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中国もミニ・ゴールデン・ウィーク。 例年なら1週間の休みも、今年は3日間だけ。 故郷に帰る学生も多く、荷物を持って正門を出て行く姿も数多く見かけた。 他の先生方も、旅行へ出かけられた。 私は、冬休みに中国国内を移動しながら、全部で23日間の旅をしたせいか、 その反動で、その後、すっかり出不精になってしまい、どこへも行く気がしない。 というわけで、学校に残って、学生たちのおしゃべりの相手をするつもり。 中国国内の旅行よりも、そろそろあと1ヵ月半ほどに迫った、帰国の日が待ち遠しい。 日本に帰ったら、テレビゲームをして、片っ端から本を読み、 高校野球とオリンピック、サッカー、プロ野球を見まくりたい。 カラオケにも行きたいなあ。 久しぶりにT-BOLANやB'zの歌を歌って、演歌もうなりたい。 さ、明日は日本語ドラマの脚本作りだ。 もうひと頑張り!
2008年04月30日
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日曜日の昼ごはんは2年生の学生たちと一緒に食べた。 前期のカレーライスに続く、学生たちが自分で作って食べる日本料理体験で、 2年生の担当のT先生の発案と指導によるもの。 私はそのおこぼれに与かっただけ。 メニューは「巻き寿司」と「豚汁」。 巻き寿司に使った「粉末の寿司酢」と「海苔」「かんぴょう」は日本から取り寄せ、 それ以外はすべて地元のものを使った。 寿司酢を混ぜているところ。 切るように混ぜることが難しいようで、けっこう力が入っていた。 海苔の上に置いた酢飯を巻くところ。 上手な学生を見ながら、巻き方を覚えているところ。 こちらは豚汁づくり。 具だくさんで、ボリューム満点の豚汁だった。 味噌は、日本からの取り寄せ。 出来上がり! いつも思うのだが、中国の学生たちは、本当に無邪気だ。 こういう文化体験の場でもそうだし、授業ちゅうでも、同じだが、 シラけている学生がいない。 みんな、楽しそうに、笑いながら参加する。 そして、お互いに協力しあい、手伝いあいながら、物事を進めていく。 だから、一緒にいると楽しい。 久々に食べる寿司は、それも学生と一緒に食べた寿司は、 本当においしかった。
2008年04月28日
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自分の部屋にいる時、ほとんどずっとテレビをつけっぱなしにしている。 じっくり見る、ということはないが、常に中国語が聞こえている環境にするためだ。 つけているチャンネルは専ら「CCTV5」と「CCTV6」。 「オリンピック・チャンネル」と「映画チャンネル」。 特に一日じゅうスポーツばかり放送している「オリンピック・チャンネル」は重宝している。 週末の夜はヨーロッパのサッカーを見ることができるし、なんといっても、 言葉が聞き取れなくても、スポーツは見れば、わかる。 ところ変われば、で、日本ではほとんど見たことがない競技も、よく放送している。 例えば、「射撃」「ビリヤード」「重量挙げ」「バドミントン」など。 「卓球」も人気がある競技で、よく放送している。 中国の卓球は、以前からとても強く、競技人口も多い。 大学の中でも、休み時間に卓球をしている学生は多い。 卓球とバスケットが、学生たちが自分でやるスポーツの双璧。 その中国の女子卓球界の頂点に立つのがこの人。 張怡寧(チャン・イーニン)選手。 こういう表現が適切かどうかわからないが、非常に凛々しい。 団体戦で、最後に登場する自分の出番に合わせて、準備運動をしている場面には、 ゾクッとさせられた。 国内でも有名な選手ですが、日本のようにちやほやされたり、 あちこちのバラエティ番組に出たり、ということはない(当たり前だけど)。 彼女の試合を見ていると、卓球は格闘技だという感じがする。 オリンピックが始まったら、見てください。
2008年04月26日
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カレンダーの関係で、今年は夏休みになるのが、例年より早い。 私の授業は6月前半で終わり、後半は試験週間になる。 4年生たちは、それまでに卒論を書き上げ、進路も決定しなければならない。 日本語学部の学生たちは、卒業後も日本語に関係がある仕事に就きたいと願っている。 だが、内陸部の河南省には、日本企業が多くない。 というわけで、就職希望の大部分の学生たちは、上海や蘇州、杭州、広州などの 沿岸部に仕事を探しに行く。 私が勤めている大学は、師範大学だから、教師の育成が中心になっている。 カリキュラムの中にも「教師口語」「教育学」「心理学」などが網羅されている。 日本語学部でいえば「日本古典」「日本近代文学」「古典文法」「日本文学史」 など、会社などでの実践分野ではなく、研究室での研究分野の授業が多い。 だから、院生試験での合格率は高い。 問題なのは、就職する学生たちの日本語。 院生に合格しても、その後、やはり社会に出て行かなければならない。 教師になるなら、高校で日本語の授業をしている学校が少ない以上、 大学の教師になるほかないのだが、それも職を見つけるのは難しい。 そんな学生たちを見ていて、いつも思うのだが、 日本の高校で、選択科目でもいいから「中国語」の授業ができないものか。 中国の大学で「日本語」を学んだ学生たちが、たくさん日本に行き、 日本で中国語の教師になる。 日本で中国語を教え、中国語だけでなく、ありのままの中国を伝える。 同時に実際の日本を見、聞き、体験し、 中国に帰った後で、自身の経験、真実の日本を、後進に伝える。 曇りのない、偏見のない、澄んだ目で理解を深める。 そんな時代が来れば、中国と日本の関係はきっと良くなるだろうなと、 なんとなく、思っている。
2008年04月24日
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カレンダーの関係で、今年は後期が終わるのが早い。 学生たちの授業は6月上旬で終わり、その後、試験期間に入る。 ということで焦ってきたのが、『日本語ドッカーン(仮称)』。 学生たちによる「日本語ドラマ」「日本語スピーチ」「日本語ディベート」の発表会のこと。 というわけで、ドラマの脚本をあれこれ考えていたのだが、いいアイディアが浮かばない。 特に喜劇の方は、日本に関する話題を取り入れたいと思っていて、 一時は、日本料理店に勤める四川料理人というシチュエーションを考えていた。 しかし、これが途中で話が広がらなくなった。 そして、その後、あれこれ考え、時間ばかりが過ぎていった。 学生たちが学んだ知識をふんだんに使った日本語ドラマ……。 というふうに考えていたら、ふとあるアイディアを思いついた。 「敬語しか話せないアメリカ人のギャング」 「俳句が好きな中国人富豪」 あとはこれを発展させて、真面目な爆笑喜劇に仕立て上げる。 演技力は、普段の授業での二人スピーチで折り紙つきだから、きっといいものができる。 もう一本の悲劇は、骨格が固まっているので、あとは書くだけ。 こちらは、見ている人を必ず泣かせます。 乞うご期待!
2008年04月22日
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週末は、外事弁の招待で洛陽へ日帰り旅行へ行った。 我が大学の外事弁は、外国人教師を年間3回(年によっては4回)、旅行に招待してくれる。 赴任後の11月には「開封の菊祭り」、翌年4月は「洛陽観光」で、5月が「少林寺観光」。 こうしてみると、河南省には全国的に有名な観光地が多い。 この他にも、安陽の殷墟、鄭州の黄河遊覧、三門峡のダム、南陽の武候祠などがある。 そしてこれまでの外事弁による旅行は、いずれも抜けるよう晴天ばかりだった。 ところが今回は、雨。 朝から夜まで、ずっと雨。 今年は旅先で雨に降られることがなく、『雨男』卒業かと思った矢先の悪天候。 でもまあ、雨に煙る古都もまた風情があるというもの。 なんて強がりを言ったりして。 洛陽へは今回が6回目。 ワクワクする感じはなくなったが、それでも、高速道路をバスで通りながら、 いにしえの歴史に思いを馳せることがある。 同じ大地を、かつて群雄たちが駆け回っていたのだなあ、と思うと、 そこに自分がいることが、なんだか不思議に思えてくる。 歴史の重さとは、博物館の展示物ではなく、 こんなふうに人の心の中にあるものなのかもしれない。 中国には著名な石窟がいくつかあるが、洛陽の龍門石窟の盧遮那仏のお顔立ちが一番きれい。 この盧遮那仏は則天武后の顔に似せて彫られたという。 日本での廃仏毀釈と同じで、文化大革命の時に、多くの仏像が壊されてしまった。 当時は当時で、それが正義だったのだろうが、今思えば、やはり勿体ないことだ。 雨の中でも、どこからか中国琴の音色が聴こえてくるのが、中国の風情。 洛陽といえば牡丹! まだ蕾がたくさんあったので、来週ぐらいが見ごろかもしれない。 牡丹祭りの時期の洛陽は、国内外から観光客が殺到し、ホテルはどこも満室になる。 さ、明日から、また授業だ。
2008年04月20日
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子供の頃の夢。 小説家になること。 これは著名な推理小説新人賞で、あと一歩のところまでいったことがある。 その後、記者になり、忙しさを理由に、小説を書くことはなくなった。 というより、才能の限界を感じて、夢のままでついえた。 プロレスラーになるという夢を持っていたこともある。 身長も体重も平均的で、高校にアマレス部がなかったことから、これもいつの間にか消滅。 それでも30歳を超えたある日、子供の頃の夢を思い出して、体を鍛えたことがあった。 肉体からぜい肉を削ぎ落として、筋肉のよろいをまとった時期があった。 しかし、やはり夢のままでしかなかった。 漫画家になるという夢は、けっこう本気で実現できると思っていた。 一人っ子だったせいか、子供の頃は、自分であれやこれやと空想を膨らませるのが好きだった。 いろいろな話を考え、主人公を自在に動かし、それを絵にしていた。 小学校の時も、中学校でも、自作の日刊漫画誌を作って、友達に見せていた。 今でも「ゴルゴ13」なら、30秒もあれば似顔絵(?)を描くことができる。 ただ、この漫画家になるという夢も、諦めた。 友達にとてつもない才能の持ち主がいたからだ。 彼の作品を見た時に、「これは逆立ちしてもかなわない」と思った。 彼は今、プロのイラストレーターとして活躍している。 教師になるなんて、考えたこともなかった。 私が人を教え導くことができるなんて、そんな大それたことを考えたことがなかったし、 私なんぞが、そんなことをしてはいけないと思っていた。 だから大学での教職は、「一応」という気さえなく、端から取らなかった。 結局、この人生は、自分探しの旅だったように思う。 履歴書に書ききれないほどの職業を経て、やっとここにたどり着いた。 でも、決して無駄な時間は過ごしていないという思いはある。 興信所の調査員、結婚式場・葬祭会館の仕事、医薬品営業、デザイナー、通信販売の会社……。 そして最も長く勤務をした記者は言うまでもなく、全てが、自分の幅を広げることに役立ち、 積み重ねた経験と知識も、広範囲にわたっている。 夢が叶わなかった漫画でさえ、授業ちゅうに黒板に書いた時、学生たちに絶賛されちゃったし。 子供の頃一人でドラマを考えていたことも、今、日本語ドラマの脚本作りに活きている。 結婚式や葬式での忌み言葉、興信所の報告書、電話応対での敬語、それらの会社での面接……。 なんだかんだ、言いながら、今、全部、役立っている。 人生って、いいね。
2008年04月18日
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この大学に一緒に赴任している先生の中に、私が敬愛してやまない先生がいる。 女性のT先生で、1年半前一緒にこの大学に来て、今、2年目をともに過ごしている。 何よりも感心するのは、その先生は「学生を好きだ」という点。 赴任以来ずっと、T先生の部屋には学生の訪問が後を絶たない。 そして学生と、まるで親子のように、時には友達のように話をしておられる。 その姿を見ながら、いつも心に期するものがあった。 今では、私の部屋も、午前、午後、夕方、夜を問わず、学生が来るようになった。 忙しいが、とても充実している。 学生たちに「もっと話をしたい」「帰りたくない」などと言ってもらえることは、 教師冥利に尽きるとさえ思っている。 日本語を学んでいる学生と、日本語で話をすることは、義務とは言えないまでも、 日本人教師がやるべき仕事の一つだと思っている。 義務ではないにしろ、日本人教師の責任の範囲になるのではないか。 去年もやっていたが、今年も今週から「日本語島」が始まる。 教室に日本人教師が分散して座り、各先生を学生が囲んで、 日本語で自由に会話をするというものだ。 この「日本語島」などは、学生たちが日本人教師と話をする貴重な機会だ。 私は去年も乞われるままに参加し、学生の会話の相手をした。 そうやって、担当外の学年のたくさんの学生と知り合った。 今年も、自分の都合は後回しにして参加するつもりで、学生たちにはそう返事をした。 私が敬愛するT先生も、忙しいにもかかわらず、参加することを承諾された。 だが、中には、学生の依頼に対して、 「私はずっと出席しない」 とにべもなく断った日本人教師もいる。 「教師は授業さえきちんとやればいいんだから」 と、弁護する先生もいたが、私は「?」と思っていた。 参加を断った教師については、授業を受けている学生たちがいろいろな話を聞かせてくれる。 学生たちが私に教えてくれる内容が、どういうものかは、ここでは書かないし、 また、彼に対する思いもいろいろあるが、それも書かない。 ただ、言えることは、私は「日本語島」では、学生とたくさん話をしようと思っている。 恐らくT先生も同じ気持ちだと思う。 学生の皆さん、たくさん話をしようぜ!
2008年04月17日
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先週から始めた、夜の会話練習(というかお喋り)のせいかどうかわからないが、 1年生たちが随分、積極的になった。 会話を求めて、他の日本人教師の部屋を訪ねて会話をしたり、 別の先生の授業に顔を出して、話を聞いたりしている。 中には、(1年生なのに)2年生の「会話」授業を聞きに行っている者もいる。 概して、私のクラスの1年生はとても積極的だ。 最近は、更にそれに磨きがかかったように思う。 授業ちゅうも、先を争うように話をしようとする。 たかだか正味4か月勉強で、日本人と会話をすることはとても難しい。 私は、1年生たちが既に勉強した単語と文法だけで話をするが、他の先生はそうではない。 だから、自分が言いたいことを話すことはできても、聞き取りは困難だ。 そうやって、日本人教師との会話に引っ込み思案になる学生が多い。 だから、私のクラスの1年生たちは、非常に珍しいといえる。 まして1年生が2年生の授業を聞きに行くという例は、過去にもなかったのではないかと思う。 こうやって、みんなが会話を好きになって、どんどん上手になっていく。 彼ら、彼女ら、みんな、私の誇りだ。
2008年04月16日
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今日は3年生の学生が来て、私の中国語の先生になってくれた。 以前から、「先生の中国語の先生になってあげます」と言われていたのだが、 「その前にあなたの日本語が上手になりなさい」と言っていたのだった。 だが、彼女が日本語能力試験1級に好成績で合格したことから、 晴れて、今日から指導を受けることになった。 開始前に「今から全部中国語で話します。先生も中国語だけ話してください」 と釘を刺された。 この妥協のなさが嬉しい。 既に暗記していた中国語の本文を読んだところ、始まったのは発音の矯正。 「ch」、「sh」、「zh」、「ji」、「l」、「r」、「ci」「si」の発音を繰り返し指導を受けた。 彼女と同じように発音しているつもりでも「ダメ、ダメ」と言われ、 何かの拍子で上手く発音できたら「そう、そう、それです」と誉めてもらう。 だが、その次がまた、上手くできない。 声調も徹底的に直してもらった。 だから今日は新しい単語や文法は一切、習っていない。 しかし、発音は基本だから、これを身につけなければ先には進めない。 これまで自己流、独学で中国語を身につけてきたけど、それにも限界を感じていたので、 ちょうどいいチャンスだと思う。 一皮向けそうな予感が、ある。
2008年04月14日
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今週から1年生たちを部屋に呼んでの、会話練習を再開した。 5人か6人ずつと1時間以上、日本語だけで話しをするというもの。 当初は、話題がもつか、または日本語だけで意志の疎通ができるか、不安があった。 しかし、杞憂だった。 みんなが楽しそうに日本語を話している。 時間がきて、次のグループと入れ替わる時に、「帰りたくない」と言った学生もいた。 冬休みの前は資料を使いながらの、話す練習だったが、今は資料は一切使っていない。 自由な会話を楽しんでいる。 冬休みや試験期間を除いて、正味4か月間の日本語学習歴を思えば、長足の進歩だ。 無論、誰もが流暢に話すわけではない。 話をしているうちにガタガタになってくる学生もいる。 それでも、臆することなく会話を楽しんでいる。 今週の会話のテーマは「もしチャンス(お金、時間)があったら」。 教科書の中に「~たい」「~しようと思う」「~つもり」が出てきたので、その応用。 1年生たちが話したのは、こんな内容。 「もしお金があったら自転車を買いたいです。 そして、もし時間があったらその自転車に乗ってラサ(チベット)まで行きたいです」 「もしお金があったら、海の傍に部屋を買いたいです。そして毎日、海を見たいです」 「もしお金があったら、両親が一番ほしいものを買ってプレゼントしようと思っています。 今、私はお金がありません。だからとても残念です」 「もしチャンスがあったら日本に旅行したいです。そして富士山に登ろうと思っています。 そして日本の桜をみたいです。きっととてもきれいだと思います」 こんな話を聞きながら、関連単語を教えたり、発音を直したり、学生同士で誉め合ったり、 誉められたら「いいえ、それほどでもありません」「まだまだです」と謙遜したり、 笑いながら、お互いに感心しながら、 1時間10分があっという間に過ぎていく。 これまで1年生以外に2年生や3年生、そして4年生たちが部屋に来ていた。 だから、1年生の会話練習を始めたことで、毎日、午後から夜まで予定がびっしりになった。 自由な時間は午前だけ。 しかし、それも覚悟の上でのこと。 だって……。 「先生と会話の練習をしたいです。だから選択の授業を休みました。でもいいです」 「もっと話をしたいです。時間が本当に速いです」 「寮に帰ってから、みんなで先生のことを話していました」 私のこと、どんなふうに話していたかは知らないけれど、 こんなこと言われたら、やっぱり頑張るしかないでしょ。
2008年04月12日
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去年、3年生の「会話」授業の総決算として日本語祭りを開催した。 内容は日本語ドラマ(悲劇と喜劇)、スピーチ、そしてクラス対抗のディベート。 名付けて『日本語ワッショイ』。 今年も、やはり同内容の自主イベントを開こうと思っている。 学生たちの賛同も得た。 というより、学生たちはすっかりやる気モードになっている。 名付けて『日本語ドッカーン!』 ただ困っているのが、ドラマの脚本づくり。 悲劇の方は、なんとか骨格ができて、後は書き上げるだけだが、 問題は喜劇の方。 当初は、『唐辛子の味』というタイトルで料理人のドラマを考えていた。 四川料理の料理人が、日本の老舗の和食屋で修行をするというもの。 ラー油や山椒、唐辛子をたっぷり使った和食を作って騒動が起きるという内容。 だが、脚本を書いていても、一向に筆が乗ってこない。 というわけで、この案を諦めて、最初からアイディアを練り直すことにした。 そのヒントをくれたのが、学生たち。 今日の「会話」の授業での2人スピーチで、爆笑コントを繰り広げていたからだ。 この学生たちなら、どんな脚本にでも対応してくれるだろう。 それどころか、脚本を超える演技力で、観衆を圧倒してくれるだろう。 授業をやりながら、確信した。 これを3年生だけでやるのはもったいない。 1年生も2年生も、そして去年の教え子たちの4年生まで招待して、 盛大に開催したい。 皆様もご都合がつきましたら、是非、ご覧ください。 きっとご満足していただけるものと、自信をもっております。
2008年04月10日
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気がつけば、最近、このブログも学生のことばかりだなあ。 授業のこと、学生との会話、学校の行事……。 先日、桃の花を見に行ったのも、学生と一緒だったし。 連休も、ずっと学生と会っていたし。 変化がないなあ。 でも、これで充分に幸せ。 特にどこへ旅行に行きたいというのでもないし。 学生と話をしていれば、それで楽しくて、異国だと感じないですむし、 学生と話すことで、彼らの会話の苦手な分野もわかる。 それが授業のアイディアにつながることもある。 だから、学校の中にずっといることが、全然苦痛じゃない。 むしろ楽しい。 昨日の夜も3年生たちが3人、部屋に来てくれて、話しながら爆笑していた。 後は、本だな。 寝る前の読書は、この2、3ヶ月ずっと歴史小説ばかり読んでいた。 「平家物語」(吉川英治)と「関が原」「城塞」(ともに司馬遼太郎)。 そのせいかどうか、最近、やけに海外翻訳小説を読みたくなってきた。 F・マーゴリン、R・N・パターソン、N・デミル、D・フランシス、A・クィネル……。 ああ、読みたいなあ。
2008年04月09日
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嬉しいなあ。 学生たちに進歩や変化が見えると、本当に嬉しい。 今日の「会話」の授業は3年生1班。 このクラスは比較的大人しいというのが、大方の先生方の評価。 ところが、後期が始まってから、このクラスが一変した。 とても賑やかで活発になってきたのだ。 後期からやっている「二人スピーチ」は寸劇と化して、クラス内に笑いを巻き起こしている。 教科書を読むのも、私が指名するより先に、我先にと手が上がる。 先週から取り入れているロール・プレイも、学生たちは先を争ってやりたがる。 やり終わった後は、クラスメートに拍手を強要するといった場面も。 それが積極的な学生だけなら、どうってことはないのだが、 以前は、教室の後ろに座っていたり、引っ込み思案だったり、 或いは、授業を休みがちだった学生が、どんどん手を上げて話そうとするようになった。 3年生ぐらいになれば、新しいことをこまごま教えるよりも、 既に覚えた単語と文法を使って、どんどん話せばいいと思う。 教師は、そういう環境を作り、テーマを与えながらそういう場を提供する。 そして、学生たちの間違いを指摘し、他の表現方法を教えるだけで、いいのではないか。 間違えたら恥ずかしい、という気持ちで話をするのと、 間違えても、先生が直してくれるから、と思って話すのとでは、全然違う。 1人の間違いを全員で練習して、みんなで上手になる。 個人の間違いなど、誰も気にしていない。 学生たちの楽しそうな顔を見ていると、こちらまで楽しくなる。 最近は授業をしながら、こんなことを考えている。 この授業って、もしかしたら……もしかしたらだけど、 世界の中で一番、学生たちが嬉しそうな顔をしている授業なのかもしれない。 勿論、ちょっと大げさだとは思うのだけど。
2008年04月07日
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3月4日は中国では「清明節」。 墓参りをして、先祖を偲ぶ日だそうで、故郷に帰った学生も多い。 学生たちだけでなく、教師も3連休となり、それぞれあちこちに出かけていかれた。 私は行きたいところもなかったので、学校で学生の相手をしながらのんびり過ごすつもりだった。 ところが学生から「一緒に遊びに行きませんか」と誘われ、うららかな春の日、出かけてきた。 行ったところは、市の郊外にある「桃花園」というところ。 一面の桃園で、歩けど歩けど、延々と桃の木が植えられている。 これだけの桃の花が咲き乱れている風景は、まさに壮観。 では、その一部分をご覧下さい。 桃源郷とはこういう風景を言うのかと思ったほど。 心が洗われる思いだった。
2008年04月04日
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先日は4年生を相手に授業をした。 私の担当は3年生(会話と作文)と1年生(発音)で、4年生は別の教師が担当している。 ところが、4年生の授業で学生の集まりが悪く、 先生(中国人)が「どういう授業がいいの?」とたずねたところ、 「○○先生に授業をしてもらいたい」と私の名前が出たのだという。 4年生たちは今、就職や院生試験で、ともに面接という難関が待ち構えている。 その練習をしたくて、焦っている。 だが、これまで4年生の授業では、面接の練習はしていない。 担当の先生(日本人)には、私と他の先生が何度か、面接の練習をするようにお願いをしたが、 いつも「やらない」とすげなく断られていた。 面接の練習どころか、4年生たちは授業中、発話をする機会が(ほとんど)ない。 4年生になってから、ずっとそうだ。 だから4年生たちは、日本語を話す機会を奪われ、話すことに飢えていたのだと思う。 ある4年生の授業では、教室に来た学生は1人だけだったという。 職探しで、半数以上が学校を離れている。 だが、私の授業には、学校に残っている学生のほとんど全員にあたる20人が集まってくれた。 学生たちが何を求めているのかが、これだけでもわかる。 特別授業では、単語の語彙の広げ方から、単語を会話に応用する方法などを教え、 ロールプレイで、会話の機会を与えた。 そして、最後に面接試験の想定問答をし、その模範解答をプリントにして、学生に配った。 賑やかな授業になった。 授業というものは、学生がたくさん話せば賑やかになり、活気が出る。 久々に日本語を話す機会を得た4年生たちからは、「来週も」「再来週も」と請われた。 そう言ってもらえるのは嬉しいことだが、でもなあ、という気持ちもあった。 ところが、今日、4年生からある話を聞いた時、来週も4年生に授業をすることを決めた。 実は、今日、話をした4年生は院生試験に合格しながら、面接で落ちたのだという。 理由は、会話が上手ではなかったから。 去年も同様の事態が発生していた。 そういうことを踏まえて、今年の4年生には「会話」の授業で面接の練習をするように、 との要求が、大学側から出されていたのに……。 去年の反省が活かされていない。 学生の要求に応えられていない。 というわけで、来週も4年生に授業をすることに決めた。 今からでは、遅すぎるという気もするが、それでもやらないよりましだ。 学生が望んでいるなら、それに応えてあげるのが教師だと、私は思っているから。
2008年04月02日
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今日は4月1日、エイプリル・フール。 この「エイプリル・フール」という言葉、学生にはまったく通じない。 発音があまりにも日本的で、「エイプリル・フール」から「April Fool」を連想できないからだ。 学生たちが発音すれば、「エイプリル・フール」は「アポ・フー」に聞こえる。 日本語の「外来語」は「敬語」と並んで、学生たちにとっては大きな鬼門。 というわけで、昨日の3年生「会話」では、なるべく外来語を使いながら、授業を進めた。 私が外来語を使う度に、黒板に隅に書き加え、使った言葉はまた何度も、話の中で繰り返した。 そうやって耳を慣らしていけば、学生たちには英語の知識があるだけに、理解も早い。 嫌いなら、たくさん話して好きになってしまえばいい。 学生たちはいつも「日本語らしい日本語」を話したいと言う。 外来語をたくさん使うことも「日本語らしい日本語」に近づく方法だろう。 で、エイプリル・フール。 今日は、学生たちから「地震が起きるから外に出ないでね」といったメールが届いた。 真面目に返事をしているうちに、今日が4月1日だということに気がついた。 からかわれていたのだった(笑)。
2008年04月01日
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