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京阪の西三荘駅の近く、松下幸之助歴史館の西隣に「さくら広場」という場所があります。さくら広場の案内板ここのさくら広場は2006年4月にオープンした公園で、ソメイヨシノ190本が植えられた、まさに桜の広場です。広場内の様子すでに桜は散ってしまいましたが、桜の季節にはみごとな花を咲かせてくれます。飲食は禁止ですが、入園は無料です。日曜、祝日、年末年始は休園です。人工池この広場は、パナソニックの旧本社跡地を一般に開放したもので、建築家・安藤忠雄氏が設計したものです。同じ「さくら広場」が幕張、茅ヶ崎、豊中にもあるそうです。
2009年04月30日
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西三荘駅から北側、守口市の国道1号線までの広い敷地には、パナソニックの社屋が連なっています。実際、守口市駅から門真市駅にかけてかなり歩きまわりましたが、ほんとうにそこいら中にパナソニックがあるといった感じ。まさに城下町的様相です。パナソニックの社屋ガラス張りの立派な建物です。京阪に乗っていても車窓からはっきり見えます。創業者像少し西寄りに、創業者、松下幸之助氏の像がありました。歴史館歴史館全景像の西側には、「松下幸之助歴史館」があります。この辺りがかつての本社があったところだそうで、現在でも登記上の本社の住所になっています。歴史館の案内入館は無料ですので、散歩がてらに寄ってみてもいいですね。基本的に日祝日が休館日ですが、連休中は予定が変わるようです。
2009年04月29日
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京阪の西三荘駅です。駅の外に出てみましょう。改札口(改札内)改札口(改札外)西三荘駅の改札口は1ヶ所です。1日平均25,000人、とくに通勤時間帯には大勢の乗客をさばく必要があるため、改札口は広めです。駅舎の入口駅舎内に、系列のコンビニ「アンスリー」があります。駅舎(北側)駅前のスクランブル交差点から見た駅舎です。駅舎全景高架下の入口高架下、南寄りのところにも駅への入口があります。南側に出るにはこちらが便利ですが、少しわかりくいのが難点です。高架下を通り抜けた向こう側がスクランブル交差点です。
2009年04月28日
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守口市駅の隣は、西三荘駅です。駅名標駅名標を見ると、両隣が「守口市」と「門真市」となっています。実際にも、駅の南西は守口市、北側と東側は門真市に面しており、駅は両市域にまたがって建っています。京阪の歴史を見ると、昭和46年(1971年)6月20日、「守口駅」を「守口市駅」に改称、新門真駅(現在の門真市駅)が開業、となっています。駅の並びは、守口市駅、門真駅、新門真駅、古川橋駅となります。門真駅の500メートル東に、新門真駅を設置したわけです。次年の昭和47年(1972年)には土居~寝屋川信号所間の高架複々線化工事が始まっています。高架化に合わせて、昭和50年(1975年)3月23日、門真駅は廃止、同時に200メートル西寄りに西三荘駅が新規に開業しました。それに先立つ昭和49年(1974年)10月には、まず下り線が高架化されましたが、このとき廃止前の門真駅の下りホームとして使われていたのは、現在の西三荘駅のホームだそうです。実質的には、旧・門真駅が西に200メートル移設されたともいえます。ホームからの景色西三荘駅は、パナソニック(株)の最寄り駅です。以前は車内放送で「西三荘、松下前です」とアナウンスされていました。ホーム広めのホームは土日は閑散としていますが、平日のラッシュ時間帯ともなるとホームが人でいっぱいになります。西三荘駅近くのカーブ京橋~守口市駅はほぼ直線ですが、守口市駅を過ぎると、ときどきカーブがあります。西三荘駅の京都寄りのカーブもそのひとつで、撮影ポイントとしてよく使われます。
2009年04月27日
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来た道を戻って、守口市駅の方へと向かいました。 守口市役所国道1号線に面して、守口市役所があります。建物自体はかなり古そうです。地下鉄守口駅入口市役所に隣接して、地下鉄谷町線の守口駅があります。エレベータも設置されて、市役所を訪れる人にも便利になりました。 再び、守口市駅周辺です。京阪百貨店守口店守口文化センター前の広場京阪百貨店の横は広場になっています。広場の奥に見えている建物が守口文化センターです。守口文化センター入口には「守口文化センター」と書かれています。こちらが正式な名称なのでしょうが、いろいろな催しなどでは「エナジーホール」と言われることが多く、少し戸惑います。市役所のHPなどでは「守口文化センター(エナジーホール)」などと書かれているようです。蛇足ながら、「市民会館(さつきホール)」は国道1号線沿い、市役所近くにありますので、お間違いなきよう。市民体育館隣接地には、守口市民体育館もあります。京阪百貨店駐車場もともとは京阪の守口車庫だった場所。地の利を生かした再開発によって、百貨店、ホテルなどの商業施設だけでなく、体育館や文化会館などが駅前に集まり、利便性は大きく高まったといえます。
2009年04月26日
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明治維新の歴史を見たあと、国道1号線を北東に歩きました。安全祈願の像ほどなくして、いやでも目立つ「交通安全」の像が目に飛び込んできました。ハンドルを握るいかつい顔の男性の後ろに立つのは女神さまでしょうか。これは交通安全を祈願するため、成田山不動尊(香里園にある成田山大阪別院明王院=千葉の成田山新勝寺の別院)が建てたものだそうです。なんでも地元の人が土地を提供したとか。パナソニック社屋さらに歩いていると、国道の左側に大きな敷地に建つ建物が見えてきます。パナソニック本社日本有数の家電メーカー、パナソニックの本社です。登記上の本社は門真市ですが、実際の本社はここ(守口市内)にあります。パナソニック電工国道の反対側にも、パナソニック電工の本社社屋。写真右に掲げられている「パナソニック エレクトロニックデバイス」は、さらに奥のほうにあります。ここから京阪の西三荘駅(門真市)まで、ずっと敷地が続いています。バス停「パナソニック前」バス停の名前も「パナソニック前」。もともとは「松下本社前」でしたが、社名変更と同時に、去年10月からバス停の名前も変えられました。
2009年04月25日
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慶応3年(1867年)10月に「大政奉還」、12月には「王政復古の大号令」が出ました。慶応4年(1868年)1月、鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が敗退し、大坂城にいた徳川慶喜は江戸に逃れます。そして3月に天皇が自ら大坂に向かい、八幡で一泊、そして守口の難宗寺(なんしゅうじ)で一泊しました。難宗寺難宗寺は浄土真宗本願寺派(いわゆる西本願寺派)のお寺です。門の左側には「明治天皇守口行在所」と書かれた石碑があります。盛泉寺これに対して浄土真宗大谷派(いわゆる東本願寺派)のお寺が盛泉寺(じょうせんじ)で、京街道に沿ってすぐ近くにあります。門の左側には「明治天皇聖蹟」、右には「史蹟 内侍所奉安所阯」と書かれた石碑があります。内侍所(ないしどころ)は賢所(かしこどころ)とも言われ、三種の神器のひとつ、神鏡(八咫鏡=やたのかがみ)が置かれている場所です。つまり、慶応4年に明治天皇が守口の難宗寺に泊まったとき、この盛泉寺に八咫鏡が置かれたということを意味します。もっとも、宮中行事でも本物は使わない(無いという説もある)ということですし、このときも実際にはレプリカだったと思われます。いずれにしても、三種の神器を持って天皇が大坂に向かったというところに意味があります。前年(1867年)の大政奉還にあたり、大久保利通は大坂遷都を進言しています。天皇の大坂行きは、表向きは御親征(天皇が軍を率いて遠征すること)となっていますが、遷都の意図もあったのではないかと言われています。1868年4月、江戸城の無血開城があり、江戸遷都が実現し、大坂遷都はまぼろしで終わりました。一晩のこととはいえ、守口が「都」になったわけです。
2009年04月25日
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守口宿の本陣跡からさらに先(南東方向)に歩くと、難宗寺(なんしゅうじ)というお寺があります。難宗寺難宗寺を右前に見ながら、京街道はこんどは左に直角に曲がっています。石碑左端の石碑には、「左 京」と書かれています。左へ曲がると京都(京街道)です。左側を見ると、、、同じ石碑の左側には「右 大」と読めました。さきほどの文禄堤の方を指しています。これ、「右 大坂」と書かれているんでしょうね。下の方が埋もれてしまっているようです。ということは、「左 京」ではなくて、「左 京都」か、あるいは「左 京みち」かもしれません。左から2本目には、「すぐ 守口街道」と書かれています。さきほどの説明板や来迎坂のところの道標には「奈良街道」と書かれていましたが、同じ道を指しています。右から2番目の石碑には「御假泊所(ごかはくしょ)」(假=仮)と書かれています。明治43年に大正天皇が皇太子だったときに泊られたそうです。右端の石碑には「御行在所(ごあんざいしょ)」と書かれています。慶応4年(1868年)3月、明治天皇が大坂に向かわれる途中、難宗寺に泊られたということです。この年の9月に明治となる、まさに明治維新の時期です。
2009年04月24日
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再び、文禄堤の案内板の場所に戻ってみましょう。ここには、こう書かれています。「文禄堤は、度重なる淀川の改修などでその多くは姿を消したが、本市には今なお一部が現存しておりそこは東海道の57番目の宿場である守口宿が栄えたところでもあった。」私が学校で歴史を習ったころ、「東海道は江戸の日本橋から京都の三条大橋まで、途中に53の宿場があって53次と呼ばれている」ということになんの疑問も抱きませんでした。しかし、最近ではよく「東海道57次」などと言われることも増えたように思います(京阪沿線にいるからなおさらそうなのかもしれませんが)。江戸幕府の道中奉行所(五街道などを整備し、宿場を取り締まったりする役所)の記録に「東海道は品川宿より守口宿」と書かれているとのことです。つまり、東海道57次のほうが正しいことになります。しかし歌川(安藤)広重は「東海道53次」を描いたのも事実です。豊臣秀吉を「太閤さん」と親しみを込めて呼ぶ土地柄もあって、徳川幕府が定めた東海道(57次)ではなくあえて「京街道」と呼んだのだとする説もあります。文禄堤の東端案内板から、今度はさきほどと反対方向に歩きます。文禄堤の道はほどなくなだらかな下り坂となって国道1号に合流します。現存する文禄堤はここで途切れています。京街道はこの交差点で右に直角に曲がります。曲がってすぐのところに、守口宿の本陣跡があります。案内板とはいっても、本陣跡と分かるのはこの案内板があるからで、それ以外に本陣跡を示すものは何もありません。本陣跡現在は守口市の駐輪場になっています。
2009年04月23日
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文禄堤をさらに西に向かって歩きました。やがて行く手に橋が見えてきます。本町橋文禄堤を切り開いて造られた道路を跨ぐための橋です。「本町橋」と書かれています。この辺りの町名「本町」から名付けられたようです。橋の上から守口市駅のホームが見えます。さらに西に向けて進むと、もうひとつの橋が見えてきます。守居橋堤の上から下の道路を見下ろしながら撮ってみました。「守居」という名前は、「守口」と「土居」とが合わさった名前なのでしょう。まさに守口と土居を結ぶ橋です。鶴林山義天寺守居橋からほどなく、近代的な建物のお寺が見えてきます。「鶴林山義天寺」といい、日蓮聖人(上人)を祖師とする本門佛立(ほんもんぶつりゅう)宗のお寺です。「南無妙法蓮華経」の題目石入口左側に大きな題目石。もとは野江の刑場にあったそうです。義天寺を通り過ぎると、道はしだいに下りになります。現存する堤はこの辺りで終わりです。京街道の案内道をほぼ下った辺りに、「京街道 陸路官道第一の驛 守口」と書かれた案内がありました。文禄堤はここで途切れています。京街道については、いろいろと文献もあり、終着の京橋や高麗橋までたどることもできるようです。
2009年04月22日
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来迎坂からさらに駅の方向へと歩きました。京街道の町並み来た道を振り返ってみたところです。町並みに風情が感じられます。電柱にも工夫この辺りの電柱はむき出しのコンクリートではなく、竹を巻いたような感じにしています。町並み保存にも気を使っているようです。
2009年04月21日
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案内板の説明文を引用します。「この堤は、豊臣秀吉が毛利輝元・小早川隆景・吉川広家の三家に命じて、治水と京街道の整備を目的として修築された淀川左岸の堤防であり、文禄5年(1596)に修築が行われたために文禄堤と呼ばれた。」これによって、京都と大坂との往来が盛んになり、守口宿は大いに栄えたということです。案内板から守口市駅方向に歩いてみました。しばらくお付き合いください。来迎(らいこう)坂案内板からほどなく、左側に狭い階段の道があります。案内板に「来迎坂」と示されているところです。この辺りは「来迎(らいこう)町」という地名です。もともとこの辺りに「来迎寺」というお寺があったのですが、何度も移転して、現在では守口市の佐太中町にあります。 奈良街道を示す道標坂との分岐点に、「奈良街道」を示す道標があります。右側の来迎坂を下りていくと、野崎詣りで有名な野崎(大阪府大東市)へ、そして清滝峠を越えて奈良へと続いていたのでしょう。小さい道標ですから、うっかりすると見逃してしまいそうです。
2009年04月20日
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京阪の守口市駅の北側に残る文禄堤(ぶんろくつつみ)は、いまでも生活道路として使われています。文禄堤を訪れる人は守口市駅から歩くことが多いと思うのですが、案内板はなぜか駅から遠い地点に設置されています。しかし、まずはこの案内板を見るほうが全体がよく分かります。案内板足もとの石には「京街道」と書かれています。周辺地図「現在地」と書かれている左下の場所に案内板は立っています。この地図は設置された場所に合わせて下が北になっていますのでご注意を。国道1号から「現在地」を通って義天寺を過ぎた辺りまで、「京街道」と書かれているところが現存する文禄堤です。現在の国道も市役所も、江戸時代には淀川の中だったということですね。昔の姿昔の様子を示す地図が添えられていました。茶色で示されているのが文禄堤です。堤の上を京街道が通っていて、さらに「奈良海道」が分かれています。守口宿として栄えた時代が偲ばれます。市役所のある場所は「狼島」となっています。「外島」は現在でも外島町という地名が残っています。「狼島」や「外島」を調べていると、ここは「守口大根」の故郷であることが分かりました。突然変異で生まれた守口大根は、ゴボウのように細長いため、水はけがよくて砂粒の混じった細かな粒子の土壌が良いとされています。現在では守口では生産されておらず、岐阜県や愛知県の木曽川・長良川などの流域で生産されています。
2009年04月19日
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淀川工高から京阪の守口市駅西口へと戻る途中の景色です。守口市駅西口近く目の前に道路を跨ぐ橋、その向こうに見えているのが京阪電気鉄道の高架です。右側の石垣に注目してください。ここはもともと、淀川の堤防だったところだそうで、この石垣は、堤防の断面だそうです。文禄年間(1593年~1596年)、豊臣秀吉が諸大名に命じて作らせた淀川左岸の堤防は「文禄堤(ぶんろくつつみ)」と呼ばれています。枚方市から大阪市にかけて27キロほどあったそうですが、今ではこの守口市駅の近くに名残をとどめるだけだそうです。守口市駅東口近くもう1ヶ所、守口市駅東口の近くにも、道路を跨ぐ橋があります。京都と大坂を結ぶ「京街道」は、この堤の上につくられました。近年になって堤を横切る道路をつくるために、堤を取り壊して、その代わりに橋を架けたということです。1枚目の写真の石垣は、そのときにできた堤の断面というわけです。
2009年04月18日
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国道1号線を挟んで、三洋電機本社の向かい側には大阪府立淀川工科高等学校があります。「淀川工高前」交差点国道1号線の交差点の名前は「淀川工高前」。淀川工科高等学校住所表記は「大阪市旭区太子橋」で、たしかに北寄りの校舎は大阪市域に入っていますが、この写真の正門やグラウンドなどを含め、守口市京阪本通に入る部分も多いようです。それはともかく、淀川工科高校は全国的にも名前を知られた学校です。とくに吹奏楽部は全国大会の常連で、練習する音もよく聞こえてきます。朝日TV系に「熱闘甲子園」という番組があります。毎年、夏の高校野球大会の結果などを伝える番組です。1980年代、この番組のテーマソングとして使われていた曲「君よ八月に熱くなれ」は、淀川工高の吹奏楽部の演奏だったそうです。「ときよ 止まれよ ただ一度 奇跡起こした若者に」のフレーズは、いまでもよく覚えています。長く「大阪府立淀川工業高等学校」でしたが、2005年(平成17年)4月に改称されました。。。。と、Wikipediaには書かれていますが、学校のHPなどによると、2005年度「開校」となっています。また、淀川工業高等学校の定時制課程は2007年度(平成19年度)をもって「閉課程」、同全日制課程は同年度に「閉校」だそうです。実質的には引き継がれていますが、制度的には別の学校ということなのでしょうか。
2009年04月17日
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守口市は歴史の町であり、また、家電の町でもあります。これからもうしばらく守口市にとどまって、いろいろと見ていきます。京阪守口市駅の西口から徒歩数分のところ、国道1号線沿いに、三洋電機の本社ビルが建っています。三洋電機本社今年はラグビーで優勝してましたね。女子バドミントンは言わずと知れた「オグシオ」がいるところです。ただここには本社機能しかなく、ラグビーチームは群馬県、バドミントンチームは同じ大阪府の大東市を本拠としていますので、守口にいても会えるチャンスはほとんどないんでしょうけど。サンヨーミュージアム本社ビルに隣接して、「サンヨーミュージアム(三洋電機記念館)」がありました。土日祝がお休みとのことで、この日は閉まっていました。平日だけでは、なかなか見に行くチャンスがないですね。創業以来の家電の歴史が見られるそうで、1970年の大阪万博で出展されていた「人間洗濯機」がここに展示されているそうです。「万博」「人間洗濯機」と聞いて懐かしいと思う人は、かなりの年配の方ですかな?
2009年04月16日
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西改札口(改札内)京阪の守口市駅のもうひとつの改札口、西改札口です。西改札口(改札外)改札のあるフロアが2階で、改札を出てまっすぐに進むと階段。そのまま地上に降ります。西改札口南側階段を下りて左側に曲がると、目の前がタクシー乗り場。緑色の小さい屋根のところが出入口です。この道をまっすぐに進むと、東側のロータリーへと続きます。高架下は飲食店やカラオケ店、コンビニなどが連なっています。西改札口北側さきほどの階段を右に曲がると、北側の出口に出ます。この出口は駅舎とは別の駅ビルで、1階と2階は「クオーネ」という名前で呼ばれている飲食店街です。えーと、スペルは「QUONE」だったかな? 改札口から2階への通路もあります。どうしても百貨店やホテルがある東側がメインとなるため、西側のほうが人通りは少ないようです。
2009年04月15日
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京阪の守口市駅の周辺を見ていきましょう。ロイヤルパインズホテル東改札口南側のロータリー正面にあります。建った時にはプリンスホテルだったのですが、いまは系列が変わったようです。守口市駅の駅舎正面が守口市駅の駅舎です。その右側は京阪百貨店守口店で、改札口のフロアからそのまま店の2階入ることができます。また、駅舎は歩行者デッキとも直結しており、ロイヤルパインズホテルなどにもそのまま歩いていくことができます。車庫工場跡のオブジェこのオブジェは、守口車庫工場跡として、京阪百貨店のショーウインドウの手前に置かれています。駅前には百貨店やロータリー、広い駐車場などがありますが、これらは守口車庫の跡地にできたものです。
2009年04月14日
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京阪の守口市駅には、東西2つの改札口があります。東改札口まずは、メインとなる東改札口です。ここは2階、ホームが3階になります。東改札口北側東改札口から階段を下りると、南北両側に向いて出口があります。東改札口南側南側にはバスやタクシーのロータリーがあります。上の写真の「エル守口」と書かれたあたりから右側が入口になります。停まっているバスは京阪バスで、関西空港行きのリムジンバスです。
2009年04月13日
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土居駅を後にして、守口市駅までやってきました。駅名標ホーム守口市駅のホームは2面4線。内側を走る優等列車と外側を走る普通との緩急接続がよく見られます。基本的には特急(快速特急を含む)以外が停車するのですが、「通勤」「深夜」が頭に付く列車は守口市駅を通過します。具体的には朝の通勤時間帯に淀屋橋方向にのみ設定されている「通勤快急」「通勤準急」、それに深夜に1本だけ設定されている樟葉行きの「深夜急行」は守口市駅を通過します。ちなみに、「通勤」=大阪市内へ向かう乗客を運ぶために守口市駅を通過、「深夜」=寝屋川市や枚方市に遅く帰宅する乗客を運ぶために守口市駅と枚方公園駅を通過、と理解してます。
2009年04月12日
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さて、今度は土居商店街の反対側、南東方向に歩いてみました。こちらにも、「土居駅前通商店街」という通りがあります。土居駅前通商店街商店街の通りをまっすぐに歩いて行くと、通りの左側に大きな樹木が見えてきました。建物にのしかかるような高い木です。高瀬神社高瀬神社の鳥居土居駅から300メートルほどのところに、高瀬神社があります。式内(しきない)というのは延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)という平安時代の書物に記載されているという意味で、由緒ある神社です。社殿天正年間(1573~1592年)に、織田、三好の兵火で焼かれ、江戸時代中期に再建されたのが現在の社殿だそうです。弥生時代のことでしょうか、古(いにしえ)にはこの辺りを淀川水系の高瀬川という川が流れていたそうです。高瀬川といえば、京都市内を流れる運河を思い浮かべる方もいらっしゃると思いますが、高瀬川という名前はけっこう各地にあるようで、京都市内を流れる高瀬川との関係は見出せませんでした。歌碑平安時代には「高瀬の里」「高瀬の淀」と呼ばれて歌にも詠まれたということです。
2009年04月11日
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守居神社から、土居商店街を抜けて土居駅まで戻ってきました。土居駅京阪の土居駅の改札口は1ヶ所だけで、京都寄りにあります。改札口滝井~土居駅間土居駅と滝井駅の間に、内環状線と呼ばれる国道479号線との立体交差があります。上の写真は土居駅側から滝井駅方向に撮ったものです。国道の方が下がって線路をくぐっています。正面右寄りの道路は、複々線になる前の旧線跡だそうです。私が立っている辺りで現在の路線とつながっていたようです。
2009年04月10日
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京阪の土居駅を降りて、周囲を歩いてみました。駅の改札を出てすぐ、線路の反対側に大きな商店街があります。「土居商店街」という言い方をしますが、実際には5つの商店街がつながっています。5つ合わせて「土居地区商店会連合会」をつくっています。土居駅から北へ向っている通りが「土居商店街」。途中から「旭通商店街」となり、北側の入口は国道1号線に面しています。 旭通商店街国道1号線側から見た旭通商店街です。土居商店街と旭通商店街との接点から東に行くと「東通商店街」、西に行くと「京阪商店街」で、西の入口は内環状線(国道479号線)に面しています。京阪商店街の中央と国道1号線を結ぶのが「中通商店街」です。土居商店街の中ほど土居商店街の中に、神社があります。守居神社その名は守居神社。もともとは「土居神社」だったそうですが、他の神様と合祀されて、守口と土居の両方の名前を合わせて「守居」となったとか? 本殿何かの行事の準備をしているようで、紅白の幕で飾られていました。鳥居と境内春のお祭りかな?商店街に接していながら、静かな空間が横たわっていました。
2009年04月09日
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京阪の土居駅です。駅名標土居駅は、1932年6月、旧線から新線に切り替えられてから8ヶ月後に開業しました。ちょうど土居駅の辺りで旧線と新線とが切り替えられたようなので、推測ではありますが、切り替えをしてからでないと駅舎が造れなかったのではないでしょうか。ホーム上の写真は京都行きホームから滝井駅に向いて撮ったものです。京橋を出てから滝井駅まで続いていたまっすぐな線路は、土居駅の手前でカーブしています。滝井駅が見える滝井駅から土居駅を眺めましたが、今日はその反対に土居駅から滝井駅を見た写真をご覧ください。いつ見ても近すぎ!(笑)守口市駅方面守口市駅との駅間は700メートル。でも、すごく遠く感じません?
2009年04月08日
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京阪の滝井駅のホームから、関西医大病院がよく見えます。ホームからの景色滝井駅の西口を出てすぐのところに、関西医科大学滝井キャンパスと付属病院(滝井病院)があります。関西医科大・南門付属滝井病院滝井病院の名板京阪電車の情報サイトによると、1932年(昭和7年)に京阪が病院を誘致したと書かれています。当時は「大阪女子高等医学専門学校」だったそうで、その付属病院開設が1935年となっていますから、誘致から開設まで3年ほどかかったということでしょうか。そういえば、車内放送で、「次は滝井、関西医大病院前です」と言っていましたが、最近は言わないようですね。
2009年04月07日
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日曜日、所用で京阪の香里園駅までやってきました。ここのところの寒さで、咲きかけていた桜の花が戸惑っていましたが、日曜日はまずまずの花見日和。小さな公園でも食べ物を持ち込んで花見の宴会をやっていました。いつもこの時期、忙しくて花見なんて余裕もないのですが、歩きながらでも楽しめるのが桜の良いところです。香里園駅香里園駅の線路沿いにも、きれいな桜の花が咲いていました。柵の中は香里園駅のホームです。春です。満開です。
2009年04月06日
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京阪の滝井駅が開業したのは、蒲生~守口間が専用軌道化された1931年(昭和6年)10月です。東改札口私はかつて、朝夕に滝井駅を使っていたことがあります。そのときはたしかに改札口は1つ、いまの東口しかありませんでした。自由通路西側へは自由通路を通り抜けていたと記憶しています。東側駅舎西側駅舎臨時改札口として西口が新設されたのが1993年(平成5年)です。 このときは平日の朝のみ開いていたそうです。西改札口 現在は終日使えます。ただし自動券売機と自動改札だけで窓口はありません。
2009年04月05日
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京阪の滝井駅にやってきました。駅名標ホーム1番線、京都方面の乗り場です。京橋駅を出た辺りから続くまっすぐな路線は、滝井駅を越えたところで右にカーブしています。土居駅をのぞむ滝井駅1番ホームから京都方面を見ると、隣の土居駅がすぐそこに見えています。電車の最後尾が滝井駅のホームを離れるころ、先頭は土居駅のホームに届こうとしています。滝井駅は、両隣の千林駅、土居駅、いずれとも駅間400メートル。バス停並みの距離です。この400メートルというのはホーム長は考慮されていません。1両が18メートル強ですので、8両編成として150メートルほどですから、単純計算すると両駅のホームの間は250メートル以下になりそうです。間に合わずに乗り遅れたとき、土居駅で停まっている電車を見ると悔しさがつのります(経験談)。
2009年04月04日
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さてさて、また旧線の話をしたいと思います。千林駅から200メートルほど西側にある「千林くらしエール館」の付近に旧「森小路」駅があったそうです。そしてそこから南南西方向に、「古市小学校」の運動場方向に向けて旧線は走っていたようです。京阪の旧線は、千林商店街の真ん中あたりを横切っていたようです。地図を拡大してみると、この旧線跡に建つ家の向きと、その周囲の家の向きが異なることに気付くと思います。これは、旧線跡に建った家の建つ向きが揃うためです。航空写真に切り替えたほうが分かりやすいかもしれません。途中で途切れながらも、家の向きに着目して南西方向に旧線跡を追いかけていくと、森小路駅付近から先は道路になっていて、以前ご紹介した「関目5丁目」の交差点へと続いています。反対に北東方向に追いかけていくと、滝井駅付近でやはり道路になり、土居駅の手前で現在の路線と合流しています。どうですか? 見つかりました?ここに千林駅付近の地図のリンクを貼っていきますね。東西に続いているのが千林商店街のアーケード。南南西から北北東に連なる家の列が旧線跡です。地図の中央で両方が交差しています。
2009年04月03日
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京阪千林駅の出口を出ると、そこは千林商店街の中です。千林商店街千林商店街のアーケードです。アーケードの中に入ってすぐ、左手に千林駅があります。千林商店街は、ダイエー発祥の地として有名ですね。ダイエーは撤退しましたが、いまでも大阪を代表する商店街で、私が訪れたときも大勢の買い物客で賑わっていました。この商店街はかつての「野崎街道」といわれる道沿いに発達したそうで、京街道とも交差しており、昔から賑わっていたそうです。国道1号線側国道1号線に面した入口です。この道路下には地下鉄谷町線が走っており、千林大宮駅があります。千林商店街は、地下鉄と京阪の駅を結んでいます。ここから1キロほど北には大阪工業大学があり、商店街を歩いて通う学生もよく見かけます。商店街の中国道1号線側から商店街の中を見たところです。自転車は乗らずに押して歩いてくださいということのようですが、そんなことはお構いなしに、人波をぬうように自転車が走っていました。ひっきりなしに通る人や自転車。人波が切れるのを待って、やっとのことで撮影できました。
2009年04月02日
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京阪の千林駅には改札が2ヶ所あります。ただし、東口は平日の朝7時から9時までしか使えません。東出口(閉まっています)駅舎外側(東側)一方通行の標識のところに、東改札口があります。シャッターが下りていました。西出口上の写真は西出口の内側です。駅を出たら、そこは千林商店街の中です。西改札口(外側)商店街の中なので、アーケードがあります。アーケードアーケードの軒先には、商店の名前と並んで「京阪電車 千林駅」とあります。しゃれてますね。
2009年04月01日
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