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サッポロビールの子会社 ニュートーキョーが運営するビアレストラン。名前がコテ。 小田急ハルクの地下3階にある。 サッポロビールの他にドイツの輸入ビールもある。 カミカツ(神カツ)が名物料理。 サービスは普通。
2018年07月31日
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こんなにたくさん入った神宮球場はヤクルトVS阪神戦でも見たことないよ。 二松学舎大付属 6-3 小山台。 夢見せてくれた。ありがとう。 しかし全てに於いて二松学舎が上回っていた。 二松学舎は守備の弱いところを突いていたし、嫌がることを全て決めていた。試合巧者だった。。
2018年07月29日
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トゥナィリズファッイツミーンストゥビィィ〜ヤァ〜〜〜アアング♫!🎶と、、あなたも最後は絶叫する筈。。公開された1984年は、今から39年も前、ロスアンゼルス オリンピックが開催された年。メインの曲、「Tonight Is What It Means To Be Young」直訳:若さとは今夜みたいなこと→今夜は青春?となる。この曲は2人のボーカルを組み合わせて造られたらしい厚みのある声。ロックンロールの寓話 という副題をわざわざ付けている。架空の街リッチモンドの象徴である女性ボーカル エレンが誘拐され、元兵士が取り戻すお話。これがロックだ!という生き方を見せている。市民が立ち上がる箇所など レ・ミゼラブルに通じるものがある。A級に見せようとしているB級映画は多々あるが、ハナからB級に見えるがしかしA級という映画は少ない。これはその1本。この映画には圧倒的な音楽、エンタメ産業、酒、兵役、車、バイク、銃、暴力、愛、友情、衣装、ハンマー、高架鉄道、ドラァグクイーン、あらゆる要素がカオス状に詰まっている。テンポ良く分かりやすいまた感情移入しやすいストーリー、全部備わっている。こっぱずかしさなど微塵も無い。これこそがバブル世代の映画だ!!最高だ。今の若い人が見てどう思うかは想像付かない。面白いと思うはずだが、生きている時代背景が違うからナンダコリッ?!になるのかも。多くの人に見て欲しい!97点。 満点ではないが、時代象徴エポック=永久不滅映画! だと思う。これは一般論ではない→オレのブログだからね。超カッチョええマイケル・パレー。こういう男になりたいと思わせる。ジャンバルジャンみたい。登場する車は1984年より50年ぐらい前のものばかりで、却って未来都市の様にも見える。衣装はジョルジオアルマーニ。
2018年07月27日
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小山台7-2帝京。 都立の星とか都立高なのに凄い、とか言われている。俺もそう思ってたが、良く考えたら第1シードなんだし。奇跡でもなんでもない。 もしかしてホントに強い!?という試合運びだった。先制されたが、10番の控えピッチャーを見極めて3-1と逆転。 5回からエースを引きづり出してこれも球を冷静に見て連打を浴びせ一気に7-1と試合の流れを完全に掴んだ。 エースが落ち着いて投げて完投。圧勝と言って良い。 長打はないが、見極めて流すバッテイングはシュアーで、ショートを中心に堅い守りはエラーもでない。平常心ならば、二松学舎とも良い試合するだろう。母校が夏の甲子園に行ったとしたら。。。 泣くだろな。
2018年07月27日
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コメダ珈琲店 は、名古屋発祥の伸びているコーヒーチェーンである。 しかし何故受け入れられているのかは良く分からない店である。
2018年07月25日
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中京競馬場は25年前に車で来て以来の訪問となる。 電車では名鉄名古屋から25分程度、駅から15分は歩く長旅である。
2018年07月25日
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王様とストロベリー は、スイーツを中心とした不思議な喫茶空間。 例えば、写真のケーキセットは、飲み物とセットで1人500円! 下の写真は、KINGパフェ 2800円が運ばれて行く図。 高さ70センチぐらいあります!
2018年07月25日
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ヒレカツ定食1296円。 味噌ダレで頂く。この上なく幸せなヒレカツ! 岐阜駅周辺は意外に都会的。
2018年07月22日
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よくわからないが、中世では岐阜市は長良川の水運を利用して発展した結構な街だったらしい。長良川の水運はここ湊町で水揚げされ、町家が形成されたという。つまり現在の岐阜駅周辺ではなく、江戸時代は湊町ゃ長良川水域が街の中心部だったのだろう。江戸時代、織田信長の呼び名であった岐阜を加納藩と変えて、加納城を建てて治めたという。初耳だ。加納藩は産業振興の一環として和傘の生産を奨励したそうだ。現在、和傘の80パーセントは岐阜県で生産されている。
2018年07月22日
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ただのAOC ボルドー だが、ロイヤルリカー株式会社輸入なので、多分信頼できる。 いわゆるクラレットと呼ばれる、甘みの一切無い、墨や焦げた板の香りがするタイトなワインだと思う。 好きなタイプ。
2018年07月22日
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イスラエルのワインで、これまでこのVISIONより上のクラスのワインを飲んだことはあった。 このVISIONは、カベルネ・ソーヴィニヨンが主体でプティ・ヴェルドをブレンド、かなり深淵な香りの重層的な味わいのワインに仕上がっている。
2018年07月21日
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山東 は横浜中華街にある水餃子・焼き餃子の名店中の名店! いつも二軒目に行くので酔ってしまうのだが、味は天下一品である。 この店を知らずして中華街を語る事無かれ。
2018年07月19日
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2018年07月19日
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本格ハンバーグ店で、本店は恵比寿にあるらしい。 肉は三種の挽肉から選べるメニュー構成。
2018年07月18日
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Chateau de la HUSTE はフロンサックの自家詰ワイナリーで、何本も開けている。中部貿易株式会社の輸入。 もう20年以上経過しているから熟成した色合いは煉瓦色がかっている。しっかりしたアタックは無いが、それでもかなり強い酸味が残っているし、ボリュームも残っている。 旨味が溶け込んでいるし、熟成した深みのある香りは素晴らしい。
2018年07月17日
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まったくの謎の拓本。銅鏡の拓本なのか、瓦とうの拓本なのかも分からない。醸し出す雰囲気が良かったので、結構良い値段したが買ってしまった。誰かこの良さとか意味が分かる方教えて下さい。
2018年07月17日
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北周の楊文端という人の墓誌。弘農華陰楊氏、そのなかでも越公房と呼ばれる楊氏の系統に属す。有名な人は楊素。建徳二年というのは北周の年号で573年だから、この年に生まれ、大業三年(607年)亡くなったのだろうか。府記とは宮中の記録を付けたり書記を司る役職らしい。室が付けばさらに上の位と思われる。衛王とは皇族が王に封じられた時に使う呼称らしい。43センチの正方形で23行、各行24文字の520文字で、小型だが非常に品格がある墓誌だ。文字は小型だが素晴らしく美しい。藩玄墓誌が571年か572年の北周の墓誌だからそこから30年下った時期の楷書として、この墓誌はかなり洗練された文字に見える。
2018年07月17日
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本格派のドイツビールを出すビアダイニング。 料理もまあまあ良い。
2018年07月16日
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東急に九品仏という駅がある。近くの人以外は読めない。。 くほんぶつ と読む。近くに江戸時代からの大きな寺があり、それが九品山浄真寺という浄土宗のお寺だという。いつか行ってみようと思いながらこんな歳になってしまった。 半端なく広い。世田谷区に36000坪! 徳川家綱の治世に奥沢城の跡地に建設された。。奥沢城?? 世界は知らない事だらけだな。
2018年07月12日
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イタリアのワインは、ラベルに情報が山ほどグジャグジャと書かれていて、どれがワイナリー名でどれがブランドなのか、どれが葡萄の品種なのかほぼ分からない。ホント腹立たしい。今後イタリアのワインはもう買わない事にする。さして美味しいワインも無いし!このワインはBANFIという会社のものと推定。トスカーナ州はいろんな葡萄品種が栽培されていて種はよくわからない。しっかりしたボディーがあって、酸味もまあまあ強く、トマトなどを使った料理と合いそうな感じ。このワインは悪くない。
2018年07月11日
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素晴らしいっ! 93点!! 帝国軍と反乱軍がまだ組織として完成していない時期。どちらも黎明期のおはなし。 ものすごい乗り物や武器は出てこないが、よく出来ている。 キーラ役の、エミリア・クラークは広瀬アリスと西田ひかるを足して2で割った顔。アメリカで最も美しい顔100のトップに選ばれたという。31歳。
2018年07月09日
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楊素の墓誌を買うと言ったら拓本屋の親父が楊素と夫婦だからセットで買わなきゃだよ、と言ったのでよく知らないがこれも買った。小さいので400元にさせた。薄いが綺麗な文字だ。
2018年07月08日
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虞世基撰。楊素墓は潼関県重点文物保護単位(1986 年 6 月指定)に指定されている。楊素 は隋の将軍兼政治家で、煬帝と共に陳を撃破した英雄。隋の文帝(楊堅)が避暑用の離宮として楊素に命じて造営させたのがあの有名な九成宮(仁寿宮)で593年から2年で完成したという。同じ楊という姓だが、楊堅と同じ嫡流ではないらしい。606年に作られたこの墓誌は、1975年に鐘関県で発見されたらしい。楊素が有名人なのは辛うじて知ってたから、多少高いかなと思ったが、700か800元で買ったもの。何枚も勝ったので個々の価格を正確に覚えてはいない。楊素は代表的な「門閥」である弘農華陰楊氏,そのなかでも越公房と呼ばれる系統の中心人物であり、彼らは隋朝政権下で繁栄を極めて絶大な権勢を振るった。近年、越公房楊氏の墓誌は続々と出土しているという。越公房楊氏は,北魏後期に活躍した漢人門閥官僚の楊鈞を始祖とする。その子の中でも楊暄・楊穆・楊倹・楊寛の系統は西魏・北周・隋・唐に仕えて代々高官を輩出して,弘農楊氏の本宗とみなされた。彼らは隋代に最盛期を迎えたが,それを導いたのが,楊鈞の嫡曽孫にして家長格の楊素であった。彼は江南平定の武功を契機にして宰相職の内史令・尚書左右僕射・尚書令を歴任して権勢を振るい,その一族もまた三省長官・六部尚書・大州の総管・刺史などの要職を歴任した。また,楊素は晋王楊広(煬帝)の立太子と皇帝即位に大きな貢献を果たした。
2018年07月08日
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大周使持節驃騎大将軍開府儀同三司大都督青洛ニ州刺史故潘玄墓誌銘 天和五年に亡くなったかなり高貴な人物らしい。 この年号は北周のもので西暦570年にあたる。墓誌銘が制作されたのは天和六年だから571年かもしれない。 墓誌の盤面は小さいのだが、蓋の文字がとても特徴的で芸術的な印象だったし、ヒビ割れや欠けも無く美しい拓本だったので西安で購入した次第。よく見ると文字も非常に流麗な楷書。
2018年07月07日
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写真は西安碑林の西門。 西安の観光地でまず真っ先に上がるのは兵馬俑で、イスラム街、大雁塔、小雁塔などに次い西安碑林が上がると思うのだが、書道や歴史に興味が無い人にはつまらない場所かもしれない。 しかし興味がある人にとっては壮大な歴史、宗教、栄光、衰退、先人達の鍛錬、技、風雅、そういったモノの理解に繋がる何かが得られる比類無き聖地となるだろう。 行き方は鐘楼から南へ10分程で書院門街に着く。書院門街を東に通り抜けて5分程で碑林の門に到着する。 書院門街の入り口。この通りは 筆や硯、仙紙、玉、剪紙、書画、絵画、掛け軸などを売る店が多数あるので興味がある人にとってはたまらないショッピングゾーンになる。 拓本を取っているのを見せているが、これはお土産拓本用のレプリカの碑から拓本を取っている。本物の碑からは原則として禁止されていて拓本は取れない。
2018年07月07日
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唐故涼國夫人王氏墓誌銘 蓋の拓本とセットで700元ぐらいで西安で購入した。張少悌という唐時代では重要な能書家の書丹による、皇帝が勅撰した、堂々とした大文字の墓誌銘である。蓋の周囲にある紋様も非常に洗練されている。高力士の墓誌銘の書丹者も張少悌だが、高力士墓誌銘の方は字が小さくて多文字である。ただこの墓誌の主人はよくわからない。
2018年07月06日
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韋渠牟(749年-801年9月6日)は唐朝中期の文人で、左諫議大夫、太府卿、太常卿まで上り、刑部尚書を追贈された。 墓誌の撰文は権徳興と記されているが、「独酌」などを詠んだある程度有名な詩人だそうだ。墓誌に書丹者は記されていないようにみえるが、浙江大学の墓誌石碑ページに掲載されているこの墓誌名のページには書丹者は房次卿と書かれている。房次卿は進士に合格していたというからあながち間違いでもなさそうだ。文字は小型楷書だが非常に達筆(に見える)。蓋の周囲には龍の彫刻が施されていて人物の格が高かったのかもしれないなと思わせる。
2018年07月06日
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小型の墓誌銘拓本。西安で購入。蓋はなかった。 隋時代に活躍した刺史のようである。そう の文字が現代ではないので曹を当てている。 通常の墓誌銘は最終的な役位階名や、生まれや出自、家族構成、どういう功績でどういう拝領をしてどんな仕事をしたか、などビッシリ書かれているが、この墓誌はとてもシンプルで、箇条書きに、出世の過程が記され、いつ亡くなったか、何処に葬られたか、と記されている。
2018年07月06日
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大唐西市博物館に行ってみたいが実態がよくわからない、と思ってる方の為に詳細情報を書く。博物館は西安城壁の外、南西部に位置している。地下鉄なら2号線で古塞まで、3号線に乗り換えて科技二路駅で降りて北に徒歩10分程度だが、鐘楼辺りからならバスやタクシー利用が早い。私が訪れたのは2018 6/23だが、その時点ではパスポートを見せたら入館券をただでくれた。内部の展示室は主に二階と三階で、一階は各種展覧会の貸しスペースになっている様だ。 この博物館の周辺にはショッピングモールとヤマダ電機みたいな大型電気店や古玩城という骨董品専門のモール、地下スーパーマーケットなどが一体となっている。道路に近い所に遣唐使船のレプリカが展示されている。実際の遣唐使船は全長30メートルだったらしいので、1/3ぐらいの模型だと思う。 入館するとすぐにかつての遺構が出土した跡が見られる広場がある。現在の地面より2メートル下に唐代の地面が残っていたそうだ。用水路や橋などの遺構が見える。 二階は墓誌銘の原石などの展示があり、出土品の陶器などもある。楊素の墓誌拓本が展示されている。楊素墓誌原石は1973年出土で潼関県博物館に所蔵されているそう。その他10枚ぐらいの墓誌原石が展示されている。大唐西市博物館には300を超える墓誌銘原石が多数収蔵されているが、別に150元を支払うと博物館とは別棟にある墓誌庫に入れるそうだ。 3階の展示はシルクロードに関するコインや古代の西域のもので、あまり充実していない。 三階の隅の方で墓誌銘原石から拓本を取っているらしき場所を見つけてしまった。作業は終わっていたが、取った拓本をどうするのだろうか?博物館の所蔵墓誌銘なら採択は何枚取ろうとと博物館が決めて良いのだろうか?何のために取るのだろうか?前向きに考えて大学など研究機関に送るのだろうか? 上の写真は骨董品を扱う古玩城の様子。ハンパない広さと店の数。 帰りは歩道橋を渡って、鐘楼方面のバスに乗れば西悄門経由で2元で帰れます。
2018年07月06日
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モンテス は非常に信頼できるコスパの良い造り手。 アコンチャグア・コースト に位置する。 特にモンテス・アルファ のブランドは素晴らしい。 このワインは色も濃いめで、柑橘系の香りが素晴らしく強く、旨味の凝縮感も大きい。 コスパは最高クラス。1980円。カルディ。
2018年07月05日
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雉子神社 は五反田駅の北東600メートルほどの場所にあり、道幅40メートル程の中原街道に面して存在する。 現在はビルの一階或いは二階部分に境内があって、古い神社の面影はない。 この付近は江戸時代には品川宿の支宿で品川台町とか大崎村と呼ばれていた。現在の高輪台駅の場所付近は六軒茶屋町と呼ばれて目黒不動参詣の休憩所として栄えていたという。 中原街道は江戸時代には人しか通らない訳で幅三間というから5.4メートルしかなく、雉子神社も中原街道の往還に面していたわけではなさそうだ。
2018年07月04日
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特段高級という訳ではなさそうな焼酎で720瓶で1130円。 正直いって僕は焼酎は素人なので味の違いがわからない。なんとなく芋焼酎が好き 的な感じ。 芋 感は抜群にあり、キレもある。 真面目に飲めば720全部飲めそう。
2018年07月04日
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直木賞受賞の作品。1980年ごろの台湾を舞台にしたロード小説で、台湾と中国の関係、台湾に渡った人々の事が良く理解できる。 しばしば台湾国内でタクシーや国会内の暴動事件が報道される。台湾の人々は穏やかに見えるが、内面は皆熱い何かを持っているのかもしれない。 非常に面白い! 非常に面白い!
2018年07月04日
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宮城県の酒蔵 株式会社一ノ蔵の純米酒。 はっきり申し上げて、コクに欠ける。 但し、価格が安価なのでコスパは水準ではある。 有名な一ノ蔵だからといって手放しで喜ぶ事は出来ない。 以上。
2018年07月03日
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イエローグレンはオーストリアで40年続くスパークリング専門の造り手らしい。 輸入はトレジャリーワインエステーツジャパン株式会社 というとてつもなく長い社名の会社。 ぶとうはシャルドネとピノ・ノワールという正統派ブレンド。 青リンゴの香りが強く、旨味やコクもあり泡はまあまあ細かなもの。この価格ではお買い得かもしれない。 1400円
2018年07月03日
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関ヶ原の戦いの後、勝利した徳川家康が立ち寄ったという。 近江八幡の町の由来となった神社で日牟禮八幡神社という。町の中心を成す堂々たる風格を持つ神社である。 JRの駅からかなり離れていて、バスの本数も多くはないので時間に余裕を持って参詣するように。
2018年07月03日
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西安で買った拓本。 威厳と風格を感じる墓誌銘。 一辺が85センチぐらいありかなりの大きさ。 ただし罅割れなどで判別不能な箇所が多く謎の拓本。要研究。 撰文は、周思茂 しゅうしぼう、となっている。周思茂は武則天に才能を見出されて崇文館学士となった。臣軌を編纂し北門学士と呼ばれたとウィキペディアにはある。周思茂は688年に亡くなっているから、撰文したのだからこの墓誌の主は688年より前に亡くなっている筈。 盧厭書となっているが、漢字がはっきり判別出来ない。かなりの能書家だと思われる楷書だが。。
2018年07月02日
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高力士の本名は馮元一と言い、五胡十六時代において短期間だけ存在した北燕の王族馮氏の血を引いているという。馮一族は唐の時代に入ってその勢力を強めており、祖父である馮盎の時代には潘州(現在の広東省)の長官を務めるまでになっていたが、父である馮君衡が罪を犯し一族は財産没収、戸籍はく奪という厳しい処分に下され、一族は離散、高力士は幼くして家を失い、奴隷商人に捕まって去勢されて売り飛ばされたようである。高力士が15歳になったころ、広東省で小さな反乱があり、これを李千里という将軍が鎮圧する。その際に則天武后に対しての手土産として高力士を選び長安に送ったという。則天武后に仕えた高力士は宦官である高延福という人物の養子になったらしく、馮元一から高力士へと名を変えた。この間どのような経緯があったかは不明だが、高力士は則天武后の孫である李隆基に仕えるようになり、彼はやがて皇太子に、そして玄宗皇帝として即位した。玄宗皇帝の側には常に高力士がいて、細かいことは高力士が決めていたという。その墓誌拓本が自宅にあるということはやはり歴史ロマンだと思うのである。墓誌銘は「勅撰」となっている。皇帝が指示して作らせたという意味ではないか?張少悌という人が書丹している。この人は、涼国夫人王氏墓誌銘も勅撰で書丹している。
2018年07月02日
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元遥妻梁氏墓誌 は519年の建碑で、西安碑林の墓誌銘展示コーナーの壁に在る中の1つ。 絶対に原拓とのことで、1000元で購入した。 以下は西安碑林の墓誌銘原石。
2018年07月02日
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