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第 九十 回 目 個人を超越した、大きな存在者の手元の動きを感じ取っている者にとって、表面的な華々しさや、一時的な名声・富など、何程の価値も持たない。人間の幸・不幸を決めるものはもっと別の所に、認められる事を、見極めているからだ。 保元の乱直後から、再び高野山に籠り、時局の移り変わりを静観し続けている西行にとって、平治の乱は先の乱の、単なる延長としてしか、捉えることは出来ない。事態の本質的な山は、既に見えていたのであるから。 時代の変革を代表するものが、京の都に繰り広げられた、戦乱であったとすれば、西行個人の青春の終焉を象徴しているのが、落飾して真性定と号した美福門院の死、であろう。 青春が、単なる若さの代名詞として、機能するのではなく、様々な方向に揺れ動く生の、可能性の豊饒さを包含しているとすれば、の話である。しかし、これは直ちに西行の後半生が狭隘、且つ、貧弱であった事を意味しない。 青春の終焉とは、豊かな将来の実りを約束する、確かな種子が、最も肥沃な土地に播かれた事を、正しく意味している。 従って、折からの、降り積もる雪の中で美福門院の遺骨を、高野のお山に迎える西行の胸中には、深い悲しみの感情の底に、或る清澄さが宿っていた。― 過ぎ去った、懐かしい日々への痛切な想い、心の慟哭…。往時への淡い、感傷の情ではなく、今では取り返す術もなく、遠く隔たってしまった若年への、限りの無い愛惜…。 それ等、大波の如く次から次へと、押し寄せる激情に身を浸し、翻弄されるが儘に、委せ切る事が可能なのは、彼が常にギリギリの人生を、その時々に、精一杯生きて来たからに他なるまい。どうしようもない必然を、自覚的に辿って来たからこその、正当な後悔、とは言葉の矛盾であろうか…。 美福門院の死は、西行に悲哀に感情だけを、齎したのでは無い。彼女は此の世での生を終えた今始めて、西行の心の中に、永遠の生命を得た。そうとも言えるのだ。美しく、妖しく、高貴な、決して盡きる事のない魅惑に溢れる、久遠の存在。それは人生の理想と見做し得る、美しさで輝いている。西行が生き続ける限り、彼女の思い出もまた、燦然と生き続けるに相違ない……。 ここに一つ、小事件があった。この年、永暦元年、美福門院・藤原得子の逝去に先立つ四ヶ月前の七月、一人の老僧が禅林寺南隅に塚を築き、自らを埋めるという、市井の出来事としてはかなり衝撃的なものである。 西行は勿論、この事件を直接に目撃したわけでは、なかった。都からの便りや、自然に届いて来た噂などで、事の概要を知っただけである。その話を聞いた時西行は、何故かあの空海の即身成仏義抄を彼に与えた、西山の修業僧の姿を想い起こしていた。あの雨に打たれて、瞑想に耽っていた聖の顔の表情を、二十年後の今日でもありありと、思い浮かべる事が出来る。 あの、何処の、誰とも知れない聖が、あの時の儘の表情を崩さず、夥しい数の群衆が一様に好奇の眼差しをむけるのを尻目に、従容として死に就いた。その有様が手に取るように、想像出来る。西行の気持ちの中では既に、その老僧は、あの時の聖と、決められていた。扨その上で、かの聖は何故に、その様な見世物じみた最後を演出したのかと、訝しく思ったのである。 あの孤独に徹し切った超俗の姿勢からは、少しもその様な振舞いが、連想できない。その癖に正にその様な死こそが、あの時の聖の最後として最も相応しいような、奇妙に矛盾した確信も一方に存在する…。それにしても何故、如何なる理由があって、あの聖はその様な 死 を死んだのか?彼にとってその死は、必然だったのか…。それは空海の説く即身成仏の、実践だったのか?或いは、単なる自殺に過ぎないのか…。しかし結局西行には、そのいずれでもなかったと、見える。かと言って、尤もらしく言い広められている如くに、汚濁した現実社会に対する抗議・批難を意図する、一種の 諌死 であると解する説にも、俄かには賛成し兼ねるのだ。 聖がその様な死を選んだのは、勿論彼自身の意志だった筈。そして、確かにその意志の中には、対世間的な、働き掛けの意図が見て取れる。詰り、己の尊い生命を的にした、芝居気たっぷりな或る訴えの仕草が、覗える。その訴えは、世を捨て、世に捨てられた聖が、長年に亘る厳しい修業の果てに掴み取った、何かである。が、その何かを、毎日の生活に追われ、現実に密着し、拘泥し切っている俗人達に伝達し、理解を迫る事自体に、大きな無理がある。その自明な理を、聖が見落としていたとは、判定し難い。聖は世俗に伝え得る事柄を、ごく自然に伝えようと図ったに過ぎまい。 その死が結果として、多くの男女の異常な関心を集め、強い感銘を与えたとすれば、それは聖の死に反応した各個人の、心の問題である。聖がその死を傍観した群衆の心の中で、様々な死を死んだ事も事実ならば、彼自身としては、必然の死を、従って一種の自然死を遂げたことも、又事実なのではないか…。西行には、どうしてもそんな風に、思えてならない。 と、すれば、その勝手な空想が事実だと仮定すれば、かの聖も、美福門院とは又違った意味に於いて、西行の心底に生き続ける権利を、確保したのだと言えよう。 現実の蒼穹の涯てに在って、美しい恒久の光を、地上に投射している星々の如く、彼等も西行の心の夜空に澄み反り、冴え冴えとした輝きを発することを止めない、麗しい星達であった。人は実に、斯かる方法に依って、永遠の生を生き、永遠の生命に参画する事が、許されていたのである。 六時半ころ、春美がベッドから起き出して来て、夫の書斎を覗き、こんな朝早くから起きて、読書している姿を発見して、何か珍しい物でも見るように、不思議そうな顔をした。 その半分寝惚けたような、妻の化粧していない素顔が、彼の朦朧とした意識を、少ししゃんとさせた。― 彼は、ショックを受けたのだ。別に妻を人並み外れた「美人」だと、錯覚していたわけではないが、今朝の妻の寝くたれ顔は、醜怪であった。それとも、常日頃から見慣れている筈の、女房の顔を、醜怪だと感じた彼の方が、やはり何処かに異常を来たしていると、考えるべきなのか…。その様に一応は、反省を加えてみたのだが、その際のショックの名残りは、バスに乗ってからも、まだ尾を引いていた。
2016年09月26日
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第 八十九 回 目 崇徳上皇方が立籠る白河殿に、後白河天皇方の軍勢が、攻撃を開始したのである。 西行はその時、白河殿から目と鼻の先にある、小さな寺の宿坊に居て、和歌の友・寂然と夜を徹して、懐旧談に耽っていた。出家した動機や人生観などは相違していても、芸術の上では全く志を一にしている、この年下の友は、西行にとって数少ない、心友の一人である。又寂然にとっても、西行は親兄弟以上に尊い先輩であり、またとない畏友である。 歌人・源俊頼の流れを自称する西行であったが、寂然の見るところ、西行は生まれながらの歌人であり、既にして自己独自の流派を、確固として樹立していた。― 伝統や歌学を一見無視し、自由奔放に読み散らしている如くに見えながら、根本の所では、和歌の本道から少しも外れていない。正に、正統的な、本格派だと言えた。それが其の儘で、西行の生き方にも、確かに通じている。誠に、人間臭い、骨太な、逞しい精神が脈々と、息づいている。 何年ぶりかで見る西行は、紛れもなく昔の、人懐こい西行でありながら、遥かに大きく円熟した人間性をも窺わせる、落ち着きと人間の幅が、しっかりと身に備わっている。 今では兄弟三人共に出家し、大原に隠棲する自分達の心中には、望んでも、望み得なかった俗世での栄達や名誉に、猶も恋々とする未練が、完全には吹っ切れず残っている。乱れに乱れ、堕落した世相、紊乱した旧秩序、一口に末法の世と呼ばれる現実に対する、強い不平不満が、ちょっとした機会にも、口を衝いて出て、自分達を常に悩ましている。が、この西行には少しも見られないのだ。心がすっかり浮世を離れ、悟り澄ました明鏡の境地に遊ぶ、と言った態度とも異なっている。ー ほんの僅かな時間の会話でも、西行が自分以上に現実の動向に強い関心を示し、同時に、多くの情報を把握している事が、理解できる。それでいて西行は、この錯雑極まりない現実社会を、批判したり、慨嘆する風が、全く無いのだ。表に現れた表情は決して明るい物ではなかったが、落ち着き払った物腰には、そこはかとない風格さえ漂っている。寂然は改めて、西行の奥深い人間性に引き入れられる思いを、禁じ得なかった…。 慌ただしい馬蹄の音、どっと挙がる喚声と共に、唯ならない気配が未明の闇の中から、飛び込んで来た。次の瞬間、西行の躯が弾かれた如くに、座敷の外に躍り出ていた。殆んど無我夢中であった。西行は自分が何を願い、何を為そうとしているのか、然とは解らなかった。何物かに背中を突き動かされるようにして、走っている…。異常な緊張感だけが、意識された―。 寺の裏門を出た所で、横手の平地の只中を駆け抜ける一団の武者達の、殺気立った気配があった。西行はその後を追うようにして、斜めに前進する。視界は殆んど利かず、周囲の騒音と勘だけが、頼りである。 どのくらい走ったであろうか、白河殿の巽門(たつみもん)の近くに達した時に、直ぐ脇の草叢から激しい弓弦の響きが、轟き渡った…。眼を凝らすと、仄かに白みかけた暁の空に、黒々と聳えたった広壮な邸宅を圍繞する築地塀のあちこちに、炬火(たいまつ)を手にした人影が蠢いている。至近距離から射られた弓矢は、過たずその人影の幾つかを、撃ち落としている。あちこちで、絶命する者の凄まじい絶叫が、聞こえる。と、今度は西行が潜んでいる地点を目掛けて、夥しい数の矢が、射込まれ出した……。 やがて白河殿の後方から陽が昇り、周囲の様子が手に取る様に、明らかになった―。 攻める者、守る者、共に必死の大接戦である。時折、門を打開いて敵勢の中に攻撃を仕掛ける上皇方の軍勢の中で、一際見事な働きをなしているのが、天下無双の荒武者と噂される、源為朝の手の者達と思しく、片や、寄せ手の中で目覚しい活躍振りを示しているのが、総大将格の源義朝、並びに、平清盛の率いる軍勢である。 しかし双方共に決定打を欠き、攻守の拮抗した均衡は、容易に破れそうもない。 稍あって、予て用意してあった火矢が、日の出直後から吹き募り出した強風に乗って、白河殿の屋敷内に乱舞した。この時迄、憑かれた様に、合戦の一部始終を目撃していた西行は、静かにその場を離れた。途中何人もの騎馬武者や徒(かち)立ちの侍達と、何度も擦れ違ったが、誰一人として西行の姿に眼を止める者とて無かった。それ程に、西行の挙動が現実離れのした、大胆不敵なものであったし、相手を追い詰めた武士達の側に、それ程の些事にかまける余裕が、欠けていたのでもある。 西行が元の寺に戻った時、白河殿が焼け落ちる凄まじい物音を背景にして、一斉に挙がる勝鬨の声が、遠雷の如く届いて来た。寂然の蒼白な顔が、心配げに西行を見迎えた。 「あれは、我等の時代が崩れ去った、合図の物音であろうか…」 「新しい時節の到来を告げる、呱呱の声かも知れぬ」―― 寂然の悲痛な叫び声に、西行の殆んど無表情な声が、谺の様に応じた。西行に何か確たる信念があった訳では無かった。唯、さっき眼前にまざまざと見て取った、合戦の生々しい迫力の記憶が、西行の魂を激しく揺すっていただけである。個人の理解を遥かに超えた、大きなうねりが、時代の進路を激しく変動させている事だけは、確実であったが…。 白河殿を逃れて、仁和寺に身を寄せられた崇徳院が、天皇方に恭順の意を表明する為に、薙髪されるとの知らせが西行の耳に達した時、彼は取る物も取り敢えず、上皇の元に馳せ参じた。―身分を越え、同じ御仏の道に参入する仏弟子として、悲運の上皇の現世への決別の期を、陰ながらなりとお見守り申し上げたい。延いては、亡き待賢門院へのいささかなりとも供養奉じになろうかと、衷心から念じての行動である。 仁和寺北院に半ば閉じ込められた囚人の如く、痛ましい限りの状態でおいで遊ばす、上皇の有様に接して、西行は思わず涕泣した。庭上に跪く西行の姿を目にされて、上皇も落涙した……。左大臣・藤原頼長が奈良坂に命を失い、崇徳上皇が讃岐に流されて、京を舞台とする、戦乱の前段がひとまず終局を迎えた。 三年後の平治元年十二月、再度京の街を流血の巷と化した騒乱が繰り広げられ、時代の趨勢は大きく変化していった。 その激動の最中から、新時代の、全く新しい権力の行使者として、武士階級の代表者・平の清盛が、頭角を現していた。清盛は、西行と同じ、賤しい新興勢力の出身でありながら、己一個の実力と才覚とで、法皇や天皇・摂関家に代表される旧貴族階級を事実上で、凌駕し、又、その実権と名誉とを併呑し尽くしてしまった。その活躍振りはまことに目覚しく、保元・平治の乱が清盛一個人をば、世に出さしめる目的で準備された如くにすら、錯覚させる。 逆の見方を取れば、時代と共に衰え弱った支配勢力が、自らの虚名を無意識の裡に感じ取り、瑞々しい生命力に溢れた新生命へと脱皮すべく、招き寄せたエネルギッシュな力を、巧みに利用し、同化せしめているのだとも、言えようか…。 いずれにしても、人間の様々な営みを超越した、或る途轍もなく強大な存在者の「意思」と言うか、作用と見るか、そうした大きな力が、歴史の潮流を生み出していることを、西行に実感させるには、十分な現象であった。 陸奥に旅して、同族・藤原一門の栄華と強盛とを、目の当たりにして来た西行にとって、名門の源氏を押さえて、中央権力の王座へと怒涛の如き進撃を続ける、清盛ら平氏の動きは、今更瞠目するには当たらない。個人の立場を離れて、広く時代の赴く所に眼を遣ることが出来さえすれば、それらの動きはごく自然な物として、素直に理解可能だ。 さすれば、西行の立場は、その時代の潮流から一時的に飛び離れた、特異な存在として把握出来よう。潮流の中央に位置するか、最末端にあるか、その違いが個人の生き方の上で、幸いする事なのか、それとも、災いすることなのかは、早計には断じ得ない。ただ、西行が自分の宿命を誠実に生きるより仕方無かった様に、清盛も又、己の運命と真っ向から対決し、己の宿命を掴み取らねばならなかった事だけは、確かな事であろう。
2016年09月24日
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第 八十八 回 目 眞木の従来の恋愛観によれば、恋愛感情の根底には、必ず本能的な性欲とそれに付随する支配欲とがあった。人が普通に プラトニック・ラブ と呼び習わしている、純粋に精神的な故に「崇高」な所の、あの恋愛に於いても、事情は全く同じであると、考えていた。 唯、当事者の男女が、自分たちの本能的な欲望に関して、盲目であるか、或いは、充分に自覚的であるかの、極めて表面的な相違だけが、そこに見られるだけで。その様に信じて疑わなかった。その上に、極めて自意識過剰であった青年時代の彼には、異性とは性欲の対象以外の何物でも無いと思われ、それ以外の要素は、視野に入らなかった。彼が「女に惚れる」事が出来なかったのは、要するに、そういう意味であり、そういう事だった。 だから、若くて美しい容貌と肢体を備えていれば、どの娘も、彼にとっては欲望の対象たり得た。気立てが良いとか、躾がしっかりしているとか、そういった点などは、彼には余り重要でなかった。むしろ、娘が育った家庭が金銭的に、裕福か否かの方が、問題であった。自分の伴侶として適当な相手を決めることは、半分以上、偶然に支配されると踏んでいたし、獲得可能な範囲で、一番割に合う相手を選択すれば、済むことであった。第一、男として図抜けた魅力を持っている自信も、自惚れも皆無だったから、相手の方でも何人かの若者達の中から、選り分けるであろうし、そうなれば自然、自分の伴侶となる女性の候補者は、一人か、せいぜい二人に限定されるであろう。後は自分の気持ちに踏ん切りをつければよかった。そういう点では彼は、それ程欲深かでなかった。 要するに、眞木にとって恋愛や結婚は、少しも神秘的でなかった。所謂恋愛は、結婚という取引の前段階であり、相手を相互に値踏みする行為と、時期とを指し、従って結婚とは、世間でごく普通に行われている、打算の産物であると断定して、憚らなかった。 周囲を見渡して見ても、その様に解釈して、不都合は少しもなかったのである。 それが、どうした事であろうか、不惑の年齢を過ぎてから、こんなにも奇妙奇天烈、一種「神秘的」と言ってよい、感情の虜になってしまうとは…。 少女に対して、無意識にもせよ性的な欲求が萌しているとは、どうしても合点がいかない。仮に、百歩譲って、背後に意識されない性衝動が働いているとして、それだけでは彼のこの気持ちを、充分に説明し尽くせない。僅かに彼に解ることは、少女に対する淡い憧れと、微かな思慕の情の存在だけである。…… この感情の謎を解明する鍵は、一体、何処にあるのか?彼は夜明けの丘の上に立って、途方に暮れるばかりであった――― ―――― 予てより覚悟していた事ではあったが、鳥羽法皇の崩御が現実のものとなった時、西行の胸には、拭い去りようもない、鎮痛な想いが立ち罩めていた。取る物も取り敢えず、熊野から参りあって、ご遺骸を安楽寺の院に移す御供を仕った。 美しく照り映える初夏の月が、深い悲しみの感情を、益々煽り立てる。 落飾された、麗しい美福門院のお姿を、遥か遠くから拝するにつけ、出家してから閲して来た、長い年月を思わずには居られない…。自分は今、都に帰り、美福門院様と同じ月を、眺めている。この限りなく美しい上弦の月は、亡くなられた鳥羽院のお姿を、代表しているのであろうか、それとも又、いつの世も変わらず衆生を導く、尊い御仏の教え、そのものなのであろうか…。美福門院の心の中を、窺うことは出来ない。西行に推察できるのは、少なくとも鳥羽法皇に寄せる、限りない愛惜と思慕の情とは、彼女と自分の心に共通して流れている事のみ。それが清浄な光を放っている西側の半分に相当するならば、東側の暗い影の部分は、二人のどの様な感情を暗示しているのであろう…。そもそも、その部分で両者に共通な何物かが、存在するのか?亡き法皇に対する西行の、衷心からの哀悼の気持ちに、偽りはなかった。そして、その最中に以前の 心の恋人 として、法皇の最愛の皇后・美福門院の心中を忖度するのは、不敬の譏りを免れぬ所であろうか…。が、西行は何故か、法皇は自分の真情を、罪のない、無邪気な感傷として、素直にお許し下さる様な気が、するのだった。 仮の仏事が進行し、夜が更けるとともに風が出て、慌ただしく流れる一筋の黒雲が、月の影を遮って、流れて行った…。それにつけても心に懸かるのは、鳥羽法皇亡き後の騒然とした世相の帰趨であった。 前年の後白河天皇の即位及び、その皇子・守仁親王の立太子を強く不満とする、崇徳上皇の天下に公然たる、不穏の動きであった。 丁度一年前の久寿二年七月に、近衛天皇が十七歳の若さで病死した時、崇徳上皇は御自分の重祚、或いは、所生の第一皇子重仁親王の即位を、半ば当然の事と考えられた。が、鳥羽院の阻止に遭い、恨みの涙を飲まれた経緯がある。 鳥羽院の陰にあって、院の御意志を左右する美福門院は、崇徳にとっては母・待賢門院の、憎んでも余りある仇敵であるばかりではなく、嘗て院を説いて、ご自分を天皇の位から追いやった張本人である。 一方で美福門院の方では、病弱な我が子・近衛天皇が没したのは、彼女を蛇蝎の如くに憎悪する崇徳上皇と、その一派・左大臣藤原頼長等の卑劣極まりない呪詛に因るものと、瞋恚の焔(ほむら)を燃やしている。 一触即発の危機は、誰の目にも火を見るよりも、明らかであった。死を前にした重態の鳥羽院が、その事のみをお心に掛けられていたと、伝えられるのも、当然のことであった。 今日のこの深い悲しみの中にあっても、両陣営の裏面での動きは遅滞なく、着々と進行している模様なのだ。この期の到来を、謂わば一日千秋の想いで、待ち焦がれておられた不運の崇徳上皇方にせよ、その兄上皇の動きを抜かりなく警戒している弟の後白河天皇にせよ、西行にとっては共に、深い恩愛を忝くした亡き待賢門院の忘れ形見であることに、変わりはないのだ。どちらの肩を持ち、どちらを贔屓にする事も、叶わない。 増して崇徳上皇には、一人の人間としての、個人的な深い同情心が、そして後白河天皇の後ろ盾を勤める美福門院には、生涯忘れ難い感情の絆が、介在して、西行の立場を、身動きの出来ない苦しげなものにしていた。世を捨てた身には当然の事とは言え、かかる天下の重大事を眼前にして、しかもひと方ならぬ恩情を通わせた人々の、不幸を知りながら、唯座して傍観する以外に、術を持たぬ己の無力さを悔やんだ。 しかし、仮に西行が出家せず、鳥羽院の北面の武士として、留まっていたとした場合に、その佐藤義清にどの様な力があり、この難局に当たり、如何なる働きが可能であったか…。そう考える時に、実に暗澹たる絶望感だけが、激しく西行を打ちのめすのだ。 保元元年七月十一日の未明、実に平安京始まって以来の、大椿事が勃発した…。
2016年09月19日
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第 八十七 回 目 ここまでぼんやりと考えを追ってきた眞木は、一瞬、ハッとした。佐々木法子の事が頭に閃いたからだ。あの少女とだったら、自分は現在の地位や境遇の全てを投げ捨てて、悔いない気がする。万が一にも、あの少女が自分の気持ちを汲んで、何処か、誰も知る者の居ない、遠い世界に、行くことを切望したとしたら。が、その様なバカバカしい、陳腐な空想が現実に、起こりよう筈もなかった……、中学校の教頭、教え子の少女を誘拐 ー そんな忌々しい新聞記事の見出しさえ、先走りして、脳裏に浮かびさえする。 それにつけても、隣の奥さんはどの様な秘密の理由があって、謎の行動を起こしたのであろうか。こうした三文小説めいた想像は日頃、眞木が最も苦手とする作業だった。しかし今朝は、自分でも制御出来ない奇妙な衝動が、頻りに、何処からともなく突き上げて来るのだ。 ーーー 自分自身の現在の心境から推して、彼女の蒸発の原因は、どうしても恋愛絡みとしか考えられない…、が、どんな相手との、どの様な恋なのであろうか?この種の空想はまるで彼の能力の及ばない範疇に属するのだが、今朝の彼は、なおも執拗である…。 …… 彼女は裕福な家庭に生まれ育ち、何一つ不自由なく成人した。気立てが良く、健康で聡明、容貌も人並み以上にチャーミングな娘は、誰彼の別なく愛され、可愛がられた。 やがて適齢期を迎えると、数多くの素敵なボーイフレンドの中でも、とびきり上等に優秀な青年と、両親を始め、周囲の人たちから心からの祝福を受けて、結婚。 これまた倖せこの上ない、絵に描いた様な夫婦の生活から、一粒ダネの愛くるしい、男の子まで授かってー。結構尽くめの彼女の人生が、この儘で静かに幕を閉じれば、お噺にもならない。が、或る時彼女は、心の中の洞(うつ)ろな部分に、気が附く。その小さな汚染(しみ)の如き心の中の空洞は、猛烈な勢いで周囲への浸蝕を開始し、忽ちに彼女の心を、喰い尽くしてしまう。 何故そうなったのか?彼女自身には全く理由が分からない。それだけに一層苦しい。夫や、今は大きく成長した息子に通じるような説明が、見つからない。表面は今までと少しも変わらず、明るく楽しげに振舞うだけ、その分だけ、独りっ切りになった時の孤独感は、激越である。 そんな折に、一人の少年と、出遇う。年齢は、中学生の息子と同じか、少しだけ年嵩か。 月に三四回、買い物に出かけていく、副都心のデパートの屋上で、少年は何時も、空を見詰めている。その淋しげな、孤独の影が、彼女の心に出来た空洞に、不思議な作用を及ぼす…。何回目かに、彼女は少年に声を掛ける。少年は只黙って、暗い視線を、スモッグで煙っているビルの彼方に、向けているだけだ。彼女は少年の傍らに佇んで、一心にその横顔を、見守り続ける。 やがて、少年はゆっくりとした動作で、首を動かした。そして、彼女の顔を正面から、見た。少年の澄んだ瞳から、一筋の感情が、彼女の心に、滲み込んで来る……。そして、次の瞬間、少年の顔に無邪気この上ない、微笑が浮かんでいる。と、その笑顔で彼女の心の空洞が、すっぽりと埋まった…。 眞木は現在、なだらかな丘陵地帯の、中程にある雑木林に立って、我が家の在る一群の住宅街を、見下ろしている。東側の空が、はっきりと光の射し染める準備を、完了していた。霧はいつの間にか消滅している。畑の中の小道を、新聞配達の自転車が、駆け抜けていく。既に黄葉した落ち葉が幾らか、足元に散り敷いている。 ーーー 旅に出た二人は、どんな土地に住んで、どの様な生活を、送っているのだろう?身寄りの無い、孤児である少年は、そんなこともあるまいが、後に夫と息子を残して来た彼女の方は、ふとした折に、彼等の事を憶い出して、涙ぐんだりすることはないのか…、それとも、以前の生活は綺麗さっぱりと忘れ、その様な過去の暮らしがあったことすら、思い出さずに居るのか…、きっと周囲からは仲のよい母子と見られて、当人たちもそれを少しも疑い怪しむことのない、自然な睦まじさを保って、楽しく生活している ――― しかし、そんな男女の恋が、本当に存在するだろうか? 親子の情愛と何ら変わるところのない、ほのぼのとした男女の愛! 肉体的な欲求や嫉妬の感情を伴わない、そんな無色透明は、純水の如き「恋愛の情」が、生身の男と女の間に、果たして、可能なのだろうか知らん、今の眞木は、その感情の実在を信じたい気持ちで、一杯だ。どうしてこんな子供染みた空想、或いは、夢想に拘泥するのかと、自分ながら余り馬鹿げた雑念だと、半ば呆れながら、もう一方では、押し寄せる妄想の渦に、進んでのめり込んで行こうとする、自分の気持ちを、やはり押しとどめる事が出来ない ―― 佐々木法子に対する率直な自分の感情の在り様は、恋愛感情と規定するよりは、親の子供に対する情、もしくは、純一な友情に似た親近の情愛と、むしろ名付けたい。けれど、そう限定してみた所で、どうしても核心部分に触れ得ない、もどかしさは残る。眞木は今や、何としても少女に対する自分の感情を、その正体を突き止めたいものと、必死になっている…。
2016年09月15日
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第 八十六 回 目 陸奥に来てからの西行は、平泉を拠点として、文字通りに山野を跋渉した。春も夏も、秋も冬も、西行にとっては常に旅の為の、季節を意味した。 人も鳥も虫も、月も花も草も、歌人・西行にとっては、古人と心を通わせる、貴重な通路であった。人事も自然も、只在るが儘の現実とは、映らなかった。 其処には、先人達の心が、優しく美しい感情の数々が、ひっそりと息づき宿っていて、呉れたのであるから。 中でも、最も強く西行の心を捉えた対象は、月である。ーー 名月の、妖しい光が、観る者の心を酔わせ、狂わせるとも、又反対に、激しく動揺して止まない心を、月光の持つ奇しき霊妙な力が、澄み反えらせるとも、人それぞれの立場によって、受ける作用は異なっている。だが、人の心に微妙に働き掛けて来る、不可思議な神秘作用は、万人の等しく認める所だ。 西行の場合、月から蒙る影響は、実に様々であった。 月を眺めて、心が激しく乱れる時もあれば、理由もなく落ち着かず、怪しく波立つ胸が、月光の雫を受けて、忽ち鎮静することもある。 しかし殆どの場合、月は昔の人の面影を映し出す、鏡の如き役割を果たす。 昔の人とは、ある時は娘と共に捨てて来た妻であり、現実に相擁しながら、真実には思いを遂げずに終わった、心の恋人、現在は鳥羽院の皇后となり、美福門院の称号で呼ばれる、藤原得子であり、又、彼の心の中では永遠に、謎めいた媚態を採り続けている、在りし日の待賢門院の姿であった。 自己の心の内部に棲む、美しい三人の女性を、三人三様に愛おしみ、懐かしむ西行の心理に、疚しさや偽りの要素は、微塵も存在しない。むしろ、一見矛盾した複数の情熱が混在して、相互に排斥し合わない所にこそ、西行の西行らしさがあるのだ、と言えた。 妻とは足掛け八年もの間連れ添い、子供まで生(な)した仲である。三人の中でも、一番沁み沁みとした、自然の情愛が流露するのは、この妻を憶う時であった。夜毎に寝床の中で睦み合い、肌を重ね合わせた実感と、歓喜の記憶がある。肌の優しさと、温もりがある。嬰児を失った、共通の悲しみと、苦い涙が残っている。細々とした日常生活の、小さな思い出が介在している。 妻とは対蹠的な存在が、待賢門院である。西行は確かに、素面の彼女に、間近に接している。今でも、あの円熟し切った、怪しくも甘美な上臈の魅力を、目の前に彷彿とさせる事が、可能だ。しかし美しい幻の如く、現実感の皆無な、相手である。常に何物かが、待賢門院との境には、置かれていた。若い西行の意識の中のそれと、現実の、越えよう術もない、身分の隔絶とである。親しく交際した女房たちを通じて、様々な待賢門院の姿を垣間見る機会に恵まれたが、その全てが空中に浮かぶ七彩の虹か、蜃気楼に似て、実在感の希薄なヴェールの彼方に、溶け込んでしまう。 美福門院は両者の、丁度中間にあって、夢と現実の狭間に、位置していた。それは、碧い瞳の乙女として、奇しき邂逅を得てから、成人して女御となった美福門院との、実に奇妙な逢引きの夜の思い出に至るまで、終始一貫している 特徴 であった。― 夢かと見れば、余りにも生々しい五感の記憶が、それを否定する。現だと考えるには、如何にも儚く、掴み所に乏しい想いと、後悔の念ばかりが湧き出て来る。そしてまた、あの夢の中に現在も生きている、可憐な美少女と、近衛天皇の生母として今を時めく、皇后・美福門院との距離は、益々隔たりを広げ、西行の彼女に関する印象も又、春霞の中に煙る淡い遠景の如く、次第に現実を希薄にして行く。 西行がこの三人の面影を、同じように慈しみ、同じように、限りない愛惜の情を灌いでいると言えば、不謹慎の譏りを免れないであろうか。が、事実を故意に曲げるわけには、行かない。生きた儘の如くに化石した、古代生物の様に、彼女たちの美しい思い出は、西行の生命ある限り、彼の心の中で瑞々しい生命力を、保持し続けるであろう。 月は西行にとって、永遠の象徴であり、人生に於ける最も美しき物の、代表である。静かに月に対する時、常に、様々な想いが彼の胸に去来するのも、蓋し当然の事としなければならないだろう。 ――――― 寝付かれないままに、眞木は再び、三度、春美が心地よげに眠っている寝室を抜け出し、机に向かった。しかし、相変わらず読書のはかは行かず、取り留めのない、雑然とした想念だけが、朦朧とした脳裏に、渦巻いているのであった。 窓からは、漸く冷たい夜気が吹き込んで、さすがに季節が秋に移っていた事を、思い出させてくれる。ついさっきまで、あれ程までに騒々しく鳴き散らしていた、虫達の声が嘘のように止んで、静かな夜明け前の一時を、迎えている。 眞木の神経は疲労と緊張感とが交錯して、宿酔に似た状態を呈している。今から床に就いても、と中途半端な気持ちがしたので、思い切って気分転換の為に、外を散歩してみようと決心した。 気のせいか東の空が、少しうっすらと白みかけた気配で、辺り一面に薄い朝霧が立ち罩めている。何か、夢の中を彷徨い歩く様な錯覚に、襲われる。こんな時刻に、外を散歩するのは、何年ぶりであろうか…、元来が朝寝坊に出来ている眞木は、必要に迫られない限り、早起きというものをしたことが無い。殊に教師になってからは、その傾向が強くなっていた。 バス通りを抜けて、畑道の方に向かう。欅の雑木林が、小高い丘の上まで、疎らに続いている。ふと、蒸発したという隣の奥さんの事が、頭に浮かんだ。すると、自分が置き去りにされた夫の様な気分になって、何故かしら、物悲しい感傷に陥る。 すると急に、妻の春美が蒸発したら、自分はどんな気持ちがするだろう、と妙な事が心配になる。春美が突然姿をくらましてしまうなど、想像すらできない現象である。しかし、実際に隣の奥さんも、前日までそんな様子は露ほども感じられなかったのに、突如、居なくなってしまっているではないか。それからすれば、春美が理由もなく家出をする事だって、満更可能性がなくもない。いや、逆に自分の方が蒸発するケースだって、考えられる訳で、そんな時には、春美や子供達はどの様な気持ちがするのだろうか。しかし仮に、自分が蒸発するとして、どの様な原因が想定可能であるか…。
2016年09月10日
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第 八十五 回 目 人は兎角、幸福や喜びを見失った場合にだけ、仏道修行の大切さに想いを到し、そして理想の生活を考える。しかし、これはおかしいのではないか?本来の在り方を言えば幸福や喜びの頂点に在る者が、その真の果報に目覚め、感謝して、御仏の道に入る。これが本当なのではあるまいか…。 人間としての、真の理想を悟った者こそが、積極的に、その理想の追求と確保に、熱中出来るはずだから。 この世では到底、人並みの倖せが望めないから、せめて来世でなりとも、自分が切望して果たし得なかった、楽しい生活を手に入れたい。こうした謂わば絶望から発した、消極的な「発心」は、実はそれ自体矛盾した願望と思われる。 第一に、この世での不幸を決定附けていると言われる前世での因果は、当然に後世にも継続して受け継がれるわけである。現世及び、後世での善根が、過去の悪因を完全に消滅させる、保証はどこにも見当たらない。 第二に、現世が仮の世であり、前世で悪しき宿縁の種が播かれたのであれば、その人は後世に於いても善根を重ねるより、悪根を蒔き広げる可能性の方が、大であろう。 第三に、ーーーー そもそも悪の種は、どの世で、如何なる手段・方法によって、根絶され得るのか? この世での最高の果報者と見做された者さえ、尚、心の地獄に低迷し続ける現実を、知るにつけ、善根によって悪根が漸次相殺されると考えるのは、余りにも非現実的過ぎる…。 この世での不幸と貧窮に苦しみ喘いでいる者が、その結果、この世に深く絶望し、それでも己の惨めな人生が、無駄ではない。藁屑ほどの、僅かな価値でもよい。それなりの価値が存在するのだ、と何としても己を説得したい。そんな儚い願望が、透けて見えて来ないだろうか。 又逆に、そうした吝嗇な心理に付け込んで、謂わばドサクサ紛れに法を説く、汚い根性から発した説得が、果たして皆無であろうか? 出家遁世者の、己を虚しくして御仏に奉仕すると称する、殊勝な心掛けの裏側に、醜い我欲までを含めた、全体的な自己肯定の、現世的な野望が蠢いていないだろうか。また、彼等を受け入れる仏教教団の中に、そうした心理を暗に認め、受け入れる仕組みがあるのではないか。 前世と言い、後世と言うのも皆現世の為であり、現世を肯定する方便であろう。仮の世、末法の濁世と呼ぶのも、この世での悪や不正に耐え、何とかして明日へ生を引き延ばそうと計る、図太い生命力の発露に他なるまい。 何としても生き延びよう、どんな事があっても、自分だけは生きて行きたい。そうした生命その物の衝動は、黒を白と決め付けてでも、自己を正当化しようと目論む。だから、人間にあっては猛烈な生への執着だけが、本物だと言えそうだ。 表現上では「生」を否定して、一見死を志向していても、それは結局己の生を、より強く肯定する為の 軽業 なのだ。次の瞬間には、身を翻して、見事に地上に降り立つ、準備段階なのだ。勿論、危険な着地に失敗して負傷したり、死亡したりする事は、充分に起こり得るのだが。 しかし、その結果だけから、厭世的な人生否定の思想を引き出したりしては、誤りであろう、きっと……。 西行自身の経験に照らしてみても、そのことは正しかった。 西行は現世を諦め、捨てた。一応は、そう言える。しかし本当に彼は、人生を諦めたのかと言えば、「否」と言わざるを得ない。彼はむしろ、己の人生をより良く生きる為に、出家したのだ。最初からそうした明確な目的を持っていたわけではない。が、彼の本能的な直覚が、また旺盛で、精力的な生命力が、無意識の裡に彼を、より快適で、しかもより正しく、己の可能性を開花させ得る環境にと、自分自身を追い込んだ、と言えなくもなかった…。そう、西行は今、漸く本来の生き方に目覚め、自由自在に大空を駆け巡る為の、始動を開始したばかりなのである。 その大きな契機となったのが、殺人という行為である。自分が生きる為には、敢えて殺人をも辞さない、逞しい生命力の正体を、己の身内にしっかりと見極めたのである。正邪の問題ではなかった。仮に相手が正しくとも、彼の本能は飽くまでも、生きることを命じた筈である。 それに、唯一絶対の正義の観念を持たぬ我々にとって、誰かが正しいと主張することは、何物をも意味しない。相手が正義を振り翳すのであれば、自分にも同様、また別の正義を振り翳す、権利があるだろう。相手が力尽くでこちらの命を奪う構えを見せれば、それに暴力で応じて悪いわけがない。いずれにせよ、強い者が生き残り、強者の掲げる正義が勝利を収める。しかしながら、真実の強者とは個人では有り得ない。 個人は、高々五六十年にして、儚く滅び去って行く。個人の水準で、正義や優劣を論じても、始まらない。ならば、一時代という具合に、時間の枠を拡大すれば、事は済むのか。否だ。ひとつの時代は次の時代に、容易く否定されてしまう。が、悠久の正義などと唱えれば、忽ち生きている人間とは無縁な、空虚極まりない空論、虚しいだけの観念と化してしまう。 茫漠として捉え所がない故に、各人各様の勝手な解釈を許し、再び個人の水準に還元され、元の木阿弥に帰してしまう。前世や後世が結局は、現世の為にのみ意味を持っていた如く、過去も未来も、現在の生にとってだけ、関わり合っている。現在を支えているものが過去であるならば、未来は現在の延長ということになる。しかし、未来は過去の投影では、無い筈だ。過去の把握如何では、浮かんでくる未来図にも、自ずから変化が起こる。 いずれにしても、現在が過去の結果であり、何らかの意味での過去の集積であるならば、真の己の姿を理解する為には、過去を正しく把握し、理解する必要がある。過去の把握とは、当然伝統の継承の問題に、大きく関連して来る。己の誠が自然造化の真実と一致する地点とは、まさしくその様な意味合いからする、信の正義の謂(いい)である。
2016年09月07日
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第 八十四 回 目 実際、西行には他人に向かって語るに足る、話の内容と、その必要性とを持たなかった。彼は何事も語らず、唯黙然としているか、自身の心にのみ語り掛けるか、いずれにしても周囲の現実に働き掛ける、生きた言葉を、放棄していたのだ。 従って西行にあっては、出家遁世とは言葉の社会的機能を、自らの心の中で、破壊する事を意味した。そして、その廃墟の只中から、真の意味の歌人・西行が誕生する。彼は世間との交渉を己の側から拒絶することで、深く、深く、自身の心の内部に沈潜し、眠っていた新しい自己を発見する。更には、その真の自己と執拗に付き合う行為を通じて、以後の長い後半生を自覚的に、又極めて積極的に生きる術を体得するのだが、この時期にはまだそのことを充分に自覚出来ていない。 極端に汚濁して、厭わしい現実から目を背けた西行の行く手に、長い、長い、和歌の伝統と歴史を媒介とした、美しく、望ましい自然の姿が現前した。 この陸奥への長途の旅も、歌人西行にとっては、観念的な知識の集積にしか過ぎなかった、歌枕の数々が、血となり、肉と化していく、貴重な過程であった。 考えてみれば、それは又別の新しい現実の発見であり、新鮮な社会との出会いでもあった。同時に、宗教的な修行実践の道場ともなり、漠然とではあるが理解し始めていた、弘法大師空海の即身成仏体得への、力強い第一歩ともなった。 唯、空海自身は即身成仏の理想の境地に到達してからも、再び俗世間・現実世界に働きかけ、国家権力をも動かす程の、強力な姿勢を示している。 西行の現在の立場からすれば、己一個の悟り、即身成仏達成が焦眉の急である。仏にも色々な特徴があり、その個性に応じて様々な御仏が見られる様に、仏に至る道筋や方法論は同一であっても、その後の仏としての在り方、周囲に対する影響の仕方は、まちまちなのであろうと思われる。要は、己の誠が自然造化の真実と重なり合う、地点を探し出す、たゆみない努力を継続することであろう。その地道な努力が、全てに通じる自由自在な御仏の大道に、道を開いてくれる。そう考えるのである。 先年亡くなられた待賢門院様も、死の三年前に薙髪され、只管に後世の菩提を願われたと聞く。が、必ずしも悟り澄ました、平静な境地に到達された御様子とも見えなかった。お側付きの女房が語る所では、ご臨終の間際まで、この世への熾烈なまでの執着心を捨てきれず、大層お苦しみであったとか。殊に御自分を超えて皇后になった藤原得子への、限りない憎悪の念は、傍らで見守る者の目を、思わず背けさす凄まじさであった模様。噂に由れば、そもそも御出家の動機そのものが、側近をして得子を呪詛させた事実が、発覚した事に因ると言う。 一時は、女性の身として、この世での最高の権力と栄誉とを、恣にされた待賢門院であったが、最晩年に至っては、その悉くを失い、限りない悲運の裡に果てられた。 落飾後は崇徳院の三条高倉殿に籠居遊ばされたが、その翌年には重い疱瘡を患われている。盛りは過ぎたとは言え、比類なき容色の美しさを誇り、それを唯一最後の拠り所とされていたのだが、病魔に冒された後では、見る影もなくお窶れになられて、それまで隠れていた年齢の影響が、一時にどっと躯の表面にまで押し寄せた観があったと、聞く。嘸や御無念であったろう…。 毛越寺の、冬枯れた庭園をそぞろ歩きながら、西行は想う。ーー 白河法皇に養育され、その子・鳥羽院に嫁して二十数年、正妻として君臨し、崇徳院を長子として持ち、その望む所は一つとして叶えられぬ事のなかったという、待賢門院の華麗極まりない一生の中で、晩年の数年だけは何としてもそぐわない、不釣り合いな印象を、拭いさることは出来ない。 その御不幸を招来した原因は何か?法華経はそれを、前世の因縁と説く。比類なき栄華も、それとは裏腹な、悲運の境涯も、皆前世からの因果に帰せられる。ならば、人間のこの世での営為は、何程の意味を持ち得ようか…。 この世で善根を積むことが、後世の宿縁をより善い方向に、進めると言う。が、この世での最高の栄耀栄華ですら、遂に人間に無上の満足を齎らし得ないとするならば、人は一体何を目指し、何事を頼りに、善根を積めばよいのだろうか?
2016年09月04日
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第 八十三 回 目 しかし、今度は逆に、大きな野心を持てぬ小心者とは、自己の可能性の間口を極力狭くして、予め行動半径を切り詰めて、失敗と、それに伴う落胆の回数を、可能な限り減らそうと意図する、しみったれた打算家と定義できそうだ。現に彼は、自分自身をそのように感じている。彼には、未知数に賭けるという事が出来ない。ギャンブルも、女性に惚れることも苦手なのは、その為である。人はよく、人生は賭けだと言う。彼に言わせれば、だからこそ自分は人生に対して臆病であり、小心にならざるを得ない。更には、その様に不確実な、賭け的要素の濃厚な人生を主宰している、絶対者、神などという存在に、信が置けないのだ。 眞木は神の耳に達しないように、腹の中で小さく、こう呟くことがある、(神よ、あなたは道楽者のギャンブル狂と、余り違わないではないか…)、しかし直ぐその後で、こうも弁解する。(私があなたを非難するのは、あなたが心底から、憎いからではありません。弱くて、とても臆病な私は、あなたを本当は信じたいのです。お縋り申したいのですよ。信じたいのに、信じ切れない。それは私が悪いのでは、ありません。そもそも、あなたが悪いのですよ、とじれているだけなのですね。私に信じる力を与えられなかった、あなたに対して) 実際、彼は何かを信じきることが出来るのは、一種の「能力」の問題だと思っている。今の場合、佐々木法子に理由も分からずに惹かれる心理は、信じる行為とは言えなかった。が、賭ける行為には、どこか類似した所があるように思える。そしてもしも、賭ける行為の前提に、未知の何物かを信じる行為が先行している事実を認めるならば、彼はその一身上に於いて既に、嘗てない革命的な、大冒険を開始しつつあるのだと、言えないことも無かった…… ーーーー 西行が奥州に足を踏み入れてから、二度目の春が廻って来た。春と呼ぶのは暦の上だけのことで、現実には本格的な冬の厳しさが、始まったばかりなのだ。それでも、西行が逗留する藤原家の邸宅では、京都に匹敵する盛大な神事の催しが挙行され、新春の気分が横溢している。遠来の賓客として、最上級の手厚い接待を受けている西行にとって、この地は、ある意味では、京の都より住み心地の良い、場所と言えた。 父親の年輩に近い当主・基衡の堂々たる王者の風格、西行より二歳年少だが、ほぼ同年代の惣領・秀衡が発散する、基衡とはまたひと味違った、颯爽として若々しい気概。それらが出家したとは言え、本質的には武人の精神を色濃く後に留めている西行の、烈々たる気脈と、相通じる所大であった。もし仮に、西行にして彼等の如き境涯に、生い立ったと仮定するならば、武力に依って全国制覇を夢見る、天下未曾有の大野望を抱懐するのは、必然の事と想像される。 しかし、人にはそれぞれの運命と、人生がある。誰もが必ずしも己の資質に最も適した境遇に生まれ落ち、その天賦の才を遺憾無く発揮できるとは、限らない。我は、左兵衛の尉の家系にお生出でた藤原の一人であり、彼は辺境の覇者の血筋に連なる、藤原の棟梁である。同じ藤原でありながら、著しく懸け隔たった、同根異種なのだ。西行には自己の運命に従って、彼なりの花を咲かす務めがある。己の星の導く道を、後戻りせず、真一文字に辿らねばならない。縦令その果が、侘しい犬死に通じている進路であったとしてもだ。今更に、横へ逸れることは、叶わない。西行は既に、その覚悟だけは、しっかりと固めていたのだ。 己の持って生まれた 花 を、如何に大きく、美しく咲かせるか?その具体的な、そして、実際的な方途に関しては、今だに暗中模索ではあったが……。 西行は自身に言い聞かせる、他人の境涯を羨むな、と。問題は、己の人生を己に最も相応しく、切り開く事なのだ、とも。傍目には如何に素晴らしく、前途洋々と限りなく開けて見えようと、現実に身を処して生きる人間には、必ず様々な悩みと苦痛とが、付き纏っている。現に、奥州藤原一族にも、中央政権に備える対策と、内部抗争激化を押さえ込む方策とが、同時並行で図られなければならない。更には、広大な領土の支配体制の長期化構想にも、腐心しなければならないだろう。醜い政略上の駆け引き、及び、実力行使による血腥い空気が、他所者である出家の西行にさえ、既に強い影響力を及ぼしている。 また、彼が後にして来た中央の世界でも、それ以上に陰湿で、醜悪な暗闘が激烈の度を、加えていることも、友人・知人などからの便りの端々に窺えた。文字通りに、この世の地獄さながらが現前する思いを、禁じ得ないのだ。 しかし、西行は都への数少ない便りにおいても、また藤原一族との親密な交際の中でも、汚濁した現実の様相には、一言たりとも言及することを避け、又自分の意見を述べる事を、頑ななまでに拒否し続けた。それが出家西行の生きる根本の流儀であり、現実世界との間に設けた、ギリギリの一線だった。 だから、あの山臥し達との一件も、西行の胸一つに蔵められた儘、他の誰一人として知る者もなく、済んでしまっていた。西行の口にする言葉は、出羽の山寺の美しい桜の花のことであり、朧に霞んでいた、その夜の月の、忘れ難い印象に関する事などに、終始した。 そうした西行の風流清談は、俗事にかまける浮世人にとって、何事も語らぬに等しかった。
2016年09月01日
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