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日本に帰って来てから、ずっとどんよりした空模様。 今日は午後からまた雨が降るっていうし、夏はどこよ! そんな曇り空の下、朝から町内のウォーキング大会に参加してきました。 町の健康福祉課の企画で、町の中を歩くというだけのこと。 事前に登録した人が200人いたのに、この日の参加者は70人ほど。 参加者の大半は60歳以上のご婦人がた。 私は、奥さんが役場に勤めている関係で、人数合わせのような感じでの参加です。 歩き始めるまでに町長の挨拶、ストレッチ、ウォーキングの講習など、 1時間余りを費やして、その後、出発。 実はウォーキングの会場まで、およそ2キロを歩いて行ったので、 家からの往復の4キロも合わせると、けっこういい運動になりました。 中国で毎日、油っこい中華料理ばかり食べていたにもかかわらず、 ほとんど太らずに帰って来たというのも、学校の中で毎日、散歩をしているおかげ。 帰って来てからは、家の中で読書とテレビゲーム三昧だから、 日本にいるほうが太りそうな予感。 気をつけなければ。
2008年06月28日
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日本に帰って来てからは、毎日、食事を作っています。 食事を作りながら、家族の帰りを待つという毎日です。 日中は、近所の図書館に行って、ディック・フランシスとジェフリー・ディーヴァーの 本を借りてきました。 中国にいた時から、ずっと読みたかった本です。 本があれば、私、幸せです。 ところで、こんな話を聞きました。 脳に障害のある若者が、100円ショップで時計を買ったそうです。 しかし、その時計は、しばらく使っているうちに動かなくなったそうです。 周りの人は「100円ショップの時計だから仕方がない」と彼を慰めました。 それを耳にした、ある女性(うちの奥さんですが)は、 そう言って諦めさせるのは、ちょっと違うんじゃないか、 と考えて、彼に代わって、発売元へ、時計が動かなくなった旨、電話をしたそうです。 発売元では、その電話に対して、まず侘びを言い、すぐに修理すると返答しました。 そして、数日後、修理を終えて、またちゃんと動くようになった時計が返ってきました。 青年は、その時計を受け取って、たいそう喜んだといいます。 先日、書いた「触らぬ神に祟りなし」の警察官もそうですし、 今回の、障害者に対する周囲の慰め、説得も、何か変だという気がします。 その「変さ」が、今の日本の現状なのなあ、 と久々の日本で、ぼんやりと考えています。
2008年06月25日
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久し振りの我が家だ! と思ったら、家の前の水撒き用の水道が、ぐにゃりと曲がっていた。 (確証はないのだが)駅前でたむろしているバカなガキどもが蹴ったのではないか、 という、うちの奥さんの推理。 聞けば、数日前、駅前でたむろしてタバコを吸っていたガキどもを、 うちの奥さんが注意したのだという。 その仕返しに、水道を蹴ったのではないか、ということだった。 だって、誰かが故意に蹴らない限り、曲がるはずのないところなんで。 それはそれとして、ガキを叱ったというその件を、近所の駐在さんが聞きつけて、 うちの奥さんに、こんな忠告をしたという。 「どんな仕返しをされるかわからないから、あんまり彼らを刺激しないようにしてください」 警察の人が「触らぬ神に祟りなし」などと忠告してくれるなんて、 なんか、変な話だ。
2008年06月23日
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日本です。 大学を出発する時、少しパラパラと降っていた雨は、 大阪に着いた時には、局地的な大雨に変わっていて、 大阪で1日過ごして、故郷に帰って来た時には、 やはりけっこうな雨でした。 そういう運命です。 聞けば、私が帰って来る前日までは空梅雨だそうでして、 笑っちゃいました。 日本に帰ってきて、最初に食べたのは、 コンビニのおにぎりとカップヌードルでした。 おまけに、大阪名物のたこ焼き。 翌日は、とんかつ定食。 とんかつも久し振りでした。 おいしかったです。 ああ、これぞ日本です! 帰国する日、「先生はいつ日本に帰りますか?」というメールをくれた たくさんの学生の皆さん、 黙って帰ってごめんなさい。 「もう、北京へ向かう列車の中です」 という返事を見て、びっくりしたでしょうね。 でも無事に帰って来ました。 帰って来た途端に、みんなに会いたくなりました。 9月にまた元気な顔で会いましょう。 この夏休みで、日本語を忘れるなよ。
2008年06月22日
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明日の朝早く、この大学を後にして、日本へ帰ります。 やれることはやった、という充実感、満足感はあります。 もっとやれたはずだ、というちょっとした後悔も少しあります。 来年はもっとできるはずだ、という自信もつきました。 去年は、担当だった3年生のことだけを考えていました。 今年は、担当の1年生と3年生以外に、全学年に視線を向けながら、やってきました。 来年は、1年生と上級生の交流や、他の学部との交流も考えています。 そして、もしチャンスがあれば、学校から出て、他の大学との交流もしたいと思っています。 てなわけで、明日の夜は関空に到着。 大阪だから、やっぱり、まずはたこ焼きを食べたいなあ。 去年、1年ぶりに日本に帰った時、まず食べたのは、 コンビニのおにぎり(明太子、たらこ)だった。
2008年06月19日
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昨日は朝7時半から卒業式があった。 学生全員を収容できる施設がないので、卒業式は空の下で。 式次第は「学長挨拶」「卒業生代表挨拶」「在校生代表挨拶」「校歌斉唱」「国歌演奏」など。 写真は、各学部の代表が、壇上に上がって、卒業証書を受け取っている場面。 雨が降ることが少ないので、あまり天気の心配はしないのだそうだ。 まあ、雨が降っても、延期になるだけで、さほど大きな問題でもないとのこと。 前日は、3年生たちに誘われて、一緒に食事をした。 いつも思うが、誘ってくれることが嬉しい。 この日、私を誘ってくれたメンバーは、いつも部屋を訪ねてくれる常連たちではなく、 むしろ、話す機会が比較的少なかった学生たち。 そんな学生たちと笑いながら話をし、ゲームをしながらビールを飲み、誉めたりからかったり。 これも、この1年間の成果かな、と思う。 しかし、こんなふうに学生たちと一緒に賑やかに食事をする時、 やっぱり中華料理って、合う!
2008年06月18日
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外国語学部の卒業生たちの「卒業晩会」が昨夜、開かれた。 4年生たちは、去年、私が中国に来て、初めて教えた学生たち。 部屋に来てくれたり、食事に誘ってくれたり、買い物にも付き合ってもらったりした。 異国での一人暮らしで寂しさを感じずにすんだのも、 ストレスもなく、快適に過ごすことができたのも、 みんな去年の3年生たちのおかげ。 去年、もう1年、中国で頑張ろうと決めたのも、すべて彼ら(彼女ら)のおかげ。 その彼らが、卒業していく。 そして、去年、歓迎された側の私が、今年は彼らを見送る。 みんな、本当にありがとう。 皆さんのおかげで、私は中国で快適で有意義な生活を送ることができました。 卒業してから、それぞれの進路は違うけど、 いつまでも元気で頑張ってください。 そしてまた、元気な顔で会おうぜ! では、さらば! プログラムに合わせた衣装を着て、開会を待つ卒業生たち。 化粧がケバイよ(笑)。 オープニング。 付属幼稚園からの特別出演。 父兄の皆さんが大喜びでした。 日本語学部の学生の出し物「泪光閃閃(涙そうそう)」の合唱。 社交ダンスの披露。 四川省地震での被災者に捧げる朗誦。 今年はどこの大学でも、四川省地震にちなんだイベントが行われるようだ。 フィナーレ。
2008年06月17日
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この2、3日は、学生からの誘いが相次いでいた。 私が日本に帰る前に、一緒に食事をしたいという、誘いだった。 土曜日は、大学の近くに住んでいる学生の家に行って、 学生たちの手料理をご馳走になった。 学生たちが賑やかな声をあげながら、料理を作り、 それ以外の学生は、私を飽きさせないようにと、おしゃべりの相手になってくれた。 彼女らは1年生。 だが、話す言葉はすべて日本語だ。 学生同士が話すときも日本語を使って話す。 これが他のクラスや上級生とは違う。 3年生からも誘いの声をかけてもらった。 こちらは近くの食堂で、中国の家庭料理をご馳走になった。 味は勿論美味しい! 3年生もよく話した。 夕方は別の1年生と一緒に食事をし、その後、 彼女と一緒に、学校近くの果樹園に桃と杏を摘みに行った。 桃と杏をもいで食べ、持ち帰りの杏もしっかり摘んだ。 夕方の涼しい風に吹かれて、果樹園の中に流れる二胡の音を聞きながら もいだ桃と杏に舌鼓を打つ。 果樹園からの帰りには、3年生の仲良しグループと出会い、立ち話。 帰国する日が近づくにつれて、次第に落ち着かなくなっていたが、 こういう一日を過ごすと、また、居心地の良さも感じてしまう。 手料理をご馳走してくれたLさん、 「先生は私の家族と同じです」 という言葉、嬉しかったです。 この次、ここに帰ってきた時には、私が日本料理を作ってご馳走します。 楽しみに待ってってください。
2008年06月15日
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英語の教師として赴任していたボブ先生夫妻が、今日、この学校を去った。 ユーモアと真面目さに溢れた先生だった。 外事弁には多くの学生が来て、一緒に記念写真を撮り、別れを惜しんでいた。 別れの挨拶を終えて、車に乗り込むときのボブ先生の目には涙が光っていた。 私は、帰国する日は、学生には明かしていない。 大勢に見送られてというのがどうも苦手なので、 こっそり、ひっそりと日本に帰ろうと思っている。 中国での2年目の生活だったが、1年目とはまた違った素晴らしい経験ができた。 学生本位、学生第一ということは、自分でも徹底してきた。 1年生たちを部屋に呼んで、毎晩、会話の練習をした。 そうやって会話の楽しさを覚えた1年生たちは、今やどんどん行動半径を広げている。 気軽に一人旅もできるようになった。 思い立った時、自分で切符を買い、ホテルに飛び込んで宿を確保し、 バスを乗り継いで、あちこちを観光する。 そんなことが当たり前にできるようになった。 冬休みは河南省内や遼寧省の学生の家を訪ね歩いた。 学生の家族と一緒に餃子を作り、酒を飲みながら料理に舌鼓を打ち、中国語で談笑する。 布団を並べて寝たり、ホーム・カラオケで歌を歌ったりした。 誕生日は学生の家族が祝ってくれた。 また他の学生の家族や親戚の中で年越しをしたことも忘れられない。 去年もそうだったが、誘ってもらったことが嬉しい。 何人もの学生から「私の家に来てください」と誘ってもらったことで、 あらためて、学生との距離の近さを実感できた。 学生ときっちり距離を置く日本人教師もいる。 学生の家庭や、農村の生活に興味を示さない人もいる。 普段でも、学生と一緒に食事をすることに、何かの理由をつけたがる人もいる。 そして、そういう人は、結局、学生と親しくなれないまま、中国を後にすることになる。 人それぞれだから、私が何もいうことはないが、 やっぱり、もったいないな、と思う。 教師の側だけでなく、学生にとっても、 自分の先生を家に招いて、家族と一緒に食事をしたり、談笑したり、故郷を案内したり、 或いは、一緒に旅行をしたりすれば、きっと素敵な思い出ができることだろう。 それは学生にとって一生の財産になる。 特に「日本語」という外国語を選んだ学生にとっては、 「日本人」という外国人と親しくなって、家族に紹介することは、 誇らしさを感じる瞬間ではないかと思う。 何も、日中友好などと大仰なことを言うつもりはない。 学生が喜び、我々日本人が中国にもっと親しむことができれば、 それが何よりだと思うだけだ。 人それぞれなんだけど……。
2008年06月13日
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授業が全部終わり、試験はあと一つだけ。 日本に帰るまであと一週間。 最近は何をしているかというと、3年生の作文の文集作り。 そして1年生のスピーチ原稿集作り。 1年生の「スピーチ原稿集」は、3分間スピーチの原稿を全部まとめたもの。 まず1年生が自分で2~3分程度の原稿を書き、それを私が平易で自然な日本語に直した。 学生たちはそれを暗記し、先週、すべてが立派にスピーチをし終わった。 正しい日本語を覚えて話すことは、1年生、2年生の段階では有効な勉強法だと思う。 その各自の原稿を文集にして全員に配った。 誰もが、他の学生の原稿に興味を持っているだろうし、 他の学生の原稿を読むことで、読解と作文の練習にもなる。 そして、半年後のスピーチ・コンテストでの原稿作りに役に立つ。 12月のスピーチ・コンテストでは、 今の1年生たちが、今の2年生たちを抑えて、上位を独占するのではないかと思っている。 それほど今の1年生たちのレベルは高い。 既に上級生以上のレベルに達している者も数多い。 来年のスピーチ・コンテストで今の1年生が上位を独占したら、 私がやってきたことが間違いでないことが証明される。 というか、私がどうのこうのより、学生のレベルがどんどん高くなっていくのを 見るのは、教師冥利に尽きる。 3年生の作文集は、間もなく完成する。 学生一人に一人に、私からの感想と感謝の言葉を書いて、学生たちに渡す。 作文の中で、私のことを書いてくれた学生も多い。 こちらこそ、ありがとうという気持ちだ。 ああ! あと一週間! 早く日本に帰って、プレステで「三国志」と「俺の屍を越えてゆけ」をやりてえ!
2008年06月11日
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昨日は4年生の卒業写真の撮影日だった。 乞われて、一緒に写真を撮った。 集合写真の後は、お決まりの個人別撮影。 若い女性と肌を密着させて、一緒に写真を撮るなんて、日本じゃ考えられないな。 日本と違うことといえば、食生活。 和食を食べず、毎日、中華料理。 これが普通の状態になっている。 そして、食材は圧倒的に野菜が多い。 外事弁の食事は5皿のうち、4皿は野菜料理。 肉料理は一品だけ。 中国に来てからよく食べるようになったのはバナナ。 朝ごはんはパンとバナナ、そして粉末の豆乳(これがまた美味しい!)。 バナナは毎日、必ず食べている。 これまでの10年間で食べた本数の、多分、何倍かの本数を食べた。 最近、よく食べているのが、これ。 学校の中や外の露店で山盛りのトマトが売られている。 その中から、真っ赤に熟れたものを選び、量り売りで買う。 写真のトマトは小ぶりのものばかりだが、16個で2元(30円)。 1日に5個ぐらいは食べている。 中国ではトマトを使った料理が多い。 トマトとタマゴを炒めたり、麺のスープとして使ったり(これも美味しい!)、 いろいろな利用法がある。 毎日、油っこい料理を食べながら、血液検査で数値が良くなっていくのは、 野菜やバナナ、トマトなどの食材によるところが大きいのではないか。 まさに医食同源。
2008年06月11日
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こんな話を聞いた。 あくまで噂でしかないし、それもどこの学校の誰のことなのか、わからない。 中国のある大学に日本人の男性教師が赴任している。 その教師の評判が良くないのだという。 というより、とても悪いのだそうだ。 学生たちは皆、その教師を恐れている。 すぐに癇癪を爆発させて、大きな声で怒るからだそうだ。 と同時に、学生に向かって、教壇からチョークを投げるのだという。 厳しいだけなら、学生たちはいくらでも我慢をする。 愛情の裏打ちがある厳しさなら、むしろ歓迎する。 だが、その教師はどこか、学生(或いは中国人)を見下したような態度があるから、 学生たちは皆、そっぽを向いてしまったらしい。 授業も、教科書の内容を、あまり教えないのだそうだ。 教科書の中には、多様な文法や類義語などが満載されている。 単元の後半には、日本人にとってもやや難解な練習問題がたくさんある。 その練習問題は、学生への宿題にしているそうだ。 だが、その練習問題の答え合わせも、解説もしないのだという。 だから、学生は問題の答えが分からない。 練習問題の答え合わせや解説をせずに、授業で何をしているかといえば、 女との出会い、野球のルールなど、日本語とは関係ない話をしているのだそうだ。 学生たちには向学心があるが、それを満たしてやることができないようだ。 学生は、ただ黙って、その話を、終業ベルを待ちわびながら聞かされていたそうだ。 その教師は、よく授業を休むそうだ。 理由は個人の旅行、或いは病気。 病気と称して、授業を休んだその日、学校の中でキャッチボールをしていたという。 授業は上記の通り。 学校の公式行事には一度も出席をしない。 学生との信頼関係もゼロ。 ……なのだという。 ここまで聞いた時、私は「まさか!」と思った。 更に「まさか!」と思ったのは、 その教師が、来年度も、その大学で教鞭を取りたいと希望をしている、と聞いた時。 そういう噂を聞いた時、別の教師は、こう言った。 「来年もう一年残るかどうかは、その先生の考えですから」 それを聞いて、そうかなあ? と思った。 一番重要なのは、その先生に授業を受けざるを得ない学生のことなのではないか。 学生はその教師に近寄らない。 その教師も、学生を近づけない。 だから学生は質問があっても、聞きにいけない。 そういう教師に授業を受ける学生こそ、悲惨だ、と思う。 その教師は、言葉の端々に「だから中国は……だ」と 中国を軽んじるような発言が多いという。 その教師のせいで、日本人の評価が下がっていることには、 気がついていないのだという。 でも、まさか、そんな教師がいるはずないから。
2008年06月09日
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去年と今年と、2年続けてやった日本語ドラマ。 来年は、2年生の担当だから、2年生たちと日本語イベントをやろうと思っている。 問題は、その中身。 「悲劇」と「喜劇」は去年、今年と2回続けたから、 来年は趣向を変えようと思っている。 1つは、教師参加型のドラマ。 通行人や店の客といったチョイ役で、先生方にも出演してもらいたい。 今までの見るだけ、手伝うだけというスタンスから、もう少し学生に近づいてもらいたい。 もう1つは、ドラマの内容の変更。 悲劇、喜劇ではなく、推理ドラマ、恐怖ドラマ、法廷ドラマ、ミュージカルなども できればやってみたい。 『名探偵コナン』は中国でも人気があるし、ここは河南省だから 河南省で、何か事件が起こり、それを探偵が解決していくというストーリーもいいな。 その探偵は勿論、『名探偵コナン』ならぬ、 名探偵カナン、でしょ。
2008年06月08日
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3年生と話をした。 話題は先日の『日本語ドッカーン!』について。 印象に残ったのは、次のような会話。 「私は人前で話すことが恥ずかしいですが、自分に対する挑戦で、ドラマに出演しました。 しかし、ドラマが終わった後で、もっと台詞が多い役をしたいと思いました」 このような感想を持った学生は、本当に多い。 ある学生は「次は主役をしたい」と言った。 またある学生は、「今回は喜劇を演じたので、次回は悲劇をやりたい」と言った。 学生たちの心の中で、何かが大きく変化したという実感がある。 そしてそれは、ドラマを上手に演じるよりも重要なことだと思う。 授業を10回するよりも、スピーチを何度もさせるよりも、もっと重要なことだと思う。 では、先日の『日本語ドッカーン!』の写真を公開します。 開演前の会場風景。 上級生から下級生まで、多くの人が集まってくれた。 司会者2人。 完璧な発音で、プログラムを進行させていった。 舞台奥の「日本語大爆発」は「日本語ドッカーン」の中国語訳。 悲劇『手紙』の出演者 学校の校長室での、オープニング・シーン。 担任の先生が進路指導をしているシーン。 教師役の学生ははまり役だった。 刑務所から出所後、母の死を知り、その墓前で泣き崩れる場面。 ここで、会場がすすり泣きに包まれた。 お母さん宛に書いた手紙を、母の墓前で読む場面。 ここで、更に、会場でのすすり泣きが大きくなった。 こちらは一転して、喜劇『唐辛子の味』。 四川料理人が、日本料理店に修行に来たという設定。 悲劇が素晴らしかっただけに、学生たちは更に緊張したという。 結婚を迫る男に、料理店の一人娘が、「あなたとは結婚しない」と言っている場面。 ドラマを演じ終わった後の、出演者たち。 誰もが、本当に嬉しそうな顔をしている。 普段、勉強と試験に明け暮れている学生たちにとって、 大学生活の中で忘れられない思い出ができたように思う。 みんな、本当にお疲れ様でした!
2008年06月06日
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感激、感動、そして感謝! 日本語披露イベント『日本語ドッカーン!』が、昨夜、大成功のうちに終了しました。 思えば1年前、去年は当時の3年生(現4年生)の「会話」授業の総決算として、 日本語ドラマ、日本語スピーチ、日本語ディベートの3本立てで 『日本語ワッショイ』というイベントをやった。 その時のドラマは悲劇と喜劇を、私がオリジナル脚本を書き、 学生たちの大熱演もあって、悲劇を見てはすすり泣きが洩れ、喜劇は爆笑に包まれた。 だが、去年は、そのイベントに注目する人も少なく、3年生以外の観客はまばらで、 招待をしたにもかかわらず、先生方のご臨席もわずか4名だけだった。 ところが、今年は会場が、去年の教室から、今年はイベント会場へと場所を移した。 音響、照明設備が整い、収容人員も去年の3倍以上の広さになった。 今年は、先生方も、見るだけでなく、進んで協力してくださった。 ある先生は、自分の和服を提供し、他の先生はドラマ出演者に化粧を施し、 またある先生は、自ら演技指導に乗り出してくださった。 会場が大きく、衣装や小道具など、去年以上に準備も必要だったが、 近所の市場通りの食堂が協賛して、資金を援助してくれた。 学生たちは、本当に一生懸命に練習をしていた。 難しい台詞を覚え、他の登場人物と呼吸を合わせてドラマを進行させていった。 脚本を作った段階では、やや難しいかなとも思ったが、 学生たちは自分たちの演技で、観客の涙をしぼり、 また爆笑を誘った。 このドラマ、どこに出しても恥ずかしくない、 上手だ下手だというレベルではない。 日本語で演じている学生たちが、中国人であることが信じられないほどだ。 誰が見ても、きっと感動するだろうという確信がある。 すべての中国人、そしてすべての日本人に見てもらいたい、と心から思った。 反日感情、嫌中意識など、学生たちが演じるドラマを見てもらえれば、 そんなもの、どこかに吹き飛んでしまう。 そして、何より嬉しかったこと。 それは、3年生たちの熱演を見た1年生たちが、大いに刺激を受けたこと。 ドラマが終わった、その夜、1年生たちは寮に帰ってから、 「私たちもやりたい!」と仲間同士で話し合ったそうだ。 そして、私にメールを送ってきた。 こんな内容だった(原文は日本語=ローマ字)。 「先生、お疲れ様でした。こんやの先輩たちのドラマは本当に素晴らしかった。 先生のおかげです。私たちが日本語ドラマを演じるチャンスはありますか? そのために、早く日本語が上手になりたいです。先生、いろいろ教えてください」 先輩の努力は、後輩へと引き継がれた。 そして、やがて大きなうねりとなって、この学校の伝統になればいい。
2008年06月04日
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いよいよ今晩、『日本語ドッカーン!』が開催されます。 日本語ドラマ、日本語スピーチ、そして日本語ディベートという総合イベントで、 去年に、続いて、日本語学部3年生たちが、ありったけの力を振り絞って頑張ります。 思えば、去年『日本語ワッショイ』をやった時は、3年生以外の観客はまばらで、 先生がたにも興味を持ってもらえず、身内だけでこのイベントをやったものです。 しかし、その時の感動が、今年へとしっかり引き継がれました。 今年は会場が、去年の「教室」から、「イベント専門会場」へ変わりました。 音響、照明などの施設も整っていて、収容人員も去年の3倍以上あります。 また、先生がたの協力も頂きました。 ある先生は、自分の和服を貸し出し、またある先生はドラマの演技指導もしてくれました。 看板や場内の横断幕も準備されると聞いていますし、 何より、観客が、去年とは段違いに増えるようです。 ある先生(中国人)は、当初、今夜は授業があったのですが、その時間を変更して、 学生(2年生)を連れて見に来るとおっしゃって頂きました。 去年、私が教えた3年生(今の4年生)も楽しみにしているようですし、 今、私が教えている1年生も大挙して見に来ます。 後輩たちは、先輩の日本語を聞いて、やる気を募らせ、 先輩は、後輩の日本語を聞いて、安心して卒業して行きます。 去年の『日本語ワッショイ』が、小さなツボミだったとすれば、 今年の『日本語ドッカーン』は、大輪の花が咲いたようなものです。 来年、その花が大きな実をつけるかどうか、それはわかりませんが、 3年生の学年末の恒例行事として、このイベントが続いていけばいいな、と願っています。 さて、今晩7時半(日本時間8時半)、いよいよ開幕です。 3年生たちは、これまで毎日、授業の合間、そして授業の後も 夜遅くまでずっと練習をしてきました。 学生たちは今、きっと不安と期待が入り混じった思いでいることでしょう。 私も同じです。 少しの心配と、大きな期待が、この胸の中でドッカーンと爆発しそうです。
2008年06月03日
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いつの間にか、50000hitを超えていました。 50000人目のお客様は……。 50003 2008-06-02 11:29:04 *.dion.ne.jp 50002 2008-06-02 10:49:10 てぃーかっぱさん 50001 2008-06-02 10:16:06 123.5.*.* 50000 2008-06-02 10:12:28 220.181.*.* 49999 2008-06-02 10:00:07 manmaru2897さん 49998 2008-06-02 09:08:01 221.237.*.* 49997 2008-06-02 09:03:38 カイカイカさん 49996 2008-06-02 08:48:09 210.13.*.* 49995 2008-06-02 08:22:18 219.150.*.* 49994 2008-06-02 08:19:24 *.ocn.ne.jp 49993 2008-06-02 06:05:51 *.yahoo.co.jp 49992 2008-06-02 05:02:31 222.76.*.* 49991 2008-06-02 04:57:09 124.37.*.* というわけで、中国在住のどなか、です。 数字が続く(222.76、221.237……)アドレスは中国国内からのアクセスです。 今年になってから、中国国内からのアクセスが増えてきました。 いつも訪問して頂いているmanmaru2897さんは惜しくも一番違いでした。 当初は、離れて暮らす家族に日々の報告をするために始めたブログでしたが、 延べ50000人の皆さんに読んで頂きました。 読んで頂いたり、コメントを頂いたりした皆様、本当にありがとうございました。 今週は、次年度(9月からの新年度)の授業時間割が発表になりました。 私も、もう一年、この大学で学生たちに教えることになりました。 大学からの「(もう1年いてくださいという)強い希望」は2月の時点で頂いていました。 それを、家族に相談したところ、そのように言ってもらえるということは、 「名誉なことです」という返事があり、家族も賛成してくれました。 また、何より、私が残ることを願ってくれた学生の皆さんにも感謝しなければなりません。 そのように多くの皆さんに期待され、望まれ、9月から3年目の生活が始まります。 というわけで、このブログも、これからも書き続けていきます。 新しい年度、新しい出会い、新しい思い出、今から自分自身期待しています。 皆様の引き続きのご指導、ご鞭撻をお願い申し上げ、 また皆様のご健康とご多幸を心より祈念いたしまして、 50000hit到達のお礼のご挨拶とさせて頂きます。
2008年06月02日
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昨日は4年生と食事をした。 去年、3年生の担当だった時、とても世話になった学生たちだ。 一人は冬休み、自分の家に誘ってくれて、 4日間の滞在中、いろいろなところを案内してくれた。 もう一人の学生は「先生、困ったことがあったら、何でも言ってください」と言ってくれた。 やさしさを身近に感じて、異国での寂しさを忘れさせてくれたものだ。 その彼女らは、今年は4年生。 間もなく卒業していく。 今回は、そんな彼女らが「一緒に食事をしましょう」と誘ってくれた。 食べながら、いろいろな思い出を語り合った。 卒業後の進路は違うが、どこに行っても頑張ってもらいたい。 食べた料理は、これ。 スープの中に味が染みた鶏肉がたくさん入っている。 まず、この鶏肉を全部食べてから、その後に肉や野菜を入れて、食べる。 3人(うち女性が2人)だから、量はこんなもの。 やや辛のスープに入れた具を、芝麻だれにつけて食べると、絶品! 日本では、この季節に鍋は似合わないが、中国では、一年中、火鍋を食べてもおいしい。 卒業後、彼女らと、中国で会う約束をしたので、それはぜひ実現させたい。 また元気な顔で会おうぜ!
2008年06月01日
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