全5件 (5件中 1-5件目)
1
第 四百三十四 回 目 セリフ劇の台本の素材の試作として 「 水と 少年 」 時代:神話時代に近い頃 場所:日本列島の或る地方 人物:ひれじゃこ(主人公の少年) おにぐも(少年の父親の王) ゆきつばき(少年の生母) べにあざみ(不思議な少女) その他 物語の発端 激しい嵐の中で木樵の老人と12歳の少年・ヒレジャコが巨大なクマと対峙している。老人は既にクマの最初の一撃を受けて、瀕死の重傷を負っている。クマの背後から忍び寄って敏捷に背中に跨った少年は手にした石斧をクマの脳天めがけて、力一杯に振り下ろした。クマはたまらずその場に倒れた。 父親替わりに少年を育てた老人は、その時の怪我が原因で息を引き取った。その最期の時にヒレジャコ少年に告げた、「お前はわしの倅ではない」と。森の中に住む理由を失った少年は放浪の旅に出る。 放浪の旅 少年は葦舟に乗って川を下り旅を開始した。 この旅の中で少年は不思議な少女・ベニアザミと運命の邂逅をする。少女は彼に「東に行け」と、謎の言葉を残していづこともなく姿を消した。 生母との出遭い 東の国で偶然のことから生母のユキツバキと出会い、自分が西の国の王とユキツバキとの息子であったことを知る。母が少年を自分の息子と明確に認めたのは、右の腕にある特徴のある黒子であった。ユキツバキハはカヤネズミを産んで直ぐオニグモの支配する国と敵対関係にあった北の国に侵略された際に、北の国の若者に掠脱された。そして、父王・オニグモはカヤネズミを深山に捨てさせたのだ。この生母との出会いによって、少年は自分が何者であるかを生まれて初めて知った。 故郷への帰還の旅 盗賊の群れに襲われて捕虜になる。そして過酷な労働を強いられた。そのカヤネズミを救出し、父の国へ急げとまたもや謎の言葉を与えるあの不思議な少女のベニアザミ。 父王との対面 ヒレジャコが西の国に帰り着いた時、世継ぎを持たない王は自分の後継者となる者は、最強の武者でなければならないと、武力を競うトーナメントを行う布告を出していた。そして、ヒレジャコが故郷の国に着いたその日が、そのトーナメントの行われる日であった。 大勢の人々が見守る中で、激しい戦いが次々と展開し、最後の勝利者が決定した瞬間に、カヤネズミが登場し対決を挑んだ。そして勝利した。 父王は立派な青年に成長したカヤネズミが自分が捨て、死んだと思っていた息子だと知る。 カヤネズミは王位を継ぎ、若き支配者となった。そしてベニアザミを探し出し、后として迎えた。 以上は、若い頃に少年少女向けにまとめようと考えていた小説の骨子である。いずれその時が来た時には、戯曲にしてセリフ劇の台本候補にしたいと、考えている。 こうして漫然と来るべき時に備えて、いくつか試作品を考えているのですが、野辺地の町の人々との具体的な接触のないままで、謂わば手探り状態での勝手な行為になってしまい、こちらにその気がなくとも一方的な押しつけのような感じになる事が、私としてはひどく心配なわけです。 目下、古典的な傑作と言われている戯曲の名作を、初心に返って改めて勉強中であります。 古代ギリシャのソフォクレス作「アンティゴネ」、「オイディプス王」、ゴーリキーの「どん底」、イプセンの「ヘッダガーブラー」、「野鴨」、「幽霊」、バーナード・ショーの「聖女ジャンヌ・ダルク」、T ・S ・エリオットの「カクテル・パーティー」、オスカー・ワイルドの「サロメ」、ユージーン・オニールの「氷屋来る」、テレンス・ラティガンの「海は青く深く」、チェーホフの「かもめ」、「桜の園」、「三人姉妹」、その他シェークスピアの代表的な作品などを手当たり次第に注意深く読み耽ったりしたのですが、たとえばこれらを野辺地でのセリフ劇で上演するまでには、相当の時間がかかり事実上は無理であることが分かります。少なくとも私の目の黒い間には、逆立ちしても無理でありましょう。 興業的な成功も視野に置いて独自の演劇世界を構築する為には、それなりのレパートリーを独自に開拓して、構築する必要があります。それは非常に困難な仕事であり、一朝一夕には実現できないことは明白でありますから。 後から来た者の利点と言っても自ずからに限界があり、現状では荒れ果てた荒野を切り開くたくましい勇気と情熱とが必須でありますよ、どう考えても。 今更ではありますが、戯曲の勉強をと考えてチェーホフの一幕物「熊」と「プロポーズ」を読んでみました。 「熊」の方は地主の未亡人で亡くなったご主人を悼んで喪に服している。そこへ、熊の如き容貌・風采の男が借金を返せと迫ります。未亡人は支配人が留守で明後日でないと無理だと言う。男はたった今支払えと強引です。貞淑な未亡人と恐ろしい熊のような男との遣り取りだけで、この芝居は展開します。そしてこの水と油の如き二人の男女が、熱烈な恋人同士に変じてしまう。 非常に巧みな展開で、私は読んでいて日本の落語の世界を、感じたものです。 落語と言えば「プロポーズ」の方も同様です。隣り合って住む地主同士の話です。非常に改まった正装姿で隣に住む独身の男が隣人を訪ねて来て、適齢期の娘を持つ地主に、お嬢さんにプロポーズしたいと告げる。地主は喜んで娘を呼んで二人きりの場を作った。ここまでは良いのですが、二人の会話があらぬ方にばかり進展して、大喧嘩に発展してしまう。しかし結末は定石通りめでたしめでたしで終わる。これも日本の落語そのものだ、と私は思いました。 バカバカしいと言ってしまえばそれまでですが、私達人間にはそうした極めて人間的な特性がある。説得力のある会話の妙が、少しもバカバカしさを感じさせない。 そこで、私なりの落語の世界に関する考察を以下に述べて、お茶を濁したいと思います。 落語は私は若い頃から大好きでして、難しい理屈を抜きに笑いの世界に興じる事が出来ました。映画もそれこそ物心が付くか付かないかの頃から親しんでいた。 映画で落語の世界そのものと感じさせたのが、渥美 清演じた「男はつらいよ」シリーズでありましょうか。 落語の世界を一口で表現すれば、人間の善意が無条件で信じられる、一種の理想の世界であります。それがこのシリーズの主人公フーテンの寅が体現している。寅さんは飽きもせずに美女達に一目惚れして、手もなく振られますが、決して懲りることはありません。美人は無条件で心も美しい。自分が心美しい善意の人の代表である彼は、謂わば神のごとくに無垢で純真である。バカバカしい程に。 チェーホフの会話の運びの巧さがバカバカしさを少しも感じさせなかったように、天才渥美 清の秀逸な演技力がその危うさを、一歩手前で救っている。 この間の事情を彼・渥美 清はスーパーマンの比喩で世人に訴えていますが、成程、そういうことだったのかと、私などは感じたものです。が、一般には中々通じないものかも知れない。 落語には限らないのですが、講談や浪曲などでもよく取り上げられる庶民のヒーローに、左 甚五郎があります。飛騨の匠である甚五郎は彫刻の名人ですから、鼠が本当に動いたりする。ほかにも竹で作った水仙や筒が素晴らしい作品であったりする話があり、人々に非常に好評を博している。 大衆受け、庶民受けするヒーローには一定の型があり、その中心になる要素とは何なのかを考えてみたい。テレビドラマなどで受けている代表格に、水戸黄門や遠山の金さんや、銭形平次などがいますが、基本は勧善懲悪のヒーローで正義の味方であり、弱者の救助者であります。現実には存在しないけれども正しく生き、力が弱い故に不当に虐げられている善良なる人々に優しく寄り添い、危機から救い出してくれる。庶民の夢の体現者であります。 悪者が悪者として正当に裁かれて、罰を受ける。現実は中々そうは行かないところを、フィクションとしてスカッと胸のつかえを晴らしてくれる。人間や社会に対する無条件の信頼心を満足させてくれる。今日一日の辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、割り切れないでいた事、全てが理想的な形で解決に、ハッピーエンディングに向かって滞りなく運ばれる。バラ色の明日、未来を信じる勇気が湧く。 こうした内容の物語なら誰もが楽しめるし、のめり込むだけの価値を認めるでありましょうし、また身近な家族や、友人・知人、隣人に吹聴したく感じるに相違ない。 是非とも、そのような内容のセリフ劇を生み出して、カタルシスの効用を広く世間一般に、宣伝し広めて行きたい。そう強く念願するものです。 こうした、お手軽な形ではあるが、幸福で、平和な生活への活力がひとりでに生まれるような、素晴らしいストーリーが既に準備されているのでした。 この手本を見習って、私も精々新しい傑作を目指して、良質の台本を一つでも多く形にするように、勉強を続け、精進を重ねる覚悟でおります。
2019年05月31日
コメント(0)
第 四百三十三 回 目 セリフ劇の台本候補の試作品として 「 老い の 愉しみ 」 人物:ババ、ジジ、高校生たち 高校の教室 文化祭の行事の一つとして高校生と年寄りとの対話が取り上げられ、そのゲストとしてババとジジとが招待されて、高校生たちとの自由な対話が行われようとしている。 司会者「それでは私達、老人世代研究会が主催の討論会を開始します。最初にゲストのお二方に自己紹介を兼ねて御挨拶頂きます」 ババ「じゃあ、吾から始めましょうか。今日は私たちをババとジジで呼んで下さい。その方が喋りやすので。何でも遠慮なしで聞いて下さいね」 ジジ「隣のババさんとは仲良くお付き合いさせてもらっているジジです。今日は孫たちと話すようなつもりでやって来ました。何でも、正直に話すつもりでいます。どうぞ、お手柔らかくお願いします」 司会「最初に、何故このような機会を設けたかについて、簡単に説明します。我々若者はもっともっとお年寄りの事を知らなくてはいけない。それには直接会話を交わすのが一番と考えたからです。そこで、ズバリお聞きします、お年寄りにはどんな愉しみがあるのでしょうか、ババさんからお答えをお願いします」 ババ「若い人にどんな楽しみがあるのか、私たちの若い頃とは大分時代が変わっているので、分かりませんが、皆さんと少しも変わらない、と思いますよ。司会者のような素敵な若者を見れば、素敵だなって感じるし、好奇心も衰えてはいませんよ」 ジジ「同感ですね。強がりを言うつもりはないけれど、若い、生命力に満ち充ちた君たちと、少しも変わらないと、少なくとも自分では思っている」 男子生徒のA「恋もするんですか、ババさん」 ババ「はい、みんなと同様に。ただ、表現の仕方がちょっと違っているのかも」 女子生徒のB「ジジさん、女性の好みのタイプを教えてください」 ジジ「貴女などは、タイプですよ。色白だし、頭が良さそうだし」 ババ「あんたさん、頭がよい女性がタイプなのですか」 ジジ「特に、頭がよい悪いにはこだわっていません、俺は」 男子のC「御ふたりはそれぞれに、好みのタイプなのでしょうか?」 ババが何か言いそうにしたのを遮るように、 ジジ「憧れの人です、この人は」 ババ「有難う、と言わなくてはいけないのでしょうが、吾には吾の都合と言うものがあるので、この話題はこれくらいにして下さい」 司会「(ババを微笑ましい感じで見て)とても素敵な反応がみられました。我々と変わらないという、先程の言葉が本当だと分かりました」 女子生徒のD「話題を変えます。お年寄りになってみないと理解できない心境や気持ちがあったら、教えて下さい」 ババ「一口に老人と言っても個人差があるでしょうが、吾の場合には、生きているのが楽しくなった」 男子生徒のE「以前は、楽しくはなかったのでしょうか?」 ババ「そんな事もないけれども、以前よりももっと生きているのが楽しく、そして有難く思えるようになった。そう言うのが正確でしょうかね」 ジジ「俺も、同感だね。若い頃は生きていて当たり前、みたいな感じだった。それがこの頃では神様に感謝しないではいられない、そんな気持ちに自然になれるようになった」 生徒のA「本当なら高校生の我々の方が生きている事に楽しみを感じ、感謝した生き方をしなければいけない筈なのに」 生徒のB「でも、悩みが多いからね、私たちの毎日は」 生徒のC「勉強はしなければいけないし、将来に対する不安は大きいし」 生徒のD「恋愛の悩みも、友情の問題もあるし」 生徒のE「親に対する不満も多いし」 司会者「おやおや、ゲストのお二人を差し置いて、高校生の愚痴や不満の羅列になってしまいましたね。ババさん、ジジさん、申し訳ありません」 ババ「いいえ、構いませんよ。年寄りだって本心を言えば、色々と愚痴や不満はありますよ」 ジジ「我々は、人生経験が長いから生きている限りは、愚痴や不満は無くならない事をよく知っている。それで、今を楽しむ、どうしたら毎日が楽しいのかを自然に考える訓練が、出来るようになる。また、進んでそうしようと努力もする」 ババ「若いあなた方は知らないから、例えば世間の事を何も知らないから、それが弱みでもある」 生徒のB「知らないから好奇心が刺激されて、色々な事に前向きになれる」 生徒のA「知らないから、必要以上に臆病にもなる」 生徒のC「何かの本で読んだことがある、知っていて、しかも知らない。それが人間の在り方だって」 ジジ「知っていて、知らないか。中々に意味深長だね」 ババ「吾は、この隣のジジをよく知っているけれども、実は何も知らない。成程ね」 生徒のD「先生たちは私たちに色々の教科について教えてくれているけれども、実は肝腎の事柄に関しては、私達同様に分かっていない。そう考えると、人生ってとても奥深い事が分かって、興味深い」 司会者「此処で、将来に対する夢とか、希望とかに関して先輩の御二人に抱負を伺って見たいのですが」 ジジ「夢と希望か…、若い頃なら兎に角、この年になったらそう言ったものとは、とんと縁がなくなってしまった。今日一日が無事平穏でありますようにって、願うのが精一杯って所かな」 ババ「吾は、欲が深いせいか、夢や希望は山のようにあるけれど」 生徒のC「素晴らしい、是非とも聞かせてください、ババさんの夢や希望を」 ババ「吾は知らないことが一杯ある。色々な事を勉強してみたい。そうね、外国にも行ってみたいし、日本国内でもまだ行ったことがない所が沢山あるので、行って美味しい物を腹一杯食べてみたい。素敵な人と出会ってみたい。何も異性とは限りませんよ、人間として魅力のある人。それから…」 ジジ「本当だ、その調子で行ったら山のように出て来るだろうね」 生徒のE「我々高校生はどうだろうか。例えば僕なんか、自分の才能が大したことがないことを思い知らされているから、せいぜいどこかの大学に入学出来たらいいって、貧弱な夢とも言えない望みをもって、それさえも実現できるかどうか、とてもおぼつかない」 生徒のD「同感です。ある意味では情報過多の時代ですから、雑学的な知識は色々と知るというか、知らされている。だから、夢が膨らまない」 生徒のA「人生の先輩たちには恥ずかしい事だけれど、多くの才能に恵まれていないから、将来に夢や希望が描けない」 生徒のB「それなりに、努力はしている。そう自分では思っているのだけれど」 ババ「あの、吾はこう思う。昔から学校の勉強は得意ではなかった。勉強以外の分野で、例えばスポーツとか趣味とか、旅行とか、そういった分野で想像力の翼を自由自在に広げてみる。すると後から後から意欲やら活力が湧いてくる。毎日の生活に張りが出る。すると人生がバラ色に輝いて見えてくる。生きていることが、それだけで楽しくなってくる」 ジジ「素晴らしい、実に積極的で、前向きで」 司会者「お話を伺っていると、年齢を重ねることは決してマイナスばかりではない事が、分かります。それだけで今日の試みは成功だったと、意を強くしました」 ジジ「そんな風に肯定的に受け止めて貰えると望外の喜びです。とかく、昨今では年寄りは肩身の狭い立場に立たされている」 ババ「世間というものはいつだって当てには出来ません。私達自身がしっかりして、自分は自分と確信を持って生きる。それが大切なのだろうと、吾は思う」 生徒のC「自分に自信を持って、しっかりと生きる。若い僕らこそそう言ったしっかりした姿勢を、身につけたいと強く感じます」 生徒のB「同感です。年齢に関係なく、一人の人間としてそうありたいと、私も思います」 司会者「今日のテーマは 老いの愉しみ ということでした、その点をもう少し具体的に堀下げてみたいと思うのですが」 ジジ「俺は、こんな風に感じている。人がどんな事を言おうが、健康に気を付けて他人に出来るだけ迷惑を掛けないように、静かに、穏やかに生きる。それが俺流の老いの楽しみ方だって」 ババ「如何にもあんたさんらしい楽しみだと思う。吾は出来るだけ世の中に出しゃばって行きたいと考えている。大した知恵や経験はないけれど、それなりの体験がある。それを可能なら若い人々に伝えたい。役立ててもらいたいと思う。出しゃばると言ったのは、他人様がそう感じても自分がこうと思った事柄に関しては、積極的に力を貸して上げたい。それを自分の喜びにもしたい。つまり、常に意欲的に、特に若い人々と一緒に、生きていく。それが吾の喜びの意味なのよ」 司会者「本日は貴重なお話を柴田様と佐藤様から伺う事が出来ました。最後に盛大な拍手でお二人に感謝の気持ちを表したいと思います」 拍手に送られてババとジジが教室を後にする。 川沿いの道 高校から帰る二人が仲良く歩いている。 ジジ「疲れなかったかい」 ババ「いいえ、あんたさんこそ疲れたのではないですか。ひどく緊張していたようですからね」 ジジ「うん、正直に言って疲れたね。でも、楽しかった」 ババ「吾も楽しかった。話を受けた時は、若い人に私たちの話が一体どこまで通じるのか心配だったし、面倒なだけで嫌な仕事だと思ったけど、若いってそれだけで無条件にいいね」 ジジ「本当だね、命が輝いていた。でも、あんたも高校生に引けをとらないくらいに輝いている」 ババ「有難う。あんたさんのお蔭ですよ、みんな」 ジジ「えっ、俺のお蔭だって。俺はあんたのお陰で毎日を楽しく送れていると感じているのに、それじゃあ逆だよ」 ババ「あんたは中々賢い人だからね」 ジジ「そうやって褒めてもらうと、俺はそれだけで無性に嬉しくなってしまう」 ババ「吾が別嬪だって言葉が、今日は出ないね」 ジジ「別嬪だよ、あんたは世界で一番の別嬪だよ」 ババ「当たり前だとは思いながら、その言葉を耳にするとやっぱり嬉しいよ。吾にとっての老いの愉しみの第一はこれに極まるね」 ジジ「俺の老いの楽しみは、別嬪だよって言える相手が居ることだ。つまり、あんたの存在そのものだよ」 ババは黙って前を向いている。本当に幸福そのものと言った二人である。空は抜けるような青い空である。 《 完 》
2019年05月23日
コメント(0)
第 四百三十二 回 目 「 女が結婚を決めるとき 」 ―― セリフ劇の台本候補の試作として 時代:現代 人物:ババ、佳苗、その他 尼寺・清峰庵の庵主の居室 人里離れた静寂が辺りを領している中で、庵主とババが会話している。 ババ「あの、吾は頭は悪いし、育ちも何もお恥ずかしい様な人間ですから、ついうっかりお引き受けは致しましたけれど、庵主(あんじゅ)様がお望みのような役目が務まるかどうか、とても心配です」 庵主「いえ、いえ、何も御心配には及びません。責任は全て私が引き受けますので、柴田さんは柴田さんの流儀で短期の修行者達に接して頂けば、それで結構です。全体のスケジュールなどは全て私が立ててあり、その都度指示もしますので、後は思うがままに自由にやって下されば、結構なのです」 ババ「はい、それでは宜しくお願い致します」 同・食堂(夜) 食後の和やかな座談の時間である。息投合したババと若い女性が会話を交わしている。 女性「それで、結婚をなさる機会を逃してしまったのですか」 ババ「ええ、吾はこう見えて余り積極的な方ではないので。所であんたさん、たしか佳苗さんと言いましたね、結婚したいとは思わないのですか」 佳苗「私的には結婚したいのですが、チャンスに恵まれなくて」 ババ「自分の事を棚に上げて言うのも何なのですが、チャンスなどは待っていても向こうからやって来たりしませんよ」 佳苗「私もそう思います。でも、具体的にどうしたらよいのか、判断がつかなくて」 ババ「誰か好きな人はいないの?」 佳苗「実は心の中で思っている男性はいるのですが、相手の気持ちが分からないのです。それで、この尼寺での生活の中で結論を出そうと思ったのです、私なりの」 ババ「そう、頑張りなさい。吾、応援していますから」 佳苗「有難う、柴田さん」 佳苗のアパートの部屋(数週間後) 佳苗とババがしんみりと会話を交わしている。 ババ「そうなの、それは残念だったわね。でも、全てを積極的に考えなくては。一歩前進したと思えばあの山の中の尼寺での時間も無駄ではなくなるわよ」 佳苗「でも、私はこんな素敵なお友達と出会えた。仏様のお引合せだと思う」 ババ「嬉しいね、そんな風に思って貰えると」 青い森鉄道の野辺地駅・改札口(一ヶ月後) ババが誰かを待っている。やがてまばらな乗客に交じって佳苗がやって来た。 佳苗「あら、柴田さんわざわざ駅まで出迎えて下さったのですか」 ババ「お久しぶり、お元気そうね」 佳苗「はい、なんとか頑張っています」 ババ「知り合いの青年が車で町を案内してくれるので、その後で我が家に行きましょう」と駅舎の外に佳苗を案内した。 車の中 ババの知り合いのの青年・柴崎信夫の運転で町の中を行くババと佳苗。 佳苗「静かで、素敵な町ですね」 ババ「静かと言えばその通りだけど、すっかり寂れてしまって、ねえ信夫君」 信夫「そうですね、少なくとも観光地としては魅力に乏しいかも知れません。取り敢えず海の方へ行ってみましょうか」 ババ「お任せします」 ババの家・居間 テーブルを挟んでババと佳苗が話をしている。 ババ「年寄りの一人暮らしで、気楽なだけが取り柄という生活。でも、自分としては満足出来ている」 佳苗「そこなんですよ、私が一番興味を惹かれている柴田さんの、魅力」 ババ「魅力だって、佳苗さんも随分と変わった娘さんだこと」 佳苗「私は、ごく平凡な何処にでもいるような人間です。でも、柴田さんは違う。どう言ったら良いのか分からないのだけれど、兎に角個性的だと思うわ」 ババ「何だかくすぐったい。吾、あんまり人から褒められた経験がないので」 佳苗「突然ですが、ちょっと質問してもいいかしら」 ババ「ええ、どうぞ。遠慮なく、あなたになら何でもお答えしますよ」 佳苗「結婚の経験はおありなのですか?」 ババ「いいえ、残念ながらと言うべきなのか、一度もありません」 佳苗「好きな人は、居なかったのでしょうかしら」 ババ「言い始めたので、全部話をしてしまいましょう」と、珍しく深刻な顔つきになっている。佳苗も釣られた様に神妙そのものと言った顔付になっている。 ババ「二十代の頃に東京の生活に憧れて、親戚の家があったのでそこに居候をしながら、知り合いの会社で事務員をしていた時代があったの。若い頃はこれでも少しは魅力があったのかしら、結構大勢の男性からモーションを掛けられると言うのか、今の人の言葉で言えばコクられた経験もあった。でもこちらから積極的になるような相手には、幸か不幸か出会わなかった。そんな中で、東京育ちの男性で、私が自然に好意を寄せるようになった人に、偶然の結果で出会った。物語になるような派手な恋愛ではなかったが、お互いをしっかりと見つめ合う時間を持った、地味だが相思相愛だった。でも、突然に交通事故で亡くなってしまった」 佳苗「今でもその方の事を思っていらっしゃる」 ババ「そうなの、実は。吾にはそう言う古臭い所があるの。他人には薦められないけど」 佳苗「私も、失恋の話をしてもいいでしょうか。柴田さんにだったら正直に、何もかも、洗いざらいに打ち明けられる気がする。いいえ、是非とも聞いて頂きたいの」 ババ「聞かせて下さい、吾でよかったら」 佳苗「私、こう見えてもある地方の大地主の一人娘なんです。本当は男なら良かったのでしょうが、人の力ではどうしようもないことですから、両親もそれこそ目の中に入れても痛くないという溺愛ぶりでした。幼い頃から将来の結婚相手は決められていたも同然でしたが、それは私には秘密にされていました。私は溺愛を受けてはいましたが、我儘にはなりませんでした。自分で言うのもおかしなものですが、比較的素直で、誰の言う事でも素直に聞き入れる優等生でした。持って生まれた性格で、特にそうしようと無理をしなくとも、自然にそうなれたのです。所が、大学進学に関してだけは、自己主張して譲らなかったのです。今考えるとどうしてああ頑固に東京の大学に固執したのか、自分でもわからないのですが。両親は近くの地方大学で良いではないかと、最初は説得していたのですが、余り強硬に私が東京、東京というものですから、最後には折れて、私の東京行きを認めざるを得なくなってしまった」 ババ「可愛い一人娘の、初めての我儘だったのだから、無理もありませんよ」 佳苗「はい。私は或る私立の女子大に入ったのですが、勉強も東京での暮らしも退屈に感じられ、生まれ育った地方の町が逆に、新鮮な魅了を感じさせるものとして、私を吃驚させた。可愛い子には旅をさせろという昔の諺は、そう言う意味も含んでいた事を知った。私は卒業と同時に、両親に言われなくとも自分から進んで故郷に、実家に帰った。両親の喜びは大変なものでした。そして、期が熟したとばかりに結婚の話を切り出した。相手は親戚の誰々だと。私は、それを聞かされると何も言わずに家を飛び出した。そして二度と実家には顔を出しませんでした」 ババ「そうだったの、人は見掛けに拠らないとは言うけれど、あなたがねえ、へーえ」 佳苗「自分でも驚いています。唯怖いもの知らず、世間知らずが向こう見ずな行動をとらせたのでしょうか」 ババ「それで、色々としなくてもよい苦労を重ねてきた」 佳苗「はい、そうです。でも、後悔はしていません。自分の人生ですし、両親だって何だかんだと言いながらも、私の幸福だけを願っているわけですから」 ババ「それで、御両親とは連絡は取っているのですか」 佳苗「はい。最初の内は意地になっていたのですが、周囲の人達の好意が沢山あったり、自分で少しやりすぎだったと反省しましたので、今では月に一度くらいは母親と電話で話をしています」 ババ「そう、偉いわよ」 佳苗「ちっとも偉くはありません。結局は我儘のし放題で、自分勝手を押し通しているのですから。それで柴田さんと最初に出会った尼寺に行った理由なのですが、手酷い失恋を経験したからなのです。その傷の痛みから立ち直るきっかけを掴みたいと考えたのです。そして、柴田さんに出合った。偶然とはとても思えないのです」 ババ「吾も、何だか不思議な気持ちがしている、理由は何も分からないけれど」 十府ヶ浦の海岸(一週間後) ババと柴崎信夫が並んで海を見ながら話をしている。 ババ「仕事の方は忙しいの」 信夫「まあ、お蔭さまでそこそこ仕事をしている状態です」 ババ「ところで、前に車で案内してもらった佳苗という娘の事なのだけれど、こんな手紙を寄越したのであんたにも見てもらいたいと思ったわけなんだけど。兎に角、読んで見てくれないか」と封筒に入った手紙を抜き出して信夫に手渡した。 手紙の文面「前略ごめん下さいませ。先日は色々とお世話になりました。突然ですが、私柴田さんの住んでいらっしゃる野辺地の町に移住する事に決めて、町役場の方に問い合わせて既にその手続きを開始しております。勿論、かりそめの軽い気持ちではありません。短期間でしたが私なりに熟慮しての結果です。大好きになってしまった柴田さんの近くに住みたいと思う気持ちが中心ですが、野辺地という土地の全てが私の心にぴったりと来たからです。それから、追々に申し上げようとも思ったのですが、柴崎信夫さんと真剣に交際をさせて頂きたいと希望しても居ります。結果を考えずに、猪突猛進する。これが私のこれまでの人生で一番欠けていた事と、猛省した結論です。どうぞ、悪しからず、今後共に御指導を賜りたくご報告を兼ねて手紙を認めました。お目に掛かる時を楽しみにしております。 佳苗 」 手紙を読み終えた信夫は呆然としている。 ババ「吾は大歓迎しているが、あんたの事はあんたの事として、中立な立場に立っているので、嫌なら嫌で佳苗さんにそう伝えるから、正直に気持ちを聞かせてくれないか」 信夫「気持って、俺もひと目で佳苗さんが好きになっていたから、何だか夢を見ているような妙な気分だ。ババの知り合いでなかったら、とても信じられない事だよ、これは」 ババ「そうか。それは好都合だった」と立ち上がって少し離れた所をぶらぶらして時間を潰していたジジに声を掛けた・ ババ「お持ち遠様。話は済んだからこっちへおいでよ」 嬉しげにひょこひょことババ達の所にやって来たジジ。 三人揃って停車させていた車の方に歩いて行く。上空は抜けるような青空である。 《 完 》
2019年05月13日
コメント(0)
第 四百三十一 回 目 ババもの「 理想の 教育者 」 ―― 台本候補の試作として 時代:現代 人物:若い女性たち ババ その他 場所:或る女子学校 教室の中 年頃の娘たちが今テストを受けている。監督しているのは謹厳な表情をしたババである。 生徒の一「先生、質問です」と手を上げた。 ババ「何ですか、質問と言うのは?」 生徒の二「私も先生に質問があります」 ババ「一寸、待って下さい。順番に対応しますので」と、生徒の一の所に歩み寄った。 生徒の一「この漢字ですが授業で習っていません。意味を教えてください」 ババ「(ムッとしている)今はテストの時間です、とにかく今現在の自分の力で回答しなさい」と次に手を上げた生徒の二の所に向かった。不満そうな表情の生徒の一。 ババ「質問は何ですか?」 生徒の二「この質問ですが、よく意味がわかりません。分かるように説明して下さい」 ババ「いいですか、今はテストの時間です。質問は授業の時にして下さい」と生徒を無視して行ってしまう。生徒の二はムッとしている。 生徒の三、四と次々に「先生、質問です」と手を上げた。 期間経過。元の教室でババが話をしている。 ババ「分かりましたか。テストは皆さんの現在の実力を試すもので、質問をする時間ではありません」 生徒の一「でも、漢字が、意味の分からない漢字が出てきたのでは、実力の出し様がありません」 生徒の二「そうです、それに問題の意味が分からなくては、答えの出し様がありません」 その他の生徒たちも一様に「そうです」、「同感です」などと不満そうな声を発している。 ババ「分かりました。皆さんの勉強に対する姿勢そのものが問題なのです。テストがどうのこうのという事ではない事が、よく分かりました。吾が教師の資格もないのに、この学校に呼ばれた意味がここにあったのです。これから皆さんと、その点を徹底して話合ってみようと思います。協力して下さいね」 生徒たちは皆が一様に緊張している。 ババ「吾は話が上手ではないので、皆さんと一緒に話合って行きたい。それで協力をお願いしているのですから、難しい事は少しもありませんよ。吾は勉強とは自分を自分で大きくする事だと考えていますが、皆さんはどう考えるのでしょうか」 生徒の一「私は、学校に来て先生から教えてもらうのが勉強だと思います」 ババ「学校に来なくても、先生から教えてもらわなくても、勉強は出来ますよ」 生徒の二「分からない事だらけなので、自分一人では出来ません」 ババ「教科書に易しく、丁寧に説明されている。それをよく読めばよいのですから、一人でできますが」 生徒の三「でも、教科書を読むのが面倒なのです。難しい事なのです」 生徒の四「一人では難しいので、学校に来て、先生に教えてもらいたいのです」 ババ「先生ではなく、教えてくれるのは教科書だと考えみたらどうでしょう。教科書は学校に来なくても読めますね」 生徒たちは口々に「それが難しい」、「面倒だ」、「大変だ」などと呟いている。ババはそんな生徒達を見渡して、 ババ「実は、吾もみんなの気持ちがよく分かる。あなた方と同じくらいの年頃の頃には、吾も勉強が大嫌いだったから」 「うわっー、話がわかる」、「イカしてる」、「ナイス」などと声を発している。 ババ「いいですか、皆さん。問題はここからなのです。勉強が大切だと言う事は変わらない。一体、どうしたらよいでしょう、一緒に考えてみましょう」 生徒の四「教科書をよく読む、繰り返し」 生徒の五「分からない言葉が出てきたら辞書で調べる」 生徒の一「自分で勉強する時間を少しずつ増やす」 生徒の二「予習や復習を進んでする」 ババ「そうです、その通りです。それが出来たらもう後は、何も言う事はありません」 生徒達は全員が唖然としている。 ババ「但し、言葉だけではダメですね。言ったことを確実に実行すること」 生徒の四「本当にそんな簡単なことだったの」 生徒の五「つまり、簡単じゃないってことでしょ、私たちが実際に勉強をするかどうかって事は」 ババ「正しいと思ったら、直ちに実行する。それが本当に思うってことなのですよ」 翌日の同じ教室 ババが生徒の一と席を入れ替わって生徒の席に腰を掛け、生徒の一が教師役を務めている。 生徒の一「今日は昨日の話し合いの結果を踏まえて、私が議長として授業の進行役を務めます。御協力をお願い致します」 ババ「吾は、この時間は生徒として発言しますので、そのつもりでお願いします」 生徒の一「はい、分かりました。私、今日はなれない役割を振られていますので、ひどく緊張しています。不手際がありました手助けをお願いします。本題に入ります、何故私たち女性は自分自身を教育し、社会の為に役立つ人間にしなければならないのか。結論から言いますと、自分自身の為になることだからだと思います」 生徒の二「特に女性は男性より成人として認められる年齢が早くきます。つまり結婚ですね。つまり結婚と言う事になれば、子供を持つか持たないかの選択に迫られる。子供の親になればより多くの責任が生ずるし、そうでなくともパートナーとの生活で責任ある社会人としての自覚を持たなければいけないし…」 生徒の一「素晴らしいご意見だと、感心しました」 生徒の二「今現在の立場でも、勉強して自分の考えや生き方を、しっかりと見極めておかないと、後輩からも馬鹿にされてしまうかも」 生徒の三「これは私の祖父から聞いた話なのですが、私たちが生まれる前の日本では、学校に通いたくても通えない子供達が大勢いたそうです。特に女の子は男の子より低く見られていたので、それ程度がひどかったようです。今でも、世界中を見渡せば、そう言った子供たちがびっくりするほど大勢いることが、ニュースなどの報道で分かります」 生徒の二「そいう立場にある人々の事を考える時に、こうして好き勝手が許される私達は、随分と恵まれていることがよく理解できます、本当にね」 生徒の四「私達の事を大切に考えているからこそ、私達が嫌がる勉強を 無理に押し付けて くれる。それに気づかない方がどうかしていたのだと、痛感させられますよ」 生徒の五「本当だわ、私たちはもうそれなりに大人なのだし、大人としての自覚を強く、強く持たなくてはいけない。親や、先生から言われなくとも、今現在の自分が大切にされ、尊重されている事を思って感謝の気持ちを持って、責任ある行動をとらなければいけない」 ババは満足げな表情で生徒達の意見に耳を傾けている。 教員室 教頭と話をしているババがいる。 教頭「短期間でしたが非常な成果を上げることが出来、生徒達の評判も上々でした。先ほど校長にも報告しておいたのですが、大層喜んで居りまして宜しくとのことでした」 ババ「吾は正直、お引き受けして良いのかどうか、大いに迷ったのですが、結果吾自身もとても勉強になる貴重な経験でした。心からお礼を申し上げます」 教頭「御承知の如くに学校という所はお金のないところでして、大したお礼も出来ないのが大変に心苦しいのですが、そのように仰って頂くと気持ちが楽になります。今後共に宜しくお願い申し上げます」 ババ「こちらこそ、今後とも宜しくお願い致します」と丁寧にお辞儀をした。 町の公園 ジジとババが仲良く話をしている。 ジジ「所で、例の女学校での授業の件だけれども、とても評判が良かったみたいだね」 ババ「ああ、吾、うっかりしておめえにお礼を言うのをすっかり忘れてしまっていた」 ジジ「お礼を言わなくてはいけないのは俺の方でしょうが。嫌がっていたのを、俺の独断で知り合いの教頭先生に推薦したのは俺だからね」 ババ「いいや、世間知らずで頭の悪い吾に、あんなに貴重な経験をさせてくれたのは、みんな優しいおめえのお蔭だよ。吾、とっても為になったよ」 ジジ「そう言ってもらえて、俺も余計な口出しをした甲斐があった。所で、若い娘たちとの遣り取りはどんな風だったの」 ババ「それがね、吾がとっくの昔に忘れてしまっていた青春を、全くありありと思い出させてくれた。吾はこんなに歳を取ったしわくちゃ婆さんになってしまったが、心だけは、気持ちだけは少しも若い人達に引けをとらない。そう強がっていたけれども、でも本当に若い生き生きした青春ていいもんだって、ほんの数日だけど、感動したよ」 ジジ「そうか、そうか、それを聞くと俺までが嬉しくて、心がはずむよ。お蔭さまでね」 ババ「教育なんて吾の柄ではなかったけれど、若い人は兎に角素晴らしい。何も教えなくとも、自分で進んで、積極的に何かを学び取ろう、自分自身を大きくしようって、とても意欲的になってくれる。よく親はなくとも子は育つと、昔の人は言ったものだが、良くしたものだね」 ジジ「そういう事かも知れないが、今度の事は、やはりあんたさんが素晴らしい教育者の素質を持っていた、何よりの証拠だと思うよ、俺は」 ババ「お言葉ですが、それは誤解です」 ジジ「どうして?」 ババ「それが分からないおめえは、世界一の間抜けなのじゃないかと、思うよ」 ジジ「あんたがそう言うのなら、俺は世界一の間抜けなのだろうよ」 ババ「アホらしい、まるで話が通じないね」 ババ「本に、本に、おめえって人は仏様の様に無欲で、性格の良い人だね」 ジジ「吾はあんたから色々とお世話になっているから、学校の先生にはない、円熟した女性の魅力を十分に発揮して、若者にもきっとよい影響を与えるに違いないと、踏んだのさ。図星だったのだ、良かった、良かった、本当に良かったよ」 ババ「吾の人生の師匠はおめえだと、つくずく感じたよ。どうもいつも有難う」と歩き出した。ジジも慌てた様にババの後を追った。幸せそのものの二人である。 《 完 》
2019年05月09日
コメント(0)
第 四百三十 回 目 これからは A I が重要視され人間が人間らしさを発揮できる分野が次第に狭められ、人間とは何か、人間らしさとは、その人間らしさの本質とは一体何なのかが、厳しく問われるようになる。それは間違いのないことのようであります。 単なる能力という点では、譬えば将棋ではプロを超える A I が既に出現しています。人口的に作られた人間のような知能ということですから、様々な人間の能力の内で、ある特定の分野だけに限定して、その優秀性を競うと言う事になれば、人間の能力を遥かに超える A I ・人口知能が出現しても不思議はありません。 そうした現実が既に存在している。すると、人間とは、その本質とは何かを真剣に追求しないわけにはいかなでしょう。 これは飽くまでも私・草加の爺個人の私見・管見にしか過ぎませんが、優しい心を持っているか、愛情溢れる暖かな魂を持っているか否かに、結局は行き着くのではないでしょうか。 そこで、私たちのセリフ劇との関連で、この問題に考察を加えて見たいと考えます。 私はセリフ劇の場で一番に重要なのは、心と心の通い合いだと申しました。上手いとか下手とかの技術的な面は二の次、三の次とも主張して来ました。この演技の巧拙だけを問題にすれば、将来 A I 、つまり人口頭脳の方が上手(うわて)であるという事態は容易に想像出来るで有りましょうが、人間の心や魂を持たない人口頭脳には不可能な、人間だけに許された行為・行動がセリフ劇の本質だと、極めて明確に定義出来るのであります。 この極めて人間的な理想の行為・行動であるセリフ劇と真摯に、心を込めて真正面から向き合い、お互いを元気づけ高め合う事が出来るとしたら、私たちにとってこれに勝る幸せは他にないのではないでしょうか。 ここで繰り返しになるかもしれませんが、私のこのセリフ劇の提案のスタンスという点について少し述べてみたいと思います。勿論、御縁があって野辺地の地域活性化に微力ながら、貢献出来たらという気持ちが第一なのですが、これは同時に私・草加の爺の人生の総決算でもある。つまり、何よりも私個人の為になる活動でもあるわけでして、また不遜と聞こえるかも知れませんが、現状ではその役割を果たす者としては最適任者であると自負もしている。 そして又、町の方々の意向を無視して、一方的に押し付けるような考えは少しもありません。町の方々にも楽しんで頂き、私の方も当然に楽しませて頂く、そうしてウインウインの関係を築いて共に楽しむような良好な関係を基本に、活動を展開させて行く。主体は飽くまでも当事者である町の人々の側にあり、私はサポーター役に徹する覚悟であります。つまり、予め私の或る目論見のようなものがあって、それに向けて強引に引っ張っていく様な事は、何も考えて居りません。 唯、楽しいことで、しかも役に立つ、その上に財政的な負担もない。良いこと尽くめの嘘のような事を提案し、サポートしたい。掛け値なしで、これだけの気持ちであります。 人口頭脳という人間のあり方を考える上で非常に参考になる便利な道具の急激な発達を目の前にして、最も人間らしいセリフ劇に真剣に関わり合いを持てることは、非常に有意義なことだと自然に感謝の気持ちが湧いてくるのを感じてもいます。 さて、このブログをお読み下っているお方は既にご存知の如く、私は既に自分で出来る範囲で野辺地でのセリフ劇構築の準備を開始して居ります。音読や読み聞かせに必要な台本候補の発掘であり、それから発展させた寸劇・コントのそれであります。先ず、野辺地の人々が必要としている、或いは現在只今の時点で興味や関心を寄せて頂ける可能性のあるものを、自分なりに模索しながら試作している段階です。 しかし振り返って反省すると、私たちは自分が本当に欲している対象を、全部が全部意識できている訳のものでもありません。逆に、無意識に望み、意識しないけれども実は強く待望している何物かが、数多く存在する筈なのです。それを野辺地の人々と一緒に開拓し、より明確な形に育て上げる事が出来るとしたら、それ以上に素晴らしいことはないでしょう。是非、そういう方向に進んでいきたいものと、強く念願します、強く心の底から。 私は前回と前々回に近松門左衛門の出世作「出世景清」をセリフ劇の台本用にと、翻案してみました。どの様に演出したら良いのかの問題は残りますが、作品から受ける感銘は強いものがあり、時代が変わり従って人々の価値観や考えが大きく変化した今日では、同じ人間として、同じ国土に生きる者の一人として主人公の景清に共鳴し、感動する部分が大でありました。同じ運命を共にした同族の平氏に寄せる強烈な思い、愛する妻や子供への情けの在り方、又、恩讐を超えた人間同士としての頼朝との友情、自己の生き方に対する責任と決着の取り方など、ドラマティックな要素がふんだんに盛り込まれていて、ゲストを飽きさせないでありましょうし、カタルシス効果も抜群だと感心しました。 そもそもがフィクション・虚構の世界ではどの様な事でも許されます。現実には叶わない夢や憧れが容易に手に入ります。但し、それが人に感動や感銘を与えるか否かは、自ずから別の事になりますね。表現が優れたカタルシス効果を齎す為には、夢や憧れが実現するだけでなく、それに伴うそれ相応の代償を支払う必要があります、必然的に。 代償と言うと大袈裟に聞こえるかも知れないが、端的に言えば別の夢や憧れを断念しなければならない。同時に二兎を追うことは許されないから。しかも、その行動なり生き方に明瞭な筋が通っていて、美しいと感じたり立派だと思わせるものがないと、いけませんよ。その点では現実と少しも違いがないのかも知れません。 悪は悪なりに、善は善なりの筋道がきちんと通っていない限り、ダメなのですから、やはり現実社会でも虚構の世界でも難しい物は飽くまでも、難しいのであります。それが人間の生き方の基本なのであります、きっと。行き当たりばったりやデタラメでは、その当人も、周囲の人間でさえ満足出来ない。 この一本の太く確かな筋を通す生き方なり、行動が現実では殆ど不可能に近い。様々な要因が複雑に絡み合っている私たちの日常では、好むと好まざるとに係わらず中断の止む無きに至る。そしてまた次なる行為・行動に移った瞬間に、又もや全く違った要因が介入して来て、あやふやで中途半端な、宙ぶらりんの状態にされてしまう。この無限の繰り返しが私たちの日常と言う現実であり、その為に私達の内部にはストレスとしての不純物が蓄積され続けるわけです。 これはどう考えても精神衛生上、宜しくない。そこで心の清掃が必要となり、そのベストの形が劇なのでありますが、中でもセリフ劇は、劇の中でも最上のものと、少なくとも可能性としては為り得る。またそう言う形に持って行かなければならないものなのです。 理屈を言えばそういうことになるのですが、要は考えられる限りでベストな娯楽であり、エンターテインメントであればよい。難しい理屈をわざわざ前面に出す必要はないのであります。 ここで、セリフ劇のセリフとは言葉ということです。言葉は最も人間らしい特色を示すと同時に、人間の行動の中でも一番「行動的」と言われます。視覚優位の時代にあって眺めるもの、見物する物であり過度にショー化し興行化していた劇を、体験し、自らがイマジネーションを働かせて行動する方向へと、大幅に矯正する。同時に、それによって心や魂に直接的な、そして根本的な治療を施す。それも誰かから強制されたり命令されたりするのではなく、主体的に、自らの意思でそうするのであります。 そうした自発的な行為が楽しくない筈もなく、また、役に立たないわけもないわけです。私たちは通常明確な目的意識を持って行動することは、非常に限定されている。 学校教育に於ける勉強とか、生活の為の仕事とか、それを意識していなくともそこには強い強制の力が働いている。劇の場ではこの強制は皆無であります。楽しい事で、自分の役に立つから進んで体験したくなる。そうした素晴らしい、純粋な、行為の為、行動の為だけの行為・行動の場なのです。 セリフ劇を構築する過程・プロセスを楽しみながら町の一人でも多くの人々と交流を深め、人間としての成長の糧にしたい。私・草加の爺は今切にそう念願しています。 近日中に五十嵐氏から紹介を受けた中村さんとお会い出来る予定になっています。中村さんとは電話で少しだけ会話を交わしただけで、まだ面識はありませんが、直接お目に掛かってお話出来るのが楽しみでありますが、今度の会見が実り多い将来に道を開いてくれることを、希望しながら待機している現状です。 考えてみれば今度の中村さんとの会談も、一つの劇と看做す事が可能です。筋書きは私にも、先方の中村さんにも知らされてはいません。私の方としては誠意を尽くしてセリフ劇とそれに寄せる思いとを語るだけに過ぎませんが、中村さんが置かれていらっしゃる状況や、考え方など今の私は全くと言ってよいほど、何も知りません。先ずは虚心坦懐にお話を伺い、自分の理解の及ぶ範囲で理解を深めたい。出来れば劇やその他色々なテーマについても、考えや御意見を拝聴したい。更には町の様々な事柄に関してもお話を聞かせて頂きたいと、念願しても居ります。 私は今回、人口頭脳 A I から書き始めましたので、人口頭脳に関連させて締めくくりたいと思います。私は人口頭脳に限らずロボットとか機械とか、命のないものが嫌いと言うよりは苦手であります。つまり人間が大好きなのであります。無条件に、理屈抜きで心惹かれるのですね。ですから、そう言う意味からも大いに人間らしく、飾らずに、また偽らずに中村さんと接したいと考えて居ります。要するに、無欲無心で対したい。そう願うのみなのであります。 会談の結果に関して、随時このブログで報告する積りであります。
2019年05月04日
コメント(0)
全5件 (5件中 1-5件目)
1


