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京阪の寝屋川市駅の周辺には、ベル大利以外にもいくつかの商店街が集まっています。寝屋川一番街ベル大利商店街の向かい側、京阪の高架線を挟んで東側には、寝屋川一番街という商店街があります。上の写真のほか、東側ロータリー近くにも入口があります。同上上の写真は、寝屋川一番街の中から入口付近を見たところです。すぐ前に京阪の高架線が見えています。その先にベル大利の入口があります。都通り商店街ベル大利を西側に抜けた辺り、ここから南に向けて続く道沿いに都通り商店街があります。ベル大利・北側入口ベル大利商店街は、西から北に向きを変えて続いています。つまりL字型をしています。上の写真は北側の入口付近です。神社通商店街道を挟んで、ベル大利からさらに北へと続いているのが神社通商店街です。神社通の名前どおり、写真の奥に行くと大利神社があります(次回、ご紹介します)。「NOWA大利」NOWA大利は、神社通商店街の東側にある商店街です。寝屋川市駅の北西に位置しています。正式(?)にはトップ通商店街というそうです。
2009年07月31日
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京阪の寝屋川市駅の周辺には、多くの商店が立ち並んでいます。駅前にはアドバンス1号館、2号館という商業施設があり、核テナントとして「イズミヤ」や食品スーパーの「ラッキー」、金融機関、ファーストフード、娯楽施設などが入っています。その周辺には商店街が並んでいます。ベル大利駅の西側、寝屋川を渡ったところに、「ベル大利商店街」があります。中に入ると、アーケードの下にところどころ、ベル型の大きな時計がつり下げられていました。ベルの形の照明 手前の橋の欄干にもベルの形をした照明設備があります。まさに「ベル」がこの商店街のシンボルになっているようです。商店街(右)とベル(左手前)寝屋川市駅の西側ロータリーの南端に、ベルのモニュメントがあります。The Bell of Friendshipこのモニュメントには、「NEYAGAWA・NEWPOTRNEWS」 「SISTER CITY」と書かれています。足元の説明書きには「THE BELL OF FRIENDSHIP」とあります。このベルは寝屋川市と姉妹都市にあるニューポートニューズ市(米国バージニア州)で製造され、船舶用として長年使われていたもので、寝屋川市の市制施行35周年を記念して、ニューポートニューズの市民からベル大利に贈られたものだということです。
2009年07月30日
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以前、京阪の古川橋駅前にある「記念碑」をご紹介しましたが、同様の碑が寝屋川市駅前にもありました。記念碑「寝屋川の舟運」「街角の再発見」古川橋駅前のときと同じく、フジサンケイグループが寄贈したことになっています。この碑によると、「寝屋川」の名前は、古代に生駒山麓に広がる牧場人の「寝屋」が起こりと言われているそうです。たしかに、寝屋川市の東部、交野市の近くに「寝屋」という地名があります。いまでこそ、コンクリートで囲まれた味気ない川になっていますが、江戸時代には舟の交通が盛んだったのでしょう。「♪ 野崎参りは~ 屋形船で参ろう 」 と唄われたほどで、江戸時代には、大坂の天満橋から「野崎観音」(現在の学研都市線・野崎駅近く)まで、寝屋川を屋形船が通っていたようです。明治31年にJR学研都市線(当時は「関西鉄道」)、明治43年に京阪電気鉄道が開通し、さらに国道が走るようになり、陸上交通の発達とともに舟運は姿を消していきました。
2009年07月29日
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京阪の寝屋川市駅のすぐ西側を、寝屋川が流れています。寝屋川は寝屋川市の中央を流れ、大東市や大阪市鶴見区・城東区などを通って、天満橋付近で大川(旧淀川)に流れ込む、淀川水系の一級河川です。流域の急激な開発のため水害に悩まされ、治水工事を最優先としてきたがゆえに、寝屋川は「コンクリートと矢板、フェンスで囲まれた川」になってしまいました。しかもかつては水質全国ワースト1と言われたこともあります。寝屋川せせらぎ公園同上平成13年(2001年)、市制50周年を期に、市のシンボルにふさわしい川にしようと、市民協働による川の再生を図ることになりました。その第一弾として生まれたのが、寝屋川市駅西側の「寝屋川せせらぎ公園」です。説明板この親水施設のコンセプトは「人にも生き物にもやさしい空間の創出」です。計画段階から市民がワークショップ委員などとして参加し、行政と意見交換しながら整備していったものです。寝屋川と寝屋川市駅風力発電施設寝屋川市駅の目の前に風力発電施設があります。説明板によると、「発生する電気を利用して、川の水をくみ上げ、水質浄化装置の木炭で浄化」しているそうです。
2009年07月28日
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京阪の寝屋川市駅は、1997年の上り線に続き、1999年11月20日には下り線も高架化されました。その後さらに駅前が整備され、東西2ヶ所の駅前ロータリーもずいぶん立派になっています。西側ロータリー(タクシー)上の写真は、西側ロータリーの北寄りにあるタクシー乗り場周辺です。西側道路かつては西側の道路は狭く、バスの出入りにも苦労をしていたようですが、いまではきれいに整備され、ずいぶん通りやすくなりました。西側バス乗り場西側の南寄りに、バス乗り場があります。屋根が設置され、雨の日でも濡れずに乗り換えることができます。東側ロータリー上の写真は東側のロータリーです。こちらは「ロータリー」と呼ぶにふさわしい規模で、バスやタクシーが並んでいます。自家用車を停めるスペースはほとんどないと思うのですが、ひっきりなしに自家用車も入ってきます。同上同上同上上の3枚の写真は、道路を跨ぐ歩行者用通路から撮ったものです。
2009年07月27日
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今度は、京阪・寝屋川市駅の南改札口です。南改札口(内側)北の改札口と比べると、間口はほぼ同じですが、設置されている改札機は南改札口のほうが多いようです。南改札口(駅ナカ)上の写真の左寄りの通路をまっすぐに行くと、北改札口につながっています。南改札口(外側)南改札東側(2階デッキ)南改札口の東側は、歩行者デッキにつながっています。南改札西側出口同上西側は、階段を下りて地上に出ます。別の西側出口それとは別に、南改札口を出ていったん半地下まで下りてから地上に上がってくる出口があります。ここは、寝屋川市駅が高架化される前、東西の通り抜けのために造られた歩行者用通路の名残りです。
2009年07月26日
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京阪の寝屋川市駅には、改札口が2ヶ所あります。北口改札口(内側)まずは北口です。寝屋川市役所へは、こちらが便利です。北側改札口(外側)上の写真は、改札口の外側から内側を見たところです。改札内には、「ジューサーバー」や「マクドナルド」が見えています。新しい駅だけあって、駅ナカもしっかりしています。北口改札・西出口北口改札を出て地上に降りると東西に出口があります。上の写真は西側で、こじんまりとしています。西側タクシー乗り場北口改札の西側出口付近には、タクシー乗り場があります(東口にもあります)。北口改札・東出口東側の出口です。いずれにしても、このエスカレータを使うことになります。もうひとつ、写真はありませんが、北口改札を出て直進すると、府道の上を越える通路があります。高架沿いにいくつか店もありますので、ぶらりと歩くにはいいかもしれません。<追伸>北口改札からの通路(2階)と出口写真、撮ってきました。写真奥が府道で、3階に下りホーム、2階部分は府道を跨ぐ通路です。K階段出口の階段には「K階段」と書かれています。東西両側に出ることができます。
2009年07月25日
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今日は、京阪の寝屋川市駅です。昭和43年(1910年)4月15日、京阪電気鉄道が天満橋~五条(現清水五条)駅間を開通させたと同時に、「寝屋川駅」として開業しました。昭和26年(1951年)5月に北河内郡寝屋川町が市制施行で寝屋川市になったのを受けて、同年8月20日、「寝屋川市駅」となりました。もともと地上線だったうえに、駅の北側を府道が横切り、ラッシュ時間帯は開かずの踏切として有名でした。1990年に高架化工事が始まり、1997年に上り線が、ついで1999年に下り線がそれぞれ高架化されました。話が逸れますが、私は「Train Simulator PLUS」の京阪電気鉄道版を持っています。これは京阪の上り線を使って、寝屋川市駅の下り線がまだ工事中のときに撮影されたもので、下り線にはまだ線路が敷設されていない、今となっては貴重な映像です。駅名標時刻表の上に、小ぶりな駅名標。京阪の他の駅で見られるようなオーソドックスな駅名標を見つけることができませんでした。駅ホーム上の写真は、手前が京都方面のホーム、向かい側が大阪(淀屋橋、中之島)方面のホームです。寝屋川市駅のホームは対面式で2面2線です。快速急行以下が停まるので、ラッシュ時間帯にはひっきりなしに列車が入ってきます。とくに大阪方面に向かう下り列車は、この駅がネックになってこれ以上増発できないように思います。せめて下り線だけでも待避線があれば、2つのホームを使った交互発着で乗り降りの時間が稼げるのですが。上の写真は、ホームの京都寄りから大阪方面に向けて撮ったものです。屋根が高いので、かなり解放感があります。京都方向大阪方向大阪方向へは、大きく左にカーブしています。この先もう少し行くと、上下線の間隔が開いて、寝屋川車庫へ降りていく線路が分岐しています。うどん そば「麺座」下りホームにあるうどん・そばの店。カウンターに高めの椅子。あまり広くはありません。窓際の席からは、駅前の様子がよく見えます。
2009年07月24日
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二十箇(にじゅうか)用水路が友呂岐水路に合流する地点にやってきました。二十箇水路(奥)付近の地図もともとは「友呂岐悪水路」と「二十箇用水路」が並行して別々に流れていたのですが、それを一つにしたのが「友呂岐水路」です。そして跡地が友呂岐緑地になりました。この場所で二十箇用水路が合流しているということはつまり、かつて水路が2本並行していたのはここから下流部分と考えられます。実際、友呂岐緑地もこの辺りで終わりです。まだここから先、寝屋川浄化ポンプ場へと続く道がありますが、かなり狭くなっていきます。桜木町の起点起点の北側の通路起点を過ぎると、寝屋川浄化ポンプ場までは狭い通路だけです。上の写真は来た道を振り返って撮ったものです。ときどき自転車が通りますが、すれ違うのもやっとです。北端の入口ここで完全に終わりです。上の写真の左側に寝屋川浄化ポンプ場があります。寝屋川浄化ポンプ場
2009年07月23日
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終点まであと400mずいぶん歩いてきました。萱島駅近くの始点から2.8キロメートル。終点まで400メートルの地点です。散歩中の猫おや、猫と出会いました。そういえば、散歩に連れられた犬は何度か見かけましたが、猫は初めてです。この周囲には猫の縄張りがあるのでしょうか。こちらを気にしながら、それでも威厳を保ったまま、歩いて行ってしまいました。しばらくして、住宅地の近くでまた別の猫に出会いました。こちらは首輪をしていました。ずいぶん人に慣れた様子でした。
2009年07月22日
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京阪・寝屋川市駅の「ベル大利商店街」近くに駐輪場があります。友呂岐水路の上に造られた施設です。駐輪場駐輪場と水路寝屋川市駅を過ぎて、さらに北へと歩いて行くと、また公園が見えてきました。もしもし公園電話の受話器の形をした遊具?が置かれています。ここに腰かけるのかな?こちらにもピンクの受話器が両方の受話器にはそれぞれ、耳に当たる部分に穴が開いています。向こうの受話器とつながっていて会話ができそうな感じなんですけど、一人では確かめようがありません。
2009年07月21日
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京阪の寝屋川市駅の西側にある「ベル大利商店街」の辺りまでやってきました。商店街横の石碑商店街から横に入った道の脇に、石碑が立っていました。右側に小さく「友呂岐悪水路」と、真ん中に大きく「悪水井路」と書かれています。「路」の下にまだなにか文字がありそうです。「址(あと)」かな??「悪水」は排水のこと。「井路」は用水路のこと。実はこの石碑の右手の建物は、友呂岐水路の上に建っています。商店街を歩いていると水路には気付かないかもしれません。ベル大利商店街にほど近い場所に、何やら舟のようなものが置かれています。三枚板舟説明板これは、現存する「三枚板舟(さんまいだぶね)」を参考に製作したレプリカで、実物よりは一回り小さいそうです。これまでにも何度か話題にしましたが、こんな舟が交通手段として使われていたんですね。この舟を三枚板と呼ぶのは、船底を昔は三枚の板で張っていたためと言われています。
2009年07月20日
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友呂岐(ともろぎ)緑地の散策も、ちょうど半ばごろです。たこ公園を過ぎた辺りに、友呂岐緑地の地図がありました。友呂岐緑地の地図萱島駅近くの起点には「3200メートル」と書かれていましたが、ここの説明では、友呂岐緑地は全長約2.8キロ、面積は約4.5ヘクタールとなっています。寝屋川市内をほぼ南北につらぬく緑地で、昭和49年に市民のやすらぎと憩いの場として生まれ変わったということです。緑地内には、サクラ、クス、サツキ、ツツジ、ユキヤナギなどが植樹されています。アスレチックコース?たこ公園の北には、「健康・アスレチック器具」が置かれたスペースがありました。何種類か並んでいましたが、試してみようかと思ったのですが、ベンチで腰かけてる人が見ている前では、ちょっと勇気がいります。イラスト入りフェンスうぐいす水路のフェンスにはイラストが入っていて、アクセントがついていい感じでした。日差しを遮る木陰が涼しげです。
2009年07月19日
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神田中央公園友呂岐緑地近くに、神田中央公園があります。この公園の中に、神田の囲い堤防の説明板があります。囲い堤防の説明板寝屋川の西側に位置する神田地区は、古川との間に挟まれて、かつては囲い堤防がありました。しかし、囲い堤防の中でも西側が東側より土地が高かったため、東側一帯は大雨ごとに水没し、西側は農業用水の確保に苦労していたといいます。明治40年(1907年)から43年(1910年)にかけて、囲い堤防内の高低差をなくすための耕地整理事業が行われました。さらに歩いていると、寝屋川市清水町の辺りで、ちょっと変わった風景に出合いました。たこの滑り台「たこ公園」なんでたこやねん? ということはさておいて、緑の多い一帯に大きな赤いたこは目立ちます。航空写真でも赤く目立ってますよ。「たこ公園」
2009年07月18日
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寝屋川に沿って続いている友呂岐緑地ですが、ところどころで道路と交差します。 友呂岐緑地交差する道路に面して、上の写真のような入口があったりします。ここの入口には鉢かづき姫の案内板が設置してありました。友呂岐緑地と水路友呂岐水路に沿って、友呂岐緑地が整備されています。木陰があって歩きやすい遊歩道です。春には桜の花が満開になるのでしょうね。排水設備上の写真のような設備を、緑地の遊歩道のあちらこちらで見かけました。
2009年07月17日
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京阪の萱島駅の下を寝屋川が流れています。寝屋川(寝屋川車庫付近)この寝屋川をさかのぼっていくと、京阪本線に沿うようにして、寝屋川車庫、寝屋川市駅前を通って寝屋川市桜木町付近に達します。寝屋川に並ぶようにして、「友呂岐(ともろぎ)水路」と、「友呂岐緑地」があります。友呂岐緑地は、寝屋川市の下神田町(萱島駅の北側)から桜木町(寝屋川市駅と香里園駅の間)まで、全長3200メートルにわたって続く緑地です。今回、いっきに歩いてきましたので、これから数回にわけてご紹介したいと思います。 友呂岐緑地の説明板上の写真は萱島駅近くの起点にある説明板です。これによると、寝屋川に沿って、かつては川の西側には2本の水路があったということです。1つは「二十箇用水路」、もう1つは「友呂岐悪水路」です。悪水路とは排水路のことです。昔の風景上の写真を良く見ると、左側(二十箇用水路)のほうが、右側(友呂岐悪水路)よりも水面が高いことが分かると思います。寝屋川は付近の土地より高い「天井川」であるため、たまった水をそのまま寝屋川に放流することができず、排水路で下流まで運ぶ必要がありました。一方、下流では取水しやすい上流からの水を引いて利用していました。昭和45年(1970年)、これらの水路は1つにまとめられ、「友呂岐水路」となりました。もう一方は埋め立てられ、「友呂岐緑地」となったということです。下神田町の起点ではこれから、桜木町に向けて出発です。水路に咲く花水路の周辺には、いろいろな花が咲いています。木が茂って、心地よい風が流れていました。
2009年07月16日
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京阪の萱島駅と寝屋川市駅の間には、寝屋川車庫があります。寝屋川車両工場が併設されています。寝屋川車庫下り線(淀屋橋方向)に乗っていると、高架線の東側に広がる車庫の全容がよく見えます。上の写真、車両の列の奥に見えるのが車両工場です。寝屋川と京阪本線高架線を挟んで、車庫の西側を寝屋川が流れています。西側から見た車庫近くに見えるのですが、撮影するには、かなり柱が邪魔ですね。毎年11月ごろ、京阪グループの感謝祭という位置づけで、車庫が一般公開されていましたが、昨年は中之島線の開業時期と重なったこともあり、一般公開はありませんでした。もう公開はなくなるのでしょうか?昔、ひらかたパークのジェットコースターの点検も寝屋川工場でやっていると聞いたことがあるのですけど、ごぞんじでした?
2009年07月15日
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京阪の萱島駅から北へ1.3キロほどのところに、神田(かみだ)天満宮という神社があります。神田天満宮境内の臥牛像拝殿境内のクスノキ「千年楠(クスノキ)」萱島駅(萱島神社)、島頭天満宮など、立派なクスノキを見てきましたが、この神社のクスノキは推定樹齢千年を超えると言われています。大阪府の天然記念物に指定されています。昔、楠木正成(くすのき・まさしげ)が出陣のとき、このクスノキの下に陣を張ったという伝承が残っているそうです。かなり衰弱した時期があり、蘇生術のあとが痛々しいですが、風格のある立派な木でした。
2009年07月14日
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南寝屋川公園の東口から、今度は北に向かって歩きました。第二京阪道路建設現場ほどなく、第二京阪道路の建設現場の下をくぐりました。辺りの景色は一変してしまった感があります。第七中学校工事現場のすぐ近く寝屋川市立の第七中学校は、第二京阪道路の工事現場のすぐ北側にあります。校庭の門の横に、鉢かづき姫が待っています。寝屋川村役場跡この説明板によると、ここに旧寝屋川村の役場跡があったそうです。明治22年(1889年)4月1日、町村制が施行され、木田村、萱島流作新田、堀溝村、河北村が合併して寝屋川村が誕生しました。当時の人口は2320人という記録が残っているそうです。昭和18年(1943年)4月1日に、九箇荘町、友呂岐村、豊野村と合併して寝屋川町に、昭和26年(1951年)には市制を施行して寝屋川市になりました。昭和36年(1961年)には水本村を編入し、現在の市域となりました。説明板
2009年07月13日
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京阪の萱島駅から東へ、からくる親水公園の前を通過して進んでいくと、府道21号・八尾枚方線の「萱島東」交差点に出ます。この交差点のさらに東側、入口がわかりにくいのですが、「南寝屋川公園」があります。いまは「第二京阪道路」の建設中で、いっそう入口がわかりにくくなっています。南西角の案内板迷わずに行けば、上の写真の案内板を見ることはありません。この案内板は、公園の南西に隣接する化学工場の南側に立っていました。公園西口に立つ鉢かづき姫今日も鉢かづき姫のお出ましです。公園内の案内図この図は上が南、下が北になっています。なんとなく見づらいです。西側の広場西側入口から入ると、広場があって遊具が置いてありました。行き過ぎてから振り返って撮ったのが上の写真。左上部に青く見えているのが、建設中の第二京阪道路です。東側から公園内を見る公園内の道を通り過ぎて、東口までやってきました。南寝屋川公園は昭和51年(1976年)より整備が行われ、面積は4万5000平方メートルあります。テニスコート、市民プールや野球のグラウンドがあります。グラウンドの外では、野球のユニフォームを着た人たちが試合前のキャッチボールをしていました。東側入口東側入口に、グラウンドがあります。車はこちら側から入ります。中に駐車場があります。
2009年07月12日
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京阪の萱島駅から800メートルほど東、萱島南団地というバス停の辺りに、「からくる親水公園」という公園があります。公園の入口ちょっと面白くて、でも不思議な名前ですね。公園入口の右側に目を転じると、やっぱり居ました、鉢かづき姫。鉢かづき姫の案内板寝屋川市の駅の辺りから萱島の東まで、現在の京阪・寝屋川車庫や木田小学校などを含む一帯は、囲い堤防で囲まれた輪中でした。説明によると、堤防の高さは3.6メートル、幅は3.6~6メートルもあったと言われます。輪中の内部には水路が縦横に通じ、昭和30年ごろまでは、三枚板舟(さんまいだふね)が重要な交通手段になっていました。輪中の内だけでなく、寝屋川を通って八軒家(天満橋)まで出て交易をしていたということです。囲い堤防の内外には水位差があり、これを通過するために閘門(こうもん)が設けられました。昔は手動でしたが、機械のようなしかけから唐繰(からくり)といいました。その「からくり」をなぞって「からくる公園」と名づけられたということです。現在は機械化されています。囲い堤防も無くなり、水路もかなり埋め立てられて、当時の面影は薄れてしまったということです。
2009年07月11日
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京阪の萱島駅の少し西側は、門真市上島町です。線路の南側に「島頭(しまがしら)天満宮」という神社があります。島頭天満宮訪れたのが夕方近くで、樹木に水を撒いていました。明治時代には「産須那神社」と呼ばれ、旧・上島頭村にあったと書かれています。これは「うぶすな(産土)」、つまり地元の神社のことです。氏神とか鎮守神とは異なるようなのですが、よくわかりません。いつからか、「島頭天満宮」と名乗るようになったということです。拝殿境内のクスノキこの島頭神社の境内にも大きなクスノキがありました。西日を浴びて、すくすくと育っている印象を受けました。手前の子どもと比べてみると、大きさがよくわかります。そばの家がおもちゃみたい?(住んでいる方に失礼ですね、すみません)段蔵島頭天満宮の近くを歩いていて見つけた段蔵です(上の写真)。以前にもご紹介しましたが、淀川周辺は昔から水害に悩まされたため、石で床を高くした蔵を造り、大切な家財を床の高い方に置いたということです。
2009年07月10日
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京阪の萱島駅の周辺を歩いてみました。 萱島神社萱島駅の西口と東口の間に、萱島神社があります。ホーム下を流れる寝屋川の西側です。「参拝者以外は立ち入り禁止」という立て看板が。私はちゃんとお賽銭を上げて参拝してきました。萱島駅の線路下せまい線路下に収まっています。鉢かづき姫の説明板萱島神社のクスノキの由来が書かれています。地元民の強い要望で残されることとなりました。萱島神社は明治の末には廃社となっていましたが、高架化の際に京阪電気鉄道によって社殿が造営・寄進され、昭和55年(昭和55年)に萱島神社として再興されました。クスノキの根元下から見上げると、、、萱島神社全景なんとも不思議な駅です。
2009年07月09日
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京阪の萱島駅のもう一つの改札、西口改札です。西口改札(内側)東口にはバスやタクシー乗り場があるのですが、改札口は西口のほうが大きいようです。西口のほうが駅前の商店街にも近く、利用者も多いのかもしれません。西口改札(外側)西口南側出入口西口の南側には、飲食店やパチンコ店、高架下にも薬屋などが入り、狭い通路ですが、買い物客や通行人もけっこう多いようです。道路は西から東への一方通行になっており、自動車は歩行者や自転車に神経を使いながら、徐行して通っています。西口北側出入口上の写真、歩行者用信号機の向こう側は門真市域になります。萱島駅のホームは一部門真市にも入っています。
2009年07月08日
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京阪の萱島駅東口改札の北側に出てみました。 東口改札北側出入口線路沿いの道は、線路側には歩道が設置されていますが、センターラインの無いやや狭い道で、車が窮屈そうに行き違います。上の写真、道路が少し上り坂になっています。上ったところに寝屋川があります。寝屋川の橋の上にて寝屋川の上から東口出入口を見たのが上の写真です。寝屋川寝屋川市の名前のもとになった寝屋川は、萱島駅のホームの真下を流れています。
2009年07月07日
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京阪の萱島駅には、改札口が2か所にあります。東口改札(内側)東口改札(外側)標準的な駅の構造です。土居駅から萱島駅までの複々線高架化でできた駅舎ですので、どうしても似たような雰囲気になるのでしょうか。東口改札南側ロータリー駅の周辺道路は一方通行も多くて狭く、歩行者や自転車も多いので、かなり慎重に車を運転しなければなりません。この駅前ロータリーはいつごろ整備されたのでしょうか、私が初めてこの駅に降り立ったときには、タクシーは狭い道路に停まっていたような記憶があります。東口改札南側出入口総合案内図上の写真は「寝屋川市総合案内図」と書かれています。その右側に座っているのは、寝屋川市の史跡などを案内してくれる「鉢かづき姫」。「御伽草子(おとぎぞうし)」などで有名な「はちかつき」の物語の主人公です。鉢を頭にかぶったまま取れなくなったお姫様のお話で、この物語の舞台が寝屋川市近辺であるとの説があります。寝屋川市には「はちかづきちゃん」というマスコットキャラクターがいます。同市のホームページによると、「寝屋川市の有名な民話『鉢かづき姫』をモチーフに、市の木『さくら』・市の花『ばら』をデザインに入れた、寝屋川市のマスコットキャラクター」なんだそうです。ちなみに、「鉢かづき姫」と「鉢かつぎ姫」の両方の表記があります。「かづく」とは被る(かぶる)こと、「かつぐ」とは背負うことで、もともとは「かづく」のほうが正しいようですが、どちらも使われているみたいです。これから寝屋川市内を巡って行きますが、かなり頻繁に「鉢かづき姫」と出会いそうです。
2009年07月06日
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京阪の萱島駅は近畿の駅百選にも選ばれた特徴のある駅です。その特徴とは、あの有名なクスノキですね。ホームを貫くクスノキ下り大阪方面のホームから突き出たクスノキを初めて見たときには「え?」。その次に出てくる言葉は「何故?」。今では見慣れてしまいましたが、かなりインパクトのある光景です。推定樹齢700年のクスノキ説明書きによると、このクスノキは高さ約20メートル、幹回りは約7メートル、樹齢700年とも言われているそうです。土居~寝屋川信号所間の高架複々線化工事(昭和47年11月に着工)の際に、このクスノキを伐採する予定でしたが、地元の人々の要望に応えて変更し、現在の形になったということです。寝屋川萱島駅の下を寝屋川が流れています。ホームのちょうど真ん中あたりです。萱島という地名は、この寝屋川の中州に生えていた茅や葦に由来しているということだそうです。
2009年07月04日
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さて、休止しておりました京阪沿線の旅を再開します。今日は萱島駅です。駅名標萱島駅の開業は明治43年(1910年)4月15日、つまり天満橋~五条(現清水五条)間が開通した当初からある駅です。ホーム駅は島式ホーム2面4線。上の写真は京都方面に向いて撮ったものです。左側から順に1番線、2番線(左側のホームで京都方面行き)、3番線(右側のホームで大阪方面行き)、写っていませんがさらに右側が4番線です。大阪方向京都方面行きホームから大阪方向に向けて撮ったのが上の写真です。内側が急行線(A線)、外側が緩急線(B線)で、天満橋駅まで複々線が続いています。入線待ち京都方向には寝屋川車庫があり、萱島駅を始発とする列車が地上にある車庫を出て入線してきます。上の写真は、まだホームがふさがっているので入線待ちで停車している7000系、淀屋橋行き普通です。萱島駅から京都方向は、外側の2線が寝屋川車庫への出入りに使われ、本線から離れて地上に下りていきます。複々線区間は天満橋~寝屋川信号所間となっていますが、見た目には萱島駅を出たところで終わりです。
2009年07月04日
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阪急伊丹線の旅も大詰め、稲野駅を過ぎ、まもなく終点、塚口駅です。稲野~塚口駅間警戒信号の現示ずっと変化なく直線で進んできましたが、ここにきて線路の先に変化が見えました。信号は黄色が二つ。警戒信号の現示です。飛行機でいえばファイナルアプローチです。駅手前の単線部分塚口駅の手前だけ、単線になっています。R60の急曲線いよいよ駅手前。半径60メートル(R60)のカーブです。慎重に、ゆっくりと進みます。運転士はスタブで到着時刻を確認。ホームに進入到着定時。塚口駅に到着です。ご乗車、ありがとうございました。
2009年07月03日
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再び、阪急伊丹駅のホームに戻ってきました。塚口方面のクロス線3100系再び3100系に出会いました。伊丹線で行先表示幕を付けているのはこの編成だけです。考えてみるとラッキー? でも本線系統では付いていて当たり前ですけど。3100系出発を待つさて、そろそろ塚口に向けて出発です。
2009年07月02日
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駅前ロータリー 阪急の伊丹駅の駅ビルから北側の駅前を見降ろすと、バスやタクシーのいるロータリーが見えます。駅のロータリー伊丹市営バス阪急バス駅の東側バス乗り場駅ビルの東側にもバス乗り場があります。
2009年07月01日
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