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2012年も残すところあとわずか。今年最後の記事は、ケータイから・・・ふっふっ、そうです。つまりは出先からな訳です。なので、これを今回の旅のプロローグにしようと思います。福山編すらまだ書いてないのに、プロローグばかり溜まってゆく・・・仕方ないな、ワシにも都合があるんじゃ今回の旅は、いよいよ安芸デビュー安芸っつっても広いし、行きたいところは山ほどありますが、私がデビュー戦に選んだのは、長く私のブログを読んで下さっている方なら「ああ、アンタらしい選定だよね~」ってセリフが思わず出るような場所ホントはこの旅は山口に行くつもりだったんだ~。大内義興さんの墓参りで去年のリベンジを果たし、あ~んど政弘の墓参り、元日は義興さんの勧請した山口大神宮へ初詣に行って、リフォームの終わった龍福寺や、駆け足で写真だけ撮った今八幡や、他にも行かれなかった数々のところへ行く、最高のお正月プランを夢見ていたのに・・・ブログを始めて最初の頃に書いた気がするけど、私は正月とGWは遠出しないとゆーポリシーの持ち主。しかし、今回は1日休みを足せばかなりの休暇になるので、禁を破って泊まりで出かけることにした。が、なにしろ年末年始に遠出した経験がないので、予約のルールがわからない。早いうちからチェックはしていたけど、気がついたら山口行きのヒコーキは埋まってた。キャンセル待ちは入れたものの、宿も押さえなきゃいけないし、ただキャンセルを待つのも・・・ところが、広島行きはまだ空きがあった。てな訳で、泣く泣く山口を諦めた。ああ、山口行きたかったな・・・でもいいの。代わりの萌えエリアを選んだから今日も早速、(私にとっては)大物のムフフスポットへ行った。そして明日の元日もこれまたムフフな場所へ行く。年末はめちゃくちゃ頑張ったからな~。ここで思いっきり浸って、英気を養わねば。しっかし、今日は寒かった~(-.-;)予報では最高気温1℃で、結局その通りだったみたい。今日はまず山城に行ったんだけど、結局1度も上着脱がなかったもん。今回も山城ばかりで、汗っかきなので寒さ対策と汗冷えのバランスをどう取るか、あれこれ悩んだからな・・・結局、小物で冷えをカバーする方針にしたんだけど、たぶん滞在中で今日が一番寒いと思われるから、まあレイヤーは成功かなただ、宿に着いて鏡を見たら、目がめちゃくちゃ充血してた。そうか、寒風にさらされてもこうなるんだ(-o-;)明日からはちゃんと目薬さそう。登山の経験から、寒いとカロリー消費が多いのは知ってたけど、まあ今日も食べた食べた。軽く朝ごはんから始まって、空港でおにぎりとチーズパン。昼過ぎにはフツーにお腹が空いて、城跡でドーナツ2コとサンドイッチ。夜ごはんはコンビニのたっぷりラザニで年越しそば(笑)。明日の行動食は、おにぎり3コと菓子パン3コとりんご饅頭で足りるかな・・・おやつもあるし(^w^)食事にこだわらないタチなのは、三原編を読んだ方は先刻ご承知ですわよね(笑)。でも、いつもなら缶チューハイで晩酌するとこだけど、年末年始なので気持ちフンパツして今日は桃のワインで乾杯。ワイングラスが欲しいとこだけど、仕方ないな・・・ さて、そろそろ明日の準備をせねば。明日も早いのじゃそれでは皆様、よい夜を。来年もどうぞおよろしくね。にほんブログ村
2012年12月31日

あ~忙しい忙しい。この土日が勝負なのでマジで死んだ気で頑張らないと大変なことになる・・・てもう日曜日だけど。自分のノルマをこなすのに、いっぺん死ななきゃならないこのていたらくしかも、こんなどうでもいい雑談まで書いている(笑)。けど、今年の雑談は、今年のうちにねもうほとんど殴り書きですが。一昨日、めでたく母親が退院しました。先週、急遽退院宣告が出たのに、当日になって別の先生がそれを撤回するという騒ぎがあり、昨日の退院もその時決まったものの、また延期されるんじゃないかと思っていたんだけど、予定通り年内に退院できたので、まずはひと安心ヘンなものをもらう前に退院できてよかったと言ったら、実は数日前に下痢をしたとのこと。4回ほどトイレに行った後で、看護婦さんに「白川さん、次にトイレ行ったら病室全部消毒しますから」と言われたそうな。言われた本人は、そんな事とは思いもしなかったので、「うっかりした事言えんな~」と思ったらしいけど、実際に病院で集団感染してるケースもあるわけだし、それくらいの管理体制でいてもらわなくちゃ困るよね。ま、幸いその後はストップしたので(別にガマンした訳ではなく)、バイキン君扱いされる事はなかったそうだけど。私はかなりの頻便体質なんだけど(汚物系の話が多くてすいません)、その母は強度の便秘症。家では小豆とかをせっせと食べて老廃物の排出につながるよう努めてるんだけど、病院ではそれもままならないのでやはり出ないと言っていた。だから、溜まりすぎて下痢になったんじゃないかと思うんだけど↑現実にはそんな事あるハズがありません。私は便秘というものを経験したことがないんだけど、あれも結構コワイんだよね~。下手すりゃ、死ぬから。そうそう、クリスマスに病院で出たローストチキンは美味かったそうですよ(笑)。なんでも、クリスマス当日には看護学生がやって来て、クリスマスムードを盛り上げてくれたらしい。ローカにずらっとローソク持った学生さんが並んで、親切にもクリスマス慰門をしてくれたんだそうな。個人的にクリスマスを楽しみたい人もいたでしょうに、実に奇特だ・・・さすが、白衣の天使予備軍。だけど、うちがお世話になった病院の病棟では、白衣の天使バージョンじゃなく、派手な柄のウェア着た看護婦さんもいたんだけどね。だから、今回来てくれた学生さんの中には、卒業しても白衣の天使になれずに派手柄の天使になっちゃう人もいるかもしれない外来と病棟では色々違うので、面白いんだよな。しかし、病院の廊下でみんながローソク持って並んだと聞いて、「百物語・・・?」とイメージするのは私だけだろうか。それで、歌を歌ってくれたり、グリーティングカードを1人1人に渡してくれたんだそうな。カードの半面は病棟からで、もう半面は学生さんからのメッセージが書かれていた。うちのには、「退院がのびて残念でしたね。リハビリ一緒に頑張りましょうね」みたいな優しいお言葉が書かれていて、看護婦さんも大変だな~と思った。こんなイベントを毎年やってるのか聞いたら、恒例行事ではないとのこと。ラッキーだったね。まあ、とにかく無事に退院できてよかった。私はといえば、昨日から待望の休暇に入りまして、今年最後の買い出しに行ってきました。土曜に100円になる卵も158円だったし、グラム98円のベーコンを買うのが目的だったのに、正月用品に入れ替わっててベーコン買えなかった・・・いつもより人も多かったしな~。特に、肉のコーナーでは年配の夫婦が高い肉を吟味してる光景が広がっていて、「あ~、子や孫が来るからフンパツしちゃうんだろうな~」って想像しながら眺めてた。他にも、小姑と嫁みたいな女性ペアが沢山買い物してたり、もう正月ムードでいっぱい。1人で買物に来てる年配の男性も結構いたんだけど、レジの人に何度もお礼を言ってたりして、普段のスーパーとは全く違った雰囲気をかもしだしていた。想像力だけはたくましいので、豪華な食品をカゴに入れてる人達を眺めては、みんなそれぞれの人生があるんだな~と1人でニヤニヤ・・・あまり大きくないスーパーとかだと、この時期はもう正月用品しか並ばなくなったりするから、結構みんなお家でおせちを作ってるってことだよねえ。うちも毎年母親が奮闘してますが、今年はとても無理だし、私も作ってる時間がないので今年はおせちを注文しました。ええ、わたくしの自腹で。「高いからいいわよ~」と何度も言われたけど、なきゃないでぶつぶつ言うに決まってるから、あちこちのお店からチラシをもらってきて、結局セブンイレブンのに決定しました。売ってるおせちのほとんどは冷凍なんだと初めて知ったんだけど、セブンイレブンのは解凍してセッティングする手間がないし、冷凍よりは生のが美味しいだろうと思って。注文を確定したら、両親は2人とも喜んでたので、初めて買うおせちを今では楽しみにしているらしい。・・・やっぱり食べたかったんじゃん。今月の特に後半は、家の中でも外に出ても走り回ってるチョ~忙しい日が続いていましたが、それもあと1日だ・・・これだけ頑張ったのだから、来年はきっといい事があるに違いないとハアハアしながら自分を励ましてきた、そんな年末でした。皆様はどのような年の瀬をお迎えでしょうか。どなた様も、どうぞよい年をお迎えくださいませねにほんブログ村
2012年12月29日

今回は備忘録としての今年の総括をば。今年を一言で表わすならば、やっぱ「ブログ」だろうな。やあ、書いた書いた~。中身の良し悪しは別として、本編を書いてる時は、ほぼ毎日更新してたからな。今年最初の旅は、正月明けの赤間ヶ関。それまでの旅では、行った先々から写真付きでツイートするのが常だった。が、この時はやむにやまれぬ事情でツイートできず・・・ツイートしない旅は初めてだったから、辛かったなあ。ただ、それまではブログ゙での旅日記の公開はまだ何年も先の予定だったから、行った先の事を公開するツールがなかったんだよね。だから一所懸命ツイッターで写真をアップしてたんだけど、去年の10月に急にブログを開設したから、もうあくせく写真を公開する必要もなくなった。ツイートしないのに慣れると、旅に集中できていい。特に、段々とより思い入れの強い場所に行くようになったから、思う存分浸れるようになった。その延長で通常のツイートもしなくなったし、自分のタイムラインすらほとんど見なくなったので、もうツイッターはいつやめてもいい状態・・・ただ、地震速報なんかはやっぱりツイッターのが早いしな。それに、たぶん私のブログの読者様は6~7割がツイッターのフォロワーさんだと思うので、ブログ更新のお知らせだけはツイートしてる都合上、すぐにやめる事はないと思うけど。それから、今年は思いがけず毛利カラーの強い1年になった。いつ頃から毛利さんちが気になりだしたのかは覚えてないんだけど、去年もそれなりにゆかりのスポットとかに行ってはいるんだよね。三井寺でもそうだし、岡山でも毛利側として境目7城のいくつかを回ったりしてるし。そういえば、巣鴨編でも出てきたよな。山口にゆかりがあるのは当然の事だし・・・あれ?て事は、去年行ったお出かけのほとんどに毛利さんちが関係してたって事かでも、今年はさらにそれが本格的になってきた。今は増え続ける本を分散してしまったり、あるいは積み上げてる状態だからちゃんとした本棚が欲しいな~と思ってるんだけど、これを綺麗に本棚に並べたら、「アンタらしい本棚じゃねえ~」と多くの人が笑うに決まってるしかし、毛利家なんぞは大物なので、読めば読むほど正直言ってその複雑さに頭が痛い・・・できれば今からでも引き返したい位だけど(笑)、結構金かけてるからな・・・元は取らねばまあ、大内さんちと毛利さんちは色んな場面で切っても切れない関係にあるからな。やはりこれは運命だったのでしょう。来年はさらに遠出を控えようと(今は)思ってるけど、行かれる限りは当分の間、広島と山口に通うつもりでいるので、あんまり全国区ではない地味なスポットなども私のブログを通して楽しんでいただけたら幸いです。で、広島と山口、この2県で行きたいところは山ほどあるし、旅のプランを考えるだけですごく楽しみ・・・もちろん現地でも楽しむ。なんだけど、外的なビジュアルよりも歴史の方の比重が大きいので、はっきり言ってブログを書くのが大変。国人同士の絡みとか、色々と複雑なので負担が大きいのだ。それも、細かい事をただ羅列すればいいってもんじゃないし、地道に読んで下さる方がいる以上、なるべくわかりやすく書きたい。伝わらなきゃ意味がないし。なので、旅に出る前からブログの事を考えてげんなりするのも多くなった(笑)。でも、伝えたいことや書きたいことを真面目に書いておけば自分の勉強にもなるし、後でまた別の関連する場所に行った時がラク。あんなだらだらした記事でも、本人は至って真面目に一生懸命書いてますんでね。それでも、その思いをまた真面目に受け止めてくれる人がいて、さらに「わかりやすいよ~」とか「よかったよ~」って感想をいただくと、ホントに励みになります。確かどこかに書いた気がするけど(←もう思い出せないし、探しに行く余力もない)、旅日記の本編を書いてる時にはその時代やら登場人物に集中するので、現実での時間の間隔がかなりおかしくなった。夜にPCに向かってその日の記事を書いてたらとても毎日の更新なんてできやしないので、休みのうちにできるだけ書き溜めておく。そうすると、休み明けには現実社会に戻るのに時間がかかって、まさに時差ボケ状態それくらい、ブログに打ち込んでた1年だったと思う。そんな感じで1年を過ごしてきたので、今年の出来事のニュースを見てても、どちらかと言うと、「1年早いね~」って言うよりは「これってもっと前の出来事じゃなかったっけ?」って方が多い。今年は領土問題とか、暗くて深刻なニュースが多かったように思うけど、実は個人的にもろくな年じゃなかった。色々な問題があって、かなり気が滅入る日々が続いた。いや、年とると色々と出てくるもんだよね~。年を取ってからうつ病とかの精神疾患になる人も世間には結構いるもんなんだけど、それも道理だわ~って身を持って実感した。来年は心穏やかに過ごせる日が少しでも多くなることを願うばかりです・・・さて、2012年ももうあと数日ですが、実に沢山の方にブログを読んでいただきました。長ったらしい記事を書きながらも、読む方も大変だろうな~といつも思っているので(笑)、この1年、継続して読んでくださった方々にはホントに感謝しています。「にほんブログ村」の「話題の記事」は最近評価の仕方が変わったようですが、私のつたない記事をノミネートして下さることも多くなりました。評価方法については公開されてないようで、「何でこの記事が?」って思うこともままありますが、何にせよ高く評価して下さる方がいるというのはありがたいことです。本編の再開は今少し先のことになりますが、来年もさらにマイナーな城や歴史の魅力を紹介していきたいと思っていますので、2013年も引き続きご愛顧いただけると嬉しいです。にほんブログ村
2012年12月28日

変なタイトルでしょう。先生も走る忙しい年末だから「師走」。今年は例年以上に忙しい年末を過ごしているわたくし・・・ジジイも走り回っているから「ジワス」(笑)。はい、わたくしが造りました休止すると言った割に、ブログはぼちぼち更新してますが、PCでゆったりまったり書いてる訳じゃないですよ。雑談のほとんどは、仕事の休憩中にタバコ片手にケータイからちまちま書いてるんです。私の仕事は波がある訳ではなく、年がら年中だらだらと忙しい。中でも年末は、書類の着信が多くて大抵忙しい。まあ、残業は基本しないけどね。その上、本来業務とは関係ないことを何日までにやれだの、新商品の試験を受けろだの、ただでさえ仕事が溜まってるのに、もうホント勘弁してくださいってカンジ。試験は金曜日、無事終わりましたけどね。そして会社を出ても、私の1日は終わらない。何もない時でも、夜にブログを書くのでこれまた忙しくはあるんだけど。何しろ、給料出ないくせに、ブログが本業のようになってるので(笑)。病院へは毎日行ってる訳じゃないけど、当初予定してたよりは通ってる方かな。てな訳で、今日は病院での楽しみなどを少々。入院・手術とはいっても、うちの場合は命に関わる重篤な疾患とかじゃないので、深刻に闘病されてる方に比べたら、気楽なもんです。なので、お気楽すぎて読んでて不快に思われる方がいたら、ごめんなさいね。今回は足の手術で、何年か前に受けたものの再手術。以前の時は、しばらく歩行器が病室に置いてあった。病棟の床って、結構つるつるしてるんだよね。普通にサカサカ歩けない方のためにそうしてるのかはわからないけど、こんなに滑りが良くて転倒とか大丈夫なのか!?ってくらい、滑る。実際、入院中に転倒して骨折する不運な方も多いし。なので、この滑りのいい病院の長い廊下を、歩行器でシャーーーーーッッッl!!!って思いっきりスピード付けて滑ってみたいってのが、歩行器に初めて触ってからの私のあこがれ今回も当然歩行器が出るもんだと思っていたら、なかった。あんまり台数がないらしくてね。今は他の人が使ってるんで、うちまで回ってこないらしい。思いっきり滑ることはできなくても、病室のカーテンの中でズリズリして遊びたかったのにな・・・歩行器は出なかったけど、車椅子があった。これまでの入院では、ラッキーなことに大部屋の窓際のベッドばかりだった。今回はあいにく真ん中のベッドなんだけど、こないだ行ったら見舞い客用のパイプ椅子がなかった。立ちっぱなしが苦手なので、仕方なく生まれて初めて車椅子に座ってみた。結構あれって、ゆったりして座りごこちがいいのね。病棟内ではやはり車椅子でもスルスル滑っていくので、歩行器がダメなら、車椅子でシャーーーーーッッッl!!!って爆走するのもいいよなあ・・・とあらたな妄想に浸った。が・・・、次に行った時にはもう車椅子は撤去されてた。あ~、仕事で疲れた体をあそこに沈めたかったのにぃ・・・いや、リハビリが順調に進んでるってことだから、いいっちゃいいんですけどね前回の時には、エレベーターで若くてイケメンで親切なお医者さんに出くわした。そういえば、去年私が足でお世話になったイケメン先生も、その後のちっこくて可愛らしい先生もここの勤務だったな。見舞ってる最中にお医者さんを見かけることはほとんどないからわからないんだけど、ここの病院、まさか顔で採用してる訳じゃないよな・・・とか一瞬思った幸い病院は会社からは近いので、私が着く頃はちょうど晩御飯の時間。イケメン先生の乗ったエレベーターを降りて病室へ行くと、まだご飯前だった。荷物を渡したり話したりしてるうち、カーテンの外からいい匂いがして、配膳が始まった。と、静かだった病室がにわかに活気づく。うちのところでも、いそいそとテーブルの上を片づけたり、箸を準備したりして「おいでませ」状態だったし(笑)。手術直後はほとんど何も食べなかった母親も、今じゃ食欲だけはすっかり元通りで、すごい勢いで平らげていく。見舞い客のいないカーテンの向こう側からも同じような雰囲気が漂ってくるので、「ご飯の時は、活気があるよね」と言ったら、「そりゃそうよ~。食べることしか楽しみがないんだもん」とむしゃむしゃ食べながら返してきた。他の病院はどうか知らないけど、ここの病院はクリスマスにはケーキとローストチキンが出るそうですよ。面白いね(←面白がるな)あとね~、病棟で好きなのが、トイレあれ?また雪隠の話だ・・・(笑)。トイレっつっても、個室の方じゃなくて洗い場の方なんだけどね。お手拭き用の紙が設置されてるんだけど、普通のトイレにあるように、紙が下からぺらっと出てる訳じゃない。だから、最初はお手拭きペーパーの設備だとはわからなかった。病棟のトイレにあるお手拭き紙は、まず紙が出てない機械の下に手を差し入れる。そうすると、ウィィ~ンって紙が上から出てくる仕掛けなのだ。普通の場所ではこーゆーの、ないしね。だから、帰る前にトイレに行くのが楽しみ(←楽しむな)今のところはまずまず順調なので、このまま行けば年内には退院できると思うけど、今日も病院でノロウィルスの集団感染なんてニュースがあったし、病棟内にも感染防止に関する張り紙などがあちこちにあるので、変なモノをもらわないうちに退院してくれることを祈るばかりです・・・ご心配いただいてる皆様、ありがとうございます。にほんブログ村
2012年12月23日

このところ、毛利関連のことばかり書きこんでるので、大内から毛利へ鞍替えしたのかと思ってる方もおられるかもしれませんが、そんな事あるハズがありません。たとえ隆景ちゃんをこよなく愛していようとも、大内さんちは私にとって今も燦然ときらめく巨大な星のごとく(笑)。大内氏とは関係なさそうな本や資料を読んでても、突然大内氏の名が挙がると、瞬時に思考がストップします。仕事中でも・・・あ、大内氏の名前が出てくるような幸せな仕事はしてませんけどね。私の仕事は、全国から書類が集まってくる。史跡めぐりの時は、基本的に地図を片手の歩き旅なので、行った事のある場所、これから行こうとしてる場所は自分でも驚くほど町名まで頭に入ってる。ので、住所を見ただけで「あ、これあそこだ~」ってわかっちゃう場所が結構あるのですが、特に顕著なのが山口市内。山口市内の町名はかなりの割合で頭に入ってるかもしれない山口市内にお住まいの方からの書類を見ると、仕事中でもソッコー思考が山口に飛んでいきます。ましてそれが、大内ひろよんが現在の山口中心部に本拠を移す前の「大内御堀」なんて住所だったりすると・・・もう仕事どころじゃありません(笑)。「隆景と大内氏とどっちが好き?」なんてイジワルな質問しないで。そんなの、比べられません大内氏に骨抜き状態なのがずっと続いてるので、アカウントを「白川りり」から「大内りり」に改名しようと何度思ったことか・・・ツイッターではアカウント名をちょいちょい変える方も結構いますが、私は変えるのは好きじゃないので、改名の誘惑をぐっとこらえています。まだ。でもいつか「大内りり」に変わったら、あ~、我慢できずについに大内家に嫁に行ったか~とご笑納ください。さて、大内家のおノロケ(?)はこのくらいにして、本題へ。西国きっての大大名であるにも関わらず、一般的にはマイナー扱いされる大内家は時にトンデモな形で紹介されることがままあります。今回のテーマもそんな中のひとつで、以前から私がもんもんとしていたものです。史実の上での大内家最後の当主は、大友義鎮(のちの宗麟)の弟である義長。この人は、大内義興さんの娘を母に持つので、つまり義隆の甥にあたる。もとは、足利第12代将軍義晴の偏諱を受けて、晴英と名乗っていた。大内家の運命を大きく変えた月山富田城攻め(第1次)。まだ実子のなかった大内義隆は、姉の子といわれる晴持を土佐一条家から迎えて養嗣子としていた。晴持の「晴」も、足利義晴からの偏諱。月山富田城攻めに晴持も出陣したものの、大内方が総崩れとなり退却する際、義隆と別れて揖屋(いや。島根県東出雲町)から海路を取った。ここで小舟に乗って大舟に移ろうとした際、同じく敗走する味方の兵が我先にと晴持の小舟に取りすがり、舟は転覆、晴持は溺死。まだ20歳の若さだったという。義隆は晴持を相当愛していたといわれ、ゆえに晴持の死が義隆に与えたショックは大きかった。以後は義隆は軍事にはタッチせず、大内文化を造り上げた公家らと文芸に浸り、大内文化の申し子とも言うべき才能を開花させた。家督を相続する資格を持つ晴持が亡くなったことで、他に跡継ぎを持たない義隆は、やはり姉の子である晴英を大友家から迎えた。しかし、晴英は猶子。これは条件付の養子なので、晴持の養嗣子よりはランクが下がる。そして天文14年(1545)、義隆に嫡子が生まれたことで晴英は縁組を解消された。軍事をかえりみない義隆に不満と危惧を抱いた陶隆房はひそかにクーデターを計画。周辺国人の取り込みと並行して、次代の大内家当主として晴英を再スカウトした。この時、兄である大友義鎮は単なる傀儡に過ぎないことを見越して反対したといわれるが、晴英本人の意思が固かったためこれを許可したとされる。そして大寧寺の変。クーデターに成功した陶隆房は、晴英を当主に据えた。陶隆房は、一般的には「陶晴賢」(すえ・はるかた)の名の方が有名だけど、隆房から晴賢に改名したのはこの時。新当主である晴英からの偏諱を受けて、晴賢。ただね、通常なら「英」の名をもらい受けるであろうところだけど、「晴」の字をもらってるところがミソだけどね。のちに晴英は「義長」へと改名する。ここでよくいわれるのが、「大内家代々の通し字である”義”を名乗った」というものなんだけど、おい!!っていつも思うのさ。義長の先代は義隆。先々代は義興。確かに2代続いてる。が・・・大内さんちには絶対的な通し字はないんだけど、「義」は義長以前には義弘と義興さんと義隆の3人しかいないんだよ~。通し字として挙げるなら、やっぱり「弘」の方だと思うんだよね。すべての当主の名前を見てみましょうか?琳聖太子から始まって、正恒 ~ 藤根 ~ 宗範 ~ 茂村 ~ 弘真 ~ 貞長 ~貞成 ~ 盛房 ~ 弘盛 ~ 満盛 ~ 弘成 ~ 弘貞 ~ 弘家 ~ 重弘 ~ 弘世 ~ 義弘 ~ 盛見 ~ 持盛 ~ 持世 ~ 教弘 ~ 政弘 ~ 義興 ~ 義隆 ~ 義長(当主の系図にはいくつかの説があります)ほらね、これ絶対「弘」の方だよな~と思って系図をパラパラ見てたら、案外「盛」の字も多いことに気がついた。中途半端も何なので、この際だから数えました。わたくし結果、 1位・・・弘(10点) 2位・・・盛(5点) 3位・・・義(4点) 4位・・・貞(3点)うんうん、やっぱ「弘」だったか。大内氏には右田・問田・鷲頭(わしず)・末武・冷泉・陶などの庶家も色々ありまして、ついでだから庶家をあわせた一族の名前に多く使われてる漢字をカウントしてみた。そしたら、 1位・・・弘(105点) 2位・・・盛(70点) 3位・・・貞(37点) 4位・・・重(21点)、保(21点) <系図は『大内氏實録』に掲載のものを使用>との集計結果だった。これに当主の分をあわせると、弘(115点)、盛(75点)、貞(40点)となり、ダントツで「弘」が多い一族だという結論に落ち着いた。さて、一部に大内家の通し字として誤解を招いている「義」の字、これはどこからやって来たのか?「義」の字を使う当主は義弘、数代置いて義興さん・義隆・義長と続く。義弘の名前については手持ちの資料ではわからないのでちょっと置いといて(笑)、義興さんへ飛びます。義興さんの名前は、長享2年(1488)、時の将軍・足利義尚から「義」と「興」の2字を賜ったもの。「ひとよむなしく」の応仁元年(1467)から始まり、10年続いたといわれる応仁の乱は、文明9年(1477)の大内政弘の帰国をもってエンディングを迎えた。政弘が帰国したその年に、義興さんが誕生。義興さんが幼名の「亀童丸」から「義興」へと改名した2年前には、大内氏の氏寺・興隆寺が後土御門天皇から「氷上山」の勅額を賜り、山口滞在中の画聖・雪舟が「四季山水図」を大内氏繁栄の祝いに描きあげるなど、この頃は大内氏絶頂期の一歩手前の段階。(「山口編(22)」あたりもご参照ください)大体、足利将軍家の通し字である「義」をもらうあたり、普通じゃないもんね。ここからも、当時の大内氏の勢力が窺われようというもの。義隆の名の由来はちょっとわからないんだけど、おそらく義興さんと同じく、大内氏の繁栄を反映(笑)・・・したものなんでしょう。まあ、応仁の乱以後、将軍の偏諱の価値も下がってたとはいわれるけどね。養嗣子である晴持をこよなく愛した義隆は、晴持の死後、幕府に運動してこれまた将軍家の「義」の字をゲットし、「大内義房」として弔ったという。そして最後の当主・義長は、大内家の通し字である「義」をもらい受け・・・じゃありまへん。義長の名前は、やはり将軍・足利義藤(のち義輝に改名)から賜ったものだという。クーデター後に他家から迎えられた傀儡に、将軍の偏諱?実は、剣豪将軍として有名な義輝様は、大名間の調停にも乗り出し、将軍の権威を復活させようとした事でも有名だけど、経済的にもなかなかのやり手で、「義」の字は50両以上、「輝」の字はそれ以下のお値段でいわば販売をしていたという話がある。将軍からの偏諱をお手軽に受けられるようになったためか、義輝様の偏諱を受けた武将は多い。有名どころでは、「義」の字は島津義久(鬼島津の兄)・朝倉義景・尼子義久(晴久の子、経久のひ孫)・武田義信(信玄の嫡男)・相良義陽など。え?相良義陽(さがら・よしひ)は有名じゃない?(笑)「輝」の方では、伊達輝宗(政宗の父)・上杉輝虎(のちの謙信)・・・毛利輝元もそうだわね。こういうスタイルのため、義輝様の偏諱を受けた武将は多いけれど、実際には義輝様に拝謁すらしていなかったという武将も多く存在する。義藤の「藤」は売ってたかわからないけど、細川藤孝(のちの幽斎)・一色藤長など近侍してた人や足利藤氏(次期古河公方と認められていた)なので、こちらは純粋な偏諱の割合が多かったかもしれない。だからね、義興さんの「義」と義長の「義」では価値が違うんですよ。義輝様の名前の価値が低いとは言わないけど。だって義輝様、好きだし(←ただそれだけ)にほんブログ村
2012年12月22日

冬本番です。乾燥でお肌がカサつくこの時期、手やかかとのヒビ割れでお悩みの方も多いのではないでしょうか。私はかかとも割れますが、とにかく子供の頃から手の皮膚が弱い。いわゆる主婦湿疹のようなもので、小学生の時は1年くらい右手にホータイ巻いてた事もありました。大人になってそれは治ったけど、右手の手の皮は薄いままだったので、ちょいちょい指の股に湿疹はできたし、水仕事なんかするとすぐに手がボロボロになります。近年は毎年のように母親が入院してるので、その間は私が一時的に主婦のお仕事を務める訳ですが、そのたび手が悲鳴を上げてます。ちょっと手がカサついてるくらいなら市販のハンドクリームでもいいんだけど、本格的に手が荒れると、そんなものはただしみて痛いだけで、何の役にも立ちません。数年前、ヒビ割れにいいという「ヒビケア」の存在を知って、感動してかかと割れに付けてたこともありますが、どうもイマイチ。去年の11月頃もやはり母親の入院で手がボロボロでした。病院に行く時間もないし、なんとかならないものかとネットを見ていた時、ワセリンでのお手入れ方を知りました。ワセリンは去年の9月の城攻めでケガをした時に自己治療をしようと思って買っていたので、「おお、これならできる!」と早速試してみました。ワセリンは薬局で「白ワセリン」として売ってます。マツキヨでは、400円くらいだったかな。結構経済的。「赤ワセリン」とか「黒ワセリン」が売ってる訳じゃないのに、なんで「白ワセリン」という名称なのかは疑問ですが半透明のクリーム状ですが、これを小さじ1杯くらい、ケチらずとにかくたっぷり取って、まず手のひらで温める。温まったら、これを患部に塗るべし!塗るべし!とにかくよ~く塗り込んでください。しつこく塗り込んでいるうち、皮膚もぽっぽっと暖かくなってくるので、血行が良くなって冷え性の方にもいいと思います。しっかり塗り込んだら、キッチンペーパーやティッシュで潔くきれいに全て拭き取ります。これを1日に2~3回。拭き取ってしまうと案外さらっと仕上がるので、日中の使用でも抵抗なく使えます。べたつきが残るようだと、寝る前に塗って靴下や手袋をしないと使えないけどね。薬じゃないので、塗ってすぐ荒れが治った!って訳にはいきませんが、続けることでマイルドに効いてきます。去年はこれを数日続けるうち、手荒れもだいぶ落ち着いて楽になりました。今年は荒れる前に予防として早くから実行してますので、代打の主婦を務めて2週間ちょっとになりますが、レッドゾーンまで陥ることもなくまずまず順調にきてます(メニューに若干の手を抜いてることもありますが)もう本当にワセリン様々です。ただ、ケチな私は全部拭き取るのはやはりもったいないので、手に塗り込んだあと、足に塗ってから拭き取ってますが(笑)。ヒビ割れでお悩みの方がいたら、是非試してみてくださいね。もちろん、皮膚がお丈夫な方にもオススメですが。にほんブログ村
2012年12月20日

また雪隠の話かよ~!!と思った方も、1人や2人ではなかろう・・・そうです、それが何か?(←完全な開き直り)たかがトイレと馬鹿にするなかれ。結構切実な問題なのだ。ミワラでも我慢しながら歩いたことは本編に書きましたので、同じ事は書きません。今日は山のトイレについて。山登りは5~6年くらいしてたんだっけか。2週にいっぺん山行ってたんだから、若かったなあ・・・(笑)。連休の時は泊まりで山行ったりもしたけど、ほとんどが日帰り。うちの方は、よほど条件のいい時だけ高い所から筑波山や富士山がかすかに見える程度の、関東平野のど真ん中。朝イチで家を出ても、登山口に着く頃にはそれなりの時間になってるのであまり長い行程の山は選べない。鈍足だし。なので、所要時間が4~5時間程度の低山が中心だった。日の長い季節なら、6時間くらいのところも行けるけど。4~5時間って言っても、純粋な歩行時間だから休憩やお昼をプラスするとトータルでは結構かかる。で、山にいる時間が長ければ長いほど問題になるのが、トイレ。まあ、人の多いところなんかだと、山中にもトイレがあるところもまれにあったけどね。ただ、人ゴミが嫌いなのは昔からで、人気の高い山はパスする傾向にあった。お元気な中高年のパーティーとか、うるさいんだもん山に行ってまで、イライラしたくない。そうなると、トイレなんて立派なものはない。したら、トイレはどうするのか?もちろん野外ですよ。ワイルドだぜ~男性の場合は、さして問題はないんだよね。ガサゴソと、草むらに入ってちゃちゃっと・・・ちなみに、男性の小のことを、山用語で「キジ撃ち」という。なんでも、その名の通りのカッコから来てるというんだけど、普通テッポウって顔のところで構えないか?よくわかんない大変なのは、女性ですよ。私の場合は、ごくまれに1人で山へ行くこともあったけど、ほとんど相棒が一緒だった。ので、もよおしてきた頃になると、まず良い場所がないか探しながら歩く。場所が見つかったら、1人は見張り番。もし人が来たら、熊鈴とかで「不審者、接近中!注意セヨ!!」の合図を出す。主役の1人は、常備している折りたたみ傘を持って、目的地へ。この傘で、人界から見えないように大事な桃尻を隠すのだ。環境問題とかもあるし、登山道から外れるのはあまり望ましくないのでなるべくなら公共の所を使いたいけど、なかなかそうも言ってられない事が多かったので・・・そうして、2人で協力して青空せっちんを無事果たしておりましたが、1度だけ・・・1度だけ、人生最大級のピンチに陥ったことがある。あれは、忘れもしない深高山・石尊山(栃木)での出来事。これは、標高は高くはないけど、縦走だった。尿意を感じ始めてからいつものようにせっちんとなる場所を求めて歩いたものの、岩塊がむき出しになってるところが多くて、なかなか良いポイントが見つからなかった。我慢して~、我慢して~、・・・そのままピークへ出てしまった。あっ、ピークって我慢できずに漏らしたとかじゃないですよ(笑)。ピークは山頂のことね。石尊山の方だったかな。小広いピークは、土に覆われていた。周辺にはわけ入れるような立派な草むらはない。一段下がったところに、ちょぼちょぼと生えているだけ。しかし、ここまでの行程でほっとんど人には会わなかった。この先もいいポイントが見つかるかもわからないし、2人で相談して、ここで青空雪隠を敢行することにした。トップバッターは相棒。これは無事に済んだ。2番手のわたくし・・・ピークから一段下がった、実に頼りない草むらの中で安堵のひとときと、突然相棒のベルが鳴った。うわっっ、あともうちょっとなのに・・・!!何とか用が全て済まないものかとしゃがんだまま様子を窺ってたら、話し声が聞こえてきた。どうやら相棒が侵入者に話しかけて、足止めをしようとしてくれているらしい。ダメだ、登山者が来た道を引き返すわけもないし、戻らなくちゃ・・・!!立ったら下半身が丸見えなので、しゃがんだままズボンをずりずり上げて、その場に立ちあがった。急に草むらから人が現れたので、足止めされていた人達も静かに驚いた様子だった。ズボンは上げたものの、下着までは上げられなかった私は相棒の所まで戻ることもできない。しばらく離れた場所から、罪のない侵入者と何気ない風を装って少し立ち話をした。しかし、あまりの不自然さとその場の異様な雰囲気を感じ取ったのか、侵入者はピークで休憩することもなくしばらくして立ち去った。立ち去る背中を見送って、侵入者が確実に戻ってこないのを確認してから、2人で顔を見合わせて静かな山の中でゲラゲラ笑った。いや、笑った笑った。さて、山城攻めの季節になって、1人で行動することが多くなった私の気がかりは、やはりトイレ。普通の山ならいいけどね、城跡だからね。ましてそれが国やら県の指定史跡だったら、ちょっとマズかろう。いや、もちろん我慢するつもりではいるけど、こればっかりは自然現象だしねえ・・・てな訳で、これまで平城や平山城ばかりだった私にとっては、これから予定している山城群でのトイレに頭を痛めておるのです。ほとんどのところは、登山口にトイレなんかなさそうだしさ。近隣も民家がちらほらといった程度の所ばかりなので、下山してもすぐトイレに行かれる訳じゃないし。そういえば、前回の福山での2日目は、8時間くらいトイレに行かなかったな~。膀胱炎にならなくてよかった・・・にほんブログ村
2012年12月17日

今日は三原編の本編で書かなかった事を少々。職場では自分の趣味は話さないけど、それなりに近しい人はぼちぼち知るようになってきた。三原へ行ったのは夏休み。休みに入る少し前、私の趣味を知ってる2人の同僚と一緒に帰った。2人のうちの1人、Sさんは旦那様が城や歴史が好きらしく、Sさん自身もマンガで普通の人よりはいくらか戦国時代を知ってる。「夏休みはどこに行くの?」「ひろしま~!」「またお城?」「そうですう~」てな会話から始まって、Sさんが「聞いてもわからないかもしれないけど、今度は誰がお目当て?」と聞いてきたので、「あの・・・こ、小早川隆景・・・」っておずおずと言ってみたら、「う~ん・・・その人は知らないけど、アレなら知ってる~。ホラ、裏切った人~!」「ああ!その小早川です!その裏切りモンの養父なんですよ!」そ、そうか・・・一般的には隆景より金吾(秀秋)の方が名が知られてるんだ・・・まあ、あの大きな戦で大活躍(?)をしたんだしな。ドラマでも小説でもゲームでも、関ヶ原を取り上げる場合、金吾は外せないキャラだしな・・・初めて知る現実に、軽いショックを受けた。夏休みが終わり、ミワラ土産を配った。Sさんとは同じチームなので、土産を渡して休みのお礼を言った時、「そういえば、あの後ダンナに小早川隆景って知ってる?って聞いてみたんだ~。そしたら、どんな人かは知らないけど、ゲームでは滅茶苦茶強いキャラだって言ってたよ~」「そりゃ、強いと思いますよ・・・」やっぱり旦那様も、隆景はゲームでしか知らなかったか・・・あれだけすごい人なのにな武将・政治家としての才覚、隠居前まではろくろく自分の城にも落ち着いていなかっただろうというほどの数々の戦歴。「歴史が好き」というレベルにも色々あるし、大抵の人は時代や地域が限定されてる「好き」なので、特に層の厚い戦国に特別の関心を持たない人には確かに知られていないのかもしれない。あれ、そういえば私が隆景を知ったのって、いつ頃だ?とふと我が身を振り返ってみた。過去、「歴史との関わり」にも書いたけど、数年前までは私はホントに戦国時代の知識が全くといっていいほどなかった。当時、私が知ってた名前といえば、三英傑ぐらいかも加藤清正・真田幸村・石田三成あたりの名前だけは知ってたけど、戦国時代の人という認識はなかった。あ、明智光秀は知ってたな。信長様とセットになってるからね(笑)。ゲームでようやく念願の戦国デビューの足がかりをつかみ、手当たり次第にあれこれ読んだけど、最初はやっぱりメジャーどころから入った。その流れで関ヶ原について読んでいるうち、「小早川隆景がもし生きてたら、関ヶ原はどうなってたか?」みたいなテーマで隆景の名前をちらほらと目にするようになったような気がする。「小早川隆景?何なんだ、この人?」と思ったものの、どうも毛利さんちってアクが強いイメージがあって、あんまり好きじゃなかったので、それ以上調べようという気もなくそのまま・・・まさかその数年後に隆景を好きになり、しかも毛利関連の史跡を訪ねに広島へ通うことになるとは、その頃は思いもしなかった。う~ん、なんでこんなに隆景の知名度って低いんだろ?陪臣だから?でも隆景はただの陪臣じゃないし、後には独立大名として中央に参画してるのに。戦国ファンでもね、さすがにほとんどの人が名前くらいは知ってるでしょうけど、その実態を知ってる人ってやっぱ毛利ファンとかホントにディープな物知りくらいなんじゃないかな。広島に行くようになってから、旅の準備として関連の史跡やら城やらについて調べてるけど、隆景に入れ込んでる人ってあんまり見たことないし。戦国BLの世界なら、美少年というウワサがあるし、大内義隆がらみでBLマニアに人気がありそうだけど。(↑読んだことないので、実態は知りません)隆景ちゃんは、その実績に反比例して、とても地味な存在である変わった人。いや、決して隆景の評価が低い訳じゃないけどね。「隆景が好き」って人もいるにはいるし。ただ、どうも埋没しがちというのが私の印象。そう考えると、数年前の大河ドラマ「天地人」は随分思い切った選定だったな~とあらためて思う。かねたん(直江兼続)なんて、明らかに隆景ちゃんより数段マイナーじゃん!!いや、戦国はホントに層が厚いし、マイナー武将に光をあてるのはいいことだと思うけどね、でもかねたんが主役を張れるんなら隆景ちゃんだって毎週夜8時から1年間TVに出張ったっていいんじゃない?まあ、エピソードには困らないけど、単独での出陣ってほとんどないからな・・・それに、晩年がちょっとマイナスなイメージなのかも。あの体を張った養子縁組とかね。なにせ、隆景の代じゃないけど、最後は断絶ですから。でもでも、晩年なんてみんな寂しげに死んでいくんだし、なんとか行けないものかなあ・・・しかし、知名度が上がるのはいいことだと思いながらも、三原駅構内にある「隆景広場」の表示を見た時は、「隆景の何たるかを知らない人間までが、”待ち合わせは隆景広場でね”とか”隆景広場が・・・”とか隆景・隆景と呼び捨てにするのもイラッとくるなあ」と思ってしまった、複雑なジジイ心・・・さて、偉大なる小早川隆景がこんな調子ですので、その養子ともなればさらにマイナーです養子って言っても、金吾じゃなくて、秀包(ひでかね)様の方ね。秀包様は、「大津編(12)」で一瞬だけ顔を出してます。私は「ケータイ国盗り合戦」に登録してるんだけど、最近では国盗りも付随するゲームをする事もなく、毎日出題される戦国クイズだけやってます。先日、このクイズに秀包様が出た。え~と、確か「毛利元就の9男であり、兄である小早川隆景の養子となった人物は誰?」てな問題だったと思うけど、正解率49%。うっわ~、予想はしてたけど、知名度低っ!!いや、待てよ・・・49%は高い方かも。4択で、他の3者が景平・元春・隆元だから、消去法で景平と秀包様の2択に絞られてこの結果か・・・毎日の正解率を見てると、あまり歴史に詳しくない人も多く参加してるようなので、秀包様の実際の知名度はわからないけど、仮に戦国ファン限定でやったとしても、正解率が相当低いであろうことは容易に想像がつく。幕末まで存続した大名家でさえこれだから、戦国大名に討伐・吸収されていった国人衆なんてなおさらまあ、知名度だけがすべてじゃないけどね、山ほどいる埋もれた武将たちにもっと光が当たればいいのにな~って思う今日この頃です。もちろん私も、本編の方でできるだけ紹介していきたいとは思ってるけどね、何しろ進行が遅いし、今は休止中だし(笑)。にほんブログ村
2012年12月15日

皆様、お元気でしょうか。わたくしは最近の記事で少し書いたような家庭の事情によりまして、忙しさも佳境に入っております。疲労も来週あたりがピークでしょう。先日も仕事の帰りに病院に寄りましたが、ふと思い立ってカメラを持参しました。普段は通ることのない道を通るので、ちょいと夜景でも撮ろうかと思って。 このあたりは、平将門とゆかりの深いと言われる土地です。夜景モードで撮ってるのでかなり明るく見えますが、実際はもう少し暗めです。何にしても、1000年経ってこの地にこんな光景が広がるとは、将門公もびっくりでしょう。さて、折しもクリスマスを控えた12月。ぶっちゃけ、私は電飾というものにほとんど感動したためしがありません。普通の夜景なら、まだ綺麗だと思えるんだけどね。特にこの時期は、皆様思い思いの電飾を飾って信者でもないのにクリスマスを楽しんでますが、どうにもその飾り付けが性に合わない。てか、クリスマスってのは日本人の感性に合わないものなんじゃないかと、人んちの電飾を見るたび思う。だって、そもそもは外国の宗教の神聖な日だしね。なので、毎年この時期は街にあふれる電飾が苦痛な訳ですが、毎年入魂の飾り付けをしているお家があるので、せっかくカメラを持ってきたんだし、ついでに撮っていこうかという気になりました。まあ、どう楽しもうが個人の勝手だし、人様のセンスをとやかく言うつもりはありませんが、「わあ~、綺麗」じゃなくて「ハア・・・」と心の中で思いながらシャッターを押してたことだけお含みおきいただければ・・・(笑)。まず1件め。 2件め。初めて見たときは、「こんなとこにラブホあったっけ!?」って思いました(笑)。 3件め。こちらは、アメリカンなモーテル風です。 ここのお宅は、例年は門を開けて明らかに道行く人の観賞の便を図っているのに、私が行った時はまだクリスマスまで日があるためか、飾り付けは済んでるのに公開態勢にはなってませんでした。 う~ん、フェンス越しじゃやっぱな・・・かと言って、いくら隙間からの撮影が得意な私でも、さすがに人様のおうちの門扉にカメラのレンズを突っ込んで撮影するのははばかられたので、ひとまず今回は外観だけにしました。 4件め。 ここのお宅は、前は確かもっと大きな電飾の動物とかもいたような気がするけど、こちらにはほとんど来ないからな・・・以上の4件は、いずれも一般家庭です。飾り付けにも相当時間がかかるだろうし、ここまで来ると見上げたもんです。節電の嵐が吹き荒れた去年でさえ、3件めまでは例年通りライトアップしてました。(4件めは去年は通らなかったのでわからない)救いは、個々のお宅のご近所さんにライバル心を燃やしてこれと競おうというお宅がないこと(笑)。要するに、普通の暗い住宅地の中でそれぞれのおうちだけが煌々と光を放っておる訳です。こういう派手なお宅を見たあとに、こんなシンプルな飾り付けを見ると妙に心がなごみます。これは一般家庭じゃないけどね。 にほんブログ村
2012年12月14日

参道の終点から来た道を見下ろしたところ。 上の写真の左側には、小さな売店があります。そこには、こんなポスターが・・・ ええ~、江姫のお位牌?知らなかったよ・・・これ、期間が書いてないけど、今もやってるのかな?まあいいや、大猷院はどうせ最後に行くし、ついでに見れるカモ・・・で、最初の写真の右側に朱の玉垣が写ってますが、中にはこんな建物があります。 【東照宮御旅所 五月十八日 十月十七日 御駐輦】東照宮では5月17・18日の2日間、例大祭が行われます。ニュースで百物揃千人武者行列を観たことがある方も大勢いるでしょうが、その時に神輿がこの御旅所へお渡りになるんだそうな。供奉する人々は、鎧武者など53種類1,200余名!10月17日は秋季祭で、つまり年2回ここへお渡りになるって事だね。長く私のブログを読んで下さっている方はもう想像がつくでしょうが、この行列は私は見たことがありません(笑)。けど、お渡りの前日に行われる流鏑馬は見た。「どーゆー風の吹き回し!?」って思ったアナタ・・・たまたまです。たまたま日光詣でに来た時に、流鏑馬がある事を知って、せっかくだから観ていこうって気になったのだ。事前に知ってたら、その日には確実に来なかったね(笑)。御旅所は非公開です。建物も敷地の奥の方にあるし、何しろ入れないので、一般の観光客はほとんど足を止めません。てか、私だっていつも素通り・・・(笑)。普段はひっそりどころじゃないくらい静かなこの御旅所が、例祭の時にはどんな風に賑わうんだろうと興味はあるけど、やっぱりこの先もお祭りに行くことはないんだろうな・・・御旅所の真向かいにはこの建物。 ナントカ坊って書いてあるけど、字が読めない建物の入口部分はなかなかいい感じの建物ですが、こちらも非公開。門内には入れないので、これ以上建物の詳しい写真は撮れません。さて、御旅所のところで、ルートを左に取ります。 左から舗装されてない道、舗装されてる道、そして石段と3種類の道がありますが、このうち一番左側の道については解説がありまして、 【騎馬専用 この坂道は、日光東照宮の春・秋季例大祭の千人武者行列の際、 神職などが騎馬で使用する道ですので、馬道保護のため通行はご遠慮ください。】なんだそうです。まあ、言われなくても大抵の人は一番右側の石段を歩くんだけどね(笑)。日光山内には杉の巨木が多いですが、この道も杉並木と石垣が続きます。 え~っと、前回私が来たのは、去年の6月。そうだ、足の快癒祈願をしたんだ(よかったら「つめのはなし」もあわせてご覧ください)。あれほど苦労したのに、日光詣での次の週にはめでたく足が治ったから御礼参りに行かなくちゃ・・・と思いつつ連休のシーズンに突入してしまったので、なかなか行かれなくて・・・その後、年開けくらいに行こうと思った時があったんだけど、ちょうどその時体調が悪くなったので、見送ったんだっけか。そのままズルズルと1年半(笑)。2011年の6月ですから、東日本大震災の3ヶ月後です。日光山内では、震災で石塔などが倒れたりしたものの、建物に大きな被害はなかったようです。けど、この坂道を上がったところにある石垣は大きくたわんでいて、震災の影響で石垣がゆるんで危険なので近寄らないようにとロープが張ってあった。ああ、ちょうど去年現地からツイートした写真が残ってたわ。 ・・・写真じゃイマイチ、臨場感ないけどね。けど、ここのたわみは相当なものだったよ。この石垣が実際いつ積まれたものかはわからないけど、少なくとも200年くらいは経つはず。そんなものが、ぐにゃりとなるんだからね。日光市の震度は5弱だったらしいけど、どれほどのすごい力が加わったのかと思うと、そら恐ろしい大げさだと言われようが、私はあの時、死ぬかと思ったし。で、前回から1年半経った今回も、当時と同じくまだロープが張られてました。経済的理由とか色々あるのかもしれないけど、仮にそういう障害がなかったとしても、今では世界遺産である日光山内は、ホイホイと修復することもできないのかもしれないね。ちなみに、震災の起こったその時、ちょうど東照宮の本殿域にいて、しかもカメラを回してた方がおられまして、その時の映像がYou Tubeで公開されてます。まだ観光シーズンの始まる前だったから、参拝客はそう多くはないものの、建物内から外に出てきた人々が騒然とする中、あのゴテゴテした陽明門はびくともしてません。昔の建築技術ってすごいもんだな~と映像を見ててあらためて思ったね。※その映像を観たい方は、「東北地方太平洋沖地震 日光東照宮にて」で検索して観てみてくださいね。にほんブログ村
2012年12月10日

東武日光駅およびJR日光駅から神橋手前までは、国道119号線。突きあたりの日光橋を渡ると、国道120号線と名を変えて西へと続きます。日光橋付近の地図はこちら。南と東を川に囲まれてて、おお、天然の堀かあ~とかつい思ってしまったワタシ↑そもそもの開基はかなり古いし、寺社だから別の意図で選定されてるものなので、素直に信用しないようにね山内へ入るにはいくつかのルートがありますが、日光橋から始まる国道120号線の起点付近の道路は非常に狭いです。すぐ境内でもあるし、道路沿いの杉の巨木を大事に残してたりするので、簡単に道路を拡張する訳にもいかないみたいですね。山内を過ぎると国道は広くなるんだけど。日光橋を渡ったところから神橋を見た光景↓。 路側帯のラインはいちおう引いてはあるものの、歩道なんてないに等しいでしょ?だから私は、大抵橋を渡ってすぐの入り口から入ります。もう少し西側にある表参道付近には駐車場があるので、ほとんどの人はそちらから山内に入ります。ので、ここから入る人はあんまりいないかな。 日光といえばまず東照宮が浮かぶでしょうが、世界遺産に指定されてるのは「日光の社寺」。または「二社一寺」とも呼ばれます。上の写真の碑にある東照宮・輪王寺(りんのうじ)・二荒山(ふたらさん)神社、この3つで二社一寺。それぞれの本殿・本堂の他にも色々な建物はありますが、たぶんどれもがこの二社一寺の所属になってると思います。まあ、昔は山内ひっくるめてひとつのものだったんだしね。 入口の向かって右側には、石碑とかがあります。 3つめの写真の碑は、解説つき。 【杉並木寄進碑(特別史跡) 松平正綱とその子正信の親子二代が、20余年を費やして山内地区と東照宮へ 通じる日光街道、御成(おなり)街道、例幣使(れいへいし)街道、 会津西街道沿いの延べ37キロメートルにわたり、20数万本の杉を植え、 東照宮に寄進した。 この碑は、そのことを記念して、正信が慶安元年(1648)に建てたものである。 同様の碑が他に三基、各街道の日光神領の境ごとに建てられ「境石(さかいいし)」 とも呼ばれる。】 (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)普段の日光詣ででこんな碑なんて見ないし(すみません)、初めてまともにこの解説を読んだので、正綱さんについて調べてみた。なかなか有能な人だったようで、主に勘定方として活躍したみたいだね。家康にも重用され、財政の他、天領の管理なども担当したらしい。その職種柄、一時は相当な権勢を誇ったようで、後に家光に疎まれて勘定方首座を追われるんだけど、家康の死に関連しては久能山への埋葬および日光への改葬に携わり、東照宮の造営にも関わった人だそうな。20数万本の植樹は見上げたものだけど、その記念碑を自分たちで造っちゃうんだ・・・と思ったら、これは元々正綱パパが林羅山に碑の銘を依頼していたもので、その完成を見ることなくお亡くなりになったんだと。(以上、ウィキペディアより) 日光杉並木ってのは、この近くにあるにも関わらず私はまだ見たことないんだけど(笑)、総延長35.41kmで世界最長の並木道としてギネスブックにも登録されており、現在でも1万本を越える杉が現存しているという。日光山内はいろんな意味ですごいんだけど、杉並木には記念碑のほか、一里塚なども残っており、杉並木はもとより、碑と一里塚も附(つけたり)として国の特別史跡と特別天然記念物の二重指定を受けており、これは全国で唯一とのこと。・・・記念碑、造った甲斐があったね、正綱しゃん では、山内へ入りましょう。ピンクのルートに沿って、まずは輪王寺を目指します。 ここは、三井寺のように山内の入り口で拝観料を納める必要はありません。そのかわり、中の有料な場所ではその都度料金を払うシステムなので、見方によっては三井寺よりも相当お高くつきます(笑)。 ↑こんな石段をしばらく登っていきますが、周りにある石垣がたまらなく目の保養になります 上がるとすぐ、左手に小さな石段。 ちょうどこの時、上から人がやって来て、途中で降りる気配がなくなったと思ったら、おもむろにハーモニカの音色が聞こえてきた。・・・みんな、思い思いに日光を楽しんでるんだなあ(笑)。 この灯籠の上には、右手に上がる石段がある。 この上には、昔一度だけ上がったことがあるような・・・いずれ、ここも紹介しますね。日光にはこんなお宝があるにも関わらず、ふたはフツーの地味な柄。そして山内のふたは、景観保持のため、石が貼りつけてある。 石段はもうしばらく続きます。 上がった先は、「唯心院」。ただし、非公開。 石段が終わっても、まだ参道と石垣は続きます。おっ、すきまから裏込が見える(笑)。 にほんブログ村
2012年12月09日

JR日光駅、もしくは東武日光駅からバスに乗った場合、「神橋」バス停で降りると、その名の通り神橋(しんきょう)が目の前です。私は大抵駅から歩くんだけど、途中のガストで食事をしていくから、歩いた場合の駅からここまでの正確な時間はわからない。けど、ゆるい上り坂だし、4~50分くらいかかるのかもしれない。 ↑手前の建物でお金を払うと、神橋が渡れます。 【神橋 整地日光の表玄関を飾るにふさわしい朱塗に映える美しい神橋は、 昔は「山菅の蛇橋」などと呼ばれ日光二荒山神社の建造物で国の重要文化財に 指定され、平成11年12月に世界遺産に登録されました。 橋の長さは28m、巾7.4m、高さ(水面より)10.6mあり、 高欄には親柱10本を建て、それぞれに擬宝珠が飾られ乳の木と橋板の裏は 黒漆塗で、その他は朱に塗られています。 奈良時代の末に、神秘的な伝承によって架けられたこの橋は神聖な橋として尊ばれ、 寛永13年に現在のような神橋に造り替えられてから、もっぱら神事・将軍社参・ 勅使・幣帛供進使などが参向のときのみ使用され、一般の通行は下流に仮橋 (日光橋)を架けて通行することとなりました。 昭和57年男体山頂鎮座1200年祭斎行に際し、昭和48年よりその奉賛を 目的として、広く一般に公開され、平成9年より今回の大修理が行われました。 山間の峡谷に用いられた「はね橋」の形式としては我国唯一の古橋であり、 日本三大奇橋(山口県錦帯橋、山梨県猿橋)の1つに数えられています。】 (現地解説板より)う~~~~んっっ・・・・私、神橋の改修工事前から日光に来てるそうか、平成9年から工事が始まったのか・・・当時の写真があるかどうかもわからないから、古いアルバムは探してないけど、当時の様子はよく覚えてるよ。まだ世界遺産登録前だしね、神橋は塗りも結構ハゲてて、かろうじて木橋が架かっているだけって風情だったよな。この橋を人が通れるなんて事は、当時目にした人は思いもしなかっただろう。そもそも、当時は通行止めだったしね(笑)。そんなさびれた橋を2~3回見た後に、全面すっぽりシートで覆って大掛かりな改修工事が始まった気がする。工事は結構長くて、「あれ、まだやってる~」って来るたび数回思った記憶があるから、3~4年くらいかかったんだろうか。それとも、平成11年の世界遺産登録に間に合わせたかな?世界遺産の登録に全然関心がなかったから、覚えてない。登録されようがされまいが、私の中での価値は変わらないんだし。で、近年になって神橋は酒井忠次の寄進によるものだと知った。はい、いわゆる徳川四天王の一人、酒井忠次ですね。ところが、上の解説には酒井の「さ」の字も出てこないよね。戦国ファンなら、大抵の人が徳川四天王くらい知ってるはずだし、忠次の名前を出しておいた方が親しみがあっていいんじゃないの?って思いながらあらためて調べてみたら、よくある旅行記に『出羽庄内藩主酒井忠次が寄進』ってちょろっと書いてある程度だった。でわ?酒井家が移封されて出羽庄内藩に落ち着いたのは、忠次の孫の忠勝の時代。寛永13年(1636)の大造替の時の寄進とされるので、年代的にも忠勝が有力視される。ただ、寄進者がジイちゃんにしても孫にしても解説ではかすりもしないので、そのあたりについてはあまりはっきりしてないのかもしれない。なんか、いきなり貧乏っちい昔の姿だとか、妙に現実的な話から始まっちゃったのでちょっと修正しましょう(笑)。ここ神橋は、こんな伝説を持ってるそうです。 【神橋の伝説 奈良時代の末、下野の人沙門勝道は、その伯父・大中臣諸清たちと、 かねて深く尊崇する霊峯二荒山(男体山)の登頂によって鎮護国家、 人民利益のための大願をたてました。 天平神護2年3月(766年)勝道上人一行は大谷川のほとりにたどりつき 川を渡ろうとしましたが、岩をかんで流れる大谷川の激流のため渡る方法がなく こまりはてました。 上人はひざまづいて一心に祈念を凝らすと、川の北岸にひとりの神人が現われました。 その姿は夜叉のようで、身の丈一丈余、左手は腰にあんじ、右手に二匹の蛇をまき、 上人に向って「我は深砂大王である。汝を彼の岸に渡すべし」といいながら 手にもった蛇を放つと、赤と青二匹の蛇は、たちまち川の対岸とを結び、 虹のように橋をつくり、背に山菅が生えたので、上人一行は早速これによって 急流を渡ることができたといいます。 ふり返って見ると、神人も蛇橋もすでに消え失せてしまっていたので、 上人は合掌して、深砂大王の加護に感謝し、それ以来この橋を山菅の蛇橋と 呼んだといいます。】 (現地解説板より)神橋の架かるのは、大谷川(だいやがわ)。中禅寺湖から流れ出て、有名観光スポットである華厳の滝などの渓谷美を造り出しながら、山をくだって日光の社寺前を西から東へと流れていく。 神橋あたりの流れはそう深そうでもないけど、これは神橋よりちょっと上流でダムの水量調節をしているせいもあって、少し西に行くと結構深い。上流の方には、また別のちょっとした観光スポットがあるんだけど、それはまた別の機会にご紹介しましょう。ただ、大谷川の流れはどこも綺麗で、ところどころ淵になってる部分ではエメラルドグリーン・・・じゃなくて、エメラルドブルー・・・?ともかく綺麗な青を水面に描き出していて、私はこの川がとても好き。 さて、実はわたくし、記憶にある限りでは神橋を渡ったことがございません。だって最初がとても渡れるようなシロモノじゃなかったからさ、派手に改修工事が済んでからもどうも渡ろうという気が起きなくて(笑)。橋脚は案外スリリングだし。 まあ、神橋の手前にもいくつか銅像とかあるんだけど、大抵の観光客はそれらにほとんど目もくれずに、まず神橋へ来ますね。つまり、今では人気のスポット。そういえば、前回来た時はブライダルやってたよ。 この後東照宮の方で式を見たので、もしかしたら同じカップルだったのかもしれない。東照宮で式を挙げて、神橋で写真撮影のセットプランとかだったのかもね。神橋の手前には鳥居があり、なにやら看板がある。 【神橋古材展示について 古(いにしえ)からの山岳信仰の根強い歴史と影響力、それを背景にした 二社一寺の建造物群の存在、この両立する風土が一体となって江戸時代初期に 改めて整備された聖地日光は、徳川幕府による国家をあげての造替、修理工事が ほぼ二十年間隔で継続して行われその荘厳な偉容が保持、継承されてきました。 このような維持修理工事は、明治維新後も幾度か荒廃の危機をのり越え、 昭和の大修理を経て今日の文化財保存修理事業に引き継がれ、この弛みない 保存管理、継承の体制が建築の価値と共に世界的に高く評価され 世界文化遺産登録がなされました。 ここに関係機関の許可を得て、神橋修理工事時の古材を展示し、 文化財保存修理事業がいかに必要であるかの一例を示し、文化財保護愛護の精神の 普及に努めるものであります。 展示期間 平成19年10月~平成25年8月迄】 (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)「平成25年」の「5」の部分はちょっと変な風になってるから、どうやら当初の予定より延期されて現在に至っているらしい。その古材の展示施設はこれ。 まだ時間前だったせいか、シートに覆われてました。そういえば、橋はまともに渡ったことないけど、修理工事期間中にホントの期間限定の古材の展示だか何かがあって、それを見に橋のところまで行ったことはあったなあ。まあ、それも相当前の話だし、建築に興味を持つずっと以前のことだから、ろくに覚えちゃいないけど・・・にほんブログ村
2012年12月08日

本日は日光シリーズを開始する予定でしたが、急遽内容を変更してお届けします。何に変えたのかって、そりゃもう、今日の地震ですよ・・・こういうのは、感覚がリアルなうちに書き残しておいた方がいいのだ。どのみち、来年の本格再開までは雑記&日光シリーズをちょぼちょぼアップする予定だったし。基本、史跡めぐりの旅を公開するブログではありますが、雑記を書くのも期間限定ですので、よろしければお付き合いくだされ。本編を再開すれば、雑記を書こうなんて気はまず起きないからね。本日の地震の時間、私は帰ろうとしてた時でした。会社の階段を下りてたら、久々の緊急地震速報。去年に比べたら余震はだいぶ落ち着いたし、たま~に鳴る緊急地震速報も最近は「スカ」が多い。あの音はホント心臓に悪いので、ドキドキしながらも「またか~」と思いながら階段を下りて外に出た。歩いてるとわからなかったけど、外に出たらそこにいた人達が「揺れてる!」って言うので立ち止まってみた。ちょうどその時が大きく揺れ始めた時だったみたいで、立っててもかなり揺れは感じたし、建物の窓ガラスがガタガタ大きな音を立てていた。ツイッターでの最初の速報は、青森震源との事だったので、「柏でこんだけ揺れるんなら、青森はどんだけ~!!」と思いつつ様子を見た。揺れがおさまってから、家の様子はどうだろうと電話をかけてみた。・・・が、なかなか呼び出し音が鳴らない。何の気なしに電話をかけただけなんだけど、しばらく待ってもつながらなかったので、ふと去年の本震の時を思い出した。ああ、そうか・・・こーゆー時は電話、つながらないんだっけ・・・即座に通信に規制がかかったのも、「あの日」と同じ。あれから1年9カ月経って、忘れかけてた色々な事を思い出した。実は今、身内が病院で寝泊まりしてましてね。今日は帰りに激励に寄る予定だったので、さぞ恐い思いをしてるだろうと急いで病院へ向かった。私の心配をよそに、本人は「揺れたよ~恐かったよ~」と言いつつも、昨日手術したばかりでとても動ける状況じゃないので、もう超越しちゃってる感じだった。同じく動けない状況下で去年の本震を経験された方々も、さぞ恐い思いをしたのだろう。病院の対応が問題になったニュースもあったよな・・・結局、震源は三陸沖との事だったけど、南北に広く強い揺れが伝わったのも去年の本震と同じ。今回は柏付近は震度4との発表だったけどね。最近、ツイッターはほとんど見てないんだけど、地震速報なんかはやはりこれが一番情報が早いので、珍しくこまめにタイムラインをチェックした。そしたら、普段は平和なタイムラインがこの時ばかりは騒然となっていて、イヤでも「あの日」を思い出す。知らないうちに、随分色んな事を忘れてたもんだな~ってあらためて思った。大体、私が揺れを確認しようと立ち止ったあの位置、真上に建物があって窓ガラスがビリビリ震えてるんだから、あんなとこに立ってちゃいけなかった。ガラスが割れたら、直撃してたよ去年の本震で、上からガラスがガシャーン!!て落ちてきた映像を思い出して、後から背筋が寒くなった。うう、注意力が足りなかったな・・・西の方にお住まいの方はあまりご存知ないかもしれませんが、東日本大震災の余震も大きなものが長期間続くと当初から予想されてたし、震災とは震源を異にする房総沖の大きな地震、さらにそれとは別の首都圏直下型地震も予想されていて、ぶっちゃけ関東ではいつ大地震が起こってもおかしくない状況下にあります。私も、以前よりは旅行を控えるようになったし。帰れなくなっても困るし、何より家が心配だもの。まあ、他にも理由はあるんだけど。そうした環境と去年の大混乱をふまえて、私のいる職場では、緊急連絡網の整備から始まって、避難経路の取り決めをしたり、最近ではたぶん外部委託の専用災害伝言ダイヤルちっくなものも始めました。その辺の確認のために、確か来週あたり訓練が予定されてたんだな。でも人間ってのは忘れっぽいもので、「いつか来るかもしれない」とは頭ではわかっていても、本震の記憶が薄れていくにつれて、災害への心づもりも鈍くなっていく。災害訓練を前にして今日の地震が起こったことで、急に現実味を帯びてきた「災害への備え」の必要性を痛感しました。いやね、人間てホントに忘れる動物なんだよ~。去年の本震では、柏付近では震度5弱くらいの揺れはあったはずだけど、同じ千葉県でも旭市などの沿岸部では津波の被害が大きかったし、東京湾付近の埋立地では液状化で大変だったものの、うちの方は内陸なので、地震そのものではそれほど大きな被害はなかった。うちら辺で大変だったのは、その後の物流と放射能の影響。経験のない方には想像もつかないでしょうけど、一時期、店先には一部の商品がホントになかった。水とかインスタント系食品とか電池・トイレ紙・チリ紙・・・生理用品もなかったな。マジで。ところが、1年近く経ってその話が出た時に「そんなことあったっけ~」って同僚の一言には驚いた。この人はちょっと神経質な人で、放射能が恐いので料理はもちろんのこと、洗顔からお風呂までミネラルウォーターで一時期過ごしていたとゆーびっくりな経験を持つ。柏はいわゆる「ホットスポット」として有名でしたのでね。そんな人まで、当時の事を忘れちゃうんだよ~。これをびっくりと言わずして何と言ういやいや、去年の震災と絡めると、あれこれありすぎて話が止まりませんわ・・・(笑)。まあ、地震が予想されてるのは、関東だけじゃないけどね。東海や四国も爆弾抱えてるし、新潟あたりもコンスタントに大きな地震が多い。東海はさすがに、地域ぐるみでの備えはすごいらしいって聞くけど。地震が少ないイメージの京都あたりだって、かつては太閤殿下がヒイヒイ言った大地震があったんだし。でも地震大国に住んでる以上、これは避けて通れない。起こって欲しくはないけれど、いつかは必ず起こるもの。警戒を呼び掛けられてる地域は、特にね。だから皆様、真剣さが希薄になりがちな平和な日常の中でも、時には現実をよく見て、「その時」の備えは怠らないようにしたいものですね。皆がその心づもりでいれば、もし「その時」が来ても、きっと被害は最小限に抑えられるのではないでしょうか・・・にほんブログ村
2012年12月07日

前々回の記事で、日光との関わりや新カテゴリーの作成について書きましたが、とりあえず本編を書いてみないとなんとも判別がつきませんので、とにかく始めてみることにしました。ただ、これまでの記事とは全く違う形式になりますので、私のブログを読み慣れた方にとってはなんだか変ちくりんなスタイルに感じるかもしれません。ので、開始にあたってあらかじめお断りをば(笑)。この注意書きが果たして役に立つのかどうかはわかりませんが、いちおう書いておかないとな・・・って気になったもので。(1)本シリーズは、日光の見所や観光名所の紹介ではありません。(2)本シリーズは、日光山内の建築物および付随する装飾をただひたすら 掲載するものです。(3)彫刻に代表される装飾は非常に膨大ですので、1度や2度では撮り終わりません。 また、私が行くのもそうしょっちゅうではないので、ひとつのグループの中の ひとつの建物を紹介するのですら、何年もかかる見込みです。 気長にお待ちください。(4)当然の事ながら、一般人の立ち入れない場所や、撮影禁止の場所が多くあります。 ので、日光山内のすべてをご紹介する訳にはいきませんのでご了承ください。(5)一般公開されてる場所はできるだけ丁寧に写真を撮っていくつもりですが、 望遠を多用する関係上、通常の写真より手ブレがどうしても多くなります。 なので、公開に堪えられない写真はカットしますので、実際に見られるものよりも 写真の方がいくぶん少なめであることをご了承ください。(6)あまりなブレのものはカットしますが、ちょっと位のなら たぶんばんばん掲載すると思います。が、「ジジイ、写真ヘタクソ!!」って クレームは一切受け付けませんので、あらかじめご了承ください。う~んと、大体こんなとこかな。とにかく、「10年で終わればいいよね~」くらいのスタンスでやっていきますって事だけ言っておきたかったんだ。まあ実際は、頑張っても10年じゃ到底終わらないと思うけど。だってそもそも、写真を撮りに行ってる訳じゃないしね~。あくまで私のおでかけの「ついで」だから。・・・あ、まだあった。 (7)せっかく始めたのですから、最後までやりきりたいとは思うものの、 とにかく大変な作業なので、挫折するかもしれません。ここ、大事~(笑)。私のブログ記事はいつも「コストパフォーマンス悪いよな~」と思いながら書いてるけど、日光シリーズは労力と記事が見合ってないトップクラスに入ると思う。派手な部分は派手だけど、地味な部分は結構地味。いや、ただの地味なら写真撮らないんだけど、「地味派手」だから困る。どう困ったかって、そりゃアナタ、本文を見ればわかりますよ・・・今回は特に最初なんで、地味なものが多いかな。まあいいか、どうせ自己満足でやってるんだし・・・にほんブログ村
2012年12月05日

今回の旅から、新しいアイテムを投入した。それが腕輪念珠。108玉の、正式なやつ。今回のためというよりは、次回を見据えてのものなんだけど。ブログでも何度か書いてきたけど、墓マイラーといっても、私は大変なこわがり。幸い霊感はないので、今まで恐い思いをしたこともないし、(たぶん)写真に変なモノが写ったこともない。写真を整理する時はいつもドキドキだけど。まあ、気になって探しだしたらキリがないし、ぱっと見て何事もなければそれでいいのだ。とはいえ、他の人の写真を見て「なんかここ、行きたくな~い~」って所はあるので、そーゆー時は無理して行ったりしないってのもあるけど。今回もそれでパスした所があるし。でも、いずれは恐い思いをする事があるかもしれない。何せ、私の歩き方といえば現地で当時に意識を飛ばして、結構リアルな想像をしながら目的の時代に浸る。そもそも、「人の生きた証をたどりたい」ってのが原点だから。最初の頃はメジャーなスポットの中から、地域のバランスを考えて年間の予定を組んでたけど、段々思い入れの強い場所にまず行くスタイルに変わってきた。思い入れが強い分、投入の仕方もハンパなくなってきたので、「いつかはあちらに引き込まれて帰れなくなる時が来るかもしれないな・・・」って思いながら歩いてる。墓マイラーの必需品として数珠は当然持っていくけど、愛用の頼政の数珠(←頼政んとこでおろしたから、こう命名した)は玉がデカくて常に身に着けるにはちょっと・・・今回も大きな古戦場があったので、目立たず身に着けていられる腕輪念珠を買ったのだ。けどな~、結局アレだったしな~。いや、念珠があったからあれだけで済んだのか・・・さて、最終日。この日は帰るだけで、昼前のヒコーキを取っていた。が、色々と問題のある旅だったので、まだ何かあるかもしれん・・・と1本早いバスに乗ることにした。荷物の整理もあるので、早い時間に起きて支度をしててふと気がついた。ああっ、起きるのを1時間間違えちゃった~!!早く間違えたので、まだ良かった。ちょっと寝直そうかとも思ったけど、寝過ごしたりしたら大変。いや、待てよ・・・計算上は、1時間余るハズ。今日は雨が降ってるけど、見れなかった近くの石垣でもちょっと観に行くか~と考えながら支度を続行。したら、家からメールが入った。実はうちの娘さん(大)は少し前から闘病中でして、ゆうべ下痢して調子がよくないというメールが入ってきてたから心配してたのだ。ブログでは娘さんについて書いたことなかったっけな。うちには娘さんが2人いまして、(大)はこんな人です。 一時はちょっと危なかったんだけど、点滴に通ったり薬を飲んでたおかげで最近はちょっと持ち直してた。それが、結局一晩下痢が続き、かなり悪いので朝イチで病院に連れていくという報告が入ったのだ。「うっわ~、そっちに行ったか・・・!!」自分の事ならね、バスに乗り遅れようが何だろうが笑い話ですむけど、無抵抗な娘さんにまで魔の手が及んだら、もうどうしようもない。これは、かなりこたえた。もう何もする気も起こらず、バスの時間までゆるゆると支度だけしてた。宿を出た頃にはかなり雨脚が強くて、バスのアナウンスでは雨で渋滞が予想されると言っていた。よしよし、早いのに乗ってよかったな空港への到着はそんなに遅れなかった。かなり時間があるので、近くにあるお寺へ行くこともできたけど、まだ何があるかわからないし、娘さんの件でそんな気も起こらなかったので空港でご飯を食べながら家に電話してみたら、脱水と下痢がひどいので、入院したとのこと。娘さん(大)は私に似て線が細く、避妊手術で入院した時も病院始まって以来の大騒ぎをした人なので、大丈夫なのかな~と思ったけど、たぶん今はそんな余力もないのだろう。ご飯を済ませて搭乗ゲートへ向かう途中、JALのカードの客引きのお姉さんに声をかけられた。すでにカードは持ってはいるんだけど、私のはクレジットのついてないやつ。けど、クレジット付きの方がマイルがたまるし、今後も中国地方へ通い続けるのは間違いないので、切り替えようかという気になった。ところが、搭乗ロビーで声をかけるんだからせいぜい10分程度で済むのかと思ってたら、結局30分かかった。時間は気になるし、疲れるしやっぱ、やめとけばよかったかな~。手続をしてる最中、私の乗る便の案内が入った。ヒコーキの到着が遅れてるので、出発が少しズレ込むとのこと。少しくらい遅れたって、昼すぎには羽田に着く予定の便だから、大して問題はない。前日のニュースでは広島空港を飛び立とうとしたANA便がトラブルを起こし、乗客は3時間も機内に閉じ込められたという。それに比べたら、全然マシ~。行きのヒコーキは3席×3列だったけど、帰りは3席×2列の中型機。定刻より少し遅れて出発したけど、離陸前のアナウンスで気流が悪く、揺れが予想されるとのことだった。まあ、それでも今日も他の便は飛んでるんだし、もっと天気が悪い中でも上空でヒコーキが飛んでる音をよく耳にするので、そんなに気にはしなかった。新幹線でもヒコーキでも、外を眺めたい私はいつも窓際の席を取るんだけど、この便は窓際が埋まってて、通路側の席。ただ、満席の便だったハズなのに、私の隣の席、3列席の真ん中には誰も来なかった。満席でない便だって、隣が空いてたためしなんてないのに、ツイてるじゃんそして離陸。通路側で正面を見ていると、機体のバランスが結構わかる。この時は、離陸から「バランス取りにくそうだな~」って感じだった。それでも何とか飛び立って、トイレ行ってもいいよ~の合図が出た。ところが、「本日は気流が悪く揺れが予想されるため、機内でのお飲み物サービスは中止させていただき、お飲み物に代えて飴をお持ちいたします」というアナウンスが入った。えええ~、うっそお!!コーヒー飲みたくても地上ではガマンしてたのに!!いつもなら、トイレに行きたくなるから飲み物は断るんだけど、この時は疲れていたので、機内での飲み物をアテにしていたのだ。仕方ない、手持ちの紅茶で我慢するか・・・てか、そんなに揺れるの!?揺れが確実視されてるなら、こちらもそのつもりでいなきゃならん。て事で、ふんどし・・・じゃなくて、ベルトを私の細腰に合わせてきっちり締め直した。その後、期待通り、いえいえ予想通りヒコーキはさんざんに揺れました。ちょっとの揺れぐらいなら珍しい事でもないし経験あるけど、とにかくすごかった。まるで、粗悪なレールの上を走るジェットコースター。左右だけじゃなく、上下にも小刻みに揺れるんだからね。エアポケットに入って、機内でケガをするケースなんかもあるので、両脇の肘掛けをしっかり握りしめて、座席から投げ出されないように踏ん張った。隣の席があいててよかった・・・機体がガクンと激しく揺れるたびに、歓声・・・じゃないな、「わあ!」って声があちこちで上がって、機内に不安が広がる。結構、コワいもんなんだね~前のシートの下に突っ込んでるカバンから飲み物を出したかったけど、かがむと頭をぶつけそうだからガマンした。ハア、何てこと・・・!喉乾いた~!!でも、とりあえず無事に着陸できれば文句はない。フライトが終わりに近づいた頃、羽田上空も気流が悪いとのアナウンスが入った。大丈夫なのかな・・・こんなんで着陸できるのかな~天井からぶら下がってる画面を見ると、現在三宅島付近を航行中だった。み・・・三宅~!?どんだけ南下してるの!!関東以外の方にはピンと来ないかもしれませんが、中国からの航路では通常三宅島付近を飛ぶことはまずありません。たぶん。神奈川上空を飛んで、ちょっと先まで行ってからぐるっと西向きに旋回して、羽田の滑走路へ着陸するのがいつものパターン。だから、かなり南にそれてることになる。一時期よりは揺れもだいぶおさまってたけど、エンジン音からも、画面に表示される高度からも明らかに着陸の準備を整えつつあるのに、羽田へはまだ遠い。ううっ、ちゃんと羽田へ着けるのかな~。海へ落ちたら、水は冷たいだろうな~。救命胴衣の説明なんて普段ほとんど見ないのに、スッチーの指示だけでちゃんと着用できるのかな~・・・そのうちに北へ向かい始めたんだけど、今度は「このコースで大丈夫なのか!?」って軌跡を描く。不安の中、確実に高度を落としながらヒコーキは飛びつづけ、ついに着陸態勢に入った。が、窓際じゃないので、いつもの光景が見えてるのか確認できない。着陸態勢に入ると、画面も収納しちゃうしね。いつもは海に突き出た滑走路に着陸するのに、なんか窓からは空港の施設が見えてる。だ、だいぶ着陸ポイントを過ぎてるみたいだけど、大丈夫かな・・・着陸できず、このままタッチアンドゴーなんて事はないよね・・・あるいは、着陸が遅すぎて滑走路が足りずに空港の施設に激突するとか・・・まあ、今こうして呑気に書いていられるくらいなので、おかげ様で無事に着陸できました。結局何も飲めなかったし、とにかく疲れたわ・・・最後までこれだったので、家に着くまで注意深く行動したのは言うまでもありませぬ。娘さんの方は、月曜に入院して病院からは何の連絡もなく、木曜の仕事中に「今日連れて帰ります」ってメールが入ったから、いよいよ危ないので連れ帰ることにしたのかと覚悟を決めた。重い気持ちで家に帰ってみたら、なんと彼女が迎えに出てきた。あ、あれっ・・・?てっきり瀕死の状態かと・・・(笑)。とゆー訳で、少しやせたものの、1週間ぶりに会った彼女は案外元気そうで、ほっと胸をなでおろしました。ただ、元の病気の方はまだ完治してないので、退院はしたけどまだ予断を許しません。けど、最悪の状況まで予想してたからひとまずは安心・・・なんだかな~、福山。けど、人はすごくよかったし、楽しかった事もいっぱいあった。結構私は、その時の印象で土地との相性とかを判定したりするんだけど、福山の場合はいい事と悪い事がものすごくアンバランスで、どちらとも判定できない。もう二度と福山へは行かない!!とまでは思わないし、今回行かれなかったところも沢山あるので、いずれ再チャレンジを検討するかもしれない。でも、それはまだ当分先の話・・・にほんブログ村
2012年12月02日

今日は日光へ行ってきました。ブログでもどっかへ書いた気がするけど、私は長年、日光へ1年に1度は行ってます。と言っても、大抵は山内をのんびり気ままに歩いているだけで、行動範囲は大変狭いので、日光のことならまかせて!なんて事はとてもじゃないけど言えません。私が日光へ行く目的のほとんどが、お祓い。輪王寺(りんのうじ)でお護摩の祈祷を受けるのです。あと、方位除けのお札も毎年受け替えてる。今年は年内にどうしても行っておかなくちゃならなかったし、この後は忙しくて行かれないので、今日しか行く日がなかったんだ。日光は栃木県なので、いちおう関東ではあるけれど、あそこは実は関東ではありません。なんでか?あそこの冬は、関東の寒さじゃないからです山を上がった奥日光なんかも、有名な寒冷地だしね。まあ、このところ随分冷え込んではきたけど、12月の初めの日光なら首都圏の真冬の対策で行けるかな・・・と思ってた。ところが、前日になってかなり冷え込むというウワサを耳にして、寒さ対策をどうするか迷った。サイトによっては、最高気温が8℃くらいまで上がるというのもあったし、日光で8℃なら充分温かい。あくまで比較の問題ですが。1年の祈祷を受けるという事情から、日光へ行くのは節分の前後が一番多い私は、厳冬期の日光の寒さをイヤってほどわかってる。新年ってのは本来、節分を境にするものだからね。まあ、暑かったら上着を脱げばいいんだし、急遽厳冬期バージョンで臨むことにした。寒がりのあたくしの厳冬期日光仕様というのを、ここでちょっとご紹介しましょうか。インナーはもちろん、裏起毛の暖かいやつ。に厚手のカットソーに厚手のセーター、そして長めのダウン。下は、超厚手のタイツにこれまた裏起毛のパンツ。で、裏にモコモコのついたロングブーツ。雪だったら、山靴だけど。頭部からの放熱もバカにならないので、毛糸の帽子にファーのマフラー。そして欠かせないのが、カイロ。貼るタイプのをお腹と背中の首の下あたりに1枚ずつ。二の腕の内側のプヨプヨした部分に左右1枚ずつ。これはかなり効果が高い。それから足用のを靴下に貼る。で、貼らないタイプをポッケにしのばせる。これだけ装備しても、いつも山内でラストを飾る大猷院(家光の墓所)に行く頃には、すっかり体が冷え切ってます。真冬の日光がどんだけ寒いか、これだけでもわかろうってもんでしょ?だから、あそこは関東じゃないんだってば・・・今日は最初はそんなに寒くはなくて、冷え込むってのはガセだったか・・・と思ったんだけど、雨が降り出したと思ったらすぐ雪に変わった。なんでも今日のは、今シーズンで初雪だったそうな。雪になったあたりからはかなり冷えてきて、日光の寒さを知らない薄着の観光客はみんな震えてた。結局、今日は日中もずっと氷点下だったみたい。寒いハズだわ~。寒さ対策、していって良かったな~。それでも最後の方では体の芯から冷え切って、暖房が効いてる帰りの車内ではみんな上着を脱いでたのに、私はダウンを最後まで脱げなかった。いやあ、マジで寒かった・・・さて、タイトルの話に進みますが、日光は私の魂のふるさとで、山内を見て回るものの、観光とも史跡めぐりとも全然違う別格のものだった。史跡めぐりをするずっと前から行ってるところだからね。もう覚えてないけど、日光へ行くようになってから15年近くなるんじゃないかな(笑)。だから、これまでの旅日記のように日光を紹介するつもりは全くなかった。けど、あそこは彫刻とか建物とかもすごいものが揃っているし、建築そのものに興味を持ち始めたため、これはちょっとてってーてきに山内を紹介してみるかな・・・って欲望に捉われたさらっとなら誰にでも書けるけど、本気で細部にまで触れるとなったら、はっきり言って1・2度行ったくらいの普通の人じゃ到底無理。それだけ、量がハンパじゃない。だけど私は1年に1回以上は行ってるし、ちょっとずつ気長にやればできないこともない。それこそ、ライフワーク的にね。こちらは文章よりも写真が主体になるので、日光専用のカテゴリーを設けてやってみようかという気になった。それで、今日実際に取りかかってみた訳ですが・・・いやもう、思ってた以上にたいへ~ん!!膨大な装飾を紹介したい訳だから、それこそしらみつぶしに写真を撮っていくんだけど、今まではそんなに細部まで見てなかったから、ここまですごいものだとは正直思ってなかった。とりあえず、今日撮った分はゆるゆると公開していきますが、大変すぎて次回は挫折するカモ・・・だって、なかなか前に進めないんだもの!今日はその他にも気分の悪いことがあって、魂の洗濯に行ったのに、ストレスを抱えて帰ってきたワタシ・・・いや、チョ~感じの悪いオヤジ(←神職)がいてさ~日光でここまでムシャクシャしたのって、初めてなんだけどまだ福山の悪運が尾を引いてるのか・・・?にほんブログ村
2012年12月01日
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