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禅の公案というものに一時期、非常に興味を惹かれて、その関係の書物を読みふけったことがあるが、結局は余り理解できなくて、そのままになってしまった経験を持っている。 どんな事をしていても、それがその侭で禅の修行になっていると言う。常住坐臥が、これ即ち修行だと言う。つまり、公案を一つ一つクリアーしていくのも修行の方法であるのならば、一人の凡人として真摯に毎日の自分自身と向き合うならば、それがそのままで悟りの境地への道程と成りうる。要はその人間の心がけ次第ということのようだ。 私は結局、死ぬまで悟りの境地に到達できないであろうと、一種の悟りを得ている。 私の意のままにならないのは、私の心だけではなくて、体も又同様である。例えば、昨日ひどい腰痛に悩まされた。今朝は少し痛みは軽減しているのだが、やはり下半身の冷えから来ているようである。 ようであるというのは、まだ推測の域を出ないので、そのように推測して、それに対応する行動を取ってみているにしか過ぎない。 こうして、心も体も自分のものであって、自分の意のままにはならない。自由にコントロールが効かない。しかし考えて見るまでもなく、私たちは自分の意思でこの世に生まれて来たのでは無いし、また自由気ままに死ぬことも出来ない。そういう基本的には、受身、受動的な存在である。良くも、悪くも。 自己とは何物であるか。そして人生とは、そも何であるのか? これも、様々な他者や環境との対話・交流の中で、少しずつ理解し、理解を深めるより他に手はない。手段を持たない。 我々を大海に浮かぶ一艘の小舟であるとして、第一に我々は何処から来て、何処に向かうのかを知らない。知らなくとも生きられるのだが、我々は自己に目覚めると同時に、この根本的な疑問の虜になる。余人は知らないけれど、私は、そうであったし、今もその模索を続けている。ただ、そうせずにはいられないので…。 海には海流があったり、台風が発生したり、様々な現象が起こっている。それも私自身が自分の力で知り得た知識ではなく、周囲の人々のお蔭を蒙って知ったのである。と言う事は、私という小舟は大海にただ一艘で漂っている存在ではない。家族を始めとする大集団の一員として、現に在るわけであり、その中からやがて独り去っていく運命の下に、生きて漂っている。 私という認識は、今や大海と舟の比喩では表現しきれない程に、膨大な広がりを見せている。地球、太陽系、銀河系、大宇宙…。人類全体も大きな疑問に挑戦し続けているが、この挑戦は限りもなく続き、恐らくは謎のままで、太陽の消滅、銀河系の変質、大宇宙そのものの変移と共に闇の中に、消えて行ってしまう、恐らくは。 そうした中での、ほんの瞬間的な存在であり、在るか無きかの微小な点である。
2019年07月30日
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先程、いつもやっている料金の振込を A T Mで して来たのだが、銀行の店員さんの手助けを借りなければ出来ないで、自分が早くもボケ老人になったような、妙な気分に一時的に陥ってしまった。 今は幸せかい? そう、自分自身に問いかけてみる。すると、勿論幸せだよと、即座に返答が帰ってくる。人生のどんな局面を想定しても、ずっと幸せであると言うようなことは、恐らく考えられないだろうが、少なくとも今現在は、不幸ではないから、論理的には幸せの部類に在ることは、言えるだろう。 でも、そんな消極的な幸せの定義に満足していて、そもそも、本当に、真実に幸福の中にあると、いえるのだろうか。 しかし、考えてみれば、今仮に幸せの絶頂にいると感じ取っている者が、自分は幸せだと実感するものなのだろうか知らん。何だか、そうではないような気がする。つまり、傍から見て、あの人はとても幸せそうだと、思ったりする性質のものなのではなかろうか。 苦しかったり、悲しかったり、何となく不満や不足を感じていてさえ、幸せだと感じることは可能だろう。何故なら、完璧な幸福などは、この世では、私たちの人生ではあり得ない事柄なのだから。 今読み返している芥川竜之介にしても、彼の描く登場人物たちの多くが、不幸であったり、孤独であったり、少なくとも完全な幸福者からは遠い存在である。現に、龍之介は自殺している。自己の人生を自死することで全否定している。少なくとも自殺を決意し、それを実行した作家は、その作品を全否定してはいないにしても、全肯定出来なかっのではなかろうか…。 自殺と言えば、三島由紀夫も特異な自殺を自ら選んで、それを決行している。 そもそも、人は、小説家であると否とにかかわらず、人生を幸福に築きあげたいと望んだ筈である。しかし有能であったり、天才であったりした為に、人生に絶望して、人間のあり方に満足できないでしまう。 あるがままでよいのだ。与えられた人生で百パーセント O K なのだ。神を、真の「絶対者」を信ずるとはそう言う事を意味する。論理的に、合理的に、完璧な「仏教」の教えはその事実を私たちに、指し示してくれている。残るのは、直感である。それも、正しく感じ取る場合には。同じことを少なくとも、私に教えてくれている。凡俗には、凡俗の矜持、プライドというものがある。 今の私は、平凡に居る幸せを心の底から、実感したいと念じつつ、毎日を過ごしている。 幸せ、幸福などというものは、私たちとともに常に与えられている。信じる者は救われる、のでありました。、
2019年07月25日
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しばらくぶりで「フーテンの寅」、映画・男はつらいよシリーズについて少し、今現在、感じるところを述べてみよう。 主演の渥美清の天才的な演技力によって、国民的な人気を博した作品であるが、この作品の魅力に気づかせてくれた人は、悦子である。 当時、若いテレビプロデューサーであった私は、「男はつらいよ」をむしろ軽蔑していた。作品として面白くもなく、従って自分一人では映画館に足を運んで、観てみたいとは決して思わなかった。それが、何故に何本も観ることになったのか。それは全く悦子の要請によるものである。 そもそもテレビの作品に対して、自分が視聴者の一人として対する場合には、男はつらいよ的な作品を作りたいとは思わなかったであろう。主演の渥美清や山田洋次監督の演出、そしてストーリーの内容に関して、若い私は全く関心が持てないでいた。 ところがである。結婚した相手が、「男はつらいよ」の大ファンであって、一緒に観たいと言うのだから仕方がなかった。何本も我慢をしたり、辛抱を重ねたりして、お付合いを続ける結果となった。 今の私は、恐らく何度目かに見直している同シリーズの内容に感心したり、感動して、時には涙腺を緩ませながら、熱心に鑑賞している。 人生とは、つまり人の世の幸せとは、こう言った庶民の何気ない哀歓の中に、つまりは今で言う「負け組」的な人々の中に、生きているのではあるまいか。そんな風に、感じてしまう。 若い頃の私、少なくとも悦子と出会うまでの私は、やはり勝ち組に無条件で憧れていたし、英雄や偉人に無条件に憧れる一人だった。 しかし、例えば「源氏物語」のヒーロー・光源氏でさえ、いや光源氏こそ、この世に生を受けた人間の中で最も苦しみ多く、悲しみに包まれていた事実を知った私には、素朴な英雄崇拝や、単純な偉人への憧憬は持てなくなっている。 だから、と言うよりは、それ故にと言うべきか、フーテンの寅の落語的な愚行に感情移入して、あたかも自分が寅であるかのように錯覚して、映画の中の諸人物と共に、泣いたり笑ったりする。素直に共感している。結局、自分も寅さん以上には出れないし、むしろ、与えられた条件の中では寅さんは英雄以上のヒーロー性を発揮して、我々「弱い者」の心にそっと、優しく寄り添ってくれている。その心根に感動する。 そんな事が可能なのは、私が既に人生の晩年を迎えているからか。それとも、悦子と幽明境を異にしてしまっているからか。それとも、生きるエネルギーが減退してしまった、その結果なのか。 その辺の事は定かではないのだが、私はある種の涅槃の中に包まれていると、実感してもいるのだ。 悟りの境地などと、分かったような事は言うまい。ただ、素直に、自然にそう感じているだけに、過ぎないのだ。
2019年07月22日
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芥川竜之介の作品を読み返している。 芥川の作品は現代の我々にとっては、十分過ぎるくらい古典である。そして、私は源氏物語の現代語訳ももうかれこれ十年以上の長きに亘って、他のブロクで連載中である。 同じ古典といっても、芥川の短編と源氏の大長編とでは、まるで趣が違っている。 片方は近代的な「芸術家の意識を持った作家」の作品であり、もう一方は歌物語の一種として完成された大長編である。 片方は、作者の芥川竜之介個人の「芸術的なテーマ」が中心であり、片方は個人の思想や考え方を述べると言うよりは、平安時代という特定の時代の読者層、勿論、読まれると言うよりは語られると表現した方がより適切であろうが、当時の人々の或る共通の理解なり、考え方が共有されて、作者の側と受けての側に暗黙の了解が前提とされている、と感じさせる。 つまり、芥川という個性的な芸術家の思想なり、考えなり、感受性なり、知識なり諸々が凝縮されて表現された芸術作品を読者は、当然に読み取らなければならないのだが、少なくとも、芥川作品を読む際に、私・草加の爺はある種、身構えてしまい、物語られている内容を楽しむ気安さに身を委ねることが、なかなか出来にくい。 源氏を鑑賞する際には、そのような先入意識はまるでなくて済む。源氏という理想的な主人公に関して作者はどのような楽しい趣向を凝らして、楽しませてくれるのか。一読者、一鑑賞者として気軽に、ワクワクして作者の口元を注視していればよい。そうした、自由で気儘な受け手の姿勢が、自然に保証されていることを思えるのだ。 芥川作品では、常に、つまり読む前から、私にはある種の身構えのような緊張感を、強いられる。このストーリーで作者は、本当は何が言いたいのか。作者の主張とは何か? 作者は何を狙っているのか?凡庸な読者である私は、息苦しい緊張感に絶えず圧迫されている。( 本音を言えば、理解力や知識、その他諸々の点で作者に劣っていると感じている故に ) 要らざる苦労を強いられるので、作品を無心に楽しむ余裕が持てないのだ。だから、これは作者の問題ではなく、飽くまでも私・草加の爺個人の問題なのであって…。 しかし翻って考えてみると、芥川作品が私に強いる(?)この「強制」は何も芥川作品だけに限った事ではなく、例えばピカソの絵や、その他の現代芸術作品が多かれ少なかれ、持っている共通の特性かも知れない。いや、少なくとも私にはそう思われてならない。現代の芸術は純粋なカタルシスを齎すのではなく、悪しき鑑賞者である私には新たなるストレスを予め惹起するストレッサー(=ストレスの原因となり新たなストレスを与えるもの)として存在する、何者かに変質してしまった。 此処でも、パラダイス・ロースト現象がすでに起こってしまっているのであろうか……。
2019年07月17日
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人生とは「忍苦」だ。つまり、初めに与えられたものしか、与えられず、しかも、それ以上が与えられるかの如き錯覚に、生甲斐を与えられている故に…。 これは、私の言葉ではない。しかし、真実であると思う。無論、様々な反論も可能であるし、現に様々な人生に対する立論がなされてもいる。 カラスとして生まれた者は、遂に孔雀にはなれない。と、言うような具合に文脈は続くわけだが、すると、最初に与えられたものとは、カラスとしての素性と言うことになって、その限りでは生物学的に正しいことは自明であるかも知れない。しかし、何故にカラスがカラスであっていけないのか? 孔雀になれないことを悔やむから。孔雀の美しさに引け目を感じ、自分の出自に絶望を感じるから。 しかしながら、人生は忍苦である、という命題と、カラスは孔雀にはなれないと言う表現とには、明確な乖離が存在する。つまり、別々の局面を提示しているに過ぎないだろう。 忍苦という人生の実相と、カラスと孔雀とは生まれながらに相違している事実との間には、何ら関係はないのであるから。 無理にこじつければ、カラスに生まれついた者が、無謀にも孔雀の美に羨望を感じて、そして絶望する際に、忍苦は途轍もなく巨大なものと感じられるに相違ない。だから、そんなアホらしく詰まらない望みは潔く捨ててしまうに越したことはない。身の程知らずの大望を抱く事の無意味なことを悟ればよい。 私の場合を言えば、自分がカラスか孔雀かと自問自答すれば、カラスであろうと躊躇なく答えるであろう。なろうことなら、孔雀に生まれれついて、他人に自己の美しさを誇ってみたいと願わないわけでもないが、私には元来、孔雀に生まれたかったという強い欲求が不足している。 カラスで結構、孔雀の美しさを目にすれば、当然ながら素晴らしいと感じる。同時に、カラスで何故いけないのだと、強く抗議したい感情もある。 それに、この年齢まで生きて来ると、孔雀にもカラスにはない悩みや、もっと美しさや才能に恵まれた他者に対する劣等感や、嫉妬心があることを知っている。 誰にとっても、人生を生きるとは苦しみに耐え忍ぶ事と、熟知しているから、余計なことは考えないで済んでいる、有難い事に。神や仏は万人に対して平等である。人間の自由平等とは、神・仏などの絶対者の眼を得て、始めて首肯出来る事柄なのであった。
2019年07月13日
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福田恆存の評論を読み返していたら、「現実を正しく認識するのは、現実の中で正しく生きる目的のための手段である」とし、それは我々に「真実に居ようとする要求があるからだ」という立言に出合った。 これを、私は私流に解釈して、私は自己の人生の真実に在りたいと望む、願う。それ故に、私の人生を取り巻いている現実、身近な環境から、広く社会一般に及ぶ現実をより正しく認識し、理解する手段を通じて、自己の人生を正しく生きる目的に寄与し、合致させたいと努力して来た。 とは言っても、厳密な意味でのそれでは勿論ありません。自分に意識できた範囲内でのこと。「現実」、「認識」、「正しく生きる」と主要な要素を取り上げてみても、常識的なそれでしかありません。と、言うよりはそれ以外にあり得なかった、実際上は。 私は父親と母親の間から生まれ、その両親の遺伝子を受け継いで人生を生きて来ている。それを、遺伝情報を、内的な環境と規定すれば、正確な理解や認識の及ぶところでは、全くなくなってしまう。この事実は何も私個人の特別な条件でも、特性でも何でもなく、極普通の、それ故に普遍的なあり方に通じている。遠く祖先を訪ねて行けば、人類一般という望洋たる過去の事実の中に、消滅してしまう。従って断じて個人の能力の及ぶところではなくなってしまう。 いっそのこと、自分は日本人の中に生まれてきた、故に、日本人の一人であると言っておけば、すっきりとして、明快であろう。 つまり、令和元年に76回目の誕生日を迎える、一人の老人であるが、彼は出来れば日本の中でこれからも誰かの役に立ちたいものだと、望んでいるが、周囲との何らかの適切な接点を模索していて、客観的な接触チャンスに到達出来ないでいる。最低限、出来るだけ周囲に迷惑を掛けずに、この世からフェイドアウトしたいものと密かに念じているが、それも自分の願いであるだけで、叶うのかどうかは保証の限りではない。 父親も、母親もその死に際は、特別無様ではなく、両者ともに寿命が尽きて往生を遂げるような、ある意味で理想的な最後を迎えている。出来れば子供の私もそうありたいと念願はするが、これは独力では、人間業だけではどうにもならない事柄に属するので、現在を完全燃焼させるべくベストを尽くして行くより他に、手はない。だから、私に出来る最大の事は今という時間を大切にして、悔いのない時間にする努力を怠らないこと。つまり、今という時間をどう処理するかに懸かっている、常に。
2019年07月05日
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今回は私と繋がりの深い人間の中でも、特別に深い母親について書くことから始めてみようと思います。 自分では病弱だと口癖のように言っていた母親が、96歳で大往生と遂げたのであるから、終わりよければ全て良しであるとすれば、総括して言えば幸せな人生を、全うしたと言ってよいのではあるまいか。 どんな女性であったのか、彼女の息子である私に公平で客観的な評価を、土台無理というものであるが、まあまあ、平凡ではあっても幸せな一生であったと、言って良いのではあるまいか。 とは言うものの、それなりに波乱万丈のドラマティックな人生でもあったのだが。 まあ、次男として育てられ溺愛に近い愛情を注がれた私としては、実感として古風ではあるが、日本の大正生まれの女性としてはなかなかチャーミングで、魅力ある、素晴らしい女性であったと、母が亡くなった後では、しみじみ感じたものである。 ついでと言っては何なのだが、妹についても触れておこうと思う。 妹も既に鬼籍に入ってから久しい。私より三歳年下であったから、生きていれば72歳になっている筈である。 十代の頃の私達兄妹は近所でも評判になるほどの、仲の良い兄妹であった。近所に住んでいて懇意にしていた主婦が、まるで恋人同士のようだと評したくらいなのであって。もっとも、当事者である私も妹もそのような関係を少しも特別だとは、意識していなかったし、むしろ当然の事として心得ていた。 そして大学を卒業して社会人になるまでの私は、女性と言えば母親と妹だけでした、少なくとも日常的に親しく濃密な接触を保っていた女性は、皆無だった。 無論、遠くからそれとなく心を惹かれ、密かに憧れていた女性は一人、二人はいましたがね。とにもかくにも、そのような状態で二十代の少なくとも、前半までは経過していた。何の不満もなかったし、困ったとも感じたことは、自覚的にはなかった。 ずっと後年になってからの事だが、振り返ってみると、母親も妹も私が拙い人生で知り得た女性の中では、平均以上の素晴らしい女性だったのだと、しみじみ実感したのであるが、母親と妹に感謝したいと同時に、そうしためぐり合わせに生まれた幸運にも、感謝したいと今では強く、強く思っている。 つまり、女性とは数の上では恵まれなかったけれど、素晴らしい女性運に恵まれていたと、それこそ神に、天にお礼を申し述べたい気持ちに、自然になるのでありました。 結論めいて言えば、私の人生では必要な女性には、少数精鋭?ではあったが、非常に恵まれていたと言えるようである。
2019年07月02日
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