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第 百十五 回 目 読み聞かせ会での台本の候補として、一回目は「藁しべ長者」を取り上げます。野辺地地方の方言が一番の 売り なのですが、残念ながら私はこの方言を喋ることができません。方言表現に関しては、追々、町の人達と相談の上で考えることとして、ここでは普通に標準語的な表記のままで、我慢して頂くより仕方がありません。どうぞ、お許しを願います。 「ワラ一本の億万長者」(仮題) 昔のことです。貧乏な男がいました。男は、何とかしてお金持ちになりたいと、近くの神社にお参りして、神様に心からお願いしました。すると、夢の中で神様が現れ、明日の朝起きてから最初に手にした物を、大切にして旅に出るように、男にお告げをしたのでした。 男は家を出て直ぐに、石に躓いて転び、その時に道に落ちていたワラを一本、偶然に手にしました。男は夢の中のお告げの通りに、そのワラを手に持って、旅に出たのです。 すると野原の所で、アブがブンブンとうるさく付きまとって、来たのです。最初、男は手でアブを払い除けていたのですが、このアブがなかなかしつこいのです。それで男は、そのアブを捕まえて、ワラの先にくくりつけ、また道を進んで行きました。すると道端で泣いていた子供が、その藁に結ばれたアブが欲しいと、母親にせがむのでした。 母親は駄々っ子の為に、持っていたミカンと交換に、ワラに結んだアブを欲しいと、男に声を掛けたのです。男は始め嫌だと断ったのです。神様が大事にしろと言ったのを、忘れてはいなかったからです。しかし、泣きじゃくっている小さな子供を見ると、つい気の毒になって母親の申し出を、断りきれずに、差し出されたミカンと交換に、藁と虻を子供に与えたのです。 男が旅を続けていくと、商人が喉の渇きに苦しんでいました。気の優しい男は、手にしていた蜜柑をその商人に自分の方から、与えたのです。喜んだ商人は、お礼にと高価な反物を、男にくれたのでした。思いがけなく高価な布地の反物を、自分の物にした男は、喜んで道を進みます。 すると、一人の侍に出会った。その侍は乗っていた愛馬が急病で倒れ、お供にその馬の始末を任せて、先を急がなくてはいけなかった。お供がその病気の馬の処置に困っていたので、男は自分の反物と病気の馬を、交換しようと提案した。お供は大喜びで、反物を手にして、主人の後を追って行った。 男が倒れていた馬に水を飲ませると、馬はたちまちに元気を取り戻していた。馬に跨った男が進んで行くと、大きな屋敷に、行き当たった。ちょうど旅に出かけようとしていた屋敷の主人は、男にその屋敷の留守を頼み、代わりに馬を借りたいと申し出た。主人は三年経っても自分が帰って来なかったら、この屋敷を譲ると、男に言い出した。男は承諾し、主人は馬に乗って旅に出発した。 ― 三年経っても、五年たっても、主人が旅から帰って来ることは、無かった。 こうして、男は裕福な暮らしを手に入れる事が、出来たのでした。めでたし、めでたし。 以上が「藁しべ長者」の粗筋ですが、なかなか奥の深い、含蓄に富んだ内容であるのに、改めて、ビックリさせられました。「源氏物語の現代語訳」の場合でも、そうでしたが、私の願いはただ一つで、今の若者達に古典への関心を、少しでも多くの人に持ってもらいたい、との切なる願いから。しかし、十年やってみて、一番得をしているのはほかならぬ、この私自身だった事に気づかされ、一驚して居るのでした、全く。 つまり、だれかの為にすることは、直接に自分自身の為に成る。それも、直接に自己の利益を図ってする行為・行動よりも、より本人の利益になる方式によって。実に、不思議と感じざるを得ないようですが、これ、考えるまでもなく 当たり前の事 でありました。私たちは例外なく、絶対者の大きな、大きな愛情の中に、包まれている存在だからなのですよね。これに容易く気づかないのが、私を典型とする、凡俗の浅ましさなのでしょう、きっと。
2016年12月31日
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第 百十四 回 目 前もってお断わりしておきますが、私は特定の既成の宗教団体に所属するものではありませんし、宗教関係の専門家でも、学者でもありません。宗教や哲学に強い関心と興味を持ち続けている、単なるディレッタントの一人に過ぎませんよ。 ですから、前回に予告した「妙好人、みょうこうにん」に就いて書くと申しましても、浄土真宗の信者の立場から発言しようと意図するものでは、当然ありません。 私の書いて来た文章を丹念にお読みいただいていらっしゃる方が、いらっしゃれば、その方々には誤解の余地は全くないのですが、そうで無い人々が大半でしょうから、わざわざ又、改めてお断りを申し上げているような次第です。 さて、妙好人とは江戸時代に、浄土真宗の念仏行者で、行状の美しい者の伝記を集めた「妙好人伝」に紹介されいます。因みに、浄土真宗は、難行(なんぎょう)の聖道門に対して、易行(いぎょう)の浄土門と言われる。が、真実の信を獲得する者は、国に一人か、郡(こおり)に一人と言われるのも事実で、間違いなく易行でありながら、その易行の信を本当に得ることは、難中の難、これに過ぎるものはないと言われています。 無学文盲でありながら、真実の信に目覚め、日常生活に於いて実践したこの妙好人に、私は典型的な宗教心と、私たちとの関係を見るから、此処に引き合いに出したまでであります。 私は、人は誰でも幸福になる資格と、能力とを生まれながらに備えている、と申しました。それは、誰もが真の宗教心の「種」を、謂わば「本能」として持っているからだ。そう言い添えてもよい。そして、この場合の宗教心は、文字通りに 宗(むね)とする教え を意味して、我々にとって根本的な教養となり、生きる上での根源的な活力を生み出す、最も大切なものである。この事も、以前に申し上げて居りますよ、実際。 更に申し添えれば、「一切唯心造」と「吾は唯に足るを知るのみ」だけがあれば、事が足りるのであります。この事も、既にお気づきの如くに、十年前から私・草加の爺めが折に触れて申し上げている事ばかりなのですが、実は。 人生で真実に大切なことは、単純極まりない事柄に、実際は集約できる。ただ、様々な理由や原因で、日に日に「複雑化」しているかに、見えるだけなのでしょう、きっと。 さてさて、野辺地の町おこしの話に、もう一度戻りましょう。一切は心が作り出したのでありますから、その人々の心に直接働きかける。その行為が必要不可欠なのですから、持て成しの真髄、ホスピタリティーの極意としてのエンターテインメントが有効である事は、論を待たないでありましょう。また、持成・ホスピタリティーなどと「高級で、難しい」表現をわざわざ借りなくとも、「優しさを表す行為・行動」と言えばそれで事が済むのですよ、はい。 また、野辺地の町おこしを開始しようと準備している私は、何も不足はない。十分に環境・条件・材料など諸条件が具備していることを、確認して、足りている事実を 知ってもいる。さあ、後は抜かりなくスタート地点に立つのみ。合図の号砲は、私自身が鳴らせば宜しい、道理なのであります、走者と、伴奏者と考えてもこの場合に、少しも不都合はない訳でして、心を一にしての作業の開始! 茲からは、暫く「読み聞かせ活動」で使用する台本の候補を、思いつくままに列挙して、皆様方のご覧に供したいと考えます。 宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」は既に、ご紹介済みでした。取り敢えず「藁しべ長者」から現代風にアレンジして「わら一本からの大金持ち」です。
2016年12月22日
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第 百十三 回 目 自慢ではない「自慢話」を致します。現在進行形の実話ですし、学習塾の講師という立場にある私ですので、当然に守秘義務があります、ご承知の如くに。 ですから限られた範囲での説明とせざるを得ない。しかし、余り抽象的に過ぎては、リアリティが薄くなってしまう。その辺の兼ね合いが難しく、微妙なのですが、兎に角もトライしてみましょう。 モデルの生徒は学習塾に通う必要があるくらいですから、学校の成績が芳しくない。そして、軽度の知的障碍者とのレッテルを担任の先生から貼られている。親御さんも仕方なくその見立てを受け入れている…。そして更に付け加えるならば、生徒本人もこうした事態を、つまり自分が、知的な障害を抱えている事を、承認している。こう言う状況で私は目下、この生徒と密接に向き合っている。そして、何と「知的障碍」など全く無いことを、短期間で、驚く程に短じかい月日で、見事に証明しつつある。間も無く、その事実が誰の目にも明白になる日が、迫っておりますので、その際には、又、後日談として、もう少し詳しいお話が出来ることでしょう。 これはハッキリ言って「奇跡」でありますよ。私の力では決してありません。謙遜などではなく、事実として、有りの侭の真実であります。私はこの十数年のチューター体験で、似た様なケースに度々、出合っているから、こう断言できるのです、正に。 以前にも公立の小学校に通っていた当時四年生の、担任から「知的障害者の施設」に入れるべきだと匙を投げられていた生徒を、そうではなく、普通に勉強できる能力の持主である事を、ものの見事に証明して見せた、実際に。 ある日、その生徒のお母様から学習塾に、電話が掛かって来た。「古屋先生、うちの子学校のテストで百点を、百点を取ってきました!」、お母様の弾んだ息遣いが、未だに耳元に聞こえる、残っている。私も、当然に嬉しかったが、その日は遅かれ、早かれ来ると確信して居りましたから、平静でいられた。これもハッキリ申して、小さな奇跡現象でありますね、多分。私の「力」では無く、私を経由して「神」の力が作用したまでの事。 私がしたことと言えば、生徒と 直に正対する こと。邪念を交えず、生徒の心に、裸の魂に向き合う努力を、専心に行うだけ。この技は、私の特技と言えば特技でありましょうが、これは私の拙い人生を通じて、常に努力して磨いてきた、生きる為の唯一の「武器」であります、身に着いたのはこれだけ。 一般化して表現すれば、人は皆等しく「幸福」になる資格と、能力を授けられている。「充実」した人生が「保証」されてもいる。 一体全体、誰によって、何者によって そう なつているのか?ここでは取り敢えず、天によってと、申し上げて置きましょうか…。 人によっては神、仏、絶対者などと呼んだ方が、より理解が得られ易いかも知れませんが。 それでは何故に、世の中には不幸なる者、病める者、天災・人災などの災害に遇う者、虐めに遭って自ら死を選択せざるを得ない者、その他諸々の諸悪を抱え込んでいる者、諸悪を抱え込まされている者、戦争やテロ行為を仕掛ける者、戦争などのテロ行為を仕掛けられる者、等々の幸福ならざる人々が多数存在するのか?又、不幸な人々が大勢、次から次へと生まれ出て来るのか…。 これは地球上に人類が誕生した時から、今日を経由して、未来永劫に亘って継起し続けるであろうことは、容易に想像がつくことですが。 この設問は余りにも大き過ぎて、私の如き者には到底手に負えない、大大、の大問題でありますから、天のみぞ知る。とか何とか言って、逃げておくのが賢明というものでしょうが、私は愚直一筋の大馬鹿者ですので、現時点での最良と思われる、常識的な「模範解答」を披露しておきたいと、思います、私自身の為にも。 少し前に、未来永劫と言う表現を使いましたが、人類には未来も、永劫も実は無いのであります、この我々が生み出された地球という惑星を含む、大宇宙的な時間感覚からすれば…。 その大宇宙的な立場から立言すれば、私たちの母なる地球を生み出した恒星の太陽は、早晩大爆発を起こして消滅する。従って、地球そのものも、その前に存在しなくなる。で、その地球に生存する一生物であるにしか過ぎない、我々人間は、その前に死滅する。 人類は英知を発揮して、新型のロケットの様な乗り物を発明し、別の宇宙世界に逃亡して、繁栄を続ける。その様な幼稚極まりない発想は、全く通用しないのであります。 所で、何故に幸福が保証されている人類の中に、不幸なる人々が大勢生まれ出て、その悪しき事態が継続し続けるのか。回答は、至極簡単にして明瞭です。私たちの思慮が余りにも小さいから。或いは、私たちの住む世界は実に複雑に様々な要素が入り混じっている。だから人間の浅知恵では理解が及ばない、から。そう答えるのが、一番正しいのですが、別言すれば、人間ばかりでは無い。命あるものは、微生物から動植物に至るまで、生命を、一瞬の生の輝きを謳歌する。そう、生命とは一回限りで、実に儚く、短命に出来ている。いや、その様な「か細く、ひ弱な」存在だから、愛おしく、哀切で、限りも無く大切にして、大事な物として我々「生」の中に生かされて在る者に、感じられるのでありますよ、実のところ。 「神の目」から見れば、全ては有るべくして在るのですから、全ての事象は全肯定されて然るべきなのであります。ただ、個々人の立場に立てば、その当然の首肯が、難しい。納得し難い。それだけの事なのですが、凡夫である私たちには、それが不可能と思える程に、至難なのでありました。井の中の蛙、いずくんぞ大海を知らんや。凡人たる個人に、神の目など持てるわけが無い、無理過ぎる注文というもの。 それは一応そうだと言わざるを得ないのですが、昔の人の生き方を眺めていると、必ずしもそうではないことが分かりますので、次回には、妙好人(みょうこうにん)に就いて書いて見たいと思います。
2016年12月18日
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第 百十二 回 目 前回に書いた記事を読み返して、私が感じたのは、ひょっとしたら私が及び腰でこのプロジェクトに臨んでいる。そう言った印象を、或いは人に与えるかも知れない。その様な懸念でした。兎に角、私の言う所に依れば、人類史上に一大エポックメイキングな、空前絶後と思われる「物凄い大事業」を開始しようと、試みているのだ、と言うのですからね。言うに事欠いて、余りの大言壮語。私の長男の貴信ならずとも、「危険だよ、余りにも危険すぎて、次期アメリカ大統領のトランプ氏どころの騒ぎではないよ」と、言いたくもなるのです、実際の話が…。 キチガイ老人の戯言、と一蹴されかねない。私・草加の爺めは始めから大真面目だし、傍から見れば クレイジー と感じられる事を、十分に自覚した上での行動であり、発言なのであります。 しかし、断じて躊躇したり、たじろいだり、弱腰になったりは致しておりませんよ、金輪際。実施に当たって、細心の心遣いをしなければ、いけない。その一事を肝に銘じているだけのこと。弱気とは、性質を異にするもの。細工は流々、仕上げを御覧じろ、と申し上げたい。 一般論としては、或事が出来ない、挫折する、失敗する理由なり、原因は無数に有り得るし、又、考えられもする。しかし、この度の私の場合には、失敗する可能性は皆無なのです。そして、その理由は唯一つ、神様が、それを私に命じたから。旧姓柴田悦子に由って、彼女の限りない無償の愛情に因って、それが無理なく古屋克征に伝達され、了解されたから。成功は間違いないことなのでありますね、素直に、どの様に考え直してみても……。 しかし、この様な私の、一種異常を通り越した自信は、一体どこから来るのでしょうか?毎日、繰り返し、「それでいい、それで良いのだから、頑張れ!」という、励ましの「声無き声」によって激励を受けているから―、とお答えするしかないのですが、もう少し丁寧に御説明致しましょうか。 その前に、少々回り道を致しますよ、話の順序として。私には二人の息子が居ります。サラリーマンの現役の時には、仕事に忙殺されていましたので、子育てには一切ノータッチで済ましてきました。家内も、子供の事は私に任せてください。あなたはお仕事に、専念して下さればそれで十分ですから、と口癖の如くに申しておりました。そして、私は至極素直に、妻の言葉に従った。否、止むを得ずに、子供たちの子育て、教育に関しては、家内に一任せざるを得なかった、と言うのが実情でした。たまに、ごく稀に自宅に居て、子供と顔を合わして、思わず息子を叱る。何か、悪戯をして、それを私が窘(たしな)めなければいけない場面が生じて、止むを得ず叱ったりすると、家内はすかさず「子供を叱るのは、私の役目ですから、あなたはどうか叱らないで下さい。善いお父さんでいてやってください」と、私に注文をつけて来る始末でした。いや、はや…。 で、そんな当時の私の夢は、息子たちが大人になって、一緒にお酒でも飲める関係が築けたら、どんなに嬉しいだろうか、でした。そして月日が流れ、定年後にそうした夢を実現する、幸いに浴することが出来た。実にラッキーな事に…。そして、お酒に酔った私は、繰り返し、昔話をして聞かせた。長男とも、次男とも、幸運にも一緒に楽しいお酒を、連夜の如くに、飲み交わした。長年の夢が、図らずも叶ったわけです、なんとまあ…。 そんな折に、二人の息子が異口同音に発した言葉が、「結局、お父さんの話は、昔の自慢話ばかりなのだ」でありました、はい。私は最初のうち、唖然としました。何故って、私にとっての昔話は、自慢でも何でもなかったのですから。考えてみれば、家内からは「家のお父さん、あなたたちの父親は、とても偉い人なのですよ」と、言い聞かされ続けて育った二人です。詳しい仕事の内容は分からなかったにしても、「偉い人」が「凄い」事をしているらしい。貧乏でも、仕事でたくさんのお金を必要としているので、(例えば、連日連夜の如くに、タクシーで遠くの方から帰ってくる。子供である自分たちは、駅前からさえ、贅沢だからと言って、めったに乗る機会は無いのに…)お父さんがお金を使うのは、仕方がないこと。家族は、お父さんの働きで生活できているのだから、感謝しなければいけない、云々。後で聞けば、そんな風な少々強引過ぎる、説得の仕方であったわけですが、それもこれも仕方が無かったのでしょうね。 で、私にとって自慢ではなかったが、めったに体験できない、珍しい内容ではあった。確かに…。プロデューサーの誰もが経験する事柄ではなく、自分でも、業界を離れた今では自分自身で体験したことなのに、本当に自分が体験したことだったのだろうか、と首を傾げたくなる瞬間も、実はあるくらいです、実際の所。(因みに、こんな事がありました。「お父さん、ウッチャンナンチャンのウッチャンが、僕の隣でおしっこしてたよ」と、次男。当時、小学校の低学年だった筈。場所は、東京都内の某一流ホテル。テレビ局の秋の恒例の特別番組の収録が行われていた会場でのこと。関係者以外は絶対に入れない場所に、私の子供が堂々と立ち会っていて、偶々、トイレに入ったら当時人気絶頂だったコンビが、直ぐ隣に居た。息子は夢のような思いだったに相違ない。こういう滅茶苦茶な事を、私は時折する事があるのです) そして、現在のお話ですが、又々、人が聞くと自慢話以外の何物でもない様な事を、お話することになるわけです、実は。塾の講師という仕事柄、秘守義務がありますので、あまり詳しくは説明出来ないのですが、ご承知おきください。
2016年12月15日
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第 百十一 回 目 若い頃の想い出話と共に、芸には完成がないことを指摘いたしました。そして、素人には素人なりの花が、魅力があるのだとも。 さて、読み聞かせの人材に関しては、取り敢えずこのくらいにしておいて、今度は会場の問題に移りましょうか。ズバリ一言、会場は場所を選ばない、と。立派なステージや舞台などがなくても、発信者と受け手とが揃えば、其処が「立派な会場」に変身してしまう。そう、戸外でも路上でも、山の上でも、海の辺(ほとり)でも…。もうお分かりですね、思い立ったが吉日。何時でも、何処ででも、一定の条件さえ揃えば、スタート可能なのです、簡単に。 扨、これからが問題なのですよ、実は。何事に於いても 機が十二分に熟す 事が肝心です。機が熟すとは、今度の場合にどの様な事柄を意味しているのでしょう。ご一緒に考えて見たいと思います。 私は妻・悦子の「偲ぶ会」に際して、出席者の義兄夫婦、義妹夫婦とその長女、そして義弟夫婦に対して或るアピールを致しました。町起こしの決め手になるに相違ない、私が提案するプロジェクトの発足メンバーになって貰えないだろうか、と言う相談です。そして、私はその最後にこう付け加えてもいました。即ち、無理強いする意図は全くなく、もし自分たちの生活の張になると思えたら、諸事情が許す範囲で、ご協力をお願いしたいのだ、と。 「あなた方の故郷である町が、近い将来に、人口減少などの原因で、消滅してしまうかも知れない。少なくとも、その危険性や、可能性は大きい。だから、これはあなた方自身の非常に密接な、喫緊の重大問題なのです。だから、是が非でも、力を貸して欲しい」などと、一種「上から目線」で「恩着せがましい」態度や言動を、私は断じて取りたくない、絶対に…。この最も重要な、最初の一歩は、たとえ私という部外者からの助言によって、形式的には外発的な原因を伴ったにせよ、実質は、内情は、町民自身に依る、止むにやまれぬ内発的な熱情・熱誠によって、自ら進んで実施される。そういう自助努力の自ずからなる発露、生まれ故郷を愛する情熱の爆発、であって欲しい、何が何でも…。そう切に願っている。 そうでない限り、この偉大なるチャレンジの実現はおぼつかない。やるからには、百パーセント成功させなくてはならない。その為には、他人事では無い、自分たち自身の死活の最重要課題だから、石に齧り付いても断じて引き下がりはしない。そうした、不退転の決意と、強固な意志の力がフルに発揮される必要がある。そして私・草加の爺の役目は町民自身の熱い行動にエールを送り、側面から可能な限りの援助を、サポートを送り続ける、その一事に尽きる。私も、やるからには寿命とエネルギーが許す範囲で、最大限の尽力を全く、無報酬、手弁当で、渾身の力を振り絞って、これ努める所存で居ります、決死の覚悟であります。何故なら、悦子の無尽蔵な私への愛情に報いる手立ては、他に無いからなのです、実際の所。 閑話休題 ― ここ迄書いてきて、ふと我に返って気づいたことがあります。町おこしの事業だったら、例えば県とか町とかの地方自治体との交渉が、先決事項だと思う人が大部分だろう。そう気づきました。そうです、その通りなのですが、それは既に長男に引き摺られる如くにして、五六年以前から交渉を始めております、ある程度。そして地元の方々とも、幾分お話し合いを含めた接触も、図っております、実のところは。 所で重大な問題が未解決のままで残っていました。私は野辺地で生活している親類や縁者の生活状況を、何も知らないのであります、殆んど何も。これは非常に大切な問題点であり、同時に用心深く、細心の注意を要する、実にデリケートな部分であります、実際。 彼らが全員、実に善い人たちであること、私に好意以上の関心を抱いていてくれる事実に、間違いはないのですが、彼らが実際にどの様な生活感情を持って、日々の暮らしを送っているのか、詳細に至っては私には皆目見当もつきません、正直な話が。 経済的な事、極貧ではないけれども、非常に豊かでもない。義兄も義妹も共に二階建ての自宅に住んでいますから、明日の生活に不自由を感じることは無いにしても、義兄の家ではもう数年前から義母が、ベットでの寝たきり状態の生活を余儀なくされている。毎日の介護や、外部から入浴サービスその他の世話にも、お金やら色々と目に見えない苦労があることでしょう。また、義妹宅では親子の二世帯が、決して広くはない家の中で同居生活を、営んでいる。細かな経済状態始め、生活の詳細に至っては、私は何も知りません。これまでは、それで済んでいたのですが、諸々の相談を持ちかけるとすれば、今までの様なわけには、どうしても行きませんよ。彼等にすれば、「迷惑な、そして、厄介な面倒を、突然に押し付けられる」ことになるのですから、私の 理由のわからない相談 は、迷惑千万な、災難が突然に降りかかって来たのに、全く等しいのです、実際の話が。 私の側の「善意」は、彼らにすれば「訳の分からない悪意」に、実感としては、受け取られ兼ねない。まかり間違えれば、詐欺やペテン師、乃至は、押し込み強盗に似た、怪しげな相手に突然襲われてしまった。迷惑至極な疫病神と、私の存在が変じてしまう恐れが、多分にある。相手が善意と信じ、あなた方の為ですよ、などと本気で信じているだけに、尚の事厄介極まる。そんな思いもかけなかった、紛糾した事態を将来しないとも、限らない。いや、ひょっとしたらその可能性のほうが、遥かに大きいのだ、実の所で。呉呉も、心しなければイケない。こう、自戒している私・草加の爺なのであります、本当に。
2016年12月12日
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第 百十 回 目 私は「遊ぶ事」、play することが人生をエンジョイする、最良の方法と考えている者であります、自分自身の体験から推して。 一見、或いは、当面「嫌なこと」、「辛いこと」、「退屈な事」などを、前向きに捉えて楽しい、嬉しい、好ましい、に変換してしまう。出来れば心から愉快に、楽しんでしまう。これこそが、人生で最大のマジックの極意( ― 少なくとも、その一つ)であると、私は草加の爺は声を大にして、申し上げたい。 所で、全く関係ないことを挿入させて頂きますよ。 全く、本当に久し振りに「浜ちゃん」にお会いしました。いや、いや、テレビで拝見しました、俳優の浜畑賢吉氏のお姿を。奥様の上村香子さんもご一緒でしたね。( この様な事柄を書くと又、例の自慢話か…、と顔を顰められるかもしれませんが、現在の私は「無名の、貧乏な、市井の一老人」にしか過ぎません。天下のNHKでさえ、民放や劇場映画並にCMやお知らせ等を恥も外聞もなく たれ流している ご時世であります。よく言えば、自己宣伝全盛の時代でありますから、私も崇高な目的達成の為になるならば、自己のスタイルを少々曲げてでも、世の中のお役に立ちたい。その様に愚考致して居りますものですから…。) それで、話を元に戻しましょう―、ダウンタウンの「浜ちゃん」ともテレビの番組で共演させて頂いた(?!)経験がある私ですが(これも、嘘ではありません)、今は浜畑賢吉氏のお話であります。思い出しますが、私がプロデューサーとして本当の駆け出しの頃、TBSのゴールデンのテレビドラマのお仕事で、ご一緒させて頂き、お酒なども一緒に飲んだ記憶があります、はい。 広告代理店の大手・電通との共同企画で、東京放送に持ち込み企画として成立した「新平四郎危機一髪」と言う、痛快サスペンスアクションもの。当初は映画俳優の宝田 明主演でスタートしたのですが、宝田氏が事故の為に已むなく降板し、リリーフとして当時劇団四季の舞台で有名になり、テレビドラマなどにも出演を始めた新進気鋭のフレッシュスターを、急遽起用したのでした。当時の私は、生意気盛りでしたし、生きの良い大スターばかりと毎日接しておりましたので、この新人を「余り魅力的でない」と腹の中で思っていたのですが、いま当時のビデオなどで出演作品を拝見すると、さすが勢いのある、魅力溢れるスター振り、だと感心致します、実際。 自慢話のついで、と言っては誠に恐縮ですが、ベテラン俳優の阿部 寛氏についてであります。以前にもブログで書いた覚えがあるのですが、少し詳しく御話いたしましょう。 彼とは不思議な御縁がありまして、私がプロデューサー補で吉田啓一郎監督が新人の助監督の時代から、啓一郎さんの兄さんが私の先輩プロデューサーで、私を大変に可愛がって下さっていた関係もあって、撮影所での仕事や、個人的な飲み食いの方面で、非常に昵懇な間柄でした。その吉田監督と、ロケーション撮影の合間にある店に偶然入って、ビールなども飲みながら食事をしたのです。とても美味しく、感じの良いお店でしたが、そのお店の中年の店主婦人が阿部 寛氏の叔母さんだった。 そして、その後しばらくしてから、渡辺 謙さん主演の「仕掛け人 藤枝梅安」シリーズの際に、共演者の中村橋之助さんが舞台公演の都合で、途中降板せざるを得ない窮地に追い込まれてしまった。その時に私は、何故か例の叔母さんの言葉を思い出したのです。偶々、事務所の代表が私が以前から懇意にさせて頂いていた、良心的なマネージャーだったので、直ちに出演交渉がまとまった。主演者の渡辺さんが自分より身長の高い共演者を迎える事に、珍しく強硬に反対した。話を端折りますが、結局、わたしの 巧みな 説得が功を奏して、無事に決着を見た。 所が、まだ問題が残っていました。それは時代劇に付き物の「殺陣」であります。阿部さんはモデル業界の超大物で、早くからスター的な存在でしたが、芝居は余り達者ではなく、剣捌きに至っては、全くの初めて。チャンバラさえ経験の無い御方でした。マネージャーさんと相談の上、撮影スケジュールの他に、殺陣の特訓を入れることにしました。これは少なくともテレビドラマでは余り類例を見ない、特殊な事象でした、確かに。―― 兎に角、この様な困難限りない山や谷を乗り越えての、役者入れ替え作業でした。 さて、嘗て東洋一美しいと映画関係者の間で評判だった新東宝の、世田谷砧の撮影所も246・世田谷通りに面した半分を日大商学部に売却し、テレビドラマ専門撮影所として稼働していたのですが、老朽化と時代の波の影響で、東京メディアシティー・TMCスタディオとして再生した後の事。或るとき、あまり会社に留まらず、あちこち出歩くことの多かった私に、アルバイトの新人事務員の女性が、「古屋さんて、とてもお偉い御方なのですね…」と声を掛けて来ました。「何故?」と私が訊くと、「だって、あの阿部 寛さんが、うちのスタジオに仕事で見えると、先ず最初に、誰よりも先に、古屋さんのお席にご挨拶にお見えになるではありませんか」と答えたので、私は思わず苦笑してしまいました。当時の私は超多忙なスケジュールをこなす為に、自分の会社の席を暖める暇も無く、一年中、都心のキイ局や、京都や地方でのロケーションなどに同行する、目の回るような忙しさでした。実直な阿部さんは、TMCスタジオでの仕事が入った際には、マネージャー経由で私の居場所を確認し、私が会社に居る時間に合わせて、事務棟の二階にある私の席まで、わざわざ足を運んで来てくれたのでした。 この様に自慢話めいたことを縷々書き連ねたのは、「芸事には完成が無い」ということを、申し上げたかったからに外なりません。人生も又、同様です。これで良い、もう完成したと言える時が、無いのであります。俳優修行は、人生修行に通じている、とも申します。 新人の花、素人の佳さ、中堅としての魅力、青年や壮年の花、成長している時代の輝き、そして円熟期や老年の花、更には、終焉の際の匂い・艶・あでやかさ…。願わくは、思い出の中で、永遠に輝く、匂い立つ花と化して欲しい、是非とも。
2016年12月09日
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第 百九 回 目 読み聞かせの会の発足に際して、読み手・語り手は全く訓練を受けていない、初心者で構わない。十分に役に立つ。但し、土地の方言が流暢に話せ、相手、つまりお客である受けて、対象者に対する「暖かな、優しい 心・ハート・マインド」があれば…。そう私は、断言致しました、確かに。 母親が我が子に絵本等の読み聞かせをしている場面を、イメージしてみてください。もっとも、この様なシーンは今日では、めったに見られない現象と化しているのかも、知れませんが…。それは兎も角として、そうした場合に、母親が読み聞かせのプロであるかとか、読んで聴かせるのが上手であるとか、そうした点は一切問題となりません。それと全く同じ事が、少なくともスタートする初期の時点では、言えるのでありますね、実際。一言で言えば「愛情」や「優しさ」が篭っていればそれで良い。むしろ、流暢であるより、稚拙だったり、たどたどしかったりした方が、より心が通い合うかも知れず、目的はより良く達せられる、とも言い得る。元々、そう言った性質のパフォーマンスが狙いなのですから。 家族・隣人・地域の人々、その他、身近にいて寂しかったり、元気がなかったり、孤独を託(かこ)っていたり、一人暮らしの孤独に苦しんでいたり、イジメに遭って悩んでいる。そう言った人たちの居る所にこちらから、出向いて行って、言葉を掛け、心のこもった言葉で慰め、元気附ける。その上で、この好意の仕上げとして、相手の喜びそうな作品・物語等の読み聞かせを実施する。そういった所からの、スタートを考えて居りますよ。地域活性化、住民相互の交流の一環としての それ。 ですから、私は宮沢賢治の「雨にも負けず」をレパートリーの一つに加えるべきだと、考えています、はい。因みにその詩は、「雨にもまけず 風にもまけず 雪にも夏の暑さにもまけぬ 丈夫なからだをもち 慾はなく 決して瞋(いか)らず いつもしずかにわらってゐる 一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ あらゆることを じぶんをかんじょうにいれずに よくみききしわかり そしてわすれず 野原の松の林の蔭の 小さな萱(かや)ぶきの小屋にゐて 東に病気の子供あれば 行って看病してやり 西につかれた母あれば 行ってその稲の束を負ひ 南に死にさうな人あれば 行ってこはがらなくてもいいといひ 北にけんかゎやそしょうがあれば つまらないからやめろといひ ひどりのときはなみだをながし さむさのなつはおろおろあるき みんなにでくのぼーとよばれ ほめられもせず くにもされず さういふものに わたしはなりたい 南無無辺行菩薩 南無上行菩薩 南無多宝如来 南無妙法蓮華経 南無釈迦牟尼仏 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩」となっています。尚、原文はカタカナ表記になっていますが、便宜上平仮名に改めてあります。 レパートリーについては、歌謡曲の「岸壁の母」や講談の「左 甚五郎行状記」から、果てはシェークスピアのソネットや「リア王」に至るまで、私・草加の爺に腹案がありますので、追々御紹介すると致しますが、もう少し、読み聞かせの会の説明を致したいと思います。 楽しむ事、プレイ play すること、読み手、語り手が心から楽しんでパフォーマンスすることが、何にもまして重要な事柄であります、何よりも…。私は御存知のお方もいらっしゃいますが、長年の間大手の学習塾で講師・チューターを勤めさせて頂いて居りますが、生徒達(小学校の低学年から、大学浪人生まで、殆んど全部の教科を担当させて頂き、幸いにも大好評を博して居りますが…)に対して口癖の様に投げ掛けるセリフがあります。「同じ苦しくて、辛い勉強をするのなら、楽しいから、自分は学習するのが大好きだから、それで勉強しているのだ、と自分で自分に自己暗示を懸けようよ。最初は無理でも、そのうちに本当にそんな気分になって、仕舞には本心からそう思えるように、なれるからね」と。 これは、実際に「勉強、大嫌い人間だった」私が少年時代に体験した、その儘の事柄なのですから。物心ついてからの私は、毎日が楽しくて、楽しくて仕方がなかった。しかし、小学校に通う年頃からは、非常な圧力が、主として母親からの理不尽な強制力が、無邪気な下町少年に加えられる様になった。遊びに遊んで、毎日が天国に遊ぶ心地でいられた腕白坊主は、遊びの天国から追放の憂き目に遭い、地獄にと落とされた、惨めにも。ある時、小学校を卒業した二週間程の春休みに、偶然手にした二歳年上の優等生だった兄の、使い古した数学の教科書。それこそ、夜も碌々寝ないで、中学一年の教科書を全部学習してしまった。実に楽しかった…。強制されたわけではなかったから、全くの偶然の結果で、勉強の面白さに開眼した。学習の真の魅力に取り憑かれてしまった、有難い事に…。勉強・学習を遊び事に変化させてしまった。謂わば、天の配剤によって、幸運至極にも、でありますね。 もっと言えば、仕事も、テレビドラマのプロデューサーの仕事も、「遊んでしまった」のでありますよ、なんと不埒にも、罰当たりにも―。
2016年12月06日
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第 百八 回 目 読み聞かせの会を発足させるに際して、読み手、語り手を担当する人材をどの様に 育成する のか、という重要にして、大切な課題がありました。しかし、ドント、ウォーリー、心配は御無用と申し上げたい。 この肝心要な点に関しましても、このプロジェクトでは実に「コロンブスの卵」的な発想の大転換がありますし、実施可能な見通しもつくのでありますね、驚いた事に! 差し当たって、野辺地の方言が流暢に喋れれば、大丈夫なのですから、町の住人や野辺地町出身者であれば、特別の訓練を受けていない人でも、候補者たり得る。従って、読み聞かせの担当者の条件としては、「方言」が話せる事だけが必要なわけであります。 後は、意欲と優しさ・親切心があれば、その優しさや親切心を発揮して貰えれば十分なのですから、話は至って簡単であり、面倒な事は一つもないのであります。 えっ、そんなバカな、という声が私の耳に達して来ましたので、少し丁寧に御説明申し上げますので、暫く御辛抱をお願いいたします、どうぞ。 私が長い間お世話になったテレビの業界でありますが、実はズブの素人が大手を振って通用する世界だったわけです。私が入社した国際放映という国産テレビドラマ制作の、専門の謂わば工場では、石坂浩司とか、青島幸男とか、渥美 清と言った、当時新人俳優と言うよりは、素人に毛が生えた様なテレビドラマスターが、大勢活躍をしていました。国際放映は元、映画会社の東宝から労働争議で分裂し、第二の東宝として独立した新東宝が放漫経営の為に倒産し、溶鉱炉の火を初めて止めた、九州八幡製鉄所の労働争議の英雄的リーダーだった阿部鹿蔵氏によって再建された、いわくの有る会社だった。 最初、低予算という台所事情もありますが、映画スターを起用できない新興のテレビ業界では、何が何でも、自前のスターを自分たちの手で、作り出さなければならなかった。必要は発明の母とか言われますが、二十代後半で一本のプロデューサーとなった私( ー これは自慢でも何でもない事実として、日本のフィルムドラマのプロデューサーとしては、空前絶後の画期的な出来事なのですよ)も、例えば当時日本中で爆発的な人気を博していた漫才師の横山やすしをテレビドラマに初起用し、延いては吉本興業の東京進出のきっかけを与えた。 この様に一見、自慢話めいた事柄を引き合いに出しますのも、これから私が音頭取りをして開始しようと言う、未曾有の、野心的で大冒険的な試みに対して、誰しもが当然の如く抱くでありましょう、不審や不安、困惑、不信感などを、少しでも払拭したいからでありますよ、たとえその効果が、焼け石に水に終わろうとも…。と、申しますのが、私の言動が見ようによっては詐欺師やペテン師のそれに、酷似しているであろうことを、誰よりも私自身が自覚しているからですし。そしてこれも、何時か通った道、実はテレビドラマの新人プロデューサーとして経験せざるを得なかった、苦渋や屈辱の思い、新分野を開拓する者が必然的に遭遇する、未知なる物に対する世間の、牢固たる拒否・拒絶の、常識的対応の壁を如実に思い起こすからでありますね、ありありと。今でこそ、テレビの持つ偉大な影響力を知らない人はいないのですが、私の新人時代のテレビは映画に比べて、世の中に出現してから日も浅く、認知度が著しく低かった。タイアップと称する、資金的な協力も中々得ることが難しかった。普通には不可能と考えられる超低予算で、少しでも良質の物を目指すとすれば、テレビ局からの予算は限度額で頭打ちですから、外部から資金を呼び込む様々な協力に頼る他は無い。 そこで、若かりし時の私は、若さゆえの無鉄砲さを遺憾無く発揮した。不可能と言われた造船所での撮影に、経営トップとの直談判で、許可を下ろさせた。また、正規のルートを辿ったなら絶対に許されない、大阪の万博会場での撮影にも果敢に挑戦し、見事に成功させた…。 一つ一つ数え上げていたら、実際限(きり)がありませんよ。 現在の私には若さも、無鉄砲さも共にありません。が、燃えたぎるような情熱だけは、人後に落ずに、胸の奥底に秘めて居ります。柔軟な発想力も、衰えを知りませんね。いや、それどころか、益々、日々に磨きをかけてさえおりますよ。
2016年12月03日
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