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大田区の自宅から通っているのだと彼は言った。「自宅?」と僕は言った。「てっきり関西の出身だと思っていたけど」「ちゃうちゃう。生まれも育ちも田園調布や」僕はそれを聞いてずいぶん面喰ってしまった。「じゃあ、どうして関西弁をしゃべるんだよ?」と僕は尋ねた。「後天的に学んだんや。一念発起して」「後天的に学んだ?」「つまり一生懸命勉強したんや。動詞やら、名詞やら、アクセントやらを覚えてな。英語とかフランス語とかを習うのと原理的にはおんなじことや。関西まで何度か実習にもいったしな」僕は感心してしまった。英語やらフランス語やらを学ぶのと同じように「後天的に」関西弁を習得する人間がいるなんて、まったくの初耳だった。なるほど東京は広い街だと感心した。なんだか『三四郎』みたいだけど。(村上春樹さん「イエスタデイ」(「女のいない男たち」所収)P69)「そんなこと言うたら、こいつかてけっこうけったいなやつやぞ」と木樽は僕を指さして言った。「芦屋の出身のくせに東京弁しかしゃべらんしな」「それってわりに普通じゃないかしら」と彼女は言った。「少なくとも逆よりは」「おいおい、それは文化差別や」と木樽は言った。「文化いうのは等価なもんやないか。東京弁のほうが関西弁より偉いなんてことがあるかい」「あのね、それは等価かもしれないけれど、明治維新以来、東京の言葉がいちおう日本語表現の基準になっているの」と栗谷えりかは言った。「その証拠に、たとえば、サリンジャーの『フラニーとズーイ』の関西語訳なんて出てないでしょう?」「出てたらおれは買うで」と木樽は言った。僕も買うだろうと思ったが、黙っていた。余計な口出しは控えた方がいい。(村上春樹さん「イエスタデイ」(「女のいない男たち」所収)P86)
2014年04月30日
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玄関前の、ヒメウツギ。
2014年04月29日
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昨日の毎日新聞朝刊の書評での、石井桃子さんの「新しいおとな」のご紹介。
2014年04月28日
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ミシェル・ウエルベック「地図と領土」を買書つんどく。こんなんとかこんなんとか、あります。「驚愕の“惨劇”の目くるめく謎――鬼才ウエルベック最大の衝撃作。孤独な天才芸術家ジェドは、一種獰猛な世捨て人の作家ウエルベックに仄かな友情を抱くが、驚愕の事件が二人に襲いかかる。謎をめぐって絢爛たるイメージが万華鏡のように炸裂する傑作。フランスで50万部を超えたゴンクール賞受賞作。」(「BOOK」データベースより)
2014年04月27日
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「そういうのって、病のようなものなんです、家福さん。考えてどうなるものでもありません。私の父が私たちを捨てていったのも、母親が私をとことん痛めつけたのも、みんな病がやったことです。頭で考えても仕方ありません。こちらでやりくりして、呑み込んで、ただやっていくしかないんです」「そして僕らはみんな演技をする」と家福は言った。「そういうことだと思います。多かれ少なかれ」(村上春樹さん「ドライブ・マイ・カー」(「女のいない男たち」所収)P62)
2014年04月26日
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大澤千恵子さんの「見えない世界の物語 超越性とファンタジー」を買書つんどく。こういうのを買うと、また本を買いたくなるので、困ります。「ハリー・ポッターや宮崎アニメを筆頭に、ファンタジーが世を席巻している。児童文学の一分野であったものが、大人をも魅了している。宗教的な神話や伝説、昔話などの物語が、どのように文学的な物語に変容したのか。『アラビアン・ナイト』、ペロー、グリム兄弟などの流れを追う。さらに、アンデルセン『人魚姫』、C・S・ルイス「ナルニア」シリーズなどを分析し、ファンタジー作品のなかに流れ込んでいる宗教的なものの源泉をさぐる。」(講談社の紹介)
2014年04月25日
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「自分以外のものになれると嬉しいですか?」「また元に戻れるとわかっていればね」「元に戻りたくないと思ったことってないですか?」家福はそれについて考えた。そんな質問をされたのは初めてだ。道路は渋滞していた。彼らは首都高速道路で竹橋の出口に向かっているところだった。「だって他に戻るところもないだろう」と家福は言った。(村上春樹さん「ドライブ・マイ・カー」(「女のいない男たち」所収)P35)「つらくないわけないさ」と家福は言った。「考えたくないこともつい考えてしまう。思い出したくないことも思い出してしまう。でも僕は演技をした。つまりそれが僕の仕事だから」「別の人格になる」とみさきは言った。「そのとおり」「そしてまた元の人格に戻る」「そのとおり」と家福は言った。「いやでも元に戻る。でも戻ってきたときは、前と少しだけ立ち位置が違っている。それがルールなんだ。完全に前と同じということはあり得ない」(村上春樹さん「ドライブ・マイ・カー」(「女のいない男たち」所収)P40)
2014年04月24日
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翌日からみさきは家福の専属運転手となった。午後の三時半に彼女は恵比寿にある家福のマンションにやってきて、地下の駐車場から黄色いサーブを出し、彼を銀座にある劇場まで送り届けた。雨が降っていなければ、屋根は開けたままにしておいた。行きの道、家福はいつも助手席でカセットテープを聴きながら、それにあわせて台詞を読み上げた。明治時代の日本に舞台を移して翻案したアントン・チェーホフの『ヴァーニャ伯父』だ。彼がヴァーニャ伯父の役をつとめていた。すべての台詞を完璧に暗記していたが、それでも気持ちを落ち着けるために日々台詞を復唱する必要があった。それが長いあいだの習慣になっていた。(村上春樹さん「ドライブ・マイ・カー」(「女のいない男たち」所収)P27)
2014年04月23日
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金城孝祐さんの「教授と少女と錬金術師」をご紹介。気になった書評はこちら。「薬学部の学生・久野は、育毛と油脂の関連を研究する江藤教授に助手を任命され、かつての教え子である永田を紹介される。頭髪の薄い永田は乾性油によって人を魅了する光り輝く艶を頭部に作り出すことができた。久野は、永田の勤め先の塾で不思議な力を持つ女子中学生の荻と出会う・・・・・。第37回すばる文学賞 受賞作。」(「BOOK」データベースより)
2014年04月22日
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村上春樹さんの9年ぶりの短篇集、「女のいない男たち」を買書つんどく。村上さんの本は、なんか買ってしまうし、読んでしまいます。ところで、こんな事件もありました。ところで、ところで、「男だけの世界」(「女のいない男たち」)が収録されたヘミングウェイの短篇集。
2014年04月21日
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というわけで、「疎外と叛逆 ガルシア・マルケスとバルガス・ジョサの対話」を買書つんどく。マルケスが「百年の孤独」を、ジョサ(リョサ)が「緑の家」を書いた、若き頃の、対談です。「厳密な理論派で文学への熱い情熱を隠さないM・バルガス・ジョサと、辛辣な知性から諧謔的ユーモアを繰り出すG・ガルシア・マルケス、現代ラテンアメリカ作家の頂点2人による若かりし頃の貴重な対談。“ラテンアメリカ小説の稀代の語り部らが、自作の秘密を明かす。”鼓直。バルガス・ジョサによるガルシア・マルケス論の白眉「アラカタカからマコンドへ」、文学への誠実な態度が垣間みえる「バルガス・ジョサへのインタビュー」を収録。」(「BOOK」データベースより)
2014年04月20日
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昨日の読売新聞の夕刊です。「日本でも大江健三郎さん、池澤夏樹さんらに影響を与えた。」ですと。そんなどころじゃないでしょ。
2014年04月19日
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紙飛行機〈ポストカード付〉の特典付き、ジブリの「風立ちぬ」のDVDが、6月18日に発売予定ということで、予約受付中。アニメ自体は、ちょっと中途半端な気がしないでもありませんでしたが、DVDが出たら、きっと買ってしまうのでしょう。特典の「おまけ」
2014年04月19日
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スティーヴン・キング「11/22/63」を買書つんどく。これは、昨年の「このミス」第一位の作品でしたね。「小さな町の食堂、その倉庫の奥の「穴」。その先にあるのは50年以上も過去の世界、1958年9月19日。このタイムトンネルをつかえば、1963年11月 22日に起きた「あの悲劇」を止められるかもしれない・・・・・ケネディ暗殺を阻止するためぼくは過去への旅に出る。世界最高のストーリーテラーが新たに放った最高傑作。」「改変を拒む「歴史」が繰り出す執拗な妨害。降りかかる痛ましい悲劇。世界の未来と愛するひとの命のどちらを選べばいいのか? 緊迫のクライマックス、涙のラスト・シーン。国際スリラー作家協会長編賞受賞。LAタイムズ文学賞ミステリー部門受賞。英国幻想文学賞、ローカス賞最優秀SF長編部門最終候補作。」(「BOOK」データベースより)
2014年04月18日
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気になった本ということで、作・林綾野さん、絵・たんふるたんさんの「ぼくはヨハネス・フェルメール」をご紹介。なんだか、楽しそう。気になった、書評はこちら。「フェルメールの人生。古文書に残された史実を元に、画家の足跡をたどる。どんな風に絵を描き、どんな家に暮らしていたのか?フェルメールの人生を見つめ、紐解く、ものがたり絵本。“フェルメールにもっと近づくキーワード”や“フェルメール全作品をたどる”ミニギャラリーも収録。」(「BOOK」データベースより)
2014年04月17日
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小林秀雄さんの 国民文化研究会編纂「学生との対話」を買書つんどく。講演集か対談集からの切り出しかと思っていたら、初めて活字化されるもののようです。小林さんの講演集のCDも欲しいのですが、ちょっと高い。「「さあ、何でも聞いて下さい」と〈批評の神様〉は語りかけた。伝説の対話、初の公刊!「僕ばかりに喋らさないで、諸君と少し対話しようじゃないか」――。昭 和三十六年から五十三年にかけて、小林秀雄は真夏の九州の「学生合宿」に五回訪れた。そこで行われた火の出るような講義と真摯極まる質疑応答。〈人生の教室〉の全貌がいま明らかになる。小林秀雄はかくも親切で、熱く、面白く、分かりやすかった! 」(新潮社の紹介)
2014年04月16日
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中脇初枝さんの「きみはいい子」を買書つんどく。気になっていた本が、文庫化されてたので買ってみました。「17時まで帰ってくるなと言われ校庭で待つ児童と彼を見つめる新任教師の物語をはじめ、娘に手を上げてしまう母親とママ友など、同じ町、同じ雨の日の午後を描く五篇からなる連作短篇集。家族が抱える傷とそこに射すたしかな光を描き出す心を揺さぶる物語。」(「BOOK」データベースより)
2014年04月15日
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いま、うちの玄関前はマーガレットが花ざかりです。
2014年04月14日
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アーニャさようなら、お家!さようなら、古い生活!トロフィーモフこんにちは、新しい生活!・・・・・。(アーニャといっしょに行ってしまう)(中略)ガーエフ(身も世もあらず)妹、わたしの妹・・・・・。リューボフィ・アンドレーヴナああ、あたしのいとおしい、なつかしい、すてきなお庭!・・・・・。あたしの生活、あたしの青春、あたしの幸福、さようなら!・・・・・。さようなら!・・・・・。(アーニャの声が浮き浮きと、呼び招くように――「ママ!・・・・・」。トロフィーモフの声が浮き浮きと、興奮したように――「ヤッホー!・・・・・」)(中略)フィールス・・・・・一生が過ぎちまった、まるで生きてこなかったみたいだ・・・・・。(横になる)・・・・・(アントン・チェーホフ「桜の園」(チェーホフ全集12巻)P339)というわけで、ちょうど、桜の季節に、「桜の園」を35年ぶりくらいに読みました。もう、この作品については、な~んも言う必要ないですね。以前に、村上春樹さんが、学生さんの、「スコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」のどこが面白いのですか?」、という質問に対して、「どこが面白くないのですか?」と返していたことを思い出します。 まあ、そういうことです。
2014年04月13日
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トロフィーモフ君のおやじが百姓なら、僕の父は薬剤師だったが、だからったって、どうってことはないよ。(ロパーヒン、紙入れを取り出す)よせよ、よせったら・・・・・。二十万くれると言ったって、受け取るもんか。僕は自由な人間なんだ。君たちみんなが、金持ちも貧乏人もしきりにありがたがって、奉ってるものは、いっさい、僕にとっちゃこれっぽっちの権威もない、空中にふわふわしている綿毛みたいなものなんだ。僕は君たちの世話にはならないよ、僕は独立独歩だ、僕は強いし、誇り高いんだ。人類は、この地上で達しうるかぎりの最高の真実、最高の幸福めがけて歩んでいる、そして僕はその最前列にいるんだ!ロパーヒン行き着けるかな。トロフィーモフ行き着けるとも。(間)自分で行き着くか、行く道をひとに指し示してやるさ。(遠くで桜の木に斧を打ちこむ音が聞こえる)ロパーヒンじゃ、さようなら、君、出かける時間だよ。われわれはお互いもったいぶっているけれど、生活はそんなことにはおかまいなしにどんどん過ぎて行く。長いあいだ、たゆまず働いていると、胸のつかえもいくらかやわらいで、なんのために自分が生きているのかがわかってくるような気もするんだ。ところが、君、ロシアにはなんのためとも知れず生きてるような手合いが、なんとたくさんいることだろう。(アントン・チェーホフ「桜の園」(チェーホフ全集12巻)P325)
2014年04月12日
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野口武彦さんの「「今昔物語」いまむかし」を買書つんどく。「今昔物語」が、読みたいかも知れない。「平安時代末期の生活をリアルに伝える「今昔物語」。混迷の現代にこそ、その世界観を検証する意味があると考える著者が切り込む。」(文藝春秋社の紹介)「羅生門の暗がり/廃屋のミイラ死体/犬に食われる子供たち/深夜の女患者/笞を持つ女/汚物の詩学/平安京のニューリッチ/業平東下り/気の弱い怨霊/人妻の引出物/赤鼻の五位/見るなの箱/后妃の淫行/地回りの神/弓矢の威力」(「BOOK」データベースより)
2014年04月11日
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トロフィーモフきょう領地が売れようが売れまいが、同じことじゃありませんか。領地とはもうとうに縁が切れてて、いまさらあともどりはできない、道はふさがってるんですからね。まあ、落ちついてください。自分をいつわらずに、せめて一生に一度くらい真実を直視するんですね。リューボフィ・アンドレーヴナどんな真実を?そりゃあなたなら、どこに真実があるか、どこに嘘があるかがわかるでしょうけれど、あたしは眼が見えなくなったように、さっぱりわからないわ。あなたならどんな問題でもずばずば解決してしまうでしょうけれど、でもどうなの、あなた、それはきっと、あなたが若くって、なにひとつ自分の問題にぶつかったことがないからじゃなくって?あなたが大胆に前を向いているのも、こわいものなし、こわいもの知らずだからじゃないの、ほんとうの人生がまだあなたの若い眼からかくされていてね。そりゃあなたはあたしたちにくらべればずっと大胆で、誠実で、深みもあるでしょうけれど、でもよく考えてね、そして爪の垢ほどでもいいから寛大な気もちになって、あたしを大目に見てちょうだい。だってあたしはここで生まれたんだし、父も母も、おじいさんもここで暮らしてたんですもの、あたしはこの家が大好きで、この桜の園なしの自分の人生なんて考えられないのよ。どうしても売らなければならないのなら、いっそのことあたしも桜の園といっしょに売ってちょうだい・・・・・。(トロフィーモフを抱きしめて、額に口づけする)だって坊やもここで溺れ死んだのよ・・・・・。(泣 く)あたしを哀れに思ってちょうだい、ねえ、あなた。(アントン・チェーホフ「桜の園」(チェーホフ全集12巻)P305)
2014年04月10日
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トロフィーモフロシアじゅうがわれわれの庭なんだよ。大地は広くて、すばらしい。いくらでもすてきなところがあるよ。(間)考えてごらん、アーニャ。あなたのおじいさんも、ひいおじいさんも、先祖はみんな農奴制の支持者で、農奴の持ち主だった。だから、庭の桜の木の一本一本、 葉っぱの一枚一枚、幹の一つ一つから、人間の眼がこちらを見つめているとは思わないか、彼らの声が聞こえてきはしないか・・・・・。農奴を支配しているうちに――そのことがあなたがたを、かつて生きていた人も、いま生きている人もすっかり駄目にしてしまったんだ、だからあなたのおかあさんも、あなたも、おじさんも、借金で暮らし、ひとのふところで暮らしていることにもう慣れっこになって気がつかない、あなたがたが控室より奥へは通そうとしない人びとのふところでね・・・・・。われわれはすくなくとも二百年くらいはおくれているよ。わが国には、まるっきりまだ何もないんだ、過去にたいするはっきりした態度もなく、ただ哲学談義をしたり、うさをかこったり、ウォトカを飲んだりしているだけなんだ。こうなるともう明らかじゃないか、きょうという日にあらためて生きるためには、われわれの過去をあがない、過去と手を切らなければならないってことはね。過去をあがなうためには、悩み苦しむよりほかにはないんだよ、異常な努力、不断の努力をするほかにはないんだよ。そのことをどうかわかってください、アーニャ。アーニャわたしたちが住んでいる家は、もうとっくにわたしたちの家ではなくなってるわ。だからわたしは出ていくわ。誓ってもいいわ。トロフィーモフたとえ家政の鍵をあずかってても、そんなものは井戸の中にたたきこんで出ていくんだ。風のように自由になるんだよ。アーニャ(有頂天になって)なんてすてきな言い方でしょう!(アントン・チェーホフ「桜の園」(チェーホフ全集12巻)P294)
2014年04月09日
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メイ・シンクレア「胸の火は消えず」を買書つんどく。こういうのを、文庫本で出してくれる東京創元社に感謝!「不毛な愛の果てに、永遠に続く情欲の地獄に堕ちた女性の絶望を描く表題作。下宿人が出会った幼い子供の幽霊をめぐる、ある一家の物語「仲介者」。粗暴な男が雇い主の幽霊に取り憑かれる、不思議なジェントル・ゴースト・ストーリー「被害者」など本邦初訳作を含む11篇を収録。幽艶かつ繊細な筆致で怪談・心霊小説を書き続けた英国の女流作家の精髄を、日本オリジナル編集で贈る。」(「BOOK」データベースより)
2014年04月08日
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リューボフィ・アンドレーヴナ(窓から庭を眺めて)ああ、あたしの子どもだったころ、純真だったころ!この子ども 部屋に寝起きして、ここから庭を眺め、幸せが毎朝いっしょに目をさましたものだったわ、そしてあのころも庭はそっくりそのまま、なにひとつ変わってない わ。(嬉しさのあまり笑う)まっ白、まっ白だわ!ああ、あたしの庭!暗くてぐずつく秋や、寒い冬が過ぎて、またおまえは若々しく、幸せいっぱいだわ。天使 たちはお前を見捨てなかったんだわ・・・・・。あたしの胸や肩から重い石が取りのけられたら、むかしのことが忘れられたら!ガーエフそうだ、この庭も借金のかたに売られるんだからな、おかしな話だが・・・・・。リューボフィ・アンドレーヴナ見て、亡くなったママが庭を歩いているわ・・・・・白い服を着て!(嬉しさのあまり笑う)あれはママよ。(アントン・チェーホフ「桜の園」(チェーホフ全集12巻)P263)
2014年04月07日
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柄谷行人さんの「柳田国男論」、「遊動論 柳田国男と山人」、柄谷さん編の柳田国男「「小さきもの」の思想」を買書つんどく。柳田まつりだ、わっしょいわっしょい!!「柳田国男論」「長らく封印されてきた著者三十二歳時の長篇評論350枚、関連作を併せて初の単行本化!『マルクスその可能性の中心』と並行して執筆され、『日本近代文学の起源』に先駆する最重要論考。柳田国男の「方法」。」「遊動論 柳田国男と山人」「民俗学者・柳田国男は「山人」を捨て、「常民」に向かったといわれるが、そうではない。「山人」を通して、国家と資本を乗り越える「来たるべき社会」を生涯にわたって追い求めていた。「遊動性」という概念を軸に、その可能性の中心に迫った画期的論考。」「「小さきもの」の思想」「柳田国男は詩人、官僚、ジャーナリスト、民俗学者と移動と試行錯誤を続けながら、生涯にわたって、資本と国家を乗り越える「来たるべき社会」を追究していた。その「可能性の中心」がくっきりと浮かび上がる、まったく新しいアンソロジー。」(「BOOK」データベースより)
2014年04月06日
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しかし、結局、生きることそれ自体が、途方もなく素敵な大冒険にほかならない。そうではないだろうか。それは興奮や歓喜、悲嘆や希望、退屈や忍耐、安打や落胆、驚愕や恍惚、幸運や不運とともに、終わりが見えないまま書き継がれていき、また読み継がれてゆく、大きな大きな、手に汗握る、痛快無比の物語そのものなのではないだろうか。迂回だの、寄り道だの、道草だの、出会いだの、別れだの、複雑に絡み合った大小無数のエピソードから成る、てんやわんやの、ごったまぜの、てんでんばらばらの、しどろもどろの、やけのやんぱちの、しっちゃかめっちゃかの物語――その途切れることのない滔々たる流のただなかを、わたしたちは皆、泳ぎながら、溺れながら、為すすべもなく押し流されてゆく。(松浦寿輝さん「川の光2」P)というわけで、松浦寿輝さんの「川の光2 タミーを救え!」を読みました。素直なお話で、タミーやビス丸やマクダフのことが目に浮かんでくるようでした。ただ、僕が、こういう系のお話で、一番印象深いのが、リチャード・アダムズの「ウォーターシップ・ダウンのウサギたち」です。これは、ほんと、すんごいと思います。
2014年04月05日
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ビス丸は直樹の家で過ごした数日で、人間に「甘える」というのがどういうことなのか、ようやく理解しはじめていた。一度わかってしまえば、それはとても簡単なことなのだ。「甘える」というのは、「媚びる」とか「へつらう」といった卑屈でさもしい行為なのではない。お母さんに 甘える子どもは、別に媚びたりへつらったりしているわけではない。「甘える」というのは相手を信頼し無防備になって、その心に向かって自分の心を大らかに開くという、ただそれだけのことだ。そんなふうに心を開いてくる存在に相対して、自分の心を鎖してしまう人がいるとすれば、それはその人自身の心 が歪んでいたり強張っていたりするからでしかない。まあ、「演技派」的な計算も多少ないわけではなかったけれど、本質的にビス丸はきれいで真っ直ぐな心の持ち主だった。それを大らかに開き、真っ直ぐに向けさえすれば、たいていの人はその心を真っ直ぐに受けとめてくれる――そのことをビス丸は、直樹たち一家から教わったのである。今となってみれば、そんな簡単なことを前の飼い主が教えてくれなかったのは、何とも不思議な話というしかなかった。(松浦寿輝さん「川の光2」P488)
2014年04月04日
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今年は失敗したサクラソウ。この一鉢だけになっちった。
2014年04月03日
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「憐れみ」とは、もっとも「高貴」な感情の一つではないだろうか。もちろん、美しい感情、豊かなすばらしい感情なら他にも 沢山ある。恋人同士の激しい情熱、友だち同士の熱い友情、仕事仲間同士の間に築かれる連帯感、親子の間の慈愛や献身、夫婦の間の心の籠もった優しいいたわり合い――しかし、弱い者や小さなものを、何の打算もなく、驕り高ぶった優越感もなく、ただひたすら気遣い、いとおしみ、彼らに同情し共感するというこの「憐憫」という感情には、そのどれとも違う、かけがえのない気高さがある。それは、無償の「憐れみ」が、生き物の本能(たとえば性や生殖や自己保存のよう な)に根ざした「自然な」感情ではなく、生のままの「自然」からは独立した、醇乎たる精神的価値を持つ感情だからだろう。人は、何かを、あるいは誰かを「憐れむ」能力がなくても生きていけるし、それで何の不便もありはしない。実際、まだ精神が未発達な年齢のうちは、「憐れむ」ことなど知らない子どもがけっこう多い。心の成長につれて、人はだんだん「憐憫」の意味に目覚めてゆく。ところが、大人になっても「憐憫」を知らず、そのまま生涯を終える人々が、意外に沢山いるものだ。自分の利害、自分の快楽しか眼中になく、自分自身を「憐れむ」ことだけに汲々としている連中が、大手を振って歩いている。「憐憫」の反対語は、優越感とエゴイズムにほかなるまい。(松浦寿輝さん「川の光2」P317)
2014年04月02日
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そのうちにマルコはふと、変なことを口走った。「東京を横切って、海の方へ行く、とね・・・・・。なあ、それじゃ、あんたら地下鉄サムに会わなくちゃな」「えっ、地下鉄サムって誰さ?」「地下鉄サムに助けてもらえ。いや、おいらも会ったことはない。噂を聞いているだけだが、何だかすごいやつらしい・・・・・」「助けてくれるって、どういうふうにさ?」(中略)「そのサムさんって、どこにいるの?」「さあな・・・・・地下鉄サムは神出鬼没だから・・・・・」(松浦寿輝さん「川の光2」P232)マッカレーの「地下鉄サム」は、中学生の頃に読みました。残念ながら、現在絶版になってますが、とても、面白い本なので、おすすめ。
2014年04月01日
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