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第 四百二十 回 目 サンプル・ストーリー その四 「 負けてたまるか、泣いてたまるか 」シリーズ の パイロット篇 『 俺は 天才じゃ なかったのか 』 場所:東京近郊の都市 人物:石田 勇也(作曲家志望)、茜(勇也の恋人)、その他 大衆食堂 夜の九時半を過ぎている。余り広くない店内はカウンターと小上がりの座敷から成っている。この時間は客の数は数人しかおらず、カウンター内の店主兼料理人の女性が食器の洗い物などを終えて、一息吐いているところ。表のガラス戸が開いて勇也が何か嬉し気な表情で入って来た。 茜「いらっしゃーい」と奥から出て来て勇也に声を掛けた。小上がりに席を占めた勇也が、 勇也「ビールを頂戴」と嬉しさを満面に表してオーダーした。 茜「あら、珍しいのね」と一寸不思議そうな表情。「何かいい事でもあったのかしら」 勇也「いや、別に。いつもと変わらないさ」と言いながらも言葉とは裏腹ににやけた表情を隠そうともしない。茜は直ぐにビールとサービス品の摘みを勇也の前のテーブルに置いて、奥の自分の定位置に戻った。やがて残っていた店内の客たちが姿を消し、勇也一人になった。勇也は中瓶のビールを味を噛みしめる様に全部飲み終わると、立ち上がり「小母さん、御馳走さまでした。月末には遅れずに附けの支払いはしますので…」と声を掛けると、一寸茜の方を向いて何か言いたそうにしたが、すぐまた思い直したように出入口に向かっている。拗ねた様にしていた茜は勇也の背中に「有難うございました」と元気のない声を発している。 勇也が姿を消すと同時に、カウンターの中の店主が、「ちょっと早いけれど、今夜はこれで店仕舞いにしようかね」と茜に言う。茜は頷くと店先の暖簾を外して店内に持ち込む。 店主「茜ちゃん、少しあんたに話したいことがあるのだよ」 茜「はい、何でしょうか」 店主が言うのはおおよそ以下のような事だ。茜の恋人の勇也は人が善いだけが唯一の取柄で、生活能力は皆無とは言わないが、余り頼りにならない。今もうだつが上がら無いだけでなく、将来も今と少しも変わらないだろう。この店の常連の一人に関口という初老に近い男が、以前から茜に猛烈な恋心を燃やしていて、勇也の事もあってそれを口に出来ないでいる。関口には大学生と高校生の子供がいるが小さな工場を経営しているので、経済力はある。少なくとも勇也に較べたら、月とすっぽんくらいの違いがある。病死した先妻の後釜にと様々に自薦他薦の候補はいるが、関口本人は茜の事があるので皆拒否している。結婚は理想ばかりを追っていては駄目で、実際に生活して行く生活力が決め手だと、独身生活を余儀なくされている店主は、自分を引合に出して、熱心に茜を口説くのだった。 録音スタジオの廊下(翌日) 或る大物歌手のレコーディングが壁の向こうのスタディオ内で進行している。関係者の内でスタディオに入れないで居る者や、業界誌の記者などが数名ベンチや椅子などに腰掛けて、雑談などをしている。その中に石田勇也の姿がある。 勇也の知人「君は知らないだろうけど、こんな重要なレコーディングの現場に、生で、しかもこんな近くで立ち会えるなんて、滅多にあることじゃないのだよ」 勇也「そうだろうね。実際、信じ難い気持だよ」 時間経過。 レコーディングが全て終了し、スタジオ関係の数人が跡片づけなどをしている。ベンチには勇也と知人だけがぽつんと座っている。やがて、人気作曲家の雛形アキラが悠然と姿を現した。 雛形「大分お待たせしたようだけれど」 知人「いえ、いえ、とんでもありません」 勇也「お名前は兼ねてから存じ上げて居りました。始めてお目に掛かります。石田勇也と申します」 知人「僕が話をしても、信じて貰えないものですから」 勇也「いや、そういうわけではないのですが。余りに思いがけない事でしたので」 雛形「ところで、これからよかったら一緒に食事でもどうですか」 二人は一瞬信じられないと言うように顔を見合わせた。そして「有難うございます、喜んで御一緒させて頂きます」と、雛形に対して最敬礼した。 勇也のアパートの部屋(数日後) 勇也がねじり鉢巻きで作曲に励んでいる。彼の脳裏には様々なイメージが去来している。 ―― イメージの1 彼は何故か日本人でありながらベートーベンそのものになっている。しかも耳が良く聞こえる状態で、自ら作曲したシンホニーを指揮している。演奏が終わると大ホールは万雷の拍手に包まれる。聴衆の方を振り返り静かに一礼する得意満面の勇也ベートーベン。 ―― イメージの2 今度は武道館でのコンサートである。彼は何故かビートルズと共にギタ―を演奏している。そして突然に演奏が止み、ステージの照明も消えた。と、次の瞬間に勇也だけにスポットライトが当てられてギターの独奏が華麗に始まった。陶酔するファン達の、顔、顔、顔。 ―― イメージの3 あの伝説の大歌手・大空ひばりに自分の作曲した曲の指導をしている勇也。一応は無難に歌いこなした女王に、勇也がダメを出す。何故か作曲家勇也には満足が行かない。それで、しばし思案したがやおらピアノを弾いて、「こう訂正しましょうか」と指示する。すると今度は最高である。顔を見合わせて微笑み合うひばりと勇也であった。 元の現実である。畳の上には丸められた作曲用紙が散乱している。疲労の色が濃い勇也であるが、彼の眼の色だけは燃えるように輝いている。 早朝の河原 新鮮な朝の空気を胸一杯に吸い込んで深呼吸する勇也。「これで俺も、ようやく世に出るぞ」と口の中で呟いている。 或る工場の入口(同日の夕方) 門の横で勇也が待っている。やがて例の知人が中から帰り支度で出て来た。二人は駅に向かって歩きながら会話を交わす。 勇也「一週間ほどアルバイトを休んで、作曲に没頭したのだ」 知人「あなたの友人から聞いているが、相当に経済的に苦しい生活を送っているらしいじゃありませんか…」 勇也「それ程でもありません。好きな事が出来る喜びに比べたら、貧乏に耐える事など大したことじゃ、ありません。ああ、これですが僕の自信作です。どうか先生に見て貰って下さい」と徹夜で書き上げた曲の譜面を入れた紙封筒を渡す。 知人「先生も貴男にとても関心を示されていたし、先日のサンプルカセットの曲についても、絶賛されていたくらいですから、間違いなく業界への手助けを、何か有力なきっかけを与えて下さる確信があります」 勇也「心強いお言葉です。どうぞ、くれぐれも宜しくお伝えください」 知人「吉報を期待して居て下さい」 前の大衆食堂(一か月後) 午後二時過ぎで、店内は客の姿がない。そこに憔悴し切った様子の勇也が元気なく入って来る。 勇也はラーメンを注文すると窓際の小上がりの席に座った。茜の方も少し痩せたようで、青白い顔を一層寂しげに翳らせている。やがて注文の品が出来上がり茜がどんぶりをお盆に載せて運んで来た。ラーメンの中味を看て不審そうに茜の顔を見た勇也に、 茜「ああ、チューシューは小母さんからのサービスですって」 勇也は、カウンターの店主に向かって大きく頭を下げた。勇也が食べ終わるのを待っていた茜は、「少し早いのですが休憩を取らせて頂きます」とカウンターの中に声を掛けると、勇也を促して外に出た。 近くの川の畔 勇也と茜はしんみりと会話している。 茜「そうだったの、それはがっかりね。力を落している時にこんな話をするのも何なのだけれども、私もずっと辛かったのよ。小母さんはああゆう思い遣りのある、苦労人だから私達の事を本当に親身になって心配して下さっている。それが分かっているから無下には断り切れないし…。でもね、私ね、きっぱりとお断りする事にしたの。だってわたし、勇也の事大好きだから。どじだ、間抜けだって人は蔭で悪口を言うけれど、わたしはそう言うところも全部含めて、勇也が大好きだから」 勇也「(下を向いたまま)御免。俺なりに一生懸命にやっているのだけれども…」 茜「あたし、無理なんか少しもしていない。今の儘で十分に倖せだもの」 勇也「お前の気持ちが分かっているから、それで俺」 茜「いいのよ、元気で、夢が持てて、頑張って生きているのだもの」 勇也「有難う、本当に、本当に有難う」 勇也が様々なアルバイトの仕事を実に不器用にこなして、上司から叱責を買っているシーンと、食堂で健気に御客の接待をする茜の笑顔などが、交互に描写される。その背後で次の詞が朗読される。出来れば大勢の男女の声であればそれに越した事はないが、勿論、一人の声でもよい。 『 負けるな、泣くな、明日がある 』 ネバーギブアップ 負けてたまるか 太陽が照っている 風がそよいでいる 涙なんか 見せるな 月が笑っている 星も歌っている 泣いてどうする 泣いてどうなる 雨にも負けるな 風にさえ泣くな お天道様が見ている 月の女神も微笑んでいる 負けるな 泣くな また明日が 輝く明日がくる きっと来る 山がある 川が流れる 草もある 木々も繁茂している 負けてたまるか 負けてどうする 明日が来る 未来がある 夢さえも膨らむ 涙などは見せるな ネバーギブアップ 男がいる 女が踊る 人々が輪になる 小鳥が大空に舞う 風が謡う 負けるな 泣くな また明日が 希望の未来が 必ず来る 必ず 来る 《 完 》
2019年03月29日
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第 四百十九 回 目サンプル・ストーリー の 三 時代劇 「 ひらに、平に 御容赦を 」 時代:江戸の中期頃 場所:江戸の町とその周辺 人物:清川平四郎(浪人)、紫頭巾の武士、長屋の住人たち、狼藉を働く悪人ども、その他 プロローグ 冬の夜である。「火事だ―ッ」の叫び声、カーンカーンと鳴り響く半鐘の音。或る藏屋敷の蔵が火元らしい。昼間は大勢の人で賑いを見せる大通りであるが、先程までは人影がぷっつりと途絶えていた。それが見る見るうちに広がる火の手によって、昼を欺く明るさに変わった。 時間経過。 火元に近い呉服屋の店先にも既に人だかりが出来ている。呉服屋の奥座敷も先程から火が廻っていて従業員達が大童で商品や手荷物などを店の外に運び出している。 やがて、従業員の誰かが「お嬢様が、奥座敷で逃げ遅れて…、誰か助けて!」と店先に走り出て来た。もう店全体が炎に包まれて手の施しようもない状態にみえる。誰もが驚き慌てているだけで、救助に向かう者はいない。その時であった、何者かが人混みの中から抜け出し、飛鳥の如く店の奥座敷に向かって姿を消した…。店の主人夫婦にとって目の中に入れても痛くない幼い一人娘が九死に一生を得て、無事に助け出された。 これが清川平四郎が貧乏長屋の人気者となった経緯である。 夏祭り お神輿を担いだり、山車を曳いたり、神社の境内には色々な仮設の出し店が賑やかに客達を惹きつけている。するとその人混みの中から「うわーッ、喧嘩だ、喧嘩だ」と声が挙がった。祭りの酒に酔った鳶職と火消しの若い衆同士の諍いである。あわや流血の惨事に発展しそうな物騒な雰囲気の中で、この血走った血気の若者グループの中に割って入った浪人者がいた。貧乏長屋の住人・平四郎である。 平四郎「あいや御両所、今日は目出度い祭礼の吉日、この私に免じて和睦して頂きたい」と、両方のグループの先頭に立って殺気だって睨み合いをしていたリーダーの二人を、両手を広げて制した。 鳶のリーダー「お前は誰だ」 火消しのリーダー「邪魔だ、そこをどけ」 平四郎「拙者は清川平四郎と申す浪人者。天下泰平の世を謳歌致す軟弱至極の卑怯な奴で御座る、どうかこの場は拙者に免じて穏便に事を収めて頂きたい」 火消し「邪魔だから、早くそこをどけと言っているのだ」 鳶「そうよ、怪我をしたくなかったら、とっとと消えてしまえ」 鳶も火消しも酒の勢いがあるので、火に油を注いだような形になってしまった。周囲を遠巻きにした人垣も固唾を呑んで成り行きや如何にと、見守っている・ 平四郎「これ程に申しても聞き入れて呉れぬとあらば、已むを得ぬ…」と腰に差した大刀に手を指し述べた。対峙する両グループ共に、緊張して一瞬腰が引けている。平四郎は鞘ごと大小の剣を両の手で腰から引き抜くと、忽ち地面に平伏して、 平四郎「これこの通りで御座る。浪人の身分に落ちぶれていても拙者も武士の端くれ、何卒、この場は拙者の顔を立てて、怒りを収めて頂きたい」 唖然としている両方のグループの面々。周囲の見物たちも呆気に取られている。 やがて、あたかも潮が引くように青年たちはその場から一人、二人、三人と立ち去って行った。 一膳飯屋の中 客たちがさっきの喧嘩の噂話をしている。 職人「一時はどうなる事かと肝を潰したよ」 大工「本当よ。俺も喧嘩っ早い方だが、あんな向こう見ずな連中を相手には、早々に三十六計を決め込むよ」 物売り「それにしても、あの御浪人さん、年は若いが中々人物が出来ている。大したものだ」 職人「本当だね。見た所は腕の方も立ちそうな立派な姿形だったな」 給仕の小女「あら、平さんの事を知らないの。剣道の達人なんですよ」 大工「そうか、道理で…」 と、そこへ外の暖簾を潜って平四郎が飄然と姿を現した。そして奥の隅に腰を下ろし、 平四郎「いつものあれを大盛りでお願いしようか」とお決まりの定食を注文した。 お寺の庫裡の一隅(数日後) 平四郎が時折開いている寺子屋で習字などを子供達に教えている。そこへ大工見習の三吉が蒼褪めた顔色でやって来て、平四郎を中庭の方に呼んだ。 三吉「平四郎さん、今日は折り入って相談したい至急の用があって、やって来たのです」と涙を流しながら訴え始めた。事情は次のようなものであった。三吉が密かに恋心を寄せているおみつという今年十四になる気立ての良い娘がいる。平四郎と同じ貧乏長屋の住人で、父親と娘の二人暮らしをしているが、この父親が腕の良い職人だが、無類の博奕好きで貧乏から抜け出せないでいた。一週間程前に性質の悪いいかさま博奕に誘われて、莫大な借金を抱えてしまった。このままでは一人娘のおみつを女郎屋に身売りさせないと、用心棒のヤクザ達に殺されてしまう。何とかならないだろうかと、三吉は実に生きた空もないと言った風情で話した。さすがの平四郎も「うーん」と言った儘しばらくは言葉も出せない。 或る剣術指南道場の玄関(翌日の朝) 神楽のお亀の面を付けた武士がやって来て、「頼もーっ」と声を発した。道場の門弟の一人が「どーれ」と応対に出た。 同・道場の稽古場 門弟「それがし、師範代の森山と申す者。他流試合が望みと聞いた。先ず、お相手申そう」 道場破り「拙者は海野お亀と申す。譯あってお面を付けての失礼、平に御容赦をお願い致す。いざ」と手にした竹刀を肩に担いだ。相手の師範代は「むむ、無礼な」と怒りを露わにして相手に突進したが、忽ちに竹刀を叩き落とされてしまった。 道場の主「それでは今度は拙者が相手を致す。竹刀では手ぬるいので、木刀での立ち合いを所望致す」 道場破り「お断り致す。拙者にとって木刀は真剣も同様。拙者の目的は貴道場の看板を申し受けることにある。命の遣り取りでは御座らぬ故、竹刀での立ち合いを所望致す」 道場の主「相分かった。しからば希望通り竹刀にて相手致そう。但し前以って言っておくが、儂の流儀はいささか手荒いので、その積もりで」 道場破り「望む所。いざ」と、やはり竹刀を肩に担いだ。 道場の主「ええいっ、無礼者めがッ」と鋭く切り込んだが、忽ちに竹刀を叩き落とされてしまった。「参った」と床に平伏する。 道場破り「それでは約束通り表に掲げた道場の看板を頂戴致す」と玄関の方に歩き去ろうとする。道場主は慌てて門弟たちに道場破りを止めさせ、奥の座敷に案内させる。こうしてお亀の面を被った平四郎の乱暴な道場破りは功を奏して、数日のうちに數十両という大金が集まり、三吉とおみつの若い恋人は窮地を脱したのだった。しかし、これが後に思わぬ災難の火種になったのである。 大川端・隅田川に近い場所(一か月後) 子供たちと釣りを楽しみ家路を辿る平四郎。茶店で団子などを食べて休憩する平四郎達を樹の陰などから様子を窺う不審な武士の一団がいる。平四郎は素早くその気配を察して一緒にいた子供達に先に帰るよう促すと、茶代を支払った後、子供達とは反対方向に何食わぬ風を装って、ぶらりぶらりと歩き始めた。 同・林の中の道 呑気そうに歩いて来る平四郎。と、ばらばらと四方から平四郎めがけて殺到する武士たちの集団がある。その数はざっと五十人は居るであろう。 武士の一人「待て、待て、暫らく待って貰おう」と平四郎との距離を置きながら編み笠を目深にかぶった武士が声を掛けた。その声には異様なまでの緊張感が籠っている。 平四郎「拙者でござるかの」とゆらりと足を止めた。 別の武士「如何にも」 平四郎「何用で御座ろうか」 最初の武士「お主の命を貰い受けたい」 平四郎「物騒な、人違いで御座ろう」と平然と受ける。と、相手は深編笠をかなぐり捨てて、「この顔に見覚えがあろう」と決死の形相である。 更に別の武士「拙者にも見覚えが有ろう」と刀の柄に手を掛けた。 平四郎「ひらに、ひらに、ごようしゃをねがいたい」と謡う様に言葉に出しながら、脱兎の如く斜め横の繁みの中に飛び込み、姿を消した。武士たちは口々に、「逃すな」、「油断するな」、「相手は袋の鼠も同然、慌てる必要などない」などと叫びながら抜刀している。しばしの静寂。突如、木の上から鳥のように舞い降りた人物がいた。紫の頭巾に面を隠した謎の剣士の登場である。この後は詳述する必要もないので簡潔に描写しよう。 瞬く間に十数人がなぎ倒されていた。それを見た残りの武士たちは潮が引くように一斉に姿を消していた。紫頭巾の見事な剣さばきで倒された十数人は皆一様に峰打ちであり、一撃で悶絶していたが命に別状はなかった。 この騒動の後、謎の人物・紫頭巾の噂は江戸の八百八町に広がり、一躍有名人の仲間入りをしたが、貧乏長屋で庶民と共に平和に暮らす清川平四郎の存在は、ごく一部の限られた人々の間でのみ知られるだけであり、表立ってあれこれと穿鑿されることはなかった。 この物語のファンにだけそっとお知らせすると、平四郎は生まれながらの天才的な剣士であるが、人間の赤い血を見るのが異常に嫌いであり、為に藩での自分の身分を棄て、気儘な浪人生活に入ったのだが、持って生まれた優しい心根と強い正義感を抑制する事が出来ず、止むを得ない場合に裏の顔・紫頭巾の力を借りて事件の解決を図るのであった。勿論、この事実は観客だけが知ることで、ドラマの登場人物たちは全く気付かない。故に、ドラマを楽しむ上では無関係な事柄であることを、念の為に申し添えて置く。 ( 紹介編 完 )
2019年03月27日
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第 四百十八 回 目 サンプル・ストーリー ―― その二 「 プリンセス さくら の 華麗なるアドヴェンチャー 」 時代:現代 人物:謎の依頼人、世界で唯一人のライフメンターを名乗る私立探偵の はるの さくら(女性年齢不詳は勿論、全てが謎に包まれた女性)、さくらの友人たち、その他 場所:銀座その他の東京の盛り場など 季節はまだ春の浅い銀座の深夜。とあるビルの薄暗い裏階段を静かに上って行く女性の人影があった。三階のフロアーに通じるドアを開けて、女はビルの内部に入って行く。そして「本日は閉店いたしました」と札の掛かった扉の前に立つと、静かにノックした。 声 「どうぞ」、中から直ぐに返事があった。女は静かにノブを回し滑り込むようにバーの中に入った。中はカウンターだけの狭く細長い部屋で、照明も極端に暗く演出されているようだ。 バーテンダー「お待ちいたして居りました。お約束の時間きっかりですね」 さくら「お電話を頂いた金田様は、お宅様でしょうか?」 金田「はい。どうぞ椅子に腰をお掛け下さい。何か御作り致しましょうか」 さくら「ああ、そうですね…、アルコール抜きでトマトジュースをお願いします」 金田「畏まりました」 さくら「早速ですが、本題に入ります。この室内には現在、私と貴方との二人しかいないようですからお訊ねしますが、金田さんは間違いなく御依頼人本人で間違いありませんでしょうか」 金田「はい、本人です」 数日後。昼過ぎの新宿御苑の庭内を並んで散歩する二人の男女。売れっ子シナリオライターの野原啓太郎(46歳)と私立探偵・さくらである。 野原「何だか作り過ぎな感じがするな、第一に依頼人の金田を名乗る人物だけど、ダミー、つまり身代わりの可能性もある。それに金田が男か女かそれもはっきりしない。バンダナをして、サングラスを掛けて、顔中が鬚もじゃ。室内の照明は絞り込まれて極端に暗い」 さくら「(静かに頷き)金田というのは偽名だし、性別・年齢・その他身元不詳、何から何まではっきりしていない」 野原「君をからかっているのではあるまいか」 さくら「それは大丈夫、主訴が、自分の運命の人を一か月以内に探し出して欲しい。報酬として十億、手付金代わりに祖父の形見の宝石を預ける。念の為に専門家に鑑定してもらったところ、時価で数億は下らない貴重なものと判明している。これがそれよ」と左指に無造作に嵌めた大きなピンクのルビーを示して見せた。 野原「僕には宝石の趣味がないから分からないけれど、見るからに凄そうな代物だね。所で金田に会った銀座のバーには行ってみたのだろうね、君の事だから」 さくら「ええ、勿論だわ。でも無駄だった。バーテンダーは雇われで、金田などという人間の事は全く知らないと言う」 野原「やっぱり。雲を掴むような話だね。僕がこんな設定の事件を仕組んだら、リアリティーが全然ないってプロデューサーから全面否定されるだろうな、きっと」 その翌日。葛飾区にある水元公園の中を中年の女性・美由紀とさくらが散策している。 美由紀「珍しく落ち込んでいるようだけど、一体、どうした訣。まさか、誰かに恋をしたって事じゃないわよね、さくらに限って」 さくら「まさか、私だって適齢期の乙女だから、恋の一つもして、悩んでみたいけれども」 美由紀「そうよね。でもまさか仕事の事で落ち込んでいる、まさか…。そんな事全然信じられない」 さくら「それが、図星なのよ」 美由紀「ひえーっ、天才さくらが仕事上で壁にぶつかって酷く落ち込んでいる。いやーあ、これは目出度い話だわ、本当に」 さくら「冷やかさないでよ、私だって人間だよ。分からない事だって一杯あるんだから」 美由紀「おやおや、随分と弱気になっているのね。それも、いいかもね、人間味があってね」 さくら「先輩、後生一生のお願いです、私を助けて下さい。何かヒントだけでも与えて頂けると有難いのですが、この通りです」と、さくらはその場に足を止めて深々と頭を下げるのだった。 美由紀「さくら、この仕事は貴女が命を賭けて自分で選んだ道だよ、それもライバルの私に頭を下げる位なら死んだほうが益しだと、そう思っている。分かった、一つだけだよ、今日は私の誕生日だから筋違いな誕生日ギフトだけど、依頼主の誕生日は当然に探り当てているのだろうね」 さくら「はい。私と同じ8月28日と占いの結果が出て居ます」 美由紀「それじゃあもう、答えがでているじゃないの」と言い捨てて、さっさと後ろも振り返らずに去って行く。それを呆然と見送るさくら。 その翌日。依頼人の弁護士事務所からさくら宛てに招待状が届いた。中味は京都の高級料理店で食事をするように案内するもの。但し条件があって誰か男性の同伴者を連れて行くこと。新幹線その他の交通費や宿泊費と店での支払いは、依頼主の方で負担するとあった。 その週の週末。京都で有数の割烹料理店の暖簾をくぐるさくら達三人の一行。 三十分後の座敷は食事の宴が酣(たけなわ)である。 老人「春野さん、本当に美味しい旬の食材を使った料理ばかりで、儂(わし)の胃袋がさっきから吃驚仰天のしっぱなし。寿命も優に十年は確実にのびるでしょう」 若者「僕も、こんな素晴らしい高級料理は生まれて初めてなので、両方の頬っぺたが落ちてしまうのではないかと、心配しながら御馳走になっている所です」 さくら「そう言って戴くと、お二人をお連れした甲斐があるというもので、私としてもこんなに嬉しい事はありません。まだまだメインのお料理はこれからのようですから、遠慮せずにたんと召し上がれ。私も今日はなりふり構わずお腹一杯に京料理を堪能する心算ですから」と普段のさくらからは余り想像できないリラックスし切った表情を見せている。 老人は一人暮らしの孤独な老人であり、若者は虐めが原因で引き籠りの生活を続けていて、ここ数か月通常の生活に復帰する兆しを見せ始めていた。さくらの一人の人間としての優しさと周囲への気配りが、こんな所にもさりげなく発揮されているのだ。 さくらが京都から帰った翌日に、再び弁護士事務所経由で或る招待状が届けられた。今度は豪華客船での国内クルーズのインヴィテーションであり、二人用のスイートの客室を確保してあるので、自由に相手を選んでエンジョイして欲しいと言うのだ。 さくらが今回相手に選んだのは、知人の友人で末期の癌を宣告され闘病中の独身女性。身よりもなく天涯孤独の薄倖の人であった。女性はさくらからの提案があった時に、一瞬信じ難いと言う様に天を仰いだが、直ぐにさくらの両手を押戴くように自分の胸に抱きしめて、何度も何度も「有難う御座います」の言葉を繰り返したのだった。 好天に恵まれた豪華客船でのクルーズは実に素晴らしいものであった。一週間は文字通りあっという間に過ぎ去った。 さくらの姿が浅草の浅草寺の境内に見られた。鳩に餌をやり、本堂で本尊の観音様に向かって両手を合わせる。夜になってから、さくらの姿はスカイツリーの展望スペースに見られた。東京の夜景が美しく眼下に広がっている。 その数日後。さくらの姿は北海道にあった。彼女は特注の愛車をフェリーで北海道に送り、自身は空路で千歳に行き、愛車に乗って北海道の平原を思いきり疾走させるのが、唯一の趣味らしい趣味で、ここ数年は休止していたこの道楽を心行くまで、しばらくぶりに堪能し尽くしたのだ。 そして約束の一か月が経過する日の夕刻に羽田に着き、自宅兼事務所の麻布に還ったのが夜の八時頃であった。その直後に特別書留郵便の形で、一通の手紙が届いた。その手紙には次の如くに端麗な手書きの文字で綴られていた。 「 親愛なる はるの さくら 様 奇妙なお願いを申し上げました金田雪乃で御座います。御賢察の通りこれは偽名です。しかし貴女様を心の底からお慕い申上げる私の心までが偽りでは御座いませんの。私は現在ただ今、非常に困難な立場に立たされており、自分一人の力ではとても解決の道を見出すことは不可能でした。それが、貴女様の本当にお優しいお心に接して、意外な結論に達することが出来、強い驚きと同時に、非常な感謝の気持ちが身内に充満するのを、たとえようもない歓びの感情で受け止めて居ります。改めて、この度の御尽力に対して衷心よりの御礼を申上げます。 もう既に十分にお分かりの様に、私は金銭的には十分過ぎるほどに恵まれた、他人さまから羨望の眼差しを向けられる境遇には居りますものの、精神的には極めて貧しく恵まれない立場にあります。もちろん、私自身の努力と才能の無さが災いしている事は事実ですが、自分の乏しい力だけではどうしようもない事柄が山の様にありまして、絶望の淵に追い込められてしまったのです。 単刀直入に申上げます。わたくしは貴女様によって救われたのです。ええ、そうです、ですからさくら様貴女は私にとって神以上の存在ですわ。信仰の薄い私がこんな言葉を使うのは可笑しいようなものですが、私は世界中の誰よりも貴女様を強く愛し、お慕い申上げて居りますの。そして、その自分の気持ちを抑えることが出来ずに、今度のような茶番、ええ、実際そんな風にしか表現の仕様も無いバカげたお芝居めいた筋書を思いつき、実行に移したわけですの。 幸いに、愚かな私は貴女様のお優しく、賢明な御心によって救われました。そして、私は周囲の誰もが吃驚仰天するに相違ない結論を得ました。明日、私は自分の両親に今日まで強く拒否し続けて来た結婚の承諾を、笑顔で伝えるつもりです。今では死語となっている政略結婚の当事者としてです。最後にさくら様、貴女を お姉さま と一度だけ呼ばせて下さい。私は、真実の愛であなたさまを強く、強く、心の底から愛して居ります故。 怱々 かしこ 」 以後、ライフメンターのさくらはこの事件の報酬で得た巨額の資金を駆使して、世の為、他人の為に、正義の為に身を粉にして尽力する事になった。 ( おわり )
2019年03月25日
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第四百十七回目 想定問答として野辺地町の色々な方々にセリフ劇に対する理解を深めて頂く一助となればと考えて居ります。 電話でのやりとりである。 A 「初めまして、新しい芝居の形を御地に根付かせたいと考えている者ですが、お芝居の経験がおありと聞き、五十嵐氏からご紹介を受けてお電話しました」 B 「芝居の経験と言っても、素人の集まりで、それも色々の事情でここ何年もの間は休止していて、何しろ本業の仕事を抱えながらなかなか練習の時間も、思う様に取れないものですから。それに仲間の時間を合わせるのに一苦労で、定期的に公演を行うことなど非常に難しいことなのです」 A 「御事情に関しましては、おおよその想像はつきます。実は私、以前、長年テレビドラマに携わっておりまして、プロの劇団とか芸能関係の業界にはかなり精通している心算です。今回は御地の地域活性の一助になればと言う発想で、新しいコンセプトによる本当に画期的な芝居の形を提案し、それを実現させ町全体を活気づかせたいと希望しているのです」 B 「相当に難しい仕事だと思いますが…」 A 「はい、困難はどのような事柄にもつきものですから、その意味からは私も同意見です。但し御承知の通りに芝居には、その困難さを困難と感じさせない楽しさもありますから、その楽しさを大いに楽しみ、エンジョイ出来る工夫とアイディアを可能な限り膨らませ、むしろ楽しくて、面白くて、それでいて非常に人々の役に立つ、そういった方向に持って行けたらと考えているのです」 B 「はあ、そんな事が出来るものでしょうか」 A 「私は出来ると思いますし、むしろそうしなければいけないとさえ考えるのです。本当は電話ではなく直接お目に掛かってお話出来れば好都合なのですが、ごく掻い摘んで申し上げれば、芝居の謂わば原点に立ち返り、そこから、一から、スタートを切り直す。そいう事なのです。つまり、劇場という大掛かりな設備があって、それに伴う集客という商売的な興行という形態があって、当然に劇団という大所帯が形成されていて、それに付随する裏方のグループが必要であって、と言った具合に成立していた従来形の、既存の在り方を一遍綺麗さっぱりと取っ払ってしまう。その上で、観客一人と役者一人が直接に向き合う。しかも、客を呼ぶのではなくて、役者の方から進んで客の方に出向く」 B 「成程、確かに今までにはなかったかも知れない」 A 「強いて探せば、一人語り、一人芝居という形式があります。これとも似て非なるものであります。主体はあくまでも語り手、芝居の演者の方にあって客の方ではないから。私の提案するセリフ劇では主体は「客」の側にあります。患者の治療に医者の方が出向いていく往診に譬えることが出来る。事実、セリフ劇では役者は客の無意識の「病」を治療する。この点がセリフ劇の最大の特色と言えましょう」 B 「何となくは分かる様な気がしますが、少し無理があるようですね。芝居の観客は娯楽や面白さを求めているので、病人ではありませんからね」 A 「仰る通りですが、芝居の観客と役者を患者と医者に準えたのは飽くまでも比喩のつもりでした。でも、半面であながち比喩とばかりは言えない。現代はストレス過多の時代と呼ばれることがあります。このストレスが様々な病気の引き金や原因になっている事は周知の事実ですが、この心の中のストレスを綺麗に清掃してあげる。これを専門的には「カタルシス効果」と呼んでいますが、このカタルシス、つまり心の中の感情とか気持ちの浄化作用は芝居・劇・ドラマの持ち得る最大の強みでありまして、この強みにフォーカスして芝居を構築する」 B 「やはり何となく分かるような気がするだけです。自分たちの問題としては考え難いですね 、やはり。素人に医者の役割が果たせるわけもないし、専門の医者になるのがとても大変なのに、仮令(たとえ)比喩にしてもそんなに凄い医者みたいな役者になるのは、不可能でしょう。才能の問題もあるし…」 A 「それが、そうではないのですよ。何故、そんな断言が出来るかと言いますと、私はプロデューサー業の外に教師稼業も延べにして二十年余り経験しておりまして、その経験からの結論として弱点や短所を矯正するのは能力ではなくて、愛情や真心、誠意と言った心の力やエネルギーだと確信させられたからであります」 B 「と、謂いますと? 少し具体的に説明して下さい」 A 「畏まりました、喜んで御説明させて頂きましょう。電話ですし、お昼休みという貴重なお時間を割いて頂いておりますし、昼食を摂られる時間を邪魔することも憚られます。私は学校の教師としても、学習塾の講師としても新米だったのですが、どちらでも奇跡だと称されるような驚異的な成果を大勢の生徒から、結果的に収める事に成功しています。高校生から小学生まで多くの教科を指導したのですが、私の真心が生徒の心に響いたのであって、才能やテクニック云々の問題では全くありません。謙遜などではありませんで」 B 「教育の場と芝居の世界とは全く別物だと思いますが、貴男が立派な教師として素晴らしい成果を挙げられた事が、仮に本当だとしても、今度の芝居、セリフ劇との関係があまりピンと来ないのですが」 A 「教育の場でもそうなのですが、セリフ劇の世界でこそ人と人との直接対面が非常に大切な要素となっている。一方通行ではなく、互いが密接にコミュニケーションを取り合って、暖かな気持ちや感情を通わせ合う。客の喜びがそのまま役者の励みになり益々演戯に心が籠る。すると又直ぐに、ダイレクトに客の側にその暖かみが伝播・伝達される。心の交流、ハートとハートの直接対話こそ大切な事なのです」 B 「そうですか、でもそれは何も芝居でなくてもよさそうですね。わざわざ芝居をする必要も無いようですが」 A 「実は、その通りなのです、実際に。要は生きた人同士の血の通い合った本当のコミュニケーションが大切であり、重要なのですが、ここでコミュニケーションと言う事に関連して申し上げればこういう事があります。欧米の先進諸国で新聞記者が限られた紙面に、簡潔にして要を得た記事を書くために考案された5 w 1 h という言葉があります。when(何時)where(何処で)who(誰が)what(何を)why(何故に)how(如何に)の頭文字を取ったものです。これを使って現行の芝居・劇・ドラマとこれから新たに目指そうとするセリフ劇との違いを考えてみたいと思います」 B 「何か難しそうな話ですが、なるべく分かりやすくお願いします」 A 「承知致しました。先ず従来型で言いますと、何時:決められた一定の公演期間、何処で:劇場施設の舞台上で、誰が:プロ、又は、アマチュアの役者たちが、何を:観客に見せる芝居を、何故に:商売・興行・一種のショーを提供して入場料金を得るために。乃至は娯楽を提供して観客を楽しませる目的で、如何に:一定期間に稽古・練習を重ねる準備をして公演に臨むのが基本。になりましょうが、セリフ劇では、何時でも何処ででも、誰もが、見せる芝居ではなく、治療としてのパフォーマンスを目的に叶った同意に基づいて、対象とする人、または複数の人々を相手として、ストレスを主体とした心の清掃・カタルシス(浄化作用)を目的として実施する。それも思い立ったが吉日で直ぐにでも、心の準備を整えて、つまり対象者の心の淋しさや退屈を紛らす事も含め様々に相手の状況に熟慮した内容で、相手が迷惑と感じたり邪魔だと思ったりしない範囲で、飽くまでも対象者本位の言葉や詞章を中心としたパフォーマンスを、心を込めて行う。事前のリハーサルなどはあっても構わないが、本番即練習と心得て、実施体験を可能な限り数多く重ねる。それこそが、真剣勝負の 治療体験 こそが真の役者修行であると心得て、一期一会の出会いに命を燃やす。生命の輝きの限りを尽くす。これこそがセリフ劇の真骨頂であるからです」 B 「何だか急にひどく難しい、込入った話になってしまい、正直に言ってついて行けない気がするのです」 A 「これは失礼しました。私の方も話に熱が入り過ぎて、本質論と申しますか、急激に理想を語り過ぎてしまった嫌いがあるようです。もう少し、お付き合いをお願い出来ませんでしょうか。と、言いますのが、芝居・劇・ドラマを突き詰めて考えて行きますとどうしても人生をどう生きるかという、人生論に触れざるを得ないわけですね。人として私達はどう生きたらよいのか、そのベストの回答が芝居の在り方の中に隠されている、秘められている」 B 「成程ね、そんなものだったのですか。僕はまた芝居を楽しめばそれでよいと、軽く考えていたものですから」 A 「いえいえ、それで結構なのです。人生も楽しんで生きられたら、もうその先に何も求める物はないのでして。ただ」 B 「ただ、何でしょうか?」 A 「貴方の場合にはどうか分かりませんが、一般論として申せば、楽しく人生を生きると簡単に言いましても、実際には、生きて様々な難局に直面してみると、そう言葉で言うほど簡単な事柄ではないと知れます。昔から八苦の娑婆、憂き世と言われているように」 B 「確かに、そうかも知れませんね」 A 「俳優の修行は、よく人生の修行に通じている、と言われますが実際にその通りなのですよ。話が長くなっていて恐縮ですが、芝居・劇・ドラマを通して人間として成長していく。きっかけとしては地域活性化や商売としての成功を願うわけですが、本当の目的は、理想の着地点は大勢の人々の人間完成への道を拓くことにある。しかも無類に面白く、楽しいプロセスを大勢してエンジョイしながら、という極めて欲張った目論見なのでありますよ」 B 「段々、何となく良さそうな気はしてきましたが、まだよく理解出来ないと言うのが、正直な感想です」 A 「非常に率直な御意見が拝聴出来て、有難かったです。近いうちにお目に掛かる事が出来れば嬉しく思います。また、長々と電話でお付合い頂き感謝に耐えません」 B 「いえいえ、こちらこそ有難うございます」 A 「それでは、お目に掛かれる機会を楽しみにして居ります。失礼します」 一応は、これで終わりとしておきますが、続編は随時、サンプルストーリーなどと交互に書き継いで行く心算で居ります。
2019年03月22日
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第 四百十六 回 目 引き続き企画書のサンプル・ストーリーの積りで、拙速ながら暫らく書き進める予定で居りますので、御期待下さい。 「 野辺地のピーターパン 」 人物:のへパン(ピーターパンの遠縁に当たる妖精で、無邪気な悪戯が大好きである)、太郎、母親、その他 時代:一応は現代 場所:日本の何所か、と、空想の国・ドコデモない国 ある所に一人の少年が住んでいましたが、少年はとても孤独でした。一応は平屋の一軒家には住んでいましたが、母親と少年との二人暮らしです。学校から帰って何時もの様に母親が帰って来るまでの間学校の宿題を済ませようとしますが、あまり気が進みません。それでついうとうととうたた寝をしてしまったのです。ですからそれから後に起こった出来事は、夢の中とも現実とも、はっきりとは区別がつかないのですが、兎に角信じられないような素晴らしい世界に連れていかれ、信じられないような素晴らしい体験をする事になったのです…。 「君々、そんな風にうたた寝をしていると風邪をひくよ」と少年の声がした。 太郎「(眼を醒まして)君は誰?」と訊いた。だってそこに居た少年は見ず知らずの奇妙な恰好をした子供だったから。 のへパン「ボクは野辺地のピーターパンだけど、のへパンって愛称で呼んで構わないよ」 太郎「へーえ、そうなんだ、のへパンかぁ。僕はターちゃんてママから言われているからターちゃんでいいよ」と、一目でのへパンが好きになった太郎はいつもに似ずハキハキと答えた。 のへパン「それじゃあ、ター君、早速僕らの国・ドコデモない国へ行こうよ」 太郎「有難う、君ってとてもフレンドリーなんだね。僕、君が気に入ったよ、のへパン」 のへパン「それじゃあ目をつぶって、いち、にー、さんとゆっくり数を数えて」 太郎は言われた通りにゆっくりと「いち、にい、さん」と数を口に出して唱えました。すると急に何だか体が軽くなったような気がしました。 のへパン「目を開けて御覧」 太郎はまた言われた通りにしました。そして「わぁー」と今までに一度も出した事の無い大きな歓声を挙げていましたよ。だって、だって、太郎とのへパンの二人の体は空中の高い所に浮かんでおり、眼下には生まれて初めてみる見事なパノラマが広がって見えていたのですから。 太郎「うえーっ、信じられないよ。真下に見えるのは草原、その向こうに林、こちらは鬱蒼とした森で、あれは湖だし…、向こうの方には山並が連なっている。そして小川が流れているし、遠くには海が見えている」 のへパン「気に入ってくれたかい」 太郎「これを見て気に入らない子供は世の中には一人もいないよ」 のへパン「それじゃあ早速僕のお気に入りの場所に行こうか」と下に向かって急降下を始めた。不思議な事に太郎の身体も自然に動いて、空中を飛んで下に向かっている。 のへパン「さあ、着いた。僕はこの場所で木登りをするのが一番好きなのだ。君は?」 枝ぶりのよい大木が何本も立ち並んでいる林の中に今、のへパンと太郎の二人は居るのだ。 太郎「ボクはまだ木登りをした経験がないのだ…」としょんぼりと首をうなだれた太郎。 のへパン「大丈夫、心配しないで僕の後からついてくれば問題ないよ」と言うなりするすると猿か何かのように木に登り始めた。始め躊躇していた太郎は意を決して太郎の後に続いた。すると不思議、するするとまるで自分ではないみたいに易々と木登りが出来るのだ。 太郎はもう木登りの名人のように高い木のてっぺん近くまで到達している。 太郎「うわーあ、すごいよ。自分がまるで別人になったみたいだよ」 のへパン「気に入ってくれて、僕の方まで嬉しいよ。最高だよ」 太郎「ほんと、最高に楽しいね」 のへパン「僕と仲良しになってくれてありがとう、ター君」 太郎「ボクの方こそ有難う、のへパン」 二人は同時に朗らかな笑い声を発している。その声が周囲に木魂して笑い声の合唱のように聞こえる。 のへパン「あれはね、ボクの友人の谺(こだま)たちがター君を歓迎している合図の声だよ」 太郎は心の底から感動している。だって、友達からも誰からもこんなに喜んで迎え入れて貰ったことはなかったから。 のへパン「所でター君、君は咽喉が乾かないかい。ボクは体を一杯動かしたので咽喉がひどく乾いてしまった。そう、それじゃあ君にとびっきり美味しい水を御馳走しよう。僕のうしろからついて来て」と言うより早く、のへパンは木から木へと小鳥のように跳びはねながら、林の奥の方にと進んでいく。太郎はもう少し慣れて来ていたので、のへパンの真似をして楽々と枝から枝へと飛び跳ねて、のへパンの後に続く。その愉快な事、愉快な事。 やがて、二人の行く手にちょっとした空き地が姿を現した。その中央辺りに小さな泉があって、その泉からは清冽な水が滾々(こんこん)とわき出している。 のへパン「此処はボクの秘密の泉なのだ。滅多な友達には最初からは案内しない事になっていたのだが、ター君、君は特別の特別だよ。さあ、手ですくって飲んでみたまえ」と泉の縁(へり)に立ったのへパンが太郎を手招きして呼んだ。 太郎「(ひと掬い両の掌で泉の水を飲んで)うわぁー、旨い。こんな美味しい水は飲んだことはないよ、有難う」と非常に感動している。そして、太郎がひょいと近くの草叢を見ると、大きな光る物が二つこちらを睨んでいる。太郎はその光る物に射竦められたように、その場に動けなくなってしまった。 のへパン「ああ、あれは心配ない、全然怖くなんかないよ」と笑いながら太郎に声を掛けた。「あれはね、大蛇の白丸だよ。ター君、君を歓迎する目的で大地の中から姿を現したのさ。君はね、このドコデモ無い国全体から祝福を以って迎え入れられたわけさ。おめでとう」と太郎の肩をぽんと軽くたたいた。それで太郎の緊張は一遍に解けた。 太郎「僕はあんなに太くて大きな蛇を想像すら出来なかった。今、目の前にその姿を見ているから信じられるけど。この事をクラスの誰かに話しても、とても信じてはもらえないだろうな、白くて二十メートルか三十メートルは優にあるだろうからね」 のへパンは黙って笑っている。白蛇は静かに滑るように二人の少年の横を通り過ぎて、林の奥へを姿を消した。 しばらくすると、「ボクについておいで」と言い残しのへパンは近くの繁みの中に駆け込んで行く。太郎もその後ろを喜々として追う。それも、風のように速いのだ…。やがて二人は小川の畔に出た。 のへパン「さあ、水泳ぎしよう」 太郎「僕は恥ずかしいけれど全然泳げないのだよ」 のへパン「大丈夫、ボクの真似をして川の中に入れば、魚のように泳げるさ」 のへパンは、そう言うなり流れの中に身を躍らせている。太郎も躊躇なく後に続いた。何とのへパンの言った如く太郎は流れに乗って見事な泳ぎを見せている。 太郎「川の中で泳いでいるなんて、とても信じられないよ」 のへパン「最高だろう、ああ、さっき河童のキュウスケにター君に悪戯を仕掛けてはいけないよって注意しといたから、何も心配はないから」 太郎「有難う、のへパン」と、もうひ弱ないつもの太郎ではなくて、まるで自然児になったように逞しい泳ぎを見せている。 のへパン「さあ、これから海まで泳ぎ比べをしよう」 太郎「うん、君になんか負けないぞ」 二人の競泳が始まりました。そして気が付くともう海に到着していた。 のへパン「疲れたね、少し休もうか」と言うなり、顔を空に向けて海の上に横になった。太郎ものへパンに倣って海の上に身体を横たえた。大空を綿菓子のような白い雲がゆっくりと流れている。気分は爽快ですね。そして、いつの間にか寝込んでしまったようです…。 「たろう、御飯の準備ができましたよ」とキッチンから母親の優しい声がしました。それで太郎は眠りの世界から現実に戻りました。 キッチンに入ると小さなテーブルの上に、小さなケーキが載っています。 太郎「どうしたの、これは?」と訝しそうに母の顔を見た。 母「貴男の9回目の誕生日じゃありませんか、今日は」 太郎「なーんだ、そうだったか。僕、すっかり忘れてしまっていたよ」 母「お誕生日、オメデトウ、ター坊」 太郎「有難う、ママ」、言うなり太郎はケーキに突進しました。けれども、「ママ、ナイフを下さい」と言うのを忘れなかった。お母さんは引き出しからナイフを取り出すと、「私が切り分けて上げましょうね」とケーキを切ってくれた。太郎の分を少しだけ多くする配慮がありました。 太郎「頂きます」、言うなりケーキにかぶりついた。 お母さんの優しい笑顔が息子の姿を嬉し気に見守っている。二人だけだが何時もの楽しい夕餉がこうして今日も始まった。 窓の外から、のへパンのくりくりした悪戯っぽい目が二人の姿を覗き込んでいたのですが、二人はそれに気づかないでいましたよ。 ―― 以上で、今回のサンプルストーリーは終わり、です。
2019年03月21日
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第 四百十五 回 目 兎に角、始めた限りには絶対に成功を期さなければいけません。後にも先にも、私達のセリフ劇は空前絶後の試みでありますから、私以外の誰にも将来の展望が見えませんので、出来るだけ間違のない成功への確証が欲しいと思われますし、それも尤も至極と考えますので、可能な限りの具体的な保証と証明を致してみたいと思っております。 そこで思い出したのがテレビドラマの企画書の事でした。東京のキイ局に提出して制作発注の検討材料として貰う書類のことです。企画意図、原作、乃至は、オリジナルの別、イメージのキャスト案、監督、粗筋、予算、等々を記した大まかな青写真の如きもの、であります。 この企画書風に、確実にヒット間違いのない作品を今現在の段階で思い浮かぶままに、洗い出してみようというものです。 目下試作中の「ババもの」も私達のセリフ劇中の目玉作品に仕立て上げるものですが、野辺地の人々の御意見なども参酌しながら、様々な調整を加え文句の無い傑作に仕上げる積りであります。 「 野辺地のピーター・パン 」 のへじパンこと、ちょっとドジなところのある妖精が主として子供達に夢を与える、冒険と夢と愛の物語。映像なら特撮や特殊メイクなど予算が膨大に掛かるところだが、イマジネーションに訴えるセリフ劇の特徴を最大限に利用して、面白さと楽しさの限界に挑戦する、奇想天外で無類にエンターテインメントなシリーズである。 「 腰抜け! 卑怯者さむらい 見参 」 見かけは立派で人柄もすこぶるよく、誰からも愛される浪人・清川平四郎を主人公に据えた痛快時代劇シリーズ。彼が行くところいつでも面倒な事件が勃発してしまう。彼・平四郎が見かけ通りの立派な剣の使い手であれば、何の問題も無いのであるがどう言うわけか、平四郎は驚くような腰抜け振りを見せて、「平に、平に御容赦を。拙者は腰に剣を差してはいるが竹光で、赤子の様に軟弱でござる」と相手の無頼漢に平身低頭、地面に這いつくばって謝り、挙句の果てに気絶してしまう。そして、その場に居合わせた誰もが無頼漢の狼藉が凱歌を奏するのかと、絶望の溜息を吐いたその次の瞬間に、何処からともなく忽然と姿を現した紫頭巾に面を包んだ快剣士が、胸のすくような見事な剣さばきで悪人をなぎ倒し、又何処へともなく姿を消す。と、それまで気を失って物蔭に横たわっていた平四郎がのこのこと出て来て、「面目次第も御座らぬ」と頭を掻きながら言うのだ。事件は謎の紫頭巾の活躍で無事に解決済みであるから、一件落着で皆から暖かく迎えられてハッピーエンドとなる。御推察の通り、謎の快剣士は平四郎の裏の顔であり、そのからくりを知っているのはゲストだけで、劇の登場人物たちは知らない秘密である。 「 美人マジシャン・こまち、大活躍 」 七変化する正体不明の女性のマジシャンが大活躍する痛快なドラマ。謎解きあり、恋あり、笑いあり、冒険活劇ありと面白さ満載の娯楽大作であります。 或る時は街角の占いお姉さん、またある時にはタクシー・ドライバー、そして又、或る時には世界的に有名なスーパーモデル、そしてその正体とは…。 様々な難事件に挑戦して胸のすく推理と豪快なアクションで庶民の中の弱者を救済する、ヒロインのマジシャン・こまち。乞う! 御期待。 「 じょっぱり男が行く 」 風采の上がらないフーテンの寅さん風の中年男が主人公の大型人情喜劇。「負けてたまるか、泣いてたまるか」と絶えず苦境に立たされながらも歯を食いしばって奮闘努力を続けて、決してめげる事のない風来坊の人情味溢れる、時代遅れな生き方を中心に、古き良き時代の人間味を今の時代に伝えながらひっそりと社会の片隅に生きている、生きた化石のような庶民達に焦点を当てて描く笑いと感動のドラマである。主人公の「粗(あら)の小路 とろ麻呂」の活躍に満腔の声援をお送り下さい。 ここまで書いて来て気付いたのですが、大ヒットさせる材料には事欠かないという事実です。これまでの劇・ドラマ・芝居で興行的に大成功を収めた作品なども含めて以上のシリーズ群で、十分過ぎる題材を全部収容した上で、更にその上を行く面白いエンターテインメント作品が問題なく、しかも容易に制作可能だと、明瞭に見極めることが出来た。これは何よりも予想外の事実であり、呻吟し続けていた私・草加の爺にとって最大の朗報となりました。 この企画書まがいの宣伝文を書くことに、当初は拘りと言いますか、あまり気が乗らなかったのですが、セリフ劇に理解の浅い人々の為にと行動を起こしたのですが、「情けは他人の為ならず」の格言は今回も物の見事に的中しまして、一番に大きな得を手中にしたのは、他ならないこの私だと知らされた。本当に、有難い事だとしみじみと感じ入っている次第。殆ど毎日の様に背中をぐいぐいと押されて、実際に励まされている。不思議と言えばこんなに不思議な事もありませんね。 ところで、セリフ劇を立ち上げるにはヒットしなければいけない。ヒットさせるためには誰にでも無条件に受け入れられて、しかも無類に面白くなければいけない。 ところが、既にして言い出しっぺの私には、その確証が、しっかりとした、揺るぎの無い手ごたえが得られてしまった。セリフ劇にはそれだけの利点が最初からあったから。そう一言で済ませてしまえば、それきりなのですが、これって一種の奇跡の様な驚異の事実なのです。 何故って、一円の予算もなしで新しい産業を立ち上げるなどとは、先ず人間技では想像すら出来ない事柄ですから。通常なら、狂人の戯言と一笑に付されてしまって、それまでの話にしか過ぎないのですから。 ここで昔話をひとつ。或る大きな映画製作会社の部長に対して若い頃の私がテレビではなく、映画の企画を提案する目的で面談した際のことです。後に社長に出世した某部長は一応私の企画書に目を通してから、おもむろにこう言ったものです。「古屋さん、映画の企画を本気で実現させるお積りなら、トップアイドルのスケジュールを押さえて来て下さい。そうすれば、直ぐ映画を発注しましょう。どんなに素晴らしい企画を練り上げても無駄ですよ、今は」と。私は唖然として、開いた口が塞がらない気持ちで、映画の企画を考えるのを止めにしました。既に斜陽と言われていた映画界ですが、ここまで堕落しているとは気づかなかったから。 若手とは言えプロデューサーとしてのキャリアを充分に積み、経営者としての立場も十二分に弁えた時期でしたから、ペイ出来ない作品を慎重に見極めたい先方の気持ちは痛い程に分かってはおりましたが、物を作る者の本能とでも言うのでしょうか、厳しい予算的な制約内で少しでも良質な娯楽作品を制作したい熾烈な意欲に燃えていましたから、頭から冷水をかぶせられたような気分になった事を、現在でも鮮明に記憶に留めています。 その点で、今度のセリフ劇の場合には、実にタイトな予算上の制約から解放されて、質的な向上だけを考えればよいフィールドは、実際夢の如き環境に思えます。盆と正月が一緒に来たような感じとはまさにこの様な事を言うのでありましょう。 勿論、セリフ劇と言えどもゼロからのスタートですから、金銭上の苦労が皆無と言うわけではありません。しかしながら、私がテレビドラマのプロデューサーとして長年甞めざるを得なかった辛さや苦しさに較べたら、物の数にも入らない。そうしたものでありますね、間違いなく。 「観客」としてのゲストに劇に対するマインドを持って頂くだけで、金銭的な縛りの九割はすぐさま解決してしまうし、劇に対するマインドと申しましても「舞台上の劇」は治療としてのパフォーマンスである心得を弁えて頂くだけですから、直ぐに慣れて造作もなく誰でもが体得出来る類のものですから、何も問題は有りません。 こうして私は非常にラフではありますが、逆に言えば丁寧に過ぎるシュミレーションを試みたような結果になりましたが、余りにも障害らしい障害が発見できなかった事に、ビックリすると同時に強い感動と言うよりはむしろ呆れてしまった。極端な話をすれば、本当に私・草加の爺が必要であったのは此処までのプロセスであって、これから後は一寸だけ意欲を掻き立てて頂けるのであれば、誰でも間に合うし、任務を遂行可能だという明白な事実でありました。 だから、腰を落としてじっくり構え直せ。そう愛妻が私に注意を促している。人々の為になりながら尚且つ自分自身の本当の人生の仕上げを、存分にエンジョイして下さいな。そう言ってくれている。 そして、私に続く後継者の育成に全力を注ぐようにと注意の喚起も忘れていない。取り分け、台本作者・シナリオライターの養成には時間がかかるので、一日でも長く地上に居て、可能な限りの指導を忘れないようにしてください、とも熱を籠めて説得する。御尤も、と私はまたまた襟を正さざるを得ない。道が明白に示された以上は昼寝などをしている余分な暇などはない。それは分かり切ったこと、これまで以上にむきになって、寝食を忘れてプロセスを堪能し尽くさなければ、それこそ罰が当たろうというもの。 野辺地の町の方々、御一緒にお祭り騒ぎでセリフ劇というお神輿を担ぎ出し、精一杯楽しい未来を招き寄せようではありませんか。不束者ではありますが、どうぞ仲良くしてやって下さいませ。
2019年03月17日
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第 四百十四 回 目 「 殺したい 男 」 ( コントの 試作として ) 時代:現代 場所:大都会の大通り 人物: 若い男 少女 母親 若い女性 ババ ジジ その他 休日の昼間。歩行者天国の路上は家族連れなどで賑いを見せている。風船を手にした少女が一人で青空を見上げたりして楽し気に遊んでいた。突然に若い男が横から走って来て少女を後ろから抱きかかえるようにして、 若い男「寄るな、邪魔をするとこの子の命がないぞ」と悲鳴のような声を上げた。 見ると若い男は少女の首に左腕を回して動けなくしながら、右手に持ったナイフのような凶器を周囲に集まって来た群衆に見せつけるようにして、少女の耳の辺りに翳している。少女は恐怖で声も出せないでいる。そこに誰かの通報を受けたのであろう、数名の警察官が駆け付けて来た。 少女の母親「私の娘です、お巡りさん、どうか助けてやって下さい」 警官「おい君、その子を放しなさい」 男「側に寄るな、近づいたらこの子の命はないぞ。俺は誰でもいいから殺そうと思っている、嘘じゃないぞ」 既に周囲は山の様な人だかりになっている。若い男の眼は異様に血走り、体まで小刻みに震わせて殺気立っている様子が、ありありと見て取れる。その時、 若い女性が「誰でもいいのなら、その子の代わりに私を殺して下さいな」と人垣から二三歩前に進み出た。 男「来るな、来たらお前も一緒に殺してやる。俺は今本気なんだぞ」と金切り声を出して凄んだ。女性は尚も冷静に男に声を掛けた。 女性「あなたは誰か人を殺したい。そんな幼気(いたいけ)な女の子を殺さなくとも、この私を代わりにして下さいな、お願いだから」 男「来るな、それ以上近寄ったらこの子供を殺すぞ」 女性「お願い、代わりに私を殺して」と立ち止まったままで哀願している。すると首を男にホールドされていた少女が大声を挙げて泣き始めた。動揺する男。手招きで女性にこっちに来いと合図し、女性がそれに応じて近寄ると男は少女を突き放して解放し、女性の腕を掴んでその首にナイフを突きつけた。少女は泣きじゃくりながら近くに居た母親の腕に抱き取られている。 男「誰も近づくのじゃないぞ」と周囲に血走った視線を走らせる。 女性「有難う。私、早く死にたいから直ぐに殺して」と下を向いたまま、極めて冷静に言う。 男「あんた、どうしてそんなに死にたいのだ」、男は何か怯えた様に訊いている。 女性「わたし、昨日から自殺しようとして死に場所を探していたのだけれど、なかなか死ぬ決心がつかなくて…」 男は明らかにぎょっとして、意表を突かれた形である。周囲の人垣は事情が分からずに固唾を飲んで二人の様子を見守っているだけ。すると、そこにひょろひょろとよろめくように姿を現した人物がいた。ババである。 ババ「吾を殺して、その人を助けて上げて、お願いだから」 男「誰だお前は、何の用があるのだ。俺は、この俺はやけになって誰でもいいから人を殺したいと思っているのだぞ、分かっているのか婆さん」 ババ「分かっていますよ、分かっているからその人の身替りになるために、吾は出て来たのですから、どうかその若い方を助けて上げて…」 男は、わけが分からないといった表情で暫くババの顔を見ていたが、若い女性にあっちへ行けと言う様に顎で合図した。しかし女性は尚も男にせがむように「私を早く殺してください」と迫っている。すると男は突然「もうやめた」と言うなり手に持っていたナイフをぽとりと地面に落とした。それを見た警官達が走り寄って男を逮捕した。 一年後の同じ場所。やはり休日の歩行者天国が行われている。日がうらうらと照る実によい日和である。路上に設けられたベンチに腰掛けて仲良く会話をしているババとジジの姿がある。 ジジ「浦島太郎の話は知っているよね」 ババ「助けた亀に連れられて、竜宮城に来てみれば、のあれでしょ」 ジジ「そう、そう。俺はあんたと一緒にいると竜宮城に来た浦島太郎みたいな気持ちになれるんだ、倖せ一杯だよ」 ババ「それは安上がりでいいね、あんたは本当に頭がいいね」 ジジ「有難う。その褒め言葉が又嬉しさに輪をかけて殆ど有頂天にしてくれる。有難いことだよ、実際の話が」 ババ「おめえは本当に頭がいいと吾は思うんだけど、時々、本当に時々なのだけれど、もしかしたお目出度い方なのかも知れないと、疑いを持つこともあるよ」 ジジ「俺はお目出度い奴だと考えて呉れた方が気楽でいいのだけれども」 ババ「ほれ、ほれ、それがあんたさんの凄い所で、吾はただただ感心してしまう」 ジジ「そんな風に好意的に俺を解釈してくれるのは、世の中が広いと言ってもあんた一人だよ」 ババ「あれまあ、これじゃあ何処まで行ってもお互いの褒め殺し合戦みたいだね」 その時、ジジが少し離れた所を歩いていた女性が財布の様な物を落としたのに気付き、声を掛けた。 ジジ「あの、其処の方、何か落されましたよ」、ベンチから立ち上がって小走りに駆け寄って落し物を拾い、振り返った女性に手渡した。 女性「これは御親切に有難うございます。私すこし考え事をしていたものですから…」、深々とジジに頭を下げた。元のベンチに戻るジジの姿を見送っていたが、 女性「もしや貴女様は、あの時の」とババに声を掛けて来た。ババもベンチから立ち上がって、 ババ「吾もどこかでお見掛けしたお方だと思ったのですが」 女性「やっぱり。まあ、奇遇ですわ」と感激の面持ちである。 ババ「どうぞ、ここにお掛け下さいな」とジジとの間にスペースを作った。 女性「失礼致します」と女性も腰を下ろした。 ババ「とてもお元気そうに見えますが、その後は御元気でお暮しですか」 女性「お陰様で何とか暮らして居ります。(ジジに語り掛けるように)こちら様には昨年大変なお世話になりまして、あの、命の恩人なのです」 ジジ「それでは貴女はあの事件の…」 女性「御存知でしたか、人生に絶望して死にたい死にたいと思い詰めていた際に、通り魔の様な恐ろしい事件に遭遇しまして」 ババ「吾も偶々、人と待ち合わせをしていて、うっかり者なので約束の場所を忘れてしまって、とても困っていた時にあの事件が持ち上がって」 女性「私は死に場所を求めていたわけなのですが、柴田様はそんな心算は全くなかったわけですから、あの折にも警察の方にお話したように、人間離れした勇気に強く心を打たれました」 ババ「まあ、吾の名前まで憶えていてくれて、感謝感激です。吾は勇気どころか、全身がぶるぶる震えていて、気が動転してしまって、さっぱり訳が解らない状態だった」 女性「とてもそんな風には見えませんでしたよ。私の命の恩人です、改めてお礼を申上げます。その節は本当に有難う存じました」 ババ「何の、何の。怪我の功名みたいなもので、本当にお恥ずかしい」 ジジ「このババは実に素晴らしい人なんですよ、実に」 すると、そこに一人の男がつかつかと寄って来た。 男「あのぉー、大変失礼ですが、もしやあなた方は昨年の ― 」 ババと女性が同時に驚きの声を発している、「貴男はあの時の」、それ以上は言葉にならないのである。 男「やっぱりそうでしたか。何だか今日の日にこの場所に来ればお二方にお会いできる様な気がしたものですから、兎に角無我夢中でやって来たのですが」 ババ「まあ、立派になって、吾すっかり見違えてしまった」と感激している。 女性「(も大感激の面持ちで)何だか、不思議な御縁を感じてしまいますわ」 男は両目からぼろぼろと大粒の涙を流している。 男「お二人のお蔭ですっかり心を入れ替えて、完全にリセットして、一から人生を再スタート切ることが出来ています。今は生きているのが最高に楽しいです」 ジジ「それはよかった。大嵐が来て、地面が盤石に固まった。目出度し、目出度しですな」 こうして不思議な縁によって奇妙な邂逅をした三人が、再び実にハッピーな再会を果たすことが出来たのであった。 更に一年後の同じ場所。歩行者天国で賑う路上で、例の男と例の女性に依る人前結婚式が行われている。仲人兼立会人代表は勿論ババとジジの二人。結婚式と言っても特別な事は何もない。四人の服装は平服であり、指輪の交換さえない極めてシンプルそのものといった内容。クライマックスは花嫁から白いバラが一輪新郎に贈られるだけ。新郎と新婦が声を揃えて結婚の宣言をする。 新郎と新婦「わたし野村一郎と、わたし中村美香とは、不思議な縁で結ばれて今日から夫婦として一緒に生活を始める事に致しました。どうぞ、宜しくお願い申し上げます」 ババとジジ「本当におめでとう存じます。どうぞ、幾久しく仲睦まじく生活されますよう、心より祝福申し上げます」と言い終えて、暖かい拍手を送った。と、周囲からも盛大な拍手が沸き起こった。本当に幸福そうなカップル、ババもジジも若いカップルに負けずに幸福そのものである。 この日も雲一つない快晴である。 《 ジ エンド 》
2019年03月13日
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第 四百十三 回 目 ここで理想とするセリフ劇の在るべき姿や形はそれとして、先ずは野辺地の町にしっかりと根付き絶大なる人気を博すると言う事がなくては、唯の画餅、絵に描いた餅で食べられないし、実用に適さない。それを今度の場合にどう考えて、どの様に実現していくのか。それを出来るだけ具体的に説明したいと考えました。 つまりのっけから、出だしから強烈な印象を与える内容を連発する商法が考えれるのですが、これは私の独断でなく、野辺地の地元の方々と一々について相談しながら事を進めるのがベターでありましょうから、ここでは飽くまでも材料を提供して、妥協案で行くか、それとも徹底して理想の姿を追い求めるか、色々の方策がある事を知って頂くのが先決事項でしょう。 例えば映画の初期にチャップリンとかバスターキートンと言った人気者が出ました。わが国でも目玉の松ちゃんとかエノケンなどが活躍した時代がありました。私が目下試作で力を入れているババものもそうした一連の人気者を作り上げたい願望によるものであります。しかし、人気者を仕上げるにはどうしても時間がかかります。 で、時間を掛けずにと言いますか手間暇を省略して、非常に強烈なキャラクターを登場させて勝負する手法も考えられる。一例を挙げれば二時間もののテレビドラマのジャンルにサスペンスの謎解きドラマが大流行しましたが、その路線を取り入れるもの。ただし、テレビや映画の如く主としてスぺクタクルやスピードを売物にして視聴者や観客の興味や関心を過大に惹こうとした場合には、予算という厳しい制約が足枷となって製作者側を非常に悩ます事になります。 しかし私達のセリフ劇では主として主役たるゲストのイマジネーション・想像もしくは創造力に訴える性質上から、予算上の制約は皆無であります。その点はアニメや劇画も同様だと思う向きもあるかも知れませんが、実はそうではないのです。アニメや劇画もまた実写と同様にと言うよりは、アニメや劇画こそ制作過程で膨大な手間と時間を必要として、金銭的な製作費の制約を大きく受けるのが普通です。 このセリフ劇にだけ許された利点を最大限に生かせば、人間の想像の翼が及ぶ範囲のあらゆることあらゆる夢や願いがたちどころに叶い、実現されるわけでありますから、これ以上の魔法の杖はなく、空飛ぶ絨毯もドラえもんの何処でもドアも、タイムマシーンでさえ可能でありますよ。要するにセリフ劇の場では人が真の意味の自由を、自在感を十二分に満喫出来るのでありますね。 外観上、或いは、視覚的なリアリティを脱して、心理的、乃至は、感情的なリアリティさえ外さなければ歴史上で厳しい制約が課せられた軛(くびき)が事実においてなくなる。これは普通に考える以上に大きな、大きな恩恵であります。 つまりカタルシス効果だけ外さなければ、どんなことでも許される。勝手放題が制限なしで飽きるまで出来るのですから、まさに地上での薬園、ユートピアそのものなのですから。 具体例を示しましょう。シェークスピアが創造した人物の中で最も人間臭く興味ある、怪物的なキャラクターのサー・ジョン・フォルスタッフと言う男性がいます。この想像上の人物の子孫が何故か日本に居た。堀須 達夫(ほりす たつお)人呼んで ほりたつ がそれです。 二十一世紀のピカレスク(悪漢物語)の痛快なヒーロー、極悪非道の悪人を懲らしめる為ならどのような卑劣で悪辣な手段をも厭わない、フォルスタッフ十世こと堀須達夫が縦横無尽に活躍する胸がスカッとすくようなストーリーはいずれ近いうちに予告編として、試作する予定で居ります。 また、子供達の代表的なヒーローとして「のへじのピーターパン」が活躍する冒険物語も準備していますし、天才喜劇役者の渥美 清が演じたフーテンの寅風の三枚目、横車押太郎を主人公に据えた人情喜劇も用意するなど、即座に大衆に受けるスタートにもおさおさ怠りなく気を配って居ます。実際にパフォーマンスを開始する際に、地元の方々ともじっくりと話し合いをして、ハイブローで押し通すのか、それとも妥協する現実路線にするのかを決めて行きたいと、今は私一人の胸の中だけで考えを温めている。 その他にも、テレビドラマの大作か映画での実現を企図した経験のある「吉原御免状」、「猿飛佐助三世」、「怪傑自来也」(ガマの妖術を使う主人公ジライヤと大蛇丸とナメクジの精クシナダ姫が三つ巴で争う戦国時代物語)、「神州天魔境」(大鷲に乗った少年が大活躍するアドヴェンチャーもの)など子供から大人までが楽しめる痛快娯楽作品が目白押しに候補作品として控えています。 何度でも諄いほど繰り返し強調する必要のあること、私達が目指す新しいコンセプトによるセリフ劇でもっとも重要視されなければならないのは、舞台上にいる劇の役の上の主人公ではなく、客席に居るゲスト達なのですね。劇はショーや興行として見物する対象ではなく、劇場は癒やしという一種の医療行為が行われる治療の現場でありますよ。 ですから舞台の上の劇の進行はどんな場合でも、この真の主役であるゲスト本位でなされなければなりません。当然に、劇の内容もそうです。あらかじめ決められている台本の筋書によって舞台の上の進行がなされるとは言え、ゲストとの謂わば諒解の下に万事が執り行われる事が、前提であります。 と、いう事は俳優は勿論のこと、ゲスト側もある程度の訓練や心構えが必要になる、ということを意味しています。と申しましても唯馴れて頂く必要があるというに過ぎませんが。 つまり何も難しい要求などではなく、ゲストの側に積極的な協力があって欲しいという事。癒やしというカタルシス効果が上手く完了する目的の為に。 変な言い方をするようですが、万が一にも舞台上の俳優が大根のような拙い演技をしていても、主役たるゲストは御自分の治療の為の手続きに必要なのだと心得て、最高の演技が舞台上で遂行されていると考えてパフォーマンスを可能な限り補助して、ゲストとしての役割を完遂して頂きたい。それがセリフ劇におけれ真の主役たる者のマナーであり、大切な役割なわけであります。 このゲストとしての重要な心得は、譬え天才俳優の最高の演技が舞台上で展開された場合でも、変わることの無いもの。つまり、最高の観巧者が劇における最大の恩恵を享受できるという、セリフ劇の持つ特色がここにおいて最高度に発揮される。ですから、俳優以上にゲストの側の精進と訓練こそ肝腎要のポイントとされるわけなのですね。しかも、初心者であれば初心者なりの最低限の恩恵は確実に保証もされていると言う、至れり尽くせりの善い事ずくめなのですから、文句のつけようもない。 小説では色や匂いが、或いは肌の触感が曖昧なことがマイナスに作用する傾向が顕著だとすれば、イマジネーションに強く訴え、ゲストの能動的な協力を前提とするセリフ劇は、作者の一方的な描写に対して終始受動的な立場に立たされる事の多い小説とは、大いに違っている。初心者は初心者なりに、また上級者は上級者なりに、その能力や置かれている状況その他に応じて、多様で豊富な能動的な体験に高める道を担保する分だけ、比較の対象にならないくらいにセリフ劇は傑出した利点を保持しているのだ。 以上の点に関しても、実地に則しての解説が必須なのですが、現時点ではおおよその感じを把握して頂ければ結構です、はい。 このようにしてセリフ劇は個人のレベルでの健康増進と維持とに欠くべからざる非常に大切なものであると同時に、究極においては人類の平和と安寧に限りもなく大きな貢献をなす、重要な具体的な行動であり、パフォーマンスでもあるわけです。 その大きな、大きな可能性への扉が人類の歴史始まって以来初めて、大きく広く開かれようとしている。一歩、一歩の着実にして楽しい為になる歩みが、そのままで究極の世界平和実現の理想に直結している。セリフ劇の効用を正しく知り、毎日の日常生活に役立てる。それが取りも直さず人々の切実な願いである争いの無い、諍いの見られない社会の現実化の道である。延いては世界の安寧、福祉、協調、そして真実の平和の到来にと直結する。 このような夢の如き願望が私達の喜びの声の中から現実化される。オーバーでも誇張でもない。始めたその日から一人一人に実感できる、極めて確実で手堅い行動であるわけでありますから、無視したり傍観していたりしては本当にバカ馬鹿しいではありませんか。 踊る阿呆に踊らぬ阿呆、同じ阿保なら踊らにゃ損々と言って、誰もがこの無類に楽しい歓びの輪に参加しようではありませんか、如何…。 念の為に申し添えるのですが、何事でも最初に何かをし始めたり、発見したりすることは、人が後で考える程た易い仕事ではありません。コロンブスは人類史上で初めてアメリカ大陸を発見したとされていますが、コロンブス以後にアメリカ大陸に渡ることは格段に容易になりました。 劇の効用や娯楽的な魅力の豊富さに気付いたのは勿論私・草加の爺ではありません。しかし、地域活性化の発想から大々的なエンターテインメント事業を発想し、予算無しで一つの産業まで発展させる目論見を発表した人は、私以前には誰も居りません。 世の中には、石橋を叩いてもなお渡ろうとしない過度に用心深いお人がいるようであります。しかし、今度の「石の橋は、間違いなく堅牢にして鞏固」であります。無論、渡らないのは勝手であります。しかし、敢えて「冒険する価値だけは多大にある」と申しましょう。何も失わないどころか得る所だけなのですから、手を拱いていて損をするのはどう考えてもバカ馬鹿しいではありませんか。蛇足ですが、私は誘惑的な言辞を弄して勧誘をするものでは断じてありません。事実を有りの儘に申し上げているに過ぎませんよ。
2019年03月09日
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第 四百十二 回 目 「 かんにん 袋 」 (試作としてのコント) 人物:若い夫婦、その友人 A と B 、ババ、ジジ 場所:或る家の客間 日曜日の昼下がり、この家の妻が友人の A と仲良く話をしている。 妻「私、倖せ過ぎて何だか怖い位なの。でも、その癖に時々急に、発作的に死にたくもなるの。こんな話をするのは初めてだし、あなた以外には話せない事だけれども」 A「(黙って相手の顔を見詰めている)」 妻「そりゃあ、平のサラリーマンの身分でローンとは言え、こんなに立派な家に住めて本当に羨ましいって、皆から羨ましがられているわ。それは事実だけど…」 A「何だか訳の分からない不満があるのね」 妻「そうなのよ、少しは理解してもらえる」 A「分からない、私には。だって貴女少しも不満があるようには見えないし、見るからに倖せそのものだって顔をしているもの」 妻「そうでしょう、自分でもそう感じることがある。そう言う時にわたし、鏡で自分の顔を覗いて見ることがあるのよ。そうすると、鏡の中の私の顔は少しも不満がある様には見えない、あなたが今言ったように」 A「そうだわよ、だから貴女は何のかんのと言っても、倖せそのものなのよ。周囲の皆から心底羨ましがられる」 妻「厭だわ、そんな風に誤解されるのが」 A「わかった、分かった」 妻「何がなの?」 A「貴女は結局惚気ているのだわ、お人が悪い。真面目に、本気で聴いているこちらが馬鹿なのだわ」 すると、玄関の方のドアが開けられて、夫とその友人の B が姿を現した。 妻「あら、早かったのね。今お茶の用意をしますからね」と台所の方へ去った。夫も B もそれぞれに席に着いた。 B「それで、話はうまく進んでいるのですか?」と A に声を掛けた。 A「それがどうも怪しげな調子なのです」 夫「と言う事は一体どういう事なのでしょうか、妻はやはり一種のノイローゼの様な状態なのでしょうか」 A「それがどうにも判断がつかないのです、私には」 夫「家内の子供の頃からの付き合いのある貴女がそう仰るのですから、その通りどっちともつかない心理状態なのでしょう」 B「君の最終的な判断は、どうなのだろうか、本音の所では」 夫「さっきも話した様に、病気だとも言えないが、そうかと言ってこの儘放って置くことは出来ない、一種微妙な所にある様な気がしている」 そこへお茶の用意を終えた妻が戻って来て、それぞれにお茶やお菓子などを勧める。 夫「ねえ、君。どうだろうか、彼女も彼も一様に勧めるのだけれど、一度柴田さんに会ってみないかい、試しに」 妻「あら、その柴田さんて方、私は初耳ですけど、一体どんなお方ですか」 A「それについては私が説明した方がよいかしら。柴田さんというのは年輩の御婦人でとても評判の良い方なの。色々と困った事があると相談に乗って、親身に解決法を教えて呉れたりするの」 妻「あら、そうなの。でも私は今特別に困った事などないけれど、さっきもお話したように」 Bに促されて夫が再度妻に語り掛けた、 夫「実は、僕が二人に相談を持ち掛けたんだよ。僕たち夫婦は特別に問題があるわけではないけれど、ちょっとした倦怠期とでも言うのか、主として僕の方が気にし過ぎている面が確かに多いのだけれども」 B「それで、出過ぎた事をするようですが、実は勝手ですがその柴田さんをお呼びしていて、家の外で待ってもらっているのです」 夫「どうだろうか、此処は友情に甘えることにしては」 A も B も同時に頷いている。 妻「仕方ないわね、外でお待ちいただいているのでは、お願いするしかないわね」 時間経過。元の応接室に夫婦とババの三人がいる。 ババ「この布で出来た袋は見た所は何の変哲もない、安物の袋ですが、実はとても不思議な性質があるのです」と、布製の小さな袋を夫婦二人に示した。妻も夫も興味津々といった面持ちでババの話を聞いている。「この紐を緩めて口を広げ、何か思った事を袋の中に言葉として吐き出すとその声は本人以外には、近くに居る人にさえ聞こえない」 このババの言葉を耳にした妻も夫も同様に、信じられないと言った表情をした。 ババ「試しに奥さん、何でもいいですから袋の中に大きな声で言ってみて下さい」 妻は袋を受取ってから暫らく躊躇していたが、やがて意を決したように言った。 妻「この私の、おおばかものめが!」、言い終わってからババの顔を確かめるように見た。 ババ「えっ、何ですって、何か仰いましたか?」 妻は一瞬信じられないと言う表情になった。そこでババがすかさず、夫に訊いた。 ババ「ご主人は何か聞こえましたか?」 首を横に振る夫。しばらくはとても信じられないといった面持ちでいた妻が、 妻「私、ほんとうの本当を言えば、不平や不満、言いたいことが沢山あった」と言葉を一度切ってから、ババと夫の顔を確かめるように見た。ババも、そして夫も何も聞こえないという事を目顔で伝えながら、同時に首を横に振った。妻はそれに勇気を得たように続ける。「わたし毎晩寝床の中で泣いていたよ、昼間は、明るい裡はそれでも家事やら育児やらで気が紛れて、自分の気持ちに向き合わないで済んだ。でも、夜は夫が、あなたが直ぐ横に寝ているから余計に自分が此の世で独りぼっちだって、強く、強く感じた。寂しかった、切なかった…。ご近所の親しい女性達がみんな羨ましかった、だって、だって、仕事や子育てで楽しそうに輝いて見えたから。自分だけだ、上辺は何気ない風をしていても、いつも何か不足で、何か分からないけれども不満で、そんな自分を誰も分かってくれないのだって……」 数日後。大衆食堂のテーブル席に座って仲良く食事をしているババとジジの姿がある。 ババ「ここの味噌ラーメンは何時食べても美味しいね」 ジジ「本当だ、世界一旨いよ」 ババ「吾は世界一の果報者だと、しみじみ思うよ」 ジジ「俺もだ、食う物は飛び切り旨いし、あんたは別嬪さんだし、いう事ないよ。所で例の若い夫婦の事だけど、どうなったの」 ババ「ああ、その事、その事。ついうっかり報告するのを忘れてしまっていた。お蔭で大成功だった」 ジジ「そう、それはよかった。やはり何か目には見えない原因があったのかな」 ババ「原因という程の事ではないけれども、当事者にとっては些細な事では済まされないからね、まかり間違えれば命取りにもなり兼ねない」 ジジ「そうだね、他人から見ればゴミ程に小さな事でも、それで悩んでいる者にとっては山位に大きな問題なのだから」 ババ「それにしても、おめえのアイディアは素晴らしかった。子供だましで効果なんか期待できないって、内心でひやひやものだったけど」 ジジ「結構、簡単に騙されたのかい」 ババ「いいや、騙されたのではないね、あれは。何もかも承知とまでは言わないが、半分以上は分かっていて、こちらの仕掛に乗ってくれた。そんな所かも知れない」 ジジ「賢いね、その若い人たち」 ババ「賢いのは若い者ばかりじゃないよ。おめえもなかなかの知恵者と感心したよ」 ジジ「いつもお褒めに預かって、恐縮至極にぞんじまする」 二人は顔を見合わせて朗らかに笑う。 次の日曜日。前の若い夫婦の家の応接室。夫婦とババ、それにジジの姿がある。 夫「先日は大変お世話になりまして、有難う御座います」 ババ「どういたしまして、お二人共にお元気そうにしていらっしゃるので、吾もこちらの佐藤さんも心から喜んでいるのです」 妻「あら、お二人は御夫婦ではなかったのですか。てっきり仲のとてもよいご夫婦かと思っていましたのに、ねえ、あなた」と夫を見遣った。 夫「そうだよ、僕もてっきりご夫婦とばかり」 ジジ「(頭を掻きながら)面目次第もありません。私に甲斐性がないものですから」 ババ「そんな事はないよ、あんたは素晴らしい男性で、吾のような詰まらない女には高値の花でしかない」 ジジ「これですから、私などには太刀打ち出来ない手強い相手なのです、このババさんは」 夫婦が同時に「どうも、御馳走さまです」とババとジジの惚気に応じた。 ババ「所で、奥さんの方は一応あの袋の効用で気持ちが晴れたようですが、御主人の方はどうなのでしょうか。念の為に一応こうして魔法の袋を持参して来ましたが」 夫「はあ、有難う御座います。お蔭様を持ちまして夫婦の間でも密接な意思の疎通がとても大切だと、御親切に気付かせて頂きましたので、僕の方はマジックを介さなくとも、率直に自分の思いを妻に語れるようになっています」 妻「そうなんです。私も何でもない、何でもないと自分を無意識に押さえつけていた、それが積もり積もってストレスになって鬱(うつ)状態に陥っていた。そう気づきました」 ババもジジも嬉し気に頷いている。 夫「ですから、あれから僕たちは少しだけですが、自分の思いや感情を相互に吐露するように努力出来るようになれています」 妻「そうなんです、お陰様で私達は表面だけでなく、本当に仲のよい元の中に戻れそうですし、将来も努力し合えると、確信が持てるようになりましたの」 夫「そうです、改めてお二方には感謝をもうしあげます。有難うございました」 満足そうに微笑むババとジジである。 《 完 》
2019年03月07日
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第 四百十一 回 目 前回の商売に関するお話の続きです。この点はもしかしたら、町の人を始め大方の人々が最も関心を寄せている点かも知れないと、ふと思いつきましたので書くことにしました。 私は、プロデューサー時代にも学習塾の講師をしていても、商売の要素については最低限の興味関心しか持てずにいた。自分でも随分と横着でずぼらな態度だとは思うのですが、それでいて一向にその態度を改めようとはしない。これはもしかした私の本質的な商売に対する姿勢なのではないかと、強く思われてならない。金儲けで苦労するくらいなら貧乏暮らしに耐えて、慣れて暮らす方が気楽でよい。そう自然に考えてしまう。これは自慢にも何にもならない事ですが、生れながらの性分と半ばは諦めてもいる。自分自身の事だけならそれで済むのですが、町興しとなればそんな暢気な事ばかりも言っていられない。 そこで、セリフ劇を短時日で如何に商売に持っていくか。これが、この点が非常な関心事であり、重要極まりない問題点になります。 結論から申し上げれば、劇・芝居・ドラマは商売として成立しやすい。こう私・草加の爺は確信しておりますから。 私の75年余りの人生で言っても、娯楽の中心は紙芝居や大衆演劇に映画、そしてラジオ・テレビへと移って来ていますが、殆どが低料金で享受出来るものに限定されていた。 現代では平均的には私の子供時代に較べる時に、比較の対象にならないくらいに経済的に豊かになっている。娯楽としてはスポーツ観戦やライブショーを始め多種多様なパスタイムがあって、人々は選ぶ対象に事欠かない状況が生まれています。 価格が低料金でありさえすれば、劇・芝居・ドラマは内容が分かりやすく無類に面白いという、基本となる条件を備えていれば、無条件に受け入れられる。この事実に間違いはありません。 音読の効用を銘々に体感して頂く初期段階から始まりますが、ここではまだ商売の準備段階にしか過ぎません。観客も俳優もまだ未分化の段階で、劇の一番根本の特質を実地に体験して頂き、理解を深めて頂くのが主眼です。セリフ劇の「観客」としても「俳優」としても理解の全くない状態からのスタートですから、多少時間がかかるでしょうか。しかしノープロブレム。音読の楽しさと同時に心身への健康上の好影響は、音読を始めたその日から実感できますから。 商売としてはまだまだの段階ですが、俳優としての面白さに目覚めたら、自主的に時間の許す範囲で積極的に、観客の所へ足を運ぶ行動性を発揮して下さい。自分は、もしくは自分たちは将来の劇団発足に向けて修行中であるが、劇団は町興しの起爆剤にする為の手段なので温かく見守って頂きたい旨のアピールをして、好い時期を見て一人当たり一回一円の募金をお願いする。 あくまでもヴォランティアの奉仕活動なのですが、一円というお金を募金する事で、相互が地域の活性化に懸ける熱い想いを新たにする契機としたい。また、この御金は劇団発足の基金の元本としてプールしておき将来に役立てるものです。又、タイミングを見て一円から十円、五十円そして百円と上げて行きますが、一応の目安としては、一人一回につき百円を限度としたい。 こうした出前公演を積極的に展開する中で、可能な限りでの短期間でプロを本格的に目指す人が一人でも出てきたら大成功です。 次は、この一人が生活できるような配慮を、町全体で考える時期の到来です。町役場の地域戦略課の協力なども得ることは勿論、「よろこびの会」(仮称)の設立を準備して年会費一名につき千円をお願いするなどの財政的な手当を工夫して、出来るだけ早い時期のプロ劇団の発足を期したい。 出張公演の場所ですが、老人ホーム、個人商店、スーパー、病院、神社、お寺、旅館、まかど観光ホテル、公民館、児童館、各種の集会・イヴェント会場、その他の場所に、要請があっても無くても積極的に働き掛けて稽古を兼ねた公演を行い、兼ねて宣伝啓発活動を展開する。 人気者を誕生させるに足る中味の濃い台本を作成する私も、精々頑張ってお役に立ちたいし、様々な局面でプロデューサー、演出家、その他雑用係に到るまで色々とお役に立ちたい。無論、手弁当で奉仕する覚悟であります。 また、町内での練習兼実演と並行して、諸事情が許せばという但し書きが附きますが、近隣の町や地域への出張公演を積極的に展開して、一人でも多くの人々への働き掛けを行いたいものです。まだ練習中のアマチュアですから、上手でなくとも気にせずに、野辺地の町興しに対する熱い想いを訴える事を優先させ、セリフ劇に対する世間の理解と認知度とを高めたいものです。ここでも巧拙ではなく、ハートが肝心なのだと肝に銘じて頂きたい。 熱誠は岩をも通す、とは未来永劫に変わらない真実なのでありまして、技術の上手い下手は問題にはならない程に些末な事柄にしか過ぎないでしょう、きっと。 何よりも肝腎なのは、目の前に本物の熱い血が流れている人間の存在を、しっかりと見据えることなのであります。一から十まで、全てが 熱誠 こそが、燃え滾るような気持を如実にお見せする、その事に譬え商売に関することであっても、いやいや、商売であるからこそこれからは商品にしっかりと作り手の、商品提供者としての真心を込めることが、いの一番に大切となるのではありますまいか、如何? ここで改めて注意を喚起しておきたいことがあります。それはセリフ劇が対面による治療だという点です。近隣の町などへの出張公演は商売的には呼び水的な意味合いしか持ちません。 本当に野辺地町発のセリフ劇を堪能したいのなら、観客達には野辺地に足を運んでもらわなくてはなりません。これは遠隔地の方々、外国のゲストに関しても全く同じであります。セリフ劇の鑑賞には野辺地の土地柄と、そこに住む善意の人々との心の触れ合いが不可欠な要素、絶対の条件となることです。こうしたゲスト達の訪問によってセリフ劇だけでなく、町全体の活性化と発展・飛躍が大きく保証される。これがセリフ劇が商売としても手堅い将来を見込める大切な要素となる物なのですね。 次には設備投資と言う側面から見てみましょう。普通、商売や企業を立ち上げる際には店舗とかオフィスとかの拠点となる場所が不可欠となりますが、今度のセリフ劇の場合には殆どゼロであり設備にかかる費用は何もありません。劇場は要らないのですから、当然のこととして設備費とか照明、音響関係の費用、大道具、小道具、その他施設に関連した費用なども一切不要で済みますよ。 ただ、俳優が居れば取り敢えずは準備が整うわけであります。通常は莫大な経費を必要とする宣伝・広報ですが、口コミを基本としますし、あとはインターネットの活用などを見込みますので、過剰な心配は無用です。 衣装関係の費用が残りますが、これも基本的には考慮に入れないで大丈夫。無ければ無いで済ますことも可能ですから、少なくとも当初は予算ゼロで十分ですね、本当に。 この様に、初期費用は限りなく零に等しく開始できる事業は、常識では考えられません。私達のセリフ劇事業のスタートにはそれが可能なのですから、本当に有難い事です。 思い立ったが吉日と言いますが、ごく限られた有志が現れさえすれば今日の今日にでも、直ちに活動が開始できる。最悪、失敗に終わった場合でも( ― それは全く考えられない事態でありますが、まあ、一般論として捉えて申せば )、ダメージは軽微でありますし、少なくとも極めて困難な地域活性化活動の前途に勇気と自信とを与えるでありましょう。つまり、丸損では決してない。 こう整理して考えて参りますと、実に結構尽くめで却って怖い位に思えて来ますから、まさに好機到来、千載一遇のチャンスだと確信出来、私には凛凛とした勇気が湧くばかりなのですが、果たして何処かに抜かりはあるのでしょうかしらん? 抜かりがあれば誰か指摘して頂けたなら、幸甚と存じます。 もう一言付け加えるならば、セリフ劇事業の商品ですが言ってみればホスピタリティーの権化の様な人々の善意ですから、原材料費は勿論制作にもこれといった経費は掛からず、しかも無尽蔵に後から後から豊かに湧いて出てきますので、無限の発展が約束されてもいる。 そして、言わずもがなの事を申すならば、( 捕らぬ狸の皮算用ならぬ、皮算用の更に先の要らぬ取り越し苦労、なのですが )理想が目出度く実現して、町が大大発展を遂げ、世界に誇る一大富裕地域となった暁には、町の財政の一部を拠出して現在のノーベル財団以上の高い志を基に、「よろこびファウンデーション(仮称)」を設立して人類の平和と安寧の為に寄与して頂きたい。これがその時にはあの世に逝ってしまっている私・草加の爺の唯一の希望であり、願望であります。敢えて、預言とは申しません。確実に実現する確定事項だと心の内で信じているからなのです。
2019年03月05日
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第 四百十 回 目 前回の続きです。私の提唱する セリフ劇 の革新的な意味合いを非常に粗っぽい叙述で書いた後ですが、今回は以前に「セリフ劇の確立は企業誘致に匹敵する」(本年平成最後の年31年1月13日付けの本ブログ)と表現して高い関心を呼んだ記事のフォローも兼ねて、「商売・金儲け」という観点から少しく説明を致します。 私は前回、またまた「大法螺」をふき、「大風呂敷」を広げました。聞き様によっては甚だ鼻もちがならない、と眉を顰めた方もいらっしゃったかも知れない。私は世の中から忘れ去られた、過去の人間だとも表現しました。そしてそれに間違いはないのですが、世の中には大勢の人々が居て、様々な考えや思惑を胸にして生きている。私の意識の外で、誰がどの様な影響を受けるかは誰にも予測のつかない事であります。万が一に、私の「暴言」によって傷付きプライドを損なうお方が居るやも知れない。いや、少数かも知れないが、居るに相違ない。それを、正直に言えば私も意識しないではなかった。しかし、然し、であります。 私は現在、小事を棄てて大事に立とうと決意しています。大風呂敷や暴言の誹りも恐れず事実を直言しているのも、みなその為なのであります。何を御大層に、この大馬鹿者めが、と嘲笑する声なき声が、一言言葉を発する度毎に私・草加の爺の耳に聞こえて来ないわけでもない。しかしそれらを怖れ、怯んでいる暇などない。私にはこの世での時間があまりないし、目指す高みは目が眩む程に高く聳え立っている。(これに関しては、きりも限りもないので、やめにしておきますが、これからの言動にはこの切実な反省が何時も附き纏って来るだろう、と強く自覚している) 私ははっきり言って商売・ビジネスと呼ばれている現在の在り方を軽蔑し、嫌悪している。必要悪として仕方がない、或る程度までは認めざるを得ないが、驕り昂ぶるのにも限度というものがあるだろう、人間としての恥を知れ。こう今現在世界中の経済を牛耳っている巨大企業の経営者の大部分に対して、詰問したい。そして彼等に羨望の眼差しを向け、自ら進んで追随しようと目論んでいる明日の予備軍達に対しても。 この発言にしても、私は自分自身が好んで言い募ろうとするのではありません。セリフ劇の提案と言う大所高所に既に立たざるを得ないから、已むを得ない事なのでありました。 今流行のミッションと言う言葉を使えば、私に現在与えられている程の大きな、重要なミッションはそうざらにはありませんよ、実際の話が。 そこで、「商売」「企業活動」としてのセリフ劇確立事業に関して説明します。これまで縷々御説明致しました如くに、セリフ劇の本質はお金儲けではなく、むしろ健康増進事業とでも呼ぶべき新たなエンターテインメントの創出をただしく意味するのですが、きっかけとしても、当面の課題としても地域の振興・町興しが喫緊の課題なのでありますから、一企業として如何にして町に財政的な利潤をもたらすのか、どの様にしてこの大事を可能にするのかを、大まかに検討してみようと思います。 当初は先ず芝居として大いに俗受けをしなければ、話にも何もならないだろうと、非常に厳しいテレビドラマのプロデューサー稼業を長い年月にわたって続けて来ている私・草加の爺としては、どうしても考えざるを得ない。高邁な最終目標を達成することを一先ず横に置いてでも。 そこで考えたのが大昔の私の子供時代のことでありました。大宮デン助とか藤山寛美と言いましても、今時の若いお方には何のことやらさっぱり分からないとは思いますが、比較的最近の例で言えばフーテンの寅を演じた渥美 清的な喜劇の人気役者をいの一番に誕生させること。 現在、試験的に「ババもの」として試作を試みていますが、ダジャレやナンセンスで無理やり笑いを取る方式ではなく、将来の理想に可能な限り近い地点からスタートしたいものと、無い知恵を絞りに絞っている途中の段階でありますので、いいわけではなく本当に四苦八苦して居りますよ、実際の所で。 ここで私は又もや意欲的で、前向き、積極極まりない構想を胸に描いております。つまり、劇団の全員がババの役柄を同じように演じ熟せるように、持って行くことがそれであります。子供でも男性でも誰もが一応のレベルまでは、とも角年寄りの女性役も演じ切り、ストーリーを成功裏に終わらせる技量を身につけることを、謂わば義務として劇団員には要求するつもりなのです。 これは殊更に理想を追求する姿勢などではなく、いやしくも俳優というプロを目指すからには、当然と言うよりもむしろ当たり前な事柄なのですね。それが現在を含めて従来もそうはなっていなかった。様々な原因や理由が考えられるでしょうが、少なくとも偏頗で歪な形でしか成立していなかった、立派な証拠にはなる筈でありますよ。我々としては劇・芝居・ドラマの本道を時間と努力とを傾注して、粛々と進む。それが集客力に直結すると信じるから。 俳優修業が人生修行に通じるとは、具体的に例を示せば、そういう事であるから。誤魔化しや手抜きは断じて許されない。営々と弛まぬ努力を続ける者だけが人々の役に立つのだし、延いては自分自身の役に立つ。人生を生きる真の糧を手にすることが可能なのだ。「観客」・ゲストもまた同様である筈のもの。 劇とはそもそも一人だけでは成立しない、本質的に社会生活を前提として、その上に成立している。勿論、自作自演と言う形もあり得るが、複数の役割を一人で賄ったと言うに過ぎず、最小限でも二人を絶対条件としている。あたかも人間に女と男があるように。要するに共同で作業する必然性がある。一人では部分でしか無い者がパートナーを得て全体性を獲得する。人間の生き方のエッセンス・精髄がそこには明示される。だから、劇は原理的に癒しを齎すことが出来、魂に活力を、新たなる新鮮な息吹を吹き込むことが可能なのだ。セリフ劇では人の持つ偉大な才能のイマジネーションだけに強く働き掛ける事で、最大限の効果が期待できる仕組みなのでありますね、幸せな事に。 劇のフィクション世界には葛藤や激しい対立が描かれます。しかしそれは結末に於いて安らかな心の平安の手段として持ち込まれ、強調されるだけです。現実の如くに闘争の為の闘争、対立の為の対立、いがみ合いの為だけのいがみ合い、などでは決してない。大団円の前提としてのそれなのです。主人公の悲惨な死であっても、仕方が無かったのだ、これ以外に真の解決は断じて得られなかったと、劇の鑑賞者や「観客」が得心し、心的な平和・安心・得心が得られるように巧みに仕組まれる。観客は劇のパフォーマンスを体験する前から、その事実を熟知している。新たな体験として追体験して、繰り返しカタルシスを手にする喜びに、浸り切り、喜びを新たにするのだ。 つまりは、生きながらにして涅槃・ニルバーナに達するのであり、また此岸に於いて樂園・天国に遊ぶのでありますよ。手軽な、実にリーズナブルな料金でそんな素晴らしい体験が、容易に、誰にでも得られるのですから、「劇場」に足を運ばないわけがないのであります。 劇場とは、このようにして理想の自分自身に気軽に出会える場であり、本当に居心地のよい異次元空間たり得る。これに全面的に応えるべく準備を整え、最高のホスピタリティー精神でもてなす真の意味のエンターテイナーが俳優であり、劇場と言う場なのであります。 これが人気の商売に発展しない道理もない。要は心であり、技術の巧拙ではない。隣人に対する暖かい心さえ忘れなければ、誰にでも俳優になる道は開かれているし、自分自身に忠実に俳優修業を続ける限り、その人は無限の発展を約束されている。それも本物の人生と全く同じである。 ですから、幾ら劇によって商売を目指しても、その根本の精神が全く異なっている以上は、一円でも多くの利潤を目論む商売とはおのずから違った道を、結局歩くことになる。 なので商売と思いたい人には商売と思わせておけばよい事で、見かけは、表面的には同じに見えて、その実は似て非なる物にならざるを得ず、しかも、商売よりもより多い利益・利潤を獲得する事は陽を見るよりも明らかなのですよ、実は。 こうして劇の世界は徹頭徹尾、ハートであり、決して表面的な技術の上手い下手の問題ではない。人の心にダイレクトに届く真心こそ肝心要のもの。人として本物の生き方をすることが、俳優としての質の良し悪しを決める。これも、実人生と全く同じなのですね。誤魔化しや、手抜きなど絶対に通用しない、本物の人間同士が真正面から出遭う 真剣勝負 の純粋にして掛け替えのない貴重なチャンスとするに相応しい時間であり、空間であるべきもの。 如何ですか、劇って本当に素晴らしいって思いませんか…。 どのような高邁な理想や精神を持っていても、絵に描いた餅では腹の足しにはなりません。また、他人の為を第一にと念願して誠心誠意心を尽くしていると、あーら不思議、結局自分自身の為だけを念じてしていたよりも遥かに多くの物が得られる。 この不思議を、その味わい深い旨味を野辺地町の人々にも是非とも体感して頂きたい。先ず、とっかかりとして御家族の為にと考えて行動を起こして下さい。次には隣人の為と思って行動を継続し、順次に、町の為、地域の為、県の為、日本の為、アジアの為、世界平和の為にと言った具合に次第に無理なく意識の持ち方を拡大させるだけで、ほかには何も考える必要のないこと。 御自分が今現在で出来る、可能な範囲内でセリフ劇に手を貸し、声援を送って下さればよいのです。その小さな善意の積み重ねが積もりにつもって、やがて途轍もない、突拍子もない良い結果を私達全員に与えてくれる。その日は、そんなに遠くは無い。明日から、ほんの少しだけセリフ劇の事を頭の片隅に入れて頂ければ、やがて事態は劇的に良い方向に向けて動き出すに間違いありません。昔から、千里の道も最初の一歩から、と言うではありませんか。
2019年03月03日
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第 四百九 回 目 ここしばらくはセリフ劇の台本の候補作りに励んで来ましたが、余り先走りばかりしていてもどうかと考えましたので、音読励行に始まり劇団の設立に到るプロセスを一度、この辺でお浚いしておきたいと考えました。 私の対象としている青森県上北郡の野辺地町の人々は皆さんが、劇・芝居・ドラマに関しては全くの素人、もしかしたら例外的なお方がいらっしゃるかも知れませんが、少なくとも現時点では私・草加の爺は存じ上げて居りませんので、皆無であると言う前提でこれからの話を続けます。 この事実は私のコンセプトになる新しいセリフ劇には断じて不利ではなく、むしろ積極的にプラスとして働くものなのです。何故かと言いますと、同じ劇とか芝居、或いはドラマなどと根本的に相違しているから。そのように言うべきだからなのです。そして敢えて申上げれば、私達のセリフ劇の方が正統的であり、その在り方として断然正しいものだからです。 つまり、先入観念なしで新しい気持で取り組んでいただいた方が、遥かに深く、豊かに、そして時間的にも早く理解が行き届く。そう言った性質のものだからなのですね。 その事を具体的に言えば、主役は「舞台」上の俳優ではなく、「客席」のゲストの側である点なのですが、それはショーや興行とは根本的に相違する新しいエンターテインメントの誕生を意味する非常に重要なポイントなのです。 それから、「舞台」とか「客席」というように括弧付きで書いたように、従来のような劇場と言った特別の施設を全く必要としない。どの様な狭い空間であっても、室内であっても野外・オープンエリアであってもその場所でセリフ劇が演じられる限りは、其処を「劇場」と見立てることが可能なのです。 それから、まだあります。以上に述べたような具合ですから、セリフ劇に対するゲストと俳優に関してもこれまでとは全く異なる概念や心構えを必須とする。こう言いますと何か特別な要素が要求されるのかと考えられるかも知れないが、特別な事は何も要りません。但し、これまでの固定観念や偏見を持ち込まずに、白紙の状態で対して頂けるだけでよい。 主役のゲストは「患者」であり、俳優は善意という持て成しで以って患者のストレスを排除する「医者」なのです。ゲストとしての主役と娯楽という手段でストレス解消を図る俳優とが出会い、心の交流を図る場が、取りも直さず「劇場」だということなのですね。 現在の医師たち以上に人々の心身の健康増進に寄与する可能性を多分に孕んだ、非常に広大な可能性を秘めた宝の宝庫でもあるわけです。 と同時に、医療の世界で一番の力を発揮しているのが薬剤・薬の持つ力だとすれば、セリフ劇で最大の力を発揮するのが人々がその心に秘めている善意であり、心の温かさなのであります。演技が上手い下手は二の次、三の次なのですから。此のゲストと俳優の心の通い合いを保証する物が台本であります、当然に。これも本当のことを申すならば、最終的はそれ程重要ではなくなりますが、詰まらないものよりは面白いものに越した事はない。その程度に取り敢えずは考えておいて頂いて結構でしょう。 ただ、今の段階で私・草加の爺が一手に引き受ける台本作りが、その台本の良し悪しが重要な決め手になる事を強調しているのは、セリフ劇の爆発的な魅力を示して世間の注目を一日でも早く集めたいと期待して居る。稍々、焦っていた、正直に申上げれば。ただそれだけの事にしか過ぎませんよ。 扨て、ここからが本論に入ります。今までは本論に入る前のほんの序論でしかありません。本論と言いましても別に難しい事を言う心算ではありませんで、我々の目指す新しい劇としてのセリフ劇が如何にして素人ばかりの集団から短時日で誕生し得るのかを、出来る限り平易に解り易く説明しようと考えているだけであります。 私がテレビドラマの「一流のプロデューサー」だったことは何度も色々な形で述べて参りました。その経験から申し上げるのですが、一流と言ったところで業界内での話であって、人類的な視野に立った立場で見た際には、十段階の内のせいぜいが八とか七とか言った段階でしょうから、大きな顔は出来ません。そもそもテレビドラマという分野は一時隆盛を極めた映画が衰退して、テレビにその立場を奪われた時から始まったので、私などは差し詰めテレビドラマの草分け的な役割を、それも謙遜して言えば、その一端を担ったに過ぎない。 そして劇映画の全盛期と言いましても、黒澤 明監督とか小津安二郎監督に代表される作品にしましても、十段階方式で言えば五とか、精々が六と言った評価しか与えられないでしょうからら、人類全体の劇・ドラマ・芝居の標準からすれば、決して上の部類には入らないでしょう、厳密には。 そして、我々のセリフ劇は確実に一という最高ランクを狙える。最悪でも三もしくは二は固い、そういう演劇界の サラブレッド と呼んでもよい。これは過大評価でも自画自賛でもない、掛値無しでそう言える性質のものです。何故ならば、興行としての巧拙はあっても、人々の生命力を高め生きるエネルギーを強める効果は抜群だからです。遅かれ早かれ、その評判は地球上の隅々にまで行き渡らない筈もないことだから。成功は最初から太鼓判が押されているも同然なのであります。しかし、初めは、出だしには少しばかり手間取り、時間がかかるかも知れませんがね。 だがしかし、ドントウォーリー、神様がいつも背後から支えて下さっていますから。人間がベストを尽くしている限りは何も心配などは要りません。 私は既に芸能界から去ってから二十年近くが経ち、完全に過去の人となり忘れ去られた存在ですから、傷附いたり感情を害したりする人も皆無ですので、本音の本音を吐露するのですが、これから将来を担う若い人々には参考になると思い、勇気を奮っての辨でありますよ。 テレビドラマは、勿論、現在の映画や舞台の公演も全部ひっくるめて、学芸会の延長線上にある、極めてレベルの低い、内容の薄いそれでしかありません。俳優も演出、脚本も同様です。 それで視聴者、観客達が満足して稼業としても成り立っているのですから、傍から注文を付ける筋合いもないのですが、現状を有り体に申せば、関係者全員が素人に毛の生えた程度の実にお粗末な代物でしかない。これは、私が偉そうに言うのではなく、事実がそう言うレべレにあるのです。 嘗ての銀幕のスターにしても、現在のアイドルにしてもお金をつぎ込んで促成栽培された、見せかけのスターであり、アイドルでしかありません。再び、それで商売が成り立っているのですから、昔の忘れ去られてしまっている老人が口を挿む必要もないのです。しかし、自分でも思いも掛けずに理想の劇創りに携わるチャンスを与えられているので、主として野辺地の町の人々に向けて申上げるわけなのです。現に人気を博している「俳優」とは名前や呼び名は同じでも、志が違う、目指す高みが格段に相違している。最初から比較の対象にも何にもならないのだ。そうご承知おき下さい。それで何の問題もないことです。今の人気俳優のレベルには直ぐにでも達する事が出来る。そのように心得て下さい。演技の見かけの巧拙が問われるのではなく、ハートの通わし方、人間としての内容が、実質が問題となるのですからね、セリフ劇では。 そして劇の持つ最大の特色は、大きな、大きな癒やしの効果であり、それはカタルシスと呼ばれますが、それは同時に身体全体に迄及ぼす絶大な魂の慰藉・平安・救済と称してよい性質のもの。 今日では様々な 癒し が考えられている。曰く、温泉、森林浴、ペット、アロマ、マッサージ、瞑想、音楽、絵画、ガーデニングなどなど。 これからの時代は A I などの人型ロボットが様々な分野で人間に取って代わると言われていますが、どの様な時代が到来しようとも人間が人間である限りは、劇こそは癒やしの中心、王座の地位を保持し続けるに相違なく、そうした意味で「劇的」とは「人間的」と全く同意義なのであります。 以上の様な、画期的で斬新なセリフ劇のコンセプトを大勢の人々に理解し、納得して頂くためには言葉の説明だけでは足りません。どうしても体感し、実践して頂く必要がある。それには音読がどうしても欠かせません。声に出して、可能な限り正確に、意味が伝わるように朗読を繰り返す。俳優修業と申しましても、一言で言えばこの音読の一事に尽きています。上達するに従って音読している言葉に感情を籠めるように、心掛けるようにすればよいのです。 主役のゲスト側にも特別なことは必要ではありません。ただひたすら無心状態に御自分を置いて、ヒーラーとしての俳優に向き合えば宜しい。その外には何も要求されません。 中間に劇の台本があって、その中身の劇がゲストと俳優との仲を取り持つ。これが「劇場」という場・契機・チャンスがもたらす人間の心と心の出会いという、得難く、有難い幸福の実相なのです。本当の一期一会を実感する時間の共有、と言い換えてもよい。 そしてこの劇的な本質は、音読の訓練を始めた瞬間から、高度で複雑な劇の実演に到るまで、終始変わらずに保たれ、保持され続ける。劇の一番大切な要素はここにこそあるわけですね。 つまり、自分自身との対話から発して直ぐ身近にいる家族や隣人、地域社会、周辺地域、県民や日本全国、アジア、地球全域へとストレートに広がり、平和と言う輪・サークルを拡大させる、無理なく、自然体で以って。 無論、このような理屈や精神は分かる人、心得て置く必要のある人だけが分かっていればよく、後は無心に、無邪気に楽しみ、面白がってもらえればそれで十分過ぎる兼ね合いのもの。現象的には無類に興味深く、エンジョイ出来れば万々歳なわけでありますね。
2019年03月02日
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第 四百八 回 目 「 古典に学ぶ 恋のテクニック 」 時代:現代 場所:都会 ビルの一隅にある教室で、適齢期にある女性達を集めた婚活関連のセミナーが開催されている。その中に、何故かババの姿もある。 講師「私は男と女とは磁石のプラスとマイナスのようなものと、考えている。そして又男女の別は普通に考える程には厳密に区別されるとも、思ってはいません。つまり、全体で円を形作る半円同士なのだと、そう考えるわけです」 ババ「(独白)何て夢の無い話なんだろうか」 講師「ですから、結論から申しますと、結婚に甘い夢やロマンを持ち込むのは厳禁なのです」 生徒の1「それでは詰まらないではありませんか」 生徒の2「そうよ、そうよ、夢やロマンがあるから生きられるわけじゃないですか」 講師「私から言わせれば、お二人のような非常に幼稚で甘い幻想を抱いて、結婚に臨まれるからこそ、早々に破局が訪れる。謂わば自業自得なのです」 生徒の3「誰だって女性なら、白馬に跨った王子様が自分を迎えに来てくれることを、心密かに夢見、憧れている、期待している。それがいけないと言うのでしょうか」 講師「いけないとは敢えて申しませんが、少なくともそこからは、センチメンタルな幻想からは幸福はやって来ない」 ババ「おセンチなのは、女性の特性だし、権利でもあるでしょうに」 講師「ああ、そこに年輩のシルバー世代とお見受けする受講生がいらっしゃいました。貴女に私の方からお訊ねしたいことがあります」 ババ「吾はとても頭が悪いので、質問なんてされたら、答えに窮してしまいますよ」 講師「いえ、いえ、何も難しいことをお聞きするのでは、ありません。貴女は一体この講座・セミナーに何を期待されての出席でしょうか?」 ババ「勿論、結婚ですよ。吾、自身の」 すると教室中からフゥーという歓声とも溜息ともつかない声が上がっている。 講師「皆さん、お聞きになられた通りです。講師の私としては嬉しい限りであります。さて、話の続きですが、結婚に過大な期待を持ち込むと、必ず手痛いしっぺ返しが返って来る。それを覚悟の上で甘美な夢やら、美しい幻想に耽るのは勝手気儘。御随意にどうぞと申上げたい」 生徒の4「結婚は人生の墓場だ、とでも主張したいのでしょうか」 講師「どういたしまして、結婚こそ人生のハイライトであり、敢えて人生最高の晴れ舞台だと申上げたい」 生徒の5「人生のハイライト、最高の晴れ舞台と仰いました。その意味を説明して下さい」 講師「分かりました。結婚は人生の大事であります。だからこそ人は間違うのです。特別な相手との、何かしら特別な出会い、例えば白馬の王子の出現とか、赤い糸で結ばれた二人とかの、極めて乙女ティックな、おセンチな夢を織る事ばかりに関心が行ってしまう。だから、駄目なのです」 生徒の3「でも、でも、結婚に踏み込むにはやはり、どうしてもそう言った夢やロマンティックな要素が必要なのではないかしら。皆さん、如何ですか(と参加者の全員に同意を求めた)」 生徒達は皆一様に「そうよ、そうよ」などと同意する。 講師「私は皆様方のそう言ったお気持ちを、全面的に否定するものではありません。ただし、現実は直視して頂きたい。そう申し上げたい」 ババ「現実を直視しているから、夢や憧れが生れるのではありませんかね」 講師「まさにその通りだと、私も思います。但し、夢は夢、憧れは憧れにしか過ぎません。肝腎なのはその砂糖菓子の様に甘美な夢から醒めた時であり、ロマンティックな憧れが破れた際の事なのであります。人生の大半は生活であります。結婚は新たな生活の場を築く土台と言え、恋愛はそのきっかけを作るだけの意味しか持ちえません」 生徒の1「恋愛は結婚の切っ掛けにしか過ぎない。だとしたら、恋愛の意味は小さくなってしまう。そんなの詰まらないわ」 生徒の2「私は一生恋多き女でありたい。結婚は二の次、三の次だわ」 講師「生き方はそれぞれに自由であると、一応は言えますから御随意にどうぞと申上げましょう、ただし後で決して泣き言を言わない事です。所が、人は十中の八九と言いたいが十人中十人がまるで判でも押したように、後悔して、泣き言を言う様になる。人生とはそうしたものです」 ババ「(傍白)確かに、そうかも知れない」 生徒の3「そう言えば、私は後悔ばかりしている」 生徒の4「私も、泣き言や愚痴ばかり始終口にしているわ」 講師「何だか、私の注文通りに事が運んでいて、怖いくらいです。いや、その実に好都合なので、先を続けさせて頂きますが、私の様な者が必要になり、適切な指導が必須なわけであります。さて、今回のテーマ 古典に学ぶ恋のテクニック についてです。一言で表現すれば、包み隠すと言う事になります」 生徒の5「包み、隠す、ですか?」 講師「その通りです。オープンにしたり、曝け出したりすることの反対の事柄ですね」 生徒の1「何だか悪い事をした犯罪者みたいですね、包み隠すだなんて」 生徒の2「私は何事でもオープンな方が好きだわ。隠すだなんて、後ろ暗い事をしている証拠みたいで嫌だ」 講師「どの様な事にも、裏と表、長所もあれば短所もある。この道理はお解り頂けますね。さてそこで、古典の教える 包み、隠す にも当然に良い面や悪い面があると思われますが、此処では表のよい面、プラスの側面に注目して頂きたい」 ババ「(独白)成程、この人は口が上手い」 生徒の3「包んだり、隠したりに一体どのような利点があると言うのですか」 生徒の4「まるで訳が解らないわ」 生徒の5「本当よ、詭弁に類する事を押し付けるのかもしれない。騙されないように用心しなければ」 講師「現代の 露出する 習俗・習慣とは真逆にある考え方なのです。つまり、男性に女性を強く注目して貰いたいので、一定の年齢に達した女の子は深窓に、奥まった場所に包み隠すようにして養育する。そして様々な教養や嗜みを教え、いやが上にも成人男性から魅力ある存在として育て上げるわけです」 生徒の1「恥ずかしいとか、人目につくと具合が悪いから人目を避けるのではなく、逆に人目を集め、注目されたいから包み隠す。そいうことですか」 講師「そうですね、中々老獪で、大人のやり方だとは思いませんか」 生徒の2「思います、とても頭がよいやり方だと感じます」 講師「そう素直に肯定して頂くと、ちょっとばかり拍子抜けです。実はここだけの内緒の話なのですが、私は現代の露出する傾向の方が大好きなのです、ひとりの男としては。少し古くなりますがマリリンモンローのセクシーな腰振り歩きや、バストの抉れた露出が堪らなく好きなのです」 ババ「(独白)この人、なかなか正直な所もあるんだ。スケベな男の本音を言ってしまうくらいだから」 講師「ただし、刺激というものは段々とエスカレートするものです。そして仕舞いには何も感じなくなってしまう懼れが大です」 生徒の3「確かに。お化粧にしても次第にどぎついものに流れていく」 生徒の4「水着などの露出度も大幅にアップされ、結局は見慣れてしまうと刺激もあまり感じられなくなっているのかも…」 生徒の5「確かに習慣の力は恐ろしい程に強いのかもしれないわね」 講師「前口上はこれくらいにして、私の主張を申し上げることに致します。こうです、つまり結婚において一番大事なことは結婚するそのこと自体なのだと言う事です。相手など、極論を言えば誰でもよいのです」 「えーっ、何ですって」などと生徒達の間から不平や不満の声が一斉に上がった。 講師「最初に私は、個人を半円に譬えました。半円はパートナーを得て始めて曲がりなりにも完全な円になる事が出来る。真に生活が出来る、謂わば態勢が整うのです。確かに半円同士ですから最初からぴったりと一致するとは限りません。相手に合わせる微調整のような仕事が残ってはいますが、これは両者の誠意ある努力によって解決が可能であり、現実に幾多のカップルがそうして来ている」 生徒の1「理窟はそうかも知れませんが、それでは余りにも味気ないと言うか、詰まらないではありませんか」 生徒の2「そうよ、そうよ。そんな、相手は誰でも構わないような言い方をされては、結婚しようという意欲さえ湧かないわ」 講師「それでは私の方から質問しますが、そこの貴女、そうです貴女です。貴女はこの世に何か特別な目的があって生まれて来たのでしょうか?」 生徒の3「別に、何か特別の目的と言われても…、そんな事あたし考えた事も無い。あなたは、如何なの?」と隣の生徒に振った。 生徒の4「私だって同じよ。そんなこと、思ってもみなかった」 講師「私が今とても意地の悪い質問をしたのは、皆さん方を困らせるのが目的ではありません。目的などという特別な目標も無く生きているのが、普通の私達の生き方であります。それは、例えば良い学校に入りたいだの、評判の高い一流企業に入社したいだのと、当座の目的やらゴールのような目標を掲げて頑張るという事はありましょう。しかし通常は幸福という非常にボンヤリとした目標とも理想ともつかないものを目指して生きている。それすら持たずにとも角も惰性の様に生きている人も少なくない。そうした人生に於いて人は何故に、結婚にだけ 特別 を求め、過大な要求を突きつけるのでしょう」 ババ「それが知りたいので、吾はここに来たようなものですよ」 生徒達は口々に「そうよ、そうよ」などとババに同調する。 講師「分かりました。人生を幸せに生きるためには、それ相応の準備が必要であります。半円で居るよりは半円同士が自分に相応しいパートナーを探して、一個の完全な円になる事が必要です。高学歴とか容姿端麗とか、性格が善いとか、その他様々な高い要求を結婚相手に要求する。それは各自の勝手でありましょうが、一番大切な事が忘れ去られている。俗に相性と呼ばれている。要するに気が合えばよい。気などは合わせようと思えば誰とでも大概は合わせられる」 生徒の5「暴論です、そんなの」 生徒の1「結婚相手は気が合えば誰でもよいなどと、そんなの厭だ」 生徒の2「こんな講座は受講しなければよかったわ」 生徒の3「夢が無さすぎでしょうに」 生徒の4「がっかりだわ、本当に」などと教室は騒然としている。が、講師は何故か平然としているのだ。 数日後。いつもの公園でババとジジがベンチに腰を掛けて仲良く日光浴を楽しんでいる。 ジジ「ところで、先日は又何か勉強をしに出かけたようだけれど、収穫はあったの」 ババ「ああ、その事。有ったと言えば有った、無かったと言えばなかった」 ジジ「何だか禅問答を聴いているようだね」 ババ「禅問答みたいな難しいことを吾が、頭の悪い吾が知っているわけが、ないでしょうよ」 ジジ「そうでないよ。あんたは自分が考えている以上に賢いと、俺は思うよ」 ババ「そう言うおめえの方が、ずっと頭がいいよ。吾、そう思う」 ジジ「有難う。俺、あんたから褒められるのが一番嬉しいから」 ババ「そうやって、おめえが吾に上手い事合わせてくれるから、吾達は気が合うのだよ、きっと」 ジジ「うんにゃ、そうでないの。あんたが俺に上手く合わせてくれるから、吾達気が合うんだ」とババの顔を見てニッコリと笑った。ババもジジの顔を見て優しく笑いかけた。倖せその物の二人である。 《 完 》
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