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額です。 ハートベアブローチ用のものです。このブローチを飾るためのものです。 前々回作った物より、一回り大きいものをというYUMIさんのリクエストです。 一回り大きいって、どうかなあ?念のため、もう一パターン作ってみました。 それぞれふたつづつ。 実際にハートベアブローチを飾るとこんな感じ。 並べてみると。 YUMIさんはこれを見て、真ん中の四角タイプにしました。バックの部分に絵を入れて完成になります。 ご注文のお客様、もう少しお待ちください。 追伸:完成品はこうなりました。 詳しくはYUMIさんのブログで。3月11日に、ご依頼の作品をお渡しすることが出来ました。見たら楽しくなったり元気が出たりするものをこれからも届けていけたらと思います。
2017年02月26日
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突然、本職の勤務が休みになりました。シフト制で月ごとに休みが決まるのですが、シフトが決まってからポジションがダブっていることに気が付いた同僚がいました。これは言ったもん勝ちと、科長のところへ飛んで行って、休みを要求してみると許可されました。人手不足で、しばらく有給が消化できてなかったのでラッキー!公休と続いていたので、降って湧いた連休でしたが、注文が途絶えているので、特にやることもない。先週、久々に風邪をひいて参っていたこともあり、それでは家でゆっくり休もうかと思っていたら、タイミングよく注文が飛び込んできました。先月、3つご注文をくださった、介護のお仕事をしているお客様で、今月中に作ってほしいとのことです。お世話しているおばあちゃんが、施設に入ることが決まり、一緒に連れていきたいとのことです。それでは急いで取り掛かりますとお返事して、昨日今日と二日で完成させました。 送っていただいた画像はこちら。 ツーショットにしてみるとこんな感じ。 横姿、後ろ姿はこうなります。 バンダナみたいな首輪なのですね。首から下がっているペンダントは何かのキャラクターのようですが、小さすぎて再現は無理。雰囲気で勘弁してもらいましょう。 この作品も含め、僕の作品は、本物の比率より顔が大きく作っています。その方が可愛いから。人間の目は、見たいものを見ます。だから、うちの子を見るときは”顔”を見ています。印象として、実物よりも顔が大きく見えていると思います。だから、顔を大きく作っても違和感がありません。そのためには、ポーズは”お座り”がいいですね。寝たり立ったり全身を表現すると、それではバランスがおかしくなるので、顔も小さくしなくてはなりません。顔が小さいということは、目も小さくするということで、”ネコ目”はちょっと辛くなります。まあそういうオーダーが来たらやりますけど。 話はかわりますが、”風邪”をひくのは悪いことばかりではありません。こんな記事を書いています。 風邪の効用 時々は風邪をひいて、健康を取り戻しましょう。
2017年02月22日
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昨年末の12月30日、僕の最も尊敬する人の一人である渡辺和子さんが亡くなりました。「2016年を振り返って」の執筆にかまけて触れそびれていましたが、先日「渡辺和子さんの追悼ミサとお別れの会」が開かれた報道を見て、僕も先生を偲ぼうと思いました。渡辺和子さんの著書は過去2度載せさせていただきました。 『置かれた場所で咲きなさい』『面倒だから、しよう』 今回は数ある著書の中から、アンソロジーともいえる『愛と励ましの言葉366日』の中から、さらに僕の今の心に共振する言葉を取り上げさせてもらいます。〔 〕内は共振した僕の独り言。 愛と励ましの言葉 366日 どんなにきれいな言葉を使っても、辛い時は辛いのです。そして、それに耐えてゆく一つの道は、「あの時どうしてかわからないけれども、ああなってしまった」と、自分に言い聞かせて、その道を歩きつづけてゆくことなのです。 〔事態がどう進展するかは、関わり合いが増えるほど混とんとし、手前勝手な推測は無残に打ち砕かれるものだ。それが不本意で、どんなに悔しくても、そうなったらそうなったなりに、その時点で最善の方向に努力するのが、運命の導きだろう。〕 人生の終わりに問われるのは、生きている間に伐った樹の数でも、種類でもない。伐り続けた「斧」そのものである。 〔人の業績を語るには、肩書や数字が必要になるが、本当の価値はそこにはない。見せかけの看板は、来世においては何の役にも立たない。〕 「してもらうのが当たり前」という気持ちは人を醜くする。なぜならそこには「感動」がないからであり、不平しかのこらないからである。 〔期待をすると裏切られ、期待しないと感謝が生まれる。〕 倒れなければ、倒れた時の苦しさもわからないし、起き上がった時の喜びもわからないのです。倒れた目線で世間を見ることもできません。人生において大切なことは倒れないことではなく、起き上がること、そして倒れたことによって、強くなってゆくことなのです。 〔人間は失敗からでしか学べない。成功には偶然も含めいろんな要素があり断定できないが、失敗はある程度原因が突き止められるからだ。失敗は避けるべきものではなく、貴重な学習機会なのだ。〕 苦しみはミステリーだと今も思う。その時にわからなくてもわかる時が来る。その時の条件と異なった条件のもとでは、かって無意味に思えたものが、この上なく尊いものともなり得るのだ。 〔困難は何かの伏線である。何気ない引っ掛かりも、後の物語の展開に大きく影響を与える。映画の結末には、それを乗り越えた主人公の成長がある。〕 どんなに高価なものも、それに「意味」が見いだせない時には、むしろ虚しさの源としかならないように、いかに貧しく、つまらないものも、それに「愛」がこめられ、または「意味」が見出せる時には、人の心を満たすものとなり得るのである。 〔価値があるから高価なのか、高価ゆえに価値があるのか。”豚に真珠”とは、豚は真理をわきまえているということ。〕 水にさざ波が立ち、平静でない時、そこに映る月がゆがんでみえるように、私たちの心が歪んでいる時、そこに映るすべてのものが歪んでみえてしまうのです。こだわりは心を歪めるものなのです。 〔自分の思ったようにことが進まない時、自分の心に奢りがないか振り返ってみよ。傲慢な心は、物事を歪ませて見せる。謙虚な心でなければ、真の姿は見えない。〕 世の中に、つまらない仕事というのはない。雑用と呼ばれる職種もない。それらは人間がつまらないものにしているのであり、人間が用を雑にしている時、生じるものなのだ。 〔人は何をやるかでなく、どうやるかで真価を問われる。どんなつまらないことに見える用事でも、心構えでいくらでも学べる。小さな学びを積み重ねて、人格は形成されていく。〕 相手の抱えている問題、悩み、感情、思いを理解するには、「よく聞く」ことがとてもたいせつです。その時、世界中に、その人しかいないかのように、よく聞くこと、相手を遮ることなく、言葉になっていないものも感じ取ろうとすることがたいせつです。 〔地球上に、自分と相手と二人しか生き残っていないシチュエーションで語る話は、日常のガチャガチャした中での会話とどう変わるであろうか。言葉ひとつひとつが、もっと真剣な重要なものに変わっているに違いない。たとえその相手が誰であろうと。〕 一生の価値は長さによって計られるものでなく、その充実度による。苦しみや不幸がなかった人生が、よい人生だったのではなく、苦しみや不幸にも意味が見出せた一生こそは、尊い人生である。 〔お金持ちで、何不自由なく生活をしていても、自分は不幸だと思う人がいます。何もなくて、社会の底辺で苦しんで暮らしていながらも、幸せを感じて生きている人もいます。健康なのに不幸な人。病気でも幸せな人。人の一生を左右するのは、その人の受け止め方、考え方です。〕 神の愛というものは、人間を不幸、災難、苦しみから遠去けることにあるのではなく、それらの試練に耐える力を添えてくださることにあります。 〔試練は乗り越えるためにある。時には誰かに助けられて、時には誰かに裏切られても。耐えて忍んで、越えられなかった試練はない。〕 人は、話す前は自分の言葉の主人だが、口から出してしまった後は言葉の奴隷でしかない。そのためにもよく考えて話すことがたいせつだ。 〔人の考えは、言葉によってのみ表現される。良い考え方をしたければ、良い言葉を使うことだ。〕 物事は反対から考えてみると納得できることがあるものだ。何か「損した」と思うようなことを、それではもし自分がしなかったとしたら何を「得したのか」と考えてみることである。 〔人は合理的に”損得”でものを判断する。しかし「人間万事塞翁が馬」、何が災いとなるか、好転に結ぶかわからない。損を承知しながら、将来において得に変える知恵を持つ人が、結局お得な気がする。〕 使命という言葉は、命を使うと書きます。だから、私たちは一人ひとり、自分の命を使う使命を持っています。世のため人のためにそんな大したことはできないかもしれない。でも、生まれたからには生きなければならないという根本的な使命があるのです。 〔自分は、母から離れて個別に生まれたと思っているかもしれないが、母の卵子が父の精子と結合し増殖し、分離したに過ぎない。その母と父はそのまた母と父から分離しただけで、地球の生命誕生から40億年の長きにわたってバトンをつなぎ続けてきた。自分の細胞の中にその時間が凝縮されていることを知れば、命を粗末にはできない。〕 「今日」という日は、自分にとって一番歳をとった日である。しかしながら、今日よりもう若くなることはないとすれば、自分にとって「一番若い日」でもあるのだ。そう思うとき、そこに、「今日」のありがたさが生まれてくる。権利としての一日ではなく、”たまもの”としての一日になる。 〔過去の成れの果てが、今日の自分である。しかし、未来の自分の出発点でもあるのだ。〕 自由の本質は「選ぶ自由」である。子どもたちは幼い頃から、自由とは「勝手気ままに振るまう」ことではなくて、「考えてより善い方を選ぶ」ことなのだと教えてゆかねばならない。 〔”考える”とは選ぶということ。最低二つ以上の選択肢の中から、最良と思われる一つを選ぶ。様々な条件を加味し、推量して選ぶ過程が考えるだ。ゆえに、もともと選択肢のないままに、一つの決定に従うことは考えることにならない。〕 私たちの毎日の経験というものは、すべて自分を知るうえで貴重なものになります。一生の間のいろんな経験というものはなにかに収斂されていかないといけない。その収斂され、集約されたものが、いつか、よりよく自分を知ることにつながり、本物の自分になっていくことに役立たないといけないのではないでしょうか。 〔人生は「ジグソーパズル」。困難や苦悩のピースをつなげて埋めていくと、最後のピースで知られざる自分の姿が出来上がる。〕 人は一生の間に、どれだけの愛を集めたかによってではなく、どれほど、どのような愛を与えたかによって審かれるのであろう。愛するということは、たいせつにするということである。ていねいに生きるということと深くかかわっている。 〔最終的に、神様は、どれだけ”愛を与えたか”によって人を審判する。”愛される”のは人の評価だが、与えた愛を見極めてくれるのは神様だけだ。〕 どこに行くにもついて来て、いつまでたってもわかれることのない者ー自分ーを愛すべき者と見ることのできる人ほど幸せな人はないと言えよう。その反対に、自分を厄介者と考え、嫌っている人ほど不幸な人はいない。なぜなら、自分はどこまでも自分とともにあるからである。 〔人は自分を基準で考える。自分が正しいと思うことに背く人を嫌悪する。それが、自分自身の行動が信念に背く結果となった場合、自己嫌悪に陥ってしまう。自分が嫌いになるのは、自分の決定に従えない自己矛盾のため。根本の自分は揺らいでないのだから、つまりは自分が好きなわけだ。そんな自分を許すことを覚えよう。〕 日本語に「一期一会」という美しい言葉があります。それは繰り返しの連続、毎日の些細なこと、出会いの一つひとつを、「今ヨリナイ」と、こころをこめて行う意味なのです。このような心こそは、「素敵な出会い」の秘訣ではないでしょうか。 〔人生の喜びの一つに、人との出会いがある。他人というものが一切いなくなったら、人生に喜びなどあるのだろうか。人生の目的は、自分を知ることにあり、自分を知るためには、人とのかかわりが必需なのだ。〕 私たちは、「ただ老いる」だけの日々を送りたくないものです。「ただ働く」だけの日々でもなく、生活の随所に愛をこめ、意味を見出し、自分しか作ることのできない”財産”としての毎日を過ごしたいと願っています。 〔人は皆、「老・病・死」に向かって生きている。これを”苦”とするか、”楽”につなげるかは人のステージによるだろう。先達に教えを乞い、日々研鑽を積み、自分なりの幸せな終焉を迎えることが願いである。〕 数々の教えを戴いた渡辺和子先生のご冥福をお祈りします。今ある蔵書を並べてみました。先生のお言葉は、これからも迷える子羊を救うことでしょう。
2017年02月17日
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アクセス数1万ごとに書き重ねている短歌です。沢山のご訪問 ありがとうございます。本日は2月14日。世間でいうところの”バレンタインデー”です。僕のバレンタインデーの思い出は、こんなことがありました。バレンタインデーの思い出 彼女とはこの後もしばらくお付き合いをしていたのですが、僕の幼さが原因で、残念ながら『22歳の別れ』になってしまいました。同い年だと、女性の方が精神的に大人で、本当は彼女の言葉にもっと精神を傾けるべきでした。逃がした魚は大きく、自分の至らなさを認める今は、己の考えの浅さに恥じ入るのみです。生きているうちにまたお会いする日があったら、お詫びと感謝を伝えたいと願っています。そして今でも、ときどき40年前を思い出して、ほっこりしてしまいます。 40年 時を重ねて ここにあり 若さの意味は さすらいに見え思い出を 磨き続けて 珠となる 凸凹はもう 見なくてもよし還暦を 越えたあなたと すれ違い 判って驚く 夢見るシーン見た目なら 判らないかも 知れないが 変わらずにいる あの声聞けばあの頃を 謝りたきを 願いたく ぜひ伝えたし 感謝の言葉ちいさくて トランジスタと 呼ばれてた 高性能の 昭和のあだなチョコならば アーモンドチョコが 懐かしく 甘くて苦い ときめきの味あの街の あの店はもう 今はなく 記憶の中の お好み焼きにお互いの 話を深め 知ることが よかっただろうが 浅すぎを悔い人生は 選び続ける 三叉路を 覚悟なきまま 流された果て
2017年02月14日
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当ブログ開設以来、今回がなんと777本目の記事です。記念すべき記事の作品は、我が家のピノちゃん。ご本人とのツーショットは。本人が写真嫌いで、ぶぜんとした表情ですが、まあ似てるかなあ。このサイズは、10センチサイズのカテゴリーで、昨年は20センチサイズを作っています。こちらがツーショット。後ろ姿も。ちなみに、10センチサイズは5000円、20センチサイズは10000円。我が子の羊毛アートをご希望の方はご連絡ください。画像を送っていただいて、制作させていただきます。スリーショットもご覧ください。
2017年02月14日
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前回にお話ししたように、”ハートベアブローチ”は2個ご注文を戴きました。これが2個目です。1個めとツーショット。まったく同じに作ったつもりですが、同じにはならない。羊毛アートは唯一無二。同じものはありません。さらに、2015年の作品を少し手直しして、スリーショット。旧作に、少し羊毛を足して、ふっくらさせました。さらに定番ハートベアも入れて。比べると、大きく見えます。大きいと言えば、こんなに大きいのもありますよ。リアルテディベア並みの大きさです。本物は本物に任せ、羊毛アートは小っちゃいサイズを目指した方がいいのかな。需要は小さいサイズにあるようですが。
2017年02月12日
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YUMIさんの次のミッションは、ハートベアのブローチ。おなじみ”ハートベア” このハートベアを羊毛フェルトでブローチにしました。 あれっ、でもこれ以前にもあったよなあとお気づきのあなた、なかなかのWOODYPAPAマニアですね。 2015年の作品 39.ブローチ ハートベア 実は、あれを見たお客様がご注文下さったのです。以前の作品と並べると。右が昔にやつです。しかし、これで完成ではありません。今回は、このブローチのバックに、布ではなくYUMIさんの絵を描くというプランです。引っ越し祝いの贈り物にするそうなので、玄関に飾っても耐えられるグレードにアップしたいのです。しかも2個頼まれていますので、もう一つ作る予定です。
2017年02月07日
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YUMIさんが掃除をしていると、こんなものを見つけたと持ってきました。多分誰かのお土産で、多分日本全国自転車旅行をするSHOUTA君がどこかで買ってきてくれたんだと思います。直系13センチほどの畳で、花瓶敷きか何かでしょうか。YUMIさんは、これを使って”おひな様”を作ってほしいと依頼してきました。もちろん「テディベアテラス」に飾るためです。それで、昨日からチクチクを始めて、できたのがこちら。正式のスタイリングはよくわからないまま、こんな感じにできました。一人一人はこんなです。今月は、今週の土曜から「テディベアテラス」は開店します。よろしければ見に来て下さい。入場料は無料です。テディベアテラスお待たせしました。2月は11日から15日。バレンタインのチョコレート菓子特集。*YumiCafe*は日替わりSweetssetご提供です。 追伸YUMIさんがこれを見て、ダメ出しをしました。扇に桃の花を入れろという要望で。こんな風になりました。
2017年02月05日
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