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洞戸の道の駅で買ったスネイクメロンを御近所の看護婦さんにいただいた手作りウインナーと中華風に炒めて食べた。スネイクメロンの店頭の解説に「おとうさんのメロン」と書いてあったのは何故だろう。
2006年10月30日
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週末は、岐阜の展覧会の会場につめた。岐阜からの帰り、池田温泉に立ち寄った。ぬるりとした感触の湯が心地よい。そこから、関ヶ原に抜けるつもりで途中の三叉路を対向車の多い方に曲がったら、林道に入って池田山の山頂で行き止まった。山頂からは大垣から岐阜一望の素晴らしい夜景を見ることができた。車が多かったのは、夜景を楽しむカップルだったようだ。
2006年10月29日
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人のよいところを見るようにしているとたくさんの人を好きになる。ある人を好きに なるとその人だけを見ていたい。
2006年10月28日
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大阪のギャラリーをまわった。バルセロナのジャウマ・アミゴーが3日間だけ作品を展示する正覚寺というお寺にも出かけた。野外に空気を吹き込んだ白い円筒状の風船がたくさん、寺院に竹と和紙で作られた光る円筒が並べられた。一年ぶりにジャウマと話した後、直感ギャラリーに出かけた。移転先の工事は順調にすすんでいるようだ。古いビルの中に驚くほどモダンな空間が生まれる。打ち上げ花火みたいな仕事ではなく、じわじわとあかるくなってくる仕事がしたいとオーナーが言う。
2006年10月23日
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もし、あなたが冷たくて透明な氷なら、いますぐに、あなたのかたちのすべてが溶け てなくなるまで抱きしめよう。
2006年10月23日
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日曜日なのに画廊の来客が途絶えたので、昼下がり、七曲がりの登山道を通って、岐阜城の天守閣にのぼった。なぜか、その後、来客がとだえない。画廊主が、金華山の御利益かなと笑った。
2006年10月22日
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連絡のない時間はバンドエイドみたいなもの。無理にはがしたりせずに貼ったままにしておくほうがよい。
2006年10月22日
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展覧会終了後、画廊主、お勧めの温泉に出かけた。明日まで行方不明になりますと画廊を出た。岐阜から北に一時間、山を抜けて板取温泉についた。ぬるりとした感触のお湯。温泉を出ると漆黒にしずんだ山並に秋の気配。地元の人が集まる食堂で鰻を食べてから、ステップワゴンを道の駅に泊めて、シュラフにくるまって眠った。ほとんど音のない夜にひさしぶりの熟睡。
2006年10月21日
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不安なときや困ったときにはただ側にいてくれる人がいるだけでうれしい。 不安なときや困ったときにはただ側にいてあげられる人でありたい。
2006年10月20日
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大阪のいずみホールでダン・タイ・ソンのピアノを聴いた。彼は、1958年、ベトナムのハノイで生まれた。父が詩人で、母はピアニスト。1980年にショパン国際ピアノコンクールでアジア人としてはじめての優勝を手にした。演奏は、まず、チャイコフスキーの四季。響きのよいホールの床から情景が沸き上るような演奏。緊張感が持続して、ひびきが崩れない。つづいて、ラフマニノフのユモレスク、ひな菊、V.R.のポルカ、楽興の時。チャイコフスキーもよかったけれど、ラフマニノフになると一転、力強く指が鍵盤の上で舞った。会場のひびきに安心し切ってピアノを操り、強くたたきつづける音の塊の合間を残響が漂うところまでが美しくコントロールされていた。果敢に攻撃的で、それでいて、端正で美しい演奏だった。リサイタルのあと、感動を誰かに伝えたくなって、昨日、ダン・タイ・ソンの京都公演に行った友達に電話した。昨夜の演目は、ラフマニノフのかわりにショパンのバラードが演奏された。
2006年10月19日
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一番大切なものは隠さなければならないというルールがあったとしても、恋人達は衣服をまとわず、いつまでも裸のままでいつづける。なぜなら、ふたりにとって一番大切なのは身体のつながりではないからだ。
2006年10月16日
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二人展のオープニングパーティーの合間にかんたんなアーティストトークがあって、こんな話をした。「3年前に突然、今までの作品とはまったく違った作品をつくりました。全面、金色の花の絵でした。京都の洋画家の選抜展に出品しました。新しい作品にはたくさんの批判をいただきました。ひとつが金屏風みたいな作品。もう一つが仏壇みたい。どちらも批判的に語られて、つらい思いをしました。しかし、何年かそのシリーズをつくりつづけてみて、最初、批判としていただいた言葉が作品の本質をとらえていたことに気づきました。金屏風はその前に立つ人が主役です。絵の中に描かれているものに価値があるのではなく、絵の前で作品を見る人が主役です。もうひとつの仏壇は、人が非日常の力に触れる場所であることに気づきました。絵もまた人が非日常に出会う場所だと思います」
2006年10月14日
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いよいよ、明日から岐阜で二人展がはじまる。画廊は、「金華山」の近くの落ち着い た場所にある。 出品する作品は、光をシンボリックに表現した風景画。そして、金 色の花の絵。光は遠くにあるのではなく、作品を見る人の側にある。 今、気づいたのだけれど、今回の展覧会は、「金華山」に導かれて始まる展覧会なの かもしれない。山のために創った作品というひらめきは悪くない。
2006年10月13日
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「いつか去っていく人は、自然に去っていくのを待つのがよい」とあなたは言う。ある夜にあなたの家の前にとまったタクシーから背の高い男のシルエットが背中を丸めて降りてくるのを見た。そして、男はあなたのマンションの部屋を見上げて、窓に光がともっているかどうかを神経質そうに確かめた。男はあなたの部屋に別の誰かがいる場面を想像しているのではないかと私には思えた。もし、ある人があなたに会うために遠くから毎週やって来るので、その人の来るときはできるだけ一緒にすごさなければならないとしたら、たとえ、それがどんなに楽しい時間だとしても、少し気が重くなるかもしれない。一生分の大切な週末がずっとそのように消えていくのは想像したくない。毎日の仕事で、わずかしかない週末の自由な時間。いや、むしろ、ほこりっぽい男のシルエット自体が、アトリエに行く途中の私がつくりだした幻影ということにしてしまおう。「また、いつかの週末、一緒にどこかに出かけましょう」ときどき、あなたと私は同時に、同じことを考える。そして、考えたことは本当になる。
2006年10月10日
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朝、出したメールの返信が、夜に戻ってきた。おかげで、一日中、その人のことを考えることができた。たぶん、その人も一日中、私のことを考えていたのだと思う。
2006年10月09日
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父は家にいるのが好きな人だったと母は言う。そして、母の手料理が何より好きだった。父が生きている間、母も、また、家にいることが多かった。父は母が家にいることを望んだ。父の影響で、私には田舎への帰省以外には、家族で泊まりの旅行をした記憶がない。家族での外食の記憶もない。父はまれにひとりで何処かに出かけた。釣りも旅行も家族を誘わなかった。たぶん、仕事の関係だったのだろう。父が亡くなってから、母にはたくさんの友達ができた。母は自分の好きなときに好きな場所に出かけることができるようになった。母は、亡くなった父に感謝すると言った。何を感謝するのと母に尋ねた。どうやら、父が自分より先に亡くなったことに感謝すると言うことらしい。妻に先立たれた男は可哀想だというのが母の考えだ。
2006年10月08日
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伯父が入院したという連絡が従兄弟から入った。急遽、母とふたりが入院している岡山の病院までお見舞いに出かけた。伯母は、一年前に余命ニヵ月を宣告されホスピスに入院を勧められたが、イレッサの服用が功を奏して見違えるほどに元気になっていた。しかし、一年間、看病をつづけた伯父の方が9月に倒れた。入院後に痴呆症が進行したらしく、会話さえむずかしい状態だった。伯父は50歳代に入った頃から、親類が集まると勉学優秀だった過去を語り、家業を継ぐために志を断念したいきさつを繰り返し話した。家業を畳んでからは、趣味もなく、実直に暮らしてきた。伯父と私は血でつながっている。焦点のさだまらない伯父の視線がうつろな空洞に見えた。自分と血のつながりのある親類の顔を順番に思い浮かべながら、親類のいろんな個性や運命が私につながり、分有されているのだろうかと思った。新聞記者だった父は、肝臓癌に糖尿病も併発して亡くなる前の日まで、病院に新聞を配達させ、ベットから身を起こして記事に目を通した。病床でもいつも着こなしを気にし、頭髪の乱れを直した。
2006年10月07日
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岡本太郎が、「芸術は爆発だ」と言った。むしろ、私は、爆発の一歩手前を持続させる技術と志が芸術だと思う。
2006年10月06日
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ある日、女は男のキスを拒む。男は女の恥ずかしいところにキスしたいと挑む。女は嫌だと叫び続ける。男は少しだけ、女に別の男の残り香でもあるのかと勘ぐる。嫉妬が欲情をかき立てる。女はシャワーを浴びてないからなのにと男の理不尽さに締め付けられる。女の抵抗は強い。しかし、男は抵抗する女の肉体を弄ぶ。女はか細い声で男をエッチだと責めながら痙攣する。男は女のわだかまりを小さなキスで沈める。女は男を抱きしめる。
2006年10月05日
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国立国際美術館の「エッセンシャル・ペインティング」展のプレビュウに出かけた。 今のイメージ絵画を代表する欧米の13人の画家の個展が集まったような展覧会。 そこに特定の様式や流行を見つけることは出来ない。ひとりひとりの画家が「絵画の 終焉」をいかにして回避するかという問題に真剣に取り組んでいる。 現代美術は世界中にひろまって、さまざまな文化の土壌に「現代美術」という同じ種 をまいた。同じ種が土壌の違いによってどんな具合に成長したのか。海外の影響を受 けた表現ではなく、自らの土壌を掘り下げた表現でなければならないと再認識するこ とができる。 プレビュウのあと、ギャラリー風で開かれている中村一美展のオープニングをのぞい た。中村は日本の今の絵画を牽引する画家である。彼は「エッセンシャル・ペインティ ング」展に何人かの日本人作家を加えたらもっと面白くなったのではと発言した。 しかし、「エッセンシャル・ペインティング」展の企画者は、日本には「ペインティ ング」はないと考えているらしい。ならば、「ペインティング」でなくてもよい。 「ペインティング」ではない「ペインティング」を集めればとても面白い展覧会にな るだろうなと思った。
2006年10月02日
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日曜日なのに、福知山で仕事があった。私の仕事は昼までだったので、同僚を残して、午後から、黒川温泉に出かけた。林道のように細い国道429号線を走った。温泉は秘湯で、美人の湯。そこから見える黒川ダムの壁が一面、小さな岩がぎっしりと積み上げられて造られていていた。ミニマルな環境芸術のようだ。ダムに登ると右手に谷あいの村落と黒川温泉、そして、左手にダム湖が見えた。水面を見ながら、ダムに沈む前の村落の風景を思い描いた。
2006年10月01日
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