《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

2017年02月17日
XML
カテゴリ: 幸せ読書日記

昨年末の12月30日、僕の最も尊敬する人の一人である渡辺和子さんが亡くなりました。

「2016年を振り返って」の執筆にかまけて触れそびれていましたが、先日「渡辺和子さんの追悼ミサとお別れの会」が開かれた報道を見て、僕も先生を偲ぼうと思いました。

渡辺和子さんの著書は過去2度載せさせていただきました。

『置かれた場所で咲きなさい』

『面倒だから、しよう』

今回は数ある著書の中から、アンソロジーともいえる『愛と励ましの言葉366日』の中から、さらに僕の今の心に共振する言葉を取り上げさせてもらいます。

〔 〕内は共振した僕の独り言。

KIMG0464.JPG

愛と励ましの言葉 366日

どんなにきれいな言葉を使っても、辛い時は辛いのです。そして、それに耐えてゆく一つの道は、「あの時どうしてかわからないけれども、ああなってしまった」と、自分に言い聞かせて、その道を歩きつづけてゆくことなのです。

〔事態がどう進展するかは、関わり合いが増えるほど混とんとし、手前勝手な推測は無残に打ち砕かれるものだ。それが不本意で、どんなに悔しくても、そうなったらそうなったなりに、その時点で最善の方向に努力するのが、運命の導きだろう。〕

人生の終わりに問われるのは、生きている間に伐った樹の数でも、種類でもない。伐り続けた「斧」そのものである。

〔人の業績を語るには、肩書や数字が必要になるが、本当の価値はそこにはない。見せかけの看板は、来世においては何の役にも立たない。〕

「してもらうのが当たり前」という気持ちは人を醜くする。なぜならそこには「感動」がないからであり、不平しかのこらないからである。

〔期待をすると裏切られ、期待しないと感謝が生まれる。〕

倒れなければ、倒れた時の苦しさもわからないし、起き上がった時の喜びもわからないのです。倒れた目線で世間を見ることもできません。人生において大切なことは倒れないことではなく、起き上がること、そして倒れたことによって、強くなってゆくことなのです。

〔人間は失敗からでしか学べない。成功には偶然も含めいろんな要素があり断定できないが、失敗はある程度原因が突き止められるからだ。失敗は避けるべきものではなく、貴重な学習機会なのだ。〕

苦しみはミステリーだと今も思う。その時にわからなくてもわかる時が来る。その時の条件と異なった条件のもとでは、かって無意味に思えたものが、この上なく尊いものともなり得るのだ。

〔困難は何かの伏線である。何気ない引っ掛かりも、後の物語の展開に大きく影響を与える。映画の結末には、それを乗り越えた主人公の成長がある。〕

どんなに高価なものも、それに「意味」が見いだせない時には、むしろ虚しさの源としかならないように、いかに貧しく、つまらないものも、それに「愛」がこめられ、または「意味」が見出せる時には、人の心を満たすものとなり得るのである。

〔価値があるから高価なのか、高価ゆえに価値があるのか。”豚に真珠”とは、豚は真理をわきまえているということ。〕

水にさざ波が立ち、平静でない時、そこに映る月がゆがんでみえるように、私たちの心が歪んでいる時、そこに映るすべてのものが歪んでみえてしまうのです。こだわりは心を歪めるものなのです。

〔自分の思ったようにことが進まない時、自分の心に奢りがないか振り返ってみよ。傲慢な心は、物事を歪ませて見せる。謙虚な心でなければ、真の姿は見えない。〕

世の中に、つまらない仕事というのはない。雑用と呼ばれる職種もない。それらは人間がつまらないものにしているのであり、人間が用を雑にしている時、生じるものなのだ。

〔人は何をやるかでなく、どうやるかで真価を問われる。どんなつまらないことに見える用事でも、心構えでいくらでも学べる。小さな学びを積み重ねて、人格は形成されていく。〕

相手の抱えている問題、悩み、感情、思いを理解するには、「よく聞く」ことがとてもたいせつです。その時、世界中に、その人しかいないかのように、よく聞くこと、相手を遮ることなく、言葉になっていないものも感じ取ろうとすることがたいせつです。

〔地球上に、自分と相手と二人しか生き残っていないシチュエーションで語る話は、日常のガチャガチャした中での会話とどう変わるであろうか。言葉ひとつひとつが、もっと真剣な重要なものに変わっているに違いない。たとえその相手が誰であろうと。〕

一生の価値は長さによって計られるものでなく、その充実度による。苦しみや不幸がなかった人生が、よい人生だったのではなく、苦しみや不幸にも意味が見出せた一生こそは、尊い人生である。

〔お金持ちで、何不自由なく生活をしていても、自分は不幸だと思う人がいます。何もなくて、社会の底辺で苦しんで暮らしていながらも、幸せを感じて生きている人もいます。健康なのに不幸な人。病気でも幸せな人。人の一生を左右するのは、その人の受け止め方、考え方です。〕

神の愛というものは、人間を不幸、災難、苦しみから遠去けることにあるのではなく、それらの試練に耐える力を添えてくださることにあります。

〔試練は乗り越えるためにある。時には誰かに助けられて、時には誰かに裏切られても。耐えて忍んで、越えられなかった試練はない。〕

人は、話す前は自分の言葉の主人だが、口から出してしまった後は言葉の奴隷でしかない。そのためにもよく考えて話すことがたいせつだ。

〔人の考えは、言葉によってのみ表現される。良い考え方をしたければ、良い言葉を使うことだ。〕

物事は反対から考えてみると納得できることがあるものだ。何か「損した」と思うようなことを、それではもし自分がしなかったとしたら何を「得したのか」と考えてみることである。

〔人は合理的に”損得”でものを判断する。しかし「人間万事塞翁が馬」、何が災いとなるか、好転に結ぶかわからない。損を承知しながら、将来において得に変える知恵を持つ人が、結局お得な気がする。〕

使命という言葉は、命を使うと書きます。だから、私たちは一人ひとり、自分の命を使う使命を持っています。世のため人のためにそんな大したことはできないかもしれない。でも、生まれたからには生きなければならないという根本的な使命があるのです。

〔自分は、母から離れて個別に生まれたと思っているかもしれないが、母の卵子が父の精子と結合し増殖し、分離したに過ぎない。その母と父はそのまた母と父から分離しただけで、地球の生命誕生から40億年の長きにわたってバトンをつなぎ続けてきた。自分の細胞の中にその時間が凝縮されていることを知れば、命を粗末にはできない。〕

「今日」という日は、自分にとって一番歳をとった日である。しかしながら、今日よりもう若くなることはないとすれば、自分にとって「一番若い日」でもあるのだ。そう思うとき、そこに、「今日」のありがたさが生まれてくる。権利としての一日ではなく、”たまもの”としての一日になる。

〔過去の成れの果てが、今日の自分である。しかし、未来の自分の出発点でもあるのだ。〕

自由の本質は「選ぶ自由」である。子どもたちは幼い頃から、自由とは「勝手気ままに振るまう」ことではなくて、「考えてより善い方を選ぶ」ことなのだと教えてゆかねばならない。

〔”考える”とは選ぶということ。最低二つ以上の選択肢の中から、最良と思われる一つを選ぶ。様々な条件を加味し、推量して選ぶ過程が考えるだ。ゆえに、もともと選択肢のないままに、一つの決定に従うことは考えることにならない。〕

私たちの毎日の経験というものは、すべて自分を知るうえで貴重なものになります。一生の間のいろんな経験というものはなにかに収斂されていかないといけない。その収斂され、集約されたものが、いつか、よりよく自分を知ることにつながり、本物の自分になっていくことに役立たないといけないのではないでしょうか。

〔人生は「ジグソーパズル」。困難や苦悩のピースをつなげて埋めていくと、最後のピースで知られざる自分の姿が出来上がる。〕

人は一生の間に、どれだけの愛を集めたかによってではなく、どれほど、どのような愛を与えたかによって審かれるのであろう。愛するということは、たいせつにするということである。ていねいに生きるということと深くかかわっている。

〔最終的に、神様は、どれだけ”愛を与えたか”によって人を審判する。”愛される”のは人の評価だが、与えた愛を見極めてくれるのは神様だけだ。〕

どこに行くにもついて来て、いつまでたってもわかれることのない者ー自分ーを愛すべき者と見ることのできる人ほど幸せな人はないと言えよう。その反対に、自分を厄介者と考え、嫌っている人ほど不幸な人はいない。なぜなら、自分はどこまでも自分とともにあるからである。

〔人は自分を基準で考える。自分が正しいと思うことに背く人を嫌悪する。それが、自分自身の行動が信念に背く結果となった場合、自己嫌悪に陥ってしまう。自分が嫌いになるのは、自分の決定に従えない自己矛盾のため。根本の自分は揺らいでないのだから、つまりは自分が好きなわけだ。そんな自分を許すことを覚えよう。〕

日本語に「一期一会」という美しい言葉があります。それは繰り返しの連続、毎日の些細なこと、出会いの一つひとつを、「今ヨリナイ」と、こころをこめて行う意味なのです。このような心こそは、「素敵な出会い」の秘訣ではないでしょうか。

〔人生の喜びの一つに、人との出会いがある。他人というものが一切いなくなったら、人生に喜びなどあるのだろうか。人生の目的は、自分を知ることにあり、自分を知るためには、人とのかかわりが必需なのだ。〕

私たちは、「ただ老いる」だけの日々を送りたくないものです。「ただ働く」だけの日々でもなく、生活の随所に愛をこめ、意味を見出し、自分しか作ることのできない”財産”としての毎日を過ごしたいと願っています。

〔人は皆、「老・病・死」に向かって生きている。これを”苦”とするか、”楽”につなげるかは人のステージによるだろう。先達に教えを乞い、日々研鑽を積み、自分なりの幸せな終焉を迎えることが願いである。〕

数々の教えを戴いた渡辺和子先生のご冥福をお祈りします。

今ある蔵書を並べてみました。

先生のお言葉は、これからも迷える子羊を救うことでしょう。

KIMG0466.JPG





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2017年03月19日 10時33分26秒 コメントを書く
[幸せ読書日記] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

プロフィール

WoodyPapa

WoodyPapa

サイド自由欄

設定されていません。

カレンダー

キーワードサーチ

▼キーワード検索


© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: