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こんなふうに・・・・・。こんなふうに、こんなふうに、食べられ続ける中で、二つ咲いてくれました。でも、これも、その日にうちに、食べられてしまいました。どないやねん!!
2014年03月31日
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彼女はこの粗暴なシェパード(ビス丸)に初めて会ったときから、何だか可哀そうな子ねえと思っていた。動作一つ一つが乱暴だし粗雑だし、ひとの気持ちを思いやることも丸っきりできないし、そのせいで周囲から疎んじられていることにさえ気づかないほど鈍感だし、まことにもってしょうがないやつだけれど、それは、他の動物たちに対してどう振る舞うべきかをちゃんと教えてこられなかったという、ただそれだけの理由によるものだということが、リルにはすぐわかった。そして、自分ではもうすっかり一人前の立派な成犬になったつもりで思い上がっているこの尊大なシェパードが、まだ何にもわかっていない幼稚な子どもであるうえに、自分でははっきりとは意識していないけれど、実は何かを心の底から激しく、――必死にと言ってよいほど激しく求めていて、それを得られないかぎりこの「大きな子ども」は決しておとなになれないということも。(松浦寿輝さん「川の光2」P204)
2014年03月30日
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日和聡子さんの「御命授天纏佐左目谷行(ごめいさずかりてんてんささめがやつゆき)」を買書つんどく。全然知らなかった人ですが、本屋さんで見て、おっ、と思って即買いでした。こういうことがあるから、リアル本屋さんブラは面白い。「摩訶不思議な「異界ツアー」へようこそ! 斬新な言語感覚が弾けるユーモラスで不思議な「現代版・御伽草紙」を、画・ヒグチユウコとの夢のコラボレーションで贈る一冊。太平の世。猫の君子たる夜見闇(よみやみ)君の屋敷に居候する「私」は、主君の命を受け、御蚕の繭玉・終日(ひねもす)君のお供として佐左目谷君を訪ねる旅に出る――。動物植物昆虫にこの世あの世が入り乱れる珍妙な道中を、リズミカルな擬古文調でユーモラスに描き、読者を摩訶不思議な世界へと誘い込む表題作 ほか、「行方」「かげろう草紙」の全3篇を収録。詩集『びるま』で中原中也賞を受賞、2012年には小説『螺法四千年記』で第34回野間文芸新人賞を受賞 した注目作家、日和聡子による最新小説集。」(講談社の紹介)
2014年03月29日
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先生が出してやったドッグフードを、マクダフはがつがつと食べた。まる一日半ほど、水以外には何も口にしていなかったので、お腹が空ききっていたのである。「おい、ジャンバティスタ、ぐしょ濡れじゃないか」と先生は言った。先生はマクダフのことをジャンバティスタと呼んでいた。どうやら昔、ジャンバティスタ・ヴィーコというイタリア人の哲学者がいて、先生の話では(真偽のほどは定かではないが)、マクダフはそのヴィーコというご仁の肖像画にちょっと似ているんだそうな。きみにはどこか哲学者の風貌がある、犬の歴史哲学者だ、なあ、ジャンバティスタ、などと先生は言うのだった。「寒いし、こんな雨だし、今晩はうちに泊まっておいき」とひと通りマクダフが食べ終わるのを待って先生は言った。「家の中は暖かいよ。なあ、今夜は久しぶりに、歴史哲学の問題をじっくり論じようじゃないか。タミーのやつとは、どうもそういう知的な話ができなくてね」「それは御ご親切に、しかし、わたしは人間の家には入らないと、もうずっと以前に決めましたのでね」とマクダフは答えた。「でも、せっかくのお誘いですから、お言葉に甘えて、雨が降り止むまでちょいとこの庇をお借りすることにしましょうか。いや、このしんしんと凍えるような空気に漲る爽やかな緊張感も、なかなか乙なものでしてねえ。ともかく、美味しいご飯をどうも有難うございました」驚いたことに、先生はマクダフの言ったことを理解したとしか思えなかった。マクダフの顔をしばらくじっと見つめた後、「そうかい。じゃあ、風邪を引かないようにするんだよ」とだけ言って、すぐ家のなかに引っ込んでしまったからである。(松浦寿輝さん「川の光2」P138)
2014年03月28日
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翌日の夕方、久しぶりに外に出してもらったタミーは、よく晴れた夕空を見上げながら、大きな深呼吸をして、ああ、やっぱり良いなあと思った。やっぱり良いなあって・・・・・でも、何が「良い」のかというと・・・・・よく分からない。まだ体があちこち痛いし、こんな殺風景な囲いのなかに入れられて、紐で繋がれて、ご主人からも友だちの犬たちからも引き離されて、「良い」ことなんか何にもないと言えば、何もない。でも、快晴の日に特有のこの甘い空気のにおい、頬に当たって吹き過ぎてゆくこのそよ風のこそばゆい感触、見つめているとなぜか懐かしくてたまらなくなるあの夕空の茜色、そういうのはみんなみんな、「良い」ものだ。生きること自体を、うきうきするような楽しい時間に変えてくれるものだ。ツヨシやマモルは「お金」というものをあんなに欲しがっているけれど、こういう「良い」ものたちは、「お金」なんかと無関係に、今ここに、もうすでに、こんなに沢山、溢れるほどにあるじゃないか。(松浦寿輝さん「川の光2」P121)
2014年03月27日
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梨木香歩さんの「冬虫夏草」を買書つんどく。「家守綺譚」の続編であります。「疏水に近い亡友の生家の守りを託されている、駆け出しもの書きの綿貫征四郎。行方知れずになって半年あまりが経つ愛犬ゴローの目撃情報に加え、イワナの夫婦者が営むという宿屋に泊まってみたい誘惑に勝てず、家も原稿もほっぽり出して分け入った秋色いや増す鈴鹿の山襞深くで、綿貫がしみじみと瞠目させられたもの。それは、自然の猛威に抗いはせぬが心の背筋はすっくと伸ばし、冬なら冬を、夏なら夏を生きぬこうとする真摯な姿だった。人びとも、人間にあらざる者たちも・・・・・。『家守綺譚』の主人公にして新米精神労働者たる綿貫征四郎が、鈴鹿山中で繰り広げる心の冒険の旅。」(「BOOK」データベースより)
2014年03月26日
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蕾のままヒヨドリに食べられてしまったのもあるけれど、とりあえずいっこだけ咲きました。これからは、これからのことで。
2014年03月25日
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森林の動物界の食物連鎖の頂点に立つクマタカは、「森の王者」とも言われる誇り高い生き物だ。まだ若いながら、キッドにはすでに森のプリンスとしての高貴なプライドがあり、縦に長い不安定な体つきで地上を危なっかしくよろめいているニンゲンなど、図体こそ多少でかいとはいえ、自分よりずっと格下の動物種だと確信していた。(松浦寿輝さん「川の光2」P17)え、犬が僕をくわえる、だって?キッドは犬の口の中の、太く長い、先の尖った二本の牙を改めてまじまじと見つめ、どう応じたらいいものかと、一瞬、頭が混乱した。いったいこいつ、何を言ってるんだろう・・・・・。キッドの当惑と逡巡を見てとったその犬は、こう付け加えた。「大丈夫だよ。ぼくは、きみらみたいな鳥類を、まあ、その死んだやつだけど、池や川で見つけて、そっとくわえて持ち帰ってくるのが得意な犬なんだ。『回収犬(レトリーバー)』なんだから。ぼくはタミー、ゴールデン・レトリーバーのタミー!」(松浦寿輝さん「川の光2」P29)
2014年03月24日
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うちのヒメコブシの蕾がふくらんできました。ヒヨドリの目を盗み、食べられることなく、無事咲いてくれるのであろうか。これからは、毎日、チェックしなければ。
2014年03月23日
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仁木英之さんの「まほろばの王たち」を買書つんどく。「僕僕先生」の仁木さんの、ちょうど、大化の改新のころのファンタジーです。「家を焼かれた物部の姫・広足は、験者の長に連れ歩かれていた。妖を消し、蘇我の神を滅し、古の神を痛めつける大蔵を見て、敵に治癒の呪を唱えてしまう広足。 形勢が逆転し、瀕死となった大蔵が助けを求めたのは、賀茂の行者・小角だった。師を助けるなら広足自身を捧げろと言う小角に、広足は頷いた。かくして日本 最初の仙人、賀茂役小角と、山の神々との冒険が始まる。」(「BOOK」データベースより)
2014年03月22日
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「夕暮れはあわいの時間なの」とブルーが言った。「あわい・・・・・?」「あいだにあるってこと。 昼と夜の間、光と闇の間・・・・・。本当は、あたしたちはいつでもあいだにいるんだよ。あれとこれとのあいだに、一瞬前と一瞬後の、過去と未来のあいだに。夕暮れというのは、そのことを改めてはっきりと思い出させてくれる、特別な時刻なのかもしれない。それにね、夕暮れは、これからようやく夜が来る、その直前の時刻でしょ。夜というあのすばらしい世界が今にも訪れようとしている・・・・・。そのことの兆しが、ほら、いたるところにあるじゃない。」(松浦寿輝さん「リクル・ルバッハの祭り」(「川の光 外伝」所収)P228)というわけで、松浦寿輝さんの「川の光 外伝」を読みました。いろんな作風の短編が入ってますが、冒頭「月の光」なんかは、幻想的な松浦さんの作風がよく出ていると思いました。引き続き、「川の光2 タミーを救え!」を読みます。
2014年03月21日
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アントンはぐるぐる回転しつづけ、あっちこっち向きを変えながら泳ぎつづけ、その挙げ句、やがて何もかもが飽和しきったように感じて体中の力を抜き、流れに安らかに身を預けた。もう水のなかを浮遊しているのか、川の水面から離脱して先ほどのようにまたしても空中を飛んでいるのか、よくわからない。ただ、この流れに身を委ねていればそれでいいのだった。もしこれが水の流れでないならば、それはこの世の森羅万象を押し流してゆく時間の流れそのものなのかもしれない。いや、こんなふうに「流れること」それ自体が、この世の実体なのかもしれない。その間も、皓々と明るい 月光があたりを昼のように照らし出し、大気の粒子の一つ一つ、水の粒子の一つ一つを輝かせていた。川べりの草や、水底に沈む小石や、人間が捨てていった空き缶や、川面に張り出した樹木の太い枝や――地上の万象が黒々とした影を落とし、その影の濃さがまた翻って、アントンの体を囲繞するこの深夜とは思えないような不思議な明るさを、さらにいっそう引き立たせていた。アントンはまたうとうとと眠りかけているようだった。眠りの底に引きこまれながら、「きみだって、ぼくらのひとりなんだよ」という先ほどの<水の子>の言葉が蘇ってきた。そうだ、淋しいことなんか、何もないんだ。光はどこにでもみなぎっていて、水はどこにでも流れていて、ぼくらはどこにでもいる・・・・・。(松浦寿輝さん「キセキ」(「川の光 外伝」所収)P173)
2014年03月20日
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ギジェルモ・カブレラ・インファンテ「TTT」を買書つんどく。これは幻の、「三匹の淋しい虎」ではあ~りませんか!幻だったのは、翻訳が難しかったんだあ。これで、大物では、カルロス・フェンテスの、「テラ・ノストラ」が未訳で残った、と。「エル・ベダードと呼ばれる3ブロックほどの「夜も眠らぬ」歓楽街。そこには、外国人観光客、知識人、ポン引き、娼婦などが蝟集する。多くの極貧労働者によって購われた特権階級の遊び場にオマージュを捧げることで、作家は何を言おうとしたのだろうか?1958年、革命前夜のハバナを舞台にした、キューバの鬼才、カブレラ・インファンテの翻訳不可能な怪作、遂に「超訳」なる!」(現代企画室の紹介)
2014年03月19日
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勇気という言葉が浮かんできた。勇気という言葉があることはもちろん知っていた、でも、その本当の意味を、あたしは今の今まで全然知らなかったんだわ、とルチアは驚きとともに考えた。あの子が、あのすばらしい鳥があたしにくれた、大事な大事な贈り物・・・・・。世を拗ねて、さもしい妬みや卑しい恨みを抱え、他人の振る舞いの揚げ足取りをしたり悪口を言ったりしながら暮らしている連中がこの世界にはいる。そういう連中も、自分では生きているつもりでいる。でも、生きるというのは、ああいうことじゃないんだとルチアは改めて思った。真に生きるとは、真に十全に生きるとは、「ぼくの生きたことの意味はあったよ」と明るい声でぽんと言い捨てるということだ。その単純なことのために必要なのは、これまた単純なたった一つのもの、つまり勇気だ。とうていそんなことを言えるような状況にあったとは思えないあの子が、「本当に幸せだった」と言いきった。それが勇気だ。あたしに残された生の時間はもうそんなに多くないかもしれないけれど、残された歳月を勇気をもって生きよう。孤独から救われる必要などないのだ。どこまでも孤独な魂として、あたしはあたしなりの生を全うしよう。(松浦寿輝さん「孤独な炎」(「川の光 外伝」所収)P141)「あの子」、というのは、小惑星探査機「はやぶさ」のことです。
2014年03月18日
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小室先生が、美佐子ちゃんの手からモルモットを取り上げ、それを手のひらに乗せたままケージに向かって歩き出すと、その場の皆が驚いたことに、ハクビシンとウサギはさっと立ち上がり、先生の足元にぴったりついて歩いてきた。ケージの扉を開け、モルモットをなかに入れると、他の二匹も当然のことのようにするりと一緒に入ってゆく。「あれ、また三匹一緒に固まって、丸くなっちゃった。ここが気に入ったのかな・・・・・」(松浦寿輝さん「グレンはなぜ遅れたか」(「川の光 外伝」所収)P98)「子どもたちと遊びながら余生が過ごせます」とエリザベスもすずやかな声で言った。「あそこを捨てて、思いきって出発して本当に良かった。心からお礼を言いますよ」グレンは今度こそ本当に体中から力が抜け、暖かな幸福感に満たされ、それが手足の先までじんわり沁みわたるのを感じた。歳をとった動物は幸せになるべきだ。生きるというのは、沢山の、沢山の苦しみや悲しみをくぐり抜けてゆくことなのだから。限りある生の時間の最後に、誰しもその償いを受け取って当然なのだ。(松浦寿輝さん「グレンはなぜ遅れたか」(「川の光 外伝」所収)P106)
2014年03月17日
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玄関前の白のクリスマスローズが咲きました。
2014年03月16日
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そこでタミーは<犬の木>の前に出ていって、そこでくるりと向き直って座りこみ、それからまず、後足で耳の後ろをちょっと掻いた(そこが痒かったからだが、これはあんまり詩的な動作ではないな、まずいぞと思わないでもなかった)。しばらくうえを向いて考えをまとめてから、観客に真っ直ぐ向かい、大きく息を吸って、ホラホラ、これがぼくの骨だ――と始めると、たちまち、「おい、それ、盗作だろ。何かそういうの、聞いたことあるぞ」という声が飛んだ。「え、知らないよ、ぼく。うるさいなあ。ぼくの大好きな骨の美味しさをたたえる詩、黙って聞いててよ。うーんとねえ・・・・・ああ、途中で腰を折るから、続かなくなっちゃったじゃないか。じゃあ、別の形でやらせてもらいます」タミーはそう言って、最初からやり直した。ぼくの好きな骨かじりぼくの好きなふかし芋ぼくの好きなロースハム・・・・・(松浦寿輝さん「犬の木のしたで」(「川の光 外伝」所収)P59)
2014年03月15日
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――ぼくは、ぼくが何だか、わからない・・・・・。すると赤ちゃんはもう、その「何だかわからないもの」になっていた。ブルーは「何だかわからないもの」に寄り添って歩きながら、そう、こんなことが前にもあったわとまた考えていた。こんなふうに寒くて寒くてたまらなくて、月の光がやっぱりこんなふうにあたりいちめんに広がって、あたしはやっぱりこんな「何だかわからないもの」と一緒にとぼとぼと歩いていた。その時もやはり今この瞬間のようにそれはなんだかわからないままそこにいた。ブロック塀や生け垣や人間たちの家々があるように、草が生え樹木が生い茂りコーラ缶や小石が転がっているように、それはただ単にそこに生えそこに生い茂りそこに転がっていた。それらすべてをくっきりと照らし出しその一つ一つにそれぞれに固有の濃い影を与えているのは月の光で、空を仰ぐと怖いほど輪郭のくっきりしたまんまるの満月もまたさきほどからずっとブルーの前になり後ろになりしてついてきているのだった。――それならこの「何だかわからないもの」こそ、月そのものなんだろうか。しかしたしかなことは、それが傷ついて血を流しているということだった。もしそうだとすればこの世にあるものは皆ことごとく、どこかしらに傷を負い血を流しているのだろうか。どんな動物もどんな植物も、いやあのうち捨てられた古自転車もあの折れた釘も、あの濡れた舗石にへばりついた古新聞紙もその舗石そのものも、みなこんなふうに月の光にひたされて、赤とも紫とも青ともつかない、いやどんな色も脱色され尽くし透きとおった水のしたたりのようになった血を流しつづけているんだろうか。(松浦寿輝さん「月の光」(「川の光 外伝」所収)P27)
2014年03月14日
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≪もし情報も、物質と同じように振る舞うのだとしたら≫≪高密度・大容量の圧縮された情報は崩壊を始めるかもしれない≫≪情報が崩壊するような、あらゆる情報が脱出不能の領域を創り出すかもしれない≫そして僕は、きっとその現象の名前を知っている。人の脳が究極的に活性化し、情報密度が限界を超え、誰もがその崩壊領域に囚われて、二度と戻って来られなくなる現象。≪死≫≪死とは、情報のブラックホール化なのだ≫(野崎まどさん「know」P335)というわけで、野崎まどさんの「know」を読みました。これは、しっかりとSFですね。ヒロイン、道終・知ルは、「事象の地平を超えて」、「行って」、「帰ってきた」ようですが、そこはオープン・エンディングになっており、推測するほかありません。本当は、わからないものについては、沈黙するしかないのでしょう。でも、SFだから・・・・・、面白かったです。ところで、きのうのメモ9のことですが、もし、黄泉平坂で、イザナミがイザナギに追いついていたならば、現在とはまったく違う歴史が開けていたと思うのですが、ひょっとすると、この「know」というお話は、イザナミがイザナギに追いついちゃった世界を描いているのでしょうか。
2014年03月13日
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「イザナギとイザナミの“イザナ”は“誘う”の変化です。二神とも、我々人間を誘う神なのです。先へ」「先?」知ルは僕の聞き返しに答えず続ける。「またイザナミの別名は道敷(ちしきの)大神と言います。“みちしき”の変化だとされていますが、音からは“知識”の変化とも捉えられます。ちなみに道敷大神とは、黄泉平坂でイザナギを追いかけたことからきた呼び名で」知ルは棚の箱に手をかけながら呟いた。「“追いついた神”という意味です」(野崎まどさん「know」P269)いや、こんな解釈、聞いたことないから・・・・・。でも、これ、うぃきぺでぃあ にも出てるなあ。
2014年03月12日
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松たか子さんのこれ(「Let It Go」)、いいなあ。もともとの歌詞とは、かなりニュアンスが違う感じではあるけれど。
2014年03月11日
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「御野くん」「・・・・・はい」「不安になることはない。もうすぐだよ。君が知りたいことはもうすぐ全て明かされる。私がなぜ命を絶ったのか。知ルが何を求めているのか。今日と明日と明後日。それで全てが解るだろう。だから君はその場にいるだけでいい。知ルと一緒にいるだけでいい。彼女が君を連れて行ってくれる。だから君も彼女を連れて行ってやってくれ」「僕が?僕に知ルを、どこに連れて行けって言うんですか」「一人の人間が持ち得るものはそんなに多くない。だからみんなでやるんだ。そうして世界を埋めるんだ。そのためには君の力も間違いなく必要なんだよ」「でも・・・・・今更、僕に何が・・・・・」「存在自体が大切なんだ。君がいること。物質としての質量と、情報としての質量。君の全てが必要なんだ。だから君は生きていれば良い。後は君であれば良い」「・・・・・なんだか、酷い言われような気がします」(野崎まどさん「know」P237)
2014年03月10日
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「こうやるんですね」知ルは呟いた。それは間違いなく、彼女のハッキングだった。知ルは素月のハックを処理し続けた。分析し続けた。凄まじい技術と処理能力を持つ素月の攻撃を受け続け、解析し続けて。覚えたのだ。ハックの技術も知識も、防壁のことすらも一切知らなかった知ルが、この数分の中で全てを知り、全てを学び、そして誰よりも上手く使いこなした。それは量子葉の力。人を超えた思考速度。時の止まった世界の住人のような、圧倒的な処理速度の差だった。飛んできた鳥を空中で解剖し、隅々まで学び、縫合して、また飛ばす。知ルが素月にやったのは、まさにそんな人知を超えた行為だった。(野崎まどさん「know」P206)
2014年03月09日
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サリンジャー/村上春樹さん訳「フラニーとズーイ」を買書つんどく。帯にも書かれてましたが、いきなり文庫で村上さんの新訳です。けど、村上さんじゃなければ、よくある、みたいなことですよね。「名門の大学に通うグラス家の美しい末娘フラニーと俳優で五歳年上の兄ズーイ。物語は登場人物たちの都会的な会話に溢れ、深い隠喩に満ちている。エゴだらけの 世界に欺瞞を覚え、小さな宗教書に魂の救済を求めるフラニー。ズーイは才気とユーモアに富む渾身の言葉で自分の殻に閉じこもる妹を救い出す。ナイーヴで優 しい魂を持ったサリンジャー文学の傑作。――村上春樹による新訳!」(「BOOK」データベースより)
2014年03月08日
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知ルが振り返る。「悟りとはなんでしょうか」「知ることじゃ」大僧正は迷いなく答えた。「今まで知らなかったことを知ること。新しいことに気付くこと。それが悟りじゃ。「真理を知る」という意味で使われるのは、「真理」とは何かをこの世の誰も知らないからであるの。真理は全ての人間にとって新しい知識である。それを知ることは即ち悟りとなる」「新しい・・・・・」「そう。その言葉を選んだお嬢さんは正しい。その感覚を持ちなさい。新旧。前後。この二点の感覚こそが真理に続く道を作る。知ることで二つに分かれるのじゃ。知る前と知る後。知らなかったと知っている。悟ためにはの、“自分が何を知らないのか”を知らなければならない」僕は横で二人の不思議な会話を聞いた。十四歳の中学生が八十一歳の大僧正と悟りについて議論している。それはまさに言葉の本来の意味での“禅問答”だった。(中略)「ところでこの<覚悟>という言葉には<悟る>の一字も入っておる。<覚>と<悟>。合わせて覚悟」大僧正は再び知ルに向けて語りかける。「<覚>とは読んで字の如く“覚えていること”すなわち<過去>を指す。それと対照となるのが<悟>。“悟ること”。これは<未来>を指している。まだ知らないもの、悟らなければ知りえないもの、それが未来じゃ。未来は誰にも知り得ない。つまりお嬢さん。お主の知らないことの一つは、未来じゃ」(野崎まどさん「know」P178)
2014年03月07日
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先日仲間入りした、クルメツツジ。咲き始めた、八重のツバキ。昨年の今頃、仲間入りしたもの。
2014年03月06日
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さっきタクシーから降りてきた中学生の少女がそこにいた。長い黒髪に、制服の長いスカート。そこはかとなく硬質な表情と、硬質な佇まい。高価な人形のような印象の女の子は、美しい足取りで部屋に踏み入った。同時の僕の電子葉に情報が流れ込む。クラス0の彼女の何にも守られていない個人情報が啓示視界に無遠慮に開いていく。十四歳。道終・知ル。「御野君。これが君の知りたがっていたものだ」「え?」「この子が、私のやろうとしたこと」先生は、やっと肩の荷が降りたというような、安心した顔で言った。「量子コンピュータの電子葉“量子葉”を付けている、この世界で最高の情報処理能力を持つ人間。ネットワークの全てのセキュリティホールをただ一人だけ利用できる人間」僕は目を見開いた。世界最高の情報処理能力を持った。世界の全ての情報に手が届く人間。先生。先生。あなたは。「あえて君たち政府官僚の尺度に当てはめて表現するなら、そうだな・・・・・」「“クラス9”だ」(野崎まどさん「know」P132)
2014年03月05日
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僕は最後に、ついに一つにまとまった本当の質問をする。「先生は何をしようとしているんですか」あの頃からずっと生徒でしかない僕は、まっすぐに先生に問い掛ける。「僕はそれが知りたい」「“知りたい”。それは本質的な欲求だ」先生は呟くように言う。「答えられることもあるし、答えられないこともある。だが私がしようとしていることは、今も昔も何ら変わっていない。まず仮説を立て、検証方法を模索し、そして実践する。Methods and Practiceだ。つまり私も、君と同じだ」「同じ?」「知りたいことがある」先生が眼鏡を上げる。「御野君。知りたいというのは、本質的な欲求だよ」(野崎まどさん「know」P108)
2014年03月04日
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よしもとばななさんの「花のベッドでひるねして」を買書つんどく。この書評を見て、久々に、よしもとさんの作品を買ってみました。こんな、インタビューもありました。3部作になるようですね。「主人公の幹は赤ん坊の頃、浜辺でわかめにくるまっているところを拾われた。大平家の家族になった幹は、亡き祖父が始めた実家のB&Bを手伝いながら暮らしている。美しい自然にかこまれた小さな村で、少し不思議なところもあるが大好きな家族と、平凡ながら満ち足りた暮らしをしていた幹だったが、ある日、両親が交通事故に遭ってしまう。大事にはいたらなかったが、それから家族が不気味なうさぎの夢をみたり、玄関前に小石がおかれたりと奇妙なことが続くようになる・・・・・。」「神聖な丘に守られた小さな村。みなしごの主人公が手にした“幸せの魔法"とは?この美しい世界に生きる希望を描ききった著者の最高傑作!待望の最新小説。」「「一生忘れられない、小さいけれど大きい作品になった。この小説こそが永く暗い闇を照らす光であってほしい」――よしもとばなな」(毎日新聞社の紹介)
2014年03月03日
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僕は息を吐いた。電子葉も少しずつ冷えてきた。ジェスチャで啓示視界にウィンドウを開く。世界で一番慣れ親しんだ文字列を眺めて心を落ち着けた。十四の頃からずっと見続けてきたもの。先生が僕達に残してくれたもの。どこまでも複雑であまりにも美しい、情報材のソースコード。僕はまだ、この文字列にすら追いつけていない。何百万行にもわたるソースを、もう何百回も読んでいる。だけれど僕は情報材の、情報素子ネットの全容理解には至っていない。読むたびに新しい発見がある。読むたびに新しい道を知る。ソースコードとの対話は、先生との対話だ。(野崎まどさん「know」P89)
2014年03月02日
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その中で、僕は、ついに気付いてしまう。情報素子が造り出すあまりにも美しいネットワーク。人の脳を模した多元領域の重なりから生み出される分散並行型情報網。その中に深く、隠れ潜んだ。無駄に。無駄。そう、無駄だった。最初は何かの間違いだと思った。あの先生がこんなことに気付かないわけがないと思った。しかし情報素子と情報材の基底システムには 間違いなく大きな無駄が存在していた。ネットワークの伝達速度を局所的に偏らせ、遅らせ、精密さを欠如させる無駄が存在した。(中略)僕はそれから狂ったようにコードを読みこんだ。ネットワークシステムの完全な理解に努めた。さらに数か月をかけて僕はついにその無駄の正体にたどり着く。情報素子のネットワークの無駄とは、脳のシステムを模倣すると必ず現れる不可避の偏りだった。それは言うなればシステムを積み上げる際に生まれる“癖”のようなものだ。速度の速い部分と遅い部分、精密さの高い部分と低い部分、そういった偏りが脳に近いシステムには必ず存在し、それがシステム全体のクオリティ を落としている。だけれど僕は戸惑った。だって先生ならば、これを取り除くことだってできたはずなのだ。(野崎まどさん「know」P64)
2014年03月01日
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