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『日本書紀』には、茨田堤(まんだのつつみ、まむたのつつみ)の工事の難所として2ヶ所の「絶間(たえま)」の記述があるそうです。絶間とは、いくら堤を築いてもどうしても決壊してしまう場所のことで、工事を成功させるために人柱を立てることになったと書かれています。(その結末はここでは省略します)その2ヶ所というのが大阪市旭区千林と、ここ、寝屋川市太間だとされています。国道1号線には「国道太間」という交差点の北寄りに、「絶間橋南」「絶間橋北」という交差点があります。「絶間橋南」交差点「絶間橋北」交差点地名の「太間(たいま)」は、「絶間(たえま)」、つまり堤の決壊部分に由来しているという説があります。ただし、交差点の「絶間橋」のローマ字読みは「たいまばし」になっています。「絶間橋」実際に、「絶間橋」は存在しました。こちらは「たえまばし」になっています。「絶間橋」小さな橋です。左側の欄干には、「昭和二十九年三月改築」と書かれていました。
2009年08月31日
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京阪の香里園駅から西の方角、淀川河川公園のそばの堤防上に、「茨田堤(まむたのつつみ)」と書かれた石碑があります。淀川の堤防上の写真で、レンガ色の建物が太間排水機場です。堤防上の道沿い、右手に石碑が見えます。「茨田堤」の石碑「茨田」は「まむた」とか「まんだ」と読みますが、この石碑には「まむた」というヨミがついていました。説明板(読めないけど)仁徳天皇時代(4世紀後半)の時代に築かれた茨田堤は、「古事記」や「日本書紀」にも記述が見られるほどで、昔から治水で苦労してきたことがうかがえます。すでにこのブログでも「大和田駅の周辺(茨田堤)」「大和田駅の周辺(茨田堤その2)」や「大和田駅の周辺(堤根神社)」で茨田堤についてご紹介しましたので、よろしければご覧ください。石碑の後ろに、、おやおや、お昼寝中の親子猫を起こしてしまったようです。そう迫られてもなあ、何も持ってないよ、ごめんなあ。
2009年08月30日
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金曜日は東京へ出張していました。東京行きの「のぞみ」で普通車E列(つまり、東京に向かって左の窓側)の席に座って、ときどき車窓を眺めてました。少し霞んでいましたが、雲の無いよい天気だったので、富士山が頂上まで見えました。持っていたケータイのカメラで撮ったのが、下の写真です。なんか変でしょ?手前の電柱や右の建物が、みんな右から左に押されたように傾いています。でも、後ろの方の建物も、富士山も、なんの問題もなく、普通の景色です。べつに心霊写真でもなく、カメラが壊れたわけでもありません。新幹線は西から東に(つまり左から右に)高速で移動しています。ということは、相対的に景色は右から左に動いていきます。電柱を考えてみましょう。もちろん、真っ直ぐに立っています。ある瞬間、電柱は車窓の真ん中にあります。この瞬間を時刻 t としましょう。その次の瞬間、景色は左に移動します。ある短い時間(Δ t )が経ったとき、つまり時刻 t + Δt のとき、電柱は画面の左端にきたとしましょう。1枚の写真が上のようになるということは、電柱の下の方は 時刻 t の時の画像で、電柱の上の方は時刻 t + Δt の時の画像であるはずです。銀塩カメラのフィルムに相当するのが、デジタルカメラの撮像素子です。大きく分けて「CCD」と「CMOS」の2つのタイプがあるほか、デジタルデータに変換する仕組みにもいくつか方式があり、感度や撮影速度に差がつきます。もちろん値段もずいぶんと違います。ここでは性能についての議論はしませんが、ケータイに使われる撮像素子は値段の制約から性能の高いものはあまり使われません。撮像素子からデータを取り出す場合、たとえば100万画素あれば、100万(1メガ)個のデータを取り出す必要があります。方式にもよりますが、上の写真の場合には、下から上へ順番にデータを取り出したと想像できます。その時間差が Δt です。遅い素子なら、Δt も大きくなります。もし新幹線が時速270キロメートルで走行したとしましょう。秒速にすると75メートルです。もし1枚の画像データを得るのに0.1秒かかったとすれば、その間に7.5メートル移動することになります。単純にいえば、上の写真の一番下と一番上とで7メートルほどのブレがあることになります。あくまでそれは手元でのブレであり、離れた場所ほどブレは少なくなります。ところで、なぜデータの取り出す順番が下から上になるのか、分かりますか?そう、レンズです。レンズがあるので、撮像素子には上下逆の像が写ります。写真の右下が、撮像素子の左上になっているんですね。ちゃんと、上から下へとデジタルデータを生成しているのです。
2009年08月29日
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寝屋川市駅の周辺でご紹介した、大きな水門を覚えてますでしょうか?寝屋川の水門手前から左奥へが寝屋川の本来の流れで、豪雨による増水時には、右側の水門を開いて淀川へと水を導きます。その名も「寝屋川導水路」。ただし、普段の導水路の流れは増水時とは逆で、淀川の水を寝屋川へと流しています。寝屋川導水路上の写真奥が寝屋川の水門の方向です。そこからまっすぐに淀川へと導水路をさかのぼってくると、淀川堤防の手前で水路が少し広がります。同上カメラを引いて、見える範囲を広げたのが上の写真。左手に水門がありますね。導水路脇の水門さらに右手から、水門正面に向かって撮ったのが上の写真です。非常に大きな水門です。同上さらに右手から撮ってみました。手前が寝屋川の水門方向、奥が堤防でその向こう側が淀川本流です。通常は、淀川から取り込んだ水が奥から手前に流れてきて、導水路を通って寝屋川へと流れていきます。これによって、寝屋川に流れる水量をある程度確保し、浄化させる効果があります。上の写真の右手には「太間(たいま)排水機場」と呼ばれる建物があり、建物の中はディーゼルエンジンで動く6台の大きなポンプがあるそうです。毎秒15立方メートルの排水量のポンプが3台、毎秒30立方メートルのが3台、合計で毎秒135立方メートル(13万5000リットル)の排水能力を持っているということです。排水機場の建物同上導水路の取水口同上淀川からの取水口です。向こうに見えるのは対岸の高槻市とを結ぶ「淀川新橋」です。この日は雨が降って淀川も増水していました。排水機場方向取水口から太間排水機場を見たところです。排水機場の正面から延びる排水路がありますが、地上では確認しづらいようです。航空写真などで確認すると排水口付近がどこかわかります。この排水機場には中央監視室があり、寝屋川導水路や各水門、打上川治水緑地も含めて集中管理しているということです。
2009年08月28日
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京阪の香里園駅から西へ約2キロメートルのところにも淀川河川公園があります。淀川河川公園駐車場同上どこも17時で閉まると思っていたのですが、ここの駐車場は19時までです。上から貼り直しているようですので、変更されたのでしょうか。それとも夏季だけかな?公園内手前はテニスコート、その向こう側には野球ができるスペースが何面かあります。同上この日は今にも降り出しそうな天気で蒸し暑かったですけど、ひろびろとした解放感のある空間があります。これから季節が良くなると、河川敷でのんびりするのもいいかもしれません。淀川河川公園・バス停堤防のところまで、京阪バス「タウンくる」が来ています。たしかに車で来るのが便利な場所だとは思いますが、公共交通機関も利用できるというのがいいですね。
2009年08月27日
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京阪の寝屋川市駅と香里園駅の間に、「寝屋川グリーンシティ」というモールがあります。「寝屋川グリーンシティ」ここは国道170号線バイパス道路(上の写真の手前の道路)に面しており、車には便利なロケーションです。同上キーテナントとなるのはジャスコで、同じ建物内にある専門店街も含めて全体として「イオンモール寝屋川グリーンシティ」というようです。今回、香里園駅周辺としてご紹介しておりますが、正直なところ、最寄駅は香里園駅なのか寝屋川市駅なのか、微妙なところです。京阪の線路沿いにあり、直線距離だとほぼ中間です。しかしどちらの駅からも、「線路沿いに歩く」ことができません。グリーンシティのホームページを見ると、「寝屋川市駅から西側出口より香里園方面に線路に沿って徒歩20分」「香里園駅から東側出口より寝屋川市駅方面に徒歩25分」となっています。しかし、最短コースを行けばどちらの駅からでも1.6km(18分)です(yahoo地図の「道案内」機能で探索)。車以外なら、一番便利なのは、香里園駅と寝屋川市駅を結ぶ京阪バスの「タウンくる」だと思います。ずっと以前には、この近くに上新電機とマツヤデンキがありましたが、すでに撤退。最近は近くに郊外型の店が増えたこともあって、集客に苦労しているようです。大きな駐車場があるのですが、今年6月から、とうとう無料化されました。
2009年08月26日
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京阪の香里園の西側には、まだまだ元気な商店街がたくさんあります。「香里駅前通商店街」と交差点上の写真は、駅に近い側から西に向いて撮ったものです。ここは商店街が交差する場所で、宴会のできる飲食店も多く、人通りが絶えません。ただし自動車や自転車も通り抜けていくため、気を付けて歩いてくださいね。この交差点から3方向(手前、奥、左手)に延びるのが「香里駅前通商店街」です。「香里センター街」交差点から右(北)方向へ曲がると「香里センター街」があります。ダイエー香里店の跡香里駅前商店街の西端です。かつてはここにダイエー香里店の入口がありました。いまはマンションの工事現場で、塀で囲まれています。「香里新町商店街」一方、香里センター街の北端まで来ると、道を隔ててさらに「香里新町商店街」が続いています。全部はご紹介できませんが、「商店街」と名の付くものだけでもまだいくつかあります。ちょっと仕事帰りに立ち寄って一杯という雰囲気の、気さくなところです。馴染みの店がいつのまにか閉じていたりして、商店街の中での競争も厳しそうですが、いつまでも活気を失わずにいてほしいものです。
2009年08月25日
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京阪の香里園駅から西へ、ダイエー本通商店街・寿商店街を抜けていくと、ショッピングセンター「アルプラザ」(平和堂)に着きます。香里園駅西口から京阪バスの「タウンくる」を利用することもできます。「アルプラザ香里」ここには広い駐車場があり、しかも無料です。「ホームズ 寝屋川店」アルプラザができてしばらくしてから、隣接してホームセンター「ホームズ」が出店しました。こちらの駐車場も無料です。そのために車が集中し、休日を中心に周囲の道路が混雑する原因のひとつとなっています。「オンキヨー 大阪本社」アルプラザが進出する以前、ここにはオーディオメーカーで知られている「オンキヨー」の工場社屋が建っていました(土地を売却したのか貸しているのか判りませんが)。現在でも隣接する場所に「オンキヨー」の大阪本社があります。ここがオンキヨー創業の地であり、登記上の本社でもあります。撮影した日は休日で、オンキヨーの敷地がアルプラザの臨時駐車場になっていました。ところで、「オンキョー」ではなくて「オンキヨー」(つまり「ヨ」が大きい)が正式な表記のようです。「キヤノン」の「ヤ」が大文字なのと同じですね。
2009年08月24日
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京阪の香里園駅の周辺にはたくさんの商業施設があります。香里ダイエー本通商店街(駅寄り)駅の西口に「香里ダイエー本通商店街」があります。駅前から線路沿いに南側の踏切までの南北の筋と、踏切から西に向けての東西の筋があり、L字になった商店街です。同上(踏切付近)上の写真は香里園駅南の踏切を背にして撮ったものです。寝屋川市の商店街の中で、加盟店数の多さではトップかも。道がやや狭いこともあって、人の波を自転車がすり抜けていく光景がいつも見られます。同上同上商店街を抜けたところから振り返って撮ったのが上の写真です。この交差点で国道170号線(外環状線、旧道のほう)と交わっています。ダイエー香里店跡商店街の名前の由来であるダイエー香里店がここにありましたが、2005年に閉店しました。現在はマンションを建設中で、すでに分譲が始まっています。ダイエーは撤退しましたが、商店街の名称は変わらないようです。ダイエー香里店の敷地の中にはかつて、京阪バスのバス停がありました。「ダイエースーパー」という名前だったと思います。香里団地との間を結んでいましたが、バス路線は閉店よりずっと以前に廃止されました。ダイエー跡から西へ国道を渡った先は、寿商店街という名前の商店街がさらに西へと続きます。その先には郊外型のショッピングセンターがあります。(続きます)
2009年08月23日
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京阪の香里園駅の東側には関西医科大学付属香里病院がありましたが、2005年にいったん閉院になり、枚方市駅近くに新たに建てられた同医科大の枚方病院にその機能が移りました。東口駅前同上現在、香里病院の跡地を利用して再開発事業が行われており、いよいよビルの建設も始まりました(上の写真)。ここには住居や商業施設が入ります。バスやタクシーの乗り場も移るのではないでしょうか。香里病院も来年再開すると聞いております。枚方公園方向東口の前を走る府道は、京阪の線路沿いに枚方公園まで続いています。この区間は京阪が地上を走っており、通勤時間帯には開かずの踏切になります。しかも国道1号線は踏切の向こう側。慢性的な渋滞に悩まされています。この区間の連続立体化が検討されていますが、上の写真でも分かるように道が狭く建物が線路に迫っており、工事のための敷地を確保するのが難しい区間です。東口の駅前を出たバスはいったんこの府道に入り、すぐに「交野」と書かれた方向へと右折します(線路沿いを進む小型バスを除く)。香里園本通商店街右折した先の様子です。上り坂になっています。同上ここは「香里園本通商店街」と呼ばれる商店街です。同上この商店街の中をひっきりなしにバスが通過していきます。商店街としても迷惑な話ですよね。しかし、駅の東口から周辺地域へ向かう路線バスが通れる道はここしかないのです。工事現場の裏手坂を上がっていくと、さきほどの再開発現場にやってきます。駅から見ると裏手になります。再開発に伴い、道路が拡幅されています。香里園駅へ向かうバスは坂の上から下りてきて、この辺りから敷地内に入っていくことになるのではないかと思います。渋滞による遅延が減ることを期待しています。
2009年08月22日
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京阪の香里園駅の西口が整備されるまでは、バス乗り場は東口だけでした。現在もタウンくるの2路線以外の乗り場は東口にあります。東口出口の案内東口バス乗り場上の写真の左の土手の上が、駅前を通る府道です。バスの乗り場は道路より低い一画にあります。東口(府道への連絡橋)駅前の府道と改札口との高さがほぼ同じです。改札口から段差なく府道へと歩行者用の橋が架けられています。バス乗り場の案内上の写真で、左に折れて階段を降りたところがバス乗り場です。写真の右奥が、府道へ渡る歩行者用の橋です。上の写真と、ここから下の写真3枚は、いずれも今年の1月末に撮ったものです。初詣から節分祭までのこの時期は、成田山は書き入れ時のようです。バスも特別に案内を出しています。東口(1月)同上同上このバス乗り場(&タクシー乗り場)は私有地のようですが、送り迎えの自家用車もときどき入ってきます。出入口は上の写真の奥に1ヶ所だけなので、出入りの車でつかえてしまうことがときどきあります。「フレスト」同上東口に隣接して、京阪系列のスーパー「フレスト」香里園店があります。
2009年08月21日
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駅前ロータリーが整備され、京阪香里園駅の西口が大きく変貌したのはいまから5年ほど前のことです。西口ロータリー同上スーパー「ライフ」西口駅前に4年ほど前にできたスーパーです。「タウンくる」 (寝屋川市日新町付近にて)西口ロータリーが整備されたとき、タクシー乗り場とともにバス乗り場が新設され、新たなバス路線が開設されました。西口に乗り入れているバスは、京阪バスが運行するコミュニティバスで、「タウンくる」と呼ばれています。小型バスを使い、住宅地を縫うように走っています。寝屋川市内に5路線あり、運賃はいずれも150円です。ほかに守口市内に2路線あるそうです。バス路線空白地帯の解消という目的で市から補助金が出ている路線もあるようですが、経営的に成り立っている路線もあります。お年寄りをはじめ地域住民の足として役立っており、新たな需要を掘り起こしたといえそうです。
2009年08月20日
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京阪の香里園駅は橋上駅で、階段のほか、バリアフリーのためにエスカレータやエレベータが設置されています。改札口は1ヶ所だけです。改札口(ラチ外)改札口の正面にはコンビニ「アンスリー」、改札口を出て左側に「ケンタッキー」「フレッシュネスバーガー」、右側には「マネケン」や宝くじ売り場、京阪交通社などが駅舎内にあります。マネケン上の写真は先日オープンしたベルギーワッフルの店「マネケン」。ここには「ジューサーバー」があったのですが、春ごろ、閉店してしまいました。駅舎外観(西口)同上以前は西側には狭い道路しかありませんでしたが、駅前整備事業が始まり、2003年からはロータリーが使えるようになりました。さらに2004年にかけてロータリー周辺の整備、駅舎のリニューアルが完成し、香里園駅西口は大きく変貌しました。
2009年08月19日
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京阪電気鉄道の沿線の駅とその周辺の探索は、2月に中之島駅から始めてもう半年が経ちます。こんなに長く続けるつもりではなかったのですけど。根っからの凝り性が災いしているようです(苦笑)。さて今日からは、香里園駅とその周辺を探索したいと思います。香里園駅は寝屋川市内の北部に位置します。香里園駅の東部には住宅地がひろがっており、とくに枚方市域の「香里団地」は郊外型大規模住宅団地として古くから多くの人が住んでいます。そのため、香里園駅の利用者の多くは寝屋川市民か枚方市民です。衆議院選挙が小選挙区制になったため、寝屋川市と枚方市が別の選挙区になっています。香里園駅は寝屋川市内ですが、枚方市民でも寝屋川市の選挙区の立候補者のほうが馴染みがあるという人もいます。明治43年(1910年)、京阪本線の天満橋~五条間開業と同時に営業を始めました。開業にあわせて開園した「香里遊園地」(ひらかたパークの前身)の最寄駅として、当初は「香里」駅という名前でした。しかしほどなく「香里遊園地」が移転することになり、跡地は宅地になりました。それに合わせ、昭和13年(1938年)に現在の「香里園」駅に改称されました。駅名標ホーム2面4線の島式ホームで、橋上駅になっています。上り列車が通過しやすいように、上り(京都方面)は外側が本線、内側が待避線になっています。下りは逆に、内側が本線、外側が待避線です。ホーム(京都寄り)大阪側から駅への進入が左カーブになっているため、そのほうが都合がいいのでしょうが、駅から出るときに本線側に速度制限がかかります。上の写真で、いちばん奥の線路が上り本線です。ここで少し、カルトな話を。もともと、開業当時の地名は友呂岐村大字郡(こおり)。この「郡(こおり)」に漢字「香里」を当てて駅名としました。阪神の「香櫨園」がお手本となったといいます。一般には「香里園」の読みは「こうりえん」です。実際、駅名標も「こうりえん」となっています。しかし、周辺の地名を見てみると、、、寝屋川市側の「香里北之町」「香里新町」「香里西之町」「香里本通町」「香里南之町」という地名にはいずれも「こおり~」という読みが付けられています。また、「郡元町」という地名もあり、もちろん「こおりもとまち」と読みます。一方、枚方市側の地名を拾っていくと、「香里園町」「香里園桜木町」「香里園東之町」「香里園山之手町」「香里ケ丘」、いずれも読みは「こうり~」です。これはいったいなんでしょう? 「郡」という地名へのこだわりなのでしょうか。
2009年08月18日
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加茂神社から西へ、京阪の寝屋川市駅の方向に戻ると、国道170号(外環状線)の「秦北口」という交差点があります。先にご紹介した「安全橋」交差点の300メートルほど南側です。さらに南、「秦八丁」交差点で、国道170号線と府道21号線(八尾枚方線)が分かれています。170号線と府道21号に挟まれた辺りに、大阪運輸支局があります。大阪運輸支局同上いわゆる車検でお世話になる場所です。私はここで2度、いずれも自動車ナンバーの交付(他府県からの転入)でお世話になったことがあります。それまでのナンバーを自分で外し(これがけっこうめんどう)、プレート返却の確認書類とともに書類一式を提出。手続きを終えると、新しいナンバープレートを手渡しされます。それを自分で車に装着して待つことしばらく。係員がやってきたので書類を渡すと、後ろのナンバーのナットの1ヶ所に封印をバチンとはめて終わり。2回目のとき、まず古いナンバーを返納して、書類を揃えて提出したつもりだったのですが、書類が1枚不足していることが判明。いったん手続きを中断することにしましたが、すでにナンバーを外した後です。いったんナンバーを返してもらいましたが、そのあと、すでに外した封印をどうすればいい?そのままでもいいよ、と言われましたが、それで見咎められてもいやなので(律儀な私)、もう一度封印をできないか聞いたところ、他府県の封印を探してくれてはめてくれました。引きだしを覗いてたのですけど、いろんな県の封印が置いてました。お値段は当時、60円だったと思います。(実際、封印が外れていると取り締まりの対象になりますのでご注意を)くれぐれも、必要な書類を確認してから申請しましょうね(苦笑)。同上同じ敷地内には、大阪府の自動車税の事務所もあります。他府県から転入してくるとき、ここでもお世話になりました。月割り計算で還付を受ける額と転入先で支払う額は同じはずなのにね。当時は転出手続きと転入手続きが別々でした。いまはまとめて手続きできると聞いています。大阪電気通信大学運輸支局の向かいには、大阪電気通信大学があります。
2009年08月17日
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聖徳太子に仕えた秦河勝(はたのかわかつ)の墓と伝えられている場所(寝屋川市川勝町)の南に秦町(はだちょう)という地名があります。ここに加茂神社があります。加茂神社京都の賀茂神社(かもじんじゃ)とは、賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下鴨神社)の2つの神社の総称で、葵祭でも有名ですね。賀茂神社は賀茂氏(かもうじ、かもし)という古代の有力な氏族の氏神です。京都の賀茂神社とこの加茂神社にもなんらかのつながりがあるように思えます。秦氏の本拠は、寝屋川の地からやがて京都へと移ります。桂川中流域、鴨川下流域を支配下においていたといいます。長岡京から京都に遷都(いわゆる794年の平安京遷都)の際、広い都の中ほど(現在の「堀川通」付近)を流れていた加茂川を、上賀茂神社辺りから迂回させたのが現在の加茂川という説があります。そして河川改修事業を成し遂げたのが、秦氏だったとも。この「鴨川つけかえ」説は1980年までは主流でしたが、地下鉄烏丸線の工事のときに地下の岩盤を調査したところ、鴨川は地下山脈の向きに沿っていることが判明したそうです。しかし「加茂」の名は単なる偶然ではないでしょう。秦氏はもともと寝屋川の地に住んでおり、仁徳天皇時代(4世紀後半)の茨田堤(まんだのつつみ、まむたのつつみ)にも関わったといわれています。桂川の灌漑工事にも名を留めでおり、大きな財力と技術力を持っていたと考えられております。優秀な土木技術を持った集団を想像させます。同上同上ひょっとしたら、寝屋川の加茂神社が京都の賀茂神社の元祖なのかもしれない、そんなことを考えたりもします。鳥居と反対側から狭い境内を通り抜けて反対側に出ました。秦公民館そこには秦公民館が建っていました。寝屋川をはさんで、川勝公民館と秦公民館。聖徳太子に仕えた秦河勝(はたのかわかつ)という人物が、これほどまでに寝屋川市と深く関わっていたとは知りませんでした。
2009年08月16日
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打上川治水緑地での散策の続きです。 あずまや池のほとりにあずまやが建っています。日差しは強くても、中に入ると心地よい風が吹いてきます。メルヘン調の時計の木野鳥たち打上川治水緑地で観察される野鳥たちです。たまには野鳥を観察して勉強するのもいいかもしれません。写真上段、左から、カイツブリ、カルガモ、コガモ、ヒドリガモ、マガモ、ハシビロガモ。中段左から、セグロセキレイ、メジロ、ツグミ、ムクドリ、モズ、ヒヨドリ。下段左から、イソシギ、ケリ、バン、カワセミ、アオサギ、コサギです。でも、水面にいるのはカルガモばかりのようです。カルガモツガイのように見えます。手前がオスでしょうか?ハトも日陰でこの日も暑い一日でした。ハトも木陰で暑さをしのいでいるようです。
2009年08月15日
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細屋神社の南側には、打上川(うちあげがわ)治水緑地があります。この緑地は、寝屋川と打上川に挟まれた一帯にあります。打上川は寝屋川市の東部、交野市との市境付近から北西に流れ、川勝町の観音橋付近で寝屋川に合流する、約3キロメートルの一級河川です。打上川治水緑地は、洪水時に河川の水の量を軽減するためにつくられた遊水地で、面積は約13.3ヘクタール、緑地内に約27万平方メートルの水を貯めることができます。普段は公園として使われています。同上緑地内は3つの広場が整備されており、スポーツや散策などが楽しめる憩いの場となっています。遊歩道と噴水池緑地内を流れるせせらぎ広場中央のモニュメント上の写真の左面は大阪府内の治水事業の紹介、右面は下流に向かって監視用カメラや増水時のための警報装置などが据えられています。同上
2009年08月14日
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だんだんと京阪の寝屋川市駅から遠ざかっていきますが、、、秦河勝のお墓から川沿いの道に戻って、もう少し、寝屋川の上流へといってみることにしました。川勝町公民館ほどなく左手に、川勝町の公民館があります。観音橋と呼ばれる地点で、寝屋川の対岸にある府道18号線に出ました。今度は寝屋川の上流に向かって右手(左岸)沿いに歩きました。サイクリングロード・はちかづきここは、川の堤防沿いに整備されたサイクリングロードです。自転車専用というわけではなく、散歩やジョギングにもちょうどよいコースです。「式内細屋神社」の石碑しばらく歩くと、サイクリングロードの傍らに立つ石碑がありました。「式内細屋神社」と書かれています。堤防から下りていく小径があります。 細屋神社への下り口右に見えている木の茂みが神社の場所です。小さいながらも鬱蒼(うっそう)とした鎮守の森です。細屋神社の鎮守の森燦々と輝く暑い太陽の下、鬱蒼と茂った森の中はうす暗く、境内に入るのも躊躇してしまうような雰囲気です。入口に人影が?鉢かづき姫の案内板こんなところにまで、鉢かづき姫が立っているんですね。境内拝殿というより、祠(ほこら)ですね。露出をオーバー気味にして撮ったので、ちゃんと奥まで見えていますが、実際には、目が慣れるまで境内は真っ暗でした。「妖気」さえ感じます。鳥居から中に入ろうという気がしませんでした。早々に退散いたしました。鉢かづき姫の説明板によると、「この神社には、境内の木を切ったり、草を刈ったり、近くの小川の魚をとると腹が痛くなるという言い伝えがありますが、秦・太秦の人々だけは別だといわれています。」とあります。不思議な話ですね。平安時代に編纂された「延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)」(10世紀)に記載されている、いわゆる「式内社」は、寝屋川市内に3社あり、そのうちの1つがこの細屋神社です。古い記録によると、天を祀る神社とか星を祀る神社ではないかということです。「細屋」は「星屋」のことではないかとも言われています。隣の枚方市や交野市にも、星や天に由来する地名や伝説がいろいろとあり、天文を司った渡来人との関係が指摘されています。「式内」というと格式ある神社のイメージですが、現状は異なります。また、往古の神社は山裾や小高い所が神の坐す所であり、川筋の平地に鎮座しているのには違和感があります。豪雨などで他の地から流れてきたのを、秦氏の人々が助け出してこの地に祀ったという説もあります。だとすると、もともとは寝屋川のさらに上流にあったということになりましょうか。
2009年08月13日
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秦河勝(はたのかわかつ)という人物をご存知でしょうか?6世紀後半から7世紀半ば、大和王権で活動した秦氏出身の豪族で、厩戸皇子(うまやどのみこ=聖徳太子)に仕えた人です。秦氏(はたうじ)は有力な渡来人(とらいじん)として知られています。朝廷の蔵を管理する一方で、土木事業、鉱山開発、鋳工、養蚕や機織りなどの技術をもって活躍していたといいます。京都の太秦(うずまさ)も秦氏にちなんだ名前です。映画村でも有名な土地ですね。ところで、その秦河勝の墓と伝えられているところが寝屋川市川勝町(かわかつちょう)にあります。この周辺に彼の住居があったとも言われています。「川」と「河」の違いはありますが、川勝町も秦河勝に由来する地名です。そしてその南に広がる一帯は「太秦」と呼ばれており、「太秦元町」「太秦中町」といった町名が付いています。また、「秦町(はだちょう)」という町名もあります。寝屋川(安全橋より)上の写真は、寝屋川警察署前の安全橋から東方向、つまり寝屋川の上流を写したものです。奥に見える橋から先の両岸と、手前の右側が川勝町です。秦河勝の墓は、奥の橋の左前方にあります。安全橋から寝屋川の左側(北側)の道を東へ250メートルほど歩くと、案内標が見えてきます。川勝町の案内標電柱の手前に、案内標があります。この角を左に曲がります。同上写真奥に進むと、道は右手に曲がっています。ここから上り坂です。 そのまま真っ直ぐに行くと墓地(正面の樹木の茂ったところ)に入ってしまいますので、その手前を左に曲がります。伝・秦河勝の墓50メートルほど進み左手に折れたところに、小さな空き地があります。鉢かづき姫が案内板を掲げて待っていました。同上上は、反対方向から撮った写真です。同上左手に回って、正面から五輪塔を拝見しました。この五輪塔には、秦河勝の行ったことや五輪塔建立の経緯などを記す文字が刻まれているそうです。それによると、以前はもっと立派な五輪の石塔があったのですが、豊臣秀吉が文禄堤を築いたときに持ち去ったため、現在の五輪塔は慶安2年(1649年)に再建されたということです。
2009年08月12日
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京阪の寝屋川市駅の周辺を流れる寝屋川を上流へとたどっていくと、寝屋川浄化ポンプ場の辺りから右に180度カーブして南に向きを変えてから、東へと進んでいきます。川の右側(左岸)を、さらに上流に向けて歩きました。寝屋川交通安全協会府立高専の向かい辺りに、交通安全協会の建物がありました。土曜日の昼下がり、静かでした。安全橋交差点同上さらに東に進むと、国道170号(外環状線)に出ました。この日は8月8日(土)で、もう帰省ラッシュが始まっているのか、かなり渋滞していました。安全橋のたもと寝屋川下流方向上の写真は安全橋の上から、寝屋川の下流方向を写したものです。右手が府立高専、左手には安全協会、正面のクレーンは官舎の建設現場です。それにしても、なぜ、安全橋という名前が付いたのでしょう? ある人は、近くに交通安全協会があるからじゃない?なんて言ってましたが。。。。寝屋川警察署安全橋に隣接して、寝屋川警察署があります。だれかが、交通安全を祈念して付けた名前でしょうかねえ。少し調べてみましたが、いまのところ分かりません。名前の経緯はともかくとして、ほんとうに交通安全はみんなの願いです。安全橋の名前を聞くたびに、安全運転の意識が少しでも高まるのであれば、これほど相応しい名前はないと思います。
2009年08月11日
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京阪の寝屋川市駅の北側で、寝屋川の流れは大きく向きを変えています。治水のための水門を見た後、さらに上流へと歩いてみました。住宅の建設現場「新報国橋」と書かれた橋のたもとから、後ろ(下流方向)を振り返ったところです。寝屋川左岸に新しい住宅を建設中でした。帰ってから調べてみたら、大林組のHPに「大阪府警察寝屋川待機宿舎建替整備等事業」とありました。45年経った古い建物の建て替えだそうで、現在は2期工事中。15階建てを最高に、615世帯、単身寮が130室となっていました。大規模な官舎ができるようです。府立工業高専同上寝屋川を左手に見ながら歩いて行くと、向こう岸に学校が見えてきました。大阪府立工業高等専門学校(府立高専)で、1963年に設立されました。「大阪高専」と呼ばれそうなところですが、かつて私立の「大阪工業高等専門学校」(1962年設立、1979年廃止。摂南大学の前身)があったためということです。府立高専グラウンド北側にあるグラウンドです。西の方向に、警察官舎の建設現場が見えています。(続く)
2009年08月10日
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京阪の寝屋川市駅の北にある2つの水門。その右側の水門は「寝屋川導水路」に続いていると書きました。実際に目で確認しようと思い、水門の横を通ってその先に行ってみました。寝屋川浄化ポンプ場実は、そこにも似た形の水門がひとつありました。地図で確認すると、ここは寝屋川浄化ポンプ場。そうそう、以前、「友呂岐緑地」を歩いた時、北側の終点がこのポンプ場でした。今回は違う角度から見ていることになります。この場所を簡単にご説明します。まず、三角形ABCを思い浮かべてください。頂点Aに寝屋川上流側、頂点Bに寝屋川導水路、頂点Cに寝屋川下流側がそれぞれつながっているわけです。そして3つの辺にそれぞれ水門があります。鉄道的にいうと、近鉄の中川駅近くでの近鉄大阪線、名古屋線、山田線の接続、あるいは、千葉県のJR二俣新町駅の近辺での京葉線の接続を思い浮かべてください。寝屋川導水路側上の写真の正面が、寝屋川浄化ポンプ場内の水門です。手前は寝屋川導水路につながっています。左手は暗渠(あんきょ)になっていて、昨日の巨大水門(2つ並んでいる)の右側につながっています。暗渠暗渠を正面から見たところです。写真正面の奥に水門が見えています。この水路が活躍するのは、豪雨時に洪水の恐れがあるときだけ。寝屋川上流の雨水がこの暗渠を通って吐き出されてくるわけです。いざというときにしっかり動けるよう、日ごろの点検が大切ですね。寝屋川導水路北西へと続く寝屋川導水路です。この先が淀川の本流になります。普段は寝屋川の水量を確保するために、淀川から寝屋川へ(奥から手前へ)と流れています。
2009年08月09日
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京阪の寝屋川市駅から香里園駅に向かう途中、左手の車窓から外を眺めていると、巨大な水門が目に飛び込んできます。寝屋川の水門同上上の写真で、手前が京阪の線路側です。左手の水門は開いている(扉が上がっている)のに対し、右側の水門は閉じています。平常時は、寝屋川は手前から左手の水門へと流れています。豪雨時には、水門を操作して増水した寝屋川の水を右手の「寝屋川導水路」へと導き、太間排水機場から淀川へとバイパスさせます。平常時には、導水路は淀川から取水した水を寝屋川に流す役目があります。流れる方向が逆になるわけです。これによって淀川の水質を浄化する役目を果たしています。寝屋川(下流側)付近を泳ぐ水鳥詳しくないのですが、カルガモでしょうか、のんびりと水鳥が泳いでいます。サギの仲間これはアオサギですか?けっこう大きな魚も泳いでいました。川が生きているって感じがします。
2009年08月08日
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京阪の寝屋川市駅の京都寄り、線路の東側に八坂神社があります。八坂神社道路に面した参道は細長く、奥へと続きます。鳥居御神馬拝殿神木八坂神社の境内には、寝屋川市が保存樹として指定した樹木が4本あります。いずれもクスノキで、上の写真の木は、樹齢推定650年(1000年という説もある)、高さ約15メートル。周囲は、鉢かづき姫の説明板では7メートル、寝屋川市の指定樹木の説明板では4.83メートルだそうです。測り方が違うのかな?いつも電車の中から境内の緑が見えています。ほっとする空間ですね。明治元年に今の八坂神社を名乗るようになったそうで、それまでは「牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)」とか「祇園社」とか呼ばれていたそうです。
2009年08月07日
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京阪の寝屋川市駅から5~600メートル京都寄りの場所に、かつて駅がありました。昨日ご紹介した「京阪グラウンド」の最寄駅として、1922年(大正11年)3月に開業しました。当初は「運動場前」という臨時の駅でした。京阪グラウンドの敷地売却に伴い、1943年(昭和18年)、駅名は「豊野」と変わりました(運動場は無くなったんですしね)。1963年(昭和38年)5月、理由は知りませんが、駅は廃止されました。地図を見ると、線路の東側が寝屋川市豊野町、西側が平池町ですが、ちょうど駅のあった辺りだけ、豊野町域が線路の西側まで進出しています。寝屋川豊野郵便局現地まで行ってみました。「寝屋川球場跡」の記念碑の場所からまっすぐ北に向いて歩くと、ほどなく「寝屋川豊野郵便局」の前にやってきます。郵便局の手前を西に入ると、線路際のやや狭い道に出ます。旧・豊野駅の付近地図で確認すると、この辺りに駅があったようです。そう思ってみると、線路際がなんとなく道路側に張り出したように見えます。ここにホームがあったのかもしれません。同上同上寝屋川市駅周辺の連続立体化工事は、ちょうどこの辺りから大阪寄りで(上の写真の奥に向かって)行われました。線路の向こう側に見えるブルーシートの辺りに、地上線と高架線との切り替えの名残りがあるようです。<追記>いくつかコメントをいただきました。それによりますと、駅はもう少し大阪寄り、「八坂町西」交差点より南側にあったようです。現在、京阪高架下の駐車場「タイムズ寝屋川市駅北」がある辺りみたいです。(2015.10.08)
2009年08月06日
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京阪の寝屋川市駅から線路に沿って北東に600メートル、東側に「八坂町」という交差点があります。その北東の一画に、記念碑が設置されています。寝屋川球場跡(記念碑)「寝屋川球場跡」と書かれています。「街角の再発見」寝屋川市駅の西側ロータリーに設置されていたものと同種の記念碑で、フジサンケイグループの名前が入っています。管理者は寝屋川市、寄贈は京阪電気鉄道となっています。平成2年3月の日付があります。この地には、かつて「京阪グラウンド」がありました。「寝屋川グラウンド」ともよばれていました。京阪電気鉄道は沿線の開発に力を入れ、1922年4月、まず陸上競技場を造りました。さらに野球場とテニスコートが、同年8月に完成しました。竣工当時、野球場は日本一の規模を誇っていたといいます。ここでは大学の定期戦をはじめ、多くの試合が毎日のように行われたそうです。1924年には全国選抜中等学校野球大会が始まりました。京阪の社内ではこの大会を誘致する計画もあったそうですが、行楽シーズンで手が回らないということで見送られたそうです。20年ほど経ち、京阪グラウンドの敷地は売却され、跡地は住宅地になりました。関西の大手私鉄5社(阪急、阪神、京阪、南海、近鉄)のうちで、唯一、プロ野球球団を持ったことがない京阪ですが、球団経営を夢見たことはなかったのでしょうか。
2009年08月05日
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寝屋川高校の北西側に寝屋川市役所があります。寝屋川市役所市役所庁舎の上部庁舎の上部に掲げられた丸い形が市章です。カタカナの「ネ」、その下に伸びる「矢」の形、そして「川」を丸く描いて、「ねやがわ」を表しています。寝屋川市の花はバラ、木はサクラです。昭和43年に市民アンケートによって選ばれたそうです。市議会庁舎市役所庁舎の北側に市議会の庁舎があります。堅牢そうな造りです。
2009年08月04日
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京阪の寝屋川市駅の近くに、もうひとつ商店街があります。アドバンスロード商店街寝屋川市駅の北側から東に向けて、府道18号線沿いにあるのが「アドバンスロード商店街」です。早子町交差点から東方向を見る府道18号線を東に向かうとすぐ、早子町交差点から先は西行き一方通行になっています。路線バスも西行きだけがこの道を通り、東行きはひとつ北側の広い通りを通っています。寝屋川高校商店街を東に通り抜けた辺りに、寝屋川高校があります。同上「2010 祝 創立100周年 定時制60周年」と書かれた板が目に飛び込んできました。
2009年08月03日
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京阪の線路のすぐ近く、寝屋川市駅の南側に住吉神社があります。 住吉神社別称「ねや川戎神社」御祭神は古来三社大明神と称し、住吉大神・春日大神・戎大神を合祀し奉られています。1月には「ねや川戎大祭」、つまりは「えべっさん」があります。大勢の人で賑わうそうです。鳥居この日、境内に足を踏み入れたとたん、大粒の雨が激しく降ってきました。傘を片手に撮影続行。拝殿撮影の日はまだ準備中でしたが、住吉神社の夏祭りは例年、7月30日、31日。今年は不順な天候ですが、雨はどうだったのでしょう?境内のクスノキものすごい雨です。目の前のクスノキが少しかすんで見えます。たまにはこういう写真もいいでしょ?
2009年08月02日
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京阪の寝屋川市駅から北西へ、徒歩5分ほどで大利神社に着きます。大利神社同上商店街に面した参道の入口は細く、境内へと続いています。右側の建物は「寝屋川消防団 大利班」と書かれておりました。左隣は「大利公園」、愛称「はなみずき公園」で、昨年リニューアルされたということです。櫓が組まれて盆踊りでもあるのでしょうか。しかし、かなり雲行きがあやしく、すでに雨がパラパラしていました。参道と拝殿御神牛左手には御牛神、それに梅鉢の紋に牛とくれば、菅原道真(天神様)ですね。実際には、大歳神、菅原道真公、大国主大神、事代主命が祭神として祀られているそうです。拝殿拝殿の手前にお百度石が設けられていました。お百度石は、参道の入口にあったりするのですが、ここでは拝殿のすぐ近く。参る者にとってはありがたいことですが。境内のクスノキ神社の境内のクスノキ、これまでいろいろと紹介いたしましたが、いずれも威厳と風情があって、いいものです。ずっと残っていてほしい空間です。
2009年08月01日
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