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私は異国で生活をしている日本人である。 最近は、自分が日本人だと意識することは少なくなった。 それでも自分の言動によって、日本人のイメージが形作られていくだろう、とは思っている。 だから、心のどこかに、「私も日本人を代表している一人だ」という気持ちは持っている。 学生たちが日本人教師に対して抱えているイメージは、決して悪くない。 それどころか、非常に良い。 「真面目」で「熱心」、しかも「優し」くて、更に「ユーモアがあ」って「親しみやすい」というもの。 だが、そのイメージに合わない教師もいるようだ。 あくまでも噂でしかなく、その噂も、特定の誰かを指しているものではないが、 こんな話を聞いた。 勿論、この学校に赴任している教師ではない(ことを願っている)。 ある日本人の男性教師は、授業ちゅう、携帯電話を見た学生を烈火の如く怒鳴り倒した(という)。 その学生は、「時計を持っていなかったので、時間を確認しただけ」と説明したが、 学生の説明を端から信用せず、 「私は素直でない学生は、嫌いだ!」 と更に怒りを増し、次にあろうことか、こんな言葉を続けた(らしい)。 「だから中国人はダメなんだ!」 怒鳴りながら、学生に向かってチョークを投げた(とも聞いた)。 その学生はひどく心が傷つき、他の日本人教師の部屋に行って、自分を信じてほしいと訴えた。 信じてくれる人を探して、涙を浮かべながら、必死に理解を求めていた(という)。 教師と学生はまず信頼関係が大事だと、私は思っている。 特に日本人教師と中国人教師とは、同国人以上に強い絆で結ばれるべきだと思っている。 だが「だから中国人はダメなんだ!」などという発言をしては、信頼関係は破綻する。 学生を叱ることは、時と場合によって必要なこともあるだろうが、 注意をせずに、いきなり怒り、理由を説明しても、聞き入れてもらえず、更に怒鳴られる というのでは、学生の心はどんどん離れていく。 その教師は、実は授業をよく休む(らしい)。 私用による旅行、或いは病気、或いは理由なし。 病気なら仕方がないが、既に始業ベルが鳴り、学生が教室に集まっている時に、 電話で「喉が痛いから休む」では、余りにも非常識すぎる。 どうして、授業が始まる前に連絡できないのか。 そして、そういうことは決して珍しいことではなく、何度かあった(という)。 だが、授業を休んだ日の夜の食事会には出席し、一人、大声で話をしていた(そうだ)。 次の日の授業はといえば、また休みである。 理由は「喉が痛いから」だった(そうな)。 授業に来ても、教科書の勉強は少しだけで、後は「女の話」ばかりしている(そうだ)。 学生たちは、新出文法や類語の区別など、日本語の知識を教えてもらうこともなく、 「わからない」「難しい」ばかりを繰り返している。 今ではもう、その教師に質問をするという気さえ、失っているから(らしい)。 教師に対する信頼も親近感もなく、あるのは嫌悪感だけ(だという)。 あと3か月、その教師に怒られないことだけを考えて過ごす(のだそうだ)。 その教師は、今また日本に帰っている(という)。 理由は知らない。 いつ帰ったかも知らない。 同僚の教師たちからも孤立して、交渉がまったくない(そうだ)。 大学でのイベントも、すべて欠席(らしい)。 もし、そんな教師が私の同僚なら、私は決して心穏やかではないだろう。 そんな教師は「日本」という看板を背負うべきではないし、 中国に来るべきではない。 そもそも、教壇に立つ資格もない。 勿論、その教師にも言い分はあるのだろうが、 私はその人がどこの誰なのか、生憎と知らない。 知らない人で良かった、と思っている。 同僚にそういう人がいたら、同じ日本人として恥ずかしいからだ。 この大学にそんな教師がいるはずない(と思いたい)。
2008年03月30日
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2日間にわたって開催された「日本語スピーチ・コンテスト」が終了した。 初日が「予選」で、2日目の昨日は予選を勝ち抜いた11人で「本選」が行なわれた。 先生方から指導を受けて、充分な準備をして臨んだ「予選」と違い、 「本選」は、自分が出場する3分前に、テーマを知らされるという趣向。 この3分間で、学生たちは何を、どう話すかを考え、 その考えがまとまらないうちに、ステージに登場する。 だから、話しながら、次に話すことを考えるということになる。 日本語能力だけでなく、話術、度胸などが必要になる。 そういう過酷な状況の中で、学生たちはとても頑張った。 緊張している様子は手に取るようにわかったが、それでもみんなが立派に話し終えた。 この日、「本選」に参加した学生の中で、上位2名が来月、武漢で行なわれる地区大会に出場する。 本学の代表に選ばれたのは、この2人。 この2人は前日の「予選」でも、実に堂々としていた。 そして、「本選」でも、実力を充分に発揮していた。 武漢での「地区大会」でも、こちらが何も言わなくても、立派にスピーチをすることだろう。 頑張れ!
2008年03月29日
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今夜は校内の日本語スピーチ大会が行なわれた。 今回は2日間にわたって行なわれ、今夜の出場者の中の成績優秀者10名が、 明日の「決戦大会」に出場する。 今日の「予選会」は事前に与えられたテーマを1週間かけて準備できたが、 明日の「決戦大会」は、その場でテーマが与えられ、即興で3分間のスピーチをする。 そして、明日の上位2名が、湖北省の武漢で行なわれる中部地区大会に駒を進めることができる。 ちなみに今回の出場者は34人。 そのうち、私が指導をしたのが半数の17人。 そして、明日の「決戦大会」に進む11人の中で、私が指導した学生は8人。 だが、結果云々よりも、それぞれの学生が、未経験のことにチャレンジしてくれたことが嬉しい。 今回の経験で、きっと多くのことを学んだと思う。 緊張でうまく話せなかった学生たちも、コンテスト終了後は明るい顔に戻って、 私を囲んでくれた。 そして、今日、会場には、また私のクラスの1年生がコンテストを見に来ていた。 来年、この1年生たちが、きっとこのコンテストに大挙して参加するはずだ。 3年生の皆さん、今日はご苦労様でした。 明日の「決戦大会」に参加する人は、もう一度、自分の実力を存分に発揮してください。 惜しくも「決戦大会」に参加できない人たちも、決して卑下することはありません。 みんなステージで輝いていました。 本当に感心しました。 3年生のためだけに、今度は私がこういう舞台を用意するから、その時、また頑張ろう。 そして、3年生諸君は、今、1年生の大きな目標になりました。 私は1年生たちと、皆さんを目標にして頑張るから、 私たちに追いつかれないように、 走り続けてください。 今日は、お疲れ様でした。
2008年03月27日
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昨日の3年生の「作文」授業は、俳句を教えた。 言うまでもないが、私は「俳句」の専門家ではないし、俳句が好きだというわけでもない。 実は、この何週間か、3年生を相手に2人の日本人教師が俳句を教えた。 1人は俳句の専門家とも言える方で、もう1人は日本の高校の国語教師。 この2人による俳句の授業を聞いた後、どうなったかというと……。 学生たちは俳句を嫌いになってしまった。 難しい、つまらない、面倒臭い……のだという。 今回、私が俳句の授業をしたのは、学生たちからこんなリクエストがあったから。 「先生、私たちに俳句を教えてください」 私は専門家ではないから、芸術性や、発展形態などを説明することはできない。 教えることができるとすれば、17文字の短い言葉の世界を創り上げること。 つまり、俳句の作り方。 そして、学生たちが知りたいことこそ、その「俳句の作り方」だった。 授業では、まず頭の準備体操として「悲しい」「嬉しい」「待ち遠しい」「つまらない」 などを、別の単語を使った、たくさんの表現方法を教えるところから、教え始めた。 それがある程度、出揃ったら、今度はそれを俳句へ応用する練習。 まず、原案を黒板に書いて、それをいい俳句へと、変えていくというもの。 例えば、 教室で だまって授業を 聞いている。 それが、 授業ちゅう 眠気こらえて 聞いている。 に変化し、 授業ちゅう 眠気こらえて 生あくび。 そして、 あと十分 時計見ながら 生あくび。 とりあえず、こういう変化の流れを見せて、単語の使い方を覚えてもらった。 ここまで来ると、学生たちは、俳句に興味を持ち始めてくる。 学生たちは、もともと俳句に興味がなかったわけではない。 その興味を形にする方法がわからなかっただけだ。 そういう状態のところに、俳句の芸術性や、専門用語を駆使した授業をしたものだから、 余計にややこしく、難解なものだと、思い込んでしまったのだ。 難しいと思い、自分の手には負えないと思ったからこそ、興味を失っていっただけだ。 前回の「敬語」もそうだったし、今回の「俳句」も、教室の中は笑いが絶えなかった。 どんなことでも、興味を持てば、学生たちは積極的になる。 要は、興味を持たせることができる授業をすればいいということ。 最後に、俳句の作り方を教えた後で、学生たちにお題を出して、創作させた。 お題は「メール」 できあがった俳句は以下のとおり。 授業ちゅう 机の下で メール打ち メール読み ため息ひとつ 冬の空 メールより 声がききたい 日曜日 メールなら 言えることばを 口ごもり 尚、蛇足ながら、「季語」についても、ちゃんと教えました。 ご心配なく。
2008年03月26日
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週末の「日本語スピーチ大会」を控えて、学生が次から次へとやってきた。 スピーチの原稿を作ったので、添削してほしいという、依頼だった。 先週末から、それは始まり、昨日は朝から夜の10時まで、休む間もなく学生たちの訪問を受けた。 まるで、病院の医者になったような気分だった。 「はい、次の方どうぞ」という感じだ。 授業を終えて部屋に帰れば、そこに学生が待っている。 学生たちは、私に会えば、添削を頼むだけでなく、何かおしゃべりをして帰る。 話している最中に、次の学生がやって来て、また話が始まるという繰り返し。 サロンのように、話が盛り上がってしまうのが、病院の診察室と違うところ。 結局、昨日はとうとう晩ご飯を食べる時間がなかった。 考えてみれば、これは幸せなことだ。 他に先生がいる中で、私を選んでくれた。 もし学生が誰も来なかったら、もし全員、他の先生のところへ添削を頼みに行ったら。 きっと寂しくてたまらなくなっただろう。 今回の出場者は、前回の12月に比べて、格段に多い。 前回の3倍以上の学生がエントリーしている。 その中には、3年生なって初めて参加する学生も、たくさんいる。 上手だとは自分でも思っていない、自信がない、恥ずかしい……。 そんな弱気を抑えて、勇気を奮い起こして、コンテストへの参加を決めた。 そんな学生たちだから、こちらも応援したくなる。 スピーチ大会のエントリーは今日の午前で締め切られた。 この後、学生たちがやることは、木曜日の本番までに、自分の原稿をすっかり覚えること。 そして、自信と勇気を持って、本番を迎えること。 どんなに自信があっても、どんなに勇気を奮い起こしても、やっぱり緊張はするだろう。 でも、安心しなさい。 当日、緊張しているのは、君たちだけではない。 君たちのスピーチを聞く私は、きっと君たち以上に緊張しているはずだから。 だから、頑張れ、みんな!
2008年03月25日
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特に書くようなことは何もありません。 どこに出かけるでもなく、何か特別なものを食べるでもなく、いつもと同じ生活です。 あれやこれやと、頭を絞って授業案を作り、その準備をする。 準備の合間に、部屋を訪ねてくえる学生と話をし、 教室に行って、学生たちと笑いながら、或いは真面目な顔で、授業をし、 校内を散歩しては、学生に呼び止められて、芝生に座って話をし、 学生からのメールに返事をしては、次の授業のアイディアを考え、 夜はまた、学生たちとおしゃべり。 週末の夜は、学生の誘いに応じて、また夜の学校を一緒に散歩しながら、1年生と会話。 いつも学生と一緒。 今日も、昨日も、その前も。 多分、明日も、明後日も、その後も、きっと同じ。 それで満足。 それが楽しい。 そして嬉しい。 私の部屋に来てくれた学生たちには、うんと楽しんでもらいたい。 部屋に来る前より、帰る時は、心が軽くなって帰ってほしい。 その分、私も学生たちから、たくさんの元気をもらう。 時間がなくて、話ができなかったL君とSさん、ごめんなさい。 いつか必ず時間を作るから、また話をしましょう。
2008年03月23日
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3週間前から始めた3年生「会話」授業の「2人deスピーチ」。 当初は「漫才」を目指していたのだが、方向が大きく違ってきた。 まるでコント、或いは寸劇! 毎回、学生たちが手を変え品を変え、聞き手の予想を超える熱演をしてくれる。 当初、2人でスピーチをすることを念頭に置いていたのが、最近は3人、4人で、 まるでドラマ仕立て! 今日は音響効果や小道具も使って、3幕のドラマを演じていた。 今日、出演した(?)学生の中の1人は、以前、私に、 「私も話したいけど、授業の時は勇気がないです」と語っていた学生。 それが、身振り手振りを交えて、嬉しそうに台詞を話していた。 その熱演に、客席(? 他の学生たち)からは爆笑が起こり、教室中がノリノリになる。 そして、次週の出演者たちが、更にその上の受けを狙ってくるから、この勢いは止まらない。 授業のとっかかりで、学生たちが自らの熱演で、教室を温めてくれる。 その後はスムーズに授業に入っていける。 浮かれるだけではない。 今日は日本語らしい日本語の習得を目指して、「漢語と和語」「漢語と外来語」を教えたが、 誰もが、身を乗り出して、必死にノートを取っていた。 説明が終わった後は、得た知識を使って、会話の練習。 100分間の授業が、いつも、あっという間に終わってしまう。 話し足りなかった(らしい)学生たちは、夜、私の部屋に来て、9時まで話して帰っていった。 今年も学期末に「日本語ドラマ発表会」をやる予定だが、成功はもう約束されたようなもの。 楽しみだ。
2008年03月20日
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決めた。 何を決めたかというと、中国語を真面目に勉強すること。 中国での生活も、既に1年半。 中国語のレベルは、例えば、一人で旅行に行って、困らない程度。 ホテルに入る、レストランで注文する、買い物をする、列車で隣り合った人と話す。 その程度。 日常生活をなんとか困らないで送れるレベル。 単語や文法は、少しは増えているのだろうが、話題はいつも同じ。 テレビでドラマを見ても、単語がいくつか聞き取れるだけ。 ニュースも同じ。 内容までは理解できない。 これでは恥ずかしい! というわけで、語彙と文法の大幅増とヒアリング能力の向上を目指すことにした。 勉強法は、学生たちがよくやっている「朗読完全暗記法」。 とにかく、徹底的に声に出して、何度も繰り返しながら、暗記してしまうという方法。 画面を見ないで、ドラマの内容が理解できるようになるまで、頑張ろうっと。 そんな風に、自分を追い込まないと、やる気にならないんで。。
2008年03月19日
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先日の名古屋国際女子マラソンで、高橋尚子選手が惨敗した。 結果はどうあれ、常に注目を浴びながらの、レース出場は、本当に大変だと思う。 もう一度、世界の檜舞台で輝いてほしいと思いながらも、 これからはゆっくりと、走りを楽しんでほしいとも思う。 高橋尚子選手をモチーフにしたテレビゲームがある。 その名も『高橋尚子のマラソンしようよ』 さして名作ともいえないゲームだが、私はけっこうやり込んだ。 プレイヤーはマラソンクラブのオーナーになって、選手を育成するというもの。 本拠地を選び、ユニフォームのデザインなどを決め、選手を集め、コーチを選ぶ。 高橋選手と小出監督はゲームの中で時々、顔を出してプレイヤーにアドバイスを送る。 選手は練習メニューに従ってスタミナ、スピード、回復力などを鍛え、 地方の市民マラソンなどに参加し、実力向上とともに、有名な大会へとステップアップしていく。 私が気に入っていたのは、市民マラソンの優勝賞品。 例えば「さくらんぼマラソン」に優勝すればさくらんぼがもらえる。 そして、その優勝賞品を研究室で加工して、栄養ドリンクを作ることができる。 だから、たくさんの市民マラソンに優勝すれば、ドリンクの栄養価も高くなるというわけ。 ビタミン類、ナイアシン、アルギニン、パントテン酸などの栄養素に加えて、味も豊富になる。 このゲームをしながら、食品と栄養素、その働きなどを覚えることができた。 高橋尚子選手がランナーとして登場するのは、最後の場面。 育てた選手が、世界のトップランナーになり、高橋選手と一緒にレースに参加するのだ。 ゲームとしては決して出来が良いわけではないが、 それでもこういうゲームが発売されるのも、高橋選手の愛すべきキャラクターのおかげだろうな。 やっぱり、もう一花咲かせてもらいものだ。 応援しています。
2008年03月17日
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今、夜の11時過ぎ。 さっき、部屋に戻ってきた。 8時から、ずっと学生と話をしながら散歩をしていた。 彼女は1年生。 私は学生と話をする時は、ほとんど日本語だけで話をする。 単語を説明する時に中国語を使うことはあるが、教科書に出ている単語と文法で話をする。 だから、私と2時間半にわたって話ができるというのは、すごいことだ。 しかも日本語の勉強を始めてまだ正味4ヶ月の1年生が、である。 今夜はいろいろな話をした。 校内で咲いている(「~ている」形を使いながら)花の話。 中華料理の話題(「~くて~」「安くて美味しい」形を使いながら)。 私の学生時代の思い出(「もし~だったら」仮定形を教えた) 私の授業について(「のように~」)など。 彼女は話し上手でもあるが、同時に聞き上手でもある。 「先生、学生時代に一番楽しかったことはなんですか?」 と、彼女が聞いてきたので、私の失恋談を披露した。 悲しい失恋の話を、彼女と笑いながら、話した。 慣れない日本語で話しながら、笑えるというのもすごいことだ。 あっという間の2時間半だった。 ちなみに、私が中国人たちと中国語だけで会話を続けた最高記録は2時間。 記録はあっさりと破られた。 今、教えている1年生たちを、来年も教えたいなあ。 どうなるかわからないけど……。
2008年03月15日
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こういう人がいると困っちゃうな、という話。 非常識な人。 学校の行事、学生の活動の招待を受けて、承諾しておきながら、当日、ドタキャンする人。 それも、担当者に連絡するではなく、部屋のドアに 「I'm busy!」とだけ書いた貼紙をして、一切の連絡が取れなくなる人。 そんなこんなで、大学の行事には一度も出席していない日本人教師。 しかし、酒に誘われれば、飲みに行くという人。 酒の席では、自分ひとりで散々、自分のことばかり話す人。 その日は「喉が痛い」と言って、その日の授業を休んでおきながら、大声で話し、 そして、翌日の授業はまた「喉が痛い」と言って、休講にする人。 後期に入って3週間。 授業期間ちゅうに旅行に行き、帰ってきたと思ったら、喉が痛いといって休講続き。 授業をすれば、「あの先生は、いつも女の話です」(学生談)。 前期の後半も、ほとんど旅行。 3週間(計9回の授業)で1週間(3回)しか、授業をしていない。 いい加減な試験問題を作り、学生から批難の嵐を受け、 学部主任や教務室の迷惑をかけておきながら、 そのことに全く気がついていない人。 旅行に行く時に、行き先や日程を外事弁に知らせずに行く人。 おかげで外事弁のスタッフがとても困っていたことに、全く気がついていない人。 個人契約ならまだしも、友好提携をしている自治体からの派遣という公的な立場だから、 尚更、問題が大きい。 交歓留学生として日本に行くことが決まっている学生を、 「心配だ」としたり顔で言う人。 どうしてか訊ねると「笑顔がないから」だと言う。 でも、その子、私や他の先生の前では、いつも笑顔でよく笑っているのに。 そう言うと、不機嫌そうに「でも、僕は心配なんだ」と声を荒げる人。 料理が合わず、自分の部屋で、日本料理を作って食べているくせに、 「私は中国人だ」 などと恥ずかしげもなく、言う人。 自分のことが全くわかっていない! どこにでも非常識な人はいるが、 こんな人がいたら、嫌だなという話です。 もし、こんな人がいたら、同じ日本人として恥ずかしいな、と思うでしょうね。 注:特定の誰かを指しているわけではありません。
2008年03月15日
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昨日の「作文」の授業は、授業の間、ずっと音楽を流していた。 流していたのは中国で大人気を誇る周杰倫の「七里香」。 この曲の歌詞カードを作り、それを、日本語に翻訳させたからだ。 「作文」の授業は、毎週、手を変え品を変え、いろいろな文章を書かせている。 テーマを変えるだけでなく、「作文」と「会話」を結びつけたり、 作文の中で1人ディベートをやらせたこともある。 要は、学生が「今日はどんな授業をやるんだろう?」と興味を持ってくれればいい。 授業に行く前から興味が持てない授業では、授業中の集中力が違ってくるからだ。 中国語の歌詞の翻訳は、実は去年もやったことがある。 私は学生が訳した日本語を、より日本語らしく、曲調に合うように変えるだけ。 「手の中の鉛筆が紙の上を走り回る」 ⇒「手にしたペンが、紙の上で行ったり来たり」 「この一文は夏の感覚がある」 ⇒「この言葉、なんか夏って感じ」 そして、最後の一行が、 「僕は君に強引にキスしたい」 これを、 「君の唇を奪いたい」 と訳した。 去年も同じ内容で授業をやったが、こういう授業は気分転換に丁度いい。 気分転換だけでなく、自分が訳した日本語が、目の前で別の日本語に変わっていく。 それを見るだけでも、何か得るものがあるのではないか、とも期待している。 さて、来週はどんな「作文」の授業をしようか、 それを考えるのが、また楽しみでもある。 学生の予想と期待を上回るものを用意したいと思っている。 毎週が、学生との真剣勝負、みたいなものだな。 それも、ワクワク、ドキドキする、楽しい真剣勝負。
2008年03月13日
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日本に住んでいる研修生から手紙が届いた。 2年半前に日本に行き、来日当時、私が日本語を教えた研修生だ。 私が中国に来てからも、折りある度に、電話を掛けてくれる。 たった1ヶ月の付き合いだったが、今でも忘れずにいてくれることが嬉しい。 研修生とは、日本の工場で仕事をする外国人労働者のこと。 5年前、私は、その研修生を受け入れる組合を設立し、事務処理全てを請け負っていた。 事務と同時に、日本語を教えるようになり、それが今の仕事に繋がっている。 研修生の多くは貧しい家庭に育っている。 家族の生活を豊かにするため、故郷を離れ、家族や友達と別れて、見知らぬ日本に行く。 研修生のことを考えると、いつも1人の名前と姿が目に浮かぶ。 彼女の家は貧しく、日本に行く前の事前研修の費用さえ、親戚じゅうからかき集めたという。 だが、支払いが1日か2日遅れたことで、彼女はすごく引け目を感じていたようだ。 だから彼女は、研修センターでの食事にも、口をつけなかった。 センターの人が「食べてもいいよ」と言っても、歯をくしばって我慢したという。 彼女は本来、明るい性格で、年齢も研修生たちの中では最年少だった。 にもかかわらず明るい性格で、よくはしゃいでは、みんなの笑いを誘っていた。 その一方で、寂しがり屋で、よく涙を見せていた。 日本に来て、1ヶ月間にわたる「集合研修」が終わり、会社に配属された時のこと。 私が彼女の会社の寮を訪れた時、彼女は靴も履かず、裸足のまま駆け寄ってきた。 目には涙がたまっていた。 彼女は、仕事を失敗したと言っては、密かに泣き、また笑顔で仕事に臨んだ。 社長や社員からも好かれ、無事に3年間の研修生生活を務めた。 日本にいる間に、日本語能力試験2級に合格し、発音もきれいだったことから、 中国に帰った後は、後輩の研修生に日本語を教える仕事をしていた。 日本で覚えた日本語だけでなく、日本で体験した文化と習慣の違いを、後輩に伝えていた。 彼女は日本で稼いだお金を家族に渡し、その一部は弟の大学の入学費用に当てられた。 おかげで弟は、今、私が勤めている大学に入学できた。 その彼女も、今では結婚し、音信は途絶えてしまった。 きっと幸せな家庭を築いているだろうと、信じている。 研修生一人ひとりに人生があり、彼女らの背後に、育ってきた環境が見え隠れする。 貧しさゆえに進学できず、弟や妹のために、二十歳を前に、見知らぬ異国で働くことを決意する。 そういう研修生たちを受け入れている日本側の態度は、それこそ様々。 中には、彼女らを単なる労働する機械としてしか見ていない日本人も多い。 労働条件違反を繰り返し、改善命令にも従わず、受入れを禁止された例も多い。 仕事はきつくても、人と人として付き合えば、彼女らも日本人の温かさに触れることができる。 そういう研修生が帰国し、日本での生活を家族や友達、仲間に伝えれば、日本の評価は上がる。 だが、残念ながら、日本の評判を落とすだけという会社も少なくない。 そういう会社に共通しているのは、中国人を日本人より下に見ていること。 家族のために異国に来ている外国人に対する態度としては、失礼極まりない例をたくさん見た。 今、日本にいる研修生から受け取った手紙には、こんなことが書いてあった。「社長や専務は私を冷たい目で見ます。でも、私はいつも笑顔を見せなければなりません。 でも、このつらい生活もあと9ヶ月で終わります。はやく中国に帰りたいです」
2008年03月12日
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学生たちと一緒に食事をした。 私と話をしたい(会話の練習)というので、それじゃ、食事をしながら、となったのだ。 この大学では毎年4人の日本人教師が日本語を教えているが、日本人留学生はいない。 以前は年に数人ずついたようだが、2年前からいなくなった。 だから、学生たちは日本語で会話をするチャンスが多くない。 会話をしたいという希望に応えてあげるのも、日本人教師の務めだ。 (そうではない教師もいるが) 会話能力と作文能力はイコールではないが、会話が好きなら他の能力も伸びやすい。 昨年12月に行なわれた日本語能力試験1級の結果にも、それは表れていた。 3年生には1班と2班の二つのクラスに分けられているが、 二つのクラスの合格率は天と地ほども違っていた。 理由はいろいろあるだろうが、授業をしていて感じるのは、 1班は比較的おとなしく、2班はにぎやかだということ。 よく話すほうが成績がいい、とは一概には決めつけられないが、 話すことによって単語や文法などがしっかりと身につき、 教師の話を聞いて、単語、文法以外の知識が広がるということはある。 というわけで、学生と一緒に食事をした時のメニューは以下の通り。 ピーマンと豚肉炒め(ってことはチンジャォロース?) お決まりの家常豆腐。 豆腐の甘辛炒めで、代表的な家庭料理。 ジャガイモと豚肉炒め。 これもピリ辛味だが、酢と唐辛子の酸辣味もおいしい。 ほうれんそうと粉条。 糸こんにゃくのように見えるのが、サツマイモの澱粉で作った粉条。 味も食感も、糸こんにゃく、そっくり。 この他にライスが3人分、ビールをつけて、 〆て45元(700円ぐらい)。 ちなみに、私が学生たちに奢った(って偉そうに 笑)。 正直言うと、会話の練習をしてあげているというより、私自身も学生たちと話をしたい。 学生たちの笑顔を見ていると、こちらも嬉しくなって、異国だということを忘れることができる。 学生と話をして、笑うことはあるが、日本人と話をしても、笑えない。 特に学生に対して興味を持っていない日本人教師とは、話が合わない。 日本人と話をする方が、キツイ。
2008年03月11日
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異国で最も気を使うのが、健康管理。 サプリはまず「マルチビタミン」が基本で、それプラス「ビタミンC」と「ビタミンE」。 これは栄養の偏りを補う意味もあるが、抗酸化作用にも期待してのもの。 他には「コエンザイムQ10」と「αリポ酸」、そしてミネラル不足解消に「青玉V」。 そして「プロバイオティクス乳酸菌」。 毎日、自分に課していることは、毎晩、寝る前の腹筋運動(40回)。 そして、効果があるかどうかわからないが、「香酢」(日本では「黒酢」)を飲むこと。 香酢は水で2倍ぐらいに薄めるが、香酢に水を入れるより、水に酢を入れた方が飲みやすい。 気のせいかどうか、香酢を飲んでから、散歩をすると発汗の度合いが違うように思う。 お茶も飲む。 最近は専ら「菊花茶」。 美味しいのは「ジャスミン茶」だが、店や種類によって、当たり外れが大きい。 お茶は1日、1リットル以上は飲んでいる。 空気が乾燥しているので、すぐに喉が渇くからだ。 しかし、体調維持(体重維持)に大きく貢献しているのは散歩だと思う。 午前1時間、午後1時間を基本にしているが、日によってもっと増える。 学生と会えば、一緒に話をしながら散歩をするからだ。 例えば今日は、朝8時半に部屋を出たところで、2年生の学生と出会った。 教室に自習をしに行くという学生が「一緒に散歩をしましょう」というので、 1時間半、歩きながら話をした。 その後、4年生と出会い、院生試験に合格したという報告を聞きながら、これも1時間。 午後は、授業の準備のために費やしたが、日差しに誘われて外に出るや、 また別の4年生たちと出会い、近況を聞きながら、30分。 夕方は外の破街へ食事をしに行き、食後、遠回りをして1時間近く歩いた。 部屋に帰ると、3年生から「部屋に遊びに行きたい」という電話があり、一緒に話し、 9時になって、外事弁の門まで送ったところで、1年生からメール。 「ima watasi wa jikan ga arimasu. sensei sanpo wo simasyou」というメッセージ。 (今、私は時間があります。先生、散歩をしましょう) 彼女は覚えた単語や文法を使って、よくメールをくれる。 そして、9時から10時半まで1時間半、散歩をしながら日本語と中国語を交えた会話を続けた。 1年生だから、習った単語と文法は、まだ少ない。 だが、覚えが早く、応用も利く。 何より性格が明るくて、屈託がない。 そして、可愛い。 日本語を勉強したのは、実質3ヶ月余り。 それでいて、外国人の私とほぼ日本語で1時間半話すのだから、すごい。 彼女は、こんなことを言った。 「私は陽気です。しかし、大胆ではありません。しかし、先生と会う時、私は大胆です」 もっと、大胆になってもいいよ……とは言わなかった。 本日、歩いた時間、合計で5時間半。
2008年03月08日
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ジミー・ペイジのフィギュアが販売されているという話をjiaさんのブログで読んだ。 で、好きなギタリストを思い出していたら、こんな名前が次々と浮かんできた。 【ピート・タウンゼント】: ザ・フーのギタリスト。 コンポーザーとしても有能で、『トミー』とそれに続く『四重人格』はロック界の金字塔。 【ブライアン・メイ】: ご存知クイーンのギタリスト。 『ブライトン・ロック』を聴くと、いつも津軽三味線を思い出す(それくらい凄いということ)。 そして、私の少年時代を彩ってくれたのが、この人。 リック・デリンジャー! このブログを読んでくれている人で、彼を知っている人、いるかなあ? 美貌のギタリスト(恥ずかしい!)として売り出されたが、 むしろ、ジョニー・ウィンターやエドガー・ウィンターのサポート役として有名で、 まるで初期のデヴィッド・ボウイに対するミック・ロンソンのような存在。 彼を一躍有名にしたのが、『All American Boy』というソロ・アルバムで、 そのアルバムの最初に収録されているのが名曲『ロックン・ロール・フー・チー・クー』 B'zの松本孝弘も『Rock'n'Roll Standard Club』というアルバムに収録しているほど。 そちらは大黒摩季(!)がヴォーカルをやっていて、こちらも相当カッコいい。 ああ、駄目だ。 書きながら、聴きたくなってきた。 スイマセン……隠していたコアな部分を出しちゃいました。 コメント、ないだろうな、こんな話題(笑)。
2008年03月07日
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今日は、3年生2班の「会話」。 後期から始めた「2人スピーチ」は、今日は2班の先陣を切って2組が登場。 まず1組目は恋人同士の男女ペア。 男性がニュースキャスターに扮して、ゲストのコメンテーターを女性が演じるという設定。 キャスターが今年の冬の大雪の話題に触れ、ゲストのコメントを引き出すという進行。 「道路に氷が張って、すべすべしました」「泣きっ面に蜂でした」など、意外な台詞が次々。 もう一組は、仲良し3人組による、化粧品会社の会議風景。 新商品の売り上げを伸ばすための方策を、部内でディスカッションをするという設定。 こちらは、実にそつなく、キャラクターもはっきりとして、いい内容だった。 どちらも、聞き手の意表を突こうという工夫が見えて、面白かった。 出だしがこうだから、来週登場する学生たちも、気合が入るはず。 今日やった学生たちも、次回はもっと面白いことをしてくれると期待している。 最初から、いい循環で回っていきそうな気配。 会話能力を伸ばすための「語彙」は、今日は外来語の習得をテーマにした。 それもマクドナルドのメニューに出てくる外来語。 言うまでもないことだが、中国語にはカタカナがないので、すべて漢字表記。 英語を日本語のカタカナに置き換えた外来語は、学生たちが苦手とするところ。 実は春節の2日後、許昌の街を歩いている時、どの店もすべて閉まっていて困った経験がある。 その時に、やっと見つけて救われた思いがしたのが、マクドナルド。 その経験を面白おかしく話しながら、メニューを外来語で言い換えていった。 単語を覚えれば、今度は店員役と客の役に分かれて実践練習。 客は覚えたばかりの単語を使い、店員は、これも連取した「敬語」を使って受け答え。 私の話を聞いて、真面目にノートを取ったり、大声で笑ったり……。 ある時は感心したように頷き、仲間の熱演に自然発生的に拍手が沸く。 学生たちの反応が嬉しい。
2008年03月06日
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中国の生活も1年半。 遅まきながら、この頃「瓜子」にはまっている。 これまでにも何度か食べたことはあるけど、特においしいとは思っていなかった。 それよりも面倒臭さと、その割りに食べ応えのなさに、あまり気に入っていなかった。 「瓜子」は中国人が大好きなおつまみ(というか、なんというか)。 あちこちで、老いも若きも、誰もが食べている。 普通は「ひまわりの種」で、味もいろいろ。 私がはまっているのは「かぼちゃの種」。 それも、乾燥したハードタイプではなく、塩茹でしたしっとりタイプ。 上が乾燥タイプで、下が塩茹でのしっとりタイプ。 値段が高いのは乾燥タイプ(それでも1キロで17元:240円ぐらい)。 これを歯でカリッと割って、中の実(?)を食べる。 先週の週末は、これをポリポリ食べながら、深夜まで欧州サッカーを見ていた。 またはこれを食べながら、本を読んでいたり。 食べ始めると、止まらなくなる。
2008年03月05日
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明日の朝から、同僚のT先生が日本へ一時帰国される。 母上が手術をされるということで、暫くは傍らで面倒を見なければならないからだ。 日本と中国は距離的には近いが、こういう場合は、本当に遠い。 手術が無事に終わり、先生が早く帰って来られることを願っている。 T先生が日本に帰っている間、1年生の「発音」は、T先生の学生も私が教えることになる。 自分のクラスの学生なら、能力も性格も、ある程度は見極めているのだが、 他のクラスの学生のことはわからない。 教室の中の学生数も12人から24人へと倍になる。 だが、あまり(というか全く)心配はしていない。 逆に、もっと多くの学生と知り合える絶好の機会だと捉えている。 学生にも、私の授業を受けることができて、良かったと思ってもらいたい。 どちらにとっても、チャンスに変えていけばいい。 教師が楽しんで、学生も喜ぶ。 その上で、能力が伸びれば、それに越したことはない。 今日、授業を終えた後、春の日差しに誘われて、校内を散歩していたら、 体育の授業でバドミントンをしていた学生たち(1年生)が、私を見つけて駆け寄ってきた。 引き込まれて、一緒にバドミントンをした。 俺、いったい、何歳だよ! ここにいたら、自分がどんどん若返っていくようだ。
2008年03月04日
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今日の3年生の「会話」では、スピーチをした。 実は私は、これまで授業でスピーチをさせたことはない。 4年生の先生は前期、1度だけスピーチをさせて、それで「会話」の成績をつけたという。 だが、私は会話とスピーチとは、別物だと思っている。 それでも、授業にスピーチを取り入れたのは、学生からの要求があったから。 「先生、スピーチをやりましょう」 学生がやりたいというなら、私に異存はない。 ただ、1人で内容を考えて、それを覚え、話すというありきたりなものにするつもりはなかった。 そこで、取り入れたのが「2人スピーチ」。 二人の掛け合いによるスピーチ。 テーマは発表者に任せた。 何を話してもいいが、聞いているクラスメートを感心させるか、笑わせるか。 いずれはボケとツッコミの呼吸を覚えてくれると嬉しい。 そして、発表者をあえて事前に私が指名することなく、学生たちの自主性と積極性に任せた。 その第一回を今日、やった。 内容は別にして、嬉しいことがあった。 普段は、教室の後ろに座って、授業ちゅうも発言しない学生がトップをきって登場したからだ。 彼女はちょっと緊張したと言いながら、誇らしそうな表情も伺えた。 普段の授業では見たことがない表情だった。 彼女は授業が終わった後、私を部屋まで送ってくれた。 その間、ずっと笑顔をしていた。 今日の太陽のように眩しい笑顔だった。 2人スピーチは、今学期、1人当たり2回か3回させようと思っている。 学生自身が、「この次は、もっと面白く」「次はこんな話を」と思うからだ。 そうやって、経験を積みながら成長していく。 ちなみに、今日の「会話」。 私も学生たちも、「敬語」をどんどん使いながら、授業をした。 学生たちの「敬語」コンプレックスは解消されたように見える。 というか、「敬語」が密かな流行になるつつある。 変われば変わるものだ。
2008年03月03日
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春が来た! と思えるくらいのいい天気。 学生たちは、こんな感じで春の日差しを浴びている。 こんな春の陽気の中、学生たちから次々にメールが届いた。 昨年12月に行なわれた「日本語能力試験」の結果がネット上で発表になったからだ。 この大学では3年生になったら全員が「1級」を受験する。 日本語学習歴2年ちょっとで、初めて受ける試験が最高峰の「1級」である。 結果はまさに悲喜こもごも。 今年度は、私は新しく1年生も担当していて、前期は1年生の相手を重点的にやっていた。 1週間のうち4日間は、夜7時から10時まで、自分の部屋で1年生の会話練習をしている。 その他の日に、3年生や2年生、或いは4年生や1年生が部屋にやって来る。 だから3年生と話す機会はあまり多くなかった。 実は前期も、そのことをずっと悔やんでいた。 というわけで、先週から、寮の学生の部屋を訪ねて、会話をすることにした。 1週間に1回しか時間が取れないが、それでも何もしないよりはいい。 学生たちと話すと、私自身にとっても役立つことが多いからだ。 教室ではわからない学生たちの性格が垣間見えることがある。 教室では発言しない学生が、自分の部屋では、一転、よく話すということもある。 会話のレベルもわかる。 「こんな単語を知っている」「この文法を使えていない」など、授業に役立つことも多い。 そして、何より、学生たちとの親近感が深まる。 学生との親近感など不要という教師も多いようだが……。 先週は学生と一緒に、夜、星空を見ながら散歩をした。 学生と話をしながら、次の授業のアイディアが湧いてきた。 明日は朝8時から3年生の「会話」があるが、早速、そのアイディアを試してみようと思う。 一人の日本語教師ができることは決して多くはない。 しかし、決して少なくもない。
2008年03月02日
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