門学校を卒業し、念願の調理師免状を取得した私が、ホテルの配膳係として働くようになったのは、あなたもご承知の通りです。将来の結婚に備えて貯金をするためというのが、表向きの理由でしたが、、私自身の希望としては、平凡に家庭に入ってしまうよりは、調理師の資格を活かして自立する道を選びたかった。一生結婚出来ない事になってもよい、どんな小さなお店でも、とにかく自分自身のお店を持ちたかった。そして、次第に規模を大きくしていって、最後には何処か静かな土地で、料理を売り物にした旅館を経営することができたなら最高!― それが私の胸に温めていた密かな夢でした。でも、最初からそんなことを話そうものなら、両親が絶対に東京行きを許さないだろう事を、十分に心得ていました。自分の好きなお料理を専門的に勉強してみたいのだの一点張りで、押し通して来たのはその為。お料理の勉強なら、結婚してからも大いに実際の役に立つのですから、両親も無下に反対するわけにはいかなかったのですね。
2016年03月04日
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第 四十五 回 目 ― もう少し、時間をくださいな。 ― ちがうわ、茂雄さんが嫌いだからじゃないの。せめて、結婚式を挙げるまでは、わがままを許して…。 二人が正式に結婚の約束を取り交わしてからも、私は相変わらず、あなたを拒み続けましたね。あなたは何度か、自分以外に好きな男性がいるのではないかと、口に出して訊きました。そして私は、それを否定し続けたのでした。実際、そう答えた私の気持ちに、嘘はなかったのですが………。その前に、中川鉄平さんの事を、どうしてもお話しておかなければなりません。 中川鉄平さんは私と同じ時期に調理師学校を修了した、東京生まれの、今年二十八歳になる男性です。高校卒業後六年間、区の税理事務所に勤めていたのですが、突然退職し、和風レストランの下働きのアルバイトをするかたわら、料理の基本から勉強を始めたという変わり種です。この鉄平さんがおよそ信じられない程の不器用ぶりを、実習の度ごとに発揮しては、クラスのみんなから何時も失笑を買っていました。そしてもっと変テコなことは、彼が人参の皮を剥いたり、生魚を二枚三枚に下ろす時に、必ず涙を流すことなのですね。玉ねぎの皮をむくので涙が出る、という話は聞いたことはあるが、調理師の卵が料理の材料に包丁を入れる度毎に、泣いていたのでは始まらないと、講師の先生さえ腹を抱えて笑い出す始末。しかし当の鉄平さんは、そんな周囲の態度を一向に気に掛ける様子もなく、黙々と他人の倍以上の時間をかけて、材料を仕込み、一番最後までかかって料理を仕上げるのでした。が、それ以外は目立たない、実直そうな青年というだけで、私も他の人達と同様に、それ以上の特別な関心を向ける事はありませんでした。 ただ一度だけ、こんな事がありました。季節は春だったのか、秋だったのか、はっきり覚えていませんが、夕立に遭って立ち往生していた鉄平さんを見かけた私は、駅から学校まで傘に入れてあげました。鉄平さんは五分程の道のりの間中、自分の方からは一言も口を開こうとせず、学校の玄関に着いた時もやはり無言のまま、軽く会釈をしただけで、さっさと教室に入っていってしまったのです。二三日後、また偶然駅の改札口を出た所で、すぐ前を行く鉄平さんの姿を発見した私は、「中川さん」と気軽に声をかけたのです。鉄平さんは一瞬ギクリとした様に立ち止まり、振り返りました。彼の頬の辺りの筋肉がこわばったような不自然な印象を受けましたが、私は気にもとめず、彼と並んで歩き続けました。すると、 「久保さん、ぼく、折り入ってあなたにお願いしたい事があるのですが…」 鉄平さんが突然口を開いたのです。夕闇の中でも彼の顔が引き攣ったように硬直し、幾分蒼褪めているのが分かりました。
2016年03月01日
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