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引き続き、茨田堤と伝えられている場所をご紹介します。 伝茨田堤(西側)堤根神社の西側は、道沿いに細長い公園のようになっています。公園内金網で囲われているところが、一段高くなっています。手前には説明板が設置されています。説明板この説明によると、この西側は、昭和58年に追加で史跡に指定された部分だそうです。守口市駅に見られる元禄堤、弥治右衛門の碑、そして茨田堤。この周辺は昔から、浸水との戦いの連続だったんでしょうね。ところで、ネットでいろいろと資料を探していると、この場所が少し高くなっているのは古川の堤防として近世に整備されたからという記述に出会いました。茨田堤と思われる痕跡は、地表から1メートルほど下にあるそうです。5世紀ごろの出土物も出てきたということです。
2009年05月31日
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京阪の大和田駅の北東に、「茨田堤(まんだのつつみ)」と言われてる場所があります。 伝茨田堤この道沿いに、右側が少し高くなっています。伝茨田堤右手前の建物は、堤根(つつみね)神社の境内です。その向こう側、大きなクスノキの辺りから、堤根神社を挟んで右後方までが、大阪府の史跡に指定されています。説明板隣接する公園内にあった説明です。説明によると、「古事記」や「日本書紀」にも記述がみられ、日本最古の堤防とも言われている「茨田堤」があったと思われる場所だということです。仁徳天皇の時代(5世紀)に淀川の洪水を防ぐために治水工事が行われ、当時の最先端技術であった渡来人の土木技術を用い、難工事の末、堤防を完成させたと書かれているそうです。堤根神社はこの堤防の上に鎮座しているということです。
2009年05月30日
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弥治右衛門の記念碑の東、同じ藤田町に大阪国際大学の守口キャンパスがあります。大阪国際大学・守口キャンパスここが学校法人の本部のあるところ。もともとは女子大学だったのですけど(帝国女子大学、大阪国際女子大学)、大阪国際大学に統合されたようです。昔は京阪電車の車窓から「帝国女子」の名前が目立ってました。隣接して、同じ法人が経営する大和田幼稚園もあります。この幼稚園の送迎バスがユニークなのですが、校門越しに写真を撮ると、門に立っているガードマンに怪しまれそうなのでやめておきました。枚方にも大学キャンパスがありますね。守口キャンパスの北側に隣接して、大阪国際大和田中学校・高等学校があります。共学の中高一貫校です。大阪国際滝井高校(もと帝国女子高校)は女子バレーボールの強豪校として有名です。こちらは京阪の滝井駅の東にあります。校章というかロゴというか、OIUのマークがユニークです。
2009年05月29日
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弥治右衛門記念碑の前にやってきました。神社の境内のように、石柱で囲われていました。弥治右衛門記念碑「義民弥治右衛門碑」と書かれています。昭和7年に建立されました。小泉弥治衛門(やじえもん)は、江戸時代初期の人です。守口市教育委員会が設置した説明文には、おおよそ次のように書かれています。この辺りは水はけが悪く、毎年のように農作物に被害を及ぼしていました。慶安元年(1648年)7月、藤田村の小泉弥治右衛門は、村民の苦しみを取り除こうと、幕府の許可なしに古川筋に排水樋を設け水はけをよくしました。しかし、上下流地域から苦情が出て、幕府の命令を無視したとして、翌年、樋の存続と引き換えに家族ともども処刑され、家財・田畑は没収されました。村民は、村のために犠牲になった弥治右衛門の名を後世に伝えるため、道標に名前を刻んで墓碑の代わりとしたということです。名が刻まれた道標上の写真がその道標なのでしょう。記念碑のある敷地の入口近くにありました。「俗名 故 弥治右ヱ門」と書かれています。その上には「すぐ佐田京至」(すぐに佐田、京へ至る)とあります。佐田はおそらく佐太でしょう。ここから北に行ったところ、旧京街道筋に佐太という地名があります。通常、道標というのはその文字の書かれた面に向いた状態で考えます。何も書かれていなければ「まっすぐに進んで」、右と書かれていれば「右に進んで」と考えます。上の写真は南に向いて撮ったものです。佐太は北にありますから、向きが180度違っているように思えます。動かしたんでしょうね。上の写真は、同じ道標の側面と裏面です。写真を撮ったのが夕方ですから、陰の方向が東です。それぞれ「すぐならいせ至」(すぐ奈良(街道?)、伊勢に至る)、「すぐ徳あん大坂至」(すぐに徳庵、大坂へ至る)とあります。奈良は東。徳庵(とくあん)は、JR学研都市線の徳庵ですね。南の方向になります。やはり、180度違っています。もともとはどこに立っていたのでしょうね。弥治右衛門の墓?敷地の隅に、墓のようなものがありました。伝承の地から白骨が出たそうで、昭和7年にいっしょに建てられたそうです。土地改良記念碑(戦後)戦後、10年ほどかけて土地改良を行いました。それを記念した碑も同じ敷地内にありました。「大蔵閘碑」もうひとつ、西寄りに設置された碑があります。碑文が書かれていたのでしょうが、いまではほとんど読めません。タイトルだけははっきり「大蔵閘碑」と読めます。「大蔵」というのは「大蔵新田」のことのようです。樋を設置した場所です。「閘」は「閘門」のことで、水を調節するための水門だと思います。現在では、排水樋は残っていません。埋め立てられ、遊歩道になっています。
2009年05月28日
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京阪電気鉄道の大和田駅の北西に、「弥治右衛門碑前公園」という公園があります。ちょっと変わった名前なので、気になっていました。古川を渡ったところで守口市に入ります。場所は守口市藤田町(とうだちょう)です。「弥治右衛門碑前公園」上の地図やgoogleの地図には載っていませんが、yahoo地図にはちゃんと公園名が載っています。弥治右衛門碑前公園弥治右衛門碑前公園公園に入ってみると、わりと広い場所で明るい雰囲気でした。南側にはゲートボール場もあって、ゲームに興じている人たちで賑わっていました。中央では子ども達が数人で野球をして遊んでいました。ぐるりと一回りしてみても、名前に関係ありそうなものが見つからなかったので、また公園の入口周辺を眺めてみると、ちゃんと地図がありました。周辺の地図地図の左端、現在地の上方に、弥治右衛門記念碑と書かれています。また、その先に向かって「大久保庄の道」と記されています。江戸時代初期、藤田村に小泉弥治右衛門という人がいました。義民として讃えられているその人の碑が、この先にあるようです。公園前から記念碑の方向を見る公園前からすぐそこに見えています。左の建物の向こうになにかありそうです。さっそく行ってみましょう。(続く)
2009年05月27日
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先日、京阪電気鉄道の古川橋駅にちなんで「古川橋」のご紹介をしましたが、その橋の西側に、「願得寺前」というバス停があります。「願得寺前」バス停願得寺(がんとくじ)は、このバス停の北側にあります。光明山願得寺願得寺は、浄土真宗大谷派(東本願寺派)のお寺で、もともとは、本願寺第8世・蓮如上人(れんにょしょうにん)が文明10年(1478年)に真宗布教のための道場として「古橋御坊」を建てたのが始まりと言われています。永禄年間(1558年~1570年)に、実悟僧都(じつご・そうず。「実悟」は蓮如上人の第10男の名前。「僧都」とは僧の位のひとつで、「僧正」の下)の手によって、願得寺となりました。山門と境内のクスノキ玄関・客間・書院・太鼓楼は国の登録有形文化財に、また、本堂・鐘楼・山門は府文化財に指定されています。壁に掲げられた説明山門横にあった杭山門横に、「古橋小学校発祥地」「幣原兄弟墓所」と読める杭を見つけました。裏側には「門真市教育委員会」と書いてあります。幣原兄弟の墓所なんですね。「古橋小学校」について調べてみると、明治5年(1872年)に建てられた「河内国第九区郷学分校」(1875年に「古橋小学校」に改称)、現在の「大和田小学校」のことのようです。1909年に、南に1キロ近く離れた現在地に移転したとのことです。初めは願得寺のすぐ北側にある「古川橋小学校」のことかと思ったのですが、こちらは1965年の開校だということです。
2009年05月26日
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京阪電気鉄道の大和田駅の改札を出て左に曲がると、北側の出口です。2番出口(北口)正面の道路沿いに商店が並んでいます。タクシー乗り場スロープ越しに、西方向を写したものです。タクシー専用のロータリーが見えます。その左側の高架下には、京阪系列のスーパーマーケット「フレスト」が入っています。北口正面正面の道路から撮ったのが上の写真です。平日の午後だったので、学生も多く、人通りが途切れることはありませんでした。北口スロープタクシー乗り場側にはスロープがあります。正面に「エル大和田」が見えています。
2009年05月25日
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京阪電気鉄道の大和田駅の改札口は1ヶ所だけです。改札口(改札内)改札を出ると、正面は店が並んでいます。高架下にある「エル大和田」というモールで、飲食店や雑貨店、本屋などが15店ほどあります。改札口(改札外)「エル大和田」を正面に見ながら、左右どちらに曲がっても出口があります。1番出口 右側に曲がると1番出口(南側)。バスの乗り場があります。バス乗り場広くはないですが、バスのロータリーがあります。南側階段バスロータリーから駅への階段です。
2009年05月24日
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京阪電気鉄道の大和田駅のホームから、ちょっと気になるものが見えます。ホームの向こうに、、、こどもひこうき博物館スマイルプラザという小児歯科の医院が、このビルの2階にあります。その屋上に小型飛行機が置かれています。医院の入口はすぐに分かったのですが、博物館の入口は見つけられませんでした。どうやら診察の合間に見せてもらえるということのようです。この医院の院長先生は飛行機の操縦が趣味だそうで、計器飛行のライセンスも持っているそうです。本物のジャンボジェットのタイヤも置いてあるとか。子どもたちに飛行機に触ってコックピットに乗って欲しくて、ビルの屋上に置いてしまったんですって。
2009年05月23日
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京阪電気鉄道の大和田駅は、昭和7年(1932年)10月4日開業となっています。古川橋駅と萱島駅の間に新たに造られた駅です。その後、1980年に高架複々線化が完了し、現在の駅舎になりました。高架化される前は、待避線のある島式2面4線の駅だったそうです。駅名標淀屋橋方向京都方向全体的に曲線部分に造られた駅で、とくに下り列車の戸閉めには気を使っています。車掌さんは、いったんドアを閉めた後、列車から3メートルほど離れて前方を確認してから戻って発車の合図を送っています。淀屋橋方向京都方向とくに淀屋橋側のホームの端で三脚を立てて撮影している人をときどき見かけます。線形が列車の撮影にちょうどいいようです。ただ、背景の大きなマンションがちょっと気になるときもあります。
2009年05月22日
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京阪電気鉄道・古川橋駅の東に、関西電力・古川橋変電所があります。古川橋変電所門真市の資料を調べていると、「古川橋変電所の完成(大正11年)」という記述を見つけました。1922年のことです。当時は大同電力の古川橋変電所でした。大同電力は「木曽電気興業」「大阪送電」「日本水力」が1920年に合併してできた会社です。木曽電気興業は名古屋電燈という会社が設立した特殊鋼製造会社ですが、木曽川水系に発電所を建設して電力源とし、かつ名古屋方面への電力供給も目指していました。しかしその後、京阪電気鉄道の当時の社長とともに大阪送電を設立し、関西方面への電力供給へと目標を変えたということです。京阪電気鉄道の歴史を見ると、1911年(明治44年)、大阪地区で電気供給事業開始とあります。大正期には「安威川水力電気」「和歌山水力電気」「日高川水力電気」などの会社を合併するなど、電力事業にも積極的だったことがうかがえます。京阪の歴史の中には大阪送電という名前を見つけることができませんでしたが、当時の社長が大阪送電の設立に関係している以上、大同電力の古川変電所が京阪沿線に建設されたことはうなずけます。古川橋変電所電車に乗っていてもはっきり見える変電所の巨大な鉄塔群。電磁波の影響があるのではないかと言われ、これまでに何度かマスコミに取り上げられたこともあります。電磁波測定機を持ち出して取材された記者さんもいらっしゃいます。電磁波が通常より高い値を示しているのは事実だと思います。たしかに、私たちがPCの前で浴びている電磁波より大きな値です。ただ、どれくらいの電磁波でどんな影響があるのか、いまだにはっきりしていないようです。影響があるという報告もたくさんあるし、影響はないという報告もあるそうですが、「立証されていない」ため、法律的な規制もなされていないということです。私はこの話を出すべきかどうか、少し迷っていました。なぜなら、ここに住む住民のみなさんは不安を感じながらもそこに住んでいらっしゃいます。マスコミに騒がれて、最近ようやく沈静化してきた、もうそっとしておいてほしい、というのが本音なのかもしれません。私たちの周りには多くの変電設備や送電線があり、みんな、電気の恩恵を受けているはずです。知らなかったでは済まされない気がしています。不安が解消されることを願っています。
2009年05月21日
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門真運転免許試験場は、門真市一番町23番16号です。一番町は、かつては「門真一番村」だったようです。一番公民館第二次大戦直後の東久邇宮(ひがしくにのみや)内閣が短期間で総辞職したのを受けて、1945年10月に誕生した幣原内閣。その人、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)は、この門真一番村の出身です。戦前から外交畑で活躍し、第一次大戦後のワシントン会議では全権委任を務めました。彼の国際協調路線は「幣原外交」とも称され、第二次世界大戦につながる軍部拡大路線を取った「田中外交」(田中義一)と対立していました。戦後、戦後憲法の草案に関わり、とりわけ第9条の誕生に大きな役割を果たしたとも言われています。幣原兄弟の碑と説明文幣原兄弟の碑が一番公民館の裏手(右奥)にあります。幣原兄弟の碑兄の幣原坦(「たん」または「たいら」)は東洋史学者で、東京帝大教授、台北帝大学長などを歴任し、終戦後、枢密顧問官として活躍したということです。碑の説明文によると、兄の幣原博士の研究によって、戦後、対馬が日本に帰属することになったそうです。また、現在も続く学徒援護会も幣原博士の功績によるそうです。弟の幣原喜重郎は、各国の外交官を務めた後、大正13年に加藤内閣で初めて外務大臣になり、以後、歴代内閣で通算5年以上にわたり外務大臣を務めました。戦後の昭和20年に総理大臣に任命され、「人間天皇の宣言」草稿を起案、「日本国憲法改正草案要綱」を発表したということです。衆議院議長も務め、その在任中、78歳で世を去りました。二人とも東京帝大の出身。父親が教育に熱心で、田畑を売ってでも上級学校に行かせたという話が残っています。門真市立歴史資料館では幣原喜重郎について常設展示されているそうです。碑の位置
2009年05月20日
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ごぞんじのとおり、京阪の古川橋駅は大阪府警の門真運転免許試験場の最寄駅です。人によっては、古川橋の試験場、と言ったりします。「試験場入口」交差点古川橋駅の南側を走っている国道163号に「試験場入口」という交差点があります。この交差点の南に試験場があります。英語表記では「Drivers Licens Sta. Ent.」となっていますね。細かい突っ込みで恐縮ですが、「Drivers Licens」は、正確には「Driver's License」だと思うのですが。もし省略形のつもりなら中途半端かな。分かるから、まあいいか。試験場入口交差点西側からみた試験場入口交差点の標識です。こちらの標識はちゃんと「Driver's License」になってます。門真運転免許試験場試験場正面入口写真を撮る直前、たくさんの人が出てきました。講習が終わったところだったんでしょうね。しばらく待っているうちに、またもとの静けさに戻りました。
2009年05月19日
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京阪の古川橋駅から南へ4~500メートル、国道163号の北側に、タイガー魔法瓶株式会社の本社があります。タイガー魔法瓶(株)本社上の写真は、国道163号側から撮ったものです。北門駅に近いのは北側です。先日ご紹介した交通公園や海洋堂からすぐの場所です。タイガー魔法瓶という会社は、ポットやジャー炊飯器、ホットプレートなどが専門の大手メーカーですね。門真市に本社があることはあまり知られていないかもしれません。ライバルの象印マホービン株式会社(こちらはマホービンをカタカナで表記)も大阪の会社で、本社は大阪市北区、京阪の天満橋駅から歩いて10分弱のところにあります。
2009年05月18日
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あけやん2515さんのご質問(古川橋という橋はあるのか?)にお答えします。地図を見ると、京阪の古川橋駅の京都寄り、大和田駅との間に、「古川」という川が流れています。京阪の線路と並行して走っている道に架かっている橋の名前が「古川橋」 です。距離的には大和田駅からのほうが近いので、大和田駅からの道順が示されていますが、「古川橋」の場所は、上の地図の「Goal」地点です。古川橋上の写真で、左手の高架が京阪で、奥が大和田駅の方向です。古川橋古川橋駅方向に向きを変えて撮ったのが上の写真です。午後で逆光になったため、あえて露光オーバーにしています。「昭和7年10月架設」となっています。京阪電気鉄道が開業したのが明治43年で、そのときから古川橋の駅名は存在しました。ですから、いま架かっている橋から名前をとったわけではないでしょうが、それ以前からこの地に「古川橋」があった可能性はあります。淀川水系・古川古川橋の名前はもちろん、古川に架かる橋だから。門真市のほぼ真ん中を流れる古川は、淀川水系なので国の管理する一級河川です。淀川水系なのですが、北西を流れる淀川本流には向かわず、南に下っていきます。鶴見緑地の東付近で中央環状線とクロスして、JR学研都市線の徳庵(とくあん)駅近くで寝屋川に合流し、寝屋川として、京阪・天満橋駅近く(先日ご紹介した「京橋」のある付近)で大川(おおかわ、旧・淀川)に合流しています。
2009年05月17日
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京阪の古川橋駅の南側ロータリーから、南へ向けて歩いてみます。 ダイエー古川橋駅前店駅ロータリーに隣接しているのが、ダイエーの古川橋駅前店です。千林がダイエー発祥の地ということもあって、京阪沿線にもダイエー系列の店が多くあります。古川橋駅の北側にも、同じダイエーの「古川橋店」があります。もともとは同じダイエー系列の「トポス」だった店です。サン・ジョゼ広場ダイエー古川橋駅前店の東、道を挟んだ向かい側には、「サン・ジョゼ広場」があります。門真市は、ブラジルのサンパウロ州サン・ジョゼ・ドス・カンポスと姉妹都市です。姉妹都市提携を結んだのは1973年で、それを記念して、「サン・ジョゼ広場」と名付けられました。広場の入口には1984年の日付で、当時の市長のメッセージ板が設置されています。ルミエールホールサン・ジョゼ広場のすぐ南には、ルミエールホール(門真市立文化会館)があります。ルミエールとはフランス語で「光」のこと。年末に神戸で開催される「ルミナリエ」と語源が近いようです。設計を担当した「石本建築事務所」のホームページによると、「区画整理事業で整備された新しい町並みにふさわしい、フレッシュで高品位な施設となるよう、門真で有名な蓮根畑をテーマとし、曲面を用いて優しいシルエットを出している。」ということだそうです。蓮根畑ですか、、、よくわかりません。
2009年05月16日
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京阪の古川橋駅の玄関です。 南側入口駅の中には「コア古川橋」というショッピングモールがあります。南側ロータリーバスやタクシーの乗り場もあります。この日はGW連休の前半でした。学校はあるけどお父さんはお休み、というパターンでしょうか。夕方近くにはお迎えの自家用車が頻繁に出入りしていました。記念碑?南側ロータリーの駅寄りの一画に、「古川橋」と書かれた記念碑らしきものがあります。「門真一帯は古代から沼地の多い低湿地で、古川は排水路の役目を果し、江戸時代には大坂市中と結ぶ舟便の交通幹線でした。かっては、古川筋で蓮根栽培も盛んで川舟で出荷されました。もとの古川橋あたりは京、大坂への道と清滝街道が交わる交通の要所で、料亭などの店が軒を並べ賑わいました。明治43年、京阪電車の開通で舟便も姿を消しました。」 と書かれています。「街角の再発見」「街角の再発見」と、「昭和63年8月」「管理者 門真市」「フジサンケイグループ」「寄贈 幸福産業株式会社」の文字が見えます。大阪府内には同様の記念碑のようなものが他にもある、という情報もあります。詳細は不明ですが、そのような番組があったのかもしれませんね。北側入口上の写真は北側の入口です。1階コンコースは自由に通り抜けできます。コンコースは人通りが多く混雑しているのですが、その間を縫うように自転車が通り過ぎていきます。大阪ならどこでも見られる光景かもしれませんが、やっぱり危険ですよね。ところで、上の写真、信号機が消えたように見えますね。黄色の点滅信号というわけではありません。信号機は交流電流で光っていますので、60Hzならオンとオフを1秒間に120回繰り返しています。最近よくみられるLEDの信号機の場合、オフの間はほとんど光を出しません。ちょうどシャッターが信号機のオフのタイミングと同期したようです。
2009年05月15日
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京阪の古川橋駅の改札口は、1ヶ所です。3階がホームで、改札は2階にあります。 改札口(内側)改札口(外側)改札への階段1階のコンコースから改札に続く階段です。左がエスカレータです。京阪の駅を紹介してきましたけど、どこの駅も色調や雰囲気が似ていて、写真を見ても分からなくなってきました。京阪カルトのクイズでもできそうですね(笑)。
2009年05月14日
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各駅停車&途中下車の旅は続きます。今度は古川橋駅へとやってきました。駅名標古川橋駅は京阪が開業した明治43年(1910年)4月15日から存在した駅で、昭和55年(1980年)には高架複々線化され、現在に至ります。ホーム門真運転免許試験場の最寄駅で、免許証の更新のために利用したことのある人も多いと思います。以前は車内放送で「古川橋、自動車試験場前です」というアナウンスをしていた記憶がありますが、最近は京阪バスの乗り換えを案内しています。平坦な道ですし、歩いても20分ほどでしょう。「門真」という名前で門真市駅で降りてしまう人がいるからでしょうね、門真市駅の階段などには、試験場の最寄駅は古川橋駅である旨の張り紙が掲示されています。
2009年05月13日
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門真の柳町公園を出てすぐ、南側に異様な光景を発見。屋上に注目!あいにく恐竜には詳しくないのですが、どうみても恐竜の頭ですね。「ティラノザウルス」と「トリケラトプス」だそうです。(違っていたらご指摘ください)ここは「海洋堂」という会社の本社所在地。「チョコエッグ」を覚えていますか? フルタ製菓のチョコ菓子で、中から食玩が出てくる、あれです。あれだけのブームを作ったのが、精巧にできた恐竜や動物のフィギュア。そのフィギュアを作ったのが海洋堂です。海洋堂の社屋チョコエッグのブームはすごかったです。大人買いという言葉もこのころに流行ったのではないでしょうか。シークレットアイテムなんてのがありましたね。海洋堂はもともと、町のプラモデル屋さんだったそうです。
2009年05月12日
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歴史資料館から東に出て、最初の信号を南に向かうと、そこに門真警察署があります。門真警察署ここまで来ると、京阪の門真市駅よりも、古川橋駅のほうが近いかもしれません。門真警察署に隣接して、「柳町公園」があります。柳町公園通称、交通公園警察署だからでしょうか、道路標識がいたるところに立っていて、これで交通ルールを勉強しましょう、という趣旨なのかな?遊んでいる子どもたちは、そんな交通ルールとは関係なく、無邪気に遊んでいました。警察署の横にあるというだけでも、ちょっと安心感のある公園です。SLを模した遊具絶対に鳴ることのない踏切の警報機です。踏切の標識もちゃんと(?)SLが描かれていますね。それにしても、街中にあふれる道路標識を象徴するような公園です(笑)。標識の数々たしかに一方通行で進入禁止で左折のみ、駐車禁止で、裏向きの標識は一旦停止なんでしょうね。つじつまが合わないところがあったら指摘しようと思って眺めてましたけど、矛盾点はないようです。交差点にS字カーブ右奥には、S字カーブも見えています。外周道路?これはやはり、自動車試験場か自動車教習所のミニチュア版ですかね。
2009年05月11日
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京阪の門真市駅の周辺を歩き回っていますが、立体交差のためのもの以外、ほとんど坂道というものがありません。平坦というのは交通にとってはありがたいことですが、もともと低湿地帯だったということですから、昔から洪水との闘いだったことは想像がつきます。門真市のホームページにはハザードマップが載っていますので、関心がある方はぜひごらんください。門真市のホームページ: http://www.city.kadoma.osaka.jp/index.htmlハザードに関するページ: http://www.city.kadoma.osaka.jp/kinkyu/hazard.html洪水ハザードマップ: http://www.city.kadoma.osaka.jp/kinkyu/pdf/kouzui.pdf洪水ハザードマップでは、ほぼ中央環状線・近畿自動車道に沿う形で土地の高さが示されています。これを見ると(デフォルメされているとは思いますが)、淀川の水面が異常なくらい高いことがわかります。またこの洪水ハザードマップには「浸水想定区域図」が掲載されています。「最悪」のケース(2日間の総雨量が500ミリ。これは昭和28年の洪水時の2倍に相当)で、門真市や守口市の市内全域が浸水してしまう危険性があるということです。また、近年の浸水被害の実態も載っています。平成9年には市内各所で発生したようですし、平成11年、15年にも被害が出ています。近年では、道路のアスファルト化によって地面の保水力が低下したため、降った雨が水路や下水道で排水しきれずに起こる「内水氾濫」が多く発生しているようです。これからやがて季節は梅雨の時期へと移っていきます。いずれ台風シーズンもやってきます。みなさんの地域のハザードマップを、いま一度確認されてはいかがでしょうか。
2009年05月10日
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門真市役所の前の信号を渡って、京阪の線路の下を通って南へと向かいました。門真小学校の東側を通り過ぎた辺りで道は左にカーブしており、その先に門真市立歴史資料館があります。市立歴史資料館収蔵庫この歴史資料館では、歴史文化に直接ふれられるよう、門真市域での歴史や考古学、民俗学的な資料を展示しています。入口右奥にあるのは収蔵庫ですが、これは「段蔵(あるいは段倉)」を模したものだと聞きました。高い床は、水害への備えです。この地が水害に苦しんできたことを示しています。そもそも段蔵とは、水害のときに荷物を高いところに避難移動できるように、建物の基礎部分を階段状にしたものです。生活の知恵なんでしょうね。田舟何の説明も掲示されていないのですが、おそらくこれは、「田舟」と呼ばれる農耕用の舟だと思います。「水郷の里」というと、霞ヶ浦とか茨城県の潮来(いたこ)、琵琶湖の近江八幡(おうみはちまん)などを思い浮かべますが、近年までは門真の周辺も低湿地特有の水郷の風景が残っていました。河内水郷などとも呼ばれています。門真の特産物としてレンコンがありますが、これも水郷地帯ならではです。そのような水郷地帯に欠かせないのが田舟。農機具などを入れて通っていたのでしょう。野ざらしのポスト敷地内で発見。昔懐かしいポストですが、野ざらし状態ですね。もっときれいにして、門の横に置けば、現役のポストとして価値が上がりそうなものですが。入口こちらが入口です。入場は無料。休館日は月曜日と祝日、年末年始です。
2009年05月09日
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門真市役所は、京阪の線路の北側、門真市駅と古川橋駅の中間辺りにあります。門真市役所門真市は、隣の守口市とのつながりが強く、地元の商工会議所は「守口門真商工会議所」ですし、消防も「守口市門真市消防組合」で共同体制です。2005年4月には合併して「守口門真市」になる寸前までいったのですが、2004年に行われた住民投票の結果、守口市では87%が反対票だったため合併は白紙に戻ったそうです(ちなみに門真市での住民投票は投票率が少なく成立しなかった)。住民アンケートでは「なみはや市」が一位だったそうですが、「なみはや」は大阪中心部の「浪速」に由来する言葉で関連性が薄いからという理由で却下されたとか。「なみはやドーム」(大阪府立門真スポーツセンター)は門真市にありますし、個人的には「なみはや市」でもよかったんではないのかな?と思います。もし「なみはや市」で住民投票していたら、結果は違っていたかな?花のポット市役所の駐車場に沿って、花のポットが飾られていました。花がきれいな季節ですね。歩道を歩いていても目がなごみます。
2009年05月08日
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京阪の門真市駅、今度は南側の風景です。南側にはロータリーがあり、タクシー乗り場もあります。駅舎南側上の写真は、南側のロータリーから見た駅舎です。中央部分にはエスカレータが設置されています。エスカレータを上がって右手に曲がれば京阪、左手の通路を行けば大阪モノレールの駅です。通路の下は駐輪場になっています。隣接する商業施設駅に隣接して、イズミヤなどの商業施設があります。門真市立図書館図書館外観商業施設の東側には、門真市立の図書館があります。以前はその市に住んでいるか通勤通学しているかでないと本を借りることができなかったのですが、最近は近隣の自治体の図書館でも貸し出してもらえるようになりました。門真市の場合、「交野市・枚方市・寝屋川市・四條畷市・大東市・門真市・守口市」(いわゆる北河内地域)の協定や、大阪市近郊の「大阪市と門真市・大東市・東大阪市・松原市・堺市」の協定も利用でき、それぞれの市立図書館で手続きすれば貸し出しできます。
2009年05月07日
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京阪の門真市駅の北口を出たところで、きれいな花を見つけました。アドプト・ロード・プログラム「アドプト・ロード・プログラム」とは、道路を管理する大阪府と市町村、そして地元の住民団体や企業などが連携し、「市民グループや企業等に、道路の一定区間の清掃や緑化活動などを、継続的に行ってもらう」プログラムです。大阪府のホームページには、府下36ヶ所が紹介されていました。この場所は「アドプト・ロード・まつば」と名付けられ、地元「松葉町自治会」によって手入れされています。ちなみに「アドプト」とは「adopt」という英語で、「採択する、取り入れる」「養子にする、養い親になる」などの意味があります。さらに転じて「(浜辺や道路の)清掃奉仕を引き受ける」という意味もあるようです。地域で育てていこうという趣旨ですね。バラの花きれいに咲いていたバラの花。育ててくれた地元の方に感謝です。
2009年05月06日
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京阪の門真市駅の改札から、今度は北側に出てみました。通路北側上の写真は自由通路の北側から改札を見たところです。通路の中央に仕切りがありますね。私の推測ですが、これは自転車対策だろうと思います。北口と南口にある階段には1ヶ所ずつ自転車用のスロープがあって、上の写真でいうと右側を通るようになっています。京阪やモノレールの改札口も、南口や北口に設置されたエスカレータやエレベータも、自転車の通路とは反対側にあり、動線を分けているようです。モノレール駅舎(右側)上の写真は通路の北の端から南側を撮ったものです。下には淀屋橋方面のホームが見えています。右に見えるのがモノレールのレール部分と駅ホーム。写真の左側が京阪の駅舎と通路で、ホームの向こう側でモノレールの駅舎とつながっています。大阪モノレール同じ場所で線路を背にして、北に向いて撮ったのが上の写真。右側はパナソニックの敷地です。正面に見える高い建物は、地下鉄谷町線の終点(モノレールとの接続駅)である大日(だいにち)駅近くにある高層マンションです。北側から見た駅舎上の写真は北側から見た駅舎です。階段の中央は、自転車を押して登るためのスロープです。とはいえ、傾斜はかなりありますので、自転車を押して上がるのはかなりの重労働です。
2009年05月05日
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京阪の門真市駅は橋上駅です。 改札口(内側)ずいぶん天井が高いですね。ホームの上に駅舎や道路が覆いかぶさるようにして暗いイメージがあるのですが、上の駅舎のほうはずいぶんと明るく感じます。改札口(外側)改札を出ると自由通路で、線路の南北どちらにでも出ることができます。南側通路改札を出て左に曲がると、地上に降りることなく大阪モノレールの門真市駅とつながっています。 上の写真は、途中で振り返って撮ったものです。中央の奥、右側に改札があります。写真左手に行くとモノレールの駅です。モノレール・門真市駅大阪モノレールは、営業距離世界一のモノレールとしてギネスブックにも乗っているそうです。
2009年05月04日
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京阪・門真市駅です。駅名標昭和46年(1971年)6月20日、「新門真駅」として現在の場所に開業しました。ここから西に500メートルの位置には、「門真駅」がありました。昭和50年(1975年)3月23日、新門真駅は名称を「門真市駅」に変更。同時に、門真駅は廃止され、旧・門真駅から西200メートルのところに「西三荘駅」ができ、現在に至っています。ホーム(淀屋橋方向)中央環状線との交差京阪の複々線区間はほとんどが高架もしくは盛り土ですが、門真市駅付近だけは立体交差のために地上を走っています。上の写真は淀屋橋方向(西向き)を撮ったものです。ホームの西半分は上を覆われている状態です。手前から順に、駅舎(橋上駅)、大阪モノレール、大阪中央環状線(府道2号線)南行き(3車線)、近畿自動車道(上下各2車線)、大阪中央環状線北行き(3車線)です。立体交差上の写真は、京阪の線路を背にして、北向きに撮ったものです。右上空がモノレール、線路を跨ぐために上っている道路が中央環状線(南行き)、青いラインが入っている道路が近畿自動車道です。平成9年(1997年) 8月22日、モノレールが南進して門真市駅まで延長され、大阪空港(伊丹空港)までが1本につながって、たいへん便利になりました。
2009年05月03日
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京阪の西三荘駅から南へ500メートルほど歩くと、交差点の南側になにやら公園らしきものが見えてきます。西三荘ゆとり道「西三荘ゆとり道」と名付けられた遊歩道は、ここから南へ1.85キロメートル、守口市内を通って花博記念公園まで続いています。花博記念公園(鶴見緑地)というと、大阪市鶴見区だと思いがちですが、鶴見緑地の西側半分ほどは守口市域です。案内板全体は5つのゾーンに分かれていて、順に「花のゾーン」「水のゾーン」「フィットネスゾーン」「文化・教養のゾーン」「緑と空間のゾーン」と名付けられています。花のゾーンちょっと興味をそそられましたが、この日は入口を散歩するだけにしました。もう1ヶ所、ここから一筋西側にちょっと気になる建物がありましたので、行ってみました。守口市現代南画美術館南画(なんが)というのは、もともとは中国の水墨画の流派のひとつ「南宗画(なんそうが)」の影響を受けて日本で発展していった手法だということです。休館を告げる張り紙平成8年にオープンと聞いていたのですが、行ってみてびっくり。4月1日から休館なんですって。
2009年05月02日
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西三荘駅を後にして、南の方角へ歩いてみました。100メートルほど歩いたところで、歩道に設けられた道標を発見。道標「時空の道」三郷街道の三郷とは、守口市の一部である旧・三郷村(守口市と合併したときには三郷町)のことでしょう。堤の道というのが気になりましたが、どこまで続くのか分からないので、今回はパス。道標の裏側「旧大枝村」と書かれています。矢印の方角は西。守口市駅の南側一帯、大枝と付く町名があります。さらに南へと歩いて行くと、いままさに建て替え中という「南詢寺」というお寺がありました。その先の交差点を右に曲がると、「天乃神社」があります。天乃神社天乃神社の入口に掲げられていた説明によると、奈良時代から遅くとも鎌倉時代には創建されていたようです。1348年、四条畷の戦いの戦火で焼失したということです。四条畷の戦いは、南北朝時代、南朝方の楠正行(楠正成の子)と高師直(足利尊氏の腹心)との戦で、神社の説明によるとここに本陣が置かれたということです。ただ、四条畷はここから6キロほど東ですので、地理的感覚がつかめません。けっきょく四条畷の戦いで南朝方が破れ、高師直はそのまま吉野まで攻め入って、南朝はしばらく衰退することになります。天乃神社祭神はスサノオノミコト、誉田別尊(ほんだわけのみこと)、そして菅原道真公です。1670年に再建されたということです。
2009年05月01日
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